【勝手きままに映画日記】 2018年3月 中国映画祭 電影2018

国際交流基金主催の中国映画祭・電影2018は、3月中旬に東京、大阪、名古屋の3会場でそれぞれ同じ作品(東京では10作品、大阪・名古屋では9作品)が3日にわたって上映されました。東京で5本、大阪で3本頑張ってみてきました。

①芳華

監督:馮小剛 出演:黄軒 苗苗 鐘楚曦 伍陌 2017中国 135分

まずは大きな毛沢東の肖像が画面いっぱいに出る。1976年~79年の人民軍文工隊に集まった青年たち、その中の数名のその後の人生(これはかなり省略・説明的だが)を描く。新しく隊に入った少女がいじめられたリ、だれからも好かれ頼りにされる青年の恋とその挫折など、今の時代になぜこういう映画とも思うが、観客の高齢化によりかの時代を苦さよりもノスタルジーをもって見られるような時期に来たこと、またこの時代を知らない若い世代には抵抗感がないことがヒットの理由? その時代性をつかみ取る監督馮小剛のセンスというものかもしれない。文工隊の女性たちの生き生きした姿態によるダンス、激しい戦闘の場面などもあって見どころのサービスも行き届いている。黄軒の白面の美青年は、ウーンちとキモイかな。女性たちはみなけっこう現代風だが、案外3~40年前もそうだったのかも。いまでこそ気にならないが、80年代初めごろに初めて中国に行った時、若い女性の腰の高さ、まっすぐな足に、日本人とは違うと驚いた記憶がある。(180308 TOHOシネマズ六本木) 

②ナミヤ雑貨店の奇跡(解憂雑貨店)

監督:韓傑 出演:王俊凱 董子健 ディルラ・ディルムラット 成龍 秦昊 郝蕾 2017中国 109分

時代を行ったり来たりする原作になんかごちゃごちゃした話だなと思った記憶があるが、映画はさらにそこに一種の因縁話を付け加え整理というか、ごちゃごちゃ感をまとめた感じ?日本版は見ていないが(レヴューの評判はあまりよくない)基本的には同じようなコンセプトでまとめているようだ。しかしどっちにしても作りすぎ?ウソっぽい(いやもともとウソっぽい話だからいいのか)日本版と違うのは最初に強盗をし、雑貨店に隠れる3人の一人が(ボーイッシュだが)少女とされていること。これが目がびっくりするほど大きくて顎細く、ふしぎな印象を持たせるディルラ・ディムラット。雑貨店の老板はジャッキー・チェンで年相応に?年とった役を演じているなと思うが、少なくとも西田敏行よりははまっている。秦昊やハオ・レイも出演。(180308 TOHOシネマズ六本木) 

③追跡(追・踪)

監督:李霄峰 出演:羅晋 聂遠 2017中国 112分 

最初は劇場内の殺人。疑われるのは被害者に虐待されていた義理の息子(工員)だが、彼は家で読書をしていたとして疑いを逃れる。この息子は疑う刑事と同じようなタイプで衣裳も白のTシャツにチノパンツ系と共通。最初は見分けがつかず、次に兄弟役?といささか混乱した。その類似性が映画の中で意味を持っているとも思えない。断片的に短いカットでいろいろなシーンが思わせぶりにつなげられ、丁寧な描き方ではあるのだが、なかなか意味がつかみにくい。やがて10年後成功している医師の王氏が出てきて、若い時代に二人が古本屋で見つけた『復活』(トルストイ)を開始て文通していたことがわかると話が展開しだすのだが、でもまだなんだか意味の分からないシーンなどもあった。10年後花屋の亭主になっている元工員の変貌ぶりがなかなかで、ここにいたっては刑事と工員は明らかに別人物。二人は妻を介して再会し、そして・・・というわけで、カタルシスのようなものはまったくない、なかなか丁寧に作られた犯罪映画、という感じです。テーマはとても面白いが、編集に今一つ洗練が足りない感じなのが惜しい。(180309 TOHOシネマズ六本木) 

