スマホ写真で綴るトルコ逍遥日記 2024/6・12~19

カッパドキアの上空・夜明けを飛ぶ気球を気球上から 20240613
赤く明るく見えるのはちょうど今火を放って上昇しようとする気球

【とうとう行ったトルコツアー 6月12日~19日】

ネットで遊んでいるときに偶然見つけた「美しき魅惑のトルコ8日間」(阪急交通社)
ウリは「お1人様限定」「カッパドキアで気球に乗れる」―イスタンブール・カッパドキア・エフェソスと周って国内線にも2回乗るのに意外に安い35万円!(これはほんとに売り文句、一人部屋代金というのはかからなかったけれど燃油代やオプションと言いつつ結局全員参加になったボスフォラス海峡クルーズ、それに売り込み盛んなお土産などで、とてもとてもそんな額ではおさまらなかったのだが…)、日にちも何とかなる!
トルコは昔から気になりつつ行けなかった国だし、ツアーというのはどうもね、とは思いつつ、最近よく行く登山のツアーは楽しいし、寄る年波にそれこそ今がラストチャンスかもと思い気がついた時には申し込んでいた(笑)…というわけで例によってスマホ写真集です。気球に遺跡にクルーズ、モスクや宮殿と、大量の写真の整理に四苦八苦で、upが遅くなってしまいました。

【旅の仲間】
今回ご一緒したツアーメンバーは20人(山に比べるとちょっと多いのは仕方ない)27歳から70代後半?まで。女性15人、男性5人。1人参加を選んできた人ばかりなのでツアーといっても自立性が高い方たちとお見受けした。20人いると1週間では最後までお話をしなかったという方もどうしても出てきてしまうが、それでもライングループを作って写真を共有しませんかと呼びかけたら15人の方が参加してくださり、それぞれ個性的な旅の話や、日常の話などもラインで書いてくださったりして、旅の情報の共有もできてよかった。
添乗員はA.Sさん(女性)。あまり口を出したりリードしたりはしないがしっかり目を配り支えて下さる有能な方だった。ありがとうございました!
(探しても、さすがに全員の集合写真というのはなく、イスタンブールでのせいぜいこんな感じ↑)

【今回の周遊路はこんな感じ↓】

①青(イスタンブール→カイセリ・カッパドキア)航空機
②赤(カッパドキア→パムッカレ)専用バス
③緑(パムッカレ→イズミール)専用バス
④紫(イズミール→イスタンブール)航空機


【トルコ逍遥記】6月12日~19日 


6月12日(水) 
10時35分TK0051便 成田出発→トルコ時間18時イスタンブール着
20時30分イスタンブール発(国内便)→23時カイセリ着

飛行機の中では、中国映画『人生路不熟』(易小星2023)テュルク語映画『プリンセス・ナジク』(エルキン・サリブ2012)トルコ映画『Son Aksam Yemegi(最後の晩餐?という感じ?料理人の映画。レベント・オナン2023)などを見て(何しろ13時間)けっこうおもしろかったが、紹介はゴメンナサイ、省略! 字幕は中国語・英語だった。

SNSではターキッシュエアラインの機内食はすご〜く美味しいという評判あふれ楽しみにしていったのだが…名物のフムスつき、サワーチェリー(ジュース)とワインと両方頼んで食べた食事はまあふつうかな?でもパンはいつも比較的美味しかった。メニューをくれるのも注文しやすくていい。あとかわいい絵柄(帰りはシックな無地)のポーチにはいったスリッパ、アイマスク、歯ブラシセット、耳栓などの一式も最近はあまりお目にかからなくなっていたのでちょっとうれしい。
↓2回の食事後、イスタンブール空港到着(大きい!)
国内便をカイセリまで乗り継ぎ、到着は深夜11時。日本時間だったら明日の朝5時ということに。ああ、疲れた。もはや何もせずダウン。

カッパドキア カルセドン・ケーブスイーツ(洞窟ホテル)泊
ライトアップされたホテルの全景
外庭から入る部屋のドア前にはスーツケースが運ばれて、洞窟の雰囲気いっぱいのなかなかおもむきある部屋…ベッドも特大、ずーっと奥まって広いバス・トイレルームがある。


6月13日(木) 

朝4時出発 気球に乗りに6時~7時1時間の搭乗(気球に乗るとは「搭乗」?「乗船」?なんていうんだろう…)
風などで朝になって運航中止になることも珍しくないそうで、今回のツアーでも2回も予備日が設けられていたが、幸い最初の予定どおりに搭乗。カッパドキアの凸凹壮大な眺めとその上を飛ぶ100くらいの気球を楽しんだ。1つに20人くらい乗れるので2000人くらいは一緒に飛んでいた?ことになる。やがて空の上で下(横?)から上る朝日を見たのも感激。
気球に乗る前には軽食、降りたあとはシャンパンで乾杯、そして乗船証明書もいただく。もちろんチップもちょっとはずんで10€!

↓飛び立つ前火を入れる気球・スタンバイ中の気球群・飛び立った!
 


↓飛ぶ気球の下に朝日が上る・だんだん空いっぱいに・下からガスを燃やす気球を見る
  
↓無事下りて迎えのトラックの荷台にカートが着地・地面いっぱいに広げて回収・飛翔の成功を祝ってシャンパンで乾杯!
  

