【勝手気ままに映画日記】2020年12月

あけましておめでとうございます。
我が家隣り!の大國魂神社の新年風景
 荒れ狂うコロナ、政権が変わっても相変わらずの無策と虚偽。滅茶苦茶としか言えない香港情勢、どこを見てもつらく苦しい2020年でした。今年こそはすべてが好転して、自由に動き発言できるよき年になりますように。ご健康・ご多幸、そして平和を祈ります。

低山歩きはあいかわらず。長者ヶ岳の頂上からの富士山と田貫湖
コロナ禍のおかげ?で多分一生経験しなかっただろうリモート授業も経験。
新しいことに挑戦できたのをよしとしたいと思っています。


①エイブのキッチンストーリー②THE CROSSING 香港と大陸をまたぐ少女③ぶあいそうな手紙④海の上のピアニスト⑤シリアにて⑥燃ゆる女の肖像⑦魔女がいっぱい⑧サイレント・ーキョウ⑨プリズン・サークル⑩もったいないキッチン⑪ブリッド・マリーの幸せなひとり立ち⑫鬼滅の刃 無限列車編⑬シチリアーノ裏切りの美学⑭ジョン・ラーべー~南京のシンドラー⑮愛について、東京⑯独立愚連隊⑰靴ひも⑱ミセス・ノイズィ⑲ノッティングヒルの洋菓子店⑳コロンバス㉑BOLT㉒夢見るように眠りたい㉓ワンダー・ウーマン84㉔GOGO94歳の小学生㉕ソング・トゥ・ソング㉖ウェンディ&ルーシー㉗また、あなたとブッククラブで(BooK Club)㉘パリのどこかであなたと㉙フェリニーニのアマルコルド㉚青春群像㉛リバー・オブ・グラス㉛81/2㉜私をくいとめて㉝ミークス・カットオフ

なにやかや、しているうちに33本。
12月の中国語圏に関連する映画は「中国映画の展開」で見た⑭⑮⑯(後の2本は日本映画)を含めて4本だけでした。日本映画は⑧⑨⑫⑮⑯⑱㉑㉒㉜の9本、フェデリコ・フェリーニ特集3本と、ケリー・ライカート特集3本の出会いも面白かったです。
★1個は「うん!なかなか」★★「すばらしい!」★★★「もう一度見たいほどすばらしい!」はあくまで個人的感想ですが…各映画末尾の番号は今年劇場で見た映画の通し番号です。全部で259本でした。コロナ閉鎖の2か月間もありましたからまあまあ頑張った!?)


①エイブのキッチンストーリー
監督:フェルナンド・グロスタイン・アンドラーデ 出演:ノア・シュナップ ショア・ジョルジ 2019米・ブラジル 85分

イスラエル系(ユダヤ人)の母とパレスチナ系(アラブ人)の父を持ちNYブルックリン生まれの、料理好きの主人公エイブ(父方からはイブラヒム、母方からはアブラハムと呼ばれる)は、行事で寄り合うたびにいがみ合う父母の実家の祖父母やそこから波及していさかいになる父母に心悩ませ自分のアイデンティティをどこに置くのかも見極められず悩んでいる。その彼が夏休みの幼稚な「料理キャンプ」をサボり、ネットで見つけたブラジル人のシェフ・チコのもとに押しかけで弟子入りし、フュージョンとしてのブラジル料理を学ぶことから、料理によって父母やその家族の融和をはかろうとするが…という話。
最近では日本でもそういう混合家族は増えてきているので、共感理解の幅は広くなっているのだろうが、ただ「単一民族」幻想の中で、料理だけはあらゆるハイブリッドを受け容れてきたともいえる日本社会では、宗教や民族習慣によって毎日の料理や食材までもが厳密に区別されてしまうような社会(だからこそ少年エイブの志が意味を持つわけだが)の中での料理が「国境を越える」融合素材になるというのは理解しにくいかも。この映画でブラジル人の作る融合料理がいわばその媒介をするということになっているのかな。珍しく?製作はブラジルもはいっているのはそういうことか。話は単純だし予定調和的でもあるが、問題としてはかなり深いものを扱っている。
『アーニャはきっと来る』主演の少年ノア・ジュナップの端正な美形にマイり、そのミーハーつながりで見に行ったのだが、こちらの彼はまあ、かわいいけれど普通の少年。もともとユダヤ系だそうで、この映画の設定にはあっているものの、『アーニャ』の、ユダヤ人を助けるとはいえただののフランスの男の子を演じた演技の幅が、将来ますます楽しみ?   (12月2日キノシネマ立川 226)


②THE CROSSING 香港と大陸をまたぐ少女 過春天
監督:白雪 出演:黄堯 孫陽 湯加文 2018中国(広東語・北京語)99分 ★★

中国・東京映画週間に引き続いて珍しく2回目の鑑賞。というのは次回の映画紹介(TH)の原稿に…というわけで今回は感想はパス。プログラムも買ってわからなかったところとかも大分分かった…。(12月2日 キノシネマ立川 227)

『よりぬき【中国語圏】映画日記 秋の映画祭に描かれた香港ー『デニス・ホー』『The Crossing』『7人楽隊』』(TH トーキング・ヘッズ 85号 アトリエサード)     

よろしくお願いします!


③ぶあいそうな手紙
監督:アナ・ルイーザ・アゼヴェード 出演:ホルヘ・ボラーニ ガブリエル・ボエステル ホルヘ・デリア  2019ブラジル 123分

いかにも人好きのしない老人エルネスト(元写真家で目が見えなくなってしまったというのはつらい!設定)がもっとも嫌いそうな、23歳の社会からはすでにドロップアウト気味、ウソもつけばコソ泥もいとわないという女性(というより女の子)ビア、おまけに背後にはマッチョで暴力的なカレシまでついているーの中に「よきもの」を見出し、手紙を読んでもらうという関係から彼女の世話を焼き、彼女に世話を焼かれ、やがての意外性は旅立って文通相手の死んだ友人の妻である元カノ?(というほどでもないが)のいるウルグアイに旅立つ(里帰り?)するという、言ってみれば老人飛躍の物語だった。
物語自体はそんなに新味があるとも思えないが、人物造形、特にフーテンぽい若い女性が面白い。そんなに魅力的でもないし恰好はダサいし、行動は結構ワルで自分勝手でもあり、老人ならぬ老婆的立場からは何でこんな女の子がと思えないこともないのだが、なぜか印象には残り、老人の影のほうがちょっと薄くなるほど。(12月4日 下高井戸シネマ 228) 


④海の上のピアニスト(イタリア完全版・HDリマスター)
監督:ジュゼッペ・トルナトーレ 出演:ティム・ロス フルイット・テイラー・ヴィンス メラニー・ティエリー  1998米・伊 170分

20年前に見たのは121分版。監督が本当にやりたかったという170分版を今回は見る(下高井戸シネマでは前週に4Kデジタルリマスターの121分版をやっていたのだが見る時間なしで)。ウーン長い。眠くなるようなことはないし、ジャスピアノプレーヤーとの競演場面などはたっぷりじっくり演奏も合間のやり取りも見せてくれて(前の版はどうだったんだろう…)迫力はあるが…、たっぷりじっくりの分だけなんか物悲しさや切なさも冗長?というか言われすぎ?という感もするほど…やはり迫力があるということか。ティム・ロスを始めてそれと意識して知った映画だったなあ…と20年前を思い出す。
それにしても、海の上の世界よりもタラップから一歩踏み出した世界に終わりがないからと言って、好きな人がいたにもかかわらずとうとう地上に踏み出さなかったピアニストの孤独で壮絶な最後にちょっとショックを受けて、あー、暗い映画だったんだなあとあらためて思ってしまった。(12月4日 下高井戸シネマ 229)


⑤シリアにて
監督:フィリップ・ヴァン・レウ 出演:ヒアム・アッバス ディアマンド・アブ・アブード ジョリエット・ナヴィス モーセン・アッバス モスタファ・アルカール アリッサル・カガデュ 二ナル・ハラビ ムハマッド・ジハド  2017ベルギー・フランス・レバノン 86分 ★★★

