【勝手気ままに映画日記】2021年8月

 

久しぶりに山上からの富士山に出会いました!8月29日早朝燕岳からの雲海と富士山   晴天絶好調の景色を堪能した山旅、やっとできました!

燕岳(北アルプス)腕のギプスが取れて10日、どうかなと恐る恐る出かけた山でしたが、
何とか無事に、とても楽しんで帰ってきました。ワクチンも2度したし、コロナと共存の構えです。ただしお酒は下山後の「穂高地ビール」生ビール1杯だけ。自粛のつもり?

ご来光5時17分
山上より望む槍(小鑓も)・穂高方面(後ろにも写真集のせます!)

       

①東京クルド②オールド・ジョイ③ロビンソンの庭④ナイト・オン・ザ・プラネット(Night on Earth)⑤パンケーキを味見する➅名もなき歌⑦キネマの神様➇アウシュヴィッツ・レポート⑨くれなずめ⑩モロッコ、彼女たちの朝(英題ADAM)⑪すべてが変わった日⑫クーリンジエ少年殺人事件⑬ドライブ・マイ・カー⑭オキナワ・サントス⑮沈黙のレジスタンス ユダヤ孤児を救った芸術家⑯白頭山大噴火

16本と少なめ、②③④⑫は旧作、①⑤⑭はドキュメンタリー、そんな感じでした。★1つはまあまあ、★2つおすすめ ★3つは気に入った!(あくまでも個人的趣味ですが)最後のカッコ内の数字は今年になって劇場で見た映画の通し番号です。


①東京クルド
監督:日向史有 出演:ラムザン オザン メメッド 2021日本 103分 ★★★

小学生の時両親に連れられて日本にやってきた19歳のラムザン(真面目な勉強家。勉強して能力をつけて日本社会で働き定住したいと願っている。両親も後押ししているが希望の語学学校には不法滞在者であるゆえに8校も断られて入学できず、埼玉の自動車大学校を受験・合格して整備を学ぶことに)と18歳のオザン(美青年。不法滞在者は就労できないが、解体業の下っ端として働き家族の生活を支える。希望の見えない生活に「ぐれたり」もしたが、ラムザンに励まされ、映画の中では語学力やトルコへの知識などを生かしてタレントのオーデションを受けようとするが不法滞在者で就労禁止であることを入管から言われ、はじかれてしまう)の二人とその家族、ラムザンの叔父で東京入管に収容され、病気になるが家族が呼んだ救急車が2度にわたって返され、病院に入るまでに30時間も放置されたメメッドのエピソードを中心に、日本に住み難民申請を繰り返しながら却下され続け、不法滞在者として職にもつけず、保険証もパスポートもなく、住民登録もされずいつ収監されるかもという人生を歩む人々の姿を5年ほど寄り添い撮ったカメラ。特にナレーションなどはつけず、二人のバイリンガルの青年へのインタヴューや字幕での説明で綴った声高には叫ばないが強いインパクトを持って、私たち自身に何ができるのかを迫ってくる映画だ。
(8月3日 渋谷・イメージフォーラム 176)


②オールド・ジョイ
監督:ケリー・ライカート 出演:ダニエル・ロンドン ウィル・オールダム 2006米 73分 ★

身重の妻に「あなたはいつも許可を求める(そういう形で自分を正当化しようということ?)と非難されながら、旧友のカートの誘いにのって愛犬ルーシーもともにキャンプと山奥の温泉へのドライブ旅行に出かけるその道中記ロードムービー。いかにもリアリティのある林間のドライブコースや、迷っていきつけず暗闇でのキャンプ、そして翌日たどり着く温泉は山間の露天風呂に東屋風の骨組みだけの屋根がかかり、そこに湯舟(西洋風バスタブ型)が並ぶ。温泉に入る日は自分で栓をあけて湯を出し、バケツの水でうめ、というなんか原始的な感じもする湯治場?だが、苔の上に鳥や巨大ナメクジ?がいるような自然というか緑一杯の雰囲気は自分もそこにいるような気分にひたれる。
そこにいる二人の男は仲よさそうでありながら実は行き違った互いの孤独も抱えているようでもあり。題名はカートのセリフ「悲しみは使い古された喜びだ」から?「使い古された」は字幕だが、単に「古い」とか「昔の」でもいいような気もする。ドライブが終わって別れた夜、街を孤独に彷徨うカートの姿にそれは表れているようだ。カーライト特集、他の3本は昨冬に下高井戸で見た。そのとき見残した1本だが、他の3本の渇きとはちょっと違ったうるおいある孤独感という感じだった。(8月3日 渋谷・イメージフォーラム 177)


