【勝手気ままに映画日記】2019年9月

やっと好天の高尾山。でも富士山は見えない。本当なら木と木の間、右側の山あいあたりに見えるはずなのですが…秋が深まっていくのを楽しみに。また来月も見に行きたい。




こちらも高尾山で遭遇

①引っ越し大名②工作 黒金星と呼ばれた男③僕はイエスさまが嫌い④共犯者たち⑤帰れない二人(江湖児女)➅ニッポニア・ニッポン⑦台風家族➇よこがお⑨ペトラは静かに対峙する➉北の果ての小さな村で⑪あなたの名前を呼べたなら(SIR)⑫ある船頭の話⑬狼煙が呼ぶ⑭見えない目撃者⑮ディリリとパリの時間旅行(吹替版)⑯命みじかし、恋せよ乙女⑰人間失格 太宰治と3人の女たち⑱アイネクライネナハトムジーク


①引っ越し大名

監督:犬童一心 出演:星野源 髙橋一生 高畑充希 濱田岳 松重豊 小沢征悦 西村まさ彦 及川光博  2019日本 120分

「超高速!参勤交代」シリーズを手がけた土橋章宏の時代小説「引っ越し大名三千里」が原作だそうで、これがどのくらいフィクションでどのくらい史実も入っているのかは、まあ眉唾なエンターテイメント。出て来る人々がみんな現代人だしね、それはそれで楽しめるのだけれど…引きこもりの書庫番だが誠実な知恵者(星野源は意外性なく演じている)と、ちょっと頭は軽そうだが滅法腕の立つ御刀番(髙橋一生、さすがに達者で、最後の立ち回りも楽しそう)が亡くなった元引っ越し奉行の出戻り娘の叱咤激励と知恵を借り(高畑充希もはまり役!可愛くて厳しく強いところが楽しい)姫路藩の豊後日田への石高半減という過酷な引っ越しをやり遂げるという喜劇。若者(といっても30代とか)が元気で、家老級の中高年がダメダメという感じの若者映画だね…。嘘っぽさも、描かれていないところがどうなっているのとかつつきだせばもちろんいろいろあるだろうが、とにかくまあ、頑張って引っ越し後、さらに2回にわたる引っ越し15年後までを描いて最初の引っ越しを集結させているというのもなかなか。ピエール瀧が、姫路に置いていかれ帰農し、15年後には迎えが来るも農民として姫路で生きる決意をするという藩士を演じている。彼もこれで映画界に帰参ということか??(9月1日 府中TOHOシネマズ)


②工作 黒金星と呼ばれた男

監督:ユン・ジョンピン 出演:ファン・ジョンミン イ・ソンミン チョ・ジヌン チョン・ムテク 2018韓国 137分

さすが韓流スパイ映画!主人公の軍人パク・ソギョンが1992年、北朝鮮の核開発状況を探るという命を受け、工作員として事業家に扮して(ちょうどこの年中国・韓国は国交回復している)北京から北側と接触を図るところから、韓国製品のコマーシャルを北朝鮮で撮るというプロジェクトで北側の歓心を得て、そのためのロケハンとして核開発が行われている地域への潜入に成功する、そこでは飢えてたり弾圧で死んだ人々の屍の山が築かれているというショッキングな場面も。いっぽう、金正日のそっくりさん(というか、特殊メイクらしいが)扮する金正日との会見に成功しる場面とか、なかなかに目を引く見どころが続く。やがて金大中の大統領選に際して、今までパクをバックアップというか派遣していた与党(保守派)が、金大中を当選させないために北の脅威を強調すべく、北側と接触、国境での北側の威嚇をさせることが計画される(北風作戦?)。これが成功するとパクが計画してきた広告を北で撮るという戦略はもちろん瓦解する。パクが接触してきた北朝鮮政府のリ所長はもちろん、単純にこの事態を憂慮(事業として)。パクは一大決心し、韓国側と北朝鮮側の謀略会談を盗聴、韓国政府の上司に物申すが…。終わり近くスパイ活動がバレて北朝鮮にいられなくなったパクは、リ所長の助けで列車で中国に脱出。リ所長はそれ以前にパクが篭絡のために与えたローレックス(偽物)を自宅に置いて拘束されていく姿が描かれ、これで終わりか…と思わせられるが、ここが韓流のうまさで、それから5~6年後?上海撮影所で南北共同のCM撮影が行われるという場面で2人は(無言)で再会する…感涙を誘うといういかにもという至福?の場面の設定に、かのローレックスと、李所長がパクに与えたネクタイピンがうまく使われていて。さらに、その後は字幕でパクが逮捕され、6年の服役後に釈放されたということが示されるが、これってまさに韓国の政権の変転に一致して彼の人生も変転するわけで、そこまでは描かれないのだが、うーん読み取るべき余白もいっぱいあるのだなと思わされる。見ごたえ抜群!
(9月4日 川崎アートセンター・アルテリオ映像館)


