秋の映画祭(東京国際映画祭・東京フィルメックス)2022/10~11

 


秋の有楽町界隈・紅葉が見事!

【第35回東京国際映画祭】

①神探大戦②消えゆく燈火③私たちの場所④へその緒(Cord of Life 臍帯)⑤アルトマン・メソッド➅蝶の命は一日限り⑦グローブとカーネーション➇突然に⑨アヘン⑩コンビニエンスストア⑪蔡明亮短編集⑫エドワード・ヤンの恋愛時代(レストア版)(独立時代)

開場が有楽町・銀座界隈に移って2年目、フィルメックスと日程が重なったり、蔡明亮の特集など企画が重なったところもあって、どっちに行くか、という問題はありつつも、見やすくなったようにも思われるTIFF。私がフリーになったこともあって、昼間の回をせっせと通って正味6日で11本、「アジアの未来」と「ガラセレクション」から見ました。ほとんどはアジア(とその周辺?)の映画で、中国(語)圏映画は5本。コンペは全然見ていないので賞に絡んだ作品はありませんでしたが、それについてはこれからの劇場公開に期待です。★はつけませんでしたが、やはり映画祭に選ばれてくる作品はどれも力作、問題意識も高く、見て損はないと思われるものばかりでした。

なお、写真は映画のポスター写真も含め、すべて公開されたものを自分(スマホ)で撮ったものです。屋外のポスターなどもあり、かしいでいたリ、光の具合が悪かったりもありますが、お許しのほど…。フィルメックスについても同様です。


①神探大戦
監督:韋家輝 出演:劉青雲 蔡卓妍 (シャーリーン・チョイ) レイモンド・ラム 2022 香港・中国101分

『マッド探偵七人の容疑者』(2007)後日談だそうで、中国・香港合作といいながら舞台は香港、ことばは広東語、物語は20年前の因縁にさかのぼる猟奇殺人の解明、警察内部に犯人が?と疑われるも二転三転。好感度抜群のイケメンにある裏面、そしてそこに絡む父子の不理解と確執から和解までかつて香港映画でよく見たテイスト満載で、しかも昨年の東京国際で見た『リンボ』ほどにはアートに傾かず俗っぽさもあり「香港映画をみたー」という満足感に包まれる。
シャーリーン・チョイが妊娠中の現役捜査官であり20年前の被害者の一人、しかも同僚でもある夫は???で傷だらけの裸(過去―現在 このあたりもやっぱり香港映画的えぐさがが健在?)出産シーンから夫への愛と疑惑の表現までなかなかの大活躍。中年化した劉青雲もたまに渋みも漂わせる「狂気」の演技でがんばっているし。前と違うのはこの「狂気」の表現や形容のしかたが差別的にならないように気を使っている感じがすること。このあたりはやはり時代の流れを感じさせられる。
(10月24日 ガラ・セレクション 日比谷TOHOシネマズ・シャンテ 235)


②消えゆく燈火
監督:アナスタシア・ツォン(曽憲寧)出演:シルビア・チャン サイモン・ヤム セシリア・チョイ 2022香港103分


ネオン職人だった優しい夫が亡くなって茫然自失の妻は、夫のズボンのポケットにあった鍵をみつけ、10年も前に閉じたと思っていた夫の工房を訪ねて行く。そこで出会うのが夫に弟子入りしていたという青年レオ、彼の語るネオン職人としての夫の遺志に触れ、妻は自らも夫との記憶を再現するようなネオンつくりを決意し、工房に立つようになる。しかしオーストラリアでの、恋人とのより自由な暮らしや創造を求める娘は、母と弟子のネオンつくりに難色を示し弟子には新しい職を世話する…というような、香港のいわば失われつつある伝統工芸と、そこにまつわる母娘の確執(と、もちろん和解まで)を描く「文芸作品」。
声高にではないが、今の香港で失われつつあるものへの愛情と保存を目指すという意味で、香港の変化に異議を唱えているのではあろう。が、あまりに繊細?というか、ウーン、定式的でありつつ、そこでの小さな変化や演技の緩急に感情を盛り込むみたいなのは、途中いささかだれた感じもあって疲れた…。確かにネオンは(政府方針により)失われつつある香港の景物だが、外から言った観光客のみならず、現地の人々をまでこんなにひきつける香港らしさなのだとは思い至らなかった。もう一回の上映が夜9時過ぎからということもあるからか、平日午後の広い丸の内東映(今年から?会場に加わり、はじめて行った)大入りはさすが!(10月25日 アジアの未来 丸の内東映 236)


③私たちの場所
監督:エクタラ・コレクティブ  出演:マニー・シャーソーニ ムスカーン  アーカーシュ・ジャムラー 2022インド91分

エクタラ・コレクティブは創作集団の名だそう。Q&Aにはその一員でこの映画の脚本と撮影を担当したというマーヒーン・ミルザさんという女性が参加した。
映画はコロナ禍のの中で職を失い、住居もなかなか得られないというインドのトランスジェンダーの体験をもとに、実際に当事者的立場にいたらしい二人の女性が、住処を失い、家探しをする過程の話である。その一方のライラは学位を持ちNGOでカウンセラーをしている美しいインテリだが、ヘンな男に自宅に押し掛けられ周りの住民や大家からもそういう男に付きまとわれるのがあたかも彼女自身のせいであるかのように扱われ、住処を捨てることになる。彼女は日常的にはしっかり自立して生きているようだが、家族にはトランスジェンダーであることが受け容れてもらえず、危篤の祖母の見舞いにいくのに男装をするというシーンも。
その友人は別の友人宅の留守番にその家に住んでいて、1ヶ月くらいならとライラを受け入れる。彼女自身はいくつかの邸の掛け持ち家政婦?で生計を立てているが、ライラと一緒に集会に出て話をしたことが新聞に出てしまい、トランスジェンダーであることを隠したとして雇い主からの暴力を受ける。そのときに同僚が撮った動画が残って主人は告発されることになるが、妻が夫に代わって謝罪と弁明に訪れるシーン、妻の置かれた地位の低さも彷彿とさせるし、それに立ち向かうシマとらーざ?の、映画の中ではピカ一の格好良さ。二人の女性はつらい立場ながらしっかりいきようとするたのもしあが描かれるが、彼女たちを支えようとする男たちー特に三輪タクシー?の運転手のや、OOOの同僚とか、そういう周辺の理解もきちんと描かれ彼女たちが孤立した存在ではないことが描かれているのも好ましく感じられた。(10月27日 アジアの未来 丸の内東映237)
マーヒーン・ミルザさん
           
