秋の映画祭から【東京・中国映画週間】【東京国際映画祭】速報版 2025年10月から11月
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| 御所(船形)山 山形(宮城)のブナ林の黄葉 10/19 |
いまだ「途中」ですが、見た映画の速報としてお知らせしていきます。
東京・中国映画週間は、7本、一応終わりました。次は東京国際映画祭(10月29日~)、みるたびに順次書いていきます。
【東京国際映画祭】
⑧(1)マゼラン⑨(2)人生は海のように(人生海海) ➉(3)母なる大地 ⑪(4)飛行家 ⑫(5)春の木 ⑬(6)エイプリル ⑭(7)She has No Name(醤園弄)⑮(8)ダブル・ハピネス(雙囍)⑯(9)The Ozu Diaries ⑰(10)シネマ・ジャジレー ⑱(11)私たちは森の果実 ⑲(12)一つの夜と三つの夏 ⑳(13)ボタリスト 植物学家
⑳(13)ボタニスト 植物学家
監督:景一 出演:ジャスレ・イェスレ レン・ズーハン ヌルダレオト・ジャレン 2025中国 カザフ語・普通話
こちらは新疆ウイグル自治区の辺境に住むカザフ人の植物好きの少年ーまさに監督がモデルということらしいーの日常を自然の中に描く出だし。少年には彼に植物について教え、やがて失踪してしまった叔父、都会に出て帰りまた都会に出ていく兄(カザフでは長男は祖父母の子になるのだそうで、少年は兄をも叔父と呼ばなくてはならない)、そして少年と心を通わせる村の雑貨店の漢族の少女などと穏やかで単調とも言える日常が描かれるが、やがて少女も上海の寄宿学校に行くことになり去っていき取り残される少年。地元の人々を起用して撮ったという映画はドラマティックではないけれど、わりと素の心情がままで出てくるような撮られ方だし、少年が生きる自然の美しさ、あこがれもあるのだけれど現実的には厳しかったり怖かったりする要素も強い大都会は暗いし、後に少年が孤独に取り残されるウイグルの暗さもまた、どんどん終わりに近づくと深まっていく感じもするが、少年のモノローグも含めそのようなこと全体が少年の心情を反映するような、いわば一種の映像詩のような作りになっていて、重厚な感じさえする。新疆も政治的には中国の中ではかなりいろいろと困難を抱えた地域ではあるが、少年を主人公に据えているせいか、そのような政治性はあまり感じさせない(この少年・少女、学校に入っているんだかいないんだかもわからないし…)
(11月3日 TIFFティーンズ TOHOシネマズ・シャンテ 265)
赤い上着は助監督(北京出身)のフォン氏、黒い服が監督(トークは英語だった)
⑲(12)一つの夜と三つの夏
監督:カンドゥルン 出演:ツェリン・ヤンキ ツェキィ・メトック デチェン・バンソム 2025中国(普通話・チベット語)100分
26歳の女性サムギは子どもの頃の友人ラモとの間の苦い思い出を映画として描こうと北京から故郷のラサに戻ってくる。やはり映画?芸術?関係の仕事をしてきたらしい父との大きな対立というのではないのだが何となくすれ違ってギクシャクする様子は、彼女が子どものころ、また進学のために故郷を離れた10代のころからの者らしいことが、過去と現在を行き来して描かれていく。ラモとも後半偶然に出会って過去のその確執的?記憶を語るのだが、ラモの持つ記憶が自分のそれとは全く違っていたことに驚くサムギ…というような話の展開ではあるが、この映画今まで見てきたチベット映画(たとえば高原での生活とか、政治的に中国国内で置かれた困難とか)と大きく違うのはラサが、ま、中国の一地方都市として描かれ、青年たちは普通話を話し、高校を出ると北京や上海に出て行こうとし、また地元に戻ってもそこでの暮らしぶりや風俗は「内地」の大都市と何ら変わることがないという描き方だろうか。聞いていれば決してチベット語が出てこないわけではないし、出てくる中高年登場人物はちゃんとチベット風衣装に身を包んでもいるのだが、一見してはそれもあまり目立たないような描き方で、したがって政治的に中国が領土を主張し抵抗勢力もしっかりてダライラマが亡命している、なんていう状況はもはやこの若い人々には全く関係がないのかな、中国もチベットも変わったのだと強く感じさせられた。この映画の制作陣の平均年齢は30歳以下だそうで、今回TIFF出品作でももっとも「若い映画」らしい。監督カンドゥルンも若い女性だが、彼女が影響を受けたのは小津安二郎、三宅唱、濱口竜介だとか…その意味でももはやチベットローカルや中国社会を越えているのだろうなあ…(11月3日 アジアの未来 TOHO シネマズ・シャンテ 264)
トーク・セッション:左から監督・通訳・主演の二人
⑱(11)私たちは森の果実
監督:リティ・パン 2025カンボジア・フランス 87分
