謹賀新年【勝手気ままに映画日記+山ある記】2023年12月
あけましておめでとうございます。高尾山もみじ台からの富士山(2023・12) |
すでに「「師」走」からは無縁?のはずなのだけれど、なぜか忙しい…西へ東へと走り回りながら過ごした12月。月3回を目標とした山行も結局2回だけ。慌ただしく怒涛の新年へのなだれ込みです(笑)
12月の山歩き
12月19日 宇都宮アルプス(篠井富屋連峰)
宇都宮駅→(子どもの森公園登山口)→榛名山(524m)→ 男山(518m)→本山(561m)→飯森山(501m)→高舘山(476m)→黒戸山(396m)→兜山(372m)
8.6Km 5h48m ↗809m↘850m 90-110%(ヤマップ標準)20000歩 女性ばかり15人のツアー山行
低山ながら7つの峰を上り下り800mあまりの上り下りもしてなかなかに歩きがいのある急坂も。楽しい縦走でした。主峰本山頂上からは男体山、女峰山などがよく見えました。お土産は宇都宮で餃子を…
高尾山口駅→高尾山6号路(599m)→もみじ台・一丁平→小仏城山(670m)→小仏峠(548m)→景信山(727m)→景信山登山口 5h08m 9.7㎞ ↗928m↘775m
130-150%(ヤマップ速い) 20000歩 単独行
ゆっくりゆっくり歩いて、結構抜いて行った人も多かったが、結局一人歩きは(今回も)速くなる…12月は1回しか山に行っていない!!で、月末駆け込みで2回目を…。
小仏峠のタヌキたち |
熊目撃情報!慌てて熊鈴を出す |
12月の映画日記
①ガザ素顔の日常②ほかげ③香港怪奇物語ー歪んだ三つの空間(失衡凶間)④山河あり⑤イゴールの約束➅ヒッチコックの映画術(My Name is Alfred Hitchchock)⑦マーベルズ➇からゆきさん⑨サウダーヂ⑩私はモーリーン・カーニー 正義を殺すのは誰?⑪タブロイド紙が映したドリアン・グレイ⑫ゴーストワールド⑬アル中女の肖像⑭ナポレオン⑮フリーク・オルランド⑯父は覚えている⑰家にはいたけれど ⑱どこでもない、ここしかない
⑲儚き道⑳私がやりました㉑美食家と料理人ポトフ㉒マルセイユ㉓PERFECT DAYS㉔土曜の午後に㉕VORTEXヴォルテックス㉖ティル㉗市子㉘ショートストーリー㉙ストロベリー・マンション㉚破壊の自然史㉛キエフ裁判㉜ファースト・カウ㉝理想郷
日本映画②④➇⑨⑱㉑㉕
中国語圏映画③ 特集上映④⑤➇⑨(移民とわたしたち)/⑪⑬⑮(ウルリケ・オッテンガー特集)⑰㉒(アンゲレ・シャーネレク特集)/㉚㉛(セルゲイ・ロズネッツア特集)
他にいつも気になっているリム・カーワイ、ケリー・ライカート、それにもちろんフランソワ―・オゾンなど監督に特化した贅沢な品ぞろえ?の12月でした。★1つはナルホド!
