【勝手気ままに映画日記+山ある記】2024年4月
行く春を惜しんで…小仏城山のヤマザクラの木ももう葉桜に…(4・21) |
【 4月の山歩き】
4月1日~4月5日 以下から「山ある記」をご覧いただけます。
3月末から4月初頭、ネパール・ヒマラヤでのシャクナゲ満開を見る夢のようなトレッキング後(日本での桜の満開は見落としてしまったけれど)あちこちへ花を求めて歩いた4月です。
4月13日 八溝山(1022m)茨城県最高峰!
2時間51分 3.5Km ↗338m ↘284m 90-110%(ヤマップ) 18000歩
はじめて行ったヤマカラツアーはあまり行ったことのない茨城県と福島県の間にある山。15人参加。花に詳しいガイドさんの丁寧な説明と写真タイムもたっぷりで楽しんだ1日でした。
カタクリが満開の花園でした!
こちらはネコノメソウ。水辺にたくさん…↓4月21日 高尾山(599m2号~3号路)~小仏城山(670m)往復~高尾山6号路下山
5時間42分 11.8㎞ ↗947m↘912m 130~150%(ヤマップ速い)23000歩
あっという間に往ってしまう春を惜しんで、急遽思い立ち高尾山から小仏城山までソロ登山。ゆっくりめの8時に家を出、9時から登り始めました。日曜日とあって電車の中や、高尾山口駅、ロープウェイ駅周辺は大変な人出でしたが、登り始めた高尾病院裏からの急坂続いて3号研究路は人もパラパラ。そして11時人ごみの頂上を経て、もみじ平へ。茶店で名物とろろそばを食べて元気を出し、一気に小仏城山へ。すでに一丁平の桜は終わっていましたが、城山には葉桜になりかけた桜、山モモ、ミヤマツツジ、ヤマブキなどなど、それにモミジも?色とりどりを見ることができました。一番元気に咲きほこっていたのはシャガ。春の高尾山名物です。もう一つ、来月の名物セッコクの下見?もかねて6号路を下り3時には極楽の湯に入り、ビールも飲んでのんびり帰還。そうそう、高尾山口駅から登山口までの道端に真っ赤なシャクナゲ。今年は日本のシャクナゲはハズレ年かもという噂も聞きますが、ここでは小木ながら元気に咲きほこっていました。
シャガの花群れはあちこちに……そしてなぜかモミジ?も…
4月26日 金峰山麓 廻り目平キャンプ場カモシカコース(最高1860m)
3時間10分 2.9㎞ ↗395m ↘388m 90-110% 11000歩 (岩根山荘(泊))
4月27日 天狗山(1882m)~垣越山(1797m)~男山(1851m)
7時間19分 5.8Km ↗293m ↘759m 130-150% 21000歩
天狗山への縦走路・天狗山頂上(眺望がすばらしい)・これから向かう男山頂上
初日は「キャンプ場」とは銘打っているものの、途中にハシゴの登り下りが4か所もある岩場のコース。落葉で埋まった下には石も隠れていて、短いとはいえ、なかなか疲れるコースでした。
2日目は朝7時から縦走登山。急登から始まってあっという間に稜線に。あとは景色を楽しみながら登ったり下りたりの稜線を歩き2つのピークを越えて最後のピーク男山(すごい名前。近くには一応女山もあってバランスはとれている?)へ。鎖やハシゴこそないもののかなり急なよじ登りも、岩の痩せ尾根(ハラハラ)もあって、なかなか楽しめるコースでした。朝はほんのちょっとパラつき、快晴ではないものの空気が澄んでいるせいか天狗山・男山では八ヶ岳、南アルプス方面、噴煙をあげる浅間山まで展望できて楽しみました。
午後3時に下りてきて、車で少し走り「スパティオ小淵沢延命の湯」というのに入って「延命」もして?帰ってきました。
岩登りの見本をみせるガイドのT先生(81歳!) |
①アバンとアディ(富都青年)②デユーン砂の惑星 PART2③パリ・ブレスト~夢をかなえたスイーツ④青春ジャック 止められるか、俺たちを2⑤オッペンハイマー➅コール・ジェーン 女性たちの秘密の電話⑦メメント⑧マダム・イン・ニューヨーク⑨美と殺戮のすべて⑩ペナルティ・ループ⑪異人たち⑫シャンハイ(諜海風雲)⑬ワンス・アポンア・タイム・イン上海(羅曼蒂克消亡史 The Wasted TImes)⑭ゴッド・ランド⑮正義の行方
海外に出たり、山に登ったりで、今月は少なめの15本でした。
中国語圏映画①⑫⑬ 日本映画④⑩⑮ ドキュメンタリー⑨⑮
★は なるほど! ★★は いいね! ★★★は ぜひおススメ! のあくまでも個人的感想です。各映画最後の数字は今年になって劇場で見た映画の通し番号、文中映画などの赤字は『電影★逍遥』中に関連記述があるもので、クリックしていただけらばそこに飛べます。
①アバンとアディ(富都青年)
監督:ジン・オング(王禮霖) 出演:呉慷仁 陳澤耀(ジャック・タン) 邓金煌 林宜好 2023マレーシア(中国語、広東語、マレー語、英語、マレーシア手話)115分 ★★