ほぼ4LDKくらいのマンション(多分3F)の一室の中で、一家の主婦オーム、その父(祖父)、娘2人(ハイティーン)と息子1人(小学生)、それに長女のボーイフレンド、5階に住んでいた若い夫婦と赤ん坊、それにメイドの移民女性デルハニ(彼女も子供がいて離れ離れになっているらしい)が暮らしている。
ドアには大きな閂(かんぬき)が内側から2本、外からはときに発砲する銃の音、時に大きな爆撃音も部屋を揺らす。という中で上階の自宅が破壊されこの家に避難しているらしい若い夫婦が今夜レバノンに脱出するという相談をしている。夫はその手立てをするために出かけるが家を出たとたんにスナイパーに襲撃され駐車場の片隅に倒れる。窓からそれを見ていたのはデルハニであわててオームにそのことを言うが、彼女は、若妻のハリマにはそのことを内緒にするように言いつける。というような不穏緊迫から始まり、それでも一家の生活はトイレにいったり、食事をしたりオームの指揮で何とか進んでいく。
そして午後?自警団を装った強盗がやってきて無理やりに窓から侵入、一家は台所に立てこもるが逃げ遅れて強盗に対面することになるハリマは一家や赤ん坊を守って強姦される(この強盗がすごい。ネクタイはないものの一応きちんとスーツを着込み、いかにも中年紳士然とした雰囲気でハリマを押し倒し部下を部屋の外に追い出し強姦するのである)というようなことから、彼らの互いの思いやりと反発の様子が緊迫感をもって描かれる。
ようやく暗くなり、夫が撃たれた事実を知らされたハリマは外に彼を助けに行き、娘のボーイフレンド・カリーム(帰りそこないここにいるらしい)と娘も同行してまだ生きていた夫を連れ帰る。そして脱出を手伝う人々が訪れて明日の迎えをハリマに告げ夫を連れ出す…
その夜から明け方、老いた祖父が明かりのさす窓を見つめる場面まで。ただこういう一日が描かれるのだが、十分に想像できるのだけれど、私たちの生活にはあり得ないような戦火というか暴力やテロ横行の内戦化でただ犠牲になる立場の一家の視点からその惨状がいわば淡々とした日常として描き出される迫力に、見終わってもしばらく席も立てないようなつらさと、描き出されたすごさとを感じた。常に最も責任というか身を切られるようなつらさを感じつつ一家をまもるためにその一部を切り捨てるような好意も含め、決断を下しつつ苦悩する主婦オームも、自分を犠牲にして一家を救いつつ一家の同情に怒り恨むハリマもほんとうに微妙な感情が描かれていて納得できるのでもある。(12月7日 下高井戸シネマ 230)


⑥燃ゆる女の肖像
監督:セリーヌ・シアマ 出演:ノエミ・メルラン アデル・エネル ルアナ・バイラミ ヴァレリア・ゴリノ 2019仏 120分 ★

18世紀ブルターニュの孤島の貴族の屋敷。姉の自殺で修道院から呼び出されミラノの男と結婚させられることになった娘エロイーズ、そこに呼ばれて見合い用の肖像画を描くことになった女性画家マリアンヌ、そしてこの屋敷に仕える女中のソフィ、娘の母である屋敷の女主人(映画のほとんどは島の外に旅行中)の4人がおもな登場人物の、ほぼ10日間を中心に描枯れる物語。
結婚を嫌がり、肖像画を描かれることを最初は拒むエロイーズは、内緒で描き始められ仕上がった1枚目の肖像画を見て「自分が描かれていない」と怒る。それまで客体だった彼女が、主体として立ち上がり、観察者だった画家が逆に主体を問われることになるという印象的な場面が中盤にある。ここでのエロイーズを演じるアデル・エネルの眼の顔の変化はなかなか。この肖像画の顔を消してしまった画家に、エロイーズの母はクビにするというが、マリアンヌは描きなおしを願い、母親は5日の猶予を与えて旅に出る。その留守中マリアンヌとともに女中ソフィの堕胎にかかわり、3人は村の女たちの祭りに出かけ、マリアンヌとエロイーズの間には恋情が募っていくということになるわけだ。
ほの暗い屋敷とマリアンヌの居室であるアトリエ、対照的に明るい海辺、暗闇に中での祭り…島の中での場面はこのくらいでそこにくっきり印象的な2人(女中も含め3人)の立ち居が際立つ。画家は後半純白の花嫁衣裳のエロイーズの幻影を見、2枚目が仕上がったあとは島から去る。エロイーズは望まぬ結婚、マリアンヌは画家として美術学校で女子学生たちに教え、展覧会にも出かけるがそこで画家である父の絵をほめられて「父の名で私が代作したもの」と言い放つ。島で3人で読み話した『オルフェウス』の故事を描いた作品である。「自分は一生結婚せず、父の仕事を継ぐ」と言ったマリアンヌだが、結局本人自身の画業が本人評価されるような画家にはなれないようで、18世紀の女性の置かれた境遇の厳しさと、そこを乗り越えようとする女性同士の愛を描くという意味ではきわめてジェンダー的な視点に立った作品ともいえる。
二人の恋はもちろん現実的な成就はしないが、マリアンヌが後に「燃える女」や「オルフェウス」を描き、展覧会でエロイーズと幼い息子を描いた肖像画に見入る。そして最後に劇場で向かい合わせの遠く離れた席に座る中年になったエロイーズに遭遇し、ここでエロイーズがビバルディ『夏』の迫力ある演奏を聴きながら涙する(ここもアデル・エネルの顔だけの圧巻の演技)という形で、精神的には恋が成就しているということかな…。
カンヌ'72 ではクイア・パルム賞。各映画祭、各映画人絶賛ーつまり玄人好みするー物語もだが何より役者の力量がはかられるような映画だから?-のウーン、芸術映画。で、平日夕方からの府中約100席のホールには私以外に5人くらいの中年オトコのみ…
(12月8日 府中TOHOシネマズ 231)


⑦魔女がいっぱい
監督:ロバート・ゼメキス 出演:アン・ハザウェイ オクタビア・スペンサー ジャジル・ブルーノ 2020米104分

クリスマスイブに両親を事故で失い祖母に引き取られた少年が、祖母の宿敵?である大魔女の魔法にかけられネズミに変身させられる。同じくネズミに変身した2人の子どもと、祖母もいっしょにホテルで開かれた魔女集会に潜入して大魔女と戦うというわけで、ロベルト・ダールの原作、アルフォンソ・キュロンソが制作陣にというなかなかの「ブランド」作で、ネズミになった子どもたちの映像とか、アン・ハサウェイの体当たりの大魔女ぶりとか、なかなかに楽しめる要素はあるのだが、どうも気になるのは、大魔女は獰猛な親玉ネズミに変身させられて猫の餌食に?なりそうなのだが、結局子どもたちは人間に戻ることなくネズミとしての一生を全うせざるをえないようであること。ま、それなりに子どもたちを集めて全魔女撲滅運動なんかをするわけだが、この映画の魔女たち大魔女を除いては悪の権化というわけでもなく、次から次へとネズミに変身させられてしまうわけだし、なんか子どもたちのほうがファッショな虐殺集団みたいに見えてこないでもなく…すごくペシミスティックな世界観が根底にあるのではないかと、そんな気さえするのであった。
(12月9日府中TOHOシネマズ 232)


⑧サイレント・トーキョウ
監督:波多野貴文 出演:西島秀俊 中村倫也 広瀬ありす 石田ゆり子 佐藤浩市 鶴見辰吾 財前直見 原作:秦建日子 2020日本 99分 

クリスマス・イブの東京都内、恵比寿での予告と小爆発のあと、渋谷ハチ公前での爆破予告。巻き込まれた主婦とTV局の契約社員、不穏な動きをする謎の男。彼と付き合いのある女性たち…それらがからみ、渋谷の大画面からは首相の「テロには屈しない」という宣言。渋谷には物見高い若者たちが集まり警備陣の緊張をよその盛り上がる…ところに定時を少し遅れて大爆発!ということで、それを追う刑事の眼を通して描く。一方合間には海外らしい自衛隊の地雷除去援助のシーンなどが挟まり、戦争で家族を失った少女の捨て身の抗議?も、というわけでこれが意外な展開で爆破事件につばがっていくよう…。
「つながっていくよう」というのも変だが、この映画、現代の人物と同じ人物の過去が別の役者によって演じられていることもあり、人間関係や話の展開が結構面倒くさくわかりにくい。というわけで後半では割れるのだが、意外な人物が納得のいく?とも思えない(細かくはなんかやはりわからないところもある)展開で、犯人はなぜか(これも必然性があまりわからない)レインボー・ブリッジへと導かれ…という、まあ物語。「これが戦争だ」とは思えないが、もしかしたらありうるかもというのは、首相の演説に思わされるところだ。
(12月9日府中TOHOシネマズ 233)