★★はいいね! ★★★はおススメです!(あくまでも個人的見解です。映画は見方が全然違うというのも楽しいので、私が「酷評」してもホントかな?と思って是非みてください。)各映画(館)最後の数字は2023年に劇場で見た映画の通し番号。さすがにオールフリーになり、コロナもまあおさまった年で、378本の映画を見ることができました。
①ガザ素顔の日常
監督:ガリー・キーン、アンドリュー・マコーネル 2019アイルランド・カナダ・ドイツ 92分 ★
ずっと見なくてはと思いながら時間が取れず、ようやくの鑑賞。1日の映画デイとあってか平日午前の上映だが30人くらいの人が入っている。映画はまずガザとそこに暮らす人々の映像の美しさに圧倒される。地中海のビーチで遊んだり、あるいは漁に出る船。確かに破壊された箇所はあるのだがそこを映す光と影の色合い、チェロを弾く少女など詩的なともいえるような映像。それでつい幻惑されてしまうが、ここは東京23区の六割の場所に200万人が暮らし、イスラエルに封鎖されて経済も人の移動も制限され「天井のない監獄」と呼ばれている地であることを、それぞれの人物のモノローグでこもごもに語らせるという構成。
10人の兄弟4人の従弟とともに船に乗り船長となって漁をしたいという少年、16歳でイスラエル軍に撃たれ車椅子となったラッパー、チェロを弾きつつ将来は国外に出て政治学か国際法を学びたいという少女、そして3人の妻と40人の子どもがいるという老人とか、個性的?(というかこの地ではフツウなんだと思われるが)な人々の語る素顔の暮らしぶりが胸を打つ。合間合間に撃たれて苦しむ青年、意識を失った幼い少女、亡くなって運ばれるバラク家(漁師の家柄とか?)の4人のまだ幼い子供たちとか、日々ニュースで聞くような映像のすさまじさ。
「ほしいのは平和と普通の生活」ほんとだよなあ。ハマスはそれらしき人々がちょっと顔を出すくらいで、ほとんど描かれない。いっぽうイスラエルの攻撃には当然パレスチナ人の批判が出てくるわけで、公平な視点に立っているようにもそうではないようにも思われる中途半端さ?がこの映画独自の位置を作っているようにも思われる?(12月1日 渋谷シアター・イメージフォーラム 346)
②ほかげ
監督:塚本晋也 出演:趣里 森山未来 塚尾桜雅 河野宏紀 利重剛 大森立嗣 2023日本 95分 ★
前半は壊れかけた居酒屋の上がり框の部屋で横になる女。家主?兼女衒が客に出す酒を届けて女から金を受け取り、ついでという感じで彼女を自分のものとしていく。そこを覗き込むようにする少年と彼が連れてくる復員兵の客。一時3人はあたかも夫婦親子のような時を過ごすが、所詮は娼婦と客のむつみ合いにすぎないその関係はすぐに決裂。二人は去る。
後半は一人に戻った少年が出会った元兵隊、戦地で左腕の自由を失い、何らかの秘めた目的を持ち少年に手伝えと誘う男との道中。この部分はまさに『野火』で描かれた兵士の復員後(復員できたとして、という話だが)の物語で、塚本自身の主張が直接的に炸裂する。そのためか、ほとんど部屋の中で過ごしていた前半の趣里よりも、むしろ後半パート、一種のロードムービーとして描きながら、森山は何だか窮屈そうな感じがする。この違いは前半が「現在」、後半の森山パートは「過去」を回収する物語だからかもしれない。後半の敵役は大森扮する元上官。少年と彼がなぜか持っていた1丁の短銃が狂言回しとして前後を繋ぎ、この現在にも過去にも救いのない物語の未来ー事件が一段落し、終わり焼け跡の闇市を歩く少年ーを担っているかのようである。東京国際映画祭ガラセレクションで公開された。(12月1日 渋谷ユーロスペース 347)
③香港怪奇物語ー歪んだ三つの空間(失衡凶間)
2023香港(広東語・北京語)112分
新居に越してきたヤウガー、屋内で、いつもどこからともなく自分を見つめる「目」の存在におののく。それは中学時代ビルの狭い隙間に死体を見つけその目にみつめられたと感じた経験と重なるものであるーということで結構本格的な心理ホラー。怖さという意味では3本の中で一番怖かったが…それはホラーっぽい演出によるものかな。終わりも心理的展開として怖いけれど、話としてはウーン。まあ意外性も奇妙な展開もない。
●デッド・モール 監督:陳果 出演:ジェリー・ラム(林暁峰)シシリア・ソウ(蘇麗珊)
