【悔恨と反省、それでも懲りない?】2~3月の骨折・入院日記⑤

飯縄山の向かい側、東に面した窓から望む横手山、焼額山など志賀高原方面の眺め。

3月9日~

3・9 大阪アジアン映画祭も開幕した。今頃は本当は大阪だったと思うとつらい…。

土曜日でリハビリ担当Y氏は休み。代わりに彼の先輩格、Tさんが今日のリハビリ。メニューはいつもと同じにストレッチと筋トレだが、怪我の経過などを話すと
「スキーも登山も無理のない範囲であれば、できるようになりますよ」と言ってくださる。今回の入院中、整形外科のプロでここまで言ってくれた人はいなかったので、これ、最高にうれしくやる気が出た!

主治医のM先生も、リハビリのY氏もそこまでは言ってくれないというか、具体的にこれができる、これはダメと言うことは避けているように思う。それは最も責任を持つべき立場としては当然のことのような気はする。要は自分の状況を見ながらできる範囲も見極めていかなくてはならないということだろう。
院長のI先生のいつもニコニコ「(スキーは)転ぶのがねー、大丈夫歩けますよ」も「転ばないスキーなら大丈夫(実は今回の転落・転倒は今シーズンはじめての転倒だったし、転ばないスキーばかり最近はしていたゆえの過ちであったともいえる)」ともとれるし、
退院間近に言われた「大事に使えば20年もちますよ」(これも私にとっては大ショック。大事にとはどういうことよ、と思った)」も、要は20年もてば、大事に使ったということだし、20年もたなければ、それは大事には使えなかったということだろう。
たくさん使うのが大事に使うことか、使わないようにするのが大事にすることなのか、それは人それぞれの結果であって、前もって判断することは誰にもできない、という巧妙なことばだった気がする。

主催する「多摩中電影倶楽部」の5月例会の日程を、会場主とのlineで決め、作品も決めて、blogにアップした。
          https://tamachu-huayingtiandi.blogspot.com/



3・10 日曜日。売店が休みなので同室の3人で、カフェ226を開催。コーヒータイムを。

3・11 Zさん、226室の新しい住人に。
午後3時すぎ、主治医が来てくれて抜糸。ようやくシャワーの許可がおり、早速夕方にはシャワー、洗髪。
夜、院長回診、あと1週間足の間の枕をつけていて、それが取れればもう大丈夫、とおっしゃるので、では20日ごろには退院させてくださいと言ってみる(手術が終わったばかりのZさんも20日、K原さんは15日とか言っているのでつい言ってみてしまった)。ちょっと目を見張られたが、まあ、大丈夫でしょうとのこと。やったー!

このあたり、おおむねリハビリ、PC仕事(「映画と日本語」やっと書き始める)、回廊歩き4000歩ぐらい、平日はコーヒーショップで一仕事、店員さんたちとちょっとおしゃべりというのが日課である。
ただ、体調が定まってくると心配なのは支払い。このあたりから数日はK原さんのアドヴァイスを受けながら、支払いの段取りに奔走?することに。

【支払い談義】
高額療養費支給の制度があるということは知っていたが、果たして自分がそれに適応するのか、どう手続きするのか、そもそもいくらぐらい請求されるものなのか…。入院当初、看護師に「今、そんな心配をする必要はない」と言われてから、逆に誰に聞いたらいいわからず、どうなるのか不安な日々をけっこう悶々としていた。今は自分が無知だったとも思えるが、思いがけず、突然入院・手術なんていう場合、落ち着いて「わかる」人、どのくらいいるのだろう…。
実は、入院費や高額療養費支払いについては、入院時に資料が渡されソーシャルワーカーが、来て説明をしてくれるということが、あとでわかった。私の場合はこの資料がセットから落ちていたということらしい。あとでさんざん苦情を言い、さんざんに謝られたが、結局ネットで調べたり、会計課に聞きに行き、自分で市役所に問い合わせたりして、謝られたころにはすでに一応なんとか支払いの目途は立ってはいた。それにしても2月分は情報の遅れで、限度額認定申請が間に合わず、3月のみ申請がとおり、ほっと一息という状況だった。

