【勝手気ままに映画日記】2021年6月



雨模様、おまけに帯状疱疹で痛みに呻き、山歩きもあまり果たせぬ6月…富士山にも晴れた山々にも遭遇できず。6月はじめに行った丹沢湖(なんとか西丹沢・檜洞丸に)

黒メガネ黒マスクで人相最悪!


①来電狂響②女たち③アメリカン・ユートピア④風が踊る(風兒踢踏踩)⑤5月の花嫁学校
➅逃げた女⑦湖底の空⑧十八洞村⑨ベル・エポックでもう一度⑩ブラック・バード⑪アフリカン・カンフー・ナチス⑫デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング⑬るろうに剣心 最終章 The Beginning⑭るろうに剣心 最終章The Final⑮グリード ファストファッション帝国の真実⑯田舎司祭の日記⑰王の願いーハングルの始まり⑱1秒先の彼女(消失的情人節)⑲やすらぎの森⑳ソウルメイトー七月と安生㉑いとみち  

中国語圏映画(合作・主題も含め)7本①④⑦⑧⑫⑱⑳、日本映画6本②⑦⑪⑬⑭㉑
韓国映画➅⑦⑰   ★はなるほど! ★★いいね! ★★★おススメ 各映画最後の、映画館名の後ろは今年になって劇場で見た映画の通し番号です。


①来電狂響
監督:于淼 出演:佟大為 馬麗 霍思燕 喬杉 代楽楽 2018中国 103分

ほとんど内容は知らされないまま「中国文化センター」の中国映画上映会というのに行ってみたら、2019年中国映画週間で見た『完璧な他人ースマホが暴く秘密たち』であったのだが…出演者の役柄や顔はしっかり覚えている、物語についてはウーン?一応前作を踏襲?している?とは思えるのだが、なんか別バージョン?と思えるくらい印象が違ったのはなぜ?一つは今回の字幕がぐちゃぐちゃ!日本語とは思えないような仕上がりで、耳から入るものと目に入るものがあまりに違うというか違和感があたせいかも。無料上映だから文句は言えない??あと、終わり方前回は佟大為扮する脚本家の妄想というか創作という形で今までの人間関係のごちゃごちゃが回収される仕組みにもともとのイタリア版とは違うもののなるほどと思ったのだが、それがエンドロールの後ろにちらりと出てくる感じでえ?こうだったっけ?エンドロールには汶川地震でのスマホ活躍のシーンなども出てきて、これも見覚えがない気がする。竜のマークはちゃんとあったが、もしかしてやっぱり別バージョン?と今もなんか変な感じがしている。この映画ギネスでは世界でもっと多くリメイクされた映画だそうで、日本版も見たなあ。   (6月2日 中国文化センター上映会 134)


②女たち
監督:内田伸輝 製作:奥山和由 出演:篠原ゆき子 倉科カナ 高畑淳子 サヘル・ローズ 筒井茄奈子 窪塚俊介  2021日本 97 分  ★★ 

ミサキの母は半身不随、訪問介護の介護士ナオキとミサキは関係を持ちミサキは結婚する気で彼にお金を渡したりもする。母も彼がお気に入りだったがある日(お金を渡したその日)突然介護士が交代、やってきたのは「外国人」のマリアㇺ。マリアㇺからナオキの連絡先を聞き出し、家を訪ねていくとそこにはナオキの身重の妻がいた…、おまけに忍び込むようにしてようすをうかがっていたミサキは近所の人に不審者として通報され警察に連行されてしまう。ようやく釈明をして警察車で送られる帰り、親友の香織の養蜂場に黄色いロープが張られ警察官たちがいるところに通りかかり、香織の死を知る。その直前ナオキの家をうかがっているとき実は香織から電話があったが、ミサキは自分の事情にかまけて冷淡な対応をしてしまっていた…ミサキは勤め先の学童保育所を首になり、職も探すがうまくはいかず、体の不自由な母は苛立ってミサキに怒りをぶつけてなじる…それに耐えられず、彼女も庭から母の居室の窓に向かって泥の塊を投げつけたり…。とまあ、壮絶な場面で高畑淳子の顔半開きで片手は固まり、片手で食事をしたり手紙を開いたりというぼさぼさ髪の老婆姿もすさまじいし、怒りをぶつけて泥を投げる篠原の鬼気迫る表情もすごい。
映画半分はミサキと母の住む家の暗さ。対照的に潤う緑が美しい養蜂場や周辺の自然と、その中で真っ白な作業着で仕事をする香織と手伝うミサキの姿も印象的だが、その美しい景色のの中でワインを瓶ごと飲み干し、屋外のテーブルに並べられた料理をまったくムシャムシャという感じの勢いで食べ、薬を飲んで雨の中に倒れるというか、いい感じで寝てしまいそのまま死んでしまう香織の最後は美しいのだがやはりすさまじい。
この3人あたかも演技の競演という感じでこの映画を支えているのである。香織の死後、妹がやってきて養蜂の仕事を継ぐが彼女も精神に問題を抱えているよう。とそんな中でサヘル・ローズ扮する(すごくオーラがある人だが、この映画ではそのオーラをおさえて、どこにでもいそうな介護士をきちんと演じている)後任の介護士が母とミサキを支え、また香織のはちみつを買っていたという縁から香織ともつながって、はちみつをミサキが作ったのだと伝えて母に食べさせるというところから、ささやかだがなんかこの女性たちの未来が開けていく可能性も感じさせる終わり方。後味はすごくいいとは言えないので娯楽映画とはいかないが、身にもつまされ案外勇気もわいてくる作品。(6月10日 立川キノシネマ 135)


