【勝手気ままに映画日記+山ある記】イスラム映画祭2025 2025年2月

トレースくっきりの鏡池から見る戸隠山(2025・2・12)

 【2月の山日記】

2月4日
 高尾山〜小仏城山 
高尾病院裏〜琵琶滝道*〜2号路(南側)〜浄心門〜4号路(いろはの森コース)~5号路(北側)〜もみじ平(巻き道)一丁平小仏城山〜一丁平〜もみじ平〜高尾山4号路2号路(北側)~琵琶滝道〜高尾病院裏 
11.5㎞ 6時間12分(休50分) ↗778m↘762m 難易度16(普通)速さ110-130%(やや速い)

琵琶滝道は高尾病院の裏側の階段から入り少し登っていくと琵琶滝まで下りる道がある、そこから2号路方面に向かってごつごつの岩と木の根で、高尾山には珍しい中級?登山道があります。道標を見ても地図を見ても名前がよくわからないので、私は勝手に「琵琶滝道」と呼んでいるというわけ…

1月に高尾山に行ったことを読んで下さったライン仲間が、同じころやはり高尾山にシモバシラを見に行ったと写真を送ってくださった。あー、1月は晴天の富士山を見ることばかりに夢中になって「シモバシラ氷華」、全然アタマになかった!シモバシラは寒い冬、地中から吸い上げた水が茎から染み出し?凍って花びらや綿毛のようになるもので、12月末から1月まで,高尾山名物。2月に入ってはもう遅いかなとも思ったが…。今回はシモバシラ探しということで、シモバシラがありそうな5号路北側、もみじ平から一丁平への巻き道などを捜しながら集中的に歩てみることにする。
高尾山は前日雪、おもいのほか雪は残ってはいなかったがやはり北側の巻き道や4号路の出だしなどには雪の跡が残る。ただ、もちろんアイゼンなどは必要ないが、奧高尾に入ると、むしろぬかるんで滑りそうなところもあって気が抜けない(ヤマケイの情報を見て一応チェーンスパイクは持って行ったが使用せず)。
シモバシラは残念ながら時遅しだったようで、5号路の北側に5㎜くらいの花?を3つほど付けた1本を見たのみ。4号路にはヤブコウジ?、黒文字のつぼみ(というのだろうか)、また実をつけたアオキなど。小仏城山まで行くと蝋梅の木が黄色い花盛りで楽しめた。今回出がけは天気がよかったが、だんだん雲が出てきて、結局どこでもすそ野の一部を除いて富士山は見えず。

やっと見つけたシモバシラ/赤く色づいた実のついたアオキ(多分)/ヤブコウジ?(多分)
巻き道には雪も(一丁平への巻き道入り口あたり)/小仏城山の蝋梅
高尾山展望台からの富士山もこんな感じ↓/元気な幼稚園児(緑色のそろいのベストと帽子)たちの一団(何グループかで50人くらいいたのではないだろうか)に遭遇

ゆっくり歩いたつもりだったが、やはり2時半には下りてきて、高尾山口駅近くの599ミュージアムのカフェでお茶、そのあと極楽温泉にも入って夕刻のんびり帰宅した。

2月10日〜13日 恒例の戸隠高原スキーとスノーシューハイキング

今年もなんとか、行くことができました。
昨シーズンに覚えたスノーシュー・ハイクに味をしめ、今年は何とか飯縄山へのスノーシュー・トレッキングもしたいと思いでかけました。一緒に行ってくれたのは、昨年5月飯縄山・黒姫山にご一緒し、すっかり戸隠が気に入ったというた旧友(昔の職場の後輩)I さん。
しかし、直前の寒波襲来で戸隠も驚くほどの積雪で、雪に埋もれた道ををラッセルするのなかなか大変なうえ、天気も今イチ。やむなく登山はあきらめて、戸隠の広い雪原をハイキング。泊まったM山荘で知り合った名古屋・東京在住の姉妹Mさん、Fさんと4人で歩くという、これはこれで楽しい、私としては珍しい体験でした。

2・10 まずはM山荘周辺を久しぶりのスノーシューの足慣らし。

樅の木山荘(23:00)➡林間からトレースのない雪原に入り、植物園方面戸隠奥社駐車場(奥社入り口)住宅地に入り林間・雪原を抜けて➡樅の木山荘(16:49)
同行のIさん↓


2・11 戸隠スキー場(9:45)➡瑪瑙山(10:40)➡高デッキ山方面(12:30)➡戸隠スキー場(2:30)

資料はMさんから↓
ゲレンデの脇を通ってクワッドリフトに乗り継ぎ瑪瑙山頂上へ。頂上標は雪に埋もれて頭10センチくらいしか見えない。目の前には飯縄山がドンとそびえているはずだが、小雪とガスで全然見えず。飯縄山への登山道の積雪具合を観察したかったのだが、それもダメ。
記念写真をとって北方、高デッキ山方面を目指し、道なき白樺の急斜面を苦心して下り(ここでストックのバスケット、雪に埋もれて1つ紛失。あとは苦労の1ストックに)、林間から窪地、さらに高デッキ山への斜面、ちょうどやってきたバックカントリ―スキーの一団のトレース跡をたどって登っていく。しかし、なかなかこれも大変?で、寒さと体力の限界との声も一行からは上がって結局高デッキ山の西側を捲くような感じで、スキー場の長い林間ゲレンデに出てリフト下まで戻る。天候はずっとはっきりせず山も見えなかったが、このころ少し晴れてきて、雲が切れ戸隠の山影が見え始めるので、リフト下のレストランで遅い昼食(担々麺)を食べ、ビールもちょっと飲んで、山の姿が見えるのを待ち、その後いつもスキーでたどる林間の道を歩いて宿に帰着(15分かかった)。
靴は今回もラッシュトレック(偶然Iさんも一緒)でしたが防水性は抜群で寒さを感じることもなく軽いし快適。雪山用登山靴の方がいいのかもしれないが、スノーシューも含めた重さを考えるとこれで十分という感じです。

瑪瑙山頂の標識は10センチくらいしか見えない/高デッキ山方面へ
結局スキー場に戻り、かすかに見え始めてきた戸隠山

2・12 奥社入り口(9:00)➡随神門(9:30)➡(林間コース)天命稲荷(10:16)➡鏡池(10:35)➡(林間コース)➡奥社入り口(12:10)➡林間コース➡樅の木山荘(宿舎)(13:12)
奥社入り口までは宿の主人が車で送ってくれる。奥社の参道から随神門へと歩く。
途中随神門近くで、チマ・チョゴリとスーツの正装の男女が結婚記念写真を撮っているのに遭遇。「寒くありませんか?」と聞くと寒いと言いつつ幸せそうな二人。
随神門からは西に折れ雪の林間、ああ、いい景色…。天命稲荷の赤い鳥居は上30センチ?くらいを残して雪中に沈んでいる。昨冬もほぼ同じコースを歩いたが、やはり雪の量は比べ物にならない?
最近、この地にも外国人が増え、中国人などはチェーンスパイクを履いてきて、近くの蕎麦屋の前などに捨てて行ってしまうそう。あれま、と思ってたら3人組の中国人の女の子たち、やはりチェーンスパイク組で、歩きにくいせいか「一緒に行きたい」といってしばらく傍を一緒に歩いたり…(そのうちオバサンたちの足の遅さに飽きたのか先にいってしまったが、鏡池でまた会う)。とやかくしながら鏡池へ。ここでIさんにはお汁粉(私も)、MF姉妹には甘酒を供し、みんなでお茶時間を楽しむ。朝方青かった空はそろそろ曇ってきて、山景はくっきりしているものの、昨年見たような解放感がないのはちょっと残念。とはいえ、初めて鏡池の冬景色を見た3人の同行者は満足されたようで、ああよかった!
行きの道を戻りながら少しずれ林間コースで奥社入り口までもどって、越水ヶ原へと歩く。1時過ぎには到着して、今回の同行3人はIさんも含め2時35分のバスで下山された。
天命稲荷の鳥居は頭がちょっと見えるだけ
鏡池の上を歩く
西岳+戸隠山
       
お茶を楽しむ同行のみなさん Iさん/F(妹)さん・M(姉)さん

2・13 一人ゲレンデ―スキー
スノーシューハイキングを楽しまれた皆さんが帰られた後、1日だけ今年まだしていないゲレンデスキーも…ということで居残る。しかし、この日はまあなんというか、強風降雪でコンデションはサイアクということに。ゲレンデに出てみると一昨日登ったクワッドリフトは強風で運航中止でメインの高所ゲレンデには出られない。それでもそこからスキー場の下部まで足慣らしのつもりでタラタラ何本か降ったばかりのフカフカの雪と昼頃薄く指す陽射しーでも風はやはり強いがーを楽しみ、クワッドリフト下のレストラン「やなぎらん」で恒例(1年に一回だが)を楽しんで昼過ぎには引き上げる。
やなぎらんのラクレット・ランチ/Myスキースタイル(もう10年も着ているウエア)