③ロビンソンの庭
監督:山本政志 出演:太田久美子 町田町蔵 横山SAKEBI 室井滋 利重剛 1987日本 119分

外国人たちとシェアハウスする久美が、緑生い茂る庭つきの廃墟ーこれがまた昔のマンション?学校跡?それとも工場か、やたらにでかいーなぜか電気だけはきている?を見つけて一人住み着き、古井戸のある庭を耕してキャベツなどを育てながら暮らす…そこに男(黒メガネ、インパクトある町蔵時代の町田康)と髪を両耳脇で結った少年(傍若無人)かかかわって…ま、今からみればある種のヒッピー生活の称揚かなとも思うが80年代っぽい映画だった。とりとめなさはあるが、その世界に入り込めばバタバタ突っ走る感じは少ないので今の私にもついていける。(8月5日 新宿K’sシネマ 178)

④ナイト・オン・ザ・プラネット(Night on Earth)
監督:ジム・ジヤームッシュ 出演:ウィノナ・ライダー ジーナ・ローランズ ジャンカルロ・エスポジスト イザック・ド・バンコレ ベアトリス・ダル ロベルト・ベニーニ マッティ・ペロンパー 1991米 129分 ★★★

かつてジム・ジヤームッシュにはまった最初の1本。約30年前の初見ではロサンゼルス編の空港から乗せた敏腕エイジェントのスカウトを断る若い女性タクシー・ドライバーの可愛らしい毅然(ウィノナ・ライダー)、と最後のヘルシンキのマッティ・ペロンパー(この人も当時は知らなかった。カウリスマキ作品イメージからかこの映画ではミカという役名で、酔っ払い乗客の一人はアキという役名なのもへー、当時は気づかず)の酔っ払い乗客への語り(嘘っぽいけど)編が記憶に強く残っていたが、今回見るとニューヨークはブルックリンに住む黒人客とロシアからの移民のドライバー、パリはコートジボワール出身の黒人ドライバーとその車に乗る盲目のツッパリ女性(これがベアトリス・ダル。これも当時は知らなかった??かな、いやさすがにうまい!)でテーマとしてはより今日的な社会性に満ちているし、ローマ編はなんとロベルト・ベニーニの機関銃トークと言えるような一人語りのすさまじさに乗客の神父が頓死してしまうというえぐーい話で、有名な俳優(当時はまだそれほどでもなかった?)の上手さを引き出し、世界5か所夜のタクシーという限られた舞台の中でコンパクトで、視覚的にはある意味単調(ドライバーと客席と走る夜の街の風景だけだから)な話にぐんぐん引き込みこちらも一緒にタクシーに乗っている気分にさせるところがやはり、すごかった。原題が「Night on Earth」というのも知らなかった気がする。
(8月5日 アップリンク吉祥寺 179)



⑤パンケーキを味見する
監督:内山雄人 出演:古館寛治(ナレーター)石破茂 江田憲司 村上誠一郎 小池晃 古賀茂明 前川喜平 鮫島浩 森功 2021日本 104分 ★★

菅首相の答弁?分析・批判からそのような政権が維持されるにいたる、報道しないメディアの問題ー「花見」問題を1社のみスクープした「しんぶん赤旗」がスクープできた政権との位置・距離関係が丁寧に描かれるー戦争中の言論統制、そして学生たちのIvoteのインタヴューなども通しながら現在世界的に幸福度や経済力や、エネルギー問題などで地位が下がっている―特にG7ではほとんどの項目が最下位に近くなっている中で、それでも政権が支持され続けることについて自民党や立憲民主党の議員の分析「希望は捨てないが今はどうしようもない」という言葉まで。菅政権論というだけでなく政治とメディアの関係論に興味深い2時間余りの大作である。語りたいこと語らなければならないことがこんなに多い政治状況なのだなあと今更ながら暗然。平日昼の公開だが結構観客が入っているところが希望かとも思いつつ、風刺アニメーションやブラックユーモア仕立ての達者さが、若い人々に「ギャグだ・たいしたことない」と思わせ政治離れを引き起こさせるとすれば、菅自身が無能・無責任を装って政治の「コワさ」をあえて感じさせないような「戦略」ともあいまっての不安も感じないではない。(8月6日渋谷ユーロスペース 180)


➅名もなき歌
監督:メリーナ・レオン 出演:パメラ・メンドーサ トミー・バラッガ ルシオ・ロハス 2019ペルー・スペイン・アメリカ(スペイン語・ケチュア語)97分(モノクロ・スタンダード)

