【勝手気ままに映画日記】2023年1月

 

@関八州見晴らし台 右から武甲山・武川岳・子持山・大持山(手前は伊豆が岳)・大平山・天目山あたりまで(1/29)天気はいいけど相変わらず富士山には会えない1月でした

1月の山歩き(写真はそれぞれの日にちあたりに)

1月14日  陣馬山下→陣馬山(855m)→南郷山(789m)→明王峠→堂所山(731m)
   →景信山(727m)→小仏峠(548m)→小仏城山(670m)→高尾山(599m)
    (6号路下山)→高尾山口  18.3㎞ 7h34m 24000歩
年末・年初に家族がコロナ感染、こちらも陰性だったものの濃厚接触者として自宅待機をしたので、年始の山行は月半ばからになりました。近場の陣馬山から高尾山への縦走。天気はイマイチ、陣馬山の上から小仏城山までは小雨ながら雨具着用。ぬかるみも多くてう回路を通ることが多かったので急登は陣馬山への登りくらいで、距離(18キロもあるとは知らなかった)の割には楽なハイキングになりました。高尾山口では温泉にも入ってビールを飲んでお疲れ様!

1月21日  小川町→石尊山→官の倉山(344m)→東武竹沢  8.7Km 4h5m 
   12700歩
東武東上線周辺の山はあまり歩いたことがなかったので、冬山トレーニング登山と銘打ったツアーに参加。鎖場訓練もあるとのことだったが、確かにちょっとした鎖場もあるにはあった…、あっという間に登ってあっという間に下りてしまったという初級登山で、それなりに楽しんできた感じです。
こんな鎖場!

1月29日 西吾野→高山不動尊→関八州見晴台(770m)(高山不動尊奥の院)→傘杉峠→
  顔振峠(538m)→吾野  11.6Km 5h27m 18500歩
再び「冬山トレーニング」ツアー。今回は西武池袋線だったが…、当日朝入間〜飯能間の電車が不通。集合時間に間に合わせるためにやむなくこの区間タクシーに乗る(4000円!)タクシーで、間の仏子駅近くの池袋線踏切で止まるとすでに上下線とも動いている、ということで結果的には待っていれば間もなく電車は動き、集合時間にも間に合ったようなのだが…。ツアー登山はこういうところがちょっとつらい。
「冬山トレーニング」は長距離を歩くというのがテーマだったが、まあそれほどの距離でもなく、天気はよく眺望絶佳ではあったのだが、やはり富士山周辺は霞んだ雲がかかって全然見えない。温度は決して高くはないのだが、もはや空気の感じは春のようでもたあり…。
 

1月の映画

①アムステルダム ②百年の夢 ③縁路はるばる(縁路山旮旯)④泣いたり笑ったり ⑤RRR ➅柳川 ⑦カンフー・スタントマン(竜虎武師)➇モリコーネ 映画が恋した音楽家 ⑨ミスター・ランズベルギス ⑩コペンハーゲンに山を⑪詩人の血(4Kデジタルリマスター版)⑫ブローニュの森の貴婦人たち(デジタルリマスター版)⑬オルフェ(デジタルリマスター版)⑭そばかす ⑮パーフェクトドライバー 成功率100%の女 ⑯エンドロールのつづき( Last Film Show) ⑰夢の裏側(夢的背後)⑱おばあちゃんの家 日本公開20周年記念デジタルリマスター版 ⑲世界は僕らに気づかない Angry son ⑳シャドウプレイ(完全版)風中有朶雨做的雲 ㉑若き獅子 ㉒ヒトラーのための虐殺会議 ㉓マンデラ  ㉔母の聖戦 ㉕カルナン ㉖冬の旅 ㉗She Said その名を暴け ㉘スルターン

中国語圏映画 5本 ③➅⑦⑰⑳
韓国映画⑮⑱  日本映画⑭⑲  
インド映画⑤⑯  大インド映画祭㉑⑬㉕㉘・・・合計で6本と多くなりました。
ジャン・コクトー特集 ⑪⑫⑬
どうしても見方が雑になるので、今年は月20本くらいに押さえようかなあと思いつつ、やはり、気になる映画には行きたくなる。2つの特集をはじめ、なかなかに見ごたえのある映画が並んだ1月でした。★はうんうん、★★はいいね! ★★★はおススメ、ということで。


①アムステルダム
監督:デヴィッド・O・ラッセル 出演:クリスチャン・ベール マーゴット・ロビー ジョン・デヴィッド・ワシントン ラミ・マレック ティラー・スウィフト アニャ・ティラー=ジョイ ゾーイ・サルダナ ロバート・デ・ニーロ 2022米 134分 ★

1918年第一次大戦中、ともに負傷した戦友どうしと、知り合った看護師の3人はアムステルダムで愉快な日々を送るが、物語はその15年後、1933年にアメリカに帰って医師と弁護士をしている二人の前で、かつて彼らを結びつけた将軍が毒殺?され、その娘も何者かに殺される。二人はその罪を着せられて追われつつ、その過程で再会した看護師も含め、彼らを陥れた陰謀を探るという物語。
1930年代の画面的雰囲気はよく出ているし、基本的にセリフ劇で、題材の割にはアクション的展開もないし、ちょっと話ゴチャゴチャの感もあるが、なるほどねという感じはする実話をもとにしたフィクションだそうである。
ヒトラーやムッソリー二が台頭している時代に、アメリカにもあった独裁政権を樹立しようとする陰謀に巻き込まれそうになり、しかし主人公らのバックアップで、そこに与せず平和を保とうとする将軍(実在の将軍の発言映像がエンドロールにもでてくる)の軍人会での演説シーンと陰謀勢力に襲われるシーンが圧巻で、ロバート・デニーロがなんか久しぶりに良識のある共感できる貫禄のある人物として印象深い。
クリスチャン・ベール扮する医師のしょぼくれぶりもなかなか。黒人差別とか、ナチス的陰謀(種の断絶を計る病院が出てきたり)も描かれるのだが、ジョン・デヴィッド=ワシントン(デンゼル・ワシントンの息子だね)がなかなか格好いい弁護士で「差別されている」とは言ってもあまり実感が感じられないのはウーンかも。ラミ・マレックはヒロインの兄にして実は…という役どころ。そして何と言っても女性たち(殺される将軍の娘リズ、解剖医の「ポルトガル」?系黒人女性、ヒロインのバレリー、そして医師の妻)の個性の発露となかなかの活躍も上手に作っている。ただしこういうのは、好きな人は好きだけど嫌いな人にはきらわれるかのかも。22年のアカデミー賞の有力候補とも言われ、東京国際映画祭のガラセレクションでも上映されたが、評判は今イチ?だったようでもある。なんとディズニー作品(言われて見ればそれっぽい)。(1月7日下高井戸シネマ1) 

②百年の夢
監督:ドゥシャン・ハナーク スチル写真:マルティン・マルティンチェック ウラジミール・ヴァヴレク 1972スロヴァキア モノクロ67分 ★

スロヴァキアの山岳地帯の寒村で暮らす皴深い老人たちのスチール写真を交えた日常生活の一コマの動画、最初は結核で自らは納屋に寝泊まりしながら畑を耕し子どもを育てた女性とその死(弔いのスチール写真)、その後は妻に追い出されてやはり納屋に住む男とか、子どもと家を建てたがその家に入れてもらえず外で暮らす男、からくり人形作りに熱中する男(この男だけは幼い孫も登場)、馬車に両足をつぶされ25年間膝を使って這いながら家畜を飼い、家を建てたという男、また卵売りの老人などさまざまな老人があらわれて、つぶやき歌い暮らす様子。合間に男女の老人たちに「人生にとって一番大切なものは何か」という問いかけがはいる。「健康」とか「人生そのもの」などという答えもあるがほとんどは「わからない」「忘れた」という答えであるのがなんか納得できるような素朴な人生の連続の67分だが。なぜかこの映画「独り者」(しかもどちらかというと家族に捨てられた?という感じの人が多い)そして男性が圧倒的に多く、そのあたりがなんか割り切れない感じも残る。それにしても眠くもならずこういう映画を見られる自分の老い(他人事ではない)も感じてしまう。  (1月9日 渋谷・イメージフォーラム 2)

