【勝手気ままに映画日記+山ある記】2023年5月

 

五月晴れ、陣馬山から富士山を望む(5/9)

5月の山歩き

5月10日 陣馬山(陣馬山登山口バス停→和田峠→陣馬山(855m)→落合→藤野駅)
12.5Km  4h59m 上り793m 下り899m 0.9~1.0(ヤマレコ) 20000歩
単独行 残念ながら陣馬山頂名物の鯉のぼりは6日で片づけてしまったとのことだったが、人っ子一人いないハイキングコース(和田峠経由)から急な階段を上った山頂では、1軒開いていた清水茶屋でコーヒー(300円下界より安い!)陣馬そば(キノコ、さつま揚げなど具がたっぷり)をいただき、陽射しの中のんびりを堪能し、ゆっくりいっぱい写真も撮り、のんびり過ごしてから下山した。





5月20日 御岳山〜ロックガーデン〜大岳山(1266m)~馬頭刈尾根~瀬音の湯
13.9Km 9h02m 上り1167m 下り1766m 110~130%(ヤマップ)23000歩
クラブツーリズムツアー(15人 F13人 M2人)
御岳山ケーブルカー滝本駅はいつもながらの混雑だったが、7分のケーブルカーで上がると、雨模様。早速雨具をつけることに。御岳神社に参り、いったんロックガーデン方面に下りて大岳山に登り返すというなかなかのハードなコース。登り切った大岳山では雨具は脱ぐことができたが、ガスって残念ながら展望ゼロ(昨年2月の360度展望を懐かしみつつ)。馬頭刈山方面へは急坂を下り、その後は5つほどの山を上り下り、間は尾根歩きという長丁場の縦走で大怒田山、小屋の沢山、鶴脚山、馬頭刈山、高明山を経てさあ終わりと思ったらもう一つ長岳に登って下りてようやくゴールの瀬音の湯には夕方6時過ぎ。日の長いシーズンではあるが天気が悪いこともあり、もはや夜の気配。15人中7人はツアーにセットされていた温泉をあきらめ早めのバスで。残りはなんとか温泉、(私はビール1杯+あきる野タンメン。楽しみだったのに待たされ待たされ半分も食べられずに)8時1分の武蔵五日市駅行きバスに飛び乗って、夜10時近くの帰宅になってしまった。ヤレヤレ疲れた!
            ↓山ツツジ

          ロックガーデンを歩く    二人静

5月25日 飯縄山(飯縄山南登山口〜飯縄山南峰(1909m)〜飯縄山(1917m)瑪瑙山~戸隠スキー場) 10.4㎞ 6h04m 上り951m 下り828m 1.0~1.1(ヤマレコ)19000歩
単独行 飯縄山には昔々学生時代に登ったと思っていたが、今回登ってみると頂上に記憶なし、南登山口から上がって中社に下りるなどの山麓歩きをしたのかもしれない。4年前大怪我をして入院した飯縄病院の窓の前に大きく見えた飯縄山、怪我を直してゼッタイにあの山に再び登りたいと思っていた念願をようやく果たしました!
病室からの飯縄山 2019・3

今回は南峰(飯縄神社)からとっても気持ちのいい北峰(頂上)までに鞍部歩き、広々として眺望のよい(但し天候の具合で少々霞んでいて…)山頂をゆっくり楽しみ、意外に険しい瑪瑙山までの下り道に少し焦り、瑪瑙山への登りでは一瞬ばてて小休止(アミノバイタル補給)したものの、無事にいつも冬にスキーのときに登っている瑪瑙山の頂上の夏景色の違いにビックリしつつ、これも毎冬のように遊んできた戸隠スキー場の夏姿を眺めながら下りてきました。地図を確認しつつ写真を撮りながらゆっくりゆっくりでしたが、無事に予定通りの時間に下山。
宿泊は冬のスキーの定宿「樅ノ木山荘」(料理抜群!)、翌26日は戸隠の森林植物園・戸隠古道などをぶらぶらして、中社からバスで下り、長野県立美術館東山魁夷館を中心にちょっとアートとまたまたリッチなミュゼランチをしてから東京に戻りました。単独行ゆえにたっぷりのんびり楽しめて大満足!

         ↓頂上から見た飯縄山南峰

アルプス方面はまだ雪!(南峰から北峰鞍部から)

 

 ↓左・瑪瑙山頂上の標識。冬は雪に埋もれて見たことがない。右・瑪瑙山頂からの飯縄山

めのうゲレンデからの戸隠・高妻山
      
同じゲレンデの2月雪景色

5月の映画

①愛国者に気をつけろ 鈴木邦男②セールス・ガールの考現学③聖地には蜘蛛が巣を張る(Holy Spider)④乱4kデジタル修復版⑤独裁者たちのとき➅アダマン号に乗って⑦午前4時にパリの夜は明ける➇せかいのおきく⑨儀式⑩それでも私は生きていく⑪ユンボギの日記⑫アジアの曙⑬帰れない山⑭マウリポリ7日間の記録⑮夏の妹⑯KYOTO,MY MOTHER’S PLACE(他2本)⑰帰って来たヨッパライ⑱マックス・モン・アムール⑲愛の亡霊⑳The Son息子㉑ウィ、シェフ!㉒私のプリンスエドワード㉓縁路はるばる㉔戦場のメリークリスマス㉕愛しきソナ㉖波紋㉗ノートルダム炎の大聖堂㉘はなればなれに(Bande à part)㉙小さな兵隊(Le petit Soldat)

中国語圏映画㉒㉓
日本映画①④➇⑨⑪⑫⑮⑯⑰⑲㉔㉕㉖12本  
ただし大島渚特集⑨⑪⑫⑮⑯⑰⑱⑲㉔(⑫はTVドラマ13本分)
追悼ジャン=リュック・ゴダール映画祭㉘㉙もあり、
今月もフランス(がらみの)映画が多い⑥⑦⑩⑬⑭⑱⑲㉑㉘㉙10本
ドキュメンタリーも5本 ①⑥⑪⑭㉕
そのほかに再見映画㉒㉓㉔?旧作(最新劇場公開作以外)④⑨⑪⑫⑮⑯⑰⑱⑲㉔㉕㉘㉙
など、多彩・多様、本数も29本と忙しい5月の映画でした。
★はナルホド!★★はいいね! ★★★は是非ともおススメという個人的感想です。各映画上映館後の番号は今年見た映画の通し番号です。
(スマホ、タブレットでもご覧になれますが、PCで作っているので、写真の配置や説明など多少ずれてわかりにくくなっています。今後研究しますけれど、今回は(も)ゴメンナサイ)

①愛国者に気をつけろ 鈴木邦男
監督:中村真夕 出演:鈴木邦男 雨宮処凛 蓮池透 足立正生 木村三浩 松本麗華 上祐史浩 2019日本 78分 ★

1月に亡くなった民族派リベラリスト鈴木邦男の追悼上映?だがポレポレ東中野では見逃し(台湾に行っていたりしたので)、初の横浜シネマリーンまで。いつも通り前もってオンラインでチケットを買っていったが、この映画館ではスマホ提示で入る人はほとんどいず(私のほかに若い男性が一人)、皆さん窓口でチケットをお買いになるので、入場人数のわりには会場前の窓口混雑がすごい。そんなにして入った会場、前の女性の頭が少々ジャマ(小柄な方みたいなのに)、後ろの席のオジサンは始終体を掻くようなぼりぼりボソボソと音を立て続け(大きな音ではないのだが)すごく気になる、というわけで、ウーン。まあ、もうなるべく行かないかな、とそんな感じの映画館だった。
映画そのものは愛国運動活動家だった鈴木邦男の学生時代から、現代にいたる変遷(ではなく彼はぶれないが周りが変わったのだと一水会代表の木村三浩が話している)を、監督・中村による本人インタヴューや、彼の周辺にいる人々の語りで綴る形。内容的な意外性は存外少ないが、若い時代からの写真も出てくるこの鈴木という男性が映画内で女性たちが評しているように「可愛らしい」ほどの受容性が高いというか人がいつも周りにいるような魅力的なオジイサンであるのは確かでー本人は「人付き合い」が下手だと評価しているみたいなのが面白い。案外そういうものかもー若い時の「右翼」らしからぬ紳士的な風貌(でも昔は怖かったとこれも登場する誰かの弁)から現代にいたるまで、そして最後の方でケガをしてベッドで寝ているシーンまで、徐々に老い衰えていく風貌がなんだか痛々しくも感じられるのだった。(5月2日 横浜シネマリン 145 )


