山形国際ドキュメンタリー映画祭2019















①戦場の女たち(英語版)②約束の地で③さまようロック魂④エクソダス⑤死霊魂➅ナガランドの胎動⑦ミゾ民族戦線:ミゾ蜂起➇別離➈自画像:47KMの窓➉ユキコ⑪あの店長(The Master)⑫誰が撃ったか考えてみたか⑬映画の都⑭ラ・カチャダ⑮駆け込み小屋⑯美麗少年⑰自画像:47KMのスフィンクス


①戦場の女たち(英語版)
監督:関口典子 撮影:クリス・オウエン 1990オーストラリア パプアニューギニア・日本(英語・日本語・トクピシン語)54分

1990年、昭和の終わりに、パプアニューギニアの元従軍慰安婦や兵士にインタビューをして作った映画。当時はまだ元兵士も、また慰安婦にされたり、されないまでも日本軍の強硬な食料調達などの被害にあった人々が経験者として存命だった。島の人々と、慰安所の検査などに当たらされた産婦人科医の発言がある一方、そんなことはしたことがない、国が責任をとることではないと真面目に言う元兵士たちの食い違いなども出ていて、ウーン。『主戦場』などで声高に叫ぶ修正主義者にも見せたいような映画。
英語版で機器による同時通訳がつくが、「いあんぷ」というのが気になる。「いあんふ」なのか「いあんぷ」なのか。「かんごふ」も「ほけんふ」「じょさんふ/ぷ?」も今や死語だしなあ。(10月10日 山形市民会館小ホール AM/NESIA オセアニアの忘れらた「群島」)


②約束の地で
監督:クローディア・マルシャル 2019フランス(ボスニア語・フランス語・ドイツ語)77分

14歳で夫の家族とともにボスニアからフランスに移住した妹と、ボスニアに残る家族、特に姉は子どもとともに国外に出たく、ドイツに行って移住をはかるが、結局果たせず、ボスニアに戻り貧しい暮らしを余儀なくされる。移住を果たした妹も同じく大勢の子どもを抱え(それにしても、2人とも30前後?の若さだがティーンエイジャーを頭に4~5人の子どもを持っているのがすごい)厳しく貧しい暮らしをしているが、姉から見れば成功者で、国から無心の電話をかけて妹を困らせたり…。どちらの大勢の子どもたちも未来はどうなるんだろうなあ、という映画。若い?美しい監督の初長編作とかだが、10年以上家族に密着して製作したとか。ちなみに彼ら家族はロマで、ヨーロッパどこに行っても安住の地はないとのことだった。地味な日常を淡々と描きつつ、彼らの思いがじんわり伝わってくる佳作。(10月10日 山形市民会館大ホール コンペティション)


③さまようロック魂
監督:崔兆松 出演:宝強 張宏 2019中国(中国語) 93分

相棒を病の苦しみと高額医療費の二重苦での自殺で失い、ソロ活動するロックシンガーソングライター、宝強(とっちゃん小僧みたいで、母親とのけんかなんて20代みたいだがそろそろ50?の1児の父)の暮らしぶり―熱心なクリスチャンである母とのケンカ、別れた妻と一時的によりを戻して健全な家庭の父子としてアメリカ出国をはかるとか、9か所中7か所に断られたという単独コンサートツアーとかの様子を描く。
厳しい中国政府の規制の中で自由を阻まれて生きていると言いつつ、なかなかいい家に住んで結構ひょうひょうとしているところが「普通の暮らし」と思わせられるところもあり、こういうタイプの映画にしては案外気楽に見られる。
(10月10日 フォーラム3 アジア千波万波)


④エクソダス
監督:バフマン・キアロスタミ 2019イラン(ペルシャ語)80分

アメリカの経済制裁のあおりで通貨価値が下落したイランから、ここで働いても実入りがないということでアフガンに帰ろうとする多くは不法移民の出国認定をする帰還センターをボブ・マリーの「エクソダス」のメロディに乗せて描く。
おおぜいのアフガニスタン人が窓口に顔を出し指紋を取られ、写真を撮られ係官が話を聞く。この係官たちも生活や仕事が保障されていないと嘆くというか話す場面があるが、映画に映っている範囲ではきわめて親身で友好的。アフガン人たちもそれぞれの事情を語りそれは深刻な話も多いがなんとなく笑顔もあって明るい雰囲気(ばかりではなく深刻なシーンももちろんあるのだが)そういう形で問題をとらえるのはすごく達者な映画という感じで面白く見た。イランでは不法移民たちの訴えに誇張があるとか、ステレオタイプに描きすぎだという批判もあったらしいが、それもなるほどとも思えるが、これはこれでいいのではとも思う。不法移民や難民問題が問題になりがちだがこれは「帰っていく」「期待してきた国を出て行く」人々の映画であるところが新しい視点でもある。
(10月10日 フォーラム3 アジア千波万波)

