【勝手気ままに映画日記+山ある記】2023年9月

 

マレーシア・キナバル山(4095m)登りました!山頂からの日の出(9・23)
キナバルサウス3921m

              

9月の山歩き

9月はなんといってもペイン・イベント、マレーシアの最高峰キナバル山(4095m)
登頂を果たしました!
実は8月末に体調を崩し、暑さも去らず体調も戻らずで、一度はキャンセルも考えたのですが、ウーン、でも今行かなかったら多分もういけない、そこで2回の近場のトレーニング・ソロ登山から、9月の山歩きをはじめました。

9月11日 高尾山 高尾病院裏から上がり琵琶滝上・2号路~4号路を経て頂上
 帰りは稲荷山路で軽い足慣らし。いささか暑かったが快調登山。 
    7.6Km 2h49m ↗717m↘569m ペース0.8~0.9(ヤマレコ)14000歩     
富士山は見えないけれどなんとも青い空!
山頂は人も少なく

9月16日 南高尾セブンサミッツ縦走(ちょっとだけズルをしたけれど)  
  高尾山口駅→草戸峠→草戸山(364m)榎窪山(420m)→三沢峠→
  善光寺山(475m)→西山峠→東山→入沢山(490m)→見晴台→中沢山(494m)
  →金毘羅山(515m)大洞山(536m)→大垂水峠→高尾山域・学習の歩道→
  大垂水分岐→もみじ台→高尾山(頂上に上がらず薬王院を経て1号路からリフト下山)
 15.9㎞ 7h10m(リフト上まで) ↗1043m↘802m ペース0.9~1.0(ヤマレコ)
 27000歩
前回、出かけたのが9時過ぎでゆっくり過ぎた、暑くなったと反省、今回は7時前には家を出、7時50分から歩き出したのだけれど、低山の暑さはトンデモなくて額から汗だらだら水を飲み飲み(足りなくなって最後に高尾山で補給した)の山歩き。途中入沢山、中沢山、それに最後の大洞山ではちょっとズル、まきみちがあったのでそちらを歩き(距離はほとんど変わらないが斜度がない分ラク)、ほとんどは眺望もないのだけれど、時どき眼下に現れる津久井湖の涼し気な景色も楽しみつつ、ゆったりと歩いた7時間。ここは「関東ふれあいの道」というのだそうだ。足は大丈夫だけれど、暑さがこたえて、高尾山もまきみちで頂上を避け、1号路を下ってリフトにのって高尾山口まで。
久しぶりに極楽温泉に。のんびり楽しんだソロ登山だった。

眺望を楽しめるところは少ない。津久井湖方面
 

ちょうど12時、お昼を食べた金毘羅山のベンチ
         高尾山域に…大垂水分岐・案内図・薬王院・リフト



9月22日~23日 マレーシア最高峰キナバル山
    別ページで書きました。見てください。
    ここから入るか、バックナンバーから入ることもできます。
    


9月の映画

①二人のマエストロ②私たちの声③古の王子と3つの花④命の葉 Barg-e Jan⑤エリザベート1787➅福田村事件⑦わたしたちの国立西洋美術館 奇跡のコレクションの舞台裏➇ロング・グッドバイ⑨アステロイド・シティ⑩あしたの少女⑪クエンティン・タランティーノ映画に愛された男⑫ウェルカム・トゥ・ダリ⑬6月0日アイヒマンが処刑された日⑭658Km、陽子の旅⑮キャロルオブ・ザ・ベル家族の絆を奏でる詩⑯名探偵ポアロ ベネチアの亡霊⑰〝敵”の子どもたち⑱燃え上がる女性記者たち⑲国葬の日⑳ジョン・ウィッグ コンセクエンス(John Wick: Chapter 4)㉑高野豆腐店の春㉒ヒンターラント㉓ダンサー・インParis㉔ルーベ、嘆きの光(En corps)㉕愛されたひと

忙しいの何のかんのと言いつつ、25本駆け回りました。日本映画は5本➅⑦⑭⑲㉑見ましたが、中国語圏映画はなし。ドキュメンタリーも6本⑦⑪⑰⑱⑲㉕。ドキュメンタリー出身の森達也監督作品➅、ドキュメンタリー風に撮られた㉔など、いつもと少し変わった映画もあり興味深い月でした。★はなるほど!  ★★はいいね! ★★★はおススメ!です(いずれも個人的感想であるのはいうまでもなく)。

①二人のマエストロ
監督:ブリュノ・シッシュ 出演:イバン・アタル ピエール・アルデッティ ミュウミュウ パスカル・アルビロ ニルス・オトナン=ジラール キャロライン・アングラート 2022フランス88分

イスラエル映画『フットノート』(2011ヨセフ・シダー)のリメイクらしいのだが、あちらは宗教学者の親子の話、こちらは指揮者でビジュアル的にも音楽的にも楽しめる要素をたっぷりと加えて作られている、ンだけれど…。
アメリカ映画のような父子確執というほどでもなく、フランス人父は、ミラノ・スカラ座に招かれたのが父でなく自分なのだといえない息子に対して、一時、間違われたのが自分であることにショックを受けつつも、あたかも「水を怖がる幼い息子を海に振り込む」かのような方法で(というがこの会話があまりよくわからない。母の不倫?によって息子が生まれたかのような暗示をするのだが…ウーン。フランス式会話のむずかしさ!)いわば許し、父をおもんばかってミラノへの着任を望みつつ躊躇する息子の背を押し、息子もそれにこたえて?スカラ座の舞台に父子は一緒に立って指揮をし、客席からは祖父にも父にも親しむ料理人志望の息子が嬉しそうに見守る??まあ、親子の情とか確執はありつつ個人としての生き方や考え方を確立させている人間関係なのかな…。女性はさらにその傾向ははっきりして自身の生き方の妥協せず現夫や元夫、また恋人として互いに付き合いつつも独自の道を行こうとする傾向がとても強い感じ(それは私は好きだけれど…)
  (9月2日 文化村ルシネマ渋谷宮下 254)

②私たちの声

7人の女性監督が7人?の女性を主人公に描いた7本のオムニバス映画。すべて女(と女)の物語。フェミニズムというよりはエンパワーメント(女権拡張主義)の視点に立つというのだが、要は女たちの自立と共感が描かれて力強い作品になっていると言える。
2022イタリア・インド・アメリカ・日本(英語・イタリア語・日本語・ヒンディ語112分) ★★