リティ・パンといえば東京フィルメックスの人、という感じで2024年『ポルポトとの会合』⑪3 2022年『すべては大丈夫』⑨など印象に残る作品を見てきたが、今回は東京国際映画祭コンペに出品とはさすが!カンボジア北部に住むプノン族という森の民の、近代化する生活の中で、森の精霊を重んじて土地所有の概念などもなく必要なだけを作り、食べるたびに収穫しというような自然と密着した暮らし方を保ちたいと願いつつ、浸食もされて行っているプノン族の男の一人語り(もちろん声優が発しているのではあろうが)の形で描いている。間にはアーカイブの学術映像として録られたと思われる前世紀?の半裸のプノン族の生活や耕作、森での生活を映したモノクロ映像が、上下を切った35mが2枚並んだようなモノクロ画面で映し出され、合間にプノン族の少女の印象的な上半身前面を向いた画像が挟み込まれる。そして、昔のプノン族と同じような行動をしている現代のプノン族の姿がその後に写しだされ、そこに「精霊に祈る」ことを常に重んじることと、現代化の中で貨幣経済・土地の所有制度とか、森林の伐採とかで精霊との世界が失われていくことを語るモノローグがかぶさっていくという構造。かつての生活や森は失われつつあるのだろうが、そこに映し出される自然の緑や水の流れなどは目を洗われるような新鮮さ緑はじっくり目にも胸にもしみ込んであたかも自分もその中にいるような感じがしてきて癒される。登壇した監督によれば、アーカイブ映像は単に記録映像にならないように映し方の工夫したとのこと。また、題名の「果実」は必ずしもフルーツのことではなく、もっと人間根源の「結実」?のようなものを意図して、それゆえ「私たちは(民族・国境を越えて観客も含んで?)果実だ」というのであるが、それを実感させるような映像にちょっと感動した。(11月3日 コンペティション TOHOシネマズ日比谷 263)
語るリティ・パン氏/会場にはプロデューサー(白髪の女性)の姿も…
⑰(10)シネマ・ジャジレー
監督:ギョズデ・クラル 出演:フレシュテ・ホセイニ マズルム・シュレル
2025トルコ・ブルガリア・ルーマニア 139分
はじめはブルカを着てひとりいなくなった7歳の息子を探して歩く女性レイラ。寄ってくる男たちが女の一人歩きは宗教規範に反するとし「夫」はどこだ、家へ帰れと暴力的に恫喝するタリバン支配下のアフガニスタン。「オミット」(「希望」の意だそう)という名の息子を探してレイラは髪を切りつけ髭をつけて男装し旅に出る。一方、「シネマ・ジャジレー」という廃業した映画館には女装というか半女装の青年が同じように巻き毛でなかなか美しい顔立ちの少年アサドを連れてくる。ここは、その青年が踊り、男の客を取って性的サービスをする場所で、連れてこられた少年や他にも半拘束され養われている何人かの少年たちは男娼見習いというか予備軍なわけである。一方のレイラは熱を出して倒れ助けてくれた男(彼はもちろん彼女の男装を知り、タリバンに殺されるぞと怒るが、それでも彼女を助ける。シネマ・ジャジレーの少年を搾取する連中も含めすべての男がタリバンではないというのは、まあ救いというような気もする)。この男の紹介でレイラは「少年を探せる場所」としてのシネマ・ジャジレーに「客」としてたどりつく。そこに息子はいなかったが少年たちが囲われている実態をレイラは知ることになる。そして…最初に少年を連れてきた青年は髭も生え、大人になってきたということでお払い箱になり「自分はここにしか居場所がない」と荒れる。それを見ていたアサドはこの場所から逃げたいと思い、その少年をレイラはシネマ・ジャジレーから連れ出す…。オミット(希望は)見つからないが、できることをしながら希望を探し続けるレイラの意志というか生き方が、非人間的なタリバン政権下、ちがった意味で非人間的な境遇に置かれる少年を受け容れて、かすかな希望が見えるようなー実のところ解決もハッピーエンドもないのだがー終わり方をして印象深い映画だった。
(11月2日 ウィメンズ・エンパワーメント TOHOシネマズ・シャンテ 262)
⑯(9)The Ozu Diaries
監督:ダニエル・レイム 出演:小津安二郎 野田桐吾 リュック・タルデンヌ ヴィム・ベンダース 黒沢清 香川京子 2025アメリカ・日本 139分
小津安二郎の映画作品のアーカイブ、小津自身の残した日記などを題材に、舞台役者という声優が演じる小津や野田の声と映像、内外の現代の映画作家が語る小津映画という形で小津の人生と映画製作をつづった大作ドキュメンタリー。特に戦争に何回も出征し、生きながらえて帰り、焼跡の東京に立ち、盟友でありライバルであった山中貞雄を失った小津の「戦争は、疑っていたらできなかった(肯定しなければできなかった)」とか戦後の作品『秋刀魚の味』の中で登場人物(笠智衆)が言う「負けてよかった」という述懐のさりげない重さととか、特に内外で高く評価される小津作品の普遍性が戦争の生死体験経て穏やかで安全な生活への希求に基づくものなのかなと感じさせられるような描き方が印象に残る。登場して小津を語るヴィム・ベンダースら映画人が実に細かく丁寧に小津作品を見ていることにも驚き、何となく古い家庭生活、人間関係みたいに思って流してみていたようなところもある小津作品の見直しをしてみたくなった。(11月2日 日本映画クラッシス特別上映 TOHOシネマズ日比谷 261)
Q&A 左端が監督のダニエル・レイム氏。右端司会は市山尚三氏
