【勝手気ままに映画日記】2018年10月

①タリナイ②愛と法③輝ける人生④クレージー・リッチ⑤ゲッペルスと私⑥運命は踊る➆判決、ふたつの希望⑧バッド・ジーニアス⑨オーケストラ・クラス⑩寝ても覚めても⑪君の鳥はうたえる⑫童話せんせい⑬恥知らずの鉄拳⑭僕はチャイナタウンの名探偵2⑮止められるか、俺たちを


 blogにしてから星取表をつけていませんでしたが、つけてほしいとリクエストあり。
 私なりのおススメ作品(あくまでも勝手気ままな私見ですけど)に💮(ハナマル)
 つけてみます。月に2~3本、かな??



①タリナイ

監督:大川史織 出演:佐藤勉 末松洋介(ナレーション)藤岡みなみ 2018日本(日本語・英語・マーシャル語)93分 

1989年生まれの監督・ナレーションもしているプロデューサーの2人は私が勤務した都立国際高校の卒業生だそう。朝学校に行ったら、当時からいる元?同僚が是非行ってくれとポスターと、監督の著書を持ってきた。ただし、2人は私の赴任する1年前の卒業生で、私自身の教え子というわけではない。上映は1日1回、2週間くらいということで日程を見てみると、まあ何とか行けるのは今日だけ?ということで急遽チケットを予約してぎりぎり駆け込みで見に行く。大川は高校3年の春(2007年)はじめての海外旅行としてマーシャル諸島に行って以来、興味を持ち続け大学卒業後3年は現地の企業に就職していたという。そこで休みを利用して、カメラを回し現地の戦跡や戦争体験の取材をはじめ、知り合った佐藤勉氏の父親冨五郎氏が終戦間際のマーシャルで補給を断たれ餓死同様の戦死を遂げたことを知り、その鉛筆書きの日記を掘り起こし解読した。この映画はその佐藤氏の父の死の場所を探してのマーシャル諸島への旅を描いたドキュメンタリーだが、特徴的なのは現地の自然や戦跡とともに、日本語で歌う彼の地の人々の姿をたっぷりと描いていることだろうか。冨五郎日記という素材を得て、日本統治下というより戦争末期の置き去りにされた日本軍兵士の悲劇と、統治時代の文化的・言語的影響を残した現在のマーシャルの姿を描こうという意図が結びついたということなのだろうが、ウーン、それぞれは独立して描かれている感じもあって、現地の人々が「戦争はコワかった」と言ったり、佐藤勉氏がポロリと「日本は悪いことをしていたんだね」というセリフなどはあるが、そもそも植民地として他国を統治したことから始まった悲劇であることの描き方はいささか説明的・観念的になってしまい、そのあたりが作者の中でどのように結びついているのかがわかりにくい。上映後国立歴史民俗博物館教授三上喜孝氏と監督のトークショーがあったが、この方は古代史研究の手法を駆使して冨五郎日記の赤外線解読をした方だそうで、話も埋もれた古い資料解読の妙というようなところに行ってしまがちで、それ自体はとても面白い話ではあったのだが、ウーン。さらにこの監督『マーシャル・父の戦場』というメーキング・ブックも出していて、行動力と好奇心の多様性と実行力には敬服する(さすが国際高校の卒業生!)けれど、一つ一つに関してはやはり今後深めていくことに期待したいところかな?力作ではあるが、ちょっと青春の記念碑という感じもする映画だった。でもきわめて撮影は美しく、くっきりして陽光鮮やか、それは本当に楽しめた。ちなみに「タリナイ」はマーシャル語に残った日本語?で「戦争」を指すのだそうだ。
                         (10月3日 渋谷アップリンク)


