【勝手気ままに映画日記+山ある記】2024年1月

小さな小さな1月の富士山(〇の中)棒の折~黒山縦走稜線から丹沢方面を見る(1/14)

 1月の山歩き

1月14日 奥多摩 棒の折南部縦走

八桑バス停→名坂峠→興越山→黒山(842m)→権次入峠(892m)→棒ノ峰(棒の折山)(969m )→奥茶屋キャンプ場→清東園
6h31m 8.4km ↗951m↘884m 90-110%(ヤマップ)25000歩 17名のツアー山行

昨日降った雪が山についている状態で、特に行き登山口までの林道はツルツルで大変怖い。
それでもまあまあ順調に楽しんで登り、下りはチェーンアイゼンをつけて用心しながら下りる。新年最初の足慣らし登山として…


1月18日 千葉 光石山~元清澄山 縦走

新宿からバスで 光石寺・三石山(282m)→地蔵峠→元清澄山(344m)→金山ダム
6h35m 11.2㎞ ↗747m↘986m 110-130%(ヤマップ) 28000歩 12名のツアー

年明けはツアー登山からということで、多分ほとんど行ったことがない千葉の山を選んで…。高さは200m~300m台と高くはないし、道のほとんどは片側は切れているものの歩きやすい平らな道で、ただ小さな上り下りで(地図で見ると)15ぐらいもの小山というか丘登りをし、歩いた距離も11キロ越えというなかなかな、中級コースだった。 



三石寺・その裏は大きな岩山・金山ダム・鎖場も少々、あまり眺望がいいとは言えない、おおむねこんな山道歩きだった↑。


1月21日 赤城山(黒檜山1827.7m~駒ヶ岳1685m)
   4h19m 3.5㎞ ↗524m↘532m 70-90%(ヤマップ通常登山比)8500歩
 
この冬はじめての軽アイゼンをつけての雪山登山。これも15名ツアーで。朝から雨っぽい雪、午後は少し薄日もさしたが天気はイマイチ。グローブが濡れて冷たくはないが着脱が面倒で、写真もあまり撮れなかった。
赤城山は雪がない季節ならまあ初級コースだが、さすが今シーズン最初のアイゼン歩行で いささか用心して出かけたというところ。まだまだ雪道も歩けるとちょっと安心。



1月の映画日記

①ショーイング・アップ②インファナルアフェアⅢ終極無間4K③インファナルアフェア 無間道④キラー・オブ・ザ・フラワームーン⑤ウォンカとチョコレート工場➅春の画 SHUNGA⑦枯れ葉➇いますぐ抱きしめたい 4K⑨ビヨンド・ユートピア脱北⑩白鍵と黒鍵の間に⑪コロニアの子供たち(A Place Called Dignity)⑫宝くじの不時着 一等当選くじが飛んでいきました(原題6/45)⑬エターナル・ドーター⑭オール・ダート・ロード・テイスト・オブ・ソルト⑮ヤジと民主主義 劇場拡大版⑯〇月〇日区長になる女⑰ヴィクラムとヴェーダー⑱我々のものではない世界⑲緑の夜⑳蟻の王㉑ぼくは君たちを憎まないことにした㉒レオノールの脳内ヒプナゴジア㉓リトル・パレスティナ㉔ニューヨーク・オールド・アパートメント㉕コット、はじまりの夏㉖ユダヤ人の私㉗メンゲレと私㉘サン・セバスチャンへ、ようこそ㉙ただ空高く舞え㉚哀れなるものたち㉛海街奇譚㉜ウインター・ボーイ 

中国語圏映画②③➇⑲㉛ 5本、日本映画➅⑩⑮⑯  ドキュメンタリー⑨⑮⑯⑱㉓㉖㉗
今月も見ごたえのある映画鑑賞となりました。★はナルホド、★★はイイね、★★★はおススメ(あくまでも個人的感想。映画は見方によっても全然違う、ちがったご意見を是非聞かせてください)
地震、飛行機事故と映画にウツツを抜かしていては✖?と思いつつ32本!ヤレヤレです。
今日はとうとうパソコンもダウン(バッテリ故障?)このブログが間に合ったのが奇跡?でした。

①ショーイング・アップ
監督:ケリー・ライカート 出演:ミシェル・ウィリアムズ ホン・チャウ ジャド・ハーシュ ジョン・マガロ 2023米 106分 ★★


新年初映画は年末『ファースト・カウ』のケリー・ライカート最新作。地方の美術大学で講師(というより事務担当のような感じ)を務めながら、焼き物(抽象化されたような人物)をし、個展を開こうとしているリジーと、彼女が部屋を借りている同じく美術家志望同僚のジョー。部屋のボイラーが壊れシャワーを浴びられないことで、自身の個展の準備を理由に湯沸かしを直そうとしないジョーに募るイライラ。ジョーは奔放自由に生きている感じでその作品もなかなか大掛かりなモビールというか目を引くもので、リジーにはそれも気になる。自身の飼い猫がある日部屋に飛び込んだ鳩を傷つけ、その鳩を逃がしたのに翌朝、花壇で見つけたとして鳩をリジーの元に持ち込むジョー。全編体に包帯を巻きつけ出演するこの鳩はまさに飛び立てない鳥でリジーとジョーを象徴しているのであろう。これにもイライラしながら結局鳩の面倒を見るリジー。
彼女にとっては家族も悩みの種で、芸術家として理解を示しながらもちょっと一歩ずれた感じの両親(すでに離婚済み)や両親からは天才と評される芸術的センスを持ちながら精神的に不安定で自立できない兄(この兄が最後でいわばリジーとジョーを解放するのだ)など家族にも振り回され、個展の準備が進まないとイライラし続けながら周辺の問題にどうしても関わり手が抜けないリジーだが、なんとか個展にこぎつけた、その日兄の思いがけない行動が…という、とにかくラストシーンの解放感と詩情がハンパでない、なかなかいい作品だった。兄を演じているのは『ファースト・カウ』のジョン・マガロ。ミッシェル・ウィリアムズ、すごく若く見えるけれど実年齢は40歳を過ぎた1980年生まれ。相方のホン・チャウも79年生まれで、芸術の道に進もうとして、まだ目が出ない?他の仕事や家を貸すことにより生計を立てながら頑張っているというにしては人生も半ばだなと思うと、ちょっと切ない感がある。もっともこういう切ない感を感じるのは私たちくらいの世代までかもしれない。若いと言える時代がすごく長くなっている感じがある。(1月4日 ヒューマントラストシネマ有楽町 A24の知られざる映画たち 001)

②インファナルアフェアⅢ終極無間4K
監督:劉偉強・麥兆輝 出演:劉徳華 梁朝偉 黎明 陳道明 黄秋生 曾志偉 陳慧琳 劉嘉玲 杜汶澤 2003香港  118分

まあ、今更とも思える繰り返し見た名作ではあるが4K版というので見た回数が少ない『終極無間』を見に。不正により生き残り「善人になる」ことを目指したラウ(アンディ・ラウ)の善たり得たいと思いつつ過去の悪にとらわれる心理ドラマと記憶していたけれど、そういう側面とともに新しい捜査官チャン(レオン・ライ)と大陸から来た正体不明の男シェン(沈?)と、彼らをマフィアから潜入したと思い摘発抹殺しようとするラウの戦い。時間をさかのぼってのヤン(トニー・レオン)とキョン(チャップマン・トウ)の場面も入り乱れ、前半はなんかすごく集中しにくい話だなあと思いつつ見るが、後半過去のヤン・チャン・シェンが互いに潜入捜査官として意志を通じながら別れていく場面あたりから盛り上がり、ラウの破滅までは息もつかずに見せる。
サミー・チェンとカリーナ・ラウのサービス出演場面を見せるためかもしれないが、ラウが生き残り元妻マリーと再会する場面は不要じゃない?それと、若き日を演じたエディソン・チャンとショーン・ユウの場面もあり、この映画が最初から三部作を目指して撮られていたことも再確認。(1月5日 下高井戸シネマ 002)


③インファナルアフェア 無間道
監督:劉偉強・麥兆輝 出演:劉徳華 梁朝偉 黎明 陳道明 黄秋生 曾志偉 陳慧琳 杜汶澤 2002香港 102分 ★★★

②がなかなか面白く、その割に会場も空いていて気の毒感もあり、急遽夜8時からのこの回もみることに。いわずと知れた『無間道』、DVDも何回も、自分の主催していた中国語圏映画鑑賞会でも見た作品だが、まあ、期待裏切らず、2000年頃復帰直後、一国2制度が機能していたころの香港の元気を感じることもできる作品だなあと、若々しいアンディ・ラウ、トニー・レオン、黄秋生、それにお肌ツルツルでりりしい感じで、この映画の中で死んでいくチャップマン・トウの存在感にやはりしびれて100分あまり。この映画では主題歌アンディ・ラウとトニー・レオンのデュエットも聞ける。(1月5日 下高井戸シネマ 003)


④キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン
監督:マーチン・スコセッシ 出演:レオナルド・ディカプリオ ロバート・デニーロ リリー・グラッドストーン ジェシー・プレモンス 2023米 206分 ★★

なるほど、これは噂にたがわぬ迫力の一作。20世紀初めのオクラホマ州オーセージ郡。突然に石油が噴き出し地元居住の先住民族オーセージ族は大いにうるおい豊かな暮らしをしていた。そこで農場を営み(最初の方で石油にはかかわっていないとか言っている)富と絶大な権力を持ち、白人のみならずオーセージ族からも慕われていると自認するキングことビル・ヘイル。彼のもとに戦から帰って身を寄せる甥のアーネスト。彼はオーセージ族の娘モリーと恋に落ち結婚し、彼女の後見人になる(女性は財産に関しては所有するが使用については「無能力者」扱いだったことが、何回かのモリ―の台詞で示される)。そしてマリーの妹、姉等々や、ヘイル周辺のオーセージ族が次々に死んでいくという事件が起き、ワシントン州から捜査官が来て捜査を始める(アメリカFBIの発端になった事件だとか=これは原作の題名から)。
ディカプリオは当初捜査官の役にオファーされたらしいが、自ら望んでアーネストを演じたそうで、、一見イケメン、ガタイも立派でありながら、酒にも女にも弱く、精神的にはけっこう弱くもあり浅はかでもあり、妻や子供を愛しながら、叔父の権力に引きずられ言うがままに動かされどんどん罪の道に溺れていくというとんでもないダメ男を演じて真に迫る。顔つきの変化もすごくてさすが…。いっぽうの叔父役デニーロこれがまた一見人当たりのよさそうな穏やかな風貌の影に何を考えているかわからないような恐ろしさ暗さを隠し持ち、一見オーセージ族のために働くように見えながら実はその利権を狙って甥をこき使うという恐るべき人物で、これもすごく、見ごたえあり。
おまけにラストこれが突然に事件を演じる実録芝居の様相を示し、その進行役が監督自身という大サービスまであって、決して後味の良くないこのテーマを娯楽にまで強引に引きずり込んだという感じ。しかし知らなかったアメリカ史だなあと、早速にアマゾンキンドルで原作本を購入しようか検討中である。(1月6日 下高井戸シネマ 004)

⑤ウォンカとチョコレート工場
監督:ポール・キング 出演:ティモシー・シャラメ ヒュー・グラント キャラ・レイン オリビア・コールマン サリー・ホーキンス ローワン・アトキンソン 2023米 116分

田舎から母の遺言?を抱えて出てきた無一文(というかもっていたお金をを失っていく様子から映画が始まると言ってもよい)の青年が、悪いヤツに騙されたり(泊まることになった旅館の女将オリビア・コールマン。いかにもの迫力)そのチョコレートづくりの才能に恐れた町の3人のチョコレート業者の顔役ににらまれ迫害を受けながら、同じく旅館の女将に搾取されている孤児の少女ヌードルや、さまざまな技能を持った6人の同僚(借金のカタとして地下室で洗濯にこき使われる仲間たち)を助け助けられながら、間では気危機一髪の窮地に少女と力を合わせて悪を退治し、皆に喜ばれるチョコレート工場の完成にこぎつけるまでを歌と踊りーティモシー・シャラメ軽快だし歌もそれらしい情感たっぷりでうまいーで綴る王道的(朝日の映画評ではディケンズ的とも言っていたような)ミュージカル。あまり考えずに(考えると工場の仕組みとか労働搾取の仕組みとか、ウォンカがウンパルンパ之島でカカオ豆を盗む?とかいろいろ問題は出てきそうだが)楽しみ映画の世界に浸れる。
ウンパルンパのオレンジ色の紳士(身長50センチ?)を演じるのは特撮のヒュー・グラントで、エンドロールまで悪役兼味方みたいな大活躍のオジサン妖精?昔はティモシーの位置(王子役)だったヒュー・グラントを知っているものとしては、最近の彼なかなか面白い年の取り方だよなと、感心する。(1月7日 府中TOHOシネマズ 005)


➅春の画 SHUNGA
監督:平田潤子 出演:横尾忠則 会田誠 木村了子 アンドリュー・ガーストル ミカエル・フォーニッツ 朝吹真理子 橋本麻里 春画ール ヴィヴィアン・佐藤 樋口一貴 髙橋由貴子 語り:森山未來 吉田羊  2023日本 121分 ★★

春画(原画)を描いたのは鈴木春信はじめ北斎、歌麿、鳥居清長などなどと江戸時代のそうそうたる画家たち、また大名家や名家のお姫様の嫁入り道具として描かれたものなどで手の込んだ彫りや刷りの豪華さは単なるエロ本とかヌード雑誌?の域をはるかに超えたアートであった。そこに描かれた男女は男性ばかりでなく女性自身も性をおおらかに謳歌している姿が表されている、ということで、現代の復元者の代表も、また春画の国内の愛好家や研究者も女性(しかも比較的若い)に偏り、彼女たちがこもごもにその芸術性の高さや、春画への愛を語る。また海外収集家や研究者(こちらはおおむね男性中年以上だが)や、現代のアーティストも春画に対する意識や考えを述べと、ともかく大変に勉強になる映画だった。
江戸期、奢侈禁止令の中で、決して表には出なくても秘するものでも恥ずるものでもない一つの芸術分野として力を極めて作られた春画だが、幕末不安定な社会の中では性も暗い側面(幽霊・化け物、女性を縛ったり傷つける血みどろシーン、獣姦とかも)も描かれることが多くなりーつまりおおらかな性さえも抑圧されて行ったということ?ー明治期の文明開化の中ではわいせつ物として扱われるようになり姿を消していったということで一種の文明批評としての映画にもなっている。しかも画像は美しく、驚くべきち密さで彫られた陰毛とか巨大な性器に感嘆したり笑ったり、春信の「真似えもん」(こんなの知らなかった、まあわいせつではあるがユーモラスな世界)は動画仕立てで、なんとも楽しめる作品にも仕上がっている。あと数日の上映ということで久しぶりに出かけたシネスイッチ銀座で。(1月8日 シネスイッチ銀座 006)

⑦枯れ葉
監督:アキ・カウリスマキ 出演:アルマ・ボウスティ ユッシ・ヴァタネン 2023フィンランド・ドイツ 81分

やっぱりうまいアキ・カウリスマキ…工事現場で働くアル中気味、酒が手放せない男が同僚に誘われて行ったカラオケ店で、同じく同僚に誘われてきたらしいスーパー店員の女に一目ぼれ、一度目は偶然の再会で、ちょうど仕事上の理不尽で上司に盾突き首になり、飛び込んだ皿洗いの仕事も店主が麻薬を売ったと摘発され給料をもらえないまま一文無しになった女を誘ってお茶、パン、映画と関係を作り女の電話番号を貰うがなくしてしまい、女は女で連絡の来ない男をあきらめあらたに工場勤めを始める。このあたりまでの描き方がものすごく丁寧で特に女の困窮と仕事探しの過程や、もらった電話番号をなくした男の行動をタバコの吸い殻で表すなど,常套的ではあるが、納得クスリと笑えるような場面も含んでさすがに説得力がある。その後男も酒のために職を失い、女との再会食事に招かれるも、女の出す食前酒では足りず、持参の酒をこっそり飲んで、女に愛想尽かしされる(私の父も兄もアル中で死んだ、母はその悲しみで死んだという女のことばの演歌的説得力)というような紆余曲折を経て酒をやめた男の決意とそれを受け容れる女というハッピーエンドになりそうでありながら再度のすれ違い…。
まあ、こう書くと典型的な古風なすれ違いドラマで、それを支えるのは、結局細部の丁寧な、しかもユーモアのあふれた描写、脇役にもきちんと日が当たるように伏線もはって描かれた世界、なので常々ラジオから流れる(だいたい登場人物が途中で消す)ロシアのウクライナ侵攻に関するニュース、また要所要所でラジオから流れたり店の音楽やカラオケ店の過小だったりさまざまな形で挿入される歌曲群の煽情的でそれさえ時には笑ってしまうような…女の最初の場面の孤独は日本語の『竹田の子守歌』、女と男の出会いはカラオケの『シューベルトのセレナーデ』やほかにチャイコフスキーとかも。またもちろん他のポピュラー音楽なども挿入されてそれらも楽しめるような作りになっている。
この映画、私の見た上映館は1日1回だが4週連続上映(8割くらいの入り)、今まだ新宿でも渋谷でもロードショー上映中で、なんとまあ人気がこんなあるのはやはりアキ・カウリスマキ威力?
主演女優は『トーベ』でトーベ・ヤンソンを演じた人だが、きりりと強く無表情の様でいながら時に見せるウインクとか笑みとか微妙な表情の上手さ、男の方は何とも顔が長く、長身を持て余しているようなどうしようもない雰囲気をまといつつよく見るとやはり何となく愛嬌があるのはカウリスマキ映画らしい人選(どちらも主演としてははじめてらしい)。
(1月10日 川崎市アートセンター・アルテリオ上映館 007)