⑮(8)ダブル・ハピネス(雙囍)
監督:許承傑 出演:劉冠廷 ジェニファー・ユー(余香凝)吉岡里帆 2025台湾(北京語・英語・日本語・台湾語)130分
なんか、この秋たびたびあっている(実物の登壇もあったし)劉冠廷。今回は圓山飯店と思われる大きなホテルのシェフ カオ・ティムで、恋人デイジーが妊娠し、結婚式を控えているのだが、幼い時に両親が離婚、母は香港に去って事業家?として成功、今や著書もある白CEOとして有名人になっており、父は台湾の歯科医界でやはり実績を知られる一家の一人。しかし両親の離婚と不仲により子供のころから反目し合ったままの父母の家を行き来してつらい思いをしてきたと言う、「ダブル・ハピネス」という題名からはかなりかわいそうな子どもの物語から始まるわけである。結婚に際して、父は母の結婚式披露宴への出席を認めず、母はそれならというわけでもないだろうが、自身の知人・関係者も大々的に招いて台湾での挙式・披露宴を計画する。しかも風水のお告げとかを両方とも大切にするので結婚式は同日・同場所で30分の時間差で行われる音になる。父母ともに再婚しており、それぞれに伝統や習慣を重んじ、式についてもそれぞれこだわりがあって譲ることはない、というわけで間に立って翻弄され、右往左往する中でデイジーとの間さえも一時はギクシャクケンカになってしまい…ま、戯画化されているのは当然なんだけれども、それにしても親のワガママが子に報いという話で、親世代としてはどうも悩ましい感じがしないでもない。出来事としてはティムが幼児、両親のどちらからも見放されていた記憶を振り返りながら、ま、あまり両親に振り回されずに自身の幸せを追求しようと決意し、両親もまあ大人の対応を見せるというちょっとご都合主義とも思えるハッピーエンド、なので、映画としては何らかの問題意識を訴えるというよりは、あくまでも美しいドレスや豪華な結婚式場を楽しみつつ、主人公のアタフタぶりや、彼を支えるスタッフのいい人振りや、またちょっと身勝手な客のありようを楽しめばいいということだろうか…吉岡里帆は冒頭、子どもが一人乗る香港~台北の飛行器の客室乗務員としてワンシーン出演。
(11月2日 台湾電影ルネッサンス2025~台湾社会の中の多様性 TOHOシネマズ日比谷260)
⑭(7)She Has No Name (醤園弄)
監督:ピーター・チャン(陳可辛) 出演:章子怡 雷佳音 趙麗頴 易烊千玺 梅婷章宇 Anna Kirke 楊幂 康春雷 彭昱畅 尹昉 陳国慶 張建亜 周野芒 大鵬 徐祥 李現 2025中国 94分
1945年詹周氏(夫の姓は詹、実家の姓は周ということで、つまりは彼女自身の名は現れないつまりNO Nameだ)はDVの結果、夫を殺し遺体を切断した容疑でで逮捕される。文字も読めない彼女は、刑事に脅されるかのような取り調べではいったん自供するが、裁判ではひるがえして無実を主張。事件を捜査、彼女の罪を追及する刑事、フェミニズム的立場で彼女を助けようとする報道をするジャーナリスト、獄中で彼女を支え励ましながら先に死刑になってしまう同房の女性(楊幂が好演)、とかとか、主演の章子怡は名前がないだけでなく顔には生まれつきのアザ、両親を早くになくして質屋で売り食いをしているというような境遇から始まり、夫に仕え(これが『春の木』の優し気な王傳君で、今回はワガママ、博打狂いの暴力夫)夫に殴られ、警察にも殴られ、蹴られ、黒豚をしかけられたりして全身傷だらけの汚れ役で、映画の終わり、日本の支配が終わり中華人民共和国建国時にも裁判は続きという感じで、もう全く救いようのない暗い暗い境遇を歩む。もっとも彼女を権力でいたぶる警官(雷佳音)もさらに上からの権力に圧制されて失脚というシーンもあって、単純に強者対弱者というような構図になっているようでもなく、結論は出ないのだが新中国で彼女がこれからどんな人生を歩むのか歩めるのかというところは、実はこの映画「前半」で、彼女はこのあと2006年までの人生を全うしその後半生が、2時間半の後編が準備されているのだと、前回上映後のQ&Aに登壇したピーター・チャン監督のYouTube情報。このQ&Aによれば、この10年間の香港や世界の変化がこの映画製作に与えた影響はないと言いながら、時代を越ええてどのような政治変化の中でもあらがうのではなく、しのいでラッキーに生きていく人間の姿を描きたいとする、監督のことばからは、この映画のやはり香港情勢・中国政治の圧迫の中で生き抜き映画を作っていく姿や、その意思が込められた作品なのかとの感をもった。画面は暗いが、くっきりした(ここはピーター・チャンらしい)美しささえある闇で、構図の妙?も含め、やっぱりピーター・チャンの世界を感じさせる。易烊千玺(盲目の占い師?)、章宇(検視官)などが出番はちょっとだが印象に残る役柄で出演しているし、その他も超豪華キャストが並んでいるのも、彼の映画に出たい役者が多いから?と思わせられる。ちなみに原題『醤園弄」は実際に醤油を作っていた街での殺人事件ということでの命名らしい。
(10月31日 ガラセレクション ヒューマントラストシネマ有楽町 259)