④奇門遁甲

監督:袁和平 製作:徐克 出演:大鵬 倪妮 ·周冬雨 伍陌 李治廷 2017中国 113分 

上映前に主演大鵬の挨拶あり。才ある人!ユーモアまじり身振り手振り、こちらのほうがむしろ面白いかも・・・彼の言う映画のあらすじは「外星人=宇宙人と地球人の闘いで、僕はもちろん地球人」というものだったが、実際はあまり宇宙人という感じはしない要はモンスターと、奇龍門なる武侠派の一派が新しい総帥を求めつつ、次々に襲いかかるモンスターと戦うという話。周冬雨が怪鳥に変身する総帥候補の少女?であいかわらずのコメディエンヌぶり。大鵬は「諸葛」という名の軍師?で活躍するが、名前の字幕が「チョコ」というのはどうなんでしょう・・・ま、コメディアン的なのでいいか・・CG満載、ワイヤーアクション満載、色もめまぐるしく華やかだが、話としてはうーん・・というところ。徐克が作りたかった映画、なんでしょうねえ。(180309 TOHOシネマズ六本木) 

⑤ライスフラワーの香り(米粉之味)

監督:鵬飛 出演:英澤 葉門 葉不勒 2017中国 95分

3月10日 六本木TOHOシネマズ 中国映画祭電影2018
離婚して都会から、自分で車を運転して雲南の田舎に帰ってきた女性。途中でゆで卵売りの、貧しい幼い少女との会話がある。真っ暗な家に戻ってくると、村人は広場で演芸会中。女性の家に残していた中学生の娘も親友とインド舞踊の真似事をして参加している。父親に預けていた子の娘とのぎくしゃくした関係、伝統や因習にしばられつつ、妙に都会化し、まもなく開通する空港を利用しての金儲けを語る村人たちや、ネットゲームに興ずる子どもたちへに違和感を持つヒロイン。娘の方も都会に出た母をタネにいじめられたリ、成績も今いちだったり、それらの不満からか教師への反抗や小さな盗みを繰り返したり・・・そんな中でヒロインは娘との関係を修復できず、都会に去ろうとする。その途上で再び卵売りの少女を見る。そこから伝統を大切にしつつもその中で自分らしく生きていこうとする彼女の変化や娘との関係の再生がきざす。というわけでちょっとうまく話ができすぎでは?と思えるところはなくはないが、最後女人禁制とされた洞窟に入って踊る二人の美しさがなんとも言えない。都会と故郷の関係への新しい切込みへの志を感じられる映画だった。(180310 TOHOシネマズ六本木)

⑥無言の激昂(暴烈無声)

監督:忻鈺坤 出演:宋洋 姜武 袁文康 2017中国 119分 

これはなかなかに見ごたえのある作品だった。イケメンでむしろ都会的な顔立ち?(ショーン・ユーをもっとくっきりさせたような)の宋洋がけんかっ早い出稼ぎ抗夫で、若い時のケンカで舌を噛み切り口がきけなくなったという設定(これって必要な設定だろうか?そこだけ最後まで今一わからず)ある日羊を追っていた彼の息子がいなくなる。妻は気力を失い、彼は家に戻って、息子探しをする。そして、ある採鉱場の飯場で息子の写真を見せ、食事などごちそうになっているところに、突然一団の男たちが乗り込み、閉鎖と鉱員のクビを告げるので乱闘になる・・・そこからこの男たちのボスとの繋がりが生まれる。ボスは姜武、なかなかの敵役ぶりで、重層的な人物を演じている。そして彼の不正に加担させられている弁護士、この3人が後半からみ、失踪した子どもたちの謎も絡んで田舎町や山林を舞台にアクション・追跡劇が繰り広げられるという、意外性もある展開。大人の部分のアクションドラマと子どもの部分の幻想?的物語がかみ合っていて違和感がない(これは、多分映画のところどころ現れるウルトラマンの面をかぶった少年がつないでいる…)、100%は解かないものの、子どもの失踪の謎も一応わかり、そのことによってボスの複雑な後ろ暗さを感じさせられるようなラストもなかなか。というわけで、面白く見たが、後のQAで登壇した監督が、けっこう説教がましく映画の見方を語るのが少しな・・・・質問した中国人留学生に、「この映画祭にはほかにも(あなたに)あっている楽しい軽い映画もあるのでみてください」は偉そうすぎるんじゃない?そうしてみると、凝った映画ではあるが、やや押しつけがましさを感じないでもない、という気も。(180311 梅田ブルク7)  

