【勝手気ままに映画日記+山ある記】2024年2月

2月恒例の戸隠山 今年は氷の上に積雪した(歩ける!)鏡池から(2・14)

 
2月の山歩き

 2月3日 北横岳雪山登山
 
 八ヶ岳ロープウェイ山頂駅→北横ヒュッテ→北横岳(南峰
  2472m・北峰2480m・南峰)→往路下山
   2h41m 3.5Km  ↗272m↘272m
←山頂駅から望む北横岳方面

今シーズン2回目のアイゼンをつけての雪山歩き。前回1月の赤城山とはうってかわってのピーカン、歩く距離も比較的短く、雪はよく、ただ頂上直下の急斜面下りは少々怖かったけどという、快適山散歩でした。いやあ、もう最高の眺望‥‥
 

 

 2月14日~16日  毎年恒例?の戸隠高原 スキーとスノーシューハイキング

瑪瑙山頂上か黒姫・妙義・飯縄山方面のパノラマ絶景
    ↓高妻山・窓からのつらら(なかなか芸術的?)・下はスキー場からの戸隠山

 ゲレンデスキーには限界を感じて、初日午後少し足慣らしを
 しましたが、2日目はスノーシューを借りて植物園→奥社往
 復→鏡池へと雪中ハイキング(スノーシューをはいたのは初
 めて)。天気がよかったこともありますが、人もあまりいな
 い雪原、林間の道、そして凍った池の雪面歩きと、一人のん
 びり、すごく気持ちよくて、スキーはできなくても冬の新し
 い遊び方を発見した気分です。
で、一応3日目はゲレンデに復帰したのですが、オヤオヤ体がほぐれたせいか、ようやくスキーも思うように操れるようになって、あ、これなら来年にもつなげる、といい気分で過ごした戸隠休暇3日間でした。次は5月末に黒姫山・飯縄山に登りに行くつもりです。ご希望の方があればご案内しますよ。


 2月24日 奥武蔵 蕨山

 飯能→名郷バス→蕨山(1044m)藤棚山(920m)→大ヨケの
 頭(771m)→小ヨケの頭(717m)→金比羅山(659.6m)→神
 社跡→さわらびの湯(バス停)
 
  5h42m 9.2㎞ ↗867m↘937m 110-130%(やや速め・
 ヤマップ) 約24000歩
←↓ちょっとしっかり歩きたいと、トレーニングツアーに参加。
前日の雪が残っていて、山道はこんな感じ。チェーンアイゼンをつけて歩きました。



2月の映画日記

①ミツバチと私 ②弟は僕のヒーロー ③きっとそれは愛じゃない ④最悪な子どもたち ⑤Here ➅すべて、至るところにある ⑦キャメラを持った男たち ➇愛にイナズマ ⑨ゴーストトロピック ⑩唯一、ゲオルギヤ ⑪アンダーグラウンド ⑫ドリーベルを覚えているかい ⑬テルマ&ルイーズ ⑭ミレニアム・マンボ千嬉曼波 ⑮ノスタルジア ⑯ティメー・クンデンを探して ⑰ミツバチのささやき ⑱エル・スール ⑲田園詩 ⑳沖縄狂想曲㉑アリラン・ラプソディ ㉒そして光ありき ㉓君のためのうた ㉔一人と四人 ㉕草原 ㉖静かなるマニ石 ㉗落下の解剖学 ㉘瞳をとじて

新作よりも旧作(4Kレストア版とか)や、特集上映中心の2月でした。中国語映画は⑭(⑤㉓㉔㉘などにも一部中国語あり)のみ、日本映画は➅⑦⑧⑳㉑。ドキュメンタリー映画は⑦⑩⑳㉑ それぞれ重なっているところがありますが、旧作(基本的にはかつて日本公開され自分も見たもの)は⑪⑫⑬⑭⑮⑰⑱㉖あたりでしょうか。ビクトル・エリセ⑰⑱㉘、ペマ・ツェテン⑯㉓㉔㉕㉖、イオセリアーニ⑩⑲㉒、エミール・クストリッツァ⑪⑫、バズ・ドヴォス⑤⑨など、監督に注目してみた月でもありました。
★はなるほど! ★★はいいね! ★★★はおススメ というところ。あくまでも個人的感想ですが。各映画最後の数字は今年になって見た映画の通し番号です。それではどうぞお楽しみください。

なお、本文中に出てくる映画名で色を変えているところは、同じページ中であれば番号で探してください。また、過去の記事であれば掲載号(年・月)からその映画についての過去もしくは同月中の記事を読めるようにしました(検索したいというお声に応えてその準備です)。クリックしてみてください


①ミツバチと私
監督:エスティバリス・ウレソラ・ソラグレン 出演:ソフィア・オテロ パトリシア・ロペス・アルナイス アネ・ガバラン サラ・コサル マルチェロ・ルビオ 2023スペイン(バスク語・スペイン語) 128分 ★★

 話題作でもあり、意義ある作品とは思いつつ、ウーンあまりに上手
 に演じる子どもというのにはどうも抵抗ありなかなか見に行かなか
 ったのだがいよいよ最終日(実は好評に付きで、1週間延びたのだ
 が)映画サービスデイの1日に見に行く。
 なるほど…。主役のソフィア・オテロは『ミツバチのささやき』⑰
 の少女アナ・トレントに比較されているのを見たが、アナよりは硬
 質で、不機嫌さも含めしっかり者の印象が強い。          
 だいたいこの映画に出てくる女性たち母、祖母、そしてミツバチを
 飼う叔母(字幕もその他もこう説明しているものが多いが母の妹?には見えない。むしろ祖母の妹?)など大人の女性はみな素朴さや逞しさを備えた硬質な感じで恰好いい。そして映画そのものが主人公のジェンダーの悩みとそこからの成長を繊細に描きつつ、むしろ特に母を中心とする周りの大人たちが「生きること」を模索し、悩んでいる存在として子供に関わりながら大人も変わっていく側面が描かれているのが好ましい。
ただしそれゆえに映画の構成としては複雑にもなり、セリフで進む世界になかなか入っていけなかったのはこちらの問題か?家族が(父とは別れて)出かける親戚の洗礼行事の、子どもたちにとっては夏休みの休暇を過ごすバスク地方の自然の美しさ(今私のあこがれの地の一つ…)も楽しめる色彩の美しさ。あと主人公以外の子供たちの造形がとてもいい。理解しているのかいないのかはわからないが「弟」の面倒をよく見る兄エスコ、主人公の唯一の友となるニコ(クラスに女性器を持った男の子がいる、なんて簡単に言えることばではない)二人が水着を交換して泳ぐ場面の美しい可愛らしさも特筆。(2月1日 新宿武蔵野館 033)

