【勝手気ままに映画日記】2019年11月

妙義山中間道から関東平野…紅葉には少し早い?11月10日です。
こちらは今や日本で一番遭難が多いらしい、妙義の岩壁です。上にも人がいますが…。

11月は22日までに16本。この後の東京フィルメックス(23日~12月1日)は次号にて。
🌸マークは、ちょっとお勧め・お気に入り…あくまでも個人的趣味ですが…。

①教えてドクター・ルース②風をつかまえた少年③この星はわたしの星じゃない④あなたを、想う(念念)⑤ザ・レセプショニスト(接線員)🌸➅聖なる泉の少女 (NAMME)⑦パリに見いだされたピアニスト➇プライベート・ウォー➈象は静かに座っている⑩誰にも言えない小さな秘密⑪ひとよ⑫第三夫人と髪飾り🌸⑬ノー・スモーキング⑭宮本から君へ🌸⑮マチネの終わりに



①教えてドクター・ルース
監督:ライアン・ホワイト 出演:ルース・K・ウエストハイマ― 2019米 100分

映画の出来というよりも主人公たるドクター・ルースのビジュアル(40代ぐらいより
90の今が魅力的)も含めた人柄と、ナチス下のドイツで両親は収容所で死亡、本人はスイスの寄宿制の施設に預けられることにより命を長らえ、戦後イスラエルのキブツに住み、イスラエル軍の訓練を受け狙撃兵に、そして、やがてソルボンヌに留学、恋愛や結婚によってアメリカに移住し、やがてセックスカウンセラーとして世に出て売れっ子になるという経歴が映画の作りにかかわらず興味を引くという映画。3度目の結婚はスキー場で知り合ったお連れ合いで、高齢の今もスキーを楽しんでいるというのに個人的には惹かれるし。いろんな人生があってすごい人もいるんだなあ…とただただ惹かれて見ていた。(11月5日 下高井戸シネマ)


②風をつかまえた少年
監督:キウェテル・イジョフォー 出演:マックス・ウエル・シンバ アイサ・マイガ 2018イギリス・マラウイ(英語・チェワ語) 113分

原作はウィリアム・カムクワンバ、ブライアン・ミラーのノンフィクション(2010・文芸春秋刊)干ばつで人々が飢えと貧困に苦しむマラウイで学費が払えず学校をやめざるを得なかった少年ウィリアムが、学校の図書館にこっそりこもって独学し、風車を作り風力発電をすることによってポンプが使えるようする。村は干ばつから救われ二期作で作物の収益が上がったという話を、ほぼ予想の域内で手堅く描いているのは、自らも父として出演しているキウェテル・イジョフォー。
前半の苦しい干ばつの中での暮らしや、学校からの放逐、そして大学進学を決めている姉の恋人である教師をいわば一種の脅しで図書館に入る権利を得るあたりの描き方は映画的に丁寧だけれど、風車作りからはじまって完成するまでは意外と短めというかあっという間でうん?これって貧しさの中でも学ぶこと自分で考えられるようになることを称揚するテーマではなかったのかな?と、そう言うところの描き方は案外軽い。それが実際に現場に近い人の感覚なのかもしれないけれど。でも真面目ないい映画です。
「ドクタールース」と、これはその前の週新百合ヶ丘で見るはずだったのだが、大雨で見そこなったので、この日にここで。ようやく秋の長雨ならぬ大雨を抜けた秋晴の日でした。(11月6日 下高井戸シネマ)


