【勝手気ままに映画日記+山ある記】2025年4月

春の里に堂々と立ち上がる岩櫃山は真田氏の山城として知られている(25・4・5)

↓桜はまだ、梅の里山を歩いて登山口へ


 【4月の山ある記】

4月10日 西上州・岩櫃山

吾妻線郷原駅(10・32)➡古谷登山口(10:46)➡蜜岩登山口(11:09)➡岩櫃山(12:44・802m)➡(尾根道)➡平沢登山口(14:47)
4h16m(休1h49mほとんどは岩山登りの待ち時間) 3.8㎞ ↗439m↘342m 難易度7(やさしい?) 90-110%(標準)(データ=ヤマップ)
Yツアー(参加者は13名うち男性1名。ガイドは初めてお世話になるYTさん、添乗員も初めてのORさんで、添乗3回目とかで初々しい。一緒に先輩のSさんも)

↓今日のルート(下り道赤丸のあたりが岩櫃城址・黄色線ルートはヘルメット着用の難所)
            
前から気になっていた上州の岩山。駅から近いので自分で行こうかなと思っていたところに見つけたツアーで、新宿から専用バスで直行ーこれが、いいのか悪いのか。3時間ほどの小型バスで身動きできない座席(今回は運悪く?二人掛け。もちろん隣の方も運が悪かったということで)は、それだけでくたびれてしまうが、まあ、下りてきて時間を調べたり合わせたりせず、座って(ついでに今回もビールを飲んだ)新宿までもどってこられるのはありがたいというべきかも…。
で、岩櫃山、もっとも険しいという蜜岩ルートだが、山に入るなり急登、尾根に出たと思うと鎖を張った岩場、また岩場と大いに楽しめた。高さはそんなにないし、歩く距離も短いが、10合目まで細かく区切って道標がしっかりあるので歩きやすい(あっという間に1合終わってしまうので、気分もすごく楽)。4合目からはずっとヘルメット着用
実は先週のスノーシュー登山以来少し腰が痛い?という感じで不安があり、歩き出しは少しバランスが悪い感じもあったが、山を歩き岩をよじ登っているうちに忘れてしまって、きわめて快調。あっという間に終わってしまって少し歩き足りない感じさえも…。
尖って空に突き出るような岩山の狭い山頂からは360度のすばらしい山景ー春霞でちょっと霞んでいるが。休憩時間が意外に長いのは、13人が順次、一人ずつ岩を越えていくとなると待ち時間が結構長くなるから。その待ち時間にシリアルや、きび団子や、また今回はミルクティーを作って飲んだりしながらの行動食で腹ごしらえ。土曜日ではあったが、登山者は私たちの他には10数名(数グループ)という感じで、山を独り占めにしているようなのも楽しかった。
↓急登・岩登り(降り)真ん中はわが雄姿!?

↓無事に登頂、絶景を見ながら大喜び!
↓岩櫃城址は真田家ゆかりの山城/往時の堀の跡も残っている
                     

4月13日 若狭:雲谷山または三十三間山 風雨により山行中止
義母(つれあいの母)分骨を永平寺におさめる法事があり、彼の実家の若狭まで。数日滞在するので、地元の山に今回こそは登るぞとソロ登山を予定したが、当日は大雨・大風の荒れ模様、ほかに日もとれず、いつか登りたいけどと心を残しながら中止にせざるをえなかった。


4月20日 本仁田山ーーなんとも悔しい途中リタイア
昨年4月の八溝山カタクリツアーから参加をはじめたYツアーにはポイントカード制度があって20ポイント(通常1山行2ポイント)たまると5000円分の割引がある。で、それがたまった1年後、5000円の本仁田山日帰り山行に参加することに。青梅線奥多摩駅から歩き奥多摩三大急登の一つといわれる大休場尾根を登って、あまり人も通らず登山ルートとしては「破線」のチクマ山経由で奥多摩に下りるというのを楽しみに参加したのだが…。

自分ではそんなにつらいと思ってはいなかったが、ガイドSTさん(1月西上州黒滝山では添乗員としてお世話になった)、盛んに「汗をいっぱいかいている、大丈夫か?」と心配してくれる。確かに奥多摩駅からの急な国道アプローチに関してはいつものような元気は出なかったなあとも思いつつも、大丈夫、と歩いたのだが、心配もたびたび繰り返されるとだんだん元気がなくなってきて、それでも尾根(大休場)に上がり、ほっと一息していると、具合が悪そうなのでここから戻れと指示される。え?と最初は思い抵抗したのだが、その後歩き始め暫くしてちょっとだけある岩場に差し掛かるとなんと!足がつった。ヤレヤレ、帰れ戻れ、ここから先にはさらに急登、とのガイド命令にやむなく1000m付近で撤退を決める(ま、オリンポス山と違って再度リベンジチャンスもあり、今回はお金も使ってないし)。ということで添乗員Mさんに付き添われ往路急坂を下って奥多摩駅に戻る。足つりもなく、きわめて快調で昼過ぎには奥多摩駅に戻ったので、帰りは立川によって映画『カップルズ』⑮を見て帰った。活動データはヤマップによれば
6.5㎞ 3h48m、↗817↘818m コース難易度19、平均ペース130-150%
急坂をかなりガンガンに下りたので?平均ペースは普通の山行以上に速くて、またヤレヤレ。

思えば急激にはじまった暑さに体が音を上げたのかなとも思う。これからはいよいよ暑さ対策の季節だ。

4月26日 リベンジ本仁田山

奥多摩駅(8:25)➡本仁田山登山口(9:00)➡大休場尾根本仁田山(10:55 1225m)➡瘤高山➡殿上山➡大根山ノ神➡鳩ノ巣駅(13:20)
7.8㎞ 5h07m ↗981m↘1011m コース難易度17 平均ペース110-130%(やや速い)
ソロ登山
             
