【勝手気ままに映画日記】2020年3月
3月6日 快晴の高尾富士!このあと9日から15日まで大阪アジアン映画祭に。帰京後はいよいよ新型コロナウイルス禍はげしく、19日からはロシア・エルミタージュ美術館を見に行くつもりでしたが渡航中止、5月に行くつもりだった台湾・玉山も中止(一応秋に延期)、その後も山も含めて自粛、自粛(もう完全に流行語)。それでも何とかポツポツと映画祭を除いて、12本の映画を見ました。 |
①ロング・デイズ・ジャーニー この世の涯てへ【地球最后的夜晩】3D版②盗まれたカラヴァッジョ③初恋④Fukushima50⑤9人の翻訳者 囚われたベストセラー➅ジョン・F・ドノヴァンの生と死➆三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実 ➇CURED キュアード➈名もなき生涯➉レ・ミゼラブル⑪男と女 人生最良の日々⑫シェイクスピアの庭 (★1~3はあくまでも個人的な好み、最後の数字は2020年の通し鑑賞数です)
3月はこのほかに大阪アジアン映画祭26本見ました。
①ロング・デイズ・ジャーニー この世の涯てへ【地球最后的夜晩】3D版
監督:ビー・ガン 出演:湯唯 黄覚 シルビア・チャン(張艾嘉)李鴻其 陳永忠 2018中・仏 140分
2018年のフィルメックスでは夜9時過ぎからの1回上映だけで見そこないーでもこのときに学生審査員賞を受賞しているーうん、考えてみれば映画好きな学生とかに好まれそうな主題、映像であるのは確か…というわけで、新型コロナウイルスの懸念の中、3D眼鏡を持参して、2Dではなく3Dで上映している渋谷まではるばる出かける。映画館すいてはいるのだが、それでもガラガラというわけでもなく、同じようなことを考える人はいるんだなと。で、主人公の夢とも現実ともつかないような「人探し」で彼が凱里の映画館にいわば迷い込むような後半60分の話題の3D映像にいたるまでの長さや展開は、なんか後半の準備というか、シークエンスの説明というかそんな感じもしなくもない散漫さで、湯唯演じる謎の女?もきれいだし、印象的でもあるが、彼との関係が今イチわからん。で、いよいよ後半映画館に紛れ込んだ主人公が眼鏡をかけると、我々観客も眼鏡をかけるわけだが、3Dと言ったら『アバター』とか『不思議の国のアリス』とか(まあ古いと言えば古いけど)、ああいう飛翔映像とか、落下映像とかの効果に心躍らせた立場で見ると期待を裏切られるかも…、卓球シーンの玉のやり取りも、リフトで地下城?みたいなところに下りていくシーンも、3Dを生かしたとはとてもいえず、ただ字幕が前に浮き出るとか、人と人の前後の位置関係がちょっと立体的かなというぐらいで、まあ若い作者はやってみたかったんだろう。
ワンカットの60分というのは位置的には広いその地下城をカメラが移動していき、登場人物は主人公も含め出たり入ったりで、まあこんなセット?なのかどうかわからないが、よく作り、計算して撮ったんだねということに感心はするが、やっぱり作為が目立って、主人公が相手を求める心情の部分は感じることができるけれど、女の方の謎部分はアクロバティックな画面の流れの中で今一つわからんという感じ?