ウーン。ある種の挑戦的な映画作り意識に満ち溢れている。モノクロ・スタンダードでありしかも画面の枠がぼやけたようなにじんだような設定(公式サイトには機材の問題でなく監督の意図であるとのコメントがわざわざ入っている。構図もあえてリアリズムを廃して図案のような若夫婦の住処やそこに至る斜めの道とか、1988年のペルーの状況が今やこのように茫漠たるものになっているメタファー?かとも思われるが、見ている側にも案外画面の中の世界と距離を感じさせるような表現にも思える。
さて1988年のリマ、田舎ら出てきて小さな掘立小屋?に住み市場でジャガイモを売る若夫婦。20歳の妻ヘオルヒナはラジオで聞いた無償で出産を援助するという財団の経営するクリニックを受診。無事に出産するが赤ん坊はすぐに手元から連れ去られ、病院にいる、明日には会えるというようなことばとともに放り出されるように退院させられ、翌日に行くともはやそこはもぬけの殻と異様な状況で新生児を誘拐されてしまう。彼ら夫婦は警察や裁判所に訴えるが「有権者番号」がないということで取り合ってももらえない。
新聞社に乗り込み「子どもを誘拐された」と叫ぶへオルヒナに答えたのはペドロという記者。彼自身メスティーソでゲイという新聞社の中では少数派に属して思うように自由には行動できていない?ようすで、それまでセンデロ・ルミノソ(共産主義系の過激派テロ組織)の取材をしていたのに、編集長からこの誘拐事件を探索するように命じられる。ここからは誘拐探索のサスペンス・ミステリーと話が進むのかと思っているとそうでもなく、ペドロの新しい恋人との出会い、ヘオルヒナの夫の失業とセンデロ・ルミノソへのテロ参加なども描かれ、ペドロとへオルミナは案外簡単に?誘拐組織にたどり着き、ペドロによって新聞に組織を暴く記事が出て首謀者の医師夫婦は逮捕されたという報道も出るのだが、一方ペドロにはゲイがらみの脅迫状が届き、彼は恋人と別れ、探索もそこでストップというか、犯人は見つかっても子供の行方が分かり母親のもとに戻ってくるという展開にはならない。そして、それまでの画面雰囲気とは打って変わりクローズアップのヘオルヒナの子守歌ー切々と胸に響く歌声ーで映画は幕を閉じる。
当時のペルーの貧富格差、ジェンダー・LGBT差別、先住民差別、そしてそれらに起因するようなテロの跋扈というような社会問題を盛り込みつつ、それらについて「語る」のでなく、無口な表情やときに叫びや、そしてそこから生まれる「名もなき者の歌」である種の情緒も込めた映画作り…一見地味なのだがビジュアルも含め盛り込んだものが多すぎてすべてが半情緒的サスペンスで投げ出された感もなくはないが、とにかく力作だ。(8月6日渋谷ユーロスペース 181)


⑦キネマの神様
監督:山田洋次 出演:沢田研二 菅田将暉 永野芽郁 野田洋次郎 北川景子 寺島しのぶ 宮本信子 前田旺志郎 小林稔侍 リリー・フランキー  2021年125分

松竹100年記念、山田洋次作品ということで原田マハの原作の登場人物の一部の造形(というより名前だけ)を無理やりに持ってきて、そこに原作にはまったくない50年前の松竹撮影所やその周辺の人間模様を無理やりはめ込んで人情モノに仕立てたという感じで、原作ものと思ってみると似てもいない非なるもので裏切られる。
2つの時代を無理やり繋いでいるのでその間、登場人物撮影所時代には熱心な助監督で才能も認められつつあった夫と近くの食堂の娘で彼に純愛をささげ彼が撮影所をやめ田舎に帰るときには母の反対を押し切り駆け落ち同様についていった妻という主役夫婦がどんなふうに生きてきたのかは、ただ夫は博打とアルコールに溺れ、妻は夫を愛したゆえに共依存に陥ったというだけでその間に関しては全くリアル感がない。なぜ今、旧友の近くの都会の街に夫婦が古いながら持ち家?(借家かもしれないが、であれば家賃はそこそこ高そうな一軒家)をもって、夫は相変わらず借金まみれの博打生活をしているー成り立っているのか、娘がかつて退職金で借金を返したというのだが子持ちシングル(これも原作とは全く違う設定)の娘が親と同居しつつ失業生活を送りながらそんなことが可能なのかとか、映画館を経営する旧友テラシンと主人公ゴウの妻の再会の不自然さとか、コロナ禍を描くのはいいとして取ってつけたようなゴウの娘のクラウドファウンディングの提案とか、沢田研二にあえて「東村山音頭」を歌わせるいやらしさとか―設定的にはこの映画の現在の舞台は東村山ということになるのだろうか??ーしかも話の展開がゴウが50年前に書いて映画化できなかった生涯唯一の幻の台本が木戸賞(当然城戸賞)を取るとか(そこに引きこもりっポイ感じのウェブデザイナーの孫が絡むのは、原作の登場人物の一部を模したのであろう)、なんか特に現代編のほうは見るに堪えんという感じ。菅田演じる過去の方は懐かしき良き松竹撮影所懐古としては、まあ見られるかな。原節子風?きりりとした北川景子はすてき。後バスター・キートンや「カイロの紫のバラ」を模したらしい画面から登場人物が飛び出るシーン、これは監督がどうしても描きたかったのだろうが、この場面からは映画の結末がすっかり見えてしまう。あと、特に老年の主人公がそんなに映画好きには見えないのも原作とは大いに違うところで、であれば「キネマの神様」の意味するところも原作に比べれば茫漠としていて…ウーン、ウーン。(8月8日 TOHOシネマズ府中 182)