「ペプシとキム」 監督:タラジ・P・ヘンソン 出演:ジェニファー・ハドソン 
ジェニファー・ハドソンがドラッグ依存、多重人格に苦しむ女性の再生の過程(実在の人物とか)を一人で演じてド迫力。
「無限の思いやり」監督:キャサリン・ハードウィック 出演:マーシャ・ゲイ・ハーデン カーラ・デルビーニュ
コロナ禍のロサンゼルス、困窮者を救うプロジェクトの医師がビル屋上に居座るホームレスに声をかけ彼女をそこから救い出すまで。カーラ・デルビーニュがホームレスで、ゴミの山に囲まれ何重にも着込んだ衣類を一枚一枚はがされていく過程のすさまじさ。美貌がここではエキセントリックな迫力になってすごーい。この医師も実在のモデルがいるとのこと。
●「帰郷」 監督:ルシア・プエンソ 出演:エバ・ロンゴリア 
母とも妹とも合わなくて、何十年?も前に故郷を出て成功した建築家が妹の死の知らせに帰郷する。そこには妹の遺した少女が…。少女を引き取ることを求められ拒否する彼女と、けなげに自立を目指そうとしつつ幼いので自身では決定権がない少女の複雑な悲しみと強さの表情が印象的だが、二人が手を取って歩き出すまでの凝縮された時間が印象的。
●「私の一週間」監督:呉美保 出演:杏
弁当屋に勤めながら小学生の姉・保育園児の弟を育てるシングルマザーの忙しい毎日。リアルに描かれていて杏と一緒に自分も画面の中で働き疲れているような気分になる。途中に出てくるコード付き掃除機に関する同僚との会話が伏線としてあって、最後は(ちょっとここだけリアルさに欠ける気もしなくはないが)ホロっとさせられ、編み込みの髪の娘にエールを送りたくなるようなきれいな仕上がりになっている。
●「声なきサイン」
監督:マリア・ソーレ・トニャッツィ 出演:マルゲリータ・ブイ
獣医の女性の忙しく疲れた、娘との約束も果たせずゴタゴタするような、まずは日常。遅番で夜10時すぎ上がって11時には帰ると家に電話した後、受付にけがをした犬を抱えて不安そうな夫婦が。帰宅を取りやめその診療をするが、夫婦の様子の不審が気になる。すべてを取り仕切るかのような夫とものを言わぬ妻、夫が離れたすきに妻が見せる体のアザ。そこから獣医が機転を利かせて妻を救い出すまでの、ハラハラドキドキの展開。すべてが終わると11時…。
●「シェアライド」
監督:リーナ・ヤーダヴ 出演:ジャクリーン・フェルナンデス
成功した美容外科医。ある夜付きまとう不審な男から逃れようとして乗ったタクシーできらびやかな衣装をまとったトランスジェンダーの女性と相乗りすることになるが、相手を避けて雨の中タクシーを降りてしまう。翌日?その彼女が昼は警官として交通整理をしているところに出くわし、交流がうまれ友情を結ぶまで。いささか観念的というか省略・象徴的な作り方でちょっとわかりにくい気もしたが、題材的にそうなってしまうのだろうし、それは『私の1週間』をリアルに感じる日本人的感覚なのかも…。
●「アリア」
監督:ルチア・ブルゲローニ シルヴィア・カロッビオ
アニメ作品。主人公「アリア」(抽象的な姿かたち)の自我の発見(同じ形、ちがう色で現れる)と解放を描いて、まあこの映画の総まとめになっているのかなとも思うが、ウーン。むしろこういう分野でも女性が活躍しているのだよという一つのモデルとして見るべきなのかな。
(9月2日 恵比寿ガーデンシネマ255)

③古の王子と3つの花
監督:ミッシェル・オスロ 声の出演:オスカル・ルサージュ クレール・ドゥ・ラリュドゥカン アイサ・マイカ 2022フランス・ベルギー83分

古代エジプト・クシュ王国の若い王子が真のファラオになり王女を射止めるまでを描く『ファラオ』はエジプトの古い絵画そのままの横向き人物像、中世の暴君の息子が父に背いて囚人を助け、父に死刑を命じられるが家来の計らいで森に逃げ(白雪姫の世界ね)「美しき野生児」として人々に慕われ、元囚人の王に助けられ自らも領主として立つまでを描く第2話は影絵テイスト。3話『バラの王女と揚げ菓子の王子』はアラビアンナイトからの題材で絵はちょっとディズニーアニメ風のきらびやかさと、それぞれにテイストを替えて、その美の世界を楽しむ83分。まあ、王女は王女でいつも待ち、青年王子はさまざまに知恵を働かせ冒険をし王女を射止めるという物語に難癖をつけるような映画ではないだろうが…。(9月2日 恵比寿ガーデンシネマ256)

④命の葉 Barg-e Jan
監督・脚本:エブラーヒーム・モフタ―リー 出演:サイード・ブールサミーミー メフディ・アフマディ マリヤム・モッガダム 2017イラン(ペルシア語)90分

イラン東北部ゴナーバード近郊のサフラン農家の村を舞台に、スポンサーにいろいろ注文を付けられながら、自分の作りたい映画もあり、しかし病苦や周りのあれこれに意欲もそがれながらドキュメンタリー映画作りに苦戦する映画監督、その登場人物として離農が進む地域での伝統の農業の姿を残したいと出演をOKするが、監督の映画が自分の思うところ違うと不機嫌な老農夫、そして囲む人々の、いわば映画作りの映画で、土地柄といい、風土問いジャファル・パナヒの『熊はいない』なんかを彷彿とさせるところがあるが、一々の登場人物の愛嬌?がちと不足でパナヒ映画ほどにはひきつけられないのは仕方がないか…。
ただチラチラ出てくる習俗や独自の文化(人口水路・囲まれた中庭には実のなる木をうえなくてはならないなど)に関しては興味惹かれるところあり、サフランの色やザクロの赤など色彩の鮮やかさにも心がひかされる。
ペルシア語で、字幕は本日講演もした森島聡氏(外語大非常勤講師)。かなり工夫されているのだろうが、ところどころ誰が言っているのかわからん??みたいな感じもあり、セリフが難しいせいもあるかも…。講演で「呼び方」に関する説明がついた。マシティ(イマームレザーの霊廟を巡礼した人だとか)とか。
(9月3日東京外国語大学TUSシネマ上映会イラン映画特集 255)

⑤エリザベート1878
監督:マリー・クロイツァー 出演:ビッキー・クリープス フロリアン・タイヒトマイスター カタリーナ・ロレンツ ジャンヌ・ウエルナー 2022オーストリア・るk戦ブルク・ドイツ・フランス114分