③僕はイエスさまが嫌い

監督:奥山大史 出演:佐藤結良 大熊直樹 チャド・マレーン 佐伯・日菜子 2019日本 76分 ★★★

23歳の監督が大学在学中に撮った作品でサン・セヴァスチャン映画祭の最優秀新人監督賞受賞作品。小品で、白一色の雪景色の中の小学校とその周辺という少年の生活圏に密着した、背景はある意味単調な景色でもあるのだけれど、それに負けないというか、それだからこその美しい整合性を持った、しかもファンタジックなユーモアもあるステキな映画だ。祖父の死を契機に父の実家に一家で引っ越し、地元のキリスト教系の小学校に転校した結良(ゆら 役者と役名が一緒)少年と、今までなじみのないキリスト教の礼拝などに戸惑う少年の前に現れる彼だけに見える小さなキリスト(チャド・マレーンが一切セリフなく、踊ったり、紙相撲をしたりユーモラスな熱演)、そして雪の校庭で逃げた真っ白な鶏を探すことで仲良くなる格好いい少年大熊君との楽しい日々。しかし…というこのあたりは一種予想された展開で、彼は神を信じられなくなり神もそれに答えずという流れになるが、一種の諦念としてその生を受け入れ育っていく少年が最終場面の雪景色の中での少年2人のサッカーとか、何より死んだ祖父が生前白い障子に指で小さな穴をあけては外を見ていた姿、少年も貼り直した障子で同じことをする姿に結集されている感じで、うまーい!真っ白な平面に着き開けられる穴や、遊ぶ少年たちの点のような姿が、ピュアな人生につき開けられる穴と、そこから開けていく(かもしれない)と信じるしかないような大人への道、もしくは老年までの道を示していると思える。
(9月4日 川崎アートセンター・アルテリオ映像館)


④共犯者たち

監督:チェ・スンホ 2017韓国 105分

大統領が絶大な権力を持ち、それゆえに強権発動や汚職が幅をきかせるとい韓国政治の構造のすさまじさが現れたドキュメンタリー。最初は自殺した廬武鉉大統領が、ま、いわば「いい者」として放送界に圧力をくわえないと約束したというエピソードから、そこから李明博に政権がかわったとき、メディアへの露骨な介入がはじまり、KBS(公共放送局)、MBC(公営放送局)の放送内容への介入、政権に批判的な経営陣の排除、PDや記者たちを解雇したり、スケート場の管理など取材や報道の現場から排除していく過程が、パククネ時代まで、そこにかかわった人々のインタヴューで綴られる。このようなメディアの骨抜きがセウォル号事件の大誤報やチェ・スンシルゲート事件の隠ぺいにつながった。監督自身が排除されたMBCのディレクターで、市民の支援を受けて仲間とともに独立メディア「ニュース打破」を立ち上げ、そこを拠点にこのドキュメンタリーは作られた。彼らの信念と意気、そして権力に迎合した側の欺瞞的な態度とかがあらわになっていくのは、まあ予想の範囲内の描き方だが、それにしてもなんかすごい…やっぱり韓国は。とはいえ、そんなふうに言ってしまってはいけないのだろうな。週刊ポスト報道がまだ耳に新しいこのとき…。(9月5日 ポレポレ東中野)


⑤帰れない二人(江湖児女)

監督:賈樟可 出演:趙濤 廖凡  張一白 馮小剛 徐峻 ディアオ・イーナン 丁華麗 董子健 2018中国・フランス 135分

昨年フィルメックスで見そこない(ちょうど中国・紹興旅行中)、文化村公開初日第1回(10時半)を見に行く。観客はでも30人くらい? 期待通りの見ごたえだったのは、やっぱりヒロイン・チャオの強さ、江湖ぶりだろうか。わからなかったところは…。襲われたビンを助けて、チャオは彼が車に置いていた短銃を空に向けて撃つ。その威嚇によって懲役5年とは、いくら厳しい法律とはいえ、不公平に厳しすぎないか?自分は1年だったピンに「売られた」ということ? また大勢で車に襲いかかり、運転手やピンを殴る蹴るで袋叩きにしたほうにはおとがめなし?、5年後出所したチャオがピンを探して奉節まで行くのはいいとして、その後武漢方面にいく列車の中で最初は武漢で乗り換えて大同に行くつもりだったのに、いかにも胡散臭げな男に仕事があると誘われ新彊までいくことにしたのに、男との関係が少し深まったところで眠っている男を置き去りに夜の街に下りてしまうというのはなぜ?彼女は新彊まで行ったのか、行かなかったのか?いずれ終わりには大同に戻り、再び雀荘のオーナー(管理)の仕事をしているのだけれど…。ぶれない女の姿が揺れ動き変化する中国の中に描かれる。ここは唯一この映画で彼女が「ぶれた」ところかな?  (9月6日 渋谷文化村ル・シネマ)