②愛と法(OF LOVE & LOW)💮

監督:戸田ひかる 出演:南和行 吉田昌史 南ヤヱ ろくでなし子 井戸まさえ カズマ 2017日・英・仏

同性結婚をし、大阪で法律事務所を共同経営する弁護士のカズ(南)とフミ(吉田)の暮らしと仕事を追ったドキュメンタリー。東京国際映画祭スプラッシュ部門の作品賞に続き香港映画祭では最優秀度キュメンタリー賞を獲得した。単なるゲイのカップルの生活というだけでなく、全国のさまざまな少数者援護の訴訟を手掛けて、法的な問題を考え続けながら、フットワーク軽く(でもなくて、特にしっかり者とされているフミはときに怒りときに涙を流す)実践をしているのが、まあ映画のテンポとしてはちょっととりとめなくダラダラという感じもなくはないが、リアルさがあっていい。「わいせつ罪」に問われたろくでなし子の裁判、無戸籍者問題の裁判、君が代不規律の11人訴訟にもかかわって、すごく親近感も感じるし活動の質が高いんだなあと敬服も。映画がというよりやはり裁判にかかわる彼らカップル以外の人々も含めた人の気持ちとか意識とかがひきつけられるものが多いのだという気がした。       
                      (10月3日 渋谷ユーロスペース)


③輝ける人生

監督:リチャード・ロンクレイン 出演:イメルダ・スタウントン ティモシー・スポ―ル セリア・イムリ― 2017英

警察官だった夫が退職とともにナイトの称号を与えられ、レディ・アボットとなった主婦のサンドラ。その記念パーティの席上、夫と自分の友人が5年越し深い付き合いをしていたことが発覚する。怒ったサンドラは家を飛び出し、ロンドンで独り身を謳歌?している姉ビフ(エリザベス)の家に転がり込む。夫との暮らしでしっかり堅実な俗物になったサンドラは、自由な生き方をし老後を友人と楽しむ姉とは全然そりが合わないが、彼女に連れ出され、ダンス教室に…というわけで話しとしては姉の友人の一人とちょっといい関係になるという予測の展開だが、さすが彼らが30~40代でなく60~70代であるのは、男の妻が重度のアルツハイマーで夫の顔もわからなくなっているとか、自由な姉が末期がんに犯されるとか…ま、これも予測の展開と言えばそうなのだがさすがに苦さもある中で、夫のくびきからいやいやながら慣れて自由を取り戻し生き生きしていくサンドラが見かけも雰囲気も変わっていくのがさすがの映画・役者!それにしても夫が愛人と別れ、よりを戻したいとサンドラに連絡、彼女が帰って行くところはアレアレと思わせられたが、その後の夫や、もとの友人たちのはなはだお高くとまった俗物的描き方はアレマ!そして映画の予測的展開通りに最後に彼女は!というわかりやすさ。多分サンドラにも姉にも共感できるような作りになっているのでレディスデイでもあり映画館満席、予想以上の人気作品でした!浮気もジメッとしてなくて、あっけらかん。そのあたりは非日本的かな。
              (10月5日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館)


④クレージー・リッチ

監督:ジョン・M・チュウ 出演:コンスタンス・ウー ヘンリー・ゴールディング ミッシェル・ヨウ オークワフィナ ケン・チョウ

2018米(英語・中国語) 120分

貧しい移民のシングルマザーに育てられたニューヨーク大学の経済学教授レイチェルは恋人のニックに請われ、彼の従兄弟の結婚式に、親にも紹介したいと言われシンガポールに行くことに。ところが彼のシンガポールの実家は屈指の富豪で、超ゴージャスな暮らしぶり、ただし彼の母も家族も(最初は好意的だった祖母も)彼女を息子のパートナーとして認めようとはしない。そこで彼女は留学帰りの大学時代の友人(これがオークワフィナでなかなか印象的。この映画の一つの台風の眼的存在?)のバックアップを得て、なんとかこの一家の一連のパーティの中で席を占めようとするがいじめにも会い…とまあ、いってみれば定番?的なシンデレラストーリーで、ハリウッドにはありがちなドラマをシンガポールを舞台にほぼアジア系の俳優のみでしめられたキャストで中国語も交えてやったということが、ハリウッド的視点から?みるとけっこう評価されているようだが。ウーン、しかしシンガポールの一家や友人がなんかみんな拝金主義で、表面は親し気な人も一皮むくと(もともと)貧しいレイチェルをバカにしているのがなんか、アメリカのアジア(or中華系)蔑視の現れ?のような感じもあって、今イチ楽しめない。最後のレイチェルはさすがの頭脳力を発揮し、ニックの母(めっちゃ貫禄のかっこいいミッシェル・ヨウ)を麻雀莊に呼び出し勝負を挑みいわばギャフンと言わせ、息子をもぎ取る?ように(というか母がもちろん認めるという展開だが)ニューヨークで結婚するというところがま、快哉!という感じではあるが。この麻雀は単なるゲームというより、華僑一家も大事にしている中国的な伝統の中で、アメリカに移民した娘が近代的な彼女の専門性も生かした心理作戦と頭脳戦で勝つというところが今風なのだと思う。映画の中のもう一つの格差婚一族の女性と結婚した上海の男の浮気と彼らの離婚問題も、このシンデレラ物語へのなんか皮肉に感じられて、案外タダものではない社会派?映画なのかも。
                      (10月6日 立川シネマシティ2)