この前日渋谷駅は電車を止めて線路移動山手線上下ホームを1つにする大工事でした。
広くなった山手線ホーム1日目


③縁路はるばる(縁路山旮旯)
監督:アモス・ウィー(黄浩然)出演:カーキ・シャム(岑珈其) セシリア・ソー(蘇麗珊) クリスタル・チャン(張紋嘉)レイチェル・リョン(梁雍婷)ハンナ・チャン(陳漢娜) ジェニファー・ユー(余香凝)2021香港96分 ★


22年の大阪アジアン映画祭で『僻地へと向かう』という題名で上映。その題名に腰が引けてしまって観なかったのだが(だって「僻地」って差別語でしょう?)今回は新たに邦題も字幕も丁寧な改変をされて、外語大の特別上映は満員(250名)。
内容的には恋愛経験のあまりないしょぼい?IT技術者の青年に突然にモテキが訪れ、次から次へと現れる5人の彼女を香港終焉の「僻地(旮旯)」に送り、訪ねつつ最後にそのうちの一人とハッピーエンド、というもので現れる女性たちの現代的ではあるが一種類型的な描き方nにしばらく見分けもつかず話の展開もどんどんとぶので疲れたが、主人公が開発する地図アプリをはじめとして香港文化、またこの数年の香港情勢の中で面と向かって対決的姿勢は取らないものの、同時点での香港人にはわかるような皮肉的な政治情勢への姿勢もひそかに?盛り込んだりして、なかなか骨がある、しかもコメディカルに、また香港の「僻地」を描くことにより香港らしい自然なとも描いて、意外に作者の姿勢を込めた映画なのだなとも思える。
最後には移民を考える香港人の状況に関して態度を問われた主人公が自分は生きる場所より誰と生きるかの方が重要だと立場表明し、結ばれることになった女性が移住するなら「義父・義母もちゃんと連れて…」のようなことを言う、そのあたりにこの映画の作者や参加者の意識のありようがあらわれているように思えた。映画後、この映画の上映交渉から字幕までつけたという外大博士課程の院生小栗宏太氏のレクチャーと、リムカーワイと作者アモス・ウィー(台湾からのオンライン参加)のトーク有。この映画現在台湾では劇場上映が始まっているとのこと。(1月9日 東京外国語大学アゴラ・グローバル・プロメテウスホール TUFS Cinema香港映画上映会 3)
          上映会トーク舞台     アモス・ウィー監督


④泣いたり笑ったり
監督:シモーネ・ゴータノ 出演:アレッサンドロ・ガスマン ファブリッツオ・ベンティボリオ ジャスミン・トリンカ  フィリッポ・シッキターノ 2019イタリア(イタリア語・仏語) 100分

出だしバナナボートを車に積んで南イタリアの別荘を目指すのはとうに妻に死別した漁師カルロとその息子たち、上の息子の妻と子どもたち。着いた別荘で彼らを迎えるのはセレブ紳士(とチラシにはある)トニと娘と関係不明?な男女、そして後からもう一人の娘ペネロペが到着する。実はトニとカルロは3週間後に結婚をするということで、双方の家族にいわばお披露目のための集合をしたわけだが…。カルロは家族に男性との結婚を言い出せず、トニの方は比較的スムーズに公表をするが、後からやってきたペネロペが猛反発。それも男性相手だからというより、過去にペネロペの母を含めたくさんの女性と関係を持ちつつ結婚はしなかった彼がここにきて結婚をするということに対する反対という気配もある。もちろん実直なカルロの側の息子も父の結婚は理解できず、双方の家族が入り乱れ反対する家族が描かれる。ペネロペの母もトニの結婚に反対と現れるが、カルロと気が合い?賛成に回るとか、まあ定石通りのゴチャゴチャのあげくのハッピーエンドというわけであまり意外性はない。見ている分には飽きずに見られるが、終わって話を振り返ってみようとするとイタリア家族映画の常で何が起こったか追うことがしにくいという…ウーン、ただ高齢のゲイの結婚を描いて(登場人物はそれなりに悩むのだが)ここまであっけらかんと描いたのは時代の変化というべきか。もっとも彼らが愛し合うのはいいとして結婚にこだわるのはやはりイタリアの「家族的伝統」によるのかな、とすれば今まで結婚を回避して婚外子の娘たちもいるトニの造形にはちょっと矛盾があるのでは?という気もしないではない。(1月11日 恵比寿ガーデンシネマ 4)

⑤RRR
監督:SS・ラージャマウリ 出演:ラーム・チャラン NTR.JR 2021インド(テルグ語・英語)179分 ★★

『バーフバリ』シリーズの監督が作った『バーフバリ』を越える映画として昨年10月の公開時から話題になっていたらしいが、なぜか映画好きの周辺ではあまり言及されることもなく、ある日文化村の演目で検索したらちょうど時間が合ったのにチケットは満席でへー?どんな映画?ということで、ようやく最終日のルシネマに。今回は満を持し?予約購入して出かける。さすがに満席ではなかったが平日昼の回とも思えぬ盛況の客席だった。
で、映画は1920年代インドを舞台に、英国人の横暴で妹をさらわれ奪還のためデリーに出てくるゴーンド族の村の勇者ビームと、民族独立を目指して武器を獲得するために英国警察に職を得ている男ラーマの出会い(これがまたとんでもないアクロバティック・アクション。鉄橋上の列車爆発に巻き込まれた漁師の少年を救うため、橋の両側からバンジージャンプまがいにつながれて飛び込む二人)と友情、ラーマが英国警官として暴動をおさえるためにこん棒1本で群がる群衆を蹴散らし闘う驚きの嘘っぽいアクションから始まって、直情なビームと、このラーマの身分を隠した二面性(意外に近代的な?部分があって、スタイルも英国警官の制服、粋なスーツから終わりの方は半裸・長髪、赤いパンツの武装神風な装いの2面性を楽しめる。このラーム・チャランという役者の風貌も従来的な恰幅のよいインドスターというよりは少しスキッとしている感じで、一方のNRTのほうが、スーツ姿はあるものの、基本的にインド風の着衣でインドっぽい風貌が濃いのとも対照的)。片方が名前を隠した指名手配犯、片方は身分を隠した警官というハラハラ状況で友情から、意見裏切りにも見える背反、ともに互いに死刑囚にまでなりながらなんとか助け合って危機脱出、からくりが判明して「悪の根源」たる英国総督府庁が大爆破、総督とさらに悪を象徴するかのような非情な総督夫人が倒されるまでを、二人の活躍でカタルシス?が感じられるような、息もつかせぬ?インターバルつき(このインターバルの位置の上手さは終わって会場を出てきた若者たちがこもごもに語っていた。つまり決裂→インターバル→実はラーマは独立の闘士で、というわけ)。ラーマもビームも実在の人物(モデル)がいるらしい。終わりにはインドの独立の志士の写真が次々に映されるというおまけもついてたっぷりの充実感?
テルグ語映画にはいくつかの世俗スターの家庭があって、今回主役の二人もそれぞれ有名な一家の跡継ぎだとか。しかもこららの家系では女性はあまりスターにはならないらしく、世襲の男子は幼い時から武芸、ダンス、その他の訓練を受け子役としても人前に出るとかで、歌舞伎みたいな世界なのだなと思われる。これは今回初めて知った。なるほどね、二人とも30代後半?だがスターの風格十分だわ。(1月12日 渋谷文化村ルシネマ 5) 