3Dだと普通より画面は暗いし、それなのに映画館の足元のライトなどの光は眼鏡のはじから強烈に感じられてつらいしでけっこう疲れたが、ただ、そんなにもマイナス要素がありながら、いやだからか?最後まで眠気がささなかったのは立派!(私が、ではなく映画がね…) (3月3日 ヒューマントラスト渋谷 48)
②盗まれたカラヴァッジョ
監督:ロベルト・アンド― 出演:ミカエラ・ラマッオティ アレッサンドロ・ガスマン 2018イタリア・フランス 110分 ★★
こちらは恵比寿ガーデンシネマで、ある程度の大きさのあるホール1だったが、観客5~6人?空調もよさそうで、これだけしかいないとウィルス感染なんてほとんど考えられないという快適さ。で、映画は実際にあったカラヴァッジョの盗難事件をモチーフに、現代の映画業界も舞台にして、作品の書けない脚本家と、制作会社役員秘書をしながら彼のゴーストライターをしているヒロイン、そしてある日彼女に新しい作品について示唆を与える謎の老人。カラヴァッジョ盗難事件を描いたその作品が公になり始めると、脚本家はマフィアに拉致され意識不明の重傷を負う。ヒロインはミスターXの名で作品の続きを書くが、当然狙われることになる。常に現れ助けるスーパーマンみたいな(最後もスーパーマンみたい)な老人は誰なのか…という謎から人情もの的な展開も含め、なるほどね、よく考えられてヒロインの不安な逃避行的な場面とか、敵?に対する性的篭絡とか、見せ場もたっぷり作った楽しめるサスペンス・アクション。ま、老人のスーパーマンぶりがご都合主義的かな?ちょっと、というのとずっと意識不明のアレッサンドロ・ガスマン扮する脚本家つまり盗作者に対する扱いがちとこの映画甘すぎない?というあたり、そして実在の事件人物もまじえて転んでもただでは起きないイタリア映画という感じがするのをのぞけばとっても楽しめる、見ごたえのある作品だ。ヒロインのキリリさ加減もなんとも格好いいし。 (3月3日 恵比寿ガーデンシネマ 49)
③初恋
監督:三池崇史 出演:窪田正孝 大森南朋 染谷将太 小西桜子 ベッキー 内野聖陽 2019日本 115分 ★★★
2019年のカンヌほかたくさんの映画祭に出品され「世界熱狂!!」と賞された話題作ゆえ?コロナ禍にもめげずに見に行く。夕方からの映画館は公開第1週にもかかわらず10人くらいの観客で、まあ(感染は)大丈夫でしょう…ということで、主役の窪田正孝、悪徳刑事役の大森南朋、やくざの内野聖陽あたりはまあ、予想の範囲内だったけれど、よかったのはずる賢く立ち回ろうとし、しかしどこかおっちょこちょいというかミスもあり、ミスを糊塗するためには短絡的に殺人もしながらその場しのぎに駆け回るやくざの染谷将太、もう一人チンピラやくざ?の恋人を染谷(の役)に殺されてぶっちぎれ、自分を襲った一味の男を叩き殺したうえで、鉄棒をもって街中を裸足で駆け回り血みどろになって復讐を果たす女のベッキーの鬼気迫る感じの演技。新人という小西桜子もクスリの幻覚におびえつつ、純真と危険の狭間で漂うような鈍感とも鋭敏ともつかぬような少女をよく演じていて、こういうなんかぶっ飛ぶような演者たちの激しい集合体が、首をぶった切るとかバタバタ人が殺されるとか、あるいは後半のアニメも含めた、長い高速道路を1台の車を追って何十台ものパトカーが走るとか、その追われる車から無事に脱出する「かたぎ」の若い二人とかっていう、なんとも嘘っぽささえもありユーモアが漂うばかばかしい?しかし順情感も漂う展開を支えている。かの『カンフー・キッド』、『川の流れに草は青々』(82侯孝賢)の顔正國が中国系マフィアのボス?そして『ミレニアム・マンボ』(01侯孝賢)の段釣豪も出ているのが懐かしく…これってけっこう中国語圏映画でもある?そして血みどろな暴力映画なんだが、『初恋』という題名のコンセプトがちゃんと貫かれているところもいい(ただし、主人公のボクサー・レオが余命宣告を受けて少女や、その周囲の人物に出会うまではいいのだが、その後余命宣告が間違いだった(あり得るかな?)あとは少し緊迫感が薄れてしまうのも確か…もっともだからこそハッピー・エンドストーリー(初恋の成就)が成立するのではあろうが…。 (3月4日 府中TOHOシネマズ 50 )
