【勝手気ままに映画日記+山ある記】2024年5月

 

棒の折山~岩茸石山の尾根から見た川苔山と、奥に雲取山(5/3)

台形は棒の折山、続く右側の突起?が権次入峠 ここを歩いて撮影地まで来た
 
【5月の山歩き】
 夏シーズンに備えて?5月はもっぱら奥多摩近辺で、日帰り毎週登山に励みました!


5月3日(棒の折山~高水山縦走)  
飯能駅〜白谷沢登山口〜棒の折山(969m)~権次利峠~黒山(842m)~岩茸石山(793m)~高水山(759m)~軍畑駅 
8時間24分 13.8㎞ ↗1268m↘1277m 110-130%(ヤマップ)

棒ノ折はわりとよく行く山の1つですが、白谷沢を登るのは数年ぶり、今年1月は、八桑バス停から黒山まで上がって清東園に下りるという短縮コースだったし、棒ノ折から高水山までの縦走は多分初めて。岩茸石山から高水山は高水三山の2つ(あと1つは惣岳山)で、40年以上も前に勤めた青梅の学校の全校登山が高水三山で、何回か生徒と一緒に登っているがそれ以来。とにかく黒山から高水山まで!そしてさらに軍畑駅までの長丁場に、最後は少しヘロヘロに。でも好天に恵まれ青葉の山の景色(上の写真みてください!)は大いに楽しんだ1日でした😁

5月12日(鋸山~御前山)
奥多摩駅鋸尾根~鋸山(1109m)~御前山(1405m)~大ブナ尾根奥多摩湖
7時間57分 10.8㎞ ↗1465m↘1286m 110-130%(ヤマップ)

これも3月大岳から鋸山を経て鋸尾根を下りている(下りるのは初めてではないし)が、今回は登りで鋸山から反対方向御前山に。途中短いが急な鎖場1か所。ここは下りでは迂回コースがあるので、そちらに行ったのだろう、記憶になかった。
この登りはまあまあ順調だったのだけれど、昔登ったはずでどうということはなかったとなめた?大ブナ尾根の下りで苦戦。集中力が切れた感じで、2回も転んで、持っていた片手ストックの上に自分が乗っかってストックが曲がる!

実は、2,3日前から少し風邪気味で、医者にかかって薬も飲んでいた。熱も出なかったし鼻水以外は大丈夫、と思ったけれど10キロ越えは少々きつかったみたいで、行き(登り)は大丈夫だったが、帰りにこのありさま⤵😞
(写真は3日に撮った黒山側からの左から大岳山・御前山の並んだ頂上↑)


5月18日(武川岳)
西武秩父駅山伏峠~前武川岳(1007m)~武川岳(1051m)~焼山(850m)~二子山(882m)~芦ヶ久保駅
6時間8分 7.9㎞ ↗592m↘898m 130-150%(ヤマップ)

体調も一応復し元気に登る。「ステップアップシリーズ」と銘されたクラブ・ツーリズムのツアーで15人ほどが参加。真面目に勉強しようという感じの方たちだが、歩きなれているかという意味では、いつもよりは少し…(一緒に歩く人のレベルは意外に重要?前後の歩きに気を使わなくてはならないツアーはけっこう疲れる)だが意欲満点で、この夏は槍を目指すという方もいた。私自身はステップアップなどという気はないが、武川岳はここ数年の山歩き再開では登っていないなと思い(値段も案外安かったので)参加したもの。
今回はツアーとしては少しペースが速く(これもお勉強登山だから?)二子山の手前で少々バテる。二子山頂上で休んで元気回復したが、その後が実は本日のハイライト。ロープを張った急坂の下りに大苦戦の方も。まあ、私は最後尾に陣取って別にどうということもなく下りたのでホ…というところ。
写真中は下りてきてから二子山側からのぞんだ武甲山・右(下)はロープの坂で苦闘中!の同行の男性
↓ハシリドコロはもう終わりで葉のみ。木の花もオオカメノキくらい?でした。


5月最後は毎年恒例?(にしたい)北信五岳の、今年は飯縄山と黒姫山。本当に久しぶりにソロでもなく、ツアーでもなく、旧友(昔の職場の後輩)と2泊3日、日帰り2座のペア登山を楽しみました。

5月26日(飯縄山)
長野駅〜飯縄山南登山口〜飯縄山(1917m)~中社・西登山口(神つげ温泉)
6時間15分 8.4㎞ ↗845m↘764m 90-110%(ヤマップ)

最初は黒姫山のあと、28日に登って帰るつもりだったが、天気予報は雨。急遽朝イチで東京発、昨年と同じく南登山口から上がり、今年は瑪瑙山をさけて中社に下りることにする。
おかげで天気にもまあまあ恵まれたが、若い友人(10歳近くの年下)の足の速さのゆえか、荷物の重さのゆえか、けっこうふうふう。飯縄山頂上につくのに、昨年より活動時間で50分近く余分にかかってしまった。暑かったので持参したお湯は使わず冷製(保冷バック入り)のパン、プロテイン牛乳、葡萄などで簡単にお昼。意外に長い中社への登山口までは無事に下り、温泉にも入り、その温泉まで泊まる樅の木山荘のご主人に車で迎えに来てもらって、というのんびり登山。

↓左(上)イワカガミがたくさん咲いていた(中)飯縄山頂上に向かう友 右(下)頂上で
↓左(上)赤ヤシロ?の群落あり・右(下)飯縄山頂上から明日登る黒姫山とその向こうに妙高山

5月27日(黒姫山)
戸隠・樅の木山荘~大橋林道~黒姫山(2061m)~古池~大橋登山口(戸隠泊)
8時間20分 12.9㎞ ↗1021m↘1016m 90-110%(ヤマップ)

雨模様の中、午前7時宿のご主人に登山口まで送ってもらい、林道歩きから登山開始。降ったりやんだりだが、合羽はほぼ着たままで新道に入る。雨はたいしたことはないが風が強く、尾根に出ると吹き飛ばされそうなほどでオソロシイ。歩いている人はだれ一人なく、私たち二人だけで山を独り占め。花もいろいろ咲いているし、鳥の声も絶え間なく(ほとんど何の鳥かわからないのがカナシイ。へたっぴのウグイスくらいはわかるが…)ほぼ予定通り11時過ぎには頂上に着いたが霧と風で滞在は数分、早々に下りて風の当たらない根マガリ竹?に囲まれた道筋で、今日はお湯を貰っていったので暖かいリゾット(フリーズドライ)とお茶で一息。帰りは雨も止んだので新道分岐から古池という池のコース(起伏が多くてけっこうおもしろい)に入って3時半登山口まで下りる。帰りも古池から電話して宿の車で迎えてもらう、ラクラク登山。

↓林道(左・上)から登山道に入り、大きなシナノキを経て尾根(右・下)は大風
↓頂上(これはワタシ・帽子が飛ぶ!)、(中)下り始める。(下・右)こんな丸木橋も…
↓古池に・花も咲き乱れなんとも美しい景色(左・下)はズミの木と池の向こうの山

↓道にすごい倒木・そして下り下って・登山口で私たちを迎えてくれた車

黒姫山「花の写真集」はこのページ末に・・どうぞお楽しみください。




【5月の映画日記】(ページアップの6月2日まで載せてあります)

①再会長江②青春18×2 君へと続く道③エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命(RAPITO)④無名⑤悪は存在しない➅夜明けへの道⑦人間の境界(GREEN BODER)⑧ミセス・クルナスVSジョージ・W・ブッシュ⑨無名(2回目)⑩ラインゴールド⑪ミッシング⑫妖怪の孫⑬カラー・パープル⑭マリア怒りの娘⑮フォローイング⑯バティモン5 望まれざるもの⑰死刑台のメロディ サッコとバンゼッティ事件 4Kリマスター英語版⑱湖の女たち⑲中村地平⑳マンティコアー怪物ー㉑狼が羊に恋をするとき(南洋小羊牧場)㉒長春ーEternal Spring 
(以下6月)
①郷愁鉄路~台湾、こころの旅(南方、寂寞鐵道/ On The Train)②関心領域