➇アウシュヴィッツ・レポート
監督:ペテル・ぺプヤク 出演:ノエル・ツツォル ペテル・オンドレイチカ ジョン・ハナ― 2020英・チェコ・ポーランド・スロバキア 94分 ★★★

これはすごい。出だし見たことがあるようなアウシュビッツ・ビルケナウ収容所だが、囚人もナチス側も個々人の顔(個性)をあまり強調しない描き方をあえてしているよう。その中で記録係のスロバキア人アルフレートが目覚めてから所内を歩いていき新入りで食器を取られた囚人に声をかけ自分の食器を与えるところから。そのあと労働に向かう場でアルフレートとヴァルター(ここでは名前ではなく番号で出てくる)が木の土台を積み上げたような下の空間にあおむけに身を潜め、その上に木材がつまれ、やがて点呼があって彼らの属する9号棟の班長はムチ打ち、囚人たちは3日以上にわたって収容棟のまえに整列させられ立たされる。だれも二人の行方を言わず、業を煮やした看守に囚人の一人を殺そうとし反撃を受け殺すというような経過を経て彼らが解散労働に戻るところから、今度は二人が隠れ場所から必死に這い出し(ここが大変)片方は怪我をしたりしながらいくつかの鉄条網をくぐってようやく逃げ出し山林を進み、村人の女性にパンを恵まれその義兄の案内で国境に行くというような経緯ーセリフや説明はほとんどないのでどういう場所をどのように逃げ出会ったのがだれなのかはわからないような描き方ーそしてようやくたどり着いたハンガリー側?で助けられ22日後の、赤十字の担当者との面接場面となる。
前半潜んでいる隠れ場所から収容場内を見るさかさまの画面、後半半ば意識を失って這っているようなアルフレードの目に映る地面の天地上下が回転したり揺れたりの画面などが臨場感をもって目に残る。赤十字職員ウォレンは二人の報告のあまりの過酷さになかなか信じようとせず、赤十字はアウシュビッツの囚人に救援物資などを送っていると主張する。それに対して実態は違うという二人。この場面は話し手の激した声と、それを聞いて最初は不審、やがて変わっていく表情のアップだけでジョン・ハナ―が演じて秀逸。というわけで逃げ出した二人は囚人たちもそれを望んでいるとしてアウシュビッツの空襲を望むがそれは結局行われなかったという結論。しかしハンガリーのユダヤ人12万人のアウシュビッツへの移送は行われなかったとか。
最も怖かったのはエンドロールで、シオニズム反対と欧米の各国での移民政策を見直し移民を追い出すべきだというような政治家や(トランプのような)首脳の演説の一節が次から次へと流れ、現代の疫病は虹色だとしてホモセクシュアル攻撃に話が移っていきというわけで、この映画にかかれた他者排撃の流れが決して過去のものでなく、最も今日的な問題であることを思い知らされる。’21アカデミー賞国際長編賞受賞(8月9日 キノシネマ立川183)


