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【勝手気ままに映画日記】2019年3・4月

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長野の入院先から戻ってきて、なんとか見ました!府中郷土の森の桜 ①グリーン・ブック ②葡萄畑に帰ろう ③小さな独裁者 The Captain  ➃あなたはまだ帰ってこない La douleur ➄翔んで埼玉 ⑥マイ・ブック・ショップ ➆ローマ ➇ビール・ストリートの恋人たち(If Beale Street Could Talk)➈ナポリの隣人 ⑩立ち上がる女⑪芳華 ⑫盆歌 ⑬セメントの記憶 ⑭若葉のころ(5月1號)⑮未来を乗り換えた男 ⑯天才作家の妻 40年目の真実(THE WIFE)(TRANSIT) ⑰美人が婚活してみたら ⑱私の20世紀 ⑲シンプル・フェイバー ⑳ふたりの女王 メアリーとエリザベス ㉑ラブ ゴーゴー(愛情来了)㉒キングダム                       3月は最後の週に3本だけの映画鑑賞。3,4月まとめてアップします。 🌸はあくまでも個人趣味によるおススメ作品です! ①『グリーン・ブック』 監督:ピーター・ファレリー 出演:ヴィゴ・モーテセン マハーシャラ・アリ リンダ・カーデリニ 2018米 130分 オスカーの作品賞と脚本賞、それに助演男優賞(アリ。確か『ムーンライト』でも同じ賞だった?)を受賞し、白人視点描いた作品だということでスパイク・リーらは大いに反発したと聞いていた作品。ようやく間に合って鑑賞。ウーン、実話ベースということで、特別な才能を持ち、それを伸ばす機会にも恵まれて育った黒人ピアニストと彼の運転手兼マネージャー?をつとめることになったイタリア系の白人が一緒に黒人差別の意識が強い60年代のアメリカ南部を演奏旅行するという物語。脚本はモデルになった運転手(後にコパの支配人にまで上り詰めた)トニー・バレロンガの息子ニックが書いているとかで、わりと抑制された差別表現の描き方だが、それを敏感に感じつつ耐えたり時に意志を貫こうとしたり、権威(なんとロバート・ケネディ司法長官)に頼りつつ、それを苦悩し、しかもゲイという複雑なピアニスト、ドクター・シャーリーの造形もうまいし、演技もさすが。一方のトニーはイタリア系の移民仲間のつながりによくも悪くも支えられ、家族にも恵まれていて、教養はないが知恵は滅法回り、腕っぷしも強くて頼りがいのある男で、造形的には意外に単純な気もするが、最初は差別主義者と言っても

【悔恨と反省、それでも懲りない?】2~3月の骨折・入院日記①

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2019年2月22日11時49分戸隠中社グランドゲレンデから見た戸隠山。美しさに感動した、この1分後、未圧雪の重雪に足を取られて転倒、急斜面を滑落、左股関節骨頭を骨折しました。痛みに呻きつつ、パトロール隊に救助され、救急車で飯綱の病院に。人工骨頭置換手術を受けて入院。悔恨と反省の4週間を送る、その幕開けとなったあまりに美しい山景です! 2月22日 【滑落】 今年の戸隠はすでに春の雪、水っぽく重く、前日まではあまり楽しめなかった最終日、でも今日はピーカン、雪は今いちだけど、楽しく滑れそう…、ということでその1本前に快適に滑り降りたチャンピオン・コース。つい魔がさして隣の隣のグランドに。入った途端、あ、ヤバ!とは思ったが、上半分はそれでもまあなんとかOK。中盤で一休み、上の写真を撮って、気を取り直し、さ、行くぞ!と思ったとたん足を取られ転倒、そのままドドド―と落っこった!なんとか足を下にして止まり、両ひざをついて斜面を見上げると10メートルも上にストックが1本置き去りに。えー、あれを取りに行かなくてはならないのか、と思いそれでも、と思って…、え?あれ立ち上がれない。スキーは両方とも足についたまま。ヤレヤレと板を外したがえ?痛いよ、動かないよ、どうしよう~~このとき、このゲレンデは無人状態で、私だけ…。       戸隠には30年近くほぼ毎年2回は通っている。ゲレンデは一応隅から隅まで知っていると思っていたので、ふだんはコースマップなどは持って出ないことも多かった。でも、今日はリフト乗り場で誰かが落としたマップを、しかたがないな、ゴミにして、と思って拾ってポケットに入れていたーいや、ほんとにラッキー! それを思い出し、書かれているパトロール隊の番号に電話する。 黄色矢印のあたりで滑落した… 【パトロール隊ってすごい!】 まもなく雪ぐさぐさのゲレンデの上方から力強く下りてくる人の姿、さすがすごい技術だなあと待つうちに到着した彼、ほかにも女性、男性それぞれ1人ずつ?どこからともなく到着してくれて救出してくれた。のだが、これが大変、最初はどちらが悪いかわからぬほど左だけでなく、右足に力を入れても全身に痛みが走り、身動きができない。かろうじて身元と泊まっている宿の名だけを告げて、あとはウーン。スノーボートに何とか乗せられ中社から戸隠