中国語圏(に関係がある)映画 ①②④⑨⑲㉑㉒ 
日本映画 ②⑤⑪⑫⑱⑲ ドキュメンタリー①➅⑫⑲㉒
★は なるほど! ★★は いいね! ★★★は ぜひおススメ! のあくまでも個人的感想です。各映画最後の数字は今年になって劇場で見た映画の通し番号、文中映画などの赤字は『電影★逍遥』中に関連記述があるもので、クリックしていただければそこに飛べます。

①再会長江
監督:竹内亮 ナレーション:小島瑠璃子 2024中国 111分

監督の竹内は10年前にNHKで長江流域のドキュメンタリーを製作した。当時は中国語も話せなかったという彼は今や、中国人と結婚、妻子とともに南京に住み、インフルエンサーとして活躍しながら、中国の文化や社会について作品を作る映画監督になっているという。
その彼が10年前の番組で撮ることができず心残りだったという長江の源流地点にさかのぼりながら、その途上10年前にあった人々をはじめ、地元の人々の姿をとらえながら自ら旅をする姿を描くドキュメンタリー映画。
結論からいえば?10年前にはまだゴタゴタ感があった(私などが今まで見てきた長江流域を描いたドキュメンタリーや劇映画に出てくる長江や、実際に訪れた武漢=までしか行ったことがない=の長江の姿はまさにそれで、三峡ダム建設の中で生活を変えなくてはならない沿岸住民や、濁った大河という雰囲気、なんかこの先の変化への不安の中で落ち着かない人々の姿など)流域は今やすっかり整理され、かつての貧しい古い住居群は跡形もなくなり人々は整備され近代化された移転先の集合住宅に住み、環境整備も進んで水は澄み、美しい自然の中国、生き生きと生活を楽しむ人々という感じが画面から濃厚に漂ってくるーつまり作者の中国愛が示されている映像ということなんだろうなア。テレビドキュメンタリーに近い雰囲気でナレーションも、作者自身の画面の中での語りやインタヴューもとても丁寧というか説明をしっかりするのが、分かりやすいとも言えちょっとうるさいとも言え、とにかく作者が前面に出ている感じの映画だった。
それにしても10年前人見知りでヤギを抱いて観光客と写真を撮って稼いでいた(があまり稼げない)チベット族の少女が結婚し子どもを持ったうえに豪邸と言ってもいいホテルをたてて経営者になってしまっているというすごさ!一方で勉強して軍隊に入りたいと言っていた優秀な少女が結局出稼ぎをしていたり(こちらも結婚子どもはちゃんといる)、老いたバンバン(棒棒=重慶の要はポーター)の自分でこの仕事は終わりだろうという明るい諦念とか、モゾ族の女性の社会・時代に左右されない結婚観とか、習近平の独裁政権の中でもたくましく自らの位置を見定めている人々に驚嘆というか、さすが中国人!という感も強くした。(5月1日 シネマート新宿 125)

②青春18×2 君へと続く道
監督:藤井道人 出演:許光漢(グレッグ・シュー) 清原果耶 張孝全(ジョセフ・チャン) 黒木華 道枝駿佑 黒木瞳 陳妍霏 廖慧珍(ジェーン・リャオ)2024日本・台湾 123分 ジミー・ライ

大変すっきりと作られたロードムービー兼青春懐古もので、日本の松本〜新潟~奥只見の冬景色と、常夏の台南や九份(それも懐古的な18年前)をランタンでつないでみていて腑に落ちてくる光景。
人物の方は33歳?の許光漢ーこの人は『ひとつの太陽』㉗『僕と幽霊が家族になった件』③ではイケメンとはいえ、すこし素朴な青年感が勝っていたように思うが、この映画では18歳を演じてそのような素朴さも出しつつ36歳では知的だがやや線の細いというか繊細な青年ジミーとなっていて、なかなか。
清原果耶演じるアミは前半映画の流れから言っても、役者清原の今までのキャラクターから言っても少々不釣り合い感のあるはしゃぎように何なんだと思ったが、これがきちんと伏線になっていて後半で回収されていき、涙を誘う(残念ながら涙が出るほどではないが)という作りになっているのだった。
出張で日本にきたまま居ついて居酒屋の店主になっているという男が張孝全(すっかり中年の風情だなあ)、ネットカフェののちょっと軽めいい加減だけれど親切な店員が黒木華(他の映画と印象が違って一瞬悩んだが、こちらの方が本物に近いのかもね)など意外性?もありつつなかなかに豪華な配役でしっかり押さえている感じもある。台湾側では『ラブ・ゴーゴー』⑭の廖慧珍、『無聲』F➅の陳妍霏(主役の少女)などの主役級がアミが勤めるカラオケ屋の店員として出ている。エグゼクティブ・プロデューサーが張震、原作がジミー・ライの紀行エッセイなどの話題には事欠かない作りになっている。(5月5日 府中TOHOシネマズ 126)


③エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命(RAPITO)
監督:マルコ・ベロッキオ 出演:エネア・サラ レオナルド・マルテーゼ パオロ・ピエロポン ファウスト・ルッソ・アレシ バルバラ・ロンキ2024イタリア・フランス・ドイツ 134分

1858年、ボローニャのユダヤ人街に住む子だくさん一家の6歳の少年が突然に異端審問官の命を受けたという一行に踏み込まれ、ローマに連れ去られる。両親は息子を取り戻そうと必死になるが、少年はローマにつれていかれローマ法王直属?の寄宿学校でカソリックの教育を受け、修道士になってしまう、というこれは史実だそうで、カソリックの教会の専横というかー善意の横暴が描かれるわけだ。
少年が(夢の中で)夜中にこっそり十字架に打ち付けた手足の釘を引き抜くと、十字架から下りたキリストが静かに歩み去るという場面に、イエスさえもを(善意で)拘束するというキリスト教の性格がでていると見た。
このユダヤ人の少年は生後6か月病気になり死んで地獄に落ちることを心配した一家の女中がこっそり洗礼を施してしまった(映画ではそういうことはなかったと裁判での証言が描かれるが)ことにより、キリスト教徒を異教徒の元において堕落させてはならないと教会はこの少年を引き取り、むしろ親元に戻せと訴える両親が誘拐を企てているとされる。
そういう宗教の異常さも描くわけだが、特に1800年代後半のイタリア統一、それまで政治の世界でも権威をふるっていた教会の法が否定され市民国家が成立していく中で教会の行為は新法としては否定されるが、旧法に従って子どもを親から引き離した関係者は罪には問われないというような結果も描かれ、最初は母を求めて泣き叫んだ少年もむしろその有能な資質によってカソリック教徒として育てられて行ってしまう様子というのもウーン。
学校の中で病で死んだ少年のカソリックの告別式で、母親がこっそり少年の亡骸にユダヤ教の教具?を握らせるとか、最後に母の死に立ち会って母に洗礼をしようとすると母はユダヤ人として死んでいくと拒否し、エドガルドも悲嘆にくれる場面とかーそれでも彼はこの後もキリスト教の宣教師としてベルギーなどで布教したというテロップが出るーなんかみんながみんな宗教というかこの場合はローマ法王だが、彼とてイタリア統一の中では苦しみも背負うわけでーその苦しみの中でそれでも信じて生きていく姿?を描いているようだ。
19世紀イタリアのファッション、街並みそういったものは極めて絵画的というか様式的だがきれいな画面に作られていて心に残る。また市民の抬頭に教会側が逃げ惑うシーン何度もリアルというよりはむしろダンス的演出、またエドガルドの一家の双子の姉妹が中年近い母の臨終の床でも双子らしいおそろいの衣装を着ているところなどもリアルよりは様式や当時の雰囲気の表出に力を入れているみたいで、それがこの深刻な映画のエンターテイメント性を支えているということか…。(5月6日 新宿シネマカリテ 127)