➅ニッポニア・ニッポン

監督:才谷遼 出演:隆大輔 寺田農 デコウト・ミリ 慶德優菜 柳沢なな 関口晴雄 伊嵜充則 飯田孝男 宝田明 2019日本113分

会津若松市役所勤務、定年間近な「楠穀平」という男が、原発最前線の楢穂町役場への出向を命じられ赴任する。そこで助役・村井正の案内で、汚染物質の処理場とか、津波の跡地とか、災害のあと、またそこに住む人びとなどに紹介され、案内されていくという話。その間をつないで雑多ともいうべきさまざまなアニメ映像が挟まれたり、この地をフラフラと飛ぶ奇形の蝶について語られたりする。たとえば役場の同僚課員の自己紹介はそれぞれミュージカル調で行われたり、穀平の娘(というか死んだ息子の妻)ハルカは勤務先の小児病院で入院中の子どもたちとウサギのダンスを踊るとか―どちらも?稚拙で学芸会っぽく、ちょっとわけのわからないようなシーンも挟まれ混沌としているという感じもあるのだが、穀平の息子ハルカの夫だったイチローがドイツ・アウトバーンでの交通事故死前日に、アウシュビッツ収容所見学と過去の惨状を遺産として記憶として残すことを説く手紙を送ってきたこと、ハルカが職場の病院で見えない少女を友として暮らす少年に寄り添い、結局彼女氏自身も見えない少女を送ることに、大切なものを失った人に時間薬としてその人にしか見えない相手が見えるようなると説かれる。
クライマックスは新原発副所長を迎えるパーティで、参加者がそろって「原発の未来は明るい」という内容を歌い、踊るというシーン。先頭に立つのは殿様装束の宝田明でいかにも胡散臭げなようすでムソルグスキーの「のみの歌」(これは最初のほうのアニメーションでも出て来る)を歌い踊る。職務としてこのパーティに参加せざるを得ず、参加者たちの原発称揚音頭を苦虫をかみつぶしたように聞いていた穀平はとうとう持病の喘息を誘発して倒れる。そこに駆け付けたハルカが吸引薬を届け、穀平はようやく息をつき、娘の手からは縮れた奇形の蝶がきれいに羽を伸ばして飛び立つといういわば至福?で幕をが下りるのがなんともいいなあ。ウーン、面白いんだがなにもかもぶち込んだ感じで、これが現代日本の混沌状況だと作者は言いたいのだろうか。(9月6日 ユジク阿佐ヶ谷)


⑦台風家族

監督:市井昌秀 出演:草彅剛 新井浩文 MEGUMI 中村倫也 尾野真千子 甲田まひる 若葉竜也 藤竜也 榊原るみ 2019日本 108分

両親が10年前に銀行強盗をして失踪、10年後空き家化している実家(葬儀店)にきょうだい4人が集まって「見せかけ」の葬儀、家と土地を売り財産を分ける話になる―ということで長男、長女、次男の3人のエゴがぶつかり合い、中でも長男なのに?若くして家を出て「勝手に生きてきた」直情的で、自己中心的な「クズ」を演じるのが話題となった草彅剛。で、そういう話かと思うと遅れてミステリーっぽい現れ方をするのが末息子の中村倫也で、実はこの「葬儀」=集まりは彼がユーチューブ発信するために仕組んだものだったことがわかる??一家を率いて交通事故にあったあと失職中の長男も、忙しい忙しいという次男も互いに確認もせずそんなわけのわからない話に乗ったって結構仲悪くないんじゃん?とも思わせるが、まあ、ここはつついてもしかたないところ?そして葬儀には長女の「今の彼氏」も現れ、その流れ(ま、笑っちゃうが)で、どうも母親が認知症を患い、父親がその面倒を見てたらしいことがわかる―さらに被害にあった銀行の元支店長にして今は責任を取らされて降格、案内係になっている男が現れて、被害の賠償請求をしたり、また、父親が強盗などをするきっかけを作った女が現れたり、こういう家族内の遺産分配の話だと様々な要素を盛り込まないと話が持たないということはあるのだろうが、それぞれ登場人物の伏線的なエピソードまでも丁寧にというかご丁寧に挿入しているという感じで論理的にはわかりやすくなるが、ウーン、映画としてはなんだか煩雑な感じもしてちょっと鬱陶しいし、嘘っぽくもあるかな…。とはいえ、リアリティを求めているのではないことは、後半台風が来て暴風雨の中、一家が車を出して(これも寺の住職の新車をいわば奪って)昔ハイキングに行った川を目指し、そこで出会うある種のファンタジー的結末をみれば、まあわかるのだけれど。その中でトレーラーでも各登場人物のセリフでも強調される長男のダメさが実は真面目な家族愛に支えられていたり、父の隠された息子への愛が明らかになっていくというような、人情噺も盛り込まれていくことになる。悪くはないが、作為が目立って少しくたびれるかな…、そんな作品。次男を演じる新井浩文の事件で3週間の限定公開だそう。許しがたい気がする犯罪(ピエール瀧=「引っ越し大名」に出演、の薬物不法所持より、やはり罪は重い)だが、役者としては本当に惜しい。
(9月10日 府中TOHOシネマズ)


