【勝手気ままに映画日記】2022年6月

 
6/19甲武信ヶ岳からの富士山ー天気は良かったけれど霞んでいた…わかりますか?


こちらは甲武信から国師が岳への縦走路からパノラマ撮影。富士山は左端のはず。右にこんもり見えるのがこれから尾根伝いに登っていく国師が岳です。

6月の山歩き

7〜8日  那須三山(茶臼岳(1915m)・朝日岳(1896m)・三本槍岳(1917m))
     縦走 14.2K (三斗小屋温泉泊)…天候:雨模様⤵😞温泉最高!
18~19日 甲武信ヶ岳(2475m)・国師が岳(2592m)・北奥千丈が岳(2601m)
     縦走 17.3K (甲武信小屋泊)…天気予報がはずれて好天、ありがとう!

後半は研究会の発表準備などで忙しく、山は(映画も)小休止。ですが、しっかり小屋泊り縦走を楽しんだ2回に満足しています。さ、いよいよ夏山シーズンだ!

①少年たちの時代革命(少年)②ゴースト・フリート 知られざるシーフード産業の闇③息子の面影④猟人日記“狼”⑤誓いの休暇➅女狙撃手マリュートカ⑦君たちのことは忘れない➇処刑の丘⑨死者からの手紙⑩ベイビー・ブローカー⑪フェルナンド・ボテロ 豊満な人生⑫スープとイデオロギー⑬さらばわが愛覇王別姫⑭彼女たちの革命前夜⑮三姉妹⑯あなたの顔の前で⑰帰らない日曜日(Mothering Sunday)⑱PLAN75

そんなわけで6月はちょっと映画鑑賞は少なめでした。④⑤⑥⑦⑧⑨は『ウクライナの大地から』という旧作映画特集。見たのはソ連時代の映画が多かったですが、力作ぞろい。今のウクライナ情勢を(というか兵士を送り出す庶民サイドでのロシア側も)思わせる時宜を得た特集でした。中国語圏映画は①⑬、韓国映画⑮⑯(⑫も韓国関連かな)、日本映画は⑩⑱のいずれもチョウ話題作でした。★は「なるほど!」★★は「うんうん」★★★は「さすが!おススメ」というところ(あくまで個人的趣味ということで)…。


①少年たちの時代革命(少年)

監督:任侠・林森 出演:マヤ・ツァン 余子穎 孫君陶 2021香港 86分 ★

2019年6月国家保安条例反対デモのさなか、民主化デモに参加して苦悩し傷つきそれでも行動をしようとする10代後半から20歳あたりの青年たちを描く。『時代革命』や『理大囲城』と同じ事件を背景とするこれはドラマ。
いかにも低予算で撮ったと思われる香港の街中や身近な建物周辺を彼らが走り回るという、言ってみれば単調?とも言える流れの映画で、スター役者も出ていないのだが、多分当時撮影されていたのだろうデモの実際の映像を加えて、さらに心理描写的な部分には抽象的な群舞のような青年たちの影像で処理したり、出だしはスマホ画面ではしゃぐ二人の若い女性など変化をつけ、なかなかの吸引力がある、意欲を感じさせる作品になっている。
6月のデモのさなか主人公格の青年阿南は逮捕されそうになり、ともに行動した見知らぬ女性YY(家欣)に助けられるが、そのために二人はともに逮捕され拘留されてしまった。7月釈放された阿南は、SNSで社会状況に絶望し抗議の意思をも表そうとするYYが自殺しようとしているのを知り、何とか助けようと動き出す。彼のガールフレンドで間もなくイギリスに留学売ることが決まっているゾーイ(?)、デモ仲間の若者たちや、ドライバーの兄妹(かつて母を自殺で亡くして後悔の念をもっている)や、ケースワーカーの女性(38歳、父を介護中?)も加わり、街中をスマホのYYの映像をもって走り回る彼らの姿。
その合間に断片的に彼らのおかれた生活情況や、香港の先行きの中での自身の行く末の予感などが映像で示される。それらは深くは描かれないのだが案外リアルで映画に厚みを与えている。たとえば阿南自身は大学受験に失敗し、ガールフレンドには英国に行くように、自分は香港に残って(負けても)闘い続けるしかないというような言い方をする。またYYが初めのスマホ画面で仲良くYFOキャッチャーで遊ぶ子悦(ジーユー)も海外に出ることになっており、香港に残って苦しむ必要はないという言い方でYYを傷つけ、それが自殺に導く一因にもなっているようだ。
最終的にYYを見つけた彼ら(国外に出る予定の二人)が、二人とも自分は香港に残ると言い切ることでYYを説得しようとするという流れ。これってウーン、どうなのかなという思いもありつつ、今香港から外に出て行こうとする人も多く、そして実際にいわばそんな香港に絶望して捨てるがごとく若い自殺者が多発したという状況に対して、この地に残って映画を作り続けると決意している作者たちの祈りでもあるのかなとも思えた。
監督たちは香港に残って映画を作り続けるが、その映画は中国本土はもちろんだと毛が香港では上映禁止(マレーシアでもだそうだ)。台湾金馬奨で評価され、台湾では一般公開、日本では天安門(今年は香港では追悼行事できず、香港大学にあった記念像も撤去され台湾で復元されたとか)記念日ともいうべき6月4日・5日の特別上映会(リムカーワイ氏らが主催)で見に行ったが、会場は満席であるものの広東語話者(香港人?)が極めて多いようであったのは、当然とは思いつつ、日本人は何で??と、前宣伝をしたあの顔この顔を会場探した…。ま、何人かの顔は見ることができたのだが。(6月4日 緊急特別上映会 渋谷ユーロライフ139) ↓会場でリム・カーワイ氏と監督たちのオンライントーク

