スマホ写真で綴るアフリカ大陸最高峰・キリマンジャロ登頂記2024・12 .22~2025・1.1

©️よしこ  とうとう登った!キリマンジャロ・キボ峰24・12・27カランガキャンプから 

このブログはPC仕様で作っています。『電影★逍遥』で開いてください。このままスマホでもご覧になれますが、少し見にくいかも…ゴメンナサイ!


12月29日早朝、頂上ウフルピークを目指して歩く→ついた! 写真©KOMURA×3


↓頂上付近氷河とその先に見えるメルー山→寒い!ということで直ちに下山開始!©よしこ

【旅のはじめ】

実は、1ヵ月前までまさか行けるとは思っていなかったキリマンジャロ。なにしろ5895m!、登頂率は50%とも、30%のツアーもあったとも。ま、平均すればそれほどではないのかもしれないが、私の周りにも高山病で肺水腫になったとか、時間切れで登れなかったとか、ヘリで搬送されたというような話はゴロゴロあって、なかなかハードルが高そうな山ではあったのだ。

行くことになったきっかけは11月に歩いたエベレスト街道。同行のMさんが昨年1月にキリマンジャロ・マチャメルートを歩いていて、とーってもよかったと繰り返しおっしゃる。テント泊のマチャメルートは、皆がよく登るマラングルートより高度順応日が1日多く登頂率が高いのだそう。彼女の年齢は私よりちょっと下だけどまあほぼ同年代、一緒に歩く様子を見ても、ならば、私にも行けるかなと思わせるところも…。

しかもこのエベレストツアーで添乗をしてくれたKAさんは昨春のアンナプルナ・ダウラギリのシャクナゲツアーからのお付き合いで、次は12月22日からこのルートの添乗をされるという。登山ツアーは、特に高齢者(体力にあまり自信がない者)にとっては添乗員(ガイド)の判断・采配によって登れるかどうかが決まってくる面がある。KAさんと行けるなら、私のことをよく知ってくださっているし、その場で具合が悪くなって倒れたりしない限り登頂の可能性も高いかな…。早速西遊旅行のHPを見てみると、な、な、なんと「残席わずか」だけれど空きがある!ならば、今、行くっきゃないだろうと、ちょうど1カ月前の11月21日ネパールから申し込みをしたというわけだ(ちなみに私の申し込みでこのツアーは満席13人に)。
幸いにも、エベレスト街道で高度順応もある程度できているわけだし、必要な健康診断書もエベレスト街道に出したものをそのまま転用できるというので話はトントン拍子に進んだ。

【マチャメルート】概念図は西遊旅行HPより拝借しました!


マチャメルートは、マラングルートとは違い、山小屋はないので全日キャンプ地でのテント泊になる。ただし、テントはポーターが担いで上がってくれ、私たちがその日到着するまでにテントを張って荷物をいれておいてくれる。
そのテントもゆったりした二人用に1人で泊まることもできるので、きわめて快適で、山小屋の蚕棚のようなベッドに寝るよりはよほど安眠できる(って私だけかもしれないが…昔けっこうテント泊をよくしていたので)。
食事は食材を担いで上がってクッキングテントで調理。大きなテントにテーブルやいすも担いで上がってくれて食堂用テント、さらに男女それぞれのトイレテント(キャンプ地の公衆トイレよりずっと使い勝手がよい)を設置してトイレマスターが管理してくれるので、そういう生活面では実に快適な山行である。 


【歩いたのはこんなコース】  ⇒専用バス ➡歩行 

①12月24日 モシ⇒マチャメゲート(1800m)➡①マチャメキャンプ(3010m)テント泊
 10.5㎞ 7時間18分(休1時間)↗1285m↘77m 

②12月25日 マチャメキャンプ➡②シラキャンプ(3845m)テント泊
 4.6㎞ 6時間6分(休1時間10分)↗873m↘62m

③12月26日 シラキャンプ➡ラバタワー(4600m)➡③バランコキャンプ(3960m) 
    テント泊 9.6㎞ 8時間44分(休2時間3分)↗837m↘674m

④12月27日 バランコキャンプ➡バランコウォール➡④カランガキャンプ(4035m)テン
    ト泊  4.4㎞ 4時間57分(休1時間2分) ↗453m↘386m

⑤12月28日 カランガキャンプ➡⑤バラフキャンプ(4645m)4時間11分 
 深夜23時ウフルピークへのアタック開始

⑥12月29日  ➡ステラポイント(5730m)➡ウフルピーク(5896m)7時10分到着(登頂成功‼️) 8時間(休50分?)
      ➡バラフキャンブ 11時30分帰着 4時間
  下山 バラフキャンプ➡⑥ミレニアムキャンプ(3820m)*地図上赤マークあたり?
      2時間(15時半〜17時半) テント泊

⑦12月30日 ミレニアムキャンプ➡ムウェカゲート(1641m・13時着)⇒モシ
    12.3㎞ 5時間43分(休7分) ↗22m↘2162m
    ムウェカゲートで登頂証明書交付。

全体の時間・距離は以下のとおり(ヤマップ・スクリーンショットより)