⑤ゲッペルスと私(A GERMAN LIFE)

監督:クリスティアン・クレーネス フロリアン・ヴァイゲンザマ― オーラフ・S・ミュラー ローラント・シュロットホッファー

出演:ブルンヒルデ・ポムゼル 2016オーストリア(ドイツ語)113分 

1940年~45年、ゲッペルスの秘書だったポムゼルが103歳になって語った「当時」。モノクロ画面の彼女の顔のしわがものすごい。間にゲッペルスの演説録音や、ことば、そして1930年代~45年ごろのゲッペルスやドイツのプライベート映像、アメリカ宣伝局の反ナチスのプロバガンダ映画やポーランドのシオニズムの映像とかなにやかや、彼女の話す当時の時勢を裏側から見たようなアーカイブ映像が挟み込まれるという構成。彼女の記憶は明晰で口跡もはっきりと自分は何も知らなかった、ゲッペルスは洗練された人だったがただの上司、ただ生活のためにナチス党員になり働いた、抵抗する現代の若者たちも同じ場に立てば同じように行動すると語る。言い逃れをしているのではなく、そうだっただろうなと思わされる。それだけに怖い。彼女が生きているうちにこういう映画が撮れたことは貴重だと思う。それしても103歳!どのくらいの時間インタビューしたのかはわからないが、彼女の腕時計の針は9時半から6時、7時まであって、多分かなりの時間撮ったのだろうなとは思わされる。前に見た中国の反右派闘争時代を語る『鳳鳴ー中国の記憶』(王兵2012)を思い出す。あれも老女が3時間語りづめという映画だった。構成的にはこちらのほうが「見せよう」という意識は強い。ちなみにポムゼルは2017年106歳で亡くなった。エンドロール協力者ににスピルバーグやUSAホロコーストミュージアムの文字。このあたりがアーカイブ映像の出所?     (10月7日 下高井戸シネマ)