2月18日 大多摩ウォーキングトレイル
古里駅(10:00)➡熊野神社➡古里駅➡寸庭橋(ワサビ田)➡松ノ木尾根展望台➡雲仙橋➡鳩ノ巣小橋➡白丸ダム(魚道)➡数馬峡橋➡奥多摩駅(14:25)
一部法面工事のため迂回自動車道
4h49m 7.6㎞ ↗373m↘322m 難易度7(やさしい)130-150%(速い)(データ=ヤマップ)

値段が安かったのと、奥多摩はそこそこ歩いているつもりだが、こんなトレイルコースはかえって落としていたなということで参加した日帰りYツアー、参加者は15人(男性が3人?山歩きをすると男女ってあまり気にならない)ガイドは私にとっては3回目(八溝山、撤退した昨秋の塩見岳、今回)のKHさん、添乗は八溝山以来のINさん。ま、ガイドがいるというほどの山歩きではないが、KHさん、途上の神社とか道脇の祠、また見える山々、その登山道など詳しい知識をご披見くださり、なかなか勉強になった。古里から奥多摩まで、概ね多摩川沿いの「いちおう」山道を歩くノンポール・トレイルで、登りは松ノ木展望台への道ぐらいで、「歩き」としてはちょっとあっけない感じもあるが、晴天のなか、雪山登山の合間の散歩としてはなかなか楽しめた。昼食は白丸ダム上で保温ポット持参のおでんとお汁粉。隣あって食べた方の情報では、2月7日高尾山でたくさんたくさんのシモバシラを見た、ということであれま!
(2月4日のワタシは1本だけ⤵😢)


今回自分の写った写真も少し…©YAMAKARA /つり橋なんて拡大しないとわからないが…



2月25日〜26日 霧ヶ峰・美ヶ原 スノーシュー・トレッキング

戸隠でのスノーシュー遊びに味をしめて、2月2度目のスノーシューは、急斜面が少なくて楽そうな2山(いちおう百名山。春~秋シーズンには行ったことがあるので2座制覇というわけではないけれど)1日ずつのYツアー(これも2月2回目)。ガイドは1月西上州でお世話になったKMさん、添乗員は昨秋六甲全山縦走でお世話になったOMさんの2ベテラン。参加者19名(男性2人)の大所帯で、往復バスのにぎやかさ、宿泊のヒュッテ霧ケ峰の4人部屋の話題つきない楽しさも今回の特筆ものでした。

2・25 新宿(専用バス)車山肩バス停➡霧ヶ峰(車山)➡車山肩バス停⇒ヒュッテ霧ケ峰(泊)  2.8㎞ 3時間15分 ↗120m↘122m コース難易度1 90-110%(ヤマップ)

↓私が写っている写真©YAMAKARA
↓スノーシューでの急坂下りはなかなか大変でした!
↓山上360度の眺望、北アルプスも、富士山も、御岳山も、浅間方面も…


2・26 ヒュッテ霧ケ峰⇒山本小屋バス停➡美しの塔➡王ヶ頭ホテル➡王ヶ頭王ヶ鼻➡(往路戻り)➡山本小屋 5.2㎞ 3時間40分 ↗104m↘103m コース難易度0 90-110% 




【2月の映画日記】

Brother 富都のふたりリアル・ペイン③ステラ ヒトラーにユダヤ人同胞を売った女④アプレンティス ドナルド・トランプの創り方⑤どうすればよかったか?⑥マミー⑦グレース⑧聖なるイチジクの種⑨パピヨン⑩愛を耕すひと(Bastarden⑪怒れるシーラ⑫母たちの村(Moolaade)⑬チュニスの切り裂き男 シャッラ―ト⑭ギャベ⑮カシミール冬の裏側⑯モーグル・モーグリ⑰さよなら、ジュリア⑱シリンの結婚⑲ハリーマの道⑳イチジクの樹の下で㉑ラナー、占領下の花嫁㉒劇映画 孤独のグルメ㉓ノー・アザ―・ランド 他に故郷はない㉔ゆきてかえらぬ

中国語圏映画①

日本映画⑤⑥㉒㉔
イスラム映画祭2025⑪⑫⑬⑭⑮⑯⑰⑱⑲⑳13本
⑧「聖なるイチジクの種」もイスラム映画祭では話題になっていた作品でした。
ドキュメンタリー映画⑤⑥㉓
★はナルホド! ★★いいね! ★★★おススメ! (あくまでも個人的感想ですが…)


Brother 富都のふたり
監督:ジン・オング(王禮霖) 出演:呉慷仁 陳澤耀(ジャック・タン) 邓金煌 林宜好 2023マレーシア(中国語、広東語、マレー語、英語、マレーシア手話)115分★

昨年3月ネパールに向かう機内で鑑賞した『
アバンとアディ 富都青年がようやく劇場公開、監督とアディ役のジャック・タンが舞台挨拶をするというので見に行く。監督はいろいろなメディアでのインタヴュー受けていて、私が見たのは『週刊金曜日』のぐらいだが、「商業映画」か「告発映画」と問われているとか、マレーシア・プドゥに住む他民族ーしかも映画の主人公たつのようにIDを持たず不安定な身分を強いられている人も多いとかーというような状況をむしろきちんと述べていきたいのだというような発言が、映画の中でどんなふうに現れているのか再確認のつもりもあって。で、確かにそうなんだけれど、あ、これってマレーシアの華人社会の映画なんだなというのを(今更だけど)再確認。監督もジャック・タンもマレーシア華人で舞台あいさつのことばも中国語(普通話)、映画内の登場人物や言語も概ね中国語だった。呉慷仁は台湾からやってきて、この映画内の社会では台湾華語でも十分意思疎通できるはずだが、聾唖に設定されてマレー手話?を操っているというのはなかなかやっぱりすごい!
前回あまり気にしなかったが、今回気になったのは、ケースワーカーの女性を傷つけた二人が逃避行するときに、アバンはもちろん自分の「罪」を自覚しているのだが、アディはどうなの?ということ。自分が殴り倒した?女性の死について兄が自首したことをテレビ放映で知り、証拠もある、と聞いたら、自分が殴り倒したことには責任がないと思えてしまう?のかな…。そして兄は弟が立ち直って生き別れの不仲な父と会いIDを獲得するというのに安心して?死刑になるというわけなんだが、ウーン、理性ではなくやはり感情に依拠したアジア映画なんだなという感じも…。アバンは安心して死んで行ってもプドゥの身分不安定な貧しい人々の問題は何も解決しないわけだし、解決に向かっての告発映画としてではなく、こんな状況の不条理に健気に生きる青年たちもいるんだよーというまあ、それを言いたかったっていうことかな…。前回呉慷仁は8㎏減量してアバンを演じたと聞いたが、今回聞くところによると弟役のジャック・タンも8㎏減量して演じたのだそうで、実際に舞台あいさつに出てきたジャックはほっそり小柄な高校生?みたいな若さで映画の気は良いがふてぶてしい青年という雰囲気はまったくない。まあ、ビックリ!