➇いますぐ抱きしめたい 4K
監督:王家衛 出演:劉達華 張曼玉 張学良 萬梓良 撮影:アンドリュー・ラウ 1988香港 99分

『王家衛ビギニング』と銘打ちこの映画と『欲望の翼』を並べた特集。『欲望の翼』は毎年のように見ているが、この映画はもう何年(何十年?)も観ていないと思い、覗きに行く。平日昼だが愛好者は多いのかそこそこ人が入っている。
流れとか結末とかはもちろん知っているが、こんなに音響的にうるさい?というか音に頼る?映画だったかなあと、場面転換ごとに入る煽情的な音楽に少々辟易。とにかく切ったり貼ったりではないが暴力の連続―これを担うのはおもにジャッキー・チュン、『欲望の翼』と近いがそれ以上に無鉄砲で考えなしのどうしようもない男で兄貴分のアンディの世話になりっぱなし、弟分がいるがだらしないこの男にも最後は見放される感じで…。でもその血みどろでも懲りない表情とか、最後の男気とか、クレジットにアンディ、マギーと並んでいるのもうなずける。
アンディ扮する兄貴分も14歳で人を殺して以来、ヤクザの下っ端として借金取りをしたりケンカに明け暮れ、6年付き合った彼女からも見放されるというどうしようもない男なのだが、ランタオ島から来た従妹のマギ―に純愛を捧げ(っていうところが80年代だよね。初々しいアンディとマギー)弟分を助けて破滅の道を突き進むという、ほんの2年後の『欲望の翼』の警官=船乗り(巻き込まれても一緒には死なない)とは全く違った幼いけれども侠気あり弟分の面倒を見ようという気概もある主人公を好演―でもこれってやはりアイドル演技かな。ジャッキーとは全然違う。悪役はアレックス・マンでえくぼが悪の不思議な弱さというかをにじませてこれも面白い。マギー・チャンも最初が病気という設定もあって若さににじませた憂愁とそれが醸し出すセクシーさがなかなかである。(1月11日 シネマート新宿 008)


⑨ビヨンド・ユートピア脱北
監督:マドレーヌ・ギャヴィン 出演:イ・ヒョンソ 2023米 115分

脱北の行程を追った映画は前にも見た気がするが、近年特に中国に入国してからの摘発送還が多くなっている―習近平政権の政策の一つなのかとも思われる―ということで、この映画はアメリカの監督が、すでに韓国に住む脱北者の母が別れ別れになったままの17歳の息子の脱北を計るが国境を越えたところで捕まり息子は送還、収容所送りになったらしく消息不明になってしまうという悲劇を母の側から、また夫婦に80歳の母、幼い二人の娘の5人家族が脱北し、隠れながら支援者の援助を受けベトナム、ラオスを経てタイに入国、7か月後に韓国にやってくるまでを隠しカメラやスマホで撮影したこの2組を中心に、支援者(かつて川越えの国境超えを助ける最中に狙撃され、背骨や首などを骨折したという、それでもベトナムからラオスへの家族のジャングル逃避行に同行する韓国人牧師ら)のインタヴューを交えて描き出す。緊迫感はあり、金日成・金正恩らを世界一の首領とあがめる気持ちを持ちつつ家族に従って苦しい逃避行を続ける80歳の女性の疑念や生命力の描き方などはすさまじいが、作家性という点から言えば題材への食いつき方とその題材ゆえに見られる映画ではあろう。(1月13日 立川キノシネマ 009)


⑩白鍵と黒鍵の間に
監督:冨永昌敬 出演:池松壮亮 仲里依紗 森田剛 髙橋和也 クリスタル・ケイ 佐野史郎 洞口依子 2023日本 97分

ピアニスト南博のエッセイが原作とか。終了後思いがけず監督登壇があり(出演者の一人洞口依子も来ていた)原作愛を語られる。ジャズピアニストを目指す駆け出しの博はキャバレーのピアノ弾き。出所してきたヤクザに頼まれて『ゴッドファーザー』のテーマを弾くが、これは銀座を牛耳る組長しかリクエストしてはいけない曲ということで、もめる…というエピソードを他のクラブでもピアノを弾く千香子が繋いで、そちらは池松が二役?で演じる南という、すでにクラブのピアの引きとしては名が知られ、本人はアメリカへの留学を目指す男の話へ…。チラシなどには一人二役というのだが実は役名からもわかるように南は3年後の博であり、一見見かけは変わらない千香子やその他の登場人物も1988年?の現在と3年後の現在が往ったり来たりという話。要はまだ芽の出る前の南博という男の混沌の3年間が描かれるということだろう。単純に描けば紆余曲折もありつつも平凡な?青春彷徨の成功譚に過ぎなくなりそうなところを、一ひねりして工夫を凝らしたわけだね。見ている人にとって面白いというよりも(もちろん池松ファンとかそういう人には面白くてたまらないのだろうが)作った側が面白がっているという感じがややあって、観客を選びそうに思われる。(1月15日 下高井戸シネマ010)


⑪コロニアの子供たち(A Place Called Dignity)
監督:マティアス・ロハス・バレンシア 出演:サルバドール・インスンザ ハンス・ジシュラー アマリア・カッシャイ ノア・ベスタ―マイヤー 2021 チリ・フランス・ドイツ・アルゼンチン・コロンビア(ドイツ語・スペイン語)99分

1960年代にナチスの残党によって南米チリに作られた宗教的共同体コロニア・ディグニタに80年代末、奨学生として入ることになった少年パブロの目から見た組織の裏表。清廉・秩序そして労働を重んじるコロニアの聖歌隊員に抜擢され喜ぶ少年とその母だが、入ってみるといろいろ…で、スプリンターと呼ばれる選ばれた少年は毎夜、テレビを見る権利とある義務を負わされる。組織のルールに従えないものへの糾弾は白いセーターを着せられての監禁?追放?、この組織では夫婦も一緒に住むことは認められず、また性生活などの知識もこっそり手に入れた本などで学ぶというような歪んだ様子がおもに少年目線で描かれ、外の世界を知っている12歳の少年が耐えきれず逃げ出すまでを描く。
目力の強い少年主人公の視線が印象的で、彼の奮闘ぶり裸で性的な危機にさらされたり、精神的に変調をきたしたとして薬物を注射されたり(これは少年の幻想?として描かれているのかな)なんか、俳優の実人生にトラウマにならないかしらと思えるような熱烈演技で、そこに重なる美しいモーツアルトや、アベマリアなどが一種異様な雰囲気を醸し出す。
すでに昨年23年6月に日本公開されていたらしいが、遅れ遅れの下高井戸で鑑賞。この組織に君臨したパウル・シェーファーはその後少年への性犯罪で逮捕されたものの、2010年彼が死ぬまでコロニア自体は続き、その後改変されて今は観光施設になっているとか。エンドクレジットに組織にいた人々が過去を忘れず見直しつつ生きているというような言葉が出てきたが、それってもしかいまだにかつての組織がもっていた問題のしっぽが残っている可能性もあるということ?と少し心配になる。(1月15日 下高井戸シネマ011)


⑫宝くじの不時着 一等当選くじが飛んでいきました(原題6/45)
監督:パク・ギュテ 出演:コ・ギョンピョ イ・イギョン ウム・ムンソク パク・セヨン クァク・ドンヨン キム・ミンホ イ・スンウォン 字幕監修:松尾スズキ 2022韓国 113分 ★★

