サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路 114Km ある(歩)記 2022・10月4~14日
行ってきました! スペイン サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂 |
サンティアゴ・デ・コンポステーラの町をはるかに見渡す「歓喜の丘」からパノラマ撮影。写真を撮っている自分の影も写ってしまったが、ま、歩いて到着の何よりの証拠?として… |
旅の地図(『旅日記』西遊旅行社より転載させていただきました) |
【出かけるまで】
ことの起こりは8月の鳥海山登山。ツアーで一緒になった方がすでに歩いていて「よかったよー」といろいろ聞かせてくださった。
映画『星の旅人たち』(エミリオ・エステべス2010)や『サンジャックへの道』(コリーヌ・セロー2005)それにNHKの旅番組などで存在は知っていたし、いつかは行ってみたいなどと思ってもいたのだが、話を聞いて急に行きたい気持ちがムラムラと沸き起こるーそこに来たのが『西遊旅行』旅行社のメールマガジン「きんと雲」で、あった!10月の巡礼路歩きのツアーが!というわけで、10人限定のツアーの最後の1人に潜り込むことができて、急遽バタバタと話が決まり、旅に必要なワクチン接種証明書も取って、10月4日夜の成田から出発することになる。
ほんとうは、例えばフランス人の道800Kmを歩く(だいたい1ヶ月くらいかかる?)というのでなければ巡礼とはいえず?(結構いるんですよね?終わってみると日本人でも歩いたという人が…)これはあくまでも「巡礼路を歩く」さわりの旅ということで…
【10月4日】出発
閑散とした成田空港ロビー
10月4日、夕方6時成田空港第2・3Fに集合。数年ぶり(コロナ前だから多分3年以上。2020年2月の台湾が最後の海外で、これは羽田発着だったし。 出発ロビーは閑散として、はるか遠くまで人もなく見透かせる。
海外から戻る場合のPCR検査はなくなり、だいぶ規制は緩んだようだが、まだまだ、海外に出る人は少ない?のだろうか。
でもエミレーツ航空(JAL共同便)チェックインカウンターにはおおぜいの人が並び飛行機もほぼ満席。
成田発22時30分EK319便にて出発する。
今回の旅の仲間は11人
女性は埼玉から参加のHYさん(タフな登山家)、東京からのAさん(山はあまり歩いていないと仰るが、秘境や砂漠が大好きという、この方の足の速さ!)
男性は東京からUさん(元バックパッカー・登山愛好家、訪問国40か国、玉山もキナバルもキリマンジャロもという名刺をいただく)千葉のKさん(大学時代は山岳部、退職して40年ぶりの登山再開とか、楽しくよく話し、軽く坂を駆け下りる)静岡のHKさん(この方とは同じくらいの速さで近くを歩くことが多かった)、栃木のSさん(一人黙々?と写真を撮りながらあるいていらっしゃった)、神戸のIさん(来春は800キロの巡礼路突破を計画しているとか。いつもほぼ先頭を歩きつつ後ろにも結構気を使うペースメーカー。古武道家)ご夫婦が1組、仲良くいつも安定した歩きをつづけていらっしゃったHご夫妻。それに添乗員のKTさん。
彼は細身長身だが、タフでよく歩き、ガイドの英語案内を翻訳説明してくれ、買い物の案内も、各部屋を回ってのモーニングコールも、食事の世話から、足が痛いマメができたとのコールにも面倒を見てくれ、そのうえ写真をたくさん撮って最後には「旅日記」まで作ってくださった。もともとは寿司職人もしていたということで、面白い若い人の存在は頼もしい。
エベレスト街道のトレッキングツアー19日間、年末のキリマンジャロ10日間と、伺っただけでも数々の海外の山を添乗中。それを聞いた今回の旅仲間、ご自身が行く時期を探っているかたも多いようで、その元気と健脚ぶりにウーンというような方たちばかり。
到着地の「貝殻」を踏む仲間 |
【10月5日】ドバイ~マドリッド~ブルゴス
ドバイ着4時50分(現地時間・日本からは約11時間のフライト・4時間の時差)
ドバイ発7時40分EK141便→マドリッド着13時25分(現地時間・ドバイ
からは7時間45分のフライト・日本とは7時間(夏時間)の時差)
ドバイの乗り継ぎ2時間待ちは、高いコーヒー(前に来た時カードで払ったら1200円くらいしていて後でびっくり)を飲む気にもならず、ロビーの固い椅子でPC仕事😞
マドリッド空港 |
あまり山というほどのものもなく丘と平地が続くスペインの車窓風景は懐かしい感じ(前に来た時もバス旅だったと…)だけど、3時間半のバス車中で、なんと私はスマホで10月24日開始の「中国映画週間」のチケット取り。この季節、映画祭の切符を台湾で押さえたなんていうこともあったが、はるばるスペインでもなんの問題もなくOKという「電波社会」にいつもながら感動。
5時過ぎいかにも中世ヨーロッパの面影を残すブルゴスに到着。
ホテルはパラシオ・フランソネス、道沿いで間口は狭いが奥行きがある。チェクインした302号室は次の間つき、バスタブもヴィデもある大きなツインルームで、立派な部屋。ただし壁が薄いようで隣の部屋のいびき、バスルームの水洗音が聞こえた。アメニティは、バスタオル・タオル類は立派。シャンプーとバス・ジェル。固形の洗顔ソープはあり(使わず)。ドライヤーはある。湯沸かし、お茶などはスペインの常でなし。冷蔵庫有。ごみ入れは洗面所に1つだけ、ティッシュなし。Wi-Fiはパスワードを部屋のキーと一緒に小さい紙片で渡された。このあと泊まったホテルも含め、スペインでは4つ星だとバスタブはあるよう、冷蔵庫はあったりなかったりという感じ。3つ星以下にはどちらもないのが普通だ。
ブルゴス大聖堂
夕方部屋にいったん入り荷物を置いてからブルゴス大聖堂の見学に。いやー、圧倒される。三大聖堂はトレド(見た)とセビーリヤ(これも多分見た)とここだそう。また、三大聖地はバチカン・エルサレム・それにサンディアーゴとか。なるほど!ここのガイドは女性でメリンダさん。これも英語でKT氏が翻訳するが、宗教用語なども多く、彼もスマホで調べ調べで一部省略もあり。ま、これは仕方がないか。門についた王家のシンボルの百合の花の飾り?については全省略されてしまった(笑)。
ブルゴス大聖堂さまざま
エルシッドの画像→