↓ジン・オング監督とジャック・タンさん/引き続き行われたサイン会での二人

ちなみに私はすでに終活?中なので、最近サインというようなものは極力せず、もらわずという感じです(笑)。 (2月2日 キノシネマ立川 021)

リアル・ペイン
監督:ジェシー・アイゼンパーク 出演:ジェシー・アイゼンパーク キーラン・カルキン
ウィル・シャープ ジェニファー・グレイ 2024米 90分

東京国際映画祭で見たいと思いつつ、時間などが合わなくて公開を待っていた。平日立川のシネマシティ会員(会費6か月100円)は平日だと1000円で映画が見らることを知り、『九龍城砦』⑬に続き今年2回目の鑑賞。
ポーランドの強制収容所を生き延びた祖母を持ちアメリカに住むユダヤ人の従兄弟同どうしが、祖母の死をきっかけにツアーに参加してポーランドのユダヤ虐殺の史跡を訪ね、祖母の住んだ街を訪ねて帰るまでの旅の様子を描くが、この従兄弟どうし、同じ年だが、ある意味まったく反対の生き方をしている二人として描かれ、美しい妻と息子もいて、ネットでの広告業で稼いでもいて、まあ常識人として暮らしているデビッドの視点から、いささか常識外れではあり行儀も悪いが、実は内面の繊細さで人を見ぬき、また自身の考えをはっきり述べるというような、一見コマッタやつなんだけれど、実はその魅力で人を引き付けるーデイブ自身がその魅力というか吸引力に引きずられている様子が、とてもよくわかるような描写もたくさんという人物として描かれる。
英国人のガイドに引率されるツアーのメンバーはもちろん強制収容所の体験者の子どもとか孫とかもいるが、ルワンダで虐殺を体験したアフリカ系の男性とか、子どもがひと月に1度も連絡をくれないと笑う(夫はいない)女性とか、現代においても悩みというか問題や体験をかかえているような人々が個性的に描かれていて、それぞれに従兄弟とかかわってくる、それもなかなかにリアルに描かれているなとは思えるのだが…、全体がリアルにして繊細という描き方で、ドラマティックな盛り上がりなどはあまりない、ユーモアのこぼれる場面はちょっとあるし、音楽は全編?ショパンのピアノ曲という品のいい映画で、雰囲気は十分に伝わってくるのだが、ウーン、すごく気をつけてみていないと寝てしまいそうなゆったりという気配もなくはない。出だしと終わりはベンジーが従弟と会う前、別れたあと空港のベンチに座って放心する、というような描き方なので、それをみるとあれ?これはベンジー視点の映画かな?…両方にわりと対等に視点を割り振っている?のも全体に淡白な印象を招いているという気もした。(2月7日 立川シネマ2 022) 

③ステラ ヒトラーにユダヤ人同胞を売った女
監督:キリアン・リートホーフ 出演:パウラ・ベーア ヤニス・ニーブナー カーチャ・リーマン 2023 ドイツ・オーストリア・スイス・イギリス合作 121分

1940年代ベルリンのユダヤ人社会?の若者たち、ピンクのシャツブラウスにジーンズっぽい明るいブルーの太いパンツでジャズを歌い踊る金髪のヒロイン、ステラはなんとも魅力いっぱい。しかし時代はナチスのユダヤ人弾圧の恐怖がひしひしと迫るころで、次に画面が飛ぶ3年後ステラは工場で強制労働をさせられ家族とともにユダヤ人狩りの恐怖におびえる日。そんな中で知り合ったロルフと偽身分証作りにかかわる中でナチスの将校とも接触していくステラ。やがてゲシュタポにつかまりすさまじい拷問を受けて密告者になっていく過程が、わりと淡々というのはヘンだがドラマティックにではなく描かれていく。後半になると周囲のユダヤ人から密告者とののしられ、愛した両親はアウシュビッツに送られて死にというような状況の中で傲然と顔を上げているステラ、1957年?に時間が飛び、ステラはソ連での収容所暮らしの10年を経てドイツで裁判にかけられているが、周辺ユダヤ人の非難の中で「無実」と「すでに(ソ連によって)刑罰は受けた」という判断により釈放され、さらに1984年?以後の晩年までが描かれ、これは話の妙というよりなんといっても若い時から中年、老後と言っていい年まで生き抜くステラを演じたパウラ・ベーアの体当たり的演技に目を奪われる(この老いてオシャレな暮らしをしているみたいな女性がどうやって暮らしているのかは不思議にも思うところではあるが)。
監督はパリの同時多発テロで妻を失った男を描いた『ぼくは君たちを憎まないことにした』㉑を作った人。他者の命を奪うような行為に対する同情ではないけれど、その心情をも察するところから考えて行こうという志向がある人なのかと思われる。(2月9日 新宿武蔵野館 023)

④アプレンティス ドナルド・トランプの創り方
監督:アリ・アッパシ 出演:セバスチャン・スタン ジェレミー・ストロング マリア・バカローバ 2024アメリカ 123分

監督(1981年生)はイラン出身でスェーデンに移住、今はイラン国籍を保持しつつデンマーク在住とか。主演のトランプ役セバスチャン・スタン(1983生)はルーマニア出身。妻を演じたマリア・バカローアはブルガリア出身だそうで、ま、どちらかというとアメリカ社会ではマイノリティーの外国人中心しかもジェレミー・スとロング(1978生)も含め45歳以下の若い力が作ったからこそできた映画?ドナルド・トランプはこの映画に激怒したそうだが、まあそうだろうなあ。というかよくこんな映画が、トランプが2度目の大統領就任を果たした今のアメリカでできたものだと、そこに感心してしまう。
まあ、要は若いまだ気弱で倫理意識もある?青年トランプが、手段を択ばず訴訟に負けたことはない悪名高き弁護士ロイ・コーンと知り合い彼に気に入られ育てられて、やがては彼を凌駕して、今の「怪物」トランプになっていったという話で、出てくるトランプやロイの語る内容は、まあ今のトランプ報道などに出てくるものと大きく変わらずステレオタイプのトランプ風と言ってよいが、この映画、「アプレンティス(弟子)」という題名だから、トランプよりはロイの方が主要人物(師)ということになるのかも。それにしてもセバスチャン・スタンのトランプぶりは特殊メイクなどの効果もあるのだろうとはいえ、一見以上の価値あり。若き日を描いているので、あたかも…というところがほんとに顔、体つき、それに後半腹部の脂肪吸引とか頭皮を縫い合わせる?とかのエグさも含め、なかなかのもの。
(2月9日 キノシネマ新宿 024)

⑤どうすればよかったか?
監督:藤野知明 2024日本 101分

統合失調症を発症した娘の病を病と認めず、医師国家試験を受けさせたりの試みを繰り返しながら、結局20年医療からは遠ざけ家のドアに南京錠を取り付けて娘を閉じ込めるというよりは自分たち父母をも含め一家で閉じこもる医学者の夫婦を、姉や両親を心配する弟息子の目から描いたという、それだけでなんか「異常性」を感じさせられるような映画と思えて、12月以来ロングランを続け、上映館も増えている?状況に驚きつつ足が向かなかった。こんな映画を公開することが、家族によく受け入れられた?あるいは受け入れられないとすれば映画の存在が家族をより傷つけるのではないかとも思ったし。しかし、近くの調布の大きなシネコンでもやっているし、一応見てからでなければなにも言えないしと、出かける。
前半無表情かと思えば時間も関係なく罵声、怒鳴り声、悲鳴の姉、その状況に一家で一番翻弄されながらもかたくなに娘は正常だと言い募る母のむしろ異様さ(気持ちはすごくわかる気もする。娘を病気と認めるのは自分の非を認めるような気がするのだろう)。その母が老いて認知症になり、その介護のために弟は姉をようやく入院させることができ、3か月後、薬が効いて姉は退院、そこからは姉と家族の間には会話も成り立ち、姉は身じまいもすっきりして、逆にそれまでの20年間、本人こそがどんなにつらかったろうと思わせられる。そして母の死後、老いて脳梗塞を発症し車椅子生活をする父とともに穏やかに暮らしていた姉にはガンが発見され父に先立ち、その後弟は父の了承を得てこの映画を公開する。
その最後のインタビュー、息子の問いかけ「どうすればよかったと思うか」に父は「失敗だったとは思わない」と答える。この父は若い頃、妻と幼時の姉を連れて2年間のヨーロッパ留学も果たしたという学者で、知的だし、強権的でもなく、一家は娘の状況を抱えながらも夫婦ともども研究生活を全うし、豪奢(といってもいいような)な邸宅に住み、朝食からナイフとフォークを使って食べる、というようなオシャレな暮らしを全うしており、母にはちょっとギラギラするようなそういう生活への志向も感じられるのだが、父の方は終始穏やかで娘に対しても優しくなだめるというような態度を崩さないのだが(もっとも娘の病気を最初に見た精神科医の論文を読み、論考が気に入らないから娘を任せないという判断をしたのも父とされているのだが)ーあれだけの娘の苦しみを苦しみとは認めず、自由に任せるというような態度はやさしげではあっても人との距離を取ってかかわらない態度が寛容性として見えるだけなのかも…とすればこういう人は実は私の周りにも、あるいは私自身の中にもあるものだなあと、そうなると一見異常に見えるこの家族の状況はより普遍的なものである…そしてであるとすればセルフドキュメンタリー(こういう状況に20年以上カメラを向け続ける弟というのも十分にオドロキだが)としてのこの映画の意味も深く感じられる、とそんな思いをもった。(2月14日 イオンシネマ調布 025)

