第26回東京フィルメックス(2025・11)
①イエス ②太陽は我らの上に ③ヒューマン・リソース ④アミールの胸の内 ⑤家へ(回家) ⑥サボテンの実 ⑦女の子(女孩) ⑧ラッキー・ルー(幸福之路)⑨枯れ葉 ➉アメーバ ⑪左利きの少女 ⑫東北短編集 ⑬私たちの土地 ⑭The World of Love ⑮大地に生きる
中国語圏映画は6本。その他の作品も含めフィルメックスは考えさせられる問題を扱った映画が多くどれも力作ですが、いちおう★ナルホド、★★いいネ、★★★おススメ!もつけてみました。あくまでも個人的評価で、必ずしも受賞作品と一致しないのはいつものことです。上記作品中赤字が受賞作品。審査員特別賞を獲った日本映画『しびれ』(内山拓也監督)は時間が合わず未見。劇場公開待ちです。
12月5日から劇場公開されますが、すでに話題作になっていますので是非見にいきたいと思っていますが、★★★「おススメ」です!
それではここから映画日記!
⑮大地に生きる(生息之地)
監督:霍猛 出演:汪尚 張楚文 張彦栄 2025中国 129分 ★★
2025年40号の竜のマーク付き作品。1991年の河南省周口覇王台村、工業化の直前くらいの中国で目端の利く農村人は職をもとめて大都市に出稼ぎに出かける。一方の農村にもそろそろ機械化の波が届こうとはしているが、人々はまだ古い因習とか、伝統に従って暮らしている。主人公の少年徐閻の両親も、3番目の末っ子の彼を父の実家に預けて兄・姉だけをつれて深圳に出稼ぎに行っている。映画は大祖母?(なんか祖父母も曾祖母もいてさらに上の世代?何世代もが同居している感じで、人間関係が全然理解できない。子供は少年と同世代のようだがちょっとだけ大きい男の子が一人と、あとは名前も関係もわからない年下の少女が2人ほど画面をウロウロするが、関係はわからず、これがこの映画の家族の「女の子」の地位を象徴しているような気もした)が亡くなり父母が葬儀に帰ってくるところから。母は久しぶりにあった息子をかき抱くが、家の門前に着くなり大声で泣き叫び、迎えた家族に抱きかかえられるように門をくぐる、と、これは多分この地方の葬儀での習慣を踏襲しているわけである。葬儀では先に死ん大祖父の骨を墓から掘り出し夫婦の棺を合葬するというような習慣も描かれ、このとき少年は祖父から「おまえは姓が違うからこの家の墓にははいれない」みたいなことを言われる(つまり、ここは母の実家ということか?)。祖父母や若い叔母などが徐閻を可愛がってくれるが、少年が何となくよそ者でこの村や家族に帰属意識を持てない様子が描かれるわけだ。映画は少年の視点で、一家総出の畑仕事や、知恵遅れの叔父の曾祖母に愛される日常と気の毒な行く末、ほとんど寝たきりになっていく曾祖母のようす、若い叔母と小学校教師のひそやかな好意、やがて親親戚がほぼ勝手に決めた感じで嫁いで行かされる彼女(てかてかに真っ赤な化粧をされ泣きそうな仏頂面で嫁ぐ)と、1年四季を追っていく。一人一人が運命を受け容れて生きているが、後半村(親戚)の若い男たちが競って深圳への職探しに出かけていく場面もあり、一方で女たちは叔母も含めそれこそ従順に運命に従っているが、思えばこの人たちの視点で描いたとしたらそれこそ救いも、何もない苦痛の映画になってしまっただろうなあと思えてしまうような生き方だ。近くにいるがこの人々とは同化も帰属もせず、やがては村を出て自分の人生を築いていく期待が持てる少年の視点だからこそ、悲しいけれど美しい?雰囲気で村や人々の様子が迫ってくるのだなとあらためて思わされる。とにかく緑は美しく、村の自然も懐かしく描かれている。
ことばは河南語?みたいで、あまりわからない…。(11月29日 特別招待作品クロージング上映 朝日ホール 301)
⑭The World of Love
監督:ユン・ガウン 出演:ソン・スミ チャン・エリン 2025韓国119分 ★
