【勝手気ままに映画日記+山ある記+気になることば】2024年6月

高尾山6号路に咲くセッコクーアップするとこんな感じで繊細かれん20240604

【6月のメインイベント】トルコに遊びに行った!

詳しくは間もなく「スマホ写真で綴るトルコ逍遥日記」としてアップする予定です。
お楽しみに…(笑)
山こそなかったけれど、気球に遺跡にクルーズ、モスクや宮殿とアクティブに動き回った旅でした。大量の写真の整理に四苦八苦中です。


【6月の山歩き】
トルコにも行ったりしたので2回だけでしたが、7月シーズンの開幕前の足慣らしトレーニングはしておかなくてはというわけで、比較的気楽に歩ける近場のソロ山歩き。ただ6月も後半になると低山歩きはなんとも暑くて暑くてそれだけでバテてしまいました⤵

6月4日 セッコクを見に高尾山へ
高尾山口駅~清滝駅(セッコクを見る)~6号路(ここもセッコク)~5号研究路~もみじ台~高尾山(599m)~4号路・2号路・琵琶滝上~高尾病院口 
4時間40分 7.9㎞ ↗636m↘641m 150-170%(ヤマップ)

今回は登山というより、先年は見損なったセッコクのシーズン終わり、駆け込みで見に行こうといういわばオサンポ。行って見るとちょうどケーブルカーがメンテナンス?で終日運休で、清滝駅の構内にある2本?のセッコクのついた杉の木(かな?)も自由に見せていただくことができ楽しみました。そのあと6号路のセッコクも…。前回見たのは白内障の手術前であまりよく見えなかった。今回はじっくりと時間をかけて写真もとり…、平日でもあり6号路を歩く人は数名。あとから来た二人連れの女性にセッコクを教えてあげたらびっくりして見ていました。ご存じなかったようです。この季節に咲くセッコクを知らずに6号路を歩く人もいるのか…。もっとも花はもう終わり際でちょっとサビシイ。来年はせめて5月中に見にこよう。
そのあと、この季節に咲くというイナモリソウが4号路にありそうと、ビジターセンターの方に教えてもらい、下りはそっちに行き普段滅多に歩かない2号路も経て帰りましたが、残念ながらイナモリソウには出会えませんでした。

↓木に咲いたセッコクの花(寄生ではないらしいです)


↓この日に高尾山で見た花々です
上(左)からシロダモ ウチダシミヤマシキミ サラサウツギ
 
↓ヤマアジサイ  フタリシズカ
↓これもウツギ そしてクサイチゴ



6月26日 久しぶりに陣馬山へ
陣馬高原下バス停~陣馬山登山口〜陣馬山(855m)~奈良子峠~明王峠~与瀬~相模湖駅
5時間35分 9.5㎞ ↗656m↘783m 110%~130%(ヤマップ)

前日まで奥多摩の本仁田山高水三山あたりを歩こうか(駅から直歩けるので)と思っていたのだが、天気予報がどうしても「曇り一時雨」から変わらず、では雨に降られないのはどこかと探して、結局しばらく(1年以上)行ってない陣馬山に行くことに。前回は和田峠から上がって藤野に下りたので、今回は普通に登山口から相模湖方面に下りることにする。
平日だが、8時35分発ゆっくりめの高尾駅のバス乗り場には30人くらいは並んでいただろうか。もっとも山としてはもちろんスキスキだけれど。
↓ちょっと曇り気味。おなじみの頂上馬の像、 景信山・明王峠方面に下りる

今回はストイックに清水茶屋にもよらず持参のシリアルとスイカ(凍らせてパックし保冷剤がわりに持っていく、美味しい!)で山上昼食にしたのは、すこし胃の具合が重かったから…。登り道でもシャリバテっぽくちょっとだけバテてカロリー補給をしたのだった。
で、帰り道快調に歩いていたのだが、途中のどうということもない坂に大きめな石があって「気をつけて、転ばないように」と思っているうちに左足を引っかけて前のめりに転ぶ!左膝と、唇の上をちょっとぶつけてイテテテ…。その後小1時間は曲げると痛い膝と格闘?しつつようやくの思いで下山(もっともコースタイムはほぼ予定通りで3時前には相模湖駅に到着したのだが)駅前でビールを買って、ようやく一息、だった。


【6月の映画日記】

①郷愁鉄路~台湾、こころの旅②関心領域③ありふれた教室④ライド・オン龍馬精神⑤ドライブアウェイ・ドールズ➅トノバン 音楽家加藤和彦とその時代⑦マッドマックス:フリュオサ➇東京カウボーイTOKYO COWBOY⑨夜明けのすべて⑩ブルックリンでオペラを⑪ナチ刑法175条(デジタル・リマスター版)⑫九十歳。何がめでたい⑬フィリップ⑭ONE LIFE 奇跡がつないだ6000の命⑮ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ⑯アンゼルム"傷ついた世界"の芸術家⑰蛇の道

中国語圏映画①④ 日本(が製作に含まれている)映画➅➇⑨⑫⑰ ドキュメンタリー①⑪⑯ なぜか多かったナチスがらみ(話題に取り入れられている)の映画②⑪⑬⑭⑯
トルコに8日間行ったせいもあり、いつもより少なめの17本。

★は なるほど! ★★は いいね! ★★★は ぜひおススメ! のあくまでも個人的感想です。各映画最後の数字は今年になって劇場で見た映画の通し番号、文中映画などの赤字は『電影★逍遥』中に関連記述があるもので、クリックしていただければそこに飛べます。
なお、①②はすでに【5月の映画日記】に載せたものと同文です。


トルコに向かう飛行機の中でも、中国映画『人生路不熟』(2023小星)テュルク語映画『プリンセス・ナジク』(2012エルキン・サリブ)トルコ映画『Son Aksam Yemegi(2023「最後の晩餐?」という感じ?料理人の祖父と孫娘の映画。レベント・オナン)などを見て(何しろ13時間)けっこうおもしろかったが、紹介はゴメンナサイ、省略! 字幕は中国語・英語でした。