⑬(6)エイプリル
監督:フレディ・タン(唐福睿) 出演:劉冠廷 エンジェル・アキノ チャン・シャオション エスター・ホアン(黃瀞怡)2025台湾(客家語 タガログ語 北京語 英語)116分
フィリピンから台湾へ介護ヘルパーとして来ているエンジェルは、母危篤の報に一時帰国を願いでるが、雇主は介護の手がなくなるということでいい顔をせず、結局彼女は介護している老人を連れてフィリピンに帰ることになる。そこからはエンジェルの留守宅の老人を迎えての「騒動」…。一方台湾の老人の留守宅には刑務所を出てきた息子阿偉が帰宅、父の不在を兄姉に問いただすも、むしろ父親がいないのをいいことに、ここで暮らし始める。父はこの次男坊が台北で医師をやっていると見栄をはっていたので、診療を求める人が押しかけてきたりもする。と、両方の暮しを平行に描きながら、エンジェルの家族が自らの在り方を見直し、ウェイが自らの生き方を改めて作り直していく姿を描くのだが…。やがてフィリピンから「父重篤」の知らせがあって、忙しくて動けない兄姉に変わりフィリピンに旅立つことになる。というような話で概ね予定調和的というか予想通りのハッピーエンドに話は向かうのだが、エンジェルの家族一人一人がなかなかよく描けているのと、台湾の阿偉とそのいわば唯一の理解者である元同級生との付き合いを通じて阿偉が父との心理的な和解を得ていく様子が、なかなか自然に描けているので、意外に深刻なテーマを楽しみつつ見ることができる。表面やさしげだが意外に癖があるというような役柄が多かった気がする劉冠廷(『一秒先の彼女』⑧2020 『オールドフォックス』8㊸ 2023『私立探偵』⑦2025)がここでは、刑務所帰りとはいいながらも根は善人であること願う普通の青年を好演。
(10月31日 台湾電影ルネッサンス2025~台湾社会の中の多様性 ヒューリックホール258)
左側二人の主演者と監督の登壇
⑫(5)春の木(春樹 Mother Tongue)
監督:張律 出演:白百何 劉丹 王傳君 2025中国 121分
「春の木」はヒロイン「春樹」の名のこと。37歳の女優春樹はオーディションを受け映画の主役に抜擢されるが、成都出身であるのにもかかわらず、監督がこの映画主演に求める成都弁(四川話)が話せないということで受けることができず、女優をやめて故郷成都に帰省する。故郷で彼女はかつて演劇を教わった峨眉撮影所の張老師を訪ね、アルツハイマーにかかっているという張老師の世話をするために上海から来ている息子冬冬に出会う。話はこの3人と張老師の世話をしている親戚の小芬、それに成都弁を話すシングルマザー、まだ若々しく男性との付き合いの多い(したがって春樹とは肌が合わない)春樹の母とを軸に進んでいくが、実は劇的な展開はほとんどない。春樹はかつて張老師から「女優は全国に伝わるように普通話を話せなくてはならない」と強い指導を受けた優等生で、成都出身であるにもかかわらず、この地方のことばをしゃべれなくなってしまい、仕事も失ったわけで、張老師には恩もだけでなくむしろ一種の恨みも持っている。張老師も「はっきりしているときとそうでないときがある」と息子に言われる感じで、春樹は彼女が本当に認知症なのかどうかを疑ったりも…。他の人々から離れ孤独に自身の生を生きている感じ。また冬冬は単身成都で仕事をする母から上海の祖父母宅へ預けられ上海弁を母語として育ってきた。その意味では二人はこの成都ではある意味異分子である。映画はそれぞれが自身の情感を最も深く表せる言葉を失い、あるいはこの地では発揮できない男女とその母(張老師)の情感がすれ違い、かみ合わず、しかし淡々と日々を過ごしていく様子が描かれている??ほかにことばがしゃべれるのにしゃべらない本屋の店主?とかも出てきて…ウーン。ことばの問題は私にとってもある意味ライフワークだから(おまけに私は首都圏共通語意外にどんな方言も持たない、映画的情感的にはすごーく「サビシイ」人間なので)心に響くところはあるのだが…、そういいつつこの映画の登場人物のように無為に(若い二人も仕事はしていないし、春樹の母は「一生遊んで暮らせるほどの財産を持っているという設定)ゆったりのんびりの日々は暮らせないなあ…と自分の貧乏性というかまぐろ体質を振り返らされてしまうような映画ではあった。
(10月31日 コンペティション TOHOシネマズ・シャンテ 257)
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| Q&A 左から張律監督・通訳樋口さん・張老師役の劉丹さん |
⑪(4)飛行家
監督:鵬飛 出演:ジャン・チーミン リュウ・シュエチン 2025中国 118分