④Fukushima50
監督:若松節朗 出演:佐藤浩市 渡辺謙 吉岡秀隆 緒形直人 日野正平 平田満 萩原聖人 吉岡里帆 富田靖子 安田成美 2020日本 122分
東日本震災当時の福島第一原発、押し寄せた津波で建屋が崩壊したあの時を、原発内部でそれに立ち向かった地元の作業員たちの視点から描いた、いわば10年近くたってようやく描けるようになった事件?でも被災者や、まだ帰宅が果たせないでいる人などから見たら、生々しくて恐ろしくてやはり平静では見られないだろうなと思うほど地震や津波の映像も使っている。まあ、こういう映画だから当然と言えば当然なのだけれどもホンテンと称される東電の本部の人々の無策、傲慢ぶりとか、時の政府―首相が佐野史郎で、これが菅直人というわけだねー政治家たちの無策・無能ぶりとかがどうしても強調される仕組みになっていて、そういう関係者たちも心穏やかには見られないだろうな…という映像である。主人公の原発所長が言う「自然を甘く見たのが過ちだった」という言い方は結構穏便な、原発政策に対しても真っ向批判というわけではないが、これは内部の人としては当然か…。原発はいらないと思うのだが、こういう映画のおとこ気と家族愛とかを見てしまうと、現場の人だから許してしまう?という気がしてくるのも恐ろしいが。(3月6日 府中TOHOシネマズ 51)
⑤9人の翻訳者 囚われたベストセラー
監督:レジス・ロワンサル 出演:ランベール・ウイルソン アックス・ロウザー オルガ・キュリレンコ マリア・レイチ サラ・ジロドー2019仏・ベルギー 105分 ★★★
これは、面白かった!世界待望のミステリー『デダリュス』の出版・翻訳権を得た出版社社長は、世界同時発売を目指し招へいした9人の翻訳家たちを、郊外の大きな屋敷の地下シェルターに2カ月間いわば幽閉し、外との連絡ができないようにスマホも本人のPCも預かって、10ページずつの原作を日々渡すという形で外に漏れないように方策して翻訳をさせる。ところが、「冒頭10ページを流出させた、500万ユーロ払わなければ全頁流出させる」という脅迫が社長に届く。さて犯人は!と社長が躍起になるわけだが…。
最初から結構伏線になるような映像が出てきて、途中では主犯が4人の仲間とともに役割分担して社長のカバンをすり替えて中の原稿をコピー、カバンを戻すというスリリングなアクション的場面も出てきて、案外簡単に犯人が割れるかと思うと、実はそうでもなく、なぜそんな事件が起きたのか、そこに誰がどう絡んでいたのかというほうが主眼であっ、と驚く嘘みたいな種明かしがされると、最初にあれ?と思った登場人物の個性も説明されるというなかなか凝った、でも展開がわかりやすい―私が1か所だけちょっとわからなかったのは、社長の秘書が社長に命じられ犯人のロンドンの家を探り出し部屋に入って写真(社長と彼女のツーショット?)を見て、電話で犯人のPCを破壊せよと命じられるのに壊さず、社長を裏切るところ。ん?なぜこの写真がダメなのかイマイチわからなかった―ので飽きることもなく、最後に驚きつつ前のほうの場面の意味が腑に落ちるというところまで連れていかれる。9人の翻訳家がなかなか個性豊かでそれぞれ映画の中で持ち場をもって見せる場面もあり行き届いているし、それが実は中心人物である翻訳家の個性の説明かつ種明かしを不自然に際立たせないところも秀逸だと思う。秘書の行動もとおし、この映画全体に文学を愛し、商業的価値を優先させるような風潮に抵抗しているわけで、それはこの映画の下敷きになったというダン・ブラウン『インフェルノ』出版時の実話―翻訳家を地下室に入れて仕事させたーを批判しているということでもあるのだろうな。(3月19日 ヒューマントラストシネマ 有楽町 78)
➅ジョン・F・ドノヴァンの生と死
監督:グザヴィエ・ドラン 出演:キャット・ハリントン ジェイコブ・トレンプレイ ナタリー・ポートマン スーザン・サランドン キャシー・ベイツ タンディ・ニュートン 2018カナダ・イギリス 123分 ★