ここでリベンジしておかないと5月立山山行をはじめ次への不安材料になってしまう、というわけで1週間後、曇り日の雨予報の来る前にと、前回と同じ6時33分府中本町駅で出発して奥多摩へ。本仁田ソロ登山を決行した。土曜を選んだのはソロでも近く・遠くを歩く人が大勢
いるときのほうが安心感があるからと思ったのだが、実際にはたくさん乗り込んだ青梅線の登山客も、奥多摩下車ではバスに乗り継ぐ人が圧倒的に多くて、歩き始めた登山口へのアプローチは私1人。やがて若い女性1人に追い越され、行きの大休場尾根で下ってくる人3人くらい…とけっこう寂しくもあり気楽で楽しくもあり。
急登の登りは実は先週の苦しさとかわらず、年齢?も感じながら一歩一歩ゆっくり歩く。ただ水分補給などは意図的にしてしていたし、休みたいところで立ち止まって息を入れるのも自由だから、足がつるというようなこともなく、無事に大休場に到着、さらにその上の急登をめざす。先週足がつった岩場もなんなく過ぎ、けっこう登りも楽しみながら後半に向けてピッチを上げ、ヤマップのコースタイムとされた2時間15分を大幅に短縮して1時間55分ほどで頂上に到着した。この間追い越していった男性1人、若い女性1人、こちらが追い越したのはゆっくりゆっくり休みながら登っている感じの中年?男性1人。山の上り下りにはけっこう差があるものだなと今更ながら実感。
頂上には反対側から登ったと思しき男性3人グループ、私を追い越していった女性、それに女性1人を含む5人のグループがすでに昼食を食べ終わり「体が冷える」とか言いながら談笑中。私が追い越してきた中年男性はこのグループの一員で、自由を好み自分のペースで歩くことを選んで後から来るのだという。えー?そんなのあり?彼はずいぶん苦しそう?に休んだり歩いたりをしていたよ、とも思うが…「彼はマイペース。下りは特に速いから大丈夫」との言葉を残し、やがて到着した男性が、昼食のとろろそばを食べ始めるのを見て下山していく(その前に頼まれて後から来た男性のスマホでグループの記念写真を撮ってあげ、私の写真も撮ってもらった)。まあ、多くの人が単独で登っているような山だしな、と思いながらグループに続いて私も鳩ノ巣方面に下山開始(11時15分 チクマ山コースは荒れているというので大事をとって)。昼食は魯肉饅とバナナチップス、ホットミルクティなど。
下りも大休場尾根ほどではないが、石がゴロゴロ、ときに急坂も現れけっこう疲れるコースで後半は足の運びも重くなったという自覚があったが、120分あまりのコースタイムを105分くらいで下り切って、出だしではミツバツツジを愛でつつゆっくり後続を待つ例のグループを追い越し、そのあと2人くらいに追い越され、登ってくるすれ違いも2人ぐらいという感じで、春の自然を満喫しながら13時20分鳩ノ巣駅に到着。
↓ ミツバツツジをめでる先行グループ/モクレン/シャガもまだ咲いている
大根の山の神/鳩ノ巣駅前でビールを飲む/鳩ノ巣駅

駅前の店で生ビールを飲み、ワサビや干しシイタケなど山の幸をGETして13時52分発、3時ごろには立川まで戻ることができた。
ビールを飲んで鳩ノ巣駅に戻ってくると、先の6人グループ、後行の男性も含めて到着していたので、他人事ながらホ…。雨は、戻って夕方地元府中本町の駅に着いたときに追い付いてきた。
なんとか無事にリベンジできて、少し気持ちも晴れた登山。さ、次も頑張るぞー!

【4月の映画日記】

①逃走②ドマーニ! 愛のことづて③Playground校庭 ④エミリア・ペレス
⑤その花は夜に咲く⑥ケナは韓国が嫌いで⑦少年⑧ホワイト・バード 始まりのワンダー⑨太陽と桃の歌➉教皇選挙⑪1980僕たちの光州事件⑫HERE時を越えて⑬ミッキー17⑭天国の日々⑮カップルズ(麻將)⑯フェ厶⑰IT'S NOT ME⑱トレンケ・ラウケンpart1/part2⑲104歳、哲代さんのひとり暮らし ⑳マリア・モンテッソーリ 愛と創造のメソッド

日本映画①⑦⑲ 中国語圏映画⑮ 韓国関連映画⑥⑪⑬・・・ドキュメンタリー⑰⑲・・・となんだか、取り留めもなくバラバラの20本となりました。★はナルホド! ★★はイイね! ★★★はおススメ・見てね!の個人的感想です。

①逃走
監督:足立正生 出演:古舘寛治 杉田雷麟 タモト清嵐 吉岡睦雄 中村映里子 2025日本110分 ★

大阪アジアン映画祭クロージング作品として上映されたのが『桐島です』(高橋伴明監督)で、7月には劇場公開も予定されているが、こちらは同じく桐島聡を描く、自らも元日本赤軍のメンバーで、レバノンでの3年間の収監の後日本に強制送還されて帰国した足立正生監督の作品。見比べの興味もあり見た。桐島聡は偽名での長い逃走・潜入生活ののち死に瀕した2024年1月に自身が桐島であると名乗って数日後に病死した人物であるが、この映画では「逃走」を「闘争」と位置付けて逃げ続ける姿が描かれ、これはあたかも足立監督自身の盟友へのオマージュという感じがする。桐島は逃げることを闘いと考えていたが、だからこそ偽名の無名の人間として死ぬことはできなかったということが非常によくわかる。そして彼を悼む作者の思いはラスト、エンディングロールにずっと流れる『同志は倒れぬ』(スティークリッヒ)のメロディ(但し歌はなし)にあらわれている。
それにしてもすごく真面目でストイックな、(他の一派が起こした爆破事件で人命が失われたことを闘争の失敗と考え、自身は大きな事件にかかわっていなかったにもかかわらず、捕まったり自殺したりした他のメンバーの闘いまで背負って一生を逃げることにささげる)人生への共感とその人生の中で時にある人とのふれあいやその喜びなどが画面の隅々からあふれ出ている感じ。連合赤軍事件も遠くなったーかかわったり共感した人々が高齢化したということだろうか。(4月1日 渋谷ユーロスペース 087)

②ドマーニ! 愛のことづて
監督・出演:パオラ・コルッテレージ 出演:バレリオ・マスタンドレア ロマーナ・マッジョーラ・ベルガーノ エマヌエラ・ファッネリ ジョルジュ・コランジェリ ビニーチョ・マルキオーネ 2023イタリア 118分モノクロ ★★

イタリアの有名なコメディエンヌというパオラ・コルッテレージの初監督作品だそう。1946年のローマの下町。朝目覚め夫・イヴァ―ノに「おはよう」と声をかけるとバチンとビンタが飛んでくるというのが主人公デリアの日常。何事もなかったように起きだし、朝食や弁当の用意をし、不機嫌な娘(父親に「女は学校に行く必要はない」といわれ、働きながら出来の悪い?弟たちの支度や面倒を見させられている)や父や祖父を真似、柄の悪い言葉や行動をまき散らす幼い息子たち、そこへ寝室から大声で呼び寄せ介助を迫りつつ尻に触ってきたりする舅。その舅を昼間は近所の男に頼み、いくつも掛け持ちで仕事に出かけるデリアの姿が描かれて彼女や一家の生活がーイラつき家父長権を振りかざす夫(父・舅)のもとに一家が服従するようなーが描き出される。彼女が仕事に行く金持ちの家(看護師の資格を持っているわけでもないんだろうが、その家の病人に注射をしに行くのも彼女の仕事で、このあたりはちょっと?だった)でも妻は発言権を持たない様子がさりげなく描かれ、これが彼女だけが置かれた状況とも限らないことが示されて伏線になっているのはなかなか。しかし同時に家族写真を拾ってくれた彼女に過剰に?好意を見せるアメリカ人MP(時代を表している)や彼女の自立を支援しようとする八百屋の女主人なども描かれ、夫の暴力シーンはダンスのように描かれるなど、悲惨な状況をただ悲惨というふうに描いているのではないのは娯楽作品らしさでもある。
父親に進学を阻まれ家のために働くことを命じられている娘は、玉の輿に乗ることを夢見、成金で(見るからに??だが)優しい恋人との結婚を夢見ていて、プロポーズを受けて家に彼の一家を招くことになるが…。デリアの娘婿(一家)の見極め方とその結果はあっさりと描かれるがなかなかにすごい。
ある日、デリアあてに一通の手紙が。それを夫に見つからないところに隠したり、出して捨ててみたり、また拾って…とすごく思わせぶりな描き方。町では30年来、デリアを思い続け、しかし彼女の夫にちょっとした隙に奪われたと広言する貧しい自動車修理工二-ノがいて、ある日彼は北部に働きに行くことにしたので、ついてこないか?日曜日に出発すると彼女に告げる。観客は彼女がどう決断するのか、あの手紙は実はニーノからのものだった?とかハラハラドキドキで、新しいブラウスなどを作って、出かけることを楽しみにしているかのようなデリアの様子を見ることになるのだが…。
日曜、イヴァーノ先導で一家はそろってミサに出かけるが、その出がけ、彼女の外出(出奔?)を阻むようなとんでもない出来事が…。というわけで観客は彼女の成功の可否に振り回されつつ、最後に大勢の女性たちの列に彼女が加わるのを見ることになる。彼女はポケットに入れた手紙を実は落としてしまい…というところで娘との関係も描かれ、このドラマとしてはいかにも思わせぶりに作りながら、明日への希望がさりげなく、しかし歴史的に見れば大きなものとして描かれたことに驚き、納得し、安堵もするのである。1946年6月2,3日はイタリアに女性参政権が施行された初めての選挙日だった。映画はモノクロでネオ・リアリスモっぽい雰囲気に仕上がっている。(4月1日 渋谷文化村ル・シネマ宮下町 088)