②弟は僕のヒーロー
監督:ステファノ・テバーニ 出演:フランチェスコ・ゲキ ロレンツォ・シスト アレッサンドロ・ガスマン イザベラ・ラコネーゼロッシ・デ・パルマ 2019イタリア・スペイン102分

ダウン症の弟を持った高校生の悩みや逡巡ー弟とともにユーチューブをすることにより解放されていくという、まあ成長譚で展開はほぼ予想通りだが、アレッサンドロ・ガスマンがあのいかつい二枚目風貌でちょっとお茶目な父親を演じ、全体的にも深刻さよりは明るさベースのいかにもイタリア映画。なるほどね、というところ。
実はこういうタイプの映画はあまり好きではないのだが(感情を強要されそうで)ちょうど時間が合ったので見にいった。
(2月1日 新宿シネマカリテ 034)



③きっとそれは愛じゃない
監督:シェカール・カブール  出演:リリー・ジェームズ シャサド・ラティフ シャバナ・アズミ エマ・トンプソン2022 英 英語・ウルドゥー語 109分 ★★

ロンドン、パキスタン移民の一家と隣接する住宅に住む「白人」一家というのは『カセットテープダイアリー』(2008英・グリンダ・チャーダ)を思わせるが、こちらのパキスタン人は成功した移民で父系も息子も医師、特に差別されている様子もなくパキスタンの文化を維持謳歌しているのは『カセットテープダイアリー』とは描かれた時代差も経済差もあるということ?
一家の息子カズが伝統的風習にしたがって見合い結婚を決意し、幼馴染の隣家の娘ー駆け出しのドキュメンタリー作家ゾーイがその過程をドキュメンタリーに撮るうちに、自身が彼を愛していることに気づく、というのはいってみれば恋愛映画常套の展開ではあるが、彼の姉(白人と結婚し家族と絶縁中)弟(パキスタン人と幸いにも恋愛結婚)彼の両親、またシングルマザーであるゾーイの母(白髪のエマ・トンプソンがはっちゃけて楽しそうに演じている)らの結婚観や結婚生活がInterviewをまじえて開示され、カズと結婚する女性も親の前ではしおらしくしているが、実は恋人がいて結婚前夜のパーティに現れたり、本人も人権派弁護士を目指すというわけで、カズと婚約者は結婚するもののゾーイの作ったドキュメンタリー映画をきっかけに状況は急展開…話の大筋は決して新しくはないし予想もつくが、この映画筋よりも、伝統的結婚観に当てはまらない現代女性の生き方の主張がテーマとも思える案外骨太な作品。
ただそうなるとバカっぽく見えるのはカズの「男性意識」ということかな。金持ちパキスタン人のきらびやかな調度や装い、エマトンプソンもまじえて踊る結婚式のパキスタン舞踊も楽しい見どころだが。(2月7日 川崎市アートセンターアルテリオ映像館 035)

④最悪な子どもたち
監督 リーズ・アコカ ロマーヌ・ゲレ 出演:マロリー・ワネック ティメオ・マオー ヨハン・ヘルデンブルク ロイック・ベッシュ メリーナ・ファンデルランケ 2022フランス100分 ★ 

カンヌの「ある視点」部門でグランプリをとったとのことでで、なるほど!北フランスのピカソ区とかいう貧困地区で、そこに住む子どもたちの物語を描く一本の映画が作られることになる。
子どもたちのオーデションでのインタビューからはじまり、主役として選ばれた4人の発言、家庭状況や家族の言なども出てくる。撮影側も映画について語る監督、そして監督やスタッフの子どもたちへの演技指導なども。さらに子どもたちが演じる映画の場面も挿入され、あたかも一本の映画が完成するまでのメイキングドキュメンタリーのようなのだが、実はドキュメンタリーにも見えるこの映画全体が劇映画であるというなんとも驚きの一本。
作られることになる劇映画の監督・スタッフは役者が演じているのだし、子どもたちはオーデションを受け選ばれる役者としてと、さらに作られることになる映画の中の役と二重に演じているわけだ。この劇中映画は、選ばれた地域の子どもたちの生活を反映したような内容という設定なので、例えば劇中映画の姉と、実生活部分の姉を違う役者が演じてながら、話としては少しずらすという複雑さ!なので、地域の「普通の子どもたち」がよく演じたものと感服(もちろんオーデション合格の才能ある選ばれた子にしても)。映画中の監督・スタッフが子どもたちの喧嘩を演出する場面、主役男女の恋愛感情を盛り上げ、ベッドシーンまで指導演出していくシーンなど映画作りのリアルさも堪能でき、地域の大人たちの批判とか冷たい目まで含めて、とても興味深く見たが、これも結局ドラマというわけだった。(2月7日 川崎市アートセンターアルテリオ映像館 036)

⑤Here
監督 バズ・ドゥヴォス 出演: シュテファン・ゴタ リョ・ゴン サーディア・ペンタイプ 2023ベルギー フランス語ルーマニア語中国語83分16ミリ撮影 ★★

ブリュッセルに住むルーマニアからの出稼ぎ労働者シュテファンが、住んでいるアパートを引き払い故郷に帰ろうと決意する数日の物語。冷蔵庫の野菜を処分してスープを作り、出稼ぎ労働者仲間や、姉に配り、自身は雨にふられて、入った中華食堂で一人の女性に出会う。
アパートを片付け冷蔵庫のコンセントも抜き、整備工場に預けた車を取りに行く途中、森の中で蘚苔学者であるという彼女に再会し、一緒に森を歩く。とはいえ出会いが恋に繋がるとかいうわけでもなさそうで互いに心を残したまま出会い別れていくというのがこの映画の眼目であろう。そんな2人、あるいはそれぞれを包み込むような森の景色、苔の顕微鏡写真、あるいは夜明けまたは暮れなずむビル群の街が、なんとも美しく鮮度もそれぞれの心象にあわせている感じでワクワクしながら心鎮まるという至福の映画体験ができる。(2月8日 渋谷文化村ル・シネマ 037)


