【勝手気ままに映画日記】2020年9月

 

いよいよ秋!秋晴れですが、例によって多忙とそれに今年はコロナで出かけられなかった9月でした。これは昨年10月1日高尾山からの絶景です。10月はどこかに行きたいなあ!!


①血筋②8日で死んだ怪獣の12日の物語③グッバイ・リチャード④オフィシャル・シークレット⑤赤い闇 スターリンの冷たい大地で⑥ソニア ナチスの女スパイ⑦世宗大王 星を追う者たち⑧きっとまたあえる⑨ナイチンゲール⑩スペシャルズ―政府が潰そうとした自閉症ケア施設を守った男たちの実話⑪横須賀奇譚⑫バナナ・パラダイス⑬クライマー⑭行き止まりの世界に生まれて⑮ミッドナイトスワン⑯グッド・ワイフ⑰ラ・ヨローナ~彷徨う女~⑱マティアス&マキシム⑲鵞鳥湖の夜(南方車站的聚会)⑳窮鼠はチーズの夢を見る

忙しい忙しいといいながら、ちょこちょこ映画デイ(まとめて3本くらい見る日)もしていたのでなんとか20本。中国語圏映画は①⑫⑬⑲の3本、日本映画は①②⑪⑮⑳でした。あまり見ない国の映画⑨タスマニア⑰グアテマラなどが意外に面白く、また見てみたいと思わされます。★は1~3 あくまで個人的感想で。末尾の数字は今年見た映画の通算本数です。



①血筋
監督:角田龍一(金星宇) 出演:金龍国 2019日本(朝鮮語・中国語・日本語)73分

久しぶりに見た感じのしっかりしたセルフ・ドキュメンタリー。主人公(監督自身)ソンウは中国朝鮮族として延吉で生まれるが5歳で両親が離婚、母は日本に出稼ぎに行き、母方の祖父母のもとで育つ。10歳で母が日本で再婚、彼も引き取られて日本に移住、映画撮影時は、日本国籍を持ち大学生になっている。その彼が幼い時に別れたままの父を探して延吉の祖父母や叔父(父の弟)を訪ね、叔父からの情報で韓国に今は住む父を訪ねるところから。

久しぶりの会った息子に「親らしいことはしてやれなかった」と謝りつつ歓待する、元画家だったという父はけっこうおしゃれでリュウとした身なりでもあり、饒舌に息子に説教じみた話をしたりするのだが、実は不法滞在で日雇い労働をしながら暮らすが、友人・知人に金をもらったり、借金で首が回らないという暮らしぶりであることが、何回かの訪韓を通じてだんだんとわかってくる。その過程が間に延吉の祖父母の境遇や、父をさんざん世話したという叔父の口ぶりに変化を間に挟みながら一家のいわば人間関係の虚飾がはがれていくようすが丁寧に描かれるわけである。

最初はおとなしく父にうなずき、父が傷つかないように食事代を出したり、金をこっそり置いたりという息子だが、これもだんだんに口答えをしたり、飲食店で父がきちんと支払いをしたかを店の人に確認したりと、父からみれば大いにプライドが傷つくような態度になり、他人の目で見ればどうしようもない見栄っ張りのダメな父の側面ばかりが目立つが、この映画では語り手の監督自身がその父と血縁である、そこが彼が決してこのダメ親父を切れないし、彼自身の中にもそういう側面があるという認識が漂う(これは、本人というより叔父や祖父母の言説を通して見えるところも)ところが、この映画の存在意義なんだろうなあ…。中国延辺の朝鮮族が日本に住み韓国在住の父を訪ねるという内容から越境とか周辺性についてん言及がある映画かなとも思ったがそれは見事に?ない感じ。ただ韓国の父の暮らしの小ぎれいさ、延辺の親戚の家も決して貧しそうではないのだが、何となくあか抜けない雰囲気は、うーん。ちょっと興味深い。それと日本の母とか、日本での暮らしも全く出てこないところに作者の強い意志のようなものは感じられた。                  (9月2日 渋谷アップリンク 4か月ぶりにでかける 145)


②8日で死んだ怪獣の12日の物語 劇場版
監督:岩井俊二 出演:斎藤工 のん 武井壮 樋口真嗣 穂志もえか 2020日本 94分

コロナ禍のもと、すべてリモートで撮られたという話題作。すべてモノクロで、Zoomによる登場人物たちの会話、YouTube画面、それにモノクロが効果をあげていかにも寂しげな街を動いていくカメラ。あとは怪獣を象徴する?3人のダンサーたちの不思議な雰囲気のダンスという構成。サトウタクミという男がカプセル怪獣を手に入れ、毎日姿を変えていく(まあ、粘土細工みたいなものだが)それについて、Zoomでヒグチ監督、先輩、女友達?のノンと語り、また、彼らもそれぞれに物語をもって対話で進んでいくという話、一方ユーチューバーは彼女の怪獣の生育を、お風呂の中から報告していくという、まあそれだけで最後はコロナに負けずに、人々のつながり(怪獣も含む?)によって、怪獣を倒していこうよ、みたいなメッセージで終結するわけだが…。うーん、まあ話のタネだし、先々「古典」になるような映画とは思えないが、それなりに面白くはあった。               (9月2日 渋谷アップリンク 146)