Playground 校庭
監督:ローラ・ワンデル 出演:マヤ・バンダービーク カンター・デュレ カリム・ルクルー ローラ・ファンリーデン 2021ベルギー72分 ★

7歳の少女ノラが兄アベルのいる小学校に入学する。初日頼りがいありそうな兄と離れたくなく泣くノラ。最初はなじめず不安そうに一人でいて校内でも兄を追おうとして先生に静止さえされる彼女だが、やがて話す友だちができて靴ひもの結び方を教わったり、だんだんなじんでいく様子。ところがそのノラが見たのは兄アベルが大きな生徒3人にひどいイジメ方をされる様子。急いで監視員(休憩時間は子どもたちの面倒をこういう人がみている)に告げるが、他の子の世話の最中の監視員は「ちょっと待って」というだけでかけつけてきたときにはすでにイジメは終わり、兄には「誰にも言うな」と口止めされる…とそんなところから兄のイジメ、イジメられた兄を嫌う自身の級友の少女に仲間はずれされるノラ自身、ノラも兄を疎んじ、単純に子供を心配する父の無神経な行動(父が家事をしているということで級友がノラをいじめるが、家庭状況などを観客に明らかにする方向では映画は進まない。あくまでも少女目線である)、気持ちを唯一わかってくれた先生の離任とか、少女目線で描かれることの経緯と、その少女に寄り添うかのように見つめるカメラの視線ーそれにしてもあたかもドキュメンタリーを見ているみたいにリアルで、少女や少年の演技の自然さにも驚かされる。あの子たち撮影後にトラウマにならないかなどと思ってしまうほど。これはどう解決されていくんだ?胸がつまるような描写が続き、最後兄が別の子とくんでいじめる側に回り、先に一人ぼっちになっていた兄に寄り添うようにしてくれた子をイジメているのをみたノラは…会場からは鼻をすする声も聞こえるような感動的?なラストまで、臨場感のある映画だった。子供であることはつらいなあとも思うが、それってやっぱり大人の縮図というか大人の行動をなぞってもいるんだよね…
(4月2日 新宿シネマ・カリテ089)

④エミリア・ペレス
監督:ジャック・オーディアール 出演:ゾーイ・サルダナ カルラ・ソフィア・ガスコン セレーナ・ゴメス アドリアーナ・パス 2024フランス 134分

メキシコの麻薬王マニタスが、妻も子供もいる男性としての人生から女性に変わりたいということで依頼を受けた弁護士リタ(彼女も冒頭で仕事が崖っぷちという感じ)。匿名の多額口座の資金を受け取り性転換手術を行う医者を探す。マニタスの妻と子はには彼が死んだとし、妻子も襲われる危険があるとしてスイスに邸宅を用意し移住させる。そして4年後エミリア・ペレスとしてリタの前に現れた彼女は、自らが麻薬王時代に殺した人々など行方不明になっている人を探し出す事業を行い、また父としてなした子どもたちに再会すべく妻子をスイスからメキシコの自分の下に呼び戻す。と、まあこんな展開。ミュージカル仕立てになっているので生々しさや毒々しさのようなものは薄められている?ようにも思われるが、ともかく迫力のある映画で、これでもかこれでもかという感じは、やはり主演の
カルラ・ソフィア・ガスコンの迫力かな…。彼女はトランスジェンダー俳優だそう(大阪アジアン映画祭などではこういう区分けのしかたをもはやしなくなっているが、カンヌでは??)で、この映画でもマッチョっぽいマニタス(字幕自称が「俺」)とエミリア(モチロン自称「私」)とを演じているが、映画でリタ、元妻のジェシー、そして新しいエミリアの恋人を演じた4人そろってカンヌで主演女優賞を受賞したのだそうだ。にしても、エミリアの悲劇は、彼(彼女)にそれと知らぬままに翻弄された妻の悲劇ーということは男だった時のマニタスの身勝手が巻き起こしたものとも思え、最後ものすごいクライムアクション的に終わる場面までウーン。エミリアの子ども恋しさはわかるが、元妻と同居して彼女の自由を拘束するようなやり方ってどうなの?「死んだ」マニタスは妻に遺産を残したはずなのに、ジェシーはどうして自分で自由になるお金がないの?(エミリアにカードを止められ怒る場面あり)とか微細にはなんだが納得しがたいところもある。
(4月2日 新宿ピカデリー 090)

⑤その花は夜に咲く
監督:アッシュ・メイフェア 出演:チアン・クアン ボー・ディエン・ザー・フイ
ファン・ティ・キム・ガン 井上肇 2025ベトナム・シンガポール・日本 121分 ★★

『第三夫人と髪飾り』⑫(2019)で、伝統的な家父長社会での女性の存在について静かな伝統美的ビジュアルでありながら、生き方への批判や主張を描いたアッシュ・メイフィアの今回の作品はトランスジェンダー女性の愛の暮しの行方で、きわめて美しいが生々しい性描写、地下世界でのボクシングなどのこれも激しく生々しい、だが美しさも感じられるような暴力、そしてヒロインのダンサーとしてのパフォーマンスのきらびやかな美しさに幻惑させられるようでいながら、この女性(1年半前に豊胸手術を終え、今は性転換の手術を切望している)と恋人(ボクサー)のまっすぐな愛をまっすぐには貫かせないような善意・悪意を含めた「壁」の存在が立ちはだかる。不安定な状況に手首を切り、そのことによって医者に手術を拒まれる(精神的不安定はリスクが多いとして)、彼女の手術代のために裏世界のボクシング賭博の闘手となり圧倒的な強さを見せるがそれゆえにすさんでもいき青年、彼が不安定な彼女をいわば避けて結んだ幼い娼婦(小柄で本当に少女のような18歳という造型)が妊娠し、ヒロインはそれをどう乗り越えるのか…そして青年が巻き込まれる傷害致死事件の裁判(原告側の弁護士のいやらしいセクハラ視線・質問)などなど。決してハッピーエンドにはならず、このあとどうなるのか観客にゆだねるような終わり方なのだが、作者の立ち位置というか心情・主張は直接的に伝わってくる。さりげない場面や夜景もも含めビジュアルは抜群に美しい。1998年が舞台だが、性転換手術が1万5000ドル(250万円くらい?)傷害致死の賠償金殺人の賠償金が2億ドン(調べてみたら120万円弱くらい?)という貨幣価値がイマイチよくわからない気も…(4月4日 シネマート新宿 091)

