【勝手気ままに映画日記+山ある記】2024年3月


六甲山ルート上からの神戸の街と海ー曇り空が残念ですが(3・6)

 3月の山歩き

3月6日 六甲山

芦屋川駅〜ロックガーデン〜風吹岩〜雨ヶ峠~六甲山最高峰(931m)~有馬温泉
6h26m 10.6Km ↗1070m↘668m  速さ110-130%(ヤマップ)20000歩

←風吹岩 手前の登り道     

15名のツアーに参加。3~40代くらいの女性のガイドさんが二人ついてくれて、とても丁寧な案内をしてくれたので、安心快適登山。
前日は冷たい雨、山上は雪も積もり、それが少し残っているような状況。当日も曇りで眺望は今一つではあったが、温度もそんなに高くはないので快適に歩けた。六甲山には初めて登る。登山路は沢山あって地図で見ると複雑、中には頂上までロープウェイで登れるルートもあるが、今回はしっかりの岩場をよじ登り、穏やかな道もさらに急登もという変化にとんだ10㎞あまりの中級コース。

    

最後は有馬温泉に下りましたが、寒いし、温泉という気分でもなく、大阪梅田行の高速バスで早々に帰ってきました。


3月14日  大岳山~のこぎり尾根~鋸山(歩き込みトレーニング)

御嶽駅〜ケーブルカー~御岳山(929m)〜大岳山(1266.5m)鋸山(1109m)〜のこぎり尾根~愛宕山~奥多摩駅

8h43m 11.4㎞ ↗904m↘1460m 速さ90-110%(ヤマップ)21600歩

↑大岳山上は好天でしたが、富士山は今一つ雲に隠れている感じ…。前半大岳山に登るまでと下りてしばらくは前日の積雪が20センチくらい残っていて、軽アイゼンをつけたり外したり、ツアー(8人)でしたので、それで少々時間が取られたりしたところもありました。
これは、2年前の2月に登ったのとまったく同じコース。かかった時間もほぼ同じ。考えてみれば昨年も5月に、このときは馬頭刈尾根のほうに下りたのでした。1年1回は登る大岳山かな…。『鬼滅の刃』で断然有名になりましたが、だからというわけではありません!

     ↑御嶽神社

                            

3月の映画日記

①1月の声に歓びを刻め②ヴェルクマイスター・ハーモニー4K③オスカー・ピーターソン

④BIG ⑤春行 ➅盗月者 ⑦すとん⑧馬語⑨シャングリラに逗留 ⑩未来の魂 渡unborn Soul ⑪トラブルガール(小暁)⑫シティ・オブ・ウインド ⑬葬儀屋 ⑭サリー⑮ハイフン ⑯ブラックバード・ブラックバード・ブラックベリー ⑰作詞家志望(填詞L)⑱潜入捜査官の隠遁生活(臥底的退隠生活)⑲全世界どこでも電話(全個世界都有電話)⑳1905年の冬 デジタル・リマスター版 (一九零五的冬天)

㉑JULLAY群青のラダック㉒月㉓ミカエル㉔私は今も、密に煙草を吸っている㉕ハンズ・アップ㉖辛口ソースのハンス一丁㉗スターリンへの贈り物㉘プロスペローの本㉙英国式庭園殺人事件 4Kリマスター版㉚数に溺れて 4Kリマスター版㉛アダミアニ 祈りの谷㉜黄金少年 ゴールド・ボーイ㉝52ヘルツのクジラたち㉞戦雲いくさふむ㉟アユニ/私の目、愛しい人㊱戦禍の下で㊲メークアップ・アーティスト㊳ZOO㊴流転の地球 太陽脱出計画(流浪地球2)㊵四月になれば彼女は㊶神の道化師、フランチェスコ デジタル・リマスター版㊷12日の殺人

大阪アジアン映画祭作品を除き
日本映画①㉑㉒㉛㉜㉝㉞㊵8本 中国語圏映画㊴
イスラム映画祭㉔㉕㉖㉗㉟㊱㊲7本
ピーター・グリナウェイ特集 ㉘㉙㉚㊳
旧作 ②㉓㊶など
ドキュメンタリー③㉑㉛㉞㉟㊲
というところ。珍しく日本映画や、日本人が作った映画(㉑㉛は日本人が海外を舞台に撮った作品です)をたくさん見ました。★はなるほど、★★はいいね!★★★はおススメですが、あくまで個人的感想です。最後の数字は今年劇場でみた映画の通し番号。
文中に出てくる映画のうち赤字は『電影★逍遥』に記載があるもので、掲載ページに飛ぶことができます。


①1月の声に歓びを刻め
監督:三島有紀子 出演:カルーセル麻紀 前田敦子 哀川翔 坂東龍汰 原田龍二 片岡礼子 宇野祥平 とよた真帆 松本紀代 2003日本 118分

4部構成、1部北海道・洞爺湖中島、2部八丈島 3部大阪堂島(ここだけはモノクロ)、最終章は1部と3部の流れを受けていて、登場人物の一部の名前も共通しているのだが話としてはつながっているわけではなく「れいこ」も別人だろう、というオムニバス3部作みたいな映画。1部は6歳でレイプ被害に遭った娘れいこに自殺され(まさか6歳で自殺ではないよね?)自らの男性性を憎んで性転換した元父のもとに、娘一家が訪れ、静かで寂しい新年の会食をするという話でその場にいない次女れいこが元父の女性の心にいて、長女一家ともギクシャクする。
2部は八丈島で島から離れていた娘の帰還を迎えた一人暮らしの父(と友人)、3部は予告編でもさんざんに喧伝されていた前田敦子主演の、幼時レイプされたことにより男性に触れることができなくなった女性が元恋人(セックスなしだった)のコロナ死の葬儀の日、トト・モレッティを名乗る若い男と出会い…という話で3つの話の間にはストーリー的な関連はなく、1つ1つの話も映画の物語というよりは短編小説を読んでいるような、つまりビジュアルより登場人物の心情を表したような作りで、したがって主人公の演者の演技力によって成り立っているような映画だと思った。その意味では1部のカルーセル麻紀、2部の哀川翔、3部の前田敦子、さらに1部、3部の水の景色(特に北海道洞爺湖の陰影は力が入っている感じ)のすばらしさによってなんとか成立?というのはちょっと厳しすぎる見方かなあ…。
主人公が見ている方向が自分、もしくは自分と娘?のみで広い広い自然の中に収れんする小さな世界を築いて他者を排除しているという感じが否めない。ウーン。前田敦子扮するれいこが子どもの頃のレイプされた現場でキンギョソウをむしる狂乱なんかもまさに狂乱でキンギョソウ(やそれを咲かせた人)を非難している荒々しさが真に迫りはするがあり得ない設定だよなと思えてしまう。カルーセル麻紀の元父が洞爺湖に叫ぶシーンも。最終日、始まる前に監督の挨拶があったが…(3月1日 渋谷ユ-ロスペース 061)

②ヴェルクマイスター・ハーモニー4K
監督:タル・ベーラ 出演:ラルフ・ルドルフ ペーター・フィッツ ハンナ・シグラ デルジ・ヤノーシュ 2000ハンガリー・ドイツ・フランス モノクロ146分 ★★