3月に行われた沖縄環太平洋国際フィルムフェスティバルでの評判の 上映作、主演の呉慷仁は金馬賞主演男優賞を受賞しているという作品をようやく機内鑑賞。多言語使用映画である上にというか英語字幕を追っているとあまり音声が耳に入らず、ならば聾唖者の役でセリフはほぼなく、手話を操る呉慷仁をただただ感心してみていたという感じも。
マレーシアのプドゥ(富都)という町に住むマレーシア生まれながら諸事情で身分証を持たない二人の青年、まじめに稼ぐ兄貴分の阿邦(アバン)とちょっとやんちゃな弟分の阿迪(アディ)、親のように二人の面倒を見るトランスジェンダーのマニー(Money)おばさん、そして二人のためにIDを取ったり親を探そうと尽力するにもかかわらず、ひょんなことからひどい目に遭ってしまうカウンセラーの李佳恩。二人にはそれぞれ成就することのないちょっと秘めた感じの恋もあり、わりと情感を込めた、映像と人物造型で心に迫ってくるように描かれている。
犯した罪から逃げ出す二人の逃避行のバックのマレーシアの風景も、カメラアングルもなかなかに印象的で美しい。どうしようもなくただただ兄貴分の阿邦について逃げる阿迪だが、やがて阿邦は阿迪を置いて自首、収監されてしまう。実は阿邦自身も阿迪をかばっているだけでなく自身が罪を犯したと感じているのがわかるような描写あり。
後半は獄舎の中で生きていたくないと悩む阿邦と、兄を救いたいと弁護士を駆け回り、自らの生活も立て直し、やがて疎んでいたーそして悲劇の一員ともなった父に会いに行く、すっかり様子の変わった阿迪が対比的に描かれる。貧しい移民のその日暮らしが富都にあるという皮肉な現実を情感たっぷりに描いて、台湾では大変な収入をあげたそうだが納得させられる。なお、呉慷仁は台湾の役者だが、この映画の撮影前にマレーシアに滞在して8キロ痩せ、日焼けもしたらしい。二人が額でゆで卵を割り合うシーンも印象的だ。(4月7日 シンガポール航空便 機内鑑賞 英語字幕版 110)
②デユーン砂の惑星 PART2
監督:ドゥニ・ビルヌーブ 出演:ティモシー・シャラメ ゼンディヤ レベッカ・ファnーガソン ジョシュ・ブローリン オースティン・バトラー フローレンス・ビュー クリストファー・ウォーケン レア・セドゥ シャルロット・ランブリング ハビエル・バルデム2024米 166分 ★
パート1(2022年2月⑮)は張震が出るから見に行ったみたいなところがあったが、今回は彼は出演なし。代わりに敵役としてオースティ・バトラーが超人工的な感じもする整い過ぎたイケメンでハルコネン家の跡継ぎとしてティモシー・シャラメと剣を交える。レア・セドゥも教母(シャーロット・ランブリング。顔の前には常に網布?)の命を受けハルコネンの本拠地に忍び込む巫女役でフェイド・ラウ・ハルコネンを篭絡して子種を貰ってくるというなんかすごい役柄だが、彼女神秘的というには鼻が丸くてちょっと愛嬌がありすぎるような…。なんて脇筋?ばかりに目が行くが、その点では王女イルーランも含め、ポールの味方も敵方も女性がしっかり活躍する感じが今風。それとハルコネンの連中、全員スキンヘッドで男爵など老いたプーチンそっくりだし、若い後継者のオースティン・バトラーもなんか若い時のプーチンを彷彿とさせるような造型であるのもいかにもの2022年以後の世界の流れをしっかり取り入れている?とちょっと恐ろしくも思いつつも笑える。アトレイデス家の保管する核弾頭なんてものが突然に発見されたりして宇宙世界の流れを替えそうなのも…。そしてポール・アトレイテスは「一生愛し続ける」とチャ二(ゼンディヤ)に言いながら、皇帝を退位させ皇女を妻にしてチャ二を絶望と恨みに突き落とし、パート3への歩みを予測させるのである。(4月8日 府中TOHOシネマズ111)
③パリ・ブレスト~夢をかなえたスイーツ
監督:セバスチャン・デュラール 出演:リアド・ベライシュ マーヴェン・アムスケール ルブナ・アビダル クリスティーヌ・シティ パトリック・ダスマサオ 源利華
というか、バンリュー(郊外)映画の一種みたいな感じで、家庭的に恵まれず里親に育てらたり施設で暮らしながら菓子作りに才能を発揮するアラブ系の少年であるというところが映画の主眼で、それゆえ見ごたえもあるということか。
幼いヤジッドを演じたマーヴェン・アムスケールの目チカラ?とかわいらしさが印象的。この少年は里親のパティシエ志望の息子?からお菓子作りを教えられ、青年期には入っている施設からは180Kmの距離にめげずパリのレストランで修業をはじめる。彼の成功の陰にいる里親の息子や、施設の理解ある職員、また最初のレストランのシェフ、さらにその後彼のパトロンになる事業家などが現れるのだが、彼の成功の後もどうもこういう人との関係は薄く、最初の方での彼との関係が回収されず尻すぼみに消えるというあたりがリアルなのではあろうが、ウーン、人情ものになっていないフランス劇らしさ?
