第19回大阪アジアン映画祭2024
開幕セレモニーに登壇した上映映画の監督・関係者たち
3月1日~11日、例年より半月近く早い開催、まだまだ大阪は毎日寒い日でしたが、4日~11日まで行ってきました。間の6日は初めての六甲山にツアー参加。展覧会も2つ(モネ展・円空展)目いっぱいに楽しみ、17本(3本は短編ですが)の映画も見てきました。
ご報告します!
大阪アジアン映画祭(63作品上映だそうですが、見たのは17作品…ウーン)
①BIG ②春行 ③盗月者 ④すとん⑤馬語➅シャングリラに逗留 ⑦未来の魂 渡unborn Soul ⑧トラブルガール(小暁)⑨シティ・オブ・ウインド ⑩葬儀屋 ⑪サリー ⑫ハイフン ⑬ブラックバード・ブラックバード・ブラックベリー ⑭作詞家志望(填詞L)⑮潜入捜査官の隠遁生活(臥底的退隠生活)⑯全世界どこでも電話(全個世界都有電話)⑰1905年の冬 デジタル・リマスター版 (一九零五的冬天)
中国語圏映画(台湾①②⑧⑪⑰ 香港③⑭⑮⑯ 中国⑤⑥⑦) モンゴル⑨ タイ⑩ フィリピン⑫ ジョージア⑬ 日本④ でした。おもに中国語圏映画で時間割を埋め、他の国のものは興味をひかれたり、時間が合ったりというところで見ています。
各映画の題名の頭の番号は3月に入って劇場で見た映画の通し番号になっています。
★はナルホド! ★★はイイね! ★★★はおススメ もちろん個人の趣味ですが…。
なお、本文中、他作品の名前を引いたところは、『電影★逍遥』に記載がある場合は、そのページに飛べるようにしました(作品そのものではありません、スミマセン)。文字が赤色になっています。
④BIG
監督:魏徳聖 出演:鄭又菲(フェイフェイ・チェン) 曾沛慈 馬志翔 廖慧珍(ジェーン・リャオ) 田中千絵 范逸臣 2023台湾159分 ★
大阪アジアン映画祭の1本目。
小児ガンの子供たちの病棟を描く。こういう題材の映画、実はあまり好きではなく映画祭でなければ魏徳聖でなければゼッタイに見にはいかないだろうと思いながら見たのだが、どうして、これがなかなか。
色彩明るくというかポップに、歌やダンスも盛り込み、最初のうちはなんか嘘っぽくない?ー何しろ病院内というのにみんなドタバタ走り回り、三輪車やロボットの被り物で衝突したり、親や家族は怒鳴るし、医師も負けずにで、子どもたちも大きな病気を抱えている割には元気に飛び跳ねているしで、ナニコレ?台湾の病院てこうなの?(親は泊まって同じベッドに添い寝し、食事は親が「買って」くるというのも…)が、その中で亡くなる子供(最初の子は養護施設から入院した孤児)手術を勧める医師と抵抗する親とか、病気のために髪を剃る―って後のトークのキャスティングの話では主演の少女は生まれてから伸ばし続けた髪をこの映画で本当に切り、丸坊主になったのだとか。それが嫌で出演をなかなかOKしなかったという話も。そして監督は「映画に出ることが社会のためになる」と説得したのだという話も―が、深刻な話をお涙頂戴にならず、明るく盛り上げクライマックスまで160分近く笑いを含めそれでいてだんだん嘘っぽさより(あざとさと紙一重という感じはあるが)ガンバレ方向に引っ張っていくのはたいしたもの。『52HZのラブソング』(2017)の世界に近い。魏徳聖というのは文字通り「社会派エンタテイメント」なんだなと再確認した。
『ラブ・ゴーゴー』(1995台湾・陳玉勲)の廫慧珍が有能人情看護師役で映画を支え、魏徳聖映画の常連?役者たちも活躍している。馬志翔が新任?の医師役だがこれはウーンどうなんだろう。エンドロールの子供たちの「パプリカ」っぽいダンスシーンが癒される感じ。そこで「BIG」は「Being is Gift 」ほかの意味が示され、またこの病室816に由来するものであることも(その場面を描くのはちょっと長すぎるじゃない?)示され、案外こういう病院に入院するのも悪くないと病気の子供に思わせそうなところが社会的貢献かも。魏徳聖監督といっしょにトークに出た後、夜遅くのサイン会まで笑顔を絶やさない主演の子役フェイフェイさん(11歳)の愛らしさ!(3月4日 シネリーブル梅田 OAFF① 064)
⑤春行
監督:王品文・彭紫惠 出演:喜翔 楊貴媚 2023台湾 90分 スーパー16m
ウーン、ウーン。すごい意欲作でもありアート志向が強いのだとも思うが、今イチ納得感がない。キム(韓国人か?台湾にもある姓なのか?)は仕事中の怪我がもとで足が悪いが、まあ、歩くのに差支えはない?出だしは迪化街?らしき町で妻をどんどんおいて行ってしまう彼と、廃品回収?の軽いとはいえ大きめの買い物袋を提げ追いかけ、転んでも夫は振り返りはするが知らん顔、店に入って店主と話す場面に妻が口をはさむと「女は黙っていろ」しかし支払いは彼女。帰りのバスはゆっくり歩いて妻の声かけにも急がない夫のおかげで一本のがし、帰り道の長い石段、ここではさっさと先に歩き、妻が転ぶと焦るが、妻も「大丈夫、大丈夫」という感じで荷物も持って夫を追う。