④無名
監督:程耳 出演:梁朝偉 王一博 周迅 黄磊 森博之 大鵬 エリック・ワン チャン・ジンイー 2023中国 131分 ★★

先月末見た『ワンス・アポン・ア・タイムイン上海』⑬の程耳監督作品。まさにらしい…一場面一場面スタイリッシュで、1930年代末~40年代のクラシック上海を彷彿とさせる景色、そこに登場する人物らの男も女も正統派伝統的ファッション。トニー・レオンの服装設計は張淑平とエンドロールに出ていたが、若い王一博のスーツ姿もさすがに、満身創痍状況でも美しく決まり、女性たちのチャイナドレスもしかり、人の動きも様式美というか絵のように決まった場面を見るだけで映画見物の?あるいは当時の上海風俗に浸る喜びを感じる。王一博のスーツのズボンの幅が現代風でなくちょっとワイドな旧式?なのもすみずみまで行届いた考証がされているらしく、感心した。
日本兵の残逆な井戸の場面さえも描き方は絵画みたいでハンパではない。その残虐シーンを見つめるヤギの切り取った映像とか…。
この映画、主役の二人がともに汪兆銘の南京政府に属するスパイとして日本の軍人と親しいコンタクトをとるという言って見れば漢奸として登場する。もちろん映画としてそんなわけではないだろうとは思いつつも???ここでは二人はしっかり漢奸でなくてはならないし、実際そう演じているが字幕は「反逆者」となっていて「漢奸」では若い人などわからないかもしれないが、せめて「売国奴」くらいにはしないと、あとの実は…というひっくり返しが全然生きてこないようなぼやけた感じになってしまうのではないかと思われる。
で、話は冒頭のトニー・レオンの屈託ありげに座るロッカールーム?のシーン、周迅がカフェで「すでに出て行った」男にお茶をおごられるシーン、などなど、時も意味も不明な断片断片に挟んで、日本軍とコンタクトを取りつつの二人の主役の諜報活動が描かれつつ、何人もの登場人物が死に(前作よりも女性は「活躍」するが3人中2人は無残にも劇中で死に、周迅だけが生き残る)戦後を迎えて…という栄枯盛衰史を描き、その過程で漢奸かと思われた二人が実は共産党にも属する二重スパイであったという大ネタばらし(中国映画としては予想の展開だが)へと突入、それまでの断片が伏線的に意味を持って観客の前に立ち現れる作劇にうなってしまうばかり。ただ、そう理解すると呼び物である二人のスタントなしで行われたという死をかけたような大乱闘(トニー・レオンはトム・クルーズと同年だそうで、そう考えると60過ぎてもこの身体能力に脱帽しつつ不思議ではないのかも)、これはとにかくものすごい激しさで見せ場であるのは確かだが、え、なぜこの二人はそんな死闘をしなくてはならないの?さらに終戦後(中国から言えば光復後、手錠をかけられ日本軍人とともに連行される元部下にトニーはなぜにあんな風に車に飛び乗ってまでののしり襲おうとするのかが全然わからない。
日本人(日本兵)の描き方は中国映画にしては割合残虐度も穏やかで「バカやろ・バカやろ」というお決まりのセリフもないし、日本の軍歌とか芸者の踊りとかもちょっと違和感はあるものの「フツウ」に描かれていて、このあたりは大国中国の余裕?の現れか、多少の洗練?かとも思われる。前作の葛優や浅野忠信はみるからに裏がありそうな胡散臭げな面持ちだったが、今作は王一博はもちろんトニー・レオンもやや老いは感じさせるものの正統派というかあまり裏を感じさせない明るいイケメンなので、映画もそういううさん臭さは免れているかなと楽しめた。最後の戦後香港のパートは物語の締めとして短いが情感を込めた香港映画っぽさも味わえて印象に残った。(5月6日 シネマート新宿128)

⑤悪は存在しない
監督:濱口竜介 出演:大美賀均 西川玲 小坂竜士 渋谷采郁 2023日本106分

最近の日本映画としては106分はコンパクトなほうで、物語展開もある意味では単純なのだが、自然描写(下から頭上を見上げたような樹木の長回しが繰り返しとその中で歩いたり生活する例えば親子での森の散歩シーンとか薪割シーンとか)する人々の長回し撮影などにもよるのか、大作感がある。
森に隣接した長野県の村で「便利屋」として暮らす父(巧)と小学生の娘(花)。その村にコロナ禍で、補助金を期待して「グランピング場」を作ろうとある芸能プロダクションが進出してくる。説明会が開かれ(あたかもドキュメンタリーみたい)浄水施設や、管理人の常駐などずさんな計画をつく村の人々の発言にことばも返せない会社の担当者髙橋(男性先輩)と黛(若い女性。ただしこちらの方が説明会の進行を答えることも含めリードしている)。社長やコンサルタント会社も同道し再度疑問に答え解決の道をはかれという村人に二人の担当者はことばもなく引き下がるが、当然というか会社の方ではそのような意見を受け容れるわけもなく二人は板挟みになる。
面白いなと思ったのはこの二人の社員の造形で、題名とも関連するのだろうが、最初の場面では特に髙橋などは不誠実な感じで村人に敵対するのだが、実際はそうでもなくて自らを振り返り、この村に移住して自分が管理人なり、村人の意にもこたえられるような施設を作ろうかと悩み、巧とともに村の生活を知ろうとするような誠実さ?をみせたりするわけで、いい加減な会社の手先ではあっても悪役とはしていない。
そんなふうにして村で過ごす二人だが、その日、巧の娘が学童の帰り(ここは嘘っぽいなア。いくら田舎とはいえ、父が学童に娘を迎えに来ているのに、担当者が娘は先に帰ったと軽く言うのって、現代のシステムから言えば考えられない気がする)行方不明になり…。
自然はある意味幻想的に書かれるが、そこまでの人間生活は意外に等身大のリアルさを持っている。が、ここでは突然に幻想とも現実ともわかりにくい物語の終結のドラマティクに飛んで我々はケムにまかれる。それでもナルホドかもと思わせてしまう力がこの映画にはあるように思われる。80回ベネチア映画祭で銀獅子賞(=審査委員長賞)をとった、まあ、玄人好みの一作ではある。音楽は『ドライブ・マイ・カー』⑬(濱口2021)に引き続き石橋英子で、この映画はもともとは彼女のミュージックビデオとしての企画から始まったとのこと。でも、音楽性よりはビジュアルのほうが際立っているように私には感じられた。(5月7日 渋谷文化村ルシネマ129)

➅夜明けへの道
監督:コ・パウ 出演:コ・パウ 2023ミャンマー(ミャンマー語) 101分

出だしはスマホ映像で、コ・パウと息子たちのユーモラスな日常(コロナ禍下での制作)とかそういう楽しい雰囲気で始まる。
2021年2月1日の国軍クーデター発生、デモ活動に参加したというだけで多くの無辜の市民が虐殺というに近い殺され方をしたわけだが、その中で「アーティストとして声をあげる」と抗議デモを組織したことにより指名手配された作者は、妻子と離れ、民主化地域(解放区)に身を投じる。潜伏中からその過程、解放区で食事を作ったり、武装した青年たちを鼓舞するとか、PCに向かって発信する姿とかが自身の9割以上をアイフォンで撮ったという撮影によって描かれていく。
ミャンマー(ビルマ)という国のある特殊性というか、軍政が長く続き、一時民主化の流れはあったものの結局軍がの権限を大きく認めるような法改正の元に行われた選挙の過程などもあるのだろうか、21年2月当初、市民たちが丸腰で抗議し武力で鎮圧されたあと、解放区では反政府側も武装蜂起し(同じく武装している少数民族軍と協力して)国軍に立ち向かおうとするーつまり一種泥沼の内戦化していく。
追い詰められてとはいえ、コ・パウ自身もそれを支持しているわけで(まあウクライナもロシアに武力で立ち向かっているわけだから当たり前と言えばそうなのかもしれないが)そのあたり、俳優としてコメディも演じた(家族映画などまさにコメディカルに撮られてもいる)彼の軽妙さとは裏腹な殺伐とした戦争への道というものも感じられて少し悩ましい。もっともこれは彼自身の悩みでもあるのだろう。映画の中で家族映画の中で幼い息子が「スーチー母さん(信頼されているのだ)を助けて自分も戦う」という場面で彼が一瞬絶句するというような場面がある。
それにしても軍事政権をしいて反発する国民やインフラ(とはいっても彼らこそが国の経済基盤でもあり、インフラだって国の財産であるはずだが)を破壊することにより権力を保つことにどういう意味があるのか、国破れて山河ありというが山河もないただの荒れ地を支配しようという意味がわからない。
朝10時の上映会観客は多くはなかったが、上映後ミャンマー・カレー研究家であるという保芦ヒロスケ氏に、ジャーナリスト北角裕樹氏のトークつき。保芦氏は「週刊金曜日」4月19日号で、コ・パウ氏へのオンライン取材に基づきこの映画の紹介をしている。実はそれを読んでこの映画を見に行った。(5月8日 新宿K’Sシネマ 130) 
主張を込めたミャンマー通の二人のトーク