①郷愁鉄路~台湾、こころの旅(南方、寂寞鐵道/ On The Train)
監督:簫菊貞 2023台湾 106分 

台湾南部の枋寮駅から台東駅を結ぶ「南廻線」には2016年11月に高雄から東海岸に出て花蓮に向かって北上(花蓮で蜂に刺されて現地の病院に行った!)したときに乗っている。
映画はこの路線が台湾最後に電化され、変貌していったようすを4年(5年とも6年とも?どこを起点にするかによって変わってくる?)にわたって撮影している。7月の日本劇場公開に先立ち、新宿東口映画祭の新作として特別上映(2000円)監督・プロデューサーも来日したトークショー付きを見る。売れ行きはわりとゆっくり目で、私も発売1日後に定席(何しろ武蔵野館はどこに座るかによって前の頭で全然画面が見えないので)がとれたので行くことにしたのだが、行って見るとほぼ満席、しかも男性がいつになく多くて、鉄道ファンによって占められている感じ。トーク司会者が南廻線に乗ったことがある人というと目に入った範囲でも半分くらいの人が手をあげる、というような上映である。女性監督が取材するうちにエピソードがどんどん増えて2年くらいで撮影が終わるつもりが4年かかったというこの映画、風景的には蒸気機関車も含め様々なアングルで撮られたディーゼル車は山(台湾って本当に山国?だとわかる)や海の緑や青に映えて鉄道ファンにとっては垂涎?かもしれないが、たっぷり盛り込まれた沿線の人々の、鉄道好き、電化を変化として受け入れつつ惜しむというようなスタンス一色?のインタヴューはちょっと散漫・冗漫な感じもして映画の視点があまりくっきりしていない感じで少々疲れ、眠気も…。釜山国際映画祭などにも出品されたらしいが、原題からも、あまり国外を意識はしていず、台湾ローカルな映画として作られたのだろうなという感じもした。(6月1日 新宿武蔵野館新宿東口映画祭 144)
↓監督・通訳(樋口裕子さん)・監督とプロデューサー       


②関心領域
監督:ジョナサン・グレーガー 出演:クリスティアン・フリーディル サンドラ・ヒューラー 2023アメリカ・イギリス・ポーランド 105分 一部モノクロ ★★★

暗い画面に不穏な物音がしばらく鳴り響いた後ようやく画面が明るくなると川辺での一家のピクニックシーン。白いシュミーズドレスの少女とともに木の実?を摘む赤いショートパンツ、乳児の末っ子を抱いた母親、川で水遊びをする海水パンツ(昔風)の父親と息子たち。一家は家への道を一列に帰る。
翌朝は父の誕生日。目隠しをさせられてサプライズの贈り物を受け取る父に送られるのはピカピカの木製?のボート。にこやかな一家の傍らにはむっつりと黙してただ働く使用人たち。家族の人数にしてはあまりに多い使用人たちは、妻に邪険に扱われても謝ることもしないし一切口をきかない。家の向こうには高い塀ががあり、いつもいつもなのか不穏な物音や、人声(イデッシュ語だが訳されず字幕も一部を除いてつかないことにより、塀の向こうがこちら側にいる家族や又観客にとっても他者性を高めているようだ)、時に銃声?また、二本の高い煙突から常に黒い煙が上がっている。一家の主ルドルフ・ヘスは迎えの馬で出勤し、妻ヘ―トヴィッヒは庭を丹精し、子どもたちを叱る(ナイン!ということばがとても多い)。カメラは登場人物から距離をおいた自然光でいかにも日常的平穏な家族生活を淡々と映しながらときにドキリとするような映像を挟み込む。たとえば二段ベッドの上で兄息子がもてあそぶのは金歯??、赤ん坊は塀の向こうの物音に呼応するようにか泣き止まず、幼い娘は夢遊病?にかかっている感じで暗闇の中で目をあけて潜み、一家で最後に休む父は娘に「ヘンゼルとグレーテル」の本を読んでやる。妻は女中が持ち込んだ衣類(毛皮)を試して「クリーニングが必要」と言い放つ。妻の母親が泊りにくるが、美しく丹精された庭を娘と歩きながら噂するのは、自身が勤めていた(掃除婦をしてたらしい)ユダヤ人一家の競売に出されたカーテンを手に入れそこなった悔しさとか…。その母親は塀の向こうの空気に耐えきれず、ある日姿を消してしまう。
そんな日、ヘスは昇進して異動することになるが、この地に住んで3年住みやすい環境を作ってきたのだと主張するヘートヴィッヒは怒り、自分と子供はここを動かないとし夫の単身赴任を求める。夫の方は結局上司に頼み(さすがにヒットラーには頼めない、というのがなんか哀れな気も)結局単身赴任するが、移動前から後も含め何となく体調不良というか、ウーン。最後に移動先でも「実績」をあげ戻る直前、パーティを抜け出し階段室を歩きながら吐き気を催すヘス、そこにかぶさるのは同じ色調に表は近代化された現代のアウシュビッツの展示室(ガス室も含み)を清掃する現代の職員で、これはヘスの中には自身の行為の未来に残すものが見えていたということか??
特に家族の知っていて無関心、というか自身には関係ないという姿勢は、まさにこの映画を見、アウシュビッツの展示も知りながら、目を背けてきた、背け続けているのではないかという自省を観客にも促すのである。一部モノクロ画面は地面に何かを置く少女のサーモングラフ映像で、これはリンゴを地面においてユダヤ人を助けたというポーランドのレジスタンスの実話からの映像だということで、この映画の流れとしてはちょっと唐突で私にはわかりにくかったのだけれど、映画としては「希望」を表しているらしい。
ヘスを演じたクリスティアン・フリーデル(『白いリボン』(2012ミヒャエル・ハネケ)『ヒトラー暗殺、13分の誤算』(2015オリバー・ヒルシュビーゲル))はヘンなモヒカンっぽい刈り上げ頭でルドルフ・ヘスをまねたのかと思ったが、確かにヘス若い時にはやや刈り上げっぽい短髪ではあるようだが、ウーン。異様感を醸し出した?妻役のサンドラ・ヒューラーは『落下の解剖学』㉗(2023)で見たばかり。いかにもドイツ人っぽい二人でリアリティはあるが、ドイツ映画ではない。(6月2日 シアタス調布 145)