1970年代、恋人の父との面会で、もくろんでいるパラシュート降下に成功すれば結婚後も飛行を続けてよいが、失敗したなら2度と飛ばないと約束させられる主人公リ・ミンチー。パラシュート降下は突然の隕石落下に遭遇して失敗、彼その後の降下を断念して結婚する。しかし飛ぶ夢を捨てられない彼は当時中国でも始まっていた交通渋滞を回避する3.5mの上空を移動するような「飛行器」を作ろうとするが、実験に失敗し、一緒にいた妻の弟(北京大学の受験を目指す秀才)が巻き込まれて右手の指3本を失うケガをしてしまう。自棄になり生活が荒れる弟を心配したミンチー夫婦は廃工場を買い取りダンスホールを経営。その宣伝のためにミンチーは熱気球を作り空を飛ぶ。そうしてダンスホールは成功するが、義弟はともに経営することを嫌って、妻子を残して北京に出奔、子どものできないミンチーは残された甥のフォンを息子のようにかわいがる。やがて義弟は借金を抱え、彼を金づるとしようとしているらしい胡散臭い男を伴い帰郷するが、借金のカタにダンスホールを取られてしまう。一方フォンが重い心臓病を患っていることがわかり、その手術には10万元が必要ということに…。そしてミンチーは10万元獲得のためにふたたび空を飛ぶことを決意して思い切った行動に出る。ということで後半は彼のその飛行のハラハラドキドキということに。「飛行家」と言ってもこれは冒険アクションではなく、改革開放の中国でその時代の波に翻弄されつつ、飛ぶことを支えにマジメ、誠実に生き抜き、彼を支えた妻との愛情物語でもあるという、一風変わった男の一代記という感じだろうか。時代の雰囲気は良く映し出し、役者たちも特段美男美女のスターというのではなく?(ちがうのかしらん?終わって登壇した主役のジャン・チーミンは遠目にはなかなかのイケメン好青年に見えた)リアリティはある。TIFFには珍しく?竜マークもちゃんとついていた。当日にチケットを購入したヒューリックホールはバカでかいわりにスクリーンは小さく、通路側だが後ろの方のY列だったのでQ&Aセッションの登壇も豆粒のような登壇者。監督・主演と、エグゼクティブプロデューサーも勤めたこの作品の原作小説作家(シュアン・シュエタオ氏)も登壇。監督は『再会の奈良』④(2022)の人。 (10月30日 コンペティション ヒューリックホール 256)
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| 左から作者・主演俳優・監督。司会(右端)は市山尚三氏 |
➉(3)母なる大地(地母)
監督:張吉安 出演:范冰冰 許恩怡(ナタリー・スー) 白潤音 2025マレーシア(北京語 福建語 マレー語 英語)129分
マレーシア北部タイ国境に近い農村(風景映像の美しさ!)で夫を亡くし、娘(少々反抗的)と息子(母をよく手伝う)を育てながら農業をし、呪術師として村人の世話をするイム。この地はかつてシャム王国であったが100年前にイギリスに植民地化され、イギリスは接収した農地を地元華人に手書き書類で分配したという過去があり、独立後、元の土地の持ち主であるシャム人との間に係争になっているという社会・歴史的問題も絡んで、イムは頼られながら夫の元秘書であり今は地元の長官?になっているタンを頼りながら村人の土地問題について役所に通ったりするのが前半。ところがこの話、どう展開していくのかとみていると、後半は頼っていた農婦のハーさんが物の怪にとりつかれたようになり、それをきっかけに夜の湿地帯?のようなところで妖怪大紛争ではないけれど、インドネシア帰りとかいう別の男性呪術師との争いも絡んでウーン?なんか私のような即物的なというかロマン性のない人間には?理解できない幻想的な展開になっていくのだが…。終わって主演女優と監督のトークがあり、そこでは監督は、ある女性が自身を犠牲にしても家族を守ろうとするような優しい=強い女性を描こうとしたというのだが…まずはマレーシアのこの地の民族の多様性(民族間にいわゆる差別的な感情や政治的扱いがあるのは否定できない)、呪術や伝承に色づけられた文化的背景(これって、昨年のTIFF上映作『幼子のためのパヴァーヌ』⑰もそうだったように、監督の大好き分野なんだろうね)といったものをしらないとなかなかに理解しがたい世界のように思われ、最後までのめり込むという感じにはならず。娘役は『ラストソングフォアユウ』21㉛(2024ジル・リョン)のナタリー・スー、息子役は『オールド・フォックス』8㊸(2023蕭雅全)の白潤音という豪華キャスト(前回上映では二人も登壇したとか)だが、他の出演者は物の怪にとりつかれたりして大熱演?のわりには意外と影が薄くてやはり范冰冰の一人舞台というところかしらん…
(10月30日 コンペティション TOHOシネマズ日比谷 255)
⑨(2)人生は海のように(人生海海)
監督:廖克發 出演:ベラ・チェン ウェイ・チュンチャン ファビアン・ホウ 2025台湾(普通話 広東語 マレー語) 100分(カラー・モノクロ)
6月法政大学での上映会で見たドキュメンタリー長編『島から島へ』⑧の廖監督の初劇映画だそう。監督自身がモデル?らしいマレーシア華人の阿耀は台湾へ移住して23年のビジネスマンだが、折に触れ台湾社会での外からの移住者への差別的な視点に傷ついているというのが出だしだが、その彼にマレーシアに住む父の急死が知らされ、彼はマレーシアに帰省する。
