【勝手気ままに映画日記】2023年3月

ふたたびの戸隠、今回はちょっとレア?な「PeakFinder」の映像で(3/2)

同じく瑪瑙山頂上からの北アルプス方面

ゲレンデからの戸隠山

 3月の山歩き・スキー

3月1日~3日 戸隠スキー場へ
 2月に引き続き、(懲りずに)…。実は2月に宿にスキー板と靴を預けてきた確信犯スキー でした。2回目ならば靴もなじみ、もう少しうまく滑れるかな…?と。大分足は慣れて、前回よりも滑ったコースは増え、それなりに距離も稼ぎましたが、逆に前回気づかなかった自分の老いやそれに伴う弱点も思い知った…。ま、来シーズンに何とか引き継げたかな…。
ピークファインダー(アプリ)を利用して、名前入りの山の写真はたくさん撮りました。夏山に備えて心の訓練というところですね。


3月20日 須磨浦公園(山陽電鉄)〜鉢伏山〜旗振山(252m)~鉄拐山(234m)~高倉山~(高倉台)~栂尾山(274m)~横尾山(312m)~(馬の背)~東山〜板宿(山陽電鉄)【六甲山全縦走路の一部、須磨アルプス】  
  8.1Km 4h59m ペース110~130% 上り628m下り625m 14300歩

大阪アジアン映画祭のあと、どこか近くて良い山をと探して、YAMAKEIオンライン(2/9)に紹介されていたこのコースを見つけ、一部変更(塩屋発を須磨浦公園に)しての単独行。
須磨浦公園には蕪村や芭蕉の句碑があり、まずそれを見てからロープウェイを尻目にとことこと山道を登って鉢伏山へ。そこから3つの山を経て、いったん長い階段と陸橋で住宅地高倉台に下り、また陸橋と階段で栂尾山へ。今回のミニ縦走で最も高い横尾山で昼食後、難所?の岩山・馬の背をよじ登り東山、縦走路はさらに北東に伸びるわけですが、ここで右折して板宿(いたやど)に下りて戻るという、ゆったり日帰りコース。一番高い山の300mちょっとという高さではありますが、出発地点が10mくらいなので、それなりに高度差もあり、変化もあり、歩きがいもある楽しいコース。なによりも「春の海ひねもすのたりのたりかな」(蕪村)と詠まれたうららかな須磨ノ浦の陽光にうっとりという山歩きでした。次は板宿から登ってさらに六甲山系奥地へと縦走を続けていけたらいいなあと思ったり…。
はるのうみひねもすのたりのたりかな(逆光失礼!)

鉢伏山(ロープウェイ駅)
袖振山からの海


迫力ある馬の背

板宿に下りる

         
           桜とすみれ
 
板宿商店街
最後は大阪・梅田に戻ってビール1杯!

              

3月の映画

①月の寵児たち②エンパイア・オブ・ライト③ここに幸あり④蝶採り⑤月曜日に乾杯➅女性の勝利⑦明日を創る人々➇ワース 命の値段⑨エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス⑩宗像姉妹⑪母なれば女なれば⑫エッフェル塔 創造者の愛⑬REVOLUTION+1⑭オマージュ⑮花椒の味⑯群盗、第七章⑰汽車はふたたび故郷へ⑱ロストケア⑲真人間⑳野口英世の少年時代㉑丘の上の本屋さん㉒逆転のトライアングル㉓コンパ―メントNO.6㉔青春弑恋

イオセリアーニ映画祭 ①③④⑤⑯⑰
国立映画アーカイブ 日本の女性映画人(1)➅⑦⑩⑪⑲⑳
日本映画⑬⑱…社会問題を描いた作品でした!
中国語圏映画 ⑨(いちおう)⑮㉔(後の二本は再鑑賞) 
結局二つの映画特集中心になりました。
★はナルホド! ★★はいいね! ★★★はおススメ! という個人的感想です。

①月の寵児たち
監督:オタール・イオセリアーニ  出演:アリックス・ド・モンテギュ パスカル・オビエ ベルナール・エイゼンシュッツ マチュー・アマルリック 1984仏・伊 102分


18世紀のリモージュ焼の食器セット、19世紀に描かれた裸体画が現代のオークションに展示され買われ、そして変転していくその持ち主をコラージュ風というか、特にモノがありというのがあるのではなく、幾組かの家族・男女の様々なエピソードを重ねていく。けっこうゴチャゴチャして最後までどんなふうに話が進んでいくのか見きわめにくいし、終わったあとどんな話し?といわれても再現がしにくいという感じだが、意外にというかイオセリアーニなら当然というべきか一つ一つのエピソードは面白く展開して目を離せない感じで進んでいく。楽しんだ100分あまりだった。(3月4日 渋谷イメージフォーラム イオセリアーニ映画祭 56)


②エンパイア・オブ・ライト
監督:サム・メンデス 出演:オリヴィア・コールマン マイケル・ウォード トビー・ジョーンズ コリン・ファース 2022英・米 115分

映画館を舞台にした(映画好き)の映画と思って観たのだが、思いのほか登場人物の状況が深刻…しかも映画の中でそれが具現化して「事件」になるので、とてもわかりやすい。出だしは重厚な映画館(昔は4スクリーンもあって最上階には展望抜群のロビーもある(が今や鳩ノ巣化?している)にヒロイン・ヒラリーが出勤して一つ一つの灯りをつけ(まさにこれが題名の由来?)劇場が生き返っていくかのようなアーティスティックな印象的なシーンなのだが、そんな芸術映画ではなく社会派娯楽映画にまとめたところがさすがのサム・メンデスというべきか。
コリン・ファースがこの劇場の支配人だが、セクハラ親父、モラハラ上司という感じのイヤーな困ったヤツをしっかり演じ、しかも『炎のランナー』のプレミア上映という「生涯最高の(と本人が挨拶をする)」日、妻の目の前でしっかりとヒラリーにその悪を暴露される。もっともそのままヒラリーは持病の精神的な不安が昂じたとされて病院送りということになってしまうのだが…彼女の病を誘発した少女期の母との関係などもしっかりと彼女自身の口から語られ、このあたりの直截性はディズニー的大衆性かもしれない(すべてが全然暗示的ではない)。一方の建築家志望だが大学に入れないでいる若者のスティーブンのほうは折からの黒人排斥のデモ隊が映画館に乱入するという事件の中で大怪我をして入院してしまうことになる。性的トラウマ(ジェンダー問題としての)や人種差別に傷ついたもの同士が肩を寄せ合うという映画だが、この映画のなにより好感を抱かせるところは、映画館の従業員メンバーがなかなかに親身で、社会的には疎外されているような二人に対して理解や同情を持っていること、そしてそれが彼ら自身も多分置かれた立場の中で同じような問題を持っている人々なのだろうなと思わせるような描き方をしているところだと思われた。(3月6日 府中TOHOシネマズ 57)
 