有楽町駅前パネルにて

④へその緒(Cord of Life 臍帯)
監督:喬思雪 出演:バダマ(母) イダー(息子アルス)2022中国(モンゴル語)96分 

民族楽器や現代的な音楽に取り組むミュージシャンの青年が、認知症になった母を引き取り内モンゴルの昔住んでいた家、さらにゲルを積んだサイドカー付きのバイクでモンゴルの草原の奥に、母の求める枯れた木?のある場所を求めて旅をするという後半は一種のロードムービーで、何とも美しく、最後はさらに幻想的に盛り上がっっていく母との別れ…。青年の奏でる音楽も豊かだし、都会でのライブの売れっ子が迷いなく母との暮らしを選び「作曲はどこでもできる」などというのは、認知症を描いたにしては少しきれいごとではない?と思えるふしもなくはないのだが、兄の狭い上下左右の隣家を気にしなくてはならない集合住宅での鬱屈した親子関係もきちんと描かれるし、母子が暮す実家の厳しい環境も描かれ、そして何より息子が母と腰で結び合った紐というかけっこうロープとかに母の介護が決して一筋縄ではいかなことが象徴的に描かれるのだと思われる。「紐」はこれが題名の由来だろうが、確かに息子が最後に母の腰の結び目を切り、母が…という極めて幻想的な美しいシーンは、やはり息子の解放というよりは母からの精神的独立?ととらえるべきなのかもしれない。とにかくきれいで音響的にも聞き入ってしまうというような美しさと若々しさが感じられる作品だった。(10月27日 アジアの未来 丸の内東映 238)

Q&A 監督とプロデューサー

⑤アルトマン・メソッド
監督:ナダヴ・アロノヴィッツ 出演:ヌーヤン・ウェインストック(ノア) ニル・バラグ(ウリ)ダナ・レラー 2022イスラエル(ヘブライ語)101分

イスラエルで柔道・柔術・空手教室を営むが経営不振で教室を閉じようとしているマッチョな夫、女優でコンサートを計画中の妻。二人が住むマンションの清掃をするパレスチナ人女性に、妻が苦情を言う、そして清掃の女性が不服そうに首をかしげるというようなシーンがあって、ある日、彼女が二人の住む部屋の門口で殺され、夫ウリが事情を聴かれるが、テロリストの彼女に襲われ無力化(ニュートライゼーション=中立化?)したのだと放免になるというよりむしろ賞賛され、武道教室には再び生徒が集まって繁盛することになる。
しかし、自宅にあった包丁の紛失、家の入口にある血のあと?そして警官の再びの事情聴取などから妻はだんだん夫に対して不安を抱くようになる―本当のところは明かされないまま妻がどんどん追い詰めらて行く感じは高級な心理ミステリーという感じで見ているときにはいささか疲れた。しかし終わって夫婦を演じた役者たちと監督が登壇したQ&Aで、なるほどね。それこそこの映画の目指したところみたいで、イスラエルとパレスチナという必然性はないような気もするが、実際にパレスチナ人の犯罪があるとテロリストとレッテルを張り、それに対抗・抵抗するような暴力に関しては無力化ということばでいわば正当化というかまさに真実から目を背け無力な感じを抱かせるような状況がイスラエルでは日常的であり、この夫婦もまさにそういうスタンスで、それに対する批判の目によって作られたのだという話だった。そういわれて見ればなるほど。妻は終わりで夫に警察に行ったとほのめかすが、これも監督は「答えを出さず問い続けて撮った」といい役者たちはそれぞれに「この妻は警察にはいかない(いけない)のだ」という食い違いが、大変興味深く、なるほどなあという感じだった。
そうみてくるとこの映画いわばイスラエルの一つの夫婦関係における女性の位置やモラハラ?っぽいところも描くようなジェンダー映画とも言えるのだが、そこまでは踏み込まないというのもなるほどというか、イマイチの物足りなさというか…
(10月27日 アジアの未来 日比谷・TOHOシネマズシャンテ239)

監督・主演者2人のQ&A

➅蝶の命は一日限り
監督:モハマドレザ・ワタンデュースト 出演:マンザル・ラシュガリ マルヤム・ロスタミ 2022イラン 78分


物語は実話に基づき、ダムに沈んだ村の、元は村でもっとも高い丘の上、今はダム湖に浮かぶ小島にある戦死(映画内では基本的に「殉教者」となっている)した息子の墓を、村や周りの勧めによって移転することもせず、丘の見える湖畔に一人で住んで島に渡ることをばかリ望む老女の日々を淡々と、しかし老女の心情としては息子の墓に詣でるためにあれこれと試し、物理的にも社会的にも常にはじき返され、息子に会える夢と現実の間を行ったり来たりしているというふうが描かれるのだが…写真家でもあるという作者(監督というよりは作者というべきだろう)の選んだ風景はロングショットの長回しで撮られていることもあり静止画のように美しいのではあるが全体に暗い(老女の心情を反映しているから当然ではあろうが)そこに現われる老女はロングショットかクローズアップ、老女以外のの人々はほとんど顔を見せず、声だけの人も、老女の夢に現れていると思われる息子は赤いセーターの腕だけ。したがって老女もセリフはほとんどなく表情と、はっはっと苦しそうな息遣いとか、硬い木の杖が床を叩く音とかだけで状況が表現される。監督はミディアムショットはポリシーとして認めないと言い切り、いわばきわめてアート志向で娯楽性を排したところに成立している映像詩とでもいうべきか。あとのQ&Aで英語通訳の約したりなさに文句をつけるという感じのアクの強さを見せた作者の,主張性を映像化したポリシーのある作品であることを実感する。ただし、残念ながら単調な部分もあって?寝てしまったのか、Q&Aで話題になったのにそれどこ?と思ったシーンも…。映画祭向き?以前だったらフィルメックスで上映されていた?とも思えるような石坂健治氏好みの作品で、一般公開の可能性は薄そう??
 (10月28日 アジアの未来 丸の内東映 240)