②セールス・ガールの考現学
監督:ジャンチブドルジ・センゲドルジ 出演:バヤルツェツェグ・バヤルジャルガル エンフトール・オィドムジャブツ マグノリアン 2021モンゴル(モンゴル語・ロシア語)123分 ★★

出だしは画面中央に置かれたゴミバケツとそこに投げ捨てられこぼれ落ちたバナナの皮(見出しが「バナナ」と出る)そこにやってきてすってんころりと転ぶのはヒロインではなく、その同級生でポルノショップでバイトをしている大学生。
転んで足を折った彼女に頼み込まれてバイトの代理を引き受けるサロールがヒロインで、両親のいうがままに原子工学を専攻する大学生、前髪に隠れた眉毛はボサボサ、オーナーが前任者に「なんで子供をよこしたの」と怒るような子供っぽいと言えば聞こえはいいがまあ、ダサいというかパッとしない少女なのだが…。その彼女は案外(というか、だからこそ?)ビジネスライクに相手をあまり気にもせず性具の説明などもし、帰りには指示された通り配達も終え、その日の売り上げをオーナーのもとに届ける(報酬の方はどういうやり方でもらっているのか、気になるがそういう場面は映画には一切なし。謎の女性オーナーカティアは家にいて、さまざまなことばをサロールに投げかけ、またちょいちょい彼女を食事に連れ出したりする。サロールは内心むっとしたりしているのがわかるが、だんだんに自分を顧みて影響を受け、少しずつ変わっていくというーまあ、その過程では店番として配達に行った先で激しいセックス場面の遭遇したり、襲われそうにもなったりとかなどという経験もし、自らも性具をひそかに試してみようとしたり、あるいは頼りないボーイフレンドとセックスを試してみようともしたり、いろいろと、まあわかるよな、という動揺をしながらも…というわけで、その中でカティアの秘密を知ったりして二人の間には年齢や境遇を越え一種の友情も生まれていく。というわけで、意外性はないのだがなるほどな、なるほどな、という感じと、あと、最初はやぼったいサロールが映画の中でどんどんきれいになっていくのもなかなか見もの。彼女あ結局原子工学をやめ、前から一生懸命だった美術の道に進む。最後は、ちょっとほろ苦さもあるが、きりっと歩いていくサロールに重なって人気バンド・マグノリアンのパフォーマンスが重なるさわやかな終わり方。昨年の大阪アジアン映画祭の上映作品で、ヒロインサロール役のバヤルジャルガルは若手で将来が有望な役者の与えられる薬師真珠賞を受賞したが、私自身は映画祭では見落としてしまっていた。(5月2日 新宿シネマカリテ146)
連休は山歩きナシ。府中市立美術館へ

③聖地には蜘蛛が巣を張る(Holy Spider)
監督:アリ・アッパシ 出演:メフディ・パジェスタ二 ザーラ・アミール・エブラヒミ 2022デンマーク・ドイツ・スェーデン・フランス(ペルシャ語)118分 ★

2000年代初頭、イランの聖地マシュハドで実際に起こった娼婦連続殺人事件を題材として、殺される娼婦、殺人犯=信仰熱い良き父、良き夫、良識的な地域人であるような中年男、そしてこの事件の取材にこの地に入る女性記者の視点から事件を描いていく。
クライムサスペンスというが、犯人は最初から分かっており、犯行の成り行きや犯行シーンもこれでもかというほどあからさま、残虐に描かれ、殺される娼婦たちの殺されるシーンも犯人目線と思われるほど見にくく残虐で、その意味で分かりやすく、ミステリー要素は皆無。むしろ潜入する女性記者が遭遇する社会的ミソジニーの描写(予約したホテルに宿泊を拒否される、警察官の性犯罪的行為にさらされる、そしてこの娼婦殺人を是とし犯人を支持する老若男女の存在など)と、それにもめげず自らをおとりとして犯人にたどり着こうとし、実際の襲われ殺されそうになりながら犯人を検挙するに至る彼女の行動の方がクローズアップされる仕組み(この映画で主演女優はカンヌ’75の受援女優賞をとっている)。娼婦殺人を「社会の浄化」と信じる犯人は、有力な男たちの支持を信じ裁判で死刑宣告(12回の死刑、14年の禁固、100回のむち打ち刑とさすがになんかすさまじい判決が下される)を受けても自分は助かると信じており、実際にむち打ち刑などは「音だけ」で執行されるが、最後にはやはり吊るされる。男が「裏切り」にさらされる死んでいく表情も大写しで趣味が悪いが迫真的。これをほぼずっと見守っていく女性記者の表情も印象的だが、なにより怖いのは彼女がマシュハドを離れる高速バスの中で自分の撮った映像を確認する、その映像で、そこにこの社会的なミソジニーが幼い男女にきちんと継承されていくようすが映し出されるのである。イランが舞台だがイランでは到底上映できなそうな?それゆえの北欧ミステリー風味になっているのであろう。(5月5日新宿シネマカリテ 147)  

              シネマカリテのロビー掲示


④乱4kデジタル修復版
監督:黒沢明 出演:仲代達矢 寺尾聡 根津甚八 隆大介 原田美枝子 宮崎美子 野村武司(萬斎) ピーター 1985日本 162分

乳児子育て期の映画で、劇場では見ていない。黒澤監督は美術の人(先月載せた大島渚氏とに対談で語られていたように)ということが本当に前面に出ているようなビジュアルで、最初から最後まで一場面一場面の画面構成が印象的な絵画みたいだし、合戦の場面は様式化されたマスゲームみたいで、何も考えなくても目で楽しめる。そこに武満徹の音楽がかぶってくると舞踊劇みたい。敵味方それぞれの色合いも統一されて紅白戦という感じだし、飽きず引きこまれる。
ただしこれは私の眼のせいかもとも思うが、せっかくの4Kデジタル修復というが、そうなの?という感じも。役者たちは大写しはほとんどないロングショットが多いので、だれなのかわからない??寺尾聡とか、宮崎美子とか鶴丸の野村萬斎も最後までだれ?という感じ?その中で仲代達矢と原田美枝子の怪異ぶり?、ピーターはウーン。リヤ王の道化の役回りだろうが、あまり道化っぽくない。原田美枝子と根津甚八のパートはマクベスで、ワダエミの超時代的色合いの衣装の効果もあって現代劇っぽい雰囲気も満載な時代劇的寓話という感じだろうか。(5月8日 ポレポレ東中野 148)

⑤独裁者たちのとき
監督:アレクサンドル・ソクーロフ 出演:アドルフ・ヒトラー ヨシフ・スターリン ウィンストン・チャーチル ベニート・ムソリーニ(いずれも本人アーカイブ映像)2022ベルギー・ロシア(ドイツ語 ロシア語 英語 イタリア語)78分 ★

