スマホ写真で綴るインカ道~マチュピチュ(ワイナピチュ登山)/レインボーマウンテン(ヴィクニンカ登山)の旅 2025・9・10〜20

絵葉書構図?でゴメン!マチュピチュと背後にそびえるワイナピチュ山(9・14)

 
レインボーマウンテン(ヴィクニンカ)展望ピーク(5036m)より(9・16)

このブログはPC仕様で作っています。『電影★逍遥』で開いてください。このままスマホでもご覧になれますが、少し見にくいかも…ゴメンナサイ!

今回の旅は10日間という日程に

成田⇒リマ⇒クスコ⇒ウルバンバ谷➡インカ道(ハイライト)➡マチュピチュ・ワイナピチュ登頂⇒【ペルー鉄道ストライキ遅延に遭遇】⇒クスコ(市内)⇒➡レインボーマウンテン(ヴィクニンカ山)登頂⇒クスコ(市内)⇒リマ(市内)⇒メキシコシティ(テオティワカン遺跡・市内)⇒【モンテレイ給油着陸】⇒成田(太字、➡は歩いたところ)

と、ぎっちり山も、街も、遺跡見学もと見どころ歩きどころを詰め込み、おまけに列車の大幅遅延とか給油着陸とか、そもそも航空機が取れず?1日延長になった最初から、アクシデントも続き、大いに楽しみ、大いに疲れる、私にとっては10日間の南米大陸初訪問の旅となった!

キリマンジャロ以来のSAツアー、今回の参加者は50代〜70代の14人(女性10人・男性4人 私の海外山行ツアーとしては珍しい男女比)、添乗員は若い女性のUMさん。可愛らしい見かけの方だが、その逞しさは相当なもので、交通アクシデントでホテルや日程まで変更になる中でも、いつも笑顔を絶やさずに疲れた顔も見せず乗り越えてくれて感謝感謝…。
彼女は中国・雲南での大学院留学を経て現在は社外スタッフとして海外の添乗をしながら、富士山麓でゲストハウスも経営しているのだそう。こういう旅行では特に社外スタッフの若い添乗員の活動的かつ知的・創造的な人柄に驚かされることが多いけれども、今回もその感強く、先が楽しみな方でもある。

【旅日記】

【9月9日】 自宅〜成田
出発は10日だが、集合が朝7時半ということで、大事をとって前日夜は成田空港東横イン新館に泊まることに。毎回のことだが日本のビジネスホテルのコンパクトな機能性に感心する。アメニティも自身でロビーから運ぶのではあるが、部屋着(寝間着)もついていてありがたい。

【9月10日】成田~メキシコシティ〜リマ
無料で提供される朝食を軽く食べ、朝6時50分のシャトルバスで空港第1ターミナルへ。
7時半集合。今回の窓口はなぜか驚異的に空いていて、あっという間にチェックイン。待ち時間に同行のみなさんと挨拶をする余裕もあって、リラックスした旅の始まりとなる。
9時35分 AM(アエロメキシコ)057便に搭乗、ここからメキシコシティまでまずは13時間弱の旅の始まりとなる。

機内映画は上映状況はきわめてよいが、あれこれ探すも日本語字幕つきはほとんどない。日本映画はアニメばかり。で、結局韓国映画『About Family』(中国語字幕版)(2024ヤン・ソンギ監督 イ・スンギ主演)、それに日本でも公開になっていた『パルテノペ』(2024伊・仏 パオロ・ソレンティー二監督 セレステ・ダッラ・ボルタ主演)。こちらはセリフは比較的少ないもののイタリア語(英語字幕つき)で話の論理的な筋は残念ながらチンプンカンプン。しかし、サンローランプロダクションが手掛けたというやや古風(50年代~80年代)の衣装に身を包んだ登場人物が、これも光と影の陰影の鮮やかな画面を漂うがごとくに歩く姿はなんとも美しく、ただボーっと画面に身を浸すことができて飛行機内の映像体験としてはちょっと類を見ない至福の時を過ごした気がする(部分的には多分寝ていたのも含め)。


機内食は2回、なぜか座っているのにお腹がすくというのはいつものとおり、で、日にちも戻り再び10日の早朝7時20分メキシコシティに。
ここでダイアモックス(高山病予防薬)第1回の半錠を服用する。


喉のかわきに、メキシコシティ空港でジュース(というかフルーツ・ティ?)1本購入。カードで支払ったが、$51という値段に目を剥く。51ドル!まさか。あとでわかったが、ここはメキシコ、51ペソ(日本円で400円くらい?)だが、表記は$になるらしい。びっくりした。
ちなみにペルーのセレス(1ソル、複数だとセレスになる。ちなみに1ソル約5円)も書くと$だ。

9時 AM46便にてペルー・リマに向けて出発。6時間余りの旅となる。
日本時間でいうと10日夜〜11日の深夜で、今回は映画も見ずにほとんど寝ていた。昼食は日本で言うと真夜中の深夜1時半で、さすがに「形だけ」という感じになる。

16時5分(メキシコシティよりは1時間進んで) リマ到着
出迎えてくれたのは日系4世沖縄人というシゲルさん(後で聞くと登川・具志堅・茂さん、でペルー人は父姓・母姓を重ねて苗字として名乗るのだそう)。
専用バスでリマ市内を抜け、17時前には「リマック・ホテル」に投宿する。

↓リマック・ホテル外観/ロビーで皆さんお疲れ‼/夕飯には早速のコロナビール!

旅のコース(西遊旅行より拝借)


【9月11日】  リマ〜クスコ(クスコ市内観光)~ウルバンバ渓谷

8時リマ発 LA2007 便にて 9時30分クスコ着

出迎えてくれたのは現地ガイドのアキレスさん。早速専用バス(運転手はフランコさん)に乗り込み、彼の案内で世界遺産のクスコ市内の観光にでかける。

↓クスコ空港から街を望む(山の上まで人家)/専用バスでクスコ旧市街へ


太陽の神殿(コリカンチャ)/サントドミンゴ教会

下層がインカ・上部と右の白い部分はスペイン様式の追加部分

クスコの世界遺産は概ね下層をなすインカ時代の遺構とその上に建てられたスペイン様式の建築からなる。ここもまさにその典型。インカの緻密な石組み、天文学的・物理学的にきっちりと計算された石の建物に圧倒されると同時に、それを半分壊してヨーロッパ・スペインをここに持ち込んだ圧力にも唖然…。

↓インカの石組み/窓は台形に切られている=力学的合理性らしい

↓建造法の説明をされるアキレスさん

↓こちらは上部スペイン風のサント・ドミンゴ教会
  


門前にはワラワラと物売りのオバちゃんたち。
ここで早速にオリジナルキャップを1個購入。6ドルを5ドルに値切っ て。なかなかオシャレなこのキャップ、この旅行では最後まで私のトレードマーク?みたいにずっとかぶって重宝する。
ついでリャマのキーホルダー、こちらは6個10セレス、というのを1個おまけして7つにしてもらった(笑)。値切り名人?の面目躍如というところ! 


