【勝手気ままに映画日記】2022年3月

春です!丹沢・松田山~高松山ミニ縦走。松田山・西平畑公園からのミニ富士(3/5)

河津桜と菜の花 満開でした!

3月はこのあと大阪アジアン映画祭に。法事で若狭への旅もあって、山は残念ながらこの1回だけ。4月は、さあ、歩けるか?ちょっと心配しています。

 大阪アジアン映画祭をのぞく3月上旬と下旬(4月1日まで)に見た20本です。 

①マヤの秘密②トラベラー③風が吹くまま④ブルー・バイユー(青い入り江)⑤牛久➅パーフェクト・ケア⑦ボストン市庁舎➇金の糸⑨チェチェンへようこそ⑩麻希のいる世界⑪パワー・オブ・ザ・ドック⑫れいこいるか⑬トルソ⑭ガンパウダー・ミルクシェイク⑮林檎とポラロイド⑯行路死亡人⑰ナイトメア・アリー(悪夢小路)⑱ベルファスト ⑲森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民 ⑳親密な他人               

日本映画⑤⑩⑫⑬⑯⑲⑳(ただし⑤⑩は「日本語映画」とはいえない?一部日本語はありますが)アカデミー賞のノミネート作品などを拾ってみていた月です。ほかに3月は大阪アジアン映画祭16本 中国語圏映画はこちらに回し、欧米の映画がほとんどでした。

★は「なかなか」★★は「満足」★★★「おススメ」という感じでしょうか。もちろんあくまで個人的感想ですが…。

①マヤの秘密
監督:ユバル・アトラー 出演:ノオミ・ラパス ジョエル・キナマン クリス・メッシーナ エイミー・サイメッツ2020米97分 ★★

1950年代、ルーマニア出身アメリカ人医師と結婚しアメリカで暮らすマヤが、ある日同じ町の中でかつて自分や妹たちを襲い凌辱したナチスの兵士?に出会う。すごい集中力で彼を拉致して車のトランクに詰め込んで…、それを知った夫は困惑するが、彼女とともにその男トーマスを自宅地下室に監禁する。あとはひたすら執拗に自白を迫るマヤと、あくまでも否認し自分はスイス出身だと言い張る男に、妻の方への疑念?ーマヤは過去の経験におびえ悪夢をみて精神科にかかったりという過去があるーもなくはなく男の出自などを夫なりの方法で調べたりする。
トーマスが夜中に逃げようとして大声で叫んだりしたことから近所からの通報で警官が、行方不明の届を出したトーマスの妻を連れてやった来たりもするが、何とかその追及を逃れ、これをきっかけにマヤはトーマスの妻に言い寄ってそちらの方からトーマスの素性をっ探る…妻の精神状態を心配しつつ、夫も男と話してみたり…とそんなふうに、いったいこの話どういう結末に?
夫と妻と両方が精神的にも不安定になって互いに疑念をいだいたりするので、ナチスの犯罪告発というよりむしろそういう心理的に重点があるのだなと思ったりしているうちに…トーマスの妻の方も自分は夫のことを何も知らないと言いだす。ヨーロッパで受けた心の傷を逃れてアメリカに新しい道を求めたという意味ではマヤとトーマス、ある意味双子というか同じような人物のネガとポジなのでもあろう。そういう点も含め、最後の展開が派手ではないのだがなかなかすごくて、ストーリー作りのうまさ、そして最後の場面のビジュアル的な怖さをも感じさせられ、一息に目を離せずに見てしまう。
ある場面ではトーマスが無実のいい人に、マヤが偏執的に見えるし、そのトーマスが心の傷を露呈していく場面の変化、また落ち着きと良識を持っていたはずのマヤの夫が最後に思わぬ行動をして自らも傷つく転換、それを支えて立ち直らせようとするマヤの強さというか怖さ、と登場人物が一筋縄ではいかないさまざまな面を見せて変貌していくのも見逃せない。(3月2日 新宿武蔵野館 056 )

②トラベラー
監督:アッパス・キアロスタミ 出演:ハッサン・ダラビ マスィード・サンドベグレー 1974イラン モノクロ72分  ★★

キアロスタミの未見の一作(長編デヴュー作なので、多分このころはキアロスタミ監督という存在を知らなかったはずだ)と思い行ったのだが、見ているうちにああ、これは見た!と思いだす。でも何度見てもいい映画。前の時の印象があまり残っていなかったのは???。
モノクロ35mの小さい画面の中に、サッカーに夢中で、授業にも宿題にも身が入らず先生や親に怒られながらも、なんとしてもテヘランのサッカー試合を見に行きたいと資金稼ぎ?に必死に走り回り、夜中にこっそり家を抜け出しバスに乗り込みテヘランのサッカー場に到着して長い列に並んでチケットを買おうとすると目の前で売り切れ、それからダフ屋と交渉し…そのエネルギーはあたかも狭い画面から飛び出しそうなくらい。
困った坊やだと、「老婆心」からは思わないでもないがつい応援したくなり、なんとか会場に入って隣りのオジサンといっぱしの会話を交わす様子もニヤリ…しかし試合が始まる前の3時間の待ち時間に、少年は大人のようには耐えられず、会場周辺のスタジアム内を探検に…そして…いや、カナシイけれどももしかして少年にとっては決して無駄にはならないずしりとした経験の重みを感じさせるような終わりまで、一気に見てしまう。
(3月2日 下高井戸シネマ 特集「そしてキアロスタミは続く」 057)


