【勝手気ままに映画日記】2018年9月

①妻の愛、娘の時(相親相愛)②夏、十九歳の肖像(夏天十九歳的肖像)③スターリンの葬送狂騒曲④グッバイ・ゴダール⑤1987ある戦いの真実⑥SUNNY 強い気持ち・強い愛⑦夜の浜辺でひとり⑧検察側の罪人➈正しい日、間違えた日➉ウインド・リバー⑪クレアのカメラ⑫それから⑬プーと大人になった僕⑭泣き虫しょったんの奇跡⑮食べる女⑯愛しのアイリーン⑰いつだってやめられる 7人の危ない教授たち⑱追想(On Chesil Beach)

中国語圏映画2本 韓国映画5本 日本映画5本 でした!



①妻の愛、娘の時(相親相愛)

監督:シルヴィア・チャン 出演:張艾嘉 郎月? 田壮壮 宋寧峰 呉彦妹 譚維維 王志明 李雪健 劉若英

2018中国・台湾  121分

昨年のフィルメックスにつづいて2回目の鑑賞。チョイ役にも有名な役者が出演し、主題歌を歌う譚維維はシングルマザーの歌手として出てくるというわけで、豪華配役。張艾嘉が、家庭もしっかり持って、仕事もバリバリしてきて、自信もあるが口うるさくもあり、自己中心的だが、ときに天然ぶりを本人それとは意識せずに見せるような初老の女性(定年間近の55歳?という設定)を演じてうまい。その尻に敷かれているようでありながら、しっかり彼女を愛しフォローする夫役田壮壮は特に演じるということを要求されなかったのだそうだが、これもなかなか。この映画、今回見ると娘の恋人の歌手役も含め、男がとってもいい感じで、これってシルヴィア・チャンの男に対する視線の優しさかなとも思わせられる。
もう一つ前に見たときにも気になったのだが、母が死に、父とともに葬りたいと考えたときに、父の故郷に葬った父の墓の移転の話が出てきて紛糾していく物語だが、父が亡くなって田舎に葬るという時点で、田舎の元妻の存在もその気持ちも当然、街に住む夫を失った妻(母)には分っていたわけだし、それでいてなぜ田舎に葬ったのか、あるいは田舎に葬る決意をした妻がその元妻もいる田舎に自分も葬ってほしいと思うだろうかとか、また父の墓を作る時点でヒロインはなぜこの問題を考えなかったのか(90年代という設定なので、多分彼女自身は仕事や子育てに奮戦している若い時期で、父の墓を田舎に作る意味などは考えなかったのだろうとは想像でき、それもこの女性の時の流れと初老という今にかかわることなんだろうなとは思わせられる。
もう一つこの話には岳慧英というヒロインはじめ岳家の物語としてこの名が繰り返されるのだけれど、実はともに暮らしてヒロインに大きくかかわる夫も娘の薇薇も岳姓ではないんだなということ。夫は尹氏でその名は一回だけ出てくる。夫の元妻は岳曾氏でこれは岳家に嫁いだ曾さんということ。田舎の実家には棺桶が飾られているとか、都市と田舎の文化の問題も、火葬が嫌われている田舎の墓やその移転とか文化的な面白さも感じられる。 (9月5日 恵比寿ガーデンシネマ)


②夏、十九歳の肖像(夏天十九歳的肖像)

監督:張榕潔 出演:ファン・ズータオ ヤン・ツァイユー 

2017中国 105分


1980年代の終わりごろに書かれた島田荘司の同名の小説の映画化。主人公がバイク事故で怪我をして入院中の病室の窓から見下ろす屋敷に住む3人家族と、その娘による父殺害を疑う主人公。しかし美しいその娘に強くひかれた彼は彼女に近づいて行き、というシュテュエーションは原作通りだが、味わいというか雰囲気は原作とは全然違うものになっている。その要因の一つは、主人公の女友達で彼を片思いして入院中の彼を世話しようとするメガネの(あまり美人というふうにはもちろん描かれていない)女性ともう一人その彼女にひかれている同級生を配して、物語の進行に対して彼女に重要な役割を負わせているところかな、と思う。前作『共犯』の登場人物との共通性も感じさせるこの少女っぽい女性は、島田荘司風でなく張榕潔風人物で、かわいそうなんだけどなんかうざいというか、ヘンに陰のがあって劣等感ゆえの屈折を持っているという感じで、見ていて楽しくない、その色が強くて、見ているうちになんか謎解きの快感よりも苦しさが勝ってくような―ウーン、展開なのだ。台湾の張監督、今回は中国で撮っているが竜マークはなし、街や舞台となる家の情景もなんか中国っぽいというより微妙におしゃれで台湾ぽくもあり、なんかそのあたりもリアリティのなさにつながっているのかな…。
                           (9月5日 シネマート新宿)