③ありふれた教室
監督:イルケル・チャタク 出演:レオニー・ベネシュ レオナルト・シュテトニッシュ エーファ・レーバウ ミヒャエル・クラマー 2022ドイツ 99分

中学1年生のクラス。校内で盗難が多発しているとして授業中の教室に生活指導主任?ほかの教師がやってきて、生徒たちに机に上に財布を出せと(それもなぜか男の子だけ?)迫る。担任で授業中の新任教師カーラは反発の意は示すが抵抗できない。そして多額の現金(友達?への誕生プレゼントを買うとか)を持っていたアリ(イスラム系)の生徒が疑われ、両親が呼び出される。もちろん怒り抵抗する両親。アリの潔白を証明したいと思うカーラは職員室内自分の財布を入れた上着が映るようにPCのカメラを仕掛ける。そして…。星の模様のブラウスの袖が映り案の定現金が抜かれ…。このブラウスを着ていた校内事務担当のクーンの元にカーラはPCの映像を持ち込む。
クーンの息子オットーは実はカーラのクラスの生徒で、なんとまあ閉鎖的な社会。盗んでいないと言い張るクーンは怒って息子を連れ帰り、校内は紛糾。クーンは休暇を命じられ、息子は学校には来るものの、親の怒りと教師への不審との板挟みになって苦しみ問題行動を起こし、そのことが問題になって停学・退学(というか転校)までが論じられる。
授業でも保護者会でもある意味当然ながらカーラへの風当たりというか学校への不信の声は高く、職員会議(生徒代表も参加している)でカーラはやめるべきは自分だと、オットーの停学に反対を表明するが、教師不足の状況でカーラに仕事をやめられては困るというのが職員会議の意向ーここは少なくとも私の知っている日本の学校とは大きな違いー私の経験だったらカーラのような教師は指導力不足として教員間でも突き上げられて居場所を失いそうに思うが、職を賭してというようなことがないせいか、カーラはかなりの窮地に立たされても堂々と授業をし、生徒たちに強い口調で指導もし、なんとも強い先生だと思える。とはいえカーラをやめさせず、「問題」生徒を追い出すというような方向性は、カーラの問題でなく学校自体の問題だと映画としては主張しているのであろう。
数学が得意なオットーにカーラはルービック・キューブを教えて与え、彼はそれを解いたうえであたかも王のような面持ちで学校から排除されていく。ウーン、これって解決にはなにもなっていないよね。カーラの教室指導はなかなかリアルに彼女の教師力を描き出しているようでもあるが、生徒の追及や反抗によって紛糾しそうになると場面が切り替わってしまうのがけっこう気にもなり、映画の狡さも感じる。ってこれは極めて(元)教師的感想かも…(6月5日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館146)

④ライド・オン 龍馬精神
監督:ラリー・ヤン 出演:ジャッキー・チェン(成龍) 劉浩存 呉京 郭麒麟 レイ・ロイ アンディ・オン(安志傑)2023中国 ★★ 

ジャッキー・チェン、デビュー50年、70歳を記念した「集大成」映画ということなのだが、地元府中TOHOシネマズでは、5月31日公開後1週間ですでに字幕版は最終日、ということで慌てて見に行く。もっともこの映画日本ではジャッキーの声を担当していて引退した石丸博也氏の限定復帰ということで、むしろそちらが話題になっているらしく、地元でも吹き替え版はまだまだ上映が続くみたい。6月13日からはジャッキーの来日トークショー付き上映が都心では予定されてもいるらしい。
で、この映画では成龍は初めてというスタントマン役で、相棒は馬(赤兎チートゥ)。物語はかつて香港でレジェンドとして名を売ったスタントマン・ルォが、老い、スタント中の事故・負傷(8年前と字幕が出た)から借金も抱え、3年前に友人が安楽死させようとした障害を負った仔馬をもらい受け、育て調教してともにスタントをしたり、また撮影所(上海影視園みたいな?)で、観光客に馬とともに写真を撮ったり馬に乗せたりというような仕事で細々と暮らしをたてている。
ところが馬をくれた友人が倒産、債務訴訟でこの馬がその社長の持ち物であるということから差し押さえが来る。困ったルォは離婚によって1歳で別れ、今は法学部の学生になっている娘シャオバオ(小宝)に助けを求め、小宝は恋人の駆け出しの弁護士を紹介する。人間関係的には別れた娘への愛と、娘の方の確執、そして娘の恋人に会う父の心情などが絡み合い人情劇の要素を構成しているわけだ。一方ルオとチートゥの愛もひとかたならず、なんともまあ、この馬の名演には思わず泣かされてしまうほど。ルオはチートゥを救うためにオファーがあった難しい人馬一体のスタントに挑戦することにするが…。
映画の舞台は大陸(製作地は北京)でことばも普通話(ジャッキーは普通にしゃべっているが、発音などで苦労もしているらしいことがエンドロールのNG映像からもうかがえるのだが、映画の話自体は香港映画80年代のアクションとそのスタントへのオマージュの気配が強くて大陸臭も、最近のジャッキー映画では感じることが多かった中国政府へのおもねりと言っては何だが配慮的セリフなどもほぼない。やはり彼の50年の基盤は香港にあったのだと感じられるような映画で、それも涙?かな。呉京がかつてルオに育てられ今やスターになっている役者として登場しルオに馬上の将軍の役を依頼するが、そこでは馬上のアクションをスタントではなく、CGで演じるよう指示があってルオは反発する。だが、結局時代の流れや馬への愛情からそれを受け容れていく、そのあたりの映画界の変化とかそれに対する古き香港映画界人の葛藤とともに受容していく姿なども涙?映画の中のルオのスタント場面としてジャッキー・チェンの過去の作品群の本人自ら演じたアクションシーンをつなげた映像を娘や本人が見るシーンもあったりしてなんか、これも大サービス。ジャッキー、さすがに自分の見せ方がうまいなあ、あざといなと思わないでもないが、やはりじんわり。映画館平日の昼間とはいえ平均年齢の高さが目立つ男女に、やっぱりなあ。(6月6日府中TOHOシネマズ 147)