③グッバイ・リチャード
監督:ウェイン・ロバーツ 出演:ジョニー・デップ ローズマリー・デヴィッド ダニー・ヒューストン  ソーイ・ドヴィッチ 2018米 91分

真面目だけれど、イマイチさえない大学教授リチャードが、肺癌の転移で余命半年という宣告を受ける、自分の大学の学長と不倫中の妻にも、彼に先がけてレズビアンであると打ち明け、恋人の女性との付き合いを大ぴらにしだす娘にも自分の病気を打ち明けられず、やけになり?授業もなかば放棄というか自分についてくるという学生だけを相手に屋外やバーなどで勝手自在な授業を始め、酒やマリファナや、行きずりの女性とのセックスとか、ルールや規範抜きにやりたいようにやり、そして最後は…という、うーん「病いを描いた映画」としては実際にありそうではあるが異例の展開で、ジョニー・デップだから演じられた(でも今のジョニー・デップはまじめだけれどしょぼくれたという前半病前の展開はなんかはまらない。それゆえの破天荒な行動によって変わっていくという姿もなんかはまりすぎというか、逆に説得力がない感じも)のかもしれないが、うーん、物語としてはどうなんだろう。たとえば同じ病を得た人やその家族を勇気づけるというような側面は全くなくて、パッと桜のように散りたい中年男のロマンをすごくチープに展開したという感じも…。        (9月3日 キノシネマ・立川 147)


④オフィシャル・シークレット
監督:ギャヴィン・フッド 出演:キーラ・ナイトレイ マット・スミス マシュー・グード レイフ・ファインズ   2018英 112分

2001年イラク戦争開戦に関して、アメリカ(NSA国家安全保障局)からイギリス(GCHG政府通信本部)への、イラク攻撃のために違法な工作活動を促すメールを受け取り、マスコミにリークしたCCHG職員キャサリン・ガンがヒロイン。彼女は、自分を政府の下僕として他の職員と同様口をつぐむか、または公僕として無益で多くの命が失われるような戦争回避のために動くかと悩み決断するが、そのことでシリア移民の夫が強制送還されそうになり、彼女は追い詰められる。

演じる、きりりとしたキーラ・ナイトレイ(最後に、ちらりと実在のキャサリン・ガンがインタヴューに答える場面が出てくるが、少なくとも見かけに関しては全く違ったタイプで、同じような衣装を着ているのがなんか変な感じに思えてしまうほど)の好演によって迫力があるが、物語の骨子はむしろ彼女を救うために動いた弁護士・ベン(これがレイフ・ファインズでなんか今までと見違えるような風貌、爺さんぽいが、ひょうひょうと頼りになりそうな)の、思いもかけない視点からの弁護活動と、その示唆によって有用な情報を集めた新聞記者たちの行動のほうに重点がある感じ。

その結果イラク戦争は「違法な戦争」ゆえのその中の情報をリークしても罪にはならないという、ある意味現実的だがドラマとしては拍子抜けする?結果になるわけで、映画の作りとしては、キャサリン側と弁護側どちらもがなんか中途半端な描かれ方だなあと思えてしまう。実話を元にというわけだから言っても仕方ないのかな。ブレア首相や、当時のブッシュ大統領などはすべて実在のTV映像で、それに憤るキャサリンの姿なども臨場感がある。一種のモキュメンタリ―として見るべきなのかもしれない。(9月3日 キノシネマ・立川 148)


⑤赤い闇 スターリンの冷たい大地で
監督:アグニシカ・ホランド 出演:ジェームズ・ノートン ヴァネッサ・カービー ピーター・サースガード   2019ポーランド・ウクライナ・イギリス 118分 ★★

1933年、ヒトラーへの取材に成功したイギリス・ウェールズ出身のガレス・ジョーンズ記者は、世界恐慌の中、唯一繁栄を誇っているソ連に行きスターリンに取材したいと考える。

彼が母の出身地でもあるというソ連ウクライナに半ば潜入する形で行き、見たのはホロドモールの実態であった…というわけだが、この話最初に『アニマル・ファーム』を執筆するショージ・オウェルの姿から入り、途中でジョーンズとオウェルが紹介されて出会う場面もあり、最後にまた『アニマル・ファーム』で「平等主義」への疑念を表明する形で締めくくられる。

実は記者にとっても大変な冒険譚であるはずだが、記者的特権?もあったりして制約付きだがウクライナへの訪問が許されたり、潜入取材のはてに捕まってモスクワ~イギリスへと強制送還されるものの、その時点では命を奪われるわけでなく、取材の発表も有名紙に果たすという感じで意外に緊迫感の描写は控えめ、一方ウクライナの雪の中での大飢餓の状態は遠景だったり、子どもたちが中心で中身は怖いが音は大変きれいな合唱曲とともに詩的でさえあるような描き方だし、しかも動的場面(ソビエト高官の宴会とか)は光の陰影はっきりのカラー、主人公の心が動いたりイギリスの場面もカラー、しかしウクライナの雪の中はむしろ生々しさを抑えるようなモノクロ的な色彩でビジュアル的にはとてもスタイリッシュ、ぼーっと見ていると画面に目を奪われて話の深刻さのピントがずれそうな(そこがまた怖いが)感じもなくはない。ここにジョージ・オウェルを重ねることにより歴史を越えた問題提起ができている感じがして面白かった。とはいえ、暗く詩的なウクライナ飢餓だが、歴史で言われる悲惨な事実はきちんと過不足なく描いている。(9月7日 渋谷アップリンク149)