⑥運命は踊る

監督:サミュエル・マオズ 出演:リオール・アシュケナージー サラ・アドラー ヨナタン・シライ 2017イスラエル・英・独・仏・スイス113分 

大変に端正な構成の映画だと思った。大きくは4つの展開。最初両親の暮す家に息子の戦死の報が届けられ、母親は失神。父親も動転して大いに苦しむ。ここで出てくる軍関係者のいかにも父親を思いやるかのような態度と「今後の段取り」。ま、そう行動せざるを得ないのだろうと思いつつその慇懃さに父親と同調して観客までもがイライラしてくるところが面白い。そして、数時間後息子の戦死が誤報であったということが告げられ、父親は逆上。すぐに息子を戦地から戻せと叫ぶ。2つ目の場面は人けのない、ラクダだけがポカポカ歩いているような国境地帯で、重装備で検問をする(来るのはラクダばかり、たまに車がという感じ)4人の若者たちの退屈だが不安な日常。4人のうちの一人が戦死したと誤報された息子ヨナタン。彼らの住む宿舎の床は日々斜めに傾いていき、若者たちは食料の缶詰を転がしてその傾きを確認して不安におちいる。さて、ある夜そこにやってくる若者たちの乗った車。車内でふざける若者のパスポートをPCで確認し、通過を認め、ついでに親切心?で車内からはみ出たスカートのすそを指摘し、その女性がドアを開けたとき飲み物の缶が転がり落ちる。とっさに「手りゅう弾だ!」と叫ぶ兵士の1人、そして…事件が。その後4人のうちヨナタンだけに帰国命令が下りる。ここまでは1場面めも2場面めも上から俯瞰したような映像がしばしば使われ、それがなんか人々の生活を超越した神の眼というかあるいは人事を越えた運命の象徴のようにも思われる。3場面めからは打って変わってクローズアップも多用した「人目線」になるのが対比的。その3場面はぎくしゃくと別れかけている両親の対話場面。父親が「息子が運転したがってハンドルを握ったのに、自分は無関心で携帯をいじっていた。あれは至福の時だったのに」とぼやく場面があって、息子はやはりもうここでは死んでいるらしい。あれ?それって息子が無事帰還したあとで彼が事故で死んだって言うことなのかな?と一瞬ひっかけられそうになるのだが、多分これはあくまでもひっかけ。単に息子との至福の日々を両親ともたどっているのだろう…。そして最後の4場面め、国境地帯からの車の中でスケッチ(というかマンガ)を書く息子。彼は絵が上手という設定で、この映画の合間には「弱い父が弱さをかくすというテーマのマンガアニメーション?が挿入されたりして変化をつけているようだ。そして、なにが起こったか?これってほとんど想像の範囲内ではあるが、息子をめぐる両親の会話とか、ことばのほとんどない4人の兵士の日常の心情とか、そういうものがむしろこの映画の根幹をなしているようで、事件の謎ときというような映画ではないようだ。
(10月10日新宿武蔵野館)


⑦判決、ふたつの希望

監督:ジアド・ドゥエイリ 出演:アデル・カラム カメル・エル=バシャ 2017レバノン・フランス(アラビア語)113分

すごく面白い?法廷劇としてもシンプルでちょっと嘘っぽく図式的すぎる(原告・被告双方の弁護士どうしが父娘なんてね…そして極右?のパレスチナ弾劾派としていささか喜劇的でさえある主張をしていた父親のほうが終盤突然に人々の心打つ問題提起で場をさらい裁判の行方を決めてしまうとか)ところもあるが、わかりやすくかつハラハラさせ最後はズキーン。そして妻の出産を控え家族を愛する愛情深い主人公トニーがある場面では妙に頑固というか意固地で妻にも困られつつ突き進んでいく様子も後半の実は…の伏線になっているうまさ。その意固地さで自分の家の不法建築を是正する請負業者の現場監督の男と衝突してしまう。元は教養人だがレバノンでは職に就けず工事の現場監督になった男ヤーセルの誠実な仕事ぶり(この男ドイツ製の高価な機器にこだわり、中国製を拒否するのだけれど、これも誠実さ?それとも一種の差別性?ちょっとここだけがわからなかった)。だがこの男は難癖付けた相手に絶対に謝らず、彼の暴言に相手を殴ってしまい、有罪を認め裁判になるが無罪となる。その控訴審で二人をいわばそっちのけに世論や弁護団が白熱化していくという皮肉、そしてその中での二人の小さなつながりからの二人だけの意表をついたひそかな和解までうまい映画作りだなあという印象。主人公が頑固に相手に謝罪を求める中で、妻や、父は意外に冷静でパレスチナ人の相手に理解を示し、レバノン軍団?(政党)集会なども含む主人へのバックアップぶりの一方で、党の指導者が主人公に冷静になることを求めるなど、わりとレバノン側の公正・公平を示すような場面もあること、最初のタイトルロールに、この映画の主張がレバノン政府側の公式見解ではないことが示されるなど、レバノンの民情の多様さというか複層性が示されたのも興味深かった。ヤーセルのカメル・エル=バシャがべネチア映画祭の最優秀主演男優賞(派手さでは断然アデル・カラムなんだけど)、映画自体はアカデミー賞外国映画賞にレバノン映画として初めてノミネートされたそうだ。
(10月12日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館)