⑦人間の境界(GREEN BODER)
監督:アグニエシュカ・ホランド 出演:ジャラル・アルタヴィル マヤ・オスタフェシュカ 2023ポーランド・フランス・チェコ・ベルギー(ポーランド語・英語・フランス語・アラビア語)152分ビスタ・モノクロ

2021年2月、ベラルーシ政府はEUに混乱を引き起こす目的で、大勢の難民をポーランド国境に移送する。しかしポーランド政府はこの難民を受け容れず、国境付近の森では両国に排除されて行き場を失った難民たちが凍死するなど苦難を強いられた。
映画はこの事件を、ポーランド経由でスェーデンに移住できると手立てして国を出てきた、幼い子供たちを含む難民家族のから描き起こし、彼らを取り締まるポーランド国境警備隊の間もなく父親になろうとする青年や、国境付近に居を構える精神科医の女性が難民を助ける活動に参加していく様子など複数の視点からこの事件を描く。
難民家族の少年が森の湿地帯で溺れ死に、助けようとして助けられなかった精神科医が活動に参加していくという行動、その中で助けられた黒人青年の仲間と彼らをかくまった家族の息子のラップ交流とかのような見せ場というか心が和むようなシーンもあり、娘の出産間近な妻を持つ警備隊の青年の思い切った決断をひそかに描くというような冒険もみせて、ある種の人間への希望を描き出すが、やはりこの映画の結末はハッピーエンドというわけにはいかず、観客への問いかけになっている。
ヨーロッパ国境付近の難民を描くということからたくさんの言語が飛びかう映画になっているが、字幕等に特別の配慮はなく、知らない言葉は想像で聞くしかないけれど、ことばの差異がわかればさらに理解の度が進む映画かなと思われた。全編モノクロで押さえた映像ながら奥深さが感じられる美しさでもある。この映画公開時ポーランドでは批判も巻き起こり、政府は上映に際して政府の立場からの説明というかPR映画の同時上映を各地の映画館に求めたそうだが、映画館のほとんどはそれを受け容れなかったとのこと。そしてヴェネチアでは審査員特別賞をとったとのことで、そういう意味でも必見の話題作ではある。(5月11日 キノシネマ立川 131)

⑧ミセス・クルナスVSジョージ・W・ブッシュ
監督:アンドレアス・ドレ―ゼン 出演:メルテム・カプタン アレクサンダー・シェアー 2022独・仏 119分

2001年アメリカ同時多発テロの一月後、ブレーメンに住むトルコ人クルナス家の長男ムラートが弟にパキスタンに行くと言いおいて突然姿を消す。焦る母ラビエ。ムラートはパキスタンでタリバンではないかという嫌疑をかけられ米軍につかまったらしい。ラビエは息子を取り返そうと奔走するが警察も行政も動かない。電話帳でやっと見つけた人権派弁護士ベルンハルトをアポイントもなくたずね助けを請うラビエ。やがて息子は悪名高きグアンタナモの収容所にいるらしいと分かり、ラビエはベルンハルトとともにアメリカへ。時の大統領ブッシュを相手に訴訟を起こすことにする。というわけでVSブッシュということになるわけだが、実際にはもちろんブッシュが出てくるわけではない。
実話ベースで製作者側は息子ムラート・クルナス本人の手記(著書)をもとに映画化しようとしたがそのあまりに悲惨な内容に二の足を踏んで、母側の視点からの物語にしたと宣伝チラシにはある。ということで内容的には弁護士と依頼人の共同しての問題解決映画という感じでそれほどにドラマティックに物語が動くというわけではない(最後に息子が解放されて帰ってくるところも、映画としてはわりと唐突な感じで??)。むしろこの猪突猛進的に息子の解放を求めて動き回る「肝っ玉母さん」のキャラクターと圧倒されながらマジメに献身するやせっぽちの弁護士の共感映画みたいな感じではある。
トルコ人一家でなぜか息子が市民権を持っていなかったり、また、何ゆえタリバンと間違えられなければならなかったのかあたりは突き詰めていけば深刻な移民問題もはらんでいそうなのだが、そういうところは全部すっ飛ばして「かあさんの感動娯楽ドラマ」としている。息子に関して言えば見かけも行動もなんか全然共感できない感じなのだが…。
エンドロールにでてくるほんもののクルナス一家と弁護士がビジュアル的には出演者のそっくりで、そっちに重点があるのか…とも思われた。それにしてもその見かけとが最もほんものと映画とで乖離している父親役はなんか映画の中では全然影が薄いのはどうなんだろ??(5月14日 キノシネマ立川 132)

⑨無名(2回目)

王一博の「美」にしびれてしまった?こともあり、1回目でよくわからなかったところを解決したいと、ちょうど時間がうまく合った立川で、珍しく同月中2回目鑑賞。なるほどなるほど!でネタバレ解決編、スミマセン。ご覧になっていない方、興味のない方は飛ばしてほしいという趣味的記述でございます!

・日本軍諜報部の渡部の下で働く唐部長(大鵬)は主任(梁朝偉)の従弟。渡部によれば「風見鶏の末路は明るくない」といわれる風見鶏。最後に失踪したことが新聞に報じられる。
・主任は共産党工作員であることに疲れて王兆銘派に寝返ろうとする男(黄磊)を尋問後殺す。殺す場面はないがワイシャツの袖についた血痕を執拗にこするシーンあり。あとのほう、血で汚れた上着の裾をぬぐう叶(王一博)も。このような「象徴」的映像たっぷり。
・女スパイとの攻防は叶ではなく主任のほう。「日本人要人名簿」を彼は女スパイから手に入れるがこれってどう利用した?大鵬(部長)に知られたのかな?
なお、女スパイの銃殺シーンはなく、「助けてくれてありがとう」という3年後?のセリフもあることから、この名簿と引き換えに主任は女スパイを助けたようだ。彼女は最後の場面真っ赤な衣装に。これは共産党のメタファーだそう。
・日本兵たちのタンクトップ型シャツの背中の日の丸(ウーン)。その中に「おれがだれに似てるかわかるか」とふざける丸い眼鏡の男がいる。このあと彼らが殺されたシーンの後に入る日本語ラジオ放送の声が「〇〇公爵が戦死された」と言っていたような…とすると実物?その後に同じかどうかわからないがメガネをかけた写真の公爵の葬儀があって主任が参列している場面あり。こういうつながりか…
・日本兵が井戸で現地人を虐殺するシーン後のヤギ、広州空襲の場面での片足の犬の名演技。タイトルバックには犬の名もクレジットされていた。ただし日本「空軍」(はない)が重慶攻撃に出る日本の飛行機にルーズベルトという名の犬がペットとして乗っているというのはあまりに嘘くさいのでは。しかも後の日本兵シーンで「兄は重慶攻撃に犬を連れて出たパイロットだった」という兵隊が出てくるのも…。
・主任と叶の決闘前のシーンで主任は唐部長の策略にひっかかって、彼はもう捕まるみたいなことを言われている。ここで渡部は唐に「風見鶏の末路云々」というセリフを言う。このときすでに主任も自身が従弟によって売られたことを知っている。「自分を叩けば、おまえはスパイであることはばれない。あくまでも周りを欺いて見破られないように」と叶にいうシーン。時系列的にはその後決闘。叶は見破られないために、主任も叶を見破らせないために死闘をあえて繰り広げた?(ネットに二人は目配せをしていると書いたものあり。深読みし過ぎではとも思えるが)ウーン、しかし互いにわかっていてあんな死闘できるものか?叶が本当に死んでしまったら、主任はどうしたんだろう(1回目には結局そこがわからなかったんだな)
・渡部が、日本は負けても満州国の安泰だといい、「腹心」の叶を満洲につれていくと言う。このとき渡部が見せた「関東軍配置図」を、叶は、共産党組織の方に流す。そのことを、最後に「国に帰って農夫になる」とほざく渡部に突きつけ、この配置図をみせたことが満洲の崩壊につながったのだと言って彼を殺す。「農夫になる」ということは許さないという思想もある??このシーンのために叶は最後の最後まで渡部の味方のふりをしたわけだ。
・決闘に行く前の鏡の前の叶の身じまいは『欲望の翼』のトニー・レオンの身じまいを思い出させられる。
・最初の題字、文字、タイトルバックもまるで王家衛映画彷彿。最後タイトルバックのこの文字とともに流れるリズムを刻む音楽は、まるで『東邪西毒』そういえば「ワンス・アポンア・タイム・イン上海』のラスト、フィリピンシーンは『戦場のメリークリスマス』を思わせないでもなかった。
・王一博 きわめて優雅、海老の踊り食いなんかも品よくこなす。しかし箸の持ち方は下手。海老を箸から落とすシーンもあながち演技とも思えない。
・叶が「おれも共産党員だ」と明かし、婚約者を殺した同僚を撃つのは最後の「無名」の文字幕のあと。
・主任の背後にも叶の背後にも共産党がいるのは確かなのだが、この映画では姿を見せることなく、国民党と南京政府(汪兆銘政府)とが前面に出て対立する構図のなかで、満州を死守したいと考える日本が絡んでいくという感じか。(5月14日 立川シネマワン )