【悔恨と反省、それでも懲りない?】2~3月の骨折・入院日記③

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またの日の朝日に映える飯縄山。いくら見てもあきませんが、まさか病院に根を張ってしまうわけにはいかないし…というほどに、慰められる絶景です。 2月28日 【手術2日目 車椅子から歩行器に】 ドレインが抜けて、ベッドのまま一般病室(225)に戻る。 早速のリハビリ開始は、ベッドの傍らでまず車椅子に乗る練習と、すぐに立つ練習。これらはすべて小ぶりのデイパックサイズになった両足の間の枕をつけたままだが、どうもこれがずり落ちてきて使いにくい。この枕は大きさを変えつつ、このあと3週間起きても寝ても24時間つけていることになる。 (手術後2日は40ℓザックサイズ、その後数日はデイパックサイズ その後は20センチ角のサイコロ状) デイパックサイズ枕と1日だけ車椅子の私(しかも病衣, ハズカシイから顔を隠してしまいました、失礼!)            サイコロ型枕と、つけたところ(これは時期はずっと後。腰ひもと         弾性ソックスを使って枕が落ちないように工夫して、ひたすら歩く。  昼頃には自分で車椅子でトイレにも行き(1回目だけは介助してもらい、動き方を教えてもらう)食堂に出ると新聞があったので、久しぶりに新聞やテレビを見ながら食事。 (この新聞、最初は病棟のものかと思って、今日の新聞は?などと看護師さんに聞いていたが要領を得ない。要は入院患者のどなたかが新聞をとっていて読み終わったものを公共スペースに寄付してくれていたのだった…。なるほど、こういう方もいるんだな。長期入院お気の毒という気もする) 午後リハビリ担当Yさん、再び迎えに来てくれてリハビリ室へ移動。階段上下はないがずーっと遠くのリハビリ室。平行棒で3往復くらい歩き、2種の歩行器を使い部屋の中を回って歩く。痛いし、悪い左足から出す歩行はなかなかしんどい。その後両足の筋トレ30回ずつ。右足は2キロ、左足は1キロの重りをつけて…。車椅子で病室まで送ってもらい、その後は歩行器に。まあなんというか、基本日常生活に復帰というところ。歩行器は赤ちゃんのを大きくしたような感じで押しながら歩く。4日間くらい使い、杖になった。 2回目からはトイレも一人で行き、ベッドで2月の映画日記『電影★逍遥』をアップして、3月は映画日記は

【悔恨と反省、それでも懲りない?】2~3月の骨折・入院日記②

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病室の窓から望む朝いちばんの飯縄山(1917m)朝、昼、夕と山貌をかえるこの山の美しさに励まされ、4週間の入院生活をなんとか耐えることができました。正面は飯綱リゾートスキー場。来シーズンは滑りに来れるかな? 2月23~27日 【手術前】 最初に入ったのはナースステーション真ん前の222室。「認知症の方もいて、少しうるさいかもしれないが、ほかにベッドがなくてごめんなさい」とのこと。うるさいということのほどはなかったが、夜中に「〇〇ちゃん、〇〇ちゃん」と娘?の名を呼び続ける方。私の両足につけた血栓予防の装置の断続的な風圧音を気にされて、何度も「電話がなってるよ」と教えてくれる方―「電話ではない」と説明すると納得されて「うるさくないから大丈夫」と言ってくれるが、またしばらくすると「何の音?」と気にされる。何だかこちらが申し訳なくなってしまうほど、この装置はなかなかうるさいのである。 翌日には1つ置いて隣の225室(「こちょうらん」の名がついている。222室は?朦朧としてわからなかった。どこにいるかも朝になって「ここは何号室ですか?」と聞いてはじめてわかった)に移動(病院には4室はない)。西向きの大きな窓の、窓際のベッドになって、ここは寝たままで正面に朝日を浴びる飯縄山が望める一等地。ただし午後は西日で猛烈暑くてまぶしい。 手術前3日間のスタイルは、左足牽引、両足に血栓防止のために空気圧を送るポンプのような装置の付いたバンドを巻いてそれが左右交互に膨らむのを繰り返すという装置。下半身は身動きはならず、排便も食事もベッドのうえ。ただしベッドの背は起こせるので、体を半分起こした状態で、PCやスマホををいじったり、入院の注意書きを読んだり…。痛み止めは座薬と、飲み薬。リハビリ担当がやってきて、寝たままで、手術のための筋力維持とかいうことで、反対側の右足のストレッチをしたり、前々日からは、手術の注意や、呼吸訓練も。麻酔の時に痰を出す練習だそうだ。知らないことばかりなので、ついついしつこく説明を求めるが(暇だし)、割と親切に答えてくれるのがありがたい。 なにしろ入院は出産時の1週間以来、全身麻酔の手術も生まれて初めてなので、何もかもわからず、不安いっぱいながら、これからどうなるのと、自分自身を外から見ている感じ。 股関節の手術はけっこう大変らしく、「一