➅すべて、至るところにある
監督:リム・カーワイ 出演:尚玄 イン・ジアン 2023日本 88分

リム・カーワイ、バルカン三部作の3本目。作者を思わせる映画監督ジェイが、一作目『どこでもない ここしかない』(2018)、二作目『いつかどこかで』(2019)の撮影地であるバルカン諸国を歩き、二作目(これは私は先日残念にも見そこなった)のヒロイン・エヴァが行方のわからないジェイを追って旅をするという構成。合間に現地の高齢男性の戦争経験や社会に関する語りが入り、また一作目の主人公だった男が子連れで、自分の生活や家庭を壊した映画には二度と出たくないと言いながら出演していたり、ドキュメンタリーと劇映画虚実皮膜の間に成立しているような映画で、そう見ると尚玄演じる主人公も見かけや多分性格も作者とは全く違うながら(恋もあって、ここは作者らしい?)作者の内面ー映画で何ができるのか常に考え続けているーを表しているようにも思われ興味深い。ジェイが辿るバルカンの建造物や景色の美しさ、対比的な戦争の傷跡も印象に残る。(2月8日 渋谷イメージフォーラム 038)

⑦キャメラを持った男たち
監督:井上実 2023日本 81分 ★

高円寺座で開かれるドキュメンタリー映画祭、何とか時間を作り一本だけでも、というのと、気になりつつ見逃していたこの映画の上映時間が合ったので朝一本めを見に行く。
関東大震災のFilmは20本あまりしか残っていないそうだが、その中で記録や名前が残っている3人の撮影した映像、撮影やカメラマンとしての撮影者の子孫らの語り、また都市研究者が、撮られた写真から当日の撮影者の足跡や、また当時の被害状況を探るなど興味深く見る。
残されていた当時のカメラには現代のフィルムが装着でき、写真も撮れるとのことで、そうして撮った現代の街と震災直後の同じ場所を並べた映像も興味深い。画像サイズは現代の映像(インタビューなどすべて)も当時のサイズに合わせて4:3にしたのだとか。終わりに監督、製作者のトークあり。司会と監督がアーカイブの重要性を述べるが、一方現代誰もがユーチューブに災害映像をあげられることについて否定的な言辞を述べていることの中にあるアマチュア蔑視(危険に気づかず撮影している、加工が容易にできるので真実が残らない=これをしているのは誰でもなれる撮影者だ)という感じがアマチュア?側としてはちょっと不快?
もちろん過去と映像状況は変わっており特に災害などについては他とは違う倫理も求められるとは思うが、それを念頭に置きつつも記録する(表現する)権利は誰にもあると思うし、司会者が言ったような自己規制(撮らない)もあり得るが、誰かが他者(プロでないという意味での弱者)を規制する権利はないのではないか?(2月9日 高円寺座ドキュメンタリー映画祭 039)



➇愛にイナズマ
監督:石井裕也 出演:松岡茉優 窪田正孝 池松壮亮 若葉竜也 仲野太賀 佐藤浩市 趣里 2023日本 140分 

チョイ役をも含め超豪華メンバーを並べて「映画づくりと家族」をテーマとする長尺。
ハナコは駆け出しの映画監督で、幼い頃消えた母をテーマに映画を作ろうとしているが、助監督とは反りが合わずプロデューサーには適当にあしらわれ、ごちゃごちゃしたあげく、結局彼女が選んだ俳優は役を降ろされ自殺、彼女自身も仕事を干されて助監督に奪われる。
前半は彼女の経済的困窮ぶりやその中でのマサオ(偶然出会うが、亡くなった役者の友人でもあった)との出会いなどを延々と描き、いささか心がつらくなる。
後半はハナコがマサオを連れて長く帰らなかった故郷に帰り、不和だった父や二人の兄に真実を語るように迫り、それを自身の映画として撮ろうとするという展開に。大きな事件が起こるわけでなく、ハナコのリベンジがテーマのようだが、互いの会話の機微とか展開はさすがによくできているとも思うが、彼女の抱えた家族の問題の深刻さも、リベンジ問題も家族のキモチひとつで意外に簡単に解決してしまうし、ウーン、どちらも今イチ中途半端。娯楽映画としても、人生や人間関係を掘り下げる映画としても。
マサオの造形は面白かったが、池松や若葉の使い方はもったいない気がした。(2月10日 下高井戸シネマ 040)

⑨ゴースト トロピック
監督:バズ・ドゥボス 出演:サーディア・ベンタイプ マイケ・ネービレ 2019ベルギー 84分 ★★★(実はこういう映画けっこう好き)

ブリュッセルの深夜、ビル清掃をしている中年女性は、居眠りして終電終点まで行ってしまい、タクシーに乗ろうとお金を下ろそうとするが残高不足、街の反対側に行くというバスに乗り込んだものの、なぜが急な運行停止というわけで自宅まで歩いて戻ることになる。
カメラ はこのあと彼女にしたがって歩き、彼女が出会う人、経験することを描いて行くわけだが、特別にドラマティックな出来事が起こるわけではない。映画の展開上そうならざるをえないとは思うが、面白いのはこの掃除婦の控えめながら案外にお節介なこと。昔家政婦をしていたという空家に人影をみつけて確認に行ったり、道端に寝込むホームレスを見つけ救急通報をし、後半では救急病院に忍び込むように様子を見に行く(繋いだ犬の無事も確認?)。また、街で友達と遊ぶ自身の17歳の娘を見かけあとをこっそり追うが安全?を見届けたあとその場を離れるものの警官に、娘たち未成年に酒を売った店を告発したり。その行動も心理もなるほどなとは思えるが自分ならそこまではしないかも…ということでここに映画としての世界が成り立つのだろう。
ネタバレになるが、帰り着き一休み後の明け方彼女は再び家を出るが、そのとき前日の黒っぽいのとは打って変わって明るいピンク系のスカーフに、また、さらにその後の唐突ともいえる海辺のシーンが、彼女の一夜の心情の変化を表して、なるほど!の終わり方だ。(2月10日 渋谷文化村ル・シネマ 041) 


⑩唯一、ゲオルギヤ
監督:オタール・イオセリアーニ 1994フランス 第1部91分 第2部69分 第3部86分


五時間あまりのイオセリアー二94年のドキュメンタリー。
他の監督の作品を含む(見覚えのあり『懺悔』とか『雨傘?』なども)アーカイブ映像を組み合わせ、1部は近代史以前の13世紀からの歴史を表す映像から、2部中途1度めの休憩あたりでソ連スターリン時代から89年ベルリンの壁崩壊あたりまで、2部はその後の内戦、独立への歩みで、ここは過程で終わっている。出てくる名前の面倒くささはあるものの、少なくとも見ている間は自分のうろおぼえの知識とも重ね合わせ、今のウクライナの情勢なども重ね合わせて見ごたえあり。
 (2月11日 渋谷イメージフォーラム オタール・イオセリアーニ映画祭042)