③ここに幸あり
監督:オタール・イオセリアーニ 出演:セブラン・ブランシェ ミシェル・ピコり オタール・イオセリアーニ 2006仏・伊 121分


現代のパリ、大臣職を追われ、仕事・家・妻を失ったヴァンサンは、母の持ち家に転がり込むが、そこは不法移民が占拠し暮らしている。そんなところから、彼が街の旧友たちと飲みかわし、歌い、騒ぎ、酔っぱらった友人を母の家に連れ込んで宿を貸し、自身は女性の家に泊まるなど気まま自由な暮らしぶりの中で、最後は庭師として公園?の手入れをするところまで。そういう暮らしの自由さを謳歌しているようなのだが、まあ、しかしこの男の母頼りのマザコン?ぶりはどうなのかなあ。母役が名優ミシェル・ピコりで、存在感がありすぎて頼りがいもありそうで、ヴァンサンがなんか踊らされているような感じもする。ヴァンサン役はナダル・ブランシェの息子、そして彼を庭師に導く友人役でイオセリアーニ自身が出ているし、大勢で入りする出演者は監督の身近にいたプロの役者ではない人たちのようなのだが、その演出ぶりは相変わらずすごくて、出演者たちは「自由」とは言えなかったのでは?と思えてしまう。最初の方に葬儀屋で棺桶を選ぶ紳士たちのシーンがあるが、こういうところのコメディっぽい演出がさすがだ。(3月7日 渋谷イメージフォーラムイオセリアーニ映画祭 58)

④蝶採り
監督:オタール・イオセリアーニ 出演:ナルダ・ブランシェ タマラ・タラサシヴィり アレクサンドラ・リーベルマン エマニュエル・ド・ショヴィ 1992仏・独・伊 118分 ★★


フランスの古い城館に住む従姉妹同士の二人の老婦人と、けっこう厳しくしかられている使用人のヴァレリー、従妹(なぜか名前がない=視点人物だから?=ナルダ・ブランシェ扮する女性)自転車で出かける市場での買い物、教会での礼拝、隣家の主張する境界線のいざこざ、当地の教会の神父の暮らしぶりなどが入り乱れる。そこに城館を欲しいと現れる日本人の一行(類型的だが、ちゃんと日本語をしゃべり、通訳がついている)もやはり自転車でー中心地からの距離感を表しているのかも…。彼らは従妹に当主が死んでから売ってほしいと言い、彼女は売る気はない、当主はあと50年生きると言い放つ。しかし当主(城の持ち主)は城館に現れた亡霊(これが軍装のイオセリアーニ自身がふんしている)に導かれるかのように死にいたり、その知らせは従妹によってロシアに住む当主の妹のところに送られる。あとは遺言の発表(遺産はすべてロシアの妹にということで、遺産の分け前を期待して集まった親戚たちが鼻白むようす…)葬儀中遅れて到着するロシアの妹エレーヌとその娘?、そして晩餐の席であれてケンカまがいの言い合いを始める親族とその場を収め、葬儀の世話をしながら、明日は自分もここに出ていくと潔いと言えば潔い(え?そうなってしまうのという感もする)従妹。しかも彼女を含みこの街を去る列車の走る線路にはダイナマイトが仕掛けられで、古い城館を象徴したものはあっという間に失われ、城館は日本人のものになる。最後に城館の門には「財」と書かれた大きな看板が掲げられ、その開け閉めを教えられたヴァレリーが扉をしめて門の中に去っていくまで。ナルダが演じる古き良き伝統とそこにしっかり足を踏ん張りつつ、自転車を駆ったりという面白味のある活発さも含め、城館やそれを取り巻く文化が、金銭換算される世界に取り込まれてしまうのが象徴的に、滑稽かつちょっと悲惨さも含めて描かれるわけだ。8~90年代のエコノミック・アニマルとしての日本人の評価も描かれているので、日本人としては笑いつつ少々苦みも感じてフクザツ。(3月7日渋谷イメージフォーラム イオセリアーニ映画祭 59)
 

⑤月曜日に乾杯
監督:オタール・イオセリアーニ 出演:ジャック・ビドウ アンヌ・クラウズ=タルナヴスキ ナルダ・ブランシェ ラズラフ・キンスキー ダト・タリエラシヴり マチュー・アマルリク(息子二コラの声吹き替え)2002仏・伊 128分


フランスの小さな村で古いブルーの車の前に部屋靴を脱ぎ捨て車、バスと乗り継いで工場に出勤する溶接工のヴァンサン。まずは彼や彼を取り囲む人々の日常が丁寧にスケッチされる。いつも怒っているような妻、化学や実験に夢中で父を顧みない息子たち(とそのガールフレンドや、下の息子の自転車貸し借りの友だち関係まで)、両親は彼の理解者であるようで、特にナルダ・ブランシェ演じる母はどっしりと構えて動じず頼もしい。父の方は遺産を狙う妹たちの眼を逃れて死にそうなふり?毎日大事にはされない感じで仕事や家事ー屋根の樋に泥がつまったから直すとか…雑事に使われ趣味の絵を描く時間もとれず、鬱屈した日常から、父の内緒の勧め(と、どっさりの札束も)である日ヴァンサンが旅立つまで。
その後ベニスでスリにあったり、旧友と再会してともに飲んだり、小舟に乗り込んでベニス周遊?をしたり、父の知己のインチキ貴族?(これは例によってイオセリアーニ自身が演じる)と会ったりとさまざまなエピソードののち、故郷の街に帰っていく。さらに帰ったあとの家族の対応も全家族についてかなり丁寧に一々描き、月曜の朝が来ると妻は車を洗い、マフラーを手づからヴァンサンの首に掛ける。これを妻との和解的再会ととることもできそうだが、それまでの彼の自由な旅の日々が、そんなに華やかなものでなく旧友もやはり大家族を養い自由度の低い工場勤めであることや、インチキ貴族の栄華がまさに見栄っ張りそのものであるむなしさなどから見ても、この解放が自由そのものとはとても思えない(私の眼のせいも半分あるかもしれないがベニスの景色もくすんで、セピアっぽく解放感が少ない)ので、やはり彼があらためてくびきの下での労働生活に戻る表象なんだろうなあとも思えてしまう。場面場面にはふっと笑いを誘うようなユーモアの要素があるので決して重苦しくはないのだが、皮肉っぽいというべきか。(3月7日 渋谷イメージフォーラム イオセリアーニ映画祭 60)