ビッキー・クリープスが発案し、マリー・クロイツァーに監督を依頼したとのことで、114分ほぼ全編クリープスの演じる不機嫌な表情のエリザベートの姿と付き合わされるという感じ。コスチューム劇としてもなかなかできっちりとコルセットで締め上げた時代の衣装の中で女性たち、あるいは宮廷の男たちが画面を占める、いっぽうで四六時中のエリザベートだからレオタード風にぴっちりした体操着で例の吊り輪の上でさかさまになる姿も、浴衣?着用の入浴シーンも、フェンシングや、もちろん馬上姿や落馬して気絶しているのに愛馬が撃ち殺される銃音にびくりと目を覚ましたり、下着?のような水着姿でプールに飛び込んで猟犬を驚かせたり、もちろんベッドシーンもで、それを意外に淡々と描く。コスチューム劇だが登場人物の振る舞いはけっこう現代風だし、音楽もローリングストーンズとか、時代性無視がいいところかもしれない。リアリティを感じさせはするのだが、それは現代的だからかもしれない。ウーン。
1877年クリスマスの誕生日から翌年10月イタリアでの船旅まで、1年間を月できちんと区切り、自らの生きがいを求めえぬまま夫の属する政治支配の世界からも閉め出され、美貌をも失いつつあるという中で、時に意識を失ったり(わざと?もあり)倒れたりしながら、昔の男?や夫のフランツ・ヨーゼフを求めたり、求めて得られなかったりもしながら、後半髪を切り、女友だちとも言えるような侍女たちと旅に出て、自らを解放するまで。意外にドラマティクではないし、家庭劇みたいなところもあるし、劇場は極寒!で結構疲れたし、見落としもありそうな気がすごくするのだが、もう一度見たいとは思えずかなあ。(9月4日 キノシネマ立川 256)

➅福田村事件
監督:森達也 出演:井浦新 田中麗奈 永山瑛太 豊原功補 水道橋博士 柄本明 木竜麻生 ピエール滝 コムアイ 東出昌大2023日本140分 ★

出だしは朝鮮から戻る洋装の澤田夫妻と列車で向かい合わせになる遺骨を抱えた女性島村咲江、彼らは福田村のある野田町?駅でおり、戦死者には迎えが出、その中にいるデモクラシー派の村長と在郷軍人会の分会長が澤田のこの村での学校時代の同級生という設定が余すことなく語られる。
なかなか9月1日にいたらない前半は、澤田夫婦や、戦死者の未亡人になった咲江と利根川の船頭倉蔵の密会、日清戦争で功績をあげたと讃えられる老人とその息子・嫁の姿とか村の中にありそうで(でもほんとにあるかなというほどドラマティックに不倫や、嫁・舅の関係とか)なさそうなこまごました事件が描かれ、4年間自分を振り向かず心を打ち明けない夫に愛想をつかして出て行こうとする澤田の妻静子と村に讃岐から来た行商人とのかかわりなど、村の日常的な描写が続き、いつになったら地震がおこり本題の福田村事件が起こるのかと、焦りがちな観客としては少々ダレるなあ、と思ったところで、家を出た静子が船上で倉蔵を抱くというショッキングシーンで地震。
それをみている澤田と、倉蔵の愛人の未亡人咲江という絵のようなドラマティックの後、「不逞鮮人の反乱を起こしている」というデマが飛び交い、村にやって来た避難民から本所のあたりは死者多数と聞いて顔をゆがめるのは夫が東京に行ったまま地震、まだ戻ってこない夫を待つ若い母ーこれが後の事件の引き金になる―一方の被害者側の一団、15人の薬売りは男女子どもと取り混ぜで、なかには「鮮人動乱」におびえたり進んで「十円十五銭」をいうものもいるが、親方の沼部新助は自らが部落民として差別されていることから、朝鮮人差別自体に怒りを持つ人物として描かれる。
9月6日利根川の渡しにさしかかった薬売りの一行に朝鮮人がきたと半鐘を打ち鳴らした男がいたことから在郷軍人が駆け付け彼らを取り囲む。村長のとりなしで薬売りの鑑札の確認に巡査が去ったあと、殺害事件へまでも流れの鮮やかさ。ここで前半日常生活に埋もれてバタバタしていたメンバーがそれぞれの立場でこの事件にかかわっていく姿が描かれるわけだが、はずれ者として、敬遠されたり、差別疎外されたりしていたものたちが薬売りの一行をかばい殺害から守ろうとするという描き方で、ここで前半が伏線としてなるほどとわかる仕組み。物語に厚みを与えているとは思うが、わりとドキュメンタリーティックというか(さすが森達也?)外から見ているようなあっさりした描き方なのが却ってリアリティを与えているようでなるほど。この事件のあとは千葉日日新聞の女性記者の目から描かれるが、結局彼女の書くという固い決意によってもこの事件が後世に残されなかったということは彼女の意志は通じなかったんだろうなあと思わせられる。全体に意外にあっさり、最後の澤田夫婦の船上場面(行方を失ったふたり)の抒情がなんかちぐはぐに?心に残るーこの違和感って結構妙なるものである。テアトルの数日前(上映初日)に引き続きこの回もプログラム売り切れだったし、客席はけっこう埋まっていたが、フーン、鳴り物のすごさも感じさせるかな。(9月5日渋谷ユーロスペース 257)


⑦わたしたちの国立西洋美術館 奇跡のコレクションの舞台裏
監督:大墻敦 2023日本 105分 ★

絵を見るのは好きだし、時どきはいろいろな美術展を見にも行くし、ル・コルビジェの建物が世界遺産になったあと創建当時に戻すということで前庭の改築(というのかな??)が行われたことも興味深く見てはいたが、そのボーっと見ている美術館の裏側でこんなにも様々な会議や、議論や、また作業が行われていること、もちろん想像はしていたが具体的に見せられて面白く、ご苦労をしのび、説明の表示が見にくいの、開場が暗すぎるの、人が多すぎるのと文句を言わずにきちんと鑑賞させていただこうと、襟を正したくなるようなリアルなつくりのドキュメンタリー。
みな同じような格好(断然黒系が多い)して肩からは頭陀袋を下げて現場に立ち会っているキュレーター諸氏が次々、いろいろ語る語りもなかなか面白く興味をひかれる。(9月6日川崎市アートセンター・アルテリオ映像館 258)

➇ロング・グッドバイ
監督:ロバート・アルトマン 出演:エリオット・グールド ニーナ・ヴァン・バラント 1973米 112分


これは多分テレビ(BSPかなんか)で見ているのだと思う。主人公マーロウの住むエレベータが橋のようにかっかた通路で各部屋につながる不思議な構造のマンション。向かいの部屋で半裸でヨガをする女性たち、いなくなったネコのために餌を買うとか微細な?部分は案外覚えているのだが、多くの登場人物が主体的に動き回り探偵に接触し、探偵は常に受身受身で動きながらいつの間にか事件が解決してしまうという、めっちゃ面倒くさいストーリーは印象だけで細かい筋は全然覚えていなかった。今回偶然時間が合ってみたのだけれどどうもその印象はぬぐえず。(原作のレイモンド・チャンドラー読んでいないし、ということかな…)
リーアム・ニーソン主演の『探偵マーロー』(ニール・ジョーダン2022)は同じ人物を描いた映画だと思うが、気にしつつ、最終の下高井戸の上映でも結局見逃してしまった(9.8記)
(9月6日川崎市アートセンター・アルテリオ映像館)