出だしは、10時閉店とストーブの火を消す店主、そこにヤノーシュが来るぞと声がかかり、ヤノーシュ登場、客の一人を太陽に、また他の客を地球と月にそれぞれたとえテーブルを片づけた店内でその天体のまわり方を振り付けた群舞?っぽい状況を演出する。予告編でのこのシーンのヤノーシュ役ラルフ・ルドルフがあまりに優雅な身のこなしだったのも、この映画を見たいと思った一つの理由だったが、全体上映となるとそのシーンの彼の身振り、埋没する感じでそれほどでもなく、このあとほぼ最後近くまで一貫して物言わぬ傍観者的ーしかし街にきた見世物のクジラは100フォリント払って見に行くし、おばに恫喝?されたとはいえ叔父エステルを説得して、街の人々へのリストへの記名を求めに行ったりもするので傍観者的というよりは受身の行動というべきかもしれない。
そうして街にやって来たクジラと、そして正体不明の扇動者プリンスに導かれ街の人々は暴動へとなだれ込む。ここにおじとは不仲なおばとその愛人?の警察署長が関わっているのは確かなのだが、暴動の行き先が病院で入院患者を次々に殴りベッドや器物を怖しと進むのはよくわからない。特に政治的弾圧とか軍隊勢力とかそういうものに抵抗するのではなく、いつの間にやら群衆がさらに弱者(病院の患者)に暴力をふるうという恐ろしさの強調であるののかも。
音楽家のおじエステルは、最初はヤノーシュに世話をされながら音楽理論(よくわからないのだがヴェルクマイスター批判をしているらしい)をもてあそぶ風だが、権力と結びついたらしい妻を断固拒否し、最後に追い詰められ精神的に破壊?されてしまったらしいヤノーシュを支えようとしながら町に残されたクジラを見つめるあたりは最初とは別人の面持ちがある。146分の長尺だが37カットしかないとかで1シーン1シーンの長さは際立つ。同じ場面がずーっと続くのだが案外疲れたり眠くなったりはしない(いや、眠くなっても目覚めたらまだ前のシーンなのかも)のがタル・ベーラのさすが!というところだろう、(3月2日 渋谷イメージフォーラム062) 

③オスカー・ピーターソン
監督:バリー・アヴリッチ 出演:ビリー・ジョエル クインシー・ジョーンズ ラムゼイ・ルイス ハービー・ハンコック ケリー・ピーターソン 2020カナダ 81分

カナダ生まれの天才ジャズピアニスト、共に生き、後から生まれて薫陶を受けた、あるいは4人目の妻として看取ったケリーなどの家族の話と、ピアノ演奏(本人のも、後輩ピアニストのも)で綴った81分はここのところ長めの映画ばかり見ている身としてはちょうど心地よい快い時間だった。それにしても音楽的な意味では常にスーパーマンで挫折なく、3回の結婚については語られることはなかったがケリーには深く愛され、脳卒中(字幕)になるが「倒れた」というわけでなく、1年ほどでピアニストとして復帰できるほどに回復(これはもちろん相応相当の努力をしてるはずだが)。天才の人生とはこういうものか…となんかまあ。黒人差別や、公民権運動にも触れられているが、本人がカナダの英雄であるせいか、彼自身が差別されたとかそういう視点で描かれているわけではない。(3月2日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館 063) 

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㉑JULLAY群青のラダック
監督:野村展代 撮影:佐藤竜治 2022日本 54分

インド北西部ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に囲まれたインダス川流域に位置する高山地帯がラダック。監督・野村はこの地を撮影した写真集『群青とバター茶と』に感銘を受け、作者の写真家佐藤竜治とともに、短大の卒業旅行以来28年ぶりの海外旅行として約1ヵ月あまりこの地を訪れ、自らも出演しながら、この地に住む人々と交流し生活ぶりを撮った、その記録映画である。
内容的にすごく意外性があるわけではないが、群青色の空を含めた景色の美しさ、そこに住むアビアンモ(アンモばあちゃん)と呼ばれる老女の老いながら健康そうな暮らしと体つき、そして特上の笑顔―撮影者に向けた笑顔で、監督との交流ぶりからもこの人が牛を飼い、畑を耕しという昔ながらの素朴な暮らしをしながらも非常に開明的で知らない他者?に心を開く様子で向ける特上の笑顔である―。わりとあっさり淡々と描いているが、この地が「シアワセ」の場所という感じが出ている。まあ、とはいえここも社会と無縁ではないはずだから、それだけではないでしょう?という感じもするところが、この映画の弱点と言えば弱点かも。上映後監督の挨拶があり、亡くなった佐々部清の弟子としてプロデューサーをしていたという経歴が明かされたが、ならばなお??という感じも。(3月15日 下高井戸シネマ 080) 

㉒月
監督:石井裕也 出演:宮沢りえ オダギリジョー 磯村勇斗 二階堂ふみ 高畑順子 2023日本 144分 ★★

辺見庸原作は介護施設の入所者、眼が見えずことばもしゃべれない「キーちゃん」の視点のモノローグで描かれるが、この映画は設定をそこから離して、彼女を分身のように感じる同年同月生まれ42歳、障がいを持った子どもを失い、東日本震災を人の気を引くように書くことを求められ書けなくなった作家ヨウコ(洋子)とその夫で、アニメーション製作を趣味として一人行いつつ社会的には息子を失ったあとの引きこもりからようやくアルバイトを始めた昌平を主役に据える。また自身も作家を目指し題材を求めて施設勤務をするのだと広言するが、クリスチャン家庭の表面厳格、しかし両親とも自身のウソを見ようとはしないというような家庭の中で精神的にはやはり追い詰められた感じでいるもう一人のヨウコ(陽子)を配して、献身的な施設職員でありながら「心がないのは人間ではない、生きていても無意味、むしろかわいそう」と殺人に走る画家志望だった職員「さとくん」を客観的にあるいは反面から「自身も無駄な存在ではないか」と悩むような視点で、その存在と行為を支えるような展開にしていて、辺見の原作を受け継ぎつつも映画的な物語世界が成立している。
最初の震災後の洋子が見た世界、続いて森の中の暗い暗い施設の内外、外の世界も全体的に抑えめな色調で、空に浮かぶ月も、さとくんがキイちゃんの部屋の壁に貼る月も、さらに彼が施設の入所者に見せる紙芝居も暗めだが、その中で、さとくんが描き洋子の家の壁に貼られる絵だけがなんか異様な明るさ、色彩で迫ってくる。見ごたえあり、陰惨な惨劇を描きながら最後には希望も見せる見ごたえの144分。役者たちもすごく頑張っているという印象の作品だった。最終日上映は平日昼間にもかかわらず盛況で座席はお1人一つにという放送あり。(3月15日下高井戸シネマ081)