母親との関係もしかりで、里親は母との関係を修復するようにヤジッドに言うが、結局彼は母を見舞うこともなく母は一人死んでいく???という感じで(エンドロールに出てきた実際のヤジッド・イシュムランとその周辺人物の写真の中にも実母は現れなかったようで、それが現実なのかな…と思いつつ、映画的効果としては認めるとしてもなんか心に割り切れないものが残ってしまうのである。(4月10日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館 112=販売システムが変わりはじめての鑑賞)
④青春ジャック 止められるか、俺たちを2
監督:井上淳一 出演:井浦新 東出昌大 芋生悠 杉田雷麟 2024日本 119分 ★★
若松孝二監督を描いた『止められるか、俺たちを』(2018・10⑮)は実は私にはあまり面白くなく―井浦新の「作りすぎ?」の造形、そもそも若松映画がイマイチ好きになれないー今回ずっと敬遠、しかし題材が若松孝二が作った名古屋の小劇場シネマスコーレを描くということでもあり、昨日ひょっと見ると明日は上映最終日!というのであわててチケットを買った。
今回は意外に面白かったというのは、井浦新もこの6,7年で芸域を広げもし、年も取って尊大そうなだみ声の物言い、唇を突き出した表情がまあそんなに違和感なく見られるようになってきたことと、風貌も身長も実際のシネマスコーレの木全支配人(現社長)とは全然違う東出昌大の体を丸め年を取る姿も描き出した意外な好演もあり、何よりこの映画が若松と木全の関係を描く物語というよりは、杉田雷麟演じる井上監督自身の青春物語でもあり、セルフドキュメンタリー的様相をも示しているというその、若々しさがひきつける要素になっているのだと思われた。映画の登場人物はすべて(おもだった著名人については)実名で役者が演じている。さらに2012年交通事故で急逝した若松の追悼上映会がシネマスコーレで行われた時の映像、ナマの井浦新らの舞台挨拶、実物の木全氏、その横にたたずむ井浦扮する若松というモキュメンタリ―的サービスもあり、井上が若松プロでの修業時代に母校河合塾の宣伝映画を作ったというエピソードがそのまま盛り込まれ、役者を使った撮影シーンと上映作品が映され、エンドロールでは赤塚不二夫演じた郵便配達のシーンらが当時の映像で流されるなどもあって、なるほどね!最後まで楽しませてもらえた。(4月11日 テアトル新宿 113)
⑤オッペンハイマー
監督:クリストファー・ノーラン 出演:キリアン・マーフィ エミリー・グラント ロバート・ダウニー・JR マット・デイモン フローレンス・ピュウ ジョシュ・ハートネット ケイシー・アフレック ラミ・マレック ケネス・ブラナー 2024米 180分
モノクロ場面はオッペンハイマーを採用した原子力委員会委員長のストロースの商務長官就任のための公聴会中心にストロースの視点、もうひとつはこれも戦後の赤狩りの中オッペンハイマーがソ連のスパイであるか否か、秘密事項へのアクセス権を与えるか否かを問う聴聞会のシーンで、この二つは映画の中で徹底的に議論が行われ進む会話劇の様相。かなり注意して見ていないとそれがいつの時代の何を指しているのかよくわからないままに―特にストロースの公聴会の部分は戦後かなり経ってから行われたものだし、そこでストロースとオッペンハイマーのいかなる関係が問題視されるのかが今一つピンとこないままで聞くことに―進んでいく感じがしてしまう。