➇よこがお

監督:深田晃司 出演:筒井真理子 市川実日子 池松壮亮 須藤蓮 小川未祐 吹越満 2019日本 111分

最初の場面はことが起こったあと、名前を変えたヒロイン市子=リサ(筒井真理子)が美容師・池松壮亮を指名して美容院にあらわれるところからで、ここから彼への誘惑が始まるのだが、その次は事件前の看護師として大石家への訪問看護を担当し、皆に信頼され、中でも引きこもりながら介護士の資格をとろうと勉強中の長女基子(市川実日子)からは絶大な信頼と親しみを受け、妹のサキの数学?までも教えるというスーパーぶりが映し出される。ふたりに勉強を教える喫茶店に市子の甥が現れるところが事件のきっかけ、というわけでサキの失踪(と帰還)をめぐり、市子が思いもかけない境遇に追い込まれ、そこに彼女に友情や信頼以上のものを抱く基子の感情がからみ―これがわからない市子の「いい人」ぶりが、観客からはちょっと鈍感に感じられるのだけれど、その意味ではこの映画、芸達者な市川によって支えられている感じ?そして悪意のマスコミにさらされ、職も婚約者も住みかも失った市子が復讐を始めるのが冒頭ということになるわけだが、ここでも復讐の方向はある意味的外れで、市子の鈍さと、そう思わせる基子を演じる市川が際立つ(筒井と市川でなく、あくまで市子と、市川。つまり筒井の鈍感にして意志を貫く市子の演技もなかなかに筆舌に尽くしがたい、ということ)。前半ちょっと時系列のあっちとこっちを行ったり来たりにいらいらという感じもあるようなゆったりした流れだったが、さすがに後半締まって、ウーン納得、というさすがの深田作品だった。
(9月13日川崎市アートセンター・アルテリオ映像館)


⑨ペトラは静かに対峙する

監督:ハイメ・ロサレス 出演:バルバラ・レニー アレックス・プレンデミュール ジョアン・ボディ マリサ・パデレス  2018スペイン・フランス・デンマーク 107分