⑨くれなずめ
監督・脚本:松井大悟 出演:成田凌 若葉竜也 浜野健太 藤原季節 目次立樹 高良健吾 前田敦子 飯豊まりえ 城田優 2020日本 96分 ★

高校時代の帰宅部6人の男子が30歳前後になり友人の結婚式で余興をする、その前日準備から始まって、当日はあまりうまくいかなかったみたいな余興披露のあと二次会までの中途半端な数時間、周辺の喫茶店もいっぱいで居酒屋はまだ開かないという時間帯に時間をつぶしながらとりとめもなく過去を回想しながら、実は5年前に亡くなったーしかし(前半は)その場にいる吉尾の喪失からそろって立ち直れないような感じの5人の物語。
松井大悟自身の舞台劇が元だそうで、リアルな街角から幻想的な世界、その中間にあるような広々とした畑やそれこそくれなずむ夕空ー何とも美しい色合いに撮れていて、5人の心の行く末を表しているみたいなラストまで、そこで繰り広げられる6人の喧騒的でもあるセリフ展開で話が進むのは、いかにも演劇的。役も演劇をやっている二人+助っ人の一人、そしてサラリーマンと、妻子をすでに持っている後輩二人という5人に、卒業後今は仙台にいて5年前彼らの芝居を見に上京、その別れから半年後に突然死んだ吉尾というメンバーで、作者自身の自伝?的要素もあるのかなと思わせる。
5人は帰宅部仲間で(そういうものがあるのかは疑問)文化祭で赤フンダンスをやった仲というのだが、2学年にまたがっていて誰が後輩かは特には説明されたりしないが、後輩は最初から最後までです・ます体、それでいながら先輩の4人と分け隔て遠慮もないような会話をしているというのが、リアルなのか理想なのかがちょっとわからない。おまけにというか、実年齢で言うと10歳以上の開きのある役者たちの中で最年長(40歳)の浜野健太が後輩というのもすごい。最年少の成田凌は亡くなる先輩で、もう一人の後輩は最近よく見る、少し前のちょっと似たようなテーマにも思われた『佐々木、イン、マイマイン』(20内田拓也)でも主役を張っていた藤原季節で、この人は6人の中では成田についで下から2番目で、まあなるほどの後輩。それにしても役者ってそういう意味でも大変だけど頑張るんだね…とも思えた映画ではあった。 (8月10日下高井戸シネマ184)


⑩モロッコ、彼女たちの朝(英題ADAM)
監督・脚本:マリヤ・トゥサニ 出演:ルフナ・アザバル 二スリン・エラディ 2019モロッコ・フランス・ベルギー(アラビア語)101分 ★

「日本初公開のモロッコ長編映画」1980年生まれの女性監督作品。モロッコの社会で女性が置かれた非差別的な厳しさとそれに立ち向かう意思を描いたところを評価する向きが多いが、確かに…そうではあるが、映画技法や映像そのものはむしろ古典的ともいえる端正さを感じさせられる。作者はフェルメールやカラヴァッジョに影響を受けたというが、まさにそういう光と影の中で、パン屋を営む厳しい強さでアラブ的男社会に身を鎧う寡婦アブラと、なぜか未婚の母になりつつある元美容師、おしゃれで開放的、ダンスや音楽を愛する若い女性サミアの対比により異質な二人が助けたり助けられたりと位置を変えつつパン屋の仕事をする中で、寡婦が心をほどいたり、出産を経たサミアが養子に出すほうが幸せだからと振り向こうともしなかった子どもに乳をやり、名前をつけ(その名が英題の「アダム」)そして…という過程が彼女たち、そして赤ん坊のクローズアップの表情の変化で描かれる。
その過程は意外性はないが、それこそ端正でいちいち納得のできるような展開と構図で、映画の教科書を見ているようでもあり、その正攻法な真面目さが説得力になっている。ただ社会状況に無知な立場で見ると、彼らの姿があまりにけなげだし、それに人々が答えパン屋の店も繁盛するし、アブラを恋する男も決して抑圧的ではないしで、社会的な抑圧や差別的な構造そのものは見えにくいのかもしれないとも思える。それゆえそちらに比重のかかった映画評ということになるのかもしれない。(8月15日 キノシネマ・立川185)