⑩ラインゴールド
監督:ファティ・アキン 出演:エミリオ・サクラヤ モナ・ピルザタ ガルド・ラザーティ 2022ドイツ・オランダ・モロッコ・メキシコ 140分

イスラム革命により迫害された音楽家の両親のもとに生まれて、最初の記憶は刑務所内、というところから、ドイツへの亡命、ピアノを弾き始め、両親の離婚、ヒップホップへの興味、ストリートでのし上がるためにボクシングを習い、音楽の楽しさを知っても行くが、犯罪(麻薬密売)にも手を染め、音楽マネジメントを学ぶために稼ごうと関係を持ったのが闇組織。8年の禁固刑に問われた刑務所内で看守の目を盗んでレコーディング、アルバムを獄中から売り出し、知られるようになる。
驚くようなこの半生が、まさに淡淡と描かれていく感じで、ウーン、テレビドキュメンタリーを見ているような感じか…。ファティ・アキン監督作品という期待からはちょっとはずれたという感じ。もっとも刑務所内が最初の記憶というクルド人の少年が主人公で、彼がする金塊強盗はのシーンはちょっと手に汗握るアクション仕立てでもあり、という意味では見どころはしっかり用意されているのではあるが。
少年期の可愛らしい育ちのよさそうなアラブ系(クルド人)の少年と、「カタ―」になったスキンヘッドの青年期のギャップがあまりにすごくてちょっとついていけない感じも…(5月15日 川崎市アートセンター アルテリオ映像館 133)·

⑪ミッシング
監督:吉田恵輔 出演:石原さとみ 青木崇高 中村倫也 森優作 2024日本 119分

8歳の娘が失踪して3ヶ月、街頭でビラを配り捜索への協力を呼び掛ける両親。石原さとみが髪を振り乱し化粧もほとんどなく、トレーナーにパンツというようなスタイルでの、言って見れば汚れ役の狂乱で話題となっている。
それもなのだがこの映画は、むしろそこに取材に来る地元TV局のクルー、その記者の、両親と局の報道方針ースキャンダル的に妻の弟(行方不明になった姪と最後まで一緒にいた)の行動の不審を暴くようなーとの板挟みになり、後輩記者に政治がらみのより魅力的なテーマによるスクープを奪われ(これって東海テレビがモデルか…)苦悩する姿を中村倫也が「マジメなフツウの青年」の面持ちで演じるのも印象的。
そして母親が娘の失踪当日人気アイドルグループのライブに行っていたということで育児放棄的にパッシングするSNS、また娘を探すためにはTVにどんな協力でも惜しまないという母親(姉)の意向で無理やりにTVに出演させられ、当日の人に秘したかった行動までも暴かれて狂っていく弟ー実はこの弟も姪の失踪に責任を感じ姪を失って苦しんでいるが姉にはそれが理解されないーまた、妻の苦しみの温度差があるとされ自身も苦しみながら妻を支えようとするも妻になかなか理解されない夫まで、主な登場人物はみな抜け出せない苦しみの中でもがくという姿で、なかなかに見るのがしんどい状況が続いていく映画ではある。
事件そのものは解決される方向ではなく、2年以上の年月を経て人々がどのようにその苦しみを乗り越え(乗り越えられないが)解消し(解消できないが)折り合っていくのかが描かれる。出演者たちの狂乱は実は街の中での他人のこぜりあいや、逆に無関心、別の子供の失踪事件などと同じ場面の裏表のように描かれこの悲しみが極めて特異なもののようでありながら、たくさんの中の一つであるという作者の現代社会観のようなものも見え隠れする。ま、こういうふうに終わっていくしかないんだろうなあというなかなかに疲れる(見ごたえのある)2時間ではある。音楽は世武裕子。(5月20日 TOHOシネマズ府中 134)

⑫妖怪の孫
監督:内山雄人 ナレーション:古舘寛治 2023日本 115分

「今問われるべき負のレガシー」映像を追加し、緊急リバイバル上映をするとことになったというこの映画。妖怪は安倍晋三の祖父岸信介でもあり、我々のうちにも巣くっているものではないかという問いかけもユーモラスなアニメ?映像ではありながらもなかなかに厳しい。安倍政権中は顔見ると権力振り回す腕白大将ーを見るようにムカムカしたなアという感覚を改めて思い出す。その点から行くと次の菅は小物ながらうまく立ち回るという感じだったし、現首相の岸田は先生のお気に入りながらこずるい学級委員長という感じで、ウーン、そのあたりあれほどに毀誉褒貶ありつつ長期政権(しかも病気でやめるなどと結構ワガママを押し通す)を維持したというか維持させた日本のムード社会?こそがよろしくないという思いもまたまたに。
それにしても安倍晋三の父安倍晋太郎は「自分は岸信介の娘婿ではなく安倍寛の息子である」と言っていたそう。安倍寛はリベラルで知られた政治家で、大政翼賛会に反対する立場で国会議員になった、岸信介とは正反対の政治的立場を有した人だ。安倍晋三はまさに「岸の孫」であるわけだが、では晋太郎はなぜ岸信介の娘と結婚したのか。ー同じ山口県出身ということはあるーそして幼時の晋三(この人次男なのに「三」なんだね)が選挙区に帰ったきりで自らを省みなかったとして母を憎んでいたというのもなんかなあ、どろどろした家庭生活の不和が厚顔無恥な人格をつくったのかなあ。などと、いろいろ考えさせられる。(5月21日 下高井戸シネマ135)

⑬カラー・パープル
監督:ブリッツ・バザウーレ 出演:ファンティジア・バリーノ タラジ・P・ヘンソン ダニエル・ブルックス コールマン・ドミンゴ ハリー・ベイリー フィリシア・パール・エムパーシ アンジャーニュ・エリス=テイラー 2023米143分

1985年のスピルバークの名作『カラー・パープル』のミュージカル版。セリー役、ソフィア役はブロードウェイ版でも同役を演じた人だそうで、迫力、歌声ともにさすがではある。また制作陣にはスピルバークはじめ、オリジナル版の出演者や音楽担当が名を連ねているとのことで、力の入った作品であることはわかるが…。
しかしこの物語をミュージカルで映画化する意味は今一つ分からない。役者たちの迫力、声量、特にセリーを取り囲み、彼女自身を変えていく女たちの魅力を効果的ーあまり理屈っぽくはなくーにアピールしていく意味はあったかもしれないが、物語はミュージカルと言いながら、特に男たちの暴力依存とか、ソフィアの投獄とか、ミスターの改心?とかのいわば見せ場はあまり楽曲に頼らないのである。ミュージカルとして作られた囚人たちの工事の踊りとか、洗濯する女たちのいかにもダンスっぽいシーンとそういうリアルシーンの混合具合もなんか落ち着かない感じ。画面は自然光を取り入れてとろうとしたのか、明るい日差しの場面では常に右端に白っぽい光が入って画面もあせた感じになりなんか見心地がよくない。あと、やっぱりこれでもかこれでもかと女に暴力的な黒人男とと、そこをすり抜けたり立ち向かったりしつつもなかなかに傷つけられることから抜け出せない女たちの140分というのは長くて疲れるかなあ。(5月21日 下高井戸シネマ136)