➅女性の勝利
監督:溝口健二 脚本:野田高梧 新藤兼人 編集:杉原よ志 出演:田中絹代 桑野道子 三浦光子 徳大寺伸 髙橋豊子 松本克平 若水絹子 1946日本(松竹) 81分 モノクロ

終戦1年目、女性弁護士を主人公とする法廷ドラマと思いきや…。弁護士のひろ子の元婚約者は治安維持法で収監され5年ぶりに釈放されたが病床に伏している。しかし意気はさかんで自らの選んだ道を正しいと信じひろ子にも権威への抵抗を説く。彼を刑務所に送った保守派の検事河野はひろ子が弁護士になるについて世話をした、そして今はひろ子の姉みち子の夫でもある。刑務所から出てきた元婚約者の世話をするひろ子を河野は責め、みち子は板挟みになって苦しむが、夫の言うことを聞くようにひろ子を説得しようとする。さてそんなとき、ひろ子の女学校時代の同級生が、夫の病死、老いた姑と乳飲み子を抱え窮地に落ち込み精神耗弱から子どもを窒息死させてしまうという事件が起きる。その同級生の弁護をするひろ子を元婚約者は励ますが病状悪化し、公判判決の当日亡くなる。それにもめげず励ましに応えて法廷で河野とやり合う。河野判事の「女の道に反した、生きる資格がない」という決めつけもすごいが、これに抵抗するにひろ子は女性の歴史も含む社会的立場から論をおこし、検事と堂々とやり合う。ただし、この法廷での勝負どちらが勝ったのかは映画では描かれない。「女性の勝利」はひろ子の説得(法廷での言説も含め)に姉みち子が自分と夫との関係を見直し自立への道を歩もうと決意するところに表されている。その意味では法廷映画ではなく、社会派映画ではあるかもしれないが、基本的には家庭ドラマというべきかも。(3月7日 国立映画アーカイブ 日本の女性映画人(1)ー無声映画期から1960年代まで 61)
 

⑦明日を創る人々
監督:山本嘉次郎 黒澤明 関川秀雄 出演:中北千枝子 森雅之 薄田研二 立花満枝 千葉一郎 志村喬 1946日本(東宝)83分 モノクロ

終戦後にGHQの民主政策により設けられた東宝の労働組合の指導のもとで作られたという作品だそうだ。東宝をモデルとしているらしい映画撮影所(スクリプターとして勤めるよし子)関連企業の製鋼会社(よし子の父が勤める)、レビュー劇場(妹のあい子がダンサーをしている)、そして私鉄(二階に間借りする活動家掘が勤める)の搾取的労働環境とそこでの労働組合設立の運動を描く。よし子や堀は活動家としての信念を持ち、あい子も同僚のダンサーの病と馘首を通して目覚めていく。一方二人の父は35年務めた会社を信頼し組合運動にはかかわらないが結局馘首されてしまい悩んだ末自らもゼネストに参加していくというte典型的な描き方で、そこにこの一家の葛藤―よし子は自身の信念を父に言うもなかなか父を説得できず、あい子は叔父でもある劇場支配人(若き志村喬が演じている)と対立し、堀は疎開先にいたままの息子が病気で死に瀕しても駆けつけることができないというような中で、それでも「頑張るぞー」という映画である。
しかし映画ではデモ行進の高まりまでは描かれるもののこの争議の結果馘首は撤回されたのかどうかまでは描かれない。あと、大規模集会で発言を請われたよし子が一度は「あら、わたしは…」という感じで拒み壇上に立つと堀の「坊やちゃん」の死の顛末をかたって泣き出し、それをきいた女性たちが涙ながらに「がんばりましょう」とシュプレヒコールをするという描き方もウーン。男たちは「女のくせに」と平気でいうし、まあ時代の制約といえばそれまでだが、やはりそういう時代だったのだね。乗り越えるべき…というか。今回の映画特集では戦中から戦後すぐの女性の生き方や社会の反映を描いた映画を中心に勉強というか確認のつもりで見に行くことにしている。(3月8日 国立映画アーカイブ 日本の女性映画人(1)ー無声映画期から1960年代まで 62)

➇ワース 命の値段
監督:サラ・コランジェロ 出演:マイケル・キートン スタンリー・トゥッチ エイミー・ライアン 2019米 118分

9.11の被害者7000人の被害者遺族への補償金分配に携わった「分配人」の弁護士の実話に基づく話、というのは前宣伝のとおり。さまざまな状況の中でいかに公平に分配するのか、命の値段の差が解消するのかと思ったら、そうでもなくて?そういう分配を拒否して請求をしない遺族を個々話を聞いて事情を理解しそれに寄り添うような裁定をすることにより請求をさせて補償をするという方向に話は進むのだった。したがって?映画のほとんどは「面談」というか対話で、9.11もビルの間から煙が出て人々が逃げ出すというような一瞬のシーンはあるものの、後はすべて登場人物の語りとしてしか出てこない。主人公のケンの生活も家で家族とくつろぐというようなシーンはあるものの見た目をひくような行動的な場面はない。そういう意味ではものすごく真面目、しかしビジュアル的には変化少なく、セリフが追えなくなると話が見えなくなるというような映画で、いささか疲れたのは否めない。(3月10日 新宿TOHOシネマズ 64)


⑨エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス
監督:ダニエルズ(ダニエル・クァン ダニエル・シャイな) 出演:ミッシェル・ヨー ジョナサン・キー・ホイ・クァン ジェイミー・リー・カーティス ステファニー・スー ジェームス・ホン 2022米(英語・北京語・広東語) 140分

こちらは➇とは対極的で、セリフは英語、中国語が飛び交うものの説明的な長台詞などは全然なく、とにかくめまぐるしくミシェル・ヨーのワン(とその娘)のコスプレ、アクションで綴られていく。話の展開もめまぐるしくーというより忙しくてついていけないほど。監督は『スイス・アーミーズ』の作者だそうで、まさにそういう感じの映画だった。
アメリカ移民のコインランドリー経営者のエヴリンとその家族の税金支払いの1日の中で、宇宙から来た(別世界に生きる)夫に世界の命運を託され、税金局の女性職員に象徴される悪の手先から逃げたり闘ったり、ゲイの娘とそのガールフレンドの関係を、中国からやってきた父に隠すとか、まあバタバタと過ぎていく140分はミシェル・ヨーの元気さにそれこそ託されているという感じで、これも付き合っていくにはいささか長い140分ではあった。3月13日、ミシェル・ヨーこの映画でオスカー主演女優賞獲得との報。(3月10日 府中TOHOシネマズ 65)