深夜の商業モールを借りて撮影したとかいうことで、大きいとはいえ、舞台はその商業モールの中に限定され、トイレや、階段・エスカレータの上り下り。コロナ禍マスク姿の人々の中に一定いる顔全体を覆う昔風の覆面マスクをかぶった謎の人物が、モール内でライブ配信をする投資ユーチューバー・ヨンや、白髪鬘?のオカルトユーチューバーのガルーダの前に現れ脅しをかける。かつて14年前のビル火災で顔にやけどを負ったガルーダ―の姉妹というのが種明かしで、確かに不気味な顔の特殊メイク(ちょっとしか見せない)は悪趣味だが、話としては怖いというよりは追いかけ追いかけられのドタバタ劇という感じの方が強いかも。夏にみた台湾のパンでミック・ホラー『哭悲』からうんと血なまぐささやおどろおどろしさを薄めて建物の内部だけに閉じ込めたという雰囲気か。
●アパート(唐楼) 監督:馮志強 出演:リッチー・レン(任賢齊)ソフィー・ン(呉海昕)陳湛文 車保羅 麥詠楠 ベイビー・ポウ
1フロア2部屋の5階建ての古びたアパート、各フロアには現在のところ1部屋ずつしか住人がいなくて残りは空き部屋。その3階かの踊り場に現れた黒装束背中にコブがあり白塗りの不気味な姿???5階に住む小説家アチーは脅かされ4階の青年カッチャイに助けを求め、さらに2階の蘭叔、1階の霊感ばあさんも加わって怪奇現象の究明に乗り出す。3階に怪しい男が引っ越してきたというので、行ってみるとそれは狂暴なヤクザの男(しかし実は…というウラもあり)。さらにこの怪しい人物の出没により脅かされた霊感ばあさんの飛び降り自殺!結局あちこち移動する怪奇はあるものの、この怪しい人物は死んでいる?ということになり一行はこの怪人を箱に入れ捨てに行くことに…。ここでようやく舞台がアパートから外の世界に出ていくが…。このあたりの展開はホラーというより、アパートに死体があるとなると売値に響くということで死体移動に住民が画策した『死屍、四十四にして死す』(大阪アジアン映画祭)とおなじような発想で、大真面目なリッチー・レン(岸谷五朗っぽい)もあってホラーというよりはコメディっぽくさえあり、最後の展開もそのコメディ?っぽさを引きずったままのコワいけれどあらまあという、展開。楽しむという点では楽しめるようにも思うが…。ふーん。というところ。 (12月2日 新宿シネマカリテ 348)
④山河あり
監督:松山善三 出演:高峰秀子 田村高広 小林桂樹 久我美子 早川保 ミッキー・カーチス 桑野みゆき 1962日本モノクロ 127分
大正7年(1918年)日本を出発したハワイへの移民船が富士山を通過する場面から。義雄・きしのの井上夫妻、写真見合いで嫁ぐすみ、行った先はアメリカ人監督が取り締まる農場で、あたかも家畜のように畑仕事をさせられる移民の面々。すみが嫁いだ郷田家と井上家の親しい関係はこのあと20年にわたって続いていく。こんな状況からまあよく、という感じもするが次は10年後、井上家は夫は念願の日本人学校教師に。妻きしのは食料品店を経営する。郷田家はクリーニング店を開業し自立して暮らしている。そして次はさらに7年後、日米開戦前夜。成人した両家の息子・娘たちはすっかりアメリカ人化し、日本人の精神を失うべきではないと考える両家の特に父親とは対立している。井上義雄は長男春男と対立して口論、そのさなかに倒れて亡くなる。きしのは次男明をつれ、夫の遺骨を葬るために日本に里帰り。そのさなかに日米は開戦し、彼らはハワイに戻れなくなってしまう。一方ハワイの郷田家の息子と、井上春男はともに二世舞台に志願、イタリアの戦線で戦うことになる。
モノクロ画面はハワイの農民たちの過酷な労働が行われる畑場面、やがていかにも近代的な服装・生活ぶりの展開、一方カタや日本の農村のいかにも農村然とした農民の暮らしぶりなどまさに図式的なビジュアルで、そこにかぶる音楽ものどかなハワイ風音楽と、日本で言えば物悲しい出征の行進曲とか、分かりやすすぎて、これが60年代日本映画の類型化とも思われるが、そこに展開する移民としての二重の国民性、そして自らのアイデンティティに悩む青年など図式的ではあるが、分かりやすく描かれる。ハワイでの暮らしがそれこそ図式的に恵まれたものになったからこそ、例えば寒くて貧しい暮らしを強いられた満洲開拓民などにはないアイデンティティの二重性が生まれたのだなあとも思われる。