㉓ミカエル
監督:カール・テオドア・ドライヤー 出演:ベンヤミン・クリステンセン  ウォルター・スレザック 1924ドイツ 95分 モノクロサイレント


2021年12月から行われた「ドライヤー特集」の第2弾として23年12月からの特集(多分)最終上映が行われている。公開作品7本のうち22年1~2月に見たのが『裁かるるジャンヌ③』(1928)『奇跡⑧』(1954)『怒りの日⑩』(1943)で、趣味的にはもういいかとも思いつつ、なんか「見ておきたく」なるのがドライヤー作品の妙という気も。で、時間があり体力的にも何とかというところでこの作品を見る。この映画は21年上映には入っていず、日本での劇場初公開らしい。完全サイレントで音楽に合わせて、場面と黒地に白抜きで字幕セリフが交互に出てくる方式なので、多分内容的には半分の時間?ですむのではないかという気も。
著名な画家ゾレとそのモデルから気に入られ養子になったミカエル。ゾレが肖像画を描くことになったザミコフ伯爵夫人アリスはミカエルを誘惑しミカエルも彼女にのめり込み、ゾレの元を離れ、また自身がモデルになったゾレの絵を勝手に売り払ったりする。前半は美形のミカエルの嫉妬やワガママがなんか不思議な可愛らしさみたいな感じで気持ちワルクもあるのだが、後半そんなミカエルを裏切られても愛し続け、見捨てられたまま全財産を彼に残して死ぬゾレの哀切が胸に沁みるという構造。モノクロだが華やかな感じが画面から漂う。
最後、師でもある養父ゾレの死の報を受けたミカエルは中国清朝風?の衣装で、その彼をアリスが抱きかかえるシーン、『さらばわが愛覇王別姫』でアヘン中毒の蝶衣を菊仙が衣ごと抱きかかえるシーンとそっくり。陳凱歌はこの映画を見て影響されたのかななどと思えてしまった。(3月15日 下高井戸シネマ 090)

㉔私は今も、密に煙草を吸っている
監督:ライハーナ 出演:ヒアム・アッパス ピョウナ ファディ―ラ・ベルケプラ ナーディヤ・カースィー ナスィーマ・ベンシクー 2016フランス・ギリシャ・アルジェリア(アラビヤ語 フランス語)90分


舞台は1995年当時のアルジェ。ハマム(公衆浴場)の女湯(映画の中では男湯は気配もないのだが、別のところにあるのか??)が主な舞台で、90年にアルジェリアからフランスに亡命した監督が、ハマムシーンはギリシアにあるハマムで撮影したとのこと。最後の一瞬?の他は出演者は女性ばかリでスリップ(下着)姿、もしくはバスタオル様の布を巻いた半裸という感じで、実は画面があまり明るくないワンシーン撮影(らしい)そこに大勢の女性が出たり入ったりという感じのいわば群像劇で、ウーン老いた目にはまずは女性たちを見分けるのが一苦労。しかもこの女性たち立場も敬虔なムスリムから、そうでもない人、男性との関係もさまざまで、その間に議論やときにケンカ、共感のタバコシーン、出産シーンまであってさまざまで、実に濃縮された80分ほど。最後にはマリヤムの出産後男たちの黒集団が浴場に押し寄せ衝撃のラスト。最初と最後に女たちの一人サミーヤの屋上(母に出るのを禁止されている)での「憧れ」の語りー最後の場面に空を飛び交う黒い布はヒジャブかな??ー、また最初に買い物に出た浴場の主人格の女性ファーティマが街でテロ事件に遭遇するなど、当時の非常に厳しい世相の中での状況であることが描かれていく。妊娠したのは16歳の少女マリアㇺで「ふしだら」を兄に迫害されて逃げてくる。彼女を匿い、またさまざまな自己主張をする女たちを広い浴場のあちこちにおいてさばきながら全体を見まわしているファティーマ役のヒアム・アッパスは『シリアの花嫁』(2004)『扉をたたく人』(2007)『ブレードランナー2049』(2017)などに参加している見覚えのある人。この人はアラブ系パレスチナ人で、イギリスに移住して活躍しているとのこと。
(3月16日 渋谷ユーロライブ イスラーム映画祭① 091)


㉕ハンズ・アップ
監督:ロマン・ゲ―ビル 出演:リンダ・ドゥデヴァ ジュール・リトマック ヴァレリア・ブルー二=エデスキ ロマン・ゲ―ビル2010フランス(フランス語・チェチェン語)92分 ★★

チェチェンからやってきてフランスに住む不法滞在者の娘、小学生のミラナと遊び仲間の少年ブレーズとその妹、いろいろな民族が入り混じっているような友人たちを中心に子どもたちの世界が描かれるが、実はこの子どもたちの世界は2067年、すでに老境に達したミラナと一部ブレーズの視点から2008年を思い出して描くという設定。
2008年当時サルコジ大統領の移民政策の変化により不法滞在者の摘発・強制送還が行われ、ミラナの友人も強制送還されてしまう。恐れるミラナ一家や、彼女の通う学校。ブレーズの母は該当の子供たちを預かって警察の摘発から守るという提案をし、自らミラナを自宅にあずかることに。前半あたかもバケーションのごとくフランスの家庭でいたわられ、のびのびとするミラナ。しかし強制送還にによってある悲劇が起きたことから子どもたちはレジスタンスとして家出をし姿を隠す―いかにもフランス社会という感じだなあ―というそのいきさつが描かれる。
ミラナ一家は滞在定住を認められるが一家で他都市に引っ越すことになり、好意を持ち合っていたブレーズとは老いるまで二度と会うことはなかったという苦い結末付き。ブレーズの母を演じているのは有名な女優バレリア・ブルー二=エデスキで、いかにも解放的なフランスのリベラルな母として子ども映画ではなく大人の映画として画面を引き締める。彼女の妹はサルコジ大統領夫人だそうで、映画内では2067年の語りで「大統領の名前は忘れた」と言って見れば「寓話化」されている。(3月16日 渋谷ユーロライブ イスラーム映画祭② 092)



㉖辛口ソースのハンス一丁
監督:ブゲット・アラクシュ 出演:イディル・ウネール セセデ・テルジャン デメト・ギュル アドナン・マラル シーラ・エログリュ ハティジェ・アキュン(原作者) 2013ドイツ(ドイツ語・トルコ語)92分