出だしは棺に横たわるスターリンが喉が渇いた体が重いとか言いながら起き上がる場面、隣に横たわるのはなんとキリスト。大きな岩場の洞窟のようなところ(煉獄という設定?)にスターリン、ヒトラー、ムソリーニ、チャーチルがつどい天国の門があくかどうかでゴチャゴチャ、結局皆天国に入ることはできない。後半は勇ましい革命歌?の流れる中、あたかも煙のように不確かな、波のようなうねりとして描かれる群衆の前に立つ彼らが、演説⦅の一部⦆をして見たり、ボヤいたり、ケンカし合ったり…。さんざまな本人の映像をコラージュして、実際に彼らが言ったことばを、それぞれの言語で俳優が吹き替えているというもの。当然様々な時のさまざまな彼らの映像の組み合わせだからチャーチルなどは軍服姿から普通の背広やフロック?などなどいろいろな姿で同時に出現して他の登場人物にからかわれたりする。一方スターリンは二つの映像が兄弟として登場、たびたびハンカチで鼻をぬぐうスターリン(兄)をもう一人のスターリン(弟)がたしなめたりして笑いを誘う。よくもまあ、そういうセリフを探し出してきて組み合わせたものだとは思うがディープ・フェイクもAIも一切使っていないと最初に断り書き。まあそういう組み合わせの中に作者の独裁者観というものがあらわれているということではあるし、その意味では独裁者の頼りなさ卑小性のようなものがよく出ているとは思うが、主張があるというよりは皮肉っぽいゲテモノ?として楽しむべき?原題は『fairyTail』まあ、むべなるかな。ドキュメンタリーではないということなのだが、ロシアではまだ上映できず、カンヌからも拒否されたというのが惹句になっている話題作。(5月9日 渋谷ユーロスペース 149)

➅アダマン号に乗って
監督:二コラ・フィリペール 2022フランス・日本 109分 ★

ベルリン’73で金熊賞を獲ったドキュメンタリー。作者は『ぼくの好きな先生』(02)の二コラ・フィリペールで、製作には日本も参加しているという話題作。舞台はセーヌ川に係留された船?型の建物で、ある精神病の患者のためのデイケア施設。外に開く板状の明り取りなどすごくおしゃれな建物だが、うがった見方をすればこういう場所にしか施設を作ることができなかった?のかも。
映画はナレーション等はなく、ここに集まる人々の日々の営み―バンドで歌う男性からはじまり、運営のための会議や、カフェでの談笑、絵を描いて皆にそれを説明するとか、ピアノの弾き語りをするとか、カフェで接客をしたり、写真を撮りあったりとか、10周年を迎える映画上映会の準備活動とか。ここに出てくる活動はわりとアート系?ダンスシーンはあるがスポーツとかは出てこない。それと参加する人々のインタヴューとを組み合わせこの船の施設の日常を描くというもの。かなり強引?な個性の発露、その結果いささかのぶつかり合いや不満(ダンスのワークショップの主催を望む女性など認められない不満を相当にかかえている?)はあるが、全般的にはかなりそれぞれが自由にやりたいことをやっている感じで「フツウ」、その普通さこそがこの映画のテーマであろうが…。登場する人物の抱える「苦さ」も透けて見えるのだが、それらが深く掘り下げられるのではなく、それを抱えながら「フツウ」に生き、他人と付き合う人々というところで描かれるのは、ウーン。悪くない、納得ではあるが、とりとめない感じもありイマイチ食い足りないという感じも実はしなくもなかった。(5月9日 新宿武蔵野館150)

(付記)『週刊金曜日』(5月19日)で二コラ監督と想田和弘氏が対談をしている。それによればアダマン号の状況はフランスの精神医学界において決して「フツウ」のこととして成り立っているのではないらしい。作者がアダマン号の状況を「奇跡」としてでなく「フツウ」のように描きつつ実は「奇跡」であることを訴えている意図は、観客の方も一般的なフランスの精神医学界の状況を知らないと正しくは理解できないことになるのではないかと思う。日本の状況をある程度理解していても「フランスはさすがにスゴイ、進んでいる」というような感想を持ってしまいそうだし。ドキュメンタリーの見方は作者より観客の方がより困難だと感じられる。
武蔵野館のトイレ‼に貼ってあったチラシに山田洋次監督の言葉として、この映画が「非常に抑制された、上品な描き方をしているがゆえに、二度観た方がいい=つまり二度くらい見ないと理解しにくい」とあった。そうそう、多分そういう感じなのだ。

⑦午前4時にパリの夜は明ける
監督:ミカエル・アース 出演:シャルロット・ゲンズブール キト・レイヨン=リシュテル ノエ・アピタ メ―ガン・ノータム エマニュエル・ベアール 2022フランス 111分

ジェーン・バーキン、セルジュ・ゲンズブールの娘、80年代「生意気シャルロッとト」(85)の印象が鮮烈―今回登場するノエ・アビタほどの美少女ではなかったが、どちらかといえばそういうぶっ飛んだタイプのフランス少女として…―も50歳を過ぎ、演じるのはおとなになりかっかた子どもたちを持ち、仕事もしたことがなく、夫に依存?しながらその夫が女を作って出て行ってしまったという母親で、映画の中で自立性を高めてはいくが合間にちらりと見える感性はかなり保守的・伝統的な価値観も感じさせるもので、ちょっと隔世の感のため息(もちろん役者としての彼女ではなく、劇中人物としての彼女のハナシ)。映画は81年を皮切りに3年後。4年後とラジオの仕事を通じて面倒を見るようになる家出少女タルラと、エリザべート、息子マチアスのかかわりや別れを、エリザベート自身の仕事や男友達とも絡めて描く。要はネットも携帯もなかった時代、ラジオの視聴者参加番組がもっていた意味を若い(といっても80年代に子供だった75年生まれ)監督の懐古的?な思い出として描いてる??
タルラの出現と、彼女とマチアスのワクワクする時間、しかしタルラ自身も悩む彼女とクスリ?そしてそれに対しわりと普通のオトナの反応をするエリザベートの中でのタルラとマチアスの別れ、そして数年後、少しずつ職業社会(ラジオの視聴者の電話を受ける+図書館のパート職員)に自分の位置を築き二人への見方や対応も変わるエリザベートというわけで大きな事件はないが真面目に娘も含めた家族関係の変化を描き、最後は一家がタルラも含め談笑するようになるまで。ハッピーエンド感は薄いがやはりハッピーエンド?エッフェル塔のシルエットがうかっぶパリの薄紫の夜明けが美しい。が、ややとりとめもなく、やや映画的ご都合主義も感じられないでもなく、自分の状況(山帰り)のせいもあり、途中少しあくび続き。それにしてもタバコ頻度の多い映画だった。(5月10日キノシネマ立川 151)

➇せかいのおきく
監督:阪本順治 出演:黒木華 寛一郎 池松壮亮 佐藤浩市 石橋蓮司 真木蔵人  2023日本 89分 ★★

江戸末期安政から文久への4年間、父が大義をとなえ武家から長屋住まいへ。「せかい」の存在を説く彼は、武家社会の終わる次の世界を見越しているようだが、武家社会のしがらみ?から刺客に襲われる。「序 むてきのおきく」で、母を労咳で亡くし、父に伴われ長屋住まいになったおきくはつつましい面持ちながら元気で「くそだのへだのも言えるようになった」と高らか宣言。しかし次の「むねんのおきく」で事件に巻き込まれ喉を切られて声を失う。「ばかとばか」は汚穢屋(江戸の汲み取り屋)の矢亮と彼に誘われ紙くず買いから転職した中次。「ばかなおきく」の章はいよいよおきくの中次への思いが…。そして「おきくのせかい」「せかいのおきく」と章が続いて(完ぺきではないかも…しかしこんな感じで印象的な「章立て」が続くので意外に整理されて面白い)声のないおきくの一途な思いと、貧しい最下級の「汚穢」扱いされながら、江戸の循環や、農業を支えているという秘かな誇りを持ち、中次は文字の読み書きを覚えて次の世界に行きたいと願う、そんな若者らしい世界への向き合いが静かにひそやかに示される。
モノクロの画面は暗いのだが柔らかさと端正さで、映画の中でさんざん描かれる「きたなさ」も想像の中のリアルとして緩和していると同時に、時に(全体に3~4か所?)ほっと差し込まれるほのかな色が、かすかな希望の象徴にもなっているような…、ちょっと奇をてらった感もあるかなと思いつつもその視点はやはり魅力的に感じられる近代への入り口映画だった。映画の画面の暗さは、その近代の、実は暗さも予測させるような気がする。(5月11日 テアトル新宿 152)