⑧バッド・ジーニアス

監督:ナタウット・ブーンビリヤ 出演:チュティモン・ジョンジャルーンスジックン チャーノン・サンディナトーンクン イッサヤ・ホースワン 2017タイ 130分

タイの教育や社会構造の暗部を描きつつ、そこを逆手にとってカンニング・ビジネスを始める高校生、というまあトンでもない世界を描いている。中国での実際の事件がモデルだそうで、まあ、なんというかカンニングの手口そのものは荒唐無稽でもあり?今のネット社会はさもありなんというところもあり。首謀者は天才女子高校生リン(長身、細目のアジア系ビューティ?で硬質な感じで自分を貫くところいかにも天才っぽく、なかなかいい)、実務系(話を持ち掛け、情報の拡散を担当する)金持ちの息子・娘=なんかいかにも裏もありそうな仕事をしてのし上がった、享楽的だが損得勘定には敏感という感じにふてぶてしい美少女とその相棒)それに引きずり込まれて最初はおろおろ、しかし最後は居直り「悪」の道に突き進みそうな気配も見せるおなじく特待生の優等生、生真面目そうな苦学生のバンク。校内でのカンニング(教えた側)がバレて特待生の資格がはく奪され、留学の夢も破れたリンが自分の頭脳を駆使して、世界各国で行われる大学統一入試STICを時差で最初に行われるシドニーで受けSNSでタイに送ってお金を払った希望受験者に拡散するといういわばビジネスが大変にアクロバティック、アクションっぽく描かれる。ハラハラドキドキ、カンニングに加担したくなってしまうがまあそんなにうまくはいかないというところがこの映画の健康なところだなあとは思う。コメディタッチというか荒唐無稽っぽいところもあり、高校生たちはきわめてドライだが、それでいてなんか彼らの切なさもあふれる、ふしぎな味わいの映画でもある。
それにしても武蔵野館の座席環境の悪さ、何とかならないものだろうか。昨年のリニューアル後一層悪くなり、前の人(特に背か高いわけでも、髪を盛っているわけでもない)の頭で画面の下三分の一は見えず、字幕さえも切れてしまうのは本当に困る(出来上がって数回、いろいろな席を試してみるが、まだ大丈夫という席に行きあたらず。少しマシかなというH列はネットでは真っ先に売り切れてしまっているのが常)。
(10月17日新宿武蔵野館)


⑨オーケストラ・クラス(La Melodie)

監督:ラシド・ハミ 出演:カド・メラッド サミール・ゲスミ 2017仏 仏語アラビア語

パリの実在の音楽教育プロジェクト「デモス」がモデルだそうで、落ち目というか今一つパッとしない状態でいる中年のバイオリニストが、頼まれ19区にある移民の多い学校の6年生の音楽選択クラスの悪ガキどもにバイオリンの指導をし、うまくいかないことに悩みつつも一人の天才的な少年と出会って、彼の指導をきっかけにコンサートでスタンディング・オベーションを得るまでというお話自体は予定調和的展開。この映画の面白いところといえば、バイオリニストは15歳の娘との関係に悩みそれを通して子どもたちを見、また子どもの親ともギクシャクも含め関係を開き、さまざまな移民の親たちとも交流をもっていくというところ?アーティストのアートか教育かというような悩みというよりも、親同士のつながりが子どもを変えると言っているあたりが、こういうタイプの映画としては新しいかな?自分は楽器は弾けないのだが、生徒とバイオリニストの間にとって真摯に頑張っている感じのアラブ系(生徒もアフリカ系ありアラブ系ありアジア系あり・・ただしコンサート場面で出ている生徒と教室場面の子たちの数というかずれがちょっと気になるところもあり)の先生が、すごくリアリティのある演技でよかった。
(10月19日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館)