⑦グローブとカーネーション
監督:べキル・ビュルビュル 出演:デミル・パルスジャン(祖父ムサ) シャム・ゼイダン(孫娘ハリメ)2022トルコ・ベルギー(トルコ語・アラビア語)103分

シリア難民の祖父と孫娘が、祖母の棺を国境に運ぼうとしている。死者の遺言で故郷に葬りたいとのこと。ヒッチハイクで向かうわけだが最初の車には方向の違う分岐点で下ろされ、止まってくれる車もなく、孫娘の遊ぶ小さな木馬の足についている車を外して棺の後ろにつけて引っ張る祖父。口のきけないらしい羊飼いに親切にされお茶をふるまわれ、村の礼拝堂?のようなところで一夜を明かし、助けてくれた次の男は陽気だがトラクターのような車の後ろにぶら下げるように結びつけた棺のひもが切れ、またまた歩き出す二人は洞窟に泊まり、暖をとるため棺に寝かされた孫娘も、そばで遺体と並んで寝る層もそれぞれに恐ろしい夢を見る…とそんな感じでいつたどり着くかもわからず、おいおい何人かには助けられ、時にその人たちを助けたりもしているうちに棺が壊れとさらに絶望的な状況に。
この映画のセリフはほとんどが祖父と孫娘以外の人によって語られる。実は祖父が寡黙なのはトルコ語が話せないせいもあり、後の方では孫娘が祖父の通訳をする。実際に演じている少女もシリア人で、小学校でトルコ語を学んでいるのだとか。二人の目指す国境付近載せてくれたトラックの運転手が検問に引っ掛かり、二人を乗せた罪で拘束されてしまう、二人ももちろん。国境はいまだ戦争中で地雷原が広がって踏み込むことはできないのだと、警官・兵隊は語り、遺体は近くの墓地に葬られることになる。絵の得意な孫娘は祖母の顔を描いた絵とカーネーションを1輪墓に備えるが、老人は国境を目指して歩き出す、ということでトルコに置かれた難民の立場での望郷を色濃く描き印象に残る作品だった。グローブの方はいわゆる丁字で、車に乗せてくれた女性が歯がない?祖父に飴の代わりに与え、彼が妻の遺体に手向ける、要は二つとも死者への気持ち・多向けとしてこの映画に命名されたのだと思われる。(10月28日 アジアの未来 丸の内東映241)
 監督&プロデューサー
             

➇突然に
監督:メリサ・オネル 出演:デフネ・カラヤル オネル・エルカン シェリフ・エロル 2022トルコ116分

夫の仕事に従ってドイツからトルコ・イスタンブールにやってきて住む女性がヒロイン。彼女は実はイスタンブール生まれで、ある事情でドイツに住むようになっていて、母と妹は今もイスタンブールにいる。ドイツには帰りたくないと訴えた彼女は嗅覚の異常を感じ医師の診察を受けているが、その彼女が家出して今は空き家になっている持ち家にこっそり家出をするところから映画は彼女の孤独な彷徨を描いていく。
ドイツではホテルのマネージャーを10年していたということで―結婚と女性の職業ということもある種テーマになっているかと思われるが―あるホテルに住み込みでマネージャーをするまで、そこで朗読ボランティアをしている従業員と知り合い、またホテルに来るNPOの担当女性と知り合いそこを訪ねて行き、朗読の仕事を担当している視覚障がい者の男性と知り合い…などと話が進み、彼女の嗅覚障害、朗読や様々な街の音などを取り入れ、朗読の音性もということで聴覚、そして視覚障がい者との触覚的ふれあいとか、さまざまに描かれるいわゆるビジュアルだけが感覚ではないということによって描かれているのが面白いのだが…映画はやはり目で見るものということからすると、臭いのわからない映画というのは嗅覚障害の彼女そのものなのかなとも思えるし、印象に残る「感覚」シーンはたっぷりありながら、最後まで彼女が着地しない?どこに行くのかもわからない、その宙づり感覚そのものがこの映画の訴えているものなのかなとも思え、見た後の感じには少し不安が残る。彼女のひきずる足の謎が解かれ、母に嫌われた幼い頃の友だちとの再会・和解など映画的解決?シーンもあるので、最後まで何とか見ていられたのかもしれない。
(10月29日 アジアの未来 日比谷・TOHOシネマズシャンテ242) 

脚本のフェリデ・チチエキオウルさんと監督


⑨アヘン
監督:アマン・サチデーワ 出演:ヴィナイ・バータク シャリーフ・バーシュミ― まヌ・リシ・チャンダー 2022インド(英語・ヒンディ語)77分

インドの宗教事情を描き方も肌合いも違う5本にまとめたオムニバス作品。最初の2本はすごいインパクトで怖ーいという感じだった。
1本目は宗教対立?で敵対する側に襲われた一家とそこに逃げ込んだ敵対側の母娘、その娘を襲おうとする一家の主(昨日自分の娘があわされたのと同じ目にあわせるといっている)、抵抗されて外にいた味方側の若者たちを家に呼び入れて襲わせようとするが…、2本目は本のを面として顔につけたテロ集団?に襲われる陶工??
3本目からはわかりやすくなって棺代を節約しようと死に際した父をキリスト教から棺代のかからないヒンズー教に改宗させようかと悩む息子を喜劇的に描く。4本目はポークベーコンのサンドイッチの配達を頼まれて触れられないと悩む宅配サービスの若い女性、そして5本目は父を亡くした友だちのために儀式に必要とされる雌牛の糞を必死で探し回る小学校低学年くらいの男の子の話で、これは子どもは典型的なかわいい系のインド映画子役だし、話は『友だちのうちはどこ』みたいな味わいもあってなかなか見せる。
アヘン自体は出てくるわけではないが「宗教はアヘン」なるほどね!
(10月29日 アジアの未来 日比谷TOHOシネマズシャンテ243)