⑨儀式
監督:大島渚 出演:河原崎建三 賀来敦子 中村敦夫 小山明子 佐藤慶 乙羽信子 小松方正 戸浦六宏 渡辺文雄 土屋清 1971日本(創造社ATG)122分

ポスター掲示から

5月に入ってからは最初、久しぶりの大島渚特集後半戦の第一弾。覚悟はしていったが、いかにも70年代アートシアター系の重っ苦しい深刻じみた一本。
終戦の1年前、妻と二人の子どもを置いたまま先に帰国した父が自殺(なんとまあ、無責任な)、そのちょうど1周忌の法事のの日に、下の子―まだ息のある赤ん坊を埋めた母と息子・満洲男が夫・父の実家に引き上げてくるところから。そこには当主である祖父母夫婦、父の二人の弟のほか、少女律子とその母せつ子、戦犯として中国に抑留されている父の弟の息子正、それに祖父が外で生ませて引き取ったらしい満洲男より1歳上のテルミチという少年がおり、映画は4人の少年少女の世代的視点からこの旧家をみつめることになる。
満洲男は後継ぎとして祖父に特別扱いを受けるが、病身の母は食事も満足に与えられない感じで疎まれやがて亡くなる。その母の葬儀、共産党員となった父の弟の一人の結婚式(登場人物が一人一人歌う歌が人物やその属している場を表し面白いがしつこい感じも。結婚する叔父は『仕事の歌(後半は猥歌に)』その妻は『インターナショナル』)、せつ子と祖父の「戦後精算?」と称する情事というより祖父のセクハラ・パワハラとせつ子の死、結婚相手に逃げられて一人で盛大な結婚式に出ることになる満洲男の結婚式、そこに警官?の制服姿でやってきて演説をぶった挙句に開場前で交通事故死する正の葬儀などなど、葬儀や結婚式の儀式などを通して祖父の伝統的・封建的なこの家への君臨と、そこに不満や抵抗を抱きつつも継承していく次世代、三世代目のいわば群像劇である。
映画は成人した満洲男と律子が『テルミチ死す』の電報に導かれ、東京からテルミチのいたという絶海の孤島に向かう道中での二人の回想として描かれる。ある意味戦前からの伝統的家制度から脱却したい若者たちがもがいた70年代だからこそ成り立ち評価された映画のように思うが、今の目で見るとしんどい、というかそういうしんどさを感じることが自分の堕落?と感じさせられるような押しつけがましさがなんとも…という映画でもあり。伝統的制度下を表象する人物、祖父やせつ子の眉を塗りつぶした妖怪的メイクもなんかなあ、雰囲気は出しているが気持ち悪い。孤島でテルミチに続くかのように律子も自死し、一人取り残されて無力な満洲男の前に幼い頃のテルミチ・律子・正、そしてせつ子(要は美那子の化け物じみた「家」の犠牲者?)が現れ野球をするシーンが印象に残る。
後ろの席のオジサン、上映の最初からいびきをかいて眠りこけ(隣の人が見かねて注意)時たま私の椅子の後ろを蹴っ飛ばす。終わって振り返ると意外とすっきりした風貌の長身の紳士で、偏見ぽくいえばエ?この人があの行儀?ま、だれでも眠くなる映画はあるわね…(5月12日 国立映画アーカイブ 大島渚特集 153)

⑩それでも私は生きていく
監督:ミア・ハンセン=ラブ 出演:レア・セドゥ パスカル・グレゴリー カミーユ・ルパン・マルタン メルヴィル・ルボー 2022仏・英・独 112分 ★★

2017年3月公開(私が見たのは5月)の『未来よ、こんにちは』のミア・ハンセン=ラブ作品。『未来』は初老の哲学教師の女性の暮らしぶりで、イザペル・ユペールが老いを目前の困難の中で毅然と突っ張って生きる姿が印象的だったが、こちらは、作者自身の実年齢にずっと近いヒロイン、夫を亡くしたシングルマザー、通訳で生計を立てている女性が父の認知症と介護問題に直面する中で、妻子ある旧友と再会して恋に落ち、不倫に悩みつつ愛に生きていく。映画の中で問題は深刻化し、解決というか問題解消の道筋などは見いだせないまま、それを受け容れ、それでも何とかこなしていこうとする姿がよりリアルというか等身大の感じで描かれる。作者があてがき的にイメージしたというレア・セドゥが演じるヒロイン・サンドラは、かつてのイザベル・ユペールとはまた全く違った、自然体に見えるが芯のところで自立とともに愛への意思を崩さないという姿で静かに描かれ、興味深い。サンドラの父の周辺には元妻、娘たちのほかに現在の恋人もいて、それぞれが介護にかかわるのだが、記憶を失っていく父が求め続けるのは現在の恋人だけというのが、なんかフランスっぽい。(5月13日 新宿武蔵野館 154)

⑪ユンボギの日記
監督:大島渚 1965日本(創造社)白黒25分 

大島渚が韓国の街頭で撮った子どもたちの写真をつないで、日本でもベストセラーになった少年ユンボギの手記のモノローグ、あたかも詩のように少年の境遇を語り尊厳を讃えるナレーション(小松方正)を組み合わせた小品。貧しさの中で母と妹が出ていき、病身の父をにかわってガム売り、ヤギ飼い、靴磨きなどをして幼い弟を養うユンボギに重ね合わされるのは様々な貧しい子供たちの写真で、ユンボギが特別な一人の子ではなく社会の中に大勢いる子たちなのだということが実感されるような作りになっている。(5月13日 国立映画アーカイブ 大島渚特集 155)

⑫アジアの曙
監督:大島渚 出演:御木本伸介 小山明子 佐藤慶 戸浦六宏 立川さゆり 松本典子 久米明 加藤武(語り)第1回 1964日本(TBS・創造社)


1時間枠で13回にわたって放送された大島渚唯一の連続TVドラマ。原作は山中峯太郎で、その主人公中山を演じている御木本伸介という人は、私が子供のころ大流行りだった柔道ドラマの中で嘉納治五郎がモデルの真野正五郎?を演じていた人。女の子ゆえに体力勝負を阻まれていたような時代に在って人が投げ飛ばし合う柔道ドラマは一種のストレス解消?で一時期はまったこともあり、しかも柔道ドラマの役者たちはこの人も含め一見あまり強そうでもなく、けっこう悩む、あたりがひかれた一因かもね。ということで懐かしい御木本伸介主演ドラマでもある。このドラマ名前はかすかに記憶があるようでもある(原作の記憶かも)。
辛亥革命当時の清国留学生がいた陸軍士官学校を舞台に、「シナ」語学生の中山と彼ら留学生の接近・交流を描く第1話。留学生を(日本語で)演じているのは佐藤慶、戸浦六宏らでけっこう見せ場が多く、もちろん日本人が親近感的に見た中国人でリアルではないが見せ場が多い。13回全部見られるかどうかっわからないけれど、とりあえず紹介しておくことにする。⑪に伴映。(5月13日 国立映画アーカイブ 大島渚特集 156)

●第2回・3回/第4回・5回 クマさんみたいな御木本伸介、かわいい感じで戦略が強そうでもないしなあ…。(5月14日 国立映画アーカイブ 大島渚特集 157)
●第6回7回/第8回・9回 このドラマ当時もあまり視聴率は稼げなかったらしい。そりゃそうだよなあ、生まれたばかりの子と妻をいわば捨てて中国の革命のために行ってしまい、ドンパチ戦争に明け暮れる男なんて、多くの特に女性視聴者に共感を持たれるはずもなく、しかもなぜ中国で革命なのかこの必然性も全くないものね…(5月27日国立映画アーカイブ 大島渚特集171)
●第10回11回/第12回・13回 終わりの方になってくると前半の3人に加えて、新しいヒロインが次から次へと登場してくる。加藤治子、小川真由美 小林千登勢 寺田路恵というような人々。これがみんな悲劇的な最後を遂げていくというのもすごく、その形でこの第二革命というのが失敗にどんどん追い込まれ、中国人李列鈞(佐藤慶)は中山を迎えに来た妻せつ子とともに、中山のふりをして日本にわたり、中山自身は新しい革命の仲間を求めて中国の奥地へ去っていくって、なんじゃっこれ?ただ、終わり近く日本が中国支配に乗り出してくるところでそこに誘われ力になれと昔の上官などから求められた中山が断固それを断るというところには日本の中国支配に反対する作者(大島)の視点があらわれているわけだ。(5月28日 国立映画アーカイブ 大島渚特集172)