神殿部分から眺める広場/インカの祭壇
↓放射線状のインカ道を表すという壁画、銀河もインカの暦の重要な要素?

壁画や、祭壇のあるテラス上には、コカの葉を3枚持って祈る現代の若者の姿も…


インカ時代の石組み・12角の石の残る道を歩く…


アルマス広場
中心にあるのはインカ皇帝パチャクチャテの像・ここは町の中心となる行政機構などの集まっている広場で、「アルマス」は「武器」の意味とか。かつて武器の集結する場所として使われたことによるらしい。中央にクスコ大聖堂(カテドラル)も…。


↓行く道の方向を示す道標/例によってさあ!出発!/ここでもなぜかワンちゃんはお昼寝

昼食はレストラン「パチャパパ」で

「パチャパパ」(On the  Poteto)の意味とか。「パチャママ」(母なる大地)にかけたのかなとも思ったがそうでもないらしい。そろいの土器風椀皿で供されたチキンスープは絶妙!デザートはパープル・コーン(マサムラムラダ)の葛湯風ーお汁粉でもないし不思議な味のお粥?

ハープ演奏も入った食卓はスペイン風?/クイ=ペルー人の愛好する肉食動物の丸焼きは、今回は残念ながら口に入らず。料理風景だけを写真に↓(奥が炉になっている)


14時 専用バスでウルバンバ谷に向けて出発 
16時 ウルバンバ谷(2900m) サンアグスティンHT 到着
2泊の予定が後述の事情で結局今回3泊したサンアグスティンホテル。入り口は小さいのだが、奥にずっと回廊式の渡り廊下でつながって中庭あり、集会場?のような庭あり、プールもありで、存外に広い大きなホテルだった。部屋には珍しくしっかりしたバスタブもあって、お湯もしっかり出るので、これはありがたい。この日は長旅の疲れを取るべく、ゆったりのバスタイム。しかし、その後が結構寒くて困る。部屋には電気のヒーターが置いてあったが、わが部屋のヒーターは故障中?スイッチを入れても動かない。ヤレヤレ。ともかく夕食後は早々に追加毛布を出して潜り込む。

ウルバンバ谷へ。山の上の文字は、「私設大文字焼」ー企業や個人が記念の数字やマークを設置して記念日には点火するらしい。あちらこちらにこんな文字を見た。

サンアグスティンホテル 中庭のある外景/プールも水をたたえ


【9月12日】  ウルバンバ渓谷-インカの聖なる谷―ハイキング
「ハイキング」といっても、文字通りハイキングを想像したのは、私の大きな勘違い!?専用バスで出発して、要所要所で下りて見物(というか見学かな)という「観光」であった(荷物の設定大間違い。雨具や行動食なんかを背負っていく必要はまったくなかったということ)。水は毎日1本(こちらのボトルは基本750CC)配ってもらえる。

今日の行程



地図右の切れた先がウルバンバ、そこから288号路をさかのぼりスタート地点がオジャンタイタンボ遺跡、鍵型の角がモライ遺跡、そしてゴール地点がマラスの塩田となる。間はバス異動だったので軌跡が飛んでしまっているが…





9時15分 ホテル出発(専用バス)

10時  オジ(リ)ャンタイタンボ要塞遺跡 
「タンボ」とは「宿場」の意味で、インカ道上にたくさんあった宿場・要塞の一つだが、マチュピチュへの起点になっている重要な場所で、現在もマチュピチュ行きペルー鉄道の起点となっている。

↓まずはこんな感じの入り口付近/目立つのはとにかく段々畑/チケット販売所
中に入って、段々畑を一段一段上がっていく。リャマ?の群れも…
右側の段々畑にはインカ時代に農民が住んだ家の遺跡も残っている
途中から見下ろす現代の宿場町オジャンタイタンボ(デモ行進の列も)
↓遺跡の頂上近くにはインカの石組みや、神の座る岩?、そして太陽神殿(作りかけでスペインに滅ぼされたらしい)などが眼を引く。

↓向かいの山、左の山腹には人の顔が…。下の神殿の窓にこの山からさす光がちょうど差し込み夏至(冬至だったかな)の日を示すのだそう。
 
これが日のさす台形の窓だ。一人で探して見に行ってみつけた!
遺跡の外にはお土産物屋が大賑わい


12時 レストラン・トゥヌパ(日本のサイトにも載っている)で昼食ビュッフェ
きれいでおしゃれなレストランで、ビュッフェの料理も多彩だが、ここは水は別料金(紅茶などは料金に含まれていた)、バスに水を置いてきてしまったので、紅茶とスープで水分補給をしたが、暑い中、これはけっこうつらいものがあった(他のレストランでは水が無料でつくところが多かった)。



14時 モライ遺跡(3500m)
インカの農業試験場だったと言われるモライ遺跡。円形の段々畑は1段ごとに温度が変わるのだとか。後ろにそびえるアンデス山脈の絶景。名前を聞いたはずだが、どうしても見つからない⤵
遺跡の前に咲くのはペルーの国花カントゥータ 後ろ右側雪をかぶるのはジコン山とか



16時40分 マラス塩田

これもまたまた驚くほどの絶景。一面真っ白な塩田は今でもこの土地の人々によって管理、収益をあげているそうで、仕事帰りのひとびともちらほら…なんか遊んでいるのが申し訳ないようだが…

↓入口/案内図/古代の塩作りを描いた壁画も…
全景/真ん中の写真には仕事を終えて帰る人々の姿も写っている。
塩田を背に夕刻、本日最後の記念写真


17:37 ウルバンバ ホテル・サンアグスティン帰着


夕食はホテルで。明日からの歩きに備えてビールはオヤスミ。その後、この日は明日のインカ道へ向けて、荷物を分けて2泊3日の山旅用と、クスコに送り返すスーツケースなどと分ける作業をする。
実は昨日に続く寒さと、高山病予防薬の副作用か、夜中のトイレにいささか悩む。まさか膀胱炎?と心配もしたのだが、眠って朝起きると復調していてホ…。