さすが韓国映画!国内でもベトナムでも大うけしたらしい。南北朝鮮の38度線を挟む境界地域でいがみ合うの兵士たちの話。
韓国側の兵士が拾った宝くじ(ロト 1から45の数字から6つを選んで当たった数で賞金が決まるというのが原題)。1等6憶円(57憶6千万ウォン)が当たって夢見心地になるが、監視塔当番時(これも向かいの北側の監視塔の女性兵士との間で悪口言い合いの応酬が面白いし伏線になっている)風にとんで北側に。拾った兵士が情報係の韓国通同僚にみてもらい当選がわかるとなんとしてもこの金を手に入れたい思う。そんな二人が出会い、同僚や上官を巻き込み境界地域に設けられたJSA(共同給水区域)で会談を開き賞金の分け前を談義、要は韓国側が換金したものを北と山分けする条件で北は南にロト券を返すということになるが、互いの信用のためにそれぞれの兵士一人ずつを交換して互いの軍に送ることに。
映画の眼目はここまでの争いもだが、それより北に潜り込んだ南の兵士、北から南に送られた兵士がそれぞれの南北らしい特技というか性格を生かして相手の軍で評価賞賛されむしろ窮地に立たされる状況とか、換金に行くことになった南の別の兵士のすったもんだ、そして北に行った南の兵士と、北側の監視塔当番の宣伝部員にして南に行った兵士の妹ととのちょっと気になる関係とか、そんなところに南北の文化差とかことばの違いとかしかしそうはいってもなかなかにハイテク化の進んだ北側の様子とか面白い笑える話が盛りだくさんに詰め込まれている。韓国が作っているせいか、韓国側はの軍隊はもちろん喜劇的なデフォルメをされているが意外にリアリティもあるが、北の方はとても牧歌的で童話的?な描かれ方でもあり、しかし北側がこれをみたら怒り狂うのではないかなというようにも思われた。
いずれにしても深刻な社会・政治問題などもこんなふうに喜劇化し笑いのめす韓国映画のさすがの力だし、その底には韓国なりの立場からだと思うが、北側の人々をもリスペクトし、平和を希求する願いは感じられる作品でもある。(1月16日 新宿武蔵野館012)


⑬エターナル・ドーター
監督:ジョアンナ・ホック 出演:ティルダ・スワントン ジョセフ・マイデル カーリー=ソフィア・デイヴィス 2022英米 98分★★★

製作総指揮はマーティン・スコセッシだそう。ゴシック・ホラーという雰囲気で田舎の古い屋敷を改装したホテルが舞台。主人公ジュリーとその母がやってくるとひとけはなく、にもかかわらずフロントの女性は極めて愛想悪く予約した部屋がないと出し渋る、というところから始まり、薬を飲んだ母は早々に眠りにつくものの、ジュリーは一晩中怪しげな物音に眠れないという感じで薄気味の悪い部屋の映像、外を吹く風、建物のきしむ?音、フロント女性は夜中に誰かの車に拾われて去り、連れてきた母の愛犬は夜中に出て行ったまま行方不明にとそんな状況が続く。Wi-Fiは最上階の部屋だけ通じるので、映画監督のジュリーはそこを借りて母と娘に物語を脚本にしようとするが、筆はすすまない。このホテルは元母の叔母の屋敷だったとのことで母も少女期にここで過ごしたとか。ジュリーはその思い出を聞き出そうとするが楽しい話はなく暗い思い出が多い。
老いた母は映画の中で少しずつさらに老いていきやがて誕生日を迎えるが…。終わりは衝撃的?などんデン返しで母の、そしてこのホテルの謎が明らかになるが、その前の母の誕生日の席でプレゼントやケーキを用意して祝おうとするが、それに思うような答え方をしてくれない母にジュリーがいら立ちを募らせるシーンの老いた母娘のすれ違いのすさまじさ(演じるティルダ二役のうまさ。画面構成も二人が同一画面に映るのは遠景の1,2場面というかんじで限定されて工夫あり)、現世と異時空間としてのホテルを繋ぐ老いた従業員ビルの亡き妻との思い出を語る名言(思い出はいい思い出とはかぎらない)など、静かで舞台空間のような映画の中で印象に残るシーンであった。母をティルダが、ジュリーをディルダの娘が演じる3部作の最後の1本らしいのだが、前2作も是非見てみたい。(1月17日 ヒューマントラスト有楽町 A24の知られざる映画たち 013)
             


⑭オール・ダート・ロード・テイスト・オブ・ソルト
監督:レイヴン・ジャクソン 出演:チャーリーン・マクルーア モーゼス・イングラム クリス・チョーク 2023米 97分


こちらはバリー・ジェンキンス(『ムーンライト』)プロデュース、少女マックを中心とする一家を描くのだが、人物は顔のupのみならず腕や肩、妊娠した腹部など頭をあえて切った部分的な姿の長回しが多く、少女期の姉妹たちはまだしも、大人になってからの女性たちはなんか見分けがつかない感じで話としてはイマイチ分からないのだが、物語の筋をたどるところに主眼はなさそう。題名も祖母が孫たちに語る逸話の中のことばというのだが、ウーン。どこでどう語られたのか(全体にセリフは極めて少なく断片的)もしか寝ていたのかな…寝たつもりはないのだが、話自体は動きが少なく長回しだから少し寝ても、ついていけなくなるということはないとは思っていたんだが…。ただ最初と最後に女性たちが崖のようなところを掘って、土の中から出てきた何かを口にする場面が繰り返される。これが泥の中の塩?ともあれ人物に関しては愛の?象徴的な場面が多く、その合間に降りしきる雨景色、森や草原?の緑の景色などが美しく入り、音声も鳥の鳴き声とか雨音(すさまじい)や風?など自然な音を多く取り入れているが、最後の方妙に大きな音で「もりあがり」っぽい曲が流れるのはなんか違和感があった(アクセント?)。というわけで評価されるのは一応理解できるけれど、好き嫌いはありそう?終わってみて一枚の静止画―黒人の一家の女性たちの群像写真―を見たような感じがする映画だった。監督は写真家だそうだが、ウーン、なるほど!(1月17日 ヒューマントラスト有楽町 A24の知られざる映画たち 014)


⑮ヤジと民主主義 劇場拡大版
監督:山崎裕侍 出演:落合恵子(ナレーション)2023日本 100分 ★★

2019年7月15日、安倍元首相の遊説中に政権批判の声を上げた市民を警察官が取り囲んで移動させた「ヤジ排除問題」を4年間にわたって追及したドキュメンタリー。
すでに公開開始からだいぶたち劇場版を見ることはほぼあきらめていたが、⑯の前の朝に上映があることを知り後から追加、⑯とはうって変わり?観客は10数名というところ。内容的にもすでに知られているところとはいえ、普通の青年、普通の女性(と思ったが、安倍の演説中にヤジを飛ばせること自体がすでに普通の若者たちではないのかもしれない。二人とも人好きのする、何処にでもいそうな感じの青年なのだが)が「安倍やめろ」「減税しろ」程度の内容のヤジで警官たちに取り囲まれ、いかにも相手の安全を保とうとするかのようなおためごかしな恫喝をされ、それでも負けずに状況を自らスマホで動画撮影するなどして法廷に訴える。その力を信じ、また自分が動けなかったことを反省する高齢者の言も報告されるが、いずれにしても見ながら自分が日ごろしている発言(決して匿名ではないが、あまり影響力のあるメディアに発信することはできないし、SMSレベルでも結果としてだが自分が追い込まれるような意志の表明はできていない、これでいいのかという反省はおおいにある)を振り返り、勇気ある人々によってこそ民主主義・法治主義が守られていくのだろうと、その裁判の結果は必ずしも明るいものではない(警察側は、原告側の証拠の不都合な点は無視、自らの言い分のみの現れた原告批判の現場検証的映像を作ったり、探し出したりして対抗し、原告の一人の男性を敗訴させる)が、発言者としての自分を再度振替させるという意味で私を含め、人々に与える影響はある、と思いたい。そういう意味で意義のある映画だと思えた。
(1月19日 ポレポレ東中野 015)


⑯〇月〇日区長になる女
監督:ぺヤンヌマキ 出演:岸本聡子 2024日本 110分 

1月2日の公開以来、小劇場の1日1回(最近は2回)の上映とはいえ、前日あたりの予約ではすでに満席という状況が続いているという状況にどうなってんだ?と、内容よりもむしろそちらの方に興味深々という感じで見に行ったのだが…バチが当たった?満を持して3日前売り出し直後の一番深夜12時にいつも買うポレポレ東中野の最後席、車椅子席の隣を買ったつもりが、行って見たらなんと席がない!間違って車椅子席を取ってしまったらしい。どうしましょうか、車椅子席の場所が取れているのだけれど補助椅子でいいので見せてもらえますか?と聞くと、車いすが来るかも知れないので、来ないとわかってから指示します、だと!その時点で、普通席の空きはまだあったので、ではそちらと交換してもらえますかというと、これも始まり時間に空席があれば座っていいが、この映画は完売予定ですと。間違った(どうしても未だなんで間違えたのかわからなくもあるが、それは言ってもしかたない)車椅子席はほかにも並びで3席ほどあるし、私はその席のチケットはあってお金も普通に払い(障害者料金とかではない)椅子はないがスペースはあるわけだから、始まり直前まで待って車椅子の人が座席数以上来てもそれはこちらに権利があろうと勝手に判断、返事を待たずに補助椅子を出してみることに。結局この係、始まりまで何も言わず、別の人を一人補助椅子に案内。どうなってるんだポレポレの客対応。毎日の満員御礼状態におごっているんじゃないのとそんなことが最初のうちは特に気になり、映画に集中できず参った!