終わってみると、なかなか意欲的な題材を扱い、間接話法部分に直接話法もまぜこんで?伏線部分―主人公の少女ジュインへの周囲の見えない?思いやりなど(弟の行動も含め)うまい作劇をしているとも思うのだが、過去のつらい体験にもめげず元気に過ごしている?状態を強調するためか、ボーイフレンドとのディープキスのシーンとか、あとジュインも含むすべてにわたって喧噪とも言えるような女性たちの大声、激しいやりとりの良く言えばエネルギッシュ、まあうるさいシーンに見始めからなんか引いてしまい、これが韓国の国民性?いやいや私の疲れというか老化?ー最近車内や食堂などでの「オバサン」たちの大声が耳についてしかたがないーかと中盤まで映画の世界、特に教室の若者たちのがやがやシーンについて行けない。なお、ジュインが、初めて唯一?心情を激しく吐露する洗車中の車内のシーンは、『ヒューマン・リソース』③でも『アメーバ』➉でも出てきた洗車シーン思い出させ、今回フィルメックスでは洗車の車の中でこういうシーンが流行り?と思ったら会場からのQ&Aで同じ感想を述べた人がいて、アハ、やっぱり…ニヤリではあった。幼時叔父から受けた性犯罪がトラウマになりつつそこを乗り越え生きて行こうとする少女の物語。主演のソン・スミ?登壇、なかなかステキなしっかりした感じのお嬢さん。(11月29日 コンペティション 朝日ホール 300)
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| 登壇は監督(左)と主演のソン・スミさん |
⑬私たちの土地
監督:ルクシア・マルセル 2025アルゼンチン・アメリカ・メキシコ・フランス・オランダ・デンマーク 122分 ★
アルゼンチンのチュシャガスタ共同体(先住民族チュシャス族の共同体だが、チュシャス族とは必ずしも一致しないらしい。つまりチュシャス族だからと言って自然にチュシャガスタに属することにはならない)の土地抗争とそれを支える民族の文化・伝統について描くというか述べる感じ。
2009年共同体の土地を(自身のもの)として視察に訪れた3人の男(元警察官とか公務員とか、要は政府体制への順応派といえる)に反対した共同体側とももみ合いの中で、ハビエル・チョコバルという先住民が撃たれて死ぬ。その裁判から映画は始まる。その後ハビエルらチュシャガスタの人々の故事来歴・伝統文化とか、その中での植民地になって以来の土地所有に関する抗争については、この地の広々とした山林広野?を含む大地を映しながら進んでいくが…。要はチュシャス族が古来から、特に書類に残したりはしないがそこに根付いて暮らしていた土地は、スペインの植民地化により奪われてあらためて植民地を支配する側の者として登記され、チュシャス族はチュシャガスタを組織してこれに抵抗しているわけである。一方チュシャス族は都市に出て家政婦や工場労働者として勤め、老いては村に戻って暮らすというような暮らしぶりで、実際にその土地が活用される度合いは昔に比べたら減っているのだと思う。一方の支配者側もそれなりに土地は活用したいわけで、そこに抗争がおこっている。
広大な土地の所有の意味を、今小さいけれど自身が住むことも見たことさえない土地の税金納入者としての所有者にならなくてはならず悩んでいる自身としては、考えざるを得ず、これは日本人の生活の急激な都市化とか生活変化が旧来的な土地所有のありようと矛盾する側面が出てきているからだろうが、この国では今後そういう問題は起きないのか、もう、考えさせられ割り切れず(自身のありようは批判されるべきなのか)などと思いつつ見た。(11月29日 特集:ルクシア・マルテル 朝日ホール299 )
⑫東北短編集
監督:張曜元 出演:阿部力 西岡徳馬 2025日本・中国 83分 ★
日本を舞台に中国東北地方出身の移民が置かれた厳しい状況をそれぞれに描いた3本の短編。3本とも、同じ中国黒竜江省出身という阿部力がまったく違う役柄を演じていて、なかなかにリアリティを感じさせる。すごく地味だけれども若い中国人監督の問題意識が詰め込まれているような見ごたえのある映画だった。3本は以下のとおり…
『ハーフタイム』沖縄の技能実習先が倒産、賃金未払いのまま次の実習先を探す面接を受ける、東北出身、子どもの学資を春節までに払わなくてはならないと妻に責められている実習生の39歳(日本語もカタコト)のつらさと苛立ち…これがいちばんヒリヒリつらい感じ。最後に働いている場面が出てきて、ちょっとほっとする。
『相談』雪深い北海道?が舞台。見るからに寒々しい景色の中、不当解雇された会社の上司とのもみ合いで暴力をふるったとされ、事実無根を主張しようとしてうまくいかない中老の男と、いかにもやる気なさそうなその弁護士。頑固な男に困惑する弁護士だが最後に二人の関係が明かされてあ…。この短編の主人公は中老ではなく弁護士の方だった…。
