【勝手気ままに映画日記】2023年2月

久しぶりにすばらしい富士山は大月市・菊花山の頂上から(2/26)


 2月の山歩き・スキー

2月6日~8日 戸隠スキー場へ
戸隠といえば4年前の2月、未圧雪の急斜面(上級だがゲレンデ外ではない)を転がり落ち、大怪我をした、あの戸隠。詳細は以下から5回にわたって(恥!)

それまで毎年のように行っていたいわばマイ・ホームゲレンデだったのだが、さすがにしばらくはちょっと足が向かず、コロナも到来してスキー自体が減ってしまってもいた。でも行かなければこのまま一生行かないことになってしまいそう、というわけで思い立ち、ケガをした時と同じ「単独スキー行」を実施。板は古いのを使うが、ブーツだけは安全も考えて新規購入(今までのより少しレベルをさげた。硬い靴には多分筋力がついていかなそうなので)した。
で、結論的にはまあブーツが足になじまないというのは言い訳で、滑れない!スキーが回りすぎる(重心がおかしい?)スピードが出せない、バランス悪く何でもない斜面で止まった時などに転ぶ…。やれやれ昨年まではしばらくレンタルで滑っていたので、それをうまく滑れない言い訳に使えたのだけれど、今回はそれもできずにガックリのスキーでした。怪我の精神的後遺症もあるのだろうけれど、なんといっても加齢による筋力の衰え?だろうな…。
でも、すばらしい山々を見て写真を撮り、4年前、これ1本滑ったらリッチなランチに行こうと思ったその1本でケガをして、結局食べられなかった「やなぎらん」のランチはしっかり食べて大満足でした。
ゲレンデからの戸隠山・高妻山
「やなぎらん」のラクレットランチ。ビールはオールフリーにしました!
 
2月23日 武蔵五日市駅〜琴平神社〜金比羅山(468m)~金比羅尾根~麻生山(794m)~日の出山(902m)~竜のヒゲ(768m)~三室山(646.7m)~愛宕山(584m)~二俣尾駅  17.2㎞ 7h26m ペース130~150% 歩数計測失敗(20000歩は超えている?)
なるべくたくさん歩きたいと、もっぱら縦走コース。金比羅尾根は下ったことはあるが、登りはマイナー?(何しろ長い)で、今回が初めて。天気は良好だがすでに春霞?で眺望はイマイチ。日の出山頂上付近は木段、石段が続くのだが、最後の数十段のところで左腰をひねりアイタタタ…!這うように登って山頂で痛み止め1錠。それでおさまって後もまあ普通に歩けてホ…でした。ちょっと芸術?写真も撮った。あとの日にちあたりに載せますね。
日の出山頂上からのパノラマ風景


2月26日 大月駅〜菊花山(643m)~沢井沢ノ頭〜馬立山(797m)~九鬼山(969.9m)~禾生駅 9㎞ 5h40m ペース130~150% 15000歩
中央線大月駅の真南にそびえたつ菊花山は町に日影を落とし「貧乏山」とも言われている。その寒い寒い北向き斜面を登りきるとすばらしい眺望が開けてあっというまに「裕福山」という感じ。そこから切り立った岩の間の下り斜面で道を見失い一瞬大焦り。登りの岩場を見失って下ってしまったのが原因で、急斜面をよじ登り、道に戻る。あとはこともなく、一部雪のついたトラバースもあり、ひやひやしないこともなかったが、冬枯れの木々の間に除く日差しと空の青さ、富士山はじめ合間に見える山々を堪能し、午後2時半には富士急行線禾生駅に無事下山。
ちょっとわかりにくいか?マンサクが咲いていました。

傍の地面には昨日の雪が残り、冬から春への姿です。


2月の映画
①スルターン②よりそう花々③親愛なる日記④三つの鍵⑤イニシェリン島の精霊➅Mr.MoonLightー1966ザ・ビートルズ武道館公演 みんなで見た夢⑦小さき麦の花(隠入尘烟)➇エゴイスト⑨カラヴァッジオ⑩すべてうまくいきますように⑪崖上のスパイ(懸崖之上)⑫ハーミド カシミールの少年⑬すずめの戸締り⑭エクザイル愛より強い旅
⑮落葉⑯太陽の男たち⑰午後の五時⑱わたしはバンドゥヒ⑲マリアㇺと犬ども⑳キャラメル㉑うたうつぐみがおりました㉒幼き者の旗㉓母を讃える歌㉔別れる決心㉕ある映画作家の手紙。白黒映画のための七つの断片㉖トスカーナの小さな修道院㉗素敵な歌と舟は行く㉘アラビアンナイト 三千年の願い㉙対峙(MASS)㉚銀平町シネマブルース
中国語圏映画⑦⑪ 韓国映画②⑱㉔ 日本映画➇⑬㉒㉓㉚
イスラム映画祭⑯⑰⑱⑲⑳
イオセリアーニ映画祭㉑㉕㉖㉗
★はナルホド! ★★はいいね! ★★★はおススメ! という個人的感想です。


①スルターン
監督:バンデラージ 出演:カールティ ヨーギ・バーブ 2021インド(タミル映画)150分

マフィア!の跡継ぎスルターンはムンバイでロボット工学を専攻していたが、帰省中に父が死去、後を継ぐことになるが、一目ぼれした娘の住む村で暴力三昧の手下たちの更生のため、また開発プロジェクトによって農業をすることを禁止され貧困にあえいでいる村人のためにこの土地の農業に再度取り組み、開発プロジェクトを担う対立組織?と戦うという感じの話で、ウーン。『若き獅子』に続きヒーロー的活躍をする「近代人(この映画ではほとんど腰布を身につけたシーンがない)」カールティ演じるスルターンは踊りのシーンは比較的少ないが、なんていうか軽い男で女に弱く、熱心に取り組んでいたロボット工学はどこに行ってしまったの?という感じもするし、話はゴチャゴチャ、同じような顔をした敵味方入り乱れという感じで、最後は村人に大感謝され、それまで笑顔も見せなかった(片思いの?)恋人とはいつの間にやらという感じで結ばれるが、ウーン、ウーン。ただひたすらに疲れた。スマホもある時代の映画で、ただし女性や農民の使用光景は現れずそれらの人々は伝統に属し、そこに回帰していく近代社会の主人公というのがコンセプト?闘うのはダメダメと言い続け、結局最後は武力闘争(これも伝統世界)になるわけだし。(2月1日 新宿K’sシネマ 28 大インド映画祭   1月末にも掲載しました)

②よりそう花々
監督:コ・フン 出演:アン・ソンギ ユジン キム・へソン チャン・ジェヒ 2019韓国 103分 ★

葬儀屋のソンギルは下半身不随の息子ジヒョクの面倒を見つつ半地下のアパートで暮している。ジヒョクは旅行作家になる夢を捨て医学部に進むことを決め、最後に行った旅行で怪我をした?らしい。
隣家に引っ越してきたウンソクと小学生の娘ノウル。ウンソクは夫のDVに痛めつけられた挙句に夫を刺し殺し、正当防衛として罪には問われなかったものの、娘と離れて矯正施設に入ることを課せられ、それから逃げ回っている。短期の仕事で使い捨てにされる状況に怒って切れて職も失い、ちょうどその意欲のなさと怒りとで介護士に愛想をつかされたジヒョクの介護士として雇われることに。
ソンギルの葬儀屋の仕事は減り、家賃もえなくなりやむなくハッピー・エンド社という大手の葬儀屋と提携を結び傘下に入ることになる。と、まあなかなかに厳しい世界を生きる二組の親子だが、ウンソクは雨も晴れもそれぞれ良いとして受け入れるような明るさで、ソンギルの意欲を引き出す。また「コワいおじいさん」のソンギルも、遠慮なく話しかけ、猫の死に泣くというようなノウルにさりげない優しさを示しーノウルのために猫の納棺や葬儀をしてやったりーなつかれる。
一方街の食堂の主人が突然に心臓発作で亡くなる。彼は自分の食堂で街の路上生活者に炊き出しをするところから、一緒に住まわせたりそれぞれの特技を生かして働かせたり、さらに臓器提供の意思も示し、献身的に面倒を見て彼らから慕われていた。しかし身寄りもなく金もない彼の葬儀ができるものはなく、行政によってただ葬られるという感じになる。成り行きからその世話をすることになったソンギルは町の広場で葬儀をしたいというホームレスの面々と、行政や雇い主の葬儀社との板挟みになって悩む。
そして、ある日、ウンソクはジヒョクとノウルの目の前で踏み込んできた役人に拘束され施設に入れられてしまう。この状況そのものは映画の終わりになっても全く解決の方向には向かわないのだが、小学生のノエルが「誰にでもある死をお世話する葬儀屋」を将来の夢とし、ジヒョクは生きる意欲を取り戻し、ウンソクはソンギルに手紙を書いて感謝し、そしてソンギルはハッピー・エンド社との契約を捨ててホームレスのために葬儀の花で車を飾る…というふうにこれからの苦境を乗り越えられるかどうかはわからないがなんとかしのぎこなしていこうとする人々の営みに主眼を置いて、さすが韓国映画の上手さを感じさせられる。ほんとにウンソク母子は別れたままだし、ソンギル親子はこれからどのように暮らしを立てていくのか、だし問題は何も解決してはいないのに、希望というか、落ち着きを感じさせられるのだ。 (2月1日 シネマート新宿 29)