       




②ゴースト・フリート 知られざるシーフード産業の闇                監督:シャノン・サービス ジェフリー・ウォルドン 出演:パティ・タンブチャヤクル トゥン・リン チュティマ・シダサシアン 2018米90分

間違いというより私の早とちりだろうが「シーフード産業の闇」という邦題副題に期待?して見に入ったら予想とは大分違い、まあちょっとはシーフードの並ぶスーパーのシーンなどもあるのだが、多くはこの映画の主人公というかNPOを運営して漁業奴隷の救出にあたりノーベル賞候補にもなったパティ・タンブチャヤクルの活動と人となりを描き、11年の奴隷労働の末彼女に救出され、その活動にともに当たっているトゥン・リンら、経験者の語りと、あとはまあイメージ映像という感じの海の労働シーンや虐待シーンを含む、船上光景というわけだ。
彼女が1週間の予定でタイから、逃亡した奴隷労働者が逃げ込んで住むというインドネシアの海岸の森に捜索に行くという旅の前半はそんなわけで時に生あくび…チラシには生きたまま箱に入れらえて流された友人とか、ロープが絡まって首がちぎれて海に飛んだとか、コワい話が並ぶが、これはほぼ元奴隷の語り通り、後半になって森で見つけた二人が救出されるが、一人は森にすでに家庭を持っていてタイに帰ることになると新しい家族の愁嘆場になるが、この人の帰国後は描かれず、もう一人は意気揚々と帰国を果たし父親と再会を果たすという話。ちょっと都合のいいところをピックアップしてる?と思えないこともなく、しかしそれが映画と考えればこちらの不満が的外れなのかもとは思うが…。
イメージフォーラム・シアター①のF1というのが私のお気に入りで、空いていればそこを買うのだが、今回は前に超・長身(特に女性は後で出てくると165センチの私が見上げるような)男女に座られてしまって、首をのばし背を伸ばしながらでないと画面全体が見えないので疲れたということもあるのだろうな…。(6月4日 渋谷イメージ・フォーラム 140)

③息子の面影
監督:フェルナンダ・バラデス 出演:メルセデス・エルナンデス ダヴィッド・イジェスカス ファン・ヘスス・パレラ 2020メキシコ・スペイン(スペイン語)99分 ★

アリゾナに稼ぎに行くと言い家をでたまま2か月たっても消息不明の息子を探す母。警察に問い合わせると、一緒に出かけた友人の死が確認される。また眼科医(ここで目の治療?手術のクローズアップ。こういうのがなんか、この映画の特徴的な映像だ)の母が電話を受け同じく息子の遺体確認に出向くシーン。5年前に行方不明になり2週間前に亡くなったという遺体を確認できなかったもののDNA鑑定でまちがいなく息子であるとされた母が、息子が行方不明の母をあきらめるなと励まし?彼女は息子探しにでかける。
一方アメリカを強制退去になった青年が故郷の村の母のもとに戻ろうとする姿が描かれる。息子を探す母は息子が乗ったバスが襲撃されたが、生き残った人がいるという情報を得て、その人をたずねて青年の故郷近くの村へ。そこで二人は遭遇。泊まるところのない母は青年に誘われ彼の家に行くが家は無人で荒らされ、家畜は小屋で死んでいる。青年は息子を探す母を名付け親のもとに連れて行き、彼女が尋ようとする村へに案内を乞うが、名付け親は顔も見せず、ここは危険だからさっさと帰れという。
息子を探す母はその言葉をものともせず一人、村を訪ねるが、そこで(スペイン語ではなく方言?ここだけ字幕がないが映像でまあわかるようになっている)悪魔に襲われたバスが乗客を皆殺しにしたこと、息子の友人(顔に白いシミがある)は確かに殺されていたという情報を得る。息子の遺品?はカバンしか見つかっていないのだが、ほぼあきらめた母は青年の家に戻り、一緒に自分の故郷に行こうと誘う。
その夜灯りを見つけて「悪魔」が再び襲撃してきて青年はあっけなく殺されてしまう。悪魔一味の一人に銃を向けられた母はとんでもない事実に遭遇することになる…ということで最後はその母が殺された青年を息子として引き取り、悪魔が火の前にたたずむというわけだが…。生きた息子にたどり着きながら、息子が生きているゆえにかえって訣別をせざるを得ない母が悲しい。景色や風物、車の窓の外のにじむ光や街を走る車のテープランプなどが不思議な目を見張るような美しさの一方、スター役者などの出ていない(というか私が知らないだけ?)人物群はリアル感があり引き込まれる。
しかし「悪魔」の跋扈する国境付近というのはまさにメキシコの現実?・・・麻薬組織やその配下の強盗団みたいなのがいて、警察も手を出せない?とか。確かにこの映画でも警察は死んだ人々を数え、行方不明の届がある人に紹介したりはするが、それ以上はできないし、何より強盗団が襲い殺すのが貧しい移民希望や出稼ぎの人々であるというのが今一つわからない。映画の中で悪魔は焚火の火を背負い尻尾をぶらぶらさせるシルエットとして描かれるが、ウーンこういう描き方もなんか物語を現実と非現実の間のものとして見せてしまっているような感じもした。一昨年33回の東京国際映画祭の上映作品。(6月10日 新宿武蔵野館 141)

ここからウクライナ映画特集(@シネマ・ヴェーラ)