『祝日』自身は元中国でプロサッカー選手だったが移民して今は東京で違法の白タク運転手をしている男が、小学生の息子をサッカークラブへの入団セレクションに合格させようとして、果たせない姿と、さらに彼の境遇がトンデモなくつらかったことがいくつかの伏線から明らかになるラストの哀しみ…3本とも阿部力、しっかり中年オジサンを演じて印象的だ。映画祭会場には、この3本の映画にかかわった役者・スタッフがたくさん来ていてなんか家族的というか手作り感あふれる感じ。(11月26日 メイド・イン・ジャパン ヒューマントラストシネマ有楽町296)
左から監督・プロデューサー徐梅さん・主演の阿部力氏
⑪左利きの少女
監督:鄒時擎 出演:馬士媛 蔡淑臻 葉子綺 黄鐙輝 陳慕義 趙心姸 2025アメリカ・イギリス・フランス・台湾 108分 ★★★
これは、なかなかすごいドロドロの家族関係を、きわめて明るく潔くコメディカルにさえ描き、最初から伏線の連続、終わりにどんでん返し的サプライズ(監督的に言うとひねり?)があるが、そこに行くまで映画を見ていて??と思ったところはきちんと伏線になっていて回収されるという大変に凝った脚本の映画と思われた。監督によれば脚本自体は英語で書かれ、現場で役者に台湾のことばでしゃべって自然なものとしてもらったとのことだ。で、頭台北の狭いアパートに越してきて近くの夜市で麺屋を開く母と、20歳過ぎくらい?檳榔・マッサージの店で働く長女宜安、そして年の離れた幼稚園に通っているという左利きの宜静の3人家族。店はあまりうまくいかないが、そんなところへ母の離婚した「2番目の(と言ったと思う。これも伏線になっている)」元夫が死に瀕した病床にいると連絡があり、看病、ついで亡くなった時には葬儀まで上げる母に長女はきびしい抵抗を示す。一家が抱えやっと返したた借金はその夫の残したものであり、そこまでなんで面倒見るかというのが娘の言い分だが、それだけとも思えないほどの厳しい糾弾を娘は母にも、また妹を連れて見舞いに行った彼の病床でもするーってこれも多分伏線。一方母の実家には祖父母と嫁いだ母の姉妹たちがおり、彼女たちは姉妹である母の生活の不如意に批判的。祖父は宜静の左利きを「悪魔の手」だと憎み、祖母もまた別の秘密を抱えている。この祖母の秘密については宜静がひょんなことから、それとは知らず「悪魔の左手」で助けたことから、宜静は祖母にとって「一番の」特別な孫になる。宜静は悪魔が勝手にやるのだと言って、夜市を駆け回り小物などを万引きして歩くが、これについては後半発覚すると姉の宜安が妹を連れて店をまわり返させて謝らせるシーンが出てきて、これも多分伏線。その宜安は高校時代の友人に会うシーンがあって、彼女が高校では3指に入る優秀な生徒だったのになぜか中退し大学にもいかず、家族とともに街を離れていたのだということが明かされる。その彼女はまた、店のオーナーの不倫によって関係ができて妊娠、悩むがやがて流産する。母は隣の店の若い金髪のオーナーの親切にほだされて関係ができる。というようななんともゴタゴタ皆々困った状況を抱えながら,夜市は極めてきらびやかな、モノがあふれて楽しい世界、しかも少し下から目線、つまり子供の目で見た感じに描かれて、観客もそこに誘い込まれる。やがて、大陸で成功している母の弟が一時帰国して祖母の還暦祝いの宴が開かれたその席上、すべての伏線が回収されアッと驚く結末が明かされる…という、なんというかなあ、出来事としては決して明るくはない、むしろ暗くつらい家族事情なのだけれど、元気に心を吐露する登場人物の活気の中でポップに話が進んで劇的に観客を巻き込み驚かすという構造については、今回映画祭随一だなあと思われたのである。姉役は金馬賞の新人俳優賞受賞。妹役がまた達者で、よくこんな演技ができるという中国子役の典型みたいな子。観客賞受賞作品(11月24日 コンペティション 朝日ホール294)
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| こちらも女性監督ツォウ・シーチンさん |
➉アメーバ
監督:タン・スーヨー(陳思攸) 2025シンガポール・オランダ・フランス・スペイン・韓国 99分