カッパドキアを歩く
気球乗船後、いったんホテルに戻り朝食。その後、専用バスでカッパドキア市内観光に出かける。ガイドは昨夜から来てくれたエルジャンさん。

↓モスクの塔が建つ朝の洞窟ホテル・おいしかったホテル食堂の朝食(ビュッフェ)


カイマクル地下都市
↓さあ、入るぞ地下都市・入り口でガイド、エルジャンさんの説明・チケットを買う

↓入場ゲート・入るとこんな感じに天井が低い・石の壁に穴が穿ってある

↓これは大きな石の扉。真ん中の穴に棒を通して転がして閉じたとか
やっと暗闇から出ると外は土産物屋、バスの止まる広場の向こうにはここもモスクの塔


さてちょっと一息?のトルコ石店

まずはお買い物案内からというのもどうなんだろう…案内されたのは美しいトルコ石の並べられた宝石店。お茶はごちそうになったものの、ただ見とれるだけ…。ン十万円もするようなものが多かった気がする。





鳩の渓谷
 
「鳩の渓谷」とは一体何なんだ…と思ったが、このカッパドキアに林立する柱状の岩山群、特に下の方中心窓のような四角い穴がたくさん穿ってある。それは人の手で作った鳩の巣なのだそう。鳩は神聖な大切な鳥ということらしい。そのような岩山群とそこに群がる鳩たちがいるのが「鳩の渓谷」なのだった。真ん中はブルーの目玉みたいなお守りがたくさんぶら下げられた木。

             

ウチヒサールバーレ(バーレはValleyだね)
ラクダも馬ものんびりと…お昼は橋を渡ってかまどの珍しいレストランへ


↓エフェスビールを頼んで、トルコ式昼食
↓レストラン前の広場から向こうに林立する柱状の岩山
               

ギョレメ野外博物館 
「ギョレメ」とは「見えない・見てはいけない」という意味だとか。真っ暗闇の石窟内の隠れたキリスト教の秘跡っていうことか…これらの石窟はキリスト教がイスラム教の迫害を逃れて隠れるために掘ったものらしい。
猛暑の中、ただもう圧倒されて、見るしかないという岩に掘った窟とその中に描かれたキリスト教に題材をとったフレスコ画。石窟内の写真は撮れなかったが、絵柄は違うものの一つ一つの雰囲気は敦煌の石窟を思い出させるようなところもある。あんなふうに並んでいるのではなく、あちらこちらに点在しているという感じではあるのだが。
↓まずは、入り口から・岩山群だが意外に花も咲いている
↓ゲートを入ると三角の岩をくりぬいた、これは教会だとか。
↓トイレもいかにも石窟ふう・ 石窟内のフレスコ画について説明するエルジャンさん


↓ここから一人歩き、ここだけは有料(13€)の暗黒教会(ダーク・チャーチ)を見に行く。中の壁画は撮影禁止だが、他の無料石窟とは違ってさすがに鮮やかだった。
その後も集合時間まで一人歩きの石窟めぐり


トカル教会
ギョレメ博物館の中にある岩窟教会。「トカル」は「留め金」で、天井から留め金が下がっていたことに由来するのだとか。中には青色が美しく残る壁画-天井画があった。

バラの渓谷
赤っぽい?土に夕日が映えるとバラ色に輝くというのが、この谷の名前の由来らしい。なかなかに壮観、な景色だった。
こんな展望所から見渡すことができる。

裏側にそびえるのはアクテぺ山。頂上にトルコ国旗がはためき呼んでいるようで、いつか登ってみたいと心誘われた。登り口になる?途中の丘まで探索に行って見たが、ボロボロの砂のようなザレ土で、スニーカーでは歩けない(少なくとも軽登山靴は必要そう)。
↓登ったの丘の上からのローズ・バレー


この日は早めにホテルに帰ってのんびり。何しろ東京から飛行機を乗り継ぎ2時間くらい寝ただけで気球に乗り、さらに熱暑の中、バスでカッパドキアの中をめぐったというハードな初日のツアーだったので…

My Hotel  Life(洞窟ホテル)
↓左側下の2つ並んだ部屋の右側、窓もドアも小さい方がくじ引き?で当たった私の部屋。部屋によって形も調度も色々でベランダ付きや、窓の大きい部屋もあったらしいが、私の部屋は奥に細長く(とはいっても幅はけっこうたっぷり)潜っていくような洞窟の雰囲気いっぱいで満足した。フロント棟からも近かったし…  ↓ホテル前で同行のツアーメート 
食事は夕食も朝食もビュッフェだが、充実のメニューに満足・ホテル前におかれているのは比較的小ぶりな気球のカート/撮影の影が映り込んでしまったが、サイズがわかるので残す。
↓ホテルのレストラン。右(下)は翌朝朝食。今見てもおいしそう…



6月14日(金)

パムッカレに向かって専用バスで移動の1日となる。ガイドはイスタンブールから到着したフセインさん。実はこの人が全日通じてガイドをされるはずだったが、カイセリに向かう飛行機がオーバーブッキング、他の便も取れず、初日ガイドは現地のエルジャンさんに交代、バスでようやく到着したのだという。ご苦労様でした!よろしくお願いします!