【旅の参加者は12人+44人+1人!】

今回、日本からのツアー参加者は12人(定員13人のはずだったが、前日に病気になったという1人がキャンセル。残念だけどキリマンジャロは病を治して体調万全で参加するほうがよい)それに添乗員のKAさん(+1人)。
ツアーメンバーは、医師2人、看護師理学療法士(途上あちこちで痛みが出た人には施術をしくてださる)、電力会社勤務2人(お一人は某原発、もう一人は退職後の嘱託勤務?で…)、米稲の選別・育種などをされる技術者?自衛隊員(さすがにすごい体力!)、世界(中)に顧客のいる公認会計士事業家の女性とその旅のパートナー(退職後という男性)それに私の、女性5人男性7人というわけで、なんともまあ、山においてはかなり頼りになりそうな山歩きの力量もそれなりにそろったーってことは一番年上の私がいちばん弱いと見てさしつかえないだろうーメンバー。年齢も30代からせいぜい60代までで、元気のありそうな人びとである。写真©KOMURA ×2 


私たち12人をサポートしてくれるのは総勢44人のサポート隊。トップのㇾボさんを中心に6人のガイドは私たちと一緒に歩くが、そのほかに2人のコック2人のウェイター、さらにテント係や、トイレマスター、また私たちの荷物を担ぐポーターなど大勢の担当が登山隊の荷を担いで後先を歩き、次のキャンプ地に先行してテントを張って私たちの到着を待ち、言い方を変えれば、このキリマンジャロ山域の観光産業を支えつつ、本人たちの暮らしを立てているわけである。
この人々けっこう階層社会?で、ガイドたちがトップ、次がコック、ウェイター、ポーターの順だそうで、収入もそれに伴うので、着ているものとか登山靴などを見ると相当に差がある。キリマンジャロガイドになるためには(もちろんポーターなどにより実地経験を積んだうえでであろうが)4週間500ドルのガイド学校の研修を受けることが必須だそう。そしてもちろんキリマンジャロ全域の全コースについて精通していることも求められる。
一行のうち、全行程のプライベートポーターを頼んだ1人についたチャールズ君はガイドを目指して研鑽中だそうで、荷物を担いで歩きながら依頼主の歩きのサポートもしてくれていた。そういう様々な立場の人が協力して登山隊を支えてくれているのである。

↓立ち並ぶサポート隊とテント内で挨拶をするガイドさん
  

そして+1名の添乗員は私には24年3回目のお付き合いになるKAさん。私にとっては娘ぐらいの年代だが、たのもしく頼りになる存在。キリマンジャロは12回目!(ネパールのほうも多分20回以上は歩いているはず)ということで、彼女の、現地会社ガイドからポーターまでを含むスタッフとの距離の取り方や交渉力はなかなかに抜群!といってもよい。客の役に立つように現地スタッフに要求しサービスを実現させ、また特に食事の面などでは日本からいろいろな食材なども持ち込んで現地スタッフの調理を補ったりレシピを教えたりそんなことまでしている。また、毎日の歩行では、参加客のようすや体調などにも気を配りながら、難しい面があると現地スタッフ(ガイド)に個々のサポートをするように指示をしたり、また特にアタック時などには現地スタッフと客の間に立ってスピードの調整などもしていたようである。
他社のサイトなどによれば、現地スタッフは、もちろん生活のために働いている人々で、アフリカのポレポレのお国柄?もあるのか、一般的には決して勤勉な方たちばかりではなく、労少なくして稼ぎが多いことを求めるムキもあるのだそう。そこでスタッフにも客にも満足のいくようにスタッフに働いてもらうのが同行添乗員の役割なのだそうだが、その点では、現地スタッフと対等に親しい関係を築きながらきちんと仕事をしてもらうという点でのKAさんの働きはさすが、というほかない。

今回その恩恵を最も受けたのは多分私?で、最近胃腸の調子で高度順応がしにくくなってきた私の心配をよく知ってくれ、初日から登り道では基本的に私をトップ(先行ガイドの次)を歩くように配置してくれた。全体的にペースはゆっくりゆっくりであるが、私の歩きであれば若い屈強の方などは遅すぎてイライラするということなどもあったのかもしれないが、今回のメンバーは山をよく知っている方が多いのと、6000m近い高度は初めてという方も多かったので皆さん「謙虚」に歩いてくださり、おかげさまで登りに関しては常に私自身がほぼペースメーカーであった。で、無理せず、ゆっくりではあっても(まさにスワヒリ語のポレポレ!)止まることはなく、意外に「楽」に歩くことができた。
また、登山2日目に高度順応がややうまくいかず、山酔いっぽい症状を発した時からあと、様子を見ながらガイドに荷物を持たせてくれ、日本から全行程のプライベートポーターを頼むことはしなかったのだが、必要な場面ではプライベートポーターに近いサポートもしてもらえて(しかも日本から全行程を頼むよりも割安に上がった)本当にありがたかった。

「荷物を持ってもらう」ということについては、以前に、自分で持てるというのに、添乗員に「あなたが倒れるとみんなが迷惑する」とか言われ無理やり荷物を奪われて、あげく荷物を持てない人はあの〇〇峰には連れて行けないと排除された経験があり、私の中では常に警戒心がある。したがってツアーでは荷物も軽く必要最小限しか持たないように(私の30Lデイパックは正味345gしかない)していて、今回もそうではあったのだが、「山頂にアタックする体力を温存しよう」というKAさんのことばには納得できるものがあり、お願いしもちろんチップもお支払いしたのである。

さて、いよいよ旅日記です!