⑦無敵名人の最強レシピ(絶世高手)

監督:盧正雨 出演:盧正雨 郭采潔(アンバー・クォ) 範偉 陳沖(ジョアン・チェン) 2017中国 116分

最初が「料理下手を競う」戦い?給食作りでまずいものを作って学生に勉強に身を入れさせたとか、なんていう人がでてきたり(このオバさんどこかで消えてしまった?)え?なんかよくわからん・・・といううちに謎の料理秘伝書を追って戦いの一方にいた小魚なる無感覚症?の男が、モザイクのかかったネット映像を解凍して地図を探しだし当地に乗り込む。そこで編み物ばかりしている謎の老人、突然に現れる武侠❔少女、その他色々が入り乱れ闘ったり何やかやもう、ごちゃごちゃで筋は追えず・・・・ジョアン・チェンが老人の昔の恋人にして今や料理名人となって格好良くカンフー調で登場したのに驚いた。『金玉満堂』とか『祝宴シェフ』とかの料理対決ものを思い出させるが、料理自体は陰陽鍋などCGで迫力のある映像を見せてはいるが、何をどう料理しているかがわからないし、むしろカンフーアクション・コメディなのかな・・・料理に期待して?ビールを持ち込んでみたのだが、おいしくビールが飲めるわけではなく…。(180312 梅田ブルク7)


⑧乗風波浪~あの頃のあなたを今想う

監督:韓寒 出演:鄧超 彭于妟(エディ・ポン) 趙麗頴 董子健 金士傑 2017中国 102分

前に飛行機の中で見たことがあって、そのときには3分の1くらい爆睡?してしまい、画面の一々は覚えているもののつながりが今一細部までわからなかった。大画面の上映ではさすが眠ることはなく、意外にもウエットというか情緒的な部分もある作りなのに今さらながら気づく。話として自分の誕生以前の父母に会うという、『バック・ツー・ザ・フューチャー』『月夜の願い』などと同じような話。戻った先が1998年、主人公が生まれたのが1999年ということは、今年でも19歳の主人公、いくらなんでも鄧超、19歳には見えないのだが。しかも、映画の中でも父との軋轢の中で救急車の運転手などを経験した後レーサーに転身してチャンピオンにまでなるというのは、19歳では無理な経歴という気がする。もっとも冒頭の優勝インタヴューで名指しで父の無理解を非難する行為は19歳の「少年」なみではあるが・・・非難されてことばも返さず、しょぼくれた感じの父(エディ・ポンの老けメイク意外とピッタリ)を無理やり車に乗せて町中を強引に走り回り、事故を起こして重態になり98年当時に戻ってみると、小さな町でビデオ屋をやりながら兄貴分として仲間を仕切り、街の顔役的ボス集団に対抗している生きのいい若者で、結婚間近の恋人は主人公の母とは名が違う‥‥?さてどうしようと、話がはじまる。展開としてはよくできていると思うのだが、こういう話って親の側からいうと、現代の父は息子が、かつて現れた謎の友人と同じ顔をしていることに気づいているはずだし、かつて亡くなった母の事情と(夫の収監に気落ちし,産後うつで自殺する)と主人公の目の前にいるその若い母の性格・人物はどうも一致しない(こんな友人がいたら自殺しないでしょう…)そのへんがこういう映画の難しいところかな。そういう見方はイジワルだとは分かってはいるのだけれど。(180312 梅田ブルク7)

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