⑤死霊魂
監督:王兵 2018フランス スイス(中国語)495分


3部作。それぞれ2時間45分くらい?に45分ずつ2回の休憩をはさみ、朝10時から夜8時までの10時間。かつての『鉄西区』(2003年山形の大賞。私の山形国際映画祭初参加の年でもあり、かつて1年住んでいた鉄西区を懐かしむ思いでこの映画を見に行ったのだけれど、会場は結構ガラガラだったのを思い出す。今回は600人の会場に、隣の席に荷物を置かないでとアナウンスが繰り返されるほどの盛況。)をこえる長さに、こちらが終わりまで持つかどうかと思いつつ、だめならまあ、2部までとか、1部だけでもと見に行く。が予想に反して?眠くなることもほとんどなく(長台詞にふっとなることは皆無とはいえなかったが)終わりまで目を離せない感じで見ることができた。
1950年代終わりの中国反右派闘争で粛清されてゴビ砂漠の夾辺溝の再教育収容所に送られた人々や周辺の証言集。1部はまず老夫婦(夫がべらべらしゃべる傍で妻は座り、たまに夫の記憶違いをチラリと補足しようとすると夫が手で制する…って、この映画の女性の描き方はすごく面白い)夫婦の弟の寝たきり老人の証言と、彼の葬儀というか埋葬シーン。このあたりは2005~6年の映像で、そこからはじまり2016年ごろに90を超えて一人になり「死にたい」とベッドに横たわる妻まで。さらに当時収容所に送られた何人かの発言と、収容所時代に墓地とされた辺りから白骨累々という感じの夾辺溝(溝は窪地と訳されていた。なるほど)、その後開拓地として農民に頒けられたその地で暮らし耕す農民の80年代に引っ越してきてからの証言や映画製作者への案内など。
2部はこの地域の学校教師だった人を中心に何人かが延々と収容所生活を語る語る。やはりおもに2005年からのインタヴューで当時75歳くらいの(比較的若い)人は資料を探しながら、また炊事係をして助かったとか、誰とかを大工組に世話して助けたとかとともに、もちろん大勢の亡くなった人の話も。2時間半以上で5人くらいの証言、つまり1人2~30分延々と語るのは『鳳鳴―中国の記憶』を思わせるが、さすがにそこまで長くなく、何より語る人々の話がおもしろいというか、ひきつけるので引き込まれてしまう。
1部では夾辺溝の中でさらに厳しい地区だった明水での話が中心だったが、2部は夾辺溝そのもの。1人の夫が語るカメラの前を横切り、薬を飲む妻とか…そして3部になると、まず2部で名前が出てきた李景汎とか張振方とかいう人々や、李の妻、また別の死者の家族写真と手紙、その収容所の同僚だった人の妻が夫の死とその後の再婚について語る。3部に行くにつれ女性の比重がだんだん大きくなるが、それにしても、この時代収容所に送られたのは男性だけ?そして収容所の係員だった人の証言も含め(ここにはとうとう王兵自らインタヴュアーとしての顔を見せている)、周辺部に話が広がっていくとともに、赤茶けた砂漠地帯に転がる白骨をよろよろと追いかけていくカメラ…。藍色橙、そして茶色に光の美しかった映画『無言歌(夾辺溝)』の素材になった話なのだと分かるが、やはり『無言歌』よりはずっと厳しく重い。証言の中には1日の配給250グラムとか、棺桶が亡くなった後は布団に丸めて遺体を放置したとか、繰り返し出てくる話もあるのだが、不思議にそれがくどく感じられないのは、やはり語る人々にとって唯一無二の体験であることが伝わってくるからか。とにかく全編通して引きつけ続けるすごい力を感じて長くて短い1日だった(この日はこの映画1本のみの鑑賞)。
(10月11日 山形中央公民館 コンペティション)