⑥マミー
監督:二村真弘 出演:林浩次(仮名) 林健治 2024日本 119分

これもまた、現代の社会をまんま描いた、話題のドキュメンタリー。監督挨拶(行ってからあることを知った)つきの上映会、土曜の午後とはいえ満席の観客にちょっと驚く。今珍しくなったオンラインなしの先着整理券販売の、概ね40分くらい前の購入で68番!
で、映画は、1997年和歌山のヒ素カレー事件で死刑が確定し現在は再審請求中の林眞須美被告の息子・仮名(現在の顔はぼかし)と親交を持ち、冤罪を疑うようになったという監督が、息子や夫・林健治、また再審請求にかかわる弁護士や、周辺の人々、死刑判決に至る取り調べをした刑事や、検事・裁判官にまでインタビューし、彼女の裁判をもう一度やり直すべきだという立場から訴えたもの。身内は積極的に彼女の冤罪を訴える(もっとも長女が子どもたちとともに自死した事件報道もおりこまれている)が、周辺の人々の口はどちらかといえば重く、また警察や法曹関係者(元)などはインタビューに行く監督をシャットアウトする映像が多く、ま、そうではあろう…。興味深かったのは妻の無実を主張する夫が、有罪根拠の一つとなった自身に対し妻がヒ素を飲ませ保険金詐欺を謀ったという事件について、ヒ素は1度目は「ちょっとどんな味がするか試して」、2度目は「高次障がいへの保険金が1億5千万手元に入ったことに味をしめ再び保険金を得ようと」自らヒ素を摂取したのだ、ということ。もしそうならば、これがいわば妻を死刑に追い込んだ訳だろうが(もっとも二度目については眞須美被告自身も承知はしていたとか)ウーン、こういうことを考え自らの命を懸けて犯罪まがいをするという、そういうなんというか投機的な性格そのものにちょっと衝撃を受けた。それがこの夫婦を疑わせる原因の一つになったのだろうし…(もちろんだから妻を罪に問うていい理由になるわけではないが)。また映画最後のほうで監督自身が取材相手の車にGPSをつけて検挙されるという事件が描かれ(不起訴となった)それも併せて考えると、ウーン、何かを作ろう、高額の金を手に入れようというような志向と犯罪性って紙一重?なんてことも思い、ならば凡人の私には犯罪も、金稼ぎも、アートの完成も無理なわけだわ…なんて変なことを考えてしまった。
事件の起きた村落に海側?から入っていくアングルや映像はすごくきれいでカメラワークの妙を感じさせる。(2月15日 下高井戸シネマ 026)
二村監督・舞台挨拶
          

⑦グレース
監督・脚本:イリヤ・ポヴォロツキー 出演:マリヤ・ルキャノヴァ ジェラ・チタヴァ
エルダル・サフィカノフ クセニヤ・クテボア 2023ロシア/ロシア語・ジョージア語・バルカル語 119分 ★

出だしは水辺で水を汲む少女グレース(16歳)、彼女は生理に気づき水辺で洗うー冷たそう…、荒涼とした景色の中を水のタンクを持って赤い車(中を改造した小型のバスというかヴァン)に戻るが中には入らず、外においた椅子にすわっている。やがて車から降りてきた女性は黙って離れて行こうとするが少女は呼び止め「出血した」と、女性からタンポンをもらうのである。この一場面に映画全体の少女の屈託や孤独が集約されたような場面である。少女は父とともにこの車で旅をし、戸外に幕を張って移動映画会をしたり、またカラCDにコピーした映画やポルノなどのつまりは海賊版を売って稼いでいる。少女はCDのコピー(ポルノ以外)をしたり、映画会ではモギリや、ビールや菓子を売ったりして手伝いながら常に母の骨壺を身近において放さない。車はロシア南西部のコーカサス山岳地帯のいかにも荒涼とした荒れ地のようなーというかそびえる木なども真っ黒く映されているので、荒涼感がいっそうただようような画面ー道を「海を目指して」走り続ける。父娘ともに無口で会話らしい会話はないのだが(ただし車の行く道は少女の知らないバルカル語やジョージア語の地帯で、父はそれぞれで長い会話はしないが用足しぐらいはきちんとしていると描かれるまた映画を生業としていたり、よく本を読んだり、案外教養人として描かれているのでもある)、父がむっつりしたりときに叱りつけながらも娘を思っている様子は伝わってくる。そんな父に娘はついて行かないわけにはいかないが、ある時映画会で一人の若者に出会ったあたり、そしてやがて海に近くまでやってくるが魚の大量死と死骸の回収で道路が通行止めになっているあたりで、一夜の宿を求め気象研究者の中年女性に出会うあたりから、映画は動き出し少女は自立に向かって?ちょっと思い切った行動にもでる、とそんな流れ。最後、一人で母の灰を海に撒き父の車に戻っていく少女に、それまでの鬱屈をふっきった感じを見た気はするが、このあとどうなる?と考えると、この映画の1年後にロシアが起こしたウクライナ侵攻も思い合わせると、ちょっと暗澹とはしてしまうような行く末でもある。
ウクライナ侵攻後のカンヌ映画祭で唯一出品を認められたロシア映画だという。
(2月15日 下高井戸シネマ 027)

⑧聖なるイチジクの種
監督:モハマド・ラスロフ 出演:ミシャク・ザラ ソヘイラ・ゴレスターニ マフサ・ロフタミ  セターレ・マレキ ニウシャ・アフシ 2024ドイツ・フランス・イラン 167分★★★

舞台はテヘラン。予審判事に昇格したイマンは喜びながらも、反体制派の20歳の青年に死刑の判決を下す署名を迫られて悩む。妻のナジムは夫が昇格し娘二人に個室が与えられるような官舎に入れることを喜び、娘たちには行動を律して父の恥にならぬような生活をすることを求める。娘たちは表面は両親に従順だが、実はそれぞれに考えや希望を持っているらしい。
おりしもヒジャヴの着用に抵抗した女子学生の不審死を契機に学生や市民の反体制運動が高まる。巻き込まれた(というか積極的にかかわった?)長女レズワンの友人サダムの負傷と行方不明、娘たちの安全をのみ願う母のナジムはサダムの行方を探し始める。一方体制側のイマンは忙しくかつ厳しい職業的選択を迫られるというのが丁寧に描かれる前半で、このあとどう話が展開していくのか、いささかじれったい感じも…。ところが、イマンが身を護るためとして職場で与えられ、自宅の引き出しにしまっていた銃が、ある日紛失する。妻はもともとイマンの銃所持を恐れ、娘たちは実は父の仕事の実情も銃所持も知らされていないのであるが…家の中で紛失したということから妻や娘たちに疑いの目を向けるイマンやその上司、イマンは妻と娘をカウンセリングと称して尋問を受けさせる…とこのあたりからなんか話はどんどんミステリーというかスリラーっぽく、またカーチェイスも含むような一種のミステリー・アクションともなり、家父長国家イランと弾圧される女性たち(年齢も思想もさまざま)の抵抗を家庭の崩壊に落とし込んだ寓話的な展開になり、娯楽作品として息も抜けず目も放せないという、すごーい映画になっていく。銃を持って追う父と、追われる妻・娘たち、もう一人銃を持つ下の娘(前半はおしゃれ好きな高校生に過ぎないのだが、非常にアクティブで面白いキャラクター)、そして衝撃的な家族の最後!
この映画を作った監督は国家反逆の罪で8年の懲役刑という判決を受け、国外脱出をはかりこの作品が上映されたカンヌまで旅券のない28日間の旅をしたそう。そしてこの映画はカンヌで審査員特別賞を獲得。しかし出演者たちはいずれも国外に出ることを許されず、弾圧の中にいるという、非常に勇気ある作品なのである。(2月17日 キノシネマ新宿 028)