(12月4日 渋谷ユーロスペース 現役日藝生による映画祭「移民とわたしたち」 349)
⑤イゴールの約束
監督:リュック&ジャン=ピエール・タルデンヌ 出演:ジェレミー・レニエ オリヴィエ・グルメ アシタ・ウエドラオゴ 1996ベルギー・フランス・ルクセンブルク・チュニジア93分 ★★
タルデンヌ兄弟の長編3作目となるこの作品は未見だった。ベルギー国内へ不法移民に宿を提供しながら労働搾取もするというような父ロジェの「犯罪稼業」を手伝う少年イゴール。あるときアフリカから夫婦で乳飲み子連れでやって来た夫婦の夫アミドゥが工事現場で不法労働の作業中、突然の労働局の手入れに驚き足場から転落する。ロジェは摘発を恐れアミドゥを病院に運ぶこともせず死なせてしまい、息子に手伝わせて遺体を隠ぺいする。死に際のアミドゥはイゴールに妻子の世話を頼み、イゴールはこれを約束。アミドゥの妻アシタは乳児を抱え夫の行方を心配するがどうにもならず、ロジェはそんなアシタを娼婦として売り払おうとする。アミドゥに約束したイゴールはアシタを助け、父に背いて彼女をイタリアに出国させようとするが…。
ベルギーというかヨーロッパの先進諸国が共通して抱える移民問題がはっきり見えてきた90年代のようすがアフリカ人の夫婦の姿を通して描かれながら、元々道徳的観念などは育てられず(映画の出だしは、イゴールの「盗み」からはじまる)、それでいて父をしのぐほどの実務力や行動力で父の犯罪の片棒を担いでしまうような少年が、父から自立して、自らの意志で人との関係を気づいていこうとする自立の姿を描いて印象深い1本だった。いかにもタルデンヌ兄弟の映画で、すごく直截的表現があふれている。
(12月4日 渋谷ユーロスペース 現役日藝生による映画祭「移民とわたしたち」 350)
➅ヒッチコックの映画術(My Name is Alfred Hitchchock)
監督:マーク・カズンズ 出演:アリステア・マクゴーマン(ヒッチコックの声) 2022英 120分
ま、予想通りの展開をする映画で、予想通りでなかったのは最初に「私はヒッチコック」として脚本・出演ヒッチコックとしてテロップが出て、「私は40年前に死んだ」とかいうナレーションが入る???(最後のところで実は声優が演じていることが種明かしはされる)
後は6つくらいのパートに分けてヒッチコック映画の見覚えのあるシーンが出てきて、それを撮ったヒッチコック自身の意図とか、工夫のしかたとかなんかが語られていくのだが、出てくるシーンはヒッチコックならではのスリラー・サスペンスシーンとは限らず、さりげない会話とかカメラワークとかも出てきてしかもあまりヒッチコックを丁寧に見てきたとは言えないシロートからみると脈略無いという感じもぬぐえず、その長さにけっこう寝そうになったりしたところもあり(前のオジサンがもじもじごそごそ姿勢を変えるのでそのたびにこちらも姿勢を変えなくてはならなかったり)ちょっとくたびれた。
最初と最後に真っ黒い画面を泳ぐ薄絹のような赤青の色合いの尾に胴が真っ白な金魚、そして朱色に画面いっぱいに開く花などのビジュアル的な美しさは何とも言えない。(12月5日 下高井戸シネマ 351)
⑦マーベルズ
監督:監督:ニア・ダコスタ 出演:ブリー・ラーソン テヨナ・パリス イマン・ベラーニ ゾウィ・アシュトン サミュエル・L・ジャクソン 2023米 105分
体調も気分もイマイチ、連日仕事に追われ半徹夜みたいな状況で、ちょっと気分転換すっきりしたいと思い見に行った、明日が最終日という1日1回上映の1本。まあ、マーベルズの女性陣が大活躍のアクション宇宙活劇という予想の範囲を出るものではなかったが、生きのいい若い女性たちのボディスーツ姿の乱闘というのは案外すっきりはしないものだなあとも。しかしコンピュータによる映像のすばらしい進化には今更ながら感心はした。監督も女性、主演の女性3人は白人、黒人、それにインド系(演じているイマン・ベラーニはパキスタン出身)敵役も女性(ゾウイ・アシュトン)で、彼女はイギリス出身だが母はウガンダ人でアフリカ系ではあるということで、さまざまな人種混合ムービー。3人の女性の元締め的立場にサミュエル・L・ジャクソンを配して男で引き締めている?感じなのはどうなんだろう。彼は黒人だから映画の人種的配置としてはブラック重視にになっている?