【12月22日~23日】成田~仁川~アジスアベバ(~キリマンジャロ空港)

成田空港第1ターミナルに17時30分集合、以下の便で韓国・エチオピア経由でタンザニア・キリマンジャロ空港に向けて出発する。これからしばらく、山を下りるまでは飲めないなあ、ということで成田での待ち時間に生ビール1杯、機内食でもワインなどを頼んで、気分的に「登山」「高地」に備えたつもり。

エチオピア航空ET673便 成田21時発 →韓国・仁川24時着(韓国側の都合?とかで、仁川では同じ飛行機をいったん下り、セキュリティチェックなどもあったのち、再び乗り込んで再出発ということに)仁川25時半発(11時間40分の飛行) 
→エチオピア・アディスアベバ7時45分着(現地時間で6時間戻る。以下同様)
アディスアベバ10時35分発 →キリマンジャロ空港12時55分着

この間、成田・仁川間、仁川・アディスアベバ間2回、アディスアベバ・キリマンジャロ間1回の合計4回の機内食。韓国積み込みの機内食にはキムチのパックもついている。お味は概ね大味というか変化がないが、タンザニアに入ってからの最後の昼食は魚を選んだらわりと美味しかった。ウーン、座っているのになぜか空腹に。
ほとんどは夜間飛行なので、寝ていることが多く、今回機内映画は??
アディスアベバ・キリマンジャロ間は窓側の席で下の景色を楽しむ。ケニアの間は褐色だった大地が、タンザニアに入ると緑色になったのが印象的だった。

ケニア→タンザニアへ
昼食(フィッシュは美味しい)を食べて、間もなく到着


飛行に関しては順調にほぼ予定通りの時間で到着したのだが、キリマンジャロ空港の入国審査のすさまじさ…。暑さの中ぎっしりの人込みの列で2時間近く並んで待たされクタクタに。
列が短くなる気配もなく


迎えに出てくれたガイド・エリーさん(タンザニア・西遊?)の案内で専用バスでモシのホテル『パークビュウ・イン』へ。約1時間、16時過ぎに到着。外は夏の温度だがロビーにはクリスマスツリーが飾られている(南半球だから、当たり前か…)ウエルカムドリンクはマンゴージュース。ホテルには中庭にプールがあり、そこからは夕刻のキリマンジャロがくっきりと顔を出していた。

↓バスは ジャカランダ咲き、羊の群れる道も通り

↓ホテルに到着/ロビーのクリスマスツリー
  
プールサイドからのキリマンジャロ(初対面)

19時 別棟レストランにてビュッフェの夕食。ここからはビール・ワインは自粛。帰りには飲むぞ~というわけで…

↓明日からへの期待も高まる夕食

夕食後、明日からの登山荷物をダッフルバック60Lに(実はこれも前記Mさんから拝借していったもの)詰める。10Kgにおさめなくてはならないが、6泊分、季節も夏から零下15度?までと聞くと、これがなかなか難しい。
ホテルの部屋・詰め終わったダッフルバック


【12月24日】モシ⇒マチャメゲート(登山開始)➡マチャメキャンプ

朝、ホテル本館の4階テラスから、あらためてキリマンジャロと対面。最初雲に隠れていたのがみるみる雲が切れ、しかし残念ながらこれ以上の姿はみせてくれなかった。

朝食後、いよいよ専用バスで登山に向けて…


8時ホテル出発、ダッフルバックを屋上に積んでマチャメゲート(1800m)まで約1時間のバス旅。入山準備後、10時いよいよ7日間のキリマンジャロ登山を開始する。

マチャメゲート全容…ここで添乗員が入山申請をする間、支度をしながら待つ。

右(下)はガイド・スタッフの皆さん
↓登山口にたたずむKAさん。そしていよいよ歩き始める。先導はたくましいロッキーさん。
 
雨も降ってきたが大降りになることはなくなんのその…そしてお昼(ランチボックス)

道々見ました!



さらに歩いて、ちょっと休んで、とうとうついたマチャメキャンプ
↓こうして、毎日記念撮影。ちょっと気恥ずかしい気もしなくはないが…©KOMURA
キャンプはこんな感じ
個別テント/食堂テント/トイレテントの中

食堂テントの中はこんな…
夕飯は大皿で運ばれて好きなだけとってくれる。野菜の煮込みをご飯にかけて食べた!愛想のいいウェイター(歌や踊りもすごく上手でリーダー)ニョカ君

私のテント(NO3)は、この日はトイレに最も近い場所で助かった(というか、案外いつもそれなりに便利な場所に設置してくれたようで、偶然なのか、配慮してくれたのかはわからない)が、上に木が覆いかぶさっていて、夕刻から降った雨がいつまでもやまないと思っていたが、夜中外に出ると星空‼に驚く。木から落ちるしずくがずっと雨音をたてていたということらしい。それでも夕飯もしっかり食べ、安眠が妨げられることもなく、まあ快調

【12月25日】 マチャメキャンプ➡シラキャンプ


             

7時 朝食は毎朝みそ汁とお粥が出て、その後にパン・チャパティや、卵、ソーセージ・野菜・果物などが大皿で運ばれてくる。脂っぽいものはあまり食べられなかったが、KAさんがいつもながら日本から運んでくれるふりかけ類もあって、美味しいお粥と味噌汁、それにマンゴーやスイカで腹ごしらえはしっかりできた。

↓朝食と同時に荷物をテント前の1か所に集め出発準備/出発前後ろにキボ峰/そのキボ峰に向かって歩き始める©TAKANO 

今日の先導はサムスン君―背が高く腰の位置も高くそこにつけたテントマットが私の目の前に
覆いかぶさるよう。仕方なく、少し間をあけて歩く。
森林限界を越えヒース帯へ。天気はイマイチで残念ながら見えるはずの山々(メルー山、シラ峰、キボ峰)はここではあまり見えない。↓@TAKANO /©KOMURA/©TAKANO