⑤ドライブアウェイ・ドールズ
監督:イーサン・コーエン 出演:マーガレット・クアリー ジェラルディン・ヴィスワナサン ビーニー・フェルドスタイン ペドロ・パスカル マット・デイモン 2023アメリカ 85分

『ファーゴ』(1996)『ノーカントリー』(2007)のコーエン兄弟、弟のイーサン・コーエンの初単独監督作。前作のもっていたような何とも不条理というかそういうコーエンっぽさはありつつも主役が妙齢の女性二人だからか、生首や血まみれもあるのだがわりとコメディカルに明るくというか軽く仕立てられている感じ。
レズビアンの恋人とケンカ破局したジェイミーは、堅物の友人マリアンを誘いドライブ・アウェイのアルバイト兼旅に出る。一方この配送に出された車を何とか追いかけようとする男たち。恋人を失ったジェイミーはマリアンに誘いをかけるが振り向かないマリアン。そんな中車がパンクしスペアタイヤを探そうとトランクを開けた二人は中にとんでもない荷物を見つける。そこからは間抜けな追跡者と、見つけ出した品を契機にマリアンとジェレミーの仲が変わっていくという感じで最後は不条理とも見える撃ち合い?とまあハッピーエンド?というわけでウーン、気楽に見ることはできる感じだが、なんだろうLGBTQは自然なことだと主張しているのかな…(6月7日 キノシネマ立川147)


➅トノバン 音楽家加藤和彦とその時代
監督:相原裕美 出演:きたやまおさむ 松山猛 朝妻一郎 新田和長 つのだ☆ひろ 小原礼 クリス・トーマス 泉谷しげる 坂崎幸之助 コシノジュンコ 坂本美雨 石川紅奈 アーカイブ高橋幸宏 吉田拓郎 松任谷正隆 坂本龍一 2024日本118分

映画は斉藤安弘の復活オールナイト日本の放送シーンから。登場人物の面々からも想像できるように、フォーク・クルセダーズ結成から加藤和彦の音楽活動の軌跡を追いつつその時々に関わった人が語るという構成。
若い時代まだ悩める青年であった加藤を語るきたやまおさむの発言などは同時代を生きたものとして納得共感するところが多かったが、20代終わり30代になって「大家」となり、一流を知るためとして食べ物でも服でも最高のものを買ったというような話をはじめ、彼の天才的エピソードで綴られるあたりになると少々鼻につく感じもなくはなく…118分の後半近くは長く感じられてしまう。(6月7日 キノシネマ立川148)

⑦マッドマックス:フリュオサ
監督:ジョージ・ミラー 出演:アニヤ・テイラー=ジョイ クリス・ヘムズワース トム・バーク アリーラ・ブラウン ラッキー・ヒューム 2024米 148分 ★

前作『マッドマックス怒りのデスロード』は2015年6月公開(私が見たのは8月)、ジョージ・ミラーは当時70歳、ということはいまや79歳?すごいエネルギーだなあ、とまず感心。
前作から9年もたっているとは感じられないのは、今作の話が前作の前日談だからかな?前作シャリーズ・セロンが演じたフュリオサは、この映画では9歳で緑の谷に住むが、ディメンタスの手下の一団にさらわれる。砂漠をバイクに括り付けられ疾走するが、母親が追ってきて一度は助けられるものの、母が娘だけを逃がして自分が捕まってしまうということから後戻り(そうでないと話が始まらないが、ま、バカだなあ、という気も)。ディメンタスの軍団からやがてイモータン・ジョーの砦につれていかれそこで手渡され(というかフュリオサ自身が選んだような描き方?)イモータン・ジョーの下で兵士になる訓練を受ける。
前作ヒュー・キース=バーンが演じたイモータン・ジョーだが。1947年生まれの役者は2020年死去、今回は若返って1971年生まれのラッキー・ヒュームが演じている。まあガンガンメイクなのでどっちでもというところだが…。
さて物語はこのフュリオサの怒りと母への復習の思いに満ち満ちた成長譚ということになる。戦いの相手はもちろんディメンタスでこの男娘の形見とかいうぬいぐるみのクマを片時も離さず身に着けているという奇妙な造形だがもちろんメッチャ強い。フュリオサは戦車隊長ジャックに協力してもらい、ちょっと心惹かれたりしながらも二人でディメンタスの軍隊を振り切って『緑の谷』を目指すのだが、追いついたディメンタスに捕まえられ…彼女が左腕を失う経緯なども丁寧に描かれる。最後はイモータンの砦に戻って5人の女性たちを連れてあらたに希望の道に進もうとするところまで丁寧に描いて次の「怒りのデスロード」につながっていくことになる。
爆音・疾走・とどろくパーカッション音などに包まれて息も切らさぬ映画の終わりまでだった。9歳から大人になっていくフュリオサの映像が二人の役者によって変化の違和感なくつながっていくのにもちょっと感心(シャリーズ・セロンとアニヤ・テイラー=ジョイにはちょっと懸隔もあるかも)。(6月8日 府中TOHOシネマズ 149)


➇東京カウボーイTOKYO COWBOY
監督:マーク・マリオット 出演:井浦新 ゴヤ・ロブレス 藤谷文子 ロビン・ワイガート 国村隼 2023アメリカ118分

今年度大阪アジアン映画祭のオープニング作品だったが、当時は観られず(時間の都合)今回の劇場公開を見に行く。平日昼小さい劇場だが満席近い込み方にはちょっと驚いた。
監督は山田洋次の弟子?というか山田組にも参加していたとかで、モンタナの牧場の風景は『遥かなる山の呼び声』(山田洋次1980)を思い出させる図柄。話もヒューマンっぽい部分は日本で言えば山田洋次っぽいかな。女性が恋人かつ上司だったり牧場主だったりするあたりはなかなか格好良くて、どちらかと言えば健気なしっかり者という感じの山田の登場人物よりは現代的かもしれないが男性の駄目さ弱さ、空元気は山田のまんまかも。
話は牧場の存亡をめぐる現代的な企業の買収の先鋒として牧場に乗り込んだもののまったく相手にもされなかったサラリーマンがカウボーイになることにより、牧場主や関係者とのつながりを作り新しい企業としての道や、恋人との関係を作るというもので新味はないが、まあ安心してみていられるというところか。(6月10日 ヒューマントラストシネマ有楽町 150) 