ここは、1260年から、百年戦争やペスト蔓延のための中断をはさんで1567年に完成したという、スペインゴシック様式建築の最高傑作と言われている。内部には中世の貴族のプライベートチャペルとして使われた23の礼拝堂があり、11世紀イスラム勢力に奪われた土地を奪回するレコンキスタ(再征服運動)の英雄として知られるエル・シッドとその妻の墓がある。
街中にもエル・シッドの銅像が、堂々と威風をはなつ。
8時前ようやく夕闇の中、ホテルに戻り、食堂で2テーブルに別れ晩餐。ワインは白2本、赤4本とかがついていた(この地ガリシアは白ワインブドウの産地とか)パンはなかなかおいしい。野菜スープ(ポタージュ状)、小さいがニワトリ丸1羽のロースト(美味しく食べたが量に辟易で半分残す)デザートは飛行機でもでたシュークリームチョコレートがけ4個(さすが4個は無理、2個だけ食べる)相席の皆さんとは旅の経験などの話
丸々鶏1羽 |
で盛り上がるが、皆さん、ずいぶんディープに歩いていらっ
しゃることがわかり、ついていけるかいささか心配になる。
10時解散(以後夕飯はほぼこの時程)。
部屋に戻ってシャワーを浴びて、日本から持参したエレパルス(低周波マッサージ器)を腰に当て、早々に寝る。
前日の記録などを書くのが日課になった。
【10月6日】ブルゴス~レオン~サリア
7時0階(スペインはグランド階が0)におりて、朝食のはずが、食堂は結局定刻の7時半まで開かず、我々に割り当てられた席も暗いまま。7時半定刻にバイキング開始、個人用にトングが割り当てられそれで取る方式(待って並ばなくてもいいし、これはいい)コーヒーマシーンが初めて見る形で皆戸惑うー他の外国人に教えてあげたり…ーちゃんと食事が入るか心配で恐る恐る様子見したが、けっこうおいしくおかわりもしてパン・シリアル・ヨーグルト(濃厚)・チーズ、ハム少々などを食べた。
食後8時過ぎ、Aさんと聖堂再散策の朝の散歩に出かける。約30分で聖堂の周りを道をかえて2周、Googleの地図を見ながら歩く。
朝のブルゴス大聖堂(裏手?)にて→
ブランカ& KTさん |
聖堂前のバルでトイレを借りる。本当は買い物するかチップを置かなくてはいけないのだが、時間もなく、同行の方たちでコーヒーを飲んでいる方があったので、それに甘えて今回はパス。ゴメンナサイ!
レオン大聖堂 |
レオン大聖堂はブルゴスと同時期の建設、わりとシンプルで見かけは仰々しくない(一応ゴシック様式)前もってスマホで検索して下調べをしていったが、ステンドグラスがすばらしいということで、実際にそうだった。このころから窓を多くきれいな色で覆って光が天上から入ってくるように、祈りの場というより神の住処ということで作られたらしい。たっぷり、ゆっくり説明を聞き写真を撮り回廊を見てまわる(保護のための提案と没になった諸案が掲示されているのがおもしろい)。
聖堂を出、旧市街と新市街の境目のところにあるガウディが80日間とかで作ったという建物の前で説明を聞き、その横にある中世を模したという市場をぶらぶら(13時10分から25分まで)。Aさん、HYさん、HKさんがご一緒。Aさんは中世スタイルではちみつを売っているのに興味を示す。値段をスペイン語で聞いてみる「クアント・クエスタ?」一応通じた!10€だった。濃厚そう、ジャムの大びんくらいの大きさなので安いことは安いかも。
ガウディ・ハウス |
広場に座るガウディも・後ろの花の木が見事!
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中世を模した市場 |
買い物はせずに戻って近くのレストランで昼食。今回は毎回がコース(前菜・主菜・デザート)でワインも付く。ありがたいがいささか重いのと時間がやたらにかかるのがややつらい。今回はレタスっぽい野菜とゴートチーズを和えたサラダが前菜で、これはとても美味しかった。主菜はスズキのソテー。これもOK。デザートは??ワインをちょっと飲み過ぎてフラフラに。
広場に戻って写真を撮られたりした後、バスでサリアに向かって出発。ここでは(昼のワインに酔っ払い)もう完全ダウンで前半は深呼吸しながら休むだけ。隣の席(バスも、レストランでも偶然)のIさんがウェットティッシュを1枚手渡してくれた(レストランではバックにもらったパンフを入れてあげたり)これは気持ちよく助かる。途中トイレ休憩でようやく復活、水を1本1€で買う。
そのあとはGoogleマップで現在位置とルートを確認しながらセブレイロ峠(1300m)(実は脇の車道らしい)を越え、一方通行の連続でなんか遠回りにも思える市街地を通って7時前アルフォンソⅨホテル到着。
いったん部屋に入った後、7時半から食堂ロビー?で巡礼手帳が配られセルジオ氏の巡礼路の説明が行われる。長い道のりだが脱落者などは想定されていないらしく、本当に大丈夫なのか、それとも意外に軽いのか、不安と期待。
8時晩さん会。昼のワインの名残もあって全然食欲なく、ガリシア特産の野菜スープ(ジャガイモたくさん)はお玉1杯だけにしてもらう(普通は3杯)次は魚を選びアンコウと海老の串だったがこれも大きなのが4つもついてくるのに辟易で1口ずつ。最後のアーモンドのケーキはまあ何とか食べられた。飲み物は地元のビールにしてもらったが、330mlの小瓶が飲みきれず。しかもやっとの思いでデザートまでこぎつけさあ、帰れるぞと思ったところで自己紹介タイムということに。部屋に戻るともうぐったり、シャワーもそこそこに寝てしまう。
【10月7日】さて、いよいよ巡礼路1日目 22.4Kmを歩きます。 サリア~ポルトマリン
さあ、でかけるぞ!サリアの朝ごはん
朝8時すぎ、まだ夜明け前のサリアの町に歩き出す。
空気はしっとり重い感じで街は霧に包まれている。石畳を少し上がったところの土産物屋が開店していたので、巡礼シンボルのホタテ貝(シェル)を購入。白に赤の十字つきの一般的なもので2.5€。小銭の見分けが眼のせいもありなかなかつかず、お金を出して店の人取ってもらう始末。
巡礼のシンボル・これを身につけて歩きます |
霧で霞んでますが、これが巡礼路の道しるべ(モホン)です |