監督Q&A

⑩コンビニエンスストア
監督:ミハイル・ボロディン 出演:ズハラ・サンスィズバイ リュドミラ・バシリエヴァ 2022ロシア・スロベニア・トルコ・ウズベキスタン(ウズベク語・ロシア語)107分


ロシア・モスクワのコンビニエンスストアを舞台に、厳しい搾取にさらされるウズベキスタン人の出稼ぎ者である店員の抵抗と闘いと、そして…という映画。逃げ出し救援組織に助けられコンビニの女主人を追い詰めた彼女は故郷で母の病に対処することができず、結局モスクワに戻るという予想された選択ををする。そうか…という感じだ。(10月29日 ワールド・フォーカス 有楽町ヒューマントラストシネマ244)

⑪蔡明亮短編集
監督:蔡明亮 2015~21 台湾96分 (題字:李康生) 

映画館よりは美術館やTVなどを志向しているとも聞くという蔡明亮の、いかにもそれを体現しているかのような4本の20分程度の短編オムニバス集。これこそ映画祭でなければ見られないような企画かも。(1)『秋日』(2015・24分)は黒沢明を支えた野上照代を撮影、鼎談部分はすべて真っ黒な画面で英語字幕のみの日本語(これが結構聞き取りにくい、自然と言えば自然なのだろうが)井伏鱒二の弟子だった何とかいう詩人の話とかが多いが一部蔡明亮の映画を批評する野口のセリフ。彼女の顔のクローズアップが2回ほど、いずれも1分くらいかな?長回し。そして後半は砧の撮影所だそうだがベンチに無言で並んで腰かける彼女と李康生。(2)光(2018・18分)『あなたの顔』(18)の撮影場所になった台北・中山堂の建物をまず外から、次に中の廊下や壁、光が揺らめいて指す階段、そして赤いシートの並ぶくらいホールまで、静止写真でもいいようなものだが、光のさし方や揺らめきが独特微妙で、また時に小鳥の鳴き声、外の喧噪なども含む音の取り入れ方も独特で、なんかすごく落ち着くいい映画。(3)月亮樹(月と樹)(2021・34分)「月」は李珮菁で70年代「我愛月亮」をヒットさせたが、23歳で下半身不随になったそう。映画は彼女が阿弟という女性(ヘルパー?)に手伝わせ起床、洗顔・化粧から朝食、そしてリハビリをするシーンまでを撮ったあと彼女が歌う「我愛月亮」まで。後半は元?役者の常楓という老人の歩きたたずむ姿を家?から木々が茂り、光が揺らめく(すばらしく美しい)庭園の中まで、無言で追っていく。どちらも最後に簡単な献辞がついて、あたかも心に残る建物や風景と同じように彼らそのものを姿を描いている、(4)その夜(TheNight 良夜不能留)(2021・20m)民主化デモの後が残る香港・銅羅湾の町の風景を遠景静止画風に綴る。これも静止画風とはいえ、もちろん街の中を人々が行き交い、車が走り、やけだからヘッドライトやその他の街の明かりのが揺らめきつつ画面に静止したり動いたり、とくに荒れた歩道橋の壁の半透明に映る光や影の微妙なはかなさとか、この街の行く末を暗示もするような映像詩。音はほとんで自然の待ちの音なのだが、これも後半「良夜不能留」の歌声(佩妮1948?)が入りあたかも過ぎた昔をしのぶよう。いずれも蔡明亮自由に撮りたいものを撮りたいように撮っている作品だと思う。そしてアングルの切り方とかがやはりやたらとうまい!(11月2日 ワールド・フォーカス シネスイッチ銀座 東京国際映画祭 250) 


⑫エドワード・ヤンの恋愛時代(レストア版)(独立時代)
監督:楊徳昌 出演:陳湘琪 倪淑君 王維明 王柏森 金燕玲 1994台湾 128分

1990年代の台北、ある文化企業(とプログラムには書いてあるーイベント企画会社?)とその周辺の人々(社長モーリー、その婚約者で北京から帰ったばかりのアキン(軽い男)、社員のチチと夫ミンとその父、再婚した父の妻、社員後輩でクビになりかかるフォン、彼女と関係を持つアキンの友ラリー(妻子有)、この会社と関係を持つが仕事がうまくいかない演出家バーティなど)が入り乱れ立ち代わりのおもに仕事の能力とか、人間関係特に男女間の気持ちのずれや行き違いが、3日間くらいに凝縮して描かれるというもので、ウーン、見たばかりの今もイメージはあるのだが、筋書き説明などはとてもできそうにない。この映画もちろんレストア版になる前だが、見たはず、そしてそのイメージも今回と同じにあったのだけれど、筋などは全然覚えていなかった。まあ、覚えなくてもいいのかもしれない。一昔前の人間関係の凝縮がまだ求められていたころの若い感性の彷徨・模索という感じが濃厚(英題は『儒者の当惑』というもので、画面は折々フェードアウト(といっても一瞬で真っ黒)し、そこに儒者の言葉が示されるというわけで、物語性よりも各エピソードにあるアイロニーやユーモア?を見どころとすべきなのかもしれない。
(11月2日 ワールド・フォーカス 日比谷TOHOシャンテ 251)