③親愛なる日記
監督:ナンニ・モレッティ 出演:ナンニ・モレッティ ジェニファー・ビールス アレクサンダー・ロックウェル  1993伊・仏 101分


夏のバカンスシーズンで閑散としたローマ市内や郊外をベスパで巡る「ベスパに乗って」、脚本を執筆できる場所を求めて友人と共に世界遺産ストロンボリ島のあるエオリエ諸島を船で巡る「島めぐり」、原因不明の激しいかゆみに悩むモレッティ監督が様々な医者の元を訪れる「医者めぐり」の3章で構成。主演は監督自身が演じる監督自身で、見ていると何処までがホントウでとこからがフィクションなのか、ちょっと悩ましい。特に3章のモレッテイ自身が手足のかゆみに悩まされ医師をめぐる物語などは…。「シネマ・エッセイ」というジャンルのようだが、とすると???とそれが気になって案外楽しめなかった。全体的には皮肉もたっぷり「親愛なる日記」というのは主人公(監督自身)が日記に語りかけるように書いていくということからついている題のようで、これはなるほどなかなかかも。94年カンヌでは監督賞を受賞している。  (2月3日 下高井戸シネマ 30)

④三つの鍵
監督:ナンニ・モレッティ 出演:マルゲリータ・ブイ リッカルド・スカマルチョ アルバ・ロルヴァケル アドリアーノ・ジャン二ーニ エレナ・リェッテ ナンニ・モレッテイ 2021イタリア・フランス 119分 ★★

 

              
【勝手気ままに映画日記】2022年9月 
昨年9月公開時にアップリンク・吉祥寺で見たもの。今期は多分最終上映(最終日)だし、なかなあ見ごたえある作品だったしということで再度鑑賞。
前の感想に加えて……
●ルーチョは娘が隣家の老人と公園で何があったのかにこだわり恐れ、病床の老人を脅しさえするが、ローマから戻った老人の未成年の孫娘(前からルーチョを好きだった)に篭絡されるかのようにsexをしてしまい、孫娘シャルロットの母・祖母(老人の妻)から訴えられることになる。妻サラとは別居(離婚?)し、この訴訟は5年後ルーチョの無罪判決が出るが、「被害者」は控訴しようとしているとルーチョは知らされる。このことについて控訴をしなかったシャルロットから言葉をルーチョが効くのはさらに5年後。そしてルーチョはおとなになった娘から公園では何もなかったということを聞く。
●裁判官夫婦ジョパンニ・ドーラの一人息子アレクサンダーの問題はジョパンニの押し付ける「我々の道」に反した息子を決して許さないという姿勢に起因するが、この結果5年の刑務所暮らしをすることになったアレクサンダーの両親に対する厳しい拒否的姿勢はまさに父親譲りの頑固・頑迷さとして描かれる。妻としてのドーラは自立した裁判官職のキャリア女性だが、夫との関係においては抑圧を抑圧とせずにしたがい続け(夫の死後、出先で倒れてその家のバスタブで初めてくつろぐ。自宅には体が洗えればいいという夫の方針で(冷水の)シャワーしかなかったというのである)息子にも夫から自立していない母として退けられるという目に遭い、最初の息子の事故から10年後、夫の死後ようやく解放されるのがラストシーンである。息子は母の知らないところで被害者の夫に謝罪をしていたことが知らされ、母は夫のいる時には決して選ばなかった花柄のドレスで息子と孫に会いに行く。
●子どもを一人で生むことになったモニカの夫は、妻を深く愛しているが、仕事の関係(いわば単身赴任的働き方)で彼女のそばにいることができない。映画の最初からモニカは孤独に悩み・傷ついている。夫は兄とは絶縁中で妻が兄と関わることも許さない。実際兄は、モニカには好意的だが浮き沈みが激しく犯罪まがいにも手を出しているアブナイ男でもある。5年後夫の留守の停電の夜兄が突然匿ってほしいとやってくる。その時に兄から夫と兄の仲たがいの経過(兄がモニカの寝姿に見とれていたことからケンカになった)を聞いたモニカは後で夫にそのことを聞いてみると、夫はその話は前にしたと言って取り合わない。自身の孤独から来る精神の揺らぎを自覚するモニカは夫の自分を見る目に自らの精神に問題がある(母との遺伝形質の心配もある)ということから自信を失い、二人目を生んだあと、出奔して行方不明になってしまう。ここではモニカの精神的な問題はカラスの幻影?としてわりと控えめに描かれるが、夫の、愛はあっても健康な無神経さと対比されているようで、やはり家庭内の家族のありようにを問うているように思われる。

こうしてみると、思い込みや頑固さ、「信念」や疑惑でがんじがらめになって他者を傷つける男と、その圧迫の中で何とか自分の居場所=生き方を見つけようとしもがく女の物語ということになるのだろうか…。      (2月3日 下高井戸シネマ31)

⑤イニシェリン島の精霊
監督:マーティン・マクドナー 出演:コリン・ファレル ブレンダン・グリーソン ケリー・コンドン バリー・コーガン 2022 アイルランド・イギリス・アメリカ 114分 ★

1923年のアイルランド西海岸、実在ではないらしいが孤島イニシェリン島の向こう岸(アイルランド本土?)では内戦の砲弾の音が聞こえる。この無益な紛争のメタファーとして、20年来親友だった二人の男の決裂が描かれているのだとか。
あくまでも普通の人、いい人のパートリックはある日年上の親友コルムから突如絶交を言い渡される。わけも分からず関係の修復にいわば奔走するパトリック。コルムはモーツアルトは死後も誰もが記憶にとどめていることを言い、自分も後に残す音楽を作るのだというのだが…。だからくだらん人付き合い(俗っぽい)はしたくないというのは人生残り僅かな感慨としてはありうる気もするが、どうなんだろう…なんかすごく西洋人ぽい生々しい感性という気もしないでもない。それよりは俗人の友とむなしい?付き合いをしている自分を見直したということかもしれない。
ここ10年余りに突如3人のそれまでかなり深く付き合った友を失った(1人は私から絶交した。これにはかなりはっきりした理由があって、その人の私に対する見くびり方が許せなかった。2人からは絶交されたー思い当たるふしはなくもないが、自分の感性としては絶交されるようなこととは思えず、人の感覚の差をいい年して思い知らされた感じ)身として興味深く見たのだが、結局コルムの知性(良い知性かどうかは別として)はパトリックのような凡人・俗人との付き合いする自分を許せなかったということ?もしくはそういう付き合いに自分の居場所を見いだせないつらさ?コルムの自虐的切れ方、パートリックのまっとうにして直情な反抗が、絵のようなアイルランドの風景の中で私たちの心を震わせる。コリン・ファレルのそういう俗人を表す繊細な演技に注目。ゴールデングローブ賞主演男優賞をとっている。(2月5日 府中TOHOシネマズ 32)