③スターリンの葬送狂騒曲

監督:アーマンド・イヌアッチ 出演:スティーブ・ブシェミ サイモン・ラッセル・ビール ジェフリー・タンバー オルガ・キュルリレンコ

2017英 107分

1953年スターリン死亡の際に、後継争いの陰謀にふける残されたナンバー2たちの攻防を描くイギリス製作のコメディ。ロシアでは上映禁止になったのだとか。倒れたスターリンの部屋に最初に入って医者を呼ぶより前に、スターリンのポケットを探って鍵を探しだし家探しをして書類の隠滅や隠匿を計るのが秘密警察のトップ、ベリヤ。あとから駆け付けたマレンコフを抱き込み、後を狙う第一書記のフルシチョフを葬儀委員長に祭り上げて、彼の権力奪還を阻止しようとするところから、最後に逆に図られて粛清されてしまうところまで。息をも付かずと言いたいところだが、セリフで話が進んでいくのと、とにかくほとんどが中年男で、スターリンの娘と彼の死のきっかけを作る?ピアニストぐらいしか女性の見せ場も少ないし、大勢出てくる男たちの見分けも付きにくくてなんか一部ついていけなかった。コメディとはいえくすぐりはほとんどなく、かなりの部分が史実通りなんて言われると怖くなってしまうし。それがテーマとはいえ、とにかく面々のスターリンに対する戦々恐々ぶりがすごいので。すべて英語セリフの英国映画。
               (9月7日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館)



④グッバイ・ゴダール

監督:ミシェル・アサナヴィシウス 出演:ルイ・カレル ステイシー・マーティン ベレニス・ベジョ    2017仏 108分

1960年代若くして映画界を変えたと評されたゴダールが中年の域に差し掛かり、それ以前の自分の作品を否定しつつも新しい映画つくりを探れないでいる。その彼と『中国女』に主演して、恋仲になり、妻となったアンナを描く。ほとんどアンナ視点(彼女の小説が原作)で、なんか高慢な自信家で、妻にも女優というくだらない職業よりは哲学科の学生に戻ることを求めるような、しかし彼女の自由を束縛すると評されるのはいや、みたいな、教えたがりというか自分が「民主的に」リードしたがり、他の男との付き合いは頭から反対派できないけれど嫉妬はするみたいな、なんだ、うちらの世代の(特に学生仲間だったような)男とおんなじじゃん!ゴダールもと思わず失笑、みたいな映画だった。
ステイシー・マーティンのかわいらしい中にも意志のある顔つき、姿形、ミニスカートのファッションももいかにも60年代末にいた感じのフランス娘という感じ。男女ともにまったくの全裸シーンもあるんだが、ウーン。ま、アンナが別れるまでというのがテーマであればわかりやすい作品だし、60年代末パリの学生運動の雰囲気などを懐かしむむきにもムードを共感できるという作品かな…。(9月7日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館)



