【勝手気ままに映画日記+山ある記】2023年7月

北岳・肩の小屋からのご来光(7・26)

7月の山歩き

7月2日~3日 岩木山・八甲田山
2日 盛岡(バス)→津軽岩木スカイライン(バス)→8合目(リフト)→9合目→岩木山
  (1652m)→(往路下山)→酸ヶ湯温泉(泊)  歩行約1.5Km 2h 8500歩
リフト下はヨツバシオガマの花畑・9合目から上は名前の通りの岩山で案外ハード、 天気は今一つ、歩く時間も短かったのですが、眺望は楽しめた登山でした。(6月は目の手術後山に行けなかったので。足慣らしという感じの、22人参加の初級ツアー)

3日 酸ヶ湯温泉→毛無岱湿原八甲田山登山口→大岳避難小屋→八甲田山・大岳(1584m)
   →大岳避難小屋(昼食)→井戸岳→赤倉岳(580m)→山頂公園駅(ロープウェイ)
   下山 8.8Km 6h53m ↗910m ↘492m 70-90%(ヤマップ)17000歩 
男女混浴の酸ヶ湯温泉には女性のみの時間に一瞬だけ。この日は朝7時半のゆっくり集合でまずは湿原歩き。途中休憩では昨日道の駅で買ったブルーベリーを皆さんにふるまう。そのあと八甲田山への急な階段を上がり、大岳〜井戸岳〜赤倉岳と花を楽しみながらのミニ縦走を楽しみました。天気はイマイチ、昼食は雨の中でしたが、宿で作ってもらったおにぎりをお茶漬けにして…最近山で米粒が食べられなくなっていたのですが、これはOK!

毛無岱湿原
階段状の山道をのぼり、花(これはヨツバシオガマ)をめで、頂上へ↓


ミツガシワ
ミツバオウレン
7月11日〜12日 四阿山・雨飾山
11日 上田駅(バス)→菅平牧場→中四阿→四阿山(2354m)→往路下山
   →菅平牧場(バス)→ 白馬・白馬アルプスホテル(泊)
    9.8Km 6h23m ↗846m ↘845m 90-110%(ヤマップ)26000歩
牛のいる菅平牧場から山道へ。快晴でかなり暑いが、ゆったりと楽しめた山歩きでした。下りてきて、宿泊地白馬へのバス途上、鹿島槍・五龍・白馬などアルプスの山容をおおいに楽しむ。このあたり昔はスキーでよく来たけれど、冬ばっかりだったなあ…
今回は中級B(ちょっとハード?)のツアーで参加者は9人健脚ぞろいのよう。




12日 白馬(バス)→雨飾高原キャンプ場→広河原→雨飾山(1963m)→往路下山
    8.0Km 8h15m ↗1052m ↘1052m 90-110%(ヤマップ)15000歩



雨飾山は登山口から距離を11に割り(1区間約400m)どれだけ来たかを表示するプレートがあって道標になっています。そんな山道を上がり上がり、途中の笹平で荷物を置いて最後のアタック。双耳峰の片側に立つのは今回同行のガイド氏。眺望も抜群でした。昼食は下りてきての笹平で。朝が早くて(4時半バス出発・5時18分登山開始)バス車内での朝食(宿の幕の内弁当)は2口くらいしか食べられなかったのですが、ここではまたまたおにぎりをお茶漬けにしてしっかり摂取。元気に歩きました。昨日の四阿山が少しつらかったと今日は2人が山行断念、7人のツアーになりました。


7月25日~27日 北岳
25日 甲府駅(タクシー)→広河原ビジターセンター→白根御池小屋(泊)
   2.6Km 3h21m ↗744m↘48m 11000歩 11時登山開始・14時30分小屋到着
26日 白根御池小屋→草すべり→肩ノ小屋→北岳頂上(3192m)→肩ノ小屋(泊)
   2.8Km 5h28m ↗997m↘59m 8100歩 
   6時50分出発・11時35分登頂・12時半小屋着
27日 肩ノ小屋→草すべり→白根御池小屋→往路下山(広河原)
   4.7Km  6h4m ↗36m↘1519m 17000歩
   6時出発・8時半白根御池小屋・12時広河原
 合計 10.7㎞ 14h54m ↗1782m↘1798m 70-90%(ヤマップ) 
広河原ビジターセンターからの北岳方面。このあとの最初の登りがきつかった!いつもより荷物も重くて9Kg以上。水もいっぱい持ち、ふうふう言いながら3時間半近く。ようやく白根御池小屋に到着。下左は白根御池から明日登る急登をのぞんで…中は鳳凰三山の朝焼け(@白根御池小屋26日)そして仙丈岳の優美な姿…

左から白根御池・鳳凰三山オベリスクの朝焼け・仙丈岳



あくる26日、7時のゆっくり出発で、白根御池小屋から草すべりという急登をこえて、さらに登り継ぐ。猛暑日で山の上もけっこう暑いが、荷物の一部を御池小屋にデポすることができたので、意外に快適にスムーズに登ることができ、眺望も大いに楽しみました。肩ノ小屋へ10
時過ぎに到着。ここで寝床を確保してから、サブザックで頂上へ出発。11時45分には登頂を果たしました!花や鳥をけっこう楽しみましたが、その写真はBlog末に…


27日は朝6時出発でひたすらの往路下山。途中8時半には白根御池小屋で小休止。デポした荷物を引き上げ、冷たいアルプスの水(無料)を補給し、名物のマフィン(600円)も1つ食べ、ちょうど昼に広河原に戻ってきました。登るときには、これを下りてくるのは大変かもと思えた山道でしたが、まあどうということもなく、暑さだけは下れば下るほど、でしたが…。
年々歳々年を取っていく(あたりまえだけど)。いつまで山に登れるか…。登るたびにそう思いますが、今のところ元気でもう少しは行けるかな?なので、なるべく高い山、険しい山は今のうちに登りたいなどとも思っています。


7月の映画

 ①小説家の映画②TAR ター ③アルマゲドン・タイムある日々の肖像 ④大いなる自由 ⑤イルマ・ヴェップ ➅インディ・ジョーンズ運命のダイアル ⑦ママボーイ ➇1秒先の彼⑨遠いところ ⑩トゥ・レスリー ⑪サントメール ある被告 ⑫私たち NOUS ⑬ノー・ホーム・ムーヴィ ⑭ジャンヌ・ディエルマンをめぐって ⑮星くずの片隅で(窄路微塵)⑯街をぶっとばせ ⑰家からの手紙 ⑱ゴールデン・エイティズ ⑲ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地 ⑳一晩中 ㉑神授の花 ㉒少年(小畢的故事)㉓豚が井戸に落ちた日 ㉔君たちはどう生きるか ㉕アーカイブ・タイム(數電影的人)㉖親愛なる君へ ㉗シモーヌ フランスに最も愛された政治家
中国語圏映画 ⑤(いちおう)⑦⑮㉒㉕㉖ 6本
日本映画 ➇⑨㉔
韓国映画 ①㉓
シャンタル・ディケルマン特集作品 ⑬⑭⑯⑰⑱⑲⑳
でした。★は「なるほど」★★「いいね!」★★★「心に残った…」というところ。
作品最後の三桁番号は今年劇場で見た映画の通し番号です。
なお、このBlogPC仕様で作っています。スマホ・タブレットでも見られますが写真のレイアウトなどお見苦しいところがあるかもしれません。どうぞご容赦ください。