➅ナガランドの胎動

監督:プレム・ヴァイディア 1974インド(ナガランド州)英語 モノクロ46分


1974年製作のインド映画。インド北部のナガランドを紹介し、ここの人々がインド国内を旅する態をとりながら、いかにインドが自由と民主の国であって、少数民族であるナガランドを重視しているのかということを宣伝する。一昨年山形公開その後一般公開もされたナガランドを描く『あまねき調べ』によれが、ナガランドは1955~57年の独立戦争で弾圧されたとのこと。その後の『あまねき~』の中でも迷彩服の兵士たちが村内をウロウロしていて、村人たちの協業を象徴するような調べとうらはらなきな臭さもあるのだと感じさせられたが、この映画にはそのような雰囲気の片鱗もなく、インド国内で大切に平等に扱われているというのは、要はインド視点の宣伝映画だからである。モノクロで、いかにも古めかしく、色を付けたら総天然色になりそう(鮮やかな原色の)な観光映画っぽい雰囲気も。(10月12日 ソラリス 春の気配、火薬の匂い:インド北東部より)

⑦ミゾ民族戦線:ミゾ蜂起

監督:ナポレオン・RZ・タンガ 2014インド(ミゾラム州)英語・ミゾ語 28分


こちらはやはりインド北部のミゾラムの独立を求める民族戦線・義勇軍の結成、20年にわたる地下活動や政府との攻防、インド側の空爆などの弾圧、そして86年キリスト教指導者の仲立ちにより和平合意・インド政府が独立州としての自治を認め、指導者だったラルデンガが州首相に就任したことなどを、今はなきラルデンガの妻、民族戦線のトップや元兵士、歴史学者や交渉の仲立ちをしたキリスト教指導者などの証言によって綴る。実は見ている間、終わりの方まで民族戦線が求めたのが何だったのかイマイチわからなかった。完全に独立しようとしているわけではなく、しかし自治をもとめたということ?香港や台湾の問題を考えるうえでも、規模は違うのかもしれないが、インド政府の姿勢は大いに参考になるのかもしれない。(10月12日 ソラリス 春の気配、火薬の匂い:インド北東部より)

➇別離

監督:エクタ・ミッタル 2018インド(ヒンディ語)80分


まずはインド青年の斜め顔の写真。それを持って人々を訪ね歩く家族?(顔は見えない)と「知らない」「見たことがない」と口々に言う人々。そのあと、「家族が嫌いだった。1人でいるのがいい」と実際に1人夜の暗い(汚い)街にいる男、「私は強い、私を誰もがうらやむ」という田舎に暮らす?女。ヘナで分け目を赤く染めて化粧する女。横たわる老女。終わり近くに「僕を探して」と訴える18歳身長152センチという青年のモノローグ。そういうものをつないでおびただしい、村の風景街の風景、人々の姿などのアングル的にはどれも意匠をこらされ、色合いも美しいがちょっと霞がかかったような水墨画を思わせるような雰囲気もあるショットの数々。ウーン、すごくきれいで、単純だが手のかかった撮影をしていると思えるのだが、そしてそれが青年や女性の心象につなげようという意図もあるんだろうなとは思えるが、とにかく見ていていささか疲れた。こういうのが好きな人には堪えられないすてきな映画?なのかな。思い入れだけで作られているような気がする。(10月13日 山形市民会館大ホール コンペティション)


➈自画像:47KMの窓

監督:章夢奇  2019中国(湖北方言) 110分 


一昨年の『47KMに生まれて』は作者がとにかく自分や自分の周りをひたすらにのぞき込み、それを田舎の小さな村の景色に投影したセルフドキュメンタリーっぽい感じで、私にはなんか理解不能とはいえ、人によっては高評価で、それは私の鑑賞力のさいせいかなあとも思わされ、今回もちょっと見るのが怖い、どう見えるんだろうと恐る恐るという感じの鑑賞だったが…。予想に反してきわめて精密に整理され、ぐっと減った景色や、それにプラスした人物の点景というような場面も含めて1コマ1コマの意味がとてもよくわかる作品になっていて驚く。47KMは同じ作者の父の生まれた村で、人々の姿を通して村の歴史を語るというようなテーマは変わらないのだが、今回は売られた子どもで物乞いもしたという貧しい少年時代から、解放後に土地をもらい、幹部に抜擢されたり、あるいは結婚への鑑賞や政治的な批判もされたりというような変転を過ごしてきた老人の語りと、村の老人たちの絵を描く方紅という14歳の少女とを交互に描き、合間に中間世代の農民男女やその請負主の「政治」演説風景とか、水道に関する村の会議など、そして作者得意の風景(木に数珠つなぎに並ぶ鳥とか、花火とか)も交え村の現在と過去それに少女の目を通してみる未来まで含めて、作者が前面に出ず登場人物、特に作者がもう1人の自分のように自身を投影する少女の存在がこの映画に詩情もユーモアも希望も抱かせて秀逸。それはとりもなおさず作者の成熟かな…と思わせられる。もっとも、それは一般受けする映画のつくり方に近づいたということかもしれないが。冒頭で少女が消えかけた「社会主義が救国する」というスローガンが書かれた壁を前に「現代の救国」について」作者とかわす問答が興味深い。幼い時理想社会を自然保護としてとらえていた彼女が今は国を救うのは人々だというところ。映画のテーマにつながっている。故郷の村を撮る8作目。
(10月13日 山形市民会館大ホール コンペティション)