⑤1987ある戦いの真実

監督:チャン・ジュナン 出演:キム・ユンソク ハ・ジョンウ ユ・ㇸジン キム・テリ カン・ドンウォン   2017韓国 129分

1987年軍事独裁のチョン・ドファン政権の続いているソウルで、一人の学生が警察の取り調べ中に死亡する。冒頭は拘置所に車で運ばれる医師。心肺停止の青年に強心剤を打ち、心臓マッサージを続けるが蘇生せずという行き詰る場面からはじまる。心臓麻痺と発表しつつも早急の火葬を命ずる対北本部長パク(さすがの韓国の部署。この所長が北で家族を共産党に殺され脱北したという設定なのもすごい。映画の中では、いわば悪役だが出番が最も多く、実質この人が主役、かもしれない。)。飲んだくれ?の検事チェはこの申請書に判を押さず、解剖を命ずる。不審をかぎつけて主事に駆け付ける新聞記者たち、暴力的なやり方で取材を排除し、検事には袖の下から恫喝まで使って迫るパク所長側。しかし拷問死はチェ検事の職を賭した命令と、解剖し医師への記者のこちらも身を賭したような取材でとうとう明るみに出る。パク部長は「国を守る」ため拷問を行った部下のうち二人を「過失致死」にする、家族の面倒をみるなどと言いくるめ犯人に仕立てる一方活動家たちの検挙を命じる。彼らが収監された刑務所(拘置所?)の看守ハンは、姪の延世大学生ヨニに協力を頼みながら刑務所内の政治犯と外の連絡役をひそかにやっている(彼の行動がこの映画の中ではもっともハラハラドキドキをあおるかな?)。ヨニは叔父の行動に懐疑的ながらも新しいウォークマン(時代!)のプレゼントなどにひかされて、潜伏中の政治犯のもとに叔父からの届け物をしたりする。ある日街に出た彼女はデモとその弾圧に巻き込まれ助けてくれた同じ延世大生イ・ハニョルに助けられる(これがカン・ドンゥオンなんだけど、プログラムにもチラシにもなぜか彼の顔写真がでてこない。そして久しぶりにスクリーンであった気がするカン・ドンゥオンの変わらぬ若さにも驚く)そしてクライマックスはハン看守が捕らえられ、彼の最後の頼みによって動いたヨニの活動成果でこの拷問致死事件の裏側が明らかになり、一方チョン・ドファンは政権の続投を宣言する(ここでは「護憲」が反動体制維持のマークになっていて、市民たちは「護憲反対」と叫んでいる。この字幕、日本では誤解を生みそうで怖い感じも)その中でパク部長らは捕らえられるが、運動の先頭に立っていたイ・ハニョルは催涙弾の直撃を受けて倒れるという史実へとつなげていくわけだ。間がどこまで実際の事件や人物に忠実なのかはわからないがパク部長とハン看守・ヨニ以外は主役級も意外にちょこっとしか出てこず、最初の拷問死と最後の学生の死は史実ということで、ロマンスまがいも間にちゃんとはさみ帰着させる脚本はさすがの韓流…。エンドロールは日本でも当時大きく報道されたイ・ハニョルの葬儀。実際のパク・ウネ政権時代は公表はもちろん作ることも秘さなければならなかったそうで、政権が代わってようやく公表というのは、やっぱり韓国なんだなあ…とも思わされる。名前は知っていたが数日前にBS1の朝ニュースで紹介していたので、え?と思って初日第1回めの立川。観客は40人というところか…  (9月8日 立川シネマシティ1)


⑥SUNNY 強い気持ち・強い愛

監督:大根仁 出演:篠原涼子 広瀬すず 板谷由夏 ともさかりえ 小池栄子 渡辺直美 リリー・フランキー  2017日本 118分

見ているうちに90年代の日本というのがなんかとても居心地の悪いというか、Jpopとか、DJとか高校生のヤマンバファッションとかそういうものにばかり彩られた、まあシアワセっぽくはあるんだろうが、頭のカルーイ時代だったという感が強くなって疲れたのは、前日韓国の1987年当時の重苦しさとそれゆえに「考える」若者たちを見たせいかも。この映画韓国の『SUNNY永遠の仲間たち』の日本版ということだが、もう一度韓国版を見直したくなった。それほどにまあ日本のむなしい90年代の高校生はよく描けている?のかな。しかし、女子校内であれほどに暴力をともなういじめやケンカがはびこり、ドラッグをやっていることが友人たちにも知れ渡っているのに学校側は何一つ知らないというふうなのは、いくら物語の中でもありえないよな??と、歌や踊りでミニミュージカル風に綴る話だからとはいえ、ちょっとね…余命1ヶ月で亡くなるセリカが友に残す遺産というのも何かな…、ありえないでしょ。とこれは韓国版では感じなかったことかもしれない。高校時代と現代を演じる女優たちに関してビジュアルも、しぐさ振る舞いもなるほどというくらいには、違和感がないのはすごいけれど。(9月9日 府中TOHOシネマズ)