⑨パピヨン
監督:フランクリン・J・シャフナー 出演:スティーブ・マックイーン ダスティン・ホフマン 1973フランス・アメリカ 151分

この映画、2017年にすでにリメイク版が制作されている(マイケル・ノア―監督 チャーリー・ハナム、レミ・マレック出演)が、今回見たのは1973年原版のほうで題名と主題曲はしっかり頭に残っていたが、多分未見、ということで山歩き(ハイキングだが)後に時間がちょうど合った立川(平日1000円で見られるので)で。
フランスの作家アンリ・シャリエールの実話(13年の投獄と脱走)に基づくそうで、なるほどの迫力ではある。まあ迫力があるのは、囚人を徹底的に痛めつけるギアナ監獄の描写の方かも。そこを何としても抜け出したいと体を張り、ハンセン病の島の長に助けられたり、半裸の原住民の暮らす島で女性に迫られ大事にされたりしながらも決してブレずにフランスの戻ることのみ考えるパピヨンは脱獄失敗独房でのつらい通算7年間?後に島送り。頭脳派でうまく立ち回り生活力も抜群の相棒ドガのとは最初から脱獄を共にするが、最後は島で一緒になり(もう一人の仲間は死ぬ)しかし最後は彼は島に残るという、まあ、生き方の違いまでを延々と描くのだが、最後ヤシの実を袋に詰めて海に浮かべて島から抜け出すって、成功したって、あまりに嘘っぽくない?でも実話もそうなのかね。スティーブ・マックイーン43歳のときの作品だが、その後半牢獄で痛めつけられ老いてヨロヨロというのがあまりにリアルな演技で遠景で脱獄に成功したと言ってもカタルシスというものは全然感じられず。むしろダスティン・ホフマン(当時35くらい?)演じるドガの造型のほうが興味深い(ネタバレゴメン!)(2月18日 立川シネマ1 029)

⑩愛を耕すひと(Bastarden
監督:ニコライ・アーセル 出演:マッツ・ミケルセン アマンダ・コリン シモン・ペンネビヤーク メリナ・ハグバーグ クリスティン・クヤトゥ・ソープ 2023デンマーク・ドイツ・スェーデン 127分

原題(英題)『Bastarden』は「私生児」「庶子」という意味で、貴族とその使用人女性の間に生まれた子でありながら父親の認知されない主人公が国土に広大に残るヒース(荒野)開拓の功績によって王から与えられる貴族の地位を求めるということからつけられた題名である。で、ヒースを自身の土地として開墾を止めようとする「領主」に代表される18世紀デンマークの貴族がいかに横暴か、貴族以外の人間に対する虐げ方のすさまじさ、人権などというものがまったくない社会であることのコワさがこれでもかこれでもかという感じで主人公に襲い掛かってくる。そこで主人公はこの社会的しくみの抵抗するというほうには進まず、ひたすらに自身も結果として周囲の人間を虐げつつ開拓に邁進する。その彼に徹底的に弾圧を加える狂気に満ちた領主は、捉えられてむち打ちに処せられる主人公を救う女たちによってすさまじい終焉を迎え、主人公は
王からも認められ叙位の夢を果たすことになる。と、まあ深刻な顔の似合うマッツ・ミケルセンの演じるこの主人公も『パピヨン』と同じくちょっと狂気じみてひたすら開墾にのみ打ち込み、あまり共感が得られるというふうには描かれないのだが、最後にえ?と驚くべき嘘っぽい、可能なの?という結末。デンマークの作家イダ・ジェッセンが史実に基づいて執筆した小説がもとになっているそうだが、まさかこの結末は史実にはないのだろうなあ。『愛を耕すひと』という邦題に完全に騙された!(2月19日 新宿ピカデリー 030)

始まりました!イスラム映画祭2025 


ここから⑪~㉑は映画祭報告になります。
           

⑪怒れるシーラ
監督:アポリーヌ・トラオレ 出演:ナフィサトウ・シセ マイク・ダノン ラザール・ミネング 2023プルキナファソ・セネガル・フランス・ドイツ(フラ二語、モシ語、フランス語。英語)★

遊牧民フラ二族の娘シーラは、イスラム教徒の一族とともにキリスト教徒の婚約者の元に砂漠(サヘル)を旅する途中、イスラム武装組織の一団に襲われ父は殺され、抵抗したシーラは拉致され、武装組織のトップに凌辱されて砂漠に捨てられる。彼女は水も食料もなくさまよって武装組織のキャンプにたどりつきそこで監禁されることになるが…そこにはおおぜいの拉致されてきた女たちがおり、やがてシーラは自身の妊娠を知る。
映画は要はそのような過酷な状況の下で、シーラが耐え、知恵を絞り、女たちとも助け合いながら(というほどでもないか…、彼女の孤独な闘いが強調されている感じも)一人で産んだ赤ん坊と機関銃を背負って復讐を果たし、最後に探しに来た婚約者と抱き合うまで、ということになるが、ーこの婚約者も生まれた子供を抱き上げるやさしさは見せるがーウーン、ことが無事にすんでからの邂逅というのはちょっとね…という感じも。ま、しかしシーラのたくましく生き抜く力を十分に味わって納得かな。全編砂漠の中なのがちとつらいが。
(2月20日 渋谷ユーロライブ イスラム映画祭2025 031)

⑫母たちの村(Moolaade)
監督:ウスマン・センベーヌ 出演:ファトゥタ・クリバリ マイムナ・エレーヌ・ジャラ サリマク・トラオレ ドミニク・T・ゼイダ 2003セネガル・プルキナファソ・モロッコ・チュニジア・カメルーン・フランス・ドイツ(バンバラ後・フランス語)125分★★

2006年6月〜7月の岩波ホールでの日本初公開時にみたウスマン・センベーヌ(セネガル出身1923-2007「アフリカ映画の父」と謳われたそう)の遺作。前回鑑賞時はまだこのブログをやっていなかったので、自身の「映画日記」ファイルから探し出したのが以下の感想だ。ずいぶん真面目に混乱もしつつこの映画の「伝統的悪しき慣習」への立ち向かい方を評価しているが…。今回見て思ったのは人々の「矛盾」ではなく重層構造というか問題に対する態度・立ち向かい方の多様性がこの小さな村の中にもあり、変化もあり、それをさまざまな村人に負わせて、FGM/Cに対するというより家父長制社会のありようを批判している(第3夫人までいる女たちの結束も意外に家父長主義への抵抗として働いている)ということと、子どもがFGMで死んだり、井戸に身投げしたり、主人公コレを擁護した、外から来た行商人が殺されたり、けっこう陰惨な事件がたくさん出てくるにもかかわらず、意外に明るくユーモラスでさえある、描き方の妙ー寓話的に描かれているーの面白さであると感じた。
上映後45分間(夜10時まで!)嶺崎寛子氏(成蹊大学)のFGMとこの作品に関する解説トークあり。これがまたユーモアもたっぷりな面白い話で啓発された。(2月20日 渋谷ユーロライブ イスラム映画祭2025 032)

以下は2006年7月6日の映画日記から この時は★★★をつけている。

乾いたアフリカの大地の美しさ、そこにいる女性たちのきっちりとものを見ようとする視線の美しさが印象的な映画。もっとも美しい村には女性器切除という習慣があり、これは女たちの人生に苦しみを及ぼしているが、しかし一人前の女として結婚する条件として女たちがみずから受け入れ、率先してこれを行う女性隊みたいなものがある(真っ赤な衣装=制服?に身を包み隊伍を組んで歩くこの女たちは美しく恐ろしい、まさに軍隊)物語はこの儀式を逃れて助けを求めた少女たちを一人の女性が匿い「モーラーデ」を行うところから始まる。「モーラーデ」とは「保護」のことで、保護を求められた人は家の前に紐を張り、これが張られていることにより脅威は門内に入れないという約束ができるという習慣だそうだ。封建的・女性差別的・保守的な村文化の中にこのような虐げられた側を守り、交渉権(モーラーデをした人が相手とする)を持たせることによってある種の民主制を持とうとしている人々の知恵ということで、感心する。さて娘たちをモーラーデした女性は自らが女性器切除の後遺症に苦しみ、自分の娘にはこれを受けさせなかった、それゆえ他の娘たちに保護を頼まれるわけだが、毅然としてこの悪習に立ち向かい派手な言動はしないのに女たちを徐々に味方にし、男の鞭にも無抵抗でしかし決して動じず、少女たちを守り抜き女性たちと共感しあって男性に自分の意を唱える姿が描かれる。ちょっと安易に感動的なのと、男たちの中に彼女たちの側につく者がいて理解し守ってくれることが女たちを後押しする描き方になっているのが少しリアリティ的にはどうなんだろう・・と思えてしまうのが難といえば難かもしれないが、男性は多分そこに救われるだろう。全体としては見るに値する映画だと思った。

⑬チュニスの切り裂き男 シャッラ―ト
監督:カウサル・ビン・ハーニャ 出演:ジャハール・ドリーディ(本人) ムフィーダ・ドリーディ(本人の母) ムハンマド・サリーム・ブーシ―ハ ナリマーン・サイダーン
2014チュニジア・フランス・UAE・カナダ(アラビア語)90分