⑩宗像姉妹
監督:小津安二郎 出演:田中絹代 高峰秀子 上原謙 山村聡 高杉早苗 笠智衆 斎藤達雄 千石規子 1950(日本)新東宝 112分 モノクロ

大佛次郎原作小説を小津安二郎+野田桐悟の脚本で映画化したというもの。画面の配置などは小津のこのころの例えば『晩春』などとまったく同じようでそこにいる笠智衆の父も同じ、娘の方は元気いっぱいの若い高峰秀子だったり。
この次女まり子は「~かな」「~だな」「~だぞ」という口調でしゃべるお茶目・やんちゃな現代娘として描かれるが、この「中性言葉」はちょっと「男の子っぽく気取っている」感じもある。文章語口調で脚本のように姉とその昔の恋人?の行動を描いたりもする。
主役は姉のせつ子のほうで、ウーン。打ち明け合うこともないままにフランスに去った恋人田代を心中慕いつつ、無職で気位は高く気難しい夫に貞淑に尽くしつつ、生活のためにはバーを経営もしているという女性で、京都に移り住み病で余命の少ない父が残した大森の家に夫婦と、妹まり子とともに暮らしているという設定は、まあなんか恵まれている―無職の夫、特にこの時代の男からするとちょっときつい(存在そのものが)かもしれないということで、まあ自立の要素はあるのだが、自分を後回しに夫に気を使い水を汲んでやりシャツのボタンをつけてやり、最後には平手で何回も殴られるというようなこの女(田中絹代が妹役の高峰とは対照的にしとやかだが無表情という演技)を見ているとイライラしてしまう。
彼女が店の経営を助けるために田代に金を借り、それを夫に意地悪くなじられ、夫の意をくんで仕事をやめ、それをまた夫になじられて殴られて別れを決意、田代の元に行き、一緒になろうと打ち明けられて承知。そこに現れた夫は仕事が見つかったと喜びつつ友でもある田代と妻の仲を認めるかのようにその場を去るが、帰って心臓マヒで急死という劇的展開。それを見たせつ子は田代と一緒になるのをやめるという、まあなんとも…。
しかし元夫の死に乗じるように他の男の元に行かなかったということはいわば一種の自立として描かれているのだろう。女が夫に従うという形での結婚至上主義(全編に貫かれている感じ。現代的な娘・まり子は姉に求婚させるために田代に自ら求婚したりする)に対するアンチテーゼとして描かれているのかもしれないが…。それにしてもなあ。   
 (3月11日 国立映画アーカイブ 日本の女性映画人(1)ー無声映画期から1960年代まで 66)


⑪母なれば女なれば
監督:亀井文夫 出演:山田五十鈴 神田隆 岸旗江 二口信一 三島雅夫 北林谷栄 1952東映キヌタプロ 100分 モノクロ

こちらは徳永直の書下ろしが原作。夫の出征中、3人の子を連れて空襲の中を逃げ惑った妻は長男とはぐれ、そのまま息子は行方不明になってしまう。夫は戦死、二人の幼い子供を育てながら針仕事や生活扶助を吹けながら暮らす戦後。近所に住む中学教師(8年間の出征中に妻に去られる)とその妹に好意を寄せられる、情報があると一緒に息子探しに少年院に行ったりと世話も受けている。民生委員で中学のPTA副会長でもある男からは、生活扶助の停止を種に言い寄られる。あるとき、彼らの住む貧しいアパートに泥棒が入るが、その片割れが実は探していた15歳になった息子であることがわかり、彼は母のもとに帰ってくる。しかし、中学生になった息子にとって、母と教師の関係は好ましいものとしては映らず、浮浪児仲間からの誘いもあり、母は打ち解けない息子に苦慮しながら、なにかと世話を焼く。そんなある日、教師は彼女と一緒にいるところを中学生たちにみられ、それをからかわれた息子はPTA副会長の息子である級友と殴り合いになり怪我をさせてしまう。息子は校内の問題となり、母と教師の関係は醜聞として、これも問題になり一家は窮地に追い込まれる…。
気弱で一度は相手を拒絶して別れも考えるような女性が、息子を思う気持ちに一念発起、最後は自分たちの生き方を阻もうとする校長やPTA副会長にタンカを切る。その眼ざめが描かれるわけだ。これもまあ時代制約とはいえ「後家」の生き方を阻むような差別的言辞(周りを囲む貧しい主婦仲間による悪意なき差別もすさまじい)にヒロインとともに耐えなくてはならず、今の眼で見ると本当にこの時代の人(特に校長とか学校関係者)はこんなふうだったんだと思うと隔世の感も禁じ得ないが、その反面彼女らを追いやった文化の種は今もあるとも思え、けっこう複雑な気分。白皙のうりざね顔、今はちょっと見ないようなタイプの古典的美人顔の山田五十鈴の汚れ役というのも、その感覚に拍車をかけているような気がする。 (3月11日 国立映画アーカイブ 日本の女性映画人(1)ー無声映画期から1960年代まで 67)

⑫エッフェル塔 創造者の愛
監督:マルタン・ブルブロン 出演:ロマン・デュリス エマ・マッキー ピエール・ドゥラドンシャン 2021仏・独・ベルギー(フランス語)108分

1889年完成した300m(東京タワー333mはこれを意識した?のかな)のエッフェル塔の創造者ギュスターフ・エッフェルが、その製作直前に、旧知のジャーナリストの妻として、20年ぶりに再会する元恋人アドリエンヌとの恋の再燃(アドリエンヌにとっては当然不倫。悲恋でかつて恋人に去られたエッフェルのほうは4人の子どもを抱えて妻に死なれたシングルファーザーで、ちゃんと変わり身をしたのだった)と再びの別れ。周りからの批判や資金難の中での塔の完成までを描く。
塔の建設や第一展望台までの塔作りの高所での離れ業的工事のようす、エッフェルがアドリエンヌと二人だけで楽しむ塔上ででのつかの間の逢瀬など、ビジュアル的にハラハラしつつ楽しめる要素もあり、「史実を元にして自由に発想した物語」とされたスタンスはもちろん眉唾なんだが、気楽に楽しむことができる物語だった。しかし如何に優れた技師であっても貴族ではないということが結婚をはばみ、娘の結婚を許さない両親の行為の恐ろしさ。それとエッフェルが自身のいつの間にか大人になった妻がわりにそばに寄り添う長女の結婚希望に悩む映画冒頭と照らすとなかなかの対照をなす社会派的視点も入っている。(3月11日 新宿武蔵野館 68)