⑥ケナは韓国が嫌いで
監督:チャン・ゴンジェ 出演:コ・アソン チェ・ジョンヒョク キム・ウギョム イ・サンヒ 2024韓国107分

韓国の小説家チャン・ガンミョンが2015年に発表した小説「韓国が嫌いで」が原作という。原作に忠実なゆえか、映画自体の問題なのか…。最初2時間かけての通勤に疲れはて、家では新居購入に資金負担することを求められ、両親が良しとする恋人は一見やさしいが、彼女の希望や行き方に興味も理解も示さない、そんな状況から逃れようと、ニュージーランドへの移住を企て出国するまでは、ナルホドなるほどと、物語に勢いがあるのだが、ニュージーランドに行ってからは何だか特別なこともなく意外性もない、言ってみればくすんだ日常というかワクワク感がないというか、それはこの映画の意図するところかとも思いつつ、描き方まで地味にしなくても、とついつい思ってしまう。監督は第2のホンサンスとか、韓国の是枝裕和とかとも言われているそうで、丁寧に微妙な状況の描写などをしているのだと思うが、今回それが効果を発しているのかは疑問。寝ることはなかったのにどうも話が立ち上がって入ってこないのは私自身に原因があるのだろうかと、いささか悩ましい。映画はニュージーランドでの生活と、逃げ出してきた韓国の過去を行ったり来たり、そして最後に韓国に一時帰国とも本帰国ともつかずに戻ったケナが再び逡巡?私どこかで見方を間違ったかしら?と思うほど、う〜ん??真面目に地道に作られているとは思うし、ケナは美人すぎずカワイイ系のリアル感はあるのだが。(4月4日 新宿シネマカリテ 092)



⑦少年
監督:旦雄二 出演:小林且弥 中村愛美 留奥麻依子 筒井真理子 織本順吉 鈴木清順2024 日本 180分

2000年の君が代・日の丸法制化の卒業式で起立斉唱しなかった少年(16歳)の物語というので、そういう問題意識の映画かと期待しながら行ったのだが…。その日起立しなかったのは朝から下痢・腹痛で立つに立てなかったという偶然から始まり、それを理由もきかずに殴っていさめる教師―2000年ごろに教師のこんな暴力が不問にされたとは、同時期同じような現場にいた自分としてはありえない…教師が生徒に手を上げたなら理由の如何にかかわらず処分というすでに時勢であった。この場面にかかわらず、この映画の学校現場の描き方は嘘っぽくてー例えば職員会議を経ず校長の一存で生徒の停学が決まるとかー当時の学校、この映画が述べるような意味での生徒に対する教育権利の振りかざしみたいなことはあったのは事実だけれど、それは教師の人間性というよりシステマティックに整備された教育体制の問題であり、暴力をふるう教師もそのシステムの中で処罰された―それだけで身を引いてしまいたくなるところあり。少年は教師によって否定され、またそれを是として将来に響くということで彼を叱責しながら、自分たちも決して有意義な暮らしをしているとは見えない両親に反抗し、また街で出会う、出合頭にボコボコと殴るような暴力的な人々に抵抗しつつ、父親に搾取され性的虐待も受けている少女(というか少し年上なんだろうな…という造型)と親しくなり、学校をやめて逃避行に出る。―なんか問題の描き方も、出てくる人々の造型(問題も含む)も行動もきわめて類型的というか、予想通りの行動に出るような人物ばかりで、それが極めて散漫に並べられてるし、学校現場をはじめ親の夫婦関係も、取ってつけたようないじめから引きこもりになった友人、また戦争中の出征経験からPTSDになり寝たきりで意識も定かでない祖父とか、類型・典型的な問題を詰め込んだという感じで、しかも20年前に作られ始めたというのだが、その描き方やセリフはむしろ70年代くらい(作者はアートシアター映画の影響も受けたとかで、むべなるかなという感じ)の感覚で描かれているようで、役者の演技もそのころの映画っぽい臭さを感じさせる(筒井真理子と織本順吉はさすがにうまいが、ただ十分に彼らの資質が生かされているとも思えない)。日の丸・君が代問題も単にアイテムとして取り上げられているに過ぎない(最初と最後に仰々しく掲げられているのが違和感。1人卒業式で立たなかったという教師が出てくるが、彼は処分はされないものの学校に居場所をなくして退職すると描かれる。これも大いにありえず、今日に至るまで裁判闘争を続けている教師たちの存在、作者は知っているのか?どう見ているのか?)。その中で一応2000年頃の風俗・感覚を表しているような少年は何とも浮き上がっている感じで、ウーン、ウーン期待が大きかったので残念度もなんか大きくて参る。
リアリティなく、大量のアイテムによる大量の殺人が行われるが、その死に方も昔の映画・舞台劇みたいにタメたっぷりで思わず笑ってしまったところもあった。
終わった後で監督と、脚本家伴一彦氏のトークもあったが、伴氏の映画に批判がありそうでいながらなんかピントのずれた発言、ひたすら宣伝に努める(当たり前か)監督もなんかなあ。72歳の監督が25年前から5年間かけて撮影し、編集を続け24年完成した(まだこれからも新しいバージョンができるかもとは監督の弁)インターミッション付き180分の長尺だが、その執念とエネルギーだけは驚嘆に値するけれど…。(4月7日 新宿K'Sシネマ 093)
↓高齢の?二人 旦雄二監督(左)と伴一彦氏のトークショー


⑧ホワイト・バード 始まりのワンダー
監督:マーク・フォスター 出演:アリエラ・グレイザー オーランド・シュワート ブライス・カイザー ヘレン・ミレン ジリアン・アンダーソン 2024アメリカ 121分 ★