⑬帰れない山
監督:フェリックス・バン・ヒュルーニンゲン シャルロッテ・ファンデルメールシュ  出演:ルカ・マリネッリ アレッサンドロ・ボルギ 2,022イタリア・フランス・ベルギー(イタリア語) 147分 ★★(山の景色に)

原作はパオロ・コニェッティの小説。いかにも「小説」しかも登場人物の内面や、関係に分け行っていくという感じで、ドラマティックに展開するわけではない。
幼い頃トリノの街から山の家に避暑に来た少年ピエトロ(べリオ)と山で暮らすブルーノの出会い。父は出稼ぎ、おじと山で暮らすブルーノをピエトロの両親は気にかけてトリノの学校に行かせようとするがそのことがかえって仲の良かった二人の少年の別れを招くことに。
15年後父とうまくいかず家を飛び出していたピエトロは、父の死に久しぶりに山の家に。そこで父がブルーノに山の中に小屋を建てるように言い残し、ブルーノはピエトロに一緒に建てるように誘い、二人の関係が復活する。二人が協力して山小屋を建てるシーンは胸が熱くなるように心惹かれるが、二人の男のあごひげをはやした造型がなんかそっくりだしクローズアップもないので、帽子の色ぐらいでしか二人をはっきりと見分けられないほどで、これも二人の共感性をもたらす一種の演出なのかなとも思わせられる。しかしこの共感はそれぞれが自分の人生の道を見つけて歩み始めると決して相いれないというか踏み込めない距離を感じざるをえないようにもなる。その苦さが、モンテローザの山々と、ヒマラヤの山々二つの山の景色と連動して描かれる。しかし1:33の小さな画面に閉じ込められたような山々の画面は、のびやかな広がりよりは二人それぞれの心の奥に引き込んでいくような吸引力とでもいうべきものを感じさせ、広がりよりは奥行きを感じさせるような映画になっている。ピカデリーのポイント鑑賞。会場平日昼間にもかかわらず後ろの方は満員。(5月15日 新宿ピカデリー 158)

⑭マウリポリ7日間の記録
監督:マンタス・クヴェダラヴィチウス 2022リトアニア・フランス・ドイツ(ロシア語)112分 ★★

リトアニア出身の人類学者でもある監督はロシアの侵攻まもない3月にマウリポリに入り、教会に避難している人々と生活を共にしながら撮影を続けていたが3月30日新ロシア派勢力に拘束され殺害された。婚約者でもある助監督が撮影済みデータを確保、製作チームがこれを編集して仕上げた一本はカンヌ’75で特別上映、ドキュメンタリー審査員特別賞を受賞した。爆音のとどろき続ける街での人々の暮らしを淡々と描いているー玄関先の遺体を運び出し、その奥にあった発電機を自分のものとして自宅に引いていく二人の男、というのがいちばんショッキング映像かな。戦争中の人の逞しさというより感覚の鈍化?それが怖い―戦闘場面とかはないのだが、瓦礫や壊れた木材の積み重なる町とか、そこで生活し語る人々の姿のこちら側に撮影者でもある監督の目や(時に声も…)が感じられる。色合いっをおさえた中に遠景の夕日?とかシルエットで描かれる町は暗いながら美しいと言ってもいいような映像だが底に間断なく流れ時にとどろく爆音のすさまじさが、臨場感があり、そこで暮らす人々の不安や恐怖が観客にも伝わってくる。素材もだけど、不思議に作者=死者の目が反映していると感じさせられるのである。(5月15日 渋谷イメージフォーラム 159)

⑮夏の妹
監督:大島渚 出演:栗田ひろみ 石橋正次 りりィ 殿山泰司 佐藤慶 小山明子 小松方正 戸浦六宏 1972日本(創造社=ATG)95分

どの登場人物もこの映画のためだけに存在しているという感じ?つまり生活感とかリアル感があまりない―考えてみれば大島作品ってほとんどそうなのかも。「戦メリ」や「御法度」もそうだが、あのくらいになるとそれはそれで様式化されたファンタジー世界の物語と見ることができ受け容れることもできるのだが、この映画の場合はウーン。一つには若い登場人物大村鶴男と菊池素直子(スーたん、これはまた仰々しい名だけれど)が自分とほぼ同世代といってもいい、しかも当時の現代日本の中に生きる人物として描かれるので、違和感とか反発が大きくなり嘘っぽさを感じるのかもしれない。大村鶴という鶴男の母を争ったというか、争ったとも言えないような情事をそれぞれ持った男たちがそれをとうとうと平気でいうのも、特に年上世代の男たちのセクハラまがいを当然とするような言動も、時代の制約があると言いながら見ていて不愉快な感じが先に立って、返還直後の沖縄と日本を物語に重ね合わせているのだなどと言われても受け入れがたく…。まあこの時代から日本でウーマン・リブ運動が起こりジェンダーへの視点が開けてきたのも当然だという感じが今見てもする。栗田ひろみ演ずる素直子は活発元気で物おじしない少女(中学生)という設定だが、「だわ」「かしら」に交えて「ス―たん〜だぞ」というような言い方がしばしば出てくる。これは先月観た『宗像姉妹』の妹まり子と同じような口調で1950年代から70年代まで少女の「男ことば」として役割語的に現れているのかもしれないが、同じ世代を生きたものとしてはそんな言い方をする女の子(10代)周りにいた覚えもなく「役割語」の現れ方の1パターンとして心に留め置くべきかと思われる。(5月16日 国立映画アーカイブ 大島渚特集 160)

⑯KYOTO,MY MOTHER’S PLACE(他2本)

●KYOTO,MY MOTHER’S PLACE 監督:大島渚 出演:大島渚 1991日本(大島プロ)52分
大島自身が出演し、母の旧友にインタヴューしたり、京都の街中を歩いたりするセルフドキュメンタリーとして、母の自由ではなかった人生、瀬戸内海の陽光の中で育ちながら6歳で父に死なれ京都の町家に母とともに戻り「戸主」となった(『アジアの曙』の中で乳児が一家の戸主として表札を掲げられるシーンに投影?)渚少年の暗い京都の家への忌避や、京都への怨念みたいなものがしみ出しているような映画である。京都の景色はもちろんなかなかに美しく撮れているのだが。こちらも35mサイズ。

●小さな冒険旅行 監督:大島渚 出演:中川春喜 佐藤慶 木村俊恵 加藤嘉 左卜全 小松方正 戸浦六宏 小山明子 柳生博 渡辺文雄 1963日本(日生劇場映画部)52分 
日本生命のPR映画だそうだが団地住まいの4歳くらいの幼児が一人家を出て、高度成長真っ最中という感じの喧噪の東京都内を一人旅するという設定自体が、今の時代にはあり得ないのどかさ?で隔世の感を禁じ得ない。子どもの行く過程でいろいろな人が現れちょっと子どもと触れ合ったりするがその人々を演じてワンシーン出演しているのは当時の大島映画によく出ていた面々。しかしどの人もこんな小さな子供の独り歩きを心配することもなくにこやかに触れ合って別れていくというのはなんかなあ。子どもはそして長い長い(バスにも電車にも乗り、ほんとに長く感じる)1日の旅の果て、無事に団地の我が家に帰りつくのである。当時の東京を子ども視点から見せるというところに眼目があるのかもしれないが、どうしてこれが生命保険のPR映画として受け入れられたのかちょっとわからない。幼児はセリフはほとんどないがワイド画面内を繊細に広々と動き回りタフな恐るべき名演技である。