➅柳川
監督:張律(チャン・リュル) 出演:倪妮 張魯一 辛柏青 池松壮亮 中野良子 2021中国 112分

ガンで余命いくばくもないと知らされた立冬(ドン)は兄の立春(チュン)を誘い九州・柳川に旅をする。そこにはかつて兄の恋人で、ドンともかかわりがあった柳川(アチェン)という女性が住んでいた。かつて突然に兄弟の前から姿を消しイギリスに移住したアチュンはそこで知り合った日本人の誘いで自分の名前と同じ柳川に移り住んだのだった。と、なんともドラマティックな設定の中で話が進むと思いきや、登場人物は初めの方で勢ぞろいし、後は彼らの間で交わされる会話によって、思い出や孤独についての語り合いという感じでウーン、そして兄が先に弟は残って兄のいた時にはできなかったような話をアチュンとかわし…やがて北京に帰っていく。さらに映画はご丁寧にもという感じで1年後、ドンがいなくなった北京にアチュンが戻ってきてチュンと空っぽな部屋で話すところまでー意外な展開は何もないし、カズオイシグロに関する話題まで交わされる話もまあそうだろうなという感じだし、ウーン。ただ、(多分)異文化人の目で捉えた柳川(場所)の光的には暗いのだが、決して暗さを感じさせないような空気感や日本の家屋などのとらえ方は、なかなかに心に居残るしっとり感で、成功しているかはわからないのだがそれを登場人物の内面の反映させようとしている意図も感じられて面白かった。(1月13日 新宿武蔵野館 6)


⑦カンフー・スタントマン(竜虎武師)
監督:ウェイ・ジェンツー 出演:サモ・ハン ユエン・ウーヒン ドニー・イェン ユン・ワー チン・カーロ ブルース・リャン マース ツイ・ハーク アンドリュー・ラウ エリック・ツァン アーカイブ出演:ブルース・リー ジャッキー・チェン ジェット・リー ラウ・カーリン ラム・チェンイン 2021香港・中国(広東語・北京語)

出演者名、アーカイブ出演者名を並べるだけで概ね内容まで見えてくる、香港カンフー映画におけるスタントマンの仕事の「歴史」をスタントマン出身のサモハンらをはじめとする監督・製作者や、スタントマン自身へのインタヴューや、彼らがスタントをした有名作品の有名シーンで綴っていて、すごくわかりやすいしースタントマン自身が熱意をもって製作に参加しているがその陰には過酷な労働条件があったことまで含めー勉強になった。ジャッキー・チェンやジェット・リーのスタントが無名?の職業的スタントマンによって演じられたことまでいわば暴露してしまっているし…。
スタントの在り方もCGが進んだ現在では変化しているし、また香港では大陸資本での映画作りも盛んになりそれが内容にも反映しているのだろうが、この映画でも冒頭で大陸では「竜虎武行」というとわざわざ紹介し、大陸の武術の香港への流入が香港映画スタントの始まりだったことを強調するのはまあいいとして、終わりの方で今やスタントの中心が北京に移り香港流のスタントでなくなった(そしてそれは評価されているのだと思う)ところまで、香港映画そのもののような香港スタントの描き方の中に大陸へのおもねりのようなものを感じてしまったのは、この映画が竜のマークの検閲済みから始まり、映画中の出演者名などの表示がすべて簡体字である(発音は広東語なので、なんかすごくわかりにくい)ことへの私自身の反発心?によるものかも。(1月13日 新宿武蔵野館7)
武蔵野館ロビーの展示

付記:武蔵野館ではパンフが売り切れ入荷待ちになったということで、後日上映館の立川キノシネマに行ったときに1000円の立派なパンフを購入してみた。なるほどこちらは写真入りのキャストたちの名は繁体字表記も入り、映画の写真入りリストも。また、この映画の字幕監修を担当した谷垣健司氏のインタヴューがあり、そこでは香港アクションの変異が現在の中国アクションにつながっていることなども控えめながら語られ、この映画の監督が大陸側の人であることにもそういう意味があったのかと、何となく納得したのではある。

陣馬山頂上



景信山から

小仏峠のタヌキ

@小仏城山 みるからに寒々した日でした。


➇モリコーネ 映画が恋した音楽家
監督:ジュゼッペ・トルナトーレ 出演:エンニオ・モリコーネ クェンティン・タランティーノ クリント・イーストウッド ウォン・カーワイ オリバー・ストーン ハンス・ジマー セルジオ・レオーネ ジョーン・バエズ 2021イタリア157分 ★★★

こちらもいわば映画作りにまつわる映画で、映画音楽のマエストロ・モリコーネ自身の語りと、70人以上という映画監督・音楽家(「作曲家」と「ソングライター」とか肩書さまざまだが、どうちがうのかしらん?)、歌手(懐かしいジョーンバエズが白銀の頭でかっこいい70代に。何十年ぶりかで聞いた「勝利への讃歌」(『サッコとバンゼッテイ 死刑台のメロディ』のテーマ曲)も鳥肌ものでわーっ!)、などなどがモリコーネについて語り、それぞれの映画場面にかぶる音楽(どれもどれも懐かしく、見ていない映画の音楽でもなじみがあるように思えるのがモリコーネらしさだろう)さらにそれを演奏する楽団や歌手と指揮するモリコーネの映像が重なりということで見覚えのある画面や音楽とその演奏に浸りながらあっという間に過ぎた至福の157分ー長いと思ったが、それだけの要素を持った人なのだなと納得。
ジュゼッペ・トルナトーレはモリコーネ自身から指名を受けた監督だそうだが、さすが…。貧しいトランペット吹きの子として生まれ、自らもトランペットを吹いて家計を助け学資を稼いで音楽院を卒業したという生い立ちや、その中での努力と才能の開花、彼を支えた妻との愛など、ところどころに出てくる映画(音楽)へのこだわりや映画音楽作家であることへの逡巡など実際に対応した人の中には反感を持った人もなくはないのだろうが、ここではとにかくまっすぐ努力で人の心を触れさせる作曲家としての真摯な面がと「普通の人」としての生活ぶりが強調されることで、トルナトーレをはじめとする映画人の映画への「愛」が全面にあふれている感じで、映画好きとしては見逃せない157分だったと思う。何度もため息や、ゾクゾク感ももちながらこんんなに感情が揺さぶられるのはなぜ?などと思いつつ見ていた。大量の出演者や映画のリスト付きのパンフ、こちらは880円!(1月16日 立川キノシネマ 8)

⑨ミスター・ランズベルギス
監督:セルゲイ・ロドニッツア 出演:ヴィータウタス・ランズベルギス 2021リトアニア・オランダ(リトアニア語・ロシア語・英語 248分