⑭マリア怒りの娘
監督:ローラ・バウマイスター 出演:アラ・アレハンドラ・メダル バージニア・セビりア カルロス・グティエレス ノエ・エルナ
ンデス 2022 二カラグア・メキシコ・オランダ・ドイツ・フランス・ノルウェー・スペイン 91分 ★★

こちらも⑬と同じく自然光で撮られたゴミ捨て場、白ちゃけた光や、ほこりっぽさの霞とか、リアリティが感じられるような映像である。ニカラグアの首都・マナグアに実在する巨大なゴミ捨て場でゴミを拾って暮らす子どもたち、その中の一人マリアとその母のゴミと隣り合った貧しい暮らしの描写がけっこう延々と続くのが出だし。
マリアの母リリベスは犬を育てて売ってるが、ある日マリアがゴミの中から拾ってきた食べ物を食べた犬たちが死んでしまい、借金を抱えたまま収入を失ってしまう。リリベスはマリアをリサイクル場(ここでも孤児たちが鉄くずなどのゴミを磨きながら大勢養われているが、厳しい社会状況で子どもの不法就労として警察の手が伸びている)に無理やり預けていなくなってしまう。
映画はその前もその後も自身の思うようには生きられず大人の都合で生きる場所を見つけ出さざるを得ないマリアの日常を淡々と描く。母が戻らないのでマリアは荒れるが、リサイクル場で養われる水銀中毒という少年ダテオの世話を受け、彼とのケンカの場面ではリサイクル場の女主人が子どもたち二人の口の中に小鳥がいるのを逃がし飛び立たせるという面白いやり方でなだめケンカを収めるシーンがとても印象的で、この社会の中で見捨てられたようなというかにもかかわらず違法組織として警察にも目をつけられているような場での一種の精神教育のありようの妙を見た気がする。
この映画は現実のつらい状況の中で少女がたびたび夢とも現実ともつかぬ狭間でみる幻想が少女を救い解放していくようすが繊細にえがかれている。母を求めてマリアはダテオの手を借りて脱出、ポリタンクを浮きにして川を渡りバスに乗り母がいるかもしれない(そこはダテオの父母が死んだ場所でもあるとしてダテオはいっしょに行こうとはしないのだが)農園に行くが、未成年は入れないと閉め出されて夜の森を歩く…そして…ここでも幻想が解放につながっていくのだが、考えようによっては幻想しか彼女を救うものはないという厳しい社会のありようを描いているということになるのだろうか。そのあたりも主張を声高にはしないが微妙な描き方で、ウーン、考えさせられる描き方だ。社会情勢きびしく貧困のニカラグアでは映画製作そのものが少ないとかで、この映画もメキシコに留学したという若い女性監督のデヴュー作として話題になった多国参加作品だ。(5月22日 川崎市アートセンター アルテリオ映像館 137)

⑮フォローイング
監督:クリストファー・ノーラン 出演:ジェレミー・セオポルド アレックス・ハウ ルーシー・ラッセル ジョン・ノーラン 1998英 25周年HDレストア版 モノクロ70分

街で見かけた人を尾行することにはまってしまった作家志望の男が、尾行した相手にいわば反撃され陥れられて、男の殺人の罪をそれとは知らないうちに着せられてしまうという、まあ簡単に言えばそういうあほみたいな話なんだけれど、さすがのクリストファー・ノーランで入れ違い、行違う時間を主人公の服装とか、顔の傷で時間の前後を暗示するのは『メメント』⑦(2000)と同じだし、そこに主人公の部屋への空き巣事件なども絡めて見るものを幻惑・困惑させていく仕組みはすでにこのデヴュー作でも完成されているという感じ。それを楽しめるかどうかが今この映画を見る意味になるんだろうなあ…(5月22日川崎市アートセンター アルテリオ映像館 138)

⑯バティモン5 望まれざるもの
監督:ラジ・リ 出演:アンタ・ディアウ アレクシス・マネンティ アリストート・ルインドゥラ スティーブ・ティアンチュー
2023フランス・ベルギー(仏語・英語・アラビア語) 105分 ★★★

老朽化した古い建物が一瞬で破壊され、その巻き上げる砂埃が見ている人々を襲う。そのなかで破壊を指揮した市長が倒れ心臓発作?で亡くなる。もう一つ出だしで印象的なのは、古い高層アパートの上階でなくなった母の葬儀をするヒロイ、アビー。母の棺は狭い階段を何人かに担がれ今にも落ちそうな危うさで下ろされていく。見守る人々の一人が「ここは生きるにも死ぬにも適した場所ではない」と象徴的な発言。
さて死んだ市長の後任には黒人の副市長ではなく、小児科医の保守派議員ピエールが選ばれる。わりと清廉イメージで、市民のために引き受けざるを得ないという感じで妻と悩む風のピエールだが、彼の「市民のため」は町の一角の老朽化した集合住宅バティモン5を取り壊し再開発をするというもので、住人たちを立ち退かせることに彼は情熱を注ぐわけでもある。
バティモン5の一角で食堂を開く移民一家、そこには副市長も食べにくるーこの副市長最初はかなりこわもてという感じに描かれるが、なんかピエールとは立場逆転していきつつ移住民のためにも働ききれないという感じ。そして一方移民のための相談員をしているアビー、彼女と親しいブラズらが描か市民側と行政側が対立するが、クリスマス前に起こった食堂の火事から、市側はこの集合住宅は危険だとし予告もなしに5分以内に立ち退けと排除の警官隊を送り込む。ここから暴動がおこり、ブラズはクリスマスイブを楽しむ市長の家に乗り込む…テロ的行動に走るブラズと、見守り止めつつ自らの地道な活動をしていくアビーに、この映画の希望を作者は見出しているというが、それにしても迂遠で絶望的な感じも…
(5月24日 新宿武蔵野館 138)

⑰死刑台のメロディ サッコとバンゼッティ事件 4Kリマスター英語版
監督:ジュリアーノ・モンタルド 出演:ジャン・マリア・ポロンテ リカルド・クッチョーラ シリル・クサック 1971イタリア(英語・イタリア語)125分 ★★★

日本初公開は1972年5月とか。そのころ見て、特にジョーン・バエズの歌う最後の「ニックとバート」への呼びかけのある歌などとともに強烈に耳目に焼き付いていた作品。音楽のエンリオ・モリコーネ特集としてのリマスター上映というので、昔のイメージが壊れなければいいのだけれどと恐る恐る見る。夕方の1本上映で観客は平日とはいえ残念ながら?4~5人。
冤罪死刑事件を描いた作品としては先月見た『正義の行方』⑤(2024木寺一孝)などもそうで、この映画でも「正義」のありようが論じられるが、こちらの冤罪事件は、犯人とされた二人がイタリア移民のアナーキスト(映画の英語では「ラディカル」としか言っていない。出てくる二人は靴職人と魚屋で、単に自身の生活のため労働組合、社会運動をしているというだけで、実際に社会主義者でも共産主義者でもないと映画内でバンゼッティは言っている)で、護身のために銃をもってビラ配り?をしたという、そのアナキストとしての立場が裁かれるようなーもう判事も検事も最初からそこしか追及しない感じである。現代社会ではイスラム教徒であることとか、最近ではハマスとか、逆の立場のイスラエルとか、ロシア人とか、政治的・宗教立場や民族によって迫害を受ける庶民は多いし、移民問題も全く解決されていないわけで、そういう視点で50年前のこの映画を見、舞台となった1920年代を思ってもあまり事態が変わらない恐ろしさというのはあるように思い悩ましい。
サッコとバンゼッティはまったく違った性格造型、意見の出し方も違うがその違いも映画の中でよく生かされている描き方だった。サッコを演じたリカルド・クッチョーラはこの映画でカンヌ主演男優賞を獲ったという。確かに50年強く印象に残った役者・演技だった。
(5月24日 新宿武蔵野館 139)