【第23回東京フィルメックス】

①ノー・ベアーズ②地中海熱③ヴィサージュ④ソウルへ帰る⑤石門➅同じ下着を着る二人の女⑦自叙伝➇ホテル⑨すべては大丈夫⑩ナナ

資金不足に悩み、クラウドファンディングでようやく成立したとも聞く(ほぼ毎年寄付を少しはしてきたけれど、今年は日程を外してしそこなった!ゴメンナサイ!)フィルメックス。ロビーにいつも飾られる上映映画のポスターもなく、見た昼の回にはほとんどQ&Aセッションもなく、やはり寂しさは否めません。毎年夜9時くらいからあった回もなくなり、フルタイム勤務の人には見るのも難しい、ということもあったようで…。フル・フリータイムの私としてはチケットは取りやすくて、日本作品(これは後で劇場でも見られるだろうと期待して)以外は概ね見ることができましたが、やはり、力を感じさせる、もう一度劇場で見たいと思うような作品が多かったです。こちらは、一応★をつけましたが、後で見てみると長い作品には★がつきにくい。これは明らかに私の体力の反映?かもしれません(笑)
私イチオシの『自叙伝』がグランプリを取ったのも珍しいことで、うれしかったです。

①ノー・ベアーズ
監督:ジャファル・パナヒ 2022イラン 107分 ★★

東京フィルメックス開幕式+オープニング作品として。イランとトルコの国境のイラン側でトルコで行われている撮影をオンラインで指揮している監督・パナヒを主人公に、偽造パスポートを作り国外に脱出しようとしている撮影中の映画の主演俳優夫婦と、パナヒの暮らす村での「へその緒」関係(生まれたときに婚約関係を作ったうえで婚約した女性はへその緒をきることができるとか?)の男女と、その女性が別の男性と恋に落ちたために起こったトラブルにパナヒ自身が巻き込まれる二つの悲劇的な終わりを迎える話を描いていく。パナヒ自身がパナヒとして演じているのは前作などと同じで、これって虚実が本人にもわからなくなってしまうのではないかと思えてしまうが、迫真力もあり、なるほどの視点で、今のイランやトルコの状況(パナヒのいる場所から言えば「伝統」というものの恐ろしさも含め?)が普通の人々に及ぼしている影響というものを感じさせて興味深い。(10月29日 朝日ホール 東京フィルメックス245)

②地中海熱
監督:マハ・ハジ 出演:アメル・レヘル アシュラフ・ファラー 2022パレスチナ・ドイツ・フランス・キプロス・カタール(アラビア語)108分

ワリードはうつ病で2年ほど自宅にいて家事をしながら小説を書こうとしている。息子はしばしば体調不良で学校から呼び出しを受け「地中海熱」の疑いありと診断される。娘も、そして看護師をして生計の中心になっている妻も不機嫌で、家事を担うワリードの言うことはきかない。一家のマンションの向かい側の部屋に越してきた男はぶしつけで無遠慮で、と最初ワリードには困った隣人のように描かれる。このなんだか鬱陶しい感じの物語だが、借金を抱え妻に依存しながら配管や室内リフォームなどを請け負って好きなように仕事をしているという隣人の抱えるうさん臭さとともに楽天的な雰囲気に、死への願望を抱えたワリードが巻き込まれて行くように見えながら、どうも逆転劇が起こっているらしいとどのへんで見極められるかが、この延々と長く丁寧すぎるほどにエピソードを重ねていくこの映画の評価の分かれ目?かもしれない。
彼らはパレスチナ人で、息子が学校で地理の時間に「エルサレムはイスラエルの首都」と教える教師に「パレスチナの首都だ」と言い、批判されたことにより心理的な腹痛?ー地中海熱を引き起こしているーというようなエピソードも含めパレスチナ人としてのアイデンティティが関わっているのだとも思われるのだが、無知な日本人に日常的なエピソードからそれを読み解くことは残念ながら難しかった。「安楽死」問題も絡むがそのあたりの書き方はユーモラスに処理しているがやはり中途半端で、元気に見える隣人が実は…というあたりも予想もされつつ唐突感が漂い、ウーン結構難しくて、なぜこういう映画を作らなくてはならないのか、残念ながらこれもよくわからなかった。若い人にはわかるんだろうか、この映画
「学生審査員賞」を受賞している。(10月31日 コンペ 有楽町朝日ホール 246)

この二人は監督ではなく、審査委員

③ヴィサージュ
監督:蔡明亮 出演:李康生 ファニー・ファルダン ジャン・ピエール・レオ 陸亦静 レディシア・カスタ 陳湘琪  マチュー・マルリアック ジャンヌ・モロー 2008台湾・フランス 141分 ★★

ルーブル美術館の要請で、サロメを演出する映画監督と、彼の母の死をめぐる幻想的な映像片集積の141分。蔡明亮らしい長回し映像で、意味の分からない断片もいっぱいあるのだが、不思議に目を引き付けられ飽きることがないのはやはり映画の、または作家の力?ということだろうか。母の死は蔡明亮自身がこのころ母を亡くしたことに影響されているらしく、最後に「母に送る」という献辞が出る。最初の方で母は肉料理をし、その台所の水道栓が壊れてと夜中に小康扮する「監督」が家の中を走り回ってバケツや布切れなどを集め水栓をふさごうとするがかなわず家中水浸しという、初期の蔡明亮作品を彷彿するような長いシーンがあるが、これが怒涛のイメージがあふれでる、この映画の世界を象徴しているようでもある。本筋にはあまり関係がないような気もしたが、陳湘琪ら台湾の女優たちが、母亡き後の台所に集まる親族の女性を演じて冷蔵庫の中の痛んだ肉類などを処分するかしないかでもめるシーン、フランスの女優たちが、主がいない邸宅でのディナーが始まらないテーブルでワインを飲むシーンが東西対比みたいで印象的。マチュー・マルリアックと李康生の濡れ場?にかかる母の死の電話…、もちろん鏡の森とか雪、窓をテープでふさぐ女(この場面8分から4分に切らなければならなかったのが後悔の種と蔡監督のコメント)母の遺影の前で林檎やせんべい?をかじるファニー・ファルダンとそこに手を出す水槽越しの亡き母などなど。長回しの中で大写しになった役者の目に涙が浮かぶなんていうのも、さすがとは言いつつディープな映像だし、意味が分からないながらの吸引力に脱帽的な、長いようで短い141分の長尺だった。(10月31日 有楽町朝日ホール 東京フィルメックス247)  