1980年代の終わり、1940年以来ソ連に併合されていたリトアニアに生まれたサユディスという組織のリトアニア独立のための会議・運動のアーカイブ映像を事件・イベントごとに丁寧に追い(アーカイブ映像なので、モノクロ・カラー入り混じり中にはかなり変なアングルで撮られた映像もあるのだが、それゆえの臨場感というのもある)そこにランズベルギス自身の回想が入るという構成で綴られる、間に休憩10分を挟んだ248分。
前半はサユディスとリトアニア国内の共産党との対立などを描きながらも独立の機運が盛り上がりランズベルギスが最高会議の議長にえらばれ、その会議の投票で独立が支持されるところまでで政論の対立にちょっと退屈?でもないが眠くなりかけたところもなきにしもあらず、だったが後半、リトアニアの独立を認めないソビエト政府≠ゴルバチョフとの抗争―ソ連による経済封鎖、リトアニアのヴィリニュスをソ連軍が占拠した「地の日曜日事件」など、30年後の現在のウクライナ情勢をも彷彿させるようなソ連の隣国干渉の様子にハラハラドキドキ展開となる。
リトアニアもウクライナもいわばアーティスト出身のトップが国を率いてソ連(ロシア)に抵抗したわけだが、ウクライナが戦場になってすでに1年近くの戦時下に置かれ解決の見通しもつかないようなのに、リトアニアが一応無血で独立を勝ち取ったのは、結局ランズベルギスがゼレンスキーより有能・老獪だったというよりは、やはりゴルバチョフがプーチンほどに老耄・独裁に走らなかったというかエリツィンとの国内対立・確執があったからだろうしまたこの90年頃がソ連の内部が揺らいでロシアに移行する直前というような時期によるのかなという印象が強い。そう考えると歴史は繰り返すと言いながら、今この時期のロシア・ウクライナ戦争の行く末についても暗澹たる思いにもかられるのである。ともあれ楽しむとか目を開かれるというよりは近現代のロシアとソビエト支配下にあった国の関係について勉強したという感じ。(1月17日 渋谷イメージフォーラム9)

⑩コペンハーゲンに山を
監督:ライケ・セリン・フォグダル、キャスパー・アストラップ・シュローダー 2020デンマーク 51分

こちらは9年間かけて完成したコペンハーゲンのごみ焼却場建設のいわば記録。このごみ焼却場はコペンハーゲンにそびえる山のように大きな建造物として最上部にはスキー場、公園、また壁を利用してのボルダリング場とかのいわば市民が親しっめる娯楽施設として作られ、ゴミ償却によって出る危険物質などの汚染を防ぐような環境に対する影響も最大限考慮されたものらしい(と映画の中で強調されている)。この建設過程をコンペによる設計案の採択から予算不足により紛糾するか会議とか、その結果煙突の設計が変わったとかいうような困難も含め描かれるのだが、ウーン、しかしなんか完成された巨大な人工スキー山が本当に市民誰でも楽しめるようなものなのか、その山が立ったことによって周りの環境は影響を受けなかったのかとか、予算節約により作られた煙突からは白い煙もくもくで本当にこれで環境に影響がないのか、また予算削減の結果は煙突以外どのように解決されたとかそのあたりは語られないので、これが本当にそんなにすばらしい施設なのかがイマイチピンとこず、自画自賛を聞かされているような気にもなるのは、施設の問題というより上っ面を突っ走るような描き方に寄るのかもしれない。ちょっと期待外れなと言わざるをえない…(1月17日 渋谷イメージフォーラム10)

⑪詩人の血(4Kデジタルリマスター版)  
監督・脚本:ジャン・コクトー 出演:エンリケ・リベロ エリザベス・リー・ミラー 1932仏 モノクロ50分 ★


1932年作品とは思えぬ?新しさ。絵に描かれた顔の唇がその絵をぬぐった半裸の男の手のひらに移り口をきき、男とキスをする、そこから部屋に置かれた女神の彫像の口に移り、男に鏡の中に飛び込むように指示を出す…といった具合に脈絡はない感じだがそこに様々なイメージが生まれ、それがさらに次のいかにもジャン・コクトーらしいイメージへと移っていくが、特撮バリバリだし、とっても楽しめた映像詩の世界だ。(1月18日 恵比寿ガーデンシネマ 没後60年ジャン・コクトー映画祭 11)

⑫ブローニュの森の貴婦人たち(デジタルリマスター版)
監督・脚本:ロベール・ブレッソン 台詞監修:ジャン・コクトー 原作:ドゥニ・ディドロ『運命論者ジャックとその主人』出演:ポール・ベルナール マリア・カザレス エリナ・ラブルデッド 1944仏 モノクロ86分


ロベール・ブレッソン作品はシネマトグラフ確立後の『田舎司祭の日記』ぐらいから後の何作しか見ていないが、この映画はその前、ジャン・コクトーらとともに映画運動?(オブジェクティブ49)をしていた当時の作品だそうで、その後の映画とはさすがに雰囲気が全然違うのに驚く。
「上流階級」(これが何をして食べているのかわからない、パーティをしたり恋をしたりという暮らしぶり)の貴婦人エレーヌは恋人のジャンの愛を試して別れを切り出し、ジャンからも自分もそう思っていたと言われ、いわば捨てられてしまう。一方没落して母と二人の暮らしを支えて踊り子(=「商売女」と字幕にはある)をしているアニエスの母にエレーヌは援助を申し出、アニエスの仕事をやめさせ半ば監禁と言ってもいい感じで家に閉じ込める…これが好意?なのか(踊り子は卑しい職業で、そんなことをするならば他人の援助に頼って無為の暮らしをする方が上という価値観はエレーヌや母ばかりでなく、エレーヌの行為を素直には受け入れらないアニエスにもあるわけで)あるいはジャンへの復讐?のためなのか、ジャンにアニエスを仕向けるのが復讐だというわけだが、予定通り?ジャンがアニエスに好意を持ち互いにいい感じになってしまうとエレーヌの中には猛烈な嫉妬と敵意が渦巻くというわけで、ま、すごくフランス的(一時代前の)と言えばフランス的なのかもしれないが、なんとも可愛げもなく共感も与えない?ヒロインを凄みをもって美しく演じるマリア・カザレス必見の映画という感じかな…。「古典的」な映画としてはなかなか面白くビジュアルや、演劇的なセリフや間なども含めて洗練された映画だと思った。(1月18日恵比寿ガーデンシネマ 没後60年ジャン・コクトー映画祭 12)

⑬オルフェ(デジタルリマスター版)
監督:ジャン・コクトー 出演:ジャン・マレー フランソワ・ペリエ マリア・カザレス マリー・ディア 1950仏 モノクロ95分


けっこう有名な詩人オルフェがカフェでの若者たちの騒乱に巻き込まれる。その場に現れた王女と名乗る女性と詩人セジェスト。セジェストは2台の黒装束のバイカーにはねられ、王女は証人としてセジェストを乗せた車にオルフェも同乗させて走り去る。警察や病院へ行くのかと乗り込んだオルフェは見知らぬ場所に拉致され、王女とセジェストは鏡の中に消えてしまう。追いかけて鏡に突き当たったオルフェは気を失う。やがて気がついて、止まって待っていたアルバイトと称する運転手ウルトビースに送られて家に戻るオルフェ。家では彼の行方不明に半狂乱になった妻のユリディアスがいるが、オルフェは自分の見たものの解明に夢中で意味不明の句を繰り返すカーラジオに耳を傾け…と妻を顧みない。妻は現れた黒装束バイクにはねられて死んでしまい、オルフェも詩人仲間にセジェスト殺害の疑われて撃たれて死に再び鏡の向こうの世界に旅立つ。このあたりいささか胡散臭い謎の雰囲気を漂わせつつユリディアスに恋して、オルフェを支え先導して冥界に導くウルトビースがだんだん存在感を持ってきてなかなかだ。
ギリシャ神話のオルフェウスの物語を踏襲しつつ、現代の詩人の経験に置き換えているわけだが、なんかジャン・マレーがこの映画ではとても詩人?には見えないアクションスターっぽい無骨荒々しさで、妻に対しても冷たいし、この妻がまたなんかヒステリックにわめく感じでウーン、だから鏡の向こうにもずかずかと入り込めるということになるのかなあ。『美女と野獣』ではぴったりの当たり役と思えた部分がこの映画では魅力に感じられない。一方、死の王女を演じるマリア・カザレスは現代の王女(編集者と言っていた気がする)としてはいかにも現代風モダンだし、冥界の女王としても美しくかつ凄みもあってくっきりしていて「悪役」として登場しながら最後にオルフェへの純愛?を貫くところまでなんとも格好いいし、その手下としてのウルトビースを演じたフランソワ・ペリエの存在感もいい感じ。鏡の向こうとこっちの世界、黒装束バイクのカーチェイスまがいな様式的差も備えた疾走とか、カフェでの乱闘や、死の世界で強風にあおられ行き悩むオルフェとウルトビースとか、活劇的な面白さもけっこうあって楽しめる映画だった。(1月18日恵比寿ガーデンシネマ 没後60年ジャン・コクトー映画祭 13)