【9月13日】   インカ道~マチュピチュ
 

5時40分 専用バスでオジャンタイダンボ
6時30分~8時 ペルー鉄道高原列車でマチュピチュ104㎞地点(2151m)へ
8時40分 入山口を経てトレッキング開始
8時50分~9時 チャチャバンバ遺跡
12時30分~13時   ウィニャイワイナ遺跡
13時7分  マチュピチュまで6㎞地点キャンプ地
15時48分~58分  太陽の門(2737m)
16時50分  マチュピチュ展望ポイント
17時30分~57分  マチュピチュ・バス乗り場~乗り合いバスでマチュピチュ村へ
18時すぎ  インディ・プンクホテルに投宿    
   
9時間36分 6.2㎞ ↗616m ↘486m  コース定数1(やさしい) 平均ペース70-90%(やや ゆっくり)【ヤマップ】

ペルー鉄道高原列車
朝、ホテルから専用バスでオジャンタイタンポの駅に着くと、もはやかなりの人の列。その合間を縫って上下赤の民族衣装の男女が鳴り物入りで踊りながら練り歩く。朝からなんだろうと思ったら、この人々、列車への先導役というか案内、また見送り係みたいな感じでちゃんと「お仕事」をしているのだった。

朝のオジャンタイタンボ駅/赤い衣装の人々/電車がホームに入る               


乗り込んだ列車は全車指定、各車両に専属の係員がいて案内をし、飲み物を売りなどサービスもしてくれる。窓は大きく外の絶景とともに行きは良いよい(帰りについてはあらためて)の楽しい1時間半。マチュピチュへ104㎞という地点(駅はない)で下りてウルバンバ川のつ
り橋を渡ってインカ道(トレイル)の入山口へ。
背負うデイパック以外のマチュピチュ宿泊用荷物はまとめてそのまま電車でアキレスさんが搬送してくれるので、空身に近くてきわめて楽な歩きである。

車内風景/赤い衣装の係員/コーヒーを頼んでみた
車窓風景/窓の下をウルバンバ川が流れている
104㎞地点で下車/線路からすぐにウルバンバ川を渡る吊り橋がある
吊り橋を渡り、石段を登って、入山口に

インカトレイル(インカ道トレッキング)
入山口で仕度。インカ道のガイド、ジェイゴさん(中・登山客を楽しませ励ますエンターティナー!?)、ジミーさん(左・しっかり支えて頼もしく)、クリスティアンさん(右・若い!見習いかな?)に紹介され、いよいよトレッキング開始だ。

↓3ガイド氏/登山仕度/いよいよ歩き出す

チャチャバンバ遺跡
歩き始めて10分ほどで到着した、ここはインカ道の宿場の跡。屋根は草ぶき(イチュ)で、朽ちて、ないのだが、石造りの骨組みやそこに架かる梁のあと?の石の突起などがしっかり残っていて、興味深い。
インカ道はマチュピチュに向かって国中に張り巡らされ、要所要所にはこのような宿場や段々畑などを伴う遺跡が残っている。日本風に言えば「三角点」(丸いけど)も見た。



この日の行程、前半は深い山にかかるトラバースルートを歩いていく感じで、下をみると結構怖いが、道端にはたくさんの花も、木の花もあり、これから登っていくマチュピチュ方面も展望できて、なかなか楽しい登り道だった。

【花の写真集1】ラン/ブラックベリー/ブランドフォルディア・グランデュフローラ/竹も…

オンシジウム(ラン)/ヒマラヤハッカクレン?(Gレンズ)/バッカリス・ラティフォリア
  
ブッドレア・コルタダ/エビデンドラム(ラン)/ところどころにある道標

ところどころの休憩所で、出発時に配られたピクニックランチを取り出し、バナナ・みかん・ブロッコリーなど野菜類(キヌアのサラダも少し)とかで少しずつ腹ごしらえもしながら快調に登る(チョコレートやシリアルは入らずガイドに進呈)。


やがてはるか前方の高みにウィニャイワイナ遺跡が見えるが、そこにたどり着くまでのいったん下り、次の斜面を登り返しで、小1時間。森も深くなった感じで暗くなり、少々不安?

山中に現れた滝も通り過ぎ…

ウィニャイワイナ遺跡
ようやくたどり着く
こんな山の中にどんな人が住み、どうやって畑を耕していたんだろう…。インカの遺跡の暮しは不思議なことばかり…


マチュピチュまで6Km 地点キャンプ場
この少し前から山に雲がわき雨が降り出す。トイレを済ませ、雨宿りをしながら休憩・昼食。さらにしばらくは雨の中を歩き出す。





【花の写真集2】
ワトソニア/野イチゴ/ブタナ
   

太陽の門
歩くうちに雨もやみ(Lucky!)、最後の急な石段を登って太陽の門に到着。


ここからはマチュピチュの遺跡が遠望できる。やった!もう少し!というところ。雨のあと少し霞んだ夕暮れのマチュピチュ遠望
  
こちらは太陽の門を下から…
     
あとはゆったり下っていくだけになる。とはいえ、こんな石畳の道、後ろを見ずにスピードを上げ始めたガイドについてこちらも珍しくどんどんピッチがあがり、先頭グループで展望ポイントに到着した。

  

マチュピチュ展望ポイント




マチュピチュ下山口(というか入山口)バス乗り場からマチュピチュ村に
到着した夜のマチピチュ村はなかなかの観光地!


ホテル 駅の真ん前のホテル・インティプンクに投宿(電車とホテル前は翌朝の写真)
   

夕飯は近くのレストランへ。なんともまあ、豪華なご褒美夕食! アルコールはひかえ、インカ・コーラで乾杯!


大満足の1日だった!

ただし、帰ってシャワーを浴びてしばらく、あれれ?部屋の床まで濡れている。最初は私が濡れた足で歩いた??と思ったが拭いてもまたしばらくすると濡れている。まあ、拭けば何とかなる程度だし、疲れてそのままにしてしまったけれどー予定通りもう1泊するなら部屋替えを頼まなくてはならなかったので、まあ、このホテルに1泊は私にとってはケガの功名?ー本当に、このところ1週間海外に出ると1回ぐらいはこういう目に逢う=安ホテル滞在だからかも??