そのほかに実験が苦手だったオッペンハイマーの若い時のリンゴのエピソード(リンゴに青酸カリを仕込んだ)のエキセントリックさとか、精神科医ジーンとの情事とか、結構生々しく変な人ぶり?を示しつつ、プロメテウスの火にも比べられる核―原爆の成功に向けての科学者的というかプロジェクトを成功させようという意欲が前面に出ているところから、後半広島・長崎への投下後に今度は水爆を開発するミッションに悩み、それゆえ敵国ソ連のスパイではないかと聴聞会に掛けられてしまうあたりの苦しみー聴聞会の席上ジーンとの関係を問われオッペンハイマーのあるいは妻の幻想としてのセックスシーンがはいったり、広島の惨状を映像としては見せずその映画を見ようとしない彼と、その足元に転がる黒焦げの人物(の幻想)とか、わりとわかりやすくはあるのだが多分映画の評価としては分かれるような描き方をされたオッペンハイマー視点からとでわかりにくくはないものの(あ、歴史をどれくらい知っているかによって理解度が変わりそう)かなり複雑な「娯楽」映画と見た。(4月16日 TOHOシネマズ府中 114)
➅コール・ジェーン 女性たちの秘密の電話
監督:フィリス・ナジ― 出演:エリザベス・バンクス シガニー・ウィーバー クリス・メッシーナ ケイト・マーラ ウンミ・モサク マイケル・コリン・スミス 2022米 121分
1960年代人工中絶が違法だったアメリカ・シカゴで、12000人の中絶を手助けした地下組織「コール・ジェーン」を、最初はその利用者として中絶手術を受け、その後運動の一員としてついには自ら中絶を執刀し、また他のメンバーに伝授していく役割までを引き受けた主婦(弁護士の妻)ジョイの視点で描いている。
ジョイの場合は第2子の妊娠により心臓の病を引き起こし、妊娠をやめるしか回復しないと診断されながら、男性の医師たち(委員会?)からは中絶を反対されるという窮地に陥るわけだが、もちろん多くの女性たちは望まない妊娠の当事者としてこの組織に現れる。
組織のリーダー・バージニアの確個たる信念というか、腕はいいが医師免許は持たず600ドルという手術費用を吹っ掛ける中絶施術者のディーンという男にいわばこの組織、搾取されているわけで、結果貧しい人は希望しても手術は受けられないということにもなり、ジョイは自らディーンの秘密(医師免許をを持たないということを大学図書館で調べ出す)を暴くと脅すことにより、助手を頼まれた立場から施術をディーンに学び、やがて彼を放逐して自ら施術の中心に立つというのは物語性としては見せ場だと思うが、いずれにせよ1万2千人も手術をして一人の事故も死亡もなかったというのは運のいい話でもあり、やって来た警察官が実は本人も身内に希望者がいたとか、ジョイの行動に疑問や不満を抱く夫や娘も結局は大きなトラブルもなくジョイを支持する側に回るとか、最後の方は裁判にかけられるみたいだがこれも無事に勝訴とか、中絶が違法とされることに関する胎児の命の問題とか宗教的な考え方とかそういうものは皆々迷いなく蹴散らされている感じである。胸がすくようなエンターテイメント性もあるのかもしれないが、ウーン、そんなふうに行くか?
まして50年後の今揺り戻しというかいまだに中絶反対の主張をするアメリカ組織もありだし、ま、だからこそ今、こういう映画ができるのではあるのかもしれない。が、ちょっとこのゆるぎなさというものが嘘っぽく感じられて割り切れない感じー私がもう年をとって中絶とかとは無縁になったから???いや、だったら男性はみられないことになるしなあ、と考えさせられつつ映画館を出たという映画だった。(4月17日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館 115)
⑦メメント
監督:クリストファー・ノーラン 出演:ガイ・ピアーズ キャリー=アン・モス ジョン・パトリア―ノ 2000米 113分 ★
2001年の日本公開時には名前も、10分間しか記憶が残らず記憶のために全身にメモを入れ墨にして入れている男という設定の異様さも含め印象にはあったのだが、映画館に行って見るような時間的余裕がこのころにはまだなかった。今回『オッペンハイマー』公開記念と銘打たれた特集上映(一律1600円の入場費!)を見に。
うーーん、なんとも難しい?映画。断片的なモノクロの過去から現在に流れる画面と、カラーで逆に現在から過去にさかのぼる画面が交互に組み合わされ、特に説明はないから主人公やヒロインの顔の傷のあるなしとか、服装とかからその画面の「時」を計るしかない?