蔡明亮・李康生登壇
               

④ソウルへ帰る
監督:ダヴィー・シュー 出演:パク・ジミン オ・ガンロク グカ・ハン 2022フランス・ドイツ・ベルギー・カタール(ハングル・仏語・英語)116分

乳児のときに韓国からフランスに養子になっていった女性フレディ(ヨナ)が、東京行きの便が台風欠航になったということからソウル便に変更してソウルに来て2週間滞在するというのが最初の場面、宿泊するゲストハウスでフランス語のできるフロントの同世代の女性テナと知り合い、彼女の勧めもあって養子あっせん組織に行き、親探しをする。父からはすぐに連絡があり、テナとともに全州に父を訪ね一家(祖母と、父が再婚した妻・娘たち)に歓待されるが、ことばも通じない状況の中、フレディは硬い表情を崩さず冷たいと言ってもいい状態で父の家を後にするというのが、最初の韓国訪問。この時も新しく知り合った同世代の人たちと飲みながら騒いだり踊ったりする場面での極めて人なつこいようなはしゃぎぶりと、決して自分の意に反するようなことにはうなずかない頑固さが同居したような若いフレディのツッパリぶりの若さはなかなかだが、話はその2年後、5年後、さらにその1年後へと飛んでいく。
2年後の彼女は皮の上着に黒っぽいルージュとすっかり返信して武器商人というフランス人と遊んでいる。そして5年後彼女はその武器商人と一緒に仕事をしながら(世界へのミサイルの売り込みと言っている)別の男性と一緒にソウルに来て父といつも英語通訳をしてくれる父の妹と会い(父とはメールのやり取りができるほどに和解し、ことばもしゃべれるようになっている)、食事をするが酒も飲まずベジタリアンに変身している。
しかし父の呼んだタクシーで帰る途中、パートナーの男を「いつでも私の人生から消せる」といい、次のシーンでは一人街をさまようというような不安定・孤独ぶりは相変わらず?実は彼女は連絡をしても会うとは言わない母に養子組織をつうじて電報を打ち続けていた。そしてとうとう母と会えることになり、その面会シーンがここで描かれる。母にもらったアドレス持った彼女が画面に現れるのはさらに1年後、あるホテルに投宿した彼女は母にハングルのメールを打つが、アドレスがなく送信不能という返事が返ってくる。ここでの彼女の状況の受け入れは今までになく静かで、ただ一人ホテルのロビーに置かれたピアノを爪弾き、そこに穏やかな日差し?が降り注ぐというもので、時間の流れの中での彼女の変化や成長?が描写によってあらわされているようである。(11月1日 コンペ 有楽町朝日ホール 248)

⑤石門
監督:ホアン・ジー(黄驥)&大塚竜治 出演:ヤオ・ホングイ ホアン・シャオション シャオ・ジーロン 2022日本 148分

2013年3月大阪アジアン映画祭で見た黄驥作品『卵と石』(撮影・大塚)は暗さ・重さでも、少女紅貴の性への目覚めでも力作という印象が残る。間にもう1本『フーリッシュ・バード』(17)は大塚との共同監督作品だが、これは未見。今回久しぶりに当時からの主演女優、大人になったヤオ・ホングイも見ることに。それにしてもわりとロングショットで観察的というか客観的なカメラワークのせいもあってか、なんか顔もあまりよくわからない主演女優の血の薄いような印象の薄さも意図的なんだろうが相変わらず。
前半、都市の客室乗務員の学校(大学の学科?)であまりやる気を見せず、同居し学資も5000元出したというボーイフレンドに怒られるリンは、あっという間に妊娠し実家に帰る。湖南省の故郷の町では両親が診療所を営むが、医療過誤の事故で死産したという被害者に対してなぜか(父には内緒で)母親が「活力クリーム」?とやらの販売をして稼ぎ倍賞金を払っている。父はけっこう威張っていて母に暴力を振るおうとしたりするから、この医療事故は母が起こしたものなのかな…このあたり長くて説明的描写よりはそれぞれの場面描写を重ねて状況を分からせるようなタイプの描き方とはいえ、寝てしまった?わけでもないのだが結局よくわからない。したがってリンが戻っても、母が相談にも乗り、体の手入れもしてくれて、「堕胎薬があるから飲め」と勧めるような、ある意味楽な環境とも思えるのだが母の口からは、この妊娠は人には言えないというような言葉がたびたび出てくるのは、ウーンやはり?(しかしお腹が大きくなっても店番しているのはどうなの?)
で、リンが考え出したのは、死産した夫婦に生まれる赤ん坊を提供し、母の払っている賠償を終わりにしようという妙案、なんかなあ、そんなのあり?だが、しかも相手夫婦も本人が乗り気そうというわけでなく、叔父かなんかが交渉役で、このあたりにも社会関係のむずかしさ?で、話が決まりあとはコロナ禍までの、リンの妊娠期間の生活が淡々と描かれていく。
終わり近くお腹の大きくなったリンがボーイフレンドと再会し、男は「僕らの関係をもう少し考えさせてほしい」とか脳天気なことを言い、リンは赤い紙に包んだ学資を男に返そうとするシーンがあるが、ま、親元にいて妊娠の身でアルバイトに励み5000元作ったという、リンの「独立」への成長ぶりと見るべきなのだろうか?それでも揺るがぬ赤ん坊の押し付け合い?みたいな状況は封鎖の武漢のコロナ禍でも続いていく…。
話の流れの中で客観的な距離を置いたような撮り方で、閉塞感はあるけれど、ウーン、なんかこの主人公に共感を抱くことができないような描き方での148分はいささかつらものがある。日本映画として撮られているんだ、が、日本映画っぽさはみじんもない。もう一つ髪をそってしまいヘア・ウィッグ、なかなかおしゃれなワンピースに10センチぐらいありそうなハイヒールのこの「母」の娘のやぼったさとは対照的なちょっと化け物じみてさえいる姿も、今どきの中国の母と思え、感慨深い感じだった。(11月1日 コンペ 有楽町朝日ホール 249)