⑨プリズン・サークル
監督・制作・編集:坂上香 2019日本 136分

まずは満席とはいかないが、平日午後にしてはかなりの入りに驚く。島根あさひ社会復帰促進センター(刑務所)のTC(Therapeutic Community)というプログラム(全国4万人の受刑者のうちこのプログラムを受けられるのは40人だとか)のおもに4人の受刑者を追った2年間。受刑者が自らを語り、封印していた過去の虐待の記憶などを解き放つことにより罪に向き合い社会復帰をしていく様子が刻々と描かれるわけだが…。なんかこんなふうに行くの?と思えないでもないけれど刑務所内では(多分)法規制?により顔を隠した受刑者だが出所後は皆すっきりと?顔を出しているところが彼らの解放を示しているのかなとも思える。それにしても出てくる人物の多くが幼少期に虐待を受けているという事実はある意味衝撃的だ。
とにかく極めて真面目に作られたドキュメンタリーで、見ごたえがあるが疲れることもこの上ない。 (12月10日 ポレポレ東中野 234)


⑩もったいないキッチン
監督:ダーヴィッド・グロス 出演:ダーヴィッド・グロス 塚本二キ 2020日本 日本語・英語・ドイツ語 95分

ザルツブルク出身の映画監督で捨てられる食材を「救出」して料理を作り撮影をして世界を回っているというダーヴィッド・グロスが、相棒で英語通訳の二キとともに改造キッチンカーで全国をめぐり、捨てられる食材を使って料理をしたり、地産地消の現地で食材を使って食事会「もったいないキッチン」を開催する様子を、本人のドイツ語の語りによって描いていくのだが…。捨てられてしまう食材を「もったいない」として食事に変身させるのはいいとして、そのような視点で料理をするシェフや、生産者を訪ねるのもまあいいとして野草料理の専門家?とともに野草で料理を作ったり、昆虫愛好家と昆虫料理を食するなんていうのも「もったいない」なのかなあ。ちょっと焦点が広がりすぎて、コンビのびっくり反応や感想や、楽しい道中のようすは楽しめるのだが、主張がぼけてない?という感じも。もっとも意を唱えるとオコラレそうな映画という気もする。(12月11日 下高井戸シネマ 235)


⑪ブリッド・マリーの幸せなひとり立ち
監督:ツヴァ・ノヴォトニー 出演:ベル二ラ・アウグスト  ペーター・ハーバー 2019スェーデン 97分

63歳、何事もきっちりと段取りし家事は完璧、夫の浮気に気づきつつも物言わぬ主婦ブリッド・マリーは夫が倒れたという報せに病院に駆けつけ、夫の愛人に遭遇する。ただちに家を出て仕事探しに。聞いたこともない田舎町ボリのユース指導者、実は少年サッカーコーチという職に就くことになる。
で、もちろん最初は少年たちとゴタゴタ、街の大人たちともギクシャクというところから…これ、でも主にブリッド・マリーの融和的な態度というより、街の人々の不愛想ながらとてつもない優しさや彼女への期待によるものだと思われるが、弱小サッカーチームと、チームの拠点である閉鎖が決まっているというセンターに、彼女に好意をもつお巡りさんのバックアップなどもあり居場所を得ていくというわけだが、途中で夫が探し当てて追いかけてきてすぐ家に戻れ、戻らぬということになったり、その過程で彼女が子供のころ夢を持っていてしかし事故で早死にした姉と、裏腹にその陰で夢を持たずに大人になった自分を振り返り…というところがまあ、この映画のちょっとユニークなところ?
弱小チームが彼女や周りの大人たちの援助もあって子どもたちの頑張りはもちろんあって得点した!しかし彼女は街を去る…もっともその行きつく先が夫の待つ家でなく、カジュアルな恰好でエッフェル塔の見える丘に立つー夢を果たすーというのがまあ、予想はされるが納得の終わり方ということになる。内容はちょっとご都合主義的だが、スェーデンの国民的女優であるというペルニラ・アウグストの「変化」の演技はさすが。
(12月11日下高井戸シネマ236)


⑫鬼滅の刃 無限列車編
監督:外崎春雄 原作:吾峠呼世晴 出演:花江夏樹 鬼頭明里 日野聡 下野紘 松岡禎丞 平川大輔 2020日本 117分

ようやく見た!大人気の『鬼滅の刃 無限列車編』10月公開でおよそ2か月近く、未だ府中でも1日10スクリーンくらいやっていて、そこそこに混んでいるというのがびっくりで、ともあれ見ておくべしということで無料鑑賞ポイントもたまっていたのでようやく出かける。テレビシリーズでやっていたものの続きからということで、原作の少なくとも最初の方とか、テレビアニメの方を見ていないと、「鬼滅隊」も禰豆子の境遇も何も説明はないので全然わからないと思うのだが、これだけの人が見ているということはもはや「鬼滅」の基礎的な設定に関しては国民的常識になっているということ?
映画は無限列車に乗り込んだ炭次郎以下の面々が前半は眠らせて夢を見させて相手を滅ぼす鬼とたたかいーこの中で炭治郎が失ったものとしての幻影の家族がちょっと出てくる。後半は列車内で出会う煉獄杏寿郎(これがとぼけた態度行動の前半とめっぽう強く、弟を思い父との葛藤に悩みつつ「正しいこと」「人のためを求めるメッチャ格好いいキャラ)と顔体に縞模様のキカザ?なる鬼との壮絶な戦いと、炭治郎らを励ましながらの死、ということでウーン。大変に感動的?な人間関係で作っているのは確かだけれど…2回見に行こうとか、期待以上だったというほどのことはない??(失礼)でも、なんかプログラムと見まがうような出演者の対話の入った冊子とか、ウィルスバリアのアロマカップとか、サービスも満点?でポイント鑑賞ゴメンナサイ!  (12月12日府中TOHOシネマズ237)


⑬シチリアーノ 裏切りの美学
監督:マルコ・ベロッキオ 出演:ピエル・フランチェスコ・ファビーノ ルイジ・ロ・カーショ 2019伊・仏・独・ブラジル イタリア語(シチリア方言)ポルトガル語英語 152分

ウーン。予告編が面白そう?重厚あでやかな感じだったので見に行ったが、全然わからない世界。シチリアのマフィア、コーザ・ノストラの大物(本人は映画内で一兵卒と言っている)トンマーゾ・ブシェッタが家族の一部?を連れてブラジルに逃れる1980年からブラジル国内で捕まりイタリアに送還される直前に自殺をはかる場面、そして戻ってファルコーネ判事の聴聞を受け捜査協力をして、大勢の元仲間を告発?する。1970年代にさかのぼり、ブラジルに逃げた後に残された家族―息子たちへのマフィアの報復的な殺し、それに対するブシェッタの悲しみというより怒り。裁判場面で鉄格子の向こうで裁かれるマフィアたちが並び、その前の証人席でのブシェッタ対マフィアの証人(犯人?)の口汚い応酬、裁判官がむしろおろおろと止めに入ったり、イタリアのマフィア裁判ってこんななんだとは知らなかった…。間でファルコーネ判事が道路走行中の車の爆破で殺されたりとか、刺激的な場面も挟みつつ2000年代までの延々30年間を描くのだが…、うーんわからん。
確かに家族を殺されたりして、自分が加盟していた組織に違和感や不信感を持つというのはわかるが、立派な風貌の主人公からはあまりそういう不信感が伝わらず、むしろ自信をもって組織の人々を告発する感じなのだが、それって結局自分が助かるため?なんか共感も抱けないし、論理的にもえらく感情優先(家族の伝統を重んじようという価値観はあるのかも)な感じで、見ていてもウーンウーンと思っているうちにまだらに眠気がさしてきて、肝心なところは見落としたのかも。イタリアアカデミー賞6部門受賞とか、カンヌ正式出品のマルコ・ベッキオ作品なので、私の理解力を疑わなくてはならないんだろうな…
(12月14日下高井戸シネマ 238)