2003年チュニジアで11人の女性がバイクに乗った男に後ろから切りつけられるという事件があった。犯人は「シャッラート(切り裂き男)」と呼ばれたが未だ真犯人はわからず解決していないらしい。
この映画はその事件を題材に、自身を犯人だと名乗る男とその母は本人自身が演じ、その他の人物もある部分は本人インタヴュー、ある部分は演者による演技としてのインタビューで組み合わせて、この事件を犯人・被害者・評する男たち(女の半裸にそそられ事件を起こす男を擁護する)、ジェンダー視点での事件の原因を語る識者などを登場させたモキュメンタリ―。映画の作者(インタビュアー)も若い女性の映画学生と設定されており、どこからどこまでがフィクションかドキュメンタリーかわからず幻惑される。犯人と名乗るジャハール・ドーリディの特異な人間性に興味を持って作ったというのだが、そういう人間性が悪びれることなく母ともども映画の中で自身?を語る(語れる社会)や切り裂き男に同情的な男権主義はフィクションとは思えず、そこに作者の視点・主張もあるのだろう。イスラム映画祭2023で上映された『マリアㇺと犬ども』⑲の監督作品。
(2月21日 渋谷ユーロライブ イスラム映画祭2025 033)

⑭ギャベ
監督:フセイン・マフマルバフ 出演:ジャガイエク・ジョダド ホセイン・モハラミ
ロギエ・モハラミ アッパス・サヤヒ 1996イラン・フランス(ペルシャ語)74分 ★

何ともカラフル・色彩にあふれた映画ー背景も女性たちの華やか、きらびやかとも言える民族衣装も。その中で男たちはフツウの現代風カジュアルタイプで色も地味めなのが?彼ら男視点の映画ということ?
で、出だしは美しい野原を歩いてくる老夫婦。水辺に絨毯の仕上げに洗いに来たのだが、夫は自分に洗わせろと言い、妻は拒んで「あなたはごはんを作って」「ごはん作りは女の仕事だ」というような会話。そして水中に広げられる絨毯は妻の鮮やかな青い衣装と同じ青を基調とした「水」のような地色に男女の刺繍?のあるもので、そこに突如現れる幻想?(絨毯の精?)の若い女性ギャベ(ギャベはこの絨毯のこと)も同じ色の青い着物…映画の物語はこの若い女性のなかなか成就しない恋を遊牧民の生活の中で描く映像詩といってもよいー狂言回し的に登場する「伯父」と称される人物が、このコミュニティの中で花束などを使って「色」の授業をしたり、また水辺で女性に恋を語り結ばれ、踊ったりというようなサイドストーリーがあり、この若い女性に自らの思いのままに生きるように示唆したりもするわけで、芸達者な役者が演じているが、見かけはこの映画のカラフル・幻想的な社会にそぐわないようなフツウのオジサンで、不思議な違和感もある。遠景で豆粒のようにしか現れず不思議な掛け声で若い女性を呼ぶ恋人は、結局後の老夫ということか…。なんとも不思議な雰囲気に揺蕩った詩的至福を感じさせられた70分あまり。
映画後、イラン映画の検閲に関して村山木乃実氏(東京大学)のトークあり。この若手イスラム研究者は、2月7日東京外語大で「イスラムと宝塚歌劇」の研究集会を開催された方で、なかなかの活躍ぶり…(2月21日 渋谷ユーロライブ イスラム映画祭2025 034)

⑮カシミール冬の裏側
監督:アーミル・バーシル 出演:ゾーヤー・フサイン シャビール・アフマド・ローン
2022インド・フランス・カタール(ウルドゥ語・カシミール語)99分 ★

寒々とした雪のカシミール地方。反インド政府運動に参加して「聖戦士」(と子供があこがれているシーンあり)となり行方不明になって2年、妻のナルギスは生活のために住み込みの家政婦や、ショール織の内職をして夫を捜しているが、夫のことがばれて解雇されてしまい、郊外?の元いた家に戻る(最初は「妻」の境遇の映画かと思い、「家」があるだけよかったじゃん何て思ったが)。ショールの仕事を与えてくれていたヤシーンという男が心配して何くれと彼女の世話やき、やがて求婚の意思をも示すが、そこに拷問で痛めつけられすっかり抜け殻になったような夫マンズールが戻ってくる。夫は痛めつけられ帰郷となった痛手から立ち直れず、妻にも心も体も開くことができず、ナルギスは悩みながら面倒を見続け、ヤシーンの求めに応じてカシミールのショールを織って生計を立てるが…。このあたりはどちらかといえば妻の映画というよりPTSDにも性機能を含む体の後遺症にも悩む夫、しかも定期的に政府機関に報告出頭をすることを求められていることからは、彼が単に釈放されて帰郷したのではなく反政府活動から寝返り、政府機関には「土産」を求められているらしいこともみえてくる。近所の子供だけは「聖戦士」とあがめるが実は…というわけで、ショールが仕上がった日、マンズールは恐ろしい「土産」を差し出し、ナルギスは家を出る。そして2年後有刺鉄線に引っ掛かったショールの切れ端、ドキュメンタリー映像を使ったらしい、ナルギスが行方不明の家族の写真を持って同じような人々と並ぶ映像でこの映画は終わる。主役のナルギス以外は職業俳優は使っていないというが、役者たちの迫力は確かで、カシミールの置かれたインドとの関係のすさまじさが本当に寒々とした雪景色の中で身に迫ってくる。
(2月21日 渋谷ユーロライブ イスラム映画祭2025 035)

⑯モーグル・モーグリ
監督:バッサーム・ターリク 出演:リズ・アーメッド アリ―・ハーン スター・プーチャル 2020イギリス・アメリカ(英語・ウルドゥ語)35㎜ 88分

英国へのパキスタン移民の子で、俳優・ラッパーのリズ・アーメッドが、監督とともに脚本を書き自ら演じた、設定もまさに現代そのもの。ラッパーとして世界公演ツアーに出ようとした矢先、帰省した自宅で体調不良に陥ったラッパー・ゼッド(ザヒール)は遺伝性の自己免疫疾患と診断され歩くこともできなくなってしまう。グローバルな活躍をのぞむザヒールにとって「遺伝的」疾患とか、インド独立時パキスタンに逃れたという父は、もともと息子の音楽活動には反対で、その父との確執、頭に花飾りをつけた謎の男の挑発(ザヒールの見る幻影?)など「移民」としてのアイデンティティにかかわるようなさまざまに満ちた闘病生活が描かれるがーウーン。要所におりこまれる彼自身のラップはすごく興味深く聞けるが、身体機能が損なわれて行く恐怖や、そこからの立ち直りはわりと普遍的な描かれ方だし、それこそ人種や民族にかかわりのない普遍的なものと考えてもいいんじゃないかという気も…。(2月22日 渋谷ユーロライブ イスラム映画祭2025 036)

⑰さよなら、ジュリア
監督:ムハマンド・コルトファーニー 出演:イーマーン・ユースク シラン・リアク ナザール・グムア 2023スーダン・エジプト・フランス・サウジアラビア・スェーデン 35㎜ 120分 ★



こちらは複雑な南北事情というか、宗教状況というかを抱えるスーダンの南北合意後も不穏な雰囲気漂う2005年のある家族の事件とそこから5年後、民主選挙が行われちょっと解放の兆しも見えた2010年の事件の結末までを二人の女性を芯に描いている。北部ハルツームに住むモナは裕福なイスラム系家族。妻を愛しているとは言うが専制的な面も強い夫との間には実は不妊ほか事情も絡んで必ずしも充足しているとは言えない。そのモナが運転中の不注意から幼い子供をひっかけてしまい、動転してその場を逃げ出す。怒った子どもの父がバイクで追いかけモナは逃げて自宅へ。迎えた夫は、事情も聴かず子どもの父親を撃ち殺してしまうが、この殺人は北部勢力の警察などの手でもみ消され、子どもの父は闇に葬られ行方不明者ということになってしまう。モナは事情を夫に打ち明けることもできない。
子どもの母が題名のジュリアで、行方不明の夫を捜すがらちが明かず、オクラの粉(アフリカって色々な穀物だけでなく植物の粉を使うのだなあ…と今バオバブパウダーを愛用中のワタシは感心)を売って生計を立て始める。ジュリアは、ルーツは南部だが自身は北部生まれのキリスト教徒。演じるシラン・リアクはモデルだそうですらりとした姿形がなんとも美しい。
車で母子を捜してやってきたモナはオクラ・パウダーを買い、家を焼かれて失った母子を家に住まわせて家政婦とし、息子ダニエルを学校にも通わせ面倒を見る。これは夫にも言えないモナの贖罪なのであるが…警察から引き取り隠しておいたジュリアの夫の身分証や財布を幼い息子が見つけ、驚いたモナが子どもの口を封じて焼き捨てるなどというような、オソロシイ場面もあるが、概ね二人は徐々に親密に、お互いの生き方も認め合っているかのような暮らしをしていく様子が描かれる。主演のモナを演ずるイーマーン・ユースクのほうは有名な歌手でもあるとかで、ムスリムという設定だがジュリアに誘われ教会でゴスペルを歌うシーンは聞かせるし、映画としても宗教を対立としてでなく融合としてとしてとらえて行こうとする二人の姿が現れた印象に残るシーンである。そして5年後。
モナは昔の恋人(バンド仲間だった)からあらたなバンドに誘われ、夫との間はぎくしゃく。ジュリアも家政婦を続けながら勉強もして新しい道が開けつつある。ダニエルはある日父の乗っていたバイクを見つけ行方不明に疑念を抱き…とそんな中で物語は展開、モナは夫ともジュリア親子とも別れることに…ネタバレゴメンだが、そもそも題名からみてもこの別れはよきできる。ただ驚いたのは、モナの長年のウソ(隠し事)の告白を聞いたジュリアの反応で、ウーン、差別される側のしたたかさというか、二項対立ではくくれない人間関係の多様性というか。ドラマティックな展開に納得させられてしまう。
終わって丸山大介氏(防衛大学校)のトークあり。
2月22日 渋谷ユーロライブ イスラム映画祭2025 037)