ここで一休み!『ピカソとその時代』国立西洋美術館、もはや終了日間近を見に行く。



この展覧会は写真撮影がほとんどOKでたくさん撮ってしまったけれど
ここでは、まあ会場の雰囲気がわかればということで
常設会場でやっていた「版画で見る演劇」展もおもしろかったです。

⑭そばかす

監督:玉田真也 出演:三浦透子 前田敦子 北村匠海 田島令子 坂井真紀 三宅弘城 伊藤万理華 2022日本 104分 

それぞれの男女の好みで盛り上がる合コン、それぞれの感情の赴くまま?に言い合う家族の中で、孤立している感じのソバタカスミの日常は、外から見ると鬱屈して孤独?にも見えるが、人に恋愛感情を抱いたり性的衝動はないと言い切る彼女はそれなりに自己完結的に生きているようで、そういう日常が周りには理解されないまま年頃の女性として結婚や恋愛を周りに促される鬱陶しさが淡々と描かれる。
母が無理やりセットした見合いの相手が実は知り合いのラーメン屋で相手も結婚願望はないというので彼女は気が楽になるが、親しくなるとやはり言い寄られ、昔の同級生に誘われ転職して保育士(助手?)になり、仕事としてデジタル紙芝居を作るがこれも偶然再会し、気が合った旧友真帆とともに改変した王子を求めないシンデレラの話を真帆の父の議員を含む周りに否定され、真帆とともに住むことにするがその真帆も昔の恋人とよりを戻して結婚することになりと、あまりドラマティックではないのだがありそうなリアルで話が進む。真帆が街頭演説をする議員の父に難癖付けるとか、ちょっとリアルを越えそうなドラマの部分は前田敦子が元AV女優・議員の娘という設定でソバタが心惹かれる関係として映画を引き締めている。というわけで淡々としつつ、なるほどねと心惹かれる映画に強いあがっている。最初観る気もなかったのだがなぜかロングランロングランで、やはりそれだけの力があるということなのかなと見に行った。(1月20日 新宿シネマカリテ 14)

             21日の官の倉山、石尊山天気は上々





⑮パーフェクトドライバー 成功率100%の女
監督・脚本:パク・デミン 出演:パク・ソダム チョン・ヒョンジョン ソン・セビョク  キム・ウィソン 2022韓国109分

川栄李奈をもう少しふっくらさせたような、あまり血の気のなさそうな容姿のパク・ソダムと坂口健太郎の子ども時代みたいな顔をした少年チョン・ヒョンジョンのコンビ?(この二人は『パラサイト・地下室の家族』のメンバーとして抜擢されたとか)は全然インパクトがない感じで楚々として頼りなげなのだが、それがまあこの弩級アクション映画を支えているということか…。脱北とか移住とか海外逃亡のような韓国国内にとどまらない登場人物のありようも日本ではなかなか実感しにくい韓国らしさが表されているのかも。釜山で郵便や宅配便では送れないどんなものでも届けるという「特殊配送会社」の天才的ドライバー、ウナ(家族すべてを失った脱北者)が、国外逃亡を図る賭博ブローカーとその息子を港まで送り届ける仕事をいやいや請け負う。が、賭博ブローカーはあっという間に殺され、息子の手には300億ウォンの入った資金庫の鍵が残される。これをめぐってヤクザとつながる悪徳警官、殺し屋、また脱北者ウナを調査する国家情報院までが追いかける中を、卓抜(というかあり得ぬような)ドライビングで駆け抜け逃げ切る(しかしウナは血まみれ、依頼主を失って子どもを「送り届ける」ためにパスポート偽造をするウナの上司というか共同経営者?は殺される)という、そのカー・チェイスの壮絶さとウナの楚々たる姿とのギャップを楽しめばいいんだろうけれど…。なんか強くなさそうな女と子どもがガンバルというコンセプトそのものが差別的だなあ(あるいは韓国的?)という気もして少々疲れる。(1月21日 府中TOHOシネマズ 15)

⑯エンドロールのつづき( Last Film Show)
監督:パン・ナリン 出演:パビン・ラバリ リチャー・ミーナー バベーシュ・シュリマリ ディペン・ラバル 2021仏・インド 112分

監督自身の少年期の体験をモデルに9歳の少年を主人公として描いたインドの『ニューシネマパラダイス』というわけだが、この映画の少年、確かに映画愛で映画館に潜り込み、母の作る弁当を気に入った映写技師と仲良くなって映画に親しんでいくというあたりは『ニューシネマパラダイス』と共通するところがある。だが、むしろこの映画で描くのは没落したバラモンでチャイ売りになった父を手伝い駅でチャイの売り子をするがやがてその列車が廃止になるとか、友人仲間(いつも走っている少年たち)と映画フィルムを盗んで上映を試みるー何とも行動的な少年たちでみんなでする機械いじりから溶接までが感動的ーやがて映画館がデジタル化して少年があんなにあこがれた映写機材やフィルムが廃棄され色とりどりのプラスチック製品(この腕輪がとっても効果的に美しく描かれる)に生まれかわっていくところ、映写技師はデジタル化に伴い英語ができないことで職を失うが少年の世話で映画を離れて新しい仕事に就くところなど、少年の映画の世界に向かっての成長譚というより、フィルム主流の映画世界が変貌し、インドの生活自体が「近代化」していく過程が描かれているようでもある。もちろんそれはそれでいいのだが、少年の体験があまりに上手くいかないことばかり?でそれが延々と続き少年がわりと受身でこなしていく?というのは少々間延び感もあって案外長く感じた。映像は少し紗がかかったようなインド色調で極めて美しい。インドの役者や世界の映画作家名の名が呼ばれ―日本だと黒沢、小津、勅使河原宏などー最後はビジュアル的に感動的な美しい女性たちと腕輪のシーンが印象に残る。(1月23日 アップリンク吉祥寺 16)

⑰夢の裏側(夢的背後)
監督:馬英力 出演:『シャドウ・プレイ』出演者・スタッフ 2019中国(北京語・広東語・台湾語)94分 ★

2019年東京フィルメックス開幕作品として強い印象を残した『シャドウ・プレイ』(婁燁)が、当時の版ではカットされていたエディソン・チャン出演シーンなど新たに編集し5分!長くなった版で新たに公開、それに伴ってこの映画のメイキング・フィルムとして婁燁の妻であり彼の映画の脚本家でもある馬英力が作ったのが『夢の裏側』。出だしは『シャドウ・プレイ』の最初の舞台となり現代の中国の一種の縮図のような場所でもある広州洗村の瓦礫が山と積まれた再開発地区と、その住民のへのインタビューからで文字通のドキュメンタリー。
映画は『シャドウ・プレイ』制作の過程やそこでの問題点を丁寧に追う。香港俳優エディソン・チャン起用に関する本人と現場の意識のズレ?(エディソンの切れっぷりがすごい。そのあと一応「やり方を理解したから問題はない」というコメントでフォローはしているが)。や、現場スタッフの弁当が足りない問題とか、大勢の出演シーン撮影の日に他の予定をいれてしまう役者とか、製作費がたりなくなったとかとか、これは大変。その中でも妥協をせずに自身の映画美学を貫こうとする婁燁(なんか、昔のイメージより太ったというのではないがさすがに貫禄がついた感じ)と彼を支えて、観客との中継ぎみたいな発言をする撮影監督のジェイク・ホロックの言葉とで綴られていて、意外性とかはないが、まさに映画の夢の裏側を見せてもらった…(1月20日朝日新聞夕刊の映画コラムで暉峻創三氏がこの映画を紹介、さすがにこの映画を見なくても内容が伝わってくると思ったのは、この映画を見、『シャドウプレイ』もフィルメックス版は見たうえでの感想か??)(『シャドウ・プレイ』の新しい版とこれとどちらを先に見に行くか迷ったが、前の版を見ているので、これで正解かなと…)(1月23日 アップリンク吉祥寺17)