なんかそういう意味で突っ込みどころが多そうでウーン。まあ、白人至上主義、マッチョ至上主義、紅一点映画ではないということはいかにも現代風で評価すべきなんだろうと思う。あと、女たちが男を(ボスのサミュエル以外には)求めないところも今風かな。話はなんか定石通りの進み方なので半分寝ていても大丈夫と言う感じではある。(12月6日府中TOHOシネマズ 352)
➇からゆきさん
監督:木村荘十二 出演:入江たか子 滋野ローヂェー 北沢彪 清川虹子 1937日本モノクロ59分
入江たか子 |
女優入江たか子が自ら製作もになった(入江プロダクション)日本最古の「からゆき」もの、であるらしい。からゆきさんだったおゆきはシンガポールで夫を亡くし一人息子のアントンを連れて日本に戻り、丘の上に家を建てて、他の帰国したからゆき仲間たちとともに暮らしている。アントンは混血児なのでいじめられるがーシンガポール生まれ父はシンガポール人?イギリス人なのかも―だが、日本語はきちんとこの地の方言をしゃべり絣の着物で学校に行く。アントンを引き取りに彼にとって叔父にあたるイギリス人がやってくるが、おゆきは渡すことを拒み、いじめられているアントンの立場を守るため?村の公会堂建設にアントンの名で1500円を寄付する。ー家を建て、息子を養いさらに寄付と、他のからゆきさんも含めずいぶん裕福になって帰ってきているが、ウーン、アントンは公会堂の落成式で表彰をされることになり、この日ばかりはきちんとした洋装で出かけるが、その席上村人たちからひどい差別的ヤジを受け、結局叔父とともにシンガポールに旅立つというわけだが…。からゆきさんたちは村人のやっかみや差別的言辞を受けるが、出稼ぎ者としては成功者の要に描かれて、わりとお気楽な感じもあるが…皆が貧しく出稼ぎからゆきもむしろ普通のことだったような時代ゆえなのか、今の感覚で見るとわかりにくい感じもある。
(12月7日 渋谷ユーロスペース 現役日藝生による映画祭「移民とわたしたち」 353)
⑨サウダーヂ
監督:富田克也 脚本:相沢虎之助 富田克也 出演:鷹野毅 伊藤仁 田我流 尾崎愛 川瀬陽太 ディーチャイ・パウイーナ
2011日本 167分 ★
この映画、多分2011年公開からしばらくの間にみているのではないかと思われ、実際に土方たちのシーンとか、東京に出て行こうと誘う女の子とか、見覚えのあるシーンやステュエ―ションもあるのだが、全体の印象としては、残念ながらちょっと散漫なのか、長さのせいか、あるいは私が苦手な甲州弁(何故苦手かというと、小学生のころ甲府盆地から峠を一つ越えた、八王子(西東京)言語圏の田舎に暮らしていて、甲府から赴任してくる甲州弁の先生たちに「この辺の子どもたちはことばが悪い」とバカにされた甲州弁の響きが子ども心にはとてもじゃないが受け入れられなかったという奇妙な体験によるのだと思う)映画ゆえなのか、ウーン。
今回脚本を共同で書き、監督も共同に近い形でやっているような富田・相沢両氏のトーク付き上映を見て、なんというか二人のマジメさ、甲府の街に実際に暮らす人々(監督の元同級生、当時甲府にいたタイ人、ブラジル人ら)とあたかもドキュメンタリー風に関係を結びながら作っていく映画作りの魅力というものをちょっと感じた。次回作の一つは台湾の多民族国家?の成り立ちを同じように描きたいとのことで、これは大いに期待するところ。(12月7日 渋谷ユーロスペース 現役日藝生による映画祭「移民とわたしたち」 354)
⑩私はモーリーン・カーニー 正義を殺すのは誰?
監督:ジャン=ポール・サロメ 出演:イザベル・ユペール グレゴリー・ガドゥボア フランソワ=グザヴィエ・ドゥメゾン ピエール・ドゥラドンシャン レクサンドラ・マリア・ララ イヴァン・アタル 2022仏・独 121分
世界最大の原子力企業アレバ社のフランス民主労働組合代表を務めるモーリーン・カーニー。アレバ社は中国とのハイリスクな秘密契約を結ぶことにし、現認社長は退陣、新しい社長のウルケルは政府をバックに、モーリーンを目の敵にし、排除しようともする。そんな中モーリーンはの情報を公けにし500人のアレバ社員の首きりを阻止すべく、首相と面会を取り付けるが、その前日2012年12月17日に自宅で何者かに襲われ椅子に縛り付けられて腹にAの切り傷、ナイフの柄によってレイプされる。家政婦が見つけ通報し事件になるが、取り調べの中で、彼女自身が自作自演をした狂言ではないかと疑われ、有罪になってしまう。と、まあこんな実話ベースの話。