で映画そのものは内容的には住宅街を突っ切りつぶして道路建設が予定される杉並区政に驚き反対した監督が区政を学び知る中で道路計画に反対し、区政の改革を計る市民運動に参加し、そこで区長選に擁立されたオランダ在住だったNPO活動家の岸本聡子の選挙戦を記録することになるということで、ある意味スーパースターの岸本と、彼女を支えた長年この地で市民運動をしている人々の対立(ではないのだが、彼らの助言に頷きつつ「参考させていただきます」としか言わず―言えないのはわかるが「参考」って失礼だよな…―しかし悩む岸本とその周辺―ぺヤンヌも含む参謀的立場―)と選挙戦での支える人々の頑張りで彼女が180票余りの僅差で当選し、さらに半年後の区議選で女性候補がたくさん出て当選を果たす人も…というところまで。けっこう岸本がスーパースター的に描かれているが、映画そのものはむしろぺヤンヌの私的な考えや生活を中心にしているようでもありちょっとバランス的に違和感がある。
岸本はオランダでのNPO活動を基にそれを日本に生かしたいと帰国し、杉並区に移住する活動家的側面が描かれ、私などはすごい人なのだなとも思いつつ傍から言えばこういう人を擁立する民主主義って?とも思えてしまうのだが、ネットで検索したら、子どもができてパートナーの国オランダに移住、2007年には二人目の息子も生まれた(ということはこの映画の時点で下の息子は15歳?)そうで、映画の中では連れ合いも息子たちも影さえ見せない(家族は母が出てくるが)この人の状況って、どうでもいいというよりか、何故そうできるのかしたのか、という意味で違った興味がわいてくる。観客は見るからに中高年が多く今日も満席(補助席も出て)。映画慣れした人びとのようでもなく…。終わると拍手で、ウーン杉並区民?支援者?毎日劇場を満員にするほどというのは…(1月19日 ポレポレ東中野 016)


⑰ヴィクラムとヴェーダ
監督:プシュカル&ガ—ヤトリ 出演:リテイク・ローシャン サイーフ・アリー・カーン 2022インド(タミル語版) 157分

2017年の東京国際映画祭の同名作品(タミル語)をヒンディ語リメイクし、さらにそのタミル語版が今回上映されたらしいというのが、複雑なインドの言語事情を表しているよう。作品内部には英語を使っているところもある。さてこわもての警察官ヴィクラムは「偽装検挙?」と称し部下を引き連れて期待するヤクザ組織?に対してはバンバン銃をぶっ放し殺しまくり(いくらインドだとはいえこんな無法が許されるかどうかは疑問?)時に相手がやったことの正当防衛にするために部下の腕を撃ち抜いたり、丸腰の犯人方の死者には拳銃を持たせたりもする。そんな中、ヤクザ組織のリーダー、16人の殺人歴があるというヴェーダが自首してくる(ヴィクラムの妻が弁護士でヴェーダの弁護に付き保釈金を積んですぐに釈放というのもなんかなあ)実はその前の検挙でヴィクラムの撃ち殺した男が、実際には犯罪にはかかわってず、この銃撃戦に紛れ込んだヴェーダの弟、ということで復讐を計ったヴィクラムが自首によって警察内部の潜り込んだ?ということに。
そこから後はヴィクラムとヴェーダの対立の中で、ヴェーダが語るいくつかの物語~貧しさの中で犯罪にかかわらざるを得なくなった過去とか、弟の物語とか…を通じてヴィクラムが自らの善悪の在り方を考えるというような意外に哲学的(さすがインド?)な側面も持つしかしドンパチ・暴力・アクションの展開で、ウーン、大力作だがインドの常とはいえインターミッションも入った157分はさすがに長い。主役のふたりはインドの著名スターだが割と似たタイプの顔立ち(インドイケメンなんだろう)で最初見分けがつきにくくて困った。映画の展開で登場人物がタバコを吸う場面では画面左下の禁煙マークと警告(字が小さいうえにタミル語なのか英語なのかよくわからないが「会場でタバコを吸うな」というのであろう)、(酒をのむ場面では禁酒マークも)が出るのがおかしい。午後の映画館、インド映画「推し」?だろうか、女性の一団もいて案外盛況。(1月22日 新宿K’sシネマ 017)


⑱我々のものではない世界
監督:マハディ・フレフェル 2012パレスチナ・UAE(アラブ首長国連邦)・英 93分 ★★

2013年山形国際映画祭コンペの大賞受賞作品。いかにも当時の山形好み?のセルフドキュメンタリーに近い感じの作品だが、さすがに見ごたえあり。監督自身は幼時に住んだレバノンの難民キャンプ村アイン・ヘルワから幼いうちにドバイを経てデンマークに移り住み、映画がおもに撮影された2010年ごろはイギリスに住んでいたようだが、祖父や叔父が住むアイン・ヘルワを何年かごとには訪ねて滞在し、そこには友人もいるという、その祖父、叔父、また独立派の偉人の名をニックネームとして持つアブ・イハドという友人の姿やインタヴューに、監督自身のナレーションと幼いころに関しては写真なども含めて綴っている。パレスチナ人だが、パレスチナをも離れレバノンの難民として職にもつけず、安定した住まいもなく、未来への夢も持てない特に若い世代の在り方や言葉の悲痛さは、同じパレスチナ人でありながらパレスチナでもなく難民キャンプにでもない居場所を得た立場から綴るというのはなかなかに困難なものがあるだろうが、そのへんも含め、人々の思いが常に回っているカメラのもとで切実に伝わってくる。映画の終わりの方、アブ・イハドはとうとう国を出てギリシャからフランスへと脱国を計るが結局失敗してあれほどに住むのがつらかったアイン・ヘルワに送還されたという。ウルトラマン7のTシャツが一張羅で、なかなかに頼もしそうな生活力もありそうな彼の人生の痛切も身に染みる。(1月23日 下高井戸シネマ018)

⑲緑の夜
監督:ハン・シュアイ 出演:ファン・ビンビン イ・ジュヨン キム・ヨンホ 2023香港(韓国語・中国語)92分 ★

仁川空港の保安検査場で働く中国出身のジン・シャ(配偶者ビザを得るため結婚した夫の束縛と暴力から逃れたく鬱屈している)はある日緑に髪を染めた若い女性を足止めし、検査のために靴を脱がせようとするが、反発した彼女は裸足のまま出国を取りやめ逃げ出す。帰りのタクシー乗り場で彼女にあったジン・シャについて彼女はジン・シャのアパートまでついてきて…、「運び屋」である彼女に巻き込まれ、永住権のために3500万ウォンほしいジン・シャは彼女をバイクに乗せ、追ってから逃れ薬物を換金するためにソウルに向かう。というわけで二人が転げるがごとく「アブナイ」道へと駆け抜けていくのが前半。換金に失敗し自らの薬物を試してみせて気を失った彼女を助けるためにやむなく夫を呼び家に戻るが、そこで夫の「許し」とそれに伴う暴力的なセックスを強行されるジン・シャ、そして夫を殺したと思った二人はその場を逃げ出すのだが…緑の髪の彼女の「許してもらう必要はない」という言葉が象徴的で、この映画が韓国で中国人を描き香港製作であるというのが、なんか象徴的で、中国の許しを得なくても自身を生き抜いていこう―それは絶望的な道かも知れないのだがーとする香港と二人の女の男との関係を重ねることもできそう。そして本当に「絶望的な道」しかないーその中で一人になり緑の髪の女の化身であるかのような白犬を胸に抱き自らの髪も緑に染めてバイクで夜を駆け抜けていくジン・シャの行き先はと、悩ましく思えるような幕切れ…。『テルマ&ルイーズ』を思わせるような、ただ韓国=アジアのウェットさは前作の比ではないような展開で、もう一度おりしも4K版が公開される『テルマ&ルイーズ』を見直したくなった。(1月23日 新宿武蔵野館 019)


⑳蟻の王
監督:ジャンニ・アメリオ 出演:ルイジ・ロ・カーショ エリオ・ジェルマーノ レオナルド・マルテーゼ サラ・セッラヨッコ アンナ・カテリーナ・アントナッチ 2022イタリア 140分