➅Mr.MoonLightー1966ザ・ビートルズ武道館公演 みんなで見た夢
監督:東孝育  2023日本 102分

1966年ビートルズ武道館公演、私にももちろん記憶ははっきりあるけれど、田舎の中学生が公演に行くことはならず、父があんな騒々しいくだらん音楽と言っていたのも覚えているが、まさにそういう世論や実際のプロモーターとかかかわった人たちも最初は「ビートルズ?なにそれ?」というところから始まったらしい。
そのころのビートルズ(の日本公演)に関わった人々がインタヴューを受けてこもごも語るという映画。以下HPのキャスト欄をコピーした話し手たちで、これを見るだけでどんな映画かわかる感じ?かつてのビートルズのマネージャーやジョン・レノンの妹なども話している。思いのほかビートルズそのものの映像や音楽は少ないが、ビートルズそのものを描くというより、そこにかかわった人々の夢というか追憶を描いているからだろうー財津和夫?だったか、自分は老いたポールマッカートニーの公演にはいかない、自分の中のあの66年のビートルズの夢を壊したくないと言っていたが、まさに映画そのものが人々それぞれの中に別々の形であるのだろうビートルズのイメージをそのままの残そうとしているのかもしれない。エンドロールで100歳を超えた人から5歳までの何十人かそれぞれの年代の人が「一番好きな歌」を言うが、これもけっこうおもしろかった。高齢者では『イエスタディ』中年では『レット・イット・ビー』(まさに日本語発音)などが多く、もう少し若い世代ではもう少し多様な曲が選ばれていた…まさにみんなの「ビートルズ」!しかしその武道館公演はたった11曲35分だったというのだからこれもすごいなあ。
(出演者たち=敬省略)
朝妻一郎(音楽評論家・音楽プロデューサー)/安倍 寧(音楽評論家)/新井憲子(元ビートルズ・ファンクラブ会員)/石黒 良策(元協同企画社員)/石坂 邦子(石坂範一郎の長女)/磯崎 英隆(レコード研究家)/大村亨(国内の新聞・雑誌182万ページを分析したビートルズ研究家)/沖 和則(元読売新聞社 企画部)/小倉 禎子(元協同企画エージェンシー)/加藤 節雄(元英国通信社カメラマン)/亀渕昭信(ラジオ・ディレクター DJ、音楽評論家)/草野 浩二(元東芝音楽工業・音楽プロデューサー)/桑島 滉(元中村八大マネージャー)/高 護(音楽プロデューサー・歌謡曲研究者)/康 芳夫(プロモーター)/コンドン 聡子(元日本航空客室乗務員)/齋藤 壽夫(元日本武道館 総務部)/佐々木 惠子(カメラマン)/佐藤 剛(音楽プロデューサー・ノンフィクション作家)/佐藤 孝𠮷(元日本テレビ ディレクター)/ジュリア・ベアード(ジョン・レノンの実妹)/髙嶋弘之(元東芝音楽工業・ビートルズ担当ディレクター)/高橋 克彦(直木賞作家)/武田 裕(永島達司の元秘書)/土岐 育子(ライオン アーカイブ室長)/トニー・ブラムウェル(ビートルズ・ロードマネージャー)/長沢 純(元スリーファンキーズ リーダー)/中村 力丸(中村八大の長男)/新田 和長(元東芝音楽工業・音楽プロデューサー)/野地 秩嘉(ノンフィクション作家)/長谷部 宏(カメラマン)/フリーダ・ケリー(ビートルズ元秘書)/藤本国彦(「CDジャーナル」元編集長)/ブルース・スパイザー(ビートルズ研究家)/星加ルミ子(「ミュージック・ライフ」元編集長)/ボブ・ユーバンクス(米国公演プロモーター)/堀 威夫(ホリプロ創業者)/本多 康宏(ビートルズ鑑定士)/曲直瀬 信子(元坂本九マネージャー)/水原 健二(元東芝音楽工業・2代目ビートルズ担当ディレクター)/宮永 正隆(金沢大学オープンアカデミービートルズ大学学長)/湯川れい子(音楽評論家・作詞家)/井口 理(King Gnu)/浦沢 直樹(漫画地理家)/奥田 民生/加山 雄三/きたやま おさむ(元ザ・フォーク・クルセダーズ)/黒柳 徹子(女優・ユニセフ親善大使)/財津 和夫(チューリップ)/尾藤 イサオ/松本 隆(元はっぴいえんど・作詞家)/ミッキー・カーチス/峯田 和伸(銀杏 BOYZ)    (2月9日 府中TOHOシネマズ 最終日最終回レイトショー 33)

⑦小さき麦の花(隠入尘烟)
監督:李睿珺 出演:武仁林 海清 2022中国 133分

「奇跡と呼ばれた映画」ということで、見た人々の評もなんというか、胸に沁みる心に響く貧しい、各家からは持余し者としていわば口減らしのために結びつけられた夫婦の愛ということで、ベルリン国際映画祭では4.7(5点満点)の高得点(ただし無冠)、中国国内でも興行収入20億円を超える大ヒットになったというのだが…。
確かに農民有鉄と、結婚式も披露宴もなく空き家をあてがわれて結婚する貴英の一場面一場面の胸にしみるようなたたずまいや彼らを囲む中国西北の砂漠っぽい黄色い景色とその中で育つ植物や動物の生きているという感じの麗しさなど、目に沁みる。
特に監督の叔父で農民であるという武仁林扮する有鉄という男の優しさー動物にも作物にも、もちろん妻にもーそして何と言っても障害を持つ妻をいたわりながら畑も家作りもこなし、強いられてとはいえ同じ村の血液型が同じ病人に何度も輸血までし、そして借りたものは必ず返すという律儀さ、さらに時に吐く、地に足を付けた農民らしいしかし哲学的な雰囲気まであるような言葉と、大変に有能な性格もよい男で土地さえあればちゃんと稼ぐこともできるし、まあ、なんでこんな男が兄の一家の持て余しものとして納屋暮らしをするような、あるいは甥っ子の結婚の邪魔になると、文句も言わせず近隣のやはり貰い手のない障がい者をいわば当てがわれてしまうのか、ちょっとそのあたりが不自然?でもあるし、不自然でなければそういう評価をこの男に下してしまう中国社会の問題なのかとも思わされる。
あてがわれた空き家は持ち主が壊せば1万5千元の補助が出るとかで、都市に出ていた持ち主が帰るたびに夫婦は「明日出ていけ」と追い出され別の空き家に移らなくてはならず、そこで日干し煉瓦を作って建てた自分たちの家も、最後には甥っ子?があらわれて空き家として取り壊される。近隣の住人があらわれて「いよいよ有鉄も町に住むのか」というのだが、そうなの?なんかウーン、物語的には分かるようなわからないような終わり方で「故事」になっていないところが映画の「価値」を高めているのかなとも思えるようなアート的な終わり方。そこがいいという気も、あるいはあざとい?という気もする。
貧富格差の大きい中国でこういう映画の登場人物が共感を呼ぶというのは観客も個人レベルで自分の富裕度に合わせ高望みをしない生き方にシアワセを見出すべきだということなのか、あるいは政府の方針に従えばちゃんと1万5千元の補助金が出るのだから、それでいいじゃないかと言っているのか…ただし、夫婦の最後から見るとそういう生き方がハッピー・エンドにつながっているわけではない(というか「死」が誰にでも来るエンドであるということから見ればこれもハッピーエンドということなのか…なんか素直に感動することを阻むものがあるというのは私の人の悪さだろうか…。たくさんの種類のチラシが作られていて、その多くには裏に手放しの感動を述べる識者のことばが並んでいるのもどうかなあ。(2月10日 恵比寿ガーデンシネマ 公開初日 34)

➇エゴイスト
監督:松永大司 出演:鈴木亮平 宮沢氷魚 阿川佐和子 柄本明 中村優子 2023日本 120分 ★

エッセイスト故高山真の自伝小説が原作とか。時間軸の関しては大分縮めて短い期間の話になっているようだが、事件とか心情とかについては概ね原作に忠実に作られているという。ちょっとどうなのかなと思うのは主人公浩輔のあまりの羽振りの良さだろうか。広々としたマンションのおしゃれなしつらえ、パーソナルトレーニングはいいとして、恋人となる龍太の母への毎回の土産、龍太に渡す毎月20万の「手当」(原作では10万?らしい。それも10か月で貯金が底をつき龍太の母は生活保護を受けることになるらしい)龍太の死後の母への手当、それに彼の身をよろうとされるブランドファッションなど、せいぜい30前後のこの男の職業はファッション誌の編集者ということだが、しょせんはサラリーマンでしょとも言いたくなってくるような現実離れを感じたのは私だけ??
なんか愛によって金を龍太の方に注入している感じがまさにエゴイスティックな愛と言えば愛?と貧乏人には思えてしまう。一方の龍太とその母、あるいは浩輔の実家の暮らしぶりはわりとリアルな感じなのでなおの事そう思えるのかも。
それにしてもわざわざおネエっぽいせりふ回しにすることもないのではとも思えるが鈴木亮平の演技は繊細で、例えば龍太の死を電話で聞いた時の驚愕を表情だけで表したり、龍太のことばに一喜一憂ではないが気持ちを無言で表したりというあたり、なかなかすごくて説得力があるのに感心。龍太のシングルマザーが阿川佐和子というのも想像しなかったキャスティングだが、意外にこれ以外はないというはまり役になっているなと感心した。そして宮沢氷魚がその母に育てられ今は母を支えるまっすぐな美青年というのもなかなかで、前半はセックスシーンが多い感じだが、後半はドラマになって、それなりに見ごたえのある作品になっている。(2月11日 府中TOHOシネマズ 35)

⑨カラヴァッジオ
監督:デレク・ジャーマン 出演:ナイジェル・テリー ショーン・ビーン ティルダ・スィントン デクスター・フレッチャー スペンサー・レイ マイケル・ガウ 1986英 93分 ★