➉ユキコ

監督:ノ・ヨンソン 2018フランス(韓国語・日本語)70分


ウーン。フランス在住の30代くらい?の女性監督。韓国で1人暮らす母は、日本人の母と朝鮮人の父との間に平壌で生まれ、彼女は母と別れ、父に連れられて南下、韓国で育った。40歳ごろに日本に住む母「ユキコ」を訪ね来日、母は一人暮らしで40年過ごした東京の自宅を引き払い沖縄の老人ホームに住んでいて、その後亡くなった…養父母も亡くし、夫にも先立たれていわば孤独に暮らす母のことがおもに寒々しい風景の中でたたずむ作者の姿とともに映し出され、その後母の一人暮らしも、ほぼことばのない、情景として描かれる。一方祖母ユキコが暮した沖縄にカメラは移動し、石川ゆうこという女性が、沖縄戦の中で生後1年に満たない娘を失った祖母の物語をする。これがあたかも自分のことのように語るのがなんか違和感(意図的なものだというが)。彼女を追って平和の礎に亡き伯母の名を見つける石川。また沖縄の老人ホームの高齢女性たちも映しだされ、しかしこれらのつながりはいささか理解不能。公式カタログには「記憶にない人を悼むことができるか」というようなことばがあり、作者や作者の母にとってのユキコ、石川にとっての伯母がこれに当たるのかとも思われるが、トークでの作者によればそれは主たるテーマではないらしく、ウーン、とにかく彼女なりにあちこちしている心象を「繊細に」描き出したらしいのだが、その脈略のなさというか、ウーン、それってまさにセルフドキュメンタリー(私の苦手な)そのものではないか…。(10月13日 山形市民会館大ホール コンペティション)

⑪あの店長(The Master)

監督:ナワポン・タムロンラタナリット 2014タイ 80分


タイで1990年代から2008年まで違法海賊DVD屋をしていた「あの店長」について、タイ映画を牽引しているかのような10人余りがそれぞれに、想い出や世話になったこと、店長の人柄?―謎の人物らしい―そして彼が果たしたタイのアート映画史上での役割などを語るという映画。なにしろ違法ではある、しかしそれしか当時のタイではアート映画を見るしかなかったという愛好家たち(現役の監督、批評家、大学教授、また映画ファンなど)の話で滅法面白く、意義もあるかなという映画。もっとも私は自分自身の上映会という、違法ではないけれど違法だと言われることを常に恐れるというような状況を抱えているから、途中からはちょっと身にもつまされ笑えなくなってしまったところもある。大阪アジアン映画祭でもすでに上映された?旧作だが、友人に「すごく面白い」と勧められ、実際にすごく面白かった!
(10月14日 山形市民会館小ホール 二重の影2:映画と生の交差する場所))

⑫誰が撃ったか考えてみたか

監督:トラヴィス・ウィルカーソン 2017米 90分


1946年アラバマ州、作者の母方の曽祖父が黒人男性を射殺したが無罪になった事件。ひ孫は事件の真相や祖父の人となりを明らかにしたいと、事件の起こった曽祖父の店を訪ね、被害者のいたという街や周辺の人々を訪ね、公民権運動の指導者だった牧師や、祖父に批判的な母や叔母、そして逆に祖父に可愛がられ、今も南部の白人主導主義の運動にもかかわる伯母などに話を聞こうとする。70年前の事件はすでに風化?したようで、被害者を覚えている人もいないし、墓さえも探し出せない。その中で曽祖父がレイシストで女性差別主義者でもあった?という姿がだんだん見えてくる。とはいえ、一家に残された写真やファミリービデオは一家の繁栄やシアワセぶりを映し出している皮肉。曽祖父の暴虐的性格も孫たちによって温度差があって本当のところはどうだったのか。語り手としての作者は断言するが、映像としては事件にかかわる場所の風景、『アラバマ物語』のグレゴリー・ペックの赤く焼いた映像と、後半その反転した裏焼き映像とかをつなぎ、ファミリービデオの曾祖母の映像の繰り返しとか、それらにかぶさって来るとか、いろいろに工夫は凝らしてはいるのだが、要は作者の心象風景のコラージュだし、事件についてや、人々の証言などの多くは作者の語りという形でナレーションなので、ウーン。なんか曽祖父を告発する白人のひ孫の間接的な体験が感傷的に語られるという感じで中途半端な感じがするのだなあ…現代の社会や政治、白人優位主義などについての告発や意見表示というよりは、セルフドキュメンタリーとして描かれているのが物足りない。
(10月14日 山形市公民館 コンペティション)