③この星はわたしの星じゃない
監督:吉峯美和 出演:田中美津 米澤知子 小泉らもん 上野千鶴子 伊藤比呂美 2019日本 90分

これも70年代リブの牽引役だった田中美津の一人語り、一人主演的なドキュメンタリー。まだ「フェミニズム」になる前のウーマンリブを語るには外すことのできないカリスマだった人物が、その後子供を産み、鍼灸師になり、というのは知っていたけれど、久しぶりにお姿拝見、でああ、こういう映画もできるほどに時がたったのだなという感慨も。鍼灸師として体(自然)に向き合い、沖縄に通って基地反対のツアーを何度も行い、運動家?の男と論争し、久高島で巫女のようなガイドの滔々たる説教に耳を傾ける風をして実は寝ていた…という彼女にあくまで寄り添い彼女個人を描き出している。
70年代のリブの映像も出ては来るが、それはあくまでも断片でリブをともに生きた人は親友の米澤ぐらいで、それも田中の語りの相手としてという感じ。上野千鶴子や伊藤比呂美もシンポジウムの席上で田中と鼎談している様子が映されるだけで、彼女たちが田中やリブについて語るというわけではない。そういう、いわば「この星を自分の場所だとは感じられない」「たいしたことないが、かけがえのない」一女性への興味としては大変に面白いというか、なるほど…と思わされる。10時半の1日1回上映で仕事を抜け出して見に行く。12時に終わり、トークは安富歩氏と監督。さらに田中さんも出てきて著書の宣伝、それに久高島の「神がかった人の話は、前の日の疲れで聞いていなかった。自分はああいう話を聞く人間ではない」と言ってみれば弁明。となると、そういう映像を印象的な場面として撮影しているこの映画の価値というのが、ある意味問われてしまうのではないかとも思ったが、そこへの監督の言及などはなし。12時半に終わり、昼を食べて仕事に戻る、というのにちょうどいい感じでした。(11月6日 渋谷ユーロスペース)


④あなたを、想う(念念)
監督:張艾嘉  出演:梁洛施 (イザベラ・リョン)  張孝全(ジョセフ・チャン) 柯宇綸 李心潔(アンジェリカ・リー) 2015台湾・香港 119分

2015年東京フィルメックスで見て、きれいで力を感じるけれど難しい(込み入っている)という印象だった。今回公開の公式サイトの暉峻創三氏のイントロダクションによれば、それまでのわかりやすい商業作品によって監督としての地位を確立したシルビア・チャンがアート性へと舵を切った作品だそうで、最初の台北の空をバックにたたずむイザベラ・リョンから、途中の緑島での子ども時代の海を背景にした描写、黙って歩き黙ってたたずむ人々などのシーンの引き込むような力は確かに…柯宇綸が出ているからというわけではないが、雰囲気としては後の『台北暮色』に通じるところもあるかな…という感じ。
しかし、暉峻氏もちょっと触れているように、話は込み入り時系列の流れも結構行ったり来たり、3つの話の筋が(ヒロイン育美の恋と妊娠、恋人阿翔のボクシングへの挫折、育美の兄郁男の暮らしと母や妹への思い、それに幼い時の緑島での兄妹と母も…で4本か)行ったり来たりするし、そこにからんで脇筋の話も妙に丁寧だし、という感じで、気を抜いていると話がなんだかわからなくなるし、場面描写の意味も(ほとんど意味を持っている)もすっ飛びそうになるし、なかなか大変。おまけに阿翔も育男もそれぞれに別れて縁の薄かった親と不思議なまぼろし的な遭遇をする幻想などもからみ、ウーン。
2回見てもよくわからず、帰り道であらすじを頭で繰り返してみて、ああそうか、と思ったのは心に鬱屈を抱え行先も定めず偶然金島行のバスに乗った育美が、なぜかよろよろ運転するバスの中で、隣り合わせの妊婦が転んだのを助け病院に行き出産に立ち会うシーン。しかもこのバスは、阿翔が釣りをしながら父の幻影?と合う海辺の近くを走っていて、阿翔は救急車のサイレンを聞く。育美が病院に行くまでは、断片的に育美の隣に妊婦が座る、バスがよろよろうねって運転を始める遠景、走る救急車、海辺の阿翔とその父のからみ、終わって出産シーン(これがまた結構延々と長い)という感じのショットで続き、見ているときには何が何だか全然わからず。今もあまり自信はないのだが、そう見るしかないんだろうなあ。その前には少女時代の育美と台北に出た母が妊娠し、出産で命を落とす(ここは育美はまだ子役というかイサベラ・リョンになる前の少女俳優が演じている)という物語もあって、一瞬というかしばらく後の出産シーンは少女時代の回想かとも思ってしまった。
なお、主たる話の筋は緑島で幼年期を過ごした兄妹の、母は妹だけを連れて台北に出てしまい、やがて死ぬ。妹はそんな母との間に確執を感じつつ母も望んだように画家として好きな絵の道に進んでいる。一方残された父は母を断固拒否して恨み、そんな父と暮らす兄は母や妹を恋つつも、探したりすることもなく空しい日常を生きている。そんな兄が父の死んだ日、台風で足止めされた出張中の台北で不思議な母の幻影を見る。妹は妹で他人の出産に立ち会い、その恋人は父の面影を持つ釣り人(幻影?)に会い、それをきっかけに2人は1歩踏み出して子を持つ。そして数年後…というような話である。
とにかくずっとずっと人を想い続けている(念念)人々のはなしであるわけだ。映画中に出てくる育美描く油絵は確か母親役李心潔の作品(力があって見ごたえあり)、主題曲はレネ・リュウの歌唱だった。(11月13日 渋谷ユーロスペース)
 