80年代?(やっぱりちょっと古い?という感じは否めない)シンガポールの名門女子中学に転校してきた生徒シンチューと同じ4年10組(日本でいうと高1ということだろうか)の3人の生徒の付き合い。前半は「自分は合わない」と言いながらなぜか「良き市民」委員(風紀委員というより公民科の委員と言う感じ?)に選ばれてクラス演劇を上演するところから、学校内での権威や「シンガポールという国のため」みたいなところで行われる受験教育への抗いを、4人それぞれの立場・個性・境遇などから描いて結局それぞれが個別に考え(最後の方に出てくる高校受験?の面接、4人の答えがそれぞれに描かれ、シンチューが自身の心情を率直に話しながら多分体制的社会には受け入れられないだろうところまでを丁寧にも描いて、結局4人が「分裂」してそれぞれの道へ歩き出すのだろうというところまで。権威でよき民であれとする学校教育(教師)への批判的意図は見られるのだけれど、ウーン。高傑がソフィアの家の運転手として4人の少女たちの世話もし、やがて映画の中で死んでいく男を演じている。(11月24日 コンペティション 朝日ホール 293)
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| 登壇したタン・スーヨー監督(左) |
⑨枯れ葉
監督:アレキサンドレ・コべリゼ 出演:ギオルギ・ボチョリシヴィリ バフタング・バンチュリゼ ドイツ、ジョージア 2025 186分
ジョージア、スポーツ写真家28歳のリサが置手紙を残して失踪し、父で教師のイラクリが、彼女の仕事仲間のレヴァン(但し、この人は声だけで姿が見えない透明人間的出演)とともにというか、彼の案内で彼らが最後に仕事をしたという国内のサッカー場のある村々や、街を車でたどるという、まあロードムービー的形態なのではあるが…。それぞれの画面は⑤「家へ」と同じような感じの静止画的ショットの繰り返しに同じような喧噪音や鳥の声など自然音がかぶさるパートと、監督の弟?のゲオルギ・コべリゼがヒメネスの小説に基づいて作曲したという煽情的ともいえそうなメロディの音楽がかぶさるーこれがかなり多くてミュージカルになってしまったとは登壇したゲオルギの言。映像は自然や建物、街の風景、特にそこに現れる馬、牛、犬、猫など、そして子どもたち(サッカー場を使う、イラクリが彼らにサッカー場の位置を聞く)などが特徴的に繰り返され、イラクリが話を聞く村人たちも姿を見せたり、レヴァンと同じく無人の存在として描かれたり。しかもそれらは2003年のソニー製の携帯カメラで撮られているのだそうで、劣化した古いビデオテープみたいな輪郭のはっきりしない解像度の悪い映像で、それは意図的に観客を映画世界に飛び込ませないための工夫?とも思われるが見にくくて疲れることこの上ない。やがて感覚だけで映像世界に浸りつつ、まあ話が単純なので追いかけていけたという感じ。意外に寝なかったとは思うのだが、寝たことに気づかなかっただけかも。それほどに話は動かないのだが、最後の10分?くらいで、あっけないような種明かし的閉幕。今までのイラクリの苦しい実りのない旅はなんだったの?とも思えてしまった。ま、もちろん娘の追跡ではあるがミステリー的に解決を求めるような映画ではないことはわかっていたのだが。なお、イラクリを演じたのは監督兄弟の父だそう。また、映画内にイラクリの「91歳の叔父」が登場するが、この人もイラクリの役者をそのまま年を取らせたような容貌で、本当の叔父または父?なんか肉親総動員でつくられているようだ。学生審査員賞・スペシャルメンション受賞作品(11月24日 コンペティション 朝日ホール 292)
⑧ラッキー・ルー
監督:ロイド・リー・チョイ 出演:張震 陳法拉(ファラ・チェン) カラベル・マンナ・ウェイ 2025 カナダ・アメリカ(英語・中国語) 103分 ★★