⑬映画の都

監督:飯塚俊男 1991日本 99分


YIDFは今年16回目30年。それを記念した企画での16ミリ上映。89年の第1回山形国際ドキュメンタリー映画祭の記録映画。頭では歓迎の練習をする小学生のマーチングバンドの演奏などから、空港へ、さらにバスで市内に入って来る世界の映画人のバス車内でのインタヴュー、話題作の部分映像と監督のコメントとかをつなげ、最後は小川紳介が仕切ったシンポジウムで若いアジアの映画人たちがこもごもにドキュメンタリーへの思いについて語るというもの。構成内容などについてびっくりするようなものはないが、30年たって現代の目で見ると「ドキュメンタリーはアート映画ではない」「政治や社会に対する提言がないのはダメ」みたいな作者たちのことばは、山形のセルフドキュメンタリーから今回のアート志向?など見ている目からすると、隔世の感もある。今上映されている若い作家の映画たちもきわめて真面目にそれぞれの視点で人間や社会を切り取っているとは思うが、果たしてドキュメンタリーと言ってよいのか?と思えるようなものも今回は多かった気がする。(10月14日 山形美術館1)

会場の1つ、山形美術館前のすでにすすんだ紅葉

⑭ラ・カチャダ

監督:マレン・ビニャヨ 2019エルサルバドル(スペイン語)81分


エルサルバドルの街頭で物売りをする女性(シングルマザー)5人がNPOの支援によって演劇に取り組む。プロの劇団を主宰するという、彼女たちとほぼ同年代の女優の指導といっても一緒になって動き回り、彼女たちの話を聞き寄り添ってスクリプトにしながら心を開いていく―によって1つの劇を作り上げ公開するまでのレッスン風景や、彼女たちと子どもの日常生活で綴る。話していく中で自分が子どもを虐待してしまったという悩みとか、それが、自身の子ども時代に親に虐待されたり、親族やまわりからの性的暴行を受けたりという体験を呼び覚まし連鎖していることを自覚し、そこから抜け出す意思を持つという点では、きわめてオーソドックスなドキュメンタリードラマ。女性たちの表情、演劇によって体も心も開かれていく様子などが生き生きとして、きわめて見ごたえのある、厳しいけれど楽しいという作品になっている。会場のスペイン語通訳付き(この男性通訳はけっこう怪しかった)とそれが終わってロビーでの制作過程などを話す英語通訳つき(こちらはマイク無しでボソボソしゃべる質問が聞き取れず。ただし英語通訳は有能で補ってくれる)のQAも2部構成で、おもしろかったが、若い感じのこの女性監督、長年にわたり路上でその日暮らしをしていた彼女たちが変わっていく様子を見、この映画はすでに到達点に近づいていた時のものだということで納得。彼女たちは現在はプロの?劇団として、周辺諸国を含め公演を行い、新しい創作劇にも取り組んでいるのだそうだ。
女性監督の描く女性の生き方、教育と表現のありかたという意味でも、今回の映画祭の中では個人的にはもっとも興味をもち、また触発された作品だった。(10月14日 山形市公民館 コンペティション)
遅くまで熱の入った監督とのQ&A