乳幼児をかかえフルタイム就労をしていた80年代後半は新作映画を劇場で見るというチャンスはほとんどなかったなあと思いつつ、見に行ったこれもそんな1本。
で、まあカラヴァッジョの絵そのままの光・影・色合いの場面、そこでカラヴァッジョの絵画そのままに身動きせずポーズをとる人々(これが結構本元の絵画そのまま、で絵かと思うと休憩したり動き出す)、17世紀初めの衣装に身を包んだ登場人物の入り乱れーそこに突如現れる紙巻きたばこ、自動車、タイプライターや背広姿のカラバッジオ・ラヌッチオなどの??含みの映像もなかなかに楽しんだ93分。
物語は死の床で過去を回想するカラヴァッジオとその回想する過去を行ったり来たりというもので、若き日路傍で絵を描いていた時代から、小さな男の子を引き取って助手?として育て死の床まで彼に付き従うその青年の師匠に対する秘かな愛?(これってすごく印象的なのだが、この映画のあらすじなどには全然出てこないのはどうして?)そして賭博師らヌッチオとその愛人レナ(ティルダ・スウィントンのデビュー作だそう。繊細かつ硬質ガラスのような美しさのティルダ)をめぐる事件で、要は同性愛者としてのカラヴァッジョの側面をおもに描いた、その意味でもデレク・ジャーマンらしい作品なんだろう。終始カラヴァッジョの絵の中にいるような至福・不安に満ちた感覚を味わえる93分だった。(2月14日 新宿武蔵野館 36)

⑩すべてうまくいきますように
監督・脚本:フランソワ・オゾン 出演:ソフィー・マルソー アンドレ・デュソリエ ジェラルディーヌ・ぺラス シャーロット・ランブリング 2021仏・ベルギー 113分


85歳の父が脳梗塞で倒れ、半身が効かない状態になって死を願う。それに戸惑い悩みつつも受け入れて、父の望むスイスでの尊厳死への手続きをする(しながらももちろん葛藤する)エマニュエルと妹パスカル。高齢とはいいながら徐々に体も回復し、車椅子で孫息子の演奏会を聞きに行ったり、最後の晩餐と称してエマニュエルとパートナーのセルジュとともにレストランに行ったり…。ところが最後にこの尊厳死の企てを誰かに通報され(それはもちろん、彼の死をのぞまない彼を愛する家族のだれか?という感じでおさめられている)娘たちは警察で事情を聴かれ、迎えに来る救急車を待って父はセルジュとともにアクションまがいの逃亡劇まで演じ、ウーンこうまでしてなぜに急いで死を願う?とも思うが、それってやはり文化とか宗教とかの違いなんだろうか。
そのあたりの父の陽気な決意の固さが今ひとつ理解できないのは、娘たちを含む映画の若者視点かもしれない。病身のアーティストである母を演ずるシャーロット・ランブリングの頑な感じも意味不明というよりより個人志向が強い欧米の夫婦像?なのかな。
話そのものは全然意外性なく進み、娘たちの行動にも違和感は感じられないので、よりそういう点が強調された気がする。楽しむというよりは心にずしっと石かなんかを置かれた感じ。(2月16日 新宿武蔵野館 37)

⑪崖上のスパイ(懸崖ノ上)
監督:張芸謀 出演:張译 于和偉 秦海璐 朱亜文 劉浩存 倪2021中国 120分

1934年の中国・東北地方。屋外シーンのほとんどは雪が降っているという寒い寒い映画。ソ連で訓練を受けた4人(夫婦と恋人同士というのがなんとも嘘っぽいが)が森の中に潜み作戦を展開する現地に入ろうとしているところから。ここでは4人とも男女差のないモコモコの毛皮付き防寒スタイルなのだが、次のシーンからは当時としては先端スタイル?の欧風洋装をばっちり決め、舞台は満州鉄道の列車内だったり、ハルビンの洋館だったりでビジュアル的にはなかなかにおしゃれで、目を引く。
場面場面もその列車内での暗号によるやり取りとか、検察に来る官憲とのいかにもスパイらしいなりすましや騙し合いによる攻防とか、ハルビンの街の中での逃走劇や拷問シーンとそこから脱却して逃げ出すハラハラシーン、カーチェイス、撃ち合いとまあ目まぐるしく見どころ満載という場面が続くのだが…。
物語としてはなんというか一人一人の見せ場に重点が置かれ、張譯扮するリーダー張憲臣も、劉浩存扮する小蘭の相手役としてはちょっと年が行き過ぎてるし華もない感じの楚良(朱亜文)も中盤で悲劇的ではあるがあっけなく死んでしまい、映画は特務機関に潜入して彼ら4人をバックアップしていた周乙(于和偉)の一人勝ちというか、何をしているやらほとんど描かれない女性たちを支え、特務機関の上司の科長をだまし、小蘭をバックアップしてミッション「ウートラ」を成功させ、王郁(秦海璐)にはハルビンで浮浪児になっていた二人の子どもと再会させる(これが、張憲臣・王郁夫妻の陰の物語ということになり、物語の情感を支えているわけだ)と大活躍するのばかりが目立つ。
難しいミッション達成の過程で命を落とす男二人についてはまあ丁寧に描かれるが、その後その場を去る王郁や、映画館で周乙に声をかけられるところからあとの小蘭の行動は全くの省略話法というか描かれず、なんていうかなあ、ただ二人とも美しく描かれて…映画に花を添えているに過ぎない??ま、熱演であるのは確かだが。結局のところビジュアル的な美を見て、見せ場を楽しみ、中国人に取っては抗日映画(スパイ4人は共産党のスパイという設定。ただしこの抗日映画には日本人は一人も出てこない)ということで検閲も潜り抜け(竜マークはなかったが)、お金もしっかりかけて作った映画っていうことか。ウーン。(2月16日 新宿ピカデリー 38)

⑫ハーミド カシミールの少年
監督:エージャーズ・ハーン 出演:タルシャー・アルシャド・レーシー ヴィカース・クマール ラシカ―・ドゥガル スミット・コウル 2018インド(ウルドゥ語・ヒンディ語)108分 ★

インド北部、パキスタン・中国と国境を接したカシミール地方はムスリムが7割を占め、インド・パキスタン分離独立以降、その帰属をめぐりこれまでに両国は3度の戦火を交えてきた。地域にはインド治安兵が常駐して、独立・パキスタン統合をのぞむムスリム住民を厳しく管理統治していて、反インドとみなされた人々が拉致され失踪してしまうというような状況もある。
映画の主人公ハーミドの父は、息子のために乾電池を借りに出かけたある夜、そのようにして失踪してしまう。そして1年後、母は警察に父の行方を探して日参しているが相手にされず、警察にはそのような家族が詰めかけている。母は息子に「父はアッラーの元に行った」と教える。
舟大工だった父の道具箱から見つけた携帯電話に苦労してチャージした息子・ハーミドはアッラーに電話をかけて父を返してもらおうと考える。786という数字が神を表すものと知りかけてみるがもちろんつながらず、いろいろ苦労して(この過程がいかにも子供らしく?なかなかおもしろい)9-786-786-786という番号にある時かけると電話がつながった先はインド治安軍兵士のアザイの携帯電話。抗議活動をする住民などには極めて厳しく立ち向かうものの、故郷に1年半も帰れず生まれたという娘にも会えないでいるアザイは、自分をアッラーと思い父を返してと訴える子供の声についほだされる、という感じでハーミドとアザイの電話での交流がはじまる中でのアザイの変化やハーミドの成長が描かれていくという内容。
少数派で弾圧されるムスリムの側に立ったこのような映画が検閲のあるインド国内で公開されまた人々はどのような感想を持ったのだろうと思ったが、映画後の解説に登壇した、ご本人も外大ヒンディー語科出という毎日新聞前ニューデリー支局長金子淳氏によれば、この映画のインド軍の描き方はかなり自制的で、実際の場面では予告もせずにペレット銃を撃ちジャーナリストなど部外者をも含む多くの人が犠牲になっているとか。
また映画の中での独立派武装集団や、失踪した家族の捜索を訴えて示威行動をする女性たちとの距離を撮った描き方も、「ふつう」に暮らす住民の非政治性をあえて示しているようで、反体制にならないように微妙な位置で作られた映画なのかなという感じがした。逆に政治的とか自由希求への主張は今一つで、「パキスタン」も「山の向こう」という形でぼかされているので、当事者やよく知っている人にとってはインパクトの弱さと感じられるかもしれない。
字幕を作られた藤井美佳さんによれば実際にインド国内映画祭で賞もとったらしい。
きわめてかわいらしい美少年?の主人公が伝統的な舟を作り赤く塗って(この塗料はアッラー(=アザイ)から送られたものとして描かれる)母を乗せて漕ぎ出すという情感あふれるラストが印象的だが、全編そのような情感と美しさに彩られて目を引き付けるところも、なかなかではある。
インド映画というが、ムスリムの世界を描いていることもあり、イラン映画(例えば『友だちのうちはどこ』みたいな味わいがある)の香りもする(2月18日 東京外国語大学TUFS Cinema 日本初上映 39)