④猟人日記“狼”
監督・脚本:ロマン・バラヤン 出演:ミハイル・ゴルボヴィッチ オレ―グ・タバコフ 1977ウクライナ(ソ連)75分 ★★

10歳ぐらいの娘と1歳?前後の乳児を残して妻が行商人と駆け落ちしたという森番の男ーこれが襤褸を着て汚らしいのだが顔立ちは超イケメン、その生活を淡々と―事件は森で獣を撃って雨にあった地主?を雨宿りさせる、薪を取りに入った男を捕まえて監禁するが、最後は見逃して逃がす、娘と一緒の食料調達の魚取り、娘が赤ん坊に穀物をすりつぶした汁を与え、森番は娘に食事を作り一緒に食べ、森番が娘の髪を編み、など―を描く。
娘が雨の森で倒れ、探して連れ帰った男は赤ん坊をあやしつつ、自ら裸になって娘の体を温めるとか…無口で一見乱暴者というかがさつにも見えるのだが、その奥に潜むその人間性ゆえの優しさと哀しさが透けて見える。緑の森のカラー映像も美しく、父の行為をじっと見つめる娘のまなざしが印象的。
この森は持ち主によって売られること決まり、貴族の男女(フランス語で話していて、森番にはその言葉は伝わらない)が猟にやってくる。そして、彼らを案内して、一人一休みしている森番の背中。男女ではしゃぎ、森の獣に向かって気楽に銃を撃つ客、そして…。
ここに見られるのは自らを森と一体化するかのように馴染み、愛する森番一家が、実は森に何の権限もなく、生活基盤の保障さえなく「上流」階層の意のままというか、いとも無関係に蹂躙されていくという事実への抵抗意識でもある、が、決してプロバカンダ映画ではない詩情にも満ちている。ツルゲーネフの原作。(6月13日 渋谷シネマ・ヴェーラ 特集『ウクライナの大地から』142)


⑤誓いの休暇
監督・脚本:グリゴーリ・チュフライ 出演:ウラジミール・イワショフ ジャンナ・プロフレンコ アントニーナ・マクシモーナ 1959ソ連 87分 ★★ 

名前だけは知っていたソ連時代の名作映画。出だしは兵隊に行った息子を亡くした母が、息子の去った道を眺めながら嘆く場面で、これは現在のロシアの兵士の母たちの心情とも重なるのだろうと思われる。
次は戦場で通信兵・19歳のその息子が成り行きから2台の敵の戦車を爆破し手柄をたてる…そして彼は願い出て6日間(往復2昼夜ずつ、実家の屋根直しに2日)の休暇を得て故郷に戻れることになる。映画のほとんどはいわば、その道中記。前線に赴く見知らぬ兵士から、故郷への途上にある街にいる妻への伝言と土産の石鹸を託されたり、自身も母への土産のスカーフを買い、中継ぎに潜り込もうとした軍用貨車の担当兵士とのやりとり、そしてメインはこの列車のなぜか紛れ込んできた若い女性との出会い。最初は互いに警戒していた二人だが成り行きでともに旅をするようになり…。
若くてまっすぐで、自分も大変なのだが他人のために動かざるを得ずそのために時間を費やしてしまう兵士アリョーシャ。周りの上官や、関わる軍隊関係者たちも彼に温情をかけ親しみを見せ、援助もしてくれる「いい人々」として描かれているのが特徴的だが、それでも過酷なのが戦争…という描き方。同乗の若い女性とのあれこれで二人の間には恋情も生まれるが、再会を約す間もなく別れてアリョーシャが最後に乗った列車にはウクライナからの避難民が乗っている。そしてこの列車そのものが爆撃を受け、故郷まで10キロのところで止まってしまう。というわけでウクライナとの関係がちょっとだけ描かれるが、ここではもちろん「良好」である。
この戦争は対ドイツ戦だろう。ソ連にとっても勝利したとはいえ、悲惨な戦争だったはずだが、モノクロ画面で母の悲しみや青年の死の暗示、つかの間の帰郷と別れなど暗い辛い要素が盛り込まれているわりには戦場場面も含め、明るい、牧歌的なイメージが漂うのは青年の明るいまっすぐな感じと、登場人物たちの多くの良い人ぶり、それにロマンチックな感じの漂う音楽(緊張場面でパタッと止まったり)にもよるのだろう。チラシによれば宮崎駿氏のお気に入りだというが、なるほど、むべなるかなとも思える。             (6月13日 渋谷シネマ・ヴェーラ 特集『ウクライナの大地から』143)


➅女狙撃手マリュートカ
監督:グリゴーリ・チュフライ 出演:イゾルダ・イズヴィスウ ニコライ・クリューチトフ 1956ソ連 93分 ★

1920年頃革命後の内戦の時期、水も食料もなく砂漠をさまよう23人の赤軍部隊が、カザフ人の隊商を見つけ強引にラクダ半分を接収、同時に、重要な連絡を持ち隊商に同行していた白軍の将校を捕虜にする。彼の監視役を命じられたのは、部隊随一の女性狙撃手(殺すたびに人数を呼びあげ40人!)マリュートカ。あとは砂漠の中で部隊のメンバーが次々倒れていく過酷な状況をロープでつながって歩く二人は無事に切り抜け、カスピ海沿岸の少数民族の村にたどり着く。
そこからマリュートカは部隊長に命ぜられ船で先行して将校を護送することになるのだが、その船が嵐で難破、他の乗組員は皆行方不明になって、二人は無人島?(小屋があるから無人島ではないかもしれないが、まあ絶海の孤島)に漂着。熱に倒れた将校を看病したり、ロビンソン・クルーソを思い浮かべた将校から金曜日(フライデー)と呼ばれたり、そのロビンソン・クルーソの話を将校にせがんで聞いたり何やかやとふたりだけの日々を過ごして互いに愛し合うように。
しかし貴族の彼はこの自然の中の愛の生活を楽しむのに対し、赤軍狙撃兵の彼女は自分は闘い続けたいというわけで「思想」的に食い違ったり―このあたりはとっても面白い。恋愛映画でありながら、らしからぬ議論映画にもなっていて…そしてある日待ちに待った船が現れる。それは白軍の船で、男は狂喜して船に向かって海に駆けだすのだが…。
この後に続く衝撃の結末は二人の暮らしぶりからも、船影をみつけて合図に銃を持ち出すことからも、また映画の題名からも、予想はつくのだが、やはり衝撃的・悲劇的。そして映画は一貫して怖いけれど美しい砂漠、海の映像、そこに流れる音楽-昔のロシア歌曲の世界を聞いているみたいーものすごく煽情的な雰囲気に満ち満ちた、なんというか一昔前の映画の常道みたいな。金髪碧眼の貴族出身の男と身をやつした男装の女ももちろんきれいな白人で、カザフ人とかがちょっと未開の民族みたいな描き方をされているあたりはなんかなあ…。『誓いの休暇』と同じ監督の作品で、どちらもバリバリのソ連映画だが監督は1921年ウクライナ生まれ、とのこと。(6月15日渋谷シネマ・ヴェーラ 特集『ウクライナの大地から』144)