【9月14日】 ワイナピチュ登山 マチュピチュ遺跡見学

8時 ホテル出発 9時前の乗り合いバスでマチピチュ遺跡入口まで
9時30分 マチュピチュ遺跡入場口から入場、遺跡内を通りワイナピチュ入山口まで
10時8分 ワイナピチュ山入山手続き
11時30分~50分 ワイナピチュ山登頂
11時50分〜12時半 下山

 3時間20分 2.1㎞ ↗344m ↘191m コース定数3(やさしい)平均ペース90-110%【ヤマップ】

13時〜14時  ワイナピチュ入り口のレストランで昼食(ビュッフェ)
14時すぎ〜15時50分 マチュピチュ遺跡見学
16時 乗り合いバスでマチュピチュ村へ(ホテル・インティプンク)
17時〜 夕食(ホテル食堂にて)

念のため! マチュピチュでは28㍑以下のザック以外、そしてペットボトルは持ち込み禁止とのこと。ザックが開けられたり、私が普段使っているのとまったく同じサロモンの30㍑ザックの色違いを使っていたジェイゴ氏が咎められたりはしなかったものの、規制は規制でやや窮屈。私は日帰り近場の山に使っている20ℓのザックを持参した。

夕食後、19時を目途にということで、ホテル内食堂で、列車の運行の様子をみながら待 機。結局20時になって駅に移動、21時半になってようやく乗車、40分の出発で、1時半オジャンタイタンボ駅にたどり着く。その後迎えに来ていた専用バスに乗り換え深夜2時過ぎ、再びウルバンバのサンアグスティンホテルに戻った。

実はペルー鉄道では、これまで運行していた鉄道会社の契約が切れ、国?が更新をしない(鉄道会社を変える?)という方針で、会社側や従業員側からの不服・抗議の声が出て、ストライキが決行されることになったというのが、現地で聞いた情報だった。
帰国後にネットサイトなどで探してみると、今回はまさに14日からクスコとマチュピチュを結ぶ鉄道路線上で、マチュピチュ村(旧アグアス・カリエンテス村)とマチュピチュ遺跡を結ぶバス会社の選定に不満を持つ地元住民らによるデモが実施され、クスコとマチュピチュ間の鉄道が運休したとのことらしい。しかも、このような出来事はここ数年の間にも何度も起こってもいるようだ。
ともあれ、そういうわけで、今回の旅、マチュピチュ村では2泊して、15日に電車(オジャンタイタンボ)・専用バス(クスコ)と乗り継いでクスコに戻るはずだったが、15日になるとマチュピチュ村から出ることが難しくなるかも(実際にストに突入したらしい)と、すでに14日朝の段階で、計画の変更が行われていたというわけ…。
そのため、列車のキップの変更、ホテルの変更と添乗員は現地旅行社や日本とも連絡を取り合いながら大変な仕事をされたのだと思うが、なんとかその後の予定に大きな変更もなく無事にマチュピチュ脱出?も遂げることができ、感謝!こちらとしては意外にアクシデントを楽しめたかもしれない(昨秋のエベレスト街道の飛行機欠航??もだったなあ)。ただし、マチュピチュのホテル1泊は当日キャンセル、あらたにウルバンバのホテルを再度取るというので80ドル余計に払うことにはなってしまった…そこはイタタタ!だ。

朝食…これもまあ、なかなか。
出発…町のベンチに座るパディントン、当地でも大人気/バス停に並ぶ観光客
こちらはマチュピチュの入場ゲート/そしてマチュピチュ内を歩いて…

登山口(入山登録)をする/いよいよ登り始める

↓ジェイゴ氏とUMさん(添乗員)

下に見えるのはマチュピチュ遺跡。こんなに登ってきた!

頂上に着いたが…、頂上にはさらに上があり、岩の上に交互に立ったり座ったりして撮影タイムも


岩の山に咲くシャクナゲ?みたいなトベラ?/プヤアスペルトリスという草?


昼食 マチュピチュ入場ゲート前のレストラン/ビュッフェ(飲み物・デザートもいろいろ)

午後はマチュピチュ遺跡内をジェイゴ氏の案内で歩く

太陽の神殿・王の陵墓?その上部と下部/女性が大勢殺されたハーレム?のあととか

皇帝の部屋ー中庭・寝室・トイレの入り口(マチュピチュ唯一のトイレとか)

↓これがトイレの入り口/皇帝の寝室/例によって台形に切った窓(棚?)



コンドルの神殿
水汲み場


 
  入り口近くまで戻る/サヨナラ!マチュピチュ/入り口近くのヘリコニア
 
帰りのバス停/帰りのバスの窓からなんと!虹が見えた。写真映りはイマイチで残念だけど…見えるだろうか??

マチュピチュ村に戻る 

  

2日間世話になったジェイゴ・ジミー両氏とはここでお別れ。ありがとう!
  
ホテル・駅近くの商店街をブラブラ。お土産品はたくさんあるが、けっこう高い!
結局、マーケットでコーンのお菓子?とコカ・キャンディを買う(2つで10セレス)
でも、コカは日本には持ち込めないので結局、途中で同行のみなさんにも分けて賞味!

ホテル前のブーゲンビリアとエンジェルス・トランペット…馥郁と香る…

夕食 今日はホテルで たくさん歩いたし明日は移動日だからとご褒美ビールも。ビールは後で土産にも買ったペルーが誇るクスコの地ビール「クスケーニャ」(「クスコ娘」の意味)
これは、例のお粥風(というか葛湯風というか)デザート

さて、そしてここから長い長い夜が始まった…ホテル食堂での3時間半後、ようやく目の前だけれどなかなか遠かった駅に移動。さらに待って待って
ワンちゃんもなぜかおとなしくともに待つ?/ようやく9時半改札が開く
列車に乗り込み、あとは寝るだけ。しかし途中で30分くらいのすれ違い停車もあったみたい…
2時半ようやく列車はオジャンタイタンボ駅に着き…しかし後は写真の余裕もなくホテルに戻って寝るだけ…
      
今回は同じホテルだが1Fのわりと入り口に近い部屋。ヒーターもちゃんと作動してよかったが、ウーン小さい前庭の先が塀を隔てて自動車道路。まあ、疲れていたから車の音もあまり気にせず寝られたが…んんん?
なお、本来本日はクスコに行っているはずのスーツケースも、このホテルに戻してもらってあり、その意気届いた配慮には感謝。


【9月15日】 ウルバンバからクスコに戻る

11時30分 専用バスでホテル出発
11時40分〜12時10分 ペルーの地酒「チチャ」の作り酒屋「Ofrecenos Sal  De Maras」を訪問
12時30分〜13時20分 レストラン「MUNA  Urubamba」で昼食(ビュッフェ)
15時〜15時40分 リャマ・アルパカなどの牧場+民族博物館+販売所 を訪問 
16時15分 クスコ・サンアグスティンインターナショナルホテル 投宿   

【ホテル・ライフ】ウルバンバ サンアグスティン
出発が遅かったので、荷物の整理をしたり、食堂にゆっくり行って朝食を楽しんだり、のんびり過ごすことができた。
↓食堂/中庭に面した回廊では現地の女性が毛糸製品や土産物などを売る/私の部屋は1Fで荷物だしなどには便利だが、なんと右奥窓の外、茶色の塀の向こう側は自動車道路。最初はクラクション音にビックリ!
 