2月に見た『きっとそれは愛じゃない③』はイギリスに住む成功したパキスタン移民の一家の話だったが、こちらはドイツのトルコ人一家。娘3人と息子?がいて暮らしぶりは、メルセデスに乗っているというしみたところ、やはり成功して裕福で、そして彼のパキスタン人一家と同じくというかそれ以上に故国の暮らしや文化を大切にしている一家。その末娘は恋人との間で妊娠してしまうが、父親は姉娘(次女)が先に結婚しなければ末娘の結婚は認めない(ってこれがまあトルコ文化?)で、次女があたふたとする話。この次女(原作者のハティジェ・アキュンがモデルの劇中名もハティジェ)はトルコ文化嫌いで、トルコびいきのドイツ人の恋人の言動が鼻につき別れてしまう。そこから父の手前紹介できる、恋人を演じてくれる男を、妹の妊娠が目立つ前に期限を切って探さなくてはならない―探しては実家につれていくというのがまあ、大変。そして結局…という展開は概ね予想の範囲で、要は結婚(親の気に入る相手との)よりは自身の生き方を見つけようとする―その時にもしかしたら?という男性も現れる?のは予測通り。家長意識を振り回し娘の結婚相手を紹介せよと迫る父親のうざさ、こういう価値観についていけないという感じに打ち勝ちつつ、細部ではトルコ文化とドイツ文化のぶつかり合いとか、トルコびいきの恋人を許せず、かといって自身もトルコ文化にとらわれている―彼女の内心の声を表す「妖精」として5人ほどの「小人」が時に応じて姿をあらわし彼女にいろいろ助言というか叱る(映画的演出だ)。その一人が原作者のハティジェ・アキンだそう。ちなみにこれはフィクションではなく、彼女の経験を描いたエッセイだそう。
映画後、最近ドイツ―イスラム系映画でよくお会いする?渋谷哲也氏のドイツ映画におけるトルコ系の丁寧な説明あり。終わる夜10時ではあったが、映画祭なりの勉強になった。
(3月16日 渋谷ユーロライブ イスラーム映画祭③ 093)



㉗スターリンへの贈り物
監督:ルスタム・アブドゥラシェフ 出演:ヌルジュマン・イフテムバエフ ダレン・シンテミーロフ エカテリーナ・レドニコワ ヴァリデマル・シチェバニヤク パフチャル・コ—ジャ 2008カザフスタン・ロシア・ポーランド・イスラエル(ロシア語・カザフ語・ヘブライ語) 96分 ★★

舞台は1949年のカザフスタン。貨物列車に載せられたユダヤ人たちが移送されてくる(当時いろいろな民族がカザフスタンに集団移住させられた)。貨車の中で祖父を失い孤児となったサーシカという少年。車内で亡くなった7人の遺骸の一人として運び出され、カザフ人の鉄道員カシムに助けられる。そこにはさまざまな民族の男女・子供たちが暮らし、サーシカもその一人として流刑になった政治犯の妻というヴェルカや、ポーランド人の医師?ヨージクに助けられ可愛がられるが、政府の役人?や警察官バルガハイはこれらの人々を支配だ弾圧しようとする(特にヴェルカはレイプにあったり…)。そんな折、スターリンへの「贈り物」が推奨され、少年はスターリンに自分がカシムからもらった子羊を献上すればスターリンが離れ離れになっている父母を探し出してくれるのではないかという期待を持つ。そんな中ヴェルカとヨージクが結婚を決め人々は歓びに沸き立つが、結婚するヴェルカを「売女」と罵倒し結婚式に乱入するバルガハイとヨージクが乱闘になり…時を同じくして「スターリンの贈り物」(実はソ連最初の核実験)がこの地帯を襲い、悲劇のはてにこの地を離れたサーシクがこれも㉗と同じく何十年か経って老いてこの地を訪れカシムがかつて作った祖父の墓、さらに同じ地にカシムやヨージク・ヴェルカも葬られているこの墓に参る場面まで。
色合いといい映像の配置と言い、なんか古風な感じで50年頃のデジタルリマスター上映かと思うような画面だし、物語の描き方もわりと古くさい??のだが、案外新しくて10数年前の映画。そういえば主人公カシムを演じたヌルジュマン・イフテムバエムなんか見覚えのある役者なのだが…なお、本作基本はロシア語で、ヘブライ語は祖父の死の場面など少しだが、カザフ語の方はロシア語の二重音声で翻訳がかぶるという形式(もちろん、これらに日本語字幕はつく)これは最初の公開時の形式だそう。また、日本では初公開は2010年、その後もあちらこちらで上映会が行われてきて、今回の上映になったらしいが、残念ながら未見であった。 (3月17日 渋谷ユーロライブ イスラーム映画祭④ 094)

㉘プロスペローの本
監督:ピーター・グリナウェイ 出演:ジョン・ギールグッド イザベル・パスコ マイケル・クラーク ミシェル・ブラン 1991英・仏 126分 ★

今回イメージフォーラムでの、グリナウェイ特集上映はマイケル・ナイマン音楽の4本で、その1本目として。
物語は『テンペスト』(シェークスピア)で、弟の陰謀により、娘とともに国を追われ絶海の孤島に流れ着いたミラノ大公プロスペローが、手に入れた魔法の書24冊に基づいて復讐を果たしミラノに帰るという話だが、話はともかく絢爛な「舞台」それもミュージカル劇の映像化という感じで目くるめく2時間余り。プロスペローらの豪華な衣装はワダエミによるものだそうだが、群像として登場する多くの人物はほぼ全裸に近い姿で性器も乳房も丸出しー小さな布切れはあえてその部分を避けて体にまとっている感じ、いや、もう役者も大変と思えてしまう。
魔物キャリバンはマイケル・クラークがこれも全裸?で演じているというか踊っているが無駄のない体の切れがなんとも印象的。またエアリアルは赤フン風の腰布と赤い大きな石を繋いだ首輪を身に着けた金髪の小は5歳ぐらい(ブランコに乗って長い長いオシッコシーンは「小便小僧」?)から大人まで5人くらいで入り乱れ、これがプロスペローを助け舞台の狂言回し的な役も果たしている。噂には聞きつつ、実は多分見るのは初めて?、なんか、まあすごいものを見せられたという感じかなあ…。(3月18日 渋谷イメージフォーラム ピーター・グリナウェイ レトロスペクティヴ① 095)

㉙英国式庭園殺人事件 4Kリマスター版
監督:ピーター・グリナウェイ 出演:アンソニー。ヒギンズ ジャネット・サズマン アン=ルイーズ・ランバート 1982イギリス107分 ★

1694年(タイトルロールの出演者欄で示される)イギリスのハーバート家に招かれた高名にして傲慢な画家ネヴィルは、主人の妻バージニア(といってもこの屋敷はそもそもは夫人の父から受け継いだもの)から、主人の14日間の留守中に12枚の屋敷の絵を描いてほしいという依頼を受ける。最初は渋っていたが、夫人にある条件を付けて引き受けることになる。毎日時間を決めて絵にかく場面から人払いをし、2時間ごとに移動して複数の絵を同時に描いて数日(6日?)で仕上げていくのだが、ある時から前日と同じ場面に新たなもの、例えば生垣に欠けるよう指示したシーツの1枚が切り裂かれた上着(主人の?)に変わったり、建物のある部屋に長い梯子がたてかけられたり、それらはどうも不在の主人にかかわるものらしく…そしてある日屋敷の前の掘から主人が変わり果てた姿で引き上げられる。ここで事件がはっきりするわけだが、ただ、この映画、犯人捜しミステリーに展開するわけでなく、どちらかというと当時家産を持つことができず、家庭内でも夫から顧みられることがなく、ただ後継ぎとなる子供の出生だけを期待されていたような女性の地位や、それに伴ういびつな家庭内の人間関係のようなものについて、ビジュアルではけっこうあからさまに見せながら、セリフとしてはむしろ遠回しな(しかしものすごく饒舌ではある)議論を展開していく感じで、身分は低いが才能に恵まれそれゆえ奔放にふるまう画家が、女たちをもてあそぶ?風に見えて逆にもてあそばれて身を亡ぼすというようなむしろ皮肉な展開が美しい庭園風景の中で営まれる。それが何なのかはっきりとは示されないまま、体を灰色に塗り固めて銅像に扮する道化?が一部始終を見ているという展開も、ザクロに関する夫人バージニアの洞察なども…。
ちなみにそれ以前のイギリスでは男子の後継ぎがいない場合主人が亡くなると家産は妻が相続することができず没収されたのだが、1694年、議会では女性に家産を持つ権利を認めるという方向に話しが進んでいたときだそうで、それゆえにこの殺人も起こったということになるらしい。男は誰もものすごく盛り上げた鬘、女はフリルレースたっぷりのドレスで、前時代的な衣装を振り乱しの壮絶?なセックス(に至る)シーンもなかなか…(3月18日渋谷イメージフォーラム ピーター・グリナウェイ レトロスペクティヴ② 096)