⑪すべてが変わった日
監督:トーマス・ベズーチャ 出演:ダイアン・レイン ケビン・コスナー ケイリー・カーター レスリー・マンヴィル 2020米 114分

ジョージとマーガレット夫妻は息子夫婦と生まれたばかりの孫と農場で幸せに暮らしていたが、突然落馬事故によって息子を失う。そして3年後息子の妻(ま、この場合は完全に「嫁」身寄りがなく舅夫婦に依存して暮らしていた感じ?)はドニーというノースダコタ出身の男と結婚することになり、夫婦は孫とも別れることになる。ところが、嫁の新しい夫が妻と義理の息子(孫)を虐待している場面をある日マーガレットは目撃する。数日後心配して様子を見に三人の新居を訪ねてみると、すでに一家は引っ越したと家主から知らされる。ーマーガレットはどうしても孫(とその母)を取り戻そうと決意し、夫ジョージを半ば強引に誘い引き込んでノースダコタを目指す。なかなか探し当てられないミステリーっぽい展開もありようやく人里離れた荒野の中の一軒家(これが屋敷というほどでなくチープなのが、アメリカの田舎の暴力で土地支配をする一家の実態?)には金髪美貌の女主人がいて屈強な雰囲気の息子たちを暴力支配している。ドニーはその家から逃げ出していたのだが妻子ともども連れ戻されたのであることがわかる。ここからは孫息子とその母を取り戻すためのマーガレットの強い意志ーここで和解はするのだが、マーガレットは嫁の頼りなさを不満に二人の折り合いは悪かったのだということがわかる。ま、このマーガレットの周りを巻き込み言うことを聞かせながら自分の意志を押し逃走という行動は見方によっては女主人の裏返しということもできなくはないー一方、勤続30年の元保安官だったという設定のジョージは妻を愛し牽制もしようとし、しかし妻に引きずられ最後は妻の意志を自分の意志として大アクションを演じるというわけで、これってケビン・コスナーの穏やかな良識的雰囲気と身体アクションを十全に見せるためにあて書きをしたようにも思われるし、中年のダイアン・レインについてもそんな感じで、愛情家族映画から超ハード暴力家族映画へと前半後半の雰囲気のがらりと変わるこの映画自体が二人のスター俳優の魅力を引き出すための筋立てとして設定されたような感じもした。女主人の雰囲気も極めて類型的だし、息子たちも裏も表もなく暴力人形みたいだし。設定としては息子たちがジョージの指を手斧で叩き切る壮絶暴力シーン、そして最後のジョージの犠牲による孫息子の救出が「意外性」と「蓋然性」のミックスであるのと、荒野で一人で暮らし彼らを助ける先住民青年の存在がこの映画に普通だったらあまり出てこない厚みを出してはいる。しかし女主人の君臨といい、マーガレットの行動と、嫁との関係といい、そして最後は闘うのは男たちというところといい、いろいろな意味でジェンダー観的意欲と、突っ込みどころに満ちた映画だなあとそれもちょと面白かった。ま、1963年の話なのでその時点での、という限定つきだろうが、そういう映画が今作られるということも含めてだ。(8月15日 キノシネマ立川186)


⑫牯嶺街少年殺人事件
監督:楊徳昌 出演:張震 張国柱 1991台湾 236分

もう何回見たかはわからないが、今回は台湾白色テロ時代の若者の姿を描いた『返校』の宣伝中でたびたび白色テロ時代を描いた名作としてこの映画の名が挙がることから、その部分に少し特化して見直してみようかということで、ちょうど下高井戸シネマで夕方から深夜(10時半だけど、緊急事態宣言下ではバリバリ深夜感がある)1回上映していた最終日の最終回を見に駆け込む。観客は30人ほど…。
白色テロについては父親が上海の知人との関係の中でスパイを疑われ拘束されて、知人・友人・知り合いというほどでない一度だけ会ったことがあるというような人との関係までをいちいち問われて文章化した上申書を書くように強要され徹夜で書く場面からースパイとはたいした関係がなかったということなのだろうかー釈放されるがすっかり気を落として、精神的にも不安定になりそれが一家に影を落とすというあたり。一般的に言えば外省人で、国民党政府のもと公務員となっているような人間が簡単に思想犯としてテロの対象になるとは思えないので、スパイ容疑をかけられたということは単に政府を恐れるというより彼としては国民党とともに台湾に渡ってきた立場としては大いにプライドが傷つくことだったんだろうとはー「抗日戦8年の後、日本の家屋に住み日本の歌(これは「潮来笠」の台湾バージョン?)を聴いている」という嘆きとも照らして、外省人の置かれた台湾での立場のむずかしさとして改めて感じられるのであった。これは白色テロに直面した本省人とも、また台湾で地位や立場を求めて得られず、帰ることを望みつつそれも果たせないというような立場ともまた違い、そういう意味でも台湾という国、そこに住む人々の重層性?を感じさせられる。(8月20日 下高井戸シネマ187)