③風が吹くまま
監督:アッバス・キアロスタミ 出演:べーザード・ドーラ―二― ファザード・ソラビ 1999イラン・フランス 118分  ★★

これももしかして未見と思ったら、やはり見たな…。
テヘランからクルド系の村に、農村伝統的な葬送儀式の撮影に来たテレビクルー、ある老婆の死を待ちながら村に待機するというはなはだ残酷?とも言える設定ーもちろん来村の目的は村人には秘されてはいるのだがーその中で2,3日のつもりがなかなか老婆が亡くならないため2週間にも及び、イライラや不安を募らせるディレクターの行動というか生活を描くというわけで、あまり大きな事件があるわけでなくただ村の中を動き回りながら老婆の孫の少年相手にイライラをぶつけたり、農家?に牛乳を分けてもらいに行ったり、携帯電話(まだ出始めでアンテナのついたちょっと大きめ)が鳴るたびに車で電波の通じる丘に駆け上りという繰り返し、そこで出会う井戸掘りとの会話とか、足の悪い学校教師との会話とかがタラタラ繰り返される中でイライラが募っていくのが観客にも伝わってくるような構成。
最後に井戸掘りにちょっとしたというか、大きなハプニングもあり、老婆は亡くなるが、クルーは逃げ出し??(彼らのクルーは最初の会話と遠景以外、ほとんど姿を見せないのもディレクターの孤立を示している??)とただ、ディレクターの心情を情景として映し出しているような映画だが、それがこれほどに印象的なのはやっぱりすごいと、今更ながらのキアロスタミ。友達にノートを返しに行く、テストの勉強ができないと嘆く少年の悩みの切実な一直線に対して、やっぱり大人の悩みは少々複雑だけど卑小だわとも感じさせられる。(3月4日 下高井戸シネマ「そしてキアロスタミは続く」 058)

④ブルー・バイユー(青い入り江)
監督・脚本:ジャスティン・チョン 出演:ジャスティン・チョン アリシア・ヴィキャンデル マーク・オブライエン リン・ダン・ファム 2021米118分  ★★

1988年韓国で生まれ3歳でアメリカに養子に出されたアントニオ。その生育歴は決して幸せとは言えなかったが、今ではタトゥの彫師としてーとはいえ所場代を払えと迫られ、娘連れで職探しをするがうまくはいかないという出だし、こんなふうにさりげない描写の中にも彼の人生の困難が示されるーシングルマザーのキャシーとともに住み、間もなく自身の子どもも生まれるというまあ幸せな日を送っている。が、ある日キャシーの元夫(警察官)とその乱暴な同僚に絡まれて、捕まり拘束されてしまう。ところが30年前の養父母の手続きの不備で市民権がないことが明らかになり、不法滞在者として国外退去を命じられそうになる。
そこで彼は裁判に訴えるわけだが、ただこの映画その勝利までの闘いを描く社会派映画というふうにはならない。作者自身が韓国系ということもあるのかと思うが、彼の心理の中に現われる韓国時代の母の記憶ー美しい水辺での恐ろしい出来事、これが途中キャシーによってうたわれる題名「ブルーバイユー」の由来ー彼と幼い娘の心理、またその母である恋人(同居人)キャシーの葛藤やそれを乗り越えようとする愛、そして弁護士に払う5千ドルが工面できないアントニオの苦悩と決断、そこに絡んでくるキャシーの前夫の葛藤と変化、そしてアントニオと病に侵されたベトナム系アメリカ人の女性とその一家の関わりと女性の死まで、盛沢山に心理や日常が、鮮やかにしてみずみずしく透明感もある光に満ちた美しい映像-ほんとうに久しぶりにこんなに目に染みるような画面を見たーで描かれていく。
公聴会の日、前夫も、また彼が会うことを避け続け、また彼女も公聴会の出ることを拒んでいた養母(昔夫の虐待を見過ごしたことにより息子と別れた)も現れるが、アントニオ自身は来ない。実は前夫の同僚たちに袋叩きに会っていた―ただそれを機会にアントニオは幻の母との和解を果たすのでもあるがーそして結局国外退去になる彼と家族の別れまで、クライマックスの盛り上がりからも目は話せないが…。
この事件はアントニオの特別な物語でなく最後に何人もの同じような養子ー国外追放となった韓国系アメリカ人の写真がでてくるーがいたという普遍的な問題として語られ、それゆえ事件よりもそこにある彼らや、取り囲む人々の心理や心情をむしろ描きたかったのだなと思わせられる。それゆえに、よくも悪くも非常に情緒的な描き方がされているのだと思う。(3月9日 キノシネマ立川 059)