➅同じ下着を着る二人の女
監督:キム・セイン 出演:イム・ジホ ヤン・マルボク チョン・ボラム 2021韓国 140分

「よもぎ蒸し」サロンを経営しながら女手一つで娘を育ててきたスジョンは外向きには明るく若々しく恋人もいて可愛らしい?女性でもあるが、娘に対しては極めて支配的・暴力的である。娘は教材販売会社に勤めながら家では母のために洗濯をしたりなどというシーンから。黙って母に従いながら心に不服を募らせている娘。「お前なんか死ね」という罵詈雑言を日常的に娘に吐く母はとうとうある日、娘に向かって車を急発進、引き倒して彼女に大けがを負わせるが、車の不備だとして自動車会社を訴えようという構えまでみせる。こう書くと完全にネグレクトを描く映画ということになるが、一筋縄ではいかないのは娘のほうもで、娘は裁判で証人となって母の故意であることを証言してしまう。
こうして母と娘は衝突を繰り返し、娘は家を出て職場の同僚の一人暮らしの家に転がり込むが、このあたりからその同僚に依存的になる様子がじっじわと描かれ、結局その同僚が彼女と距離を置き、職場もやめていくというような様子も描かれ、二人が表面は違うものの似た部分も持って共依存状態であったのではないかということが見えていく。
妻子ある恋人が離婚してスジョンと一緒になることを申し出るが、彼にも娘が一人、その娘との関係もなんか痛々しさのような感じで娘に拒絶されるスジョン、そんな事件もあり孤独になった母と孤独になった娘の関係は最後に娘の再度の家出で終止符?が打たれるが、ブラジャーを買いに行った娘が自分のサイズがわからないというラストシーン、ブラを買いに行くところが自立なんだろうし、今まで母とブラを共用していたような関係も垣間見えてなるほど、とは思える。ま、よくわかるのだがきわめて観念的に描かれた母子という感じで、ウーン、こんなふうにはいかないのじゃない?と終わりに行くほどそんな感じもするのだが。(11月3日 コンペ 有楽町朝日ホール252)

Q&A登壇は監督・女優・撮影監督。女優は主演ではなく助演のチョン・ボラム


⑦自叙伝
監督:マクラム・ムバラク 出演:ケヴィン・アルでロバ アルスウェンデ・ベニン・スワラ 2022インドネシア・仏・スペイン・ポーランド・フィリピン・独・カタール(インドネシア語) 116分 ★★★

刑務所に入った父の後を継ぎラキム(18歳)が管理する田舎の邸に主のブルナ(将軍)が一人車を駆って帰ってくる。大地主で権力者でもある将軍は地元の選挙に出馬し、電力の安定供給を狙って水力ダム開発事業の推進をうたいあげる。賛成者ももちろん多い(というか集会では自ら聴衆に大声で賛成を叫ぶように促すのである)一方、立ち退きを迫られて困る反対派もいるわけではある。将軍の顔を大きく印刷したポスターを街中に掲げる仕事を引き受け、ラキムは認められる。ある日集会への車を運転しているときに、ラキムは誤って軽い接触事故を起こす。ぶつけられた相手に(??工事をしている)に謝ることを勧め、相手方はぶつけたのが将軍の車であったというゆえに抗議を引っ込めたのだが、将軍はラキムに「謝ることによって相手の気持ちも変わるのだ」と諭す。刑務所にいる父は「人を信じてはいけない」と意味深長なことば。またある日出かけた将軍とラキムは町外れの橋で将軍のポスターが破られているのを見つける。将軍はラキムに犯人を探すように言いつけ、ラキムは川からビール瓶を拾い上げる。友人の伝手で街で1軒の酒屋で前夜ビールを買ったということから、ラキムは一人の青年を探し当てる。その青年に謝まれば許されると説得して、彼は青年を将軍のもとに連れていく。ところが将軍は青年を打ちのめしラキムに内緒で病院に運ばせるが翌朝青年は死亡…、そこからラキムの苦悩がはじまる。
60年代軍事独裁政権だったインドネシアの、権力の横暴や腐敗ー警察は、将軍のもとを離れもともとあったシンガポールへの不法出稼ぎに行こうとするラキムを阻止すべくこの出稼ぎあっせんの男を摘発するが、青年の死に関わった将軍やラキムが罪に問われることはなく、最後には死した将軍の葬儀に飛行機が遅れて到着しない将軍の妻の代わりにラキムは息子がわりとして親族代表の挨拶をすることになる…、というこの先の彼の行く末の黒い影?さえも感じさせる展開。ウーン。素朴な美少年のラキムの顔に複雑な陰影があらわれていくのも見ものだ。怖い怖い「自叙伝」だった。11月5日閉幕式でグランプリとして発表。(11月4日 コンペ 有楽町朝日ホール 253)
           発表と、監督マクバル・ムバラクさんの挨拶


            