『ワンダー僕の太陽』(2017・スティーブン・チョボウスキー監督 未見)の原作者がアナザーストーリーとして書いた後日談だそうで、前作で主人公をいじめたジュリアンが同じ役者(ブライス・カイザー)で登場。いじめによって退学・転校し、友達となじむこともせず「普通でいる」ことをモットーとしているジュリアンに、画家の祖母サラ(ヘレン・ミレンが演じるが、とにかく老女ではあるが毅然ぶりが何とも格好良くあこがれてしまう)が語る少女の時代、ナチス支配でのフランスでのユダヤ人としての壮絶な体験と、その中で親切にされつながった人々、特にいじめられっ子として彼女が最初目もくれなかったジュリアン(現代のジュリアンとは別人)という少年との物語である。全体としては学校に乗り込んだナチス軍にとらえられそうになりながら、それまで名前も知らなかったジュリアンに助けられ1年以上にわたって納屋にかくまわれたサラのハラハラさせられるような日々とその中でのジュリアンとの心のつながりと最後の悲劇が描かれる物語の中心であるが、何十年もたってから昔を思い出しながら語るという構成で、過去のジュリアンの悲劇が悲劇としてよりも、その後もサラを見捨てずサラの父の帰還後結婚まで見守ってくれたジュリアンの母や、最初は密告者かと思われたジュリアン一家の二階の住人が最後の危機で実は味方であったとわかるとかいう人々の「親切」によって悲劇性が薄めラレている感じは娯楽映画ゆえ?。サラやジュリアンの同級生の「いじめっ子」で、ナチスの親衛隊になりジュリアンを拉致するビンセント?の最後なんかもちょっとご都合主義的アクシデントでもあり、ホッとはするけれど、こんなふうに行くか??という感じも。現代のジュリアンがいわば改心する話だから仕方がないのかな。とにかく最後の演説の場面まで、しわしわなんだけれど、ヘレン・ミレンの格好の良い毅然さにしびれる。映画の舞台は全編フランスだが、使用言語は全編英語。念のため。雰囲気の味わいとしてはフランスっぽさはあるのだけれど…。
(4月8日 下高井戸シネマ122)

⑨太陽と桃の歌
監督:カルラ・シモン 出演:ジョゼ・アバット アントニア・カステルス ジョルディ・プジョル・ドルセ 2022スペイン・イタリア(カタルニア語)121分 ★★

カタルーニャの桃を作っている農家。高齢の主夫婦、経営の中心になっている中年の息子夫婦、成人に達しようとしているその長男は畑の仕事を熱心にしているが、父親は「勉強しろ」が口癖。ティーンエイジャーと小学生の2人の娘が一家だが、近く(といっても車で…)に住む息子の妹夫婦と幼い双子の息子、また同性のパートナーと暮らして家を出ている下の妹とそのさらに幼い3歳くらいの娘がいつものように一緒にいて、子どもたちは一緒に遊んでいる。というような大家族の群像劇(
地元の素人が起用されて演じているそうだが、いや、みな自然でホントの家族みたい)。
この家族に、地主から畑を売ってソーラー施設を作るので夏の終わりまでには明け渡しをせよという、連絡が入ったひと夏を描く。主人と息子は頭を抱えつつ桃をしっかり収穫して売ることを考え、移民労働者も雇って(といってもお金はない。3人だけとかいうシーンあり)一家総出で収穫をする。長男は手伝いつつ、こっそり桃畑の中で大麻を栽培してみたりーこれは最後のほうで父親に燃やされてしまい、父子紛糾の種になるー、長男の妻や、妹はソーラーパネルの管理をすればむしろ生活は楽になるとも思っていて、それが元で長男と妹はケンカ、訪ねてこなくなった双子と遊べず下の娘は寂しがる…のように、なんかありそうな家族の日常が、家族皆で参加する祭り、長男と長女の地主に対するささやか?な抵抗活動、父子の参加する抗議デモなども含め、ちょっと暑苦しいが美しいカタルニヤの自然の中で描かれていくのだが…。映画comのレビューでは、農業の描写がいい加減だー曰く当地は桃よりもオリーブの産地であって、桃は付け足し?で生産されているにすぎない、その桃の扱いが雑で、あれではジュースにしかならないとかとかーま、それはそうなのかもしれないが、家族それぞれの感情や関係を「ふつうの出来事」によってあれだけの機微で描き出し、脱原発エネルギー開発、まさにエコロジー化により農園が失われていく矛盾を含めた悲しみを観客にも感じさせれば、充分ではないかと思えた。ベルリン金熊賞受賞作品だそうだ。(4月8日 下高井戸シネマ 123)

➉教皇選挙
監督:エドワード・ベルガー 出演:レイフ・ファインズ スタンリー・トウッチ ジョン・リスゴー カルロス・ディエス ルシアン・ムサマティ イザベル・ロッシリーニ アメリカ・イギリス 120分 ★★

ローマ教皇の突然の死、あとを引き継ぐ教皇選挙(コンクラーベ)を仕切ることになったローレンス首席枢機卿の視点で、その選挙中の数日間を描く。有力候補が何人かいるが、あるものについてはスキャンダルが発覚、その発覚にかかわり、前教皇から解任を迫られていたらしい別の有力候補も。また強硬主義で伝統回帰をはかる候補や、また枢機卿の名簿にないのに突然に現れて、前教皇からの任命を受けていたという人物などが入り乱れ、密閉されて外に出ることもできない中で、「確信」を危険としていわば狂信を排除多様性を重視する教会(きわめて現代的視点)に導きたいローレンス枢機卿はいかにこのコンクラーベを成功に導くか、その悩みぶり、選挙活動も含めた調査振りなどが描かれる。現ローマ教皇が高齢で病中だからといって、現代にこの題材で映画がつくられる意義はなに?なんてあまり信用もしないで見たのだが、いやなるほど!選挙結果に、現代にこの映画がつくられた意味、しっかり納得できた。ローレンスの秘密の調査に協力するシスター・アグネスが「シスターには発言権はないが目も耳もある」ということば、最後の最後、コンクラーベは無事に、しかし思いがけない結果に終わり、厨房から解放されて楽しそうに笑いながら中庭を横切るシスター3人、それを閉ざしていた窓を開けてみるローレンスの姿に、ジェンダー映画としての、このほとんど男ばかりの出てくる映画に込められた思いも見ることができる。(4月9日 キノシネマ立川 124)

4月28日フランシスコ教皇が亡くなって、5月7日から第267代目の教皇選挙コンクラーベが行われるそうです。まさに時宜を得た映画だね。ホンモノのコンクラーベの行方も見守りたいなんて思ってしまいました。


⑪1980僕たちの光州事件
監督:カン・スンヨン 出演:ソン・ミンジェ カン・シニル キム・ギュリ ペク・ソンヒョン ハン・スヨン イ・ジョンウ 2024韓国99分 ★

光州のある中国料理店、店主、なぜか店にはいないらしい息子、働き者で妊娠中(映画内で双子を出産)の息子の妻、その長男の小学生チョルス、さらに店主の二番目の息子と間もなく彼と結婚する恋人という一家。そして近所で美容室を経営する女性と、小学生の娘ヨンヒ。この家の主は軍人である。という2つの家庭を中心に息子チョルスの視点で光州事件に驚き、巻き込まれ、拘束されたり、思いもかけない死に見舞われたり、そして軍人の家族いうことでヨンヒと母が見舞われる悲劇というか周囲とのつらい関係とかを、いわば運動の主体というより、傍にいたフツウの人々(庶民?市民?)の目で描いた、その意味ではある種の正攻法の社会派作品。よくわからない、でもヘン、なんで?という子供の視点がよく効いていて見ごたえのr作品だった。しかし、まあ歴史的事件になっているとはいえ、また大統領が常に批判されたり検挙されたりするようなお国柄とはいえ、こういう国軍に対するあからさまな批判が叫ばれるような映画がどうどうとヒットする韓国は中国やミャンマー、また日本ともやはりちょっと違うと感心・感動?してしまう。(4月9日 キノシネマ立川 125)