⑦君たちのことは忘れない
監督:グリゴーリ・チュフライ 出演:ノンナ・モルジュコーワ ワジーム・スプリドノフ アンドレイ・ニコラエフ ワレンティナ・テリーテキナ 1977ソ連 128分 ★★

128分の映画だがなぜか二部仕立て。公開時にはインターミッションもあったのだろうか???(今回はなし。一部終わりと出るとすぐに二部が始まる。字幕も古いので、日本公開時のフィルムをそのまま使っての上映なのだろうか。画面はしたがって決してクリアではないが、それなりににじんだ美しさで、特に冒頭の麦畑などは郷愁を誘われる画像。そこで戦地からの手紙や知らせを届ける郵便配達にわらわらと集まる兵士の留守家族から。その中には父戦死・兄ステバンも行方不明という報が届いた母と次男坊ミーチャ(最初の場面はさわやかな美少年)の姿もある。
この次男に召集令状が届き雪の中馬橇で母は集合場所の駅まで送って行く。その帰りもう一度息子の顔を見たいと橇を戻した母は駅間近で空襲に遭い、応召した息子が瀕死の重傷を負って倒れているのを発見、家に連れ帰ってしまい、屋根裏部屋に隠して匿うというのが発端。息子は自首して隊に戻ると言い、母はひそかにバス乗り場に連れていくがバスに乗り遅れてしまい、やむなく戻った家に間もなく息子・ミーチャが空襲で死んだという報せが届いてしまう。行き場も身分も失って母の屋根裏部屋でひそかに暮らすことになるミーチャ。隠す母との言ってみれば神経戦の様相。
ミーチャの恋人は新たな相手を見つけ、兄ステバンの彼女にも思いを寄せる傷痍軍人の男が現れ、彼女は息子の死を信じないステバンの母に家を出て一緒に暮らしたいと迫るのだが受け容れようもなく母は、彼女を追い出す。というあたりまでが一部で、二部では帰ってきた長男・ステヴァンとの確執ー弟は名誉の死を遂げたと思い、逃げた兵士は卑怯だと罵るステヴァンを母は許せず兄息子を家から追い出してしまう。しかしまさに引きこもり状態の弟息子は母に苛立ちつつ頼るしかなく、自ら命を断とうとするまでに追いつめられる。ここで母が牧師のところに懺悔に行って、本当のことは言えず牧師と論争になるというのはやはりキリスト教圏の物語なのだがーそして…と結末の悲惨がなんか予想がつくような展開なのだが、終わりは案外あっけなくフーンであった。
普通の人が普通に生きようとするのが卑怯になってしまうという母子の苦しみは戦争の悲劇ではあろうし、いわばこれも一種の反戦劇なのだろうが、ウーン、ソビエト共産主義は決して否定されないし、戦争の「意義」も声高に語られ、しかし誰にも言えない母の悲しみは深くて、現代のロシア情勢もそのままこの時代を引き継いでいる??と思わされるような映画。画面も音楽も煽情的なのはソ連映画の特徴?かもしれないが、⑤⑥の端正さに比べると、かなり複雑化して現代化している感じもする。(6月16日渋谷シネマヴェーラ 特集『ウクライナの大地から』145)


➇処刑の丘
監督:ラリーサ・エフィモヴナ・シェビテコ 出演:ボリス・ブロート二コフ ウラジミール・ゴステュ―ゼン アナトリー・ソロニーツィン 1976ソ連モノクロ110分

一面の雪原を、食料もなく、ナチス・ドイツ軍に追われて撃たれて疲れ切って進む女性・子供も含んだパルチザンの一行。隊長は二人の男を指名して、ある村を目指して食料調達をするように命ずる。出かけた二人(もともと親しいわけではない。互いの名も知らない?)は途上またまた撃ち合い、一人は負傷してしまう。もう一人が助けて二人は雪原にあった一軒家に転がり込む。そこには3人の子どもだけが留守番。やがて帰ってきた母は二人を追い出そうとするが、そこにまたもドイツ軍の兵隊が現れ、母はとっさに二人を屋根裏に匿うが、結局見つけられ子どもたちのみを残し、母と二人のパルチザンはドイツ軍の基地に連行される。そこにはナチスの協力者になったロシア人の審問官がいて、男たちを審問。怪我をした方の元教師の男は断固主義を曲げず拷問される。もう一人はナチスの協力者になるようにと説得を受ける。
子どもたちの母と、また隠れていて捕まった少女も一緒に一夜同じ地下室に拘置され、翌朝は処刑ということに。この場での母の嘆き、落ち着いたあきらめの表情を見せる少女、そして自身の意志を貫いて死に赴く男の姿と対比的に、命乞いをし協力者になることを誓って許されるもう一人…この対比と処刑後のこの男の結末まで…直接的な拷問やハンギングの描写は避け、それを受ける人間の表情のクローズアップを多用して、後半は特に迫力のある映像で迫るが、とにかく娯楽的な要素は全くなくて、見ているのが苦しくなる。
クローズアップで内面に迫る映像化をしていて、これは同時代においては自らの選択を振り返らされるような効果もあったのかもしれないが、モノクロ場面であることも含め、現代人の想像力を阻むというか、反戦よりも、特異な環境に置かれた人間のサバイバル映画のようにも見えてしまうというのは―ウーン。感受性の鈍った私自身の問題かも…。30代でこの映画を作りベルリン金熊賞を受賞したこの女性監督は次作のロケハン中に41歳で交通事故死したとのこと。これも含めてショッキング。(6月16日渋谷シネマヴェーラ 特集『ウクライナの大地から』146)