⑬REVOLUTION+1
監督:足立正生 出演:タモト清嵐 岩崎聡子 髙橋雄祐 柴本風太 前迫莉亜 イザベル矢野 2022日本 75分 ★

安倍元首相暗殺の1ヵ月あまりのちにクランクインし、8日間の撮影で取り上げ、国民の意思を無視した国葬当日50分バージョンの本作が上映されたという、その75分完成版。大阪とか九州とかでの上映が先行し、ようやく東京でもということになった。
話の流れは山上容疑者をモデルとする川上という男が、ほぼ山上の人生の軌跡通りに父の自殺、兄の病気とその後遺症、やがての自殺、母の統一教会への傾倒・献金・自己破産。その中で大学進学をあきらめ定職に就くこともかなわず銃作りに熱中しというような姿が描かれ、一方の統一教会も安倍の側も実名本人映像で描かれていく。そこに宗教二世の若い女、革命家二世の若くない女との対話なども挟み込まれる。
テロとして民主主義の破壊とも評価されたこの事件だが、主人公が置かれた立場はまさに民主主義が破壊されたその影響下で起きたことなのだという主張が一貫している。兄の行為を理解し、寄り添うと言いつつ自分は自分なりの生き方・発言を見つけていくという妹を最後に持ってきて希望を感じさせる作り方も好感を持てる。父役・母役・妹役の若い役者、革命家二世を演じたイザベル矢野、助監督・鎌田義孝のトーク付き(日替わりトークで足立監督や、望月衣塑子さんらが出る会もあるが、私が見られるのはこの日だけということで夕方というか夜の渋谷に)(3月12日 渋谷ユーロスメース 69)


⑭オマージュ
監督:シン・スゥオン 出演:イ・ジョンウン クォン・ヘヒョ タン・ジョンサン イ・ジュシル 2021韓国 108分 ★★★

現代の女性映画監督、3本目の映画「幽霊人間」が公開されるも入りは悪く、お金もなく先行きの不安を感じているジワンの元に、1960年代3本の映画を残して消えた女性監督ホン・ジェウォンの映画『女判事』の後半音のない部分を再生復元するという依頼が舞い込む。仕事のないジワンはその映画の女性映画人3人が映った1枚の写真から、監督の足跡をたどろうとする。台本を探し出すが残ったフィルムには欠落部分があることも発見、そこからさらに欠落部分のフィルム探しをして3人の写真(日本語で「三羽ガラス」と言っている)のひとり編集者だった女性を訪ねる。彼女から聞いたこの映画の封切館は元帽子屋だったとのことで帽子が山と積まれ…この帽子がフィルム探しのネックに。
さて、その過程でジワン自身、ワガママな夫ともめて「家庭内離婚」を宣言したり、大学生の息子に甘えられたり批判されたり(この息子の造形がなかなか面白い。彼は母のフィルム探しにマイケルジャクソンのものまねをしながら貢献する)、そして自身の子宮筋腫が大きくなって倒れ手術という、いわばもう実生活的にも働く女性の置かれたジェンダー問題満載という感じなのだが、過去の映画監督の(3本しか作れなかった)苦悩を見つつ、編集者だった女性のバックアップ・時代を越えての共感と助けを得て『女判事』の公開版にこぎつけるー彼女一人の仕事でなく悩む過去の映画人女性みんなの仕事と感じられるような作り方が、監督もその輪の中にいるという感じでとってもいい。(3月13日 新宿武蔵野館70)

⑮花椒の味
監督:ヘイワード・マック 出演:サミー・チェン メ—ガン・ライ リー・シャオフォン ケニー・ビー リッチー・レン アンディ・ラウ 呉彦妹 劉瑠琪 2019香港(広東語・北京語)118分 ★★


2020年の大阪アジアン映画祭で見て、とても印象的な映画だったが、話の運びとしては私自身はかなり批判的に書いた記憶あり、役者にオンブしてリアリティに欠けるというように思った。その後の劇場公開は見に行かず、、今回音楽の波多野裕介を招いてのトークショー付き特別1回(1900円均一!)というのを、どんな人が来るのかなとも思いつつ見に行く。前回気にせず今回気がついたのは、香港、台湾、大陸(重慶)と三つの地で三人の女性と関係を持ち三人の娘を、それぞれの対しかたの違いはあるもののいわば公平に愛した父の存在は、多分今日的な香港と大陸・台湾の関係を投影しているのであろうということ。台湾とは仲良くはもちろんだが、祖母に象徴される旧世界に生まれ生きる若い妹に象徴される大陸人をも受け容れ付き合っていくべき香港というようなところが姉に表象されているのかなと、この3年あまりの香港情勢がようやく鈍い私の眼にも感じさせてくれたような気がした。(3月13日 新宿武蔵野館71)


⑯群盗、第七章
監督:オタール・イオセリアーニ 出演:アミラン・アミラナシヴィリ ダト・ゴジ ギオ・ジンツァゼ ニノ・オルジョニキゼ 1996仏。スイス・伊・露・ジョージア 122分★


中世のジョージア、旧ソ連時代―内戦時代、そして現代(20世紀末)のパリの長回しのエピソードが次々に交錯して描かれ、同じ役者がそれぞれの時代の別の人物を演じる。中世の王、現代の浮浪者を演じたアミラン・アミラナシヴィリがまあ主役で、ダンケルク映画祭の主演男優賞をとったとか。王妃にとんでもない金属製の貞操帯を付けさせ、しかし浮気され王妃を斬首(王妃首切り役人にウインクをする。ここのみ唯一のクローズアップ)一方の王も目に留まった女性を拉致するというような、いわば野蛮な時代だし、ソ連時代は密告と拷問の時代、内戦時代は戦場ということで怖さ(但し何となくユーモラスさを感じさせるのはイオセリアーニ的ではある)として描かれている。その意味では浮浪者を描く現代が最も自由?な時代。浮浪者とはいえワインを切らすことはなく、音楽を楽しみ、ここでは骨董屋で中世の王の肖像に首をかしげたり、王妃だった女優演じる女性に「どこかで会わなかったか?」と聞いたりなんて言う場面もあり。またテロリストの少女?が退廃した大人たちをを撃ち殺す場面も最初と最後に現れるが、最初の方は映画の場面として?検閲官たちが見る映画の中に現れるという構造で、映画自体が不思議な入子型のような(わかりにくくはあるが)構成になっているようなのも面白い。が、やはりこういうタイプの映画を次々とみていくのはくたびれるという気もしないではない。(3月13日渋谷イメージフォーラム イオセリアーニ映画祭72)