⑫HERE時を越えて
監督:ロバート・ゼメキス 出演:トム・ハンクス ロビン・ライト ポール・ベタニー ケリー・ライリー ミシェル・ドッカリ― 2024アメリカ 104分

ロバート・ゼメキスが作りトム・ハンクス主演だから間違いない、とかトム・ハンクス、ロビン・ライトがVFXで10代から70代までを演じるとか、あるいはCG?を駆使して、人類前史の森林や氷河から建国当時?のアメリカ、そして1960,70年代から現代までの一軒の家の内部を定点撮影しながら、その中に住む人々の物語を紡いでいくというのだが…、時代はあちこち入れ替わり、画面は家の中の定点カメラが映し出せる範囲に合わせた?と見えて、森林、草原というような自然の景色にはワイド感がなくて作り物っぽさが漂う。物語も有志前?やベンジャミン・フランクリンについて語るビクトリア朝風俗の男女とかが入り乱れるので話の流れがつかみにくいのだが、要は戦争から帰りこのHEREである家を買った夫婦と、その息子リチャードの二世代にわたる戦後アメリカ生活とそこで稼ぐ男の夢(絵を描く)がつぶれ、妻は家庭内での生活に不満を抱くというような、そして老人介護の問題が入ってくるというわりと図式的な戦後の生活を描いて、狭い枠(家)の中に話しが閉じ込められている感じなのでいささか閉塞感もあり、終わり近くは少々眠くもなり…ウーン。家の中に枠ができてそこに違う時代の什器が重なるというような目を引くビジュアルの構成が面白いが、ただそれをねらって思い付きで作られた?という感じもしないでもない。(4月16日 府中TOHOシネマズ 126) 

⑬ミッキー17
監督:ポン・ジュノ 出演:ロバート・パティンソン ナオミ・アツキー スティーブン・ユアン トニ・コレット マーク・ラファロ 2025アメリカ137分 ★

『ほえる犬は噛まない』(00)『殺人の追憶』(03)『グエムル漢江の怪物』(06)『母なる証明』(08)『スノーピアサー』(13)『パラサイト半地下の家族』④(19)と並べてみると、いずれも強い印象を残した娯楽映画にして主張も持つポン・ジュノ映画、今回はアメリカ映画、近未来、閉ざされた階級社会での下層階級のガンバリや反撃?という意味では『スノーピアサー』に近い味わいかなとも思う。もっともスケールはぐっと大きく、植民地化をはかりある星に送られた宇宙船の中の独裁者夫婦が牛耳る厳しい階級社会の中で、移民になった青年ミッキーが軽率(しっかり契約書を読まなかった)にも、最下層の使い捨てのエクスペンダブル(正式には違法となっている)という任務に就く。それは危険な仕事などに従事して死ぬと保存してあった記憶とクローン技術により新しい同一人物?に生まれ変わることを繰り返すというもので彼は17回目の人生を生きているわけだ。ある日この星の先住民であるクリーパー(ナウシカの王蟲そっくりのダンゴムシ状)に殺されそうになったかというところから命を救われ、宇宙船に戻ると自分のベッドに自分とそっくりな男がいた。てっきり17が死んだと思われ再生された18で、気弱な17よりは狂暴で押しも強い…このへん「自己」とは何か考えさせられる。クローンでも同一ではないのね。そして同じ顔、衣装でありながら微妙に違ってみるだけでその違いもわかるロバート・パティンソンの演技もなかなかで、これは評判になっているみたい。そのあとは17と18の抗争?や、独裁者夫妻のワガママな独裁振りの中で翻弄される17、17と18の間でちょっとムシよく、二人と付き合おうとする恋人のナーシャ(当然宇宙船内の地位はミッキーより高い)とのバタバタがあって、宇宙船に子どもをとらわれ怒りに満ちた王蟲(クリスパー)軍団が襲ってきて、さてミッキー17・18はどうするか…ま、王蟲との戦い?はわりと典型的、でそこんで命を落とす人もなんか予想の内という終わり方ではあるし、衝撃的なアクションなんかもないので物足りなく思う人もいるかもしれないとも思いつつ、しかし派手なアクション的活躍よりも、ちょっと差別されたカナシイ人物のガンバリが世の中を動かすみたいなのも案外ポン・ジュノ映画っぽいと、私自身としてはさすがポン・ジュノと、けっこう満足してみた一本であった。(4月16日 府中TOHOシネマズ 127)

⑭天国の日々 4k
監督:テレンス・マリック 出演:リチャード・ギア ブルック・アダムス サム・シェパード リンダ・マンズ 1978アメリカ 94分

テレンス・マリック自身の監修による4Kレストア版。映画comの解説によれば、あらすじは「1910年代、青年ビリーと妹リンダ、そしてビリーの恋人アビーはテキサスの農場に流れ着き、そこで働き始める。やがてビリーの妹と偽っていたアビーにひかれる農場主のチャックが病気で余命幾ばくもないことが発覚。ビリーはアビーをチャックと結婚させ、そのお陰で厚遇を受けることに。しかしチャックは妻とビリーの関係を疑い……」
というわけで、貧しい出稼ぎ流れ者みたいな労働者が味わった農場主の家での豊かな暮らしが天国?、しかしそれには自身の恋人を農場主が「余命幾ばくもない」ことを見込んでとりあえず結婚させるビリーの打算と、うかうか乗っかってというか自分もそういう打算もあって農場主と結婚してしまうアビーのバカさと狡さが見え隠れし、アビーが結婚した後も二人は関係を続けるし、妻の兄として下の妹ともども豊かな暮らしを続けるわけで、農場主チャックにすればたまったもんじゃないだろうと、なんか物語や登場人物には全然共感抱けず、悲劇に向かっていくのも当然だろうとも終えてしまう。この物語のいきさつが最後に一人寄宿学校に預けられそこから逃げ出していく下の妹リンダ(この女優の顔つきが少女と思えないほど大人っぽいというかオバサンっぽいのも面白い)によって語られるという構成。
で、要は当時CG技術などもなかったのだろう、毎日夕刻の20分ずつくらいしか撮影しなかったということで、全体に黄昏っぽい紗ののかかったような夕霞?とでもいえるような柔らかな美しい色彩で見られる農場や周辺の景色、そこにいる動物たちなど自然の映像の美しさはよく言われるところだが、ホントホントで、そこだけはうっとり堪能できた。これはネストール・アルメンドロスの撮影だそうで、78年のカンヌやアカデミー賞では監督賞、撮影賞などを獲ったとのことだ。リチャード・ギアやサム・シェパードの「若さ」も懐かしい。(4月18日 新宿シネマカリテ 128)

⑮カップルズ(麻將)4K
監督:エドワード・ヤン(楊徳昌) 出演:ヴィルジニー・ルドワイヤン 柯宇倫 張震 唐従聖 王啓讃 1996台湾(中国語・台湾語・英語・フランス語など)96分