①小説家の映画
監督:ホン・サンス 出演:イ・ヘヨン キム・ミニ ソ・ヨンファ クォン・ヘヒョ キ・ジュボン 2022韓国 モノクロ・カラー 92分

概ね、いろいろな場面で会話する数人の長回し、登場人物は、監督自身を彷彿とさせる?(ちょっと自虐的に描いている)映画監督を含む俳優、アーティストといったたぐいの人々で、話題もまあその関連?で延々の長回しということで、なんか作者の属する世界を外から眺めさせられているような気もして一般人には境遇的には決して感情移入しやすいとは言えない世界で辛気臭いよなあと思いつつ、上映されるとなぜか見てしまうというーつまりどこかひきつけるところがあるということではあるーホン・サンスの世界。
今回も、まずは後輩の営む小さなアート系?書店前に現れる小説家ジュ二(中で後輩の店主が店員を叱る声に入らず外にいる)から店員・店主との会話(ここは多分ちょっと眠った?のか飛んでいるが)書店を出て行った展望台?での映画監督夫妻との遭遇、そこから公園を散歩する知人の女優ギルスを見つけ、公園に下りて4人での会話になり、監督夫妻は去りギルスの若い後輩(男性)ともちょっと。そして二人でお茶をすることになったジュ二とギルス、どちらも仕事を休止中だが、小説家は女優を主演に営為雅を作りたいと持ち掛ける(これが題名の由来)。
そしてギルスがジュ二を友人に紹介したいと言い案内するのが実はジュ二の先に出てきた後輩の書店で、そこにはジュ二の旧知の詩人も来ていてまたまた飲み会というような半日のあと(これ、全部モノクロ)、彼女たちが作った映画(途中から色がついて華やかに)の試写場面で映画は終わる。
女たちは皆多かれ少なかれ挫折中、もしくは経験者で地味に前途模索中、男たちは監督も詩人もまあどちらかというと、これも過去の栄光にすがって今は休止に近いが、その状況に安住しつつ自分より若い女に説教を垂れる俗物として描かれている感じで何かなあ、それが滑稽味を帯びているのもホン・サンス的世界かな。ベルリン’72銀熊賞受賞作というが、ウーン、これもホン・サンスだから?    (7月5日 新宿シネマカリテ 209)

②TAR ター
監督:トッド・フィールド 出演:ケイト・ブランシェット ノエミ・メルラン ニーナ・ホス ソフィー・カウアー 2022米(英語・ドイツ語) 158分 ★★

ウーン。これは怪(快)作。ベルリン・フィルの首席指揮者となったリディア・ター(実在の人物ではない。あえてモデルはといえばケイト・ウィンスレッド自身というのが監督の弁らしい)の栄光と苦悩から追い詰められて脱落、さらに再起までを描く。アメリカの庶民?(なのかな、幼い頃を過ごした家に失意のターが戻る場面から見ると…)出身で、ベルリンフィルで絶大な権力を持つターはマーラーの5番の演奏・録音に向けて苦しみつつ打ち込んでいる。―最初のほうでは指揮者志望者たちのレッスンで若い男性指揮者を理詰めのことばで指導する場面がありこれがいわばターを苦しみ追いやる伏線ともなるうまさ。
ターはレズビアンであることを公言し、ベルリン・フィルのバイオリニストと同棲、彼女の生んだ娘を一緒に育てている。助手のフランチェスカ、ロシア?からやってきて入団を希望するチェロ奏者など彼女を取り巻く女たちは皆いきがよく、衛星のように彼女を取り囲み葛藤しつつというその真ん中の太陽のようなター。一方男たちは結構高齢の副指揮者をはじめ、ターの実力と強い意志の前では蹴散らされていくという感じ―後半ターはセクハラ・パワハラ疑惑をかけられ、不審な物音により不眠に陥りと追い詰められていくが、このあたりの権力と不安・恐怖の演技は鬼気迫る感じでさすが!ケイト・ウィンスレッドのために描かれた彼女自身でなければ演じられれないような、すごい迫力。しかもターは権力を持つと言っても決して享楽的ではなく、ほとんどの場面は指揮の分厚いスコアを勉強したり、ピアノの前で作曲したりという感じで極めてストイック(男はストイックでスキャンダルにさらされることはあまりないと思うが、女はストイックさ自体がスキャンダルになる?)、そして最後そのスキャンダルによって追われた指揮者の座にしがみつく狂気から一転、アジアに移り(突然のロードムービー)コスプレをしたモンスター・ハンターの演奏会で指揮をする姿まで。
これって没落かと思ったら、監督インタヴューによればドイツにはいないようなコスプレをしてまで音楽を愛する人々の前で新たな自分を見出したターの再生とみるべきらしい。なるほど…とはいえ、ビジュアル的には結構異様な幕切れであった。とにかく一刻も眠くなることを許さないケイトの吸引力は筆舌に尽くしがたい。各映画祭での賞を総なめ?にしているのもうなづける。(7月5日 新宿シネマカリテ 210)

③アルマゲドン・タイムある日々の肖像
監督:ジェームス・グレイ 出演:アン・ハサウェイ アンソニー・ホプキンス ジェレミー・ストロング パンクス・レペタ ジャイリン・ウェッブ ライアン・セル 2022米 115分 ★

ウクライナからの移民のユダヤ系家庭に育った12歳のポール。祖父の両親は迫害された歴史を持ち、一家はリベラルでレーガン政権の樹立に不安を隠さないような面を持つ一方、この社会(80年代のアメリカ)を生き抜いていくための処世的方法に依存せざるを得ないような小市民でもある、そういう家庭・両親の矛盾(リアリティがある。一般的なリベラルな小市民のありようがとってもよく表れていると思った。自分や自分自身の親の姿を見ているみたいでちょっとショックさえも感じる)が息子に不安感や両親への抵抗意識、あるいは学校での反抗的な反権力意識に結びついていくというのは大変に理解できる。息子が学校で問題を起こした時のPTA会長でもある母の態度、時に暴力的に折檻さえもしてしまう父(なんか自分の父を見ているみたい)。少年は教師に差別的に扱われ盾突く黒人の少年ジョニーと仲良くなるが、家庭と学校からいわば強いられた名門私立校への転校により彼と引き離されてしまう。そんなポールのいわば精神的成長を支えるのが祖父で、死の前に彼に「高潔であれ」と諭す。
祖父の死後、家を失っているジョニーを誘い学校のコンピュータを盗み出して金に換えフロリダ(ポールは画家志望、ジョニーはナサの宇宙飛行士を夢見ている)へ行こうとして、たちまち捕まる。このときポールが必死で示す「高潔さ」、そしてポールを思い、自らの警察署長との縁(署長宅の配管工事をかつて無料で?請け負った)を利用して、ジェミーへの罪悪感を持ちつつ息子を救う父親―しかもそのことを恥じる思いももっている―それによって「高潔さ」をいわばつぶされるが面と向かっては親に反対できない息子ポールはどうするか…。最後は「しっかり勉強し立派な人として自立していく未来を祝福、希望とする」学校のパーティ場面。派手な決意表明はできないし孤独で寂しいが、一人歩きだすポールの後ろ姿が印象に残る。監督ジェームス・グレイの自伝的物語だそう(納得する)。(7月6日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館 211)

④大いなる自由
監督:セバスティアン・マイゼ 出演:フランツ・ロゴフスキ ゲオルク・フリードリヒ アントン・フォン・ルケ トーマス・プレン 2021ドイツ・オーストラリア 116分 ★