⑭ジョン・ラーべー~南京のシンドラー ★★
監督:フロリアン・ガレンベルガー 出演:ウルリッヒ・トゥクール ダニエル・ブリュール スティーブ・ブシェミ  アンヌ・コンシニ 張静初 香川照之 杉本哲太 ARATA(井浦新) 柄本明 2009独・仏・中国 129分

この映画2009年中国公開時にDVD・中国語英語字幕で見ていたが、その5年後確か「南京・史実を守る映画祭」での何か所かのホール上映があったもののこれはチラシのみで見逃し、日本語字幕付きでは今回初鑑賞。シーメンスの敷地にハーケンクロイツの大きな旗を置いて日本の空襲を避けるというような場面の鮮烈さを始めかなり印象的な映画だったので、新たな情報というようなものはあまりなかったのだが、日本役者陣も含め(決して中国を活動のおもな場としているというような役者たちではない)かなり豪勢な配役で作られていることにいまさらながら驚く。しかも日本は制作陣には入っていなく、劇場上映も行われていないということで、こういういわば一般的には知られざるしかし日本もしっかりかかわっている映画ってまだまだあるのだろうなあと今更ながら。
平日の朝10時からの回だったが,行ってみるとロビーはかなり人ぎっちり。満席ではないが半分以上は座っている感じ。特に高齢者の姿が目立ち、上映中に立ったり座ったりが多いのもユーロスペースっぽくないのだが、まあ仕方がないか…。この映画祭は日大芸術学部現役生が毎年テーマを決めてやっている映画祭の一環ということのようで、「中国を知る」というテーマのゆえか、外からの視点で中国大陸を見た映画、台湾、香港とどこかの合作映画、それに日本製の中国を描いた映画という感じ。『南京、南京』とか『南京1937』でなくこちらが選ばれたのもそういう視点なのかなと思える。ちなみに「南京のシンドラー」という副題はどうかとも思えるが、シンドラーと同じくジョン・ラーべもナチ党員でありながら「民衆を助ける側」に回ったからということからかな。
実は16日BSP(TV)で『シンドラーのリスト』放映あり。久しぶりにこちらも見たーこれも見た当時あまり知らなかったせいか意識しなかったが、今や体の動き優先中年親父みたいなリーアム・ニーソン、ベン・キングスレー、レイフ・ファインズ=若い!バリバリの悪役収容所長役、とそろい踏みに、へぇそうだったんだと今更ながら…だった。
こちらのエンドロールによれば、没落して死んだシンドラーは今でもユダヤ人を助けたとして忘れられず評価されているようだが、ジョン。ラーべのほうはナチスの烙印を貼られたまま、こちらも没落して1950年には死んだという。ヨーロッパからはるか離れた極東でナチスを利用して中国人を日本から守り助けたっていう不利かなあ、と気の毒にも思う。
(12月15日 渋谷ユーロスペース 現役日藝生による映画祭 中国を知る 239)


⑮愛について、東京
監督:柳町光男 出演:呉暁東 岡坂(黒沢)あすか 藤岡弘 1992日本 113分

90年代、留学として中国から日本に来ながら結局「稼ぐ」ことに追われる若者たちの一人と、ルーツを中国に持ちながら日本で生まれ育ち中国語もほとんど話せない少女ーというか当時21歳?だった黒沢あすかが特に前半少女っぽい格好で初々しいーのいかにも90年っぽいチープな部屋や河原での愛?それにヤクザ(といってもちょっと一匹狼っぽい貫禄の)藤岡弘がからみ、当時まだ岡坂だった黒沢がヌードにもなり体当たり演技とか言われた?一作。貧しいけれど元気な?中国人青年たちが印象深い。彼らは稼いで国に帰り今は大物になったりしているのだろうか。まあ、展開としてはヤクザに転がされつつ依存していく少女と、そこからはじき出されるもめげない中国人青年という感じでありきたりな感じもあり、ところどころ眠気に負けて(何しろ午後いちばんなので)というところもあるが、まあこの時代の新しい?中国と日本のかかわりとして描かれているのかなという印象はある。
(12月15日 渋谷ユーロスペース 現役日藝生による映画祭 中国を知る 240)


⑯独立愚連隊
監督:岡本喜八 出演:佐藤允 雪村いづみ 夏木陽介 上原美佐 江原達怡 南道郎 中丸忠雄 中谷一郎 ミッキー・カーチス 鶴田浩二 三船敏郎 1959日本 モノクロ 108分 ★

60年前の岡本喜八作品。北支戦線を舞台にした戦争ミステリー的西部劇風作品?主演の佐藤允の大きく頬まで切れるほどの笑顔の吸引力がすごくて、内容的には現代の眼で見れば首をかしげるようなノー天気な中国の描写や、慰安婦たちの描き方ももありつつ、笑わせながら戦争のバカらしさを思わせるような作品にはなっている。
従軍記者を名乗る脱走兵ー不思議な西部劇風ロンパースみたいな衣装に拳銃早打ち、乗馬で平原を駆け回る佐藤允。追いかけてきて従軍慰安婦になっているフィアンセ・トミ(雪村いづみ)。彼女を助けるパートナーの朝鮮人?慰安婦が中北千枝子でこれがなかなかうまい。この人と鶴田浩二は老いてもあまり顔が変わらなかった人かな。鶴田浩二が馬賊とはとても思えないような中国人馬賊ヤンとして出てくるのはなんかご愛敬、かな?
自分が幼いころに活躍していた役者たちだけれど25歳だった佐藤允を含めほとんどは物故者というのも時の流れを感じさせられる。脱走兵=記者が最後は中国人部隊・独立愚連隊双方全員戦死という中で怪我をしながらも生き残り、馬賊に加わって平原に去っていくというのもいかにも西部劇(北部劇というべきか)。
(12月17日 渋谷ユーロスペース 現役日藝生による映画祭 中国を知る 241)

⑰靴ひも
監督:ヤコブ・ゴールドヴァッサー 出演:ネボ・キムヒ ドヴ・グリックマン 2018イスラエル(ヘブライ語)103分

別れた妻の死によって、彼女が育てていた38歳の発達障害の息子ガディの施設が決まるまでを引き取ることになった、自動車修理工場を営むルーデン。息子は会話も一応でき「掃除のチャンピオン」を自ら言いつつ働いたり身の回りのことも一応できるがこだわりは強く、本人の好みペースでなければ動けない。最初は持て余し気味からだんだんと息子を理解しようとするが育ててこなかった負い目もあり、なかなかうまくいかない彼のいら立ちも描かれる。ガディの面倒を見るケースワーカーや、ルーベンを囲む人々の素朴粗削りだがまっすぐな好意の示し方の描かれ方はなかなかいい。
そんな中でルーベンが重度の腎不全で倒れ透析をしつつ、腎臓移植をした方がいいということになる。身寄りはガディと、不仲らしい弟だけ。弟の家に行くも決裂というあたりも描かれ、最後に倒れてしまうルーベン、瀕死の父の運転をサポートし病院に向かい、衣食のための面接で熱弁をふるうガディがいわば見どころ。ルーベンも息子の移植は望まず、法的にも自己決定能力がない障碍者からの移植は認められない中での、ガディのいわば自立と臓器提供の意思、それを受けるルーベンが描かれるわけだが…終わり方がイマイチの納得できず?(ネタバレするが)父への移植を求めて部屋にこもり薬立ちをしててんかん発作を起こすというような行動のはてに自分が臓器提供者になることを周りに認めさせたガディが、移植を受けたのにも関わらず感染症で父が死んだあと、それを案外素直に受け入れて自分の道を行くというのは、彼の成長として描かれている?のだろうが、なんか救われないという感じもした。「靴ひも」はそれが結べるかどうかが障害の基準となるというような行為として描かれている。(12月18日 キノシネマ立川 242)