2016年、若い俳優ルパートが取材に来た女性インタヴュアーに語る物語として、2006年10歳だった彼と、当時の著名俳優で若くして薬物死?したジョン・F・ドノバンとの文通について語り、それをめぐるルパートと母の関係、またドノヴァンと男友達(恋人?)や母との関係を描いていく映画。テーマとしてはグザヴィエ・ドランがずっと追求してきた世界がここでも展開しているのだろうが、彼自身の子ども時代のレオナルド・ディカプリオへの文通が元になっているとかで、でも、なんか子役の少年とアイドル的俳優の交流って、やや特殊?な感じもするし、特に題名になっているドノバンのほうは母(スーザン・サランドン)との関係が大人どうしのせいか,描き切れていない感じで友とも関係が切れ(この場面は哀切で心に残る)敏腕マネージャーに生き方を批判される形で切られる(キャシー・ベイツがやたらと格好いい。見方によってはエラソー?)孤独がイマイチ表面的な描かれ方のような気がする。いっぽうのルパートパートは、ナタリー・ポートマンの母が存在感抜群で、まあ子役が達者すぎるきらいはあるが、話がシンプルなこともあってインパクトがある。概して男は繊細だがイマイチというのに対して、母親役、マネージャー役、それに取材に訪れる女性記者も含め女性のほうが力強くてぐっと押し出してくる感じなのが、なるほどのグザヴィエ・ドラン映画なのだろう。(3月19日 ヒューマントラストシネマ有楽町 79)
➆三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実
監督:豊島圭介 出演:三島由紀夫 芥正彦 木村修 橋爪大三郎 宮沢章友 原昭弘 小川邦雄 平野啓一郎 内田樹 小熊英二 瀬戸内寂聴 ナビゲーター東出昌大 2010日本 108分 ★★
1969年5月13日、東大駒場の900番教室で行われた三島由紀夫と東大全共闘学生たちの対話集会の映像記録に当時の全共闘学生、楯の会一期生、そして内田樹や平野啓一郎、小熊英二、瀬戸内寂聴らの一言ずつを挿入して綴る。最後に70年11月25日市谷の映像も出てくるが、そこでの強圧的野蛮な感じさえするが空しい軍服姿の演説とはうって変わって、穏やかでことばはわかりやすく、ユーモアをも含み、相手の話もよく聞いて、決して頭からの否定もせずケンカ腰でもないこの討論の映像は市谷とは別人のようで、さすがの天才、時代の寵児だった論客のオーラに満ちていて驚く。対する全共闘も、壇上の人々は三島を追求しする正反対の立場に立つという意識は強く、「ごりら」とか、三島を揶揄するような言い方もするが、三島に比べてむしろ言葉は観念的でことばのわかりにくさなどはあるものの、レスペクトを持っているようで、この対話の場が知的にスリリングなものではあるが決して非難や批判の応酬になっていないことに驚く。
この当時高校生だった自分は遅れてきた青年で、この対話も中身まではもちろん知らず(映像はTBSにのみ保管されていたらしい)書いたものや、市谷の姿からはこのような三島の姿は想像でもしなかった。でも、これが50年経って興味深く好意的に受け入れられるということは、あの市ヶ谷の三島も肯定されるということになるのかなと思うと、ちょっと複雑な気持ちに。50年前東大の論客だった青年と、右翼だった楯の会の青年は風貌的にも表情的にもずいぶん違った気がするが、50年経ってみると身にまとう雰囲気はみんなそんなに変わりなく、結局あれだけの論をはって三島に対抗した青年たちもいわば普通のオジ(イ)サンになっている。三島を論ずる識者たちも97歳、ただただ三島が魅力的だったと言う瀬戸内寂聴は別格としても、若く、いわば客観的に三島の文学的立場とこの討論での立場を論じている平野から小熊、内田、そしてともに全共闘仲間でこの討論の場にもいた橋爪まで、三島の態度や思想への距離の取り方がそれぞれに少しずつ違っていて、そこが興味深い。要は三島も全共闘も日本の現状を憂い、かたや天皇という名の日本文化に、かたや社会変革思想に身をゆだねて支柱にしようとしたという意味では両者は共通点があったのだとする映画の見方は、新しいものではないが、画面にそれが現れているところがなるほどと言える。
初日の府中TOHOシネマズ、夕方の会は初日休日だからとはいえ、けっこうの入り。終わって出てくると、高校生?くらいの二人の青年が、「ちょっと睡魔とたたかった」「メッチャ面白かった」と感想を言い合っていた。若い人が見たらどうなんだろう、やはり三島が格好良くて、全共闘はダサいとみえてしまうのかなあ。 (3月20日 府中TOHOシネマズ 80)