寝ても覚めても

監督:濱口竜介 原作:柴崎友香 出演:東出昌大 唐田えりか 瀬戸康文 山下リオ 伊藤紗莉 渡辺大知 田中美佐子 中本工事 2018日本・仏 119分

原作小説のプロットがあるせいか安心して見ていられ、裏切られないという感じの見ごたえがある。若いころの大阪での恋人麦は自由人で勝手にふらりといなくなってしまう。いつか必ず帰ると安心させつつ、姿を消して2年後、東京で暮らす朝子の前にあらわれた男、亮平は麦にそっくりだった。心惹かれつつも付き合えないと彼を拒む朝子だが、そこを襲ったのが東日本大震災。そこからいったん別れることを決めた朝子は亮平と付き合いともに暮らし、5年後、マスコミに登場するモデルとして麦が現れる(戻ってくる)。そして…?という話。元の男が自分とそっくりだったから、自分は朝子と知り合えたと朝子を受け入れる亮平の「良さ」と裏切られて拒む頑固さ、ふわふわといい加減な麦の軽味と自己中心性を一人二役の東出昌大がうまく演じ分けていて、なかなか!相手役朝子の唐田えりかもさもありなんと言うような物静かなかわいい女の子なのだが、亮平を裏切る形で麦の車に乗り込み彼のいうがままに「逃避行」に走る場面の、亮平とともにいたときとの表情の変化には舌を巻く。これは演技力というだけでなく、撮影のなせる業というところもありそう。彼ら2人を取り囲む友人たちが皆知り合いになってしまうというのは少し嘘っぽいが、彼らの雰囲気、演技もなるほど、感はあった。 
(10月19日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館)


⑪君の鳥はうたえる

監督:三宅唱 原作:佐藤泰志 出演:柄本祐 石橋静河 染谷将太 萩原聖人 渡辺真起子 2018日本 106分

こちらも、むしろ原作が「ウリ」の佐藤泰志作品。東京が舞台の原作だが函館に舞台を移したので「オーバーフェンス」(2016山下敦弘)などと重なる雰囲気もあり、男2人女1人の絡む青春情景は目新しい感じはしないが安心感はある。佐知子を演じる石橋静河の、本屋の店員をしながら夜は遊び、知り合った「僕」に身を任せ、店長とは不倫を続けているというようなキャラクターの底にある(「僕」がひかれるような)たくましさとか健康さが彼女本来のものなのか、それとも演技での表現力なのかは、ちょっと未知数かなとも思うが印象的であるのは確か。フラフラとやり過ごしその日その日を生きているような青年「僕」が最後に「おれは君が好きだ」と意思表明をするというのがこの映画の骨子というか「僕」の成長譚なのだろう。そこに介在して、息子に金を借りに来たり病気で倒れたりするような母を重荷ともせず、失業しているが漂々と生き、佐知子とキャンプにいってしまったりする静雄の存在感(互いに分かり合って干渉もしあわず生きている「僕」をある意味では脅かす)はこれは確かに染谷将太の演技力という気がする。店長役の萩原聖人、困った店員たちに疲れ、離婚して一人は楽だとうそぶきつつ、疲れをにじませる中年とも青年ともつかぬ年頃の男の頼りなさ、頼りがいをよく出してこれも印象に残った 。(10月19日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館)

 10月21日茅が岳からの富士山!快晴!快調!
紅葉は今いち、黄葉でした
茅ヶ岳からの金ヶ岳、向うは八ヶ岳



⑫童話せんせい(童話先生)