⑱ミセス・ノイズィ
監督:天野千尋 出演:篠原ゆき子 大高洋子 長尾卓磨 新津ちせ 宮崎太一 米本来輝 田中要次 洞口依子
2019日本 106分 ★

このところTVでよく見る篠原ゆき子がアジア太平洋映画祭主演女優賞を獲った映画ということで、今まで割と地味でおとなしめなイメージの役を演じることが多かったように思う彼女が文字通り体当たりブレークという感じ。他の出演者たちも顔も名前もメジャーという感じの人は少ない(私だけが知らない?隣家の夫婦役はオーデションだそうだが、皆さん舞台系の人なのかな?)が、なかなかリアリティある演技と演出で楽しみつつ、じわっと感動ではないが納得できるという感じ。
コンセプトとしては、ケンカになる隣家どうしの言い分をそれぞれの立場で描き(隣家の哀切な事情の前では小説家の側はどうしてもワガママに見えてしまう気配はあるが…)小説家は隣家を描いた『ミセス・ノイズィ』なる小説といとこの青年が勝手にアップしたYouTube映像で大ブレークするが、それが思わぬ(というか見ていると全然「思わぬ」ではなくて予測されるのではあるが)結末を招き、大変なことになって…が、こちらは考えられる限りの範囲でのハッピー・エンドということになる。「書くこと」、まして現代ではYouTubeなどでだれもが映像を拡散できることによるまわりへの影響、被害はやはりこわいなあと、まとまりの良い映画を見ながら少し考えさせられてしまう。
(12月18日 キノシネマ立川 243) 

⑲ノッティングヒルの洋菓子店(Love Sarah)
監督:エリザ・シュローダー 出演:セリア・イムリ― シェリー・コン シャノン・ターベット ルパート・ベンリー=ジョーンズ 2020英 98分

ノッティングヒルの長年空いていた店舗を借りて店を開こうとしていた製菓学校時代からの友人どうし、有能なパティシエのサラと、相棒で経営を担当するはずだったイザベラ。ところが開店直前サラが突然の事故死(この事故死の経過は彼女が気持ちよさそうに走る自転車の光景からで延々と続き結構ハラハラさせられるが、実際の事故光景が出てくるわけでなく、母ミミへの電話という感じで知らされる)店は頓挫かと思われたが、サラの娘クラリッサ(バレエ修行中だが同僚の恋人との関係も含めスランプ中)とイザベラは、ミミにも声をかけ3人はサラの意思を継ぐべく店を開くことにする。
助っ人として現れたのはサラ・イザベラの製菓学校時代の友人でサラとはかつて付き合いがあり、今や二つ星レストランのシェフになっているマシュー。しかし開店したものの閑古鳥状態の店…。
ミミが店に来る配達人なども含めてリサーチしたのはノッティングヒル界隈に世界中から集まってきている多民族のそれぞれの故郷の菓子を作ること。こうして店は繁盛しだすが、そうすると今度は人手が必要に。マシューはイザベラにパティシエの道に戻るように説得し、ここから二人のぶつかり合いもありつつ、マシューがクラリッサの父親ではないかという疑惑もからみ、さらに向かいの店のオーナーとミミの恋模様と多彩ながら、まあ予定調和的なさまざまがあり、最後は日本人女性の要望に応えて作った抹茶クリームクレープ?なる国籍不明な日本風ケーキのブレークや取材もあったりと、店が繁盛し、人間関係も丸くおおさまり、クラリッサはバレエの道に戻るという、うーんなんか、まあ今時ふうのおとぎ話仕様?刺激というか考えさせられるというような点は少ないがおだやかに楽しめる一作というところ。セリア・イムリ―(68歳)の頬や目の下のしわしわぶりに、これが年相応ということかと思いつつ若干ショックを禁じ得ない。
(12月18日 キノシネマ立川 244)


⑳コロンバス
監督・脚本・編集:ココナダ 出演:ジョン・チョー ヘイジ―・ルー・リチャードソン ロリー・カルキン 2017 米103分

「モダニズム建築への恋文ともいうべき映像美、小津安二郎にオマージュをささげたココナダ監督作品」というのが惹句でなるほど…インディアナ州コロンバスが舞台で、ここはモダニズム建築の宝庫と言われ有名な建築物がたくさんあるらしい。
で全体に雨模様でしっとり系のグリーンやくすんだグレーの背景に立つ機能的と言っていい水平方向に広がるような建造物の中で繰り広げられる物語は建造物のなかに溶け込んでいる感じで確かに品よく、時の流れも少なくとも急いではいない感じ。
ロングショットや、長回しが目立つゆったり感は比類ない感じ。でもそれって逆に物語の緊迫感とかはちょっとそいでしまうところもあり、昼食後昼いちばんの鑑賞だと、延々セリフで語られる部分がときどき飛んでしまう。しょっぱなの建築学の教授の孤独さ(建物の屋外ロビーのようなところで、助手が他と電話している最中に一人で歩き出し倒れる)の表現は秀逸。
韓国から意識不明の教授の見舞いに来て教授の部屋に泊まる息子の、なんていうか心ここにあらず見たいな淡白さというかそっぽ向き加減も。そして図書館で働きながら建築の世界にあこがれつつ、母の看病のためにこの町にとどまる女性(というよりか娘という感じ)の生きの良さというかちょっとたくましい感じさえするたたずまいの調和はなんとも面白いのは確かで、心に残る。彼女の行く末ガンバレと言いたくなってしまうような…
(12月21日 渋谷アップリンク 245)


㉑BOLT(日本映画なのに英語題名って…)
監督・脚本:林海象 出演:永瀬正敏 佐野史郎 吉村界人 大西信満 堀内正美 月船さらら ★

『BOLT』『LIFE』『GOOD YEAR』といずれも英名の表題がついて3部作。通しの主人公は永瀬正敏演じる「名もなき男」。1部では大地震の影響で緩み汚染水の漏れ出す原発のボルトを閉めに行く男たちの話。同じような状況は『フクシマ50』(2020若松節郎)でも見たが、暗闇の中、永瀬、佐野史郎らが演じる作業員の顔の大写しの表情でつづる緊迫の状況はこちらがより迫力あり。しかも最後にこの行為失敗に終わり原発は爆発?してしまう。
2部『ライフ』は大西信満と組んで危険区域の住宅で孤独死した人(画家らしく震災を描いたタブローが残される)の遺品処理に出向く話。死者の幻影が現れたりして主人公の精神的な動揺なども描かれつつ「生きていくしかない」ということばで締めくくられる。
3部はその「生きていく状況」。寒々とした修理工場で一人何かの装置を作っている男。原発の作業員を志願したらしいが「有能な作業員ほど汚染量が基準値を超えて使えない」と断わられる。そこに外でドンと衝撃音。出てみるとオープンカーがパンクして家の前の道路標識に衝突し、中には毛皮コートの女が失神している。-この女は男のデスクに飾ってある「妻」のようでもあり、また1部の最初に水中でもがく女がちらりと出てくるのだがこの女でもある。つまり主人公のヒロインというかマドンナというかであるわけだ。女は目を覚まし、北海道に行くと言って男の修理した車に乗って去るが、雪模様の中のオープンカーと言い、女の女の残す「よいお年を」という言葉を含む言動など非現実でありながら、男をいかにも孤独に癒すという感じの世界…工場に掲げられたネオン看板の点滅とともに幻のように描かれる。全体に震災後の暗い色調の中で描かれつつ、希望が全くないのではないという微妙な部分の描き方がうまくてインパクトがある映画だった。
(12月21日 渋谷ユーロスペース246)

㉒夢見るように眠りたい
監督・脚本:林海象 出演:佐野史郎 佳村萌 大竹浩二 大泉滉 あがた森魚 深水藤子 吉田義夫 1986日本84分(2020デジタルリマスター)

初版は1986年公開だそうだが、この頃は私は映画を見るヒマなし超精選鑑賞の時代で、名前だけは知っていたが見たことがなかった。この度のデジタルリマスターでようやく見ることができた。
で80年代製作の昭和30年頃の浅草を舞台に、さらに昔大正時代の映画製作を絡めたという凝った構造の、いかにも80年代という感じの作品だ。主演はまだ状況劇場の役者だった若々しい佐野史郎で、ゆで卵ばかり食べているヘンな探偵・魚塚。彼が助手の小林(当然明智小五郎が意識されている?)とともに、誘拐された令嬢の捜索に当たるうちに、いわば異次元世界である大正期無声映画の世界に引き込まれていくというような話で、この映画も全面モノクロ(大正時代の無声映画=佐野の二役の「黒頭巾」)、セリフは字幕、効果音だけは実際の音響というようななかなか凝った作り。今で言ったら『海辺の映画館ーキネマの玉手箱』(2020大林宜彦)あたりと通じるようなテイストがあるのかなとも思われるが、もっともっと素朴な感じではある。
(12月21日 渋谷ユーロスペース 247)