ジャンニ・アメリオの映画作りの上手さというか、イタリア映画の成熟描き方を感じさせられる一作。実際の事件が題材となっている。哲学者・蟻の生態研究者のアルド・ブライバンティ(扮するのはルイジ・ロ・カージョだが、いつもの雰囲気と全然違う60年代のオジサンクサさで、本人とは思えなかったほど)は自らの主催する芸術サークル(塔)に参加した青年エットレと親しくなり関係を持つ。もともとはエットレの兄リカルドがこのサークルに参加していたのだが、こちらはアルドと敵対する感じでうまくは言っていなかったので、のちのこの一家とアルドの関係にはリカルドの嫉妬も関係している?というような描き方。二人のベッドルームに踏み込んだエットレの母親は息子を拉致まがいに連れ出し「同性愛矯正」のために精神病院に入院させ、相手のアルドを「教唆罪(翻訳では必ずしも「教唆罪」という意味でもないらしく、実際に何を教唆したのか最後まで分からない裁判ではある)」で訴える。
この、アルドという男が意外に不機嫌だし、敵対するような相手にも自分に逆らうような学生に対してもケチョンケチョンに攻撃するような、人好きのしない男として描かれているので、前半は、若いエットレがなぜアルドに惹かれるのかがイマイチわからないし、多分映画の登場人物たちにとってもそうなんだろうとも思われるような描き方。なので彼を理解し、援護するような人物はなかなか現れない。(実際のブライバンティ裁判ではマルコ・ベロッキオ、ピエル・パオロ・パゾリーニら映画監督、ウンベルト・エーコ、アルベルト・モラヴィアら作家がブライバンティの無罪釈放を求め活動したという)。そんな中で後半主役に立つのがエリオ・ジェルマーノ扮する共産党機関紙ウニタの記者エンニオで、彼は上司の反対を押し切りつつ(実際はそうでもなかったらしいのだが、映画の中では、共産党員。マルクス主義者のアルゴも同性愛者を性倒錯者として退けるような共産党の方針そのものからは全く理解されない。これって昔、共働きは貧しい家庭経済を支えるためにのみ認められるとしてジェンダー不理解だった日本共産党の4~50年前とも通じるな…とわかってしまう)(笑)実態をとらえる記事を書き、最後には首を切られてしまう。後半はエンニオが見守る法廷映画で、アルゴの主張もさることながら、圧巻は電気ショック療法で半ば廃人のようにやせ細りフラフラのエットレが出廷し、「自分はアルゴに支配されていない」「互いに愛し合ったのだ」と発言すると、判事が「支配によって言わされているから支配はあったのだ」とまあ、なんともとんでもない恐ろしい主張をするところか。笑ってはいられない恐ろしさだが。そしてアルゴは禁固刑に処せられてしまうのだが…。当時のイタリアの実態としてハッピーエンドなどはあり得なかったのだろうが、この映画の書き方の上手さは、エンニオの記事活動や、裁判が進むつれて権力は動かないのだが、市民(その先頭に立つのはエンニオの妹であり、アルゴの妹もエットレを見舞っていたリすることがわかる)たちがそれぞれの立場で裁判に異を唱え、彼らの立場を援護する動きを静かに静かにしていくところだろうか。エットレ自身も退院後、親兄弟を離れ画家として舞台活動に関わっていく姿が描かれる(演じたレオナルド・マルテーゼは新人だそうだが、なかなかの熱演・好演)。こういう生き方をした人々から60年あまり、世の中の変わってきている面を支えた人びとなんだろうが、それでも変わっていない面もあるよなあ、と感慨しつつ劇場を後にする。(1月24日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館 020)


㉑ぼくは君たちを憎まないことにした
監督:キリアン・リートホーフ 出演:ピエール・ドゥラドンシャン カメリア・ジョルダナ ゾーエ・イオリオ 2022ドイツ・フランス・ベルギー(フランス語)102分

2015年11月13日フランス同時多発テロで妻を失ったジャーナリスト、アントワーヌ・レリスの同名小説を映画化した作品。突然に妻を失い、まだ乳児というに近い17ヵ月の幼い息子と残されたアントワーヌは、妻の死後すぐに「自分はテロリストに憎しみを送ることはしない」という投稿をSNSにし、それが世界中で話題になった。「憎しみを送らない」のは憎しみがないわけではないが、それを表明することにはテロリストにとっては望むところであり、テロリストと同じ無知に陥り、自分が恐怖をいだき憎しみの目で他者を見るような生き方は息子にテロリストと同じような人生を歩ませることになるから」ということで、決して許すということではなく、許さないが憎しみによって生きないことを一つの自身への枷とした言葉なのだと映画を見てわかった(小説は未読)。映画そのものはほぼ、悲しみに耐え、憎しみを表明しないようにしながらも揺れ、悩み、子どもとともに生きようとする人間の姿で、それはやはり見ていて苦しくなるような迫真力がある。一方幼い息子を演じた、当時3歳だという少女ゾーエ・イオリオの演技には驚くばかり。もともと幼いながらセンスのいい子をオーディションで選び、何ヵ月もの演技訓練をしたのだそうだが、なんとまあ自然なタイミングで泣き、笑い、単語ながらセリフもあり、母を追ったり、父に反抗したり甘えたり、どうしてそんなふうにできるのかわからないほど。この演技訓練の経験が彼女の中で、将来すばらしい女優への道を開くのか、あるいはトラウマになって人生を誤りはしないかと心配するほどリアルな演技なのだ。
(1月24日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館021) 

㉒レオノールの脳内ヒプナゴジア
監督:マティカ・ラミレス・エスコバル 出演:シェイラ・フランシスコ ボン・カブレラ ロッキー・サルンビデス アンソニー・ファルコン 2022フィリピン 99分

映画を愛する人の映画作りの映画という感じだろうか。チラシによれば大阪アジアン映画祭の上映作品でもあるみたいなのだが、一昨年大阪の『野蛮人入侵』(陳翠梅2021香港・マレーシア)、さらにその前の年の『ギャングとオスカー、そして生ける屍(江湖無難事)』(高炳櫂2019台湾)を彷彿させ、また幽霊まで登場するということでは台湾コメディ・ホラーをも思わせるような映画。ここで映画作り(というか昔の脚本を脳内で作品化する)のは72歳の元映画監督だが今は引退して電気代も払えない?ような貧しい暮らしと息子との関係に悩む女性というのが、まあ、ミソと言えばミソ。監督も女性でこの映画が1本目の作品だそうだが、ウーン、将来を見たかな?この元監督、階上の夫婦のケンカの果てに落ちてきたテレビが頭を直撃、人事不省に陥る中で、頭の中で映画作りをするというわけだが、その映画がまたすごくて登場人物たちは出会いがしらにバンバンと銃を撃ち放ち、悪役は市長で、血は流れるは拷問(男女ともに)するはとまあ、これがかつてのフィリピン映画の実態でもあったらしいーその中を小太りというよりは大太りの「おばあちゃん(さすがに顔立ちはなかなか美しい)」がうろうろし、登場人物と掛け合いをしたり、実在の息子の幽霊と話したり、なんか真面目に筋に付き合うことはできないのだが,映画内、映画外にかかわらず、登場人物総出でおばあちゃんを中心に歌い踊るという楽しいシーンまで、楽しめる?のは確か。でも本当のところ何を言いたいのだか、よくわからない気もする。それが魅力でもあるのだろう。((1月25日 渋谷イメージフォーラム 022) 
 

㉓リトル・パレスティナ
監督:アブダッラー・アル=ハティーブ 2021レバノン・フランス・カタール 89分


18日に引き続き、下高井戸シネマの「ドキュメンタリー3作品緊急上映」の最後の1本。2022年山形の大賞?をとったこれも2013年から15年アサド政権によって封鎖されたシリアのヤルムーク・パレスティナ難民キャンプの日常をそこに住んでいた監督が自ら撮影した作品。監督の母が医療従事者として、キャンプ内の人々を訪ね助け、また死の世話などをする様子が一つの中心となっているが、とにかく食べるものもなく、医療もできず、爆撃を日常的に受けてけがをしても治療もできないというような中でなすすべもなく暮らし、しかし誇りは失わないとして叫ぶ人々の姿はこたえる。読み上げられる若い監督自身の詩?また、歌う人々(合唱も、最後には「クレメンタイン:のかわりに「パレスティナ」と入れて歌う男も)また、食料の足しに野草を積みながらポツリポツリと語る少女とか、この人々の負けないそして気高い姿、監督の母も…。やがてこのキャンプはつぶされて人々は四散、今はドイツに住む監督と母だそうだが、そこでようやく多分この映画は完成したということになるのだろう。私たちは自分をこの世界のどこにおいたらいいのか、考えさせられる。(1月26日 下高井戸シネマ 023)