⑤牛久
監督・撮影・編集:トーマス・アッシュ 2021日本 87分 ★★★

これこそは、できるだけ多くの人に見て考えてほしいなあと思われる映画だ。
そもそもはボランティアとして牛久の東日本入国管理センターでの面会を始めた監督(1975年生まれアメリカ出身日本語うまい!)が伝えなくてはならないという使命感によって収容されている人々の面会時の映像・語り、そして電話での会話を綴ったもの。9人がこもごもに置かれた状況や入管の待遇、そこでの自分の思いなどを語る。自分の国では迫害されるような状況で日本を頼みの綱に来日し空港で入国を阻まれて収監されたり、日本に暮らして日本人の妻と結婚しているのにその結婚そのものを認められず、難民申請も受け入れられず牛久と仮放免を繰り返している人、ハンストでやせ衰え車いすで面会室に運ばれ(まさに運ばれている感じ)た人、そして体は男性として生まれたという女性も含め、その語りの内容のすさまじさは、本当にこんなことがあるのとも思われるような状況だ。
しかし、それをあたかも裏打ちするような入管職員が収容者に寄ってたかってという感じで暴行?をしている映像とか、複数で押さえつけて強制的に帰国の飛行機に乗せようとする写真とか、よくもこんな映像が手に入ったと思える映像が連続し、椅子に縛られたような緊張の連続だった。この映像は入管(牛久)側が「収容者が暴れたから押さえたのであり暴行しているわけではない」という証拠映像として撮っているもので、弁護士―本人からの開示請求によって開示されたものを組み込んだとのこと。
ともかく体当たりで撮影し、収容された人々も体当たりで語り生きるその姿を見て、入管や行政側はどう影響を受けてくれるのだろうかと思わされる(多分、迷惑な行動として、個人の係員が「しまった」と思うことはあっても公け的には正当性の主張になってしまうのだろうな…というのが学校体制にいたものとしての感覚)終映後監督と、仮放免中の収監者の一人(クルド人)が舞台挨拶質疑応答。これも説得力に満ちた時間だった。
ウクライナ「避」難民を日本も受け入れるというような話あり。その前に国内の難民申請者を何とかすべき(日本は難民申請の0.4%しか通らない)ウクライナ難民に「避」をつけてズラすことばの遊びによって難民問題とは別とする問題。シリアとかクルド人とかは受け入れずウクライナOKというのはまさに「人種差別」だという監督の言。そして品川でのスリランカ人女性ウシュテマさん死亡からちょうど1年、コロナ禍の中で75%の収容者が仮放免されているが、彼らには就職の自由も、生活保護を受ける権利もなく、国民健康保険にも入れないという現実(これについては同日東京新聞に望月衣塑子記者の記事が載った。そしてこの映画の前に立川で見た『ブルー・バイユー』の韓国系の養子の国外退去問題も合わせて、いろいろと考えさせられた日だった。(3月9日 渋谷イメージフォーラム 060)

➅パーフェクト・ケア
監督:J・ブレイクソン 出演:ロザムんド・バイク ピーター・ディンクレイジ エイザ・ゴンザレス ダイアン・ウィースト 2020米 118分 ★★

医師と結託し一人暮らしで財産のある高齢者の法廷後見人の位置を獲得、高齢者を拉致するがごとく施設に入れ、財産は処分して介護費用として自由にするというのが合法ビジネス。「老女」ジェニファーが施設に入れられるまでのようすは映画的誇張もあるだろうとはいえ、なかなかに空恐ろしく、えぐいのだが。これを実行するマーラと相棒・愛人のフランの美人二人の迫力はなかなかで順風満帆ーということは観客から見ると反感満ち満ちだが、ジェニファーの家財を処分し家は売りに出し内装をするフランの前にタクシー運転手がジェニファーを迎えに来るところから始まり、謎のロシアン・マフィア?ローマンが介入してくる。
マーラ側から言えばこの老女とロシアン・マフィアの関係は何?ということになるのだろうが、映画はそこに焦点はおかず、特異な風貌の(しかし吊り輪のシーンでその驚異的な筋力に驚嘆)ローマンとその部下に対するマーラのアクション的攻防の視覚化の方が中心。合法・非合法で脅されてもめげず、捕まえられ、縛り付けられ意識を失わせられて車に乗せられて事故を装って殺されそうになるがそこからの驚異的な生還と反撃ーこのあたりで悪役脱却でガンバレという感じが出てくるほどー反撃後のローマンとのびっくりするような和解?まで。最後はしかしちゃんと「健全」な結末もつけて、なんかそこはうまい出来上がり。しかし高齢化社会を反映してこういう娯楽活劇ができてしまうとは、「映画の時代」も変化してるなあと思わされる。(3月11日下高井戸シネマ061)

⑦ボストン市庁舎
監督:フレデリック・ワイズマン 出演:マーティン・ウォルシュ(ボストン市長)+ボストン市民 2020米272分

昨秋いくつもの映画館で大々的公開?だったが、その長さにウーン。しかし近くでは当面最終上映?その最終日ということで思い切って見に行った。
市民からのさまざまな問い合わせに答える電話応対場面から始まり、同性カップルの結婚式、保健医療、動物保護、ごみ処理(でかいマットレスから家具まで回収車で粉砕しながら持って行ってしまうアメリカ式にびっくり)消防、警察等々の市民サービスの場面、合間にボストン市街や建物などの光景、そして何より多いのが様々な会議や、公聴会などのシーンで、それぞれの場面で理念を語る市長、そしてナンバー2?というかもう少し具体的な対応や施策を住民に説明する人々、対する住民の疑義などを、途中で切ることなくある程度まとまった一続きとしてそれぞれの主張や意見を映し出す。それゆえに映画としては長くなるわけだが、ドキュメンタリー的手法により作者の見方を切り取ったという印象を与えずにトータルとしてのボストン市の方向がきちんと見えるところがやはり編集の妙なのだろう。移民の町で、市長自らも移民、マイノリティの職員に対する期待の挨拶、多様性・多文化を持つ市民を行政がどう支えていくのかという視点が貫かれているのが、何より今日的ですごいところだ。(3月11日下高井戸シネマ062)