⑤ザ・レセプショニスト(接線員)

監督:ジェニー・ルウ(盧謹明) 出演:テレサ・デイリー(紀培慧) チャン・シェンチー(陳湘琪) ジョシュ・ホワイトハウス 2016英・台湾 102分 🌸


イギリスに住むという台湾人の若い女性監督のデヴュー作。移民女性の吹き溜まりのようなイギリスの売春宿を描くというから、うーん、どんな角度?と少し悩んだが、存外地味で、暗い。イギリスが登場人物にとって決して「いいところ」ではなかったということを表している? で、そこに浮き立ったような清潔感となじまなさでたたずむヒロイン・受付嬢ティナのテレサ・デイリー(前はテレサ・チーだった)と、吝嗇で他を蹴散らしているようでもありつつ、存外親切でもあるナニーに息子を預けて住み込んでいる売春婦ササを演ずるチャン・シェンチーの圧倒的な存在感で、意外性があるわけでも、それほどドラマティックな展開があるわけでもないが目を離せない吸引力のある作品に仕上がっている。
とはいえ、監督の主眼はあとからやってきて住み込み、ササの金を盗んだ疑いをかけられ(実は盗んだのはティナ)この宿を追い出されて死ぬアンナであり、彼女には映画の末尾作者の献辞がある。若い男と情事にふける売春宿のオーナー女性も、実はこの家が売春宿であると家主には告げておらず、家賃滞納で結局追い出されるし、ティナも同棲している無職の恋人の代わりに家賃を稼ごうと必死でこの仕事に就くのだが、結局それが原因で恋人に追い出されてしまうと…行き場のない女達は結局(不法)移民であるということにつきる、という意味ではきわめて社会的な問題を描いた映画でもある。ティナが台湾に帰り幸せをつかむ?その台湾の景色のまぶしさがイギリスのくすんだグレーとは対照的だ。(11月14日 新宿K'Sシネマ)


➅聖なる泉の少女 (NAMME)
監督:ザザ・ㇵルヴァン 出演:マリスカ・ディアサミゼ アレコ・アパシゼ エドアル・ボルクヴァゼ ラマズ・ボルクヴァゼ ロイン・スルマニゼ 2017ジョージア・リトアニア(ジョージア語)91分

不思議なアングルに切り取られた田舎の村の山崖の風景、そこに立つ昔風の掘立小屋のような家、谷間には何かの採掘場?機械の動く近代の象徴のような光景もあり、その村で一つの泉を守り、長らく孤独に命を長らえる魚を飼い、水を使って病やけがに倒れた人の治療もするという一家の父と娘ナーメ(原題は彼女の名)。3人の息子(といっても皆いいオジサン)はそれぞれジョージア正教(キリスト教)の神父、イスラム教の聖職者、無神論の化学教師(なんとまあ、不思議な寓話的な取り合わせ)となって近くの町に住み、ひとり家に残された末娘が、毎週水をもって彼らを訪ねる。その娘のひそかな恋愛と、自分の老いを感じ、この泉を守る聖職が途絶えることを悩む父、そしてそれぞれに家を出て、気にしないわけではないものの無理解な息子たち。その営みを寒々とした村の景色の中で淡々と描いていく。外の世界に心を惹かれ街に出ると化粧品店によったりもするものの、結局父のもとを離れられない娘が最後にした決断とは。派手で声高ではないけれど、すごく端正で映画的世界を楽しめる―岩波ホールっぽい映画だった。最後、湖にたたずむ娘で終わればいいのにと思うと、採掘場(チラシによると水力発電の現場?)が映る。え?まだ話が続くのと思うとエンドロールになっていく。あ、なんかすごいうまい終わり方を見た!(11月15日 川崎市アートセンターアルテリオ映像館)