⑬すずめの戸締り
監督:新海誠 出演:原菜乃華 松村北斗 深津絵里 神木隆之介 伊藤沙莉 松本白鴎 2022日本 121分

22年11月に公開されすでに4か月近く、我が家傍のTOHOシネマズでいまだ1日3回上映が続けられ観客も結構入っているみたいなヒット作。
新海作品は『天気の子』でちょっと?という感じもあり、今回見ずにいたのだが、『週刊金曜日』の2月17日号に「天皇制とジェンダーを描いている」とあるのを見て興味をひかれ遅ればせながら身に行った。ウーン。言われてきたような東日本震災の描写とそこで生き残った人々の再生を描く、そのため災害の扉を閉めて歩く家を継いだ青年と彼を助ける―とはいっても題名の通り扉を閉めて鍵をかけるのは映画の範囲では常にヒロインすずめ(鈴芽)で、青年草太のほうは椅子に変身させられたり、ガラスの破片?になりかけたりで、なるほどジェンダー的視点で見ればナウシカの系譜にある(『天気の子』も『君の名は』もそうといえばそうだが)物語なのかなとも思えるし、東北大震災の焼ける広野を見ながら草太が叫ぶ祝詞風の言葉は八百万の神ましますこの大和の血をなだめるというような感じもあるのかなとも思ったが、「天皇制」を描くというほどには私の理解力では残念ながら及ばず。
午前中しっかりジムで体を鍛えた後急いで昼食をかきこみ駆けつけた午後一番の回では、前半少し眠気が射してしまい、松本白鴎演ずる草太の祖父?のシーンと彼が椅子に変身してしまい、すずめがロードムービーを開始するあたりがすっ飛んでしまっている。もう一度見るべきか否か…ごめんなさい!(2月19日 府中TOHOシネマズ 40)

⑭エクザイル愛より強い旅
監督:トニー・ガトリフ 出演:ロマン・デュリス ルブナ・アザバル レイラ・マクルフ ハビーブ・シェック  2004仏(仏語 アラビア語 スペイン語)103分 ★★

2005年日本公開時のチラシはすごく印象に残っている(探せばまだあるのではないかな)が、なぜかこの時は見ていない。単なる恋愛ロードムービーと思ったのかも。今回たった1週間のイスラム映画祭の中にこれがあるのを見つけて見に行く。そうしたら主人公は、そろそろ公開の『エッフェル塔』フランス版『キャメラを止めるな』のロマン・デュラスと、『灼熱の魂』『モロッコ・彼女たちの朝』で私ちょっとお気に入りのレイラ・マクルフで、どちらも若々しい20年前の映像がまず懐かしい。
アルジェリアからフランスに移民した家族の、自分の帰属するところがないと感じている娘とかつて祖先がフランスからアルジェリアに移住し、そこでの祖父の死などを経てフランスに戻った家族の息子が自らの帰属を求めてフランスからスペイン(セビーリャ)を経てモロッコ(これはアルジェリア行の船に乗るつもりが間違って乗ってしまった。全編若々しいこの二人の頼りないロードムービーになっている)、そして最後は不法入国でアルジェリアに行く。
男ザノはアルジェリアでかつてここに住んでいた祖父母の写真を飾ったままの家に招かれ歓待も受けて満足するが、女ナイーマは自らの出自であるはずのアルジェリアに近づくにつれー多分そこにはなじめない自分を感じてーナイーブになっていく、そこがとてもよくわかるような演じ方でさすが!レイラ!最後に太鼓の音楽に乗って女たちーザノや男たちの一部?も=トランス状態になる延々としたシーンがあり(私にはあまりよくわからないのだが)解脱した感じですっきりした表情で祖父の墓から去っていく二人が印象的。監督はアルジェリア出身の父とアンダルシアのロマ人の母の間に生まれたそうで、この映画は監督の自伝的要素が入っているとともに、監督自身が担当して双方の印象的な音楽で綴られている。57回カンヌ映画祭監督賞受賞作品。(2月21日 渋谷ユーロスペース イスラム映画祭 41)



⑮落葉
監督:オタル・イオセリアーニ アミラン・チチアーゼ 出演:ラマーズ・ギオルゴビアー二 ゴギ・ハラバゼ 1966ジョージア モノクロ95分 ★★


まずは昔の?ジョージアのワイン作りのドキュメンタリー的映像とはいっても農民たちを演出して計算して撮ったものだそうだが、葡萄摘みから木の舟型箱に詰めた葡萄を足で踏み地面に掘った穴の中で発酵させ、やがてできたワインでの祝いの宴ー丘の上の教会?映像までを興味深く見せる。
そこから現代(60年代)のワイン工場の物語へ。母を怒鳴りつけて朝食はいらないと言い、父に怒鳴られるオタルと、3人の幼い妹たちを起こし、ベランダの花に水をやり、祖母・母・妹たちとゆったり朝食、迎えに来たオタルに「15分待った」と怒鳴りつけられる、ポケットに手を入れるなエリを立てるな、技術者らしく白衣を着ろと友人に責められ放しのニコという対照的な二人がともにワイン工場の技術者として就職する。
生産性重視のこの工場でときに味・品質を犠牲にしたワインが出荷されることがある、それにニコが抵抗してある行動を起こすまでが描かれ、初期には検閲で公開禁止になった「反体制映画」なのだが、このニコの、いつも一歩遅れてエ?という目に遭いながらくじけずひょうひょうとして、しかも決して知性がないのではないという造型や行動がユーモアを醸し出し、彼の行動に説得力を与えて共感もさせる作り方。最後に丘の上の教会映像が出て帰結ーというのは宗教的な考え方が底に流れるという暗喩なのかなあ。(2月21日 渋谷イメージフォーラム イオセリアーニ映画祭 42)

⑯太陽の男たち
監督:タウフィーク・サウレフ 出演:ムハンマド・ハイル・ハルワー二― アブドゥルラフマン・アール・ラシー バッサーム・ルトフィー サーレフ・ハルキ― 1972シリア モノクロ107分 ★

ヨルダンからイラクを経てクェートに行こうとするパレスチナ難民の3人の男と彼らから金をとりタンク車に乗せてクェートへの密入国させるトラック運転手。1948年のナバクでそれぞれが故郷をなくし、家族をなくしたり、して住むべきところをなくしたた人々で、運転手もこの戦いで傷を負い男性機能を失って金もうけだけが興味として残っているという設定。
前半は彼らの事情それぞれが丁寧に描かれ、中盤話がまとまって彼らはトラックに乗り込むが、この越境が、出国時と入国時の手続きの間の最大7分間、灼熱の砂漠のタンク車のタンクの中に身をひそめるというもので、この場面のハラハラドキドキ、出国は何とか3人とも乗り切るのだが、クェートへの入国時には手続きをする運転手が役人にからかわれなかなかサインがもらえず7分が過ぎ、3にはタンク車の中から壁を叩き続けるのだが周りのエアコンなどの騒音でその音が誰かの耳に届くことはなく…。という恐ろしい結末になる。
原作では彼らは壁を叩くことをせずに死んでいく。62年の原作でそれを作者はパレスチナ自身の覚醒を求めて書いたというのだが、73年の映画では彼らは壁を叩くーこの間の67年第3次中東戦争でのパレスチナの敗北からパレスチナ人自身が抵抗に立ち上がったあとの状況を反映しているのだそうで、映画ではそれを聞き取れない世界というのがむしろ追及されているということ。この点については原作者への了解を得た後で改変されたとも聞く。原作者は73年?かに暗殺されたとのことで、それを聞いても生々しい世界が描かれている。   (2月22日 渋谷ユーロスペース イスラム映画祭 43)

⑰午後の五時
監督・脚本:サミラ・マフマルバフ 出演:アクレ・レザイ アドルガニ・ヨセフラジー マルズィエ・アミり ラージ・モヘビ 2003イラン・フランス 101分 ★