なかなかに親分肌でガイドの仕事に誇りを持っていらっしゃるようなフセインさん。コワそうな?お顔の割に親切だけれど、知識が多すぎて暑さの中での長ーい説明は、ごめんなさい!ちょっと疲れた。日本語は上手だけれど学校で学んだ感じかな?ご本人も学校の先生みたいな「引率者」で講義をするという感じ。カッパドキアのローカルガイドだというエルジャンさんの日本語のほうが聞き取りやすかったのは、実地のやりとりで鍛えているせいかもしれない。
                     ↓本日の移動ルート


【絨毯工場と販売店】~買っちまったよ〜トルコ絨毯!  7:30~9:30
で、7時15分のホテル出発から30分あまりで最初の見学?地、絨毯工場と付属の展示販売場に到着(ここはまだ、もしかしてカッパドキアのうち?)
↓入口/絨毯の干してある前庭/絨毯を織る女性の実演
↓セールスは一種のショー。敷きつめた絨毯に客を乗らせ歩かせ座らせ、この販売主任?の、まあ立て板に水のような日本語説明ー新しいギャグやジョークも満載ーにただ茫然唖然としてしまい…つい、動画撮影してしまったほど。



この方もなのだけれど、概して皆さん日本語をよくしゃべる(他の店も含めてだが、ここは特に)。私のそばにきた販売員は、まずこちらが眼を引いたものとして冷やかしている50万円とか70万円とかの品物(さすがにすばらしかった)を一緒に鑑賞した後、3万、5万のミニサイズから勧め始める。さすがにそういうのは見劣りもするし買う気はないといっていると、20万前後の品をだしてくる。この展開がうまいなあ。
それでも全然買う気はないけどといいながら、ついつい相手の日本語の上手さにのせられて好みを言ったり、品評をしたりしていると、出てきたのが18万というシルクと竹!の混紡というちょっと変わった一品。柄もまあまあで、いいね、とみていると脈があると見たか15万円ではどうか?そこへやって来た販売主任13万8千円でいいという(これも後から考えればうまい!)。乗せられた私、よせばいいのに、つい「なら13万まで負けて」、そこで商談が成立しそうになってしまった。ムム、しかし…いや、そんな。最後に気を取り直し「ごめんなさい、やっぱり買い物はしない」と、席を立ちトイレだけ借りて入り口まで戻る。
するとそこに追いかけてきた販売員が「11万円でいい、どうか?」えー?、なんか冷たく断れなくなってしまい、またまた「なら、区切りで10万円ならね」ということで結局10万円で購入することになってしまった。品物は送料店持ちで配送してもらうことにしたが―どうなんだろう、見た目そんなに悪い品を押し付けられたとも思わないが、よほど売り払いたかった在庫品?なのか、あるいは現地の織手を搾取しているような気もして、いまだになんか大丈夫?と不安も持ちつつ品物の到着を待っているところ。ああ、それにしてもやっぱり乗せられた…しかし商魂と日本語力には元日本語教師として敬服しているところもあり、ま、いいか…。(写真は買った絨毯。確かこれだったはず…)
7月10日現在、まだ絨毯は届かない。時間は少しかかる(一か月ほど?)とは言われているのだが、少々心配になってきたところ。さてどうなるか…。

トルコ絨毯、ちょうど1ヶ月目に無事到着。ありがたく使っています。

【再び西に向かって走り出し】
10時40分アクサライのあたりを通過中、窓の外にトルコ第2峰ハサン山(3253m)の山影。曇っているというか霞んでいるのが残念だが肉眼ではシッカリ見えた。ちなみに第1峰は東部アルメニアに近いノアの箱舟で有名なアララト山(5137m)。いつか、アララト山には登ってみたいと、ひそかな野望が芽生えた…

牧羊犬マラッカ像(とはなんだ??)

【コンヤ市街】12:30~13:40
コンヤは有名なメヴレヴィ―教団セマーダンス(白いスカートみたいなのを着てぐるぐる旋回するアレ)の発祥の地。今回の旅ではその気配?は町に掲げられたセマーダンスのポスターぐらいしか見られなかったが、さすがに街の雰囲気はカッパドキアなどと比べてずっと宗教的で建物もモスク寺院など、ヒジャブだけでなく全身を覆うブルカの女性の姿も目立つ。
市街を少しあるいて昼食のレストランLOK MAHANEへ。

↓唯一街で見かけたセマーダンスのポスター(あ、車に隠れる!)/こんな建物が目立つ

↓市街をあるいてレストランへ

昼食。ちょっといつもと違うピザ風、魯肉飯ならぬ羊肉飯(チキンライス風というか)、赤大豆のスープ。そしてデザートはトルコ菓子ヘルヴァ(結構甘い。シロップに漬けたアルコール抜きのサバランみたいな生地)、ここはアルコール類は出さない店だった(半々くらいかな…イスラム圏)。

車窓風景
路上で売っていたサクランボ、フセインさんが買い、ASさんが配ってくれる。



ガソリンスタンドと道の駅
休憩したティナルの「道の駅?」偽ブランドもののTシャツなどを売っている店があり、フセインさん勧めるのでちょっとびっくり。そこを逃れて売店でけしの実と濃厚な蜂蜜をかけたヨーグルト(というかしっかりしていてチーズ風)を食べる。100TL(550円ぐらい)で安くはないがこの旅の中での単品の食べ物としてはそれでも安い方。量は多く味も濃厚でまあまあ。