⑨アステロイド・シティ
監督:ウェス・アンダーソン 出演:ジェイソン・シュワルツマン スカーレット・ヨハンソン トム・ハンクス エドワード・ノートン ブライアン・クランストン ティルダ・スウィントン エイドリアン・ブロディ ウィレム・デフォー マーゴット・ロビー スティーブン・パーク ホン・チャウ ジェイク・ライアン 2023米 104分

1955年、アメリカ南西部の砂漠の街アステロイド・シティ。いかにも絵にかいたようなアニメティクな色合いの街、ときに核実験のキノコ雲があがり大きなクレーターも存在するという明るい色合いとはうらはらな不穏な空気も漂う(いかにもウェス・アンダーソン)そこにやって来た科学賞を受賞する天才少年の父と3人の妹娘。母は3週間前?に亡くなったが子どもたちはまだそのことを知らされていない。乗ってきた車が故障して父は妻の父に電話をして3人の娘の迎えを頼む、その祖父がトム・ハンクス。父親の滞在するモーテルの向かいの部屋には映画スターのシングルマザーがなんか思わせぶりな態度。でこのあたりがすべてエドワード・ノートン扮する劇作家が描き、エイドリアン・ブロディ扮する演出家が演出する、そしてブライアン・クランストンが進行の司会役をつとめる演劇の幕中の出来事という設定で、この作者・作家部分はモノクロで…。芝居の中のアステロイド・シティには宇宙人が現れ人々は大混乱し町は封鎖されて人々はそこに閉じ込められることになる。アステロイドシティと演劇の二つの場面に多くの人物が入り乱れ、途中で行ったり来たり?もあり、ウーン、相変わらず話としてはなかなかに筋がつかみにくいのは今までウェス・アンダーソン作品の上を行く感じで、そこに込められた笑いや皮肉もなんか今いちつかみにくいのだけれど(隣に座った同年代の女性、ウフフ。うふふとそこここで笑っていたが途中でいびきをかいて爆睡)それでいて飽きさせず次は何が起こるのかと引き込むのも相変わらずのウェス・アンダーソン的世界だ。(9月10日 キノシネマ立川 260)

⑩あしたの少女
監督:チョン・ジュリ 出演:ぺ・ドゥナ キム・シウン 2022韓国 138分 ★★

これはもう大力作。昨年の東京フィルメックスコンペで審査員特別賞をとっているが、なぜか見落としていたので公開をやっと見ることができた。2部構成的な作りで前半は高校生ソヒ(なんか難しい名前の職業高校で、3年生は後半皆企業実習が義務付けられており、その実施率で職業高校としての評価が決まり予算もつくという、そして実習生のほうは企業に安くこき使われるというなんかなあ、日本でも評判の悪い外国人の技能研修性みたいな仕組みが国ぐるみ行われている??感じの制度)が、学校から派遣された実習先がブラックで、コールセンターなのだが、客の解約希望に応じないことがノルマとしてあてがわれ、社員を競わせ目標値をあげ、実習生には給料も2か月後(やめさせないため)というような状況で、すこし実習生に理解を示したチーム長は追い詰められて自殺、このころからソヒも抵抗はしながらもどんどん追い詰められてやつれていく様子が新人キム・シウンによってなかなか迫真的に演じられる。
彼女は中盤でダム湖に投身(ここはカメラアングルでそれと知らせる描き方うまい)後半はこの事件にかかわることになる左遷された刑事ユジンの物語となる。自殺ゆえ事件性はないと片付けられかけた事件を執拗に追っていくぺ・ドゥナ、どうということもないシーンで、笑いひとつ見せない全編なのだがもさすがに画面は引き締まり、前回チョン・ジュリのデビュー作『私の少女』は虐待された幼い少女相手で少し甘めでもあった彼女が今作では企業や学校の権力が若い未熟な労働者を追い詰めていく構造そのものに迫っていこうとする迫力、そして最後それが果たせず涙するシーンまで、韓国映画の「骨」を感じさせる迫力だ。それにしても韓国ってお酒はいくつからOK?ソヒが友だちと飲むシーン、自殺の前も一人でビールを注文して飲むシーン、飲むシーンのあまりの多さに??? いささか長い感じは否めないが、この内容だったら仕方がないのかな…(9月12日 シネマート新宿261)

⑪クエンティン・タランティーノ映画に愛された男
監督:タラ・ウッド 出演:ティム・ロス クリストファー・ワルツ サミュエル・L・ジャクソン ジェイミー・フォックス ルシー・リュー ゾーイ・ベル ダイアン・クルーガー ロバート・フォスター ブルース・ダーン 2019米 101分

クエンティン・タランティーノの1作目『レザボア・ドックス』から8作目『ヘイトフル・エイト』までに出演した役者や、スタント、プロデューサーといった人々が彼の映画作りについて語り、彼に選ばれて出演する喜びを語るという、まあ称揚映画ではある。一応3章かの構成になっていて2章では『ジャッキー・ブラウン』や『キル・ビル』などの描き方を中心に彼のフェミニズムというか「強い女」が好きとかあと黒人差別をしないというような側面が強調される。その中でハーヴェイ・ワインスタインのエピソードがアニメで語られ、さらに終わり近くにはユマ・サーマンら彼の性被害に遭った女性たちについての言及、タランティーノは25年の盟友であったワインスタインと決別したという言辞もあって、この映画言ってみればMeToo運動のきっかけとなったこの事件に対するタランティーノの立場を弁護するために作られた?と見るのはうがちすぎ?か。100分あまり口をそろえてのほめ言葉は、なんか逆の勘繰りしたくなって染むところも。それにしても私は8作目は見ていないがそれ以前のタランティーノ映画ほぼすべて逃さず見てはきたのだと我ながらあきれて感心!ま、暴力的ではあるがやはり面白いのだと思う。(9月12日 新宿シネマカリテ 262)

⑫ウェルカム・トゥ・ダリ
監督:メアリー・ハロン 出演:ベン・キングスレー バルバラ・スコバ クリストファー・ブライ二― アンドレア・ペジック エズラ・ミラー 2022英仏米 97分

1985年ダリ大火傷を知り訪ねていくジェームス・リントン、さかのぼって1974年画商見習いとしてダリとその妻ガラと知り合い、気に入られたジェームスが彼らと過ごした日々を描く思いのほか正統派作品。時に若い時代のダリ(エズラ・ミラーがいかにもそれっぽい)とガラが出会い、愛し合った日々などを織り込みつつ、今やカリスマ的吸引力でパーティを仕切り稼ぐことをダリに強いつつ、それでもダリから愛されるガラ(『ハンナ・アーレント』のバルバラ・スコバ、さすが役者は化けるもの!)とダリの日々など、そしてそれに引き込まれながら今までとは全く違うような目くるめくような世界に浸っていく美青年ジェームスの視点からたっぷり堪能という感じ。若い美しいダリとガラ、そしておいて権力は持つもののアーティストとしては美を失い、金を求めみたいな世俗化してしまわざるを得ないものとを対比して哀しみを描いたという感じが、胸に迫るところもあり。
それにしても版権の関係でもあるのか?ダリの作品そのものは全く避けられている感じで、書きかけの壁の絵くらいしか出てこず、作品を語る場面でも作品そのものは微妙に回避されている。それゆえに作品ののない世界(話としてはあり種々のサインはあっても)としてダリの老いの哀しみがより強調されていると言えるのかもしれない。(9月13日 キノシネマ立川263)