監督:李宗泰 出演:曹操(ジョナサン・アンドリュー)王静博 甫梟虎 字幕:加藤浩志 2017中国 90分

いよいよ映画祭突入の「中国映画週間」だが、何とも閑散として20人弱ぐらいが、ぴあに指定された中央寄りの席に座っている。チケット購入の発券手数料が高すぎて、前売りを買うと当日券より高くつくという珍奇な現象が起こっていた今年ゆえ?TOHOシネマズでVITで切符が買えた去年は深夜0時からの購入期間すぐにそれなりに買い手もあって席も自分で指定できたし、発券手数料などもなかったからもっとにぎわっていたのに…。
というわけで、唯一参加日の1本目は、雲南の田舎に、売れない作家だったイギリス人教師が赴任して、文化ギャップやことばの壁に悩みつつ、同時に赴任した教育支援員の若い熱意ある教師に支えられつつ、生徒の童話コンクールで賞を取り、村人や子どもたちにも受け入れられるという、言ってみれば「田舎教師」(田山花袋です。つまり明治から日本にもある「教師もの」)のパターンを踏襲しつつ、それが西欧人であるという一ひねりだけが、ま、新しいと言えば新しい。田舎の山村からみた「街」への距離がそれだけ近く、地球が小さくなったということだとは思うが。イギリス人教師を演じているのは曹操という芸名で中国で活躍中のアメリカ人とか。主人公が中国に行くのを後押しするのが理解者というか彼の物語を愛する少女で、白血病で倒れた彼女の気持ちを受けて彼は中国へ来るのだが、この少女がどうなったのかは物語の終わりでも回収されないので、なんかちょっと??。おまけに彼も子どもたちと過ごした村でのことを書いた?童話が売れてイギリスへ帰ってしまうというわけで、余韻をもった終わり方を追求したのかもしれないが、なんとも中途半端な感じも。描かれたイギリスの光景もちょっと違和感があるが、英語がやさしいのと、彼が中国に来てだんだんと覚えて話すという中国語もやさしいから、字幕はまあ、あまりなくてもいいかなという、この字幕は加藤浩志さん(元東方書店編集者・三朝庵主人)それだけに字幕造りはむずかしかったのかも。そうそう最後に主人公がクラスの子どもたち一人ひとりの名を感じで黒板に書いて呼ぶというのが「感動的な盛り上がり」シーンで。それを見ると、この映画が「ことば」について描いた映画かもしれないとも思わされる。ところでそう見たとき「童話先生」(原題)がなぜか「せんせい」とひらがなになっているのはなぜなのでしょうか???
(10月23日 2018東京・中国映画週間 東京都写真美術館ホール)


⑬恥知らずの鉄拳(羞羞的鉄拳)

監督:宋陽・張吃魚 出演:艾倫 馬麗 沈騰 田雨 2017中国 100分

男女の心が入れ替わってしまうと言えば、古くは『転校生』(1982年!)、韓流ドラマの『シークレット・ガーデン』(2010年)とかが思い出されるけれど、これは八百長ボクシングと、カンフー修業がからんだところが中国らしい?といえばいえるかなあ(発想そのものは決して新しいとは言えない)。男が負けることになっていた花形ボクサーが女の恋人なのだけれど、女は男と心が入れ替わって恋人の不実に直面し、男の体で相手を倒そうとするけれど、体が入れ替わっても急に強くなれるわけでもなく山寺に修行に行く…この寺でお調子者で頼りない老師を演じている沈騰(ムロツヨシに浅利陽介を足したみたいな?)が意外に場をさらって笑わせられる。会場は相変わらずガラ空きだが、真ん中あたりで反応よく笑っている一団あり。笑いのツボをみていると中国人のご一行様?なるほどここがおかしいんだ…と中国公開時すごく人気を得た作品だったということが実感はできたんだけど…ところでこれも「羞羞的」を『恥知らず」という邦訳はどうなんだ? 
 (10月23日 2018東京・中国映画週間 東京都写真美術館ホール)