初回日本の劇場公開は1996年で、当時も見ているはず。例えばフランスから来たマルトと少年ギャング団?の金持ち?ーリーダー格のレッドフィッシュが金持ちの息子なのだねーの新入りルンルン(今回見てもなんか柯宇倫の初々しさ際立つ感じ)の恋とか、いかにもふてぶてしく、見かけはいいけど鈍感そうな造型のホンコン(国語でシャンガンと呼ばれている)の態度とか、思い出すところはあるのだが、全体の印象としては雑多な人々が集まる文化混淆の地台北で、この地で生まれ育ったり、外国から流れついたりいろいろだが、満たされない思いを抱きつつ富や幸せを求めようという人々の集合体がうごめいているという感じで、画面も美しいのだが逆光で撮られた夜景なんかも満載(というか夜景と室内だけで話が展開している)で、そこにいる人々も表情がはっきりわかるような大写しは少なくてわりとロングショット気味で、しかもタイプとしても千差万別でありながら意外に見分けにくいような人々があふれているので、ウーン。また、人が出てくる場面としては事件よりも室内などで互いに話すという会話劇的な要素が強く、筋を追うにもけっこう集中力がいる。しかも今回は山帰りで、ちょっと時間が空いて、そこにちょうど埋まると見に行って、見始めるとやはり!はっと気が付くと眠って場面が飛んでいるというような鑑賞になってしまったのは否めない。ウーン。体調を整えてもう一度見に行く余裕があるか(ビデオなどでは絶対に集中できなそう)考えているところ。(4月20日 キノシネマ立川 129)

⑯フェム
監督:サム・H・フリーマン ン・チュンピン 出演:ネイサン・スチュアート=ジャレット  ジョージ・マッケイ 2023イギリス 98分 ★

ドラーグクイーンのショーに出演しているジュールズが、ある夜LGBTQへのヘイト的態度を示す男たちのグループと遭遇し、中の一人入れ墨だらけの男にひどい暴力を受け体にも心にも深い傷を負う。数か月後ようやく人中に出られるようになった彼はゲイ・サウナで暴力をふるった男を発見。その男プレストンもゲイであることを知り、復讐を企てて近づく。いかにもプレストンに心惹かれたように見せかけ下手に近づき、見ている側がイライラするような態度でプレストンの支配的な性行動を受け容れていく前半から、プレストンの友人グループでゲームの能力を発揮して受け入れられ、やがて実は内面に脆弱さを持つプレイストンとの支配関係が逆転していく描き方は、ジュールズの側の変化(の演技)はなかなかで説得力があるが、プレイストンの強さから弱さ・ジュールズの受容をしていく過程は今一つ?あれあれいつの間にこうなるのという感じも…(自分が寝てたのかなア)。そして逆転の中でジュールズがプレストンに命じる行動やセックス場面の動画を録るシーンなどはまさに前半でプレストンがジュールズに強いた行為の裏返しになっている。やがてジュールズは誕生日にドラーグクイーンショーに復帰し、自身を蹂躙した暴力的なゲイ男との動画を録り復讐したことを観客の前で明るく披露するが…その場にはジュールズの友人からサプライズの誕生祝いとして来てくれと招待されたプレストンも来ており、怒りに満ちてジュールズの楽屋に現れる…。そして…。プレストンに「復讐」を果たしたジュールズの悲しみに満ちた表情ががクローズアップされる最後が、まさにこの映画のテーマを物語っている。ジュールズは黒人で、プレストンは白人だが、まさに映画世界では人種の壁というのは完全に乗り越えられた?しかしLGBTQに対する差別というのはまさに現代の問題としてあるのだなあと感じさせられた1本
(4月22日 新宿シネマカリテ 130)

⑰IT'S NOT ME
監督:レオス・カラックス  出演:ドニ・ラパン  2024フランス 42分

映画comの紹介によれば「ジャン=リュック・ゴダール監督の後期のエッセイスタイルへオマージュを込めながら、家族について、映画について、20世紀の独裁者と子どもたちについて、死者たちについて、そして哲学者ベルクソンが提唱した「エラン・ヴィタル(生の飛躍、生命の躍動)」について、ホームビデオから映画、音楽、写真などさまざまなジャンルやフォーマットの映像を、夢の断片のようにコラージュしていく」とされた一片。
まさにその通りだが、家族について言えば何枚もの古い子どもの写真が映し出されて「これはわたし」「これはわたしではない」というようなコメントが入ったりー自分とは何かという命題につながるのかなー20世紀の独裁者の写真コラージュでヒトラーなどと並んで最後はプーチンの大写しとか時代の中にいる作者を感じさせられもし、また若いドニ・ラパンが街を疾走したり(ドニ・ラパンについては最近の映像もあった?)、ジュリエット・ビノシュの大写しとかの旧作映像も交えて、けっこう目まぐるしく目くるめくような40分あまりは断片の連続なのに意外に豊かさを感じさせられけっこう楽しんだ。色彩もセピアががったモノクロ映像や、鮮烈なカラー映像が入り交じり目くるめく感じだが、これがレオス・カラックスという人なのね、とも感じさせられる一片。(4月28日 渋谷ユーロスペース 131) 

⑱トレンケ・ラウケン part1/part2
監督:ラウラ・シタレラ 出演:ラウラ・パレーデス エセキエル・ピエリ ラファエル・スプレゲルブルド フリアナ・ムラス エリサ・カリカホ 2022ドイツ・アルゼンチン スペイン語 260分