それでも元気に、ゆったりと歩き出し、街の大きな文字の入った場所の前で記念撮影などもして、サンティアゴへの道を歩き出す。しばらくは皆一緒でとのこと、最初いくつかの道標前でセルジオ氏の説明もあり、あとは彼の前には出ないという基本ルールだけで(でもあまり守られなかった。彼自身が後ろに行ったり前に行ったり、全体を見てくれている感じ)自分のペースで歩いていいとのこと。私自身はあまりスピードを出さないように、同じペースで1日歩くことを目標に、最初なるべく前のほうでセルジオ氏を目標に歩くことにしたが、午前中は結局 Iさん(来春800キロの巡礼路を歩きたいとのこと)と並んで先頭を歩くことが多く、写真も撮り合ったりした。
牛も横切る巡礼路 |
こんな感じの田舎道が多かった |
天候は霧で時に雨粒状も落ちてくる感じ。早々のスタンプポイント(Casa Berb何とかいう小さいバル)でザックカバーをかけ、トイレを借り0.5€の喜捨をする。白い霧の中、上着がじっとり湿る感じで、汗はかくが熱い感じはない。
午前中早め、雨粒が落ちてきたので傘を出す。これでトップにいたのが後ろの方になり、KTさんが心配して様子を見に来るが、これは特に問題なしと答え、あとはまた同じペースを保つようにし、次の小休止場所で調整し前にまた出るようにした。重苦しい空模様ながら雨はすぐ止んで、傘は手でブラブラという感じでしばらく。
田舎道は馬糞などのにおいもあって昔の日本の田舎が思い出される。3か所ほどで巡礼スタンプを押しつつ小休止しながら、昼は12時13分~1時半、レストラン・デ・ミラロスという建物前に道を挟んで花の咲き乱れる美しい感じの場所で、スペインオムレツ・サラダ(普通ぽいのが4人分大皿に盛られて出てくる)・パン、それに(私1人ビールを頼み)昼食堪能。量は食べられないがおいしく食事ができるシアワセ。
昼食を食べたバル |
午後の巡礼路も快調に |
Aさんと記念撮影 |
昼前ぐらいからは霧が晴れ午後はさわやかな秋晴れに。道端のリンゴの木の甘い香り、白ワインブドウの木、ヤギや、どのバルでもよく見た犬などが印象的。
セルジオ氏はときどき「これは日本語では何というか」と聞いてくる。ヤギ、自転車など。特に後半、HYさん・Aさんは二人いつも並んでしゃべりながら軽快にずっと先頭を行く。
Kさん(65歳)は登り路は遅いが下り若い人のように駆け下りる。後は、南アルプスに行ったと言っている長身のHKさんと歩くことも多かった。
午前11.5キロ、4時間3分、午後7.3キロ2時間19分、小休止を入れ、昼ははずして18.8K6時間21分を歩きぬいて3時48分ポルトマリンに到着。
ダム(左)ができて向かいの丘に移住したポルトマリンの街 |
街に上がる階段 |
ポルトマリンの看板?と今日のホテル |
この町は対岸ダムの上からダム建設によって移動したという、そこにダムにかかる橋(水は全然少なく、これがダムという感じではあるが)を渡り階段(左の写真)を上がって真っ白でモダンな感じのヴィスタレグレホテルに到着。
終わりの方、アスファルト道路を歩くと左腰がちょっと痛み出したが、休むとおさまる程度、あとは特に痛みもマメもなく元気に歩きとおせてほっとした。
ホテルは奥まった110号室。明るい部屋だが目の前、庭で外から見えそう。シャワー(バスタブなし)シャンプー後5時くらいから再集合の7時半近くまで、明け方に日本から来た研究誌若手の論文チェック(ここまで来て仕事をするとは…)。途中から寒く・眠く参る。途中停電が短時間だがあり驚く。
7時半再集合は0階食堂。明日の予定確認後、セルジオ氏、皆に大きな水ボトルを1本ずつサービスしてくれる。部屋の冷蔵庫に戻したあと、ホテル前のレストランに行き夕食。今回は前菜はチーズ・ナッツのせサラダ、魚(メルルーサ・ポテト)・パン・デザートにカップアイス。前菜はパエリアを頼んだIさん(隣に座った)がパエリアを一口味見せよとのことでくれたので、こちらもサラダを少し付け合わせにあげる、と、まあこんな付き合いも出てくるほどになった。
9時半、13夜とかで月と金星が並ぶ夜空を見上げながらホテルに戻り、歯磨きだけしてエレパルスをかけながら、あっという間に眠ってしまった。目覚めは3時10分前、珍しく5時間?まとめて寝られて快調。
【10月8日】巡礼路2日目 行程24.8km ポルトマリン~パラス・デ・レイ
朝は3時半に起きだし、仕事の論文チェックを済ませて日本にメール発送。
7時5分前朝食に下りる。デニッシュ2個、パインの小さいボックス入り、チーズ1枚ハム2種2枚、ヨーグルトはプレーンを選んだがIさんがイチゴがおいしいというので1個テイクアウトし食料としてリュックに入れる(日本から持参した折り畳みスプーンが役立つ)。
8時体操をしてから出発。ポルトマリンはダム建設により、川から高台に新しく建設された町だが聖堂だけはすべての石材を移築して同じ形に建て直したそうで、それをまず見に行く。まだ暗い夜空に浮き立ち美しい。一渡り見てセルジオ氏の説明も聞いた後、いよいよ出発。
ポルトマリン・聖ニコラス教会・朝8時 |
出発 |
まずは舗装道路歩き |
町から巡礼道に入るとまずは坂道。土曜とあってか若い人たちが集団で歩いている。中には掛け合いで歌いながら行く高校生?らしい少年たちも。もっともこれらはだんだんにばらけて、坂を上り切ったあたりではわりと人も減っていく。
今日もこんな道 |
坂の上で上着を脱ぎ衣類調節。午前中は曇りっぽい陽気だが、今日はガスがあるわけでなく、湿気も少ない。野中というか畑の中の道を。この集団は常に先頭はオレンジ色の上着のIさん。続いて女性二人組、その後をHKさんという感じで、私はHKさんとほぼ同じ感じで歩いていたのだが、幹線道路(制限速度90キロ)沿いの道に出たあたりで、左足足首の少し上内側に靴が当たるのを感じる。しばらくそれで歩いたがちょっとつらく靴ひもを緩めてみたりしたがダメ、幹線道路から山道に入り、しばらく切通しを歩いた後の高台に先行の女性二人が休んでいたので、そこで立ち止まり足を見ていると最後にやってきたKTさんが化粧用のパフをあてるよう1枚くれる。
それを当ててしばらく、最初の休憩地点ゴンザールでは、様子を聞いてくれ別にバンドエイドも。バンドエイドを当てた上にパフ、そのうえからキネシオテープをまいて手当OK。最後まで違和感はなくはなかったが一応無事に歩き通せた。
休憩地のバルで足の手当て |
途中、ケルト人の遺跡・カストロマイヨールを見に行く。右は分岐の坂の上で、さあ行くぞ、という一行。このあとちょっと坂を上って、下が遺跡の半分と、ガリシアの広野をのぞむ絶景!