NYのデリバリー配達員の中国人ルーはようやく妻子を中国から呼び寄せることができ、友人の又貸しだが家賃も払って部屋を借りる。5年ぶりに妻子に明日は会えるというその日、彼はこれも仕事用に借りていた自転車を盗まれてしまう。そこからすべてが裏目に出る苦しい彼の1日のバタバタ。妻子はシアトルについて入国審査中、無事通過NYに向かっていると、電話が来るし、観客も一緒になってさあどうするルー、と気をもんでしまう。友人から引き継いだはずだった部屋の払った家賃は友人が持ち逃げしたらしく、管理人から敷金保証金をすぐに払わなければ部屋は貸さないと鍵を取り上げられたものの、なんとか頼み込み1日だけ猶予を与えられ、そこに妻子を迎える準備をしている最中にも到着の知らせが…迎えに行ったルーに対して幼い娘ヤンヤンは不信の目を向けるが、彼女の望むピザを食べさせ、家に戻り、仕事に行くというルーにヤンヤンはどうしてもついて行くと言い張る。そこから娘を連れて、ルーが金策にNYを駆け回り、冷たく断られて失望したり、家賃を持ち逃げした友人を見つけて追いかけるが、彼のルーをさらに上回るような苦境に直面したり、実は自転車を盗まれたあと、自分も路上に放置してあった自転車の鍵を壊して盗んでいた、その自転車を売りに行ったり、と七転八倒が相変わらず続き、途中で知人に預けられていた娘のほうも、トイレ探しからたくましく街を徘徊してのハプニングなども描いて夜まで、娘が父への不信からやがて父の苦境を理解し手助け?しようとまで思う変化を、彼女の持つポラロイドカメラ撮影の写真を並べ替えながら遊ぶ行為と重ね合わせてなかなか説得力のある描き方をする。なにしろこの子役の上手さーニューヨーク在住の中国人らしいが、子役の上手さは中国人の血かしらん?(⑪『左利きの少女」もすごかった…)とさえ思えてしまう。
全体に沈んだ色調で暗く、遠景での撮影が多いのは、本当にルーの孤独や無力を感じさせる効果を上げているし、話は『ラッキー』の題名とは裏腹に決してハッピー・エンドの方向には向かわず、問題は何も変わらずに明日を迎えるのだが、ただ、娘を始め彼女や自分にかかわる同じNYの移民社会の人々との関係性にもよって、彼の絶望の影にちょっと希望というか希望への意志のようなものが見られるーそんな姿が意外に説得力をもって描かれている。この映画で主演張震は台湾金馬賞主演男優賞をとったが、いわゆるヒーロー的な男ではなく(あ、だが野心を持っていた男としては描かれているが)地に足をつけ自分の周りをなんとか幸せにしたいと考えている男って、彼のキャリアにとっても新境地なのではないかと感じる。監督はカナダ系韓国人で、出演も華人だけでなくいろいろな国からの移民だし、ことばの中国語もルーは台湾華語、妻役は広東語っぽい?混合映画であるのも、今を表している。(
11月23日 コンペティション 朝日ホール 291)
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| 登壇はチョイ監督 |
⑦女の子(女孩)
監督:舒淇 出演:白小樺 9m88(ジョウエムバーバー) 邱澤(ロイ・チウ)2025台湾 125分 ★★
女優ス―・チーが侯孝賢監督のアドヴァイスも受けながら11年がかりで脚本を仕上げ、『ミレニアム・マンボ』の歩道橋から始まる基隆の街を舞台に描いた自伝的要素も含む映画、とくればフィルメックス一番の話題作ということになるのは当然。画面や構成に台湾ニューシネマっぽいところは十分なんだけれど、やはりこれは女性が作った真面目なジェンダー・フェミニズム作品という気配も強く、監督舒淇の力や意気込みをとても強く感じさせられる見ごたえだった。酒飲みで暴力的な父と、生活に追われ苦しみむ母の間に生まれた(のではないのかもしれない)少女小麗。映画の最初は高校生の母が友人宅に遊びに行き別室から伸びた手に引きずり込まれる?という省略・暗示的なシーンがあり、そのあと兄から「家の恥」として基隆の叔母の家に放逐されるというところから始まる。その時に生まれたのが主人公の少女小麗とすれば、基隆に出てきた若い母の苦境を救って結婚した現在の父との間に生まれた妹との間に何となく差別が生まれるのも、単に姉だから長女だから犠牲になれという話ではない?そして転校生リリーと親しくなり彼女に誘われて夜遊びも覚えた小麗は怒った母に「叔母のところに行け」と家を追い出される。つまりは映画の中では2代にわたり娘が邪魔ものとして家を追い出される負の連鎖が描かれるわけで、母役のジャス歌手9m88の好演が目立つし、父役のロイ・チューも優し気なイケメンが家庭をもって自己中心的な鬱屈した男へと変わっていく様子が自然で納得できる。そして少女が学校をさぼり塀の破れ目から外の世界に出ていくシーンでの周囲のみずみずしい緑色が何よりも彼女を癒すものとして目に残った。家を追い出された少女はそれゆえに自身を取り戻し、数年後おとなになって父の亡くなった家に帰省するが、それが結局ハッピーエンドとしては描かれない苦さも、この映画の「おとな」感?(一緒に見た仲間たちの中にはそこまで描かなくてもよかったとの声もあり)かな。登壇したスーチー監督、久しぶりに見たけれど本当に素敵な大人の女性になっていた。49歳だって?ウーン。そして今後の活動はと問われて「やはり女優中心でやっていく」というのがもったいなくもあり、うれしくもありだ。(11月24日 コンペティション 朝日ホール 290)