↓上(左)©TAKANO/中©TAKANO/下(右)ポーターたちも一緒に登る

↓ガイドさんたち/山には首に白い輪のある大きな烏がたくさんいた(写真には白い輪なぜか写らず)。
12時トイレのある休憩地で一休み(お昼はまだ。行動食だけ)
↑上(左)©KOMURA

この日の花など
キノコも/レッド・ホット・ポーカー

さらに歩いてー滝のある水場©TAKANO/©TOMIZAWA/©TAKANO

途中滝のある水場があった。ここを歩いているとき水音に誘発されたのか?突然に吐き気に襲われる。あれれ?空腹だから?吐き気止めを1錠飲んでしのいだつもりだったが、そのあとちょっとした岩場があって登って下りた―後ろを歩いていたTさんが「さすが!山女!」と励ましてくれたのを覚えているーそのとたんに強烈な吐き気が来て2~3回えずく。特に吐くほどのものはなく生唾だけだが。
ガイドのロキさんが荷物を持ってくれたので1時間くらいだがキャンプ地まで空身に。雨模様にもなり助かる。優しいーでも怒ると猛々しくもなるみたいーロキさんはこのあと、5日にわたって、私の半プライベート・ポーターのようにお世話になることに…。

↓空身になった私©KOMURA/雨の中を歩く©KOMURA/14時シラキャンプに到着©KOMURA
 ↓雨のテント場
              
この日はこのあとシラケーブ(洞窟?)に行くはずだったが、結局雨が上がらず、テント内で遅いランチ、続いてお茶、そして雨止みを待ちながら休養ということになったので、私としては大いに助かった。今まで予防薬として飲んでいたダイアモックス(半錠)を、一応この夕方は1錠(治療薬として)飲む。
6時半の夕食の時には吐き気もおさまり元気回復、食事もそこそこにはできるようなり、ほ…。
↓テント内の夕飯。パスタ・ライス・野菜ソース・キューカムバースープの豪華版 ©TOMIZAWA

【12月26日】シラキャンプ➡ラバタワー➡グレート・バランコバレー➡バランコ・キャンプ


 雨が上がって空気が澄んできたのが心地よい。朝のキャンプ地で遊ぶ。 
キャンプから見たキボ峰/反対側はメルー山(タンザニア第2峰)
上(左)©KOMURA 

この日はシラキャンプから、緩やかながら長い坂をダラダラ約800m登って4600mのラバタワーに。その後名物ジャイアントセネシオの「森」を通り抜けて700m下り、今日のキャンプ地バランコキャンプへという、コース内随一の高低差を歩く日。先導はフランシス君。

体調はほぼ回復したが昨日のことも考え、朝ダイアモックスを一応治療薬として1錠、五苓散1服、それに4000mを越える日から2日間朝昼飲むように、出発前にトラベルクリニックで指示された薬2種類シアリス・レナデックス(各1錠)を飲んでみる。これは医師によれば血管を広げ血流を良くして酸素を取り入れやすくする、というような話だったが大失敗の気も。歩き始めるとフラフラして、かつて低血圧症だった時のような感じ…。血管が広がり血圧が下がってしまった?高山病?よりもその方にいささか参ってしまった。2日間分を処方されていたが、1回だけで投薬中止。

8時出発。キボ峰を正面に臨む上り坂は広々して、ちょっと岩がゴロゴロしているものの、見かけはそれほど歩きにくい道とは思えないのだが、10歩 歩くごとに、立ち止まり息をととのえないと進めない感じでなかなか進んでいかない。2回目くらいの休憩で心配したKAさん「アタックのための体力を温存した方がいい」とアドバイスをくれ、またもロキさんに荷物を預けることにする。さすがにそのあとは楽になり歩も進み、元気にラバタワーまで到達した。
後で聞くと同行の若いメンバーたちの中にも、この登りでは息が切れて苦しかったという人も何人か、なるほどそういう、一つの難所だったのね、と納得する。

↓キボ峰が見える石ゴロゴロの道を登っていく©TOMIZAWA×2

©TAKANO×2(左(上)・右(下)  
しばし休憩

13時 ラバタワー・キャンプ(4600m)に到着 ここでランチ
ここは、キャンプ地になっていた。(右・下)©KOMURA 
ラバタワーでは食堂テント(とトイレテントも)張ってくれてランチが提供された©KOMURA
雲が出てきたキボ峰

14時 
さて、いよいよ今度は700mの下り。ここはもう大丈夫ということで荷物は自分で担ぐ。


下って下って…グレートバランコバレー とうとうジャイアントセネシオの「林」が現れる。
©KOMURA
 
林立するジャイアントセネシオ

その森を抜けて下りていく
 
16時半 やがて見えてくるのが今日泊るバランコキャンプである
バランコキャンプに到着©KOMURA
          

【誕生会】
この日のキャンプでのメインイベントは、なんと、同日の今日還暦の誕生日を迎えたMさんとKさんの誕生祝い。モシから運び上げたという赤と緑で飾られた(ちょうどクリスマスカラーだね)バースデイケーキが供され、テント前でみんなでお祝いをする。お二人は赤い上着を羽織ってまさに還暦祝い!おめでとう!Mさん!Kさん!