⑦パリに見いだされたピアニスト
監督:ルドヴィック・バーナード 出演:ランベール・ウイルソン クリスティン・スコット・トーマス ジュール・ベンシュトリ
2016フランス・ベルギー 106分

『アスファルト』(2015仏 2016/10鑑賞)のイケメン高校生ジュール・ベンシュトリ(『アスファルト』の監督、サミュエル・ベンシュトリと女優マリー・トラティヤンニの息子、ジャン=ルイ・トラティヤンニの孫という映画界では超毛並みのよい若者)が主役。 
 離婚して生活苦にある母の育てられ、窃盗などもして警察に追われるという青年、ただし、子どものころ、ひょんなことからピアノの手ほどきを受ける機会を得て(この素人ピアニスト?みたいな先生との出会いや、先生が亡くなるときのいきさつなどはちょっとほろりとさせられる)天才的なピアノの腕前を発揮、パリの駅ピアノ(駅ピアノのTVは結構好きでよく見ているワタシ)でパリ音楽院のディレクターに見いだされ、その手引きで窃盗の懲役がわりの懲罰奉仕(ボランティア)に仕事でパリ音楽院の清掃の仕事を割り当てられ、そこから名女性ピアニスト「女伯爵」の特訓を受けて国際コンクールで優勝、ニューヨークデビューを飾るという、まあお約束通りのサクセスストーリーで、ピアノの名曲もいっぱい入っているし、パリの街の景色も楽しみつつ、飽かずに見せる映画ではある。けっこう大胆な省略話法もあったりして、そこを見ると、どうなんだろう、嘘っぽいというか安直だよなと、思えないこともない。コンクールの1カ月前に腱鞘炎になって3週間ピアノを弾けないという状況になるのに復活してしまうとか、コンクール当日に弟が事故にあって弟のためにいったんは断念したコンクールに出るとか、そもそもいったんは舞台に立つ彼の代役、実は正規の学生としてコンクール出場の一番手だったはずの学生の気持ちや立場はどうなるの?とか…。主役は彼というより彼を世に出すディレクターのほうで、貧乏な音楽院の立て直しと、言うことを聞かない天才青年との板挟みになる苦悩からの復活をテーマと見るべきなのかも…と言いつつ、やっぱりそれには無理がある?
(11月15日 川崎市アートセンターアルテリオ映像館)


➇プライベート・ウォー
監督:マシュー・ハイネマン 出演:ロザムンド・パイク ジェイミー・ドーナン スタンリー・トウッチ 2018英・米 110分


1956年生まれ2012年シリアの戦場で命を落とした英・サン―タイムズ記者のメリー・コルヴィンの半生を描く実話ベースの物語。シリアでの破壊された街を俯瞰した映像とインタヴューに答えて自分の墓標のようだと言いつつ、常に注意しているし、他の人が注意できるように戦場に行く??というヒロインのことばからはじまり、同じ場面での死から再度俯瞰して同じことばを、今度は扮するロザムンド・パイではなく実在のコルヴィンの映像とともに映すという、まあ、ドキュメンタリー作法的な映像は、そもそもこの監督がドキュメンタリーの巨匠と言われる人ゆえ?
戦場シーンも、合間の生活(スリランカでの片目を失う怪我とか、元夫や、恋人たちとの生活とか)も含め、迫力のある映像と、演じるパイクの力演で息もつかせず見せる。死の時点から振り返り、過去の船上などにさかのぼり、最後の2012年2月22日に戻ってくるという構成。ロザムンド・パイク、1979年生まれで40代に入ったばかりだけど、おもに40代から55歳の死までの年代を美しく、若々しき貫録という感じで演じて自然なのがとても素敵に感じられた。(11月15日 川崎市アートセンターアルテリオ映像館)