⑦夜の浜辺でひとり

監督:ホン・サンス 出演;キム・ミニ ソ・ヨンファ クォン・ヘヒョ チョン・ジェヨン   2017韓国 101分

ホン・サンスを見ると韓国映画も多様だなと思わせられる。これは完全アート系。ホン・サンスのミューズと言われるキム・ミニの一人舞台。①はドイツハンブルク。韓国人の「先輩」女性を訪ねてきた女優ヨンヒが、訪ねて来るかもしれない不倫の恋人を待つとも待たぬともという状態で語る。②は恋人は訪れず、やがて帰ってきた韓国で先輩男性を訪ね、その先輩と一緒にいる女性の関係を見ながら、もう一組の先輩男女も交え飲み語るヨンヒ。ここで彼女は女優への復帰を勧められる。さらに次は一人訪れたカンヌンの浜辺、恋人だった監督のクルーと再会し(最初に海辺で焚火をしながら飲むクルーが先輩格のヨンヒと会って誘うときの缶ビールの乾杯、先輩を立てる韓国式で皆横を向き、へー!)彼を含めたクルーと一緒に飲む。恋人の監督も自らの感情を語り、ヨンヒも語り一部は口論のように激しと、こういうのはちょっと普通では考えられないシュテュエーションだなと(韓国人はそうなのかな…)、あっけにとられる感じもある。そして最後に再びヨンヒの旅立ち。ウーン。とにかく会話ばかりで進んでいく映画でやたらと観念的ではあるが不思議とそこにユーモアも漂い、女優はベルリンで主演女優賞を取ったほどに、ふしぎな底からただようような魅力を湛え、さっすが!という感じはある。しかし主要登場人物は皆しゃべるしゃべる。取り囲む「後輩」格はじっと拝聴する感じも面白い。そうそう男女を問わず「先輩」「先輩」(これ原語も。字幕だけでなく)の連発も韓国だよなあ…
                       (9月10日 下高井戸シネマ)  



⑧検察側の罪人

監督:原田真人 出演:木村拓哉 二宮和也 吉高由里子 松重豊 平岳大 八嶋智人   2018日本 123分 

(ネタバレあり)有能なエリート検事が、かつて知り合いの少女を殺した事件の重要参考人になりながら結局逮捕されなかった男を疑い、20年以上後の別の事件でまた疑惑の俎上に上ったその男を、後輩検事を使って追い詰め、しかし犯人という確証が得られないうちに別の男が犯行をほのめかす。検事はこの男を匿うと称して自分の父の別荘に誘い出し殺して埋める。彼の強引な「正義」に疑問を持った後輩検事とその事務官は辞め、起訴されることになった先の容疑者の国選弁護人に依頼し情報提供をする。やがて大物弁護士も後ろ盾になって冤罪事件としてこの容疑者は無罪を勝ち取るが…エリート検事最上が木村、後輩沖野が二宮で話題になった作品でアイドル映画の域を脱する?意欲は満々だが、木村に関して言えば年上の妻と連れ子の娘がいるが家庭は必ずしもうまく行っていないという設定とか、親が戦争中のサイパン?「白骨街道」の生き残りの経験を描いた作家であるとか(この設定が、最上と彼の手足になる物品調達ブローカー(松重豊)をつないでいるし、最上の友人代議士(平岳大)が取り込まれる戦争肯定の新興宗教ともつながっていくのは、いかにも原田監督らしい社会的な志向というか意欲だと思われるが、それと主旋律の最上や、後輩たちの絡みとつながらず浮き上がっている感じがする)のだと思うのだが、どうもそのシーンは取ってつけた感じで、木村も自ら殺人をし穴を掘るというような肉体派のシーンでは生き生きとしているが、心に暗闇?傷?を持つエリート検事最上はどうもな…という感じ。二宮の方は、背景が単純で直情に突き進むという単純な人物なのでそれなりにという感じではある。吉高も秘密を持ちながらいわば検察に潜入している事務官といういささか非現実?な物語的人物だがそれゆえにかえっていいのかも。普段とは違う暗さも見せたおさえた演技はなかなか。そして犯人が検事に殺され、冤罪が晴れた容疑者は、実は今さら罪を問われない時効のすぎた殺人事件の犯人でそのことに反省もまったくないような変質者的な人物として描かれ、この男の最期がまた…そして正義を追求した若い検事や検察官は結局つらい思いを味わい、エリート判事の犯行は??というわけで何とも後味の悪い(それゆえアイドル映画ではないのね。事件を扱ってもキムタク主演の『ヒーロー』の明るさはない)展開だなあ…だからキムタクも原田真人もこういう映画を作りたかったのかもしれないが、と帰り道道思ったののだった。(9月12日 府中TOHOシネマズ)