ケーキを出してくださったコックさん/こんなステキなバースデーケーキ!

おめでとう!みんなで祝いました!お二人には忘れられない誕生日だろうなあ!©KOMURA
  
夕暮れのバランコキャンプに浮かぶキボ峰と/夜半のキボ峰©KOMURA/そしてこんな幻想的な景色も。こちらはメルー山。©よしこ

18時半夕飯 今日はショウガ入りキャロットスープ+おでん?ポトフ?風煮込み野菜
このころになると体調は復してきて、脂っぽいもの以外は何でも食べられるようになってきた。この日も快調・安眠


【12月27日】 バランコキャンプ➡バランコ・ウォール➡カランガキャンプ

バランコキャンプ今朝のキボ峰
             
6時半 朝食は例によって味噌汁とお粥から。お粥にはKAさん持参のふりかけ類。


8時出発 今日は一番で2時間の岩稜バランコ・ウォールを登る。手も使ってよじ登るという感じの岩山だけど、実は行程中けっこう楽しみにしていた得意(というか好き)分野。その上、今回は体力温存で丸一日、ロキさんにザックを背負ってもらうことにしたので、私にとってはラクラクな一日だった。
もっともロキさんは今日はツアーの先導役で、前後にザックを背負っては登れない岩壁も少しだけれどあって、他のガイドにちょっと手伝ってもらったり。そのくらいの急坂だったわけだ。ごめんなさい!ありがとう!

バランコウォールに向かって進む
前後にザックを背負うロキさん/いよいよ登り始める©IWASAKI

こんな感じで登って登って…©IWASAKI×3
 
©KAWAZOE
しばらく登ると眼下に昨夜泊ったバランコキャンプがよく見えた。

軽やかに登っていくポーターさんたち©TAKANO/こちらもエッチラオッチラ/©KOMURA   
いよいよトップに近づいた©TAKANO 

10時 壁(ウォール)の上に到着。スタッフがお茶のテーブルを出してティータイム。ジンジャーティーが体にしみて美味しい/記念写真も©KOMURA×3  

10時50分 下って沢へ=カランガバレーまで2時間

休憩時間に写真を撮るワタシ・ちょっと余裕も?/さらに歩いて©KAWAZOE×2
ヘリクサム(ムギワラギク?)/セダムダシフィルム?
岩場に名前?やなにやかや…一つの記念スポットらしい。
さらに歩いて30分登りカランガキャンプへ…

14時50分 カランガキャンプに到着 すでにテントがしつらえられたキャンプ場/今日1日お世話になったロキさんとヤッタネ!
 

15時半、遅いランチはいつもながらに豪華(フルーツツリーも)
       

16時半 スタッフ紹介―歌や踊り付き―が行われ40名あまりのスタッフと、総勢の参加者が一堂に会する。




最後にみんなで記念撮影も!

スタッフさんたちー踊りも歌も抜群、いつもにこやかなウェーターニョカさん/クッキングテントで調理中の面々/壊れた椅子を繕うポーター


この日の夕食は、なんとちらし寿司!食材はKAさんが日本から持参したもののようだが、味付けも上手にできていて、久しぶりに!おかわりまでしてしまった

夕暮れのキボ峰(カランガキャンプから)


【12月28日】カランガキャンプ➡バラフキャンプ

さて、いよいよ最終アタック地バラフキャンプをめざしてカランガキャンプを出発する。
8時、正面にキボ峰を見ながら出発。この日もザックはロキさんに預けることにした。
まずは緩やかに登り、いったんちょっと下る。


10時半、岩場に赤いシートを敷きランチボックスを並べて待つウェイター氏、
ランチボックスの中身はどれも美味しくて、ゆで卵を除いて、チキンも含め完食
ランチ休憩中のガイドさんたち/昼食休みの私たちを追い越していくグループも…


アタック前最後のキャンプも間もなくということで、ガイドさんたちは何となくリラックスしているようにも見えるが、こちらもここまで来れた、体調もまあまあいい感じ、という安堵とともに、やはり夜に控えたアタックへの緊張感も感じずにはいられない。


ランチ後ふたたび短いが急な登りを登りきったところがバラフキャンプである。
12時すぎ バラフキャンプに到着
とりあえずは大はしゃぎ?の私たち…・KAさんも一緒に女性6人のJump!
↓男性陣も負けずに??
   

ここから、夜11時のアタック開始まで、準備をして、休息をとる。昼食と、アタック前の軽食の2回の食事もして腹ごしらえも…という感じで忙しいのかのんびりしているのかわからないバラフキャンプ滞在となるが、それでも到着後しばらくは期待と不安に高揚した面々、はしゃいで過ごしたのであった。

昼食時、あらためて6人のガイドが紹介され、代表ㇾボさんからから楽しみつつ、しかし決して楽なルートではないので気を引き締めて登ろうと挨拶。歩けなければ撤退もありうるとの念押しも…。
↑テントで準備中??