映画に出てきた「とき」は1968年から始まり、1945年、1957年そして刑法175条の成人男性(21歳以上)が非犯罪とされた69年(という数字は出てこなかった気がするが)までの20年余り。いずれの場面も同じ刑務所内、45年部分には収容所?場面もちょっと出てくるが、背景だけだと時間の流れがつかみにくいが、何よりすごいのは20年の時の流れをメイク・髪型・口髭の有無と、まだ若くて収容所からはじめて刑務所に来ておどおどしている青年期から、何度もの収監で刑務所慣れした中年までを演技で見せるフランツ・ロゴスキーのハンスだろうか(この人、『未来を乗り換えた男』(18)『希望の灯り』(19)2019年前半に続けてみた)。
一方のビクトールは殺人の終身刑受刑者として、その間をずっと刑務所で過ごし、懲役も食堂での調理から配膳係までとなかなかに融通も聞く立場になり、一人住まいの二人房の最後は自身の描いた絵などで飾り、住み心地よくしつらえていたりもする。役者は実年齢的には20歳の差があるが、最初はともかく終わりの方までそれほどの差を感じさせないのはフリードリヒ(66年生まれ)の若々しさでもあり、ロゴフスキ(86年生まれ)の演技力でもあるかなという気もする。
男性同性愛者として確信的なハンスは戦争中はナチス収容所に、その後はそのまま刑務所に入れられ、そこでホモ嫌いの受刑囚ビクトールと同室にされる。最初はハンスを拒否するビクトールだがハンスが収容所に入れられていたことを知り、彼の腕の囚人番号の入れ墨を消そうと申し出る。そこからつかず離れず的に二人の20年間が始まる。
ハンスは何度も裸にされ暗闇の懲罰房に入れられ、多分18ヵ月とか24ヵ月とかいう単位で出たり入ったりを繰り返し塀の中で心惹かれる相手ができたり(収監以前の付き合いもあったり)相手とのあいびきの工夫とかそんな感じ、その中でビクトールが出所することになるものの薬物中毒で取り消しに。そしてハンスが同室を申し出てビクトールを薬物から立ちなおらせるということも―それにしてもこの刑務所タバコはもちろん、クスリも見逃されている?とそんな流れが描かれていく。
一方、「ホモ嫌い」の殺人犯ビクトールの20年間のハンスとの関係の意識や行動の変化も見逃せない。ドラマ性というよりも、男性同性愛を禁じる非人間性を感じるべき内容というべきだろうし、その上では結局二人の囚人役の演技(変化のそんなにない、ただ時だけが過ぎる状況を繊細に演じる)に見入るしかないのかな…。最後に175条が効力を失い、ハンスは出所、『大いなる自由』という名のパブ(ゲイ・バー?)にい行くが、そこでの男たちの様子の全然自由そうでないのが皮肉で、ハンスが「自由(というよりビクトール?)」を求めてとる行動も皮肉。(7月7日=初日第1回 文化村ルシネマ渋谷宮下 212) 

⑤イルマ・ヴェップ
監督:オリヴィエ・アサイヤス 出演:マギー・チャン ジャン=ピエール・レオ― ナタリー・リシャール 1996フランス(英語・フランス語) 98分


これも昔DVD(ビデオテープ?かも)で見たと思うがイルマ・ヴェップの特異な衣装(ビニール製(らしい)の黒、体に密着したオールインワンスーツ)と化粧(昔の中国映画のヒロインみたいな目になっていた)以外は全然印象に残っていなかった。
これって映画作りの映画なんだね。マギー・チャンは女優マギー・チャンの役で、サイレント時代の活劇『吸血ギャング団』のリメイクに出演するために香港からフランスにやってくるが、映画現場は混乱の極みで監督はどこかに雲隠れ。世話をしてくれる衣装係のゾエはプロデューサ―?ににらまれて降板させられと、不安定な中で映画撮影も部分的にはある(スタント女性2人とマギーのイルマが入れ替わるシーンなどが面白い)のだが不安・不安定な状況で先が見えないマギーはイルマ・ヴぇップの衣装でホテルを抜け出し街に出て…。
スピード感のあるライブっぽいあたかもドキュメンタリーのような映像が、マギーの不安を演技でなく本物のように見せるのが面白い。「イルマ・ヴェップ」はヴァンパイヤのアナグラムなんだとは初めて知った。マギーはフランス語を話せないという設定で基本的に英語。(7月7日 文化村ルシネマ マギー・チャンレトロスペクティブ 213)

➅インディ・ジョーンズ 運命のダイアル
監督:ジェームズ・マンゴールド 出演:ハリソン・フォード フィービー・ウォーラー=ブリッジ イーサン・イシドール トビー・ジョーンズ マッツ・ミケルセン カレン・アレン 2023米 154分

アタマは話題のAIによる?CGの1940年代インディアと盟友バズが探し出した「運命のダイアル」の半分をめぐるナチス軍隊との列車内(と上)のお決まりの攻防。相手はナチスの御用学者?フォーラーで、インディがそうであればこちらも多分CGの若顔。バズとインディは爆破された列車から川に飛び込み九死に一生、運命のダイアルの半欠けも持ち出し、インディはこれを博物教室の倉庫に収蔵する。そして1968年、老いたインディは大学退職の日を迎える―息子を戦争で失ったことが原因で妻・マリオンととも別居中、別れ話の進んでいる彼は、気に抜けたようなつまらない?授業をし、若者に文句いっぱいのジイサン・インディだーが、その日に教室に現れたのが、バズの娘・インディが名付け親になったヘレナと、彼女を?というか運命のダイヤルを追う今やシュミットと名乗りNasaで月面探査にかかわったフォーラー一味。
で、ここからあっというまに怒涛の追いつ追われつ撃たれつの映画世界に突入し、老いたインディは馬にまたがってフェスティバルの街中を駆け回り、かと思えばカーチェイス、そしてモロッコからアテネ、シチリアとヘレナと彼女がモロッコで拾った孤児のスリ、テディをお供に地中海沿岸を飛び回り、シチリアでは暗号の謎を解いてこれもインディお定まりの洞窟探検。アルキメデスの墓と彼の腕に巻かれた腕時計を発見、追いかけてきたフォーラーたちにダイアルを奪われるが彼らの後を追って時の裂け目をくぐり1939年の世界に行くはずが、なんといった先は紀元前254年とかのローマ時代―それはインディを考古学に志させた憧れの時代でもある―というわけで、老いたインディが息切れしそうな部分はヘレナやテディが代わり、まあなんとか見る側が息切れするのも防いでいるのかもしれないが、ウーン。最後は時空を超えてミッション・インポシブルなみの飛行機アクショまであって、無事?帰還。ほんとに頑固というより意固地で、しかし時に明敏さも見せる「老人」インディを若きAIインディと対比させたところはさすが、とも思われる。今はうまくいかなくなっている妻・マリオン(前作までと同じくカレン・アレンが演じる)との気持ちがつながる場面まであるのだが、前作から15年たっているとはいえ、映画の時代としては前作1957年?今作68年とすれば、ちょっとインディもマリオンも老けすぎじゃないかなあと、ふと思ったり…。
(7月9日 府中TOHOシネマズ 214)

⑦ママボーイ
監督:アービン・チェン(陳駿霖) 出演:柯震東 ビビアン・スー(徐若瑄) 于子育 范少勳 2022台湾 98分

伯父の熱帯魚店に勤める小洪(シャオホン)は29歳まで母とともに暮らし童貞、女友達ナシ(坊ちゃん刈の柯震東)。母は彼の面倒を見ながら、依存もしていい女性をと相手を探すが…。その彼が同僚の従兄に誕生祝として違法のいわゆる売春ホテルにつれていかれる。
彼は相手とされた女性よりもそのホテルを仕切る楽楽(ララ)という女性に心惹かれる。というわけで彼女の顔を見るために女性を買いにホテルに通い始める(と言っても行為に及ぶわけではない)。一方ララにも実は20代?の息子がいて彼は模造ワイン?の危ない商売に手を出し、50万元(利子がついて100万元)の借金を作るばかりか、警察や組織にも追われということになり、ララは窮地に追い込まれ、傍で見守ろうとする心優しい小洪に(故意ではないのだろうけれど)心惹かれるが…小洪の母は二人の関係を知り怒って怒鳴り込んだばかりか、ララが勤めるホテルを違法として警察(厳密には元警察幹部の知人の伝手をたどって)に告発する。
手入れを受けてホテルの職を失い、家を売って息子の借金を返すことにするララ。当然小洪の恋は終わりということになるが…。ララやその息子に起こる出来事は見方によっては結構ドラマティクとも言えるが、小洪に関しては遅い初恋と失恋というまあ変哲のない展開でもあるし、いい年して母依存の息子たちはどうなのよ…とも、また結局息子にかかずり合ってしまう母の保守的な共依存的性も何ともなあ、とは思うのだが、この映画意外におしゃれというか凝ったアングルーすべての登場人物?が後ろ姿から始まるとか、ポスターにもなっている水槽に泳ぐ金魚と重なる小洪たちのオレンジのシャツ(水槽の中の金魚みたいというメタファー的表示かも)とか、ホテルの廊下やララが長く務めたという店でのダンスシーンの繰り返しとか、マニッシュなララの衣装とか、いい感じに目を引く要素がいっぱいあり、柯震東の最初のマザコンボーイぶりからどんなふうに変化していくのかと思わせる。最後には、劇的ではないもののなるほど母から自立したのだなと思えるような繊細な演技と演出ににナットクという感じもした。(7月10日 シネマート新宿 215)