昼食はカサ・モラール。その前にすぐ近くのペンタス・デ・ナロンの教会にスタンプを押してもらいに行く。ここでは視覚障がいの方が、スタンプを押してくれていて、もらった人は多少の献金をするしくみ。教会の障がい者福祉事業?の一環となっているのだと思う。
昼食はカサ・モラール。レモン・ソーダ、たっぷりのサラダ・ポークソテー・デザートのアイスなど。歩いているとあまり食欲がないのが常だが、ここでは美味しく食べられた。
→カサ・モラール外景
こんな感じで |
またまたリッチなお昼ご飯! |
12時から1時半までたっぷりの食事時間後、午後は11キロ、3時間少し歩き、パラス・デ・レイに。最後の1時間くらいはIさんにあわせて結構ハイペースで歩く。
これはカサ・ラモール付近 |
こんな道も歩き、最後はやや急な坂下り、そして午後3時、ホテル・ミカに到着。
ロビーでくつろぎ、ひと息 |
天窓付きシャワー室 |
到着後まずは部屋に入りシャワー(しかない)天窓があって明るいシャワー室(ガラス張り)、エレパルスを当てベッドで休むうち、あっという間に次の集合タイム。
夕食はホテル隣のレストラン。いくつかから選べる前菜はグリーンピースのスープ(美味)、主菜はメルル―サのソテーで、胃の調子があまりよくなくて肉が入らない感じがつらい。酒はフリーのワイン一口にとどめ、デカンタで出た赤ワインには手が届く前に、すべてなくなった感じ。デザートのアイスにいたってようやく元気が出てきた感じも。
1時間半の夕食後はホテルに戻り、例によりエレパルスを当てながら眠ってしまう。23Km(予定で聞いた距離数とはちょっとずれがあるが)6時間32分の歩行とGoogleタイムラインの記録。
【10月9日】巡礼路3日目 行程29Km ポルトマリン~メリデ(タコ料理)~アルス―ア
目覚めは2時に1度トイレ、の後は4時過ぎでだんだん寝られるようになってきた。朝は時間がなくて昨日の記録は半分だけ。
昨日は距離が短いと思い、少し古い化繊のソックスにしたせいか、左右第2指にマメができてしまった。キネシオテープとカットバンを使いテーピングする。
7時朝食はオムレツ、パン、ヨーグルトなど、狭い食堂の狭い食卓だが専任の女性が世話をしてくれる。
8時集合で11分例によって出発。すぐそばのサン・ティルソ教会により、スタンプを押してもらう。(下右は、きれいな教会の内部)
朝の巡礼路・今日1日の始まりです! |
このとき連れ合いからライン。友人宅に集まっているとのことで、写真も。どこにいるかと聞いてきたので、暗闇?に立つ教会や、歩き始めの光景、それに昨日の自分の写真も送る。初日のチケット取り、昨日の論文読みに引き続き、つくづく「日本の近さ」を感じてた。
今日は概ねIさんと先頭を歩き、7.7キロ(1時間57分)でカサ・デ・ソモサ、休憩。ココア1.5€を飲む。左足の裏にもまめができてきたのでKT氏に、持っているという上等バンドエイドを所望したら、セルジオ氏がさらに上等?というテープを自ら、私の足の裏に貼ってくれた。恐縮!彼は励まし文句も得意で、私にはストロング・ウーマン、スカルパの靴もちゃんと見ていてほめてくれたり、さすがラテン系?歩きながらもいろいろな人、特に女性に声をかけている。
↓また洗濯場(水なし) ↓中世の雰囲気が残る村を通る
メリデ入口・12世紀に作られたという石橋 |
渡って街に入る |
5.5キロ歩いて12時過ぎ、メリデの町に。ここはタコが名物とかでタコ料理専門店ア・ガルナチャへ。、サラダ、ポークソテー(小さいの、ポテトも少しでと頼む)ビールもフリーで飲めた。店の入り口ではタコ料理の実演やタコの人形も。
待望のタコ料理・内陸のメリデでなぜか名物 |
ちゃんとコースでポークソテーも |
デザートはチョコレートケーキ |
↑お店の入り口にはタコの人形が・↓店先でタコをさばくシェフ |
なぜかまた、洗濯場、今度は全景がよく撮れた |
でも気を取り直して最後の一歩き。その後はそれまで後ろだった女性二人、特に元気に歩くAさんに押されつつもほぼトップで5Km余り、アルス―アの街に入る。
こんな花咲く道も過ぎ
田園風景も見ながら |
聖地まで40Kmを切った! |
アルス―アの街に入り、少しピッチを上げ過ぎた?先行組は、セルジオ氏に待つように言われ道端のベンチで一休み。その後、全員揃ったところで5時10分くらいにテオドールホテルに到着。
夕飯は7時15分の集合。近くのレストランで、7時半から9時過ぎまで。今回はビール、トマトスープ(冷製)、ラザニアの夕食にワイン(白・赤も少し)、セルジオ奢りの地元の酒(ブドウの麹を使った蒸留酒 二鍋頭酒のような味わいをいただく。→夕食のレストラン
美味しかった冷製トマトスープ |
9時過ぎ、戻ってすぐに就寝。この日はがんばった?疲れた?夕食の写真も、記録も何もナシ(笑)。
【10月10日】巡礼路4日目 行程28Km アルス—ア ~ ラバコージャ
アルス―ア・テオドラホテルを8時半に出発。食事時間と荷物出し時間のずれから、山靴を履いての朝食。2個のデニッシュ、スイカ・メロン・チーズ・ハム2種、ヨーグルトにカフェ・コンラチェなど。足はマメのあたりが痛いが昨日のテーピングのままキネシオテープで補強だけして出る。雨模様で傘と雨具上着だけ着てザックカバーもつけての出発。でも間もなく、雨も上がりほ…
出発:テオドラホテル前 |
ホテル近くのサンティアゴ・デ・アルス―ア教会で、今日の最初のスタンプをもらい、