⑱湖の女たち
監督:大森立嗣 出演:福士蒼汰 松本まりか 福地桃子 財前直見 三田佳子 浅野忠信 2024日本 141分

原作は吉田修一。未読だが、裏切られることはないだろうと思い、レイトショー(府中では公開からあっというまにレイトショー1本の上映になってしまった)を見に行くも、ウーン、小説として読めばもう少し違うのかも知れないが、映画として見ただけでは回収されない問題がバラバラとばらまかれて終わってしまうという感じで、要は福士蒼汰と松本まりかの変態的濡れ場(ベッドシーンはない)松本のヌードと、福士のえげつない行為とセリフ(きわめて女に対して暴力的)で進んでいく男女関係?は、なぜそうなるのかよくわからないし、見ていて気持ちよくないし(吉田修一自身は「美しい」と言ったらしいが、作者のマッチョ的性向がなんかなあとも思えてしまう)し、きわめて感覚的な描き方で省略もされている(出会いや、男の心情など)ので、全く共感が抱けない。
施設もみじ園で殺された100歳の老人は731部隊の生き残りであり、そこで老人の妻が目撃したある事件が現代にまで尾を引いていることが示唆されるが、事件の犯人の意図は実はそれとは全然関係がないらしいし、そこに事件の犯人とされた介護士への不当な事情聴取(介護士役の財前直見がさすがにうまい)を絡めてしかし、すべての事件が有機的につながるというようなことはないので、ものすごく長く感じられる140分余り。
若い記者池田(福地桃子)だけが頑張るが、彼女の未来も伊佐美(浅野忠信)みたいになるのだろうと終わりの一瞬前まで暗い予想をさせながら伊佐美ともどもそれを裏切るところが一瞬の映画的面白さかも。音楽はこれも世武裕子。全編関西弁で、それが効果をあげている(標準語でやられたら嘘っぽさが増しそう)が、それが逆に関西弁への偏見を生みそうな品のない感じになっているのも気になるところだ。(5月25日 TOHOシネマズ府中 140)

⑲中村地平
監督:小松孝英 2024日本 80分?

台湾通の友人らから情報をもらい無料上映会。小さな会場だがぎっしりの人に、スクリーンは3枚。上映後には、思い入れたっぷりのトーク司会がいささかうっとおしいのではあるが、監督や、中村地平の次女という方(調布に在住とか)も登壇され中村愛というか台湾愛?というかに満ちた映画会だった。
映画のはじめに統治時代の建物が、同じアングルで残っている現在の建物が映され(紅楼劇院とか、建て直されているものもそれらしく重ね合わせてみられるように)いかにも懐かしい台湾という感じ。
中村という人は台北高等学校にまなび、南方文学の旗手だったというが、帰国後はむしろ出身地宮崎の新聞社や図書館などに勤めて文化貢献をした人だとのこと。したがって彼に関する文学的な面での研究は日本よりむしろ台湾の方が盛んなようで、若い研究者が作家中村について語るのはありがたくも?興味深くもあった。まあ、作品を読んでもいない立場としては、そうなんだ…とビックリするしかないのではあるが。
(5月25日 台北駐日経済文化代表処台湾文化センター上映会 140)
登壇された小松監督(右)と中村さん

⑳マンティコアー怪物ー
監督:カルロス・ベルムト 出演:ナチョ・サンチェス ゾーイ・スティン アルバロ・サンス・ロドリゲス 2022スペイン・エストニア 116分

2016年3月日本公開、私は5月に同じアルテリオ映像館で見た、同じ監督の第1作は『マジカル・ガール』は複数の人物の絡まり合いが緊張感を醸し出すような面白さのある映画だったと記憶しているが、今回は人間関係としては主人公のゲームクリエーターと彼に近づく美術史専攻?の女性の関係に収斂している感じで、主人公フリアンが興味持ち近づく少年(つまり彼の小児性愛が秘すべき一つの「怪物」性ということになる?)もわりと客観的というか嗜好の対象としてのモノとして描かれている感じ。ただラストシーン近く、フリアンにある種篭絡される少年が実は彼の怪物性を見抜いて壁にマンティコア風(顔はフリアン、体はトラ)の絵を貼っていてフリアンに衝撃を与えるというあたりはまあショッキング。そしてもっとショッキングなのは彼に近づく女性ディアナのミステリアスだろうか。彼との逢瀬中しばしば父の病状異変や危篤の電話に呼ばれるディアナは父の死にひどく落ち込みフリアンに慰められるのだが…、フリアンのPCに残った少年愛映像の痕跡にフリアンはクビになり、ディアナは彼と縁を切るのだが、その縁の復活の描き方がそれこそディアナの怪物性―しかも女性的視点からみたらこういう関係、男女逆はないみたいですごく不愉快な感じもする―を示しているのかも知れないという怖さではある。ただ、予告編のおどろおどろしさとは、映画のおおどろおどろしさの方向は少し違う気もした。この映画フリアンの目の大きなちょっと特異な風貌もあってホラーぽい感じもするのだが、それも違うような感じ。(5月29日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館141)

㉑狼が羊に恋をするとき(南洋小羊牧場)
監督:侯季然 出演:柯震東 簡嫚書 郭書瑤 蔡振南 林慶台 2012台湾 85分

原題の「南洋」は地名「南陽」にかけてあり、子羊は台北南陽街の予備校群(があるらしい)の生徒たち、牧場はその予備校群を指す。
恋人が「予備校(補習班)に行く」と言って姿を消した青年が彼女を探して予備校地域のコピー屋に雇われ予備校関係のさまざまな印刷をする。ある予備校のテスト用紙には片隅にいつもむくむく可愛らしい羊のイラストがあり、青年は青年で印刷物にやせっぽちの狼の絵を描き加えたり。映画はこの羊と狼のイラスト動画も交えながら、まあ、二人の付き合いがだんだん深まっていく?(ただし青年は恋人をあきらめているわけではないので、この関係は行って見れば彼女の片思い?)というような、まあある種類型的な他愛もないストーリー。そのような工夫や、若い柯震東や、むくッとした子羊というよりクマさんのような風貌に作っている簡嫚書、そして同僚ヤオヤオを演じた郭書瑤らの明るい魅力、またいかにも台湾映画っぽい?格言をちりばめているのだがそちらを担う蔡振南や林慶台(『セデックバレ』(2013魏徳聖)だね。彼は牧師兼蕎麦屋台の主人という設定)の支えで飽きさせずに最後まで引っ張って後味もまあまあおさめている。それにしても彼ら3人は予備校生ではなく、その周辺で働く若者たちなのだが、台湾の予備校文化の中にも階層性がある?とちょっと不審の感じも…
(5月30日 下北沢トリウッド 142)


㉒長春ーEternal Spring
監督:ジェイソン・ロフタス 出演・アニメデザイン:大雄 2022カナダ 86分 ★★

大雄のイラストをロフタス監督が3D化し、2002年3月の長春における法輪功参加者のTV電波ジャックの顛末とその後を自身も法輪功の一員で事件後国外に逃れたという大雄が当時の参加者などにインタヴューしたものを組み合わせて構成されたアニメーション・ドキュメンタリー。私自身は下高井戸シネマで開催のチラシを見つけ、「長春」の地名にひかれて見に行った映画会(プレミア上映)だが、SMGネットワーク(中国における臓器移植を考える会=中国の不正臓器移植問題を告発しその停止を求める)が後援した実行委員会主催の会で、会場の文京シビック小ホール(300席あまり?)は満席に近く、フーン(会費は2000円)。
アニメのキャラクターデザインは多分あえて実在の人物の似顔にはならないように作っているのだ思われるが、アニメは実際に人物が演じるドラマより迫真力をもっておりその生々しさというか拷問や牢獄のシーンがすごい。
映画は1966年以来の健康増進を目的とする気功?の一種法輪功の信奉者の増加に恐怖・危険を感じた中国政府(江沢民)が弾圧を指示し99年から始まった暴力的な弾圧と、それに対抗・抵抗する動きとして長春のテレビ局の電波を一時的にのっとって法輪功の宣伝?ビデオ映像を流したという事件。それに伴って捕えられ厳しい拷問を受け、中には命を落とした人もいるという状況を描く。
監督はカナダ人だが妻は中国政府高官の娘だそうで、むしろ法輪功に特化したというよりは中国の言論統制・弾圧に対する抵抗意識を強く感じる。この映画に関連して中国当局からの脅迫も実際に受け、中国にいる妻の家族などにも影響があったというような話をアフター・トークではしていた(1時間近い監督と大雄のトークあり)。一方の大雄は単に健康維持のメソッドだった法輪功が、彼の中でこれらの弾圧や事件を通じて信仰にまで高まっていったというような話しー多分それは大いに考えられる。国外のメディア報道によれば法輪功はやはりちょっと胡散臭い宗教みたいにも思えてしまうが、現実的には弾圧によってそうさせられていてしまう側面もあるだろうし、私たちはやはり国外メディアのニュースをうのみにすべきではないのではないかとも思われた)大雄の、こういうことがあり、こういう苦労があったということを今、外に出てしか言えないので、外に伝えていきたいというような話が説得力を持って感じられた。大雄自身が日本のアニメ聖闘士星矢や鬼滅の刃が好きだという話も会場の日本人観客には大きく響いたのでないかーそれがこの非常に暗いというか厳しい世界を描いたアニメーション映画の受容にもつながってくるのかなと思われた。(5月31日 文京シビック小ホール プレミア上映実行委員会143)
通訳に挟まれて左大雄氏、右ロフタス監督