そこから100年前、台湾から当時のマラヤに出稼ぎ移住した少年時代の耀の曾祖父?の苦労が描かれる白黒場面を挟みながら、マレーシアでの耀きょうだいの幼い日、父とのいきさつも挟みながら、マレーシア社会でも華人である彼ら一家には様々な?差別があり苦労が続いた子供時代であり、それゆえ兄耀は台湾に行き、弟財は反政府政治デモに打ち込み、自分の家族を持った妹が一人家を守っている様子も。そして道教での葬儀が始まるが、夜半になって警察(宗教警察というのがあるらしい)が乗り込み、父はすでにイスラム教に改宗しているので、イスラムの墓地に葬らなくてはならないとして遺体を持ち去るという大騒動と、その後の顛末が描かれ、父の改宗に隠された秘密もわかってくる。と、けっこう盛りだくさんでなかなか大変な社会状況を描いているのは『島から島へ』と同じような印象だが、劇映画ゆえの過去の映像化や省略的手法も取り込んで100分の長さに盛り込んだ内容は濃い。夜の回の終わりには監督と主演耀役のウェイ・チャンチュンが登壇(石坂健治氏司会)。マレーシアのイスラム教勢力と華人の立場とか、台湾移住後の活動について語り、また映画の撮影地がマレーシア部分も含め台湾で撮られていることも、この映画のマレーシアでの公開は未定(検閲を受けているところ?)であるとも。ちなみに『島から島へ』は彼の6本の作品中唯一マレーシアの公開が認められたらしい。(10月30日 台湾電影ルネッサンス2025~台湾社会の中の多様性 TOHOシネマズ日比谷 254)
左からウェイ・チュンチャン、廖監督
⑧(1)マゼラン
監督:ラブ・ディアス 出演:ガエル・ガルシア・ベルナル ロヘル・アラン・コサ アンジェラ・ラモス 2025ポルトガル スペイン フランス フィリピン 台湾(ポルトガル語 スペイン語 タガログ語 フランス語 英語) 164分
【東京・中国映画週間】
①聊斎:蘭若寺 ②無名の輩ーバンコク大脱走篇 ③完璧に別れるためのTODOリスト
④悪意 ⑤志願軍(第2部存亡の戦)⑥餃子クイーン⑦誤殺3~喪失の連鎖~
『Fox Hunt フォックス・ハント』(監督:張立嘉 出演:梁朝偉 段奕宏 )
『シータイ・戯台~笑劇の霸王別姫~』(監督・脚本・出演:陳佩斯 出演: 黄渤 姜武)
の2本は時間の都合などで見られなかった。
⑦誤殺3~喪失の連鎖~Octopus with Broken Arms
監督:甘剣宇(ジャッキー・ガン) 出演:肖央 佟麗婭 段奕宏 劉雅瑟 王龍正 高捷
2024中国 109分
肖央が主演するシリーズ物の3作目らしいが、私は残念ながら1.2は未見。話は、1.2とは全く別物らしい。何処とは表示されないが多分タイ?の富豪ジョンの娘が誘拐される。警察も捜査にあたるが、犯人はジョンを呼び出し、身代金を抱えたジョンは娘の家庭教師と一緒に、犯人の指示に従ってあちらこちらへと、まるで警察の目を逃れるかのように移動する。ジョンが娘の居所の心当たりとしてたどり着いたのは廃屋となった旧孤児院、そこからジョンとその弟分の過ごした過去に話うつり、そこでは二人はある警察官の手先として使われ子どもを誘拐する犯罪の手先として使われていたこと、またそこでジョン自身が619事件をネタに脅迫されるということも起こり、ジョンの過去と娘の誘拐に縁があることが示され…要はこれはなかなか込み入ってアクションぽくもあり、話も一転二転して翻弄されてしまうが、要は「オリエント急行殺人事件」なのであるがー(ネタバレゴメン)でいえば、やはり悪徳警察官が黒幕というのは中国国内では作れなかったのだろうなあ(検閲を通らない)、そして主役のジョンもしっかり成敗され、娘との関係も禍根を残しそうで後味もイマイチではあるが、かかわる人々それぞれはなかなか説得力のある描き方はされているかな…。段奕宏とサンドリーヌ・ピンナが夫婦の刑事役、高捷が警察長官、脚本は『唐探』の陳思誠。出だしはタコとその母の物語を演じる舞台劇のシーン。タコは生まれるとすぐ親から離されるというテーマがこの映画の副題というか英題になっているよう。(10月26日 TOHOシネマズ日本橋 252)
⑥餃子クイーン(餃子皇后)
監督:劉偉強(アンドリュー・ラウ) 出演:馬麗 惠英紅 朱亜文 王祖藍 薛凱琪
2024 中国(北京語・広東語) 120分
アンドリュー・ラウ監督の、香港舞台の中国映画、っていうのも今の対香港中国勢力の現われかななどと思いつつ見る。主演の馬麗は去年は「抓娃娃ー後継者養成計画ー』④(閆非・彭大魔)、2022年には「抓娃娃』と同じく 沈騰と演じた「月で始まるソロライフ』④(張吃魚)、『トゥ・クール・トゥ・キル(这个殺手不太冷静)』③(邢文雄)と、中国映画週間ではよく見る顔で、コメディエンヌとして有名な人だが、今回は、ウーン。この話は実話ベースだそうで、実際に大陸から来て香港で餃子皇后と呼ばれた人がモデルだそうで、最初のタイトルバック?にも、エンドロールにもその実物の方と娘たちの写真も(映画の彼女たちも同じポーズで)出てくるのだが、見かけの雰囲気ふっくら具合が馬麗とわりと似ている感じで、だから選ばれた?わけでもないのだろうが、話としては喜劇味などは微塵もない、夫の背信の中で、不幸を青島に離れて暮らす家族にも打ち明けず仕送りまでしながら頑張って成功した烈女一代記?という感じで、力作とは思うが、あまり面白くはない。中で、彼女を支える大家を演じたカラワイとか、その夫?なのか同居人なのかチョイしか出てこない太保とかが印象に残る感じ。ともかく香港人は(子どもは学校で大陸人といじめられるのだが)みんな親切、餃子クイーンは山東餃子で売り出し、どんどん改善も加えて「北京餃子」の名で売り出すのだが、その彼女が成功して青島に帰り家族に食べさせるのはどっちの餃子?とか、