㉓ワンダー・ウーマン84
監督:パティ・ジェンキンス 出演:ガル・ガドット クリスティン・ウィグ クリス・パイン ペドロ・パスカル ロビン・ライト 2020米 151分

151分の長尺。出だしはWWダイアナの少女時代の訓練風景で10人くらいのワンダーウーマンが飛んだり走ったり馬に乗ったりアクロバティックな競技風景でその中で少女一人が頑張るというのが見ごたえ。
そして第1作(第一次大戦ごろ)から84年になぜか時空を飛んでスミソニアン博物館の学芸員になっているダイアナの前に現れ、彼女にあこがれるバーバラという新人の宝石学者、彼女に持ち込まれる謎の宝石(願いが叶う)と、この石を奪い自らが石と一体化して世界征服をもくろむ石油商マックス=これがいかにもトランプ風の造形で独裁の気配ふんぷんなのだが、幼い息子の危機によって改心というのはちょっと甘くない?
悪があまり悪に見えず、ワンダーウーマンが決して人を殺さない(傷つけないというほどにはならないのだがとにかく防戦一方でそれゆえ危機に陥るということもある感じ)というのが、これほどに空を飛んだりパワーを発揮している割には根っこが「やさしい」というのはなかなかに興味深い。
ダイアナはとにかく意志の人で宝石の力によって取り戻した恋人スティーブ(違う時代の人なわけで、別人にいわば憑依する感じでよみがえる)とも、世界のために別れ、自分のためでなく世界を救うためというのがかっこよくもあり、しかし女が強くなるとこういう方向に求められてしまうのかなとも思え、しかも彼女の露出度満点な戦闘衣装も相変わらずなので、ウーン、スカッとするようなしないような妙な気分での151分は長かった…。
(12月24日 府中TOHOシネマズ 248)


㉔GOGO94歳の小学生
監督:パスカル・プリッソン 出演:プリシラ・ステナイ 2019仏(英語・スワヒリ語)84分 ★

幼い時には貧しさと家の仕事で教育の機会に恵まれず、90歳にして小学校に入学したGOGO(おばあちゃん)の最終学年1学期間(家から離れて寄宿生活)のドキュメンタリー映像。GOGOは映画というものを知らず、軍人の夫を喪った後3人の子を育て22人の孫、52人のひ孫がいる助産師。ひ孫と一緒の学校生活で、そのひ孫が祖母を見守りバックアップしながら一緒に学校生活を送っているのがいい感じ。授業は英語だが、1年生やGOGOもだが英語のレベルは決して高くない。しかしGOGOと一緒に卒業試験を受けるひ孫娘の英語は流暢で、教育の成果なのだろう。
英語授業ではGOGOは決して優等生とは言えず白内障で見えないこともあって卒業試験にも失敗するのだが、一方でスワヒリ語で民話を子どもたちに語って聞かせたり、学校に新しい寄宿舎を寄付したり、また学校のそばに住む老女ティナ(茶飲み友だち)が次の学期には新入生として学校に入ったりと、そういう周辺への影響力を大いに発揮し、また卒業試験失敗後学校をやめようとするが校長の尽力で白内障の手術を受けることができ再度学校の門をくぐるなど、単に学ぶ以上の相互作用をもたらしているところが、素晴らしいと思える。最初に「他とは違う特別なおばあちゃん」だとテロップが出るがまさにそうなんだろう。
ただ、このケニアの小学校、建物や教育環境が素晴らしいとは言えないのだが、1週間の校外学習のプログラムなどを見ても総合的に学び、新しい知識のみならずマサイ族の学校と交流して伝統を学んだり、子どもたちがあまり見る機会のない大草原を見せたり、絵を描いたりなど、かなり工夫された総合教育が行われている感じで、それゆえこの高齢者たちの居場所もあるという学校なのだろうとも思える。『世界の果ての通学路』(12)のパスカル・プリッソン監督。あちらも極めて印象深い映画だった。
(12月25日 立川キノシネマ 249)

㉕ソング・トゥ・ソング
監督・脚本:テレンス・マリック 出演:ルーニ―・マーラ ライアン・ゴスリング マイケル・ファースベーダー ナタリー・ポートマン ケイト・ブランシェット ホリー・ハンター パティ―・スミス イギィ・ポップ リッキー・リー 2017米 128分 ★

アメリカ・オースティンを舞台にルーニー・マーラ扮するバンドのギタリスト・フェイ(だがまだ無名の)とこれも売れない作曲家BV(ライアン・ゴスリング)の恋と別れ再会を軸にフェイと付き合い、BVを裏切る(世話になった人に共作のコピーライトを取られてしまうというのはかわいそう。身につまされる)売れっ子プロデューサのクック。彼がちょっかいを出すという感じの夢を失ったウエイトレス(ナタリー・ポートマン)。別れていた間のBVが付き合うケイト・ブランシェット扮する年上の女性とか、セリフは少なく多くはフェイやBVなどの独白の語りでつづらる
大きな事件的展開はないのだが、何気ない一つ一つの場面の美しさというおしゃれさ(数々出てくるベッドルームとかのそれぞれの美とか)、ウーン、物語的妙でもなく、好きで好きでたまらないのだがそれをもろに表現するという感じでもなく、なんか距離を登場人物に置いている登場人物自身という不思議な、ウーン魅力はあるんだが。後半突然にBVが病身の父と精神的に不安定な母のために音楽を捨て街を離れ郷里に戻って肉体労働に従事する、それにフェイもついていくという展開にあら…。
観念的な恋愛話はこうでもしなければ着地しないかとも思うがそれにしてもあまりの落差に茫然。そしてこの選択も含めこの映画の男どもが自己中に女を振り回している感じなのがちょっと不快(主演男性2人のビジュアルもあるかも)と、女も自立の意図を持ちつつ恋愛に振り回されるのは歯がゆいと言えば歯がゆいよなと、まあそんな気にもさせられるのだが、物語なのではなく映像詩なんだろうね、これは。
(12月25日 立川キノシネマ 250)

㉖ウェンディ&ルーシー
監督・脚本:ケリー・カーライト 出演:ミッシェル・ウィリアムズ ルーシー(as herself)  ウォーリー・ダルトン ウィル・バットソン 2008 米 80分 ★★

下高井戸シネマ年末レイトショーの「ケリー・カーライト」特集が評判だというので見に行く。7時40分開映の回。7時15分ごろ行くと102番(定員は126人補助椅子も出して140くらい?=142人いれていると後でわかった)ロビーには黒っぽい格好の若者がわらわら。その後も切符売り場には次々人が来て老若男女、結局補助席も含め満席!映画、実は途中ヒロインが万引きをする直前でぶっつりと画面が途切れ機材故障とか…。しばらく音声だけ流れていたりもしたので映像的には若干の欠落もある?(昔武蔵野館で同じようなことがあって、帰りがけお詫びの招待入場券が配られたのを思い出す。しかし満席ではなかなかそれもしにくいだろうなあ…。私は実は会員回数ポイントの招待券入場だったのでま、しかたないけど)というわけで、内容になかなか踏み込めないが、いや、魅力的な映像であるのは確か。
物語としてはインディアナ?からアラスカに職探しのための犬一匹をつれておんぼろホンダアコード(う、懐かしい!)で移動中の女性がオレゴン州のある街で、車が故障、スーパーで万引きして捕まり犬と別れ別れに警察に拘束され、罰金50ドルを払いようやく釈放されてスーパーまで戻ってくると繋いでおいた犬がいなくなっている。近くのビルの前にいる警備員(というか門番?)の老人の助けと携帯電話を借りて犬探しをし、故障した車を修理工場に出し(こちらは結局は廃車)危ない目にもあい、追い詰められ、それでもとうとう犬を探し当てるまで…。
で、女性(20歳前後)の意志の強そうな面構え、それが追い詰められていく不安さ、着たきりが、スーパーのトイレで身づくろいをする様子や荷物を背負って疲れながらも犬目指して意志的に足を進める様子とか、とーっても魅力的なのは確か。演じているのはミッシェル・ウイリアムズで普段のブロンドとは違い真っ黒な髪。意志的な眼差しとかちょっとあどけなさを見せる素朴な感じの表情にマッチして別人みたいだし、2008年公開の映画だというからすでに20代も後半に入りヒース・レジャーとの間の娘も誕生していたのだろうけれど、とてもそうは見えない。また、クローズアップの表情とか、派手派手しく意表を突くのではないがとても不思議な魅力的な風景のカットの仕方などもあって、またこの作者の作品を見たいと思わせられるような魅力に満ちた作品であった。
(12月27日 下高井戸シネマ ケリー・ライカート特集 251)