⑥ソニア ナチスの女スパイ
監督:イェンス・ヨンソン 出演:イングリッド・ポルソ・ベルダル ロルフ・ラスゴード アレクサンダー・シェーア ダミアン・シャペル 2019ノルウェイ 110分

実在のノルウェイ出身、スェーデンのスパイとしてナチス高官を探ったというソニア・ヴィ―ゲットのまさにスパイ活動を描く。ま、スパイといっても映画女優がナチスに気に入られてナチスのプロバガンダ映画に出演しながら、国家弁務官の愛人になるというわけで派手にドンパチがあるわけではないし、そもそもなんでノルウェイ人がスェーデンのスパイに?と思うが、つまりはナチスに捕らえられたレジスタンスの父を(なぜか?)スェーデンが救うということによって彼女にスパイを強いるというあたりがイマイチよくわからないし、ハンガリー人の恋人との関係もイマイチわからないのだが、美貌と演技力を武器に、ナチス高官に取り入り緊迫した状況をのり越えていく迫力は十分。それとノルウェイ・アカデミー賞衣装賞メイクアップ賞を受賞したという主演女優のビジュアルの格好良さもなかなか―でも最後に出てくるホンモノのソニアの写真も負けず劣らずの格好良さであるが。(9月14日 新宿武蔵野館 150)


⑦世宗大王 星を追う者たち
監督:ホ・ジノ 出演:ハン・ソッキュ  チェ・ミンシク シン・グ キム・ホンパ 2019韓国 133分 ★

まずは朝鮮独自の天体儀?(天体観測機器)が明の怒りを買い、世宗に見いだされ奴婢の身分からお抱えの科学者になったチャン・ヨンシルが世宗から追放的な扱いを受ける。そして、なんか老いてふらふらという雰囲気の世宗が温泉に行くというのでチャンが作った立派な大きな輿車に乗って出かける途中で輿車が転覆する事故から話が始まり、時代をさかのぼっていく仕組み。時系列もちょっとわかりにくいところがなくもないし、なにしろハン・ソッキュ扮する世宗の病気?老い?がなかなかで、若い時との差はあるのだが、ちょっと幻惑されてしまう。

つまり、水時計や天体儀で独自に農業などを進め勢力を増していく属国に怒る明と、それに迎合することにより国を維持していくべきだと考える朝鮮の「忠臣」の反対の中で、世宗が奴婢のチャンを友として、推し進めていくがうまくいかないという局面で、いわば陰謀的に臣の裏をかき、チャン自身も王を慕いながら、自分の夢を果たしたとして、王に自分を打ち首にせよと迫るような場面を経て、庶民のために科学や文化を守ったという話である。

世宗はハングルの発明を始めるところも出てくるのだが、これはまあちょっとだけ。でも、漢文文化を独占的に享受していた両班が誰もが読み書きできる文字に猛反発というのはあ、なるほどだ。でも、そう考えると奴婢出身のチャンが水時計のころから、漢字で「未」とか「亥」とか書いて時間を示しているというのはどうなんだろう。「天才」とはいえ、ちょっとリアリティに欠けるのではという気も。

戦場面や韓国映画得意の拷問場面や牢獄場面もしっかりあるのだが、この映画ヒロインというものがいない(女性は召使レベルのセリフ一言二言の役だけ)超「硬派」映画で、まあ、ハン・ソッキュとチェ・ミンシクのそろい踏みというのが売りということだ。迫力は満点!(映画最初の役者名の表示はチェ・ミンシクからだった)(9月16日 シネマート新宿 151)


⑧きっとまたあえる
監督:ニテ-シュ・ティワリー 出演:スシャント・シン・ラージブート シュラッダー・カプール ヴァルン・シャルマ ブラティーク・バッバル 2019インド(ヒンディー語・英語)143分

大学入試に失敗して高層マンションから飛び降りた息子が重体に。命は助かったが「生きる気力」が欠けているという医師のことばに、自分の子育てを悔いる父親が、かつての学生時代の友人たちを呼び集め、大学学生寮(H4と名付けられている)時代の「負け犬」たちが、協力し合いさまざまな工夫でGC(グランドチャンピオンシップーさまざまなスポーツ試合のほかにチェスなどもある学寮対抗試合ー)の万年最下位を脱し、エリート集団でライバル?のH3に迫って負け犬を脱した体験を瀕死の息子に語り、励ましつつ今は別れている学生時代のマドンナだった妻とのよりも戻す。息子を励ますという態をとった青春友情ドラマ。

様々な「負け犬」的個性を持った男たちの、20年の時を経ての終結ぶりがウソっぽいが、ビジュアル的にはよく演じているという感じで面白い。ちなみに役者たちはおおむね30代前半だそうで、90年代の学生時代から、現代は頭がはげたり、中年ぽいメイクや風貌で違和感なく演じているのがすごい。ただし、物語的には単なる青春友情ドラマでは話にならないので、瀕死の気弱息子を絡めたという感じ?「負け犬」とかなんとか言っても、入試失敗の息子から見ればみんな大学生になっているわけだし、40前後?中年バリバリで世界中から?集まってきている男たちが、何日も友人の息子の病室に詰めて思い出話をするというステュエ―ションも現実的ではないし…息子のあまりの気弱さもどうなのとも思うがー(インドの入試1%しか大学に入れないという過酷なものなのだとか)まあ、一種のおとぎ話として、現実的な問題にあまりこだわらないとすれば楽しめるつくりにはなっている。(9月16日 シネマート新宿 152)