【入院費用】この入院で、病院関係でかかった費用は次のとおり

2月分(22日~28日)
 ★保険診療自己負担(国民健康保険3割負担) 397,680円  
  (手術費295,935円、麻酔23,115円、入院料41,742円など)
 個室代金(手術のためのクリーンルーム代、自分で希望したわけではないけど、しっかりとられた)8640円・・自費負担 手術用肌着2枚(これも要らないとは言えず)2850円
 食事療養費 7360円 (上限1食460円が自費負担) 
 病衣・タオルなどのレンタル代 4567円  合計421,187円
このうち★については、やがて高額療養費支払いで34万くらいは戻ってくるのかなと期待している。手続きは市役所からお知らせが来てから申請をするということで、待っている(これは国民健康保険のHPの記述とは違った。市区によって違うのかもしれない)。
→4月27日に市役所から申請書が届く。申請により、6月14日には340,080円が指定口座に振り込まれることになりホ…。

3月分(1日~22日)
 保険診療自己負担 141,307円 うち、限度額認定された57,600円のみ支払う(低所得者だからね…)
 食事療養費 29,440円(1食460円)  
 病衣・タオル等レンタル代 8,316円
 合計96,490円

このほかに下着とか、リハビリシューズ、杖、コーヒー代とか宅配料金とか、片道は無駄にした長野~大宮~自宅もよりの府中本町までの切符かとか、大阪から来てもらった息子の旅費とか、もろもろあって60万近く払い、実質的には25万円ぐらい使ったことになるわけだ。思ったより多かったような気も、意外と少なく済んだという気もするがーま、使わずに済めばよかったという金額であるのは確かで反省しきり…。 


3・13~【いよいよ退院に向けて 】

3・13 人工股関節のしくみってどうなってるのでしょう。Y理学療法士、リハビリの時間に関節の模型を使って説明してくれるが、今いちわからない。あれこれ質問攻めにしたからか、午後売店カフェでコーヒー仕事をしていたら、写真の入った参考書持参で説明に来てくれた。要はレントゲンに映っている丸い金属ではなく、その中にさらに回転するような形の球形?の金属が入っていてそれが股関節の屈伸をさせるらしい。そういわれて見ると納得。筋トレは脱臼防止のための筋強化というよりは、球形の金属が擦り減らないように支えるためのものだそう。どのくらい動かしていいか、どのくらい筋トレをするかなどは、様子を見ながら無理せずに、しかしある程度鍛えるという方向で続けていかなくてはならないもののよう。丁寧に教えてくれる態度に感謝。

M医師の回診、私の地元の中堅?の整形外科病院に紹介状を書いてもらい、帰宅後の検診をうけることにする。この病院、実は30年前に玉突き追突されて救急搬送され、すごく嫌な思いをさせられたことあり。悩んだが、客観的には私の点検にはちょうど良さそうなので、問い合わせメールを出してあった。30年前のことも含め、まあ納得いく回答を得られたので、ここに頼むことに。

3・14雪! 連れ合いが申請して送ってくれた限度適用認定証を会計課に届け、3月分の手続きをする。これでちょっと息をつけた。

3・15 K原さん退院。まだリハビリが不十分なのに最後の日に時間をとってもらえなかったと悩んでいらっしゃる。そうか…早めに頼んでおこう。20日退院だと枕をとってからの期間が短くて歩行練習が少し不安かなと、休日(春分の日)明けの22日に退院することにする。

3・16 また雪!診療のある土曜でM医師回診もあり。22日に退院したいということと、その日朝リハビリをしてから、とお願いする。

3月初回分の請求書が届く。限度額適用額の請求でほっとする。この日に、私のところには「高額医療費支給」に関する病院からのお知らせが来ていなかったことが判明。これは同室の中国人留学生Zさんが、「この書類の意味ってどういうこと?」と聞いてきて初めてわかったこと。つまり、私に書類なく、彼女は書類があっても意味がわからなかった?ということ。ひどいなあ。明日退院が決まったS谷さんのアドヴァイスもあって、ソーシャルワーカーに来てもらうことに。早速Zさんナースステーションに頼みに行く。その素早さはさすが!
夜、S谷さん、寄ってくれる。手作りのアクリルたわしとか、塩の詰め合わせ?などを持ってきてくださり、M木さんと3人でひとしきりおしゃべり。