もっとも、アタマのカラー場面でその後もちょいちょい各場面に顔を出して主人公を翻弄するテディという男を主人公が殺す?のでそうなるまでの過去が描かれているのかなというような感じはわかるのだが…一場面一場面で話されていること、主人公のとる行動の意味は分かるし、後でウィキペディア(同じように考える人がいるのか、相当詳しい場面ごとの展開の説明のある筋書きがついている)を見ると話しの展開も自分が概ね理解したらしいことはわかるのだが、ウーン、結局この男の妻殺しの犯人を追う執念は単に記憶の妄念のなせる技なのか、黒幕はテディなのか、妻殺しの犯人は誰なのか私にはよくわからない。
レビューなどでは自信をもって妻殺しは主人公自身なのだと言い切っているものもあり、だが、そうなるとこの主人公の行動自体に意味がなくなってしまうのでは?とも思え、そのように時系列と記憶とで観客を迷路に導くのがさすがのクリストファー・ノーランのたくらみなのではないかと思えてしまう。ちなみに原案はクリストファーの実弟ジョナサン・ノーランの小説だそうだ。そちらもちょっと読んで観たくはあるが、いやいや自分が翻弄されて行きつくところに行けないとすれば怖い気もする。(4月19日 キノシネマ立川116)
⑧マダム・イン・ニューヨーク
監督:ガウリ・シンディー 出演:シュリー・デヴィ アディル・フセイン メディー・ネブー アミターブ・バッチャン 2012インド(ヒンディ語 英語) 134分
2014年6月の日本(シネスイッチ銀座)封切だが、私が見たのは9月末の武蔵野館で、かなりロングランだったことがわかる。今回は東京外語大TUFSの上映会で、無料で松岡環さんの講演付きとはいえ、500人の客席がほぼ満席というのはなかなか。以下はその10年前の映画日記で、私としてはニューヨークの異文化社会に大いに感銘を受けたようだが、今回は夫の優し気な妻に対する支配や、親によって教育を受けて英語を身に着けた子どもたちが、母親をバカにして一段低く見るというような家族内での関係の面倒くささをソフトだがかなり強引に脱却していくマダムに喝采という気分。
大変丁寧に作られ類型的でありながらリアルさも感じられるマダムの体験を描く脚本の妙も感じるが、歌が入ったり踊りも入ったりマサラムービーの伝統も受け継ぎ、間にはインターミッションも入る(もちろんマークだけ)のはさすがのインド映画と、そのタラタラに少々疲れたのは前回よりも私が年を取ったからか…。最後のマダムの英語スピーチにはジワリとしてしまいつつ喝采というのは前回と同じだったが…。(4月20日 東京外語大TUFS CINEMA 上映会 117)
サリー姿で講演をされる松岡環さんと、資料の画面
(以下2014・9・25の記載)★を三つつけている。
家族はみんな英語をしゃべるが、ひとり英語が苦手で中学生の娘にもバカにされているマダムが、姪の結婚式の準備で家族に先んじてニューヨークに滞在することになる。そこでも買い物もできずつらい思いをするが一念発起、3週間の英語クラスに通うことにする。滞在先の妹にも内緒で仮病を使って妹の買い物への誘いを断ったりとかの苦労ぶりも描かれ、やがては大学生の姪の応援を得て頑張る様子も描かれるが、この映画の眼目は何といってもゲイの教師、メキシコからの子守女、フランス人シェフ、無口なアフリカ人、逆にうるさいアラブ人、クラスのマスコット的な中国女性などの個性豊かだがアメリカ社会では少数派のクラスのメンバーと彼女が打ち解けあい、共感を結んでいく姿だろう。ただ,
英語力だけでなくそのような人間関係が人を解放し力も身に着けていく「気分」がよく出ている。とはいえ、この映画そこに現れるのはニューヨークの外国人たちであり、家庭もほとんどニューヨークの中のインドであり、数少ないアメリカ人はゲイという立場であり、やはりニューヨーク社会の中にそこと隔絶した小社会を設定しその中での物語ということになっているのが、現実的ではあろうがちょっと寂しい。もっともニューヨークの英語が流暢なインド人やそれと付き合うアメリカ人の集う結婚パーティで「妻は英語ができない」と親切そうに制止する夫の前で、彼女がそんなに流暢ではないが胸に響くような英語のスピーチを堂々とし、姪によってパーティに呼ばれたクラスメートたちが喝采する場面はなんとも胸がすくが。歌も踊りもしっかりインド映画らしく入り、しかし外国人にも通用するくらいにしつこくなくおさめ、なかなかに国際社会を視野に入れた映画だなあと感心する。
⑨美と殺戮のすべて
監督:ローラ・ポイトラス 出演:ナン・ゴールディン 2021米 121分