③アメリカン・ユートピア
監督:スパイク・リー 出演:デヴィッド・バーン 2020米107分 ★★

元トーキングヘッドのデヴィッド・バーンと11人のメンバー(女性は3人だけ。楽曲によって楽器も持つ男女のダンサー、ギター・ベース系はデヴィッドを含め3人だけで、後はキーボード1台を含め体に付けたパーションを奏でるマーチングバンド形式のバンド)のライブ21曲。デヴィッドの語りを入れたり、後の方ではアメリカ公民権運動の中で犠牲になった黒人の写真と生没年が出るパネル(このあたりはやはりスパイク・リーが監督をしているゆえか?)が出たりするが、基本的には息もつかせず21曲を演奏し踊る。演者たちは全員ビジネススーツみたいなグレーのスーツにグレーのシャツ、そして裸足!デビッドのダンスはなんか日本の盆踊り?を見ているような不思議な腰つき手つきで、ダンスの振り付け自体も全体に不思議な、アメリカ風ではないどちらかというと土俗のダンス風な手つき足つきもあり、面白い。というわけでけっこう過激なプロテストソングも含め勢いで流れにたゆたう107分が過ぎた。(6月10日 立川キノシネマ 136)


④風が踊る(風兒踢踏踩)
監督:侯孝賢 出演:鳳飛飛 鍾鎮濤(ケニー・ビー) 陳友 1981台湾 92分 ★

「台湾ニューシネマ」を作り始める前の侯孝賢作品の「アイドルドラマ」?舞台は『風櫃の少年』と同じく澎湖島でのコマーシャル撮影風景から始まり、しかし後は台北、そして鹿谷へと舞台が移動していくのは観光映画?的要素もあるのかな??とはいっても有名な観光地や鹿谷の茶畑などが出てくるわけでもないのだが。
このCM映画の監督をしている香港人の男のガールフレンドで(あまり売れない?)フリーカメラマンの粛幸慧という女性が目の見えない青年チンタイに出会い興味を惹かれるところから、彼と台北で偶然再会し、目の見えない人のための朗読会に頼まれて参加したりなど彼と付き合いが始まる。彼は元研修医で事故で失明、角膜移植を待つ身であったが、ちょうど彼女といる時に角膜が届くという連絡が入って急いで彼女は彼を病院に送り届けるというのが前半。
後半彼女は、海外に試合に出るという弟の代理で郷里の鹿谷で1ヶ月、小学校の代理教員を務めることになる。そこに目が見えるようになった男が訪ねてきてそこから猛アタック。ウーンという展開。彼女もまんざらでなく彼にいい顔をするが、その一方でCM監督の方ともしっかり付き合い、一緒に海外に出ることになる。その直前、二人がいるところに出くわした男はショックで別れを告げ去るが、シンホエは…。
飛行場での最後の場面はなんかご都合主義的でこんなのあり?という安易さだが、シンホイ自身がどちらであれ恋や結婚をゴールとはしない人生を歩もうとしているところはこの時代の映画としては興味深いし、二人の男がともに相手の女性の生き方を認めるというふうに描かれているところも珍しいかも。
(6月11日 新宿K’Sシネマ 台湾巨匠選侯孝賢特集 137)


⑤5月の花嫁学校
監督・脚本:マルタン・プロヴォ 出演:ジュリエット・ビノシュ ヨランダ・モロー ノエミ・ルヴォウスキー エドヴァール・ベール 109分 

この邦題なんとかならんものか…という感じ。仏語原題は『La Bonnne Epouse(Eに’)』で『良妻』ウーンまあこれもなんかなあという感じではあるが。1967年アルザスの全寮制の家政学校の経営者の妻が校長ポーレット、夫の妹ジルベルトと、シスターのマリー・テレーズと3人で学校を運営している。18人の生徒が入学してきて2年間の良妻賢母教育を受けるというのだが、入学金や授業料をいくら取るのかわからないが、こんなのでやっていけるのかしらん…まあ授業も3人でやっているし、未婚の義妹は無給で、妻ももちろん?だから何とか最低限の維持はしていける??しかし、経営者である夫が急死すると彼が博打で多額の借金を作って学校は破産寸前ということが判明、ポーレットは借金を何とかしたいとジルベルトと銀行へ。そこで再会したのが30年前戦争で引き裂かれたまま別れた元恋人のアンドレ。彼の世話でなんとか経営のめどはついたもののアンドレは再会したポーレットに猛アタック(このあたりはいかにもフランス映画)、おまけにジルベルトもひそかに彼に思いを寄せると…このあたりは完全にドタバタコメディ仕立てで深刻感はないが、失恋から立ち直るジルベルトはいささか格好良すぎ、逆になんかかわいそう、それでいいの?と思えてしまう。
入学した生徒たちの反抗とか、親の決めた結婚に悩んだり、外の恋人とひそかに逢瀬を楽しんでシスターに銃で脅かされたり、女の子二人がパリへの出奔を約束したり、また自殺未遂騒ぎとか、銃器と車の運転も抜群なシスターの描き方とかさまざまなエピソードが盛り込まれ興味深いがそれがすべてポーレットとアンドレの恋物語の陰で散漫に影も薄くなっている感じがするのがなんかなあという感じ。
そんな中パリの見本市?に出発することになった一行はシスターの運転するバスででかけるが、途中渋滞(これも一部分だけで??)パリには車は入れないと教えられ、田舎道を歩いて「5月革命」たけなわのパリへと歌いながら行進して乗り込む―その歌はボーボワール、バージニア・ウルフ、ジャンヌダルク等々たくさんの女性の闘士たちの名を織り込んだもので、当時ははく人のいなかったパンタロン(パンツ)姿の校長を先頭に60年代風俗(ミニスカート、ワンピース)の少女たちが歩いていくという、まあ、リアリティというよりは一種の寓話的に描かれているわけで、そうみると前半大真面目にするビノシュの良妻になるための講義などは皮肉として描かれているのだろうが、それにしては語り口がソフトであまり皮肉っぽくも見えないのはビノシュの風貌のせい?恋の位置づけもあまりよくわからないしなあ、と、まあ逆にそういうソフトな恋物語として仕上げたところがミソなのかとは思いつつちょっと頷けないところも残るのである。  (6月11日 新宿武蔵野館 138)