㉚数に溺れて 4Kリマスター版
監督:ピーター・グリナウェイ 出演:ジョーン・プロ―ライト ジュリエット・スティーブンソン ジョエリー・リチャードソン バーナード・ヒル 1988イギリス 118分 ★

一応時代は現代?(88年当時ではある)だが、出だしはビクトリア朝風の腰に鯨骨の入ったような白いドレスを着た少女が縄跳びをしながら星の数を数える―後の方で星の名全て知っている、100まで数えれば後は意味がないというようなセリフあり―題名にもつながるわけだ。その少女を見て通り過ぎる夫人シシ-・コルビッツ。家では二つの浴槽を並べて夫が若い女ナンシーと楽しんでいる…シシ―は夫の頭を浴槽に沈め殺す。ここから物語が動き出すわけだ。
翌朝シシ―(母)は娘のこれもシシ―とともに検視官のマゼット(なんか野外で息子に手伝わせ羊を飼いながら暮らしている)を訪ね、内密で事故死の死亡診断書を書いてほしいと頼み、マゼットは母シシ―に結婚をしてくれるように頼むというか脅し、母シシ―は一応ことばでは受け入れるが、その後の展開はのらりくらりでなかなか思うようにならないマゼットの姿が、その風変わりな息子(虫を取り、数え、自身に割礼を施したりする)とともに描かれていく。
けっこう長い色々あれこれ後―このあたり画面的には見せるのだが意図がイマイチわからなくてウーン、結構参った―娘シシ―が自分を振り返らずタイプライターの前に座り通し?の起きているときはいつも食べていると形容する夫を海で溺れ死にさせ、またマゼットと同じような展開になる。次は母シシ―の孫娘、娘シシ―の姪にあたる第3のシシ―で、彼女は長く付き合っていたイケメンと結婚するが、3週間で夫のわかりやすさに飽きたらなくなり、泳げないこの男に夜、無人のプールで水泳を教えるとして、浮袋を外して溺れさせてしまう、そしてまた…
要は女たちの結束した殺人と隠ぺいに巻き込まれ、誘惑されてしまって翻弄されるマゼットという男のだらしないどうしようもなさを描くという映画ということか…さすがに親戚や周辺人物から疑いを受け、女3人は100号とナンバーがつけられたボートにマゼットを誘い出し乗せて漕ぎ出す。さて何が起きるか…グリナウェイ映画っぽいなあと思われたのは、星を数える少女と風変わりなマゼットの息子がことばを交わしたあと、この父の出奔にあわせて悲劇的?なというか陰惨な最後を遂げるところで、ネタバレごめんだが、やはりこの世の皮肉というか、見かけ的には「美しい」?不幸が全編に漂っている感じがする。(3月19日 渋谷イメージフォーラム ピーター・グリナウェイ レトロスペクティヴ③ 097)

㉛アダミアニ 祈りの谷
監督・製作:竹岡寛俊 2021日本・オランダ 120分 ビスタサイズ ★

東ジョージアの山岳地帯パンキシ渓谷―なんとも美しいコーカサスの山々、その前に広がる緑の野―この地出身のキスト人でチェチェンに出て結婚したレイラはチェチェン紛争で難民となりこの地に戻った。紛争地から離して遠くに住まわせた息子二人はシリア内戦で命を落とし、今はこのパンキシで娘とともにゲストハウスを営む。
この地にはチェチェン紛争を逃れた避難民と独立派兵士が押し寄せ、ジョージア政府が秩序を維持できなくなって治安が悪化、911の同時多発テロ以後はアルカイダとの関係を疑われテロリストの巣窟とまで言われたという。さらにシリア内戦でもキスト人が参戦し多くの犠牲者を出している。その地を安寧の観光地として立て直していこうとするレイラ(ら11軒すべて女性が営むゲストハウス)とここに観光会社を作って他国に紹介し観光地としようとするポーランド女性バルバラ、その協力者として戦士となるよりこの地を平和にすることを選んだアボという男性、3人を中心にこの地の戦争の悪夢から平和への道を築こうする人々の営みを、自然や、伝統的な習慣なども交えながら、また母としてのレイラやバルバラの姿を通して、ナレーションはなく、セリフと字幕の説明でつないでいく、日本人監督(姿は見えない)が作った映画。
とにかく自然の美しさの撮り方は日本的というかみずみずしい感じで目が離せず。いつかコーカサスの山を見に行きたいという気にもさせられる。(3月19日 川崎市アートセンター アルテリオ映像館 098)

㉜黄金少年 ゴールド・ボーイ
監督:金子修介 出演:岡田将生 羽村仁成 星乃あんな 前田耀志 黒木華 江口洋介 松井玲奈 北村一輝 2023日本 129分

タイトルは黄色地に「黄金少年」とずっしり漢字の金澤翔子の手になるもの。この映画の見ごたえを表しているよう。なぜ「黄金」なのかよくわからないが、原作は中国紫金陳で『壊小孩』、翻訳は稲村文吾でほぼ直訳?の『悪童たち』(ハヤカワ・ミステリ文庫)で、これだとネタバレになってしまうから?、もちろん原作の中国を沖縄に移し、日本人の物語にしているので原作のそのまま映画化とは言えないみたい…と朝日の映画評にはあったっ気がする。
それで気になり、今原作の翻訳のほうも読みはじめたところ。だが、主人公の少年原作の「朱朝陽」は「アサヒ」だし、「丁浩」は「ヒロシ」でけっこう原作踏襲?で物語は沖縄の大富豪東財閥の入り婿が魏父母を崖から突き落として殺し(岡田将生って、こういう表面にこやか、しかしちょっと裏もありそうで酷薄そうな人物を演じさせるとうまいワ…)偶然その動画を撮った子どもたち(13~14歳、少年法の規定が彼らにとっては結構重要なポイントになっているという描き方)にゆすられるという話。悪い大人の話だが、こんなこと現実的にはアリか?と思えるような不幸な家庭事情を背負った少年たちが、それなりに悪童になって大人をゆするというわけで無力な大人を描いているようでもあり、しかしどんでん返し的にこの少年たち大人のアクなど目ではないという感じでもあり、演じる子のタイプも含めいかにも共感できそうな弱弱しかったりかわいそうだったりというところはなくて、そこが逆にリアルと言えばリアルなのかなあ。社会の目の子供への厳しさというものを感じさせる。そこが中国的と言えば中国的かもしれない。(3月20日 府中TOHOシネマズ 099)

