【悔恨と反省、それでも懲りない?】2~3月の骨折・入院日記②

病室の窓から望む朝いちばんの飯縄山(1917m)朝、昼、夕と山貌をかえるこの山の美しさに励まされ、4週間の入院生活をなんとか耐えることができました。正面は飯綱リゾートスキー場。来シーズンは滑りに来れるかな?


2月23~27日
【手術前】
最初に入ったのはナースステーション真ん前の222室。「認知症の方もいて、少しうるさいかもしれないが、ほかにベッドがなくてごめんなさい」とのこと。うるさいということのほどはなかったが、夜中に「〇〇ちゃん、〇〇ちゃん」と娘?の名を呼び続ける方。私の両足につけた血栓予防の装置の断続的な風圧音を気にされて、何度も「電話がなってるよ」と教えてくれる方―「電話ではない」と説明すると納得されて「うるさくないから大丈夫」と言ってくれるが、またしばらくすると「何の音?」と気にされる。何だかこちらが申し訳なくなってしまうほど、この装置はなかなかうるさいのである。
翌日には1つ置いて隣の225室(「こちょうらん」の名がついている。222室は?朦朧としてわからなかった。どこにいるかも朝になって「ここは何号室ですか?」と聞いてはじめてわかった)に移動(病院には4室はない)。西向きの大きな窓の、窓際のベッドになって、ここは寝たままで正面に朝日を浴びる飯縄山が望める一等地。ただし午後は西日で猛烈暑くてまぶしい。


手術前3日間のスタイルは、左足牽引、両足に血栓防止のために空気圧を送るポンプのような装置の付いたバンドを巻いてそれが左右交互に膨らむのを繰り返すという装置。下半身は身動きはならず、排便も食事もベッドのうえ。ただしベッドの背は起こせるので、体を半分起こした状態で、PCやスマホををいじったり、入院の注意書きを読んだり…。痛み止めは座薬と、飲み薬。リハビリ担当がやってきて、寝たままで、手術のための筋力維持とかいうことで、反対側の右足のストレッチをしたり、前々日からは、手術の注意や、呼吸訓練も。麻酔の時に痰を出す練習だそうだ。知らないことばかりなので、ついついしつこく説明を求めるが(暇だし)、割と親切に答えてくれるのがありがたい。

なにしろ入院は出産時の1週間以来、全身麻酔の手術も生まれて初めてなので、何もかもわからず、不安いっぱいながら、これからどうなるのと、自分自身を外から見ている感じ。

股関節の手術はけっこう大変らしく、「一生できないこと―内股にする、足を組んで座るなど」があるということがわかる。もう二度とスキーも山もできない?そう考えると暗然…。手術予定書には6週間のリハビリ、退院とあるが、そんな悠長なことはできない。最初の医師のことばを頼りに1ヶ月退院を目標に頑張る、と自分を励ます。

前日午後、大阪から息子が到着。医師は最初息子にだけ手術の説明をしようとしたので、隠すことがないなら自分も聞きたいと申し入れる。入院書類や手術承諾書などに記名捺印(息子にハンコを持ってきてもらった)。実は、このあたりで大きく心配になったのは支払い問題。看護師に聞いてみると「請求は10日ごとでまだまだ先だし、支払いへの配慮もあるから今心配しなくてもいい」という返事で、ウンウン唸っている状態では確かにそのとおり、それで納得するしかなかった。しかしこれについては、大きな対応ミスががあったことが後になって判明。不安な10日ほどを過ごした後でようやく解決という顛末があったが、それはまた、後ほど…。
それ以外は麻酔医、手術室看護師(男性)などがきて次々に丁寧な説明をしてくれる。リハビリ担当の理学療法士Yさん(古市憲寿の目と眉を優しくしたようななかなかの若いイケメン、1児=乳児?のパパ)は、若い実習生をつれてきて、彼を手術に立ち会わせてくれと言う。

【手術】
10時半、個室(クリーンルーム)に移動。清拭、手術着への着替え、点滴(麻酔にかかりやすくするため)とかして待機ということに。
12時までは水は飲んでもいいというので、頑張って飲んでいたら。お腹が緩い感じになり、お通じ2回、差し込み便器だが恥ずかしいとかいう感じは全然ない。自分の体をものとして見られる感じだ。そうこうして3時半、いよいよ手術室へ。
担当医M先生、臙脂とスモーキーピンクのツートンカラーの手術着に着替えるとさすがにきりッと、ちょっと麻生祐未の感じで頼もしい。ベッドからストレッチャー、手術台への移動も大勢の手で?こちらも体の動かし方がわかってきたせいか、なんなく済み、次に気づいたのは5時半近く部屋に戻って寝たまま時計を見たとき。この時は左足の後側、その後は前側に痛だるいつらさがあったが、やがてそれは消えた。しかし足の間に大きな枕(40ℓのザックぐらい)を挟み固定され、傷口の横にはドレーンがさしこまれ、点滴され、酸素マスクをされて喉はカラカラでの1晩、朝まではさすがにつらかった。
担当の夜勤看護師はまめに見てくれて助かる。息子は3時に来たとき会えず、3時半移動するときに袋詰めにしておいた貴重品だけ預け、後はほとんど口もきけない。彼は部屋の隅の簡易ベッドで寝たが、看護師も出入りするし、多分あまり寝られなかっただろう。
長い長い一夜の後、朝6時にマスクが外されホッとする。
以下、術前・術後ちょっとオハズカシイ写真です。失礼!

左修復後←右修復前
後は、ここでも飯縄山!
ハズカシイ!おみぐるしく
   


【手術後】
2日目の朝まではクリーンルームという個室で過ごす。傷からドレーンをつけて血液?体液?を排出しているからということ。1日目は、痛みとの戦いかな…。朝夕に抗生物質の点滴(点滴というのも、実は今回人生初体験)、痛みが強くなると座薬だが、これはほぼ8時間以上間を開けなくてはならない。
個室では、ネットを使ってもいいとは言われたが、残念ながら電波不足。スマホでちょうど発表されたオスカー(米アカデミー賞)の情報などを見ながら、今月の映画原稿をどうしようかと考え始めたり…でもその合間はやはり左足全体を襲う痛み(痛くなると導尿管を入れているのに排尿感も強くなり不快。これは手術前にはなかった…座薬を入れると治るのだが)との戦いで、あーくたびれた!!
担当のM医師来室して、骨のレントゲン写真を見せてくださる。骨もまあまあしっかりしていてセメントの必要はなかったので、しっかりつくだろうとのこと。リハビリに痛み止めを使ってやるのは構わないとのことで、薬を出しましょうと言ってくれる。
あとで聞くと息子は私の摘出した骨頭も見せられたのこと。どんなだった?ときくと、骨付き鶏のから揚げの骨みたいな色だったよ、だと…きゃ!キモイ?かも。

息子は2日間付き添って泊まるように言われ、個室の簡易ベッドに泊まってくれる。
この日は戸隠のM山荘まで挨拶に行き、私が宿にのこしたままのスキーやブーツなどの荷物を自宅に送り返してくれた。                  

③に続く

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