➅逃げた女
監督・脚本・編集・音楽:ホン・サンス 出演:キム・ミニ ソ・ヨンファ ソン・ソンミ キム・セビョク 2020韓国77分 ★★

ふーん。最初は家庭菜園にいる「先輩」ヨンスンと面接に行く隣人女性の会話から。そのあとヨンスンを訊ねてヒロイン・ガミが肉とマッコリを持って訪ねてくる。あとは最後まで基本的には二人の女性を中心とする対話劇になる。
ヨンスンは離婚して今は女性の友だちと一緒に暮らしている。その友達が肉を焼き、リンゴを剥き、会話していると、引っ越してきたという別に隣人(男)が訪ねてきて妻が精神的に参るので、野良猫(泥棒猫と字幕)に餌をやってくれるなという。それに対するヨンスンの同居の友人のやり取りが絶妙に面白い。ガミはその夜はヨンスンの家に泊まり、翌朝雨の中3人が2つの傘で鳥小屋脇をとおり別れるまで。
次の場面はブランドの上着を持って自身も全場面のスリムなパンツからたっぷりしたキュロット風に着がえたガミがもう一人の「先輩」スヨンを訊ねる。スヨンは独身だが階上に住む男と偶然に接触したことから心惹かれ、一方で一度だけ夜を共にしたという若い男に付きまとわれている。その男が訪ねてきて避けようとするスヨンが激しく拒絶して追い返すというのが二幕目。男は最初の猫の場面もそうだがこの映画では常に後ろ向きでほとんど顔を見せない。
さてそしてスヨン宅を辞したガミは、今度はストレートのマニッシュなパンツ姿で映画館へ。その映画館には疲れたふうの旧友ウジンが働いていて、今回は二人は偶然の再会をする。ウジンがガミに昔のことを謝るというところからすると、要は昔ガミのつきあっていた人をウジンが奪ったということらしく、その男は、今日この映画館の地下ホールで講演?をするとか…。最後にちらりとこれも顔はほんのちょっとしか見せないこの男とガミは屋外の喫煙所で再会しことばを少しかわし別れていく…。   
で、じつはガミは結婚5年大学教授で翻訳家の夫と離れて暮らしたことがなく、今回始めて夫の出張で一人の時間にこの遍歴をしたということで、各相手との会話にもそれが盛んに出てくる。ウーン。会話のそれぞれが何となくユーモラスなところがあるのはホン・サンス風。ガミは3人との付き合いを通じてさして成長っするというわけでもないが、今まで見たことのない「男との関係」をみて自分の生き方を考える?のかなあ。あまりよくわからないんだが、不思議と飽きず、さまざまな女の生き方を見せるフェミニズム映画ということか。ただし日曜午後満席(コロナで二分の1販売だが)の観客は驚くほど若い男の子(青年)ばかりで、これもふーん。(6月13日 新宿シネマカリテ 139)


⑦湖底の空
監督・脚本:佐藤智也 出演:イ・テギョン 阿部力 ミョンファ ウム・ソヨン 武田裕光 アグネス・チャン 2019日本・中国・韓国 111分

日本・中国・韓国の合作というが、舞台はほぼ韓国・安東と上海。日本は編集者望月の幼時の記憶の中にぐらいしか出てこないが、エンドロールだと上海は出てこず(確かに室内以外の風景はすごく観光写真的な類型だけ)国立市のコミッションが協力しているようで、室内光景などは国内の撮影なのかとまあ、納得。全体に画面は暗く沈んだ色調で撮られているー最近の若手の日本映画の傾向のような気も…ートレーラーでは性転換した双子の弟(→妹)場面が強調されているが本編を見ると弟が両性具有で心は妹みたいな設定、大人になってイ・テギョンが姉弟(妹)二役を演じるための道具立てにしか見えないような、この設定本当に必要だったのかな、もともとの姉妹でも十分に話が成り立つのでは?という気もした。ーこういう道具立てが多いと映画としての吸引力は増す?のかもしれないがやや鬱陶しくもある。一卵性双生児でこういうことがあるのかどうかについては映画の初めの方で妹(?)がべらべらしゃべるのだが、仮にあるとしても幼い時の二人の身長差とか、とても一卵性双生児に見えない外貌の方を何とかすればよかったのではないかなあ。とまあ付随するところに関する感想が多いが、映画という技術の特徴を生かしてイ・テギョンに二役を演じさせて―これがなかなか上手で化粧や声質までも変えて別人ーだけど実は一人という不思議な雰囲気をよく表している。自分が原因を作った事故で20年眠り続けている弟(妹)を自身のうちに取り込んでしまい故郷を離れた姉と、幼い時に母に捨てられるように養子に出されたトラウマを抱える男の出会い…これも映画的な物語だが、まあしっかり見せてくれる映画ではあった。
(6月15日 新宿K’Sシネマ 140)


⑧十八洞村
監督:苗月 出演:王学圻 ·陳瑾 僕陽 白威 2017中国 127分 楊英俊

これは実話ベースの一種のプロバガンダ映画ー中国の人民の英知と力は素晴らしく、役人も村民のために公私を投げうつような献身をするーかも。とにかく舞台となっている湖南省湘西郷村?あたりなのかどうか景色の美しさ、細かく割られた棚田の上空からの景色、その向こうに青紫にかすむ山々、みずみずしく鮮やか緑の木々、そして女性たちの刺繍の民族衣装の華やかさ…観光映画として撮られてもいるのかも…。
主人公の楊英俊とその妻は都市で働く息子夫婦の代わりに脳膜炎の後遺症で障碍を持つ孫娘を育てている。兄?も障碍者で口がきけないが、その娘巍巍(字幕が「巍巍ちゃん」でなんか変)が祖先の代に「断絶酒を飲んで」(これも原語そのまま?つまり村八分になったということ)村を離れた施家の息子と一緒になって近くの町に戻り商売をしているという報せにびっくり、慌てて街に駆けつけるというところから話が始まる。これは要は古い因習を残した村だということを言いたいということか…。
話は村の委員会の調査で楊家が貧困家庭と認定され(これも字幕は「確定」?)元軍人の英俊が大いにプライドを傷つけられて怒り絶対拒否というのが話の本筋。感情的に怒る夫に対し妻は家計簿をひっくり返し、前委員がした計算が正当であると淡々と説く(夫に従っているようで実は「頭脳」は妻であるかのような設定がなかなか面白い)夫は新しく来て担当になった委員とともになんとか貧困家庭のレッテルから抜け出そうと近くの鉱山の鉱滓捨て場になっている広場を、会議招集した楊家一族の面面と整備して新しく耕地を作ろうとする…というのがまあ大筋、そこに楊家の面々のエピソード(脳膜炎後遺症の幼女「小南瓜」(かぼちゃちゃん)の見せ場ー村の女たちの団結場面ーまである)や政治委員の父との思い出話とかを盛り込んで、人々のつながりや団結を鼓舞するような2時間以上が延々と続いて中国人民のすばらしさをこれでもかこれでもか…。
最後は赤い車に引っ越し荷物を載せて山道を村に入ろうとする車で、これは多分小南瓜の両親の帰還?字幕は前回の『來電狂響』とは違う「中影翻訳センター制作」と出たが、多分同じ(翻訳精度から言って)。普通話の村内放送などはそのオカシサがよくわかるが、湖南省方言部分が多くて(これは最近の中国映画って結構立派)その部分はウーン?主述逆では?と思われるところや回りくどい表現もあったが、本当のところよくわからない。
(6月15日 中国文化センター 141)