⑨ナイチンゲール
監督:ジェニファー・ケント 出演:アイスリング・フランシオン サム・クラフリン バイカリ・ガナンバル  2018豪・カナダ・米 136分 ★★★

英国植民地時代のオーストラリア(タスマニア?)、アイルランド人の流刑囚クレア(両親なく幼い時から生きるための盗みなどもして、とうとう流刑の身になった)は現地の将校にもてあそばれ、強姦され夫と赤ん坊の娘を殺される。昇進のためにタスマニア?のジャングルを横断して大きな町に出発した将校とその部下や案内人の一行を追い、怒りに狂ったようなクレアは、自分も若いアボリジニの案内人を雇い、夫の愛馬にまたがりジャングルの旅に出発するという『許されざる者』オーストラリア版みたいな映画。

ジャングルのすさまじさはいまいちな感じ(わりとそこら辺の野道みたいな感じのところが多い)だが、イケメン将校の非人間的な女たらしぶりとか、その部下でアホウな無鉄砲男とか、もう一人泣き叫ぶ赤ん坊を鎮めろと言われ思わず殺してしまって後悔している若い兵士やその彼を撃ち刺し殺し血まみれになるクレアの壮絶さとか、なかなかの迫力で、女性蔑視・アボリジニをさらに殺し牛馬のように扱うイギリス人(イングランド人)と、黒人からは白人とひとくくりにされながら全く違う立場にいるアイルランド人の怨念とかがよく描けていて興味深い。

クレアは最初黒人のビリーをボーイと呼び銃で脅しながら案内をさせるのだが、やがて彼の男気?に助けられ、彼も彼女の怒りや真意を知るにつれ心が通い合うようになる。ところが、そうなると彼女の中に彼を頼ったり、「復讐すること」への迷いも生まれ、二人は将校一行に見つかって危機に陥る。そのあたりの描き方がうまい。そして最後に街に着き、そこからあとの復讐?もちょっと非現実的かもしれないのだが、なかなか映画的ビジュアルも、文学的詩的雰囲気も含めてうなずけるような、いい感じの終わり方。最後のシーン(ビリーの故郷)朝日の海の美しさ…。あとなぜか35㎜の画面が閉塞的なジャングルでのドロドロ?劇の感じをよく出している。(9月18日 下高井戸シネマ 153)


⑩スペシャルズ―政府が潰そうとした自閉症ケア施設を守った男たちの実話
監督・脚本:エリック・トレタ オリヴィエ・ナカシュ 出演:ヴァンサン・カッセル レダ・カテブ エレーヌ・ヴァンサン 2019仏 114分 ★★

事実ベースの強さと、それを体現する役者たち(主役の二人はもちろんだが、自閉症の人々を演ずる役者の体当たり演技も)の熱を感じさせられて引き込まれる。

パリで自閉症児(といっても大半は10代から大人まで)の施設を運営するブリュノと、そこに隣接?して社会的にドロップアウトした青年たちを支え、施設の支援員として育てる(営利で行われるとするとこの関係いささか問題ありそうな気もするが、実際には施設は無認可で(多分)ユダヤ教会や、民間寄付などで賄われている?貧乏な施設で、基準に合わないとして映画の最初から最後まで間間に監査に来た調査員との面接が挟み込まれ存続が難しい状況が観客にも伝えられていく仕組み。

最後近くに施設の閉鎖を勧告されたブリュノが、一人一人の施設利用者の写真を監査員にたたきつけるように引き取りを迫る場面以外は、あまり社会的に主張することもなく、ただ淡々と施設や、その利用者が置かれた問題に取り組み「何とかして」行く姿が描かれるのだが、それがとてもリアルで迫力があって、こちらも胸が苦しくなって、それでもやるんだなあと、自分を振り返ら去れてしまうところが、映画の真骨頂というものだろう。ヴァンサン・カッセルの中年・独身いつも「見合い」をセッティングされているが仕事に追われて果たせない「いい人」ぶりというのも案外はまっていてさすが、役者!エンドロールには実物の二人の写真も出るが、こちらは出演者以上に強面で屈強そうな意志を感じさせる人々だった。(9月24日 TOHOシネマズ府中 154)


⑪横須賀奇譚
監督:大塚信一 出演:小林竜樹 しじみ 川瀬陽太 長内美那子 湯舟すぴか 長屋和彰 烏丸せつこ  2019 日本 86分 (監督 舞台挨拶付き)★

新進の監督が6年かけて不条理劇を作りたかったという作品。まあ、確かに。老親の介護に故郷に帰るという恋人と別れた男が、彼女が去った部屋で転寝をするというところから始まる、実は邯鄲の夢であった(ネタバレ)という作品なのだが…。

長い長い夢は恋人との別れの後東北大震災を挟んで、その震災で彼女が死んだという報、にもかかわらず、実は生きていて横須賀に転居したらしいという新たな知らせを受け、その知らせをもたらした元彼女の友人に冷たいとなじられた男がせかされ横須賀に彼女を訪ねていく。いかにもありそうな介護老人ホームで現実とは少しずつずれているのかいないのかという元彼女を含むホームの人々、その中で翻弄というか翻弄もされず淡々と謎を受け容れ謎が解明?され?-この謎解明は実はあまり意外性もなくつまらない。