とまあこんな感じで見ているだけでなんかムカムカするような夫婦関係だが、実は夫は妻に大いに頼っているのであり、妻も妻で夫に文句を言いながらも面倒を見ている問う感じ。集めて持ってきたペットボトルや缶を夫に仕分けさせ、翌日妻は回収業に担いで持ち込むと57元の収入(後で夫がうどんを頼む場面では1杯40元。相席の客は120元とかの食事をしている)。妻はその足で飲み物のカップを2つ買い、店の1軒に入り若い店員に差し入れと言って渡し、彼のTシャツを受け取る(ここは後からみると伏線になっている―妻は息子の実態を知っていた)。
遅い妻の帰りを夫はバス停で待つというような暮らしのあと妻がある朝起きてこず急死。そこからが夫の動揺、不安、妻の死を認められないという状況の描写がこれでもかこれでもかという感じ。夫は9年前に結婚した息子の結婚式を思い出し、その時感じた幸せが続かないことを感じるが…妻を家にある冷凍庫におさめ、その死を隠し認めないまま、息子の妻(不動産業)に連絡して家を売る相談をする。息子と離別中ということは知っているらしくよりを戻すように言うが、息子の妻は再婚すると言い、自宅売買の話はそのまま立ち消えに。
母と連絡がとれないから?ある日息子が訪ねてきて、母の死と遺体の状況が発覚―キムは警察に調べられるのだろうがこのあたりの描き方は彼の心情をそのまま表しているかのように茫漠とした感じで話が進んでいく。その中でかつて妻が差し入れをした男が息子と一緒に現れて葬儀の世話を焼くということがあって、この息子の事情を知らなかったのはキムだけという事情がそれとなく示されるのでもある。キムは妻の遺骸を軽トラにつんで海を見に(西側の海だそう)、そこでかつて滝を見に行くツアーに参加しそこなった故事が語られる(映画の出だしも滝のシーンから出作者のこだわりがあるところなのだろうが、ちょっとくどい気がする)。それと前半でバス停にたたずむあたり、妻の遺骸を家庭内で処理しようとするあたりからは考えられないキムの実行力というのもこのあたりには見えて、なんか違和感があるというか落ち着かない。妻が死んで経済的に困り?店で皿洗いの仕事を求めるというあたりもなんかおさまりが悪い気がするのだが、どうだろうか?つまり妻を失ったことによる彼の喪失感に伴うジタバタを描きたいのかも知れないが、ちょっと盛り込み過ぎ?おまけに息子の同性愛というのもしつこいという感じしかしない。
画面は16mというが、ワイド画面を両脇区切った感じでしかも区切った左端には赤い線が上下に入ってすごく気になる(これは映画そのものなのか、スクリーン設置の問題なのかわからないが)ついでに言えば昨日もだったが何とか見やすそうな端の外に飛び出したような席を選んでいるのだが、このシネリーブルの座席、前列はもちろん前々列の人の頭までがスクリーンにかぶり見にくいことこの上なく、自分が前の人にあわせて体を動かせば後ろも見にくくなるのではないかと思うとまことに落ち着かず。この劇場での上映に耐えるとすれば相当の名作でなければだめだろうが、名作であればあるほどここでは見たくないという気も。今回の大阪アジアンも最小限に抑えて一応シネリーブル上映作品は2日目にして終わり…。(3月5日 シネリーブル梅田 OAFF② 065)
➅盗月者
監督:袁剣偉 出演:アンソン・ロー イーダン・ルイ 姜濤 ルイス・チョン マイケル・ニン 2024香港 107分 ★★
香港犯罪映画らしい人相悪いギャング団に加えて香港のアイドルグループMIRRORの3人を配したこの映画、アイドルの一人ギョン・トウは悪徳時計ディーラー2代目の親玉で童顔に凄みをにじませ、他の二人はそれぞれ時計職人(イーダン)、天才的鍵師(アンソン)で犯罪の一端にはいるものの大掛かりな強盗団などとは無縁だったはずが引きずり込まれ、あわあわオロオロしながらも先輩?のベテラン泥棒、爆破専門家に引っ張られ助けられ特技を生かして大奮闘(せざるを得ないというステュエ―ションになっている)という目を楽しませつつ見どころ満載。また内容は東京の時計店に秘蔵されている「ピカソ使用の時計」を盗むというプロジェクトで花火大会に合わせて銀行の地下金庫を爆破するというような定番アクションを盛り込みつつ、そこで伝説の「ムーンウォッチ」(1969年アメリカの月面着陸時に月に上陸した時計なんだとか、監督によればこの時計の存在は事実だとか)も手に入れてしまい、さ、ではこれを香港に送るにはどうするか(時計師の郵便局利用のセンスが活用される)、とか盗まれた側(日本人が演じている)や香港の頭目の追っ手を交わし格闘やドンパチの打ち合いもあり、ユエン・キムワイ監督のジャーナリスティックなセンスも満載されて(実は前半若者たちが強盗団に引き込まれるまではけっこうセリフ劇で、映画前に飲んだビール=反省!もあって少々飛んでしまったところもあるみたいだが)あっという間に引き込まれ、鍵師親子の人情劇もあり、コメディ的な要素(イケメンアイドルの情けなさによるところも多い)見飽きず楽しんだ香港映画復活作品(但し昔の香港犯罪映画よりはグローバルな感じかな)。(3月5日 ABCホール OAFF③ 香港ガラ・スクリーン スペシャル・オープニング作品 066) トーク登壇の監督・出演者と司会宇田川幸洋氏 |