⑰汽車はふたたび故郷へ
監督:オタール・イオセリアーニ 2010フランス・ジョージア 127分


ジョージアの若い映画監督ニコ、最初は少年時代からの仲間で試写をして、女友達が、公開するにはこのシーンはカットすべきとか言う場面、次いで彼ら3人が楽しく悪さ?をしていた少年期、自転車で遊んでいるときに彼女だけが男友達を残して別の男の誘いに乗って車で去ってしまう青春期などが描かれ、男女3人の関係も変化するのだなとの思いで始まる、言っててみればまさにイオセリアーニ節みたいな始まり。
ニコは映画を作るが検閲を通らない。この時検閲会議?の一員に幼馴染の彼女がいて、気骨を示すが、もちろんそんな意見は背広を着たお偉方には通用せず(内心はともかくという場面もある)ニコは勧められて国を出ることになる。背広はここでも一つのイコン的アイテムで、彼は映画の中で「きちんと通用するため」に二度にわたって背広を与えられる。行った先では祖父の知り合いの伝手もあり、一緒に映画作りをしようという人も現れて、彼は再び映画を作り始めるがここでも彼の方向は娯楽的ではないがゆえに支持されず、撮影に横やりを入れられたり編集を勝手にされたりと苦労する姿が延々。でも映画撮影風景は何人ものキリスト処刑が出てきたり、『ある映画作家の手紙、白黒映画のための七つの断片』に出てきた街角で散歩させられる犬の撮影シーンが出てきたり、けっこうおもしろい。最後に完成される映画もイオセリアーニ自身の習作というか初期の未公開作品とかで、花束のサイズによってふられてしまう男と新たに自転車に乗って現れる男の関係は初期の3人の関係をなぞってもいるみたいだし、映画初期1920年あたりの喜劇的な断片を彷彿されるところもあってなかなか。でもこの映画も結局試写会の人々がみな席を立ってしまい、ニコは故郷に帰ることにする。
故郷では祖父や家族に温かく迎えられ一家は川辺のピクニックに行くのだが…。最後にニコのいないピクニックシーンと、川辺に一人立つ祖父の姿が何とももの言いたげなこの映画の立ち位置という感じ。各シーン長回しで寸劇的とはいえドラマティックというほどではないシーンを積み重ねていくのでそのペースについていくことがイオセリアーニ理解においては肝要なのかなと、最後に至ってようやく理解できたような気も…。(3月14日渋谷イメージフォーラム イオセリアーニ映画祭73)

(3/10〜15 大阪アジアン映画祭へ)
             第18回大阪アジアン映画祭2023


⑱ロストケア
監督:前田哲 出演:松山ケンイチ 長澤まさみ 鈴鹿央士 坂井真紀 戸田菜穂 綾戸智慧 梶原善 藤田弓子 柄本明 2023日本 114分 ★★

葉真中顕の原作は読んでいたが映画化って結構難しい?特に原作では男性である検事大友を女性として長澤まさみが演じると聞いてどんなふうになるんだろう、めっちゃごちゃごちゃしてわかりにくい作品にならなければいいけどなどと余計な心配をしていたが…どうしてどうしてシンプルにして端正、しかも画面の校正などビジュアル的なところがすごくおしゃれというか(ま、ちょっとカッコつけすぎという気もしないではないが、こういう内容の映画だからこのくらい目を引くオシャレさはあってもいい)斬新なカットで引き込まれる。 
内容的には父の介護の中で社会から切り捨てられたように追い詰められ認知症の父の求めに応じて殺した男・斯波が介護士となり、40人の被介護者の老人を殺し、41人目、偶然事業所の所長がターゲットとしていた老人の家に盗みに入ったことから彼ともみあいになり所長が階段から転落死したことから、殺人が発覚する。彼は殺人を「ロストケア(救い)だとし、女性の大友検事がこの取り調べにあたり、殺人は殺人だとして彼を厳しく糾弾する。
実は大友も認知症の母を施設に預け、母が20年以上前に離婚してその後会っていなかった父の孤独死の後始末にも立ち会っていた…というわけで、大友の立場が事件の解釈により深い陰影をもたらすあたりがとてもうまく書かれている。法廷場面でいった事件が解決?したかのように見えながら、そのあと延々と続く過去に戻る場面とか刑務所での面会シーンとかに最初は?と思ったが、この最後の部分こそがこの映画の真骨頂というところだろう。松山、長澤の好演、それに柄本明の怪演とでもいうべき脳梗塞後遺症と認知症を持った老人の演技目を覆いたくなるほどにすごい(すばらしい)。(3月24日 府中TOHOシネマズ 90)


⑲真人間
監督:伊那精一 出演:若原正夫 浦辺粂子 眞山くみ子 宇佐美淳 押本英三 海野光一 1940日本(新興キネマ)白黒 52分

まず、頭にバーンと「皇紀二千六百年」の文字が右から左書きで出る(題名も右頭書き)。出だしは「与太者」(いや、久しぶりに聞いた、これももはや死語)とヤクザ(どちらもそれなりに堅気っぽいスーツ・ブレザー姿)が白昼人気のない神社?あるいは原っぱの中?で出会いヤクザが逃げる気ではないだろうななどと難癖をつけ木の間からパラパラ現れた仲間とともに取っ組み合い。この与太者は無事に逃げおおせ、ガソリン缶置き場?の干し藁(そんなところあるんだろうか、恐ろしい感じ)の上で一夜を過ごし、翌日古本屋で偶然自分の中学の名簿を見つけ、その中にあった同級生の家を訪ねて行くと、くしくもその同級生は出征直前で家では大掛かりな壮行会が行われている(ま、10万円の資産がある金持ちという設定だ)。そこに潜り込んだ与太者はなぜか同級生に気に入られ、家や仕事がないなら母と妹だけになるこの屋敷に住み込んで二人を守ってくれないかと頼まれる(同席する他の同級生が、彼は与太者だから深い付き合いをしないほうがいいというのだが、出征する男は、いや彼が真の与太者だとは思わないとかなんとか)。仕事は妹が社長秘書として勤める親戚の会社に世話をしてくれ、母親にも気に入られこの与太者は思いもかけない厚遇を得るが…。妹を愛し自分のものにしたい社長の息子などがちょっかいをだすものの、やがて出征した男は戦死、今や真面目に働く与太者の周辺には、かつて彼が殴ったヤクザものが出没し、彼でなく、同僚の足を洗ったヤクザに近づき、…というわけですったもんだ、与太者は自ら身を引こうとするが…最後「母が10万円の資産はすべて陸海軍会に寄付したわ」という妹のことばですべてがどんデン返し、という結末はハッピーエンドではあるが、会場からはかなりの失笑。しかし公開当時は戦争中ではあるが、こんなものを当時の人は大まじめに見ていたのかねえ…と時代の懸隔を感じる。シーンの展開などもぎこちない感じだし、ヤクザ同士のケンカといっても小学生の取っ組み合いみたいだし。ウーン。(3月26日 国立アーカイブ 日本の女性映画人(1)―無声映画期から1960年代まで 91)