➇1秒先の彼
監督:山下敦弘 脚本:宮藤官九郎 出演:岡田将生 清原果耶 福室莉音 羽野晶紀 加藤雅也 荒川良々 2023日本 119分 ★

『1秒先の彼女』(2020陳玉勲)の男女を入れ替えたリメイク。
何事にも1秒?速い郵便局員と幼い時にかかわりがあって、相手にそれを言わず手紙を書き続けるという設定は同じなのだが男女が入れ替わるとこうも感じが違うのかとも思った。
台湾版は郵便局員の女性は一般的ビジュアルとしてはまあかわいいけれどそんなに美人というふうには描かれず、彼女が恋する男はどう見ても「ワルっぽく」ひっかけるにしてもちょっと釣り合わない感じもあった。その彼女に恋し、止まった時間の中で嘉義の海岸に連れ出す男は自身がバスの運転手で、彼女を一人で連れ出し運び、ともに写真を撮る体力がある。したがって時間が止まった中での彼らのというか彼の彼女に対する関係は閉鎖的で、ちょっとストーカー的な執着を感じさせ気味が悪くなくもなかったのである。
こちらの映画は郵便局員皇一(すめらぎはじめ)が見かけだけはファンもいるようなイケメン設定、彼に恋する彼女が、暮らしぶりが現代にしてはちょっと非現実的にも見える大学7回生で、もちろん自分でバスの運転ができるわけではない。そこで郵便局員がデートに出かけるのに乗ったバスの運転手も「時間が止まらなかった」(その理由も台湾版にはないが、大変にふざけていながら納得させるー運転手は釈迦牟尼仏=みくるべ、ヒロイン麗華は長曾我部という姓)ということになるが、これが二人の世界に開放性を与え、体力的には男に比べて非力な麗華が運転手を巻き込み、あるいは京都の町を流す観光人力車の力を借りて大きな一を必死に運ぶのでストーカー的なイメージは感じられず、むしろ独立というより独自に生きる麗華の健気さを強調するようなしくみになっているように思われる。
台湾版にあった「(7月の)バレンタインデイ」というような要素ははずし、天橋立や京都の名所めぐり?的な要素を入れて、のどかで穏やかな感じもより強めているように思えた。一の母や、妹とそのパートナーというような人物の明るいユニークさも印象的だが、あれで父親が家出、自殺―失踪というのはどうなんだろう、これは原作を取り入れているからとは言いつつ少しそぐわない感じもなくはない…。(7月13日 府中TOHOシネマズ 216)

⑨遠いところ
監督:工藤将亮 出演:花瀬琴音 石田夢実 佐久間祥朗 宇野祥平 池田成志 吉田妙子 中島歩 リム・カーワイ 尚玄 きゃんひとみ 2022日本128分★★

沖縄を舞台に、17歳のアオイは両親をなくし(というか父はちょっと出てくるが、彼女に二度と来るなと言い小遣い銭程度を渡す関係)、2歳の健吾を夜はおばあに預けてキャバクラで働く。稼いだ金はともに暮らす夫マサシ(御多分にもれず外に向かっては弱く、妻にはエラソーに、暴力さえ振るう)の目に触れないようにトイレの汚物入れや壁に張ったカレンダーの裏に隠すが…。キャバクラに警察の手が入り未成年のアオイたちは夜の街を逃げるが捕まって、その後店で働くことができなくなる。稼いで隠した金はマサシに盗まれ、働かない彼をなじったアオイは殴り倒され、彼は姿を消す。子どもと二人貧困に落ち込むアオイ。そのうえ、マサシはケンカで3人に怪我をさせ、アオイにはその示談金までが降りかかてくる(まったくもって役に立たない弁護士らしき男)。
結局彼女は「売り」に手をだすことに―この客に扮しているのがリム・カーワイほか観たことがあるような役者たちでいやらしくコマッタ中年を演じている―こういう配役がこのドキュメンタリータッチの映画を支えている。キャバクラの同僚ミオはいい友達でアオイを心配するが実際的な力にはなれない。今や気力もうせて抜け殻のようにただ稼いでいるアオイの前に現れた児童相談所員はアオイから見るとさらうように健吾を保護して連れ去る。その後ミオは自死(これが映画の中のクライマックスになる。ただ一人の理解者に死なれてむせび泣くアオイの痛切)マサシの母はアオイに謝るが、マサシに甘く、おばあはアオイを一族の墓参りの場に連れ出し―このあたりがいかにも沖縄―しかし一族が躍るカチャーシーの話からはもちろんアオイは疎外されている。と、彼女の周辺にいて中には彼女気にする人もいるものの、彼女から見ればどれも遠いところからの声で、彼女の心にも実際の生活にも役に立たないという様子が派手ではないが、全編通じてアオイとともに観客をも追い詰めていく。若年層の結婚、子育て、貧困状況の甚だしいという沖縄の現実を入念なリサーチや若い役者たちの等身大?の演技にって再現することにより、地味だが力のある作品になった。最後は(施設に忍び込み子どもを浚える者かどうかその辺はリアリティ的にはちょっと疑問だが)カタルシスにも、絶望的結末にも見える終わり方だが、現実に照射するとすればこういう結末しかないのかもしれないというのは納得できる。2歳の子役の演技の自然さには舌を巻く。スタッフ、または役者の誰かの子どもなのかしらんと思えるほど。泣くくべきところでなき、母に追い払われてもうるさがられてもすり寄っていくところなども。(7月14日 キノシネマ立川 217)

⑩トゥ・レスリー
監督:マイケル・モリス 出演:アンドレア・ライズボロー マーク・マロン オーウェン・ティーク アリソン・ジャネイ 2022米 119分

シングルマザー、レスリーは6年前宝くじで19万ドルを当てるが酒に身を持ち崩し(6年で19万ドル飲んでしまうってどんな飲み方?)家賃が払えず家を追い出され離れた町に暮らす一人息子ジェームスの家に行く。ジェームスは母が独立するまではいてもいいが酒を飲むなと説教、しかしベッドマットレスの下に隠した酒瓶を見つけらっれ、愛想をつかした息子に元の街の親しかった友人夫妻の元に送り返されてしまう。友人ナンシーはレスリーに厳しく、ここでも酒をやめないレスリーを家から閉め出し追い出してしまう。というわけで、ここまで過去の事情をはっきり描くわけではないが息子や旧友の対応から彼女が相当に困った問題を起こしてきたのがわかる(後のほうでは13歳の息子を置き去りに逐電したと方tられる)仕組みで、ここから家も金もなく、過去の楽しい思い出の写真などだけを詰めたスーツケース一つをもっての彼女の浮浪的生活が始まるわけだ。
そのあとは偶然雨宿り軒先で一夜を明かしたモーテルの従業員(というか経営を任され変わり者のオーナーとともにこのモーテルに住み込む「過去ある」初老の男)になぜか拾われ、面倒を見られながら地域の人々の目にも苦しみつつ、しかし「立ち直っていく」過程が描かれるのだが。女が自立を果たすために小なりといえども事業を始めるというのは現代的な描かれ方だが、しかしその裏側に支える男が存在しなくてはならないというあたりはやはり一種の保守性と見ることもできるという作り。ジェンダー的視点からは少々??
しかしそれにしてもモノを考えないはしゃいだ女、自堕落なアル中の母親、その同じ時期の酒のための男への言い寄り、だれからも見捨てられた孤独と絶望から少しずつ変化して小さいながら食堂のオーナーになるまでの変化というか七変化的様相を演じるアンドレア・ライズボロー、最初と最後は別人で、肌の色つやにまで及ぶ演技力はさすが。アカデミー主演女優賞にノミネートされ、ケイト・ウィンスレッドやグィネス・パルトロウらに絶賛されたという演技には驚くばかりであるのは確か。(7月14日 アップリンク吉祥寺218)