⑭僕はチャイナタウンの名探偵2(唐人街探案2)💮

監督:陳思誠 出演:王宝強 劉昊然 肖央 劉承羽(ナターシャ・リュウ・ポルティッツオ)妻夫木聡 元華 王迅 2018中国121分

この日最後の夕方の回、さすがに少し人は増えてきた。去年見た1の時は、なんか話がごちゃごちゃするし、主人公の二人がバタバタするばかりでそのうるささに疲れたのと、終わりにカタルシスがないのと(ヘンにスリラーっぽくもあり)で、あまり面白いとは思えなかったのだが、1年後のパワーアップ。舞台はバンコクからNYへ。でこぼこコンビの秦風が叔父・唐仁(いや表兄だからいとこ)の結婚式に呼ばれてニューヨークにつくところから。ところが実は結婚式ではなく、ネットの「探偵ゲーム」アプリの上位探偵が集められ富豪(曾江)の息子が殺された事件を、死に瀕した富豪のために1週間以内に解決するというミッションが与えられるというパーティだった。秦風はこのアプリの2位。彼と2位の座を争う日本人野田昊が妻夫木聡で、真っ赤な上着でべらべら英語と中国語をまくしたて、序幕では大活躍?そして乗り気でなかった秦風をゲームに巻き込みあっという間に姿を消す。プロファイルによって野田と秦風が同時にたどり着いた容疑者宋義は、しかし実際には犯人ではなかったよう。だが、富豪の養子が彼を犯人にして富豪の財産を狙い、3人を殺そうと追いはじめる。と、あとはドタバタの追跡劇、変装劇、カーチェイスも。NYの中年ライダーや、まだらボケ気味の唐仁の師匠が独特なやり方で3人を助け、一方強引・理不尽な市警の署長はトランプ大統領にそっくりだったり、さりげなく社会批判的な眼も忍ばせながら、全体としては爽快なアクションコメディに仕上がっている。王宝強は1と同様キンキン声がやたらとうるさく前半は疲れてしまうほど単調に思ったが、後半すばらしい見せ場があってこの唐仁という男のタダものではないところを見せつけるし、頼りなさげだった秦風も鋭い推理や、『ガリレオ』(東野圭吾の映画化のほうです)ばりに数式を操って「天才」ぶりを発揮、また巻き込まれた3人目でありながら実は?というウラももつ宋義を演じる肖央も味があるし、楽しめる映画だった。2018年春節映画。最後に妻夫木が東京から「難事件だ~」と叫ぶ終始の合わせ方も大したもの。
(10月23日 2018東京・中国映画週間 東京都写真美術館ホール)

⑮止められるか、俺たちを

監督:白石和彌 出演:門脇麦 井浦新 山本浩二 タモト清嵐 大西信満 2018日本 119分

2012年交通事故で急逝した若松孝二監督を偲んで?作られた1970年当時の若松プロダクションを描く。映画好きにとっては見逃せないかなとは思いつつ、特に若松監督前半のピンク映画なんて全然見ていない(当時も今も女が消費されているような男視点のピンク映画は見る気にならなかった)ので、どうなんだろうと思いつつ。平日の午後だがテアトルそこそこの人出はやはり男性が目立ち若松監督のファン層というのはピンクであれ、後半の連合赤軍ものにしろ、『キャタピラー』(これは異作であり名作だと思うけど)にしろ、三島由紀夫にしろ男性たちだったんだなあ、と今さらながら思う。この映画自体は72年に亡くなったという実在の助監督吉住めぐみの、いわば女性視点から描いた当時の若松プロで、それゆえに見るに堪える?とはいえ、男ばかりの映画狂みたいな連中に中で、たくましく頼られ、それなりの活躍をしつつも身も心をすり減らした女の記録と見えないこともなく、ウーン。井浦新という人はもともとふてぶてしい見かけの人ではないと思うが、それがだみ声を出してふてぶてしい態度雰囲気の若松孝二を演ずるというのは頑張っているなとは思いつつ、いささかの違和感も…。
映画館ロビーには今の日本の映画界を代表するような監督などの諸面々が、あたかも自らの青春を懐かしむような共感や賞賛のメッセージを寄せた立て看板がある。映画の中でも若松の映画はわかるものだけが見に来るというようなセリフがあったが、ま、これもそういう映画で、まあ、ほぼ同じような時代に青春期を過ごしたものとしては懐かしみや共感もなくはないが、気恥ずかしさも、慚愧の念もなくては見られずというところもあり、あまり楽しめる映画とはいえなかった。同じ時期を同じように過ごして成功した映画人たちにとっては立て看板のような賞賛もあるんだろうけれど…。
(10月25日 テアトル新宿)








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