⑨夜明けのすべて
監督:三宅唱 出演:松村北斗 上白石萌音 渋川清彦 光石研 2024日本 119分 ★

PMSとかパニック症候群とか、うー、映画でまで見たくないと勝手な理由でずっと見に行かなかったのだが、長い長い公開もそろそろ終わりに近づいたかな、というところで時間ができたので下高井戸へ。平日16時過ぎの会だけれどもなかなかの盛況。
映画はと言うと、主演の二人が本当にフツウのそこらへんにいる若者らしくて、まあ、やはりちょっと鬱陶しくないことはないし、そこが一つの売り?鬱陶しい状況の中で未来というかそれぞれの生き方を見出していく希望みたいなのが原作(瀬尾まいこ)でも映画でもの希望ということになるんだろうが、落ち着いた真面目なというか静かな仕上がりの好もしい作品ではあった。
静かにゆっくり進んでいるのにもかかわらず、映画の時間はあっという間に3年?で、藤沢さん(上白石)の母は、出だしの娘を警察に迎える元気な母からいつの間にか要介護者になってしまい、そのあたりのすっ飛び方が映画のリズムの中でなんか違和感があったが……。(6月11日 下高井戸シネマ 151)

⑩ブルックリンでオペラを
監督:レベッカ・ミラー 出演:ピーター・ディンクレイジ アン・ハサウェイ マリサ・トメイ ヨアンナ・グリーク ブライアン・ダーシー・ジェイムズ エバン・エリソン ハーロウ・ジェーン 2023米 102分 ★

ストーリー展開としてはナルホドね、というところ。どう関連があるのかわからなかったエピソード(若い二人の恋模様、スランプ中のオペラ作曲家と妻の潔癖症の精神科医、その家に掃除に来ている移民女性、作曲家が街で出会う恋愛依存症という曳船の船長とのラブアフェア? 掃除婦女性と再婚した夫の義理の娘の恋への干渉)が偶然過ぎるんじゃない?というつながりも含め、作曲家の作る現代オペラの物語の中に織り込まれて結集して、最後は登場人物がそろって(干渉父はいないが)並んでオペラ鑑賞のめでたしめでたしという展開に。
精神科医と掃除婦二人の女性がいずれも若くしてシングルマザーとして子を育てているが、互いの境遇の違いというか階層差というかで全く違った暮らしをしているところ(移民問題も内包している。掃除婦の母にはまだ市民権がない?演じるヨアンナ・グリークはポーランド系なのでそっちの方の移民?ハサウェイ演じる精神科医の息子役も人種的にはアン・ハサウェイの息子とは見えないので父親は他民族なんだろう)とか、さまざまな面でさりげなくダイバーシティ的というか、そこに若い娘(といっても義理)の恋を若すぎると許さず恋人の男を誘拐罪で訴えるとまでいう男の保守性というか横暴さに対して皆が協力して立ち向かい16歳の結婚が許される州に逃げる痛快と、そこにも加われず独自の道を歩む母(アン・ハサウェイ、すごく難しい役だと思うがコミカルかつ繊細に演じてさすが。ついでに言うとこの映画の脚本にほれ込みプロデュースもしている)という案外複雑な状況をうまくオペラの吸引力でまとめ上げたという感じである。(6月20日川崎市アートセンター・アルテリオ映像館 152)

⑪ナチ刑法175条(デジタル・リマスター版)
監督:ロブ・エブスタイン ジェフリー・フリードマン インタヴュアー:クラウス・ミューラー ナレーション:ルパート・エヴェレット1999 米 英語・独語・仏語 81分

かの名作というか衝撃作『ハーヴェイ・ミルク』(1985)の監督の99年作。男性のゲイを犯罪としたナチ刑法175条は戦後までもその威力を保持し続けたが、そこに抵触したとして1万5千人が強制収容所に送られ、強制労働や医学実験などに使われた結果1万人以上が命をおとしたという。その90年代終わりの生き残り6人と罪には問われなかったレズビアン1人への、歴史学者で長年この問題に取り組んだ、みずからもゲイというクラウス・ミューラーがインタビューして回ったそのインタビュー映像。1940年代頃青春時代の彼ら(個人というより当時のゲイコミュニティの人々)のモノクロ・アーカイブ映像を組み合わせ綴る。証言内容は重いが、とにかく発言者はほぼ80代(当時)とかで滑舌はあまりよろしくないし聞き取りにくかったりもして、単調だし少々疲れた。むしろ断られながらインタヴューをして回り、学術論文に仕上げ、また映画の監修などにも参加しているらしいクラウス・ミューラーという学者のほうに興味を感じる。は、2000年ベルリン国際映画祭最優秀記録映画賞を始め多数の映画賞を受賞、日本でも2001年山形国際ドキュメンタリー映画祭のコンペティション部門に選出。2023年7月に<刑法175条>を題材にした劇映画『おおいなる自由』④が作られた。(6月20日川崎市アートセンター・アルテリオ映像館 153)

⑫九十歳。何がめでたい
監督:前田哲 出演:草笛光子 唐沢寿明 真矢ミキ 藤間爽子 木村多江 清水ミチコ 宮野真守 石田ひかり オダギリジョー 三谷幸喜 2024 日本99分