ここで一休み。OAFF(大阪アジアン映画祭)の来阪中、一度はと思って昨年から始めた山歩き…今年は、6日、六甲山ツアーに参加して芦屋川駅からロックガーデンを経て六甲山頂に立ち、有馬温泉までという10㎞以上のハードコースを頑張りました。詳しくは【勝手気ままに映画日記+山ある記】3月に載せたいと思います。
映画祭も7日、いよいよ佳境に。朝は中之島美術館1Fホールで「短編プログラムC」から
⑦すとん
監督:渡邉りか子 出演:坂本ちえ 村上真衣 本間敦志 渡邉りか子 2024日本 41分
コロナパンデミック下で抜擢されていた芝居が中止になり荒れる中、3年越しの恋人とも別れ、そして目に留まったカフェでアルバイトをすることになるヒロイン。そのバイト先に妊娠した恋人を連れて現れる元カレ、何が起こるかと思うような始まりだが、ことが起きるわけでなく、オーナーのさりげないやさしさや、同僚のアルバイト店員辻(監督自身が演じている)との交流、訪ねてきて泊まる幼馴染との会話(彼女の演技が好きだとほめてくれる)、そして大阪への帰省と、まあそんなにドラマティックな話ではないのだがふんわりしたパステルカラーの色調でさわやかに(ただし登場人物のビジュアルはさわやかというよりもっさりだけど)繊細に描かれた1本。意外に退屈しないで見られたが、ヒロインと彼氏の別れの場面(その過程も含め)なぜかハンドカメラで画面がゆらゆら。これって当時のヒロインの心情を表す意図的なものとも思われるが、必要あるかしらん…。鬱陶しくて参った。(3月7日 中之島美術館 OAFF④ 短編プログラムC 067)➇馬語
監督:藍憶慈 出演:メイヴィス・ファン ブラウン(馬)2023台湾 15分 ★★
15分の小編、ヒロインと馬一頭だけが登場するが、さすがのインパクト。引っ越し支度をする女性の部屋―隣室のベッドルームは手を付けられずという状態。そこに突然入ってくる馬は部屋をかけまわり隣室に閉じ込めるとその部屋をめちゃめちゃに。怖れと、最後は馬への親しみ?も見せる女性―馬の去った後散らかった部屋の茶色い馬のような色のセーターにほおずりし、家具を処分する。要は去った男のメタファーなんだろうけれど、実物の馬で表したところはやはり意表をついておもしろい。歌手のメイヴィス・ファンがすっぴん普段着メイクでヒロインを演じているのも…。終わりに監督・プロデューサー(どちらも若い女性)のトーク有。(3月7日 中之島美術館 OAFF⑤ 短編プログラムC 068)若い監督とプロデューサー↓
⑨シャングリラに逗留
監督:林詣涵 出演:傳韵菲 2023中国 19分モノクロ
海岸で映画撮影をしているが、せっかく作った大規模なセットが満潮で水没してしまう。怒る監督、勝手にほざく美術監督?主役は女優になってもいいような(って実際に女優なわけだけれど)ビジュアルの美術助手で、バタバタ走り回り認められずに手配し、最後はドローンで空中からセットのありかを探す??モノクロで潮が満ちたり風が吹いたりの中での動きは何だかよくわからにうちに映画が終わってしまった気がする。この映画「芳泉短編賞」を受賞した。(3月7日 中之島美術館 OAFF➅ 短編プログラムC 069)
⑩未来の魂 渡unborn Soul
監督:周洲 出演:池韵 王楠 陳雅琳 金年勝 2024中国・オーストラリア 77分3・4サイズ
中国・安徽省安慶(周洲監督の故郷だそう)寺院や古い中国風庭園などをバックに、脳性麻痺で施設にいる叔父を見舞う沈青(地元にある黄梅劇の歌い手というか教師?)が妊娠、子どもに先天的な異常により障害が出る確率が70%と診断されるという話。展開はまあ見えているというか、それとなくではあるが中絶を勧め、決断を迫る医師、それでも子供を産むと決意するヒロイン、反対する夫(さらに無理解な父親との間でも悩む)との行き違い、あいまに叔父の死、そして夫と別れ一人子どもを産む決意をし、叔父の遺品にある幼いころの母との写真に涙するヒロインなのだが。ウーン、合間に沈青は障がい児の学校などを見学に行き、歌ったり詩を読む生徒たち、またマッサージ師として自立している障がい者(エンドロールによればこのあたりは実際に障がいのある人が演じているよう、それもまたどうなんだろう…)を見に行き決意を固める?場面もあるが、それってまさに何らかの能力に建てていることにより人(障がい者にかぎらずだ)を認めるという発想ではないか? 全体に暗い画面で少々疲れるがヒロイン沈青そのもののような青系青白系の景色とか古い寺院や庭園?のたたずまいとかは何とも美しく、16:9のワイド撮影の素材をすべて捨て4:3で撮りなおしたという画面の凝りようは特筆に値すべきというべきだろうが、仏教的価値観を底流に流して極めて美しく、子どもの声色で語られる終幕は予想通りでもあり、きわめて安易な流れでもあり、おいおいそれじゃ話にならないと言いたくなるような…。まあ男の感情劇かな…映画祭でなければ見ないだろうから、その意味では貴重な1本(3月7日ABCホールOAFF⑦070) 周洲監督と薬師真珠賞受賞の主演女優池韵さん↓