【悔恨と反省、それでも懲りない?】2~3月の骨折・入院日記④

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信州の春はまだまだ、雪景色(3月14日) 3月3日~ 【人口股関節になるということ】  ようやく手術も終わり、痛いけれどもなんとか起き上がって動けるようになった時点で、それまではそれどころでなく、聞かされなかった注意がさまざまに行われるようになった。いわく、「左足を内股にしてはいけない」「足を組んで座ってはいけない」「前屈してはいけない」「しゃがんではいけない」「よじのぼってはいけない」「和式トイレは使えない」…「これは一生、ずーっとです」…ガーン、この時は暗澹とした思いにかられた。さらに言えば組織が復元するまでの3か月ぐらいのようだが「体育すわり」「正座」「畳に座る・寝る」「長く歩いてはいけない(長くってどれくらい?)」など、あれこれあれこれ、制限動作の写真入りリストも渡され、ま、3か月は我慢はするが、そのあと私はどうなってしまうのだと思うことしきりで落ち込む。  周りには、「よかったですね」「回復が早いですね」と言われても全然そうは思えない。 人工関節手術をする人は、たいていは生まれながらに股関節脱臼だったとか、股関節症に長年苦しんできたという人なので、痛みが取れて、制限はあっても普通に日常生活を送れるということになれば、大喜びという感じなのだと思うが、こちらは一朝一夕にして回転自由な関節が制限いっぱいの関節になってしまい、もう普通にはスポーツも旅行もできないのではないかという思いで、少しも喜べないのだ(今さらながらに私のマグロ体質を思い知らされた!)。 院長回診のときに「スキーはまたできるようになりますか?(ほんとに懲りないヤツなんですが)」と恐る恐る聞いてみると、整形の名医の評判が高いI院長に、ニコニコと 「まあ、転ぶのがねー、大丈夫ちゃんと歩けますよ」 と言われ、またまた落ち込む。 その後の病院生活の(そして今もだけれど)テーマは、そこからどう立ち直り、股関節とどう付き合っていくのかということにに集約されたような気がする。 メールでの友人の見舞い、病院内の人々、いろいろな人がいろいろなことを言ってくれて、その中には好意ではあるが私を ものすごく落ち込ませたことば もあり、逆に励ましてくれるような 心強いことば もありで、最初は一喜一憂ものすごく動揺してつらかった。 だんだん回復してきて、痛みも薄れ、筋トレ重視の

【悔恨と反省、それでも懲りない?】2~3月の骨折・入院日記⑤

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飯縄山の向かい側、東に面した窓から望む横手山、焼額山など志賀高原方面の眺め。 3月9日~ 3・9 大阪アジアン映画祭も開幕した。今頃は本当は大阪だったと思うとつらい…。 土曜日でリハビリ担当Y氏は休み。代わりに彼の先輩格、Tさんが今日のリハビリ。メニューはいつもと同じにストレッチと筋トレだが、怪我の経過などを話すと 「スキーも登山も無理のない範囲であれば、できるようになりますよ」 と言ってくださる。今回の入院中、整形外科のプロでここまで言ってくれた人はいなかったので、これ、最高にうれしくやる気が出た! 主治医のM先生も、リハビリのY氏もそこまでは言ってくれないというか、具体的にこれができる、これはダメと言うことは避けているように思う。それは最も責任を持つべき立場としては当然のことのような気はする。要は自分の状況を見ながらできる範囲も見極めていかなくてはならないということだろう。 院長のI先生のいつもニコニコ「 (スキーは)転ぶのがねー、大丈夫歩けますよ 」も「転ばないスキーなら大丈夫(実は今回の転落・転倒は今シーズンはじめての転倒だったし、転ばないスキーばかり最近はしていたゆえの過ちであったともいえる)」ともとれるし、 退院間近に言われた 「大事に使えば20年もちますよ」 (これも私にとっては大ショック。大事にとはどういうことよ、と思った)」も、要は20年もてば、大事に使ったということだし、20年もたなければ、それは大事には使えなかったということだろう。 たくさん使うのが大事に使うことか、使わないようにするのが大事にすることなのか、それは人それぞれの結果であって、前もって判断することは誰にもできない、という巧妙なことばだった気がする。 主催する「多摩中電影倶楽部」の5月例会の日程を、会場主とのlineで決め、作品も決めて、blogにアップした。            https://tamachu-huayingtiandi.blogspot.com/ 3・10 日曜日。売店が休みなので同室の3人で、カフェ226を開催。コーヒータイムを。 3・11 Zさん、226室の新しい住人に。 午後3時すぎ、主治医が来てくれて抜糸。ようやくシャワーの許可がおり、早速夕方にはシャワー、洗髪。 夜、院長回診、あと1週間足の間の枕を