1€の献金後出発。 ↓こんな幹線道路の陸橋もルートにはある。
30㎞を切った! |
6.8Km10時20分にア・コルーニャというバルに到着、休憩。トイレ(広々)に行き、カウンターでカフェ・コン・ラチェ(カフェ・ラテ)とそこにあったプラム・ミカンを1個ずつ買う。10€出し6.4のおつり。最初は久しぶりの€圏でお金の見分けもつかず、買い物にも少し臆したが、さすがこのあたりになると、まあまあ大分慣れてきた。↓左・中、お店の入り口付近から中。右はほんとに広くてきれいでびっくりのトイレの花で飾られた入り口
近くには空きビンを刺して作った不思議なオブジェに囲まれたバル?も |
雨上がりの道を行く・ワンちゃんも巡礼に参加?
次は5Kmで昼食のバルのはずが、そろそろかなとは思いつつ通り過ぎて100m次の角を曲がったあたりで後ろから「ソーリー。ソーリー」とセルジオ氏。門口にだれもいない状態だったのでわからなかったが先行の数名はすでに座って…もう。
今日は足がやはりイマイチで、痛みを押しながら(ロキソニンも飲んだが)歩いているので前4人くらいと後ろ5人ぐらいの間で一人で歩いていることが多かった。
昼はパスタ(ジェノベーゼ、野菜たっぷりはいいが麺はうどんみたいで)とビール(にした)それにアイスのデザート。1時間ほどと短め。
いよいよ20㎞を切る |
午後は気を取り直し、なるべく先頭近くでとIさんに続きAさんと歩き出す。8.1Km3時過ぎに次の休憩地点のバルにつく。スタンプを押して店に入り注文できるか見ていると、すでに閉店・クリーニングタイムだと店員(比較的若いイケメン)が少し行った40m先のバルがあいていると教えてくれる。スペイン語なまりの英語。話が通じるのがいい。
道を1本渡り次のバルは愛想のない中年男性の店員。ここではビン入りのココアを買い10€を崩す(おつりを数え損ねたが、多分8.5?くらい)
その前の山道(とはいっても平坦)で先を歩いていたIさんになんば歩きを教わったAさんが転ぶという珍事あり。幸い怪我はなかったが左側半身泥まみれ。雨はすでに昼頃ほぼやんでいたのでよかったが、逆に雨具なども着ていなかったわけだ。最後の休憩はそんなこんなの話で盛り上がる。このあたり、盛り上がりすぎて?写真がなぜか1枚もない…⤵。
ラバコージャ途上・サンティアゴ空港近くで、ときどき飛行機の音も聞こえた |
昔からの?石造りの道標があった。その足元にはたくさんの石。絵や字が描かれたものも。
巡礼者が(巡礼に来られなかった人の代わりに)持ってきて供えていくのだとか。中には亡くなった友人(家族?)の写真なども。『星の旅人たち』の世界だね…
、
さてそして…ドーンとそびえる大聖堂(13時30分)
聖堂前広場の到着シェル
馬の噴水の上には神?の像、その頭と後ろの建物の塔に彫られた王冠が重なる
(左)モホンはここも0㎞ (中)巡礼者は昔ここで巡礼中の衣類を焼いた。今は禁止されていて、代わりに衣類を捨てるボックスが設置されている。 (右)岬突端への道
(左)岬でスタンプを押してくれるオジサン (中)巡礼者の靴(ブロンズ?です)
ま、疲れてベンチで休むだけ、だけれど…
モホンの上にも石が供えてある |
さて、いよいよ今日の旅も終わり |
ラバコージャ・ホテルハコベア |
何ともオシャレな窓付きの部屋と、その窓からの外の景色
20分ほどの休憩後最後の4.2Kmを1時間半近くで歩いて5時過ぎに幹線道路沿い大きなホテル・ハコベアに到着。ここはバスタブがあったので早速入浴・洗髪、洗濯も。
少しの休憩後7時45分からディナー。今回はフリーのワイン・ビール、前菜は私は野菜サラダ、主菜はパエリア、デザートはクレープ、どれも味はまあまあ、量が多く満腹に。9時半までゆったりの後部屋に戻り就寝。ようやく時差ボケが治ってきたのか夕飯も食べられるようになり、4時前くらいまでは眠れるようになった。
↓これは私は食べなかったのだけれど隣りの方のおいしそうなホタテのソテー
【10月11日】いよいよ巡礼路最終日 行程11Km ラバコージャ~歓喜の丘~サンティアゴ・デ・コンポステーラ
5時半起きだし、支度をし、朝食前に空腹?で日本から持参のコーヒーとキノコスープを飲む。ようやく時差ボケも治ってきたというところか。
本日は出発遅く、9時。すでに大分明るくなっている中、10Kmのモーラを過ぎて歩き始める。左足中指付け根のマメがつぶれてあたるので痛く、カットバンとキネシオテープで手当てするが、イマイチ。ロキソニンを飲んで歩く。
ちょうど10㎞のモホンとセルジオ氏 |
牧場の脇も過ぎ |
売店(バル)と、そこに飾ってあった昔の巡礼衣装
3.4KmのところにTシャツや土産物を売っているマーケット+バルがあった。最後で気が緩んだか?一行わらわらと買い物に…(笑)。私もピンクのTシャツ1枚7€購入。シェルのマークが入っている。同行のHYさん、店番のオバちゃんに難癖つけられちょっとゴチャゴチャしたけれど、すごくかわいいステキなこれもピンクのTシャツをすぐに着て歩き出す。
ここのバルで昼食購入ということで、私はホットサンド・ベジタブル(普通の日本のハム。チーズ。レタス・トマトなどのサンド)3.5€、+ビール1.9€(但しここの支払いは旅行社持ち)その後30分ほど歩き、広々とした歓喜の丘に。ここから巡礼者はサンティアゴの町を見て喜びに震えたとかで、大きな像も立っている。感激の一瞬だ!