⑱おばあちゃんの家 日本公開20周年記念デジタルリマスター版
監督:イ・ジョンヒャン 出演:キム・ウルブン ユ・スンホ 2002韓国 89分 ★


日本では2003年春に岩波ホールで公開、もちろんその時には見ていて、孫もおばあちゃんも印象深い作品であったが、今回20年の歳月を越え、私自身が孫を持つ身にもなっていて、前と同じように見られるのか、あるいは??全然違ったふうに見えるのか少しの不安ももちつつ見たのだけれど…。孫は自身の子どもよりかわいくてすべてを許せるのかしらなどとも思うが、いやはやこのかわいい顔をしたソウル育ちの少年のゲームやファストフードにむしばまれた現代っ子性は憎々しいというより(行動は十分に憎々しかったりするのだが)まあ、ありうるワガママという感じ。それを受け容れるのはおばあさんの祖母性というよりはやはり素朴なやさしさと彼女なりの自立した人間性なのだろうと、なんか前よりより客観的に見た気がする。今回が初回ならば前のようには印象には残らなかったかも。というのは私自身が素朴な人間性を失って映画の見方がいやらしくなっているのかもしれないが。音楽の適所をわきまえた美しさ、山のお祖母ちゃんの住む家を囲む自然、あっさりとは描かれるが一人暮らしのお祖母ちゃんの周囲と結びついた暮らしぶりー孤独死にはならないのだろうーなどが省略話法も交えつつきちんと描かれているのも、この映画の説得力を増している。ネット情報によればお祖母ちゃんを演じたキム・ウルブン(髪を伝統的な髷に結い、腰が曲がっていることなどを条件に監督が探したそう)は2021年に95歳で老衰で亡くなったとのこと。撮影当時75歳前後?年齢よりは見かけは老いている感じだがその後20年も生きたということはやはり強靭な山のおばあちゃんだったんだね。(1月25日 新宿シネマカリテ)
 

⑲世界は僕らに気づかない Angry son
監督・脚本:飯塚花笑 出演:堀家一希 ガウ 篠原雅史 2022日本 112分 ★

『フタリノセカイ』では体は女性として生まれたトランスジェンダーの男性と、女性の恋愛や出産希望に関する望みを描いた、自身もトランスジェンダーだという飯塚監督の描いた商業作品2作目は、フィリピン人の母と暮らすゲイの高校生男子ジュン(淳吾)の父親探しの物語。「怒れる息子」である彼は前半、フィリピンパブに勤めて故郷に仕送りもしながら貧しい暮らしを陽気に過ごす母に常にやり場のない怒りをぶつけている。母の異文化は日本の社会しか知らない子供たちの差別にさらされ、自らもその差別を内在化しつつしかし差別に耐えなくてはならないということからの少年の怒りは十分に理解できる。電気代も止められるほどに貧しい母だが、無職の男と結婚しようとし、それもまた息子にとっては許せない。彼には恋人の男子がいるが大学に行くという恋人は、怒りの暮らしの中で進路が定まらないジュンに愛想をつかし二人は別れる。ジュンは毎月養育費だけは送ってくる名も知らぬ父を探して母の昔の職場や交友を探し、母と偽装結婚したが自分は父ではないという男と知り合い、さらに実父がすでに3年前に亡くなりその妻が夫の遺志をついで見知らぬ夫の息子のために送金を続けていたことを知る。このあたりまでは少年ジュンの視点にたってうまくいかないこと理解されない・できないことへの怒りや苦痛が、ちょっとミステリー―っぽさも含んで描かれて納得がいく展開なのだが、そのあと、実父とその妻と会い、いわば自分が受け容れられていることを知った彼が卒業後の就職を決意、送金されてきた金は母のものとし、恋人とも仲直りするというあたりから、話は急に甘ったるく、リアルさも欠いた夢物語風になってしまう。
つまり恋人の家族は父が若干の心配をするものの母や妹はこぞって応援する感じで高校を出たばかりの息子たちの「結婚」を認め、自分はアセクシュアルだから結婚はしないが子供はほしいという女の子があらわれて二人と共同で子どもを持ちたいと言い、ジュンは母と恋人の結婚を認めバージンロードを母の手をひいて結婚式、はては二人も、ともに白いスーツで結婚式と…。何だこりゃ?という嘘っぽい感じは、ひょっとすると監督自身の望みの表象として描かれている?とも考えられるが、それにしても既成の結婚制度とか、アセクシュアルであろうと女は誰でも子どもは欲しがる?と言わんばかりの人物造型とか、性的少数派をまさに非差別的状況に貶めているものに対する批判などはここには一切感じられず、どうなんだろう…。ガウが元気で陽気で素敵なフィリピン人マミーを力演。(1月25日 新宿シネマカリテ 19)

⑳シャドウプレイ(完全版)風中有朶雨做的雲
監督:婁燁 出演:井柏然 馬思純 秦昊 宋佳 張頌文 陳妍希(ミッシェル・チェン) 陳冠希(エディソン・チャン)2018中国 129分 ★★★

2013年 再開発地区の立ち退き補償をめぐり住民の暴動がおこる。暴動を治めようとして住民に向かった開発責任者の役人・タンが、何者かに5Fから突き落とされて死亡。若い刑事ヤンは刑事としてこの事件の捜査に入ることになるが、タンの妻リンにいわば篭絡され関係をもってしまい、殺人事件の加害者とも疑われて香港に逐電することになる。
話はさかのぼり1984年のタンと再開発を行う紫金不動産オーナーのジャン、リンの関係から、90年代のタン夫妻、そして2000年代に入り台湾で成功してアユンという経営パートナーの女性を伴い広州に戻ったジャンとのいきさつが描かれていく。
これらに香港に行った後のヤンと、タン・リンの娘のヌオ(実は重要な役回り)も絡んで時間が行ったり来たり、時系列では描かれず、2019年フィルメックス開幕作品としての上映では描かないが暗示するというような場面も多かった気がして話の流れが今ひとつ理解しにくいのを雰囲気で強引に押し切られたような気もしたが、今回は前に見ていることもあるのかもしれないが、きわめてわかりやすい(時系列が整理されたわけではないからー私の理解が深まったということ?)現代の香港場面にエディソン・チャンのシーンが加わることにより、ヤンと父の事故のいきさつがはっきりし、前の版では広州の大人版に比べて少し印象が薄い感があった香港の若者パートにアクセントと説得力が加わって引き締まった感じがする。最後に満身創痍の二人(アレックスとヤン)が広州で探偵事務所を開くというのもちょっと笑えて、この耽美・血まみれ・欲望満載のロマン映画にいくらかのユーモアを加えている感じだ。(1月25日 新宿K’sシネマ 20)