スーチー監督のQ&A
⑥サボテンの実
監督:ローハン・パラシュラム・カナワデ 出演:ブーシャン・マノージ スーラージ・スマン 2025インド・イギリス・カナダ 112分 ★
父が亡くなり、ムンバイからインド西部の父の故郷に遺体を搬送して父の実家で葬儀を行うことになったアーナンド。一緒に戻った母は未婚者は喪主になれない」という親戚に対して強く希望しアーナンドを喪主とするが、親戚からは「黒い服を着てはならない(文化の違い、びっくり!)」「10日目の法事まで裸足で過ごす」「出かけてはならない」「ご飯をおかわりしてはならない」「最後の法事には頭を剃る」などといろいろな約束事を示され、最初は2日間休んだ後は職場復帰、10日目の法事に再び戻ってくるつもりだった彼は、この村に10日間の足止めをされることになる。弔いそのものは布にくるんだ遺体を飾りすぐに屋外で火葬、その次の日には散骨(ヒンズー教だ)と意外に簡単だが、葬儀としては10日間続くということで、その間親戚はアーナンドにすぐに見合いをし1年以内に結婚しないと父は成仏(ではないか、なんていうのだろう、天国に行けない?)と迫る。実はアーナンドはゲイで、その性向を両親は理解し認めていたのだが親戚にはもちろんそれは伝わっておらず、母は息子が手ひどい失恋の結果、結婚する気になれないのだなどと取り繕う、という中での10日間。幼馴染のバラヤという男ー高校は2度滑って卒業をあきらめ、牛乳を売り、山羊を飼って生活しているーがアーナンドに声をかけ、一緒に過ごしてくれることにより二人の仲が急激に近づいていく恋愛ドラマだ。
実は、これは監督自身の経験に基づいて作られた映画だそうで、都市に住む両親の息子への理解とか、葬儀の習慣の煩雑さとかはそのまま監督自身の経験らしい。それゆえかこの恋、監督の願望かも知れないが、田舎の慣習から言うとちょっと非現実ではないのと思えるほどのご都合主義な気配さえもあるハッピーエンド。主人公にとってはつらい田舎での生活だったはずだがバラヤの存在に寄ってか、画面も明るくきれいな映像で、ま、ドキッとするような男性の全裸抱擁シーンもしっかりあるのだが、わりとどぎつくなく品よく仕上がっっている。トークに登場したのは主演のブーシャン・マノージ。つるつる頭はしっかり伸びて精悍なイメージに…最優秀作品賞受賞作品(11月23日 コンペティション 朝日ホール 289)
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⑤家へ(回家)
監督:蔡明亮 出演:蔡明亮 アノン 2025台湾 65分
蔡明亮監督に近年よく出演しているアノンの、故郷ラオスへの帰郷を描いたドキュメンタリー、というのだが、まず冒頭車に乗って故郷に向かう?アノンが1シーン。次に村で回るメリーゴーランドとその心棒につながれてまわるカートの間から逃げ出そうとするが逃げられない犬というなんか哀切なシーン。そのあとはおよそ30秒弱から長いもので70秒くらいまでの故郷の村のさまざまなショット、といってもほとんどが静止画?のような感じでただ風に木の葉が揺らいでいたリ、動物が画面を横ぎったり、の原野や畑(働く人は点景)、またさまざまな家―ほとんどが廃屋だが人が住んでいそうな家も、またコロニアル建築風の鮮やかな色合いの家もあり、そのほとんどは幹線道路の近くにあるらしく車の轟音だけがバックに流れるというような…を重ねていく。中盤から室内で何か調理をしているアノンとその家族がチラリと出てきたり、市場など人の集まる場所も交じってくるのだが、終わりのほうまでほとんどはそんな村の景色で、最後に至ってこれも遠くの光景として屋根に柱だけの広い建物の向こうの方に現れて食卓に着く蔡監督と、それをもてなすアノンの姿が映り、そしてラストは今までの場面と対照的なホテルらしき部屋のシーツに覆われたベッドの上に窓からさす二筋の光ーこれはそれこそ村と帰郷者もしくは訪問者の蔡監督ら一行との距離を端的に示しているようだが、そんないかにも蔡明亮らしい、彼だからこそ撮れたーもし若い新人監督かなんかが撮ったらその意図さえ理解されずにお蔵入り?というような、蔡明亮的世界がたっぷりと開示された感じ。(11月23日 特別招待作品 朝日ホール 288)