中国文化センター(虎ノ門)では中国映画上映会が行われています(6月は3回も)。


⑨ベル・エポックでもう一度
監督・脚本:二コラ・ブトス 出演:ダニエル・オートゥイユ ファニー・アルダン ギョーム・カネ ドリア・ティエ   2019仏 115分 ★★

久しぶりにちょっと凝った理屈っぽい、でも嘘っぽくもあり、おしゃれで飽きないフランス映画らしい?フランス映画を見た気がする。デジタル社会についていけず仕事も失ってうつ状態のイラストレーター、ヴィクトルと、逆にデジタル社会でバリバリ仕事をし顧客(患者。じつはヴィクトルを解雇した出版社の社主?)と浮気も楽しむ妻。ヴィクトルの息子は父に、疑似的に作られた好きな時代に戻れるというタイムトラベルサービスをプレゼントする。ヴィクトルは妻と出会った1974年のリヨンに戻ることを希望する。
パリに作られたセットで完全主義者のタイムトラベラーサービスの社長(総監督)アントワーヌが、ヴィクトルの記憶やイラストをもとに当時のカフェ、ベル・エポックを再現し、当時の妻に扮した女性が現れヴィクトルの記憶通りに演じるというのがこのサービス。
ヴィクトルは現れた彼女に夢中になるが、この女性実はアントワーヌの恋人でもある。その恋模様のギクシャクと、演じるベル・エポック世界での様々が絡み話が進む。最終的にはヴィクトルと妻の和解とか、ヴィクトルの人生復帰(いい息子が最初から彼を支えようとしているのだが)、そしてアントワーヌと恋人も…とか決着はわかってはいるもののそこへのもって生き方はやはりいかにも映画の達人が考えたという感じがする。見終わって「いい感じ」が残って楽しめた。過去に戻るということで言えば『ミッドナイトインパリ』(2011ウッディ・アレン)なんかも思い浮かべるが、もっと現実的でパリの観光案内になっていないところもいいなと思えた。(6月16日 立川キノシネマ 142)


⑩ブラック・バード
監督:ロジャー・ミッシェル 出演:スーザン・サランドン ケイト・ウィンスレッド ミア・ワシコウスカ サム・ニール リンジー・ダンカン レイン・ウィルソン ベックス=テイラー・クラウス アンソン・ブーン 2019米・英 97分

ALSになった母が体がまだ動くうちに安楽死を望む。ということで死ぬと決めた前々日の週末長女夫婦とその息子、夫婦の旧友という女性、そして次女とその同性の恋人が集まり、過ごすことになる。しっかり者の姉(最近貫禄ある中年女性が板についているケイト・ウィンスレッド)は母の選択を認めるが、精神的に不安定な妹の方は警察に通報するという。そんなことから始まり孫息子と祖父、祖母の会話、母とその親友のうなずきあい、数回にわたる一家の食卓でのやり取りなどの中で母の死の受容が繰り返し語られ一家のそれぞれ抱える秘密?が明らかになり、姉妹の確執と和解もあったりして、一度は長女も母の死を認めないとひっくりかえりつつも最終日、母を左右から抱きしめ向かい合う医師の夫の調合した毒薬を飲んで母が死ぬまで―ってまあほぼ予想通りに話が進み目新しいところはあまりないし、スーザン・サランドン演じる死にゆく母の数日間の落ち着きぶりには何となく納得させられてしまうが、有名役者を取りそろえた割には演技面で目を引くというほどのこともなく、こういう帰結(つまり安楽死の許容、寝たきりで経管栄養だったら生きていたくないという思想の受容)でいいのかとも思えてしまうし、見てウーンどうなんだろうと思わされた一作。
(6月16日 立川キノシネマ 143)


⑪アフリカン・カンフー・ナチス
監督:セバスチャン・スタイン 出演:エリーシャ・オキエレ マルスエル・ホッペ 秋元義人 セバスチャン・スタイン 2020ガーナ・ドイツ・日本 84分 ★

日本在住、ショー・ブラザースのカンフー映画に夢中だったというドイツ人監督が自らヒトラーを演じ、日本人の便利屋の友人が東条英機に扮して二人ガーナに乗り込み、現地ガーナ人を「アーリー・ガーナ人」として洗脳統治して帝国を作ろうというもくろみに対抗する「選ばれし」ガーナ人3本指のアデーの物語。現地の有名なカンフー人?とかも出演しているらしく、物語がどうの演技がどうの(監督のヒトラーの笑いを誘うような誇張的物まねはなかなかだけど)言う前に全編これ格闘格闘格闘のカンフー映画。アデーの勝利もヒトラーの面前での試合の勝利から始まりっ最後にちょっとドンパチがあって(ガーナの女性や子供などがヒトラーの弾丸にバタバタ倒れるのはちょっとエグイ)ヒトラーの滅亡もおとぎ話的に迫力があり、まあ笑えるが思想も一本通った皮肉話?ただ画面は一昔前の「総天然色」映画みたいにちょっと暗くて赤っぽくて疲れた。
ガーナ人のしゃべるんはトゥイ語という言葉と英語だが字幕はすべて関西弁。意外と見にくいがこれもなかなかの工夫というべか、いや方言差別か…。ちなみに東条英機役の秋元のセリフはすべて日本語標準語というか首都圏方言?。「ハイル・ヒトラー」は巧みに避けられている。(6月17日 渋谷イメージフォーラム 144)