6部の構成で、最初は若くして児童養護施設や精神病棟に入所し自死したとされるナン・ゴールディンの姉への回想から始まり、その姉を慕い影響を受けて、親の家を出、ドラッグカルチャー、ゲイカルチャーとともに生き、撮影することにより写真家として自身を確立してきた彼女の半生を描く。そして自身が受けた手術での投薬からオピオイド中毒となりそこから立ち直った経験の中でP・E・I・Nという団体を立ち上げ、世界の各地の有名な美術館に多額の寄付を続けてきたオピオイド薬品の製薬会社サックラー家に抗議し、その寄付を受け容れる美術館には自身の作品を提供しないという形での運動を続けている姿などを、現代の動画とともに彼女自身が撮って来た静止写真(スライド)によって構成するというドキュメンタリー。内容が濃いが長さもなかなかで、姉をはじめ子どもを育てることに向いていなかったという高齢の両親まで登場して画面内で批判されるし、70代、見かけは落ち着いた感じながらその戦闘性というか闘争力というかはすごいなアと映画よりもむしろ「人」に感じさせられる映像でもあった。
(4月23日川崎市アートセンター・アルテリオ映像館 118)
⑩ペナルティ・ループ
監督:荒木伸二 出演:若葉竜也 伊勢谷友介 山下リオ ジン・デヨン 2023日本 99分 ★
ナルホドね、こういう世界の作り方もあるのか…『人数の町』(2020)の荒木伸二作品。ネタバレしてしまえば恋人を殺された男が殺した犯人に何度も復讐したい(死刑を与えたい)という思いによって契約する仮想世界の中で、毎日6月6日を繰り返しそこで相手の男を殺害しー最初2回くらいはほぼ同じような周辺シーンが繰り返されるが、シュチュエ―ションとか殺し方とかは変化をつけて登場人物も映画観客もまあ飽きさせない?工夫がされる。その中で復讐する男とされる男の間にできてくる関係の変化という心情の変化というのがこの映画の見せどころということになるんだろうが…。
それにしても映画は恋人がなぜ殺されなければならなかったのかとか、主人公が殺害者を見つけ出したのはどのような過程によるのかとか、あるいは殺した男はなぜ捕まることもなく、毎日主人公の職場に現れるのか(これはまあ、同僚による殺人ということなんだろうが)そういう理屈で解釈したいようなことは一切出てこないというのが仮想世界の物語である由縁なのかも…。役者の上手さ?で見せてしまうが、考え始めると何だが疲れる映画ではある。(4月23日川崎市アートセンター・アルテリオ映像館 119)
⑪異人たち
監督:アンドリュー・ヘイ 出演:アンドリュー・スコット ポール・メスカル ジェイミー・ベル クレア・フォイ 2023英 105分
山田太一原作、大林亘彦の『異人たちとの夏』(1988)の英国リメイクということになる。ストーリー展開は原作とほぼ同じと言ってもよいのだろうが、一番の違いは、現世?の主人公アダムがゲイで同じマンションに二人だけ残ったとして現れるハリーも男(彼がゲイよりクイァだというのはつまり伏線になっているわけか)であること。
親との会話も単に少年期の関係というよりはゲイである息子の受容とか息子から親への許しや愛?というようなところがポイントになるところが現代的というか…原作みたいに魔女っぽい女ではもはや話として通用しない?ということかな…。いずれ現代の「雨月物語」なのだなあと、それがイギリスでもむしろ日本でというより通用してしまうところも興味深い。(4月25日 調布イオンシネマ 120)
⑫シャンハイ(諜海風雲)
監督:ミカエル・ハフストローム 出演:ジョン・キューザック 鞏俐 渡辺謙 周潤發 菊地凛子 フランカ・ポテンテ 2010米・中(英語・普通話・日本語) 104分
日本では2011年8月の公開で、私は9月に見ていたが、現代中国映画上映会で久しぶりに見る。この映画会もほとんど見た作品ばかりで、あまり見たいと思えるものがなく、1~2年に1度、2か月有効の短期会員(2000円、まあ2本見れば元は取れる?)になって観ている感じなのだが…。で、今回は⑬の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン上海』が未見だったので、出かけることに。
上海の映画村?というのかまさにそこをロケ地にオールド上海の租界の雰囲気を前面に押し出しながら、1930年代末から40年代初めまでのアメリカ諜報部(そこに属する友人コナーの死の真相を突き止めにきたポール)、ポールの前に立ちはだかる日本軍の田中大佐、その日本に比較的近いらしい上海の裏社会の顔役アンソニー・ランティン(周潤發なんだが、これがなんか見れば見るほどはまっていない感じ。好々爺になりそうな中年なのだ)、そしてそことつながりながら実は抗日組織である彼の妻アンナ(これはもう、いつもながらのコン・リーだ)が、アヘン中毒の女スミコ(菊地凛子。初回に見た時にも壮絶な中毒者でなんとも印象に残った)を軸というかネックに撃ち合い、殺し合い、そして日米開戦当日、ポールはアンナを拉致するがごとく上海から連れ出し海外に連れ出すが、アンナはマニラで下船し上海に戻った、ポールも後に上海に戻ったというナレーションが入る何が何だかよくわからん展開は相変わらず。以前はコンリーと渡辺謙の映画と見たようだが、コンリーと菊地凛子の映画というべきかも、と思うほど女性に関しては生き方を描こうとする意識が強い気がする(それは次に見た⑭と大きく違い、それゆえに見せる)。以下は2011年9月3日の映画日記である。感想としては前回を大きく超えるところはないか…