㉝52ヘルツのクジラたち
監督:成島出 出演:杉咲花 志尊淳 宮沢氷魚 小野花梨 桑名桃李 真飛聖 余貴美子 2024日本 135分 ★★

母が再婚した義父の暴力、やがて倒れた義父の家庭内での介護、母の暴力、そんな状況の中でボロボロになったキコが、学生時代の友人ミハルとそのつれアンに救われる。
映画はその3年後、昔祖母が一人ですんだ(ということは祖母の持ち家?)海辺の町の海に向かってテラスがはり出した家に引っ越してくるところから。この街で雨の中、腹の傷(これもあとで何の傷かがわかる)が原因で倒れた彼女を気遣ってくれた髪の長い少年は、望まない子として生まれたとして母親の暴力的虐待を受け、口もきけない子だった。キナコ(アンによってキナコと名付けられたキコ)は母によって「ムシ」と呼ばれる少年を匿う、このあたり過去のキナコの記憶と現代の少年とのかかわりとがいったりきたり。そこにミハルがキコを探して仕事もやめたと訪ねてくる。キナコは絵と文字によって知った少年の願い―「チホチャン」を探しに、むしろ積極的に行動するミハルとともに出かけていく。ミハルという女性はキナコがもてない積極性明るさを体現する人物として設定されているようで、リアルさという点からいえばいささか非現実なほどに生活臭というものを持たない。もっともその点から言えば、キナコも含め、主要なすべての登場人物はそんな感じで、生活臭がなく、虐待された少女、トランスジェンダーの青年、企業の御曹司ゆえの親切だが身勝手な男、自分の産んだ子を邪魔に思い自分の事だけを考える女、というような類型を生きている感じが否めない。ただしそれが物語というかこの映画の描き方なんだろう、リアルさがないという批判自体に意味がないような気もするのではある。一方でキコを助けるアンのトランスジェンダーとしての悩みが、キコと彼女を求め、しかし身勝手に他の女性と結婚をしようとする恋人新名主税(ニイナチカラ)すごい名前!とのかかわりを通じて明らかになるのだが…。このあたりこの映画の真骨頂でもある?映画のLGBTQ監修にあたったというトランスジェンダーの俳優のインタヴューを読んだが、非常にマジメに作られているのだなあと、それで見に行ったところもある。夜9時前からのレイトの観客は4人だった。(3月21日府中TOHOシネマズ100)

㉞戦雲いくさふむ
監督:三上智恵 2024日本132分

三上監督の『戦場ぬ止み』(2015)『標的の島』(2017)『沖縄スパイ戦史⑭』(2018)に続く沖縄を描くドキュメンタリーだが、中国の侵攻や台湾有事などへの備えとして急激に進む沖縄南西諸島の急速な軍事要塞化(自衛隊ミサイル部隊配備、弾薬庫の大増設、全島民避難計画、これって米軍がというより自衛隊=日本政府主導だし、読むだけで恐ろしくなってくるが、沖縄のためでなく日本防衛の一環として行われているわけだ)の現状と、島々の暮らしや祭りを描きながら、実はこれが沖縄の問題ではなく、日本全国にも起こっていること、そのための支え的沖縄の市民やその暮らしが有事の際には犠牲にされようとしていることを全編で強く訴えている。美しい沖縄の海や島々の景色が目に染み、そこでの祭りなどのハレや、また親子が基地問題について語る、おじい・おばあが戦争体験のみならず現代の暮らしの不安を語る映像、日常の暮らしの様子など、一つ一つが沖縄に住まない私たちも共通にあるはずのものであること、それが今沖縄という場で危機にさらされているのは政府が言う「国民(国土?)のため」であることが、映画を見ている時間全体にわたって私たちを打つ。なら、私が今できることは???と毎回感じさせられてしまう1本。とりあえず沖縄意見広告運動に参加している。http://www.okinawaiken.org/index.html
場所的・内容的には少々ピント外れなのかもしれないが…つながっていると思うので。(3月22日 ポレポレ東中野 101)

㉟アユニ/私の目、愛しい人
監督:ヤスミン・ファダ 出演:スーラ・ガジ マチ・ダル・オグリオ パオロ・ダル・オグリオ バーセル・サファディ 2020シリア・イギリス(アラビア語・英語・イタリア語)74分


シリアではアサド政権(一部は対抗するISによっても)による市民の強制失踪が続き何万もの行方不明者がいる。本作は新婚の2012年不当拘束されたのち2015年強制失踪、2018年7月に処刑死が発表された(が遺体も墓も所在不明)ジャーナリスト、バーセル・サファディと並行してこちらは2013年ISに拉致・殺害されたイタリア人神父パオロの、それぞれの生前の活動の様子から、彼らを探すバーセルの妻スーラ、パオロの妹マチのインタヴューや実らない救援活動の様子などをつづったドキュメンタリー。
登場する人物の激情や祈りやという感情的なものは伝わってくるのだが、何しろ話が難しすぎてというか厳しすぎしかもすべてことばによる説明で、早めの夕食直後の頭はなかなかついて行けず、終了後の軍事ジャーナリスト・黒田氏のトークというかたくさんのスライドを使った勉強会でようやく納得みたいなところもあり。イスラム映画祭後半2日は、見ようと思った映画はあっという間に満席(0時ジャストにサイトにアプローチしているのだが、瞬間175席?が埋まるってどういうことだ??)やっと抑えた1席で周辺人がびっしりというのも日常的ではない?映画環境だったせいもあり、疲れた。(3月23日 渋谷ユーロライブ イスラーム映画祭⑤ 102)





㊱戦禍の下で
監督:フィリップ・アラクティンジ 出演:ナダ―・アフ―・ファルハート ジョルジュ・八ッパーズ ラーウィア・アルシャブ 部シャーラ・アダッラー 2007フランス・レバノン・イギリス(アラビア語英語フランス語)93分 ★★