だいたいなんか内容は予想できる?感じで気持ちはあまり動かなかったのだが、複数の友人のラインなどで、見た見たとの連絡が入り、やはりこれは一応は押さえておくべきなのかなと近くのTOHOシネマズへ。平日の午後の回とはいえ、一番後ろの席に座ると劇場の真ん中あたりにぎっしりと白髪・禿頭が並んでいるのにびっくり。しかもけっこうペアとかペア+若いものという感じのグループも。その集中部以外はまあ、パラリパラリだから、これはやはり高齢者の注意を引く映画?なんだろうけれど…。そして冒頭に「草笛光子生誕90年記念」とかいう文字、エンドロールは原作者佐藤愛子自身の写真が並び「佐藤愛子さんは2023年に100歳になった」との字幕。ウーン。
チョイ役の出演者もなんかそうそうたるメンバー(話題になりそうな人たち)で、なんだこれは???で、物語は草笛光子演じる佐藤愛子(著書名も役名もマンマ原作者)の物語で、佐藤作品の歯切れ良さとか歯に衣着せね物言いとかをそのまま演じつつ、一方で90歳を90歳で演じるしんどさ(あちらが痛い、こちらがどうのというのも完全な演技なのか、実は本人も同じ老いを抱えているのか)をなんか見せつけられるように感じたのは、こちらも老い(ま、90歳まではまだ多少は時間があるが)を感じつつある身だからか。
あと90になっても書いている方が元気、というのはそうありたいなという思いはあるが、やはり原稿依頼が来るとか本を出し表彰さえもされてしまうくらいの実績を90以前に積んだ人だからこそできることで、普通の人はそんなふうにはいかないーというか90になっても元気でいられるような方策を見つけ出す必要があるのかなと、あまり楽しんで観られず。あの白頭を並べてみている皆さんはどんな思いでこういう映画を見るのだろうかと、いささかシニカルな感想を持ってしまう。(6月24日 TOHOシネマズ府中 154)

⑬フィリップ
監督:ミハウ・クフィエチンスキ 出演:エリック・クルムJr ビクトール・ムーテレ カロリーネ・ハルティヒ ゾーイ・シュトラウプ 2022ポーランド ポーランド語・ドイツ語・フランス語・イデッシュ語 124分 ★★

出だしはポーランド・ゲットーの演芸会?恋人とともにダンスの舞台を踏むフィリップは、ズボンがずり落ちそうになって舞台わきに引っ込んで直そうとしたその時に踏み込んだナチス軍の銃撃によって舞台上の恋人、観客席の家族(もちろん他の観客たちも)を一度に撃ち殺されてしまう―って、いくらナチスでも暴虐無尽にこんなのありと思えるような突然の大殺戮はその前のシーンがあまりにのどかで楽しいゆえにえええ?
そして2年後のフランクフルト、フィリップは自身フランス人ということにして高級ホテルのレストランで給仕をしている。興味深いのはナチス関係者も使うこのホテルの厨房・レストランの従業委員がイタリア人、フランス人、オランダ人、ポーランド人などという周辺諸国からの移住者ばかりということで、ドイツ人がこのような仕事につかず移民中心だったという世相なのかもしれないが、この従業員たち黙って服従はしながら決して経営者や客に対して心を許しているわけでなく、支配人の飲むコーヒーに入れるミルクポットに彼らが一人一人唾を吐き入れていくなどという場面が描かれる。
したがってポーランドから来たユダヤ人であることを隠しているとはいってもフィリップ自身も決して孤独ということではなく職員区画の同室の友人ピエールも含め、彼がユダヤ人・ポーランド人であることを知り受け容れる仲間はいたのだと思われる。そういう中でフィリップはナチス将校の妻などドイツ人女性を誘惑しては捨てるというようなことを繰り返し、ドイツ人への復讐をしているというわけで、理屈ではナルホドとは思いつつこのあたりのフィリップの姿は決して共感を得るような描き方ではなくてカメラの目線も終始女性との性に励む彼を突き放している感じーというかそういう描き方は最後までそうだなあ。
演じるエリック・クルムJrの終始の無表情(最初のゲットー場面では明るく笑い、その後は激しく慟哭したり怒る場面もあるにはあるが、女性との付き合い場面ではおどろくほど冷たい表情を続ける)も含め、最後の偶然なのか意図したものなのかはわからないが驚くべき復讐劇の仕上げのあと、手に入れていたニセの身分証をを使って検問を潜り抜けパリ行の列車にのりこむ(というか多分乗り込んだのだろう)までを貫く映画の姿勢でもあって、サバイバル映画でもあるとは思われるがサバイバル感はほとんどなく、彼のその後というものも…言葉もなくという感じがする。
給仕をしている彼のドイツ人女性との恋のほかに、イタリア人の同僚フランチェスコの絞首刑(ドイツ女性と関係した。イタリア人でもだめなんだ…ムッソリーニが摘発した的なセリフもあったみたい)こっそりワインを隠していた(そのうち1本だけをフィリップは髪を刈られて逃げてきたドイツ女性に与えたが、1本はロッカーに残したのが仇となる)ピエールが処刑的に殺されてしまうなど、フィリップはかいくぐりつつも周りが猛烈に動き人々が不如意な死を遂げるような状況が驚くべき鮮烈さで描かれて、無言のフィリップを支えている。
実体験をもとに描いたレオポルド・ティルマンドの小説=60年禁断の書だったとか、に基づくという。ドイツ語、ポーランド語のほかにフランス語やイディッシュも飛び交い、(語学にうとい身としては)注意していないと今何語なのか見失ってしまう危うさ(その意味でもリアル?)。字幕では区別をつけていないので。(6月25日 キノシネマ立川155)

⑭ONE LIFE 奇跡がつないだ6000の命
監督:ジェームズ・カーズ 出演:アンソニー・ホプキンズ ジョニー・フリン レナ・オリン ヘレナ・ボナム・カーター ジョナサン・プライス 2023英 116分