⑬ドライブ・マイ・カー
監督:濱口竜介 出演:西島秀俊 三浦透子 霧島れいか 岡田将生 2021日本 179分 ★★

ウーン、長いし、観念的というか精神状態や思考を説明するような台詞ばっかりだし、劇中劇のシーンの半分は外国語+韓国手話で字幕付きだし、演出家兼俳優という西島はなんか「濱口+西島=家福悠介」という感じではまりすぎと言えば聞こえがいいが演技していない(いやいや後半北海道シーンでは今まで見たことがあまりないような西島の演技=表情を見た)ような感じもするし、3時間近くの長尺(おまけに山歩きから帰ってきた日だし)を眠らずに見られるだろうかという不安を持ちながら見ていたのだけれど、どうしてどうして、けっこう興奮させられたさすがの濱口ワールド(セリフと話の中身は村上春樹なのだけれど、与えられた印象はやはり映画独自な濱口ワールドだった)。妻が「音」で彼女の吹き込んだ『ワ―ニャ叔父』のテープを夫が車中で繰り返し聞くというシーンが繰り返されることで、前半秘密を残したままクモ膜下出血で急死するという妻が映画の中でずっと生き続けているというのも(役者としては案外大変?かもしれないが)なかなかの設定でおもしろい。ワ―ニャと同じく自分の生死を決められない、遅れてきた男、自分の主張や抗議をしない男(対照的な妻は死に、高槻は殺人を起こして去る)である主人公が、広島での行動を黙って見ているドライバーみさきとともに北海道に行き、その架空の街でみさきの心を見、自分の心を開くことにより、受身なワ―ニャの役を自ら選ぶ選択をするまでが描かれるが、そのあと映画の最後、みさきが家福の愛車サーブに、広島に住む韓国人演出家と出演者であるその妻の愛犬をのせ韓国のスーパーで韓国語で買い物をして車を走らせるシーンの唐突性?みさきの、家福に知らせなかった秘密?が描かれたのかな?とも悩んだが、「ありえたかもしれない」家福不在の世界の描写?ウーン。ここは少しわからん…もともと韓国の演劇祭の演出をするという設定で韓国ロケをするはずだったので多国籍演劇にしたらしいが、コロナ禍の中で韓国にロケはできず広島を舞台にしたという。そういうことは関係しているのかもしれない。(8月24日 府中TOHOシネマズ 188)

この日の山歩きは久しぶり足慣らしの高尾山(頂上)

富士山スポットですが残念ながら富士山は雲の中


⑭オキナワ・サントス
監督・撮影・編集:松林要樹 2020日本 90分

1943年ブラジル・サントスの沖合にドイツ軍の潜水艦が現れ何隻ものブラジル・連合国の船を撃沈する。サントス在住の日系人の中に枢軸国に通じたスパイがいるのではないかと疑ったブラジル政府は日系人を警察署に集め24時間後、翌朝8時までの6500人の日系人全員のサントス退去を命じる。サンパウロの親戚などを頼った人もあったようだが、多くは着の身着のままでサンパウロの収容所に送られそこからまたブラジルの田舎のあちこちに送られたという。しかしこの事実はほとんど歴史上からは姿を消していたという。
2006年になり使用権が返還された元サントスの日本人学校の片隅にあったこの時の退去者名簿が発見され、ここから松林の取材がはじまったという。歴史に埋もれた要因の一つは、当時のサントス居住日系人の6割が沖縄出身だったこと。取材に対して本土出身者から今までの取材は一切使わないでほしい。今後は沖縄の人だけを取材してはどうかというような手紙が届く。沖縄出身者への差別的状況があったことが垣間見られるような内容である。ほかにもよく知られた勝ち負け抗争などもあって日系人の中に深い分断があったことが、このような結果を生んだことが映画の中でも明らかになっていく。
その中でまだ幼かった人々が90前後になって、出産間近の母を支えて逃げた話とか、病の母に食べさせるのに苦労したとか、またサントス時代の思い出とかをこもごもに語る。それを字幕が繋いでいくという静かな構成の映画で出演者も多く、皆雄弁で顔立ちも立派な男女が多くてそのインパクトもあり、出来事の多様さにもちょっと散漫な感じもしないではないが、とにかくその出来事だけで印象の強い一本であった。松林に関して言えば、『相馬看花』でのフクシマに続き住処を奪われ故郷を追われる人々を描くという点において一貫している。(8月26日 渋谷イメージフォーラム 189)

⑮沈黙のレジスタンス ユダヤ孤児を救った芸術家
監督:ジョナタン・ヤウボヴィッツ 出演:ジェシイー・アイゼンバーク クレマンス・ポエジー マティアス・シュヴァイクホファー フェリックス・モアティ カール・マルコビクス ベラ・ラムジー エド・ハリス  2020米・英・独 英語ドイツ語 120分 