各章に見出しがついてその章のテーマを示すが、以下の通り、第2章 ペトラ ジャウメの世界に出会う 第3章 テレサの自殺 第1章 ペトラの母親の病と死 第4章 ジャウメ ペトラに父親ではないと告げる 第6章 ジャウメの嘘と その結末 第5章 ペトラとルカスの愛の始まり 第7章 ペトラと娘フリアの新生活 という具合で、要は1章から順に出てくるわけでなく、先に結果があって実はその発端は…というような描き方。父を知らずに育った画家ペトラだが、死に際しても母は父を明かそうとしない、叔母に母の昔の友達を聞いてそこから手繰った手掛かりにより、ジャウメが父あることを確かめに彼女が同じアーティストであるジャウメの邸宅にやって来るのが1,2章。金が好きだが酷薄なジャウメは妻とも息子とも心がすれ違っているような生活。3章では息子ルカスの仲立ちで使用人ファンホとテレサ夫婦が息子パウを助手として雇ってほしいと頼むが、引き換えにジャウメはテレサに情事を迫り、夫には言わないが息子に言うというので、テレサは自殺する。ジャウメの息子はテレサに好意を持つが、彼を兄だと思っているテレサは好意をもつものの深くつき合おうとはしない。父ではないかと迫ったテレサに4章、ジャウメは自分はテレサの父ではないという。その後テレサとルカスの中は深まり、画家をやめて保育士になったテレサはルカスと家庭を持ち娘も生まれるのが5章、ところがそこに現れたジャウメがやはりテレサは自分の娘だというので絶望したルカスは父を殺そうとするができずに自殺するのが6章。7章ではジャウメはパウを見込んで本格的に弟子として育てたいというが、最初から翻弄され、好意を持っていた?ルカスの死を見ていたパウは許せずジャウメを射殺する。その後、ジャウメの妻マリサは、実はルカスがジャウメの息子でなく、自分と行きずりの男との間にできてしまった子だとペトラに告白する。夫の死後ジャウメ一家と縁を断とうとしていたペトラが最後に娘を連れてマリサに会いに行くところで映画は終わる。
特徴的なのは画面の半分で誰かに話しかける登場人物、そのとき相手は見えず、やがてカメラがパンして相手を映し出すという手法。語りの視点や相手をあいまいにしてミステリアスな雰囲気にしているのだろうがいささか疲れる。とはいえ、批評は好悪様々だったらしく、なんかごちゃごちゃした家庭劇を思わせぶりに描いただけだといえばいえるし、そこに流れるミステリアスだが、あまりドラマチックではなく描く、しかもその背景が渇いたスペインの緑もなんか白茶けたような雰囲気の中にあるというのが、なんとも人の心情を表しているようでもあるとか…ウーン。こんなふうに筋を確認してなるほどと思いたくなるような映画なのである。ジャウメを演じたジョアン・ボディは77歳のスクリーン・デヴューだそう。バルバラ・レニーは『マジカル・ガール』で見た人。『誰もがそれを知っている』(6月)のパコの妻ベアを演じているのもこの人。
(9月14日 下高井戸シネマ)


➉北の果ての小さな村で

監督:サミュエル・コラルデ 出演:アンダース・ヴィデゴー アサ―・ポアセン チニッキラー村の人々  2017フランス(グリーンランド語・デンマーク語)94分

フランス人監督がグリーンラドに魅せられ、2年かけて国内を旅してたどり着いた人口80人のチニッキラー村。そこに実際にデンマークから赴任した青年教師と、実際の村民たち、中でも猟師になることを望み学校よりも祖父に教わることを望むが、その祖父に映画中盤死なれてしまう8歳の少年アサ―を軸に、実在の人々そのままの半ドキュメンタリー,半ドラマとして描く。ということで、話そのものは、7代続く農家を継ぐのが嫌で教師になってデンマークから内政自治権を獲得したグリーンランド(でもデンマーク語の習得が何より生きていくためには有利とされてデンマークから教師が派遣されるっていうのは…世界あちこちで見られることとはいえ、ああここでもかと思わされる。おまけにグリーンランド人はイヌイットで完全にモンゴロイド?だから、見かけもデンマーク人とは全く違う、というか日本人には親しみやすいのだが)に派遣されて優越感や疎外感を感じつつ変化していって、村人や祖父を失った少年アサ―と犬ぞりで猟に行き子連れのシロクマに遭遇するという至福とか、アサ―と祖母と一緒に亡くなった祖父を埋葬するとか、そういうふうに村に定着していく様子を描いているのだが、なんといっても年半分は雪と氷に閉ざされ、半分は陽ざしが幸せそうに輝くという引き込まれるような風景と、風格のある顔立ち体つきが多いイヌイットの猟師や女たちの存在感、その存在感を映画の中でどんどん増していくアサー少年とか、引き込まれ抜け出せなくなりそうな映画だった。(9月20日 川崎アートセンター・アルテリオ映像館)


⑪あなたの名前を呼べたなら(SIR)