➇金の糸 
監督:ラナ・ゴゴべリゼ 出演:ナナ・ジョルジョゼ グランダ・カブニア スラ・キブジゼ 2019ジョージア・フランス 91分 字幕:児島康宏 ★★

トリビシの旧市街昔からの屋敷ー中庭があってその向かい側はアパートメントになっていてケンカしたり仲直りをしたりを繰り返すカップルとか、フランスに一度亡命し戻ってきた翻訳家とか、何をしているかわからない女性とかいろいろな人がいて、それをヒロイン・エレナがいつも見ているという裏窓的設定になっているーに生まれてからずっと住んで、79歳の誕生日を家族のだれもが思い出しもせず孤独に迎えた作家のエレナ。そこにかつての恋人アルチルからの突然の電話で、花瓶には花が飾られ誕生日を祝う歌を家族が歌ってくれるとちょっと虚勢をはり曾孫に首をかしげられたり、アルチルが妻を亡くして孤独の中で自分に電話をかけてきたと知って電話を切ったり、そういう微妙な老いの心理が抒情的かつおしゃれな画面で繊細に描かれる。
そんな暮らしの中、ソ連時代高官だった娘の夫の母ミランダが認知症になりボヤ騒ぎを起こしたということで引き取られて同居することになる。エレナ自身(アルチルも)の両親はソ連時代の粛清で流刑にあっていて、エレナも最初の作品が検閲で危険とされその後20年間出版ができなかったというソ連時代の苦い過去を負っているので、まあ、いわばミランダとは決して相いれない仲ということになる。ミランダのほうも過去の栄光を自慢にしがみつき、時にエレナにチクチク皮肉を言ったり(この二人、エレナは杖を突いているとはいいながら赤毛で自由な雰囲気のファッション、一方のミランダは髪をきちんと巻き上げパールのネックレスにスーツという対照的なファッションで、これもとても面白い。彼女は認知症とは言いつつ、家族が引き取っても面倒を見るでもなく、ときにエレナがお茶を淹れてやっているシーンくらいしかない)。そんな中クライマックスは、アルチルがテレビ出演することになり(彼は建築家としていっぱしの人だったということがわかる)、テレビをみているエレナに、ミランダがこの男はかつて自分に言い寄ったという場面、そこから二人の対立が言い合いになりミランダは「会議に出なくては」と街に出て行き迷子になる…というわけで老いた人生の過去と現在、どちらも過去としては本当に重いのだがその評価というか苦しみと見るか、栄光と見てしがみつくのかという対比の中で、現在をどう生きるのかを問われているような重苦しいテーマなのだけれど、それを本当に抒情的に繊細に、画面も美しく、しかも二人のやりとりや裏窓シーンなどには幽かにユーモアも漂わせつつ描いていく。そして2年生といっている、両親がアメリカ留学中の曾孫娘のビジュアルの可愛らしさとなかなかの達者な演技や歌、そして彼女の書く祖母への誕生プレゼント「表通りの絵」の現代的な美しさ、金継ぎの壺の図版など、エレナが壁に貼っていく絵のビジュアル度の洗練も含め、見飽きぬ美しい映画だった。(3月12日 岩波ホール063)

⑨チェチェンへようこそ
監督:ディヴィッド・フランス 出演:デヴィッド・イスティーフ オリガ・バラノバ マキシム・ラバノブ ぜリム・バカエフ ラムサン・カティロフ 2020英・米 107分

ロシア・チェチェン共和国はプーチンの支持を受けた独裁的な指導者ラムサン・カティロフの「血の浄化」運動により、LGBTQが秘密裏に検挙、拷問によって「相手」「仲間」を自白させられ芋づる式に摘発粛清されているー「チェチェンにゲイはいない」と大統領自ら話すインタヴュー映像も。文化的には特に女性の場合は監禁され親兄弟に殺されたりということもある。有名な歌手のぜリム・バカエフもその一人で警察に検挙されたという情報後行方不明になったままとか。
映画は身の危険におびえる男女の同性愛者と,彼らを助けモスクワのシェルターに匿い、国外に脱出させる救援組織の活動の非常に厳しい状況を描いて衝撃的。もう一つの衝撃は、この映画の人物たちの多くがディープ・フェイクの技法によってニューヨークのLGBTQ活動家22人の協力者の顔に差し替えられるているということ。もちろんこれはチェチェン当局に人物を特定されないためにだが、見たところまったく自然(ちょっとイケメン・美女ぞろいになっているかも?)な映像だから、この映画のフェイク性というものをつい疑いたくなってしまう?怖さもはらんでいるようで見終わって、ちょっと席を立てないような複雑な気分。とにかくドキュメンタリー映画の技術も日々変わっていきつつあるのだとも思わされる。(3月12日 渋谷ユーロスペース 064)
  

⑩麻希のいる世界
監督・脚本:塩田明彦 出演:新谷ゆづみ 日高麻鈴 窪塚愛流 青山倫子 井浦新 2022日本 89分

1月末からのロングランで、そろそろ終わりかなと思えるので、ウーンま、見ておこうかという感じ。すでに高校生の友情とも愛情ともつかない世界に病気とかバンドとか、才能とか、嫉妬とか、そして殺人未遂?とか失語症とか記憶喪失とかが絡むようなーこう書くとマンガっぽくもあるような世界には興味がひかれぬほど我ながら「老化」が進んでいるな、とも思いつつ。
少しフォーカスが甘い感じで光を印象的に取り入れた画面の落ち着いた品のよさは変わらぬ塩田明彦映画?ーというほどは見ていないが、何本か印象には残っているーとりあえずは病気を抱えたヒロイン由希の、麻希への気持ちのぶれない強さー少女だからか少女なのにもかかわらずかーが印象的。彼女の主治医が母の恋人でその息子は同級生という設定自体が嘘っぽいというか、役者にとっては荷が重すぎるのではないかとも思えた。その少年ユウスケの「君はいつか僕を愛するようになる」というセリフの傲慢さとうらはらな見かけの自信のなさげな表情も印象に残るが、それ自体が嘘っぽいよな。嘘っぽさの上に気づかれた真実の思い?ウーン。(3月12日 渋谷ユーロスペース 065)