「歓喜の丘」に向かって歩く |
↓入り口のお堂でスタンプのあと、着いた!とうとう歓喜の丘に↓
丘の上にはサンディアゴをのぞむ巡礼者の像が |
昼食(とても大きい) |
その近くの石組みのベンチで昼食。ちょっと心配し、KTさんも気にしてくれたビールの王冠は石の角で何なく開いた。
30分後12時ごろにセルジオ氏、最後の?励ましのスピーチがあって町に向かって歩き出し2時間最後の6.9Km。実はこの街中歩きが今までの行程の中でもっともつらかったところかもしれない。それもなんとか頑張り、カンカン照りの大聖堂へ向かう。
最後の演説をするセルジオ氏。ありがとう! |
サンティアゴ・デ・コンポステーラをのぞんで最後の一歩き、と思ったのだが、これが意外に長くて暑くて、舗装道路だしけっこう疲れた! |
花も美しいサンディアゴ・デ・コンポステーラの街に入りました
ここのポストは黄色です |
だんだん街並みが中世らしく?なってきて↓
それらしい雰囲気の建物も現れて…さてそして…ドーンとそびえる大聖堂(13時30分)
聖堂前広場の到着シェル
スタンプを押して歩いた巡礼パスポート(左:表紙、中:内側 10㎝×14㎝)
巡礼証明書もいただきました!ありがとう!
こは結構観光客も多く、みな広場にたむろしている感じ。そこでセルジオ氏に巡礼パスポートを預け最後の押印(および巡礼証明書の手続き)をしてもらう。20分くらいの自由時間があったので日陰で日本に向かってline報告。
そのあといったんホテルに入るということで街を少し歩きながらラックスホテルまで。
【サンディアゴ街歩き1 市場~ホテル~再び大聖堂】
市場の入り口↓
市場を過ぎて街を歩きホテル・ラックスへ↓
2時18分到着(Google・タイムライン)6時まで、シャワー、着替えなどして少し休み、当日までの記録などを書く(元気な人たちは買い物に行ったらしい)。
6時15分ホテルロビー(なぜか2階の1階に。スペインは1階が0階)に集合。大聖堂のミサに行く。
狭い旧市街の路地から塔が見えて…見えて…こんなふうに姿を現す大聖堂
馬の噴水の上には神?の像、その頭と後ろの建物の塔に彫られた王冠が重なる
【サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂】
いよいよ聖堂内に
旅行社は今回寄付をしたそうで、どういう仕組みになっているのかボタフメイロが最も見やすい席を2列確保してくれていて、特等席でのミサ参加・見学になった。ミサ開始の7時半までに内部を見て回り写真を撮ったり、一段地下におりて金色の棺が安置してある聖ヤコブの墓も見学。いつもだと長蛇の列で拝観まで30分並ぶとかもあるそうだが、今回は待ち時間なしで。ただし写真は遠慮とのこと。表示はないので自粛ということだ。
何とも厳かできらびやかでもある回廊・チャペルです
聖ヤコブ像のまつられた祭壇↓
↓主祭壇のパイプオルガン ↓ボタフメイロの香炉…こんなふうに↓
香炉の下がる天井もなかなか ミサ準備をする美声の司祭さん
そして、ミサがはじまりました!
いよいよボタフメイロ(大香炉)開始
昔、長らく旅をしてきた巡礼者の臭いを消すためとも言われ、天井から下げた大香炉を振る。煙もくもく、大遊園地のブランコみたいでなかなか大仰なスポーツみたいに元気な儀式
煙る大香炉(ボタフメイロ) |
ミサは太目の男性のすばらしいバリトンの独唱から始まり赤い衣の6~7人の司祭(アジア人も2人、アフリカ系も。バチカンと同じく教区に世界から修行?に来ている方がいるらしい)主祭が読み上げた中に「西遊トラベル」の名もあったようだ。写真も何枚か撮り、ちょっと動画も撮ったが、司祭が別れて人々に聖餐を与えるシーンは「撮ってはダメ」とのこと。司祭の中には後ろに座り足を組み(タバコも?)しゃべるという態度の人もいたから???
その後のボタフメイロはフラシュをたかなければ撮影自由ということで皆カメラを構える。私も今回は動画で3~4回、静止画も含め、カメラを構えていたのとボタフメイロの煙でイマイチ「見た」という感じがしないのは残念な気もしたが、後で動画を確認すると満足した。
外に出るともうこんな夜…夕食のレストランへ
終わった後、近くのレストランで8時45分からの晩餐ということで行くが、外の席。かなり寒くなっていたのでいったんホテルまで戻りダウンを着てから店に戻るというハプニング。左足裏指の付け根のマメがつぶれて痛くて痛くてこの時はさすがにつらかった。
レストランは夜の外席でさすがに寒い→
夕食はビールフリー1杯つき。厚く大きなスペイン風オムレツから始まり、サラダ、ホタルイカのオリーブオイル炒め?ワイン、選べるデザート(私はアイスケーキ)なかなかリッチな内容で、食欲も大分出てきて満足が行くが、いかんせん時間が遅い!