➈象は静かに座っている
監督:胡波 出演:章宇 彭昱暢 王玉雯 李从喜 2018中国 234分

昨年フィルメックスに続いて2回目の鑑賞。今回はものすごく評判が高いようなので、昨年の自分の鑑賞結果を確かめるような気持ちもあっていく。前日深夜に予約を取ろうとみるとすでに8割ぐらいの席が埋まり、実際にはじまるとほぼ満席。すごーい。4時間周辺身じろぎもせずという感じ。だが…去年の鑑賞で自分はかなりよく見ていたのではないかという感を強くした。全編灰色がかった暗ーい石家庄の街。大写しの人の顔が案外多いのだが浅いフォーカスで、相手の顔さえぼんやり、それと今回思ったのはとにかく背後から撮った、それも大写しで、バック(前面?)には空しか見えないような歩いて画面の奥に行く後ろ姿がやたらと多いなあということ。それでときどきふわっと眠くなるのだが、はっとして目をあげるとまだ同じ後ろ姿ということが多くて、これはいささか疲れた。あまり饒舌ではない登場人物がセリフでというより表情で気持ちを見せるような演出が多様されているので、若い俳優も監督も大変だったろうなあと思うと、この後ろ姿の多用は演出効果というより演出演技からの「逃げ」なのではないの?とこれはいささかイジワルな感想。最後高校生布(プー)が偽切符をつかませられたダフ屋に迫り、逆に人のいない崖上のようなところに連れ込まれ、兄貴分の主役ユー・チェンが現れてから、瀋陽いきバスに乗り込む辺りまではなかなか圧巻、緊張感・吸引力のある展開と画面で、ここ20分くらい?でなんかこの映画十分な気もしてしまう。とにかく一つ一つの場面が長くて丁寧に描き込んである割に、最初のほうのユー・チェンの友人の自殺、プーの友人が階段からお落ちる場面とか、最後のほうで事件に絡んだ別の友人が自殺するあたり、死に関する場面は今どきの映画にしては省略・暗示?的手法(なまなましく落ちたり血が流れたりというところは見せない)でこれもちょっとユニークで面白いが、全体の長さの中の描き方からすると少しアンバランスなというか注意してみていないと見落としそうな不安も感じさせる。タルベーラの後継者という惹句はなるほどとは思うが、死なないで続けてほしかったからこその賛辞だろうなあ。(11月16日 渋谷イメージフォーラム)

⑩誰にも言えない小さな秘密

監督:ピエール・ゴドー 出演:ブノワ・ボールヴール スザンヌ・クレマン エドゥアール・ヴェール 2018仏 90分


自転車に乗れない自転車屋さんという、そもそも非現実的?な一種のファンタジー。南プロヴァンスの陽光たっぷりの鄙びた町に住む郵便配達人(自転車が必須)の息子が自転車に乗れず―とはいっても生涯2回だけトンでもない荒業で自転車で空を飛びレジェンドになるー誰も彼が本当は自転車に乗れないことを知らない―自転車の分解修理だけは上手になり自転車屋になる。彼と自転車の関係の描き方が、ささやかなのだけれどCGを上手に使ってファンタジックに描かれている。自転車に乗れないことを知られ恋人にふられたり、結婚相手にも嫌われるのではないかと言い出せず中年になってしまった彼が、動くものを撮れない肖像写真家と知り合い…という友情もの?も絡めたような、意外と苦さもありつつ後味は品よく仕上がっているという感じ。
幼年期から4代にわたる主人公役の役者がちゃんと同じような面影で大きくなっていく違和感のなさがすごい!  (11月17日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館)