⑬6月0日アイヒマンが処刑された日
監督:ジェイク・パルトロウ 出演:ノアム・オパディア ツァヒ・グラッド アミ・スモラチク ヨアブ・レビ 2022米・イスラエル 105分

アイヒマンは1961年にアルゼンチンで捕まりイスラエルで裁かれて62年絞首刑になったが、この映画はそのイスラエルの拘置所とその周辺の街をおもな舞台に、絞首刑になったアイヒマンの火葬にまつわる物語である、が、火葬という習慣がないユダヤ人がいかにアイヒマンの遺体を処理するかという大問題から、なかなかに一筋縄で話が進むわけではない。
まずはリビアからの移民の息子ダヴィッドの気の入らない学校生活から、鉄工所の小柄な人を求めるという作業に雇われ、機転で気に入られて焼却炉作りの作業に関わる―この子にはナチズムに対する抵抗もユダヤ的伝統についての考えもあるのではなくけっこう小ずるくも立ち回り盗みもしたり、しかし焼却炉作りや操作への逡巡もなく、鉄工所長のゼブコは彼を利用した挙句に最後で学校に戻れと放り出す―ひどい大人と言えばそうなのだが、この男の子どもに対する苦々しい心情はよくわかる―。
話は拘置所の看守長がゼブコに焼却炉を作ることを頼みに来るシーンから、彼ハイムに移り(この人はモロッコ人と言っている)そのアイヒマンに対する緊張が、車の事故とか、アイヒマンが頼んだという床屋への対応とか、たかってくる報道の人間とのやり取りとかでこれでもかこれでもかと描かれていく(こういう描き方はちょっと意外)。
さらに次は舞台がポーランドに飛び、世界から集まって過去の体験を語る集会に参加して自らの収容所体験(80回鞭うたれたか18回かというような記憶の食い違いとか、英語で語るので緊張するとかのリアリティ)を語るアイヒマンの捜査にに関わった警察官?の青年の一人語りと、その彼の前に現れて過去は封印して語るべきでないとする女性、それに対する彼の反論の場面があり、いよいよイスラエルの戻った彼も含めてアイヒマンの処刑の日、焼却炉が拘置所に運び込まれ旋盤工のエズラという気弱な男が指名されてその操作に関わるが、うまくいかず電話でとくとくと指示を出すデヴィッド、そして火葬が終わり遺灰が領海外の海に撒かれるまでが丁寧に描かれる。
さらにその後の(多分現代)でっぷり太った初老になったデビッドがウィキペディアの事務所で担当女性に、自分の行為を生涯で最も意義のあったこととしてアイヒマンの項目に追加してくれと折衝する場面まであって、ここではアイヒマンの処刑に立ち会った人々のさまざまな形での自分史の中へのこの事件への対処のしかた・意識の中への落とし方といったものが描かれているように思われた。変わった構成なのだけれど事件からほぼ70年たったことによってできた映画なのだなとも思われた。(9月13日 キノシネマ立川264)

⑭658Km、陽子の旅
監督:熊切和嘉 出演:菊地凛子 黒澤あすか 見上愛 浜野健太 風吹じゅん 竹原ピストル オダギリ・ジョー2023日本 

予告編を何回も何回も見ていたからということもあるが、まあ予想通りの展開で、ただ従兄が陽子を最初のSAで置き去りにする経緯のなるほど納得と、彼女の会う災難がまあなというか図式通り―ライターを名乗る男に車に乗せたことをネタに言い寄られ、いわば合意的レイプされてしまうー浜野健太がほんとにいやなヤツを上手く演じているー、途中までは声も出ないような陽子がいかにしてヒッチハイクをするかのシーンは案外描かれないこと、フェイドアウトというか暗闇画面のあと彼女はなんとか車に乗り込んでいるというシーンが続く。
そして折々現れる父(多分今の陽子と同じ42歳の)が全く台詞はないこと、さらにちょっと不可解なのは最後バイクの相乗りで家の近くまで送ってくれる若い男が現れるわけだが、彼女がバイクを下りるシーンから家にたどり着く場面までが延々と雪の中を歩くわけで、え、こんなに歩くのならもう少し家の近くまでバイクに乗せてもらってもいいんじゃないのー父の出棺に間に合わせたい気持ち、しかし亡くなった父に会いたくない気持ちがせめぎあって彼女は家からかなり離れたところでバイクを下りてあえて歩くことを選んだのかなとも、まあ解釈するのだが寒い寒い冬の景色の中少々現実味に欠けるのではないかと思えてならない。
最初は声も出ず、話しかけられても単語でポツリという感じの彼女が、終わり近くなって「ヒッチハイクをしていまう」という看板?かざして「どなたかお願いします」と叫ぶというシーンの納得性の高さ、さすがの菊地の演技の迫真性というかリアルさ、42歳のくたびれた独身女、だけどその暮らしぶりゆえに幼さも残っているという感じが迫ってきてすごい。(9月14日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館 265)

⑮キャロルオブ・ザ・ベル家族の絆を奏でる詩
監督:オレしア・モルグレッツ=イサイシェンコ 出演:ヤナ・コロリョーヴァ アントリー・モストーレンコ ヨアンナ・オボズダ ポリナ・クロモヴァ 2021ウクライナ・ポーランド ウクライナ語(ロシア語・ドイツ語)122分(ネタバレあり) ★