⑨死者からの手紙
監督:コンスタンチン・ロブシャンスキー 出演:ロラン・ブイコフ イオシフ・ルィクリン ヴィクトル・ミハイロフ 1986ソ連88分

引き続き楽しめる要素皆無の重い映像に打ちのめされる近未来SF映画。核戦争後というより、人為ミスにより核爆発が起きて破壊されてしまった社会が舞台。博物館の地下シェルターに住む数名の元博物館職員とその家族。その中の一人、ノーベル賞も受賞したらしい老科学者が主人公で、彼が防毒マスクをつけて地上に出たり、別のシェルターをたずねたりする様子や、住居としているシェルターで弱っていく妻の死を看取り、住居者が交互にペダルを踏んで自家発電したり、ともに食事をしながら語り合ったり、死者が出るとシェルター内に穴を掘って埋葬し、あるいは自ら穴を掘ってその中に入り自殺するものもいたりと、延々と救いのない陰惨な描写が続く。
地上も同じで文字通りSF的な廃墟になった町には死体が転がり、マスクなしでは歩くこともできず、また警備に当たる特殊部隊?の人々が高圧的・暴力的に支配して外出禁止時間に出歩く人を排除する。シェルター内の諸手続きも非常に官僚的・支配的に行われていて、避難民の要求などは聞かれるべくもない。その中で老科学者は行方不明の息子を絶望的に探し続けている。こんな状態がずっと続いて救いなどは全くないわけで、くたびれながら、この映画どう収束していくのかと思ってみていると…。
何人かが死んだり、中央シェルターなどに移転していく人もいて、一人になった老科学者のもとに、満杯になった中央シェルターを追い出されるように6人ほどの子どもたち(傷つきものを言わなくなっている)が託される。最後はこの老人と子どもたちの共同生活で、一緒にクリスマスツリー(といっても金属の心棒に金物の飾りをつえけたもの)を作ったりという詩情もある場面があり、しかし老人は死ぬ。そして最後はシェルターを出て外の世界に歩き出す子どもたちというわけで、子どもに希望を託す子の展開は、まあ、こういうタイプの映画の王道ではあろうが、その子どもたちの姿も砂嵐?というか核嵐?に吹き消されそうになりつつだが、しかし一所懸命歩いていく姿は胸を打つのである。
ウーン。発想そのものはSF映画的に見るとまあ、陳腐と言ったら言い過ぎかなという感じではあるが、ずっとずっと変化なく同じ場所で描かれるのだが、終わるまで足の裏がむずむずするような不快感というか違和感、そして終わると椅子に縛り付けられているような生理的な感覚はすごいものだ。老科学者が映画の最初から死まで行方不明の息子エリークに語り続ける手紙のことばが出てくるが、実は彼自身が「死者」になることによりこの題名が作られているようだ。(6月16日渋谷シネマヴェーラ 特集『ウクライナの大地から』147)


⑩ベイビー・ブローカー
監督:是枝裕和 出演:ソン・ガンホ カン・ドンウォン ぺ・ドゥナ イ・ジウン イ・ジュヨン 2022韓国 130分

出だし大雨の夜乳児を抱えてソヨンが歩く韓国の町は『万引き家族』より『パラサイト半地下の家族』を思わせる雰囲気―韓国で撮っているから当然だが今までの是枝映画が結構日本の風景の中で生きる人々を描いていたのだなと思わせる雰囲気の変容、ソン・ガンホのクリーニング屋はまあ、としてカン・ドンウォンの孤児施設職員(みずからも孤児院出身)というのも、ちょっと私がかつて知っていたカン・ドンウォンの役者イメージとマッチしない感じで、世界に入っていくまでに少し時間がかかる。
物語も赤ちゃんの買い手を探しておんぼろのクリーニング業のバンで韓国内を走るロードムービー?だが、その中で孤児院を出奔してきた少年も含め、主犯でありつつ人の好い感じのサンヒョン、相棒のドヨン、それに赤ん坊と、いわば一種の疑似家族として赤ん坊の面倒を見ながら家族のような、あるいは家族以上のつながりを持って行くという点では、もう一つの万引き家族という感じもある。
こちらがちょっとドラマチックなのははっきり事細かに描かれないのだが母親ソヨンが実は赤ん坊の父親を殺しており、その妻が赤ん坊を引き取りたい(死んだ夫の子どもだからということみたいで、韓国社会の血縁重視がちょっと表れたところ?)とヤクザっぽい男をよこすとか、子どもの売買に関しても、彼らが売るのを待って現行犯として捕まえようとする女性の刑事二人がこの旅の裏画面?にずっと張り付く。そして彼女たちは赤ん坊の母親を取り込み、いわばスパイとして情報を売らせサンヒョンの車にGPSをしかけたりする。—というあたりは日本社会ではちょっと非現実だし韓国社会でもそうなの?とも思わないでもない。わりと現実社会との距離を感じさせないリアル感が是枝映画のらしさのように思ってきたが、その意味でもやっぱりこれは韓国映画?最後はちょっと幸せな?万引き家族のその後みたいな感じでこれもね…。ドラマや秘密があってテンポが緩いとくたびれるというのも新発見だった。ぺ・ドゥナは不機嫌な刑事で、車の中で張り込みながら食べてばかり、その自堕落さも映画の雰囲気を作っている感じ―で終わりで豹変だけれど。是枝映画としても韓国映画としてもちょっと亜流感がある。        (6月24日府中TOHOシネマズ148)