3・17  動きすぎ?歩きすぎか、朝から調子今一つ、久しぶりに痛み止めを飲み、ダラダラ朝寝、昼寝した。昼頃S谷さん退院。M木さんは用事で、BFをお供に外出。帰ってくるとどっさりのりんごをくださった。冷蔵庫に入れておけば大丈夫、なんだそうだけど…次の日から朝食前にリンゴを1つ剥いて、みなさんに分けることに。
部屋の入り口には食べ物の持ち込みは禁止です、とちゃんと張り紙があるが、整形外科の気楽さ?で食べ物が行ったり来たり。でも看護師さんも何も言わない。

3・18 モルゲンロートのようなバラ色の飯縄山! 朝、看護師さんが足の間の枕を外していいよと、許可をくれる。3週間つけ続けてて、いわばガニ股歩きだったので、まっすぐ歩けるかどうかちょっと心配。午後はリハビリがんがんで、悪い左足をまっすぐ前に出して歩いたり、畳などへの腰の下ろし方などを教わる。午後入浴予定時間に30分ほど空きができた。そこでお風呂に。今までシャワーだったが、今日は昼間で浴槽にお湯が入っているので思い切って使ってみる。手すりもあるし特には問題なし。
売店で帰宅用に杖を購入。なくても歩けるが、人込みで突き当られるのが怖いから障がい(高齢?)アピール用だ。
Zさんのところにソーシャルワーカーがやってくる。一緒に話を聞き今までの私の支払い経過なども含め、質問(ちょっぴり苦情も)。これで必要書類が欠けるというミスがなくなればいいんだが。

H山看護師、やさしくてよく気がつくいい人なんだが…。枕を外した私がまっすぐに歩けないかもと不安をもらすと「いいのよ、無理せず足を開いたままの歩行で」(それじゃあ、帰れない)、夜眠れないでいると「帰宅後も生活を見直すといい」(そりゃ、ごもっともだが、今眠れないんだが)
I院長、回診で「だいじに使えば20年もちますよ」とおっっしゃたのもこの日。20年後どうなるの?というのも私にとっては微妙な年齢だしなあ。

3・19
理学療法士Yさんに、「だいじに使う」の意味を聞いてみたが笑って答えず。つまり大事に使うというのも人によって違うのだろう。20年後にどうなるかと聞いてみると、痛んだり、体のバランスが悪くなるなどの症状が出ることがあるとのこと。90近くなっての手術なんてできそうもないし、車椅子はいやだし、生きると仮定すれば他の部分を健康に保ち、しっかり歩き、しっかりすり減らし?早めに手術しなおすほうが後が長い?そんな気もする。とにかく先のことを考えても仕方がないので、現段階でできる限り使いこなすしかないのだろう。
あらためて、頼もしいO川看護師に入浴のしかた(浴槽への入り方)確認してもらう。
Zさんとline友達に。彼女のプロフィールはものすごい美少年の写真。きくと甥っ子さんだそうな。その母が彼女の従姉なので正確には甥っ子はないんだが。そして仙台に住む彼女の夫の祖母?が帰国した残留孤児なんだとか。
昼は入院してはじめての信州蕎麦?風?でも、すっげー(O川看護師の可愛い口癖)まずかった!

3・20 さん退院。横浜から迎えに来られたお母さん(47歳 若々しい)とうれしそうに帰って行かれた。明日21日は休日なので私もぼちぼち退院準備。会計課に行き、2月と3月初回請求分支払い。売店に行き(もちろんコーヒーも飲んで)段ボール箱をもらったり。

夕方M医師回診。特には問題なし。

夜、薬剤師のM宮さん、頼んでおいた睡眠導入剤の追加をもって部屋に。M木さんと3人で話す。彼は東京出身、大学を出てからこちらに来て、薬剤師をしながら飯綱リゾートスキー場で指導員もしているのだとか。スキーの話をひとしきり。戸隠にはあまり行ったことはないらしいが、「来年は是非飯綱スキー場に滑りに来て」の一言がうれしい。
この日も前の日もずーっと、午後のコーヒーと書き物、リハビリとおおむね4000歩以上の回廊歩きは欠かさぬ日課。

3・21 休日。売店コーヒーは休みなので、M木さんと2回のコーヒータイム。カフェ226。A川さん(84歳)は「甘くないとだめなの」で、ごめんなさい)
M木さんのBF見舞いに。きゅうりに味噌とか、自家製の酢の物?などいただく。仲睦まじいい2人のようす。いいなあ。

雨模様の朝、飯縄山方面に虹が!