㉗また、あなたとブッククラブで(BooK Club)
監督:ビル・ホルダーマン 出演:ダイアン・キートン ジェーン・フォンダ キャンディス・バーゲン メアリー・スティーンバージェン アンディ・ガルシア ドン・ジョンソン リチャード・ドレイファス クレイグ・ネルソン 2018米 104分 

実年齢でいうと82歳のジェーン・フォンダ(ホテルのオーナー。宿泊した若い時の恋人に再会)を筆頭に74歳のダイアン・キートン(夫を亡くした専業主婦。二人の娘に心配され同居を進められる。娘たちを訪ねる飛行機の中で知り合ったパイロットとの間で恋に落ちる。設定は1951年生まれの69歳)、キャンディス・バーゲン(連邦判事。別れた夫と新しい恋人の結婚に苛立ち、出会い系サイトで相手を求めるが…) 67歳のメアリー・スティーンバージェン(ときめきもなくセックス面でも自分を見向きもしない夫に苛立つ) 配する男性陣も76歳のクレイグ・ネルソンから一番若いアンディ・ガルシアが64歳?(男性のほうがちょっとだけ平均年齢が低い?)という役者たちが70歳前後?の女性たちの愛と恋を演じるという、まあ、元気が出なくてはいけないという押しつけがましさも、恐るべきというかそういう感じもしてしまう。
別に愛や恋があってはいけないというのではないが、親友4人の読書会のテーマは官能小説で、それを読んだ彼女たちが触発されて(こういう設定もお気楽ではある)それまで考えてもいなかった?男性との出会いを求めて、ま、年齢的にもそこそこ良識の範囲(やたらと若い男を漁ったりするわけではない)のそれぞれイケメン(見かけだけでなく、地位やお金もまあありそうなという意味で)で性的関係を伴う恋を始めるが…。
もちろん彼女たちにもそれぞれそれまでに築いてきた生活や家族もありで紆余曲折ありながら最後は連邦判事以外は皆ペアになった男たちとハッピーエンドを迎え、連邦判事は自立しながらマッチングサイトをさらに検索するというわけで、『セックス&シティ』の高齢版かしらと思いつつ見たが、それよりさらになんというかオトコ依存度の高い、つまり男目線の女たちかなとも思え(まあ、いい年して色恋に走ることを男が肯定するとこうなんるのかなとは思える)それを新しさとして標榜する雰囲気はちょっとやりきれない感じ。
予想しつつ見に行ったので仕方がないのだけれど…。ところでこの邦題の「あなた」は相手の男のことなんだろうなあ。次の『パリのどこかであなたと』もそうなのだが、日本人の好きな「あなた」を感じさせられる。
(12月28日 立川キノシネマ 252)

㉘パリのどこかであなたと(原題Deux Moi 英題 Someone Somehere)
監督・脚本:セドリック・クラビッシュ 出演:アナ・ジラルド フランソワ・シヴィル  2019仏 111分 ★

30歳、隣り合うアパートに住む(と言っても建物は違う。しかし部屋は隣接。内部はセットだろうが、そとから二つの部屋が並び、そこに互いを知らないふたりが生活している様子も垣間見られるという構造は、よくまあこんな建物見つけたね、という面白さ。しかも二つの部屋からの遠景ははめ込みではあろうがモンマルトルの丘が正面に見えるという夢のような風景)男女のそれぞれの不安や悩みが個々に語られる。
それと知らずに二人を繋いでいる飼い猫、二人がそれぞれかかる心理療法士は夫婦、そして二人が買い物をする食料品店の主人の義弟が営むダンス教室にそれぞれ二人は誘われて最後には出会うのだが…。出会ってからもセリフがあるわけでなく、二人の生活はそれぞれ隣り合った部屋の中でそれぞれに進んでいく様子、ま、だからこそ原題「二人の私」であり英題「だれか、どこかで」なんだと思うのだが、邦題だと出会いのために生きているという部分が強調される感じで、それはその通りだとは思えるが、それぞれの温度差は感じざるをえない。
職業上の悩みから女は眠りすぎ、男は不眠に悩むという出だしから、セラピーによって二人の抱える家族とのトラウマがそれぞれあらわになっていくというのは、いかにも映画的な展開だなあとは思える。女性メラニーの妹の存在(窓の下を走る故郷に行く列車の中から妹が電話をかけ、故郷に帰りたくないメラニーが妹には手を振るという描写がいい)、青年レヴィの故郷の雪景色がしばし心をなやませてくれる。
(12月28日 立川キノシネマ 253)

㉙フェリニーニのアマルコルド(Am'arcord 「私は思い出す」)
監督:フェデリコ・フェリーニ 出演:ブルーノ・ザニン マガリ・ノエル ブッペラ・マッジョ 1973伊 124分 ★★

1930年代のイタリア・リミニという町、最初は柳絮の飛ぶ春の風景から。魔女の人形を作って焼く祭りに、その後この映画に登場する人々がそろって見物しながら参加する光景。そこからある一家とその家の息子を中心とした視点からの街の様々なエピソードが断片的につなげられていく。一家はいささか暴力的に父権主義的な父親、父とは激しく言い争いながら息子たちを見守る母―映画の終わり近く亡くなって葬儀シーンが悲しいー、ファシズムに反対したとして摘発される父、密告を疑われる親戚?(関係がよくわからなかった)の男、精神病院に収容されている叔父の外出の日のエピソード、それに町の様々な人々のエピソードも繋ぎ合わされtちょっと脈略のない感じがするが、終わってみると一つの街で青年期を過ごした日々の追想として、懐かしみを覚えさせられるところが、さすが。
4Kリマスターで修復された画面は元の色調に調整したと説明があったが、今の眼で見るとちょっとセピアがかったこれも懐かしい色合いで、この時代のイタリアは勿論知らないけれど、さもこうだったのかなとは思わせられる感じがあふれている。
(12月29日 下高井戸シネマ 生誕100年フェリー二映画祭 254)

㉚青春群像
監督:フェデリコ・フェリーニ 出演:フランコ・インテルレンギ アルベルト・ソルディ フランコ・ファブリーツィ 1953伊 

こちらはさらに20年前にさかのぼる。出だしの音楽や画面(35㎜)のモノクロの色調などがなんとなく当時の大島渚作品『愛と希望の街』を思わせるなあと思ったのもつかの間、ヤレヤレの困った「オニイサン」たちの物語に。出だしは街の人魚姫コンテストで5人の審査員の4票を勝ち取ったサンドリア(字幕ではサンドラになっているがどう聞いてもサンドリアと呼ばれている)が倒れ妊娠が発覚するところから。相手のファウストは逃亡を図るが、父親に阻止され、彼女と結婚、その家に住みサンドリアの父の世話で骨董屋の店員をすることになる。しかしファウストは妻と行った映画館で隣に座った女性に目をつけたり、雇い主の妻に色目を使ったりととどまることを知らない女たらしぶりを発揮するというのが前半の中心。映画はサンドリアの兄でファウストの遊び仲間でもあり、ファウストの行動に眉を顰めつつ引きずられてもいるモラルドの視点から、他の3人の仲間のエピソードも含めて描かれる。5人は職がなくふらふらと遊び暮らしている男たちだが、その風体はきちんとネクタイをしたスーツ姿、コートも羽織り中折れ帽やハンチングもかぶってイタリア風伊達男?というのか、今の若者たちから見ると限りなくオジサンっぽいのが70年まえなんだなあと思わせられるが、行動は今の若者の比でなくいい加減で、その格好との落差が今の眼で見るとなんか変な感じ。女性サンドリアのほうもウーン、夫を許せないながら家出して逃げ込むのが夫の実家ってどういうことよ…という感じで、なんかこの映画の女たちは男の愛玩物・鑑賞物としての地位しか与えられていない感じで、その居心地は悪い。
映画はモラルドがこの環境から抜け出して列車に乗って街を出るところまでーフェリーニの自伝的要素の強い作品と言われる由縁であろうか。彼を見送るのは夜中の3時から駅員として働く少年・グイド。出番は多くはないがこの少年印象に残る好演だ。
(12月29日 下高井戸シネマ 生誕100年フェリー二映画祭 255)