⑧CURED キュアード
監督・脚本:デヴィッド・フレイン 出演:エレン・ペイジ サム・キャリー トム・ヴォーン=ローラー 2017アイルランド・フランス 95分 ★★
「ゾンビ・パンデミック終焉後の世界を描く」というので、どんなにおどろおどろしいゾンビ映画?と思いきや、たしかに怖いことは怖いがその怖さ、ゾンビ化した人間でもなく、そこから回復した人々ではもちろんなく(といってもテロ行為を起こすのは彼らなのだが)彼らを保護するとしつつ弾圧し人間扱いしない「体制」側の人々なのだった。今、新型コロナウイルス不安の中でところによっては感染者が出た国の人々を差別したり忌避する傾向、電車の中で咳をした人に文句をつけたり離れたりというようなことも起こり「私は花粉症だ」と言い訳したり、それも嫌だ・差別的だというような言説もあるが、この映画にあるのは言ってみればその延長上のもっと極端化したものと言ってよい。だから怖さは、つらさでもあり悲しさでもあり、メイズと名付けられた新型ウイルスによる狂暴化・ゾンビ化する病から回復した人々も、自らが病中に母や兄や、あるいはその他の人を食い殺したり、ゾンビ化させた記憶から逃れられず苦しまなければならないし、その病中の行為によって回復後も周りから忌避され差別され続けるという社会。
その中でアメリカからわたって夫がメイズで死んだあと、一人で息子を育てる女性記者とそこに帰って来る回復者の夫の弟セイン―実は彼は兄を食い殺した?らしく、その兄と自分を感染させたルークという元弁護士とともに治療センターで回復して社会復帰した。ルークは社会復帰したものの母を殺しているので父には受け入れられず、元の職に復帰することもできず、同じような回復者を集めてそういう扱いをする体制に対してテロを企てる(このあたりはアイルランド映画らしいところ?)。そのテロとは治療センターに閉じ込められている未回復の患者たちを解放すること、それによって街にゾンビパニックが起こるというのがまあ、この映画のクライマックス。その中で息子と離れ離れになってしまうヒロイン、その息子を助けようと奔走するセイン、そして…というまあゾンビ・アクション(どこかのビラかトレーラーに「ホラー」とあったが、決してホラーではないな。意外と地味な作りだが、すごく真面目で重い映画でもある。(3月21日 立川キノシネマ 81)
➈名もなき生涯
監督・脚本:テレンス・マリック 出演:アウグスト・ディール ヴァレリー・パフナー ブルーノ・ガンツ 2019米・独 175分 ★★
ヒトラー占領下のオーストリアの山あいの村の農民の暮らしぶり、幸せな夫婦と3人の娘(夫の母と、なぜか妻の姉も)の家族、そこに来るヒトラーの徴兵。拒んだフランツは収監され解放の直前に死刑になる。映画はフランツと妻ファニ(フランチェスカ)が互いに語りかける手紙?によって綴られる。この手紙や、登場人物が画面の外に語る(わからせる)場面は英語、ドイツ軍を中心にいわば一種雑音のようにフランツやファニその他の人物が無視するようなことばはドイツ語で、この部分には字幕もつかず発話中の語尾のほうが消えていくような音声もしばしば。これ、アメリカ映画の所以?(ディズニー社の配給だ!)なのかな。主要な役者たちはほぼドイツ・オーストリア出身で、英語も流暢だがもちろんドイツ語話者でもあるわけだし、観客のドイツ語が分かる人にはどんなふうに見えるのかなということが少し気になる。まあ国際的な映画作りの時代の産物なのだろう。前半は農村の家族たちの日常的な(けっこう大変な暮らしでもあろうが、アルプスを背景に牧歌的というのかとても幸せそうな美しい、しかしけっこうリアルな作業風景などで綴られた、見ていて気持ちのいい情景、後半はうって変わってフランツの獄中の暮らしと、村人にも疎外されて一人(姉と二人)農作業や家畜の世話や、また子どもを見る妻のいかにも厳しそうな孤独な暮らしぶりとが交互に描かれて、しかもそれが雪の積もった冬まで四季に及ぶ。