➈正しい日、間違えた日

監督:ホン・サンス 出演:キム・ミニ チェ・ジョヨン 2015韓国 121分

チラシによれば「運命的に出会った男女が「タイミング」の違いによってたどり着く、2つのラスト」というわけでキエシロフスキの『偶然』(1982)とか『スライディング・ドア』(ピーター・ハウイット1997)のような作品かもと期待しつつ、いややっぱり違うかなと思ったら違った、やっぱり。映画は前半と後半ともに映画監督チュンスと画家(の卵?)ヒジョンの出会いとその後の展開を同一日に設定して2展開見せるわけだが、「タイミング」的な掛け違いというより、チュンスという男の性格造形というか意識の違いが話を変えていような気がする。前半部ではチュンスには演出部に入りたいという若い女性の部下というか後輩がいて、彼はひそかに彼女のことも気になっている。その中でヒジョンと出会うが気持ちはともかく、行動はわりと慎み深い。彼に妻がいることは一緒に飲むことになるヒジョンの先輩たちとの会話で明らかにされ、それをきいたヒジョンは彼にひかれる心が少し冷める?そんな感じもあってその夜ヒジョンは一人で家に帰るし、次の日の再会もなく、そこにいるのは後輩の例の彼女。ところが後編ではこの女性は最初は登場せず、チュンスは最初からただ一人のヒジョンと向き合う。一緒に訪れた彼女のアトリエで、絵の評価をしながら彼女の心の弱さを批判的に言うとか(そこからふたりで寿司屋に行って酒を飲むというのは前半では丁寧に描かれるが、後半ではすっ飛んで、怒っていたヒジョンがどのようにチュンスと飲みに行くことにしたかとかいうような展開はわからない)二人で訪れたヒジョンの先輩との飲み会で、これもどう展開したのかわからないがヒジョンは早々に寝てしまい、二人の女性の先輩の前でチュンスが裸になってしまい顰蹙を買うとか…、つまり後半のほうがチュンスはぶしつけで行儀が悪いのだが、それゆえ?二人の仲はむしろ接近し、彼は彼女を家に送り次の日の彼の映画上映会を彼女が見に来るというような流れになる。前半に登場した部下?の女性はこちらでは彼が講演会をする主催者側のスタッフで知り合いというわけではなく、出会ったときすでにヒジョンにひかれているチュンスは彼女には目もくれない。図々しさは心を許し合った証し?ということであれば、まあこの展開はわからないでもないが、ちょっと男に甘くないかい?というほどにチェ・ジョヨン演じる監督はダメ男だしなあ…私にはあまり魅力的には見えない。キム・ミニは超美人系ではないけれど、ひきつけるものはあるのだが。あ、ところで⑦の「夜の浜辺で一人」もそうだったが、どうもタバコを吸う場面が多い韓国映画(フランス映画といい勝負?、あ、だから『クレアのカメラ』か…)(9月13日 下高井戸シネマ)


9/15~16八ヶ岳編笠山・権現岳へ 天候も体調も最悪!下りでようやく元気が出て、
権現岳からの下り道の富士山
同じく雲海の中の南アルプス

➉ウインド・リバー

監督:テイラー・シェリダン 出演:ジェレミー・レナ― エリザべス・オルセン ジョン・バーンサル ギル・バーミンガム 2017米 107分(ネタばれ)