1939年現ウクライナ、当時はポーランドの領土だった街の、ユダヤ人一家が家主である建物に、ある夜ともに7、8歳くらいの娘のいるポーランド人一家とウクライナ人一家が引っ越してくる。ポーランド人の娘テレサはウクライナ人一家のピアノに興味を示し、両家は最初はギクシャクするものの、娘たちの音楽好きや遊び仲間としての縁を通じて家主のユダヤ人一家の同年代(というか1,2歳上?頭一つ分背が高い)の娘ティナとその幼い妹も含めて親しい関係を築いていく。
子供達はウクライナ一家の妻でピアノ教師のソフィアのレッスンを受け、食事を共にし、娘たちはお泊りも。そして4年?後(にしては子どもたちが大きくなった感じはしないが)ナチスドイツのポーランド侵攻に伴い、まずはポーランド一家の母が連行され(父は軍人ですでに戦地?で不在)、ちょうどウクライナ人の家に泊まっていた娘を託していく。やがてユダヤ人は出頭、ユダヤ人居住区への移住や強制収容所への連行がはじまり、ユダヤ人一家も出頭しようとするが、残るウクライナ一家の申し出で娘二人を預けていく。というわけで4人の娘を抱え、特にこの段階ではユダヤ人の娘たちを隠さなくてはならない中で(ユダヤ人の娘たちは誰かが来ると姉娘が知っていた家の中の大時計に隠れてやり過ごす。ポーランド人の娘は、ソフィアの姪ということにして出生証明書を提示するとなんか見逃されるのである)のウクライナ人夫婦のいわば奮闘的生活と子供達の健気さで息がつまるような日々が描かれていくことになる。
ユダヤ一家の幼い妹娘タリヤが家の中の生活に飽きて表に出ていき、捜しに出たティナがナチスの軍人に誰何され、家の中まで調べられることに。姉娘ティナは大時計に隠れてハラハラした一時(クライマックス的に恐ろしい)のあと、外に出ていた妹娘が一家の地下?に住む大ネズミにかまれて、感染症を発し亡くなる。というような事件がわりと丁寧に説明的に描かれていくのでわかりやすい。ウクライナ一家の娘ヤロスラワは音楽家の両親の血を受けて歌が上手。彼女が平和な時には一家の行事にいつも歌っていた、そして今は歌えないけれどいつか歌うことにより皆が幸せになると信じる「キャロルオブザベル」というウクライナ民謡がこの映画の芯を貫く。
映画後半、ユダヤ人一家の去った後の家にドイツの軍人一家が引っ越してくる。この家には同年代の息子がいて、両親は彼にもソフィアに歌を習うことを望み、ソフィア夫婦にとっては決して喜んでということではないが親交ができる。ところがレジスタンスの一員だったウクライナ人一家の父ミハイロは突然に処刑されてしまう。困窮する妻と子供たち(一緒に誕生日を楽しみに行った劇場から夫が連行され、翌朝には銃殺されてしまうという場面を見たソフィアの動揺と嘆きの描写はここだけは?説明的ではなくて、鬼気迫る行為が見る者の心に迫ってくるような描き方がされている)。そしてドイツの敗退ソ連軍が侵攻してくる。
ポーランド人とユダヤ人はそれで救われるわけだが、今度はウクライナ人がソ連兵の標的にされる。もちろんドイツ人一家も悲惨な末路をたどるわけだがー残された少年をソフィアは罪はないとして助けようとするが、そのこと自体も罪としてソフィアは連行され、少年は殺され、残された少女たちは施設に送られる。
そこでもヤロスラワはキャロルオブザベルを歌うのだが、それもまた批判の対象であり、ポーランド一家の母ワンダが解放されて娘たちを迎えに施設にくるが、ヤロスラワは「矯正施設に送られた」として結局見捨てられた形になってしまう。と書くといかにも救いがないのだが、この物語1978年のニューヨークで、成功したキャロルオブザベルの歌い手である女性が、長年会えなかった姉妹のような友人と再会しようと空港に行く話から始まり、最後は3人の中年女性と、かの少女たちが重ね合わさった再会シーンで終わる(とわかっている)のでまあ、ある安心を持って見ていられるのだが、この成功した歌手が実はテレサであり、やっと国を出てニューヨークに来れた民族衣装的な姿のヤロスラワを迎えるというのも、なんか映画的視点が現れていて物悲しい。ロシアのウクライナ侵攻前に作られたそうだが、いかにも獰猛に描かれたソ連軍人がなんか、その後のウクライナの状況を予言しているような作品だった。(9月14日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館 266)

⑯名探偵ポアロ ベネチアの亡霊
監督・主演:ケネス・ブラナー 出演:カイル・アレン ティナ・フェイ カミーユ・コッタン リッカルド・スカルマッチョ アリ・カーン ジュード・ヒル ミッシェル・ヨウ 2023米 103分

原作はアガサ・クリスティの『ハローゥイン・パーティ』で、その舞台をベネチアに移してたっぷりとベネチアビジュアルを楽しませてくれるが、ハローウィンパーティやその後の降霊会が行われる屋敷は、まあそれらしいけれどベネチア風でもなく、なんかなあ…
ケネス・ブラナーのポアロは、熊倉一雄が声を演じるポアロイメージから見ると相変わらず格好良すぎで、間で悩んだり、少女の霊?にドキリとしたりするシーンはあるものの、いつの間にやら真実に到達して大勢の登場人物を決めつけていくのもなんかなあ…。偉そうすぎるのよね…。霊媒師レイチェルという女性を演じるのがミッシェル・ヨウだが、この人もいかにも霊など信じそうもないような理知的なしっかりした表情だし、他の女性登場人物はなんか見分けがあんまりつかないような1947年的風貌だし、ウーン。あまり楽しめなかったのは私のせいか映画のせいかと思えるような格調だけはさすがのブラナー映画。(9月17日 府中TOHOシネマズ 267)

⑰〝敵”の子どもたち
監督:ゴルキ・グラセル=ミューラー 出演:パトリシオ・ガルベス 2021スウェーデン・デンマーク・カタール 97分 ★

スェーデンに住むミュージシャン、パトリシオ・ガルぺスの娘アマンダは母親とともにイスラム教に入信し、ISIS(イスラム国)のメンバーと結婚し、2014年シリアに渡航。8歳から1歳まで7人の子どもを残し、2019年のIS掃討作戦で夫婦ともに亡くなり、子どもたちはシリア北東部の難民キャンプに…。それを知った祖父のパトリシオが子どもたちを救い出しスェーデンに連れ帰るまでを描いたドキュメンタリー。
この祖父降圧剤を飲んでいるとはいうものも見かけはまだ50代くらい?若々しく活動的で祖父という感じでもないのだが、子どもたちをシリアから連れ帰るためのスェーデン政府の援助がなかなか得られず、イライラとイラクのホテルで過ごす何十日かが彼を焦燥に駆り立てていくのがよくわかる。
帰れるものかどうかもわからない段階からカメラが密着して(シリア政府関係?など、ときにここからカメラはダメとか言われる場面もあって本当にカメラが引っ付いている感じ)撮影していくのがいかにも今風で、マスメディアとかも利用しながら(ときにそれはかえって事態をむずかしくするとスェーデン大使館からは怒られながら)子どもを7人(この子たちの顔にはモザイクがかかっている)を引き取り、イスラム教の元妻(娘の母)が訪ねてきて、祖母としては受け入れざるを得ないと思いつつも、孫が祖母のスマホでのコーラン?朗読を喜ぶのにかっかとして言い合いになったり。この子どもたちの養育権は祖父母にはなく里親に預けられ育てられているそうだが、年上の子たちはちゃんとアッラーに祈りを捧げたりもするわけだし、なんか前途多難だよなあ。(9月18日 渋谷イメージフォーラム 268)