④アミールの胸の内
監督:アミール・アジジ(Amir AZIZI) 2025イラン 103分
恋人タラのあとを追ってテヘランからフランスへ移住を希望しビザの発行を待っているアミールの出発までの日々、ブラジルで4年暮らしたというナサル、その同居の友人ナハール、との飲んだり遊んだりしゃべったり、これも過去にニューヨーク?で暮らしたという叔父のとの日々(アミールはタラとのデートで行かなかった両親との旅行で、両親を事故で亡くしたという経験を持つ)そしてテヘランでのタラとの日々の追憶など、また自転車で宅配便する客とのシーン(客に自ら作った曲の演奏を聞かされるところが印象に残る。映画のはじめの方でアミールはタラから電話で「ピアノを売ったら」と言われてぃる)彼が自転車で走り回るテヘランの景色は他者としての観客の目から見ても美しく、走るアミールとタラもきわめて美しい青年たちで、ビジュアル的には目を満足という感じはあるが、いかんせん彼は上り下り移住して恋人に会いたい気持ちや故郷への愛着に引き裂かれて逡巡している感じでタラにも電話で叱咤激励されている感じで、ウーンなんか見ていて疲れてしまう。イランからフランスへの移住を図ると言えば政治的な状況だってあるのだとは思うのだがそういう側面はほとんど描かれず、とっても感傷的というか感情的な感じの会話が多い気がして、それもなんか眠気(割と心地よいと言えば心地よい)を誘うのではあった。(11月22日 コンペティション 朝日ホール 287)
③ヒューマン・リソース
監督:ナワポン・タムロンラタナリット(Nawapol THAMRONGRATTANARIT) 2025タイ 122分
フレンは、ある会社の人事担当、上司と部下の間に挟まり、上司のモラハラで会社に来なくなった部下の処遇について上司から謝罪を求められる。面接担当として同僚と入社面接をするが、会社の条件と受検者の志望のギャップにに悩んだり。妊娠がわかるが、他社で営業職としてしのぎを削る夫に打ち明けられない。仕事も順調、単純な正義漢?の夫は思いやりがないわけではないが、一方的に自身の好みというか生き方の範囲でのみフレンを愛しているという感じ。母も同じで、幼時のフレンの確執には気づかず求める娘像の範囲でフレンを大切にしているアピール的説教。住居近くの一方通行路逆走してくるバイクの威嚇(これもすごい、タイってこうなのか?違反している側が相手を責めるとは!)を避けて逃げ、夫になじられるが、追いかけてきたバイクの運転手にヘルメットをウインドウに何度もたたき受けられ怖い目に逢ったり…というようなさほど大きな事故や問題ではないが、一々がフレンの生き方にとげをさすような出来事として、社会問題や環境問題なども織り込みながら続いていく日常には、リアリティがあって、最初は、なんか自分にも覚えがある鬱屈だなあという感じで彼女に共感を持てるのだが、まったく解決もあるいは非解決への大きな事件も起きないまま、映画は延々とフレンの鬱屈的日常を描いていくので、やがて、この映画誰に向けて何を言いたいのかなあと、少々悩ましくなってきた。女性の置かれた立場に関する社会への警鐘とすれば、この女性ただただ不機嫌に耐えるだけなので、分からない人には全然わからずただのワガママ女に見えてしまいそうだし、まあ、ドキュメンタリーをみているつもりで見ればいいのかもしれないが、それだとこんな暗い面白くもない映画を劇映画として作る意味があるのかなあなどと、作者の意欲は感じるのではあるが。(11月22日 特別招待作品 朝日ホール 286)
②太陽は我らの上に(日掛中天)
監督:蔡尚君 出演:辛芷蕾 張頌文 2025中国 131分 ★