雪深いワイオミング州の先住民族居住区を舞台に、先住民女性の雪の中での変死をめぐって、この地区の野獣被害を食い止めるためのハンターをしている男(白人、元妻は先住民。一人娘を3年前に亡くした。息子が一人)と、派遣されてきたFBIの捜査官の若い女性が、死の真相を突き止め捜査をする。別に推理ミステリーとかいうわけでなく、犯人はわりと容易に見当もつき後半では早々に事件の再現シーンも出てきて、これがむしろネイティブ・アメリカン居住区に閉じ込められた男たちと、その犠牲?になる少女たちというような、ものすごく残酷な人権もない暮らしが照射されたものであるということがわかる、そういうドラマで、とにかく粗々しい、荒々しい拳銃をバンバンとぶっぱなし、暴力とレイプに明け暮れるような白人、先住民を問わない男たちの粗暴さに一人立ち向かう若い捜査官や、それに被害女性の切羽詰まった強さ(結局報われないが)が印象的で、そのあたりのほうがこの映画の言いたいことなのかなと。娘を同じような事件で喪ったハンターは捜査官を助け、いわば私刑のような感じで犯人一味に報復?する。ジェレミー・レナ―が雪に紛れる白いウエアでスノーモービルで雪の山野を駆け巡り、ちょっと暗く頼もしいのだが、ああいう結末ありなのかなあ…と疑問も感じないでもないが。               (9月20日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館)


⑪クレアのカメラ

監督:ホン・サンス 出演:キム・ミニ イサベル・ユベール チャン・ミヒ チョン・ジニョン 2017韓国 69分

カンヌ映画祭への出張中に突然社長からクビを言い渡される映画会社社員。安い航空チケットで日程変更ができないので、そのままカンヌをうろうろ。そこにあらわれる、教師・詩人と称するフランス女性クレア。彼女のカメラは不思議な力を持つという。いっぽう社員をクビにした女社長とわけありげな映画監督。監督と遭遇するクレアと、社員がクビになった理由を謎として提示しながら、謎解きというよりは人と人との出会いの妙を描くという感じか…。静止カメラの前で登場人物が対話を繰り返す、けっこうセリフ劇だし、観念的だし、しかしなぜか眠くならないホン・サンス映画の本領発揮という感じの短編。このくらいの長さがちょうどよい。この映画のカンヌは陽光燦燦という感じでなく、なんか煙ってボーとしているが、それがこの映画の雰囲気でもあるような。ベージュ上下のワイドパンツに赤いサンダル(サボ?)のキム・ミニがステキ。(9月21日 下高井戸シネマ)


⑫それから

監督:ホン・サンス 出演:キム・ミニ クォン・ヘヒョ キム・ゼビョク チョ・ゼニ   2017韓国 91分

こちらはダメ男❔どうしようもなく行き詰ってもいる甘ったれで図々しい出版社社長目線の映画で、キム・ミ二はその出版社に、不倫のはてにやめた社員の代わりとして1日だけ勤め、社長の妻に愛人と間違われ殴られる新入社員という役どころ。社長と愛人に対する批判(するわけではないのだが)的視線?として動じず、自由体?で生きる女性である。こういう立場がヒロインとなるという映画は珍しいと思われるが、確かな存在感でヒロインを演じているのがなかなか格好いいというところ。別にどうっていうこともないような話なのだけれど、なんか吸引力があるのが不思議なホン・サンス映画だ。
                         (9月21日 下高井戸シネマ)


⑬プーと大人になった僕

監督:マーク・フォスター 出演:ユアン・マクレガー 2018米 104分

イギリスを舞台としたディズニー映画。考えてみればクマとか動物ぬいぐるみ(着ぐるみ?)と人間が共演する映画って欧米は結構多い。パディントンもだし。テッドなんてのもそうだし。その系列で言うとお話の品の良さ?の故か、真面目過ぎるのかこの映画面白みは今イチかな?プーやイーヨーなどと共演するユアン・マクレガーはがんばってはいると思うが、話は会社への書類を置き忘れたクリストファーを追って動物たちや娘がロンドンに乗り込んでからのほうが、野原でバタバタしているときよりも断然面白くなり、画面にも目をひかれるが、お話しとしては予定調和というかしかるべきところにおさまってしまう。  (9月22日 立川シネマシティ)


⑭泣き虫しょったんの奇跡

監督:豊田利光 原作:瀬川晶司 出演:松田龍平 野田洋次郎 永山絢斗 染谷将太 渋川清彦 早乙女太一 松たか子 小林薫 美保純 國村隼 イッセー尾方 大西信満 妻夫木聡    2018日本  127分