パムッカレ サマール コロッセア ホテル到着 19:40
大きな敷地にプールや石灰棚を模した?池なんかもあるような立派なホテルで、部屋のしつらえも悪くないのだが、最初に入った部屋はバスルームの床に水が漏れていた。排水口に不備があるのだと思われ、これではお風呂に入れない。もう一人、トイレなどに不具合があると言われた方もあり、急遽ホテルに交渉し、部屋を替えてもらうことに。一応無事に泊まれたが、しかし夕食頼んだビールは生ぬるくなり、ビュッフェの食事も落ち着かず、ウーンの夜になってしまった。このホテルでは、プールもサウナもOK、ナイト・ショーなどもあるそうだが、そんな気にならず、夜は早々に就寝。その代わり出発が遅めの早朝には朝早めに起きて前日の日記を書いたり自分でお茶を飲んだりして朝食に出るまでをすごしている(旅で海外に出るとよくやって来たパターン。一応最終日まで、遅出の日はこんなふうにした)。


部屋はみかけは立派。これは取り替えてもらう前の部屋で、すぐ近くだった次の部屋も作りはまったく同じ。庭の景色は後の部屋の方がよかった(前の部屋は目の前に土管!)。



6月15日(金) 

パムッカレ観光 7:30ホテル出発7時43分公園入口に 

【ヒエラポリス遺跡と石灰棚】7:50~9:30
入り口を入ると、まずは広々とした遺跡。8時前の早朝だが、陽射しはカンカン、フセイン氏の説明は長く参った。
紀元前3世紀ごろにはシリア王の配下にあったこの地は、紀元前190年頃マグネシアの戦いによってベルガモン王国の一部となり、ベルガモンのエメネウス2世によって町が建設されたのだとか…。アマゾネスの女王ヒエラ(ベルガモン創設者の妻とされる)にちなんでヒエラポリスと名付けられたのだそうだ。
猛暑の中「つわものどもの夢のあと」だなあ…


遺跡入口への看板
古代プールへの道と石灰棚が左右に分岐するこの看板前で解散になってあとは1時間後の集合まで個人散策ということになる。集合は上の写真、糸杉の生えた丘で…
              
遺跡の奥に「古代プール」というのがあり、涼し気。泳いでいる人も…
プールのさらに奥にも遺跡がある(頂上のこちらの方が本拠地?)
プール入り口前広場にはなぜか巨大な鶏像/夾竹桃の咲く道のわきにヒエラポリス博物館あり
博物館内部、首のない像がたくさんあるが、これらはみな欧米人が持ち去ったものという。ルーブルとかに飾ってあるわけだ。



パムッカレはそもそも広大な石灰岩の台地。石灰棚は濃度の高い炭酸塩と石灰が35度の湯(つまり温泉?)に溶けて流れ出し、台地から100メートル下の平地に流れ落ちる間に冷却され炭酸カルシウムが残って、棚状の地形にそって流れのような棚田のような真っ白な石灰の地面を作っているというわけらしい。「足湯」の準備をしてくるようにということで、靴を脱いでちょっと入ってはみたものの全然温かくはないし、ぬるぬる滑りそうなのにごつごつ足裏に石が刺さる?感じで一段だけは頑張ってみたものの早々に上がる。ま、私には見て楽しみ、ビックリするので十分。↓大きな羽をつけた「天使?」も…
あがって早々に、オレンジジュース1杯。140TL770円!まあ、美味しいが…
あたりには夾竹桃の低木やや高木がめだつ。あとあちこちで寝そべる犬も。ここにも。

待ち合わせ場所は石灰棚の反対側のヘリ。決まった時間に水を流しているという係員の姿。こうして美しい石灰棚を維持しているのかな。
ここからの景色はとにかく抜群でした!


エフェソスへ 194㎞のバス旅】
車窓には夾竹桃の並木があちこちずっと続いていた。


12時15分、売店の併設されたレストランで昼食
フセインさん、例によってセールスマンをつとめて、化粧オイル、干しイチジクとかの売り込み。外国人観光客用だろう、小ぎれいな包装ではある。裏庭にはここも夾竹桃の茂み。



犬も寝ているレストラン入り口/(下・右)後ろに飲み物を売るウェートレスがいる
食事はいつもながらのサラダ・スープ・パンなどのほかにメインディッシュは串焼きケバブ風の羊肉。エフェスビールも飲んだ!ここのヘルヴァはなんと2個!

【皮工場・販売店へ】13:30~14:30
ツアー旅行というとどうしてもお土産販売からは逃れられない(登山ツアーはそれが少ないから気が楽)というわけで、次は皮製品を作り販売している店。ここでも日本語達者な販売主任が活躍していたが、買わない客を楽しませる?工夫もなかなかで、革製品のファッションショー。ツアー客のの中から誰かを舞台に上がらせるというオタノシミもあって、これはメンバー中最も若いUさんが、すてきに着こなした革ジャンで登場してくれた。


ここでは男性陣がお買い物をしていたようだが、私はもちろん見るだけ。

ところが店を出たところに帽子やバックなどの革小物を売っている屋台よりは少し大きい、店というにはちょっと小さい、まあ、テラスショップのような売店あり。
オーナーはこの皮製品販売店の店員という日本語の達者な男性と、その日本人の妻。トルコ旅行中に知り合って結婚、住み着いてこの皮工場で出る端切れの皮を利用して帽子やバックを作り販売しているという(製作は工場に出しているとは言っていた)。
へー、元気で頑張っている女性の存在はうれしい。とついついキャップ1つ購入。日本円1500円だというので安い!と喜び、2000円出したらおつり(500円)がない、というのでトルコリラでいいよ、としたら、なんと350TL(1925円ぐらい)。おいおい、ずいぶん割高だぞ、後から考えたら50リラくらい値切ればよかったのか、これぞ値切りのトルコ商法?値段だと思ったが、相手がまあ日本人だしご祝儀だなと、いいことにする。海外にでるとついつい、こういう無駄遣いをしてしまうのである(苦笑)。でも帽子は日本で買ったら4~5千円はしそうな、シックないいキャップで帰国後も愛用中。
                     ↑帽子店の日本人オーナー