⑪ひとよ

監督:白石和彌 出演;佐藤健 鈴木亮平  松岡茉優 田中裕子 佐々木蔵之介 音尾琢磨 2019日本 123分


親の側からすると思いが子どもに伝わらない苦しみ、子の側からは親が自分のために良かれと思ってしてくれているのはわかるのだが、それは自分の思いや望みとは少し違うという苛立ち、苛立つと子どもの出方は親にとっては想像もできないような反抗・排撃的行動に出るという、そのすれ違いがうまく描かれている。
一家がもともとタクシー会社を経営していて親戚(弟?)がそれを支えてくれて母の不在の15年間、子どもたちは生活には困らなかったとか、まあ、一般社会的にはちょっと甘い設定かなとも思えたし、そのタクシー2台も壊滅状態にしてのクライマックス、記者の次男がずーっと故郷に帰ったきりで大丈夫なの?とか、少しご都合主義な展開も感じないではないが、子供役3人の好演もあり最後までぐいぐいと引っ張って見せるのはさすがの話題作。(11月19日 府中TOHOシネマズ)

⑫第三夫人と髪飾り

監督:アッシュ・メイフェア 出演:トラン・ヌー・イエン・ケー グエン・フォン・チャー・ミー マイ・トゥー・フォン 2018ベトナム 93分 🌸

19世紀ベトナムの旧家に第三夫人として嫁した14歳の少女の出産後までの1年余り。ベトナムや東南アジア諸国では官能描写が物議をかもしたとか、伝統的なベトナム旧家の生活ぶりや風俗の美しい描写とかいう部分がけっこう強調されて宣伝されていたので、オリエンタリズム称揚みたいなのでは?と少々不安に思いながら見る。いや、確かにそれらや自然描写の美しさ―少しくもった甘い色調なのが怖いといえば怖い―はなかなかだけれど、そこにいる女性の生き方には官能や伝統への順応のありようも含め作者の見る目の筋が一本通っているという感じ。
三人の夫人や彼女たちの世話をする「おばさん」と呼ばれる中年女性は、伝統の中でただ産む性、夫や男に従う性でありながら、それぞれにふてぶてしいと言ってもいいほどの個性をひそかに発揮しているが、それも実は社会の仕組みの中では空しくもあるという描き方。妻として受け入れられず、実家からも帰ることを拒絶され縊死した長男の妻(幼い少女だ)の葬儀(最初は大勢の女性が付き従い、やがては男3人だけに守られて夜の暗い川面を小舟で進んでいく)のあと、生まれた赤ん坊を連れてさまよい出た第三夫人のメイが、泣く子に悩み毒とされる黄色い花を摘む怖さ…この映画がしかしそういう暗さや、また伝統美への順応をのみ主張しているのではないことは、もう一人の少女、息子が産めない故に「夫人」とは認められない第二夫人の長女の存在だと思う。彼女は祖父には「可愛い孫娘」と可愛がられながら、やはり男の子の前では二の次扱いされ、第三夫人の結婚から妊娠出産までをみつめ、幼い兄嫁の縊死をもじっと見ている存在。彼女自身も初潮を迎え、兄の次には「誰かわからないが第一夫人になる」という結婚を約束されていることを認識している。しかし月経の手当てを母から習っているときに妹が遊ぼうとくると一緒に行ってしまうような一見無邪気な行動も見せつつ(こういうところがうまい描き方)最後は一人自らの髪を切る場面でこの映画は終わり、このような女たちの境遇を打ち破る存在や行動を示唆している。(11月20日 渋谷文化村ル・シネマ)


⑬ノー・スモーキング

監督:佐渡岳利 出演:細野晴臣 2019日本96分


時間もないしなあ、と悩んだが、予告編がなかなかキッチュでもありビジュアルも刺激されて見に行くことに。で、結論的には私(ワタクシ)的にはだが、面白かったのは予告編映像の部分だけ??あとはまあ普通。戦後すぐの生まれた時、幼少期から高校時代あたりの幼年期の音楽好き、その後の盟友たちとの付き合いやバンド活動、そして2018年からのワールドツアーとその合間合間のインタヴューや宮沢りえ、水原希子、星野源らとのTVや舞台での共演シーンー若い人とも一緒にうまくやっているーという感じでまあ普通のドキュメンタリー・フィルム。70やそこらで自伝?ドキュというのもしんどそうに思うが、数々の作品の演奏はまあそれなりに楽しめる。もちろんファンにとっては垂涎の的だろうけれど、思うに私は世代が近いというか学生時代ちょっと上くらいで活躍を見ていた世代なので、ウーン、でもあまり郷愁などはさそわれないなあ。
(11月20日 渋谷ユーロスペース)