1981年ブエノスアイレス州生まれ監督の日本初公開作品(昨年末下高井戸シネマで短期公開されたとか)。1部はラウラ(この映画、役名はすべて演者名になっている)という女性を探すラファエロ(恋人、上司?でもある)とチーチョ(エセキエルの愛称?)という男二人が車で移動するロードムービー的映像から。車はチーチョのもので乗り捨てられていたものを引取りにきたらしく、ラファエロは「おれはキャリアを傷つけられ、お前は車を盗まれた」ゆえに二人ラウラを探すしかないというのだが、チーチョは「盗まれたわけではない、貸したのだ」といい一緒に探すのにも何となく乗り気でなさそうなところからやがてラファエロを置いて一人去ってしまう…映画全体は12か13?くらいの章だてになってそれぞれに題がつけられていてわかりやすくなっている?のだが時間的には前後しているところもあり、複雑な構成になっている。パート1ではトレンケ・ラウケン(丸い湖)の町に臨時雇いで植物探索にやってきた植物学者のラウラが図書館で偶然に古い書物の糊付けされたページに閉じ込められたポルノまがいにエロティクなラブレターに興味をひかれ図書館の蔵書からこのパウロという書き手から手紙を送られたカルメン・スーラという女性を探そうとする。町で彼女の運転手をすることになったチーチョは彼女の探索に興味を持ち、カルメン・スーラ探しにむしろ彼の方が夢中になっていく(カルメンを学校教師と推量し学校に訪ねていく場面、教師たちの協力ぶりはちょっと嘘っぽい?というほどに親切でこんなにうまくいく?とは思いつつ、目をひかれこのあたりからその前の眠気がちょっとすっきり飛ぶ。その中で離婚して一人子育て中のチーチョと恋人と家を建てている最中というラウラはちょっと心惹かれ…。パート1の後半でチーチョが語るカルメン・スーラとパウロの顛末は、あたかもパート2の同居する2人の女性とラウラの関係を暗示する伏線になっている?しかしラウラは違った見方をして、カルメンの妊娠とパウロ(パウロを演じているのはチーチョを演じた役者と同じ)への決別があったとする。パート1は概ねその意味ではチーチョの目線で書かれ、ラウラとチーチョの関係がそれぞれの視線でカルメンとパウロに重ね合わされている?が、最後は恋人ラファエロが、ラウラの職場の同僚を訪ねラウラ探しの情報を得ようとするという感じで割と俗っぽいというか、単純に恋人の行方を探そうとするラファエロに周りの人々が「探さない方がいいのではないか」とする場面もあって謎は謎のままに中断する128分?ラファエロとチーチョの対比的なラウラへの理解も割とくっきり描かれている。
後半パート2は植物学者としてこの街に赴任したラウラが野原で植物探しをしているときに妊娠中の女性と出会い「黄色い花」の特定と同じ花を探すことを頼まれるところからで、この女性は出だしではあたかも謎のカルメン・スーラ(同じ女優かな?)を彷彿とさせるのだが、実は全然話の筋は違い、この時期に町の湖(トレンケ・ラウケン)で発見された謎の生物を引取って自宅でかくまっている医師のエリサがこの女性、興味を持って彼女を訪ねたラウラが、エリサと恋人の女性に恋をし、二階の異生物に興味をひかれながら二人の関係に巻き込まれていく物語で、人間関係の重なり具合は1のカルメン・スーラの物語と重なるものの、話としては何だが木に竹を接いだように、2が1を受けてというふうにはなっていない。視点も2は1とは全く異なるラウラ主体で、彼女が地元のラジオ放送で自身の体験を語り、それをチーチョがきくという設定で、ラファエロはもはや出て来もしない…というわけで眠くはならずどんどん謎めいた状況に引き込まれていきはするのだが、終わってみると意外なほどに満足充足感がないのは謎解きハッピーエンドになっていないからばかりでなく、そのように謎で引っ張る部分と、謎は謎のまま心理をポンと起きたような部分のバランスがイマイチ?ということかな…
特別料金1500円×2本でもかなりの観客が押しかけている感じ。このあと行われている『ラウラ・シタレラ監督特集』も見に行くか迷っているところ。(4月29日 下高井戸シネマ 132)

⑲104歳、哲代さんのひとり暮らし
監督:山本和弘 出演:石井哲代 親戚・近所のみなさん ナレーション:リリー・フランキー 2024日本 94分  ★★★(ヒロインが魅力的なので)

尾道市で、100歳を越えてひとり暮らしを続ける石井哲代さん。102歳、103歳でその暮らしぶりやことばを紹介した著書もあるそうで、なーんともはや。102歳から104歳までの暮しの中では足の持病で二度ほど入院もしたが、リハビリに励んできちんとひとり暮らしに戻る。すごーいな。大正9年生まれといえば、先年亡くなった母よりも7歳も年長、40年くらい前に亡くなった父とほぼ同世代という感じで、私にとっては親世代なんだが、ウーン30年後にあんなふうに暮らせるとはとても思えん、というのが今日気弱になっているところで見た私の感慨…。104歳で滑舌に乱れなく(これってほんとにすごい)、自作の歌をはっきりした大きな声で大正琴を弾きながら歌い、お風呂はデイケアサービスで入るが、食事は自分で作って食べる。そのなんというかユーモアあふれる知的な冗談の数々「ありがたい人生でした。ーです!「ing」です」と英語もまじえ、もともと小学校教師で自身の子を持たなかったのは残念とは言っているものの、米寿!のクラス会に招かれて教え子たちに囲まれ自ら指揮をしながら斉唱をするシーン(私ももと学校教師だが、こんな未来は想像できない)とか、神戸で介護施設に入る妹を訪ねるもののコロナ禍で遮蔽ガラス越しの面会になって「桃ちゃーん」と大きな声で呼びかけるとか、妹のひ孫の子どもたちとの会話(おばあさんというより年長の友だちみたいに話す)耳は遠くないようだが声で生きている人の強さかな、と最近は全然人と話す機会が減っている自身への反省も込めて長寿の秘訣はこれかもね、と思う。自身の子どもはいないながら近隣には姪がたくさん、入れ代わり立ち代わり、しかし互いにケンカすることもなく?面倒を見てくれて、そういうのもなんともうらやましい感じ。ふーんとただため息の鑑賞だった。平日の昼劇場は言うまでもなく高齢者ゾロゾロ。
映画の終わりに4月29日哲代さんは105歳になられたとの知らせあり。またもや感歎!
(4月30日 シネスイッチ銀座 133)

⑳マリア・モンテッソーリ 愛と創造のメソッド
監督:レア・トドロフ 出演:ジャスミン・トリンカ レイラ・ベクティ ラファエル・ソンヌビル=ギャビー 2023フランス・イタリア(フランス語・イタリア語)99分

モンテッソーリ教育はもちろん有名だが、この映画はその教育の主眼と成果の部分は、実際に障がいがあるという子ども~青年のパフォーマンスに任せてビジュアル的に見せるだけ(すごーくうまくいっているという印象の、主人公マリア・モンテッソーリも悩む通りのちょっと見世物みたいな、で時代の差はあるといってもどうなんだろう。演じた子どもたちは納得して演じている?とすればすごーい演技力)で、話の主眼は今まで父方の祖母にあずけていた学習障害がある娘ティナを突然引取ることになったパリの高級娼婦リリ・ダレンジがローマに逃げ娘を預けようとモンテッソーリ学園の門をたたき、こちらは学園の共同運営者(といっても彼はきちんと雇われ、彼女は無給)との間に子どもがいることを秘して田舎の乳母に預けているマリア・モンテッソーリと知り合い、その教育に触れ娘の変化を見て、マリアとのつながりを深め、その教育への希望やとりくみを援助していく過程での友情と、いわば女の生き方やつながりに目の向いているむしろジェンダー映画だなと感じる。そのほうがなまじな教育映画よりはわたしとしては興味も共感もわくのであるが。それにしても世俗的な成功や資金集めに目を向ける恋人を支えて学園の教育理念の部分を担いながら無給、恋人との間に子は出来るが結婚はせず、子どもは田舎の乳母に預けてたまに会いに行く。やがて恋人には新しい女性ができて離婚を迫られるが、子どもは父親に取られ結局12年間会えなかった?とか、15歳で再会した息子とはうまく行ったようだけれど、特に私生活的にはなんかホントにつらく報われぬマリアの人生だなあ。リリが現れて支えてくれてよかったなあと、つくづく感慨にふけったのである。(4月30日 シネスイッチ銀座 134)


書きました! よかったら読んでください。


●よりぬき[中国語圏]映画日記
懐かしの香港一九八〇年代の「時代劇」
『トワイライト・ウォーリアズ 決戦! 九龍城砦』
『ゴールド・フィンガー 巨大金融詐欺事件』

TH叢書NO.102アトリエサード/書苑新社 2025・4

こちらもよろしく(同じ叢書内です)

中国語圏映画ファンが選ぶ2024年〝金蟹賞〟は『未完成の映画』に! 
小谷公伯

以上! 今月もおつきあいありがとうございました!

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