㉔ニューヨーク・オールド・アパートメント 
監督:マーク・ウィルキンス 出演:マルチェロ&アドリアーノ・デュラン マガリ・ソリエル タラ・サラー サイモン・ケラー2020 スイス(英語・スペイン語)97分 ★

ニューヨークを舞台にペルーからの不法移民の親子を描くこの映画の原作はオランダの作家アーノン・グランバーグの小説「De heilige Antonio」、映画の製作国はスイス(監督の出身国とか)というまさにこの映画を象徴する、あるいは現代社会を象徴するような多民族乗り入れ製作映画である。ちなみに主人公の双子の兄弟の英語学校の同級生、憧れの美女(ほんとに超美女!)クリスティンはクロアチア人(実際に演じるタラ・サラーもクロアチア・ザグレブ出身とか)。不法移民ゆえ捕まることを恐れ何者でもない「透明人間」のように生きるポールとティとは宅配デリバリーのアルバイトをしながら英語学校に通い(しかしそこでも教師に「無視」される描写あり)、同級生の美女クリスティンと親しくなる。母のラファエラもウェイトレスをしながら頑張っているが、アメリカ人の作家と称するエドワルドと親しくなり、彼の勧めで「ママ・ブリトー」(メキシコ料理?)のデリバリー事業を始めるが、お定まりの通り、男に搾取され苦しむことになる。そしてある日息子たちが突然に姿を消し、母は必死で彼らの足跡をたどるのだが???時間的には息子たちがいなくなった後、3人が住んでいたアパートに母親が戻り散らかっている品や、壊れた女神像、そしてクリスティンの写真を見つけるところから話がさかのぼり行ったり来たりしてまたその時点にも踊っていくという仕組みになっている。美しいクリスティンは食べるための体を売り、その結果大きな事件を引き起こし、それが兄弟の行方不明のきっかけにもなり…。と結構流れとしては救いがないのだが、最後にペルーに送還された二人が、一人ウエイトレスに戻ってニューヨークで働く母に連絡をとり、ふたたびアメリカに向かって歩き出すというのが、二人のキャラクターとも相まって救いというか明るさを感じさせる終わり方のなっている。(1月26日 新宿シネマカリテ 024)


㉕コット、はじまりの夏
監督:コルム・バレード 出演:キャサリン・クリンチ キャリー・クローリー アンドリュー・ベネット 2022アイルランド95分

何とも品のいい映画。35ミリサイズでこじんまりした中で、閉塞した少女や家族のゴチャゴチャした心情を反映し、しかしアイルランドの田舎の緑豊かな景色は小窓からあふれる自然という感じでみずみずしく、そこで少女を支えるキンセラ夫妻のこれも決して雄弁ではなく寡黙ながらさりげなく示す思いやりがちょうどいいサイズの中で展開する。女の子ばかり5人?の姉妹の真ん中あたりのコットは他となじめず孤独だし、学校でもちょっとはずれ者という感じ、まだ乳児の末っ子をかかえる母は妊娠中で、一家の持て余しもの的な位置づけのコットは夏休み母の従妹のキンセラ家に預けられる。そこで大きな事件が起きるわけでなく、寡黙なコットもおしゃべりになるわけではないが、寡黙なままで心が少しずつ開いていく様子をキャサリン・クリンチという少女、見事に演じ物語の世界を作り出しているという感じ。それにしてもこの品のいい少女の父にしてはあまりにがさつな男(何しろ娘を預けに行ってごちそうになった食卓でタバコの吸い殻を食事の皿にねじ込むというようなシーンがある。この男は多分女ばかりの子供たちにも、娘しか生まない妻にも辟易としているのでもある。最後に弟が生まれたというわけでまあ、報われるのではあるが)、悪気もないのではあろうが繊細な感じはまったくない姉たち、そして娘を気にしながらも生活に疲れた母というのが、コットを虐待するわけではないがやはり疎外してしまうというのが丁寧に描かれているし、それを救うキンセラ夫婦の方も決してべたべたするのではないが本当にさりげなく少女を支えるのがリアリティを感じさせる(周辺の隣人の心ない言葉も含め)。(1月26日 新宿シネマカリテ 025)

㉖ユダヤ人の私
監督:クリスティアン・クレーネス フロリアン・ヴァイゲンザマー クリスティアン・ケルマー ローランド・シュロットホーファー2021オーストリア(ドイツ語) 114分

㉖㉗に先立つ1本目『ゲッペルスと私』は2018年7月日本公開だったが、私は10月に同じ下高井戸シネマで見ている。これはゲッペルスの秘書として当時ナチスの犯した行いなどはほとんど知らずに過ごした女性の語りだったが、今回の2本はそれと反対の立場で迫害を受け生き延びた人の語りである。この映画の語り手マルコ・ファインゴルトは1913年オーストリア生まれ。ウィーンで育ち反ユダヤ主義が広がっていき、ホロコーストへとつながっていく様子を成人した目で見つめ、それを補完するようなアーカイブ映像が加わる構成は前作と同じ。戦後生き延びた彼はユダヤ難民を人道支援しパレスチナへ逃しつつ、オーストリアのナチスへの加担の責任を問い続けるなどの活動を続けた、撮影当時すでに100歳を超えた強靭な生命力というか意志力に打たれる。(1月27日 下高井戸シネマ 026)

㉗メンゲレと私
監督:クリスティアン・クレーネス フロリアン・ヴァイゲンザマー 2023オーストリア(英語)96分 ★★

9歳でナチスにとらえられ、家族とははなればなれに収容所に入れられたダニエル・ハノッホ(1932年生まれ、映画出演は80代後半だそう)の一人語り(一部かつて録られた兄ウリの談話もある)と当時の社会や戦争を描くアーカイブ映像を組み合わせた構成は全2作と同じだが、思いもかけず家族を奪われ、生き延びるために健康な少年であり続けようとしメンゲレのお気に入りの一人として赤十字の視察にはケアされている子どもを演じというような潜り抜けをしながら、、多くの人がガス室に送られる中その死体を運ぶ手押し車押しの仕事をしながら生き延び、死の行進にも耐えた4年間の語りは、子どもとしての個人的体験に基づくものであり、それなりの思い込みなどもあるのだろうが、強さを持って迫ってくる。彼を支えたのは夢の世界であるパレスチナに行くことであり、実際に彼は命永らえ12歳で家族でやはり唯一残った兄と再会し、パレスチナに旅立つのだが…。それが現在のパレスチナ情勢につながり、あらたな戦争を引き起こしたものである、というところから、今一度被害者としてのイスラエルの少年の人生を見直すというのは非常に時宜を得た意味あることに思われる。少年期を奪われたパレスチナの地に逃げ延びた少年はしかし、今イスラエルのガザ攻撃には反対しているとのことだ。なお、彼はリトアニア出身で母語は当然リトアニア語だろうと思われるが、映画そのものは英語(さすがわかりやすい)ときに幼い時に乳母に習ったというドイツ語や、場面によってロシア語やイタリア語も駆使している。彼が語学の天才であるのも確かで、それゆえに幼い他国の収容所でも生き残れたのだろうとも思われるが、英語で語るというところに自分の体験を世界に伝えたいという意志も感じられる。(1月27日 下高井戸シネマ 027)


㉘サン・セバスチャンへ、ようこそ
監督・脚本:ウディ・アレン 出演:ウォーレス・ショーン ジーナ・ガ―ション ルイ・ガレル エレナ・アナヤ クリストフ・ヴァルツ 2020スペイン・アメリカ・イタリア(英語・スペイン語・スェーデン語)92分

ウディ・アレン自身を思わせるモートは元映画を講じる大学教師、今は小説を書こうとしている。その彼が映画広報の仕事をする妻についてサン・セバスチャン映画祭に参加することになるが、妻は広報を担当しているイケメンの若い映画監督に付ききり。一人取り残され仕事でやむを得ないとはいえ不安とストレスで体調を崩したモートはセラピーを受けに地元の診療所に。そこで美人医師(しかも夫との中に悩む?)ジョーと知り合う。あとはひたすらモートの妄想というか心内モノローグで、これを繋ぐのにモノクロで本人もその中に組み込まれたような形の数々の映画『81/2』『男と女』『勝手にしやがれ』というような作品の一場面がモートの脳内連想(というか夢?)として編み込まれるという構成。最後は『第七の封印』の死神とのチェスシーンで、ここで死神を演じているのがクリストファー・ヴァルツ。そういう意味で話題というかアソビ心というかは満載だが、話の展開(美女に心奪われるも結局は日常にもどるしかない)や、登場人物の「哲学的」多弁は例によってウディ・アレン映画のお約束通りで、ウーン、その理屈っぽさは楽しめるという感じでもなく…。それに「映画祭に行く」ということからはじまった映画なのに映画祭のことが全然出てこないのもものたりない…(1月27日 新宿ピカデリー 028)