しかしその元カノを連れて横須賀(ペリー来航の地だからだそうだ。どこからかわからないが主人公の男もなぜかフェリーで横須賀に来る。その辺はうまいのか、ちょっと意図的なあざとい作りすぎなのか…)にきて彼女のためにグループホームを作るといういささか胡散臭げな男の造形がむしろ興味深い。震災などなかった、老親は夫婦でクルーズ船に乗って海外旅行中という元彼女はホームを飛び出し、同じくもう用はないとされた主人公と街に出ていくところでパタっと画面真っ黒(ここも意図的に映写事故ふうにしたそうだ)そして邯鄲の夢になるわけで、終わりは忘れたPCを取りに来た元彼女が「(震災なんて)あるわけないじゃん」というところでまで…。

ちょっと観念丸出し(若いから仕方ないか)だし、まあ、わりとテンポの遅い、色彩的にも少しくすんだ中間色的画面なのだが(これは私の目のせい?)それでも飽きずに眠らずに見るだけの吸引力はあった。挨拶終わり終演は10時の、雨模様の夜観客は15人くらい?(9月23日 下高井戸シネマ 155 )


⑫バナナ・パラダイス
監督:王童 出演:[金互]承澤 張世 曾慶瑜 李昆 1989台湾 148分 ★★

国共内戦時の山東省から始まり、兄貴分の得勝を頼って国民党軍に潜り込んで台湾に渡った男の半生ー若い時は気弱でちょっと頼りない、足りなそうでもあるが字は一応読めて意外にしぶとい勉強家でもある男が、スパイと疑われ逃げ出した台湾でひょんなことから、夫を病気で失う女性を助け、そのまま亡くなった夫のふりをいわば強要させられるような形で、その子供ともども生きていく。

北京鋪仁大学外国語学部出身という夫になり替わり英語を使う仕事につくなどの苦労はちょっとコメディっぽくも書かれるのだが、いやーこの男、がんばるなあー若い時はちょっと柄本兄弟を思わせるような雰囲気でニウ・チェンザが演じ、転換がいかにも映画っぽくて面白かったが、後半はとてもどんなに年をとってもあんな風にはならないだろうと思われる李昆が演じ、血のつながらない一人息子がおとなになり、大陸にいる父の家族を探し出し、対面してほしいといってくる慌てぶり、そこでとんでもないことが起こって、今まで夫婦とは言っても何となく「ニセモノ」ゆえのひけめというか隔てがあった夫婦の心が一つになる泣きの場面のクライマックスを演じる。

もう一つ明るく元気で頼りがいのある兄貴分の得勝がやはりスパイ容疑で負われ、故郷から遠く離れた台南でバナナ農園を手伝いながら元気にふるまい弟分との再会も喜ぶのだが、ひょんなことから心を病んでずっと、弟分夫婦の厄介になりながら望郷の遠いまなざしで生きていく姿も身につまされて秀逸か。長い長いとはいえ、まあそれだけの内容がつまった、聞いた通りの中身びっしりという作品だった。外省人の台湾での違和感や苦労がよくわかるような映画とも言える。(9月25日 新宿K'sシネマ 156)


⑬クライマー
監督:李港仁 出演:呉京 張毅 井柏然 章子怡 胡歌 2019中国 129分 

徐克がプロデュースし、成龍が友情出演(エンドクレジット後のワンシーンだけ義足でチョモランマに登る!75年に病気を押して登り怪我をして片足切断をした陽光(胡歌)という測量士の後日談)という中国国威発揚映画。

1960年初登頂に成功したもののカメラを失い360度映像を残せなかったことで、世界に認められなかった中国が15年後、かつての登頂隊をリーダーとして400人のチームを組み、登頂に成功したという実話に基づくのだそう。このことでイギリス主導でエベレストとして世界最高峰だった山をチョモランマとして正式登録できたんだとか。とにかく国のためという言葉飛び交い、政府主催の大登山隊での中で隊長と恋人の気象担当主任のロマンスとか、若いカメラマン隊員とチベット出身の女性隊員の恋とか恋愛ドラマの正道?みたいなエピソードも盛り込み、終始インパクトのあるというか仰々しい音楽で包み、航空映像のチョモランマの迫力もなかなかだし、ただし、この登山隊、わりと軽率というか訓練のない行動で雪崩とか風に飛ばされての滑落シーンのやたらと多く、そこで呉京演じる隊長が体を張って、離れ業を演じ隊員を助け、若い代理のカメラマン隊長は自ら転落した綱を切って自己犠牲、というわけでまあ、見せ場つくりにいそしんでいる映画、しかもそのあたりも含め山の上にいる危ないシーン、ほとんどグリーンバックにはめ込んだと見えるような映像続きで、体を震わせたあと、しらけるみたいな映画。

しかし、中国もこれだけ露骨に香港人も巻き込み、チベット人も巻き込み国威を映画で訴えるんだなあ…。

『花木蘭』(ディズニー)を香港の周庭が見ないようにと呼びかけるツィッターでは、この映画が新疆ウイグル政府の協力を得ていたからだというので、こちらはどうかと、目を皿にしてエンドロールを見たのだが、残念ながら文字はあまりに小さくわからない。エンドロールで実在の9人の登頂隊員が出てくるが、そこにはさすがにチベット族出身の人が多く、うーん。まあでも四川省にもチベット族はいっぱいいるわけだしなと。とにかくイギリスもチベットもものかは、「チョモランマはオレのもの」と中国が叫んでいるような映画だった。(9月25日 新宿シネマカリテ  157)