監督:ロヘナ・ゲラ 出演:ティロタマ・ショーム ヴィヴェーク・ゴーンバル ギータンジャリ・クルカルニ―  2018インド・フランス 99分

ラトナは新婚4カ月で夫を失った「未亡人」(もともと男は病気だったことを隠して結婚したとされる)。彼女は一生未亡人として、妹の結婚式にも参加を許されず、夫の家に縛られしかも口減らしのためにムンバイにメイドとして出稼ぎに行く。その稼ぎは夫の家に仕送りし、妹の学資にとしているのだが、その妹は卒業を前にさっさと結婚してしまう。踏んだり蹴ったりという境遇の彼女だが、自分が仕える裕福な建設会社の御曹司に願い出て仕立ての技術を身に着けファッションデザイナーになるという夢を捨てない。男のほうは結婚して住むはずだった豪邸マンションでラトナを雇ったわけだが、結婚式直前に婚約者が浮気、捨てられてしまうという傷心状態で、2人の気持ちはだんだんと接近していくわけだが、身分も違い、かたや未亡人とはいえ結婚中でもあり、男の権高な家族や社会が許すわけもなくというわけで、この悲恋?どう進むか。だが、そうはならないところがいい。あくまでも女の自立の意志と、それを尊重し、彼女を自分のものにすることをあきらめ、ひそかに彼女の自立を支援する男が、当然派手な動きはしないのだが、ずっしりと映画に芯を作っている。ただし途中には踊りはないけれど歌はちゃんと挿入されてマサラムービーの伝統もちゃんと守っているしね…原題「SIR」はヒロインが雇い主を呼ぶ「旦那様」。彼が自分に新しい仕事先を世話してくれたと知って彼女は彼を訪ねていくが、彼はすでにNYに去っている。最後の最後に電話で1度だけ「アシュヴィン」と名前で呼部のが、彼女の愛と自立を象徴するというわけだ。(9月20日 川崎アートセンター・アルテリオ映像館)


⑫ある船頭の話

監督:オダギリジョー 出演:柄本明 村上虹郎 川島鈴遥 細野晴臣 永瀬正敏 橋爪功 草笛光子 蒼井優 浅野忠信 村上淳 伊原剛志 笹野高史 河本準一     2019日本  137分

とにかくたっぷり、しっかり見せてくれる阿賀野川の景色、撮影はクリストファー・ドイル。今まで見てきたドイル作品とはちょっと趣が違い、いろいろな映画で見る日本の美しい川の流域の景色とも違い、くっきりと硬質で、吸い込まれるというよりは迫ってくるという迫力の美しさ。それに乗るのはアルメニア出身の若いジャズピアニスト、ティグラン・ハマシアンで、これがまたいかにも川の流れというテンポを刻みながらもリリックでこちらは映画世界に観客を引き込む。出だしは渡し船の船頭トイチの船に乗る細野晴臣扮する老爺なのだが、この人のセリフの切れがよくてなんか、現代人っぽい話し方なのが気にはかかる。口数の多くない柄本や、町医者―いちおうインテリ階層ーを演じる橋爪はさすがにそんな感じでもないが、街から隔絶し、橋もまだかからない田舎の川辺の村に住む人々にしては皆セリフ回しは現代人ぽく、芸者や、口減らしに追い出されたと語る老女の客は垢ぬけた感じで、実は日本の一地方というよりは、どことも特定しない場所の物語として撮りたかったという監督の意図がこういうところに現れているのかもしれない。川の景色の、日本映画離れ?した硬質な美しさも、登場するミステリアスな少女や、何者ともわからない(トイチの心の中の亡霊?)少年?の衣裳も国籍不明の色・スタイルで、これはいかにもワダエミ。川には上流に橋梁工事が進行中で、渡し船はガラの悪い工事関係者なども乗せる。自分も今は乗らざるを得ないのに、渡し船を古臭い、不便としてバカにし哄笑する工事関係者を乗せてこぎながら黙っているトイチ。一方若い源三は橋の工事を嫌い完成する前に爆破すると息まくが、橋の完成後にはスーツに身を包んで現れて、物語を悲劇へと導く。その軽薄性の痛々しさが響く村上虹郎の好演。滔々と流れる川の風景と時間の中で、それぞれのショットに現れる人々はときにファンタジックであったり、時に血みどろの生々しさであったり、火事まであり、目をひくが、それがパラパラと現れて途中はちょっととりとめなくどこにこの映画は流れていくのという感じもして、137分の長尺、中盤実はちょっと疲れた…。しかしとにかく志の強く表れた映画ではあった。立川でのこの日は、監督オダギリジョーのトークショー付きの回。1週間前売り出し日の朝7時半ネットでチェックして手に入れたまさに最後の1席でみた(最後列中央のそんなに悪い席ではない)。オダギリは一昨日舌をかんだのであまりしゃべれないと、とても物静かな感じだが、さすがに話ははきっちりと過不足なくしゃべる。ただ質問者に回すワイアレスマイクがないということで、特に前のほうの質問者の皆さんボソボソとで、聞きにくいことこの上なかったのは残念。司会者が「通訳」してくれるのだが、それもなんか時間の無駄みたいだし。(9月21日立川キノシネマ)