●私のペレット 監督:大島渚 出演:佐東朝生 加藤澄江 坊屋三郎 小山明子 柳生博 菅原謙次 家田佳子 斎藤頼子 1964日本(日本映画監督協会)27分 
いすゞペレットのPR映画。並ぶ車の数で章をしめした3部からなるオムニバス映画で、いずれも青年(や中年)がペレットを手に入れるという作品だが、1は恋人とドライブにでかけたものの車に対する態度(キレイにするかどうか)で互いにケチ呼ばわりして喧嘩別れするカップル。2は敏腕の芸能プロ社長に認めてもらおうと車を手に入れ社長を仕事先に送ろうとする駆け出し役者の失敗、3は会社内の不倫相手と別れ、家庭を大事にしたいとマイカー購入に踏み切るが、妻とでかけた社員寮の休暇に捨てた不倫相手に付きまとわれ、車を乗り逃げされる会社員の話で、どれも車はちょっと苦さやつらさを誘発するアイテムなので、こんなのがよく宣伝映画として通ったなあという気がする。もっともそういう皮肉な目で売り出し中のこの車の宣伝をしたところが新しいというかいかにも大島らしいというべきか。(5月17日国立映画アーカイブ 大島渚特集 161)

⑰帰って来たヨッパライ
監督:大島渚 出演:フォーク・クルセイダーズ(加藤和彦 北山修 端田宜彦)殿山泰司 佐藤慶 車大善 緑魔子 渡辺文雄 1968日本(創造社)80分

当時のミリオンセラー『帰って来たヨッパライ』をテーマにうたったフォーク・クルセダーズ主演で撮られたいわばアイドル・コメディ?
卒業旅行で日本海の海辺に遊びに来た3人組の大学生は裸になって海に入ったりしている間に、砂浜に脱ぎ捨てた服を砂の中から伸びた手によってすり替えられ盗まれてしまう(なぜか、北山、端田二人だけで、加藤和彦は最後まで赤いセーターベージュのミリタリー調の上着)。韓国から密航してきたベトナム帰りの兵士と高校生が盗んだという設定で、警察は彼らを追い、彼らはなぜか盗んだ相手の大学生を殺そうとする。助けようとして?現れた謎の男女(傷痍軍人スタイルの男と、かれに支配されているかのような美女)がからみ、北山・端田は韓国兵・学ラン⇔スカート・セーラー服と衣装を変えながら、列車内やトラックに乗り逃げ回るというアクションコメディだが、バックミュージックは3人の歌う表記の『ヨッパライ』と『イムジン川』の他は中村八大による短調の曲、「韓国人は韓国人を殺さない」というポリシーに裏打ちされた祖国アイデンティティによって殺す相手を見失うというようなサブテーマとか、棒読みみたいな3人の冷めたようなセリフ回しとか(単に下手なだけとも思われぬ演出?)、途中で最初のシーンに戻って後半やり直し(天国から戻ったということか?)とか、不思議なクラーイ要素がつまった、このアイドルがいわゆるグループサウンズとも、ビートルズ(『イエローサブマリーン』とかを想起させるけれど)とも違う独特のスタンスにいたのだろうことを思わせる怪作ではあろう。フォーク・クルセーダーズ自身が大島渚に監督されることを望んだのだそうだ。それにしても当時の韓国は日本に密航・亡命しようなどという人がまだ存在する国だったのか…というのも隔世の感がある。(5月17日国立映画アーカイブ 大島渚特集 162)

⑱マックス・モン・アムール
監督:大島渚 出演:シャーロット・ランブリング アンソニー・ヒギンズ 1987フランス(英語)97分 

なーんかなあ。フランス作品なのに英語が目立つのは主人公ピーターが英国大使館員という設定だからみたい。シャーロット・ランブリングは英国人だがフランス語も堪能だが、この映画では相手はチンパンジー・マックスだし…。で妻マーガレットとチンパンジー・マックスの関係を知ったピーターはマックスを家に引き取り妻との関係を観察しようとする。このころ超きれいなシャーロットと、人好きする風貌のイケメンアンソニー・ヒギンズなのであまりどぎつかったりはしないが、相当に気持ち悪いシュテュエ―ションで、チンパンジーと街の娼婦を掛け合わせてみようとしたり、チンパンジーの真似をしてみたり、銃をぶっ放して逆にチンパンジーに奪われて…警察沙汰にまでなったりとピーターの狂乱ぶりは納得もできるが、まさに狂乱。最後はびっくりするようなハッピーエンドと思いきや、ちょっと最後の一さじ毒を入れてひねりというところもあり、なんとも不思議な気分にさせられるのは他の大島作品と同じかな。マックスは実際のチンパンジーと、特殊メイクをしたダミーとで撮っているというが、前半のいかにも野生っぽい荒くれぶりと、終わりの方のおとなしさはちょっと違和感があった。ここまで見てきて大島渚ってやはり相当ヘンな映画を作る人という気がするが、もはや毒喰らわば皿までで最後までついていくぞーという気にもさせられる。(5月18日国立映画アーカイブ 大島渚特集 163)

⑲愛の亡霊
監督:大島渚 出演:吉行和子 藤竜也 田村高廣 川谷拓三 小山明子 殿山泰司 河原崎建三 佐藤慶 伊佐山ひろ子 1978日・仏 107分

カラーなのだが全体にセピアがかった色合い鮮やかと行かない場面は元の色なのか、それとも経年変化?あるいは私の眼のせい(最近何を見てもちょっと色合いが自分のイメージとずれるとそう思えてしまうのが悲しい。でも6月に予定している目の手術に期待!)ともかく全体として幻想性をさそうようなモノクロに近い画面の中で若くて野性味があって美しいせき(吉行和子)と20歳年下という兵隊帰りの(赤い襟章付きの軍服を羽織っている)豊次(藤竜也)がむつみ合い共謀して、まじめに働くが面白味はない(というより性的魅力がないという描き方?)車引きの夫儀三郎(田村高廣)を殺して古井戸に埋める。そして数年、夫の亡霊(これが題名の由縁か。儀三郎の亡霊は怖いというより悲しげで、田村高廣さすがにうまい)が現れ、亡霊を恐れつつあたかも愛するかのように亡霊と生きた男との間をさまようようなヒロインを描き、儀三郎の死は村で疑いを込めた話題にはなるもののその死も犯人も確信するものはない中で疑いを持ったのが村の旧家の若旦那というわけで、それまでのいかにもカンヌ好みの歌舞伎世話物っぽい物語と日本の因習的な農村風景から最後は、古井戸に入った二人の狂乱、抱き合い、せきの両目に釘が打たれ…、そして二人が木につるされての拷問シーン、古井戸から引き上げられる儀三郎の死体(ここまで見せなくてもいいんじゃないかなという半骸骨化したミイラ)と突然に即物的にエグイ場面で悲劇は幕を閉じる。それまで大島作品を評価しなかった淀川長治が、この作品で作家としての成熟を賞賛したそうだが、確かにそう思わせる完成度はある。フランス人アナトール・ドーマン製作。フランス語字幕入り。中村糸子『車屋儀三郎殺人事件』というのが原作だそうだ。(5月18日国立映画アーカイブ 大島渚特集 164)

⑳The Son息子
監督:フローリアン・ゼレール 出演:ヒュー・ジャックマン ローラ・ダーン ヴァネッサ・カービー ゼン・マクグラム アンソニー・ホプキンズ 2022イギリス 123分 ★★