中学生くらいで奨励会に入り26歳の定年(4段に上がれなければ)に達して将棋プロへの道を断たれるというような生き方のつらさは想像に余りあるが、この映画では「好きだから?」案外つらい生き方ではなく、若手の同僚(3段リーグの仲間)が仲間意識もあって一緒に暮らしたり飲んだりみたいな姿がわりと明るく描かれているのが意外。それにしても永山や渋川演じる同僚は無事に4段になれたのであろうか?そこが描かれないのがちょっと見残したものがある感じで残るのではあるが。それにしても26歳までにプロになれなかったのが不思議なくらいに、やはり瀬川昌司5段?は強い人でもあり、みんなに好かれ励まされる人でもあったのね…将棋は子どもの頃遊びで簡単にルールくらいは教わったが、長年指したこともなくほとんど忘れていると言ってもいいのに結構ハラハラドキドキしながら将棋映画を見られるのは不思議だ。映画の力というべきものだろうか…。
瀬川氏自身の自伝が原作なので、当然かもしれないが、両親の愛の描き方、うるさい兄貴の描き方、ライバルの隣人など総じて優しく暖かく意地悪な人は出てこないというところがすごい!勝つとわかっているので安心して見ていられる側面もあるのだろうな。(9月22日 立川シネマシティ)


⑮食べる女

監督:生野慈朗 原作・脚本筒井ともみ 出演:小泉今日子 鈴木京香 沢尻エリカ 前田敦子 広瀬アリス 壇蜜 山田優 シャーロット・ケイト・フォックス 2018日本 111分

古本屋を営む文筆家、小さな割烹料理屋の主人、編集者、ADなど8人の女のうち5人は接点があってなぜかよく一緒にご飯を食べたりしている。もう一軒バー(カフェ)の女主人(別れた夫とつかず離れず暮らし彼の子どもも身ごもっている)の店に集まるメンバーがいてその接点がADの前田敦子。という感じで様々な生き方をする女性と、若いほうでは男性との関係、全体的には食べるものとのかかわりを描く?一つ一つ大したドラマティクな事件にはならない(例外的には料理ができないと、夫から愛想尽かしをされて家を出る外国人妻の暮らしぐらい?)でなんか茫漠散漫という感じもあるのだが、食べ物を通じて女性同士、女と男の関係が結ばれていくのでなんか、穏やかな気持ちにはなれる映画。それにしても女たち、トレンディな職業について自立度も高いようで、そのあたりは観客よりも作者の人生が投影されているのだろうな…。それに観客がどれほどついていけるかが焦点かもね。とはいえ、最後に8人を含む大勢の女性たちが卵かけご飯を食べるのはなかなかの見もので、私も思わず次の日の朝食卵かけご飯にしてしまった。(9月22日 立川シネマシティ)


⑯愛しのアイリーン

監督:吉田恵輔 出演:安田顕 ナッツ・シドイ 木野花 河合青葉 伊勢谷友介 福士誠治 田中要次 桜まゆみ  2018日本137分

これは、まあ見ごたえ抜群。ウーンと頭を抱えてしまうような展開の、しかも救いもあまりなくつらく、下品と言えば下品だし、な映画!?
40を越え女性と付き合った経験もないパチンコ店員。「嫁を持つ」ことを強いる母、認知症気味の父、閉塞的状況の田舎町の暮らし。脱出的?希望も持ち主人公岩男はフィリピンにお見合いツアーに。貧乏な18歳の少女アイリーンにあたかも言い寄られるがごとく結婚(470万使ったというセリフがある。アイリーンの実家には30万+月々の仕送り!)日本に戻ってくると、時まさに父の葬儀の真っ最中。逆上した母に猟銃を突きつけられ、家に入ることもできず新婚夫婦は車の中で寝泊まりすることになる…というところから、夫婦のギクシャク、なんとか二人を別れさせようと他の女性と見合い?させたり果てはやくざまがいの男を引き込んでアイリーンを拉致させようと画策する姑と、驚きの展開そしてその一場面一場面にセックスシーンとか自慰とか、えげつない暴力シーンがからみ、血まみれシーンもものすごく、くたびれるくたびれる。最後はしかし真っ白な雪の中で倒れて半身不随になってしまった姑と南国から来た嫁の姥捨ての道行きと驚くべき?反転ということである種の至福というか至高?の場面があらわれるが、しかし、このあとアイリーンはどこに行くのだろうね‥…かわいそうではあるがしたたかに生きていくのかな?岩男と母の関係が再生産されないかなとか、心配もするような幕切れではある。(原作漫画=新井英樹は未読だが、後日談があるらしい)
嫁(ナッツ)と姑(木野花)の存在感抜群の演技、一見の価値あり。安田顕のしょぼくれぶりと激情のの暴力ぶりも、地味な狂気もはまっているし、アイリーンにかかわる岩男以外の二人の男がやたらとイケメンで酷薄そうなのもナルほど! けっこう長い映画だが、長さを感じさせないというより、この長さが必要なのかと思わせられる映画だと思う。                           (9月23日立川シネマシティ)