⑮駆け込み小屋

監督:蘇郁賢   2018台湾(インドネシア語)54分

前の会場を終わってゆっくり散歩をかねて、友人と待ち合わせたフォーラムまで歩き会場に入ると、ちょうど2本立ての2本目が始まったところです、というので急きょ入れてもらったいわば予定外の作品。
台湾のある街にあるバラックのような建物に、インドネシアからの出稼ぎ青年(失業青年や就職に失敗した青年もいる)たち男女がつぎつぎやってきて、いわば潜り込み入り乱れ、しゃべり合うという、まあそれだけの光景をほとんどは固定カメラで撮り続けているという小品。(あとで聞くと、2人くらいが野菜で鍋を作って食べるシーンからはじまり、だんだんに人が増えていくのだそう。私が見たときは最後の参加者が2,3人入ってきて一応小屋の中満杯になるあたりから。実は着想となるような事実はないことはないらしいが、この駆け込み小屋はある廃工場を利用して映画のために作られたもの、集まった青年たちはワークショップで集まった人々で、それぞれが語る物語も事実かどうかは作者も知らない、身の上を語ったものも友人のことを語ったものも、フィクションを語ったものもいるのではないかとのこと。となるとこれを何テイクで撮ったのかはわからないけれど、ウーンつまり意図的な設定と会話の中で、私たちには喧騒としか聞こえないものから会話を取り出し字幕として提示しているのがとても不思議だったが、これも作者の意図によって聞き取れる会話というものが設定されているのかもしれない。面白い試み?だけどワークショップで語ることによって参加者たちがどのように開かれていくのはわからないし、こういう映画をドキュメンタリーと言っていいのかどうかも疑問…ということで小品でありながら質問は続出というティーチ・インではあった。(10月14日 フォーラム5 アジア千波万波)

⑯美麗少年

監督:陳俊志(ミッキー・チェン)1998台湾 63分


監督ミッキー・チェンはクイアとジェンダーの問題にこだわってドキュメンタリーを作り続けていたが2018年に急逝。これはその追悼上映だそう。台湾の3人のゲイの若者の生活と意見をつなげたオムニバス形式。1人目は留学することになり恋人に別れを告げる若者の、おもに兄と母をまじえたインタヴュー、2つ目は名門高校の高校生と友人たち。男子校にはゲイが多いんだそうな。教師にもカミングアウトしてこの映画に出ていると言う。3つ目が最も力が入っていて、見どころも十分というか、ドラーグクイーンにデビュー中の小丙というまあ、美少年(女装して踊るときより素顔のほうが可愛い)とその兄大丙、父の意見なども取り入れ、大学に落ちても楽し気にダンスをする少年の姿と、彼が出場した女装男子のコンテストが子どもの性意識を混乱させるとしてTV放映禁止(夜11時すぎのみ)になったという当時の台湾事情までーあと、日本で最も幸福なゲイカップルとか、小丙一家のカラオケシーンでの女子プロレス(女の子2人がふざけて取っ組み合っている)とか妙な映像もプラスして、短いながら差別も意識しながら開かれて行こうとする彼らや家族の姿を描いている。(10月15日 フォーラム5 アジア千波万波)

⑰自画像:47KMのスフィンクス

監督:章夢奇  2017中国(湖北省方言) 94分


自画像シリーズの『自画像:47KMの窓』の前作、7作目。この映画のメインスピーカーは、『窓』にも出てきた村を代表する、消えかけた「只有**主義可能救国」の建物の前で、出稼ぎに行った息子が争いに巻き込まれ自身もケガをして村に逃げ帰ったが、捕らえられて2年の拘置のすえ死刑になったという女性。ただし彼女の姿はロングショットで豆粒のよう。最後にカメラに近づいて、まったく無表情にカメラの目を追い越して先に行く。一方で自動車整備を学び村を出て行こうとしている青年が遠くの木に登って静止するとか、井戸をのぞき込んでいる長い長いショットとか、これも豆粒のようなサイズで携帯をいじり、その後ろでじっと座る祖父?と一言二言という感じでかみ合わない会話をするとかいうシーン。そして『窓』で重要な役割を担う少女方紅も絵を描いてはいるが、村の景色を背景にした赤ずきんと魔女とかいうようなファンタジーシーンをであるというところが、なんか『窓』とさらに前作、一昨年山形で見た『自画像:47KMに生まれて』の中間にあるような、『生まれて』ではあたかも作者の心情を投影するかのようなー言い方を変えればある種の観客の共感意識を拒むような寒々としたシーンの中にじっといる点景的人物の景色が多かったーが、今作では、村とそれ以外の世界の対立の構図として景色とじっといる点景としての若者たちの姿があるように思われる。村に残る母親と村を出て行って死んだ息子の対置もそうした中に位置づけられそう。ということでわけのわからない混沌から少しずつ統一されてきた章夢奇の世界の途上の一環を見たのかなとも思えた作品。次の『窓』➈の感想も合わせて読んでみてください。
(10月15日 フォーラム5 アジア千波万波)





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