【エフェソス遺跡】世界遺産 15:00~16:30

紀元前11世紀にイオニア人が建設したと言われるエフェソス(エフェスとも。エフェスビールの語源だそう)。今はずっと内陸になってしまっているけれど坂の上から下ってくるとすぐ目の前に海が開ける港湾都市でもあったとか。上部の上層階級が住んでいたと言われる場所から大通りを下り、貴族の屋敷跡とか、娼館跡などをみながら、セルシウス図書館を見渡せる広場まで。横は市場の門だといったかな。
ここはクレオパトラがアントニウスとつかの間の平穏な時を共にした街でもあったという。

↓上部の入口から(ここはいわば山の手?)

コリント式の柱


↓勝利の女神ニケのレリーフ・ヘラクレス門・歩く人々(暑い!暑い)


↓娼館跡は細かい区画に区切られている。首がとれているのは地震で壊れた大浴場を再建管理していたスコラティスカという女性の像
↓娼館への道を示す足跡:この足跡より足が小さい人(子ども・女?)は入れないのだそう・トラヤヌスの泉・古代のトイレ

↓ハドリアヌス神殿

ケルスス(セルシウス)図書館跡

市場への門、だったかな? 
↓大劇場へ

↑一応すべての見学を終えて出てきた向かいの丘には掘り出された石棺群!

【アルテミス神殿】16:40
エフェッソスからバスで数分。入り口には夾竹桃の大木の並木、入るとお土産物屋が1軒


これが遺跡 写真だけ撮って早々に引き上げる。


【イズミール スーパー併設のレストランへ】17:30

まずはスーパーで買物タイム(何も買う気はなかったのだけれど、お土産用にちょっといいチョコレートと、エフェスの缶ビール(500CC 60TL)を1本買う。





続いて夕食は隣のレストランで 6:30~
今回はフリードリンク1杯(アルコールなし)付きだったので、今まで飲んだことのなかった当地のヨーグルト・ドリンク「アイラン」を飲んでみる。要するに塩味の飲むヨーグルトだった。別にまずくはないけれど、もういいかなあという感じではある。メインディッシュはあいかわらず?マトンのミートボール系


7時半、1日お世話になったバスに乗り込みイズミール空港に。ここからイスタンブールまで21時45分発の国内便で。23時すぎ、イスタンブール着




イスタンブール:ハイアット・リージェンシー イスタンブールアタキョイ ホテル泊

到着は深夜12時をすぎ、さすがにこの日はダウンだったが、これから3泊するこのホテル、一応オーシャンビューの部屋で広々快適。






真ん中にドンと邪魔な?建物があるが、一応はオーシャン・ビュー?



イスタンブール散策ルート
 

紫のあたりがホテル。ここからバスで市内に出ていく
青 1日目(6・16)のルート(左岸→バス→海辺のレストラン(和食)→イシュガル通り→ガラタ塔→海辺船着き場→海峡クルーズ(往復)→ガラタ橋周辺
赤 2日目(6・17)はこのあたりを歩く(ナイトツアーについてはどこをどう行ったのかよくわからない…で、省略) 


6月16日(土)


イスタンブール旧市街散策

ホテルから街へ古代の城壁水道橋のあとを見ながら

ルステムパシャ・ジャミイ(モスク)11:00~11:30

入り口には靴を脱ぎ、女性は頭布をかぶるようにと絵入りの案内がある。
内部は美しい青色のモザイクタイルが張り巡らされ、落ち着いた雰囲気

売店にもタイルのお土産が並んでいた。

希望の方2名に、と言われ(他に名乗り出る方が一人しかいなかったので)日本語で書かれた『イスラムの基本知識 信仰・崇拝行為・徳・預言者ムハマドの生涯』(セイフェッティン・ヤズジュ)をいただく。ソフトカバーだがB5版341頁もある立派な本で、イスラム教の礼拝のしかたなども写真入りで載っている。トルコ政府宗務庁からの贈り物(非売品)だそう。


イェニ・ジャミィをのぞむエジプシャン・バザール入り口の広場11:35~12:30
犠牲祭のためにエジプシャン・バザールは休み。それでもトイレに行ったり、開いている店を覗いたりして、ここで小1時間の自由時間散策となる。暑くてたまらないけど…日陰に入れば涼しいが、その日陰があまりない、カンカン照り。

↓かなたにイェニ・ジャミィ、そして金角湾を経てガラタ塔も見える。
↓地下にある有料トイレ 入り口から料金所付近)

花・苗木屋とか、小鳥屋の店、また香辛料を売る店などは開いていた

     ↓イェニ・ジャミィ
↓下(左)待ち合わせ場所で皆さん少々ぐったり気味
迎えの専用バスを待ちながら、街角のゴミ箱トウモロコシの屋台


昼食は、バスで20分、新市街側のパーク・ボスフォラスホテルの中にある日本食屋KUMIKOでこれも犠牲祭休暇で市内の日本食屋で開いていたのはここ一軒、高級店だとガイドさんは言うが、天ぷら米飯焼きそばとはなんか珍妙なメニューでお茶はジャスミンティ。デザートのアイスはまあまあ??ま、話のタネにはなるかなあ。






タクシム広場からイシュガル通りを経てガラタ塔へ 14:30~15:30

タクシム・ジャミィを見ながらイシュガル(イスティクラル)通りに進む

↓(中)はよく見たチェーン?のカフェ・ベーカリー?