⑳野口英世の少年時代
監督:関川秀雄 出演:大源寺英介 岸輝子 浅野進治郎 原保美 島田屯 松本克平 1956日本(東映教育映画)白黒 48分

⑲と二本立てで上映。こちらは完全な教育映画で、小学生くらいの時に見たかもしれない(学校上映でこんなタイプの映画を何本か見た気がする)。頭に偉人野口英世の本人の写真などによる紹介があって、そのあと少年期火傷をする場面から尋常小学校の卒業試験、見いだされ高等科に進学するその時期の努力と友情と、そして何よりも母の献身的な愛情が、医学の勉強を志し、手の手術をしてくれた会津の医師の書生になるために故郷を出発するまでが、猪苗代ロケの自然の中で描かれる。⑲とは16年の製作年の差があるが、この間の映画技術の発展は驚くべきで、場面展開や、場面の切り方、音楽の入れ方など、こちらはもはや現代映画に連なる自然な映画として見ることができる。役者も知っている顔がちらほら。母親シカは岸輝子が熱演。(3月26日 国立アーカイブ 日本の女性映画人(1)―無声映画期から1960年代まで 92)

㉑丘の上の本屋さん
監督・脚本:クラウディオ・ロッシ・マッシミ 出演:レモ・ジローネ コッラード・フォルトゥーナ ディディー・ローレンツ・チュンブ アンナマリア・フィッティパルディ ピノ・カラブレーゼ モーニ・オバディア 2021イタリア 84分 ★★

何とも美しいイタリアのチヴィッテラ・デル・トロントの丘の上の広場に面した小さな古本屋の主人は老いたリベロ。隣のカフェの陽気な店員二コラが何かと声をかけ面倒を見てくれる。彼は本屋に「奥様」の命でフォトコミックを探しに来るメイドのキアラにぞっこんだがキアラは婚約者がいると言って相手にしない。
実はトレーラーではここに訪れ、店の外に置いたマンガに惹かれるが買うことはできないという移民の少年エシェンにリベロが毎日1冊ずつの本を貸し与え、感想を聞いたりしていわば小さな読書教室をするというエピソードに焦点が当てられ、それはまさにその通りだが、本屋にはもちろん他にも客が来るわけで、それぞれの持つ本の嗜好や希望についてこの本屋のすべての本に精通したリベロが短いけれど時に深く、時にエスプリのきいたやり取りをするのがあっさりではあるが心に残る。この店には置いていないフォトコミックをを介したニコラとキアラの恋の進展もそれに合わせて軽やかに描かれる。全体に老いた店主の眼からちょっと距離をおいて見た人々の生き方なのだが、そこに介して行ける彼はやはり現役なのだなとちょっとうらやましくなるような本屋の世界が展開する。展開としては予想通りなのだがそういう細部の描き方がとても細やかで温かい、そしてそれが美しい町とその周りの景色の中に穏やかに収まっているのが素敵な映画だ。イタリア・ユニセフが共同製作した映画だそうで、なるほど!(3月26日 新宿ピカデリー 93)

㉒逆転のトライアングル
監督:リューベン・オストルンド 出演:ハリス・ディキンソン チャールヒ・ディーン ドリー・デ・レオン ウディ・ハレルソン 2022スゥェーデン・ドイツ・フランス・イギリス 147分

頭は男性モデルのオーデション、これが長い。次はオーデションを受けていた一人のカールと、恋人の人気モデル・インフルエンサー、ヤヤのレストランでの支払い談義、というかケンカ。男性モデルの収入は女性の1/3という中で支払いをいつも自分がすることになるのに首をかしげ悩むカール、ここも延々の議論でウーン。
その二人がクルーズの旅に。次は船中、言いたい放題したい放題で客室乗務員にムリ難題を押し付けるセレブな乗客たち、飲んだくれで部屋から出てこない船長、クソ商人と自称する資本主義肥料商、 ラブラブの雰囲気で国連の地雷禁止条約を批判する武器商人の老夫妻とかが入り乱れ、合間を客室乗務員のチーフ?の女性が文字通り駆け回る。ここも延々で、セリフで話が回っていく感じなので少し眠いところも。やがて嵐の中で始まるキャプテンディナー。盛装した乗客たちが次々に船酔いで倒れ、船長は肥料商と飲んで盛り上がり船内放送を独占という修羅場に。ここでも乗務員たちがシッカリと船内を駆け回り後始末。そして…。海賊が投げ込んだ武器商人製造の手りゅう弾が爆発し舟は難破、カールとヤヤを含む5人の乗客と、3人の乗組員が無人島に漂着し、ここからが第3幕。客室乗務員のチーフは最初乗客をまとめ面倒を見ようとするし、乗客たちもヒエラルキーの中にいてふんぞり返っている感じだが彼らは火をおこすことも食料調達もできず、やがてそこで権力を持つのは魚を手づかみで取り、さばき、火をおこし食料化できるサバイバル能力を持った船内のトイレ清掃担当だった女性。彼女がこの集団に君臨し、ただ一艘浜辺についたボート?に夜はカールだけを引っぱり込みと権力を振るうように…。
セレブの乗客を戯画化し、乗組員のほうも戯画化し、ま、こんなことでこの集団他に方策はないとはいえよく集団を保っているなあと思えるような展開で、人間の自分勝手さ弱さ板らしさを余すところなく見せつけ、しかしそれは見ている観客側にも実は身に覚えがある?と思えるような、すごくうまいんだが後味はいいとは言えない、いい人は一人として出てこないというような作品。この無人島自体が実は…という終わり方も皮肉だし…。わかりやすいという意味では『フレンチアルプスで起きたこと』と『ザ・スクェア』の間ぐらい。でも147分も必要かどうかよくわからない。(3月28日 渋谷文化村ルシネマ 94)

㉓コンパ―トメントNO.6
監督・脚本:ユホ・クオスマネン 原作:ロサ・リクソム 出演:セイディ・ハーラ ユーリー・ボリソフ ディナーラ・ドルカーロワ ユリア・アウグ 2021フィンランド・ロシア・エストニア・ドイツ107分 ★★★