看守や、裁判官も弁護士も(ブルーノ・ガンツ。これが遺作。ちょっとだけしか出てこないがさすがの存在感)は「形だけ、ことばだけヒトラーに忠誠を誓えばいいのだ」となだめすかすが、それができない、しない男と、「あなたがどんな選択をしようと、私はあなたを信じ、あなたのそばにいる」と、最後の面会で倒れそうになりながらも夫の死刑まで含めて受け入れる妻(こっちがすごい気がする)。妻と顔がよく似て見分けがつかないような姉は、妻を助けつつもその夫に対しては少し批判する部分もあって、彼女の存在が妻の夫には見せずに押し殺しているもう一人の自分を表しているのかもとも思う。とはいえ、この話実話が元だそうで実際に姉もいたのかもしれないが)。私には夫よりもこの妻の描き方のほうが感動的だった。とにかく静かで、端正で、粛々と語られていく。死の場面とか暴力の場面などの描写も比較的押さえられているのだが、その静けさこそがインパクトの強さと感じられる。(3月22日 立川キノシネマ 82)
➉レ・ミゼラブル 監督:ラ・ジリ 出演:ダミアン・ボナール アレクシス・マネシティ ジェブリル・ゾンガ ジャンヌ・バリバール 2019仏 104分 ★★★
ユゴー『レ・ミゼラブル』の舞台になった、今でも移民などの居住者が多く治安の悪い地域を、グレーのプジョー(覆面パトカー)で巡回する3人の警官の1日。新任のステファンの目から見た先輩のクリスは白人で強圧的、力に物を言わせようとし、荒くれであることを誇りとしているようなタイプ(街でタバコを吸っていた高校生の子たちにセクハラまがいの強烈摘発をしたり、あとで家でも怒りっぽいが2人の女の子の父であるという場面が出てくる)、黒人のグワダは母とともに暮らす。短絡的なところもあるが、クリスほど「迷いがない」というのではないよう。黒人の社会ではことばもできるしクリスより信頼されて前面にたって行動する。
その地区でサーカスの子ライオンが盗まれるという事件がおきる。犯人はイッサという札付き?(最初のほうで警察に呼ばれた父親が彼を怒鳴りつける場面が出てくる)とその仲間で、突き止めた3人は少年たちを追うが、逆襲されグワダが至近距離でゴム弾を発砲してしまい、直撃を受けたイッサは怪我をする。ステファンは救急車を呼ぼうとするが、クリスがそれを押しとどめる。実はその場面をバズという少年が飛ばしたドローンが撮影していたので、クリスは直撃場面をもみ消すことを優先するのである。
で、そこからはそのためにそれぞれ走り回る3人とそこにかかわってくる地域社会の大人たちのやり取りなどが続き、撮影された映像のSDは無事?回収され、ドローンも破壊され、けがをした少年もなんとか大ごとにはならず釈放され、3人はそれぞれの生活の場に帰るが、おとなたちのやり取りの中でいわばつぶされた少年たちの怒りはおさまらず、次の日に暴動がおこる。
その暴動映像のアクション的すさまじさ、最後に銃を構えたステェファンと、火炎瓶?をかざすイッサの直面映像ーでも二人とも撃たない投げないその間というのが、希望のような感じで描かれているのが秀逸ーすごく虚無的に生き生きとしている少年たちと、一見みな子どもたちのことを考えている風を見せながら、悪意はないがそれぞれ自分の都合で動く大人たちのなんていうかリアルかなーそこにユゴーの「悪は育つのでなく、大人が育てるのだ」みたいな言葉がかぶるのが身に沁みてくる。
(3月24日 渋谷文化村ル・シネマ83)
⑪男と女 人生最良の日々
監督:クロード・ルルーシュ 出演:アヌーク・エーメ ジャン=ルイ・トランティニャン スアド・アミドゥ アントワーヌ・シレ モニカ・ベルッチ 2019仏 90分
1966年の名作『男と女』の登場人物53年後を旧作の映像も交えて、同じ監督が同じ役者―当時7~8歳の子役も含めて同じ人が演じているのは驚きと言えば驚き。子役は60歳になるまで役者を続けていたということだものね―で描いた話題作。で認知症になり施設にいるカーレーサーだったジャン・ルイの息子が、かつての恋人アンナのことばかり言う父を見て、アンナを探し当てアンナがジャン・ルイに会いに行き、今のアンナはわからないが過去のアンナの姿を追い求める彼に、要はアンナがつき合うという話で、なんか50年たって90歳近くなっても脳天気な?男の夢に女がつき合っているという感じで、ちょっとなんかなあ、ロマンティックな感じは全然ないし。