こちらは2006年第2次レバノン戦争停戦直後、出国中だったドバイから戻って来たゼイナという女性が、爆撃を受け行方が分からなくなった出身地の南部に住む妹と彼女に預けた6歳の息子を探して、やっと雇ったタクシー運転手とともに戦争で荒れ果てた国内を南下し、さまざまな戦禍の痕に遭遇する。最初は「金目当て?」っぽかった、レバノンに住みながら国外ドイツに出る希望も持ちつつ、イスラエル体制派に投じた弟を持つために思うに任せずというような自身の背景を持つ運転手も、彼女の必死さに同情し,ひそかに親しみの気持ちさえも抱くようになる。妹の死を知り、フランス人ジャーナリストに連れ去られたという「息子」にたどり着くまでの2日間、青色の派手なワンピース姿から黒いムスリムのドレスに着がえるヒロイン、運転手の心の変化などが繊細に描かれる。周辺はドキュメンタリ的戦禍後の映像。出演者も主役の二人の他、ホテルのフロント係、フランス人ジャーナリストの一団で大使館に行くように助言してくれる記者以外はすべて現地の普通の人々(ということは戦火の被害者も)で、映画のプロットを説明して撮影に協力してもらったのだという。ヒッチハイクを持ちかける老人とか、彼が紹介してくれるガソリンスタンドの女主人とか素人とは思えない演技だが…。その達者さに舌を巻きつつ、ドキュメンタリー的臨場感で見せられてしまう。20時半からの上映会はさすがにというか意外というか半分にも満たない感じのパラパラで、なんかこの映画祭、健康的生活をしている人が観客なのかなあ。それにしては夜中0時の切符取りのマニアックにまたも…あまり一般の劇場公開が望めない映画たちなので、もう少し切符が取りやすいとありがたいのだが…。(3月23日 渋谷ユーロライブ イスラーム映画祭➅ 103) 

㊲メークアップ・アーティスト
監督:ジャファール・ナジャフィ 2021イラン(ペルシャ語)76分

バフティーヤーリー族の遊牧民の妻ミーナは、大学に行ってメイクアップを学び、メイクアップ・アーティストになりたいと願っている。結婚するときには理解を示した夫だが、子どもも生まれた今、一家の働き手である妻が家を離れて大学に行くということには大反対。夫の母やその他周りもほとんど理解を示さない中、ミーナは夫に第2夫人を迎え、子育てや家事をその人に任せようと自ら人探しを始める(夫自身が選んだ女性ではイヤであくまで自分が選ぶというのがまあ、分かるけれどおかしい)。という家庭を美しい自然の中の遊牧の暮らしの中で描いているこれがなんとドキュメンタリー。出演者が「カメラを向けるな」なんて言う場面もあり、ところどころには「やらせている?」と思われる場面もないではないが、まあ、よくこんなものが撮れたと感心。夫婦は妻の進学に関しては対立的でミーナは頑固、夫婦は口論もするのだが、意外にくつろいで笑いあっているシーンも多くて、こういう状況が私たちの考える対立的夫婦とは違う文化なんだろうなとは思わせる。それにしても学びたいのがメイクアップというのも個人的にはちょっと??要は女に認められた自立への道なんだろうか…2021年山形ドキュメンタリー映画祭の上映作品だそうだが、この年の山形はオンライン開催で、結局見ていなかった。この日イスラム映画祭で買おうとした3本のうち、チケットが取れたのはこの1本のみ。終映後に村山木乃実氏の丁寧な講義があり勉強になった。(3月24日 渋谷ユーロライブ イスラーム映画祭⑦ 104)



㊳ZOO
監督:ピーター・グリナウェイ 音楽:マイケル・ナイマン 出演:アンドレア・フェレオル ブライアン・ディーコン エリック・ディーコン 1985イギリス 英語 116分

ウーン。これはまさにグリナウェイ的「美しい狂気」の世界?
オランダ・ロッテルダムの動物園で働く双子の動物学者オズワルドとオリバー(実際に双子が演じる)はある夜の交通事故で同乗していたそれぞれの妻を同時に亡くし、同乗していた女性アルバは右足を切断するというけがをする。事故後双子は動物の死骸が腐敗していく映像の撮影に没頭、また交互にあるいは同時にアルバを見舞い、だんだん親しくなっていく―というようなところからアルバの娘、また狂言回し的?存在として映像の展開に関わるミロという娼婦などもからんで、全裸の双子、両足切断を望むアルバ、やがてアルバの死を経て…というような経緯を描いていくわけだが、ウーン、イマイチこの映画の望むところたどり着きたいところがわからない。もっとも刹那刹那の退廃的?美を求めているだけだと考えれば、それはそれで納得できるのではあるが。ついつい物語を追ってしまって疲れたが、そんな必要はないのかも。相変わらずマイケル・ナイマンの煽情的におどろおどろしいリズムによって映画世界に引き込まれていく感じ。(3月24日渋谷イメージフォーラム ピーター・グリナウェイ レトロスペクティヴ④ 105)

㊴流転の地球 太陽脱出計画(流浪地球2)
監督:郭帆 出演:呉京 李雪健 劉徳華 佟麗姫 呉孟達 2023中国 173分


劉慈欣の原作で、原作者自身が製作総指揮にも携わっている。日本では劇場公開されていない『流浪地球』の続編にして前日談である。とにかく中国のVFX技術(ハリウッドを凌駕している)のすごさを見せつけるような映画だった。是非とも大スクリーンで見たいと、はるばるTOHOシネマズ日本橋まで。いつも「中国・東京映画週間」をやる会場なのでここになったと思うが、都内2~3館しかやっていなくて、渋谷・新宿もなし。
で、2044年~2058年の中国というより世界を描き、100年後に太陽が老化して膨張、300年後には太陽系が消滅するという予測によって、地球連合政府が1万基のロケットエンジンで地球を太陽系から離脱させる計画を立てる、それに先立ち月に核爆弾を仕掛け月を地球から引き離すという段階まで。
主人公は病気の妻、幼い息子を抱え彼らの未来のために自身は月への決死の爆弾を仕掛ける仕事を志願しようとする宇宙飛行士(前作に続く主人公)と交通事故で亡くした娘をデジタル技術によって蘇らせようとする科学者―よみがえった娘の記憶した膨大なデータパスワードを再生することにより核爆発を導く―とがこの映画の人間部分の物語になっていて彼らが葛藤しつつプロジェクトに貢献する。とはいえ呉京のほうはここではまだ大活躍という感じではないが。マッドサイエンティストっぽさと子煩悩な父の間を行き来するアンディ・ラウのほうはなかなか見もの。二人とも、これはVFXだろうが若い時の顔もつやつやな姿と中年の間を行き来するのも見もの。そしてそれらを囲む宇宙エレベーターの崩壊から、その後の目くるめくような宇宙や、都市の近未来・崩壊につながる不安も立ち込めた世界は、作り物とはいえ中国の国力を誇示するかのような迫力。地球連合政府の中国代表の李雪健が渋い姿を見せるほか、あまり中国の政治を誇示する感じはないが、ただ、連合政府の人々には欧米系というよりアフリカ系がほとんど?で、今の中国と親しい国々が目立つところはご愛敬か。英米とか日本も韓国もほぼ出てこない。月への核を仕掛けるシーン、日本はもちろん名前も呼ばれないが一つ一つの核爆弾を仕掛けた国(つまり核保有国)の名前が呼ばれるシーンとか…。原作ゆえかそれほど露骨ではないがちょっと考えさせられる要素もある竜マークの中国映画。半分弱?の入りの観客も中国語が目立ったようで、宣伝もそっち方面には行き届いている?。(3月25日 TOHOシネマズ日本橋 106)