➇ホテル
監督:王小帥 出演:寧元元 野夫 2022香港 112分(北京語・タイ語)★★★

コロナ禍、中国ー世界が封鎖される中タイ・チェンマイのホテルに足止めされることになった3組のペア、大学教師の于老師と教え子だったその妻(と彼女に関心を持つ?画家)、于老師に親し気に近づく20歳の女性Sova (プログラムではこの名だが、字幕には漢字もでて違う呼び名だったけれど、ウーン忘れた!)、彼女は母親とこのホテルに滞在するものの別室をとる。これが第2章とされた最初のセクション、第3章は目の治療に来たという全盲?の男性と、世話役の若い男。周囲からはゲイカップルともみられる二人だが、ソバはこの若者に興味を持って近づき若者のほうもまんざらではない。そしていよいよ『HOTEL』本章?、于老師の妻は中国に帰りたく、しかしそうでもない于との口論、妻のコロナ感染の疑い?あるいは盲目の男性の若者への恋?そして…驚くべきソバ母子と于との関係!最初の閉塞的ではあるがのんびりしたプールサイドなどの描写から、後半は驚くべき劇的展開もあってびっくりさせられる。全編モノクロでサイズも35m?なのだが小ささを感じさせない。今までの王小帥映画を彷彿とさせるものではない、一味違うという感じもあるが、それでもやはり王小帥と感じさせる映画世界だった。于老師を演じる野夫は作家でもありこの映画の脚本にも参加している。(11月4日 特別招待作品 有楽町朝日ホール 254)

⑨すべては大丈夫
監督:リティ・バン テキスト:クリストフ・バタイユ  ナレーション:レベッカ・マルデール 音楽:マルク・マルデール 2022フランス・カンボジア(フランス語)98分 ★★

2013年10月に映画祭の合間を縫って、当時の勤務先に近い早稲田松竹でやっていたのを見に行った『消えた画クメール・ルージュの真実』は印象の深い映画だった。監督名が当時と変わっているし(当時はリティ・バニュ、本人の意向で今は原音に近い「バン」だそう)最初は気づかずに見ていたのだが、始まってちょっとで、ああ、あの映画…と思いだしつつ。今回は迫力の点ではいや増し、前回はクメール・ルージュは幼時の自身の生活や記憶に結びついて形で語られているように感じたが、今回はもっと広く、世界に蔓延する暴力や、権力の横暴、コロナなども含む様々な恐怖・狂気の蔓延という形で、野ブタの権力者に支配されるジオラマ社会、6つに区切られた監視カメラでコントロールされる泥人形の人々の姿という寓話として描かれる。ゆったりとしているが緊張感をはらむ音楽の低奏に載せ、語られるテキストも詩的でありながら警告的でもあり、ウーン、映像は鮮やかで、人形群は激しく動くわけではないが、コントロールカメラ様の6画面にはヒトラーなどのアーカイブ映像も含めさまざま世界・自然なども展開して狭いような広いような、しかし作者の強い意志と意図を感じさせる作品であったのは確か。昨夜の仕事であまり眠れず最初のうちは、断続的に流れるナレーションにハッとして目をあげると画面が進んでいるなどということも何回かあるにはあったのだが、後半かなり意識して見なくてはという感じになった。Q&Aがあって、監督の機関銃のようなトーク(フランス語。彼はクメール・ルージュにより家族・両親を失った若いころ、何とか逃げ出しフランスに亡命した)を聞いてなるほど分かった、という部分も多く、公開されればもう一度確認鑑賞をしたいもの。(11月5日 クロージング・特別招待作品 有楽町朝日ホール  255)
 
(左)自作について語る監督リディ・パン(右)彼はフィルメックス審査委員長でもある


⑩ナナ 
監督:カミラ・アンディ二 出演:ハッピー・サルマ ラウラ・バスキ アルスウエンディ 2022インドネシア 103分 ★★

最初の場面は赤ん坊を抱えたナナが姉とともに逃げる森の中から。夫は兵隊にとられ、女たちも軍に?さらわれ、姉妹を逃がして父は殺されるというような状況が、行ってみればナナの夢想?の場面も含めて描かれる不穏さ。次はそれから15年後、夫と4人の10代から生まれたばかりの子どもも含めて、平穏な暮らしをするナナの姿が典雅に描かれる。時は66年頃でスハルトの政権奪還?がラジオで語られているが、比較的高齢の夫との暮らしに「政治」の影が差すことはあまりなく、むしろ女のあるべき暮らしぶりのようなことが女性たち(豊かで暇そうな奥さんたち?)の間で話題になったりし、夫に垣間見られる女性の影、やがて同居に至る第2夫人イノ(実はナナ自身が第2夫人?、集まりに別の少し年上の女性とナナとの娘を連れて出かけ、見送るのはナナという場面がある)の出現。自由を希求するイノに目を開かれていくナナ。先の夫との間の子は亡くなり、今の夫との間に生まれた子は他人に預けないと育たないという占いにより上の2人までは親戚や姉に預けて幼少期を育てたのだというような経緯も語られる。そんな中で突然15年ぶりに元の夫が生きて帰ってくる。二人の場面はなんか『花様年華』を思わせる麗しさというか…そして…最後にナナは幼い末の子をだけ抱き、上の子たちはそれぞれ夫や、親戚にそれぞれの意志で引き取られ(この場面、子どもたちを並べて親戚のおじさんが、子どものゆく先を一人一人聞いていく場面がなんかすごく衝撃的。子どもたちはそれぞれに自分たちを育てきれない両親への批判もあるのだと思われ…)出てゆくナナなのだが、これは独立なのか、それとも単に捨てられた?だけなのかあまりに描き方が雅で闘争的にも描かれないので、ウーン。そこが意味深長なところかもという、ジェンダー映画なんだろうなあ…。トラン・アン・ユンの映画を思わせるような、静かで雅で、しかしそこに女性の意志がうごめいているのが透けるというような映画だった。(11月6日 特別招待作品 有楽町朝日ホール256)

授賞式・関係者の記念撮影
            
以上、お疲れ様。読んでくださってありがとう。
次回【映画日記】は映画祭以外の11月分を12月のはじめに更新する予定です。

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