【造り酒屋「Ofrecenos Sal  De Maras」】
入り口の旗竿に掲げた赤いマーク?は酒屋の印とか(イチゴ酒があるという意味とかも)。中国の酒旗、日本でいえば杉玉か/入り口のオブジェもなんか遊び心満載な感じだった。
   

 ↓これは酒造りの道具。布で蓋をしたカメのなかで発酵させる
   
↓こちらはクイ。可愛らしいがペルー人の代表的「国民食」である。
   
材料を並べたテーブルの前でアキレスさんの説明を聞く/ペルーにもなぜかシーサーがいる
チチャの試飲も。紫トウモロコシが原料のこのお酒、ちょと甘くてアルコール度も低め。すっぱめではあるがあっさりで口当たりもよいと思ったが…。材料の果物やトウモロコシの籠もならべてある。

↓この籠はベル―のジャガイモ。女性は恥ずかしそうにしていて商売気があまりない感じ。説明や販売はほとんどアキレスさんの一手引き受け。

チチャばなし
わりと美味しかったチチャの販売もするというので聞くと1本5セレス(125円?)これは安いと、数人で乗り気になって注文した。わたされたのは水の入っていたペットボトルを空にして口近くまでピンクのチチャを詰めたもの。これがのちに大変なことになるとは誰が知っていただろう?? 最初はバスの中で開けようとして噴射したどなたか。発酵の速度がかなり早くてどんどん膨らむらしい。もう一人の方と私の場合はまずはホテル(用心して洗面所で)恐る恐るそっとふたを少しずらしたんだけれど、ボワーと吹き出し、あたりがピンクの酒まみれに!中身も私の場合は半分くらいになってしまった(後は噴出したわけ)。で、持参のナルゲン型プラスチックボトルに移して、洗面所の窓際、あまり温度の高くないところに置いておくことにした。少し飲んでみたが酸っぱさが増してあまりおいしいとは言えず、これは日本までは持っては帰れないのではないかなと思う。そして…その夜は無事に過ぎたものの、クスコ2日目の翌日の真夜中、寝ているとボン!とすごい音がしてプラスチックボトルは粉々に、中に入っていたチチャは天井まで吹き飛んだんだろうけれど、おもには気体になっていたせいか、あまりあたりが汚れるというほどのことはなかったが、ビックリした〜。枕チップを5セレスほどおいてゴメンナサイにしたが、返す返すも残念なのはあのピンクの酒の入ったボトルを写真に撮っておかなかったことだ。ちなみに同行の酒好き(らしい)Fさんは買ってすぐのバスの中でそっとフタを開け飲んでしまうのに成功したとか。さすが!

12時30分 レストラン「MUNA  Urubamba」で昼食
広々とした芝生の庭に、コッテージが立ち並び、リャマや犬、それに木の花もあれこれ咲き乱れる公園のようなレストランだった。


ドーナツ(ピカロン)を揚げるオバちゃん(手で種をすくい丸めあっという間にドーナツに。サクサク出おいしかった…/ちょっと遠景、メニューが高いところにかかげてある

庭に並ぶコテージ/リャマ/ハイビスカス
国花カントゥータ/タマリロ(sacha tomate)/レモン(看板はTORONJA)

【リャマ・アルパカなどの牧場+民俗博物館+販売所

牧場…実はこういうのはちょっと苦手。リャマとアルパカとかの区別もあまりわからない。
で、こうなるわけだ…(民俗館の展示から)




マチュピチュのジオラマ/コンドルも…。なかなか飛んではくれないが。
毛織物に最高級のビクーニャだそう/毛織物の実演をする人も…
なんだか変な石像もあって、これってペルーの特産?サンボーニャを吹く人はまあそうだろうが…。

伝統博物館…ここが一番好きだったかな
入り口/その近く、天にはコンドル、地上は豹、地下には蛇と3つの神獣を表した絵
こちらはパチャママ(母なる大地の神)/こんなのが部屋いっぱい飾ってある
昔の織物/文字の代わりとしたという結び紐も…
下は大きな売店になっていて最高級からお手軽まで様々な編み物製品が。本物の高級なアルパカやビクーニャは触ると冷たいのだそうだ
庭にまたまた咲く、Gレンズでは「花丁子」だというんだがカントゥータではないかな?

クスコ サンアウグスティン・インターナショナルホテル へ

ホテル(現在位置)と、これからいつも集合場所となるアルマス広場(すでに先日行った)の入っているGoogleマップ




このホテルは、ウルバンバのサンアウグスティンと同系列のホテルだと思うが、あちらにはあった浴槽はなし(シャワーのみ)、ただどちらも湯沸かしポットはあって大変重宝した。お茶も何種類か置いてある。冷蔵庫はなし。電気の小型ヒーターが置いてあるのは、こちらの温度によるのかな。ちなみにペルーは9月は「冬の終わり」だそうで、厚いコートがいるほどではないが、やはり夜などは少々寒く、薄手ダウンを羽織ることも多かった。
ちなみにペルーでは町や空港も、ホテルに至るまで、使用済みトイレットペーパーは、備え付けのゴミ箱に捨てなくてはならない。山小屋なんかは日本でもそうだが、ホテルまでというのは今まで行ったどこの国でもなかったように思う。ちょっと慣れるのに時間がかかる。

クスコの夜

太陽神殿〜アルマス広場…1人散歩を楽しんだ

広場への路地には夕方なのに土産物?を売る人も…そして路地を抜けるとパッと目の前に広場とカテドラルが…
広場の向こうには山の上まで灯りがともるクスコの街


思いがけず広場にさす薄明光線・いわゆる光芒を見る/夕闇のパチャクチャテ像

チョコレートショップ(MUSEOというからミュージアムでもある?)へ
店内では店員さんがプラスチックボックスに入れた各種のチョコレートの試食(味見)をさせてくれる。珍しい「チョコレート茶」(ナチュラルとシナモン)1パックずつを買う。(1つ15セレス、4つで50セレスというので同行のHさんと2つずつ分けることにして買った。旅もこのころになると、同行のみなさんとこんな関係も作れてちょっと楽しい。