5月は一応ここまで。ただアップ前にみた2本は公開中・近く公開される作品でもあり、ご覧になるかたのご参考にということで以下2本載せます(6月号にも載せます)。


①郷愁鉄路~台湾、こころの旅(南方、寂寞鐵道/ On The Train)
監督:簫菊貞 2023台湾 106分 

台湾南部の枋寮駅から台東駅を結ぶ「南廻線」には2016年11月に高雄から東海岸に出て花蓮に向かって北上(花蓮で蜂に刺されて現地の病院に行った!)したときに乗っている。
映画はこの路線が台湾最後に電化され、変貌していったようすを4年(5年とも6年とも?どこを起点にするかによって変わってくる?)にわたって撮影している。7月の日本劇場公開に先立ち、新宿東口映画祭の新作として特別上映(2000円)監督・プロデューサーも来日したトークショー付きを見る。売れ行きはわりとゆっくり目で、私も発売1日後に定席(何しろ武蔵野館はどこに座るかによって前の頭で全然画面が見えないので)がとれたので行くことにしたのだが、行って見るとほぼ満席、しかも男性がいつになく多くて、鉄道ファンによって占められている感じ。トーク司会者が南廻線に乗ったことがある人というと目に入った範囲でも半分くらいの人が手をあげる、というような上映である。女性監督が取材するうちにエピソードがどんどん増えて2年くらいで撮影が終わるつもりが4年かかったというこの映画、風景的には蒸気機関車も含め様々なアングルで撮られたディーゼル車は山(台湾って本当に山国?だとわかる)や海の緑や青に映えて鉄道ファンにとっては垂涎?かもしれないが、たっぷり盛り込まれた沿線の人々の、鉄道好き、電化を変化として受け入れつつ惜しむというようなスタンス一色?のインタヴューはちょっと散漫・冗漫な感じもして映画の視点があまりくっきりしていない感じで少々疲れ、眠気も…。釜山国際映画祭などにも出品されたらしいが、原題からも、あまり国外を意識はしていず、台湾ローカルな映画として作られたのだろうなという感じもした。(6月1日 新宿武蔵野館新宿東口映画祭 144)
↓監督・通訳(樋口裕子さん)・監督とプロデューサー       


②関心領域
監督:ジョナサン・グレーガー 出演:クリスティアン・フリーディル サンドラ・ヒューラー 2023アメリカ・イギリス・ポーランド 105分 一部モノクロ ★★

暗い画面に不穏な物音がしばらく鳴り響いた後ようやく画面が明るくなると川辺での一家のピクニックシーン。白いシュミーズドレスの少女とともに木の実?を摘む赤いショートパンツ、乳児の末っ子を抱いた母親、川で水遊びをする海水パンツ(昔風)の父親と息子たち。一家は家への道を一列に帰る。
翌朝は父の誕生日。目隠しをさせられてサプライズの贈り物を受け取る父に送られるのはピカピカの木製?のボート。にこやかな一家の傍らにはむっつりと黙してただ働く使用人たち。家族の人数にしてはあまりに多い使用人たちは、妻に邪険に扱われても謝ることもしないし一切口をきかない。家の向こうには高い塀ががあり、いつもいつもなのか不穏な物音や、人声(イデッシュ語だが訳されず字幕も一部を除いてつかないことにより、塀の向こうがこちら側にいる家族や又観客にとっても他者性を高めているようだ)、時に銃声?また、二本の高い煙突から常に黒い煙が上がっている。一家の主ルドルフ・ヘスは迎えの馬で出勤し、妻ヘ―トヴィッヒは庭を丹精し、子どもたちを叱る(ナイン!ということばがとても多い)。カメラは登場人物から距離をおいた自然光でいかにも日常的平穏な家族生活を淡々と映しながらときにドキリとするような映像を挟み込む。たとえば二段ベッドの上で兄息子がもてあそぶのは金歯??、赤ん坊は塀の向こうの物音に呼応するようにか泣き止まず、幼い娘は夢遊病?にかかっている感じで暗闇の中で目をあけて潜み、一家で最後に休む父は娘に「ヘンゼルとグレーテル」の本を読んでやる。妻は女中が持ち込んだ衣類(毛皮)を試して「クリーニングが必要」と言い放つ。妻の母親が泊りにくるが、美しく丹精された庭を娘と歩きながら噂するのは、自身が勤めていた(掃除婦をしてたらしい)ユダヤ人一家の競売に出されたカーテンを手に入れそこなった悔しさとか…。その母親は塀の向こうの空気に耐えきれず、ある日姿を消してしまう。
そんな日、ヘスは昇進して異動することになるが、この地に住んで3年住みやすい環境を作ってきたのだと主張するヘートヴィッヒは怒り、自分と子供はここを動かないとし夫の単身赴任を求める。夫の方は結局上司に頼み(さすがにヒットラーには頼めない、というのがなんか哀れな気も)結局単身赴任するが、移動前から後も含め何となく体調不良というか、ウーン。最後に移動先でも「実績」をあげ戻る直前、パーティを抜け出し階段室を歩きながら吐き気を催すヘス、そこにかぶさるのは同じ色調に表は近代化された現代のアウシュビッツの展示室(ガス室も含み)を清掃する現代の職員で、これはヘスの中には自身の行為の未来に残すものが見えていたということか??
特に家族の知っていて無関心、というか自身には関係ないという姿勢は、まさにこの映画を見、アウシュビッツの展示も知りながら、目を背けてきた背け続けているのではないかという自省を観客にも促すのである。一部モノクロ画面は地面に何かを置く少女のサーモングラフ映像で、これはリンゴを地面においてユダヤ人を助けたというポーランドのレジスタンスの実話からの映像だということで、この映画の流れとしてはちょっと唐突で私にはわかりにくかったのだけれど、映画としては「希望」を表しているらしい。
ヘスを演じたクリスティアン・フリーデル(『白いリボン』(2012ミヒャエル・ハネケ)『ヒトラー暗殺、13分の誤算』(2015オリバー・ヒルシュビーゲル))はヘンなモヒカンっぽい刈り上げ頭でルドルフ・ヘスをまねたのかと思ったが、確かにヘス若い時にはやや刈り上げっぽい短髪ではあるようだが、ウーン。異様感を醸し出した?妻役のサンドラ・ヒューラーは『落下の解剖学』㉗(2023)で見たばかり。いかにもドイツ人っぽい二人でリアリティはあるが、ドイツ映画ではない。(6月2日 シアタス調布 145)

【黒姫山・飯縄山 花の写真集】
リュウキンカとその群落(黒姫山古池周辺)
↓上(左)から ズミ・ユキザサ・コミヤマカタバミ
青々と目に染みるカラマツも
    
↓上(左)からショウジョウバカマ・イワナシ・ツルシキミ
↓オオカメノキ・ホトトギス?・キジムシロ
↓タチツボスミレ・イワカガミ

帰りは昨年に引き続き長野県立美術館へ。池上秀畝展と東山魁夷館の新しい展示を楽しみ
長野駅前で信州蕎麦と生ビール。満足の長野戸隠逍遥でした。



もう一度、飯綱山の赤ヤシオ・・・長々読んでいただきありがとうございました。







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