10時半過ぎホテルに戻り、文字通りバタン・キューでサプリも飲まず、マウスピースも忘れて寝てしまう(サプリ・マウスピース・エレパルス・キネシオテープはもはや私の旅の必需品?ナサケナイけど…)。
【10月12日】地の果て ムシーアとフィステーラ岬へ
バス旅・ムシーア到着 |
8時朝食、9時ホテル出発。女性運転手マリーさんのベンツのバスが来た。西を目指す。
約1時間半サンティアゴから約80kmのムシーアに。着いてまずトイレ休憩。バルに入り、カフェ・コン・ラチェ1.2€ セルジオ氏がまとめて世話をしてくれる。さらに塩味のチュロス(スペイン発祥だそう)もサービスしてくれた。そのあと、いつもは歩くそうだが、バスを乗り入れてもいいとのことでラッキー!
海辺のバル・寒さの中でチュロと旅の友カフェ・コン・ラチェを楽しむ。
教会の間をぬけて海岸へ
ここは映画『星の旅人たち』の最終舞台(主人公が息子の遺灰を海にまく)となった海岸で、北海道の海のような寒々とした岩の海。ぺドラ・ドス・カドリス(ガリシア語で「カドリスの岩」)という岩があって。奇数回くぐると体の悪いところが直るのだとか。私は1回にしておいたが足を痛めて苦しんでいたAさんは3回!
教会の中は外から覗き、海難者の碑(「傷」という名の大きなもの)を見てバスに。このあたり天気は曇りで寒い、ダウンに上着を重ねてきていく。
リアス式海岸で灯台もたくさんあるという海辺には釣り人の姿も・カドリスの岩
岩をくぐって平癒祈願 海側から見たカドリスの岩、後ろに教会も見える
そのあとだんだん晴れてきて、南下して「地の果て」と言われたフィステーラ岬に着く頃はすっかりまぶしい快晴に。足は朝のロキソニンが効いて問題なし。
11時半岬。昔、巡礼者はこの岬で着てきた衣類を焼いたそうだが、今は禁止されていてリサイクルボックスが。岸壁?でスタンプを押してくれるオジサンがいて1€寄進、最後のスタンプを押してもらう。海辺の岩には靴のモチーフとそこに捨ててある靴も。ヤギの糞があって気にしている人もいたが臭いなどはなく、気にはならない。添乗員KTさんあちこち姿勢を変えて海の写真撮り。岸壁を戻って歩いて売店で、Tシャツ(紺)を1枚、12€。
着いた!地の果ての海 |
(左)モホンはここも0㎞ (中)巡礼者は昔ここで巡礼中の衣類を焼いた。今は禁止されていて、代わりに衣類を捨てるボックスが設置されている。 (右)岬突端への道
(左)岬でスタンプを押してくれるオジサン (中)巡礼者の靴(ブロンズ?です)
案内板と、その一部拡大ー今いるあたりの地図↓
こんなきれいなパネルも…Tシャツを買った土産物屋 そして珍しく自撮り1枚
料理はそれぞれ3人前くらいでしょうか…デザートはもちろん1人分。どれもとっても美味しかった。豊かな気持ちになりました!
↓ケーキ・チーズなどを売るお菓子屋さん?(中)チーズの展示?
こんなきれいなパネルも…Tシャツを買った土産物屋 そして珍しく自撮り1枚
さらにバスにのりフィステーラ港(12時半着)予約のレストランまで少し時間があるので港でブラブラ。I氏、U氏とともに。写真を撮ったり。
その後1時間半かけてサンティアゴに戻るが、出る前にトイレに行かなかったのが仇となり、ここが一番つらいバス旅。ようやくサンティアゴ市内に入り、あと6,7分でホテルと聞いてほっとする。部屋に入り、5時再集合ということで約1時間シャワーを浴びる気もせず、ちょうど届いた東京フィルメックスのスケジュールを見ながら手帳に書きこむ。
【サンディアゴ街歩き2 買い物に】
5時ロビーに再集合し、セルジオ氏、KTさんの案内で街歩き(お土産買い)特に何も買う気もなかったのだが、やはり家族や、まあ知り合いに少しはと思い、巡礼模様・ロゴ入りTシャツ、ソックス。名物アーモンドケーキ、帆立型チョコレートなどを買う。
サンティアゴ2度目の街歩きは「お買い物」 |
↑帆立貝やボタフメイロ香炉ンレプリカが飾られた店も
↑これは映画館-後でもう一度行ったら人がいっぱい並んでいた! |
(右)入り口にはガリシア名物「栗」のオブジェも…
6時半ホテルに帰り土産物を含めて荷造り。
夕食は8時15分ロビー集合でレストランに。厚い15センチくらいありそうな木の1枚板のテーブルに。クラッカーに2種の具材、ツナ系ペーストとオリーブを添えたもの、コロッケ2種(クリームとイカ墨)それにイワシのオリーブオイル炒め煮(なんと大きい丸々としたのが3尾。骨もけっこう固くとても食べきれず。
くたびれ果てて10時半ホテル戻り、シャワーを浴びてすぐに寝る。このホテル(LUX)は三ツ星で使い勝手は悪くないが冷蔵庫なし。洗面室に赤い電気がつくのはなぜだろう。
【10月13日】帰途に
目覚めは3時半。4時前起きだして支度をし、PCで記録を書く。5時40分ロビーにおりまだ品のそろわない朝食。6時45分ロビー集合、前の通りに出てセルジオ氏に別れを告げ空港へ。外はまだ真っ暗。ホテル食堂やロビーでHKさん、Aさんらとライン交換。送れる写真だけはHYさんも含め送った。1時間の乗車後サンディアゴ空港(前日泊まったラバコージャにある)→
9時20分イベリア航空に。セキュリティは形式チェックでスムーズ。ただしこちらはすべてを外し3つのトレイに分けて優等生チェックのつもり。
イベリア航空1時間ほどの旅は真ん中席でいささかつらかったが、まあ短時間なのでというところ。今回の旅では長距離の席は通路側だったのがとてもありがたかった。ツアーによっては席を団体であらかじめ指定、しかも運悪く3つ並びの真ん中でヨーロッパへ、なんていうのもありうるので…。