夕飯は広場前のレストラン「INKAGRILL(インカグリル)」で

料理はどれも美味しかったが(前菜→メインディッシュ)
なかでも絶品のデザート(スフレ?にアイス添え。ようやくデザートらしいデザート)
「崩して召し上がってください」ということでこうなってはしまうのだが
店内二階吹き抜けのようなところで、ケーナ・サンポーニャとギターの演奏も…
            
9時…夜のレストラン界隈/ホテルに戻り明日に備えて就寝する


【9月16日】レインボー・マウンテン(ヴィクニンカ)


5時   クスコ(3350m)・ホテル(専用バス)出発
    ⇒クシパタ(3310m)
7時25分 ピトゥマルカ(3850m)
7時50分 リラウラリリ
8時40分 ヴィクニンカ東側登山口(4712m)

9時15分 登山開始
10時50分 ヴィクニンカ直下➡
11時7分〜25分  ヴィクニンカ展望ピーク(5036m)
11時40分 ヴィクニンカ直下まで下山
11時50分 下山開始
12時20分 東側登山口に戻る

13時〜13時35分  専用バスにて帰途河原にてランチ
17時前 クスコ・ホテルに帰着

(わかりにくいけれど…本日のバス行程 クスコ~ピトゥマルカ〜リラウラリリ~直下 赤線を繋ぐと1枚の地図になる(はず?)

【出発】
朝5時、専用のマイクロバスでクスコからレインボーマウンテンに向けてクスコ市内から上記各町を経由するルートで東南に向かう。途中ピトゥマルカの街でトイレ休憩。朝7時過ぎで人通りは少ないが、すでに道に出て商売をする人、朝ごはん?の屋台は出ている。左端には小さいけれど赤ちゃんをおんぶした女性も…トイレチップは1ソルだが紙なし、汚い!


リラウラリを過ぎたあたりから道は山道というか田舎道に入る。山の方に行くと道端に羊?の群れもいたり…

レインボーマウンテンの入り口に到着。登山口へはここからさらに数分車で入っていく



登山準備中だが、天気も今イチだし、とにかく寒い!東京での想像力が働かなくて、基本的に夏山装備しかしてこなかったことを後悔した。上着は重ね着も可能でウインドブレーカーに雨具も重ねてOKだったが、下はタイツを持ってこなかったことを後悔。やむなくホテルなどではくために持ってきた薄手のパンツを登山ズボンに重ねてしのぐ。高山病の症状も皆無(予防薬はこの朝まで一応服用)で、体調はまあまあだが、この先の道への不安もあり、いちおう万一のための馬代20ドルをセレスに換金(60セレス、まあやむない)もっともこれは終わってみれば全くの杞憂で全然必要なく、結局酒代?に。


【登山】 さて、いよいよ登山(というほどでもないなだらか道なのだが)を歩き始める

思いのほかにゆったり楽勝の緩やかな登り。馬に乗れと誘う馬方の女性に断りついでに写真を撮らせてもらい、要求に従い1ソル払う

とうとう見えた!レイボーマウンテン
展望ピークに登る前、後続を待ちつつ到着したメンバーでひとしきり遊ぶ?ー景色を見たり花を探したりだけど…あとトイレに行った人も…
  


このあたりで見つけたのはこんな可愛らしい地表に咲く花ーGレンズでしらべたところでは南米原産のエゾコウゾリナ属の一種?みたい(キク科)

さて、ここからいよいよレインボーマウンテンに向かい合う展望ピークを目指して急坂を登ることになる。
いちばんに到着したみたいで頂上にはまだ同行者の姿なし。パノラマ写真を撮ったりして大いに楽しむ。そしてやがて上がってきたSさんとのレインボーマウンテンバックのツーショットや他のみなさんとの集合写真も撮って早々に下りることに(何しろ寒かった!)(頂上には写真撮影の行列ができている)

レインボーマウンテンの反対側にはアウンサンガテ山の一部という険しい岩と雪の峰

四方をぐるりと撮っていってみると…

頂上写真撮りまくり(笑)



【下山】
頂上直下のチップトイレに行く(2セレス 見かけよりきれい)/どんどん下る
登山口に到着/トップで下りたみなさんと…

レインボー・マウンテンは高度ということを別にすれば、きわめて歩きやすい楽しい軽いハイキングという感じで、私もまだまだ歩けるぞという喜びを感じさせてくれる山でもあった。何しろ色とりどりの山肌と、背後の対照的に黒く厳しそうな山塊もビックリするほどっ感動した景色。天候も大きく崩れたりはせずーというか下りてきたらガイドのアキレスさんが「そろそろ雨が来る」という。え?ほんとと思ったが、帰りのバスに乗り込むと同時にバラバラと降り始め、びっくり!
その後の昼食タイムでも、雨が止んだところでバスを止め食べ始め、終わってバスに戻ると同時にまた雨、でなんとも間のいいこと、運のいいことと思えた幸せな山旅ではあった。

【ランチ】
川原でランチ/ランチボックスにはなんと「おにぎり」の日本食/同行のお一人が川原の石をならべて「レインボー」を示してくれた。そうか、この川原の石も、組成は山といっしょか…と目を開かれる


スタッフが片づけをしてくれてバスに戻ったとたんに雨が降り出す。まあ、なんと間のいいこと!
   




【ホテルに帰着】
↓途中街中のチップトイレ(2セレス。もちろんトイレットペーパーももらえる)/クスコの街中へ。


【書店を覗く】
夕食は、アルマス広場前、昨日とは違うレストランへ。その前に近くの書店に立ち寄ってちょっとブラブラ。スペイン語の本には残念ながら歯がたたないが、ペルーの民族楽器を演奏する小さな人形たちのついた絵ハガキを購入。音楽好きの友や、吹奏楽命の孫娘を思い浮かべながら…

書店/買った絵ハガキはこんな感じ(ちょっとセロファンの外装が光ってしまった…18セレス/1枚)



【夕食】レストランTURUPR
店内には七夕飾り?みたいな装飾をほどこした小舞台があって歌や踊りの披露も…
やっと飲んだのは、ペルーの酒・ビスコ・サワー(36セレス)口当たり良すぎ!
ここでも、デザートまでペルーらしい料理?を楽しみ満足!