1938年のドイツから始まる映画。父の物語を聞きユダヤ人がなぜ迫害されるのかと問う少女、娘に答えず「でも国のために生きよう」と言ったその夜、踏み込んだナチスに殺される父母というショッキングな映像から、次はドイツ国境に近いフランスの街の肉屋の息子で夜はキャバレーで演じる俳優志望の自己中心的なマルセル、そして支援団体によって子どもたちがドイツから送られてくる(その中に出だしの少女もいる)ことになり従兄の強引な誘いでその世話の一端を担うことになるマルセルが落ち着つかな暮らしの中、落ち着かず騒々しい子どもたちをパントマイムでひきつけなだめるマルセルというような印象的な前半から、42年ナチス侵攻、追い立てられるように南下し子どもたちをあちらこちらに預けレジスタンスに身を投じるマルセルと兄、そしてガールフレンドエマ姉妹。街を支配するクラウス中尉に捕まったエマ姉妹ー妹を殺されたエマの復讐心をなだめマルセルは、相手を殺すのでなく、少しでも多くのユダヤ人の子どもたちが生き延び、子孫を作ることこそユダヤ人絶滅をはかるナチスへの最大の復讐だとなだめる。そして後半子どもたちを連れてのアルプス越えと、息もつかせぬ劇的展開で映画は上手に語りつつ、マルセル・マルソーという人物の足跡を描きつつ若きマルセルの一種の成長譚的な色合いも見せつつ、実話ベースと思えぬほどドラマティックな展開をする。
フランスが舞台だが、製作にフランスは入っていなくて言語は基本英語。一部ヒトラーの演説などの部分はドイツ語だが字幕はなし。まあ、何を言っているかわからないゆえに化け物性が増すということもあろうが…。エド。ハリスの連合国(アメリカ)の大尉で最初と最後に出てきて画面をひきしめジェイシー・アイゼンバーグのマルソーのパントマイム演技(なかなかすごい!)を引き立てている。(8月27日キノシネマ立川 190)

⑯白頭山大噴火
監督:イ・ヘジュン キム・ビョンソ 出演:イ・ビョンホン ハ・ジョンウ マ・ドンソク チョン・へジン  ぺ・スジ 2019韓国 128分

突然の白頭山の噴火、朝鮮半島を襲う激烈な地震。政府は、米国籍で帰国前、3年前から白頭山噴火を警告していた地質学者ロバート=カン・ボンネ(マ・ドンソク イメージチェンジ?)を無理やり召喚し、助言を得て白頭山下の4層マグマだまりがつぎつぎに爆発していくだろうこと、これを防ぐためには北朝鮮にある核弾頭倉庫から6基分の起爆装置を持ち出し(すでに1度目の噴火・地震で北側は壊滅状態になっているわけである)白頭山下の鉱山の坑道で爆破させることによってエネルギーを逃すしかないという(『グスコーブドリ』みたいな話だな…)ことに。
除隊目前の爆発物処理班のチョ・インチャン(ハ・ジョンウ)は、臨月の妻の国外脱出と引き換えに本隊(爆破を担当)を補助し爆破物を作る隊の任務を与えられる。ところが火山灰で真っ暗な中、本隊機は墜落全員死亡、脱出に成功したチョの隊が実行までを任されることに。核弾頭の存在はスパイとして収監中の北側の工作員リ・ジュンピョン(イ・ビョンホン)が知っているということでまずは彼を強制収容所から彼を救い出し、そこから白頭山までの道中になる…というわけだが、二人のせめぎ合い闘いつつやがて共感?も生まれたり、生まれてくる子を「キューティ・プチ」と呼びリからは「腰抜け野郎」と言われるチョ、一方別れ今や死にかけている妻との間の娘が気になるリの家庭事情というか心情もからめてちょっとコミカルにも引っ張っていく。意外性はあまりないのだが、彼らの前には自然災害だけでなく、北の核を有効利用することを阻止しようとするアメリカ軍とか、北京で工作していたリを奪還というか阻止しようとする中国側?とかが立ちはだかってドンパチというのがなるほどね…。北朝鮮は瓦礫の山と逃げ惑う人々倒れた金日成像ぐらいだけれど、それにもかかわらず?韓国という国の置かれた政治的位置とか(地理的位置も?)も反映していて、アメリカのいわば支配のもとにあることもいろいろな場面で強調されていて、これでアメリカから文句が出ない(中国の方はちょっとぼんやり描かれているからこの場合避けている?)かと思うような描き方だが、けっこう荒唐無稽な災害パニックというにとどまらない社会性?も感じられ、最後はこの荒唐無稽な作戦の万々歳の大成功というふうにもなっていないところがさすがの手練れ韓国映画という感じで、息も切らさず見たという感じだ。カン博士を引っ張り込み、大統領と審議し、自らも体を張って作戦に挑む、チョン・へジン演じる政府民政部の担当官女性が何とも地味なのだけれど格好良く印象に残る。(8月31日 府中TOHOシネマズ191)

          (山旅写真集 8月28~29日 北アルプス燕岳)

燕岳から燕山荘方面(雲海に浮かんでます)


この前日燕山荘では年に一度の弦楽コンサート 朝には山荘前広場での演奏も

燕山荘からの燕岳

燕山荘前で燕岳方面バックに自撮り!

メガネ岩
イルカ岩
コマクサ

朝、そろそろ撤収ですがキャンプ場も賑わっていました。












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