ナチス侵攻目前のプラハに赴き、苦しい生活を強いられている難民の子供たちの存在を知ったイギリス人(株の仲買人だったらしい)ニコラス・ウィンストン(ニッキー・祖父母がユダヤ人だったが自身は英国教会で洗礼を受けたと自己紹介していた)が英国で資金と里親を探し669人の子供たちをイギリスに送り届けナチスの脅威から救ったという実話を、むしろその後の老いた彼自身の姿から描いてアンソニー・ホプキンスが演じている。テレビ番組で、イギリスで成人した子供たち(今や中高年)に再会する彼の姿はこの映画以前に見た記憶がある。で、ああ、この話かというところで新味はないのだが、やはり老いて終活断捨離をして当時のファイルを見直し、ナチスの侵攻に間に合わず救えなかった最後の250人についての慚愧の念を老いて持ち続ける姿を演じる様にはやはり身につまされるというか…。
それにしてもけっこうよぼよぼな歩き方でありながら根っこはすごく元気な老人という造型は役者自身のものなのか、それとも演技?とすればさらにすごい、と、最近高齢役者の演技を見るたびに思わされる感慨をさらに強く持った。若き日のニッキーを演じたジョニー・フリンも好演(年を取ったらちゃんとアンソニー・ホプキンスの見かけになりそう)だが、その母(ヘレナ・ボナム・カーター)の活躍ぶりは??このニッキーを一種のマザコン?とみるべきか、あるいはこれだけの力を発揮息子をフォローというよりイギリスではむしろ彼を引っ張るような活躍をするのに、史実として名が残るのは息子?というのもなんかちょっと割り切れないような感じも。映画の邦題は6000の命というのだが、これは助けた669人の子孫を含めての数なんだろうが、ちょっとイヤしい誇張みたいな感じもしないでもない。669、充分ではないかと思えてしまう。(6月25日 キノシネマ立川156)

⑮ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ 
監督:アレクサンダー・ペイン 出演:ポール・ジアマッティ ダヴィアン・ジョイ・ランドルフ ドミニク・セッサ 2023米 133分 ★

クリスマス~新年の休暇、マサチューセッツの男子寄宿学校(イギリスのパブリックスクールを模した感じ?金持ちの息子たちが集まっている)ではほとんどの生徒は帰宅する。勉強はまあまあ?(最初の場面、厳しい歴史教師ハナムからクラスで唯一B判定をもらっている=Aではない)だが、何となくハスを向いて他となじまないアンガスも母と行くバカンスを楽しみに支度をしているが、出発間際になり母が再婚した継父とともにハネムーンに行くので今回は寄宿舎に残ってくれと電話が来る。
寄宿舎には彼を含めて5人の生徒、監督教師としてハナム、そして食堂のマネージャー(料理長)で、この学校出身の息子をベトナム戦争で失ったメアリーが残ることになる。寒さに閉ざされた寄宿舎は暖房が止まり、生徒たちは保健室で合宿ということでケンカやいじめも…。が数日後、生徒の一人の父親がヘリコプターで迎えに来て、両親と連絡が取れて承諾を得た他の3人の生徒もつれてスキーに旅立つ。旅行中の母と連絡が取れずまたもや置いてけぼりのアンガスだけが残ることになる。そこからのアンガスとハナムの攻防、アンガスが肩を脱臼したり、女性職員のクリスマスパーティに招かれたりなどが描かれやがて心を開いてくるアンガス、そしてアンガスの希望も入れ、メアリーを出産前の妹の家に送り届けることも含め、3人はボストンへと旅立つ。
ここでも偶然に会ったハナムのハーバード時代の旧友に絡んでアンガスがハナムを救いハナムの秘密が明らかになり、さらにはアンガス自身も大きな秘密を抱えてのボストン行だったことが明らかになってくる。というわけでいかにもアレクサンダー・ペイン(『サイドウェイ』(2005)は観てないと思うが、『ファミリー・ツリー』(2013)『ネブラスカ・二つの心を繋ぐ旅』(2014)は観た)らしい話の展開で冬休みの休暇は終わっていくが、最後にアンガスの秘密絡みでその母親から学校というかハナムに苦情が寄せられ、彼は退職して新たに旅立つという何とも苦い?しかしハナム自身は幸せそうな結末へとつながっていく。
アンガスを演じたドミニク・セッサはこの映画の製作途上でスカウトされたとかいう新人で、10代の高校生という役だが、その長い、眼光もなかなかにきつい顔、長身からはけっこう大人っぽく陰険にさえ見えて、最初に母に甘えて電話をかけるあたりではなんか気持ちが悪い感じもしたが、それも狙い?なのか、孤独に耐えてひねながら背ばかり延びた少年と青年の境目の強がりと弱さややさしさを入り交えて繊細な演技で納得させていくのはなかなか!年代が1970年(から71年の年明け)と50年以上も前に設定されているが、見かけの文化は生徒の長髪が目立つくらいでそれほど現代との差異を感じさせるわけではないが、この設定、親子関係とか教師生徒関係が今ではもう成り立たなくなったゆえなのであろうか…。(6月26日 キノシネマ立川157)

⑯アンゼルム''傷ついた世界"の芸術家
監督:ヴィム・ベンダース 出演:アンゼルム・キーファー ダニエル・キーファー アントン・ヴェンダース 2023ドイツ(独語・英語) 91分

ウーン。見ごたえは抜群。ドイツのアーティスト、アンゼルム・キーファーの人と作品を描くドキュメンタリーということだが、彼の作品群の静かな映像、青年期の本人を息子が演じ、幼少期をベンダース監督の孫甥というアントン・ヴェンダースが演じる。
このあたりはアンゼルムの追憶をアントンが演じるという感じの小さな映像詩のような感じになっているが、このアントン少年(小学校3年生くらいの感じ?)が何とも可愛らしくくっきりしたビジュアルでキーファー幼少期のころはそうだったと思われるショートパンツ姿に片方のソックスがずり下がっているような感じが何とも愛らしい。
実際の本人の作品はこの少年のビジュアルとは対極的にダイナミックな大作が多いし、その制作も、バーナーを使って大キャンバスに火をつけ助手が消していって焦げ跡をつけるとか、四角く囲った半地下室?に泥の山を築くとが、大温室に林立するドレス(鉛でできている?)群とか、群像的でどこまでが1つの作品なのか、全体で一つの作品なのかもわからない迫力で、ウーン。迫力があって映画で見たり展覧会で見たりする分には楽しめるがこういう作品が世に残るために単なるガラクタでないとかごみでないと知らしめるためにはどういう天才が必要なのか、わからん…というところ。かつてナチスが逍遥した作家を作品に取り入れたりナチス式敬礼を作品に取り入れ批判され、歴史の記憶を保持するためのものと言ったそうだが、いずれにしてもこの作品の迫力自体が私には暴力的に思われたのは、こちらのエネルギー不足か?(6月29日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館158)