⑱シリンの結婚
監督:ヘルマ・サンダース=ブラームス 出演:アイテン・エルテン ユルゲン・プロホノフ ナレーション:ヘルマ・サンダース=ブラームス アイテン・エルテン
1976 西ドイツ(ドイツ語・トルコ語・ギリシャ語)35mmモノクロ 121分

トルコ・アナトリア地方の農村、借りた畑の小作管理人に石を投げたとしてシリンの父は逮捕され、残されたシリン一家の生活のため、すでに許嫁がいてドイツに出稼ぎ中のシリンは、小作管理人との結婚を親族の男たちに勝手に決められてしまう。迎えの車に乗ったものの、途中で逃げ出し許嫁から送られた(といっても彼女個人に贈られたわけでもないのだが)洗面器一つと身の回りを入れた小さなトランク一つでイスタンブールから許嫁のいるというケルンを目指して旅をするシリン、無一文でバスにも乗れない状態をイスタンブールの娘のうちに行く老婦人に助けられ、なんとかアルバイトをしてドイツへの道を捜し、ようやくドイツへ、そこで工場労働者として働き、トルコの実家に仕送りもしながら許嫁を捜すが、彼の消息は知れず、2年ほど。やがて工場が閉鎖となり解雇され、住んでいた寮も出なくなければならなくなったシリンはケルンの暗い世界に転落?していき…というなんとも救いのない展開なのだが、こういう形で当時のドイツ社会や、トルコの家父長社会が若い女性の生活に加える圧迫・打撃を批判したものであろう。トルコの風俗から、だんだんと現代風のミニスカートなどに身を包み髪も金髪に染めるシリンの変化は痛々しい感じもする(彼女の幸せの幻想世界ではトルコの衣装に戻っている)が、工場や寮では仲が悪いと思っていたギリシャからの移住者と支え合ったり、解雇の別れではうるさかった寮監の女性も含めシスター・フッドが描かれるのがなんか救いではある。『ドイツ・青ざめた母』(1980)でも救いのない「母」の描き方が印象に残っているヘルマ・サンダース=ブラームス(1940-2014)作品。2月23日 渋谷ユーロライブ イスラム映画祭2025 038)


⑲ハリーマの道
監督:アルセン・アントン・オストイッチ 出演:アルマ・ブリッツア オルガ・パカロヴィッチ ミヨ・ユリシヴィッチ イズディン・バイロヴィッチ ミライ・グルヴィッチ
2012ボスニア・ヘルツゴヴィナ クロアチア スロヴェニア ドイツ セルビア(ボスニア=クロアチア=セルビア語)97分 ★★★




これもまた、なんとも救いのない展開しかし見ごたえのある作品であることは確か。戦争による民族分断が戦争終結後にも人々に傷を残すのみならず、その後の生き方(死も含め)を決定してしまう様子が描かれる。
とはいえ1977年に設定される前半、登場する女性たちの生き方を妨げるのは厳しい家父長制とそれに伴う女性蔑視。家系図がほしいようなボスニアのムスリム一家、子どもが生まれた夫の弟夫婦を祝いに訪れたハリーマ夫婦は、弟の「女は子が産めることに意味がある」と子を産んだ妻さえも軽んじるような発言や、子のないハリーマをあからさまに侮辱するような発言に兄弟ケンカになりそうになるーセルビア軍の拉致殺害されるハリーマの夫は開明的な男として描かれている)。家に帰った夫婦のもとに駆け込んでくるのがハリーマの兄の娘サフィアで、彼女はセルビア人の恋人の子を身ごもり、父(ハリーマの兄)に殺されるとおびえる。実際にサフィアは納屋の階上から飛び降りて流産をしようとしたり、怒った父に激しく打擲されるシーンもある。気弱そうなセルビア人の恋人の家では二人の結婚を必ずしも全否定するわけではないが、恋人スラヴォミルはドイツに出稼ぎに行ってしまう。
さて、次は23年後に話がとびボスニア・ヘルツゴビナ戦争終結後5年の2000年。戦争中に夫と息子をセルビア軍に連れ去られたハリーマは一人暮らし。彼女を助けるのは夫の弟夫婦とその息子アロン(かつてハリーマ夫婦が祝いにかけつけた子供である)。サフィアは出奔してスラヴォミルと結婚したらしいがその後の消息は表立っては不明である。
さて、夫の遺骸が発見された(弟とのDNA照合で断定された)とのことで引き取りに行った席、ハリーマは息子の遺骸を特定するには母親のDNA鑑定が必要であるとして血液の提供を求められる。しかし…実家を訪ねた彼女は、息子の実母サフィアが、バス路線もないセルビア人地区に新居を建て娘3人を得て暮らしているとの情報を得、夫の弟と息子アロンの力を借りて車を出してもらいサフィアを訪ねる(後半では「弟」は以前兄とケンカした毒舌がウソのように、親切になっている。この弟親子が無傷で戦争を乗り越えたのも??)。
このあと映画の焦点はサフィアと夫スラヴォミルに移る。戦争から戻った夫は、すでに5年、アルコールに溺れ、いわば戦争後遺症のようにも見える無為な日々を送っている(どうやってこの一家が生活しているのかは不明)。戦地で彼に何があったのか…。サフィアを訪ね、飾ってあったスラヴォミルの写真を見たハリーマは衝撃を受ける。サフィアは最初に身ごもった子は死産だったと周りには行ってきたが、ハリーマの望みを受け容れDNA鑑定のための血液を提供することにしてハリーマの自宅を訪ね、そこでセルビア軍が拉致した息子の写真を見せられる。この写真をサフィアは夫に見せ、息子は死産ではなかったと告げ、そしてすべての輪がつながった形になって悲劇は悲劇で輪を閉じることになる。
遺骸が見つかった息子の葬儀はムスリムの様式で、男だけが参加するらしい。ここでサフィアの妊娠を絶対に許さなかった父(祖父)が葬儀に参加する。ハリーマやサフィア・その娘たちは見守るだけ。スラヴォミルの葬儀は行きつけだった酒場の主人によって営まれて、かつて宗教・民族を越えて愛し合った妻や娘たちの姿はない。決別して彼女たちはムスリム世界に戻るのだろうが、これ分断の再生産ではなかろうか…。
映画の最初は身ごもって頼りにできる人がなく一人走るサフィアだったが、映画の最後は分断された社会の中で分断を越えようとして?果たせず孤独に生きていくのであろうハリーマの道を示すような、大きな畑の中を一人で歩く彼女の姿だった…。とにかく戦争や民族対立がだれに対しても分断をもたらし、紛争が解決してもそこからまた分断が始まるのだというようなメッセージが強く語られるーしかも意外に娯楽性のある温かい明るい場面もありつつー映画だった。トークは鈴木健太氏(神田外語大学)
2月23日 渋谷ユーロライブ イスラム映画祭2025 039)

⑳イチジクの樹の下で
監督:エリーク・セヒリー 出演:フィディ・ファディリー ファーティーン・ファディリー アマーニー・ファディリー サマル・サーフィー 2022チュニジア・フランス・スイス・ドイツ・カタール(アラビア語) 93分  ★★