⑪パワー・オブ・ザ・ドック
監督:ジェーン・カンピオン 出演:ベネディクト・カンパ―パッチ キルスティン・ダンスト ジェシー・プレモンス コディ・スミット=マクフィー 2021イギリス・カナダ・ニュージーランド・オーストラリア・アメリカ 127分 ★★

アメリカ・モンタナ1925年が舞台の西部劇だが英語圏5か国の合作映画。監督のカンピオンはニュージーランド人だし、役者もカンパ―パッチは英国、評判の少年役コディ・スミット=マクフィーはオーストラリア出身、というわけで味わいも西部劇とは言ってもなかなか端正重厚な心理描写と伏線づくりで、ドンパチ・アクションはほとんどない。
時代的には伝統的なマッチョというか野性味にこだわるカウボーイの兄フィル(しかしイェール大卒のインテリと設定されている)ときっちりスーツに身を固めた「経営者」の弟ジョージ、二人が泊まった地元の酒場兼ホテルの女主人で未亡人のローズ、そして父の死後母を守ると決意する息子のピーターの4人が中心のドラマだが。乱暴でぶっきらぼう・不愛想なフィルやカウボーイたちの荒々しさに傷つく宿の二人、そこを取り持つかのように未亡人に愛を打ち明け結婚するジョージ。息子の大学費用をジョージに持ってもらい、彼を下宿させて、ローラはフィル・ジョージの兄弟の住む屋敷に移り住むが、フィルには金目当てだろうとして冷たく扱われ、ジョージはビジネスで不在がちということで、自分の場を失いアルコール依存症に。まさにこれはジェーン・カンピオンが描いた閉塞状況にある女性の姿を描くジェンダー視点の映画ではある。
そこに、夏休み息子ピーターが戻ってくる。この少年はジョージよりさらに都会化・近代化?の傾向が強く、白っぽいワイシャツの喉元までボタンを留め、洗い晒さないジーンズを腰高にはき、紙の花を作って飾るという手先の器用さ(これも伏線になっている)にフィルには女々しい、なよなよしているとバカにされるのだが、案外な一面も持ち、最初は母のために鶏をつぶし、罠で捉えた兎を解剖し、さらには後半習い覚えた馬で一人で出かけ、牛の死骸を見つけメスを入れるというような、大胆さ・残酷さを見せる。
さて、そして。5章くらいに細かく分けた最後の方でフィルはこの少年に心を許しーこれはフィルの慕った師とフィルの関係を、フィルとピーターに投影させた、要は同性愛的傾向(ミソジニー傾向が強く女には興味を示さないフィルの造形)が投影されているようなのだが、そこをある意味逆手に取られ、母を愛する少年ピーターによって手痛いしっぺ返しを食らうことになるー直截的には描かれないがいろいろな伏線で示唆される。とまあ、トーマス・サヴェージの小説が原作なんだそうだが、料理のしかたがうまくてあまり起伏があるようには思えないような西部の暮らしの中での葛藤というか心理をあまり直接的に怒鳴り合ったりはしない押さえた演技で見事に演じ切ったカンパ―パッチ以下少年までの演技者たちの力も見せられ、重苦しくて残酷なんだげれど息もつかせぬカンピオン的世界は「ピアノレッスン」の味わいと共通する。
東京国際映画祭で上映されたが当時はまあ、ノーマーク。英国アカデミー賞作品賞(ちなみに非英語映画賞が『ドライブ・マイ・カー』)を取ったということで、急遽上映館を探して夕刻のシアタス調布(久しぶりの調布駅前すっかり変わりナビを見ながらたどり着いてみれば、駅が見えるような場所)デビューを果たした。 (3月21日 シアタス調布 082)

追加で大阪アジアン映画祭オンライン座 ⑫⑬⑯
いずれも名前は知りつつ、見落としていた作品を、時間と相談しながら。

⑫れいこいるか
監督:いまおかしんじ 出演:武田曉 河屋秀俊 豊田博臣 美村多栄 2019日本100分

阪神大震災で5歳の娘「れいこ」をなくした夫婦。作家を目指すも売れない夫はその日娘を抱き、妻は別の男とベッドイン中膣痙攣をおおこし動きが取れなくなった。娘を亡くした夫婦は離婚し、元妻は何回かの結婚を繰り返し、夫の方は仲良くなった少年の父親が妻子に暴力を振るうのを見かね仲裁にはいり彼を殺してしまい服役。やがて出所した23年後の再会が描かれる。と、こう書くと結構ドラマティックな感じもするのだが、見たことのない役者さんたちがあまりうまいとも言えない芝居をするオンライン画面の中ではなんか、インパクトがなくて。ウーン。二人ともなんかあまり何を考えているのかがわからない。もっとも何を考えているのでもなく流されていくような姿そのものがこの映画の伝えたかったことであるのかもしれないが。(3月21日 大阪アジアン映画祭オンライン座 083)