㉑若き獅子
監督:バン・ディラージ 出演:カールティ 2018インド(タミル映画)148分

日本初上映のミュージカルコメディエンターテイメントというのだが、ウーン、描かれているのが何ともすさまじい?インドの父権的大家族主義社会で、楽しむというより考え込まされてしまう。
裕福な農家の家長が男子に恵まれず、妻の妹を第2夫人としさらに子づくり、しかし生まれるのは女の子ばかりという最後に、最初の妻に男の子が生まれる。この息子の立場も大変だとは思うが、この息子が成人して農家を継いでからの物語。たくさんいる姉(異母姉も)はそれぞれ嫁いでそこにも娘が生まれ、家族は息子がその中の一人と結婚することを望んでいるという状況(異母姉の娘とはいえ姪との結婚なんていいのかな。主人公は妹のような姪とは結婚できないというのだが)。
主人公は乗り合わせたバス車中で美しい女性と知り合い恋に落ちる。彼女は大きな会社の社長令嬢で製品のコマーシャル写真にも出ていて自立した女性のイメージなのだが、恋に関しては父の承諾を得て…となるのはまあ!その父はわりと好意的なのだが、なぜか悪意に満ちたマッチョタイプの叔父というのがでてきて妨害をする…ということで二人の恋は行く手多難ですったもんだ、主人公の一家は姪をないがしろにしたということで家族全体が決裂というようなところまで行き、後半は恋の成就というより一家家族の和解がなんか話の中心に?恋人の叔父は自らとたくさんの手下で主人公を襲い、「決闘」を申し込み主人公は超人的な武闘力で相手と戦うシーンもたっぷり。そしてハッピーエンド(主人公が恋人と一緒になり娘が生まれる)のあとで「女でも男でもいい」みたいな言葉が撮ってつけたように入る「ご愛敬的ご都合主義」まで、まあなんというかなあ。(1月27日 新宿K’sシネマ 大インド映画祭 21)


㉒ヒトラーのための虐殺会議
監督:マッティ・ケショネノク 出演:フィリップ・ホフマイヤー ヨハネス・アルマイヤー マキシミリアン・ブリュックナー 2022年ドイツ 112分

ヨーロッパのユダヤ人絶滅の計画が話し合われたヴァンゼー会議(参加者15人の男と会議録をとる女性秘書)の、アドルフ・アイヒマンが残した議事録に基づいて再現した90分の会議およびその前後(準備や解散場面まで)を描いた映画ーまるで自分もその会議の一隅にいるような気分にさせられる臨場感で、討議が行われていく。内務省関係者が既存の法律に基づいてそれはどうかとか、東部から来た代理大使がユダヤ人を押し付けられる苦情を言ったりはして、それなりに議論は起きるのだがーなにしろユダヤ人を処分するということについて反対を言うものは一人もいないーこういう場に参加するような人物にとっては反対を口にすること自体が自分への攻撃を招きかねないというような側面もあるのだろうなとも思われ怖くなる。しかも極めて淡々と、ありそうな状況(実際あったわけだが)をドキュメンタリーとも見まがうような描き方をするのである。こういう映画もありなんだなあ。ところでイスラエル極右政権も成立して、パレスチナ迫害はますます進み、世界におけるユダヤ人の位置に議論がおきる?なんていう動きもありそうで、それもまた怖いなあ、この映画そういう世界情勢においてどういうスタンスになるんだろう。(1月27日 新宿武蔵野館22)

㉓マンデラ
監督:マドーン・アルヴィン 出演:ヨ―ギ―・ハーブ シーラー・ラージクマール 2021インド(タミル映画)135分

これはまた、すさまじいカースト制度に支配されたインドの村。村は属するカーストの違う北と南の住民に真っ二つに分かれていがみ合う。間に立つ村長はそれぞれのカーストに属する女性を二人の妻として迎えて中立を図ったが対立は家庭内にまで及び、それぞれの息子が北と南の先頭に立って、次期町長選を争うというのが映画の構図となっている。映画の主人公はこの二つのカーストのさらに下に位置する最下層の男で、住民には「バカ」とか「スマイル」とか言われ、村はずれ?の木の上にハンモックをつって助手の少年とともに路上で床屋を営んでいる。最下層ゆえにバカにされ料金の踏み倒しなどは日常茶飯という、一人前には扱われないような生活。
さて、北と南の選挙戦では両者とも町内での投票者を増やそうと賄賂や脅しが横行するというありさまだが、今まで投票資格から疎外されていた「スマイル」が盗難にあって所持金を守るために口座を持ちたいということになり、親切な局員の女性の手伝いで「マンデラ」と名乗ってIDカードを取得し口座を持ち、選挙人としても登録されたことから、北と南の選挙勝利を決する最後の1票と目されて両陣営の猛攻を受けることになるという話。
前半のこの男はバカにされても卑屈にへらへらしている感じで、その上、なんかうまく取り入って食べ物にありついたり?という感じもあってイライラさせられるのだが、後半、思いもかけない展開でこの村の共同トイレ、貯水タンクの改修と水の確保、学校再建、道路建設や街頭整備などの村にとって「役立つこと」を実現させていく(実際に実現するのはもちろん北と南)。で、選挙当日負け色濃い?北?陣営は刺客を差し向けるのだが…
最下層の床屋が、床屋の仕事によって町の人に受け入れられていくのが行ってみれば感動的なのだが、それにして現代にもあるのだな、こんな差別的世界がと思わせられる一作。トイレもなく(再建された学校には男の子しかいない)、水も十分供給されずという前近代的?な暮らしの中にスマホやIDカードがちゃんと位置を占めているというのも、前回観た「若き獅子」もそうだが見知らぬ異文化世界だな…と悩ましい。土曜とあってけっこう満席近い朝の10時開映。(1月28日 新宿シネマカリテ大インド映画祭 23)

㉔母の聖戦
監督:テオドラ・アナ・ミハイ 共同制作:タルデンヌ兄弟 クリスティアン・ムンジウ ミシェル・フランコ 出演:アルセリア・ラミレス アルバロ・ゲレロ アジェレン・ムソ ホルヘ・A・ヒメネス 2021ベルギー・ルーマニア・メキシコ(スペイン語)135分


メキシコでは誘拐ビジネスが暗躍跋扈しているとか。娘を誘拐されたシングルマザーが体当たり、娘の行方を探すという映画だが、知人の裏切り?とか、娘の恋人が対立組織に潜入して自ら罪を犯して収監されてしまうが得た情報を使い、彼女自らアクションまがいの追跡をして犯人の一味を捕まえるがあくまでしらを切られたり。また見つけた被害者の埋葬墓から見つけた肋骨1本だけがDNA鑑定で娘とわかったり、その間別れた元夫とのゴタゴタ―和解―再度の別れとか、まあ救いや解決はない中で必死のヒロインの姿を息も切らさず見つめるという、解決やカタルシスとは無縁の135分。最後のヒロインのまなざしのシーンもなんか思わせぶりというか、んんん?という全編サスペンス。(1月28日 新宿シネマカリテ 24)
1/29関八州見晴らし台から

こんな石段を上って…高山不動尊社殿へ↓
          


好天の冬山?ツアーも意外に楽しい!