⑭行き止まりの世界に生まれて
監督・製作・撮影・編集:ビン・リュウ 出演:キアー・ジョンソン ザック・マリガン ビン・リュウ 2018米 93分 ★★★

イリノイ州ロックフォードを舞台に貧しいーだけでなく父との不和などの問題を抱え未来もなかなか自分で開けない状況に陥った、黒人のキーアと白人のザック、それに彼らの友人で自らも母が再婚した義父からの虐待を受けて育った経験を持つ中国系の監督ビン・リュウの3人を中心に彼らの友人、恋人、兄弟をまじえた閉塞状況を生きる若者の姿を12年間(ビン・リュウは10代から友人たちの撮影を始めたわけである)の映像ドキュメンタリー。

彼らの閉塞性とそれをかすかに開いていきそうな存在としてのスケートボートの世界(この映像も少年期からすごい。自分もスケボーに乗って撮影しているのかな、全然揺れないきれいな画面なのだが)がうまい具合に加味されて、しかもバラバラにつないでいるようでありながら一貫したメッセージ?の読み取れるようになっている構成とか、すごい。見ごたえもある。

両親の不和で父に引き取られるもののその父からの「虐待」(という言葉をこの青年はあえて使わないようにしているよう)で決別後に父の死を知り悔やむキーア、16歳で両親の家に寄り付かなくなったあと若くして恋人との間に1児をもうけて父になるザック。しかし仕事も定まらず高卒認定試験を受けるのだがこれもうまくはいかなかったらしく、子育てをしながら子どもの母である(超美人な)恋人とは破綻していく。そして虐待をした義父との再婚をインタヴューの形で母に問い詰め、異父弟にもインタヴューするビン・リュウ。この映画を通じて描いている1つはアメリカにおける父のありようなんだなと思える。もちろんそれには親子の置かれた社会的な位置というのも関係しているわけだが。とにかくすごく見ごたえがあり、ビン・リュウがこれからどんな映画を作っていくのか、目を離せない感じ。(『ムーン・ライト』のドキュメンタリー版かなという感じだ)(9月25日 新宿シネマカリテ 158)


⑮ミッドナイトスワン
監督:内田英治 出演:草彅剛 服部樹咲 佐藤江梨子 水川あさみ 田口トモロヲ 真飛聖 2020日本 ★

話は暗いのだが、画面の陰影くっきりと色彩も鮮やかで印象深い。トランスジェンダーで東京の風俗店(バー)で働く凪沙(健二)のもとに母にいわば捨てられた親戚の少女がやってきて…最初は養育費目当てで少女に強圧的な感じで接する凪沙(このあたりのセリフはいかにもという感じの図式的)。少女一果は口も利かず黙って学校に行き、そこで声をかけてくれ親切にしてくれた友人の導きでバレエ教室に出入りするようになり、やがて才能が認められる。

このとき一果を手引きしてくれる友人の造形が印象的で、一果が認められるようになる一方自分は限界を感じざるを得ず、さらに足底腱膜炎で腱膜が切れてもう前のようには踊れないという宣告を受けてしまう。コンクールでの出番を待つ一果に電話したあと、家族と招かれた屋上の結婚式で一果の踊る「アルキナーダ」を同時進行?で踊りそのまま…というとっても哀切で印象的な少女の姿を残す。

凪沙と一果のパートもまあまあで、一果を演ずる少女の手足の長さ、普通の、どちらかといえば恵まれない育ちを背負った雰囲気からまさに醜いアヒルが白鳥になるようにバレーに目覚め踊っていく過程が、これもとても印象的。草彅は吐くセリフ(まあ本人が言っているわけではないが)がすごく類型的な感じでその辺はちょっとだし、結構ごつい顔つき(目鼻立ちは決してごつくはないが)がなんか、やはり「おかま」っぽい雰囲気が先に立ってしまうが、これはむしろ肉体と心の不一致に悩む姿そのものとして造形されているのだろうなと、ビジュアル的には納得できる。主人公の行動という面でもなんか支離滅裂だが―全体的に省略と飛躍をうまく使って彼(彼女)の支離滅裂も迷いや逡巡や思い切りが組み合わさった結果なんだろうと描き方には納得できる。幻想と現実の中で少女が飛躍していく最後が印象的だ。(9月27日 府中TOHOシネマズ 159)


⑯グッド・ワイフ
監督・脚本:アレハンドラ・マルケス・アベヤ 出演:イルセ・サラス カサンドラ・シアンゲロッティ パウリ―ナ・カイダン 2018メキシコ(スペイン語)100分

うーん。1980年代経済危機に襲われたメキシコ。富裕な妻のヘアセット・化粧の身支度から話が始まり、豪華なドレスに身を包んだ彼女の誕生パーティ、社交生活が延々と描かれる。要はそのような社交界で覇を競う妻たちの様子で、そこに君臨しているかに見えるヒロインが夫が傾いた会社の社長を共同経営者に押し付けられ、会社立て直しもできず経済的に苦境に陥っていく。その中で不安を感じながらも社交生活では虚勢を張る様子は、なんか見ているものに不安を感じさせずにはおかない。「華麗な80年代ファッションとライフスタイル」がウリ?の映画みたいだが、そこに興味が持てないと全然面白くない?というか豪華な衣装を身にまとった動物的世界を感じさせるのは最後に妻が自分も崖っぷち状況で夫と会食に臨みながら、他者にむかってあざけるために犬の吠えるまねをする、それを夫がしらけ、あきれたように見つめているシーン。彼女はこのあと夫にも捨てられてしまうのかな…と思えてしまう。   (9月28日 下高井戸シネマ 160)