⑪アンダーグラウンド
監督:エミール・クストリッツァ 出演:ミキ・マノイロヴ ラザル・リストフスキ ミリャナ・ヤコヴィッチ スラヴコ・ヤコヴィッチ 1995仏 独 ハンガリー 171分 ★★

たしか2017年にも見ているが、見る前は大筋を忘れていた?見るうちに思い出し前半は少しごちゃごちゃしたが、後半思い出もクリアに。ナチスに支配されたユーゴスラビアでの地下生活を支配する武器商人と妻、地下生活をの勇者になる友人とその地上を知らない息子の、動物園の飼育係だった弟、なんともこっけいでもあり悲しくもある人物造形はボスニア・ヘルツェゴビナにまでつづくのだった…やはりエミール・クリストリッツアの代表作だなあ。(2月12日下高井戸シネマ 043)



⑫ドリーベルを覚えているかい
監督:エミール・クストリッツァ 出演:スラヴコ・シュティマッツ  スロボタン・アリグルディナ 1981ユーゴスラビア 109分 ★

クリストリッツアの監督第一作。主演は『アンダーグラウンド』で飼育係にして映画の狂言回し的役割をになったスラヴコ・シュティマッツで、このときはまだ20くらいの初々しいというよりか素朴な印象の美少年。後に『ライフイズミラクル』(2004)ではしっかり中年になっていた人で、見るだけで感慨深い感じ。
物語はひょんなことから娼婦ドリー・ベルを自室にかくまい彼女に恋をする少年の失恋青春物語だが、60年代ユーゴスラビアの共産主義社会のできごととして、しかもそれがなんとも古めかしい父権主義的価値観に彩られつつ、少年の非行防止のためのバンド作りや、その演奏でのダンスの場作りなどを国家・政党体制が率先して行うというような不思議なアンバランスが興味深い。(2月12日 下高井戸シネマ 044)


⑬テルマ&ルイーズ
監督:リドリー・スコット 出演:スーザン・サランドン ジーナ・ディヴィス ハーベイ・カイテル ブラッド・ピット1991米 129分

日本初上映のとき、もちろん見ていて印象も強くあった映画だが、あの頃はハーベイ・カイテルやブラッド・ピット知らなかったはずもなかったが、なんか印象が薄かったのを今回再確認。それは女2人の印象があまりに強かったからか?特に華やかなリゾート着を着て大きなトランクを2つも抱え夫には内緒で友達と週末旅行にでかけハメを外してレイプされかかる主婦テルマの刻々の変貌演技はなかなかのもので目をみはらされる。要は女ゆえに(特に性的に、という気配があるのはアメリカ的かも)虐げられ、追い詰められた女たちのそこからの逆襲劇ということでジェンダー問題を描いたとも見られるが、そこに銃が介在して来るのもいかにもアメリカ的アクションだし、最初に見たときびっくりだったグランドキャニオンのジャンプは、特攻隊的ハラキリ?にも見え、ジェンダー映画としては1990年代的絶望を感じさせられる。追うパトカー群にヘリコプターもいかにもオカネがかかったリドリー・スコット映画。追う中で彼女たちに同情をしめす刑事ハルがなんか非現実というかリアリティが感じられない。(2月16日 新宿シネマカリテ 045)

⑭ミレニアム・マンボ千嬉曼波
監督:侯孝賢 出演:舒淇 高捷 段釣豪 2001 台湾

これも懐かしい場面満載。コロナパンデミック直前の20年2月、駆け込みで映画の最初に出てくる基隆の歩道橋を見に行ったのだった。あれから丸4年!
この映画、なんといっても印象的なのは李屏賓カメラによる色合いビジュアルの妙だ。暗く滲んだような背景場面に浮かぶ原色の光と影の台湾の夜、そこにくっきりたゆたう青白い白(たとえばビッキーの肌着)その青白さをそのまま移したような東京や夕張の色合い。それは若い男と同棲しながら暴力的ともいえる支配を受け、その支配を逃れるかのように中年の高にいたわられ、彼を頼って日本にまでやって来るものの、行き違った高は携帯一つを残して現れず、ひとり夕張まで流れるビッキーの心象のようにも思われる。夕張の雪の夜シネマ街道を歩きながら、ようやく彼女は解放される?着衣や、什器、ペットボトルなど、現代と変わることのない風俗の中で、最初やや大きく(ビッキーとハオが住む家のこれは家電?)あとの場面では小さな折りたたみ式携帯、もちろんスマホのない時代、それに全ての人物が煙突のように吸い続けるタバコに2001年ミレニアムを感じさせられる。2週間限定上映の4K版。会場、平日午後にも関わらずけっこうな人出。(2月16日 新宿武蔵野館 046)

⑮ノスタルジア
監督:アンドレイ・タルコフスキー 1983ソ連・イタリア 126分

すっかり4Kづいた今日この頃。日本公開40年を記念した上映だそうなので、初見から40年ということか…それにしては印象があまり変わることがないのは不世出の名作だからということか、あるいは若い私の目も新鮮でよく見えていたということか?
カラー(現実)とモノクロ(主人公のノスタルジックな内面)が入り交じる、モノクロ場面のクリアな美しさとともにカラーは陰影豊かで色は豊かというわけではないが、ときにはっとするほど美しい自然の色や特にヒロインの顔つきなどを浮き立たせ、この現実とも寓意ともつかない世界の静かな終末と、息も絶え絶えながらその中に見出される希望を感じる。     (2月18日渋谷文化村ル・シネマ 047)