⑱燃えあがる女性記者たち 
監督・製作:リントゥ・トーマス  スシュミト・ゴーシュ  出演:カバル・ラハリヤ記者 ミーナ スニ―タ シャームカリ ★★★

インド北部のウッタル・プラデーシュ州で、カースト外の「不可触民」として差別を受けるダリトの女性たちによって設立された新聞社カバル・ラハリヤ(「ニュースの波」の意)の3人の記者を中心とする取材活動や、家庭での姿も含め描く。
ちょうどこの新聞が紙媒体からSNSやYouTubeでの発信を中心とするデジタルメディアとして新たな挑戦を開始する時点に焦点を合わせ、リーダー格で取材に世の矛盾や不正を許さないと突き進むミーナ、彼女の教えを受けながら自身の育った鉱山の違法採掘の問題に取り組むスニ―タ、夫の暴力なども受け、読み書きもできない、スマホもいじったこともないという状態から、一歩一歩記者として成長していくシャームカリの姿は力いっぱいという感じで、インド社会の日本よりさらに厳しい状況(レイプ社会、殺人の横行とかも)の中で格好良く、励まされる、のだが、珍しくプログラムを買い、採録シナリオを確認すると、どうもいくつかの場面や展開寝ていたぞ…これは…。終わって望月衣塑子さんの爆弾トークもありすっかり目覚めたが、ウーンこれはもう一度見に行かなくてはならないかなと思わせられる。(9月18日 渋谷ユーロスペース 269)
               望月衣塑子さんトーク

⑲国葬の日
監督:大島新  2023日本83分

2022年9月27日安倍元首相の国葬の日、東京、下関、京都、福島、沖縄、札幌、奈良、広島、静岡、長崎にそれぞれ1人ないし2人の撮影隊が飛び、その地の人々の国葬に対する意見をつづったドキュメンタリー。どちらかというとぼんやりした感じで「功績のある人だから国葬でもいいんじゃない?」とかそんな意見もけっこう多くて奈良の事件現場では花を手向ける人々の群れ、たとえば辺野古の抗議者の強い反対意見、災害地で浸水した家の片づけをしながら「国葬に使うお金があるのなら、被災地の救済に回してほしい」という人、それに当日渋谷ユーロライブで行われた『レボリューション1』の50分版の上映後ロフト9(1Fのカフェ)でインタビューに答える安立正生監督の迫力とかがやはり強く印象に残る。
全体として初秋というか晩夏のまだ暑い空気のよどみの中で、暗殺直後の選挙での自民圧勝、しかし国葬には60%が反対という諸調査、それにもかかわらず国葬を押しすすめた岸田政権の顔の見えなさとか、ぼんやりした不安のまとう画面に、あえてそういう画面作りをし、日本の今の不安を映し出したんだろうなあ…孫をオンブして、この子たちの未来がどうなるのかとつぶやく老女性にもっとも共感を感じる。(9月19日 ボレボレ東中野 270)

⑳ジョン・ウィック コンセクエンス(John Wick: Chapter 4)
監督:チャド・スタエルスキー 出演:キアヌ・リーブス 真田博之 ドニー・イェン ビル・スカルスガルト シャミア・アンダーソン イアン・マクシェーン リナ・サワヤマ たくさんのスタント! 2023米 169分  ★

「コンセクエンス(因果応報)」は邦題で、原題にはないが、なるほどね!セリフ少なく(でもキアヌにも日本語セリフがある。一言だが)ほぼ90%?ジョンを囲む入り乱れての乱射、乱闘、何人(少なくとも100人単位?)死んだかという感じで、ニューヨークでは大きなホテルビルが爆破され倒壊するが警察もマスコミもあらわれる気配もない。
ニューヨークやパリ・ベルリンは比較的リアルな描写をされている(どうなのかな?)が、ハリウッドの目でみた「なんちゃって大阪」のコンチネンタルホテルや近未来的にきらびやかな梅田駅とか地下鉄車内とかの描写やシマヅ父娘を演じる真田広之・リナサワヤマの造形とか、シマヅの背後にある「初志貫徹」のでっかいネオンサインとか、金を儲けようとする殺し屋と飼い犬の微妙な友情とか、けっこう笑いつつ、この大量死をものともしない映画を楽しんでいいものかどうか、見ながら悩ましい??
それにしてもなくなった妻とその愛犬を思い、仕掛けられたとはいえ大量殺人をいとわぬジョンもだが、娘への愛から旧友殺人を引き受けざるを得ない「座頭市」ケイン、とかシマヅ父娘の親子の情愛とか―そういうものがこの残酷劇の動機の根底にあるのがいかにもハリウッドの多民族参入映画のコンセプトで興味深い感じもする。そしてキアヌ扮するジョン・ウィック、寡黙なだけでなく少しO脚っぽくて、決して運動神経よさそうなふるまいでもない(その点ドニー・イエンや真田の方がむしろキレはいい感じ)疲れ果てたイメージでボロボロになりつつ最後は勝つ?(勝ったのかな?彼の墓碑は「妻を愛した夫」というもので「夫を愛した妻」と並んで日本人感覚ではなんか臆面もなくという感じ?)それにしても真田、ドニーは60歳越え、キアヌリーブスも59歳かな、「因果応報」を主題とする映画にはふさわしく?高年齢主役なのに驚く。しかもこのアクション!敵役のビル・スカルスガルトは北欧系の金髪で90年生まれ、3老?に対抗しながら「侯爵」の高貴?、軽薄・酷薄・残酷さをまき散らすのにはなかなか感心させられる。ま、半分寝ていたとしても筋がわかるほどに単純な展開でビジュアル満載なので、死さえ、スタントのすご技と楽しめれば、まあまあね…(9月26日 府中TOHOシネマズ 271)

㉑高野豆腐店の春
監督:三原光尋 出演:藤竜也 麻生久美子 中村久美 菅原大吉 徳井優 竹内都子 2023 日本 120分

尾道の豆腐店の老いた父と、結婚したものの出戻った娘の日常―と父・娘それぞれの新たな恋というだけではあまりに単純非現実だから?父と新しく付き合いのできる女性は被爆者で病に苦しみかつ独身(おまけに入院すると暴力的な姪夫婦が遺産となる?土地家屋を狙って現れる)、豆腐屋の父娘の方も実は娘は父の旧友の実子で、造船所の同僚だった旧友の死後妻子を彼が引き取ったとか、なんか因縁っぽい盛り込み方をしているのが、結構疲れる感じもする。要は藤竜也の頑固一徹老人ぶりを見せる映画ということなのかなあ。若い時のあの色っぽいカッコ良い美形が、けっこうそのままの頑固老人として老いた感じで、時にほとんど写真でしか知らない私の祖父に顔つきがそっくりなのがなんかね…(ちなみにわが祖父、昔々大正時代?に「インバネスの〇〇さん」とか言われて村で評判の洒落ものだったらしい)。(9月27日 川崎市アートセンターアルテリオ映像館 272)