⑰いつだってやめられる 7人の危ない教授たち

監督:シドニー・シビリア 出演:エドアルド・レオ ステファノ・フレージ ヴァレリア・ソラリーノ 2014イタリア 105分

6月にシリーズ2弾の「10人の怒れる教授」を見たがウーン、今一すっきりしない映画だった。今回はそのプロローグ編で、主人公ピエトロが革新的な研究成果を残したが世俗的な上司はじめまわりに理解されず、研究費を打ち切られ、ポストも失うことになる過程を丁寧に描き、彼が同じような境遇にある研究者(博士たち)を集めて合法ドラッグの製造に乗り出すところ、商売はうまくいくがドラッグ市場のボス(これがまたウフフの境遇)に目をつけられ犯罪に巻き込まれ仲間たちの罪を一人背負って刑務所に行く、という、なんか痛快というよりは身につまされるような、笑いも結構苦くなってしまうようなコメディ。それにしても有能な学者がそんなに冷遇されなくてはならないのがイタリア社会なのかと思うと、全くねえ…。最もどの学者も結構とぼけたり、ぶっ飛んだり、イタリア風モテモテ系男だったり、あんまり学者然としてない感じが嘘っぽくもあり、リアルっぽくもあるのかな?現代では。  (9月25日 下高井戸シネマ)


⑱追想(On Chesil Beach)

監督:ドミニク・クック 原作・脚本:イアン・マキューアン 出演:シアーシャ・ローナン ビリー・ハウル   2017英 110分

イギリス・ドーセット州のチェジル・ビーチ。駆け出しのバイオリニスト、フローレンスと歴史学者志望のエドワードの初夜。その夜のホテルでのルームサービスによる食事からベッドインの会話の「愛し合いながらのギクシャク?」の合間に結婚前の経過の回想が挟み込まれ、出身階層の異なる二人の出会い、それぞれの家族的背景、おもにフローレンスのバイオリニストとしての思いや悩みなどが描かれる。事故ともともとの性格?もあって脳障害を負ってエキセントリックなエドワードの母や、金はあり階層もある程度高いのだろうが非常に俗物的なフローレンスの両親、その間でそれぞれに努力しつつっも翻弄されている感じの二人は、結局初夜に結ばれることなく、フローレンスは性生活なしの二人の生活を望むがエドワードはもちろんそれを受け入れられない(ここは、なんかフローレンスと父の関係が暗示されているみたいだが、そうなのかな??)6時間の結婚生活は1960年代に終わり、1975年歴史学者にならずレコード店を経営しているエドワードの前に一人の少女が現れる。これはフローレンスの娘であることがさりげなく示される。しかしそこから話は発展するわけでなく、さらに2007年!フローレンスの続けていたクァルテットの解散演奏会が報じられ、老いたエドワードが、老いたフローレンスたちの演奏を聞きに行くというのが「感動の?(せつない?)」幕切れ?しかし「自分は性生活に向いていない」としてエドワードを拒んだフローレンスが、同じクァルテットの同僚と結婚して3人の子持ち、5人の孫がいるということは、これって結局父との関係というより、職業か家庭かというフローレンスの問題だったのかなあ、なんか、エドワードとしては(途中には女友達との生活も暗示されるが、結局歴史学者にもならず、独身?みたいだし)なんか割り切れないだろうなあ…とこちたもウーンな映画だった。シアーシャ・ローナンの演技力を見る映画なのかな?老いた彼女の特殊メイクもすごい、リアル!
(9月28日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館
  

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