⑪フェルナンド・ボテロ 豊満な人生
監督:ドン・ミラー 出演:フェルナンド・ボテロ 2019カナダ(英語・スペイン語)82分

映画の前にまず、ボテロ展を見る。ところが…どうもこれがイマイチでふっくらとした豊満な人物像(ほかもだけれど)がなんか、肥満の人を皮肉っているようなあざけっているような感じがして(私の中にそういう感覚があるのかな??でも、実際に太った人はこの絵を見て楽しめるのだろうか?―まあ、楽しむ必要もないのかもしれないが)入っていけない。ただ気に入ったのは静物画で丸々とした梨を画面いっぱいに描いた絵とか、明るい暖かい色調のふっくらした果物や楽器などを描いた静物画はよかったというわけで、映画もその延長線でみることに。
コロンビア生まれ、幼い時に父を失った―このことが豊満な作風を作ったと本人が言っている。欠如に対する補い??でも本人の人生は3度の結婚で、幼いうちに息子を一人交通事故で亡くしてはいるものの、そして画風に対してはなかなかに受け入れられない時代もあったとはいえ、父に心酔しているような子どもたち、そして祖父を愛する孫も含めて大きな一族の家長的立場として満ち足りた様子の90歳のエネルギーが感じられるばかりで、感嘆はするし、幸せな人生なんだなと思いつつも、まあ共感とか尊敬とかいうよりただ驚くという感じか。映画の中で彼の絵について語るキュレーターたちはもちろん、概ね賞賛、敬愛の弁なのだが、中にはアニメキャラクターに感じるようなものしか感じないとか、共感できないという言い方をしてる人もいて、そういう批評を許すのも大家の余裕という気もするが、まあそうだよねと、そこは面白く見た。  (6月27日渋谷文化村ル・シネマ149)

ボテロ展みました


文化村中庭のボテロ作品

⑫スープとイデオロギー
監督・脚本:ヤン・ヨンヒ 出演:ヤン・ヨンヒ 康静姫 荒井カオル 2021日本・韓国 118分 ★★★

ずっと気になりつつ、ようやく仕事一段落の映画デイ、2本目。
今までの作品の流れを汲みつつ、ここでは老いてアルツハイマーを患う母の、北朝鮮に送った息子たちに何十年にもわたって仕送りを続け、老後、借金もある年金生活の中でのそういう母の行動を理解できない娘と、済州島の48年。4・3事件について語り始める母の姿から。
韓国側出身でありながら北朝鮮籍をとり北のイデオロギーを奉じてきた父母(今回は母。父はすでに他界)の認識のズレが、ムン・ジェウン大統領の政策により北朝鮮籍の在日韓国人の渡航が可能になって18年の4・3事件追悼集会に参加することになる母娘と娘の夫の済州島を歩く姿―実際に行くことによってわかることがあるのだなと感じさせられる)を通して、監督である娘自身にも、見ている私たちにも見えてくる…。
今までの在日朝鮮人としての立場からの視点に加えて、今回は母の老いと認知症の姿(その中で4・3事件の記憶もなくなっていき、不在の家族ばかりが母の求めるものになっていく)をカメラはしっかりととらえ、そのあたり『ボケますからよろしくお願いします』にも感じたような親の老いを追うセルフドキュメンタリー要素も強くて興味深い。(6月27日渋谷ユーロスペース150)

⑬さらばわが愛覇王別姫                              監督:陳凱歌 出演:張國榮 張豊毅 鞏莉 1993中国・香港・台湾 172分



日本最終の特別上映ということで、しかもフィルム上映もあるらしくということで見ておこうかという気になり検索したら、夕方7時近くから1回のフィルム上映は最終日まですでに完売?みたい。それより20分前開始のデジタル上映の方を見てみると今日の分が前3列分くらいを残しあとはポツ、ポツと5~6席開いているような感じ。へー、このすごい根強い人気に驚く。で、じゃ、デジタル版でも見ておこうかと、結局参加することに。
満員の映画館はみんなで見ているという共感もあるが、多分初めてという人は少ないのだろう、遅れて真ん中の席に入って来たり、レスリーの場面でないところで立ち上がりトイレ?中座をする人とか、いささか行儀の悪い人が多く閉口。映画は、ウーン、思いのほかテンポが速いーまあ3時間で民国末期から文革終結12年目の中国現代までをやるわけだからそうでなければ入りきらない?ーのとやはり、歴史の中で物語が進んでいくので、もしかして初めて見たら(老いた今の私の能力で(笑))展開についていけないかもと思ったり。ま、いろいろ考えつつも映画見物至福の時ではありました! 何回目かはわからないけれど(人生で一番数多く見た映画の1本かもしれない)。 (6月27日渋谷文化村ル・シネマ151)


⑭彼女たちの革命前夜
監督:フィリッパ・ロウソープ 出演:キーラ・ナイトレー ググ・バサ=ロウ ジェシー・バックリー リス・エバンズ グレッグ・キニア 2019英 108分