⑬トルソ
監督:山崎裕 出演:渡辺真起子 安藤サクラ 井浦新(ARATA)蒼井そら 2009日本104分 ★

こちらは、携帯を持たず合コンにも参加せず孤立の暮らしをしているヒロコがヒロイン。彼女は男性の人型(トルソ)を心と体のよりどころとしている。そこに彼女の異父弟にして、元恋人のジローと暮しながらDVを受けている妹ミナが転がり込む。ミナの父(ヒロコが「お父さん」と呼ばないのには訳がある)が脳梗塞で倒れやがて亡くなる。そんな出来事を通して姉妹二人のある意味では対照的な心情と生き方が描かれていく。当たり前の穏やかな日常の中にある不安や、それが何かの出来事の中で顕在化してしまう揺らぎや、そして揺らぎつつなんとか落ち着きを取り戻そうとするその中での思いというか、また生まれる不安のようなものが、繊細に描かれて伝わってくる。さすがの渡辺と安藤の演技力。10年以上前になった映画で二人とも若いのだけれど…今より?初々しい感じもあってよい。(3月22日大阪アジアン映画祭オンライン座 084)

⑭ガンパウダー・ミルクシェイク
監督:ナヴォット・パプシャド 出演:カレン・ギラン レナ・ヘディ クロエ・コールマン ミシェル・ヨウ アンジェラ・バセット カーラ・クギーノ ポール・ジアマッティ 2021スイス・ドイツ・米 114分 ★

題名は「火薬を混ぜたミルクシェイク」、爆発しそうな甘さというか、まさにそういう甘辛激辛混交という映画で、荒唐無稽でありながら、親子の情愛とか(男の子への偏愛も含め)、群れなし、襲い掛かる男どもがほとんど「バカさ」丸出しというようなユーモアとか…真面目に見ると怒る向きもあるかもしれないが…、中年女性陣のシスターフッドの頼もしさとか、まあ、あれもこれもではあるけれど見どころ満載で楽しめた。
若いサムと少女のエミリーの魅力もさることながら、ミシェル・ヨウ、アンジェラ・バセットほかの中年メンバーの使いどころをを得た個性の発露-かつての映画路線をちゃんと踏まえながらそれぞれに格好よくまとめている。彼女たちがアジトとしている図書館の重厚なビジュアルも、そこにあるジェーン・オースティンとかシャーロット・ブロンテ、ヴァ―ジニア・ウルフなどと名付けられその名の書物に収納されている武器もなかなかだし、監督自身、そのような古典作品?に敬意を表しつつ、日本映画も含めキル・ビルとかタランティーノ映画とか香港映画とか様々な文化を取り入れオマージュも捧げながらという雑多性をうまく組み込んで、このごちゃごちゃ世界に苦み・辛みも刺激性も、そして甘さも盛り込んでいるのだと感じられる。
女性陣の切れのいいアクション、荒唐無稽な殺人シーン、親を殺されても案外ドライな少女と息子の死に復讐しようとするヤクザの対比と間にあって夫を殺したものへの復讐によってその後の人生を狂わす母とか、盛沢山本当に盛りだくさんに盛られているのだが、案外まとまりがよいのも面白い。(3月23日 キノシネマ立川 085)

⑮林檎とポラロイド
監督:クリストス・ニク 出演:アリス・セルベタリス ソフィア・ゲオルゴバシリ アナ・カレジドゥ アルジョリス・バキルティス 2020 ギリシャ・ポーランド・スロベニア 90分 ★

一人の男が一人暮らしの家を出て、門前で近所の犬に声をかけ、花屋で花を買いどこかに出かける場面から突然に記憶を失う病が続出する世界へ。彼はある日バスの中で目覚めると記憶を失っていた。身元がわからず(というか、身元を示すものもすべて失われるという設定)探しに来て引き取る家族も現れなかった患者は病院の治療プログラムに参加することを求められる。
住居が与えられそこに毎日カセットテープに吹き込まれた指示が届き、実行したらポラロイドカメラで撮影してアルバムを作ることを求められる。病院側がそれをときどき点検に来て治療成果を確認するという仕組みーが、病院ではこの奇病が完治した人はいない、という説明があって、とすればうん?で、まあ自転車に乗る、仮装パーティに参加するなどプログラムを真面目にこなしていく男。あるとき同じプログラムに参加している女性と出会う。彼女の求めに応じて彼女のプログラムに「友達」?として参加したり。
指示はだんだん複雑に、難しくなっていくのだが、淡々とこなす中で、自分でも記憶していなかった自分が立ち上がってくる。
男は記憶喪失中も林檎を食べ続け(一度だけオレンジを買ってみたりする)町で会った犬に呼びかけたり、自分の住んでいた家の番地を思い出したりというような出来事の果てに突然記憶を取り戻す??。彼が自分の家に戻り、壁に掛けられた女性のドレスを見て、墓参りに行くのが物語の終わりで、プログラムの側から言えばこれ、記憶の戻らない暮らしに慣れて新しい記憶を蓄積させるためのようなものにも思え、となると記憶を取り戻した男は明らかにプログラムの失敗?彼の戻った暮らしの中での喪失を見るとそう言っているようにも思える。
しかし記憶が戻らぬ世界に一人取り残された女性を考えるとそれも寂しく孤独な世界だろう。誰もが突然に記憶を失う世界でプログラムを推進する医者たちの傲慢さ?(患者宅とはいえ、不在中でもずかずか入ってきて私生活を点検する)は彼らが記憶を失う可能性がないと考えられているような想像力の欠如した世界のようにも感じられるし…。静かに静かに話が進行していくのだが、そこはかとないユーモアとか、男のきまじめさの中に潜む意外な素顔?とかいろいろと楽しませてくれる要素もあって、不思議な気持ちにさせられる作品だった。林檎は過去の男(記憶)と現在(の記憶)を繋ぐアイテム。ポラロイドカメラは頼りない現在(新しい記憶の世界)を示しているのか。(3月23日 キノシネマ立川 086)