⑫デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング
監督:ス―・ウイリアムズ 出演:デニス・ホー アンソニー・ウォン 香港民主派の人々 2020米 83分 ★★★

昨秋東京フィルメックスで見ていたく感動、THの映画紹介にも書いたものだが、劇場上映ということで、あらためて見に行く。やはりデニス・ホーは恰好よく、そして今回はやはりその後ますます追い込まれている香港…、ちょうど前日には映画の検閲統制が行われることになったというニュースを見たところ。それを強く強く感じ、自分には何ができるのかと考えてしまう。以下は昨年11月7日の感想再掲 (6月17日 渋谷イメージフォーラム 145)

いやー、もうなんと格好いいデニス・ホー(何韻詩)。今進みゆく香港の非民主化の中で体を張って闘いつつ歌っている姿にしびれ、希望を感じる。彼女自身は立場表明と活動の結果、中国大陸での市場を失い収入は90%減で、香港でのスタジアムコンサートなどもできないのだそうな。そこでワールドツアーをしたり、新しい曲を作ったりしているそうだが、頑張れがんばれだ。映画自体は2017ごろまでを中心に昨夏の保安条例のデモの時期までを収録。監督自身は香港に来れなかったそうだがデニス自身のスタッフも含めた香港の撮影クルーが体を張ってでも風景やそこでのデニスの姿を映像化している。撮影自体への当局の介入や妨害はなかったというが、デニスの友人や関係者が、彼女と関係を持っていると知られると仕事を失うということでなかなかインタヴューに応じてくれなくて苦労したとアメリカ人の監督(リモートQ&A)本当にこれからの香港―ひいては中国と世界の関係でもあるが不安に感じられる今、とても有意義なそして楽しめるドキュメンタリー映画だった。(2020・11・7 有楽町朝日ホール)


⑬るろうに剣心 最終章 The Beginning
監督:大友啓史 出演:佐藤健 有村架純 高橋一生 江口洋介 村上虹郎 2021日本 137分

一応3部作は見ていたのだが、今回最終章が2部構成とは知らずFinalの秘密が明かされるというBeginningのほうを先にみてしまった。幕末期で大石学氏による時代考証もされているというところで禁門の変あたりから鳥羽伏見の戦いまでの新撰組と長州の志士たちの攻防の中で、抜刀斉と呼ばれた剣心と巴の出会いから巴の死までを描くというわけでこの編はまあ完全にメロドラマ形式。時代の流れは考証されているが剣心が巴を「君」と呼び、巴が剣心に殺された許嫁を「彼」と言い、京には「上る」のでなく「出る」というあたり、完全に現代劇(そもそも主役の二人がどう見たって幕末明治人の顔ではないのだからしかたないか)だが、まあそれはそれでよしというか、そういうものなんだろう。最後に「彼が姿を現すのは10年後だった」というテロップが出て終わりになるわけだが、そこからThe Finalが始まるということね…。そちらの敵役「雪代縁(巴の弟)」はこちらではチラリと少年としてでてくるのみ。(6月18日 府中TOHOシネマズ 146)


⑭るろうに剣心 最終章The Final
監督:大友啓史 アクション監督:谷垣健司 出演:佐藤健 武井咲 青木崇高 江口洋介 新田真剣佑 2021日本 138分 

あ、こちらは確かに「るろうに剣心」だ。最初の場面は明治12年、雪代縁の横浜駅列車車内での官憲との闘い。これは壮絶感はあるが場所を考えるとなんとも嘘っぽい。そして大砲などを使った敵側と、刀1本で(しかも殺さずに)立ち向かう剣心やその明治時代の仲間たちの物語になる。剣心の秘密は途中で薫や相良、恵、弥彦を並べて語られる―意外に安直に語るなあーがそれはほぼThe beginning の内容のダイジェストという感じで、こちらを見てからあちらを見るとアレアレとなりそうな気も…。
あちらの剣心・巴はほぼ現代人男女の会話体という感じだったが、こちらは薫が「~だわ」と明治女学生体(というよりは現代的、しかし明治12年ではまだ女学生言葉も確立していなかった)なのに対し、剣心は「~でござる(よ)」とみょうちきりんな武家ことば?のキャラクター語、他の人物もほぼ現代語というわけで、つまり現代的人物の中での非現実キャラクターとしての剣心を浮き立たせているわけか。なお、この映画で京都の寺に預けてあったという巴の日記が操から薫の手を経て縁に届けられるが、この冊子、水茎も麗しい筆跡の候(そうろう)文で書かれているが、それを音読する体の巴のことばは現代語訳。なるほどね、こういうコンセプトなのである。
なおビギニングもこっちもアクション監督はさすがの谷垣健司でワイヤー・アクションなども駆使しているが、メイキング映像の佐藤健の殺陣の練習シーンなどをみるとその身体能力の高さにも驚かされる嘘っぽいが見ごたえはある立ち回りで2時間以上を飽きさせない。一つ縁の新田真剣佑の金髪黒小丸メガネはいいとして、他の敵役が素顔のわからないような異様なメイクだったり、変な仮面をかぶっていたりでなんというか、子どもの見る怪獣映画の悪役キャラみたいで、これはいくらなんでもなあ、化け物と戦うというコンセプトなのかもしれないけれど…(6月19日 府中TOHOシネマズ 147)


⑮グリード ファストファッション帝国の真実
監督:マイケル・ウインターボトム 出演:スティーブン・クーガン アイラ・フィッシャー シャーリー・ヘンダーソン エイサ・パターフィールド 2019英 104分 ★ 