イザベル・ユペールは実際のモーリーン・カーニーもそうであるようにブロンドのシニョンに真っ赤なルージュという華やかというか「美女」風俗で、衣装もすごくおしゃれ。この格好でアレバの社員(組合員)の先頭に立って管理職に切り込み闘う前半はすごく格好よく、男などものともせんという切れ者なのだが、彼女が決して強くもなく、また女自体が置かれた立場も決してやはり性差別的状況であることは退陣する女性社長(組合代表とはいわば相対する関係になるわけだが)語られる。センセーショナルな事件のあと、楚々として傷つく風情を見せ、取り調べに当たる警察官の恫喝まがいの脅し?や、医師や警察官によるダブルレイプまがいのに取り調べに従って案外簡単に自作自演を認めてしまい、そのまま裁判にかけられ執行猶予付きとは言え有罪と、判決を下されてしまうというのは、なんだかなあと思えて見ていてちょっとイライラしてしまうー法廷ものドラマの解決片のようなスッキリ感は全くないが、実はこれが「実話」ということであろうし、映画自体も「良き被害者」ではなかった彼女の側面を描く―すごく難しいだろうなあと思えるが、さすがのイザベル・ユペールの名演技―ことに重点が置かれているようで、精神的にもボロボロになった有罪状態から決意をし控訴、自分でも調査をし敏腕弁護士も雇い、彼女を支持する人もあらわれるという後半はなんかとんとん拍子でありながら、結局彼女自身の無罪=冤罪は認められるものの、犯人が捕まるわけでもないし、アレバ社と中国の契約問題は結局実行されてしまい、彼女が底に関わって阻止するとか従業員を救うとかいう訳でもなく、彼女は英語教師に戻る。
映画的カタルシスには甚だ欠けるのではあるが、実際の世の中はこういうものなんだろうなあ、それゆえのこういう描き方ということになるのだなあという納得感があるのはやはりイザベルの演技力のなせる技?であろう。警察官の女性が自身の調べた結果を上司に無視されるというようなことも含めジェンダー的な意識・意図に関しては濃厚にある映画ではある。(12月12日 川崎市アートセンターアルテリオ映像館 355)
⑪タブロイド紙が映したドリアン・グレイ
監督:ウルリケ・オッティンガー 出演:ヴェル―シュカ・フォン・レーンドルフ デルフィーヌ・セイリグ タベア・ブルーメンシャイン トーヨー・タナカ イルム・ヘルマン
1984西ドイツ 151分
世界メディア王の女性(『ドクトル・マブセ』(フリッツ・ラング1922ドイツ)なんだそうだが、『マブセ』を残念ながら見ていない)夕刊紙の代表(12使徒、日本の『夕刊フジ』も含まれる)に昨年度の売り上げ状況を報告するシーンから始まり、新聞のネタとして考案された?美青年ドリアン・グレイの新聞のためのメディアとしてへ遍歴させつつ情報化という、いかにも現代(ただしSNS直前か?映画中三人の魔女を思わせるメディア王の部下がメディア王への報告としてたくさん置かれたモニターに映し出されるドリアン・グレイの動静を見せるシーン、まさに現代の監視カメラ映像社会とスマホへの反映を思わせる)?セリフは新聞社主とその部下のシーンを除いてはほとんどなくというか断片的で、歌で語る場面もあり、しかもスペインの王子とヒロイン(裸!)のアフレコのオペラシーンとか、新聞紙を張り巡らした舞台装置とか、なかなかに目まぐるしく、しかも登場人物は異形と言っていいような肥満女性とか、ドリアン・グレイも女性のスーパーモデルが演じ(宝塚的世界?中性的が、口ひげもうっすら生えているように作ってウーン。ヴェル―シュカはヒトラーを暗殺しようとした貴族の娘なんだそう)なんかまあ、最初この世界に入れるまではちょっとかったるかったが、後半は目を奪われつつ不思議な世界を堪能した。
メディア王はドリアン・グレイを夕刊紙で頂点にまで祭り上げ、スキャンダルで叩き落そうとする、その仕組みはなんか現代にも通じそうだが、この映画のドリアン・グレイはしぶとく生き残る。中国スタイルでハングルをしゃべる不思議な東洋人親子?が噴水の池の浮かべる国籍不明の不思議な東洋風料理(箸を使って食べる)とか、タイ風双子の舞踊とか、サプリとジュースのアメリカンスタイルの朝食(一方パン中心のコンチネンタル)とか、食べるものや人種の境界性、ドイツ語フランス語交じり?のセリフとかその混淆性は意識してなされているのだろうが、東洋の扱い方などはなんかなあ、とやはりそのキッチュに名を借り差別を隠ぺいしたような「美的感性」には逆なでされるような感じがある。そこがいいのかも知れないが??8月からユーロスペースなどで行われた「オッティンガーベルリン三部作」最後の上映にようやく間に合う。(12月13日 下高井戸シネマ356)