何年も香港に暮らして商売し、成功する彼女がずーっとほとんど北京語のみで広東語は??とか、あと母の死を知らせる電話で「去世」と言っているのに「大変だ」という字幕になっているのは??ー次の場面で死んだ母に抱き着き連れ帰ろうとする彼女の行動を「日本的」に理解できるようにした??ーとか突っ込みたいところも多々。彼女の二女(9歳~)を演じているのは『悪意』で小児がんにおかされ屋上から飛び降りる少女を演じた子?とすると『悪意』の看護師の母もやはりカラワイ?と映画をみながらわからんことをぐるぐる考えたりしてしまった…。(10月26日 TOHOシネマズ日本橋 252)
⑤志願軍(第2部存亡の戦)
監督・陳凱歌 出演:朱一龍 辛柏青 張子楓 朱亜文 陳飛宇
第1部は昨年の東京・中国映画週間での上映があったようだが未見。1部で戦争神経症で記憶を失った孫醒(陳飛宇、て陳凱歌の息子ね。長身バタ臭いイケメン!)は63志願軍に紛れ込み、超能力的力を発揮してやがてご都合主義的に覚醒して国連軍の守るダムの水門を破壊する任務につき…。もう一方の主人公は李想(朱一龍)で、その父、妹との再会や家族愛の人情的要素もたっぷりと盛り込まれるが…。要はこれって朝鮮半島を舞台に他者『中国」とアメリカの国連軍が侵攻して戦ったっていうことでしょう?戦争の理由というのが全然モチベーションにつながらず、若いイケメンたちがいかに任務に忠実に頑張ったとしてもなんかバカに見える??火薬はどっさり、どのくらいがCGなのかわからんが、荒れ果てた戦場で繰り広げられる戦闘を喜ぶ「オトコノコ」?「中国人」?的感性は、予想通りでウーン。まあ、話のタネとして一応おさえたというところ。(10月24日 TOHOシネマズ日本橋 251)
④悪意
監督: 来牧寛 / 姚文逸 出演: 張小斐 梅婷 陳雨鍶 楊恩又 黄軒 2024中国100分 ★
武漢のある病院で小児がんで入院中の少女と看護師が屋上から転落、少女はなくなり看護師は重態になる。最初は医師との不倫現場を少女に見られた看護師が少女を突き落としたと、少女の母(梅婷)の証言もあって看護師が疑われ、やがて転落現場を撮影した近くの工事現場防犯カメラが発見されて母の証言は嘘で看護師が少女を助けようとして一緒に転落したことがわかり、一転再婚した夫との間の子を妊娠した母が少女を邪魔にして少女を絶望させたのではないかというような展開になる。実はこれらはすべて地元のYouTubeで「夜話」というサイトを主宰するTV局の女性記者葉攀(張小斐)の真実追及の過程として描かれ、その過程では2年前の彼女の報道によって人が死に彼女自身も大きな傷を負った過去もSNSで取りざたされるなどして、今回の転落事件のミステリー的追及よりも、むしろ報道やSNSに関する現代社会の問題を追及するような社会派的ドラマとしての展開をしていくのである。ただただ視聴率を高めることばかりを気にする社長とか、社会的な正義を気にしつつも、自身の生活のために良心に目をつぶる同僚やなど。また事件に取り組む刑事が葉攀の夫(黄軒)であることなど、また葉攀ののアシスタント晨晨が実は葉攀の過去の事件にもかかわりを持っていたとか、いささか様々な要素をごった煮的に詰め込んでドラマティックにしている面はあるが、ミステリー・サスペンスとしてはすごく意欲的な見ごたえのある作品と思われた。少女の母は梅婷だが、看護師の母役で出ているのはカラ・ワイ(恵英紅)?そっくりだと思ったが、出演者名にも、カラ・ワイの側のフィルモグラフィーにも出てこないので違うのかなあ。(10月23日 TOHOシネマズ日本橋 250)③完璧に別れるためのTODOリスト(分手清単)
監督: 田羽生 / 夏雨 出演: 欧豪 曾梦雪 周游 程瀟 徐梦潔 2025中国 126分
舞台は広州。3年間の付き合い・同居を経て別れるカップルの出会いから別れ、3年後の再会(これはまあ付け足しだが)まで。なんだけれど、この二人の、または映画のユニークさは、まだ別れ話などが持ち上がるずっと前に「別れることを難しくする」ために、実行が難しい「別れるためのタスク」を設定したことで、実際に別ればなしが始まってから高級レストランに「正装で行き行儀の悪いふるまいをする」「互いの大切にしているものを10個ずつ捨てる」「相手の名のタトゥを体に入れる」という3つのタスクを実行する場面も入れながら二人の出会いや、男性(馬天澤)の職業生活の変化、彼ら二人を含む男女3人ずつ(3組のカップル)の友人模様やその中での考え方とか、何やかや出会ってからの3年間が互いの中で回想されるという形で描かれていくのだが…。なんとも恋愛は面倒くさいものだなあという見終わっての印象はこちらの老い?