予告編と大違いの衝撃的「社会派」映画。ミコノス島で60歳の誕生パーティを開催しようとしている世界的なファッションブランド経営者のリチャード・マクリティとその家族。彼の評伝を書くことを依頼され張り付く記者の視点から、彼の海岸に漂着した難民に対する態度や、メイドとして雇われているスリランカ人ーマクリティが契約した縫製工場で安くこき使われ、仕事を替えるも工場の火事で焼死した母を持ち、彼に恨みを抱きつつ仕えているー、そして自分の誕生日のために『グラディエーター』まがいのライオンと戦うベニヤ張りのコロシアムをつくったり、召使や雇った難民まで当時の衣装に装わせ、さらに有名俳優(は高いので)のそっくりさんで座を盛り上げようというチープさ俗っぽさも漂う彼の傲慢ぶりを描きー同時に脱税疑惑や労働問題に関する説明会に召喚され自分は悪くないと嘯き居直る彼の姿も交互に挟みつつ、さらに青年期からの強欲ぶりの描写も挟み、衝撃的なクライマックスへ。
マクリティはオソロシイ最期を遂げるが、一つの原因を作ったと自覚しつつメイドの置かれた境遇は救われることはなく、記者はマクリティの死を描いて儲け、さらに父の生存中、何となく虐げられ反抗的でもあった息子(エイサ・バターフィールドが20歳を超えてすっかり悪風青年に)が最後のシーンでは父を継いで多分同じような道を歩いていきそうなコワさも含めて、なかなかにシニカルかつ悲劇的な社会派ドラマであることがわかる。そういう強欲な俗物をかっこよくもなく(しかし見かけにお金をかけているふうではある)演じるスティーブン・クーガン効果も感じられる。(6月23日 立川キノシネマ 148)


⑯田舎司祭の日記
監督:ロベール・ブレッソン 原作:ジョルジュ・ベルナノス 出演:クロード・レデュ アルマン・ギベール ジャン・リヴィエール 1951仏 115分

病におかされた、若い文字通り田舎司祭の日記で綴る2時間余りのモノクロ版で、これを演じた役者はさぞかししんどかったろうと思われる、苦しみ・哀しみに満ちた表情の連続。誠意は理解されず、その結果自らの信仰も揺らぎ、その中で何とかと、領主の妻の悲しみからの信仰からの離脱に必死の抵抗を試み、彼女に安らぎをもたらしたかと思ったとたんに彼女は急死、夫の領主からも、彼と家庭教師の不倫に心を痛め家庭教師を糾弾していた娘からも疎んぜられ、食事も受け付けなくなりワインとパンだけで過ごしていると酒をやめろと諭され、倒れて自分を今までからかっていた少女に介抱されと踏んだり蹴ったり状況の中で、とうとう町の医者に診てもらうとガン宣告(70年前のガンだから今とは重さが違う)、昔病で司祭への道を断念した友人宅に転がり込み死を迎えるという…もう後半はこのあたりでそろそろ終わってくれないかと思えるようなシーンの連続で、あ、終わりかと思うと再び次のシーンへというのですごくくたびれたが、それだけに迫力がある。
音はほとんど自然音で鳥の声とか…。原作は『少女ムシェット』のジョルジュ・ベルのナス。「ムシェット」やロバの『バルタザールどこへいく』は寡黙な映画という印象だが、こちらは饒舌、日記の朗読と宗教問答とで息つく間もなくという感じーそれも役者は大変だなあと思った理由の一つ。(6月24日 新宿シネマカリテ 149 )


⑰王の願いーハングルの始まり
監督・脚本:チョ・チョルヒョン 出演:ソン・ガンホ パク・ヘイル チョン・ミソン 2019韓国 110分 ★★★

世宗大王といえば同じ2019年ホ・ジノ作品『世宗大王ー星を追う者たち』が思い出されるが、あちらがハン・ソッキュの大王に、奴婢でありながら科学者として活躍したチャン・ヨンシル(チェ・ミンスク)を配すれば、こちらはソン・ガンホの大王とパク・ヘイルの仏僧シンミ(サンスクリットやチベット語など何か国にも通じ、実際のハングル創生を行った)というわけで、なんか2019年の韓国時代映画界は大変だったんだなと思わせられる。
『星を追う者たち』のほうにもハングル創生はほんの一場面出てきたが、あまりにも安直な扱いだった。あちら133分、こちらは110分だがハングル問題だけに絞って、日本から八幡大蔵経の原版を求めて渡ってくる使いとか、当時の韓国の儒教と仏教の対立とか、漢文漢字にかわる文字の普及を既得権の侵害としておそれ拒む知識人上流階層など要点はきちんと押さえている感じで、儒教国で仏教の知識に頼ってしか表音文字が作れない苦悩も。それに「逆族の娘」であった王妃と王の理解、王妃が自分の召使たちに字を覚えて親に手紙が書けるようにと自ら普及に乗り出すとか、ちょっとだけジェンダー的要素も盛り込み、また若い学僧と王妃の召使のハングルを介したほのかな心の交流まで描いて、大作感もたっぷり。
ソン・ガンホは糖尿病で王妃に頭の上がらない?王なのだがさすがの貫禄でコミカルに好演。もっとも評価としては天文とか科学好きは『星を追う者たち』、私のようなことば・文字?好きはこちらと別れるのかも。それにしても「作るより広め残す方が難しい―肝心」という王のセリフはまさに名言。
ところで、この映画「民のためにハングルを作る」ということばが繰り返しでてきて、字幕では「民(たみ)」だが実際の発話はすべて「百姓(ペㇰソン)」ーつまりこの「民」は部民や奴婢は入っていない官吏に対する民間人という意味?ー漢語・漢文の支配を避けたい世宗だがやはり漢語からは逃れられないということか ーま、日本語も同じだがー と、なんか感慨深く?見た。(6月25日シネマート新宿150)




