秋の映画祭から【東京・中国映画週間】【東京国際映画祭】速報版 2025年10月から11月
御所(船形)山 山形(宮城)のブナ林の黄葉 10/19 いまだ「途中」ですが、見た映画の速報としてお知らせしていきます。 東京・中国映画週間は、7本、一応終わりました。次は東京国際映画祭(10月29日~)、みるたびに順次書いていきます。 【東京国際映画祭】 ⑧(1)マゼラン⑨(2)人生は海のように(人生海海) ➉(3)母なる大地 ⑪(4)飛行家 ⑫(5)春の木 ⑬(6)エイプリル ⑭(7)She has No Name(醤園弄)⑮(8)ダブル・ハピネス( 雙囍)⑯(9)The Ozu Diaries ⑰(10)シネマ・ジャジレー ⑱(11)私たちは森の果実 ⑲(12)一つの夜と三つの夏 ⑲(12)一つの夜と三つの夏 監督:カンドゥルン 出演:ツェリン・ヤンキ ツェキィ・メトック デチェン・バンソム 2025中国(普通話・チベット語)100分 26歳の女性サムギは子どもの頃の友人ラモとの間の苦い思い出を映画として描こうと北京から故郷のラサに戻ってくる。やはり映画?芸術?関係の仕事をしてきたらしい父との大きな対立というのではないのだが何となくすれ違ってギクシャクする様子は、彼女が子どものころ、また進学のために故郷を離れた10代のころからの者らしいことが、過去と現在を行き来して描かれていく。ラモとも後半偶然に出会って過去のその確執的?記憶を語るのだが、ラモの持つ記憶が自分のそれとは全く違っていたことに驚くサムギ…というような話の展開ではあるが、この映画今まで見てきたチベット映画(たとえば高原での生活とか、政治的に中国国内で置かれた困難とか)と大きく違うのはラサが、ま、中国の一地方都市として描かれ、青年たちは普通話を話し、高校を出ると北京や上海に出て行こうとし、また地元に戻ってもそこでの暮らしぶりや風俗は「内地」の大都市と何ら変わることがないという描き方だろうか。聞いていれば決してチベット語が出てこないわけではないし、出てくる中高年登場人物はちゃんとチベット風衣装に身を包んでもいるのだが、一見してはそれもあまり目立たないような描き方で、したがって政治的に中国が領土を主張し抵抗勢力もしっかりてダライラマが亡命している、なんていう状況はもはやこの若い人々には全く関係がないのかな、中国もチベットも変わったのだと強く...