普段ほとんど車に乗りませんが、珍しく若狭まで車の旅(3/25)。駒ケ根SAからの空木岳

こちらは諏訪SAの諏訪湖。右端にちょっと八ヶ岳?。南アルプスを表裏から見ながらの旅でした。


⑯行路死亡人
監督・脚本:井土紀州 出演:藤堂海、阿久沢麗加、たなかがん、小田篤、本村聡、長宗我部陽子 2009日本 113分

ライター志望のみさき(24歳)のところにある日、本人が意識不明で担ぎ込まれたという報せが届く。驚いて病院に行くと、それは元の職場の同僚女性だった。元の職場に行き同僚女性の住所を聞いて訪ねて行くとそこにはまた別の女性が本人としていて…そこへ倒れた女性が意識を取り戻したという報せ、行くと自分の名は言わず小諸のある人物に残した貯金を届けてほしいと頼まれる。そして末期がんだった彼女は亡くなり、名前のわからない死者の身元を探してみさきは友人と小諸へ…。このあたりまではなかなかミステリアスで興味をひかれる展開なんだが…。
小諸で訪ねた家の娘は行方不明だったが、それは亡くなった女性とは別人だった。編集者だった彼女が残した地元のPR誌をもらって帰りがけ、その雑誌にみさきももらって持っている、胡桃で作ったアクセサリーを持つ亡くなった女性の写真を見つける。その工房?をたずねると写真の女性はすでに8年前に亡くなっていると聞かされる。そこからの展開はなんだか安易な感じで保険の調査員として死んだ女性のことを縷々語る男の語りを淡々と映し出し彼女の人生を明らかにするところから、その後に彼女の夫がたどった道とか、ウーン、まあ半分見るとその後も想像がつくような、そして想像がつきつつそこにあるだろう様々な「ムリ」がどう解消されるのかと思ってみていると、いやいやそれは無理でしょ、ありえないでしょと思われるような荒っぽい話の飛ばし方で…ウーン。
亡くなった女性も周りが見ていた人物像と途中までと、そして最後の事件部分とで同じ人物かと思われるような性格のチグハグ?ーこれは多分意図的なんだろうけれど…。妙にというか、なかなかうまく作り込んだ細部設定もある反面、荒っぽさも同供するという、意欲作なんだろうけれど、もう少し完成度の高さがほしい。(3月29日大阪アジアン映画祭オンライン座 087)

⑰ナイトメア・アリー(悪夢小路)
監督:ギレルモ・デルトロ 出演:ブラッドリー・クーパー ケイト・ブランシェット トニ・コレット ルーニー・マーラ ウィレム・デフォー リチャード・ジェンキンスデビッド・ストラザーン 2021米 150分 ★★

出だしは野中の一軒家で床下に布でくるんだ死体?を放り込み火をつけて家ごと焼いて立ち去る男スタンの遠景から。なんとも不穏な描写だが…そしてこの男が嵐の夜、見世物小屋(というかサーカスも兼ねたレジャーパーク?かなり大規模)に立ち寄り、仕事をもらって居着き、占い師で風呂を持つ(そしてそこで「商売」もするらしい?)ジニーの家に行くようになり彼女の相棒ピートから読心術の技を学んで、自らも舞台に立つようになる。
やがて同じ小屋で「電気女」の芸ををするモリーとここを出て、見世物師として売り出し、のし上がり、心理学者のリリスと知り合い、彼女のバックアップ(というかむしろ彼女に利用されて)かつてジニーやピートに封ぜられたある技を利用して富豪の名士をだまそうとして失敗、破滅の道を歩む…というもの。1947年リンゼイ・グレシャムによって書かれ、47年にタイロン・パワー主演で映画化された『悪魔の行く町』という映画のリメイクだそうだが、いかにもディズニー映画っぽい舞台装置の作り込みも見せるし、一昔以上前の見世物の世界というなんかエグイ題材を扱いながら、意外に重厚・オシャレな仕上がりで、役者たちもなかなかにところを得た熱演(ブラッドリー・クーパーは出だしくたびれたインディ・ジョーンズみたいな風体であまり謎めいた感じはないが、後半のし上がってからよくなり、最後の自らをあざ笑う笑いも鬼気迫る。女性3人はいかにもという配役だがさすがに皆うまい)だし、見ごたえがある。最初の方で延々と見世物になる「獣人」の描写があって、いったいこれは?と思ったが、なるほどの伏線。そして最初の一軒家の火事も何回か出てきて最後にかなり丁寧な描写で種明かしされるが、これってどうなんだろう。スタンの謎の「悪さ」を描くという意味では意味があるのだが、そういう父子相克が、彼の人生を誤らせたとも思えず、あれだけのしつこい描写が必要かな…とは思った。アカデミー賞4部門ノミネートというので、急ぎ見に行った1本。(3月29日 府中TOHOシネマズ 088)