1970年ミス・ワールド大会で実際に起こった阻止活動の顛末(というかその日まで)を阻止した女性活動家側の視点と、大会に出場しミスワールドに選ばれることにより未来を切り開こうとする女性たち―特にそれまで出場することも選ばれることもなかったカラードの視点から描いている。
間に立つのが主催者としてあるいは司会者として大会を仕切る男性、また活動家の一人として大学で歴史を研究するシングルマザー(理解ある同居のパートナーはいる)サリーに対する入学面接とか、また授業時に研究方向を「女性労働者の視点から」とする彼女に対して、それは「狭い、考え直せ」という教授とか、さらにサリーの娘に「女の子らしさ」のしつけをしつつ娘の生き方に批判的な母との論争うなど、もう、すごく真面目で、自分としても身につまされる覚えのある時代のことばかりという感じで疲れながら親近感を持ってみることができた。
で、実際の事件なので最後に登場人物たちのモデルが歴史学の教授になったり、助産師になったり、あるいは優勝したグレナダ代表は、テレビ界に進出するという夢はかなわなかったもののグレナダの著名な政治家?になっていたり、別の南アだ表は58歳で歌手になったとか、という映像が出てきてそこがとっても魅力的ではある(今どきの実録的映画の流行りだが)。同時に損な役回りとは思うが男どもの今から言えばセクシャル・ハラスメントまがいの「かわいいもの」としてしか女性を評価していないかのような言動のひどさが目立つような仕組みになっている70年代であった…(6月28日立川キノシネマ152)

⑮三姉妹
監督:イ・スンウォン  出演:ムン・ソリ キム・ソニョン チャン・ユンジェ チョ・ハンチョル 2020 韓国115分 ★


長女は小さな花屋を営みながら、別れた夫の借金を払い半グレみたいなハイティーンの娘には反抗され自らは癌を患うという踏んだり蹴ったり、それでも卑屈な感じで自分を責め続け薄笑いにごまかす―もう、見ていてイライラは彼女の娘に共感。
三女は劇作家だが飲んだくれで、青果商(流通業?)の中年男の後妻、彼にかしづかれワガママいっぱいのような自堕落な生活を送りつつ夫の高校生になる息子には距離を置かれ、仕事もうまくいかず自分のあり方への不満がいっぱい。
次女は大学教授の妻で、夫婦して教会の執事として人望のある生活、彼女自身は聖歌隊の指揮者を務めるという、一見恵まれた幸せな家庭を気づいているようだが、お祈りができない(精神的に拒んでいる感じ)娘、肥満症で妹には冷たい兄息子、さらに夫が聖歌隊の若い女性と浮気をしていることに気づき、陰湿に女性を責めて夫に出ていかれる。
と、まあ前半はなんかどうしようもない姉妹の境遇が延々と描かれていささか苦しいーところが、後半この3人が子ども連れで地方の実家に父の誕生祝いに行く。日本だとなかなかこういうステュエ―ションも現代では難しいのではないとも思うが、このあたりは家族―家父長的世界がまだまだものをいう韓国社会?
長女と次女の一家が車に同乗して実家にたどり着くと、すでについていた三女が閉まった一部屋の戸に向かって「出てこい」と叫んでいる場面。そこから引きこもりらしいもう一人の弟の存在と幼い日々のつらい思い出がフラッシュバックして、彼女たちの現在の不遇の原因が明らかになり、そのクライマックスの宴席のショッキングなシーンまで息もつかさず見せるというのは、いかにも因果関係をきちんと明らかにする韓国家族ムービーらしい仕立てだと思われた。
身勝手なというか家父長社会での父の存在が娘たちに影響を及ぼすというのは日本で言えば『海街diary』(2015是枝裕和)、中国・香港で言えば『花椒の味』(2019香港ヘイワード・マック)あたりで記憶に新しいところではあるが、『海街』の勝手な父を不在のままに受け入れて残されたものがいい関係を結んで生きていこうとする姿勢とも、『花椒』の父の行いは行いとして、それなりに理解し受け入れて彼を軸として娘たちがつながっていくという味わいとも違う、父は生きて娘たちの恨みを一身に受けると、まあいわば恨の思想を感じさせるドラマティクな展開の韓国版『海街diary』、最後の場面海辺にたたずむ3姉妹は、『海街』を彷彿とさせる画面でもあった。  (6月29日 新宿武蔵野館 153)

⑯あなたの顔の前で
監督:ホン・サンス 出演:イ・ヘヨン チョ・ユニ クォン・ヘヒョ シン・ソクホ キム・セビョク 2021韓国85分 ★★  

ホン・サンスの映画は途方もない長回し(本作最長は12分だそう)とそこでかわされる分量の多い対話に時に眠くなったりもしつつ、なんかひきつけられてしまうというーこれは意外にわかりやすくはあるが、やはりそんな映画。
アメリカから帰国した元(と映画内では本人と妹は言っている。演じているのは見かけはさすがに若いがベテラン女優今年60歳のイ・ヘヨン)女優と、彼女を迎えてマンション購入を勧める妹、妹の息子とその恋人との会話があったあと、彼女は李泰院を経て仁洞まで、会いたいと申し出た「監督」に応じて「小説」というカフェで会う。その途中子ども時代に住んでいたという家に寄り、今は店になっているというそのオーナーに梅茶をふるまわれ、その娘を抱き寄せるーあたかも幼い日の自分を抱きしめるかのようにー
監督からは映画出演のオファーを受けるが自分には時間がないと引き受けず、何故時間がないのかという秘密も明らかにされる。それによってそこまでの彼女の秘密めいた思わせぶりなところもある言動や感慨が説明されるわけだが、このあたりはホンサンス映画にしては少し安直?わかりやすいのは確かだが。そして長編は無理でも明日明後日とともに遠出して短編を作る旅に出ようという監督の誘い、それを受け容れ、降ってきた雨の中に助監督が回す車を待って一つ傘に身を寄せ合う二人の何とも言えぬいい雰囲気(大人同士のちょっと恋?という感じ)さてそして、帰ってソファに横たわる彼女に監督からのメールが来て…。あっけなくもあり得そうな幕切れで、なのになんか余韻が残るのはホン・サンスの腕か、女優の力か。女優の、死を目前として死を見つめつつ、しかし淡々とすべてを受け容れているふうな落ち着き(でも不安も見えないわけではない)が不思議に心に残る映画なのだった。(6月29日 新宿シネマカリテ154)