⑪サントメール ある被告
監督:アリス・ディオップ 出演:カイジ・カガメ ガスラジー・マランダ ロベール・カマンタレラ 2022フランス 123分

この映画の画像での語らせ方は大変ユニークであまり見たことがないようなものだった。法廷場面は延々と長回しで、事件も当事者やそれを違った立場から見る証人の経験もすべてはその当事者の口から語られる。いっぽう、黒人の被告を取り囲む弁護士は白人女性、判事3人も白人女性、検事は白人男性、彼らが選ぶいわゆる陪審員も白人男女、というあたりが極めて特徴的にこの映画で描かれる黒人社会の様相を示しているようだ、
映画は15か月の娘を海辺において殺したとされる、セネガル出身フランス語はネイティブのごとく堪能とされる被告の物語に並行しこの裁判を傍聴に行く著述家で大学で教えてもいるラマという女性を追う。彼女も黒人で、その配偶者は被告と同じく年上の白人男性。そして傍聴を通して被告の母と知り合いになったラマはに妊娠を言い当てられる。ということで、映画のテーマとしては追い詰められた被告の事件の謎を解明するというよりは、その過程を見ているラマが実は被告に自分を重ね合わせ自分の問題としてとらえて体調まで崩していく様子の方に主眼があるのだろう。ことばで語るということが映像の主体をなすというのは大変に面白いが、ついていくのに骨が折れ、娯楽性という意味では?(そういうふうに作られていない)⑫を見るのに先立って急ぎ鑑賞した。(7月15日 文化村ルシネマ渋谷宮下 219)

⑫私たち NOUS
監督:アリス・ディオップ 2021フランス・カナダ  115分 ★★


パリを南北に走るRERのB線沿線は44歳の女性監督の生まれた町でもあるそう。この沿線の人々―白人も、黒人も、移民の整備工や、猟をする親子、訪問看護師(監督の実姉とか)サン=ドニ聖堂でルイ16世を悼み祈る人々、ドランシー収容所に収監された人々の記憶、夏の静けさを楽しむ若者や、作者自身の家族、また幼時の記憶、そして作者が敬愛するというフランソワ・マスペロとのひと時や暮らしぶり、彼自身の朗読などもあり、脈略がないと言えばないような感じもするし、ドラマティックなエピソードなどはないのだが、彼らの発する言葉そのものを描いて(ビジュアルそのものは動きのない長回しの人々の姿であることも多い)映像短編集というか「映像シンフォニー」とも言われていたドキュメンタリー。
語られる言葉に力があるし、例えば狩猟愛好家場面で「あそこに鹿がいる」というような言葉とともに森を後ろにした平原を映し出して観客にともに鹿探しをさせるようなカメラなど、バンリュー(郊外)としてくくられる治安の悪いイメージのB線ではなくそこでの普通の多様な人々の静かな暮らしぶりが伝わって印象に残る。『ローマ環状線めぐりゆく人生』(2013ジャン・フランコロージ)を思い出させられる。

         アリス・ディオップ監督 司会は日仏学院・坂本安美さん

日仏学院での監督来場の特別上映。100人余り?の会場はほぼ満席?監督トークで、彼女が6月29日パリ郊外で警官が17歳の少年を射殺した事件に衝撃を受けファシズムの抬頭と感じ、映画を作って世に働きかけることができるのかを悩んでいると言ったのが痛々しい感じ。で我が娘とほぼ同じ年齢のこの監督(芸術家)の「若さ」も感じる。それは我々受け取る側の人間のありように対する批判とも取れるが…しかし受け取る側の人間に何ができるのかとも考えてしまう。せいぜい頑張って映画を作ってもらいこちらはそれを見てその思想や、いい映画と思ったものは拡散していくしかないのかなとも思う。(7月15日 東京日仏学院エスパス・イマージュ 220)


⑬ノー・ホーム・ムーヴィ
監督・撮影:シャンタル・アケルマン 2015ベルギー・フランス 112分 ★


⑫でアリス・ディオップが好きだと言い、2年にわたって日仏学院が特集上映をしていた(見落としていたというか敬遠していたところも)1950年生まれ2015年に亡くなった女性・ユダヤ人・バイセクシュアル(公式ページによる形容)の私見第1作は、彼女の最後の作品。
故郷を遠く離れてきたという表象だろうか延々と走り続ける車の道路沿いの山(丘)の風景に挟まれた、ブリュッセルの母の家での母の暮らし(食べたり、娘たちと話したり、散歩に出かけようとしたり)とニューヨーク滞在時のアケルマン自らとのテレビ電話画面などで構成される、アケルマン自身の撮影によるドキュメンタリー。淡々とした日常の雑談で綴られているが、ユダヤ人としてナチス支配社会を生き抜いたしっかり者が柔らかく老いたという感じの母の魅力を見せるアケルマン自身の母への愛情がにじみ出るような佳作。カメラ・アングルも独特な切り取り方がある。映画の中でもだんだん老いていく母は、この映画の編集中に亡くなり監督自身も完成直後に亡くなった(自死?)というのだが―しっとりじっとりしたところは全くないのがいい。(7月17日 下高井戸シネマ シャンタル・アケルマン映画祭2023 221)

⑭ジャンヌ・ディエルマンをめぐって
監督・撮影:サミュエル・フレイ 1975フランス モノクロ78分 ★


アケルマンの代表作『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080 コメルス河畔通り23番地』の撮影中、主演女優セルフィーヌ・セイリグの恋人だったサミュエル・フレイが撮影した、この映画のメイキング。編集は後にアケルマンが手掛けた。だからこのメイキングの主演はセイリグだが、場面作りのために監督とセイリグの間で行われる議論とかカツレツをあげるリハーサルの場面とかを主導しているのっはほとんど女優の方で、20代の若いアケルマン(意外に小柄でずんぐりしている)は押され気味だし、セイリグが自身のフェミニストとして(というか女性は皆フェミニストと言っている)の生き方を語り、また音響係など数名のスタッフ(女性ばかり)と口論をし、10年たてばわかると彼女たちのあり方に鋭い批判を加えたりしている様子が興味深い。この映画がアケルマンの映画というだけでなくセイリグの映画であったということを強く感じさせられる。夕方からの⑫上映に耐えられるか自信がなく,⑫終了後すぐに飛び出してチケット(ちょうど招待券があった)を交換したが56番!開始の夜8時半には70人越え?の観客に少々驚く。
 (7月17日下高井戸シネマ シャンタル・アケルマン映画祭2023 222)

⑮星くずの片隅で(窄路微塵)★
監督:ラム・サム(林森) 出演:ルイス・チョン(張繼總) アンジェラ・ユン(袁澧林) パトラ・アウ トン・オンナー 2022香港115分

春、大阪で満員で買えず、ようやくポレポレが配給するというのを楽しみに待った一本。さすがラム・サム作品で民主化運動そのものは描いてはいないがそのあとコロナ禍に見舞われた香港で知人たちでも少し気が利いた人々は次々と移民しようとする、事業をやめようという話がでると即移民に結びつけらっれるというような状況下、貧しさの中で万引きや窃盗さえも辞さないというような母子と、彼女とかかわりを持ったことからそもそもコロナ禍のもと事業のための融資も返しきれず苦境の中で頑張っていたハウスクリーニング業のザクが廃業に追い込まれるまでと、その後を描く。
描き様によっては貧しさゆえにモラルも失った女と、彼女に騙される不器用なマジメ男の話―なんとも陰惨―になりそうな設定ではあるが、アンジェラ・ユン扮するキャンディの貧しいながらめげない明るい(決して陰影がないわけではないが影の部分もなんかじめッとしていないのは香港映画も変わったという気がした)ポップな印象と、マスクをして前髪を下ろした目がなんか若い時のキムタクによく似たザクのルイス・チョンが本人も決して強くはないのだが感じさせる包容力のようなものが、この図式通りのハッピーエンドには終わらない(がもちろん悲劇的最後というわけではない)物語を支えている。
目の手術をした後に見ることができてよかったと思うのは、二人が踏む香港の街や海の美しさをたっぷり堪能できたことか。この香港の美しさには作者の香港愛と香港に生きる決意が根付いている気がする。難をいえば職を失ったあとザクの人生こんなふうに職業も見つかりポンコツディーゼル車廃車の補助金も8万3千ドルとか出て「うまくいって」しまうことのリアルの欠如、キャンディーの幼い娘(起こる事件の原因を作る)のあまりの賢さというか母を支える健気さが鼻につくことぐらい?でもこれ、どちらもこの映画の幸福感を支える重要な要素になっているので仕方ないか…。  (7月18日 ポレポレ東中野 223)