ヘッドランプの電池を交換。衣類はほぼすぐに出られるように、上着以外は支度をし、ザックも詰め5時までには寝て体を休めるように指示がある。
というわけで、さっさと仕度、さっさと眠る?私は意外に快調でしっかりゆっくり休んだと思う。

10時起床、ザックをもちヘッドランプで食堂テントへ。3ℓのお湯ももらうーそんなに飲むかなとも思ったが、「自分でかつぐわけではないから」というKAさんのことばに従い…。
出発前にお粥とスープなどの軽食をとる。
     

出発前、KAさんから、プライベートポーターとのマッチングが発表される。
最後のアタックに関しては希望すれば50ドルでプライベートポーターを雇うことができ、私はもちろんだが、12人の参加者のうち8人まではポーターをお願いした(1人には引き続き全行程のプライベートポーターがつく)。空気の薄いところでの8時間の暗闇山歩きには誰もがちょっと不安はあったのだろうと思われる。
ポーターたちは、スタッフの中で、このアタックの時間手の空く人々が引き受けてくれる。
私のポーターはムディ君。ザックを担いでいつも後ろに寄り添って、励ましの声掛けをしながら歩いてくれ、休憩で止まると「water?」と声をかけて水筒を出してくれるなど、至れり尽くせり。とても助かった!

この夜の私のいでたちは、といえば、上は山用の肌着(タンクトップ型)+メリノウールセーター+薄手ウインドブレーカー+ライドダウンジャケット+ゴアテックスの雨具上着、下は肌着+メリノウールタイツ(新規に購入)+薄手のパンツ+ダウンパンツ(これも今回購入)+ゴアテックス雨具オーバーズボン、それにゲイター(スパッツ)という重ね着スタイル。ソックスもいつものウールに普通の比較的薄手のと2枚履きしたが、これは登りはよかったが下りはつま先がつまって痛い!(失敗した)。グローブは、山用の厚い手袋が私は苦手なので、実は普段使っているフリースに、今回7-11で見つけて買ったスマホが操作できるという合成皮革?のようなプラスチックの手袋を重ねてみたのだが、それで十分だった。頭はネパールで買った裏フリースの耳まで隠れる毛糸帽と昔買ってあまり使わなかった黒の毛糸ゲーター。途中多少手指の先が冷たいなと思うことはなくはなかったが、足は履いていったのは雪山用ではなく、3シーズン用のトレッキングシューズだったが、全然問題は感じず、私って意外に?山の寒さには強いのかも…
      
深夜11時、いよいよキボ峰頂上に向けてアタックを開始する。出発前には残念ながら、暗さも暗いし、記念写真の余裕なし。

【12月29日】 バラフキャンプ➡ステラポイント➡ウフルピーク(往復)

先導はウォルター。KAさんの配慮で、私はトップにおいてもらえ、ウォルターは驚くほどにゆっくりゆっくりのペースで歩き出す。
深夜のことゆえ、ヘッドランプの灯りの範囲外はほとんど見えず、ランプの灯りに浮かぶ先導ガイドの足元を追っていく感じだが、歩みはゆっくりだし、息が切れることもなく、上の方(歩いていく人々の灯りがところどころに四角く白く浮かび上がっていた)を見る余裕もある。下界モシの灯りもよく見えたが、こちらは休憩の間だけ。
暗闇のヘッドランプ歩きは少々心細くはあるが、前後をポーターやガイドが囲み、歌ったり声をかけてくれるのが大変に心強い。

と、順調に歩いていたのではあるが、夜中1時ごろ、しばらくウォルターのピッチが上がり、少し必死にならないとついていけない感じが出てきた。ただ10〜15分くらいで休憩になり、この時は少々息を切らして座り込む。
KAさんがそばに来て「今までのペースだと、後ろの方で体が温まらないという声がでている」と言う。ーそれ来た!全体のペースを上げるからお前は後ろからゆっくりついて来いーとなるのかな?とちょっと警戒(それをやられたら、多分私は脱落するかもと思った)。しかし、実はそういう意味ではなく「だから今まで少しペースを上げた」ということだったらしく、再びトップを歩くように言われ、ウォルターのペースも元に戻りーというか上げた片足を他の方に接触させてから前に出すという、足早のガイドが時々見せる歩き方ーで速度調節をしてくれ、おかげで私もペースを取り戻し、そこから後は頂上まで、私としては意外なほど楽に登ることができたのである。体が温まらなくてつらかった方にはゴメンナサイだが、KAさんの采配の妙によって結果的には全員揃ってほぼ同じ時間にウフルピークに登頂できたのだと思う。

もっともさすがに深夜8時間の長丁場、後ろのムディ君はさかんに「Don't sleep!」  と言ってくれるのだが、「Idon’t sleep,but my legs sleep」とまさにそんな感じ。意識は冴え冴えとしているが、時に足がもつれたり、ということはあった。

5時すぎ明るくなってきた山頂近く ©KOMURA 
ご来光を仰ぎ、6時ステラポイントに到着した。ここまでくると「登頂証明」が出るとか。


さらに頑張ってウフルピークを目指す。だんだん明るくなり、足下はしっかり雪道に。

途中、無断で私たちのツアーの写真を撮ろうとした?現地の人に向かって、ロキさん怒り爆発、取っ組み合いの一幕もあり、なかなかに刺激的な朝登山ではあった。




7時10分 ウフルピーク登頂。12人全員揃って登れました!


頂上にはけっこう人がいっぱい ©KAWAZOE

私自身は元気でしたが、寒さゆえの操作ミス?か、頂上でスマホが動かない!時間もない!ですので、この頂上写真はほとんど同行の皆さんが下さった写真で構成しています。オハズカシイ!