⑰帰らない日曜日(Mothering Sunday)
監督:エヴァ・ユッソン 出演:オデッサ・ヤング ジョン・オコナー グレンダ・ジャクソン ソープ・ディリス コリン・ファース オリヴィア・コールマン 2021英 104分

貴族の邸の中を一糸まとわぬ姿で歩き回り、大きな図書室で本に見入る若い女性という鮮烈なトレーラー映像のおかげでう?う?う?評判が独り歩きしていない?
近所に住んで親戚のように暮らしている二ヴン・ホフディ・シェリンガムの3家の5人の息子のうち4人までが戦死してしまったという第1次大戦後1920年代のイギリス。メイドへの実家への帰宅が許される「母の日」(要は藪入り)の朝、二ヴン家に仕えるジェーンというメイドにシェリンガム家のただ一人残った息子ポールから電話がかかる。ポールはホフディ家の娘エマ(元は二ヴン家の息子と??だったらしい)と婚約が調い、3家はその会食をすることになっている。しかしポールは家族の留守をいいことにジェーンに誘いをかけ、二人は無人になったポールの邸で逢瀬を楽しむ。そのあとポールは遅れた会食の席にあわただしく出かけていきジェーンが一人残されて屋敷内を探索?して歩く―ついでに言うと赤い万年筆?と『私一人の部屋』(バージニア・ウルフ)を持ち出すというー場面がトレーラー。
さてもう一つの話の筋として書店で店番をするジェーンが哲学を学ぶドナルドと出会い、彼に励まされつつ執筆をする…。そして老いた現代の彼女(グレンダ・ジャクソンが演じるがさすがに同一人物の老後とは見えない)と。この物語が3家の悲劇、そしてジェーンが作家になった3つの理由(生まれたこと、タイプライターをもらったこと、そして…)の一つの秘密となって全編を貫くことになるわけだが…。
貴族の二ヴン夫妻を演じるコリン・ファースとオリヴィア・コールマンが存在感を発揮、特に次世代の息子たちをことごとく失ってしまった母(コールマン)の不機嫌な悲哀の表現は胸に迫る。しかしそれは孤児である娘に「失いうものがなにもない幸せ」を説くみたいな傲慢さにもつながるもので、ウーン。映画は単にジェーンの成功譚にしかみえないところもあり…美しく描かれるがちょっと悩ましさも感じる。原作はグレアム・スィフト(ブッカー賞受賞)だそう。(6月30日 新宿ピカデリー155)

⑱PLAN75
監督:早川千絵 出演:倍賞千恵子 磯村勇斗 たかお鷹 河合優実 ステファニー・アリアン 大方緋紗子 串田和美 2022日本(日本語・タガログ語) 112分

出だしから暗くフォーカスもあえてぼやかした画面の中でうごめく人影?、そのあとも多くの場面が奥に窓や光源のある逆光で撮られていて登場人物の顔も定かではないという感じ、主人公ミチの職場も家も、またプラン75の事務所?とかも全体的に無機質で暗くてとにかく目を凝らすのに疲れた。最後は夜明け?のシーンで日が昇るが、この太陽も明るく照らしてくれるというふうではない。もっともそこにたたずむミチもプラン75による「自殺」はやめたとはいうものの、先行きが明るいということはないから、ま、これは意図的なものか。
話も話で、映画の中で喧伝される「プラン75」のしくみも漠然としたムードで、こういう案が提携されば当然倫理規定とかで問題になったり、みとり・埋葬はいいとしてもその後の財産処分や持ってきたもの以外の遺産処理とか、いろいろな問題が出てくるはずだし、社会的な反発や反対運動も起きそうだが、そういうものはすべてスルーして、ここでは生活に追い詰められた老人たちが半ばあきらめの境地でプラン75に応募し、若い相談員が週末までを1日おき15分という感じで電話で慰め…みたいなところだけが描かれて行く。
プラン推進の役所担当ヒロムと長年音信不通だった叔父に関するプラン75受け容れの話、特定在住者としてこのプランで亡くなった人々の遺品回収(これがまたあり得ない?嘘っぽさーとはいえ身寄りのない人ばかりという設定だからいいのか…)の仕事に携わり、国に残した心臓病の5歳の娘の手術費を稼ごうとするフィリピン人女性(と串田和美演じる、その相棒で遺品をこっそり盗む男)、そしてミチの相談を担当してその死を嘆くようになるプランに疑問を持つことになる若い相談員女性などがミチを遠巻きに(あまり関わらない、それがまさにこのプランの推進者の当事者に対する態度なのだろうが)し、それぞれに悩んだり、事件?を起こしたりはするが互いにかかわることはほとんどないという平行線?映画なので、これもなんかなあ。もちろん倍賞千恵子はじめ役者たちはそれぞれに上手くてひきつける演技をしているが、それゆえに保っているという気もする映画だった。(6月30日 新宿ピカデリー156)



池沼を三本槍に向かって
 
温泉の湯けむり
これは雪渓

池沼・雪渓・温泉・花と楽しむところが多い那須三山でした!


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