⑫トラブルガール(小暁)
監督:靳家驊 出演:オードリー・リン アイビー・チェン テレンス・ラウ 2023台湾 103分 ★
台湾の名門小学校に通う5年生の小暁はADHDと診断されていて、校内では特別扱い?されているがなかなか学校や友人になじめない。演じているオード―リ―・リンは『アメリカから来た少女(アメリカンガール・美國女孩)』(2021台湾・阮鳳儀)の娘たちの妹役だった人。どちらかと言えば派手な顔立ちではなくむしろ不愛想といってもよい表情に少女の不安や苛立ちのリアリティがある。父は海外単身赴任、元ピアノ教師の母は一人で小暁を育てている状態にやはり苛立ち、担任教師の若いポール(『アニタ』(2021香港・梁樂民)でレスリー・チャンを演じた人だ)を頼りにして、不倫関係に。現実の(日本の)学校で言えば、こういう関係が長期間まったく発覚せず問題にもならないというのはいかにも非現実という感じはするが、この映画の目指すところは、子どもの障がいとかいうことより、娘を愛し心配もしているが、夫に半ば見捨てられたような状況で言うことが伝わらない娘を子育てをする母の不安、その母と不安定な不倫関係を結びながら、教師としては自分を信じて、と言わざるを得ない(もちろんそれなりに誠意は尽くすのだが)ポールの抱える矛盾にむしろ焦点をあてている。それは優秀な転校生として小暁の前に現れ最初は何かと思いやりを示すがある時点から豹変してイジワルの先鋒に立つ同級生暁珊の描き方にも、また小暁には優しいが母に険しくあたる小暁の父にも、あるいは檻に囲われて彼女たちの同情をかうものの実は肉食鳥の荒々しい本質をあらわにすることがあるフクロウ・キティの描き方などにもあらわれる矛盾で、小暁はそれらの矛盾の中で荒ぶるしかないような存在としてふだんは不満や怒りを抑えながら暮らしているように思われる。その意味で、この映画「トラブル」ガールではなく「トラブル」大人の映画なんだなあと、けっこう複雑に一々の短いカットの意味を考える間もなく次に展開して映画についていくのに苦労しつつ、終わるとなるほどと腑に落ちるのであった。(3月7日ABCホール OAAF⑧ 台湾ナイト 071)↓台湾ナイトの1本として上映。監督勢ぞろい。 ↓靳家驊のトーク
3月8日午前中は一休みで、中之島美術館にモネ展『連作の情景』を見に行きました。平日朝イチでしたがなかなか込み合っています。印象派以前の『昼食』などの作品を含む、モネの生涯にわたる代表作を並べた見ごたえのある展覧会でした
お昼は美術館のすぐ傍にある大阪大学中之島センターの2F「カフェテリア・アゴラ」で(広いのに落ち着いた雰囲気が気に入って、実は前日に続いて2日続きで食べにいってしまった…)このビルの中では「服部良一と笠置シヅ子展」(無料)というのもやっていて、ちょっと覗いてきました。左から展覧会のポスター・カフェに飾った大学の昔の機材?・名物オムライスです。
⑬シティ・オブ・ウインド
監督:ラクワドォラム・プレプオチル 出演:テレゲル・ボルドエルデネ ノミンエルデネ・アリウンビヤンパ 2023仏 モンゴル ポルトガル オランダ ドイツ カタール 103分 ★
OAFFグランプリ受賞 |
『セールスガールの考現学』(2021ジャンチブドルジ・センゲドルジ)に続くモンゴル都市映画というふれこみ?でウランバートルのおもにゲル地区に住む高校生にてシャーマンという少年の言って見れば青春奮闘、失恋成長記というところか。
仮面と衣装を着け太鼓をたたいて先祖の霊を下ろすというのがシャーマンの仕事だが、同世代で心臓病の手術前という少女の先祖を呼びおろし手術の行方を予言することを家族から頼まれる(この時点でもちろん少女本人はそのような祈祷を受け容れてはいない)。ボーイ・ミーツ・ガールで少年は少女に恋をし、今までの優等生の高校生活にもちょっと変化が―アイデンティティの危機?―ゲル地区の遊牧民の伝統も保った暮らし、フツウの(世界共通?きびしい話の分からないところもある女性教師もいる)高校のクラスルームの様子、少女と遊びに行くウランバートルの繁華街というか遊び場など、新旧様々な暮らしの側面の見える生活の中での少年の心の揺らぎが髪を染めたり剃ったりの少年の頭髪スタイルの変化とともに描き出される。
心臓手術が成功し驚くほど元気になった少女は少年の誘いに応えるが、やがて父が働く韓国に移住することになる。少年の失恋は、モンゴル伝統生活の体現者だった?「隣のおじいさん」の死とともに起こり、少女との付き合い中ちょっと遠のいていたシャーマン生活に戻る少年の数年後(ここでは長髪)まで描かれる。