モフセン・マフマルバフの娘、ハナの姉のサミラ・マフマルバフ監督の2003年作品。ヒロイン・ノクレは父と、赤ん坊を抱えた兄嫁(兄は行方不明になっている)とともに暮らしている。父は厳格なムスリムで女性の顔を見ると神に許しを請う。娘をコーラン学校には送って行くが、そこからノクレは隠していた白いハイヒールに履き替え、折りたたみ傘(みんなブルーのブルカを着て青系の日傘をさしているのがオシャレなのか壮観)をさして女子学校に行くのである。
そこでは「将来大統領になりたい」「なれるか」「なれないか」というような討論(ディベイト?)がおこなわれていて、主な3人の少女のきっぱりとした意見の表明に、こんな状況で教育もなかなか受けられない女性たちの強さと知性に単純に驚いてしまう。
住んでいるところにパキスタンからの帰還民の文字通り大群がやってきて、一家は追い出されるように家を出ることになるーこれって、やってきた帰還民と同様に彼女の一家も適当な空き家にもともと住み着いていたということ?で、あとは学校場面よりも、そのパキスタン帰りの中で彼女に近づく男、またその後住み着く廃墟かした城?(寺院?)のようなところの近くで出会うフランスから来た兵隊などとの会話があって大統領になりたいという彼女の思いはくっきり印象に残るものの現実は、厳しくさまようような一家に息子(兄)の死の知らせが届き、飢えと病で赤ん坊が死に、ノクレはない水を探し求めてバケツ二つを下げ天秤棒を担いで砂漠くをさまよう…と、なんとも救いのない結末で、女性を徹底的に差別し水くみなど家庭内での重労働は強いるものの教育は与えないというこの社会に対する怒りと抗議は20年後のタリバン政権でも継承されていることを重く感じずにはいられない映画だった。(2月22日 渋谷ユーロスペース イスラム映画祭 44)

1日休んでこの日は山歩き   金比羅山~日の出山~三室山 (2/23)
 
山上を走る?送電線

S字の道を急斜面の上から撮ってみましたが…



⑱わたしはバンドゥヒ
監督:シン・ドンイル 出演:ペク・ジニ マハブーム・アラム(マハブーブ・リー) 2009韓国(韓国語・ベンガル語・英語)107分 ★

韓国の女子高生ミンソはカラオケ店を営み、無職の男を結婚相手として家に引き込んでいいる母と不仲で鬱屈している。バングラデシュから産業訓練生?として来韓中のカリームは滞在期間が切れる寸前で給与未払のまま彼の求めにも応じない前職の社長から何とか1年分の給料を払てもらいたいと思っている。そんな二人が偶然バスの中で知り合い、カリームが忘れた財布をミンソが懐に入れ、それを追いかけたカリームが取り返す、というわけで決して「いい出会い」というわけではない。交換条件的なカリームの要求を受け容れつつ、少し大人の(最後には別れるのだが故郷に妻もいる)そして苦労人カリームの社会を見る目がミンソにも投影され、ミンソが少しずつ目を開き、母と愛人の関係についてもひねてというよりまっすぐ批判もし(もしかしたら少し理解もしていく?)様子がユーモアも交えて描かれていく。
風俗店で年齢を偽ってバイトをするミンソの前に客として現れたのは学校の担任教師、後の方ではミンソへの無力を嘆じる教師にあたかも三行半を突き付ける感じでミンソは学校をやめる。その前に韓国人の英語への無知に付け込みセクハラまがいの言辞を友好の雰囲気でまとったアメリカ人英語教師を(これは英語も堪能なカリームの力を借りセクハラと認識できて)ぎゃふんと言わせるような復習も遂げで、元気なミンソがガンバレガンバレで行動するようになる一方、滞在期間が切れ社長に結局金も返してもらえないカリームは入管に収容されてしまう。
さてそこでミンソは??終わりは数年後髪も伸びて大人びたミンソがバングラデシュ料理店に入り、かつてカリームが作ってくれた料理をおいしそうに食べるところで終わるのだが…。これって??カリームはよき「友(バンドゥヒ)」であったが送還されてしまったとみるべきなんだろうな…でも大人のミンソがこのままにしておくはずがないとも思わせる希望もちょっぴり感じられるのである。(2月24日 渋谷ユーロスペース イスラム映画祭 44)

⑲マリアムと犬ども
監督:カウサル・ビン・ハーニャ 出演:マリアム・アル=ファルジャー二 ガーネム・ズルリー ヌウマーン・ハムダ アニーサ・ダーウド 2017チュニジア・仏・スェーデン・ノルウェイ・レバノン・カタール・スイス(アラビア語)100分 ★★★

実話ベースだが、フィクションとしてある一夜を、9つの場面にわけてそれぞれをワンテイクで撮ったという映画的試みもある、そして何より内容が衝撃的(チュニジアって検閲制度はないのだろうか。あるいはそれをすり抜けるための(チュニジア以外での上映を狙って)の多国乗り入れ製作?なのだろうか。
学生たちのパーティに参加し(というより主催者側のよう)初対面の男性といい感じになってホテルの裏のビーチでデート中パトカーで現れた警官二人に誰何されレイプされてしまう(この場面自体は出てこない)1場面目から、デート相手のユースフの強引な勧めで告発のために病院で診てもらおうとするがIDもないのでは(レイプ相手に奪われた)と相手にされない2場面目、やがて別の病院でなんとか監察医の元に行くがまずは警察に訴えるのが先だと言われ警察へ。そこでようやく妊娠中の女性警官に話は聞いてもらえたものの証拠のために下着を差し出せと言われ、ようやく借りたスカーフで体を隠しながら病院へ行くことになるが…、一方のユースフは事情を聴くと拘束されてしまい(活動家だった彼はついには逮捕されてしまう)病院移動の途中警察に止まった車の中に見つけた奪われたハンドバック、これを抱えて逃げ回り学生寮仲間に電話をかけて助けを求めようとするマリアム、しかし後ろには犯人の警官が脅しをかけながら迫り…ということで自ら被害者であるにもかかわらず二重三重に追い詰められボロボロになっていくのである。
「アラブの春」で唯一民主化が成功したと言われるチュニジアだが、実際にその後の数年は国内が荒れ自由や安全を保護するという名のもとに警察権力の横暴がおこり、一方政治制度は変わっても家父長制は依然安泰で、女性の立場がいかに苦しいものだったのか、それはマリアㇺを囲む「犬ども」男たちや権力の末端にいる病院の女性や、最初に助けを求める産婦人科医の女性、また彼女の告訴をようやく取り上げて調べる女性警官も含め、どちらかといえば彼女を抑圧する側に回ってしまう、そしてそれは父の権力を恐れる彼女自身の中にもあるもので、ぎゅうぎゅう縛られている彼女の姿は最後の最後まで見ていて苦しい。
しかしその最後父に知られることを恐れるところから率直に父に話しそうとするとき彼女は突如静かに強くなる。年長の制服警官のシェドリーの最後での援助とともに、希望が見いだせるわけではないが、しかしそのような心の一つ一つの動きが世の中を変えていく力になるのではないだろうかと思われる。
(2月24日 渋谷ユーロスペース イスラーム映画祭 45) 

⑳キャラメル
監督:ナディーン・ラバキー 出演:ナディーン・ラバキー ヤスミーン・アル=マスリー ジョアンナ・ムカルゼル ジゼル・アウワード シハーム・ハッタ―ド アデル・カラム 2007仏・レバノン(アラビア語・フランス語)96分 ★★

主演のナディーン・ラバキー自らがメガホンをとった初監督作、日本で2009年初めて公開されたレバノン映画(見た記憶がないのでやはり見落としていた??)。
レバノン・ベイルートのある美容院とその周辺を舞台に、美容師や顧客、そして近所で仕立て屋(というか修理業)を営む女性の日常的な生活―恋や破局やあるいは恋まで行かない(成就しない)思いなどが描かれる群像劇。妻子ある男との恋に悩む店主のラヤール、シャンプー係のリマは時々現れる黒髪の美しい女性に心惹かれ、もう一人の従業員のニスリンは結婚を控えているが婚約者には言えない秘密(バージンではない)に悩む。常連客のジャマルは思春期にさしかかる二人の子を持つも女優への夢を諦められずオーディションを受け続けているが、更年期の兆しが…(この描き方はいかにも女性作者ならでは、生々しいがなんか哀切な感じがする)、そして洋服修理をするローズは、認知症の姉リリーの世話に手を焼き、店を訪れた中老?の紳士とのあわやかな恋?をあきらめる。
キャラメルは砂糖を溶かし焦がしたキャラメルだが。ここでは脱毛に使う。甘くて痛いという状況のメタファーとなっているわけだ。ラヤールのシートベルト無着用を咎めるところから映画に参加する警官ユーセフがそこにきいたちょっぴりの塩味というよりジンジャー風味になっている感じ。完成度が高い群像劇でこの街の女性たちの気持ちや暮らしが映し出されている。最後は現代的な方法で問題を解決した二スリンの結婚式でシアワセな終結に。(2月24日 渋谷ユーロスペース イスラーム映画祭 46) 