㉕カルナン
監督:マリ・セルヴァ―ジュ 出演:ダヌシュ ヨーギ・バーブ 2021インド(タミル映画)152分 ★

映画の時代は1997年と最初に出る。さすがにスマホは出てこないが、この村ボディヤングラムはバス路線上にありながらバス停はなく、隣村メールールまで行かなくてはならないが、隣村ではここは自分たちのバス停だとしてボディヤングラム村民の乗車(老人や、大学に行こうとする女の子まで)を妨害しようとするという、現代日本的感覚ではいくら何でもなんとも信じがたいような光景が展開。バス停車を求めるボディヤングラム村民に対してはバス会社は「法で定められている」とか言って無視、警察も騒ぐ村民を暴徒として排除しようとする…というのは、日本語字幕でははっきりと書かれないものの要はこの村がカーストの賤民階級に属する?からであるらしい。
村の様相としては亡き娘(映画の冒頭女の子が車の行き交う道の真ん中で泡を吹き倒れているなんとも恐ろしい映像があらわれる)の例(奇妙な面をかぶった姿で再々現れる)、言い伝えの聖剣で鯉を真っ二つに切る行事??(意味はよく分からないが成し遂げたものが勇者ということで、主人公カルナンがその勇者となるわけだ)などが現れ、伝統的な習慣やそれへの誇りを持つ人々の村であることも示される。支配階級の軍・警察などから見れば因習に縛られた取るに足りない低階層の人々ということであろう、目も当てられないような荒々しさで警察が村の長老(おもには老人)を打擲するシーンもあり、女子供も含め集団で押し行った軍・警察が村人を暴力で弾圧するシーンもあり、カルナンの祖父は抗議の焼身自殺をするがそれさえも支配者には全く響かない。
どちらかと言えば軽挙短絡的な若者として描かれるカルナンは村の勇者としてこの状況に立ち向かうのだが、恋人の兄(マンデラのヨーギ・バーブが演じる。他の映画にも出ていて、天パーでデブっぽくて見かけはイマイチだが、コメディアンタイプで売れている人なのかな?この映画ではむしろ悲劇の人的だが)には理解されずだが、村の活性のために若者がこぞって受験した中央警察隊の試験に受かり、村人の期待を一身に背負い出発するという場面も。このあたりの権力との対置のしかたには、権力の横暴を大いに怒りながらもその権力の末端に位置することで横暴から逃れようとする矛盾が非常によく現れていて、カルナンのみならず村の在り方としても描かれているのが興味深い。中央警察への出立を取りやめ、村を襲った軍・警察に立ち向かうために少年が乗ってきた馬で村に戻ったカルナンはしかし…。10年後に村に帰るのは服役のあとということ?しかし、バスは村の中に止まり人々はそれを使い、子どもたちは学校に通えるようになったということで、その意味ではめでたしめでたしなんだが。たびたび現れる仮面の妹たち(差別の中で亡くなった人たち?)や、前足日本を縛られ村内を後ろ足で飛び回るロバなど、不思議に悲しい映像が象徴的で、ビジュアル的にもけっこう工夫を凝らしなかなかすごい映画だと思ったが、こういう映画インド国内では検閲などされないのだろうか。そこが不思議といえば不思議なとにかく警察横暴の映画だ。(1月30日 新宿シネマカリテ大インド映画祭 25)
不思議な「カルナン」の仮面少女


㉖冬の旅
監督:アニエス・ヴァルダ 出演:サンドリーヌ・ボネール マーシャ・メリル ステファン・プレイス ヨランド・モロー 1985仏 105分

原題は「家(屋根)もなく法もなく」で、海から来た(出自とかがあきらかにされない)女性が冬のフランスをさまよい亡くなるまでを「自由」の表象として描いた85年のベネチア金獅子賞。しかし…、彼女はテントに寝て硬いパンを食べ、たまには洗車などアルバイトをして多少稼ぐものの、海も入浴がわり?だったみたいで、どんどん薄汚くなり、汚らしくなり、ヘンな男に言い寄られたり、マリファナのために犯罪すれすれで人とつながったりで、決して幸せそうな表情には見えず、最後は畑の側溝で凍死…って、どうなんだろう、この生き方を作品は肯定しているのか?あるいは法に縛られずということは、職業を持って食べるために自身の自由を売るとか、妻や母になって社会に組み込まれるような生き方を拒否することのむずかしさと、女性をそのように縛る社会への批判をしているということなのだろうとは思うが…。若い時には彼女の死に至る自由を、自由と思えた?かもしれないが、体力を失いつつある年代、すでに自分なりに社会の仕組み(縛り)をなんとかやり過ごし、乗り越え妥協してきた身からすると、辛そうだなあというのが先に立ってしまい、人間が老いて保守化するというのはこういうことなのか…と思いつつ少々愕然。(1月30日 下高井戸シネマ 26)

㉗She Said その名を暴け
監督:マリア・シュライダー 出演:キャリー・マリガン ゾーイ・カザン パトリシア・クラークソン 2022米129分 ★★

♯MeeTo運動の発端ともなった、ハーベイ・ワインスタインによる性暴力事件を告発したニューヨーク・タイムズの二人の女性の記者の回顧録を元にその経過というか戦いを描く。ハーベイスタインは最後の方に後姿だけが出てくるだけだが、ミラマックスも、告発した女性の実名(必ずしも本人出演というわけではないがアシュレイ・ジャッドは本人)も出てきて、こういう映画が堂々と作れるハリウッド!と感心した。しっかりと地道に報道のための調査の過程をを追い、センセーショナルなドラマっぽい映像よりも、むしろドキュメンタリーを見るみたいな地道な作り、そこに二人の記者の母であり妻でありという家庭生活での生き方をも織り込んで(二人とも同業?らしい理解のある夫と娘―この映画に出てくる子供はすべて女の子)極めて見ごたえのある真面目な映画に仕上がっていると思うが、アカデミー賞のみならずアメリカの映画界にはあまり評価されなかったという。多分身に少しでも覚えがある人は多くて、恐ろしい思い出この告発をみたんだろうなあと思わせられる。最終日間近の夜7時半からの一回上映の調布。それでも10人以上の観客がいた。(1月31日 シアタス調布 27)

㉘スルターン
監督:バンデラージ 出演:カールティ ヨーギ・バーブ 2021インド(タミル映画)150分

「大インド映画祭」の最後の1本。実は観たのは2月1日ですが、同じ映画祭のシリーズとしてここにも入れておくことにします。

マフィア!の跡継ぎスルターンはムンバイでロボット工学を専攻していたが、帰省中に父が死去、後を継ぐことになる。一目ぼれした娘の住む村で暴力三昧の手下たちの更生のため、また開発プロジェクトによって農業をすることを禁止され貧困にあえいでいる村人のためにこの土地の農業に再度取り組み、開発プロジェクトを担う対立組織?と戦うという感じの話で、ウーン。『若き獅子』に続きヒーロー的活躍をする「近代人(この映画ではほとんど腰布を身につけたシーンがない)」カールティ演じるスルターンは踊りのシーンは比較的少ないが、なんていうか軽い男で女に弱く、熱心に取り組んでいたロボット工学はどこに行ってしまったの?という感じもするし、話はゴチャゴチャ、同じような顔をした敵味方入り乱れという感じで、最後は村人に大感謝され、それまで笑顔も見せなかった(片思いの?)恋人とはいつの間にやらという感じで結ばれるが、ウーン、ウーン。ただひたすらに疲れた。スマホもある時代の映画で、ただし女性や農民の使用光景は現れずそれらの人々は伝統に属し、そこに回帰していく近代社会の主人公というのがコンセプト?闘うのはダメダメと言い続け、結局最後は武力闘争(これも伝統世界)になるわけだし。(2月1日 新宿K’sシネマ 28 大インド映画祭)
              

 
書きました!よかったら読んでください。

 よりぬき【中国語圏】映画日記
 「コロナ禍を描く—『武漢、わたしはここにいる』から『ホテル』まで」
     TH(トーキングヘッズ)93(2023.1)アトリエサード・書苑新社↓
               

高山不動尊の蝋梅、少し盛りは過ぎていたようですが…

最後までお読みいただきありがとうございました。
あっという間に過ぎてしまった1月、Blog Upが遅くなってしまいました。もう立春ですが、なかなか寒さは緩みません。今月(2月)はスキーに行くつもり。まもなく昨年公開の中国語圏映画を論じる「金蟹賞」審査・発表も。それらはまた次号でご紹介したいと思います。
          どうぞ、皆さまお元気でお過ごしください!


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