⑱1秒先の彼女(消失的情人節)
監督:陳玉勲 出演:劉冠廷 李霈瑜 周群達(ダンカン・チョウ)2020台湾 119分 

時間のありようにからめた恋物語というと、先日台湾巨匠傑作選で見た『OneDay いつか(有一天)』(2010侯季然)を思い出し比べたくなるが、やはり陳玉勲の明るさというか懐かしさー話としては「ホラー」なんて言っている人もいるくらいな、なんだかストーカーじみた男の子の「恋」と、「恋に焦がれるー一人はいやよ」というちょっと古臭い女の子のあこがれから取り落とすもの、という感じで突っ込もうとすればすごく??だし、父と娘の関係もだし、ヒロインをひっかけるダンス教師の造形も、企画が20年前というだけあって?という感じの古い世界観も、描写もあってどうなんかねえと思いつつ、郷愁的興味もあってこの世界のおとぎ話についつい惹かれてしまうという仕上がり具合の上手さ!
また30歳お1人様を演じるパティ・リーのコメディエンヌ的吸引力にも、1テンポ遅いが一途な気弱男子(『ラブ・ゴーゴー』と同じタイプ)が「いい目」をみているのかそれとも怖い世界にいるのかというような嘉義海岸(これは『熱帯魚』の世界?)での至福の一日とかでひっぱり見せられてしまうんだなあ、これが…。明るさはやはりバレンタインの1日を描いた?魏徳聖『52ヘルツのラブソング』にも通じそう。あ、台湾はバレンタインデイが2回あるらしい。7月7日(男性から女性にプレゼントする)と2月14日(女性から男性にプレゼント)と。で、これは七夕情人節の話ね…。  (6月25日 新宿ピカデリー151)

ピカデリー・ロビーの立て看板


ようやく病癒えて、大塚山~御岳山~日の出山を軽く…台風・雨予報だったか何とかもった天気(日の出山から)

御岳の雪の下の群落

ギンリョウソウー暗いなあ!

★追記『ブータン山の教室』【勝手気ままに映画日記ー5月】について

6月26日「人・ことばフォーラム オンライン研究会」に参加。佐藤美奈子さん(近畿大学)の「ブータンの多言語状況と言語の複層化ーコロナ禍における若者たちの民族語による啓発ビデオの制作と配信」という発表を興味深く聞きました。
多民族語を擁するブータンでは70%の話者がいるゾンカ語が公用語。ただし文字がないので1960年代に始まった学校教育は英語で行われているそうです。発表は、コロナ禍の中で情報が行き届かなくなりがちなゾンカ語以外の民族語話者にむけて若者たちが啓発ビデオを配信したという報告でしたが、そのあとで、発表者が『ブータン山の教室』について述べたことばが印象に残りました。
映画の中で、山の子どもが「先生は未来に触れることができるから、将来は先生になりたい」と言いますがーチラシにも載っている映画の惹句ですーこれは監督の皮肉として言われているのではないか、そして主人公があっさり教師の職を捨ててオーストラリアに移住してしまうのはブータンの若者自身が良しと考えている現実なのだということ。ウーン映画はゾンカ語と英語で作られているので、この山の村はそれでもゾンカ語は通じる村なのだと思われますが、より話者の少ない民族語は絶滅に瀕し、ゾンカ語も含めこれだけできても社会の中で有用ではないという状況では、映画はやはり皮肉をこめての「理想郷」として描いているのかなとも、あらためて思いました。



⑲やすらぎの森
監督:ルイーズ・アルジャンボー 出演:アンドレ・ラシャぺル ジルベール・スコイット レミー・ジラール ケネス・ウェルシュ エブ・ランドリー エリック・ロビドウ 2019カナダ(フランス語)126分

カナダ、湖のほとりの森で隠遁生活をする3人の老人のもとに60年にわたって精神病施設に収容されていたという80近い老女がやってきて晩年を共に過ごすことになる、というだけの前宣伝で見に行ったのだが、実際には老人の一人は老女がここに来る前に亡くなり、彼が残した山火事やそこでかかわりのあった双子の姉妹の一人を描いた絵画、老人たちの山火事の記憶を記録し、伝説的なひとりの人物(テッド・ボイチェク)を追うエネルギッシュな女性写真家と、彼女を助け親しくなるホテルの支配人の男も絡みー実はこの男が老女の甥で、60年ぶりに父の葬儀に参列することになり施設から迎えた伯母の世話をし、施設にではなく森と自然に帰りたいと願う叔母をこの森の老人たちに引き合わせるという役回りで、ただ偶然に老女が森に紛れ込むなどと言うファンタスティックな設定にはしていないのはさすが…。老いた二人の性愛もしっかりと描いている。老人たちも大麻栽培などをしているという、なかなかになんかすごい話。
最初に亡くなった老人が実は探していたテッドで、写真家と老女は彼の描いた絵にめぐり逢い、写真家はその絵を世に出すことを拒否する老人たちー特に強硬なひとりは歌手(歌が映画の雰囲気を作っていてとっても聞かせる…)で、最後は自らこの冬は越せないということでもう一人の老人と老女に手伝わせ見守られながら愛犬とともに服毒して死んでいく。老人たちは青酸カリを用意して死期が近づいたら自分で死を決定するという取り決めをしているのであった。山火事が近づいてくる(とはいえ、森の景色は静けさそのもので予兆らしきものはないのが怖いがーこれが大規模山火事というものなんだね)中で甥の支配人は大麻栽培と売りさばきの罪を問われ?写真家の前から姿を消し、写真家は自分の写真とテッドの絵画を合わせて個展をひらく。最後はともに小屋で暮らしキイチゴのジャムを作ろうなどとして「生きよう」とする老人二人の姿で、山火事とか自死の決定とか麻薬犯罪とか結構不穏なミステリアスな空気を漂わせながら、それをも乗り越え最後まで全うしつつ生きようとする二人の姿がすがすがしく救われるのである。(6月29日 シネスイッチ銀座 152)