⑫ゴーストワールド
監督:テリー・ツワゴツフ 出演:ソーラ・バーチ スカーレット・ヨハンソン スティーブ・ブシェミ 2001米 101分 ★
解説も写真類も、イーニドとレベッカふたりの高校卒業生の物語としているが、スカーレット・ヨハンソン扮するレベッカはアルバイトをきちんとして自分のアパートを借り自立しようとするしっかりもので、この映画はひっかけたつもりの中年男シーモアにとらわれつつ、高卒を認められるために受けなければならない美術科の補修でとんがった主張をするーいったんは教師に認められながら、シーモアの部屋から持ち出した古い黒人の顔のポスターは、展覧会で閉め出され、一時は教師から勧められた美術学校の奨学金も入学もパーになるイーニド(ソーラ・バーチ)の青春彷徨の物語と言えそう。
ちょっと小太り・眼鏡のおかっぱ、目鼻立ちはもちろん整っているが一見美人とは言えない(その点ではすっきりしていて、最初はイーニドと同じようなミニワンピースのような服装から、だんだんちょっと大人っぽいパンツスタイルの仕事着に変わっていくレベッカとは対照的)少女が、これもかなり変わり者で古い音楽への趣味などでイーニドと一見気があうシーモアを翻弄しつつひかれていく様子がわりと繊細な感じでしかもポップに描かれて面白い。旅立つイーニドにエールを送りたくなるような演歌っぽい?作りであるのも…。平日昼の文化村、意外に大勢の客が入っているのにおどろいた。エンドロールのあと、スティーブ・ブシェミの別バージョンとかが入って、なるほどね!とも。まだ携帯電話が普通の少女にまでは普及していない1990年代後半?を描いてそれも懐かしい。あと、夏場だから?薄地の服裏地みたいな素材だが高校卒業式皆真っ赤なガウンと角帽?なのがアメリカのフーン?!(12月14日 渋谷文化村ルシネマ宮下 357)
⑬アル中女の肖像
監督:ウルリケ・オッティンガー 出演:タベア・ブルーメンシャイン ニナ・ハーゲン エディ・コンスタンティーヌ ウルフ・ボステル マーティン・キッペンバーガー 1978西ドイツ 108分
主演のタベア・ブルーメンシャインが衣装デザインも担当、その豪華というかパーティードレスというか舞台衣装と思われるような華やかなドレスに白の10センチくらいありそうなピンヒールに身を固めた彼女がベルリンへの片道の旅(パンナムに乗ってくるので多分アメリカから)にやってきて、ひたすらあちこちで飲み歩く(と言っても1か所ではグラス1杯のワインだったり、コニャック?だったり、ビールだったり。そして飲むとグラスを叩きつけて割るという場面もやたらに多く、楽しく飲んでいるふうではない)という映画。
酔っぱらって多少ふらつくようなシーンはあるが、泥酔したりというようなこともなくただ淡々と飲み歩くというのは、そこでかかわるホームレスの女性との交流も含めて、豪華な衣装や美しい化粧の中の寂しさというようなものを感じさせるが、オッティガーの映画は難しいというか、ただそういうふうに見ていればいいのか、それとも何かもっと違うメッセージが込められているのかよくわからない。人も私にとってはあまりなじみのない役者であるせいか、んんん?という感じで最後ガラス張りの通路をピンヒールで去っていくストップモーションまでただ茫然という感じも。(12月14日 下高井戸シネマ 358)
⑭ナポレオン
監督:リドリー・スコット 出演:ホアキン・フェニクス バネッサ・カービー2023米 158分
例によって?全編英語のフランス世界。マリー・アントワネットの断頭(髪を振り乱して断頭台へ。史実無視のビジュアル重視と何かの批評で「評価」していた)とそれを見ている一介の兵士ナポレオンの姿から始まる映画の概ね8割は戦闘シーンという感じで、何処までがCG画像?(戦闘に場面い限らず、だろうな?と思われる場面ーいかにもはめ込んだ感じの帆船乗船シーンとか、結構ある)と思うとやや白けてしまうが、確かにビジュアル的には見ごたえのある完成度。ホアキン・フェニクスはアクが強いイジワル顔であまり好みではないし、画像のナポレオンのほうが「かわいい」よなとも思えるが、これはこれでこの映画のナポレオンとしては合っている。