イギリス映画だが舞台はニューヨーク、父・息子役はオーストラリア人、母役はアメリカ人だが、父の再婚した妻と祖父はイギリス人、そして監督はフランス出身というわけで、これが今の欧米映画の実情なのねと思わされる国際性。
ニューヨークで活躍する弁護士ピーターは2年前に結婚した妻べスと乳児の息子を抱え(夜泣きに悩みながらも)幸せに暮らしているが、そこに先妻のケイトがあらわれ17歳の息子ニコラスが学校に行かず、母とでなく父や弟と暮らしたいと言っていると言う。息子を思い引き取ったピーター夫妻、しかしそこから、相変わらず転校した学校にも行かず、何を聞いても「分からない」と自分の殻に閉じこもるかのようなニコラスが父・ピーターを悩ませる日々が始まる。
フローリアン・セレールは前作『ファーザー』では認知症で現実と幻想の狭間にあるような老人(アンソニー・ホプキンス)の心理を老人自身の視点で描き、単に介護映画とかいうのでなく、現実なのかそうではないかを悩ませるようなミステリー映画の様相を描き出したが、今回はピーターの視点で「分からない」という息子を「わからず」困惑する姿を描くが、観客にとっては実は、ピーター自身とその「強い家父長」的な立場で息子に対した父(これをアンソニー・ホプキンスが演じている。なるほどのキャスティング)の関係が再生産されているのだということがかなりすっきりよくわかるように作られている。それだけに映画の終わり、数年後成長したニコラスが父を訪ねて自らの経験を書いた本を父に渡すという場面は唐突で、えー?ではあったが、ピーターを『ファーザー』の認知症の老人の心理と重ねあわせるという意味ではなるほど。前作と3部作で企画されているそうだが、納得…という感じ。(5月19日 川崎市アートセンターアルテリオ映像館 165)


㉑ウィ、シェフ!
監督:ルイ=ジュリアン・プティ 出演:オドレイ・ラミー フランソワ・クリュゼ シャンタル・ヌ―ビル オリヴィア・コールマン? 2022フランス 97分

一流レストランのマスコミへの露出度も高い売れっ子シェフの下でスーシェフとして働くマリー・カティは、自分のレシピをシェフにないがしろに扱われるのに腹を立てレストランをやめる。しかし簡単に次の口は見つからず、行きついたのは移民認定を待つ少年たちの施設。食べ物は質より量、時間さえ守られればよい、ということで厨房は荒れて不衛生というような現場である。最初はいらだつもののよりよい料理を作ろうとし人手不足の解消から、18歳までに就学しないと国外退去になるという少年たちを料理に巻き込んで、ついにはこの少年たちが就学できる調理師クラスを設立するに至る。途中なぜか彼女はマスコミで宣伝されるコックのコンテストに出場、彼女の料理人としての野心は施設を見捨てた?とも思わせるのだが、勝ち進んで、レストランを借り切りそこで接客も含めて料理を供するというコンテストのコンセプトにサプライズ!という展開が(実話ベースの話らしいが、ほんとうにこんなことが起きるのだろうかとは思わせる)嘘っぽいがなるほど!しかし苦いのは終わりの方で施設の壁に飾られた少年たちの顔写真の何人かが、調理師クラスへの入学がかなわなかったのだろう、「国外退去」と示され、この難民問題が決して甘くはないことが示唆されることか。その意味では宣伝にあるような料理コメディというよりはもう少しシリアスなドラマというべきであるような気がする。移民候補者役の少年たちが大変に魅力的。オーディションとワークショップを経て300人から選ばれた人たちらしいがこの子たちの現在(未来)はどうなったのだろうかと思わされる。 (5月20日 キノシネマ立川166)

㉒私のプリンスエドワード
監督:ノリス・ウォン(黄綺琳) 出演:スティフィー・タン(譚麗欣) 朱栢康 鮑起靜2019香港 93分

一昨年の大阪アジアン映画祭で見て印象に残った一作だが、ようやく劇場公開に(但し2週間限定上映?。昨年の同映画祭公開の『縁路はるばる』)と同時公開。で、最初に見た時には大陸人の香港ID獲得のための偽装結婚にアルバイトとして応じたヒロインの10年後、同棲中の恋人との結婚に際して何とか偽装結婚の方を解消しようとするじたばたの方が、日本にはない特異現象として印象に残ったのだが、今回見てみるとそういう話というより(もちろんそういう状況を上手く使ったという側面はあるが)やはり、結婚に際して自分の生き方を顧みる必要もなく、母親に依存したまま旧来的な男女観で無意識に、あるいは善意にだが女性に抑圧を加え続ける男と、大陸人との結婚の経緯やその解消を通して男から与えられている抑圧に気づいてしまった女の物語なのだと思える。
大陸人の男―香港IDを取得しこれを足掛かりにアメリカに行きたいと考え金をはらっての偽装結婚をするが、福州に恋人ができ子供もできて、ヒロインをさんざん苦しめたあげくにID取得をやめヒロインとの離婚する男のある意味脳天気な身勝手さというのも、男の勝手さとともに10年余りの間に香港と大陸との間の関係が変化したものであることを今見ると感じさせられる。大陸人との偽装結婚というこの地・この時代に独特な設定を使っているものの実は極めてオーソドックスな男性支配からの女性の独立というジェンダー問題を描いた作品なのだと思われた。(5月22日 新宿武蔵野館167)

㉓縁路はるばる
監督:ノリス・ウォン(黄浩然) 出演:カーキ・サム(岑珈其) クリスタル・チョウ(張紋嘉)ジェ二ファー・ユー(余香凝)シシリア・ソー レイチェル・リョン 2021香港 96分

こちらは昨年の大阪アジアン映画祭上映作品。『僻地へと向かう』という邦題にちょっと辟易して見なかったが、おもしろいという話で今年1月東京外語大での上映会を見に行った。ところが奥手のIT男子が5人の女性と単線的に付き合っていくという展開についていけず、今まで映画に描かれることが少なかった香港の奥地?の、といってもバスやフェリーで何とか通勤可能な、2時間圏ではあるのだが、フーンとは思うものの、いったこともない漢字名はなかなかに難解で、なんかなあ。でも若手の才能が花開いた作品ということで、筋だけでも再確認しようと再鑑賞。で、まあ筋はわかった。
IT男子のカーキ・サムはその2年前の㉒『プリンス・エドワード』ではヒロインの同棲相手のカメラマンの助手を演じてちょっとだけだが軽妙な立ち振る舞いを見せていた人。フツウの男の子という感じで目を引くようなイケメンでは全然ないんだが、まあ等身大の若い男を演じるという意味でははまり役といってよいだろう。監督・脚本・プロデューサーなどもする多才な人だとか。女性たちは彼の同僚であったり、友人の妹だったり、学生時代の同輩であったりで意外に描かれる世界は狭い。一人が芸術家志望で山の中のアート村のようなところに住み始める以外は、中環のオフィスに勤めているような人々で、その意味でもなんか性格的なもの以外には彼女たちの個性が明確ではなくて最初に見分けにくかったのもそのせい??(5月22日 新宿武蔵野館168)

㉔戦場のメリークリスマス
監督:大島渚 出演:デビッド・ボウイ トム・コンティ 坂本龍一 TAESHI 1983年日本・ニュージーランド・イギリス(英語・日本語)123分


去年デヴィッド・ボウイ追悼?で劇場上映も見たし、間もなく坂本龍一追悼プログラムとしての再公開が決まっているこの映画、今回は大島渚特集の1本で310円(シニア)という低価格プログラムなので、さすがに満席?に近い国立アーカイブ。ま、内容的には今更で(これも自分としても何回見たかわからない)でも今回デヴィッド・ボウイが坂本龍一を抱く(セリアスとヨノイと書くべきなんだろうがつい役者名で書いてしまう)シーンのインパクトって慣れたのか案外あっけないというか軽い?イメージ。一方ヨノイがセリアスに初めて会った軍事法廷場面での動揺の表情から始まって、露骨なほどにぐんぐんセリアスに惹かれていくようす、それをものすごくワイルドでいながら奥の方に妙に知性のひらめき(というかこれもワイルドなんだが)を見せるビートたけしが見つめるというあたりが心に残るのは、やっぱり坂本龍一の死が前提にあるからかしらん…。あと、この映画では讃美歌なんだけれども、捕虜たちの斉唱シーン、大島渚映画って「歌う」のが好きなのだなあとあらためて思わされた。 (5月24日 国立映画アーカイブ 大島渚特集169)  

        長野県立美術館・東山魁夷館を見に行く(5・26)