⑭宮本から君へ

監督:真利子哲也 出演:池松壮亮 蒼井優 井浦新 柄本明 一ノ瀬ワタル ピエール瀧 佐藤二朗 2019日本 129分  🌸


ロングランで上映館もあちこちに広がっている?要は話題作で、しかもトレーラーで見ると怒声、血まみれみたいなところも目立って少し腰が引けていたが、K’Sシネマまで来てようやく腰をあげたというところ。まさにトレーラー通りで、「まともに生きてきた」(あくまで「」つき)中高年から見ると宮本も恋人の靖子も社会人としてやっていけるかと思うほどに直情的で、しかし、仕事はどちらも一応ちゃんとやっているという設定みたい(仕事場面はあまり出てはこないが)なので、これが現代の若者としてはフツー?-いや、フツーなら映画には描かれないか)だが、けっこうおもしろく、吸引力が強くて―多分これは主役の池松壮亮のだーそして敵役の一ノ瀬ワタルのなんか巨大な肉体性、もう一人の敵役?井浦新のちょっとあまり見たことがないような彼のなんというか退廃性(わき役としての)がその直情的な池松を支えている感じがする。年上の恋人靖子役の蒼井優はその中間にいてどちらの雰囲気も併せ持ちつつ、自分があるようでないようなキャラクターをさすがにうまく演じている。「宮本」と呼び捨てにするのがなかなか格好いい!(11月21日 新宿K’Sシネマ)

⑮マチネの終わりに

監督:西谷弘 出演:福山雅治 石田ゆり子 桜井ユキ 伊勢谷友介 古谷一行 板谷由夏 2019日本 124分


パリ・セーヌ河畔でのテロを再現したロケ(ってまさかCGではないよね?)、主人公蒔野のホールコンサートのシーン、マドリード(ちょっとだけど)ニューヨーク(これもまあちょっと??)と世界を股にかけ飛ぶカメラと、お金も手間もかかっていそうで、オリジナル曲『幸福の硬貨』の再現とか、聞きごたえあるクラシックギター名曲の数々とか、そして恋愛映画の定番の「すれちがい」となかなかに見ごたえのある1本に仕上がっているにもかかわらず、なんか物足りないのはなぜかなあと、一晩考え思ったのは「はなれても愛し続ける」とかいうコンセプト、「人を愛するというよりは音楽家としての彼の音楽を愛し、そのためならば嘘をつくことも含めなんでもする」というような生き方が小説であればある程度のことばで、読んだ人が共感するかどうかはともかく納得できる時間が過ごせるのだが、映画のビジュアルでは唐突感というかいたずらに登場人物のエキセントリックさが強調されるのかなと思う。一応原作を読んでいたのでそれでもまあ、納得するのだが、もし原作未読ならばなぜこうなるかわからないという細部の齟齬(登場人物の状況がありうるだろうとは思うリアリティはあるが、意識のありようとしては納得できない)が気になりそうな映画だ。桜井ユキ(主人公のマネージャー三谷役)がTVの『G線上のあなたと私』のバイオリンの先生と同じ人とは初めて知った。見ていて気がつかないくらい、それこそちょっとエキセントリックな執着ぶりがめだっていて、それが終わりのほうで主人公の舞台成功のため?自分の嘘を告白するくだりがなんとも不自然な気も。そういう意味ではすごく変な人物像なので、エキセントリックぽく演じるしかないのかも。でもまあ、よく演じていて感心した。(11月22日 府中TOHOシネマズ)


やっと見ました、雨中の黄葉・紅葉…高尾山 11・22





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