㉑うたうつぐみがおりました
監督:オタル・イオセリアーニ  出演:ケア・カンデラキ ジャンクス・カヒーゼ マリーナ・カルッイバーゼ 1970 ジョージア 81分 


オーケストラのティンパニー奏者ギアの超多忙な2日間?ほどを描く。友人と飲みに行って門前払いされたり、人が訪ねてくるが案内をすると言いつつ全く相手をできなかったり、女性の友人も数多いが次々断られたりであまり報われないのだが行き当たりばったりといっていいほど次々と声をかけたりかけられたり、肝心の仕事はティンパニの演奏部分だけホールに駆け込み何とかこなすというありさまで指揮者からは苦情が出、音楽院の所長には処遇を考えると呼ばれるのだがその約束時間さえもすれ違い…そして最後は悲劇に!
しかしこれってまさに時間に追われスケジュール昇華に追われている現代の私たち自身を投影しているのだなと、見終わていささか暗澹たる思いにもかられ反省もしてしまう。しかし、しかし、それでもすぐにスケジュールに追われあわただしく駆け回っている私なのだった。(2月25日 渋谷イメージフォーラム イオセリアーニ映画祭 47)

イオセリアーニ映画祭@イメージフォーラム

「国立映画アーカイブ 日本の女性映画人(1)無声映画期から1960年代まで」も見始めました。高齢男女(男が多い)観客の満席近い劇場にびっくり… 

㉒幼き者の旗
監督:佐藤武 脚本:鈴木紀子 出演:沢村貞子 小高まさる 小高たかし 汐見洋 神田千鶴子 1939日本(東宝京都) 73分モノクロ

父が出征した幼い兄弟の母は実家に身を寄せることに。その引っ越し(40キロを馬車に荷物を積み込み、3人が乗り込み実家から迎えに来た爺や?が歩いて引く…って可能なんだろうか)から、兄が転校した学校で出征兵士の家に掲げるように配られた旗(これが題名の由来)を友だちのだれよりも高く掲げようとして、留守宅の妻の授産所(なんてあったんだ…)で働く母の留守中家の前の木に登る兄弟。学齢前の弟は木から落ちて大けが。などという事件から、戦争ごっこの最中に眠り込んで野戦の兵士の夢をみたり(なぜか敵のいないところで走り回る友軍)新聞に父の活躍と行方不明が報じられたり、帰ってきた傷病兵が父の消息を言ったり、あるいは「遺品」が送られてきたり、いろいろと不安の種も尽きない状況が描かれる。最後に父の無事が伝えられ村の子たち皆が旗を立てた木の下で大団円になるが、他の子たちの家もみな出征兵士の留守宅なのにいささか脳天気では?とも思えてしまうが、要は1939年という時勢での児童映画というのはこんなもんなのだろう。
母は若き沢村貞子。男の子が「かな」でなく「かしら」を使うのが、今はない用法だろう。若い頃、大学の先生とかまあ紳士といえるような当時の高年世代の男性が「~かしら」を使っていたのは、この子たちの大人になった世代ということかなと思う。(2月25日 国立映画アーカイブ 日本の女性映画人(1)無声映画期から1960年代まで 48)


㉓母を讃える歌
監督:原研吉 脚本:森山季子 出演:吉川満子 斎藤達雄 三宅邦子 三井秀男 三浦光子 水島亮太郎 小林十九二  1939日本(松竹大船)53分モノクロ 

㉑と伴映されたこの映画、戦争の影は全くない。最初は畳の部屋に二つのベッドをいっぱいに置いて眠る3人きょうだい。子どもたちは明日の鎌倉行を楽しみにしている。ところがその日、父は仕事中に事故死。葬儀から再婚を勧める親戚に、ちいさな家に引っ越し子どもたちは自分が働き育てるという母。
次は10年後で、母はやり手の保険外交員?として着物姿のしとやかさで働いていて、職場の男どもは感心もするがやっかみもするというわけで、けっこうセクハラ的職場環境であるわけだ。長女は家で花嫁修業、長男は旧制高校の寄宿舎に入っている。次女は女学校の生徒で「母を讃える歌」をラジオで合唱することになる、というようなまあ順調な家庭生活を送っている。ところがある日、母を最もやっかんでいる同僚が酒に酔って夜訪ねてきて「ビールくらい出せ」とすごむ(こんなことが通るっていうのはすごいなあ)。ちょうど父の命日で家に戻ってきていた長男がそれに怒り、追い返そうともみ合いになり殴ってしまう。これが職場で問題になり、上司は「あなたはやめさせるのは惜しい」とかなんとか言いながら結局母が自ら身を引くのを求め、母も身を引く。それを知った長女は自分が働くというのだが、母は絶対にそれはさせないと言い張る。つまりバリバリ働き能力を発揮し、自活もしながら彼女の価値観は働くことをつらい嫌なこととしてしかとらえていなのである。娘はそれならと節約を母に提案し一家はさらに小さい家を間借りして住むことになるが、寄宿舎暮らしの息子は事後にはがきでそれを知らされ「なぜ自分に相談しない」とこれまた怒り…というわけで、ウーン。
まあ母モノの典型(木村多江+安藤サクラみたいな吉川満子が母。父は写真が禿げ上がった井浦新という顔つきの斎藤達雄、長女はまんまそのものの三宅邦子)なんだろうが、時代の懸隔を感じずにはいられず、資料的価値としてしか見られないという感じもあって、きつかった。(2月25日 国立映画アーカイブ 日本の女性映画人(1)無声映画期から1960年代まで 49)

ここで再び山!菊花山~九鬼山(2/26)

こちらは九鬼山からの富士山

こんな木の間からの富士山も冬らしく…



駒橋発電所落合水路橋(この上を水がながれている)


㉔別れる決心
監督:パク・チャヌク 出演:パク・ヘイル タン・ウェイ 2022韓国 138分

イスラム映画祭の韓国映画『わたしはパンドゥヒ』後のトークで、登壇者・崔盛旭氏と主催者・藤本氏が「移民映画」として現代の韓国情勢を反映して?面白いというのを聞き、ならば、と見に行く。
主演女優はタン・ウェイ(全然知らなかったので、こんなにタン・ウェイによく似た韓国人女優がいるの?と頓珍漢なことを思いながら見始める)。
最初は切り立った断崖の山上から転落死した男の妻ソレ(朝鮮抗日の勇士とかいう父を持った中国人の韓国移民)と担当する真面目なエリート警部ヘジュンとの疑惑と心のひかれあいーというか基本的にヘジュン視点で、彼の頭の中に登場するソレもあたかも実在のように描かれるので、一応疑惑が晴れて単に死者の妻というに過ぎないとされるソレがホントウは夫を殺したのかどうか、殺す場面があっても観客も含め本当のところは今一つ分からないサスペンス状態に置かれるのはヘジュンと同じという構造の映画である。
そして13か月後、釜山から妻の勤めるイポに自身も転勤したヘジュンが再婚した夫といるソレに再会する。そしてその夫が殺されるという二度目の事件がおこり、今回はヘジュンは部下の止めるのも聞かず、ソレを疑惑のターゲットとして捜査を進める…(釜山ではむしろ部下がソレへの疑惑を深めるのに対してヘジュンはそれを肯わない)そしてソレのへの疑いを立証するような携帯を海に捨てるように言うなど、彼女を犯人としつつかばうというような最初からは考えられないような姿も見せ…というわけで、ウーンなんというか毅然としてファムファタールぶりを見せるソレと対照的な弱さの表出が印象的なヘジュン、そして背景を作る山と海、人間関係の二項対立(妻とソレ、釜山とイポの二人の部下、山での死とプールでの死などなど)見せ場的要素もたっぷりではあるのだが、それぞれと劇的展開の関係が複雑すぎる感じもあり、山から下りて疲労満杯の観客的視点からは、あまりよくわからないところも忘れてしまう要素もあって反省しつつ…でもちょっと難しすぎるよなあ(2月26日 府中TOHOシネマズ)


㉕ある映画作家の手紙。白黒映画のための七つの断片
監督:オタール・イオセリアーニ 1982仏 モノクロ21分 ★


イオセリアーニのとらえたパリの街角を中心とする七つの断片集。4番目飼い主とともに散歩する様々な犬種の犬たち。飼い主はほとんど下半身のみの映像だが、案外ジーンズが多いのはさすがパリ?あるいはパリでもとみるべき?面白いのはこの断片の後半が様々な毛皮に身を包んだ人々の姿につながっていること。犬も人も同じだね、とそれはイオセリアーニ流の皮肉なんだろう。次の5はイオセリアーニ自ら床屋での髭剃りシーンから始まり身を整えて腰に銃をさして車で出かけ、後半はガン・アクションと、遊び心がいろいろ満ちていて、人々の姿の断片が映し出され、イオセリアーニのその後の作品にも投影されているということで見ていて楽しい。パリに拠点を移して後初めて作られた作品だそう。㉕と伴映。(2月27日 渋谷イメージフォーラム イオセリアーニ映画祭 50)