『上海』:相変わらず戦争中の暗い上海の「雰囲気」映画。菊池凛子、全編ほとんど阿片中毒場面で気の毒。コン・リーと渡辺謙の映画っぽい。潜水艦?問題も絡む陰謀の中で、上海顔役の妻コンリーが実は抗日組織のトップであるとか、しかし友人の死を洗うアメリカ諜報部のキューザックを追うのが抗日組織なのか、上海裏組織なのかよくわからず、拉致される菊地と日本軍軍部の渡部の関係もとってつけたようで、ウーン。コン・リーはやはり汚れた修羅場が似合う女優と再認識。
(4月28日 現代中国映画上映会 文京区民センター121)
⑬ワンス・アポンア・タイム・イン上海(羅曼蒂克消亡史 The Wasted TImes)
監督:程耳 出演:葛優 章子怡 浅野忠信 杜淳 倪大紅 袁泉 闫妮 2019年中国123分
とにかく様式美?というか徹底的に作り込んだ和室や中国の茶館の部屋というような場面の美しさ、そこに長衫や和服の着流し、はては日本軍の軍服を着てまであらわれる浅野忠信の静かというより無表情でいながらある種の狂気というかすごみを秘めたたたずまいは鑑賞に値する、という映画か。彼が義兄陸(葛優)の求めに応じて日本人との商売に関してアドバイスをするというようなシーンはどうにもリアリティは感じられないが、その彼が陸の兄貴分王(倪大紅がそれこそ彼だけがリアルという感じでふてぶてしい親分?を演じる)の妻小六(章子怡)を車で蘇州に送りがてら犯し、段構造になった不思議な畳敷きの邸に監禁し日々自分の女としてもてあそびながら、最後は見捨てる。この渡部という男、中国人の妻も、息子二人もあり、彼らには子煩悩な態度を見せるという、なんとも謎めいた裏のありそうなヘンなヤツ、というのが見せ場で、それ以外はウーン。章子怡も含め女性たちは美しく「作られているが」ほとんどものも言わず、男に従わされ蹂躙されさえしているという感じで、そのあたりは⑫に比べても女の描き方がすごく感じが悪い。そして次の「ロマンティク消亡」場面に展開すると流れる「冬の旅」。音楽は梅林茂によるそうで、印象的に美しいが、あまり中国映画という感じもせず。舞台は最後にフィリピン、香港へと飛んで、一種国際映画(そこに古くさい感じのアジア情念もぶち込んでいる)となっている不思議さも感じさせる1本だった。(4月28日 現代中国映画上映会 文京区民センター122)
⑭ゴッド・ランド
監督:フリーヌル・パルマソン 出演:エリオット・クロセット・ホープ イングマール・E・シーグルズソン ビクトリア・カルメン・ソンネ ヤコブ・ローマン イーダ・メッキン・フリンスドッティル 2022デンマーク・アイスランド・フランス・スェーデン 143分
1870年、デンマークの牧師ルーカスは、教会の命を受け、当時植民地だったアイスランドの辺境に教会を建設するために派遣される。アイスランド人のガイドら5~6人で馬を並べ荷物を積んでの旅。ルーカスは雇った通訳を介してしかアイスランド人との意思疎通ができず、植民地側からの宗主国への冷たい視線を受けつつ、自らも彼らとは一線を画してななかなかなじめずという感じでの旅。彼が一貫してアイスランドを客観視する立場にいることは、彼が牧師としての任務よりもむしろ当時まだできたばかりで重く大きな写真の機材を大切に運んで、ガイドらアイスランド人の面々を自然の中に立たせて撮影をするーその撮影もガラス乾板に卵白を塗って映像を焼き付けるというもので、カメラの横には小さなテントの暗室を設置してすぐに現像をしなくてはならないという大変さなのだが―にも表れている。映画自体35㎜の4隅を切り落とした昔の映画のようなトリミングで、ルーカス自身が見た世界?このトリミングに入りきらない自然と、この枠内でしかものを見ない人間が現れているようにも思われる。
自然の中での旅の過酷さは、まず河を渡るときに頼りにしていた通訳を事故で失い(これも、今日は進むのをやめようというガイドにルーカスが出発を強要したことから起こった)、そりの会わない老ガイド・ラグナルと直接向き合わなくてはならないことから始まり、やがてデンマークから教会用に運んできた十字架を捨て、やがて自らも調子を崩して馬から転げ落ち…というような状況が前半はロードムービーとして描かれる。それにしてもアイスランドの自然は火山の描写なども含め、観光映画と言ってもいいくらいの美しさのだけれど…これも写真家としてのルーカスの見たアイスランドの自然なのだろう。