9時、明日はいよいよリマに戻るということで、ホテルに戻り支度をする。早めに休んだつもりが、夜中、例のチチャ暴発! それにしても飛行機の預け荷物の中で爆発しなくてよかったとは思うことしきり。

【9月17日】クスコ~リマ リマ観光 リマ〜メキシコシティ 

4時45分 出発 4時からホテル食堂で朝食ビュッフェ、その後専用バスで空港まで
6時55分 LA2006便 にてリマへ
8時30分 リマ到着(初日にお世話になった日系人ガイド・シゲルさんが出迎えてくれる)

9時〜  専用バスで旧市街へ。リマ市内世界遺産リマ歴史地区などを観光
サンマルティン広場ユニオン通りアルマス(現マヨール)広場⇒リマ大聖堂(カテドラル)⇒サンドミンゴ教会博物館➡ミラフローレス地区へ・日本食レストラン・フジで昼食
➡大型スーパー➡ラルコ博物館➡ホテル・コスタ・デル・ソル内 レストラン・パプリカで夕食➡リマ空港

【18日】0時15分 AM019便にメキシコシティへ向けて出発

【早朝のホテルから空港へ】
朝4時の食堂(ビュッフェで朝食)/空港はまだ暗闇の中/みなさんすでに少々お疲れ?
それにしても早朝というのに、空港内大勢の人がひしめき合っていたという感じ


リマ・ホルヘ・チャベス国際空港(地図左上)に到着〜リマの街へ


車窓からのド・ス・デマ広場(マンサード屋根の建物)/バスを下りるとブラシの木の並木道

【アルマス広場】
ペルーのどこにもある「武器」の意味で「武器の集まった場所・戦いの集会所」のような意味らしい。今は「マヨール広場」とも呼ばれる。こちらは唯一無二最高の場所の意味で政府機関など重要な役所などが集まっていることによるとか。ともあれ、この街でも最も重要な場所ということではある…

広場に立つ地元のおまわりさん/中央にはホセ・デ・サンマルティン将軍の像・この人はアルゼンチン・チリ・ペルーの独立に貢献した
リマのガイドは初日にもお世話になったシゲルさん(ちょっと青木崇高似?の日系4世)/ここも並木はブラシの木/朝食を食べる人のための屋台だそう

ユニオン通りを歩く
ここは通り全体が世界遺産とのこと。そこで看板はすべて黒い文字なのだそう/逆ベース型の白黒は世界遺産のマーク。馬車が直接出入りするために門はとても高く着られている。

            
スタバもケンタッキーもマクドナルドも、文字(マーク)はみな黒!
     

     
赤線がユニオン通り/今は使われていない古い映画館も…
    

リマ大聖堂(カテドラル)

インテル・バンク/ラモン・カスティージャの像(奴隷制度を廃止した)/アロマス広場
   
広場にあるペルー最初?の噴水/市庁舎/カテドラル(リマ大聖堂)

リマ大聖堂に入る。ここにはフランシスコ・ピサロの墓があり遺骨がむき出しで安置(展示?)され、頭部の復元も…ちょっとかなり悪趣味だなあ…(頭部はさすがに正面からは撮りにくく)ちょっと見にくい写真になってしまった。

ここは、まあいって見れば礼拝堂とその地下の墓地が並んでいるという空間だ


聖堂にはペルー出身の新ローマ教皇レオ14世の胸像も

再び外に…
大司教区宮殿/政府宮殿
ペルー文学館/古いレストラン・バル・コル・ダーノ/サン・フランシスコ教会
旧郵便局(現在は博物館)/ライオンの口をかたどった郵便ポスト/マンホールのふた

毛織物・編み物製品の店をのぞく
歴史的建造物前の小学生団体(遠足日和?沢山いた)/オーガスタ/サントドミンゴ教会

サントドミンゴ教会博物館

  

街角には着飾ったドレスの貴婦人を表すオブジェ群が立ち並ぶ


【昼食】日本食レストラン・フジにて 
すごく美味しくて、しっかりした和食を食べて感激!
カムカムというジュース/私は「刺身定食」にする。もう片方は「ラーメン・餃子定食」

大型スーパーで買い物タイム…お土産はあちこちでポチポチ買ってもはや買うものもないが、現地の人が食べているような調味料(ソース)や、ラーメンなどを見て少し買った。

【ラルコ博物館】
まずは花の壁を通ってエントランスへ。ここはラファエル・ラルコ・エルラ氏が収集した古代ペルーの陶器や宝飾品などを展示している。プレ・インカやその他の多様な工芸品もあり、その迫力に圧倒される。日本語の説明表示もある。
エントランス・入場券売り場
スペイン邸宅を利用した建物/ラルコ氏についての説明ももちろんあった。
まずは混んだ展示室をさけて倉庫から見たのだが、これがまたすごい!/頭蓋骨収集ってのもね…あちこちで見た気がする

↓こんな具合に日本語での説明表示がついている
載せようと思ったらキリがない、いくつかだけ…



   




ほんものの?インカの組みひも(文字も)あった

この博物館のもう一つの「ウリ」はガイドが「お子さんのお客は案内しない」という「愛の博物館」(笑)展示物は以下のとおり!…まあなんというか…
↓こちらはトイレ入り口の表示/まあ、可愛いと言えばかわいい
花さき乱れる前庭を再び通って、いちおう見学の終わり…すごーい見ごたえで満足!