㉖トスカーナの小さな修道院
監督:オタール・イオセリアーニ 1988仏 57分


トスカーナ地方のある修道院の5人の修道士の祈りの日々、そしてその修道院を囲む?村の人々の暮らし、農民―ワイン作り、牛飼い、猟師や、食肉の解体業、また修道士のための洗濯する人々などの暮らしぶりが淡々と描かれる。その淡々とした静かな変わらなさが主眼なのであろう。20年後、かわることがなければ同じ場所、同じ人々で再び撮影をするとエンドロールに字幕が出るが、実際には20年後の作品は作られなかった。そういうことなんだね、トスカーナ地方もと現代から見るとそんなふうに思われる。㉔と伴映(2月27日 渋谷イメージフォーラム イオセリアーニ映画祭 51)

㉗素敵な歌と舟は行く
監督:オタール・イオセリアーニ 出演:ニコ・タリエラシヴィリ リリ・ラヴィ―ナ フィリップ・バス ステファニー・アンク ミラベル・カークランド アミラン・アミラナシヴィリ ジョアン・サランジェ オタール・イオセリアーニ 1999仏・イタリア・スイス 117分 


使用人がいっぱいいる裕福なお屋敷に住む夫婦と息子、幼い3人の娘という一家の、息子ニコを中心に彼をめぐる人々と一家のからみを描く群像劇。ニコは毎朝スーツを着て自家用ボートに乗りカジュアルなスタイルに着がえて街に出てカフェで皿洗いのバイトをするが仕事がいい加減でクビになり、つるんでいた物乞いの不良少年と強盗?事件を起こして刑務所に。一方、よくいくカフェの彼がひそかに付き合いたいと思っている娘は、貧しい鉄道工、しかし友だちのハーレーを借りて格好つけて女の子を引っかけている青年と仲良くなってしまう(この男ひどい奴で、彼女誘い出しレイプまがい?そして雨の中置き去りにする。(それを助けるのがお屋敷の、ニコに秘かに心を寄せているらしいメイド)しかし刑務所帰りのニコが久しぶりにカフェに行くと娘はしっかり彼と結婚して店を切り盛りしているという、こんな感じの展開が続くわけだ。
ニコが仲良く付き合っている浮浪者たちを邸にこっそり連れ込んだ日、そのうちの一人は妻の働きに頼りワイン浸りになって部屋を出てこないように妻にくぎを刺されている父(イオセリアに監督自身が演じている)と仲良くなり、この二人の関係が最後の「素敵な歌と舟は行く」という題名につながっていくわけで、ここでは邸をこっそり抜け出す舟がいわば自由の象徴になっている。邸の中ではヘリコプターで仕事に行くほど羽振りよく活躍している母とそのペットの鳥?(何だろうすごく大きな鶴をもう少し野卑にしたみたいな感じの)に虐げられている男たちの自由への希求を表している?母の仕事関係の実業家やその部下ドジな秘書(大男の黒人ー失敗続きで解雇?されるー)にもそれは現れているようだ。(2月27日 渋谷イメージフォーラム イオセリアーニ映画祭 52)

㉘アラビアンナイト 三千年の願い
監督:ジョージ・ミラー 出演:イドリス・エルバ ティルダ・スウィントン 2022豪・米(英語・トルコ語)108分 ★

ティルダ・スウィントン扮する物語論(ナラトロジー)研究者アリシアが出張先(アラビアンナイト的世界についてトークをする)のイスタンブールのバザールで古い小瓶を見つけて買う。夜ホテルの洗面所で割れた小瓶から現われるジン(魔神)、これがなかなかのイケメン黒人で格好よく、紳士で女性との会話が大好きという。彼は願い事を3つするように彼女に迫る。ということで、ここからはバスローブ姿の二人(魔神と人)がほぼジン中心で3000年前シバの女王とのいきさつから、3つの願い事を迫って成就できない物語ー登場する女性のありようがなんか、願い事には頼らないという感じの潔い、しかし時代の制約下では幸福にはなれないというジェンダー認識に彩られているのが興味深い。
願い事をさせることに失敗するとジンは海底で小瓶に閉じ込められて眠らなくてはならない。その長い年月について語る。一部彼女の方も成就しなかった男性との関係を語ったりもするが。後半彼女はジンを小瓶に入れて飛行機でロンドンに帰り、後半はロンドンでのジンと彼女、そして奇妙な隣人などとの話に。ティルダ・スゥイントンの喜劇味も程よく、都市の騒音になじめない魔神の描写もなかなかで、願い事はしないというかアリシア自身も驚くような願い事によって二人がいわば「シアワセ」を迎える結末のジェンダー的現代性もなかなかに批評的でもあり、楽しめる1本だった。(2月28日 立川キノシネマ 53)

㉙対峙(MASS)
監督・脚本:フラン・クランツ 出演:リード・バーニー アン・ダウト ジェイソン・サックス マーサ・ブリントン 2021米 111分 ★★★


校内銃撃事件の被害者として息子をなくした夫婦と、加害者で本人も命をなくした高校生の両親がある教会の一室に集まり話す1時間半余り。同じく息子を亡くして家族は苦しんでいるー出会いの最初の会話がどちらの過程でも亡くなった息子の兄や妹が無事に「立ち直った」かどうかの安否を問いあうというのが興味深いーが、殺された側と殺した側ということでは全く違う心情を持っているわけで、また特に殺した側で言えば夫婦の間でも息子に対する感覚の差がある…。そのあたり、事件の説明などは何もなく役者たちの対話の演技だけで進んでいく緊迫の時間(自分もその場にいるよう)がすごい。中でも自ら息子を亡くした悲しみのうちにいながら息子が相手に対しての加害者であるという苦しみ、その息子を理解し導けなかった苦しみ、息子の暴力から自分も逃げたという後悔まで、加害者の母親の何重もの苦しみの演技は胸に迫る。子どもは親を選べないが、親も子供を選ぶことはできない、その切なさを感じさせられる。(2月28日 立川キノシネマ 54)

㉚銀平町シネマブルース
監督:城定秀夫 脚本:いまおかしんじ 出演:小出恵介 吹越満 宇野祥平 藤原さくら 日高七海 中島歩 片岡礼子 藤田朋子 浅田美代子 渡辺裕之 2022日本 99分 

冒頭はいかにもくたびれ1文なしの映画監督・近藤が川べりでホームレス・佐藤と話す。どこから来たのか、近藤は3年ほども行方をっくらましていたらしい。そしてさびれた映画館「銀平スカラ座」に寝所を得て働き始める。1日5人くらいしか客が入らないこともある創業60年のこの映画館の館主梶原・ふたりの女性従業員、映写技師、それに映画好きの観客5人(売れない役者・トランぺッター・売れない??・中学生・それに彼のホームレスも)の面々がなかなか個性的な映画好きで映画を盛り立て、傾きかけたスカラ座回生の手立てとして、近藤の未完の映画を完成させそれを中心に60周年記念イベントを計画するという話。。苦みとしては近藤やホームレスを巻き込もうとする「NPO]と称した生活保護ビジネスをする女とそのヤクザまがいの部下(浅田美代子が悪役で登場)、甘み?としては近藤の未完だったゾンビ映画に登場する元妻のヒロインと彼の中学生の娘(小出恵介、中学生の娘がいるような役をする年ごろになったんだなあ、と久しぶりの復活に感慨)、「監督残酷物語」という映画で自身の父を描く地元の若い女性。そして近藤が映画を放り出す原因となった助監督の自殺と後半未完の映画を完成させ立ち直って訪ねる助監督との母親との交流(鮭を酌み交わす)がちょっと酸味か。そして生活保護ビジネスから携帯の転売に巻き込まれた佐藤(これを助けるのがなんと、弁護士資格を持っていた貧乏映画館主梶原)の死まで、最後はなんか観たような7人ほどの葬列が川べりを1列に歩き佐藤を弔うというちょっと物悲しいというか沈んだ夕方のシーン。22年に亡くなった渡辺裕之が老練(だけどいかにも格好いいんだよね)の映写技師役で画面を引き締める。「映画好きのための映画好きを描いた映画」?というジャンルがあるがー『ニュー・シネマ・パラダイス』から最近では『一分钟』『エンドロールの続き』スピルバークの新作などなどー日本の場合はこうなるのか…という割と映画部分ではリアリティというか考証がされている感じがする一作。(2月28日 立川キノシネマ 55) 

  3月はいよいよ大阪アジアン映画祭です。今年はどんな映画が見られるかな…
  どうぞお楽しみに…            

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