⑯ティメー・クンデンを探して
監督:ペマ・ツェテン 出演:マンラキャブ ツォンディ ルモツォ 2008チベット 中国(チベット語)112分 ★


竜のマークの中国電影局公認映画であることにまず感慨。ここに描かれるのはまさにチベット文化そのものではないかと思われるのに…。ただし2008年作品なので、当時の中国でならOKだったというふうに見るべきかも。
ティメー・クンデンはチベット仏教の聖者で、妻子や自分の目さえも布施として差し出した物語が伝承歌劇としてチベット各地で演じられている。この映画は、その歌劇を映画化したいと考えている監督・スタッフが出演者を求めて各地を車で回るロードムービー。所々での出演しないかという交渉や、オーデション、またオーデションを兼ねたティメー・クンデン劇の一節などのほかは車の全部から車内のメンバーを映す、あるいは前部ウィンドウからの進む道と囲む景色、時に車の行く手を阻む羊やヤクの群れというわけで長回しだし、自分もチベットを旅しているような気分になってドキュメンタリー的に楽しめる。
いっぽう物語は主演女優を打診された女性が、長年の相手役で恋人だった男性が街で小学校の教員になったのを機会に歌劇を捨て他に恋人を作り彼女を捨てた、その彼が出演するなら自分もでる。その交渉には自分も同道せよ、ということで車には、監督、カメラマン、案内する地元の社長、運転手と彼女(ピンクのスカーフで顔を半分以上隠し、窓際によりほぼ無言)が乗るが、車のなかでは映画好きが昂じて案内を買ってでた社長(元僧侶)の恋と失恋の経緯が饒舌に語られる。この話が、失った恋人を静かに執拗に追う女性に影響して、彼女は元恋人にあったうえでいわば諦念の境地からあらたな道を歩きだすということ??
ほとんどセリフなく、顔を隠して車の窓に写るアップと遠景の立ち姿、御供物がないから寺には参らないとひとり車に残ったりもするのに、この女性の存在感は監督よりも饒舌な社長よりも強い感じで、諦念や布施により我望としての愛を捨てるという価値観が体現されている??ウーン、ワカラン世界だがきわめてドキュメンタリー的な気もして見るに耐えるという感じ(2月19日ヒューマントラスト有楽町 ペマ・ツェテン特集 048)

⑰ミツバチのささやき
監督:ビクトル・エリセ 出演:アナ・トレント イザベル・テェリエア フェルナンド・フェルナン・ゴメス テレサ・キンベラ1973スペイン 99分 ★★

監督の新作『瞳を閉じて』公開記念ということで…公開期間も場所も限られている?せいか、平日昼の立川キノシネマ結構込み合う。
もちろんン10年前に既見だが案外話の流れなどは記憶していなくて、ただ冬の畑の固い畝の向うにある井戸のある家(倉庫?)そこに向かってかけていく少女アナのイメージはくっきりはっきり覚えていた。そもそもに内戦の脱走兵?が現れ少女が助けようとするも…という以外にはドラマティックなことはほぼ何も起こらない日常を描いているのだと思われるが、それでいてこれだけの吸引力をもつのはどうしてなんだろう…(2月20日 キノシネマ立川 049)

⑱エル・スール
監督:ヴィクトル・エリセ 出演:オメロ・アントヌッティ ソンソレス・アラングーレン 1983スペイン・フランス95分 ★

こちらは前作から10年後、夕方も遅くなり夜にかかってくると人出は激減。見ているうちにああ、そうだと少女と父の最後の食事場面などなつかしく?思い出す。
少女は視点人物として比較的幼い時期から娘時代に至るまで登場するが、むしろ南(エル・スール)の故郷を捨てて北に住みつつここにも安住できず娘を愛しつつもさらに違う世界に向かおうとする父のほうが主人公で、初聖体拝受の儀式とか、舞台となる1950年代の映画館、結婚式、家の前の道(街と田舎をつなぐ中間にあるカモメの家)を父のバイクの後に乗る娘の至福とかと、その喪失が胸をつくが、同時に父の置かれた(と感じられる)閉塞的世界と、父からも、父と娘の世界からも排除されていながらそれを感じているようでもない妻(母)の悲歎というのも感じられる。(2月20日 立川キノシネマ 050)

⑲田園詩
監督:オタール・イオセリアーニ 出演:ナナ・イオセリアーニ 1976年 ジョージア98分


ジョージアのある村にトビリシから弦楽四重奏団の若者たちが夏合宿にやってくる。物珍しく見つめる子どもたち。映画は特にドラマティックな筋があるわけではないが、彼らを見つめ客として受け入れつつ自らは自分たちの生活に勤しむ村人たちの姿を描く。村の農民たち、顔役?的立場の人々、女たち、若者たちと姿や形で描き分けをはっきりしながら、それぞれの人々の村での立ち位置、村への思いや都会への憧憬などがわりとくっきりと浮かび上がってくる。中でもイオセリアーニ監督の娘ナナの演じる村の少女ー少し年かさで家事を手伝ったり客の世話をしたりしながら静かに外の世界にあこがれてもいるーが印象的。また村の老人として出演しているあれは監督自身かしらん?
チラシによれば「映像叙事詩」だそうで、なるほど…。
(2月22日 渋谷イメージフォーラム  オタール・イオセリアニ映画祭051)

⑳沖縄狂想曲
監督:太田隆文 出演:前泊博盛 屋良朝博 太田昌秀 山本太郎 鳩山由紀夫 佐喜眞道夫 2024日本 115分 ★★★

ドキュメンタリーだが、40人近い人々のインタビュー、亡くなった人を中心にアーカイブ映像で綴った部分も、沖縄戦当時の写真や動画(米軍撮影のもの)なども含め、まさに「狂騒」的とも言えるが、(多分)島外出身の作者の質問が、私たちの身代わりをしてくれるようで、そこで知らされる情報、特に大学人の前泊氏の分析ー日米地位協定について今更ながら理解納得―、ジャーナリストの屋良氏の話などは、外部人として?他人ごと(まさか映画に出てくる若者たちのようにリゾート地としてだけの沖縄を認識していたわけではないが)としてしか考えていなかった?自分の知識の浅さを反省させられる。
騒音問題では地元の若者(騒音を当たり前のものとして受け入れている)と高齢者の感覚差が述べられたが、コザ騒動、オスプレーなどでは非沖縄人としての自分を反省させられたし、基地に関する感覚はアメリカはむしろ撤退方向で、基地を残したいのは日本政府の関係者(麻生とか、安倍とか)の利権に対する意識かというのはそうなんだ…ととにかくすごく勉強になったし、ではどうするのと自問すると悩ましい映画ではある。(2月23日 新宿K’S シネマ 052)