好きだ、一緒にいたい、結婚しよう(と男が言う場面はあるが)というふうに一直線に進むドラマではなく、自身のキャリアとはかりにかけるのでもなく、本当に愛されるとはどんなこと?と求めているような女性(夏沫)のあちりかたもなんか…わからん。互いに大切にしているものを捨てるシーンで、女が捨てるのは男が学生時代に獲ったコンクールのトロフィーであり、男が捨てるのは女の高そうな化粧品の類であるというのも、この男女の意識の存外の保守性?のような気もしてやはりウーン…。(10月23日 TOHOシネマズ日本橋 249)
②無名の輩ーバンコク大脱走篇
監督・脚本:饒暁志 出演:章宇 任素汐 潘斌龍 馬吟吟 国義騫 2025中国 122分
2018年11月に中国・紹興で見た『無名之輩』⑧の、これは第2弾で、同じ監督が作り、同じ章宇(同年東京フィルメックスの『象は静かに座っている』②で初めて見た)が主演している。ただし続編というわけではなく、「ダメ男」ではあるが章宇が演じる主人公も前回とは別人の設定(だと思う)。
中国の照明器具メーカーの陳三金と喧嘩別れしつつあるパートナー薛芳梅はタイに商談?でやってくるが、バンコクの路上に突然現れたテロ集団の無差別的銃撃に巻き込まれ、拉致されてテロ集団のアジトに連れ込まれ監禁されてしまう…という出だしの冒険活劇?だが、実は…(ここからは映画最後に「ネタバレしないでください」という警告?テロップがでる)この誘拐劇には裏があり、何も知らずに抵抗逃げ出そうと闘う陳三金と、実は裏の一幕にかかわり三金への同情というか思いと、「裏」に引き裂かれる芳梅の姿も描きつつー前半は観客も完全に騙される仕組みになっていて、その「裏」が見えてくると、騙されてアタフタする陳三金に同情しつつ、なんか現代のメディア社会をまさに体現するような「裏」のいやらしさもしっかり描かれて、単なる娯楽映画というより文化批評に見えてしまうような社会派ドラマ?の様相も示され、ラストではまた三金と芳梅の和解?ドラマにもどるような、始まりの印象よりはけっこう複雑な、必ずしも後味がいいとも言えない、しかし力作!(10月23日 TOHOシネマズ日本橋 248)
①聊斎:蘭若寺
監督:崔月梅 / 劉源/ 謝君偉/ 鄒靖 / 黄鶴宇 / 劉一林 2025中国152分 アニメーション
6人の監督が共同で、というか多分1エピソードずつ分担して合作したのであろう、大力作長々編アニメ映画。監督のうち4人はこの映画が代表作となっている、つまり若い人々の集団なのだろうが、それだけに動く画面の目まぐるしさ、きらびやかさ、技術の粋?を集めたようなビジュアルの妙にはひきこまれるが…。話は要は雨夜蘭若寺に一夜を借りた書生(『聊斎志異』の作者、若き日の蒲松齢がカエルと亀の妖怪の怪奇話対決の審判を引き受けさせられ、それぞれ2つずつの話を聞かされ、最後は自身も物語をするという設定で、ま、アニメ化デフォルメをされた『聊斎志異』の物語5編が映像化されるというわけ。キャラクターはみな今風のディズニー・アニメ?っぽい造型だし、それがちょっと中国古典っぽい背景の中で派手に動き回るし、「聊斎」の世界とはなんか異質にも感じられるが、これはむしろ私の感覚の保守性かも…エンドロールの穏やかのんびりのアニメーションがなんかしっくりきた…。5つの話を並べる必然性もあまり感じられないが、それでもこれは作者にとっての大力作というべきだろうし、見るのにもけっこう力が入り、それなりに楽しめたのは確か。(10月21日 TOHOシネマズ日本橋 245)


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