⑱ベルファスト
監督・脚本:ケネス・ブラナー 出演:ジュード・ヒル カトリーナ・バルフ ジュディ・デンチ ジェイミー・ドーナン キアラン・ハインズ コリン・モーガン 2021英 98分★★

こちらもアカデミー賞には多部門でノミネートされ、脚本賞受賞。ゴールデングローブ賞でも脚本賞を受賞しているというケネス・ブラナー自身が幼少期を投影した自伝的な作品。出だしと終盤のベルファストの景色、当時見たテレビ番組とか映画とか、また街を焼く火の色とか、主人公の心に残ったような場面はカラーで、日常場面がモノクロという作りなのだが、これが、子どもの頃の自身の記憶に残る場面と照らしてもそうだよな、なるほどなという効果をあげている。
映画自体は1968年8月、プロテスタント過激派がカトリック教徒を襲撃したベルファストの暴動により、街の中で今まで隣人だった人々が敵味方に別れ、世情が不安定に失業者も増えというような状況の中で、イングランドに出稼ぎに通う大工の父と、故郷への強い愛着を持ちつつ子どもを守ろうとする母、伝統的な価値観に叡知をプラスし、互いに愛し合う祖父母(キアラン・ハインズとジュディ・デンチでさすがの存在感)映画的にはあまり存在感がないが多分しっかり弟の面倒も見、両親にとっては頼りがいのある長男として描かれる兄の家族に囲まれ、学校では好きな女の子もいて、トップの彼女の隣に座りたいと勉強も頑張る少年、近所の姉のような少女に誘われ引っ張り込まれて万引きをしたりプロテスタントの過激派の暴動に引っ張り込まれそうになったりもしながらも父母に守られて育つ少年一家が、祖父の死後、その抗争にいわば巻き込まれ知り合いのプロテスタント過激派青年を警察に引き渡すような流れにもなり、報復を恐れつつ、仕事の場があるロンドンに移住していくまでを少年視点のエピソードを積み重ねつつ描く。淡々としていながら深く余韻を残すような素敵な作品だと思える。(3月30日 府中TOHOシネマズ 089) 

⑲森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民
監督:金子遊 出演:伊藤雄馬 ムラブリの人々 2019日本(ムラブリ語、タイ語 北タイ語 ラオ語 日本語)85分

タイ北部フワイヤク村に400人、他にタイ・ラオス2か所に10数名ずつ、かつて一つの民族だったものが分かれて100年余り、言葉も変わり、他グループを「悪い人」「人食い」としておそれるような状況下、現地のことばを駆使する若い日本人の言語学者がタイ側とラオス側を繋ぐ・・・電気なくガスなく家は自ら作った葉っぱの屋根の掘立小屋で定住はせず移動。村に出て物々交換的にものを売り食料を得るというような暮らしぶりそのものの「珍しさ」を描くというよりーそこも現代の都市的暮らしから見れば振り返るべき点があろうが、ムラブリ集落でも皆色とりどりのTシャツ。若者はジーンズをはき、耳にはウォークマン?のイヤホンを入れているという感じだし、若い人はムラブリ語を話せないという状況もあり、現代化はもちろん押し寄せているのであるーここでは同じ民族が行政区域(国)によって分断され敵対視さえしている状況を、取り返した言語によってつなごうとする日本人青年の、とても控えめだが、映画に現れないいろいろなことがあるのだろうなあと思わせる描き方。そして彼の言を受け容れ見知らぬ同族と新たなつながりを作ろうとするムラブリの人々。こういう人の存在に感動してしまう。(4月1日 渋谷イメージフォーラム 090)

⑳親密な他人
監督:中村真夕 出演:黒沢あすか 神尾楓珠 上村侑 尚玄 佐野史郎 丘みつ子 2021日本 96分

気にしつつ、いつの間にか最終日。その最終回を慌てて見に行く。
ネットカフェに暮らしオレオレ詐欺の手先として「かけ子」と「受け子」の両方をやらされている若者、彼と同じくらいの年の息子が行方不明になったとしてネットで情報を求める一人暮らしの母。彼女は子供服・洋品専門店に勤めるが、乳児製品や来店する乳児に異常に?関心を示し、周りからは変わり者扱いされ、映画の途中でロッカーに隠しておいた売り物が発見されてクビになるー子供が行方不明で必死に求める母というのはわかるが、この乳児への関心は最初は少々不可解なのだが、なるほどの伏線になっているのだった。この二人が息子の捜索をめぐって接点を持ち、警察に追われる青年は女と同居する楊になり…というわけで、微妙な関係を保ちつつ決して男女関係にはならないーつまり女が求めるのはあくまでも母子関係。青年の方はどうなんだろう、女の狂気にからめとられた獲物のようにも見える。というわけで黒沢あすかの不気味にして美しさをにじませる演技はなかなかで目を離せなくはあるのだが、これが「母」というものとすれば、私などは「母」ではありえないなあ、と思わせられるような、ほんとに母ってこうなのか?監督(若い女性だけれど)は「母」なのかなあと思わせられるような、なにしろ20年間?失った子供のみを見ながら生きていて、生活すべてをそこにかけているような世界って…まあ、ありえないような世界だからこそ映画にするということなんだろうけれど。見ていて悩ましく、すっきりしない映画だったが、そこが狙いとすれば大成功かも。(4月1日 渋谷ユーロスペース091)

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