⑰蛇の道
監督:黒沢清 出演:柴咲コウ ダミアン・ボナール マチュー・アマルリック グレゴワール・コラン 西島秀俊 青木崇高 ヴィマラ・ポンス スリマヌ・ダジ 2024仏・日・ベルギー・ルクセンブルク(フランス語日本語英語)113分 ★

復讐を手伝う人間が現れて延々決然と復讐者を助け、次から次へと連鎖的にターゲットに狙いをつけ監禁して死に至らしめるという物語は1998年の同名の黒沢作品のリメイクだそうだが、主人公をフランス在住の日本女性とし、舞台もフランスになった。柴咲コウが「10年くらいフランスに住んで仕事をしているノンネイティブのフランス語」を駆使している。相手役は『レ・ミゼラブル』⑩『(ラジ・リ2020)の警官役ダミアン・ボナール。8歳の娘を殺されて復讐に燃えるがターゲットを絞れず、知り合った精神科医新島に引きずられながらだんだんとのめり込むが、ついには…とんでもないオノレの姿も思い知らされる男を素朴な感じだが説得力を持って演じる。
さらに面白いのは一人目のターゲットとして監禁・拷問(トイレに行かせない、食べるには床に這いつくばる、シャワー?という名の水責め)に会う男。演じるマチュー・アマルリックは彼だからこそか責められながら何となくコミカルさも漂い、本人もけっこう楽しんで演じたらしい。
日本側は西島秀俊、青木崇高だが、青木は最後の最後のビックリどんでん返し?があるけれど、西島の造形は物語の筋に直接的には影響しないし結構難しそう…とか、そんなことにばかり目が行く。
最後のダミアン扮するアルチュールとの関係は原作踏襲なんだろうけれど(原作のほは残念ながらというか98年頃のVシネマは私の守備外でもちろん見ていなかった)終わりに彼女がなぜこんなに強引冷酷に復讐に加担するのか、この後何が起きていくのかが予見されるようで怖くも納得という幕切れ。
上映後黒沢監督と、原作の脚本家(今回も相談を受けたり助言したりしたらしい)高橋洋氏の対談トークショー30分。「後味の悪い映画を見ていただいてありがとう」のことばに思わず笑う。まったくね…(6月29日 新宿ピカデリー159)
左髙橋氏・右黒沢監督


【ちょっと気になるテレビドラマのことば】

今年前半期の各局連続TVドラマも終わり、NHK連続テレビ小説『虎に翼』ではいよいよヒロイン寅子が判事として活躍をはじめそう?、近年ようやく時間が自由にもなり、話題のドラマはなるべく一応は目を通すようになりました。とはいっても私の興味はやはりドラマで登場人物が話す「ことば」です。最近ドラマを見ながら気になったことば2つについて書きます。

『虎に翼』「よね」の「あたし」

「よね」は寅子の法律学校での同級生。残念ながら司法試験には合格せず戦後を迎えました。復員してきて抜け殻のようになっていた男性の同じく元同級生の轟を誘い、轟の持っている弁護士資格を看板に、もともと勤めていたカフェの跡地で法律事務所を開いています。
彼女は髪はショートカット、常に男仕立ての背広姿の男装で自立して自分の生活を切り開くという、朝ドラの登場人物としては今までにないようなキャラクター。轟の、判事になった元同級生花岡(男性)へのひそかな思いを見抜く場面もあり、彼女自身も同性愛者なのかもしれないと思わせるような描き方です。ことばも「~だ」言い切りが中心の「男ことば」でぶっきらぼうなのですが、ただ自称詞だけは「ぼく」や「おれ」を使わず「あたし」を使います。これって当時のこういう男装女性としてはリアルなんだろうか?(こういう女性がいたら、その自称はなんなのだろうか?)気になります。現代の感覚からは「あたし」がやはり「女性」のマーカーとして、女性が演じている男装のこのよねさんの女性性?を示している。あるいは「あたし」が強い女性性をもつということになるのかもしれません。

「教授」は「呼びかけ語」(対称詞)か?

フジテレビ系の『アンメット』は事故で記憶を保持できなくなった女性の天才脳外科医ミヤビの物語(マンガ原作ですが、残念ながらそちらは未読)。大学病院に勤める彼女は周りの医師やナースたちに助けられ、とりわけ彼女の手術をし記憶の復活をと考える元婚約者のこちらも天才・三瓶医師の援助も受けて、医師の道を歩んでいくわけですが…。
気になるのは彼女が自身の恩師でもあり主治医でもある大迫教授を「大迫教授、お誕生日おめでとうございます」って感じで呼びかけること。えー?そんなのありか?やっぱり「先生」って呼んでほしいと思っていたら、ある日『虎に翼』の寅子も恩師・穂高に向かって「教授」と呼びかけていて、えー?。
「教授」は「副教授」や「教諭」と同じく職名で、公的な場面などで三人称として他者を指すことはあっても、面と向かっての呼びかけは呼びかける側の方が偉そうにも見えるし、失礼だよ、というのが、長年「教授」もいる職場で働いてきた私の理解なのですが…。
あわててヤフー知恵袋などで検索してみましたが、そこでわかったのはこの理解で間違いはない(「教授」ではなく「先生」と呼ぶべき)が、同時に大学入学時などに教授をどう呼ぶかと悩む若者が少なからずいるらしいということでした。となると…
TVドラマの中でステキなヒロインが「教授」と呼びかける姿は、やがて「教授」ということばの変化(目上の呼びかけにも使える)につながっていくのではないかと、ちょっと気持ちは悪いのですが、そんな気もしています。
ちなみに『アンメット』では同年代や年下の相手も含めて医師たちは「先生」と呼び合っていました。ミヤビは同僚医師とは差異化して尊敬する恩師を「教授」と呼んだのかもしれませんね。

(付)7月に入って『虎に翼』の穂高は最高裁判事を辞任退職しますが、この場面では同僚・後輩・教え子であると思われる法曹関係者は、寅子も含め誰もが「(穂高)先生」と呼んでいました。教授職はとうに辞めているからということ?でしょうか。7/4

以上、今月も長々お付き合いありがとうございました。
梅雨はまだあけません。暑くなったり蒸し蒸ししたり…どうぞくれぐれもお元気で。

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