1月に『映画で見つめる世界の今』(NHKBS藤原帰一)や、その他のサイトなどで紹介されて以来、気にしつつ、話としては要は長距離寝台のコンパ―トメントに居合わせて何日間か一緒に旅することになった、最初は全然気の合わない異質の男女がやがて親しくなる話、そこにもともと女は女性の恋人からドタキャンされて一人旅というあたりが新味かと思い込み、鑑賞が先に先にと伸びていたもの。4月になろうとしているのにまだ終了日未定の1日3回ロードショウが続いていて、お客もちゃんと入っているというすごさに、んん?それにしてももういつ終わるかわからない、と平日初回に入ってみるとこれがやはりいるお客約30人?春休みとはいえ、ね…。
で内容的にはまさに聞いていた通りなのだが、それぞれの人物造型がうまい。がさつだったり子供っぽかったりするのだがリューバという男性の素朴というより不器用なんだろうが根っこにある優しさというか人間愛がさりげないながらじわじわと染み渡るようなエピソードの描き方、それを最初は拒否、恋人のいないというか通じない(まだ携帯もネットもない90年代)寂しさにだれかとつながりたくなるヒロイン・ラウラの孤独としかし防御心もありつつ、人とつながりたくなる若い学生の心理の演技に目が離せなくなる。あくまでもラウラ目線の映画なので、謎は結構残る(二人が訪ねたあの老婆=存在感はさすがのディナーラ・ドルカローワ(『動くな、死ね、甦れ』)はいったいリューバの何なのか、とかリューバはどこからどう車や、運転手を調達してくるのか。海辺にあるらしいペドログリフを果たしてラウラは見たのかどうかも観客にわかるように描かれているわけではない)でもそこがいいのかなという気もする。世界にはまだまだ知らないことわからないことがいっぱいだが、それでも何かをきっかけにそれまで見えなかったものが見えるようなこともあるのだと思わせられる。それにしても寒い寒い北極圏の気候描写、そして若者に限らず人々の薄着(コートの下は半そで、ラウラもコートの前をあけっぱなし、手袋もせず)はさすが「北の人」なんだな、とちょっと驚く。(3粥29日 新宿シネマカリテ 95)


㉔青春弑恋
監督:何蔚庭 出演:林柏宏 ムーン・リー(李沐) アニー・チェン(陳庭妮)姚愛寗 リン・ジェシー(林哲熹)丁寧 2021台湾127分 ★


題名に翻弄され未見かと思い見に行ったが(チラシその他の惹句もかなり??)これ、2021年東京国際映画祭でみた『テロライザーズ』だった。東京国際で見た時は特に前半何だか持って回ったようなわかりにくい映画だなあと思ったが、今回見て、あ、なんだそうか…と人間関係はかなり整理できた。そしてこれは「関係のない男女」の話でもなく「無差別殺人」の話でなく、主人公にして台北事件を起こす明亮(林柏宏)の中で彼ら6人ちゃんとつながっているじゃん…。明亮は議員の家すなわち玉芳の家に間借りをしている(最初途中二回彼女がコップを割り、明亮が声もかけず冷たく見る場面有。これふたりの間に親しさがないことを単に示しているらしいが、逆に確執があるように見えてしまった)。玉芳はカフェでバイトをしながら劇団に所属、女優をしているが、カフェに客としてくるのが元船員の料理人小張(これって演じている林哲熹と、明亮役の林柏宏がわりと似たタイプの顔立ちで、私は前回も今回も最初見分けがつかず、時の経過によって顔を変えているのかと混乱。しかも実年齢は大学生役の林柏宏35歳、コック役の林哲熹33歳?とかいうのでちょっと驚く。)二人は友人の結婚パーティで再会して付き合うように。一方劇団仲間がアニー・チェン演じるモニカで、彼女は元AVビデオに出演していたことがありその映像を見て明亮はモニカにあこがれから恋へ、ついにはストーカー的行為に及ぶ。
モニカは劇団でもうまくいかないうえに恋人に去られ荷物のない部屋に一人取り残される。その境遇に同情した玉芳は彼女とレズビアン的関係を結んでしまう。その現場を見た明亮は、自分からモニカを奪ったとして玉芳を襲うというのが台北無差別テロのいきさつということになる。実際に刺されるのは玉芳をかばって犯人ともみ合った小張ということに。
もう一組明亮がよくいく食堂の娘がキキ(これも演じる姚愛寗、32歳というから驚く。コスプレ好きな高校生という役柄が全然違和感がない。ただし、彼女は映画の中でさまざまな顔を見せる)、彼女は明亮に心惹かれ部屋に招き入れ、キスまではするが決してその先を許さず彼をいらだたせる。その食堂で小張は料理人として働くというつながりも。
この明亮という主人公は単に孤独とか、思いがうまく人につなげられないとかいうだけでなく、大人しげ・優し気なイケメンでもあるんだが、実は相当に伝統的というか封建的な価値観?に縛られ、女は結局男の支配下にあるべきだというような理念で(というようなものではない、もっと原初的な感情みたいだが)動いているような感じである。女性の性的な解放のポーズを男としての自分に向けられたものと錯覚して、相手が自分を拒否すると切れる。だから彼がつきあえるのは、金さえ払えば母のごとくに彼を受け容れてくれる年上の娼婦だけということになる。演じる丁寧は、明亮に向けるそういう優しさとそこにあるドライな商売人気質を実にうまく演じていてさすが!明亮はしっかり騙されるわけである。
襲撃は失敗というか運よく小張の怪我だけで終わるが明亮がネットに流した玉芳とモニカの絡む映像が物議をかもし父の議員も登場し…でさて話は襲撃事件後も続いていくのであるが…。前半のエピソードを重ねていく描き方と後半の説明的な場面でまとめていく映像の間にやはりちょっと乖離がありすぎるんじゃないかなあ。登場人物ごとのチャプターでまとめるなどの工夫はしているがそれがあまり生きているという感じがしない(私の鑑賞力の欠如かもしれないが)。林柏宏は大阪でみた『本日公休』の中でイケメンの売れっ子美容師の役だったが、まったくの別人演技。      秋の映画祭 2021/10〜11
(3月29日 シネマート新宿 96)


再鑑賞作品については、前に書いた号のリンクを貼りました。
トップの「バックナンバー」からから過去の記事を簡単に読めるようにしました。よろしければ飛んでみてください。

今年は春が早くて桜もすでに盛りを過ぎてしまったようです。
4月16日から1週間の予定で念願の台湾・玉山、雪山の二座登頂を目指して出かけます。
久しぶりの海外高山なので、低酸素トレーニングに通ったり結構準備も大変ですが、楽しみです。来月、ご報告できる(といいのだけれど)と思いますので、お楽しみに。



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