⑬狼煙が呼ぶ

監督:豊田利晃 出演:渋川清彦 浅野忠信 高良健吾 MIU 松田龍平 2019日本 16分

祖父の残した遺品の古い拳銃によって拳銃の不法所持を問われ逮捕され、一時は作家声明をも危ぶまれたという監督が、その経験から描いた16分の短編。はじまりは蔵を整理する女性がタンスにしまい込まれた拳銃を見つけ出すところから。カメラは神社風の建物、その上空の緑に囲まれた空とパンして、山道を歩く1人の侍(っぽいのだが、ヘア明日タイルなどからみると現代人?)に。この侍の背を追って石段を上がると神社の境内。そこには2人の男が待つ。そして現れるもう1人。また「来たぞー」(全編とおしてセリフはこれ一つ)の声とともに隊列を組んで現れる農民?たち。全員が並んで石段の下のほうを凝視し、渋川扮する男が懐から磨かれた拳銃を取り出す。カメラは一転して現代の土蔵の前でさびた拳銃を撫でる女性。そしてタイトルバック。「松田龍平」と出たので、え?どこに出たの?と思っているとエンドロール後に再び現代の都会の屋上、そこを髪の毛以外は侍姿で歩く松田が映し出される。バックはビル群。なるほどなあ、そして最後に監督名が出て終わり。現代と過去の交錯が描かれてうまい。作者にとっての拳銃の意味が示されることにより、それが現代の侍の姿に再度投影されることにより、過去の影で逮捕された監督の心情がなんかよくわかる気がする。(9月25日 渋谷ユーロスペース)


⑭見えない目撃者

監督:森淳一 出演:吉岡里帆 高杉真宙 大倉孝二 田口トモロヲ 浅香航大 松田美由紀   2019日本 128分

韓国映画『ブラインド』(アン・サンフン)をベースにした映画化といえば、当然中国映画で同じアン・サンフン監督でリメイクした、その名も邦題『見えない目撃者』(2016)と比べてみたいところ。ただし私は残念ながら『ブラインド』は未見。で、中国版のアイドル映画っぽさに比べるとこの映画はぐっと社会派? 親に見捨てられた高校生世代の生き方や未来とか、定年間近の警察官の生きがいと将来問題とか、息子を失い娘が失明した母のくたびれとかを練り込んでいささかうるさい感じもなくはないが、物語の整合性というかつじつまがあってリアリティを増している。映像そのものは中国版よりずっと残虐、事件動機も描写もエグイし、ヒロインを最初は信じず、しかし徐々に引きずり込まれて動き支えていく警察官が2人とも犯人にあっという間に殺されるというのもやりすぎじゃない?という気もするが、目の見えないヒロインが落ちこぼれ高校生のスケボー青年の助けも得ながら(この子がヒマでスケボー意外に生きがいがないというのは、ヒロインを助ける一つの理由にはなってるのだろうが)頑張っていく姿は励まされるし、スマホを使って犯人から逃げるところや、豪邸での死闘(ここが中国版では必然性がなく嘘っぽかった)の理由もよくわかり、盲導犬は、盲導犬の演技かしらと思ったら、どうも役者犬?が盲導犬の演技をしているらしく、エンドロールに説明が出たりで、なんかいたれりつくせりという感じの映画。だけど緊張を続けるには少し長かったかも。見ごたえはあった。TOHOシネマズ最後の1カ月フリーパスをゲット。それで見た
けれどよかった!(9月26日 府中TOHOシネマズ)


⑮ディリリとパリの時間旅行(吹替版)

監督:ミシェル・オスロ 出演:斎藤工 新津ちせ (2018)フランス・ベルギー・ドイツ 94分

出だしは結構ショッキング映像で、パリの見世物で裸で原住民生活を演じる少女ディディリから。彼女になぜか心惹かれた配達人オレルは声をかけ、仕事を終わって待ち合わせると、白いドレスを身にまとい可愛いお嬢さんとしてのディディリが現れ、流ちょうなフランス語で密航してフランスに来た経緯、その過程でフランス語やマナーを習得した過程を話し、特技の縄跳びを披露する。そこに少女誘拐の報。オレルは配達に使う三輪車で、パリの街をディディリに案内しながら、2人は誘拐事件の真相に迫っていく。その過程で滅法顔の広いオレルが観客に当時のパリのさまざまな著名人、まだ無名だけれどその後有名になる人々を紹介するというか、まあそういう人々が次々に出て来るのは、そこだけ実写のように描かれたパリの町々。彼らの誘拐事件解決に力を貸すのはロートレック、歌手のマダムエルベ、マリー・キュリー、サラ・ベルナールといった面々で、物語は「男性支配団」による政治がらみの陰謀でもあるということで当時のジェンダー問題も絡み、飛行船が出てきたりと見るからに楽しめるのだが―ウーン、やっぱりパリの景色の中では観光案内っぽい感じがつきまとうかな…。アニメということで、時間の関係もあって斎藤工がオレルを演じる吹替版のほうを見た。そこそこ楽しめたし、いくつかはこれはフランス語ではどういっているのかなと思ったりしたところもあったけれど、ウーン、字幕版をもう一度見ようというほどの気にはならないかな。吹替は原版とはだいぶ声質などは違うけれど、これはこれで楽しめるし。
(9月27日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館)