⑰ラ・ヨローナ~彷徨う女~
監督・脚本 ハイロ・ブスタマンテ 出演:マリア・メルセデス・コロイ マルガリタ・ケネフィック サプリナ・デ・ラ・ホス フリオ・ディアス 2018グアテマラ 97分 ★★

見てあまり後味はよくないが、しかしなかなかすごい映画だ。

大統領の指揮のもと、政府軍がゲリラと目した民衆を虐殺した1981~3年の30年後、当時将軍だったエンリケは裁判にかけられるが有罪判決が出るものの体調不良?で倒れ入院中に有罪決定はできない=無罪となり保釈、帰宅する。屋敷を取り囲み昼夜なく糾弾を続ける大勢の人々、時に投石などもあり、彼とともに家にいる妻、娘(夫も行方不明になっている)の医師、孫娘の一家はおびえ、家から一歩も出られない。真っ白な長髪の妻はしかし、かつて娘に共産主義者に乗っ取られないために夫たちの行為は必然であったと語る。(この老婦人の白髪ちょっと異様で、居丈高な夫人という感じからあとのほう亡霊に追い詰められうなされ老いていく造形がすごい)しかし使用人たちはみなやめていき、実は将軍が原住民マヤ族に産ませた娘であるメイド頭一人が残り、彼女の村からと称して長い黒髪の若いアルマがやってきてメイドとして雇われる。そのあといろいろ不思議なことが起こるというのが、映画の宣伝なのだが、アルマ自身の不思議は夜中にプールに飛び込んだり深夜シャワーを浴びたりくらいで(これが表題の「ヨローナ伝説」とつながっている?)実際に起こる事件はむしろ家族の心の不安が投影され将軍の異常行動とか、将軍の妻が夢にうなされアルマに自分を重ねて夢の中で子どもを虐殺されるとかで、場面としては怖いがホラー映画としての要素は薄い感じ。

外からのかつて虐殺された人々の家族や知人の怒声は映画を通してずっと続き一家を脅かすが、これを入れたのはグアテマラの観客を代弁しているのだろう。その意味では娯楽性を盛り込んだ社会派抗議映画の態はちゃんとなしているのだと思う。画面の奥深い暗さのやその中での水中水面の美しさが印象的だ。(9月28日 下高井戸シネマ 161)


⑱マティアス&マキシム
監督・脚本:グザヴィエ・ドラン 出演:ガブリエル・ダルメイダ・フレイタス グザヴィエ・ドラン ピア=リュック・フランク  アントワーヌ・ピロン 2019カナダ (英語・仏語) 120分 ★

グザヴィエ・ドラン久々の、自作自演映画は、カナダケベック州で、グザヴィエ自身の旧知の友人たち(とはいっても別にアマチュアではない)を友人たちの役として撮られた作品。とはいってもグザヴィエ演じるマキシムは作者自身を投影した人物というのではない(と思う)。

友人たちのにぎやかなパーティ場面から。友人の妹が作る自主映画に出演者が出られなくなり、急遽出演を頼まれ、簡単に承知するマキシムは求職中で精神的に問題があるらしい母を介護している。一方ビジネスマンで間もなく結婚も決まっているマティアスは映画には賭けに負けいやいやという感じで参加。二人はキスシーンを演じることになり、それをきっかけに二人の仲に微妙な心の揺らぎが生じるというわけだ。同性にひかれる男の感情の描き方は繊細で、二人はあからさまに接近するわけでもなく、マキシムはオーストラリアに最低2年間は移住して求職することに。マティアスの伯父に推薦状を頼む。(終り頃、これが一つの大きな契機として二人の仲を離したり、また最後には近づけたりするわけ)。

マキシムには体は問題なさそうだが精神的に問題があるように描かれる母がいて、彼はその介護的生活をしたり、移住に際しては母の後見人をどうするかというような手続きさえもして、拒む母とケンカになったりしている。一方のマティアスの母は、面倒見がいいがちょっと圧迫的というかやはりマティアスにとってはしんどい存在みたいで、このあたり「母と息子」を描いてきたグザヴィエ・ドランらしい視点が充溢している感じもする。

グザヴィエは右ほおに大きな赤痣があるという設定で、移住前の大決意の彼に言い寄られたマティアスが「あざ野郎」と呼ぶことにより二人が決裂するというシーンもあるが、痣はなんだろう、自分を美しいと知っているドランが別人格になるために設定した???どうなんだろう。批評には「魅力的だが観客をイラつかせる映画」という評価もあるようで、心の揺らぎが繊細なのと、周りににぎやかな男女が囲んでいるのと、母との関係までが書き込まれるのとで、確かにそんな感じになっている気がする。私はこの映画のあと見る気もなかった『窮鼠はチーズの夢を見る』を見ることに。日本の男子同性愛の描き方の最新版も見ておきたいとは思わせられた。(9月30日 ヒューマントラストシネマ有楽町 162 )