⑳ソウルメイトー七月と安生
監督:デレク・ツァン(曾國祥) 出演:周冬雨 馬思純 李程彬(トビー・リー)2016中国・香港 110分 ★

初見は2017年の大阪アジアン映画祭。同じデレクツァンの次作『少年の君』(2019大阪アジアン公開は2020年)の7月劇場公開に伴って3週間の限定上映ということで公開されている。初見から印象深いーある意味単純な友情物語を複雑な構成にまとめて意外性もミステリー性ももたせた印象深い作品で、主演女優二人がダブルで金馬奨主演女優賞を受賞したことでも記憶に残るがー今回見て前の感想に付け加えると、まじめな優等生タイプだけれど後半故郷を飛び出し世界放浪をする?(この設定に謎はあるのだが)七月を演じる馬思純って、当時はまだ私の認識になかった石橋静河!の雰囲気。日本でこの作品をリメイクするとしたら七月は彼女として、安生は?ちょっと思い浮かばない、それほど稀有な存在・周冬雨ということか…。なぜこんな発想をしたかというと、今回エンドロールに岩井俊二の名があることに気づく。なーるほど、そういえば、死者にかわって親しい人が手紙(ここではネット小説だけど)を書くというのはまさに「ラストレター」の世界ではないか!そしてそう見ると映画全体の雰囲気も見ながら岩井俊二っぽいなと思っていたのだった。日本を舞台にした日本人の演じる『七月と安生』を見てみたい気もするが、日本の学校生活の中で境遇の全然違う女子生徒どうしのあいだにこんなに濃密な愛憎的関係が、しかも一人の男の子をめぐって10年以上も続くような設定自体が成り立ちにくいのかなと、逆に『ラストレター』の中国版『之華的信』(岩井俊二)に感じた文化差的違和感(とその解消の工夫?)を思い浮かべたり…。(6月29日 新宿武蔵野館 153)

以下は2017年初見の感想(まだ『電影★逍遥』開設以前だったので)
 
女性の友情を描いた映画二本目。『姉妹関係』(トレーシー・チョイ2016 マカオ・香港)も見ごたえのあるいい映画と思ったが、次に見たこの映画の迫力?緻密にして大胆さもある構成に、ちょっと前作が霞んだ感もある力作。こちらは13歳で知り合った七月と安生という二人の少女の高校時代くらいから七月は27歳、安生はその後の30代前半までを馬思純と周冬雨が好演。周冬雨は『サンザシの樹の下で』(2010張藝謀)、馬思純は『左耳』(2014蘇有明)の役柄とまったく反対の人物像で、前の映画の印象が強かったせいか最初はそれがちょっと違和感もあったが、すぐに吹き飛び、中でも今回奔放かつ孤独な女性(まさに馬思純が『左耳』で演じたような)を演じた周冬雨の達者ぶりは、さすが張芸謀に見出されるだけのことはあったのだと感心した。原作はアニー・ベイビーのネット小説で、映画でも七月という覆面作家の書くネット小説「七月と安生」の流れに従って二人の来し方が語られるという構成。前半では街を飛び出した安生が、北京に一緒にいった恋人と別れ世界周遊客船に乗り込んで働くシーンなどがあるが、後半では恋人蘇家明との結婚式での別れの後同じように旅立って豪華客船のみならず、北海道?でスノボをしたり、南米の?灯台に行ったり(『ブエノスアイレス』まがい)なんか非現実性を感じさせる旅のシーンが挿入される。え?と思うがこれは一種の伏線で、描かれたネット小説内での七月の姿であることが、後でわかるという凝った設定。まあ、高校時代に素敵な男の子蘇家明を奪い合うような葛藤があり、10代終わりからは片方は街を飛びだし、片方は普通に故郷で進学就職しというように違った生き方をし、距離もあり、たまに再会してもそこでも喧嘩別れ(生き方の差)がありという二人が、結局はそれぞれ男性の恋人は持ちながらもそれ以上に互いを求め、それが終わりで一つの形として蘇家明や観客に示されるという、非現実な物語といえばそうなのだが、小説的ロマンには満ち溢れている。エリック・ツァンの息子デレクの作品。繊細な演出力は特筆!ABC賞受賞作。(2017・3・11大阪ABCホール)

㉑いとみち
監督:横浜聡子 原作:越谷オサム 出演:駒井蓮 豊川悦司 西川洋子 黒川芽以 横田真悠 中島歩 宇野祥平 古坂大魔王 2021日本 116分 ★

青森出身の横浜監督が、同じく青森出身の駒井蓮をヒロイン「いと」に、また高橋竹山の弟子だったという津軽三味線の名手西川洋子なども配し、なまりが強くて引っ込み思案にして三味線の名手という女子高校生のちょっと孤立気味の高校生活、東京出身でようやく津軽弁を聞き取れるようになったが話すのはダメという地元大学教授の民俗学者である父と、なくなった母の母である三味線の名手の祖母との家庭生活、その中でなんか鬱屈して解放されない彼女が、青森の町のメイドカフェにアルバイト先を求めたことから、思いがけなく人生が展開していくという、まあ成長ドラマではあるのだが。
メイドカフェという発想は「いと」のもともとの性格や生き方からは突飛な感じもするが、まじめにメイドたちを支えようとする店長、自家製のアップルパイを店の商品として売り出し店を盛り立てようとしつつ働きシングルマザーの先輩、漫画家を目指しながら働く同僚と、それに後々逮捕されてしまう型破りながら店に関してはメイドの理解者としている感じのオーナーも含め、いとの失敗や不慣れも理解し育てようとするようなとても「健全な」人間関係がそこにあったというのが、まあこの映画の設定のおもしろさ、ユニークさであり、その関係の中でいとが自分を解放し店の危機にさいして三味線ライブをすることで役に立とうとするような発想にもつながっていくわけであり、この店の人間関係はウソっぽいほどにヒロインにとっては居心地がいいものなのだろうなと思わされる。
津軽に長く住んで津軽弁がイマイチという民族学者の父という設定はなかなかに面白く、豊川をうまく生かしているとも思えるしヒロインのこの地での「なじめなさ」(本人はしっかり津軽弁だが)を表しているのかもしれない。観客にも時に理解できない(けれどもちろん何を言っているのかは自然にわかる?)津軽弁が飛び交うのも中途半端なご当地ドラマにしていない良さだと思うが、ただ津軽の全面バックアップで津軽人が作って、オール津軽ロケということからかか父娘のすごく嘘っぽい感じがする岩木山登山とか、思わせぶりなのだが位置づけがイマイチすっきりしない無口な級友とか、あるいは盛りだくさんな津軽名所とかがちょっとうるさく余計な感じがしないでもなく、物語の一直線、一途さを妨げている気がする。(6月30日 立川キノシネマ 154)

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『見直し 台湾ニューシネマ』として『風櫃の少年』『冬冬の夏休み』『童年往事』『恋恋風塵』について書きました。よろしくお願いします!




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