㊵四月になれば彼女は
監督:山田智和 出演:佐藤健 長澤まさみ 森七菜 仲野太賀 中島歩 ともさかりえ 2024日本 108分

こちらは川村元気のベストセラー小説が原作で、脚本には川村自身も参加している。ま、悩める青年が過去に失った恋にとらわれーというかとらわれるのは彼の恋人の方みたいだが、今一度失いかけた恋を取り戻すべく今の恋人を追いかけるという、こう書くとなんか変な話でもある。
10年前大学写真部で知り合った藤代と春は恋に落ち付き合い、ともに海外への旅に出ることを計画するが、春は父の反対(父を演じるのは竹野内豊、昔風の家父長的反対というよりは娘依存の寂しい父風に描いているところが新味で、それゆえ春も父を置き去りにできない…って、たかが海外に写真を撮りに行くくらい—とも思うが)に会い、旅行をあきらめ藤代の前から姿を消す。それから10年、精神科医になった藤代は、患者として動物園で獣医をする弥生(4月1日生まれで弥生、この誕生日が嫌いな女性)と知り合い付き合い、結婚も考えている。そこに春から、ひとりでかつて二人で歩くはずだったウユニ塩湖、プラハ、アイスランドを歩いているという手紙が届く(これも考えてみれば学生の旅先としてはいくら貧乏旅行としてもかなり脈絡なくあっちとびこっち飛びで非現実的な感じもしなくもない。映像としては、どれもまあアングルは平凡だが景色だけで見せられるところではある)。そして結婚を目前にして弥生が(藤代から見れば)突然姿を消す。藤代は探しはするが探すほどに自身が弥生のことを見ていなかった?という焦燥にかられ、結局この恋もあきらめがちに…というあたりがまあ、現代小説の主人公としてお優柔不断な(しかし若者たちには共感も感じられるのだろう。最初の方に現代では結婚を希望するのは30代の1/4とかいうようなセリフがある。我が周辺を見てもしかりだし…)悩める青年というか、佐藤健も映画内で「おっさん」などと呼ばれているようなちょっと中年の雰囲気をまといだしているが、なんだろう。一方の女性たちはなくした恋、今の恋に執着しそれゆえの相手の目の前から姿を消すというようなことも含め行動的だ。で、悩めるが毎日を普通に過ごしている藤代のもとに学生時代の友人から春の死が伝えられ、ぜひ行ってほしいとも言われ藤代は春がいた海辺のホスピスを訪ねる。春は実は病を得て余命宣告も受けたうえでかつての旅をたどる一人旅に出たのであったことがわかる。そしてそのホスピスには驚くべきことに春の藤代への手紙を読んだ弥生が訪ねていったことが春の遺した写真からわかり…。というわけで終わりの方は藤代という男を愛した春と弥生のシスターフッドみたいな話になっていくわけで、そこから藤代が弥生を取り戻そうと走り出す(ネタバレ失礼)という、ウーン、こう書くとなんかなあ…。あらすじだけだと藤代という男のバカみたいというか普通はこうなんじゃないとも思われるような話の展開ではあるが、そこに何らかの繊細微妙な要素があるのかしらん。まあ恋愛小説だからなアと思いつつ、原作未読なので読もうか、読むまいか悩んでいるところ。(3月26日 府中TOHOシネマズ 107)

㊶神の道化師、フランチェスコ デジタル・リマスター版
監督:ロベルト・ロッセリーニ 出演:ナザリオ・ジェラルディ修道士 セヴェリーノ・ピサカネ修道士フランチェスコ修道会修道士たち アルド・ファブリッツイ アラベラ・ルメートル 1950イタリア モノクロ・スタンダード 86分 ★

ロベルト・ロッセリーニの宗教物語?というのも不思議な感じもするのだが、中世(1200年代)の生活の細部も丹念に描いたネオリアリズも映画ということで納得。しかも15人ほどのフランチェスコとその仲間である修道士たちは実際のフランチェスコ修道会の修道士たちというのも興味深い。物語は大雨の中で描かれる布教の旅、屋外に小屋と小さな礼拝所をたて共同生活をする中で、自身の修道衣を貧者の与えてしまい布教を許されず食事番をするジネプロと後から加わった老いたジョバンニのエピソード(病気の修道士が豚足を食べたいというのでブタに足を貰いに行ったり、15日分の野菜を大鍋で煮たり…)を中心に、最後までどちらかというと主人公はジネプロという感じだが、なるほどねの一作。各章に小見出し的な字幕が入ってエピソードごとに小さな物語風に作ってあるので分かりやすい。(3月27日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館 108)

㊷12日の殺人
監督:ドミニク・モル 出演:バスティアン・ブイヨン ブーリ・ランネール ムーナ・スアレム アヌーク・グランベール ポーリーヌ・セリエ 2022フランス 121分

舞台はアルプス山麓のグルノーブルで、街自体はわりと平凡な田舎町?という感じだが、街に迫る山の景色の迫力がすばらしい。この街で10月12日夜中の3時ごろ、友人宅から帰る若い女性クララが襲われて火をつけられ殺される。―かなりリアルな火だるま焼死シーン。しかしインパクトで引っ張るのはほとんどこの場面だけで、刑事たちの地道な捜査―けっこうPCを使ったり隠しカメラを仕掛けたり、わりとデスクワークが多い感じで古い日本の刑事ドラマ風聞き込みシーンなどは少ないーとそれがうまくいかない焦燥が全編を覆っている感じである。クララと別れるまで一緒にいて、別れた直後に動画メールも受けとっていた親友ナニーの証言で何人かの男たちが浮かび上がり、取り調べシーンも続くが、そこではだれもが犯人とは特定されないだけでなくクララの奔放さが強調されてしまう。
主人公は映画の冒頭先輩の退職により捜査班の班長を任されることになったヨアンと、相棒のベテラン・マルソーで、特にマルソーは自身も夫婦問題を抱え、容疑者の一人のDV男に敵意を燃やして過激な行動に出、止められてもう疲れたと退職するまでに。そして予算がないということでこの事件は未解決のまま3年が経過。新任の女性判事が事件記録を調べなおし、捜査の再会を提案し、捜査班でもマルソーの後任の女性刑事ナディアが熱心に捜査に取り組み、再開された捜査でクララの墓に仕掛けたカメラに一人の怪しげな男が映る…ナディアの「容疑者も、捜査をする刑事もすべて男性…」ということばに示されるように、また女性が関わって膠着して中止になった捜査が再開され動き出すというあたりに、映画の一つの思想が現れている。つまるところクララの性的な奔放さに事件の原因を求めるような見方は否定されているのだとは思うのだが、それにしても前半取り調べのゴタゴタセリフはやはりあとで覆されるとしてもしんどいかな…。この事件は実在のモデルあり、実際に10年間未解決のままなのだそうだ。(3月28日 立川キノシネマ109)

以上で3月の映画は終わりです。明日30日から、ネパールにいきます。日本よりだいぶ暖かいらしい平地(ポカラあたり)と零下1度~5度とかいう山地の寒暖差がちょっと心配で、荷物も増えてしまいそうなので頭を抱えておりますが、そんなわけで「映画日記」も普段より早めに更新することにします。では、また!次はネパール報告ができるかな…。

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