        レストランから善光寺方面     前庭もステキ

㉕愛しきソナ
監督・脚本・出演:ヤン・ヨンヒ 2009韓国・日本(朝鮮語・日本語) 82分 ★★★


『ディア・ピョンヤン』『スープとイデオロギー』と3本の特集は次週公開の劇映画『かぞくのくに』に先立つものであるらしい。『かぞくのくに』はもちろん、前2作品はすでにみているが、この映画は見た記憶がないと思って行ったが、やはり見ていないかなあ…。見終わってもよくわからないのは他のヤン・ヨンヒ作品に描かれるのも同じシュテュエ―ション、同じ人物、同じような主題であるゆえか。
この映画は帰国事業で朝鮮に帰還した兄一家の(唯一の?)女の子、作者の姪のソナをを中心に、大阪に住むヨンヒ一家の朝鮮来訪時のビデオ映像などで彼女の成長を追っている。ソナの父(作者の次兄)は最初の結婚で二人の男の子をもうけたものの離婚、次の結婚で生まれたのがソナだが、彼女が4歳のとき母は子宮外妊娠死、さらに父は新しい母と再婚した。作者の長兄は帰国後うつ病に苦しんだという。大阪の兄弟の母は日用品や家財道具、息子たちの結婚支度まで大阪から中国経由の郵便で送り続けたとのことで、いずれにしても帰還した兄弟がかなり過酷な生活を送ってきたことが察せられるし、見かけが兄弟・従兄弟の誰よりも作者の父によく似たソナは明るく、祖母の送った日本製の洋服(キティちゃんや友達の知らないミッキーマウスの図柄がついていたり)やランドセルを身につけ家族の大人に可愛がられてすくすくと育ち叔母を慕う。ヤン・ヨンヒは2005年の『ディア・ピョンヤン』の製作によって北朝鮮政府から入国禁止令が出てしまい、13歳のソナ会ったのを最後に兄一家には会えないまま、父は亡くなり、ソナが金日成大学の英文科に入学して英文の手紙を叔母によこすまでを描く。日本・朝鮮の二重の文化に悩み成長したヤン・ヨンヒの心情が同じように二重の文化の狭間に生きる(とはいえ、やはり住んでいる地ゆえに彼女は母語も文化も朝鮮寄り?だとは見えるが)姪に投影している姿に、その相手が幼い少女だけに胸がつまされる。(5月27日 ポレポレ東中野 170)

㉖波紋
監督・脚本:荻上直子 出演:筒井真理子 光石研 磯村優斗 津田絵里奈 木野花 キムラ緑子 安藤玉枝 江口のりこ 平岩紙 2022日本 120分 ★

荻上作品はほとんど見てきていると思うが、これはまた、今までとは一味違った「毒」や皮肉をいっぱい含んだ作品。静かに話は進行していくが、幻想的な水上での対立シーンも含め、それと水のない枯山水、そんな庭に水を灌ぐ夫の行為も含めて静かではあるが無駄なところのないピリッと奥で引き締まった映像と、底に現れる人間の弱さや、エゴイズム、翻弄されつつ自らも対抗すべくあがいていき、最後は?喪服に赤い襦袢で踊るフラメンコの破天荒まで、なかなかに目を離すことのできないビビッドな映画である。
片言の日本語と笑顔で語る息子の年上の彼女(このひとは「嫁」敵対場で現れるのに最後の夫の葬儀シーン=直葬には参加せず)のふてぶてしさに脅かされるヒロインが面白く、そこで彼女の差別意識があらわになったり、清掃人の同僚の部屋のビックリとかなかなかに皮肉がきいて、見ていておかしいのだが、やはり怖いかな…(5月29日 府中TOHOシネマズ 173)

㉗ノートルダム炎の大聖堂
監督:ジャン・ジャック・アノー  出演:サミュエル・ラハルト ジャン=ポール・ポルテス ミカエル・チリ二アンほか 2022フランス・イタリア 110分 

2019年のノートルダム聖堂の火災を膨大な調査、SNSで呼びかけて集めた写真屋動画なども含む様々な資料を駆使して2022年に再現したという。98%の再現率とか。ノートルダム寺院はミニチュアのセットで人の動きとか燃え方?なども検証し、計算したうえで実物大のセットを作り、そこで実際に役者が演じたのだそうで、もちろん炎とか煙とか?CGも足したりはしているのだろうが、それにしてもすごいお金を使った迫力映像なので、ウーン。内容的には(部分的には印象的な行動をとる登場人物がいるが)誰か一人もしくはチームのヒーローを通して描くというわけではなく、役者のクレジットも公式ページなどにはない。ドキュメンタリーをみているような感じ。しかし火事の原因が塔の上の工事現場で禁煙表示にもかかわらず工事人たちが吸った(日常的に吸っている感じに描かれている。ほんとに未だフランス人はタバコが好きだ)タバコというのも、歴史上の汚点となってしまうのではないかと思われる。(5月31日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館 174)

㉘はなればなれに(Bande à part)
監督:ジャン=リュック・ゴダール 出演:クロード・ブラッスール アンナ・カリーナ サミー・フレイ 1964フランス 96分モノクロ

ふたりの若者と、付き合う娘(日本の中高生みたいなブレザー、タータンチェックスカートにハイソックス。これは日本のほうが真似したわけか…)、3人は娘が半ばメイド?みたいに住みこんでいる叔母宅から盗みをすることを計画するが…不器用でなかなかうまくいかない泥棒計画、1人の娘と2人の男の絡み合う人間関係の果ての悲喜劇ーというべきなんだろうね。ハッピーエンドではないし、人も死ぬが、かといって悲劇とはいえない皮肉っぽさはここでも。で、後半はまあまあだが前半はどうにも眠くてゴメンナサイ!だった。あと、やっぱりゴダールの「女性の描き方」はやっぱり(昔もだけど)ついて行けない感じがする。男の荒っぽい支配的な女への態度、女が突っ張りながら(フランスの常で少女といってもいい若い女性がタバコスパスパ)従順風で、最終的に「弱い」のも(5月31日川崎市アートセンター・アルテリオ映像館 追悼ジャン=リュック・ゴダール映画祭 175)


㉙小さな兵隊(Le petit Soldat)
監督:ジャン=リュック・ゴダール 出演:ミシェル・シュボール アンナ・カリーナ ラズロ・サボ 1960ねフランス 88分モノクロ

ブリュノは極右のOASのスパイだが、FLN(アルジェリア民族解放戦線)のスパイ(らしい)ヴェロニカとつながりができ、OASの幹部からある男の暗殺によって二重スパイではないことを証明するよう迫られる。しかし殺人はしたくないと悩みつつ街をさまようブリュノ。暗殺できず幹部に捕まえられての拷問シーンもあり、逃げたブリュノはヴェロニカに助けられるが…というような話で、スパイものと言っても全然格好良くないし、かったるいしね、それがゴダールといえばそうなんだけれど、ウーン、もうゴダール作品見てわかったようなふりをする?時期は過ぎたなと自らを振り返らされる。アンナ・カリーナの初出演ゴダール作品。ゴダールと結婚したこの女優も2019年79歳で亡くなっている。(5月31日川崎市アートセンター・アルテリオ映像館 追悼ジャン=リュック・ゴダール映画祭 176)

4月に行った台湾・玉山の登頂記念証書をもらいました。別にもらうために行ったわけではないけれど、ちょっと嬉しい!





以上! お疲れさまでした!

実は6月10日・17日2回にわたって白内障(両目)の手術をすることになりました。最近映画が色鮮やかに見えなくなってきましたし、山に行くと天気がよければまぶしいし、曇だとなんだか視界がはっきりせずで、潮時かなと…。手術自体は日帰りですがその前後何回も通院しなくてはなりませんし、術後2週間くらいは激しい運動(山歩きも含むらしい)はできず、目も視力が定まるまでは無理できないようで、とにかく6月いっぱいは山も映画も自粛?で、おとなしくしていなければならなそう。そのあとのクリアな視界を楽しみに…。
というわけで、6月のブログはもう少し「軽く」(分量的に)なると思います(笑い)。
では、皆様もどうぞお元気で。


            

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