【夕食】ホテル・コスタ・デル・ソル内 レストラン・パプリカ

ペルー最後のビールはペルー三大銘柄の一つというピルセンビールに

リマ空港
前後にわたってお世話になったシゲルさんとのお別れの集合写真も…


日もあけて18日、0時15分 AM019便にメキシコシティへ向けて出発する


【9月18日】メキシコ・シティ テオティワカン遺跡〜市内観光

メキシコ・シティ到着(5時30分  1時間戻って日本とは15時間の時差)
機内食も1度出たのだが、暗闇の中何を食べたのか(食べなかったのか)思い出せない。写真も真っ黒だった… 
とりあえず、空港ホテルで待機し、オプションツアーのテオティワカン観光への出発を待つが、空港に戻りドーナツ($74)とカフェラテ(Lサイズ $100)を買って朝食。$はペソ。    ペソはないのでカードで支払った。

明け方の空港/空港内の通路からホテルへ
空港ホテル内で待機ののち、テオティワカン観光へと出発する

専用バスにてメキシコシティ市内からテオティワカン遺跡に向けて出発。(7時20分)
ガイドはメキシコ在住8年という日本人マキノさん。オプショナルツアーで参加者は11人。 

【メキシコシティの朝】
↓メキシコシティから太陽のピラミッド(テオティワカン遺跡)を目指す

朝のメキシコシティの街はリマとはまた、まったく違う雰囲気だった。街中に壁画があふれ、中空には3本の路線があるというロープウェイ(ゴンドラ)が行き交う(ガイド氏によれば「ケーブルカー」というのだが…。スペイン語(現地語)でなんというのかは聞いたがわからない)。
↓もちろん電車の路線もあるにはあるが


壁画の上をゴンドラが行き交う
↓ゴンドラはこんな丘の上の街と街をつないでいる。車もいっぱい走っているが…

【テオティワカン遺跡】9時20分~11時15分)

ここは太陽のピラミッド(といってもむしろ神殿)、月のピラミッドを中心に、南北を走る「死者の大通り」と周辺を取り巻く神殿群から作られた古代テオティワカン文明の都市跡だそう。2世紀から7世紀ごろまで栄えたがその後なぜか都市は放棄され、後にこれを発見したアステカ人によって命名された「神々の都市」という名が「テオティワカン」(ナワトル語)の由来。先に訪れたペルーには48の先住民言語が存在すると聞いて驚いたが、こちらメキシコでは120以上の民族・言語があるのだとはガイド氏の言。テオティワカンもアステカもその一つということになるのだとは思うが、このあたり今まで知らなかった中南米の民族の多様性に興味がわく。

まずは神殿(宮殿)の内部から
ケツァルコアトル神殿 内部の壁画

ケツァルコアトル神殿 中庭/柱の拡大図/壁面彫刻

 
 


太陽の神殿 中段まで登ってみると…




太陽のピラミッドから南北に貫く「死者の大通り」/途中では物売りが客に呼びかける
 

            
あたりには花もけっこう咲き乱れていた
  
入り口(出口)近くの看板
    
門から外に出てくるとさすがメキシコ、サボテンの林立する遺跡前の広場…
  
背が高い!サボテン
  

【市内観光】(12時~13時 専用バスで再び市内に戻る。)

車窓から
メキシコシティの街・集合住宅/レヒナ・コエリ教会/ロイ―ト・イ・ペニヤ・ポプレ公園
スペイン公園/ファレス半円記念碑/べジャス・アルテス宮殿
この街のタクシーはピンクと白に塗り分けられた日産車(ツル)/メキシコ銀行 メキシコ独立記念日(9月16日)を祝して建物には国旗の三色(赤白緑)が飾られている

ソカロ広場(憲法広場)・国立宮殿
スペイン文化センター/これはトロンプ・ルイユ(だまし絵)/
黄色い建物は有名な古いレストランとか
テンプル・マヨール遺跡 
広場にはテンプル・マヨール遺跡やその周辺のジオラマが作られている
世界遺産のマーク/ジオラマの向こうにメトロポリタン大聖堂

 広場に面するメキシコ・メトロポリタン大聖堂
 
ソカロ広場・国立宮殿/先住民スタイルの人も…(但しこれは商売用?)
同じ町の中心の広場でもペルーとメキシコではずいぶん雰囲気が違い、ペルーは禁欲的・清潔というイメージなのだが、メキシコはカラフル・雑多な人にあふれた活気のある場所となっている。

メトロポリタン大聖堂
正面/天井を見上げると…/内部の礼拝堂祭壇
  
「グアダルーペの聖母」  側廊には有名な「褐色の聖母」と聖母を発見した農民ファン・ディエゴ像がある(カトリック教会が公認している聖母出現の一つ)
  
風の吹き通るような会堂を抜け、ソカロ広場に出てくると不思議な髑髏の人物が…
 

ソカロ広場に面したホテル・マジェスティックの屋上レストランへ/ホテル天井も国旗の三色で飾られ独立を祝っている/エレベータ(これで7F?まで)
昼食はコロナビール・スープ/ファヒータ(トルティーヤで肉を包む代表的なメキシコ料理)

デザート/アレルギー対応のサラダも用意された/レストランから見下ろすソカロ広場
  
マジスティックは1937年創業の由緒あるホテル/外に出るとメトロポリタン大聖堂
  
1日お世話になったガイド・マキノ氏/観光トラムとプルメリアの並木/プルメリア
  

15時40分 ホテルに戻る ホテルの部屋で休息 18時まで
19時 メキシコシティ空港


22時 AM058便にて成田に向かって出発
24時【19日0時】 モンテレイにて1時間半あまりの給油・機内待機後、13時間55分の旅

機内食は2回。日本に近づき「幕の内弁当」というのにしてみた。

機内映画は行きに見損なった『Paddington in Peru』(『消えた黄金郷の秘密 2024英 ドゥガール・ウイルソン監督)。
パディントンの故郷ペルーが舞台なので見ておかなくては、というわけだが眠くて眠くて、巻き戻したりすること数回、だが見落としもあるかも…日本語字幕付きだった。





15時15分(メキシコ時間)=【20日6時15分】(日本時間)成田に到着
おつかれさま!大変長いフライトでした、やはり!

というわけで、とうとう旅も終わりました!長々とおつきあいありがとうございました。

いつものことながら、お世話になった同行の皆さま、旅を支えて下さったスタッフの皆さま、添乗員のUMさんに心から感謝です!
そして、糸の切れた凧のごとき私の旅を苦笑し、心配しつつも(多分)許してくれている家族にも感謝しています。

内容がとても盛沢山だった旅で、今回は撮った写真が1500枚余り、それとヤマップやGoogleマップの記録を中心にこの記録を構成しました。また、今回も同行の皆様やUMさんがライングループのアルバムに投稿してくださった中から集合写真や、私自身が写っている写真などを使わせていただいています。また、特に同行の皆様についてはあまり顔写真がupされているようなものは避けましたが、スナップなどにお顔が写っているものについては掲載させていただいています。もし問題がある場合にはお知らせください。

あくまでも個人的な記録、感想ですが、歩きながらの記憶やメモ、写真のデータを見ながら書いていますので勘違い、思い違いなどのミスもあると思います。特に同行の皆様方、ミスその他問題ににお気づきでしたら教えてください。今後も直していきたいと思いますので…

小林美恵子 xiaolin091@gmail.com







  



































































































































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