⑯命みじかし、恋せよ乙女

監督:ドーリス・デリエ 出演:ゴロ・オイラー 入月絢 樹木希林 2019ドイツ 117分

新種のお化け映画?ドイツの神秘主義が日本の神秘に結びついたような…。離婚してアル中、父母や兄姉との間にも確執があるらしくボロボロの主人公カールの前に突然やってきた日本女性ユウ(カールの父を日本で看取ったその縁で来たというのだが、そのあたりの必然性はわかりにくい)セクシイな下着の上にスーパーで売っているような上下の肌着を重ね、ショッキングピンクのハイネックの上にセーラー服上下、さらに上は緑色のスクールジャージ、下は和服?スカートそれに厚手の柄物タイツという珍妙な格好もドイツ人から見た日本女性のイメージ?そして彼女が現れるとなぜか現れる物の怪、幻?ユウを今は空き家になった田舎の両親の実家に案内したカールは両親の幻や、現に近くで暮らしているネオナチの兄と父に抵抗して額にハーケンクロイツのタトゥを入れて引きこもっている息子やその幻、幼いころの自分たち姉弟の幻?に遭遇する。このあたりの一家の確執の描き方は興味深い。こういうことありそうだし…。やがてその中でカールは夜の林で人事不省に陥り脳死宣告をされるのだが生命維持装置を切るための最後のチェックの際に命を吹き返すーとこの辺も神秘主義この上ないねーそのころ、いつの間にかユウは姿を消し…。後半は一応元気になったカールが日本にユウを訪ね茅ケ崎館で彼女の祖母に会い、ユウの幻を見、彼女に再び誘われという神秘の中で、もう一度生きると宣言するという流れなのだが、娘と孫を失っても生き続ける樹木希林扮する祖母の存在感がカールを励ますのだとはよくわかるような描き方。しっかしなー、かったるい映画。はじめのタイトルバックやエンドロールは河鍋暁斎などによるお化け(百鬼夜行?)の織物で、ぐっと目をひくけど、やっぱりこれはお化け映画なのね。(9月27日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館)


⑰人間失格 太宰治と3人の女たち

監督:蜷川実花 出演:小栗旬 宮沢りえ 沢尻エリカ 二階堂ふみ 成田凌 千葉雄大 瀬戸康文 高良健吾 藤原竜也  2019日本 120分

極彩色にお花いっぱいの蜷川ワールドに漂い揺蕩う男と女。身勝手な芸術家と相手を愛すというより自分を愛している女たちと、翻弄される男という構図は見ていて別に楽しくはないが、ビジュアル的にはいつもながらに度肝を抜かれる。小栗旬は太宰にしては少し目が涼やかすぎる?感じもするが、血を吐きながらどんどん痩せて顔がとがっていくのが、演技らしいことはらしいんだが、よく演じたという感じ。見ごたえはあるが、二度見たいとは思わない。TOHOシネマズ フリー鑑賞2本目。
(9月28日 府中TOHOシネマズ)


⑱アイネクライネナハトムジーク

監督:今泉力哉 出演:三浦春馬 多部未華子 矢本悠馬 森絵梨佳 貫地谷しほり 恒松祐里 萩原利久 八木優希  成田瑛基 こだまたいち 2019日本 119分

原作は伊坂幸太郎。読んだんだが20年近く?にわたる時間の中で絡み合う人間関係に、そのときはなるほどと思いもしたのだがウーン、今になってみるとあまり印象に残っていないというのが実際のところ。で、これは時間は10年に短縮、登場人物も多いとはいえ原作よりは整理されている感じ?でなるほどこんなふうに料理できるのだなと感心してみた。ただし、内容的には出会いと、恋の見直し、人の見直しという感じでまあ、とりたてて新しい視点を喚起してくれるというようなものでもなく、目を見張るような印象的シーンがあるわけでもなく(これは原作ゆえかも)安心して見られはするが、多分これも忘れるだろうなーとは思ってしまう。同じ今泉力哉の原作ものでは『愛がなんだ』があるけれど、インパクトはと強い。  (9月30日 府中TOHOシネマズ)

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