⑯街をぶっとばせ
監督・出演:シャンタル・アケルマン  1968ベルギー モノクロ12分


アケルマン(18歳)の映画学校卒業制作。ちょっとむっくりした感じの可愛らしい少女っぽいアケルマン扮する女性が、花束をもって小さなアパートの狭いキッチンに戻り、パスタを作り食べるところから、なぜか部屋の窓に目張りをしたり、調味料の類を床にばらまき、掃除をしたり、顔にマヨネーズを塗りたくりと脈絡なく暴れまわったあげく…という12分で、ウーン。まあ意表をつく、無秩序的行動によって規制の概念に対する抵抗を表したということだろうか。子熊みたいな普通の女の子という風貌と行動の落差を面白いとみるべきか。いずれにしても卒業制作だからこそ許された12分という気もする。(7月18日 下高井戸シネマ シャンタル・アケルマン映画祭2023 224)

⑰家からの手紙
監督:シャンタル・アケルマン 1976年ベルギー・フランス 85分


こちらは、ウーン、テーマとしては遺作の⑮『ノー・ホーム・ムーヴィー』につながっていくのだろうか。画面は長回しで次々に映し出されるくすんだニューヨークの街の景色。町の音、時に電車の轟音や、またホームを反対側の車線から長々と撮った映像など。歩く人々なども出てくるがだれ一人カメラを振り向くわけではなく、カメラの視点から見るとここは知り合いもいない寂しい町という感じ。その上にアケルマン自身が結構ボソボソという感じで読む母からの手紙の音声がかぶっていく。それは娘にもっと頻繁に手紙をくれと訴え、また故郷の自分の周辺の家族や知人など、人々の動静を娘に知らせ、家族のもとに早く帰ってほしいとも言う。故郷や家族とつながっている感じと同時に束縛感も漂うような、なにか不思議な鬱陶しさも漂うのは、20代の感性の家族との距離のあらわれなんだろうなあ。⑮に漂った母との親近感、穏やかさのようなものはここにない。母自身の手紙のウエットさは若い娘の声で読まれることにより「距離」へと転換されているように思われた。なんか見ていてすっごく疲れる一作だった。(7月18日 下高井戸シネマ シャンタル・アケルマン映画祭2023 225)

⑱ゴールデン・エイティズ
監督:シャンタル・アケルマン 出演:デルフィーヌ・セイリグ ミリアム・ポワイエ ジャン・ベリー リオ 1986ベルギー・フランス・スイス 96分 


こちらは、今まで見た作品と打って変わったポップなカラーのミュージカル仕立て、登場人物も「エイティズ」というぐらい?のぞろぞろ。娯楽作品として作られているのだと思うのだが、ウーン、イマイチのロマンティクの欠如?とか浮揚感のなさは、そこに漂う恋愛観の苦さによるのかも。
舞台はブティックと大きな美容室、それに小さなスタンドのカフェが並ぶパリのブティック街(いかにもスタジオにしつらえた舞台として中央には大きな階段も)。ブティックの息子の美容室オーナー夫人(なにかと噂のある美女)リリへの恋、彼に恋する美容師のみつどもえに、ブティックの女主人(デルフィーヌ・セイリグが扮している)の前に現れた昔の因縁ある男―臆面もなく言い寄る彼に、それは昔の恋だとして現在の夫を選ぶ彼女の選択、そこにリリへの彼女の夫の執着や、世界への旅?に出かけた恋人を待ち続けるカフェの女主人なども絡んで、一見ハッピーエンド風であっても決してその底に恋愛の肯定があるわけではないのは、取り囲んでコーラスをする男たちの雰囲気のチープさや、女性美容師や顧客たちは美女ぞろい?ではあるが衣装がいかにもというこれもチープさでそういうあたりにも、なんかこの世界がバラ色世界としては浸れないものを感じさせるような作り。
これって、まさか私が老いたからというわけではないよね??シャンタル・アケルマン30代半ばのすでに監督として一家をなしている時代の作品。(7月18日 下高井戸シネマ シャンタル・アケルマン映画祭2023 226)

⑲ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地 ★★
監督:シャンタル・アケルマン 出演:デルフィーヌ・セイリグ ジャン・ドゥコルト ジャック・ドニオル=ヴァルクローズ 1975年ベルギー 200分


2022年英国映画協会が選ぶ「史上最高の映画」の1位(2位『めまい』3位『市民ケーン』4位『東京物語』だそう)に選ばれたのは、若干25歳のシャンタル・アケルマンがすでに大女優だったデルフィーヌ・セイリグとともに、主婦(未亡人)ジャンヌの暮らしとその破綻までの3日間を描いたこの作品だった。
朝起きて窓を開け、コーヒーを作って息子の朝食を用意し、学校に送り出し、息子のベッド(居間にある折り畳み式でたたむとソファーになる)を直し、買い物に出たり、近所の赤ん坊を預かり、夕飯の準備をしというような本当に日常の「普通」の行為を淡々と延々と長回しで―入浴のシーンでは体を洗い始め、洗い終わりバスタブの掃除をするまでがずっと映し出されるし、カツレツを作る場面では粉や卵をテーブルに並べ二枚の肉に衣をまぶしてできたものにアルミホイルをかけて冷蔵庫(はないのかなあ、唯一このキッチンに見えない家電?ジャガイモや火を入れた鍋とかはドアの外のベランダに置いている―にしまうまで、単一アングルの長回しで延々と映し出すので、見る方も忍耐が強いられるところがなくもないが、何より演じる側、作る側はそこに変化したり、変化しなかったりの感情や感覚を表し続けるのはどんなに大変かとも思われる。
唯一午後になると来客があり、二人でベッドルームに消え、廊下の電気が消され二人が出てきてという(まあ容易に彼女の行為がわかるわけではあるが)秘密めかしたシーンの不穏な省略形。初日は淡々と終わった日常が2日目あたりから、ラジオの耳障りな音楽や、窓の外からの工事音?機械音ともとれる軋み音とともにに同じ行為の中で、ジャンヌの不安が搔き立てられる―来客の間に火に掛けたポテトの鍋は焦げ付き、買い置きの残りは1個(主食はポテトらしく、息子には5~6個の山もり、ジャンヌは小さいのを2個ぐらいというのがなんかリアルにおかしい。しかも息子も2個くらいしか食べないのだ)で、新たに財布だけ持って近くの店に補給に行くという場面もあり…。預かった赤ん坊は泣き叫び、身に覚えのない荷物が突然に届き、解けない荷づくり紐にジャンヌははさみを持ち出し(これは伏線になっている)…そのあたり、行為はは特別なものではないが気持ちがどんどん変化というか不安そうになっていくジャンヌから目を離せなくなる。そしてクライマックス、とうとう今まで描かれなかったなかったベッドシーンがあって、そして、というわけで、この結末は予測もつくし、実は⑭のメイキングを先に見てしまったので分かっていたのでもあるが、ウーン、なるほどこれは「映画」だ!あまり経験したことないような映画体験で、⑯⑰⑱で少々くたびれたのだけれど、もうちょっと付き合うかという気にさせられる。
ところで気になったのはジャンヌの家事に掃除(風呂掃除と飾り棚の品を磨くというのはあるが)がないこと。洗濯も汚れ物をランドリーボックスにいれるだけだし。お手伝いがいるわけでもないし、母一人子一人とは言ってもほこりも汚れものもはたまるだろ、と思わず心配に…。(7月19日 下高井戸シネマ シャンタル・アケルマン映画祭2023 227)

⑳一晩中
監督:シャンタル・アケルマン 出演:オーロール・クレマン チェッキー・カリョ フランソワ・フェルナンデス マチュー・シフマン 1982ベルギー・フランス 90分