赤い可愛いトラムの周りで記念撮影する人も…(私もだけど)


そしていよいよガラタ塔に。塔の下はあふれるほどの人、人、人!

迫力あり。裏側に回ってみると塔の中への入り口にも人々の列


イスタンブール高級住宅街を経て港へ 15:40~16:00


   
 
   

   
 
ボスフォラス海峡クルーズ 16:00~15:00
最初は乗るつもりもなく、街歩きをしようと思っていたクルーズだが、あまりの暑さと、クルーズも貸切船で後からの参加もOKと聞いたので急遽申し込むことに。おかげさまでなかなか楽しい経験ができて、よかったのだが…。失敗した!写真撮影。ワクワクドキドキで甲板をあちこち走り回り目に入るものを撮りまくったのだが、後からみるとどこがどこだかどれがどれだかわからない。本当は行きは左のヨーロッパサイド、帰りは右のアジアサイドとかを順に撮っていくのがよかったのかもしれない。ともかく右、左はメチャメチャだけど、概ね撮影順にだけ並べて整理するしかなかったということで…⤵

↓さあ、これから乗り込むというところから、船内風景。↓         
ドルマバフチェ・ジャミィの前を船が行く・ガラタ橋
ドバルマチェ宮殿
チューラン宮殿(スルタン夏の離宮)
ドバルマフチェ・ジャミィ 
7月15日殉教者の橋
第2ボスフォラス大橋折り返しになる





クズ塔(乙女の塔)が遠くに見えてだんだん大きくなる


再びガラタ塔が見えて、終点間近

到着:私たちの乗ったフエリー全景をようやくここで撮る。右(下)は桟橋近くのガラタ橋下、1階はレストラン街になっている。

ガラタ橋周辺散策と夕飯!
ガラタ橋の下はレストラン街。階段を上がって上階に上がってみる。夕方の橋上には、テレビの「世界ふれあい街歩き」で見た通り、釣り糸を垂れる人々が何人も…。イワシの種類の魚が釣れるのだということだった。

↓しばし、暑さをしのいで海岸のベンチに座った後夕食のレストランに
今日のメインは大きな魚(スズキ?)ご飯もついて日本風?但しお味はレモンとオリーブオイルだけど。

夕方のボスフォラス海峡(19時50分)。このあと専用バスでまっすぐにホテルに戻って20時20分、今日の日程はすべて終わりということに。


6月17日(月)

朝食ビュッフェ会場の大きなレストラン・パンを実演で焼くイスラム女性


9時、ゆっくりの出発でスルタンアフメッド
今日はバスは最後部席にした。/バスをおりて広場をグランドバザール方面へ


グランドバザール(入り口)とヌールオスマニエ・ジャミィ 9:30~10:00

広場から路地に入り、まずはトルコ石屋を紹介される。そこから少し行った向かいがグランドバザールだが犠牲祭のために休み。しっかりと門が閉ざされている。その向かいにあるのがヌールオスマニエ・ジャミィで、ここでしばしの自由行動って要はトルコ石を買うための時間?多くは三々五々、ジャミィ(トイレを借りてから)の前の道を抜けて見たり、道端にいるネコと遊んだり…。ジャミィの石段を登り階上の回廊に出ると、このあたりの町の景色一望、路地の風景もなんか懐かしい感じ。



↓階上回廊からの景色

さて、10時前30分後の再集合のあと街歩きへ。
タクシーは黄色

次は例によって買い物で陶器屋へ。すごーく目を楽しませてもらった。10:00~10:30

まず、入り口を入ると華やかな陶板の数々
店の展示は地下3階が工房を兼ね高級品を置き、そこから上に向かってだんだん安くなっていくのだとか。というわけでまずは地下2階の中~高級品
     明かりを消すと光る夜光皿なんていうのがある。きれい↓

↓上の夜光皿の「昼」の様子がこれ。緻密なチューリップ模様はイスラム特有のもの。このお皿を盛んに勧める店員さん(英語だった)。しかし100ドル以上って…

で、こちらが最上階の比較的廉価な汎用品コーナー。それでも1つ20ドルくらいする普段使いのお皿たち。赤いチューリップ柄の器(手前の奥から2つ目?)を大小58ドルを39ドルで購入。それでも6000円か…。
陶磁器は好きなので旅に行くとよく小皿とか小鉢のような普段も使える小さなものを買うことがある。今回もまあそうなんだけど、終活をはじめたい身としてはやっぱり夜光皿に乗せられたかな、とは思わないでもない。


ブルーモスク(スルタンアフメッド・ジャミィ)10:45~11:30

↓入口を入ると身を清める水栓と台が並ぶ。入ると赤いじゅうたんとその上のたくさんのステンドグラスがなんとも美しいモスク内部だった。
↓天井も独特

隅の方には静かに祈っている人もいたが、概ねは観光気分?賑やか、楽しそうに車座になっている人々も…
↓外に出てくるとこれがまた美しい、白い建物と尖塔ドーム回廊



1609年オスマン帝国第14代スルタン・アフメト1世が建造、設計はメフメト・アーという人で「世界で最も美しいモスク」とも言われているとか。この地区全体が世界遺産なので、もちろんこのモスクも歴史的建造物として世界遺産となっている。