㉛リバー・オブ・グラス
監督:ケリー・ライカート 出演:リサ・ドナルドソン ラリー・フェセンデン 1994米 76分 ★

監督が故郷フロリダで16㎜で撮ったというデビュー作だそう。この日もますます満員で142名。後からきて入れなかった人もいた模様。ウーン、なんでこんなに人気があるのかとも思うが…。
ある刑事が銃を紛失し、道路沿いの鰐の看板の前に落ちたそれをチンピラっぽい青年が拾う。一方刑事の娘は乳児を抱えるが夫とも通じ合わず孤独な主婦で、家を出てぶらぶらしているところをチンピラの車に引っ掛けられそうになり、そのあとバーで再会して二人は旅に出ることに。「ロードのないロードムービー、愛のないラブストーリー、犯罪のない犯罪映画」ととチラシにはあったがまさに…。まあ、銃を不法所持持ち逃げするとか、モーテルの延長料金が払えないとか、実家に忍び込み母の金や持ち物を持ち出したり、他の強盗に乗じて買い物した荷物を支払い前に持ち逃げするとかくらいの小悪事はないではないが基本的には気弱で誠実なところもある青年と、意外に図太く彼に依存しつつ逃避行にも付き合う女という図式で、映画全編に先行きの見えない不安が漂う。一方で拳銃を紛失した刑事の側の不安も相乗的に漂うのだが、「自分は何も犯罪は冒していない、逃げる必要はない」と気づいた女性のいわば「解決策」は意表をついたもので、なるほどねとはとても思えず不安はますます深くなろうしそれでいながら笑いさえというシニカルなものである。なんか貧相な青年がかわいそう…。最後に鰐の看板がもう一度出てくる。
(12月29日 下高井戸シネマ ケリー・ライカート特集 256) 

㉛81/2
監督:フェデリコ・フェリーニ 出演:マルチェロ・マストロヤンニ  クラウディア・カルディナーレ アヌーク・エーメ 1963伊 138分

有名作品だが、この時代の映画は残念ながらあまり見ていないということで初見。雨の朝10時の開映。9時半に行くとすでに結構長蛇。案外若い人が多い。しかし満席ということはなく全体では6割というところか。映画監督グイドが肝臓を壊し温泉地に保養に。追いかけてくる?脚本家やプロデューサーやその同伴の女性や、出演を求めてやってくる役者とか入り乱れ現実ともグイドの幻想世界ともつかないセリフの応酬が延々というか場面場面展開しつつも繰り広げられ、どこからが現実化どこからが幻想なのかだんだんわからなくなる。途中からは主人公自身の恋人?が現れ、妻もやってきて、その他の女性たちも入り乱れハーレム状態と映画内で言っているような状況も。最後ののほうで登場人物が一堂に会し主人公を責めたり、そこで彼は死を選んだ?そして作られた大掛かりなセットを壊すのなんのという話もあったと思うと、またまた最後はそれも夢幻?だったらしく、映画作りは再開されるらし区、不思議な楽隊の不思議な演奏シーンで映画は幕を閉じる。なんかすごいセンチメンタルな映画論というか芸術観が展開されて、それを作者自身が否定してるという感じもあり、こういう世界に生きている人にはとても刺激的なのかもしれないが、凡人にはただただかったるく能天気という感じもする。
ここでフェリーニ作品数本をまとめてみて、前に見た『道』なども含め、私はフェリーニの描く女性の見かけの格好良さと何を考えているのかわからないような男視点の性格造形がとっても苦手と言わざるをえないことがわかった。
(12月30日 下高井戸シネマ 生誕100年フェリー二映画 257)

㉜私をくいとめて
監督・脚本:大久明子 出演:のん 林遣都 橋本愛 臼田あさ美 片桐はいり 前野朋哉 中村倫也(声)2020日本 133分

暮も押し迫ったテアトル新宿昼の回、1時間半前くらいでネットで見てみるとすでに8割がたの席が埋まっているという状況で、驚き予約。(子どもたちも帰省してくる暮、この時期に映画館に行くということはまずないので。とはいえ今年はコロナ禍で映画館の方も特別なのかもしれないが)東京国際映画祭で看板?的映画だったし、大久監督作品というか綿矢りさ原作というかには結構興味もあって。だが…ウーン。とにかくダラダラ長い?この内容で133分はないだろうという感じ。
要は自分の心の声A(中村倫也が声出演、ビジュアルは前野朋哉でまあトモヤは共通しているとはいえ、どういうキャスティング?という気も)にしたがってちょっと寂しくはあるが「おひとり様」を謳歌していた31歳女子がローマの旧友を訪ねたり、近くに住む職場出入りの会社の若い社員に心惹かれ夕飯をご馳走したりするところから付き合いを深めるが、ひとりになれた不安にさいなまれ、しかしそれをまあ乗り越えというようなストーリー的には大した展開もないような話で、主人公みつ子を演じるのんの感情の起伏の演技はなかなかで、特に切れたり、怒ったり泣いたりというような迫力は大熱演でよかった。90分くらいにまとめてすっきりさせてくれたらもう少し集中できるよな、と思ったのは必ずしもこちらの体調や状況のせいばかりとは思えない。(12月30日 テアトル新宿 258) 

㉝ミークス・カットオフ
監督:ケリー・ライカート 出演:ミッシェル・ウィリアムズ ゾーイ・カザン ポール・ダノ 2010米 103分 ★★ 

行先の不明確な彷徨というのが3本見てきたケリー・ライカートのテーマかと思われるが、それがやや大規模に、最もよくあらわれた1作。西部劇仕立てで時代もまあそのあたりだが…。最初は川の中を牛を引き3台の荷馬車で渡ろうとする6~7人の男女。荷物を背負い越し以上もある川の中を横切っていく長いスカート姿の女性が延々と…そして渡ると濡れた衣類?を絞り、食事したらしい鍋?を洗い、水を汲みというような、銃は担いでいても生活をしながらの旅であることが示される。彼らは西へ向かって移住していく3組の家族。ガイドとして雇ったミークスは近道を提案したのだが、行けども行けども水もなくコロンビア川にはつかない。一行はミークスを疑いだまされているのではないかというような疑問も湧きあがり不穏な雰囲気になるが、そうは言っても彼にしたがって進まないわけにはいかない。
そんな中であらわれるインディアン。捕まえたその男をすぐに殺そうとするミークスと反対する旅の一行。ことばも通じない彼を道案内にしたて前をあるかせ水のある所に案内させる一行。その間に急坂をロープを使って下ろそうとして失敗、1台を失ったり何やかや…で…。終わりも結構意表をついた感じで、果たしてこの一行行きつくのか行きつけないのかは放り出されたまま観客にゆだねられる。
スタンダードサイズに広々したオレゴンの荒野を押し込め、女性たちはうつむき加減でボンネットで顔を覆い、男たちもほとんどは引きのロングショットでそれこそ見わけも付きにくいような撮り方なのだが、それが逆にこの広い荒野で行き場を失いつつ行くしかないような閉塞感の表現に効果を上げる。それを打ち破るのはミッシェル・ウイリアムズ扮する一行の中の若妻であり、銃をもち長旅で汚れながら凛々しく立ってミークスを威嚇し、旅の行方を決めていこうとするのが、派手なヒーロースタイルではないのだが、格好よく映画を引き締めている。
朝になると明るくなり、夜には真っ暗闇の中での会話があるというふうに時間の流れを感じさせるつくりで、この作者にしては長いのだが、長いことが必然と感じられるような映画の作り方になっている。最終日、関係者ー作品を愛している人々だートークもあり10時過ぎまで、やはり満員。
(12月30日 下高井戸シネマ ケリー・ライカート特集 259)


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