㉑アリラン・ラプソディ
監督:金聖雄 出演:川崎のハルモニたち 2023日本 125分 ★

くしくも「ラプソディ」と名のついた映画の1日2本目。会場は⑳もそこそこ入っていたが、こちらは満席状態。終わりに監督と金井真紀さん(イラストレーター)のトークがあったから?(私は行ってからあることを知ったのだが…)
主人公は川崎市の共生センターに集う在日(おもに1世)のハルモニたちで、彼女たちが老いて文字を学び書いた作文や絵などもたくさん出して、活動を楽しみ、ヘイトスピーチに反対し、沖縄で戦争を生き抜いたおばあと共感してともに踊り(いわゆる日本の大和んちゅを飛び越えて朝鮮民族と琉球民族は踊りで共感しあえるのかななどと思ったが、監督の母は歌ったり踊ったりする人ではなかったとのこと。私は自分が踊ったり歌ったりする人ではないみたいー若い時は踊ったり歌ったり決して嫌いではなかったがーという自覚が最近あったので、なら歌い踊り共感できるのは個人差か?とちょっと安心した)
そして政治の話ー選挙権がほしい(いや、そんなもん無意味という人もいる)という議論ーなどの数年間。そして最後は戦争反対のデモをして生きていてよかったというハルモニ。と、盛りだくさんな内容で、監督もトークで話していたが「正義の押しつけ」みたいにならないか心配したそうだが、沖縄への連帯などの形で世界を広げているのがいいかなと思う。なによりこのおばあさんたち年齢的には一番若い人は自分くらい、年長は私の母くらいという25年くらいの差があり、体が不自由な人も踊れるくらい丈夫な人もいるのだが、なかなかに品よく、しかも長い暮らしとはいえ日本語も上手だし知的なレベルが高い人が多いと思われる。その人々が映画に出ることを楽しみに自分の事を伝えたいと考えるその力になるのならばこういう映画の意義や価値は十分にあるのだと感じる。苦しい暮らしを語るわりには楽しい映画に仕上がっているのに感心。ただ「戦争反対」と叫ぶのはもちろんいいのだが、そういう声がどこにどう伝わるのかという意味では暗澹たる感じもないではない。(2月23日新宿K’S シネマ 053)



㉒そして光ありき
監督:オタールイオセリアーニ 出演:シガロン・サニヤ サリー・バジ ビンタ・シセ 1989フランス・イタリア・西ドイツ 106分


ベネチア映画祭で審査員賞を受賞したという異色作で、映画.COMによればセネガルの森にすむディオラ族の牧歌的生活と産業により文化が侵食されていく様子を描いたといい、まさにその通りなんだが、このディオラ族というのは実在なのだろうか??(ウキペディアなどでセネガルやセネガルに住む民族を見ても出てこない)
最初の場面では男も女も上半身は裸、男は洗濯を業とし、女は森に狩りに行き、男を取り合うのは女どうし、祭祀や生活のリードをしているのは女たちで、なぜか死者の甦り?(切り取った首を体につなぎ復活させる)とか部落の女の出産が近づくと選ばれた女が、老女のもとに行き名前を生まれてくる子に継がせると宣言して老女の方に村を出ることを宣告、老女は痩せ馬にまたがって森に消えるとか…現代(いちおう1980年当時としても)にあるとはあまり信じられないような生活ぶりがどこまでフィクションなのか、もしこういう生活をしている部族がいたとしてその物語を映画に撮ること自体が、映画が批判している文化浸食ではないか?フィクションであるならば、このような部族的生活を演じる村人たち(の役者)はどんな心理状態?納得できるのだろうか…と、なかなかに興味深い民俗学的事象なのではあるが見ながら気になってしょうがない。
映画では怠け者の男に愛想をつかした女が別の男と再婚するがその男とも別れ、3人の子を連れて森林伐採にきたトラックにの荷台に乗って(つまり街に)逃げる。二番目の夫と最初の夫が丸太の太鼓の音でことばを交わし、最初の夫に「今度はおまえの番だな」と揶揄されながら、ロバを引いて妻を探しに旅に出る。国境に来るたびにイスラムの帽子を与えられ、腰布1枚からズボンをはかされ、やがてシャツも与えられて、同じく町の人らしい上衣とスカートの妻に巡り合うシアワセとかの描き方もどうなんだろう。
村は最後にこの生活を維持できない裸をやめた村人たちが続々と離村し、炎上するという悲劇的な寓話として幕を閉じるのだが…。ちなみに映画のことばは部族のことば?なのだろうが、字幕等はなし。時たまあらすじや、その時の特徴的なセリフを表すフランス語字幕が黒地の独立したテロップとして現れる(昔のサイレント映画みたいな…)という仕組み。ま、とにかく見たことがない感じの映画ではあった。(2月25日 渋谷イメージフォーラム オタール・イオセリアーニ映画祭 054)

㉓君のためのうた
監督:ドゥカル・ツェラン 製作:賈章柯 ペマ・ツェテン 2020中国(チベット語 中国語) 93分


もともと音楽家であり、ペマ・ツェテンがチベットでのチベット語の映画を作るmemberとして美術のソンタルジャと音楽担当のこの監督を北京電影学院に呼んだというのが、上映後に登壇した監督の弁で、この映画も物語の妙というよりかは音楽映画の色合いが濃くて、チベットの民族楽器を使った民謡のような歌を主人公の若者のほか登場人物ー中には10歳くらいの少年もーを朗々と聞かせるのが印象的。歌手志望だが自信満々でコンテストに出ても入賞できない主人公ガワンは同じコンテストの入賞者で、ガワンの持つお守りに入っている女神像にそっくりな女性に、CDを発売しないとコンテストには入賞できないと教えられる。CD作りには10万元?かかるというのだが、友人仲間のカンパや、元歌手の父親、また嫁入りの持参金を出してくれる姉などに恵まれて、なんとかお金を作った彼は、遊び仲間というより悪友か…の友人とともに西寧にCD作りの旅に出る。その過程でいろいろな人に出会い歌を聞き、友人の賭博の借金取り立ての一団に襲われ車ごと崖下に転落したりして大変な目にもあいながら西寧ではバンドで歌う「女神」の彼女に再会してその助けを借りて自らもステージに立ち、また都会の空気というか人擦れした人びとに翻弄されながらもなんとかCDを作るのだが…。マンドリンと言われる現代楽器に押されて影が薄くなりつつ伝統楽器と楽曲と、今風のポップやロックなど、またそれが混淆したような現代風伝統音楽などの中で混迷気味の状況下誰のために伝統的な音楽を奏で歌うのかというところで、地味ながら主人公が悩み惑い、ポップス系に行かなければ売れない?でもどうする??というあたりにチベットから西寧の風景を走る車のロードムービーに乗せて行って見ればガワンの成長譚にもなっていてなかなかに興味深い一作だった。終わって東京外語大・星泉(字幕監修者でもある)さん司会による監督(北京からかけつけたそう)のトークあり。しかしこの映画も完全チベット語、監督トークもチベット語だが、映画自体は中国映画、彼らが勉強したのは北京電影学院というのもなんか複雑なチベット事情を感じさせる映画群ではある。ある意味新疆ウイグルなどより中国化の波にさらされているのかもしれない。(2月25日 ヒューマントラスト有楽町 ペマ・ツェテン特集 055)