なんというかロマンティクというか、なんともたくましいというか、不思議なステュエ―ションの恋愛物語という感じ。また人々が経済力をもって力を伸ばしている現代中国だからこそ、しかも法の穴みたいなものもある社会にこそ成立する物語?7年前起こしたひき逃げ事故で、同乗の恋人呉宝樹が身代わりに罪を背負って服役した美雲。その彼女「苦しさのあまり」1年で面会もやめ宝樹の前から姿を消し、今やブティックを経営(必ずしも経営状態がよくはないらしい)新しい恋人もいるが実は不倫。その恋人の子を宿していることが分かった日、病院で入院中の宝樹に偶然再会する。胃がん(?美雲は「末期がん」と新しい愛人に言っているが、宝樹の様子はそれほどにも見えない。病気であるのは確かだが)。美雲を避けようとする宝樹だが、美雲は退院後の彼を訪ねる。すると彼は彼女の家に乗り込んで住みつき、自分が手術のために友人に借りた大金を、友人に振り込めと迫る。ま、彼の恨みが現れるわけだが…。そこから約1ヶ月、返品した不良品の代金が戻らず経営難に陥る店、愛人の娘が父の恋愛、離婚に反対して手首を切ったり、返金を迫りに行った取引先で同行した宝樹がボヤ騒ぎを起こして逆に賠償を請求されてしまうとかとか、追い詰められながらも償いのつもりで宝樹を助けようとするが、彼は受け入れずーまあ、終わりの方ではエレベータ事故や、台風で窓ガラスが割れるハプニングなどで彼の男気というかやさしさがちらりと見えたりもするのだがー彼女の妊娠を知った宝樹は2万元を彼女に振り込み(ってこういうお金どこから出てくる?経営難の美雲が寝室が2つある大きな家を借りようとするのも…??だけど)去っていこうとする。それを仕事中に知った美雲は試着してタグをつけたままの洋服で飛び出してバスターミナルへ…、そして…というような。終わりはまあ衝撃的なハッピーエンドだろうか。抱き合って涙する二人で終わるのだから…。いやまったくなんかめんどくさいようなロマンティク・ドラマだなあと思えるが…(11月21日 特別招待作品 朝日ホール 285)
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| Q&Aは蔡監督(中央)司会神谷直樹氏、通訳樋口裕子氏 |
①イエス
監督:ナダヴ・ラピド(Nadav LAPID)
2025 フランス、イスラエル、キプロス、ドイツ 150分 ★★
3部構成150分という長い長い映画。1部は歌ったり踊ったり享楽的なピアニストYと恋人ヤスミン。ガザが壁の向こうという描写はあるが戦争の影はほとんど感じられず。Yとヤスミンには子どものノアも生まれる。その1部の終わり2023年のハマスによるガザ殲滅後、Yは好戦的な愛国歌(鍵十字をを殲滅する、という歌詞)の作曲を頼まれる。2部Yとヤスミンはギクシャク、Yは作曲に悩み元彼女?の運転で「愛の丘」に行く。途中烈しい口調で虐殺の情景について語る彼女。愛の丘に登るとガザの街には黒煙が漂い戦火の様相。3部、曲を作り上げ家に戻るYにヤスミンは別れを告げる。二人は海辺で落ちあい別れ話?ヤスミンは子どものノアをヨーロッパでイスラエルのことなど知らせずに育てたいという。そして演奏会、いかにも戦意高揚というような詩人?と伴奏するY。赤いドレスでやって来て冷たく見つめるヤスミン。Yは自身の良心の欠如を自覚し、自虐的に詩人の靴をなめる。連なる人々が靴をなめあうのは「寓話」であろうが、すごく残虐、自虐的なシーンであると思われた。こういう描き方をすることにより、作者はこのようなYの在り方というか芸術の在り方を否定しているのだ。Yはそのあと一人海辺に行き入水するが『良心のないもの自殺は無意味?だ』として水から上り道路をさまよう、車のライトが近付き、助けるのは赤い袖(鮮烈な映像)そして二人は去っていく…。実際に作られた愛国歌(1947年に実際に作られた歌詞を改変したもので、上映に当たっては作詞者?の家族から抗議があったそうだが、映画では改変版のまま演奏された。子供たちが歌うシーンがあるが特定されないように目隠しを貼っているというのだが、実際には顔を出して歌っている子どもたちの映像もあり、このエンドロールの説明はちょっと不明。歌はもちろん否定的なものとして歌われているわけだが、ウーン。イスラエル人はこの映像・映画に共感するのか、それとも反感を持つのか、なんか作者自身も微妙な立ち位置の中で必死に主張している感じもする。多くのスタッフがこの映画の参加を断ったとかいう監督談話もある。(11月21日 特別招待作品 朝日ホール 284)



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