朝、道端に集まった20人?ほどの男女が迎えに来た小型トラックの荷台に乗り込みイチジク畑に向かうところから。カメラは1日広いイチジク畑の中で収穫作業に従事する人々、中でも4人の若い女性と彼女たちに関わる男女に視点をあてその会話や行動を映し出していく。人間関係や各人の境遇の説明などはまったくなく、ただ状況を追っていくドキュメンタリー的映法なので、あたかもその人々の中に自分もいるような臨場感もあるものの、登場する人物像などは行動や会話から判断するしかないので目や耳を凝らし続けないと、なんだか雰囲気だけ何を言いたいのかわからないということになりそうで気が抜けず、特に女性の装いからムスリムとはわかるが、ムスリム世界に必然的な物語なのかよくわからない。イチジクは「聖なる果物」で、そういえばトルコで沢山売っていたドライイチジクは美味しかった。1日働き60ディナール前借りをする男、セクハラボスからの慰労というか口止め?に付け加えられた20ディナールを叩き返す女の子もいたり、ボスからの盗みを疑われ喧嘩別れする男とかなかなかに刺激的、終わりにいくにしたがい人間関係が見えてくるせいかおもしろくなる。最後収穫したイチジク(畑がひろいせいか、人数とボスの叱咤激励の割には少ない?)とともに、化粧もきれいに直して乗り込み、はしゃぎ歌う若い娘たちがまぶしく、美しい。終日若い人達を見守りつつ仕事の手を休めない老女たちもなんかいい雰囲気で、もちろん問題がないわけではないが、幸せなイスラム世界の1日という感じがする。
2月23日 渋谷ユーロライブ イスラム映画祭2025 040)

㉑ラナー、占領下の花嫁
監督:ハー二―・ハブ―=アスアド 出演:クララ・ホーリー ハリファー・ナ—トゥール
イスマイール・ダッパーク 2002パレスチナ・オランダ・UAE(アラビア語)86分 ★

こちらはイスラエル占領下のエルサレムで、エジプト移住を前に娘を連れて行かないとすれば誰かと結婚させたいと4人の候補者と父エジプト出発前の今日4時までに選べ(このあたりは極度に寓話化された設定だろうが)と、迫られたパレスチナ人の娘ラナーが、舞台演出家の恋人ハリールと結婚しようと、街中を駆け回る話で、イスラエル占領下、パレスチナ人の住んでいた住居を占拠するイスラエル人とか、道端に交通を妨害するように積まれた土砂とか、イスラエル兵に石を投げつけ狙撃される子どもたちとか、占領下の街のショッキングな姿も盛り込まれる中、最初は孤独に家を抜け出しはリールに連絡を取ろうとするところからハリールや友人たちの援助を得て、結婚のための書類の準備、証人となる役人?を捜しーこの人が父立ち合いの結婚を承認しないと二人は結婚できない。その結婚は1シェケルの持参金?と1万シェケルの離婚時の賠償金が、夫と、花嫁の父との間で交わされて成立すると言ったもので、花嫁自身は意志は確認されるものの主体はあくまでも父ということみたいで、婿の決定も含めどこまでも家父長制厳しきイスラム世界という感じ―花嫁衣装も用意して、出発する父を追いかけ、検問所近くの車上で結婚が成立という駆け足のロードムービーの態。あまりリアルな物語とは言えないし、主役も原作の17歳という設定には見えない(この時実年齢26歳だそう)街の光景やイスラエル兵の姿などもパレスチナ人のエキストラで撮っていて、映画としては『パラダイス・ナウ』(2004)や『オマールの壁』(2013)の監督作品としては出来はイマイチというのが、トークで解説された岡真理さん(早稲田大学・アラブ文学)の言だったが、エルサレムを知らないものにとっては面白かった、というのがこの映画祭主宰の藤本高之氏の反論?で、これがなかなかに面白かった。私としては、ウーンまあどちらもナルホドで、映画のエルサレムの状況は現在のガザの状況に比べたら可愛らしいようなものだが、それでも占領下の厳しさは十分わかるし、家父長制や占領下状況でも自分の意思を貫いて生きようとするヒロインの頑張りま、それを助け最後はみんなで結婚式みたいなダンスに興じる友人たちのあたたかさと協力協調も印象にのこる心地よさではある。もっとも本当のラストは娘の結婚を認めざるを得ず、はしゃぐ結婚の輪から離れて「ひとり」という感じの父の姿でもある余韻のある遠景であった。
2月24日 渋谷ユーロライブ イスラム映画祭2025 041)

英題は「ある日のエルサレム」だそう

ここまでで私の「イスラム映画祭2025」は終わりです。それにしても頑張った…

㉒劇映画 孤独のグルメ
監督:松重豊 出演:松重豊 内田有紀 杏 磯村勇斗 オダギリジョー 村田雄浩 塩見三省 ユ・ジェミョン 遠藤憲一 2025日本 110分

山歩きなどをしていると、普段そんなに映画などを見に行くとも思われない人々に意外にファンが多いのがテレビや動画配信やそれにこの劇場版などの『孤独のグルメ』で、やはり地元だったり自分の親しい街のグルメなどを食べる井の頭五郎さんが人気ということ?
私もこのドラマを見たのは、そういえば勤務地だった駒場あたりの回だったなあ、と思いつつ、なかなかのロングランだがそろそろ終わりかもと、たまっていたポイント鑑賞で見る。
画面のパリや五島、そして五郎が遭難する絶海の孤島?などの景色のあまりのくっきり感にこれってグリーンバックのCGへのはめ込み?などと疑ったが、エンドロールでは各地のユニットがクレジットされているのでちゃんとロケしてるのかなあ??まあ、話としては昔の恋人の娘に頼まれその祖父が昔食べたスープの出汁の味を求めてあちこちと旅をし、遭難したり韓国の孤島に不法入国したりすることになったりする主人公が、そこで出会った人々との関係を築きながら求めよりもおいしいスープにたどり着くというまあ予定調和というか人情冒険物語だが、五郎の食べっぷりと、映画の中で善福寺六郎という男を遠藤憲一が演じて『孤独のグルメ』の撮影が行われるといういわばお遊び的設定がナルホド!
(2月28日 府中TOHOシネマズ 042)

㉓ノー・アザ―・ランド 他に故郷はない
監督:バーセル・アドラー ユバル・アブラーハム ハムダーン・バラール ラヘル・ショール 2024ノルウェイ・パレスチナ 95分

ヨルダン川西岸のパレスチナ人居住地区マサーフェルヤッタを舞台に、この地で生まれ育ったバーセル・アドラーと、訪ねてきたイスラエル人ユバル・アブラーハムの属する立場を越えての対話(わりと淡々としているのは二人の知性によるのだろうと思われる)と、彼らにるマーサフェルヤッタでイスラエル軍が土地の人々の住む家を有無を言わさずに打ちこわし、住民を追い出し、追い出された人々が困窮し嘆いたり怒ったりする様子を至近距離から描いていくーこれも意外と淡々というか全編戦場のひどさというのはあるのだけれど、大きなドラマティックな物語の変転などがあるようには作られていないので、ちょっと耐えて目を凝らしてみるという感じはあり、それがまあこの映画の狙いでもあるのだろうが。映像や音声の妙よりも作られたこと、このような状況を映像を通して世界に訴えること自体に意義がある映画なのだと思われた。
2024年ベルリン国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞と観客賞を受賞し、アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞にノミネートされている。(2月28日 キノシネマ立川 043)

㉔ゆきてかえらぬ
監督:根岸吉太郎 出演:広瀬すず 木戸大聖 岡田将生 2025日本 128分

出だし、瓦屋根の連なる中也の下宿からの街のしっとりした大正の風景の美しさ。CG効果?だろうが、それならそれでCGが変えるビジュアル的映画世界を支持してもいいと思わせる。
長谷川泰子を演じた広瀬すずは、意外なおとなの妖(艶とまではいかないかな)と清純というかかわいらしさの狭間にあって彼女ならではと言う雰囲気を醸し出す。中也を演じる木戸大聖もなかなかの熱演で、中也ってこんな雰囲気だったのかなと残された写真と照らし合わせて思わせるところがある。岡田将生はまあ、期待通りというわけで話の中身はまあまったく目新しいというわけではないけれど、二人の男の間で両方をつっかえ棒にしなくては生きていけないと男たちに思わせておいて、実際にそういう風情も漂わせつつ、中也の死後小林も捨ててみごとに自立してしまっていく長谷川泰子の後ろ姿の逞しさが印象に残る。(2月28日 キノシネマ立川 044)

以上で2月はオシマイ  おつきあいありがとうございました!











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