かみ合わないような、ときにちょっとかみ合うような会話と昔の映像と今の二人のほぼ座ったまま(車に乗っているシーンも含め)だけなので、どうなんでしょう。ちなみに『男と女』は20年後に同じ役者でⅡが作られているが今作にはこちらの映像は反映されていないみたいで、二人は50年ぶりに会ったということになっているみたい。アヌーク・エーメは実年齢87歳だそうだが、なんとまあ若々しい見かけで映画の中でもまだブティックを経営していたりしてシャキッとしているが、89歳のトラティニャンはよぼよぼ。ま、これは役者ゆえの老けメイクの可能性もあるけれど、ちょっと見50年前と同一人物とは見えない。子どもたちももちろん言われなければあの子役とはわからないし、ま、そういう「同窓会」映画としては面白い試みであるのは確かかも。「人生最良の日々」という題がついているが、描き方としてはこれもどう見ても今ではなく50年まえの恋に燃えた日々をさしていると思えて、老いた人生の悲哀を感じてしまう。 (3月25日 渋谷文化村ル・シネマ84)
⑫シェイクスピアの庭
監督:ケネス・ブラナー 出演:ケネス・ブラナー ジュディ・デンチ イアン・マッケラン キャスリン・ワイルダー リディア・ウィルソン 2018英 101分 ★
1613年『ヘンリー8世』の上演中に大火災を起こしたグローブ座の前にたたずむシェイクスピアの「影」-この火事はもう完全なCG映像で様式された火事という感じーその後筆を折り故郷に20年ぶりに帰る彼と、彼を客人扱いする8歳年上の妻、堅物の町医者の妻になった長女、未婚の次女ジュディスとのなんかギクシャクすれ違いの日々。その中でシェイクスピアの関心は11歳で疫病で亡くなった息子(ジュディスと双子)に向き、彼の詩人としての才能を惜しみ、彼のために庭作りを始める姿が描かれる。長女は他の男と付き合いがあったと教会で糾弾されたり、次女は酒場経営の男に言い寄られるが結婚しようとせず、それも父親としては悩みというより怒り、訪ねてくる友人には筆を折ったことをもったいながられるし、かつて心を許し心酔したサウサンプトン伯がやってくると妻にはもてなしを断られ、そしてサウサンプトンとの対話の中でもなんか自分のすり寄る気持ちや俗物性を徹底的に批判されたりーこのシェイクピア、財産や家名?にこだわるし、長男の才を惜しむが娘には教育を受けさせなかったりとか結構、昔風の俗物なのだ―うつうつとしてしまう中で、娘の口を通して息子の秘密を知ることになる。ま、そこからかたくなに息子をのみ追い求めていた彼が娘にも目を向け、妻とも打ちとけて庭作りに励み、文字の読めないことを悩み続けた妻が結婚宣誓書に何十年ぶりかで自署する場面とか、ジュディスが自分自身の詩を書くというとか、穏やかな落ち着きを得た晩年3年間の「すべて事実」とされている物語なのだけれど…。女に教育が許されなかったり、嫁に行くことが勤めで、しかもジュディスの夫になる男は別の女性を妊娠させているのだけれど、それは全然問題にならず「過去のことは変えられない。彼女と子どもに生活の苦労はさせない」という男の一言で二人の結婚は幸せに進んでしまう(都合のいいことに?そちらの女性は出産時母子ともに命を落とす。名もなく死んだ子を悼む言葉はでてくるものの、二人の幸せに影が射す気配はない)とまあ、これは17世紀のイギリス舞台の一種のジェンダー問題告発映画の様相もあるかなあ。前半はせりふのみで重苦しい葛藤が進んでいくのでいささかくたびれたが、後半にいたり息子の死の謎解きになったり娘の結婚話になったりするとけっこうテンポもよくなり引き込まれた。ま、さすがケネス・ブラナーの舞台っぽい重厚なシェイクスピア物語です。 (3月25日 渋谷文化村ル・シネマ85)我が家近くの大國魂神社境内の桜です。花見もろくにせ
ぬままに暮れていくこの春…
多摩中電影倶楽部・中国映画上映会も、新型肺炎ウイルス
危機がおさまるまで、しばらく休んでいます。早くこの
騒ぎがおさまって、再開できる日を楽しみに。
https://tamachu-huayingtiandi.blogspot.com/
みなさまもどうぞくれぐれもご自愛ください!
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