⑲鵞鳥湖の夜(南方車站的聚会)
監督・脚本:刁亦男 出演:胡歌 桂綸鎂 廖凡 レジーナ・ワン(万茜) 2019中国・フランス 111分 ★

監督は『薄氷の殺人』のディアオ・イ―ナン、照明は『花様年華』のウォン・チーミン、美術は『迫りくる嵐』『ロング・デイズ・ジャーニー』のリュウ・チアンというわけで、ビジュアル的にはまさにそれらの映画の混合体というか進化体というべきか、暗さと光との微妙な配合のなかで人が動き回るアクション。最初は土砂降りの大雨シーンからというのも…。

2012年武漢。ホテルを借り切ってバイク窃盗のための講習会というのが開かれていて地元の縄張り争いをするヤクザ連が集う。そこに刑務所帰りのチョウが帰ってきて、巻き込まれるというか、縄張りを一人前にもらうことへに反発する連中とバイク窃盗数を競うことになり、その過程で誤って警官を射殺してしまい、追われることになる。

警察は彼の逮捕に30万元の報奨金を出して指名手配し、チョウ自身は30万元をなんとか妻と息子に残したいと考える。地元を取り仕切るヤクザ黄の使いとしてアイアイという水浴嬢(湖畔で客を取る娼婦)が現れ、あとはチョウがアイアイと絡んだり離れたりしながら追い回すヤクザや警察から逃げ回りときに立ち向かうという展開で、うーん、こういう話そのものを受け入れられれば面白いし、しかしどうもなあ、という立場では面白くもなんともないぞーという感じ持ちながらー特に今回も笑わない、ばかリかやせ細って髪も短くボーイッシュというよりか棒切れのようにも見える田舎出の娼婦アイアイは桂綸鎂の無駄遣い?というか『薄氷の殺人』よりもっと確信的に非魅力・非女性を貫こうとしている感じで、なんか乗れないなあと思っているうちに最後10分に。

予想通り、アイアイの密告で追い詰めらたチョウは非情に撃ち殺されてしまう―そして見事?30万元を手に入れるアイアイ。だが、そのあとがいい。今までの非情な暗さを覆すような、そして追い続け、アイアイに報奨金も与えた警察のリウ隊長(廖凡)のエッ?という表情も含めて、何となく溜飲が下がるような―画面も明るく転換という、それだけでうまさを感じさせるような映画だった。(9月30日 ヒューマントラストシネマ・有楽町 163)


⑳窮鼠はチーズの夢を見る
監督:行定勲 出演:大倉忠義 成田凌 2020日本130分

10月に入って見たのだが、⑱『マティアス&マキシム』つながりで、こちらに書く。

うーん。こちらは大学時代の先輩後輩関係で、後輩はずーっと先輩のことを想っていた。先輩の方はけっこうリッチな暮らしぶり(本当に、職場の様子も描かれて若き中間管理職みたいではあるが、こんなおしゃれな暮らしぶりどうやったらできるのか?親の資産とか遺産とかでもあるのかなとも勘繰るが、この映画、妻や同居人以外の家族は驚くほどあっさりすっきりで何も出てこない)ですでに結婚をし、不倫中。妻の依頼で彼の不倫を調査する興信所の調査員として7年ぶりに後輩が現われる。調査報告を妻にさせないために先輩は後輩の脅しというか交換条件に応じてキスをする。ということで二人の関係が始まるのだが…。

この先輩恭一というのがどうにもヘンな男で、まあ、仕事はできるのであろう(ただしスーツに真っ白なスニーカーというスタイルもなんかよくわからないが)が、彼に別れを切り出す妻、不倫相手、学生時代の彼女、職場の後輩(にして上司の隠し子、なんじゃこりゃ。しかもその上司は彼に打ち明けたあとすぐに死んでしまう)ま、いわば女性をとっかえひっかえという一方で後輩渉との愛というかセックスにのめりこんでしまう。しかもそれらに関して(特に女性関係に関して)罪悪感を持つわけでもなく、渉との関係についても逡巡するのはべつに同性愛者であることを恥じるとか隠したいとかいうわけでもなく―というか職場関係も不倫にもゲイにも上司の二重結婚生活?についても驚くほど皆無関心で、進歩的なのか関係が切れた社会なのか定かではない感じーでただただ悩み顔で流されている感じ。

一方の渉はただただ純粋に?恭一に迫るが、案外人のことをよく見ていたり、相手の心を繊細につかんだりする様子も見え、しかしふてぶてしいほどに勝手自由に生きている感じもして恭一を翻弄するわけだ。で、こちらも最初に興信所員という仕事を引っ提げて現れるが、その後働いている様子もなく?恭一の家の転がり込みという感じでうーん。二人はどうやってこのお金のかかりそうな暮らしを維持しているのかしらんとそればかりが気になってしまった。要は二人の愛・恋の進展に関係のある(阻む人は出てこない)人だけが周囲にいてそれ以外の人とは無関係というか切れている世界で、二人がひたすら体で求め合う、それは純粋そうで、グザヴィエ・ドランの描くイライラするような愛とはまた違った意味でイライラさせられつつ非現実な感じもするのだった。『ブエノスアイレス』(1997王家衛)の哀切さも思い出し、隔世の感を抱く。(10月1日 府中TOHOシネマズ 164) 

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