【退院】

3・22 いよいよ退院。とはいっても朝の日課はいつもと同じ。朝食後、8時半にリハビリ室に行き、最後のリハビリ。自転車、軽く走る、泳ぐなどは問題ないとのお墨付き。
売店で買って3週間使ったリハビリシューズは、貸出用にとリハビリ室に寄付した(もう二度と履きたくないし、履く機会がないことも祈っている)。部屋にもどって荷造り、吸い飲みやコップ、ティッシュの残りなどどうしようかと思ったが、M木さんが捨てるなら
と、全部もらってくれる。現役女将の「始末」の姿勢に感服(決してケチではない)。60分ほど残ったTVカードは換金もできるのだが、相撲をいつも楽しんでいるA川さんに進呈。支払いをし、ナースステーションに挨拶し、タクシーを予約して、売店カフェに。昼夜用?にパンを5つくらい買い、M木さんと最後のコーヒーを楽しんで、11時半時間通りに来たタクシーに乗ってしなの鉄道牟礼駅まで(駅からは歩くと20分ぐらいらしい)。
女性の運転手さんは、短い時間に街の案内をしてくれる。彼女、一昨日Zさん母子を乗せた人だったことがわかる。山あいの小さな町のことだから、それほ驚くようなことではないのかもしれないが、なんか縁を感じてうれしく、Zさんにlineしてしまう。


家族は迎えに来ないのかと、病院でも問われ、家族や友人にも驚かれたが、連れ合いや息子の切符の世話までし、歩幅を合わせ(または合わせてもらい)歩くのも、まして小さな車に何時間も詰め込まれて退院するのもつらいなあ、と思い、最初から退院は1人でと決めていた。唯一心配だったのはエレベータもエスカレータもないと聞いた牟礼駅の跨線橋の階段だったが、これもまあ、なんなく上り、12時過ぎのしなの鉄道に乗り、長野で、信州蕎麦とコーヒーの昼食、お土産も買って新幹線に乗り換え、4時過ぎには無事自宅最寄り駅に到着。 
4週間つけていたID




 【さてそして…】

突然の過誤による怪我で、今までの自由が奪われたという感じが強かったせいか、入院中の気持ちをたどってみると、とにかく、あのとき、スキー中に転倒したあの直前の自分に戻れるか、戻りたいというところにすべての意識が集中していたという気がする。だから手術をしたばかりで、痛みと動けない状態にありながらも「スキーはまたできるか?山には登れるか?」ばかりを気にし、「無理」という感じの情報には落ち込み、大丈夫という情報には喜びで、一喜一憂エレベーター的精神状態、でもできることを目指してひたすら筋トレ、歩行練習、やりすぎてダウンみたいな状態だった。
今も筋トレハイは続いているみたいで、回復面では優等生だと思うが、夏には山に行けるかな、とか秋には旅行に行こうとか、そして、冬にはまたスキーとか、そんなことばかり考えている。できない自分に裏切られそうで怖いのではあるが。ま、ガンガン鍛えてもダメならば、あきらめもつくかもしれないし…。どこまで鍛えられるかにはマニュアルがあるわけでなく、ほとんどの制約は自分の体の状態を見極めつつ解消していくしかないものであることは、病院生活の中で再再確認したとおりだし。
怪我をする前は、自分は1日中、実際にPCの前や映画館で過ごすことが多くて、いくらでも静かにじっとしていられると思っていたが、実は相当に「まぐろ体質」で、動いていることによって精神的な平静を保っていられるタチなのかもしれない、というのも新発見だった(なんて、他人様から見ればもともとそうなのかもしれないが)。


ま、そんなわけで、なんとか帰ってきました。今後も悩み、一喜一憂は続くんだろうな、そして本当に体が動かなくなる(かもしれない)後期高齢時代を私はどう生きていくことになるんだろう(生きていれば、だけど)とあらたな悩みも抱えつつですが…。それについてはまた、折があったら…。
ともあれ、多くの皆様にご心配いただき、またご迷惑もおかけしました。心からお礼とお詫びを申し上げます。

以上













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