ちょっと特異な青春映画ではあるが面白かった。監督はリスボンで学んだ女性で、『ソウルに帰る』(2022 ダヴィー・シュー)のフランスの製作会社、『サウルの息子』(2015ハンガリー ネメシュ・ラースロー)の編集者、撮影・音楽はポルトガル人とバックアップ体制もすごい多国籍映画になっている。(3月8日 ABCホール OAFF⑨ 072)
ラクワドォラム・プレプオチル監督 |
⑭葬儀屋
監督:ティティ・シーヌアン 出演:チャ―チャイ・チンナシリ ナタウッド・セーンヤブット スディーダ―・プアティック ナルポン・ヤイイム アチャーリャー・シーダ 2023タイ(イサン語) 125分
どうもタイ映画っていうのは苦手、感があるが、この映画を見てますます?なんかその気配が強く…。物語はタイ・イサン地方(タイの中でも伝統的な風習も残る貧しい地域らしい)で、失恋して出家(タイ人の男は一生に一度は出家するらしい)したシアン。ところが映画の出だし元恋人のバイカーオは首をつって死ぬ(妊娠している?)。シアンはすでに還俗して新しい恋人?もいるのだが、バイオカートを忘れられずなんとか彼女に会いたいと幽体離脱を試みる。バイカーオは埋葬される(不慮の死の場合いったん埋葬、日や場所を決めてから掘り出し!火葬にするのだそう)が夜な夜な幽霊になって街をさまようがシアンの前にはなぜか現れない。
一方大学で法律をまなび司法試験の準備をしようと帰郷した葬儀屋の次男坊ジュート。兄はすでに医師になっており、父は高齢・病を得ていて、ジュートは葬儀屋の仕事を手伝うことになる。ただし彼は大の幽霊嫌いというか怖いものが嫌い。そこで父に幽体離脱の介助を頼むシアンを引きずり込むようにともに葬儀屋の仕事をしていくという話。なんか設定だけみるとシアンの部分なんか陰惨で、これをコメディに仕立て上げるというのがどうも私にはなじめないが、座席すぐ後ろに陣取ったタイ総領事?のようなエライ人も含めたタイ人の一団の観客が映画の最初から最後まで途切れることなく笑いを繰り出し、その半分以上は私にはなぜ笑うかわからないシーンで、ウーン、今更ながら文化の多様性というか、ウーン。
まあ、かなりあからさまに血まみれ遺体や、土から掘り出した死体とか、葬儀場面もけっこう具体的でなまなましく、白衣目玉のない幽霊とかけっこう酸鼻を極める感じに笑いをまぶし、しかもあのやさしい響きで男性の声もなんかだみ声が多い?タイ語がかぶさるとなーんかなア。弁護士をやめて葬儀屋になっていき、父も見送るジュートの一種の成長譚にはなっているかも。シアンはこれは特殊撮影も交えたあの世とこの世を行き来し大活躍で、監督が気に入ったというラオスの名所の滝でパイカーオと再会したりもするのだが、最後は新しい恋人と仲睦まじくという感じでご都合主義!というか脚本全体の整合性などはあまり考えられていない?ような行き当たりばったりでとられている。監督はイサンの風習を世界に伝えたかったというようなことを言っていたが、これを見たイサン人は喜んだのだろうか…?が、とにかくタイ人は歓びタイでは大ヒットという映画だそうだ。(3月8日 ABCホール OAFF⑩ 073) ↓タイナイトの1本として 監督たちも登壇
⑮サリー
監督:練建宏 出演:エスター・リウ 林柏宏 李英宏 楊麗音 2023台湾 フランス 105分 ★
台中郊外の養鶏場、はるかに飛んでパリの街、鶏たちや犬なども含めくすみのない、瑞々しい美しい色彩の景色が眼に心地よい。林惠韵は弟と養鶏場を営む。弟役は『僕と幽霊が家族になった件』(2023程偉豪)『本日公休』(2023傳天余)の林柏宏。彼は結婚が決まっているが姉の方は恋人もいない独身で、風水によれば新婚夫婦の寝室は彼女の部屋がよいとされ、また占いで彼女が弟の結婚式に出ると夫婦が不幸になるなどとされる―まあ喜劇的に描かれているとはいえなんと伝統台湾の風水占いの残酷さ!―。そこに転がり込むのが上海で若い女性と再婚した兄の一人娘林心如。現代っ子の彼女の影響もあり惠韵はマッチング・アプリをはじめ、たちまちフランス人の相手マーティンとマッチング、オンライン交際?に。はじめは本人も警戒していたが案の定新居をたてる頭金を用立ててくれないかという連絡で、惠韵は生まれて初めてのパリツアーに参加、最終日離団してマーティンを探す、とまあ、物語的にうまく描かれているのではあるが、その行動力はなかなかだし、パリで一夜の付き合いもあり甘いささやきもあるのだが、自分を見失わずきりり潔く台中に戻り、かといってちょっと良き関係?になりそうな男とハッピーエンド(一昔前の映画ならそうなりそう)にもならず、自立の養鶏場経営者として全然深刻にはならず生きていく道を選ぶ惠韵が明るく描かれて、あ、今風の女性の自分探し劇ってこうなのねと楽しめる。監督トーク有。ピンクに登場ずる鶏・犬(サツマイモの名)のプリントのTシャツがかわいい。(3月9日 ABCホール OAFF⑪ 074)
⑯ハイフン