90分の映画ではあるのだが、暑苦しい長い長い一夜を過ごしたような感じにさせられる。
幾組かの男女(幾組かなのかもよくわからない。最初のほうと後の方で、あ、これは前にでてきたと思えるような人物にあったの気はする)の断片的(とはいってもこれも例によって一つ一つのシーンはけっこう長回しだが)場面がつづられて、宵の口には友だちとバーで飲んだり、ダンスをしたり、抱き合ったり、散歩に行こうとする夫婦?とかが現れ、やがて夜が更けると家で一人寝る人、寝付かれずに窓べで飲んだり、眠りこける相棒に声をかけられずとか、夜なべ仕事の果てにデスクで寝てしまうとかいろいろな真夜中が映され、やがて空気が白み青み始める夜明け―そこまではずっと暗い中での映像で、この暗さで動き感情を表す人々を撮るというのはすごい技術(名女性カメラマン、カロリーヌ・シャンプティエという人だそう)だなとは思うのだが、いささかに夜に疲れ、くたびれて明け方の目覚めや別れでなんだかほっとするというのも、このブリュッセルの暑苦しい夜を描写する効果?⑲を断片化したような作品で、ウーン。(7月20日 下高井戸シネマ シャンタル・アケルマン映画祭2023 228)

㉑神授の花
監督:イクパール・メリコズィエフ 脚本:木村暁 和崎聖日 アドハム・アシーロフ 2021日本・ウズベキスタン(ウズベク語・タジク語・アラビア語)23分

中央アジア、ウズベキスタン フェルガナ盆地に伝わる 聖者祭(ド―スディ・フダーというズーフィーを祭る)はイスラムの聖者祭としては珍しいことに女性が中心、男性が役割を担うのは1%(アドハム・アシーロフ)だという。ハナズオウの赤紫の花が咲き乱れる季節に行われる(この花グリ・アルムガーンはド―スディ・フダーの廟所にしか根付かないという「奇跡譚」が伝わっている)この聖者祭のいわば学術的な記録映画短編なのであるが、色合いの何とも言えない鮮やかさ、ウズベク語人よりむしろタジク語系のほうが多いという人々の話す両語のいってみれば入り乱れた祈りの歌や喧噪はなんとも吸引力があり、内容はあまりよくわからないながらも引き込まれる。脚本や制作などで参加されている中央アジア・イスラム文化・文化人類学などの研究者の先生方4人(アドハム氏はタジキスタンからのオンライン参加)の丁寧な解説もあり、この地域のイスラム文化、言語の様相などがたいぶわかった。その意味では大変に勉強になった映画会だった。(7月22日 東京外国語大学Cinema 229)

    


㉒少年(小畢的故事)
監督:陳坤厚 原作・脚本:朱天文 出演:張純芳 崔福生 鈕承澤 鄭傳文 庹宗華(トゥオ・ゾンファ) 1985台湾94分

チラシのあらすじになんか覚えがある…でも『少年』なんて映画あったけ??と思いつつよく見ると『小畢的故事』。そうか、それなら台湾版のDVDでは見た作品(DVD持ってるし…)。40年前台湾ニュー・ウェーブ初期(と言っていいのだろうか…)のこの作品は、いかにも台湾ニュー・ウェーブという色合い(くすみ具合)と構図(淡水の日本家屋に住んでいる一家)、歌手禹黎朔(この人が母の水商売時代からの友人を演じている)の歌うポップス調の挿入歌があるとか、などなど今一つ洗練される前の台湾ニューウエイブ的画面はDVDの印象と変わらない。最後に鈕承澤(この人は『風の少年』でも同じような中学生を演じていた/性的暴行で有罪・入獄、今は映画作りもしていない)から飛行学校に行った青年小畢がイケメン、庹宗華にかわって突如「青春映画」っぽくなるところも…。母が再婚した夫に可愛がられ養子縁組により畢という名も受け継ぐことになった少年と、後から生まれた二人の弟、そして母の一家の10年間は、結局少年の「非行」といっても単なる腕白かも。原題の家庭の抱える少年問題とはかけ離れている。それゆえ息子の行動を苦に自殺を図る母というのもなんだか隔世の感をまぬがれえない感じも…。
字幕は樋口裕子氏で、彼女の解説トーク30分付き。全く知らない新しい話というのは少なかったが、なかなかにこれも楽しんだ。小畢の幼馴染の隣家の少女朱小凡を演じている侯薀華は侯孝賢の実の娘だそう。侯孝賢はこの映画の脚本・プロデューサーとして参加しているが、自ら演出もしていて、娘の出演シーンの演出をしている場面の写真が残っている。(7月23日 K’sシネマ台湾巨匠傑作選23 230)
           樋口裕子さん  この映画で実娘を演出する侯孝賢



㉓豚が井戸に落ちた日
監督:ホン・サンス 出演:キム・ウィソン イ・ウンギュン チョ・ウンスク パク・シンシン 1996韓国113分

台湾映画のあとにみると、韓国・ソウルの白っぽく乾いた感じの街はやはり韓国っぽくて、久しぶりに行った気になった(ただし1990年代のソウルだけれど)。
その街で小説家ヒョソプと彼を愛して付きまとい親切なミンジュと、一方ヒョソプが愛する人妻ポギョン、彼女の夫で出張に出かけ行き違いの連続でむなしい一日と夜を過ごすドンウ。最初はそれぞれ別の話のようでありながらいつの間にか登場人物は互いに出会い、それぞれ自分の中にしか目が向いていないようなのは、その後のホンサンス作品の味わいも十分。突如現れる生々しい血まみれの殺人シーン(シーンであって物語ではない)、いつの間にやら自分の葬儀シーンになっているポギョンの夢、脈略もなく、次に何が起こるのかもわからないサスペンスフルといえばそんな感じの113分。映画ライター佐藤結さんの解説トークに助けられた感じも。 (7月23日シネマート新宿 韓流映画祭2023 231)


㉔君たちはどう生きるか
監督・脚本:宮崎駿 出演:山時聡真 菅田将暉 柴咲コウ あいみょん 木村佳乃 木村拓哉 2023日本(スタジオジブリ)124分

              
全然宣伝も予告編もなく、評判的には?すばらしいという声も、わからんとか、気味悪いとかいう声さえあって客は満員の会場もあり、不入りの会場もあるという話に興味をそそられ、平日夕方からの回に。まあ就業時間は終わっていたせいかそこそこの入りの会場。で、映画は…空襲シーンから始まって入院中の母の死、すぐに2年後?主人公の少年真人の父は死んだ母の妹ナツコと再婚、父子が田舎の母・ナツコの実家であるお屋敷に引っ越し、少年は転校、軍需工場に勤め(経営者かな?)羽振りの良い父の自家用車に同乗して転校の初日を迎えたが、当然異物視され、田舎の同級生たちにいじめられる。このあたりがすでに不可解なのだが真人は子どもたちを蹴散らして帰る途中自らの頭を石で打って大きな傷を負い家で寝込むことに。その病床の世話をするのは6人?の老婆たち(なんか以前の宮崎作品で見たような面々で大竹しのぶ、竹下景子、風吹ジュン、阿川佐和子といった人々が声を演じているようだが、なんかなあ配役がいやらしい感じだ)。そして病床に現れるアオサギ。そのアオサギの導きで真人は屋敷にある古い廃墟のような塔の探検にいくが、基本的に母にあわせるというアオサギのことばに反発したりする。
ある日妊娠中のナツコが森に入っていき、探しに行った真人と、老婆の一人キリコ(これは若い時も含め若い柴咲コウが演じる)は塔の中の「下の世界」に。そこには若いキリコ(着物の模様が同じでことと、後の方になって若いキリコから老婆キリコの木彫り人形が渡されることでしか関連つかめず)がいて、ワラワラとかいうこれから生まれる子の世話をするというなんか見たようなおとぎ話的世界に。ワラワラは魚の内臓で育てられるのでキリコは魚取りをし、腹をすかせたペリカンはわらわらを食べ、それを助ける少女ヒミ(これは実は真人の母の少女期の姿をしているらしい)が現れ、真人はキリコからヒミに手渡される感じでナツコを探すためにインコの大群と闘いながら、塔を建てたという大叔父を探しに行くことになる??真ん中ぐらいからペリカン、アオサギ、インコと、入り乱れる鳥たちに見る側も翻弄され、これって多分宮崎駿の精神世界なのかな、この真人という少年が何を求めているのか、助ける側もキリコ、アオサギ、ヒミなどと入り乱れでちょっと取り留めもない世界に迷い込んだような感じもある。
そして戦争中、軍需工場というより戦争に密接な加担的ともいえる立場にある人物の息子で母を空襲で失うというようなことがメインストーリーラインの一つになっているにもかかわらず、戦争がこの少年に及ぼしている影響などはほとんど描かれない牧歌的世界―しかも時の回廊でつながる「下の世界」での出来事として、大叔父は未来をこの少年に託すのだが―ウーン、分からん。この世界平和への希求もなんだか唐突だし、それを受けた少年と老婆キリコの人形は現世に戻るが、それでどうなるのよーという感じもあって、気味が悪いとまでは思わないが、なんか宮崎駿の思いを強引に脳に叩き込まれているような感じがする。
吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』は母が真人に残した本の中にこの書があるという設定だが、それもなぜこの本なのよーという必然性はあまり感じられない気もした。しかし、内容の完成度はともかく宮崎駿の「最終到達映画」というのはわかる気もするので、宮崎ファンには垂涎の作品ということになるのだろう。(7月24日 府中TOHOシネマズ 232)