㉒ヒンターラント
監督:ステファン・ルツォビツキー 出演:ムラタン・ムスル リブ・リサ・フル―ス マックス・フォン・デル・グローベン マルク・リンバッハ 2021オーストリア・ルクセンブルク 99分

全編ブルーバックで撮影したということで、ゆがんだしかし奇妙な調和も保った不思議なウィーンの市街を背景に、繰り返される猟奇的な殺人事件ということで何ともおどろおどろしい、しかし色彩的造型的には「美しい」のが売り物で、まさにその印象だけ残る。
第1次大戦後、ロシアの捕虜収容所から解放されてウィーンに帰って来た兵士たち、彼らが帰ったウィーンはすでに彼らを戦場に送った皇帝も、軍組織もなく、町は荒れ、家族も離散、彼らの業績はもちろん味わってきた苦労をねぎらい評価するものもなく、彼らはいわば町のゴミ扱いで貧民救済の対象になてしまう。その中でもともと敏腕刑事だったペーター・ベルク中尉も妻子に去られ孤独の中、ともに帰った同僚兵士たちが次々殺されていく殺人事件に取り組み解決するという話。ただし、動機も犯人もベルクには最初から分かっているみたいだし、まあ凄惨な扱いを受けた捕虜収容所時代の、オーストリア軍人同士の問題(捕虜委員会?・裏切り・密告・拷問とか)が動機なのだが、命を得て戻った兵士(犯人)が裏切り・密告によって失われた仲間の復讐を元同僚にするというのもイマイチピンとこない感じ。しかも主人公がそれをけっこう俯瞰的ににみている感じがすぐにしてしまうのでミステリー的には解決のカタルシスもなく、動機や行為への納得もイマイチで、案外あっけなく終わった…というのが実感。
画面のビジュアルが優先されて、そこに物語をのっけたという感じもなくはない??法医学者が戦争で男がいなくなったあと地位を得た若い女性という点とか、ベルクが最後に自分を裏切ったと思われた(夫不在の戦争中、他の男の援助を得た)妻を訪ねて絆の回復を図る?あたりが、ちょっと一味違う現代ミステリー風か。(9月27日 新宿シネマ・カリテ 273)

㉓ダンサー・インParis (En corps)
監督:セドリック・クラピッシュ 出演:マリオン・バルボー ドゥニ・ボタリデス  ホフェッシュ・シェクター(本人)フランソワ・シビル メディ・バキ(本人)アレクシア・ジョルダーノ(本人)ロバンソン・カサリーノ(本人)スエリア・ヤクープ ミリュエル・ロバン 2022仏・ベルギー118分

舞台の袖で同じバレエ団員の恋人の裏切りを見てしまい心乱れ舞台上で足首にけがをしてしまったバレリーナが、バレーを踊れず再起の見込みもないまま、友人の料理アシスタントとしてブルターニュの海辺の合宿所?(みたいな感じの民宿かなあ)に行くことになり、そこで合宿中のコンテンポラリーダンスカンパニーのダンスと踊る人々に出会って、新しい道を見出す…そこに母亡き後男で一つで三姉妹を育ててきた法律家の(ま、いわば堅物で娘との間がイマイチ)父との確執と和解を絡めというわけで、話としてはあまり新味は感じられないのだが、とにかくパリ・オペラ座バレー団のバレリーナである主役を含むバレーの舞台、またダンスカンパニーのダンサーたちを演じるのは実物の有名なコンテンポラリー・ダンスのダンサーたちということでたっぷりのダンスシーンを堪能すれば十分という感じだろうか。あとはブルターニュの海辺の景色とか、とにかくビジュアルが極めて美しい。それと字幕のヒロイン(26歳女性)のことばが中性形式使用であったのが、ン?完全な形では初めてかもしれない。私にとっては…(9月28日 キノシネマ立川 274)

㉔ルーベ、嘆きの光 
監督:アルノー・デプレシャン 出演:ロシュディ・ゼム レア・セドゥ サラ・フォレスティエ  アントワーヌ・レナルツ 2019フランス 120分 ★


何本かは見ているから、見ていないものを拾ってみようと思っていたこの特集、気にしながらとうとう最終日にようやく見に行く。この映画、デプレシャン初のフィルム・ノワールというこの映画、監督の故郷にルーべという小さな町の警察を舞台に、前半は放火とかその他の事件に刑事たちを割り当てる署長と、それぞれの持ち場で聞き込みなどをする刑事の姿をドキュメンタリー風に散発的な感じで描いて、この先この映画どう進んでいくの?と思わせる。
中盤それまで目撃証言などで協力していた女性どうしのカップル、クロードとマリーの隣人の老女が遺体で発見され、二人の女性は目撃者から一転して被疑者として連行され取り調べを受ける。この過程がなかなかすさまじく、本当のところ犯人なのか、そうでなく警察が単に自白を強要したのか、わからないような描き方なのだが、最後にとうとう二人が別々の場で自供に追い込まれそのあと二人ともに現場検証に立ち会わされるが、互いが自身を救うため相手が「ウソ」の自供をしたと思っているふしもあり、互いの愛と疑心の間で板挟みになっているような状況を含め、クロード・マリー二人の役者の追い詰められぶり、追い詰めていく側の5,6人の刑事たちの個性のぶつかり合い、本当のところ犯人と思っているのかどうかわからないような雰囲気も漂わせつつ、しかし「仕事」としてこなしていこうとするかのような署長(これが主役)といい、ウーン。なんか役者たちの演技のすさまじさを感じさせらる、リアリティ・ドキュメンタリードラマという感じだった。
(9月29日 東京日仏学院 アルノー・デプレシャン監督特集 275)

㉕愛されたひと
監督:アルノー・デプレシャン 出演:ロベール・デプレシャン アルノー・デプレシャン ファブリス・デプレシャン 2007フランス 66分


家を売ることにした監督の老父ロベールが、かつて幼かったロベールを家族に預け結核で療養所に入り、若くして亡くなった実母と、やがて父と結婚してロベールを育てたマミーと呼ばれる義母について、息子である監督と、そのまだ幼い息子(ロベールの孫たち)とともに過ごしながら語り、合間に幻影の母?あるいは過去の写真などが、二人の追憶として?織り込まれるという、いわばセルフドキュメンタリーだが、こちらは物語の内容上か、場面の切り取り方か、結構ドラマティックで面白く見た。(9月29日 東京日仏学院 アルノー・デプレシャン監督特集 276)

長々お付き合いくださってありがとうございました。
10月はいよいよ映画祭シーズン。10月5日から、久しぶりに山形国際ドキュメンタリー映画祭に行きます。合間を見て蔵王あたりの日帰り縦走?もしたいな、などと欲張りな計画なのに、まだ前の仕事も終わらず⤵ともあれ、10月もまたいろいろご報告できると思います。お楽しみに!よろしくお願いします。

コメント

このブログの人気の投稿

【勝手気ままに映画日記+山ある記】2023年7月

【勝手気ままに映画日記+山ある記】2024年3月