寒いので10分ぐらいの山頂滞在で直ちに下山にかかる。
滑りながら雪道を下り、8時すぎ再びステラポイントへ。お世話になったプライベートポーターのムディ君とのツーショット


これもムディ君
 

ここからの下りは夜中に登って来た道なのだが、明るくなってくるとまったく印象が違うのに驚く。ザレ土で足がかりが少ない感じ。ムディ君とロキさんが疲れていると見たのか、私を両側から挟んで腕をつかんで下りてくれようとしたのだが、これは足がつかず、左右の高さもまちまちでものすごく怖かった。すぐにこれはご辞退し、ムディ君に腕を組んでもらって片ストックで支えながら下りる。とっても快調で、前を同じように歩く何人ものペアを追い抜き、ゲームのように楽しくおりる。ムディ君も時々ズルッと滑るので、その時はこちらが支え、協業感もちょっと味わえて…。さすがにKAさんは一人スイスイ下りていたが…
10時、下の方にキャンプ地が見えるが、そこからさらに休憩も入れると1時間半くらい。
その最後の下りはさすがに長く感じられたのだった。

 



↓難所を過ぎて一休み。左(下)はロキさんとKAさん

11時半 バラフキャンプに戻り昼食・荷物まとめ

13時半出発ミレニアムキャンプを目指す。下りるにつれて天気が崩れてくる。


       
キボ峰に別れを告げて…ほぼ平地?なんだけれど下っていく。
↓ちょっとわかりにくいが原野に並ぶのは、遭難して亡くなった人を運ぶカートとか。道々時々こういうカートが道端に置いてあったりして、なんかドキリとさせられる。
ブラシフラワーの群落を通り抜け、やがてミレニアムキャンプ(ハイキャンプ)…

17時20分 到着 お疲れ様!
テント場と、少々お疲れの夕飯…いや、これはお茶か…
テント泊最後の夕飯はなかなか豪華な肉料理?スープも含めて完食!
そしてお休みなさーい!

【12月30日】 下山 ミレニアムキャンプ(3820m)➡ムゥエカゲート(1641m)⇒モシ

朝のテント場風景
         
一気に2000m以上下山の朝、いよいよ登山も終わりだなあ、登頂の満足感と一抹の寂しさも感じながら下山の準備をする。5時にモーニングコールのお茶、6時朝食はいつもより1時間早く、朝食が終わると早速にスタッフはテントの撤収にかかる。
      
7時出発
             
歩いたのは「花の道」
プロテア/インパティエンス?/ストーベ?(Gレンズで調べてみるがよくわからない)
インパティエンス(とガイドは言っていた。「象の鼻」とも/あとは??

花の写真は撮ったものの、名前がわかるのは限られていて、お手上げです!



10時50分 ムウェカキャンプ(3080m)に到着/左(下)©KOMURA
さらに歩いて…大木や、ガイドさんが見つけたというカメレオンにも遭遇






けっこうぬかるみもあり、木段のようになっているところもあり、私は左足が弱いので、ちょっと滑って、お尻はつかないものの、あれれ!が2、3回。心配したのかKAさん、ロキさんを私の後ろにつけてくれる。彼に花の名前を聞いたり、飴をあげたりなど、ちょっと和気あいあいに下りることができた。彼は後ろから日本語で「ポーターさん、来ます」(それまで私が後ろを見ながら前に声をかけていたのを覚えて)と声をかけてくれるが、その声が意外に優し気で和みつつ…。

14時 最後の休憩 14時50分ムウェカゲートに到着



©KOMURA


ゲートでKAさん下山手続き中、しばし待機。売店でキリマンジャロのTシャツ(コットン・20ドル)を購入。早速着がえる。久しぶりに洗面台(タンクから足踏み式で水を流す)もあって、ちょっと感激。丁寧に手を洗った。


そこから専用バスで近くのレストラン兼・土産物屋に移動、ここで登頂証明書授与式+スタッフも一緒に最後の午餐会。スタッフからアフリカンソング・ダンスの披露があり、みんなで踊って最後のひと時を楽しみ盛り上がった。

中庭にいろいろな動物の置物があるレストラン/回廊式のレストラン席
買ったばかりのTシャツに着がえて満足!/スタッフたちも席に着いた…
今日は心おきなく飲めるキリマンジャロ・ビール/どっさりの豪華昼食/フルーツツリーも

↓最後の仕事をするウェイター・ニョカさん、ThankYou!/カンパーイ!
登頂証明書授与式 一人一人名前を呼ばれて証明書をいただき、お世話になったポーターさんとハグ! /ムティさん
もう一人のマイ・ポーター(実はガイド)ロキさん。本当にお二人のおかげでこの登頂に成功することができました/登頂証明書はわりと地味!ですが…。

ガイドリーダーのㇾボさんの挨拶

このあとはみんなでアフリカンソング・ダンスで盛り上がる


そしていよいよ旅の最後の記念写真。全員登頂証明書を持って…、本当によかった!
          
この日は、このあとお土産を買ったりしてモシの街へ。スーパーで買い物をしてから初日に泊まったホテル『パークビュウ・イン』に戻った。

17時 モシのコーヒー問屋は売る気なし?/隣のスーパーへ
スーパーの前でキリマンジャロワインの試飲。甘味が強くてお味はウーン、イマイチ。ここではコーヒーや、キリマンジャロ図柄のパックに入った紅茶(山の上でも毎日飲んだ)、それに缶ビールなどを買う。どちらも癖がなく美味しく飲める味だ。/17時半 懐かしの『パークビュウ・イン』

19時半 1週間(以上か)ぶりのお風呂にゆっくり入ってサッパリしたあと、ホテルのレストランで、いよいよこの旅最後の晩餐。再びビールやワインも心おきなく、食事は行きとほぼ同じだったが、話題はみんなで成し遂げた登頂や、では次の旅は?と盛り上がり、23時までのパーティとなる。みなさん、本当にお世話になりました! ありがとう!!