動けなくなって原野に放置されるところから助けられルーカスは中盤で何とか目的地の村にたどり着く。そこには建てかけの教会(つまり前任者が放棄したということ?)とデンマークからの移民父娘がいて、ルーカスの面倒を見る。二人の娘はルーカスに好意を示し、特に幼い頃デンマークにいてデンマーク語も堪能な上の娘アンナとルーカスは互いに好意を持ち合うがーまあこういう物語の常ー父親は二人が親しくなることを喜ばず、教会は出来あがるものの、ルーカスと周辺の関係は必ずしも順調ではない。やがてラグナルは故郷に帰ることになり、最後にルーカスに自分の写真を撮ってほしいと頼むが、ルーカスは「銀」がもうないと冷たく断るーなんかすごくストレスを感じてるのはわかるが、このルーカスという男、牧師というよりは若い俗世の青年の弱さもろさで生きている感じ。それでも写真を撮ることになりそのカメラの前でラグナルのするいわば懺悔がルーカスを激高させ…とあとは恐怖と狂気の道をひた走ることになるーラグナルの愛犬が重要な働きをするー。
監督は残されていた19世紀の7枚の銀板写真にインスパイアされてこの映画を作ったとのこと。アイスランドに行って見たくなるような美しい自然映像の中でそれを愛する眼を持ちながらなじむことのできない人間の姿がーまあ、普通のことかもしれないのだがカナシイ気がする。妹娘のイーダを演じたその名もイーダという少女(16歳くらい)は監督の実娘であるらしく、物語の本筋の外にいながらこの関係を見つめているような少女を好演している。原題はデンマーク語・アイスランド語で示された『厳しい土地』。『ゴッドランド』は最後に流れるデンマーク国歌からだそう。植民地アイスランドを描いた映画としてはこの歌の意味は??と最後まですっきりしないところもある映画だった。(4月30日 渋谷イメージフォーラム123)
⑮正義の行方
監督:木寺一孝 2024日本 158分 ★★★
2022年NHKBS1で放映され文化庁芸術祭ドキュメンタリー部門で大賞をとった『正義の行方 飯塚事件30年後の迷宮』の劇場版。158分の長尺だが長さも眠さも感じさせない見ごたえのある大力作である。1992年の飯塚事件は、登校途中の小1女児2人が行方不明になり山林で遺体となって発見され、容疑者として逮捕された久間三千年が自供しないままDNA鑑定や目撃証言などの状況証拠から2006年死刑判決、2008年には異例の速さで執行されたというもの。
映画はその逮捕にかかわった警察関係者、久間の妻、また報道した西日本新聞などのジャーナリストなどがそれぞれの立場で当時を振り返り状況や判断を述べる。当然逮捕に至る苦労を正しかったとする言説、夫が犯人とはかつても今もあり得ないことだとする妻、報道に関わりながらも彼を犯人とすることを肯定する立場、違和感を持つ人、相反する様々な意見が出てくる。また、久間の刑死後に再審請求を続ける弁護団の代表的立場の二人の弁護士の闘いやその過程での意見なども述べ、日本の司法の在り方を問う。製作者はわりと公平?にそれぞれの関係者と一定の距離をとることにより、それぞれの人々の立場を表すような言説や、また立場にある人間の立場を超えた事件や裁いた司法への疑念なども映し出す。
特に後半、事件報道でDNA鑑定(のちの再審の中で当時の鑑定技術が正確なものとはいえないことが明らかにされた)により重要参考人が指名手配されたというスクープを出した西日本新聞の記者らが、あらためて事件の犯人逮捕やその後の裁判などの過程を調べなおし報道のありかたを自己検証し、報道が冤罪を招いたかもしれない可能性を否定できないとする記者の発言は極めて強く心に響く。
私たちは事件関係者でもなければ報道に関わるものではないにしても、自らの(世のさまざまな事件に対しても)発言をする立場・基準というものに対しての問いかけを忘れてはいけないし、司法の在り方への監視も忘れてはならないとあらためて思わされる。久間が犯人であったかどうかはわからないが(真実の行方)ではなく、彼を犯人と断じる判断の在り方(正義の行方)に迫るという題名である。(4月30日 渋谷ユーロスペース124)
書きました! よかったら読んでください。
映画にみる現代中国の「夢のような」貧困
ー『小さき麦の花』『青春』
TH叢書NO.98 アトリエ・サード/書苑新社
こちらもよろしく(同書掲載です)
●中国語圏映画ファンが選ぶ2023年”金蟹賞”は『小さき麦の花』に!(小谷公伯)
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