出てくると暑い暑いはあいかわらず。




ヒッポドローム 11:30~45

出てきたところの細長い広場がヒッポドローム(古代の競技場跡、あるいは競馬場とも)、サティン帝国時代に競馬や戦車競技が行われた場所で長さ450m幅130mあり、10万の観客を収容できたとか。532年、対立する戦車競技の応援団のケンカがもとになり、皇帝を引きずり降ろそうとする市民の大暴動にまで発展したという(ニカの乱)。暴動は鎮圧されたがこの時3万人の市民が殺されてそのまま地下に埋められているそうだ。
明るくて暑くて陽射しサンサンの広場だが、なんかコワい歴史がやはりあるんだね…
時間調整?の15分、写真を撮ったりなどして昼食に行く。

古代エジプトのオベリスク(テオドシウスのオベリスク)=4世紀にテオドシウス帝がエジプトから運ばせたもの。台座はテオドシウス帝が作らせた自身の姿や王室の人々が競技者をたたえる姿などが彫られている。

こちらは古代ギリシャの蛇の柱。アポロン神殿にあったものをテオドシウス帝が移した。
ネムの木栗の木などがある広場を抜けてレストランへ。



          

                                       

アヤ・ソフィア 13:00~14:00

アヤ・ソフィアの前でちょうど13時。礼拝の時間になりコーランの朗誦が流れる。




↓いよいよ中へ




オスマン帝国の時代にはモスクとして改築を繰り返し使われていたが、もともとはキリスト教の建築物。内部に入ると聖母子やキリストの壁画もあったり、他のモスクとは少し違う独特の雰囲気があるように感じる。(いちおうスカーフはかぶって入らなくてはならない)

出口の造形もなんか不思議…外に出ると相変わらずの暑い午後だ。

トプカプ宮殿に向かって歩く
海も見える/アギア・イリニ聖堂

トプカプ宮殿 14:30~17:30

いよいよトプカプ宮殿の建物が見えて…門に近づいていく。けっこう並んでいる人が多い。
トプカプ宮殿は1467年メ―メット二世によって建てられ、19世紀の半ば、31代スルタンのアブドールジメットがドルマバフチェ宮殿を建てるまで王の居城として使われた。当時は6000人ほどが宮中に住んでいたとのこと。オスマントルコには36代の王がいたというが、ドルマバフチェ宮殿建設後もハーレムは使われ続けた。
現在は博物館として王室ゆかりのものなどを収蔵公開している。


入場


ハレームを見にいく 15:00~16:00
ツアーの予定にはハーレム見学は入っていなかったのだが、ガイド・フセイン氏が希望者には案内をすると言うので、その場で申し込む。希望者は女性3人、男性1人の4人。入場料は2500円で日本円で払う。フセイン氏オンラインで4人分のチケットを購入し、スマホをゲートにかざして4人を通し、「じゃ、行ってらっしゃい」…
ところどころ人形なんかも飾ってあって不気味といえば不気味な、暗い黒人宦官の居住区からはじまる。


王(スルタン)や女性たちの生活の場というだけあって、トイレとかバスタブとかがいくつもあるのだけれど、最初の方の飾りもない質素な感じのものから、使う(住む)人地位が上がるにつれて、金の縁取りとかの装飾もついた豪華なものへと変わっていくのが興味深い。


迷路のようでもある構内床には、方向を示すモザイクタイルが敷いてある。

↓台所あと



居室も王や王の母がいるような場所になると美しいタイルの壁、天井飾など豪華なしつらえで開放的な空間になっていく。




なかなか見ごたえがある1時間のハーレムツアーだった。

ようやく出てきてなんだかほっとする。集合時間までの残りの1時間はハーレムへご一緒した女性3人で宝物館・衣装館・カリグラフィー館?、台所用品館(名前はみんなメチャメチャ失礼)を回った。

宝物館 
宝物館は結構混んでいた。刀、大きなダイヤ、そして金、金、金といイメージだろうか。
「スプーン屋のダイヤモンド」は86カラットあるそう。


階上にあがるテラス。そこから気持ちのよい海の景色。

甲冑、家具なども
   
↓これはゆりかごだそうだ。





衣服館
王はじめ王室の男女の衣装を集めている。ほとんどは袖の長い綿入れみたいなモコモコの衣服だったが、その柄模様は驚くほどに斬新でおしゃれなものもありビックリ。↓はチューリップを図案化したもの(いかにもトルコらしい)

↓こちらは子供服


書道館
いってみればアラビア文字の書道(カリグラフィ)を並べているが、文字だけでなく図案化したり、彩色に金銀をほどこして美しい飾りもの?にしたり、見て飽きない多様さ。文字が読めたらもっと楽しめたのにとも、残念!



これは秘宝の書?小さいけれどなんか重々しい装幀で飾られていた。」

調理場跡
中庭から一歩外に出たところにある大きな建物で王室の調理場だったそうだが、今は王室に伝わるさまざまな食器や,什器類などが展示されている。マイセンの洋食器や、古伊万里のセットなどもあって、スルタンなかなかオシャレで近代的な食器生活?