監督:ジョビー・アーナルド 出演:ギャビー・アディラ ケン・ヤマムラ(山村憲之介)2023フィリピン(英語・タガログ語・ヒリガイノン語・日本語・この映画のために作られた言語) 94分 ★
物語としては、フィリピン・パコロドで行われる映画祭に参加した日本人の映画監督マコトと、日本語通訳者で上映作品字幕を担当する女性ジェイミーの映画祭会期中の出会い・付き合い・別れまでを描く。マコトは浮気した妻との関係修復中でたびたび日本の電話をし、ジェイミーの方も婚約を解消したところで傷ついている?ということで二人は接近しそうになりつつも映画を通しての関係を保つという、ゆえにドラマティックな恋愛アクシデントがあるわけではない。むしろ映画好きな二人が好きな映画を語り合い(ウォン・カーワイ作品とか)後半は、劇中映画のセリフのない後半に字幕を付け新バージョンを上映することになるというような映画祭事情?みたいなものがほんとにあるのかどうかはわからないが興味深い。
マコトとジェイミーは英語と日本語で会話、フィリピン社会のタガログ語の加えてジェイミーの故郷のことば(実際に出演したギャビー・アディラの母語でもあらうらしい)ヒリガノン語、そして「言葉好き」のジェイミーが若い時から作って辞書化してきたという創造語で二人が会話をする場面まで5種のことばが駆使され、英語字幕はことばによってそれぞれ色分けされるという凝りようだし、誰も知らない新造語を作って意思疎通をすることにより二人の関係性が深まるというのは面白い着眼点でもあるが、その一方画面はどちらかというと暗い夜光色的な色合いの中にあって落ち着いてはいるがイマイチ単調?凝っている感じが前に出ていて少々疲れる、その中で音声的に聞いているとことばの使い分けの意味というのも外国人観客(我々)にはイマイチわからにところも。なにより残念なのは字幕のない日本語のジェイミーのセリフの発音が今一つで聞き取りにくいこと。ただし聞き取りにくくても物語の流れが阻害されないのが、この映画の強みでもあり弱みでもあると感じた。(3月9日
ABCホール OAFF⑫ 075) ↓すてきなギャビーさんを中心に
⑰ブラックバード・ブラックバード・ブラックベリー
監督:エレーヌ・ナヴェリアーニ 出演:エカ・チャヴレイシュヴィリ デミコ・チチナゼ 2023ジョージア・スイス 110分 ★★★
ジョージア映画の世界は面白い。ということでジョージア映画ということで見に行ったのだが、なるほどのジョージア映画らしさを堪能した気がする。村の雑貨屋を営む48歳独身のエテロはブラックベリーを取りに行った渓谷で黒ツグミ(字幕では。プログラムではクロウタドリ、で要は題名のブラック・バードだろう)を見て、谷を滑り落ちる(この落ち方なんかもユーモアも漂う描き方)。やっとのことで這い上がった彼女が見たのは、水に落ち死んだ自分とそれを取り巻く近隣の人々の姿の幻影(死んだエテロがピカリと目を開くのも!)。エテロは大きな体躯(というか中年太り)いかつい顔にくっきり印象的な眉と強い眼光という一種特異な風貌で印象に残る。不愛想だが、村の子供たちなどには案外親し気な声掛けもしたり。
その彼女実は生後3か月で母を亡くし、父にはエテロのせいで妻が死んだと疎まれ、横暴な兄に虐げられて(これも二人にかしづく若い彼女の幻影が一瞬)結局自分を発揮することなく孤独な人生を歩んできた(と近所のオバサンたちは思っている。このオバサンたちのお茶のみ話の集まりはなかなかにイヤらしいが、エテロも客商売ではあるしときに参加し、時に悪口の攻勢や同情口をきかれたりするのである)。その彼女が事故以来突如「性」に目覚め、配達人で孫自慢のムルマンと関係を持ち「48歳にしてバージンを失う」(本人のセリフ)―けっこう露骨なセックスシーン、自慰シーンもあり、自我・自立の目覚めが性的な解放と密着しているところがたくましい―村人には隠し、村人は相変わらず皮肉っぽく彼女を「愛を知らない女」として扱うが、もはや彼女は動じず。家に飾ってあった父と兄の写真を抽斗にしまい込み…。ムルマンとは幸せなデート場面もあるが、やがてトルコとのトラック輸送の仕事に転職を決めたムルマンは、彼女に一緒にトルコに行こうと誘う。「行けば君もホテルなどの清掃の仕事につけるし…」というのだが、これに対するエテロの返答が格好いい。要は今まで一人で生きてきて、この先は好きなことを自分で決めて生きていきたい、人の家の清掃などしたくない―それはそうだよな…。別れを決めたエテロだがある日「黒い下り物」が…。このあたりもけっこう露骨な直接描写なので好き嫌いは別れるかもしれない。子宮がんを心配するエテロはトリビシの名医にかかることになるが…と終わりまでけっこうユーモアをまぶし、いかつく怖い顔つきのエテロが揺らぎ自分を見せていく様子が繊細に描かれて、なるほどな、な映画なのだった。(3月9日 ABCホール OAFF⑬ 076)
⑱作詞家志望(填詞L)