ドゥカル・ツェラン監督


㉔一人と四人
監督:ジグメ・ティンレー 製作:ペマ・ツェテン 出演:ジンパ ワン・ジェン クンデ 2021中国(チベット語 中国語) 88分 ★


ペマ・ツェテンの息子の作品。雪深い山林の道路での警察と密猟犯とのカーチェイス。どちらの車も雪の中で事故ってそのあとは犯人と警察官の撃ち合いになる。一方森林監視員(ペマ・ツェテン映画の常連ジンバが演じている)の男は朝のうちに旧友が妻からの離婚申請書を届けに来て去ったあと、日記を書きながら孤独に過ごしている。そこへ飛び込む顔と耳にけがをした男が密猟者を追っていたが道に迷った警察官だと名乗る。しかし銃を突き付けられ監視員は警察官なのか半信半疑からともに壊れた車を見に行き相棒の警察官の死を確認し、やがて信じる。そこに戻った旧友が密猟者の遺した鹿の角や毛皮を見つけて隠したというので警察官は旧友を連れてそれを探しに…その留守にも一人森林警察官を名乗る男(この男も顔にけがをしている)小屋にやってきて、出かけているもう一人こそ犯人だと言い隠してあったのを見つけたと角と毛皮の袋を持ち込む。そこに戻って来た二人は袋がなかったといい、三人はそれぞれに監視員に銃を向けるという状態に。一種の「藪の中」構成で、誰が信じられるのかサスペンス状態になる監視員…。ハラハラドキドキ的展開であるとともに、寒い寒いホントに寒さが伝わってくるような画面にいささか疲れつつも惹かれる。(2月26日ヒューマントラスト有楽町 ペマ・ツェテン特集 056)

㉕草原
監督:ペマ・ツェテン 出演:アマ・ラド アナブ ドルマキャブ 2004中国(チベット語) 22分 ★


ペマ・ツェテンの北京電影学院卒業制作の短編。放生ヤクが盗まれたとして放生した老婆ツゥモを連れてヤクを放生した村に出向き犯人捜しをする村長。ツォモは犯人を捜すことはさらに罪を増やすことになると反対するが、村長は昨年羊を盗んだという男たちを犯人として、彼らは盗んでいないという誓いをたてさせる。結局ヤクを(それとは知らずと言っているが)盗んだのは村長自身の息子であった…短いが無駄なく、チベットの習慣や人々の考え方をくっきりと描き出した迫力ある作品で、卒業制作というがその完成度の高さは今見ても迫ってくるものがある。㉔と伴映。(2月26日ヒューマントラスト有楽町 ペマ・ツェテン特集 057)

㉖静かなるマニ石
監督:ペマ・ツェテン 出演:ロブサン・テンペル トゥルク・ジャホンツァン カトゥブ・タシ 2005中国(チベット語) 102分 ★★


卒業制作の1年後の初長編だと思うが、少年僧の気持ちと行動に寄り添いながら、チベット特有?の少年僧の制度やマニ石、そこに入ってくる近代的非伝統的な価値観ーテレビ、中国語教育、それに伴い自分は都会に出て働くという少年僧の弟などを描くわざの完成度。 
電気がようやく通ったばかりのチベット・アムド地方の山村の冬。寺でも村でも正月を迎える準備で忙しい。親元を離れて寺で修行している1少年僧は先生のもとで勉強に励むいっぽうで、寺では年下の化身ラマの居室にしかないテレビに興味津々。大晦日、迎えに来た父に連れられて3日間の正月休みに実家に帰ると、家に届いて間もないテレビとVCD(昔あったのです。ビデオCD)に大喜び。正月の伝統行事である村芝居の歌舞劇「ティメー・クンデン」もそっちのけで西遊記のVCDに夢中になる。少年僧は西遊記を先生たちに見せたいと思って家族に頼み込み、テレビとビデオデッキを父の引く馬に載せて寺に戻る。化身ラマにも西遊記を見たいと言われ、見終わったVCDを化身ラマのところに運ぶ遠景は『友だちのうちはどこ』をちょっと思わせるような、少年僧の西遊記を友だちと分かち合いたいというひたむきさが感じられる。ここでは都市化や現代化が必ずしも否定的にはとらえられていないし、少年僧の存在に希望があるような描き方で、他のペマ・ツェテン作品に比べると明るい結末という気もする。調べたら2006年6月に草月ホールで見ていた。
(2月26日ヒューマントラスト有楽町 ペマ・ツェテン特集 058)

以下2006年の記録
チベット族監督によるチベット族を描いた作品。中国政府からの干渉はまったくなかったそうで、このように「未開」の少数民族が「文化」に目覚めて行く姿は中国政府としてもOKということか。物語は仏教修行に励む少年僧(小ラマ)の年越しの帰郷と、帰った家にあった憧れのテレビ・DVD。DVDの「西遊記」を自分の師に見せたいと1日だけの約束でTV受像器を借りることを父に懇願する息子。渋い顔はしながらも僧侶修行をする息子とその師のためにTVを馬に積んで運ぶ父。世俗的な「西遊記」のドラマに夢中になる僧侶たち。TVが大好きな7才の活仏などがみな本人?によって演じられる。この映画を覆っている雰囲気を一言でいえば「節度」であろうか。DVDに夢中になる人々を描き、商売でもうけたバイクを乗り回す若者、北京に行くことを夢見、中国語や算数を学ぶという小学生の弟などが見ていると、われわれの生活が現代化したのとはまったく違う猛スピードでこの山間の村の生活が変化しているのは不安さえ呼び起こすが、真面目な修行者がDVDに夢中になる一方できっちりと守ろうとする修行のようすや、一人黙々とマニ石を彫り死んで行く老人、また伝統的な仮面劇を演ずる若者たちのようす、老人を敬い互いに穏やかに接しつつ親は親としての権威を保っている家庭が描かれ、そのバランスの中で生きていくことを選べる人間の賢さというものを信じたくなる。しかし、映画出演まで果たしてしまったこの村の人々がそういうバランスをを保ちうるのどうかは本当のところ疑問ではあるのだが。(2006・6・16 赤坂 草月ホール 中国映画祭)


㉗落下の解剖学
監督:ジュスティーヌ・トリエ 出演:サンドラ・ヒューラー スワン・アルロー ミロ・マシャド・グラネール 2023フランス(フランス語・英語) 152分 ★