㉕アーカイブ・タイム(數電影的人)
監督:ルー・ユエンチー 2019台湾 63分 ★★


保存期間70年という昔の劣化したフィルムの修復やデジタル化を行う台湾国家電影中心の技術者や管理者の仕事を描いたドキュメンタリー。彼らの古い映画フィルムを持っているコレクターや映画監督からフィルムを借り修復をしたりデジタル化して保管し、上映する仕事をわりと客観的に丁寧に描いていて、自分が喜んでみている旧作のデジタル化がどんなに微妙繊細な仕事の上に出来上がっているのか、大変に勉強になった。
管理部門の担当者や技術者の紹介に一々「キャリア何年」と出るのも面白いが、2、3年キャリアの若手から20年30年、中には監督歴60年?なんていう人も出てきたが、一様に映画を愛しながら仕事として一々のフィルムには客観的であろうとする真面目さが印象に残る。なかなかに興味深い作品であった。
  (7月28日 新宿K’sシネマ 台湾巨匠傑作選・映画人たちの仕事 233)

㉖親愛なる者へ(親愛的房客)
監督:鄭有傑 出演:莫子儀 陳淑芳 白潤音 呉朋奉 2020台湾106分 ★★

日本公開は2021年7月で、このときに見ているが、しっかりした内容に思えたのが一つ、この映画制作時の2018年ごろにはまだ台湾でも同性婚法が成立前だったこと、そして何より私の台湾初登山(玉山・雪山)前だったので、雪山とも合歓山とも言われる山容を画面で再確認したいしと、見に行った。感想は以下2021年7月27日鑑賞を大きく出るところはない。山の景色も私が自分で見た台湾中部の迫るような高山の大迫力(なにしろ台湾には3000m峰が200以上あって、これは日本の10倍!?)に比べると、雄大ではあるがいかにも穏やか、たおやかな感じで、鄭有傑らしいなどと思えてしまった。
      https://miekobayashi01.blogspot.com/2021/08/20217.html
(7月31日 新宿K’sシネマ 台湾巨匠傑作選・映画人たちの仕事 234)

㉗シモーヌ フランスに最も愛された政治家
監督:オリヴィエ・ダーン 出演:エルザ・ジルベルスタイン レベッカ・マルデール オリヴィエ・グルメ エロディ・プシェーズ 2022フランス 110分

「シモーヌ・ヴェイユ」といえば、『重力と恩寵』の哲学者(1909ー1943)と、実は劇場に行くまで思っていて、開場前ロビーに貼ってある批評や紹介記事を見ているうちに別人であることに気づく。実は名前の綴りも哲学者の方はWeil、この映画の政治家の方はVeilと違うのだそうだ。
で、こちらは「ヴェイユ法」と称される中絶合法化をした人で、映画はその議会での討議場面から。彼女が果たした役割を振り返る「現代」場面を中に挟みつつ、若き日国立政治学院で学びながら弁護士を目指し、人権機関で働きながら刑務所の待遇改善をする。そのあたりでは子供を育てながらで、仕事を持つことに関する夫との衝突場面も繰り返されるのが印象的―老いては夫は彼女をバックアップする良き理解者になっているが、このあたりの変化は描かれず、まあ彼女の一途な突っ走りが夫をも黙らせたということ?。そしてこのような彼女の活動の芯に、同化ユダヤ人としてフランス国民意識をもちながら、母・姉とともにアウシュビッツから別の収容所も経て「死の行進」を経験し、母を喪い、父や兄は戦後も行方不明というような16歳以来の体験が根ざしているということが説得力を持って描かれる。
高年代のシモーヌ・ヴェイユを演じたエルザ・ジルべスタインの温かみのある威厳の演技が評価されているが、16歳~30代くらいまでを演じたレベッカ・マルデールの強さ・知性・純粋さを感じさせるたたずまいと動きの演技も印象に残る。ナチス収容所の光景や死の行進のモノクロ映像に加え戦後シモーヌが若い家族をつれて収容所の跡を訪ねるところを重ね、ちょっとドキュメンタリー風な(ボスニア・ヘルツゴビナのお迫害シーンなどは実際の映像が使われているようだし)味わいもあり、フランスの戦後史・現代史を見ているような感じもあり見ごたえあり。(7月31日 新宿武蔵野館235)

●このところ気になる映画たち

近年映画祭で上映された作品が新しい邦題をつけられたりして公開されます。気づいたところをご紹介します。これらの作品は見た時点での映画日記も書いていますのであわせてご紹介します(これからご覧になるかたはネタばれご用心もあり)。


アメリカから来た少女
2021東京国際映画祭 邦題『アメリカン・ガール』で上映https://miekobayashi01.blogspot.com/2021/11/20211011.html
K'sシネマ 台湾巨匠傑作選にて上映(23・7〜8)

君は行く先を知らない
2021東京フィルメックス 邦題『砂利道』で上映
パナー・パナヒ(ジャファル・パナヒの息子)監督デビュー作
8月25日~



熊はいない
2022東京フィルメックス 『ノー・ベアーズ』として上映 
こちらはジャファル・パナヒ監督作品です! http://miekobayashi01.blogspot.com/2022/11/20221011.html
9月15日~

草原に抱かれて
2022東京国際映画祭最優秀アジア映画賞 邦題『へその緒』として上映
もう、本当に素敵なモンゴル映画でした。
9月23日~


トゥ・クール・トゥ・キル 殺せない殺し屋
2022中国・東京映画週間 『ザ・マジックアワー』(三谷幸喜)の中国版リメイク  映画祭時には「殺せない殺し屋」の副題はなかったかな?
7月8日~


兎たちの暴走
2020東京国際映画祭
8月25日~



●書きました! よかったら読んでください

よりぬき[中国語圏]映画日記
香港市民はどこでどんなふうに生きていくのか―『わたしのプリンス・エドワード』『縁路はるばる』 
TH(トーキングヘッズ)95(2023.7)アトリエサード・書苑新社


最後に「北岳花の写真集」おまけです!
タカネナデシコ

マルバダケブキ

タカネツメクサ

希少種 タカネマンテマ

チョウノスケソウ葉が小判型

ヨツバシオガマ(赤)とハコヨモギ(白)

決して飛ばないのだけれどどうしても正面はむいてくれないイワヒバリ

ハコヨモギ

タカネシオガマ

北岳頂上いっぱいのイワベンケイ

ハクサンイチゲ?

ウサギギク

シナノオトギリソウ

エゾシオガマ?

イブキトラノオ

とってもきれいなんだけど名前がわからない…
花の名前は見つけた時にガイドさんに聞くことが多いのですが、なかなか覚えられず。ゆったりの山行だと写真もじっくり撮れますが、ハードめなツアーだと写真を撮る余裕もなく、なかなかむずかしい。名前は間違いも勘違いもあるかも…。もし気づいたら教えてください。それでも山で花を見るのは好きです。

長々とお付き合いいただきありがとうございました。猛暑が続きます。皆さまどうぞお元気で…。

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