㉙ただ空高く舞え
監督:スダ―・コーングラー 出演:スーリヤ アパルナー・バーラムラリ パレ―シュ・ラーワル 2020インド(タミル語)150分

インド初の格安航空会社を作ったネドゥマーランの「苦闘」を描く実話ベースの話ということで、1990年代?から2020年、途中初めて会社が立ち上がった2003年?を挟んで時間があっちへ行ったりこっちへ行ったりで少々翻弄されたーこうしないとインターミッションを挟んだ150分の映画は成立しないのかなとも思ったーすっきり作れば多分2時間におさまりそうに思う繰り返しもある内容だーが話は一直線に元空軍士官が、エコノミークラス売り切れ、ビジネスには資金が足りずで父の臨終の立ち会えなかった(これもけっこう中盤近くなってから出てくるエピソード)ことから、貧者にも乗れる格安航空の実現を目指し、パン屋の事業を営む妻のバックアップー歌も踊りも入ったインド娯楽映画には珍しく、この女性、夫に対等な結婚条件を突きつけ、自身の事業も展開していざというとき困窮の夫を助けるというなかなかの格好良さ。展開としては資金繰りとか許可申請とかの苦労 もだが、その各々のシーンで絡んできて財力にものを言わせて主人公を妨害・迫害する大航空会社の社主というのがいかにも憎々しげに造型され、貧しいものは飛行機になど乗る必要はないということで、事故まがいの妨害まで起こすというそのしつこさが、いかにものインド娯楽映画的造型で、ありうることなのかどうかはわからないが、見終わってそこが主人公と同じように疲れさせられたところ。なにしろ航空事故(まがいも含め)150分に3回ぐらい出てきてハラハラどっきり(これって敵役の陰謀も絡む)させられるのである。K’sシネマの「大インド映画祭」と銘打った1本として。ちょうど時間が合ったので見ることができた。(1月29日 新宿K’sシネマ 029) 

㉚哀れなるものたち
監督:ヨルゴス・ランティモス 出演:エマ・ストーン(製作) ウィレム・デフォー マーク・ラフェロ ラミ―・ユセフ ジェロッド・カーマイケル クリストファー・アボット ハンナ・シグラ 2023イギリス 142分 ★★★

すでに秋、山形の映画館あたりから、印象的に力強いエマ・ストーンのポスターに公開を楽しみにしていたところ。フランケンシュタインを思わせる縫い目だらけの顔のドクター・ゴドウィン(ウィレム・デフォー)によって自殺した身を甦らされ、身ごもっていた乳児の脳と脳だけ入れ替えられたベラ。その乳幼児的?(体は成熟した大人なので性的行動などは乳児のものではない)行動の演技は、これ、まあ図式的・類型的かもしれないが、なかなかのもの。彼女を父的、科学者的に偏愛するゴドゥインは自らも父によって体に施されたさまざまな実験的痕跡を残す男だが、ベラを、弟子の医学者マックスと結婚させようとするのだが、そのための証書づくりに呼ばれた弁護士ダンカンの誘いによって、外の世界を見たいベラはゴドウィンの家を出奔する。船旅でリスボンに、ギリシャ、パリにと遍歴していく中で幼児的な無垢と成人的性能力との間でベラは性に目覚め、溺れるが、これはあくまでも彼女自身の希望で所有欲の中で性によって女を支配しようとする男とはあずかり知らぬところにある。アテネ?で貧者の群れの死のようすに驚いた彼女は船中の賭けに価値大金を得たダンカンが寝ている間に、紙幣を集めて貧しい人々に分け与えるが、一文無しになったダンカンともども船を追い出され、パリでは落ち込みブチブチ文句を言うダンカンに別れを告げ、ベラは娼館で働きながら社会主義にも目を開いていく。最初のぎこちない動き、幼児っぽい単語をつなげた口調から、大人の話し方になっていく彼女がすごく自然でこれも脚本演技ともになかなかのものであった。そして彼女が成長し、解放されていくに従い、死ぬ前の生で彼女を抑圧していたものの正体が明らかになっていくところも、まあ予想外ではないが、なかなか生々しい描き方で、ベラ(ビクトリア)の自殺が納得できるような描き方。ゴドウィンの危篤で、探し出されロンドンに戻りマックスと結婚式をあげようとするベラの前に現れたのは前夫で、ここからの展開がジェンダー的にもオソロシイ男の思惑と断固自分を貫きハッピーエンドにこぎつけるベラのシアワセというのが納得できて楽しい2時間半近く。なるほどね!ベッドシーンにかぶさっていく妙に音がはずれたような不思議な不穏な雰囲気のバックミュージックといい、この映画ヨルゴスの『聖なる鹿殺し』とか『ロブスター』の不気味さとともに『フリーク・オーランド』みたいな異形の青春遍歴の気もあって、なかなかに興味深い。ビクトリア朝+現代の雰囲気の衣装とか、博士の屋敷や娼館の光と影もヨルゴス・ランティモス映画だし、船中シーンではベラに影響を与える男の連れとしてハンナ・シグラが老婦人を演じているのも、なんかこの映画の雰囲気にあっているなあ。ベネチア金獅子賞作品賞主演女優賞受賞。アカデミー賞は11部門とかにノミネートされたが結局受賞はせず?(1月30日 府中TOHOシネマズ)

㉛海街奇譚(海洋動物)
出演:張施 出演:朱ホンギャン シューアン・リン 孫ウェンリン 朱チーハオ 2019中国 115分

写真家にして役者という主人公が家を出て行った妻を探して海べの街へ。そこには不審死や不審な出来事があって迫害されつつ海の底になにかを探そうとする親子とか、その子どもの通う学校の女性教師とか、また主人公が止まる旅館の巨大に太った女主人ーこの人も妹の行方不明を訴えるーとかがあり、海辺の街ではあまり台詞もない主人公はその状況に巻き込まれつつ傍観者のようにも見える立ち位置。妻と別れる前の夫婦のやり取りでは、ウーン、なんか甘ったれ理解を求めるワガママ男と、ワガママ女の応酬という感じで妻は夫に役者として「変態殺人犯」の役を(ピッタリだから)演じるように言うのだが…ちょっと観念的な世界すぎて何を言いたいのかわからない。それに絡んでいろいろな海洋生物が映し出されるが、そのあたり、また景色や場面の切り取り方、色彩(あくまで暗い青系で、若向きかしらん)はなかなかに面白く美しく、まあそれに飽きなければ見られるというところか。観客を監督が選んでいるという感じが強く、私は残念ながら選ばれなかったみたいなのは年のせいか。(1月31日 渋谷イメージフォーラム 031)

㉜Winter boy
監督:クリストフ・オノレ 出演:ポール・キルシェ ジュリエット・ビノシュ バンサン・ラコスト エルバン・ケポア・ファレ クリストファ・オノレ 2022フランス 122分

監督のクリストファ・オノレの半自伝的な映画で、「父に」という献辞つき。オノレ自身が父親の役―交通事故で映画のはじめの方で死んでしまうのだがーを演じている。リュカは高校生だが家族公認?のゲイである(さすがフランス映画!)父の死にショックを受け悲しむリュカ(父が大好きというよりはむしろ父の生き方に対する批判的感情や確執=ただし少年期のものに思える、があったらしい)は兄ダンカンに伴われ兄の住むパリに行くことに。そこには兄の同居人のリリオがいる。リュカのパリでの1週間、兄の暮らしぶりや、リリオとその母との付き合い、そしてリリオへの恋心と、思いがけないリリオの秘密を知り、大人ぶるというかワルぶるのだが、兄に知られて、家に送り返され、寄宿学校に送り返された車中で両手首を切って病院搬送される。命には別条なかったものの緘黙症になってしまう中で、母や兄、そして訪ねてきたリリオに見守られ、彼が再生を果たしていくまでで、自伝ということもあってか劇的な大きな再生の転機などはないのだが、登場人物皆の非常に繊細な演技で、見守る悪人は一人もいない周囲やそれでいて少年に対する理解という意味では必ずしも皆一様ではないのがそれぞれの人物の性格とか立場を微妙によく表していているし、それを受けての少年の変化もなるほどで、表されて説得力がある。(1月31日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館 032)



書きました! よかったら読んでください。

よりぬき【中国語圏】映画日記
 香港を「終の棲家」として生きていく
 ー『香港の流れ者たち』『星くずの片隅で』『七月に帰る』『香港怪奇物語』『白日青春』『離れていても』
 
        TH叢書NO.97  アトリエ・サード/書苑新社




































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