人里離れた雪山の山荘、取材にきた若い女子学生のインタヴューに応えるが、なかなか自分の事は語ろうとしない作家のサンドラ。するとそこに大音響の「P.I.M.P.」(50Cent)が流れてきて、とてもインタヴューができる状況ではなく学生は去っていく(この状況はのちの裁判シーンで学生自身の証言として語られる)。4歳のころの事故がもとで視神経にダメージを負った息子ダニエルは一人愛犬と散歩に行くが、帰ってくると父の死体が軒下に…というわけでサンドラの夫、ダニエルの父の死をめぐり、捜査が進むが、状況から転落死は否定され、サンドラは夫殺しの疑いをかけられることになる。
若いころからの、唯一弁護士である友人ビンセントがやってきて、後半は裁判シーン中心の法廷ドラマに。転落死でなければ自殺?というところで被告サンドラ側は戦うわけだが、夫を亡くしてその自殺が証明されなければ自身が犯人ということになるという妻の立場も恐ろしい気がするが、この映画の恐ろしさは夫の自殺を証明するために、必ずしもいい状況とは言えなかった夫婦の関係(家事や子供の世話に時間を取られ自身の創作の時間が取れないと悩む夫と、夫の母国であるフランスに移住し(=このサンドラはもともとドイツ人であまりフランス語が得意ではないという設定で、夫婦がイギリスで出あったことから家族の会話はフランス国内にありながら英語である=こういう設定って極めて現代的・ヨーロッパ的だ。もっとも日本でもそういう家庭がもはや決してないわけではない)
経済的にも楽でなく、子どもの障害もある中で、自らの道を切り開いて作家として成功している妻との相克というのはまさにジェンダー問題だなあ。才能のある夫を妻が支えるなんていう構図は今やまったく過去のものだと思うが、妻は才能を生かすに夫の内助なんてものは期待できないというのは今も変わらぬ事実なんだろうか)があらわになり、夫の精神的に追い詰められた弱さとか、彼ゆえの息子の事故が起こったことに対する自責や妻の側からの見方との食い違い、そんな中での子供の教育方針の食い違い、また夫婦間の食い違いによってあらわになる妻の複雑な性的志向(そこにも夫は当然不満を持っていた)などがあらわになっていき、さらに妻が夫の捨てた小説の原案を利用し膨らませて小説にしたことなどある意味作家としての立場を揺るがしそうな話まで飛び出し、しかもそれは一歩話がずれれば妻が夫を殺す理由にもなりそうな検察側の追及にハラハラさせられる中で、希望して裁判の傍聴を続ける息子が決断し望んだ証言が一つのきっかけとなって裁判が結審する。
作家志望の夫が自らの創作に利用するために家族の会話や喧嘩を録音していたというちょっと異常な事実もあって夫の死の前日の夫婦の壮絶なケンカが法廷で開示されてしまうという、ウーン。ま、これも怖いし。さすがカンヌのパルムドールを取ったという大作で、見ながら戦慄したり、考え込まされたりという、なかなかの充実した150分あまりだった。(2月27日キノシネマ立川059)

㉘瞳をとじて
監督:ビクトル・エリセ 出演:マノロ・ソロ ホセ・コロナド アナ・トレント マリオ・パルド ペトラ・マルティネス 2023スペイン 169分 ★

出だしは劇中劇映画、中国人の召使を従える「悲しみの王」?が探偵に生き別れの娘の捜索を頼むシーンから。実はこれは22年前の、主人公映画監督ミゲルの2シーンしかとられなかった作品で、ミゲルの海兵隊時代からの旧友で主演俳優で探偵役だったフリオが突然の失踪を説けたことによって撮影は中断、ミゲルは監督を引退し、今は海辺の町に暮らしながら作家活動をしている。その彼に失踪者の行方を尋ねるテレビ番組からの依頼が舞い込みテレビ出演することになる。
前半はこの番組に出るため?にミゲルが、長らく付き合いがなかったフリオの娘アナ、かつてフリオとともに親しかったロラという女性、またミゲルの編集担当だったマックスなど古い友人知人を訪ねてフリオについて語りながら自身の記憶をたどっていく。そしてテレビ出演を果たした後、海辺の町で若い友人夫妻や漁師の友と「現在」を生きるミゲルのもとに、テレビをみてフリオではないかという記憶を失った老人がいると、高齢者施設の職員からテレビ局に連絡が入り、その施設を訪ね、フリオらしい老人にいわば出会いなおしていくミゲル、フリオの娘アナも呼び寄せ、相手は自分を認識しないものの海軍時代の綱の結び方や、持っていた中断した作品で使った写真をもっていたりなど記憶を失った彼をフリオと確信し、彼の記憶を呼び戻そうとするミゲルを描いていく。
老人は3年前に街で熱中症で倒れた行き倒れでこの施設に入ったのだが、医師によれば逆行性健忘になったのは22年前の失踪時だろう、ということで、これは当時フリオを探し出せなかったミゲルとしてはかなりショック?そしてミゲルは自身の古いフィルムを保管しているマックスに来てもらい、フリオや彼の世話をしている施設の人々、そしてアナなどを廃業した街の映画館に集め旧作の上映を行うことにする。この映画最後は行方不明の娘が見つかり再会して王が喜びつつ亡くなるというシーン。そして???で、ミステリー・ドラマなどというジャンルに分けられているようだが、なぜフリオが失踪したのかとかそういうことが追及されるわけではなく、過去をたどって自身の記憶を確認していくミゲルを、映画にからめて描くというもので、その範囲内においてミゲルは極めて積極的(娘アナには父と再会することに逡巡が感じられるが、これは彼女が父の記憶をミゲルほどには明確に持っていないことによるのだろうか)で、結構息もつかせずという感じでかつ、ものすごく丁寧に描かれている。169分はさすがに長すぎる?と思われるほどにフリオがフリオと判明してからもまだまだ延々と続く。飽きさせない、分かりやすいが、語りすぎという感じがしないでもない。さらに劇中劇に登場する中国人の意味がイマイチわからない。というか寓話世界だから師怒ったがないのかもしれないがそのしゃべる中国語も含めてなんかすごく戯画的でウーン???アメリカ西部劇?の曲(一部替え歌)が映画内で歌われたり、映画オタクマックスの登場とか映画愛が画面の隅々まで満ち溢れている感じなのはうれしいが、これってやはり老人映画かも。若い人にも高齢者にも感動を与えた『ミツバチのささやき』に比べるとちょっとチープ感(お金はこっちの方がずっとかかっているはずだが)も…(2月27日キノシネマ立川060) 

書きました! よかったら読んでください。

  「男ことば」とジェンダー意識ーその歴史と変容ー

  『日本語学』2024 SPRING VOL.43-1 明治書院
     特集:ジェンダー意識と日本語 

いよいよ春です。
3月1日から大阪アジアン映画祭。私は4日から1週間大阪滞在、15本 の映画を見て、 間で山も1座登る予定。
また報告をしますので、お楽しみに…

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