『私のプリンスエドワード』(2020OAFF・2023.5)のノリス・ウォンの自伝的映画だそう。広東語ポップスの作詞家になりたいと願う韻詩の少女期―章分けして「声調」「押韻」など広東語の詩の作法学びつつそこに当てはめて詩を作り、いろいろに行われる学校での公演やコンクールに応募する―から大学を出てプロの作詞家になるべく放送業界などでアルバイトをし、製作会社に売り込みをしというような姿(ここらあたりはあまり目新しさはないが)を、『黄昏をぶっ殺せ』(2022OAFF リッキー・コー)の女子高校生役だったジョン・シュッイン(実際に作詞家としても売り出し中なのだとか)が生き生きと演じる。ただしこの映画成功譚ではなく、売り込みもうまくいかず香港を離れ大陸で農業研修?をするところにかつて自分が作詞した曲が流れて…というような話になっている。ちなみに作法の難しい広東語詩の作詞家は香港ではとても地位が高いそうである。梅田ブルク7から名前だけ変わり、見たところはどこも変わっていないT・ジョイ梅田1本目。終わり10時半の夜の回だがほぼ満席に近い。(3月9日 T・ジョイ梅田 OAFF⑭ 077)
⑱作詞家志望(填詞L)
監督:ノリス・ウォン(黄綺琳) 出演:ジョン・シュッイン(鐘雪瑩) エリック・コッ(葛民輝) アンソン・チャン サブリナ・ン 2023香港(広東語・北京語)109分
『私のプリンスエドワード』(2020OAFF・2023.5)のノリス・ウォンの自伝的映画だそう。広東語ポップスの作詞家になりたいと願う韻詩の少女期―章分けして「声調」「押韻」など広東語の詩の作法学びつつそこに当てはめて詩を作り、いろいろに行われる学校での公演やコンクールに応募する―から大学を出てプロの作詞家になるべく放送業界などでアルバイトをし、製作会社に売り込みをしというような姿(ここらあたりはあまり目新しさはないが)を、『黄昏をぶっ殺せ』(2022OAFF リッキー・コー)の女子高校生役だったジョン・シュッイン(実際に作詞家としても売り出し中なのだとか)が生き生きと演じる。ただしこの映画成功譚ではなく、売り込みもうまくいかず香港を離れ大陸で農業研修?をするところにかつて自分が作詞した曲が流れて…というような話になっている。ちなみに作法の難しい広東語詩の作詞家は香港ではとても地位が高いそうである。梅田ブルク7から名前だけ変わり、見たところはどこも変わっていないT・ジョイ梅田1本目。終わり10時半の夜の回だがほぼ満席に近い。(3月9日 T・ジョイ梅田 OAFF⑭ 077)⑲潜入捜査官の隠遁生活(臥底的退隠生活)
監督:リッキー・コー(高子彬)出演:ケイ・ツェ―(謝安琪) ラリー・タン(鄧月平)アンソン・チャン ナタリー・トン ローレンス・チェン マイケル・ニン 2024香港 90分 ★
出だし、ドンパチがあり女性の親分?が撃たれ手下が支える場面、一方この女親分に出動?を禁じられ車番をすることになった軟弱な子分のら手元にひょんなことから抗争の元となった大金の入ったバックが飛び込んでくるという場面から。この関係がわかるまでは何ともついていきにくかったが、物語はその約20年後、街の教会の牧師親子のところにヤクザが押し掛ける。牧師は身をやつした姿で元はヤクザの一味だったらしい。一方この映画の若きヒロイン大学生のボウはうるさく行動を見張る母親に辟易しながら「正義の味方」として様々なトラブルに飛び込むが力不足?を感じ空手道場を開く女性警察官に弟子入りを希望する。この女性警察官は実はボウの母とは旧知の仲。この女性組と教会組が接点をもち、だれが隠遁した潜入捜査官なのかが見えてくると断然話が軽快に展開する感じ。押しかけてくるこわもてヤクザ(マイケル・ニン、『盗月者』⑥では爆弾プロで怖そうだけど気のいいところもあるようなだった)が本当に悪そう、かつけっこう陰影もある迫力ぶりで、美女3人の女性組と何となく気の抜けたような男性教会組の中にあって画面をというか映画を引き締めている。母の厳しさには実は理由もあり、終わりはしっかり人情ドラマになる香港犯罪アクションの伝統も一応踏まえていると言ってよいのかなあ。香港郊外?の海での3人の女性の空手そろい踏みもなかなかいい。『黄昏をぶっ殺せ』(2022OAFF)の監督作品。(3月10日 ABCホール OAFF⑮ 077)
⑳全世界どこでも電話(全個世界都有電話)
監督:アモス・ウィー(黄浩然) 出演:エンディ・チョウ(周國賢) ロサ・マリア・ベラスコ 陳湛文 セシリア・チョイ(蔡思韵)2023香港 90分 ★