【12月31日】モシ⇒アルーシャナショナルパーク⇒キリマンジャロ空港〜アディスベバ

行きには半分雲隠れだった同じアングルからのキリマンジャロ。別れの朝!
↓同じホテル4Fテラスからのモシの街

6時半 ツアーグループから離れ旅を続けられる2人をホテル前で見送り/今回の部屋は行きとは違ったが、こちらも広くて快適。朝にはコーランの朗誦が聞こえる。ここはイスラム国でもあるんだ…
ホテル前にはレッドジンジャーが咲き誇る/朝ごはん/ホテル外階段からプール

8時 専用バスでアルージャナショナルパーク・サファリに出発する。


今更ながらだが、タンザニアは車は左側通行だった!/ジャカランダ咲く道を行く

9時50分 公園入口に到着。ここからサファリ用のジープ?に乗り換える。
いよいよサファリに出発 しかし残ながら6倍レンズのカメラでは、ウーン動物はあまりはっきりとは撮れず。双眼鏡も持っていくべきだった?ただ、気分としてはいろいろな動物(ここには肉食獣はいないのだそう)のゆったりと過ごす様子を見られて気分は解放される。


かなたのキリンたち


フラミンゴの群れが飛んだが、残念ながらその瞬間は撮れなかった…/昼食はアフリカらしい?四阿?の下、ホットランチが供される。



その後もサファリを続けながら、13時50分、公園のゲートに戻り、専用バスに乗り換えてキリマンジャロ空港に向けて出発した。

↓土産物屋もちょっと覗き、別れを惜しんで…バイバイ!サファリ・タンザニア!

14時37分 キリマンジャロ空港到着(出国手続き)
これは本当は撮ってはいけない?写真らしいけど…/搭乗

17時20分 エチオピア航空ET814便にてアディスアベバに向けて出発
窓際席でタンザニアに別れを告げる。2時間半ほどの飛行だが、機内食もちゃんと出た(アフリカ風味)。飲み物はビールで… 


19時50分 アディスアベバ到着
3時間以上の待ち時間は長い。最初は予定の搭乗口近くで備え付けのリクライニングベンチ?を占領して、同行の皆さんと作ったライングループに、撮った写真をアルバム登録したりして過ごしていたのだが、時間近くなってもあまり人が集まらないので、念のため確認すると、案の定搭乗口が変更になっていた(それもかなり遠い)。あわてて移動したりしてけっこうバタバタしてしまう。

↓広くて、人がいっぱいの空港/ようやく搭乗開始


22時35分 エチオピア航空ET672便にてソウル仁川に向けて出発
ここも、乗ってすぐ(夕飯?)と4時間後(韓国時間の朝食?)と、2度の機内食


【1月1日】 〜仁川~成田
15時半(韓国・日本時間) 11時間半の搭乗後、ソウル降機
単なる降機なのだが、ここのセキュリティチェックはけっこう厳しくて、水はすべて没収。小さなテルモスに半分入っていたお茶も中身を捨てられた。
17時 日本に向けて再出発
成田行きに乗り込むと、韓国時間の昼食?が供される。キムチのパックのついた韓国仕様で、お味もなかなか。ワインと水もいただいて、日本入国に備える??/飛行機の床カーペットはクリスマス仕様のままのリボン柄。


19時20分 成田到着 とうとう旅も終わりました!

うわ!日本だわァ、という空港光景

あー、長かったキリマンジャロ・トレッキングでしたが、この記録作りもとんでもなく時間がかかってしまったのは、いちいち味わい、再度追体験?しつつ、1ヵ月楽しんでしまったからでしょうか。

この記録は、いつものように旅行中に撮ったスマホ撮影の写真中心に構成しましたが、けっこうハードな登山ということもあり、自身では撮れなかった場面も多かったし、すばらしい写真の腕をお持ちの方が同行者にも多くて、いろいろな方が共有してくださった写真、特に私自身が写っているスナップとかを使わせていただきました。わかる範囲で撮影者のお名前を記しましたが、今の段階ではお名前が落ちてしまったものもあり、ごめんなさい!今後直していきます。また、集合写真は基本的に添乗員のKAさんが撮影してくださったものです。この点でも皆さんありがとうございました。

あくまでもツアー参加者の一人としての私の個人的記録ですので、他の方から見ると勘違いや、ミスも多々あるかもしれません。問題があれば是非お知らせください。改訂をしていきたいと思いますので。花の名前なんかは調べても調べても、わからないとか、ガイドさんが教えてくれた名前が見つからないとか…、これも調べても調べてもきりがないのであきらめました⤵ 詳しい方教えていただけたらうれしいです。

多分、私にとっては生涯最高峰の登山ということになりますが、本当にすばらしい体験ができました。11日間、間6泊7日というキャンプ生活、いつも励まし、仲間に入れて下さった同行の皆さん、支えて下さったスタッフの皆さん、本文中にも書きましたがなにより行き届いたお世話をくださったKAさん、それに今度こそあきれつつ、私の向こう見ずな旅を許して送ってくれた(それも年越しに…)家族に深く感謝したいと思います。

みなさん、ありがとう!

旅から1ヶ月…2025年1月26日 小林美恵子 xiaolin091@gamil.com








































































































































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