間もなくマドリードへ。国際線に乗り換えるので、シャトルに乗って空港ビルを変え荷物を受けだし、チェックイン。チェックイン、出国のチェックは簡単にできたが、セキュリティチェックが大問題。ここのセキュリティ、とても感じ悪い女性。例によって人工股関節のせいだろう、ゲートで引っかかるのはしょうがないのだが、ドバイのように別室に通すでもなくベルトを見せろあれこれとしつこい、股関節のことを言うとそこにピピと電源を当てたのに素通り、右側のポケットに入っていたスーツケースのカギを見つけ、わざわざそれだけをトレイに入れて再度チェックをくぐらせる。しかもせめて英語で言ってくれと頼んでいるのにすべてスペイン語でまくしたて、こちらがわからないのを鼻先で笑うような横柄さ。これはいったいななんだ。そのあとのドバイでもチェックで呼び止められたのは同じだが、こちらは荷物をまとめた後、カーテンで仕切られた小部屋へ。アラブ系の女性で一通りのチェックはされたが股関節のことを言うとうなずいて通してくれた。来るときは搭乗券をチェックすると、待たされたが、今回はそれもなし。
マドリッドでの昼食はパエリアとビールで12.5€、なかなか高いものにつく。スタバでコービー3.05€を買い、搭乗ゲート近くに。
マドリード空港と最後の食事(パエリア&ビール)
直進マークが下向き矢印なのが面白く、つい1枚 |
いよいよスペインを離れる |
マドリッド発15時20分EK142便→ドバイ着0時すぎ(マドリッドよりは4時間時を進め)
に搭乗。食事も2回だが、日付の変わり目もあって時間はメチャメチャ。それでも最初の食事のビーフのミートボールと白ワインはまあまあ。2回目の朝食軽食はどうもというところ。
ドバイ空港はなんか幻想的な雰囲気も |
【10月14日】旅の終わり
ドバイの深夜・未明0時。トランジット。セキュリティチェックも問題なく済み、搭乗口に別れるところで関空側3人、H夫妻とIさんと別れる。
搭乗口B18確認後、1時間ほどの自由時間に。とはいえドバイはモノが異様に高いので買い物もできず。それでも水は必要と思い探すと500CC1本 18ディルハム(1DHが29.9円とネットで見てわかる。ここはWi-Fiがつながりやすい)。540円の水ということになるが脱水状態も怖いし、話のタネにもと1本、クレジットカードで購入。どんな請求がくるのかなと思ったが、帰国後受け取った請求書は、ななんと 741円(1DH 41.1円)ギャ!だ。
ドバイ発2時40分EK318便→成田着17時35分(9時間余り。到着はドバイ時間からさらに4時間すっ飛んで夕方に)
乗って早々にスリッパに履き替え映画祭のファイルとか様々用意したが、機内はずっと真っ暗闇。手元灯りの位置が変なのか隣の人を照らしてしまう感じなのでつけることもしにくく。隣はアラブ系のご夫婦。妻が立ったり座ったりなかなか落ち着かないと思ったら、男性乗務員が私に英語はできるかと聞いてきた。要は妻が私の靴を脱いだ足が臭いので落ち着かず、配られた新しいソックスを履いてくれ(エミレーツ航空、国際線でソックスをくれるのはこういうわけか…)とのこと。
あらま、確かに足には靴ずれの傷もあり、匂っているとも自分ではわからないが、あまり快感とはいえないし、気になる人には気になるのかもしれない。自分で言わず、乗務員に、乗務員もまずは日本語のできる人でなく英語対応をあえてしたのはいい選択だと感心も(日本語で言われたら多分、カチンときてケンカになる…)。足はつらいが、靴を脱いだらその匂いの方が問題かもしれないしと思い、スリッパから再び靴に履き替える。
このご夫婦、しかし途中から真ん中に座った夫は私のほうにソックスの足をにゅっと突き出し、妻の膝を枕にオヤスミあそばされる。やがて時間が来ると、やおら妻は立ち上がって通路に出ていき(当然この時、私も立ち上がって通してあげなくてはならないが、挨拶はナシ)、夫は二つの座席にまたがるようにひざまずいてお祈り。敬虔なムスリムなんだろうが、なんだかなあ…
さて成田便では、日本時間朝、ドバイ時間明け方、スぺイン時間深夜に「朝食」が出るが、隣の夫婦が寝ていて答えなかったせいか、わたしのみコーヒーだけを配られたあと朝食なしで飛ばされてしまう。やむなく(まずトイレを済ませてから)配膳する乗務員に朝食をくれと頼みに行きようやく手に入れた。どうぞごゆっくりと言われたのにも関わらず。食べているうちに先に配られた他の客の食器回収に来た乗務員、「もういいか」と下げようとするのに驚き「NO!」。まだフォークを持っている客にあんまりじゃない?
今回の焼きそばはまあまあ(日本仕様だ)。クロワッサンも怒りに任せ食べてしまった。するとまたすぐに来て下げていいか、つまりサービスの時間にしばられているということか。そのくせ飲み終わったコーヒーカップはなかなか持っていってくれないし。エミレーツ航空相変わらずのアバウトサービスだ。
17時15分成田(機内映像) |
やれやれの帰国便だったが、定刻に成田到着。
滞りなくSOSも使い入国手続き、荷物受け取り。この場で皆さんとは解散ということで、帰宅の途に就く(実は京成乗り場でHYさんに会う。西武線に帰る彼女と一緒に、池袋まで行くことになった。彼女は翌日から高尾山に植林活動に行くとのことで、その元気に驚いた次第)。
同行してくださった皆さん、本当にお世話になりました。
留守宅で、糸の切れたような?私を案じつつ理解してくださっ家族にも感謝!
コロナもまだ収束しないのに、キリスト教徒でもないくせに、無駄な浪費だ(とは直接にはいわないけれど、よくやるね~と驚かれたり)とかいろいろご批判もいただいたのですが、こういう体を使う旅は今でないとできない、と追われるような思いがあります。でも世界にはまだまだ見たことないもの経験したことのないものがあふれていて、やっぱり、見たい体験したいというのが、私の生きている原動力。そしてツアー旅行に行ったことで、同じようなことを思っている人はいっぱいいるのだなとも思いちょっと安心した…かな?
次はどこに行こうかな、と(来年はもう歩けないかもしれない)私は急ぎ、焦り地図を見ながら考えているところです。
この記録は旅の途上に書いていた日記と1000枚近く撮ったスマホの写真をもとに書きました。カンチガイも思い込みもあるかもしれませんが、ま、一つの経験として…、長々とお付き合いいただきありがとうございました。 2022・11 小林美恵子
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