↓調理場傍のトイレに行き、中庭に集合、入り口まで歩いて「幸福の門」をくぐり
無事に夕刻の街へ。(中)外から見た城壁、ところが町は大渋滞、待ち合わせ場所で待つもバスはなかなか来ない。とうとう迎えに歩き出し、乗り込んだのはいいけれどやはり渋滞は渋滞…
街中を少し歩いて夕食のレストランへ(18:45)



7時45分店を出て近くを歩き…



イスタンブールナイトツアー(バスハイク)に行くことになるが、ここからが渋滞でもう大変大変…少しもバスは進まない…すでに暗くなり途中でバスを降りて歩いて撮影スポットに行くなどという案内もあったが、とてもじゃないけど付き合えず、そこはバス内で待機したりして、それでも何か所か無理やりという感じでせかされて(ガイドけっこう強引)、以下夜間撮影。ガラタ塔なども撮ったが、もう疲れ切ってこの時はどこをどう走っているのか全然ついていけていない。
22時すぎのガラタ橋とガラタ塔など

↓これは歩いて撮影に言った面々の帰還(バスの窓から)
↓22:25 そして23時、なんとかホテルに無事帰りつく。お疲れ様!



6月18日(火)いよいよ最終日

11時前ホテル出発、イスタンブール空港へ
15時50分(遅れて17時すぎ離陸) TK0050便 イスタンブール発→

朝食も3日目でゆっくり。今まで食べなかったものの味見もしたり、コーヒーも普通のと、トルココーヒーとをお願いしてのんびり1時間くらいレストランで遊んでいた。



出発前、ホテルのロビーでラインのグループ参加登録「会」、1週間でだいぶ打ち解け、20人中15人の方がグループに参加してくれた。写真の共有をしたり、旅情報の交換をしたり、今後ともよろしくお願いします!



空港へ:到着時は夜だったので、イスタンブールの今まで行っていないサイドの景色を楽しみつつ

イスタンブール空港
3日間お世話になったバスに別れ、チェックイン(今回はチェックインも荷物預けもすべて自力のオンライン。まあ好きな席が選べるしいいのだけれど…)


待ち時間けっこう長くて、220TL(トルコリラ)残してあったので軽食でもと思ったがサンドイッチ1つ13€440~450リラには手が出ない。日本円に換算すれば2200円?
しかたなく席が1つだけ空いていたカフェでトルコティ3€100リラを買い、手持ちのお菓子(同行の方にいただいたり、自分でもちょっと持っていた非常食)で昼食。
そこのカフェで1時間くらい粘ったあと、トイレと水を買いに(どこも最低が3€150リラだったが、戻ってくると先ほどのカフェで70リラ(2€)の店で水があるのを発見、50リラのみ残しめでたく買い物完了。空港はどの店もユーロ基本みたいだが、トルコリラは使える。しかし、この高さ!ドバイの空港以上だなあ。すし屋(というか日本料理店)もあったが、パックの寿司折、なんと33.5€(5500円くらい?)。



15時5分搭乗口A5決まり移動。搭乗は4時前だったがそれからも長く、自席に座ろうとしたらちょっと待ってと突然整備係。隣の中央席の座席を直している。出発直前。そこに座る方(トルコ人のオジサンだった。日本ツアーに行くらしく窓際が奥さん。以前のエミレーツ航空のようなことはなくて、大柄だが穏やかに過ごしてくださったのでまあ快適)17時すぎにようやく離陸した。ほぼ1時間遅れ。

帰りはトルコ時間ではほぼ夕刻から夜。映画は1本だけ(『第3の殺人』是枝裕和・2017これは以前にみたものだが、まあ半分流してみるという感じで)あとはほとんど寝て成田まで。機内食は2回。飲み物はサワーチェリーもアイランも飽きて?飲み納めののエフェスビール
帰りの客室乗務員、なぜかそろってイケメンの男性ばかり。夜の便だから??

   

6月19日(水)

19日午前10時(トルコ時間だと午前4時・およそ12時間近い滞空となる)成田
お疲れさまでした!



【旅を終わって】
こんなふうに写真を整理し見直しながら旅を追っていると、もう一度旅をしているような感じがして楽しくなります。ブログを書き、読むことで何度も旅をし直す贅沢を感じます。
行程も決まっていて、いわばお仕着せみたいなツアー旅行で、若い時はあまり考えもしなかったし、実際に印象に残っている町は海外でも国内でも観光バスで回ったところよりも、地図を片手に迷いながら歩き、やっとの思いでたどり着いたり、たどり着けずに諦めたりみたいな体験をした場所のような気もします。そういう旅では見たくて結局見られずとか、行きたいけれどどうしても交通の便を得られずとかいう非能率や悔しさも伴った気がし、それゆえの印象深さという面もあるみたい。体力も残り時間もだんだん限られてきた身としては、もはや個人でそんな旅行を組む余裕もなく、ツアーに行って見ると結構効率的に見るべき場所をポイントで押さえつつ間の移動もそれなりに楽しめるように組んでいるのだなあと感心。旅の途上同行者の皆様には大変お世話になりました。
糸の切れたような私のウロウロ歩き(逍遥)に飽きれつつ、多分心配しつつ、見守ってくれている家族にも感謝しつつ、次はどこに行こうかな…。世の中にはまだまだ見たことにないもの、知らないことがあふれているので、夢は尽きず、です(笑)!
最後まで読んでくださった皆さん、本当にありがとうございます!

あくまでも個人的な感想の記述です。勘違いもあるかと思います。お気づきの点、問題点があれば改訂したいと思いますので、どうぞご連絡ください。

2024・7・10 小林美惠子 xiaolin091@gmail.com



























































































































































































































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