こちらは昨年来評判?の『縁路はるばる』(2021)のアモス・ウィー作品。この人現代香港の状況を踏まえて盛り込み娯楽作品にする手腕は半端ではないなアと感心してしまう。25年前の高校時代仲が良かった男子2人女子1人が、当時の携帯電話にメッセージとして残したいわばタイムカプセルを25年後、3人の一人レイモンドが英国移住をすることを機に集まって開く会を企画する。ところが当日レイモンドはスマホをハッキングされ仕事上の不正も含め秘密が漏れるのではないかと戦々恐々となる。もう一人の男性チョン・チはあわてて家を出、長洲島の自宅にスマホを置き忘れ、三人が集まるはずだったレストランの場所がわからなくなり、妻に頼んで住所をしらべてもらおうとあちこちで電話を借りようとするがどこでも断られ、街中を走り回ることに。一方レストランで待つ女性のアナは夫が浮気中、スマホには詐欺?メッセージも送られてきて、それをさばきながらなかなかやってこない男たちを待つことに。そこに彼女の息子と(実は後でわかるがレイモンドの)娘のデートアプリ?での付き合いがからみ、チャン・チの妻とのゴチャゴチャも絡み、なんか細かく説明できないところは『縁路はるばる』も同じだったが、最後にはすべての話のつじつまがあって伏線も回収され、まあめでたしめでたしで、それぞれがそれぞれの生活に帰っていく様子が安定として描かれるのである。
25年前の携帯というのも久しぶりに見た感じで、そうだそうだ、本当に通信という意味で私たちの生きた時代の大変化を今更ながら感じさせられる。アモス・ウィー自身は2013年からのスマホ使用者で使いこなせてはいないというのが終わり観客挨拶トークでの弁。(3月10日 ABCホール OAFF⑯ 078)
真ん中がアモス・ウィー監督
真ん中がアモス・ウィー監督
㉑1905年の冬 デジタル・リマスター版 (一九零五的冬天)
監督:余為政 出演:ハインリック・ワン(王侠軍) エドワード・ヤン(楊徳昌) 秦之敏 徐克 1981香港(北京語)94分
製作は香港となっているが実質的には台湾映画。『光陰的故事』(1982楊徳昌ら)や『坊やの人形』(1983侯孝賢ら)の直前に作られ台湾ニューウェーブの先駆けともなった作品だそう。
1905年辛亥革命に至る5~6年の東京を舞台に上海からの留学生李偉儂(李淑同がモデル)と日本人の恋人、また清朝を倒すことを叫ぶ革命派の友人(というか先輩?青木崇高みたいな顔をした徐克が声高に叫び、画面を支配している感じ)などの関わりが描かれる。香港製とされた台湾映画だが登場人物の中国人はすべて大陸出身という設定、ことばはすべて国語(普通話)で、これは日本人役も同じ。主人公が下宿する日本の邸の未亡人?やその友の女性が日露戦争で息子を失い悲しむという場面も出てくる。また、画学生の主人公は絵のモデルにきた日本女性と、いわゆる待合?で再会し、恋仲になるが、この女性は明治維新時時代に遅れたとして父が切腹、母はすぐに米国人と結婚して出国してしまい、裕福な知り合いに育てられたとかいうけっこう荒唐無稽な設定で、矢絣の着物に袴という女学生スタイルだが、着物は左前だし(未亡人や、男性は左前ではなかったと思う)袴の裾からは着物がのぞきなんとも珍妙な違和感で落ちつかず。この映画の製作当時にはそのようなことを面倒見る日本人スタッフはいなかったのかしらん、ともったいない感じがする。絵画の他に音楽にも演劇にも才能を発揮した主人公だが、上海の実家が破産、途中経済的に困り出資を約束した演劇にお金が出せないことを悩む主人公に自らの身を売ってお金を作るという(それに平気で?甘える主人公も)当時はあり得た状況かもしれないが、なんか80年代になってそれをやられると、ちょっとね…とは思えてしまう。
映画ナタリーの、監督インタヴューによればこの映画70%は日本で撮影とか。のちに日本にきたエドワード・ヤンが横浜あたりで撮影したといったとかいう記事もあった。日本家屋や調度などは明治期にしては新しい感じもしなくはないが、それなりによく整えられていて、仏壇への拝み方なども中国風ではないので、そのあたり撮られた時期や参加者によるバランスの不具合があったのかもしれない。まあ、たいして面白いという内容ではないがすごく真面目に当時を物語化しているとはいえそう。脚本には若き日のエドワード・ヤンが参加、日本軍将校の役で出演もしている(というのだが、そこについてはイマイチ画面で確認できず)とにかく徐克の迫力ばかりが目立つ映画ではあった。夜9時20分開始の1時間半余り。終わって11時必死で12回から7回ロビーまでエスカレーターを駆け下り、さらにエレベーターに駆け込んで地下二階まで。なんとか11時12分の電車に飛び乗って帰る。
(3月10日 T・ジョイ梅田 OAFF⑰ 079)
以上で私の1週間の映画祭は終わり(全体も終わり)翌日は午前中に「あべのハルカス美術館開館10周年記念 円空―旅して、彫って、祈ってー」を見に行き、その後東京に戻りました。疲れたけれど充実した1週間でした。
お付き合いありがとうございました。
今回載せていない①〜③を含む「勝手気ままに映画日記+山ある記」3月は、月末に更新する予定です。
3月31日から4月7日までの9日間はネパール、アンナプルナ・ダウラギリの山麓に山とシャクナゲを見に行くつもりです。また旅行記書くつもりです。
どうぞお楽しみに!よろしくお願いします。
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