妻ジョセフィーヌに首ったけでところかまわずセックスをせまり、妻は悠揚たる態度でそんな夫をあしらうが、実は不妊―で皇帝になり世継ぎを求めるナポレオンを愛しながら離婚させられる、最後は離れた地でジフテリアで病死—というわけだが、侍女が「不妊の原因は妻か夫か確かめる」というような提案をするところも含め、なかなか現代的なリドリー・スコット的世界がここでも展開されてちょっと肝っ玉の太い面白いジョセフィーヌをバネッサ・カービー好演だ。戦争への道筋は単純化しているので半分寝ていてもわかるし、最後にナポレオンの戦った戦争数とそこでの戦死者の数をあげているのが、いかにもという感じだが、取ってつけたように思える戦争スペクタクルだ。(12月15日 府中TOHOシネマズ 359)
⑮フリーク・オルランド
監督:ウルリケ・オッテンガー 出演:マグダレーナ・モンテツマ デルフィ―ヌ・セリーグ アルベルト・ハインツ 1981西ドイツ127分 ★
この映画、実は2日ほど前に一度見に行ったのだが、前半ごちゃごちゃと場面ごとに衣装を変えることもある感じで出てくるおおぜいの人々に翻弄されて、物語世界に十分入り込めないうちに寝落ち。後半は興味深く見たのだが前半の終わりから中盤にかけて全然記憶がないという悲惨な有様に陥った。この観賞回も含めたまったポイントで招待券を得たので、あらためて予習もしてから再度鑑賞したもの。
バージニア・ウルフの『オーランド―』を翻案したといのだが、物語的には全然別?の話。荒廃した雰囲気の岩山?というか崖をおりてやってきた巡礼スタイル(腰には帆立貝)のオルランドは門前裸で下半身は土に埋まった「女神」の乳をのみ「フリークシティ」の門をくぐる。そこからは5つの時代に時を借り、しかし場所的にはほとんど7〜80年代の西ベルリンのデパートビルや郊外の工業地帯?や廃墟や、道路みたいなところを舞台に、同じ役者たちが衣装や役割を変えたり、あるいは変えずに通したりしながら、オルランドが転生するそれぞれの時代のエピソードを演じる。1話神話デパートでのオルランド=一つ目の怪物と7人の小人の靴屋から支配人の不興を買ってクビになった彼らの遍歴。柱頭聖者の出現と後継者になることを求められ断ったがゆえに首をきられるという展開ですべての出演者が一応勢ぞろい。2つ目二つの頭を持つフリークとして転生したオルランドが小人の画家を連れてさまよう町。ここはオルランド自身はほとんどセリフもなく傍観者的に過ぎていく感じで、むしろ群衆跋扈という感じなので1回目ではほとんど寝落ち状態だった。最後の方でひげの生えた聖者の父娘声色をかえオペラとラップを混ぜたような独白歌唱があったりで印象には残る。このシーンの終わりで神話デパートの時間旅行?に行くことになったオルランドは美しい緑のドレスの女に転生するが、その後は独裁社会でフリーク(変わり者)をとらえるむち打ち修行者の集団にとらえられ彼らが載せられたつながるベッドをひく役を与えられ、最後は彼らや名前を読み上げられたドイツの著名人とともに銃殺(シーンはない。音だけ)。そして男の格好で転生し、精神病院の門を出てきたオルランドはフリークショー?の旅芸人一座に迎えられ、そこで腰のあたりで合体したシャム双生児の女性と知り合い、その一人のレナと恋に落ち子どもを設ける。しかし見捨てられたと感じるもう一人のレニの怒りと不興を買い彼女を殺すことにより合体しているレナも死んでしまい、オルランドはしきたりによって死神ゴルゴの元につれていかれ冥界に閉じ込められる。最後の場面は現代に蘇りフリークショーの司会をするオルランド。今まで出てきた人たちが「ぶさいくコンテスト」の出場者として演じるが、通りかかったセールスマン(第1話の支配人と同じアルベルト・ハインツ)が優勝をかっさらいバニー・ガールスタリルのレナ(というか門前の女神、第1話の神話デパートのアナウンス嬢も含め全編狂言回し的にいろいろな役を演じる)と舞台奥に去り、最後はフリーク・シティを出てきたオルランドが山に去るまで(かなり険しい山をよじ登るように上がり頂上から消え去っていくこの長回しにはちょっと驚かされる)。この間全編にわたり7人の小人や、腰から下がない女性などいわゆる「フリーク」やまた、それを演じる人々がさまざまに登場するのだが、そしてこのことを社会で今まで顧みられなかったものへのまなざしとして評価する眼もあるようなんだが、ウーン、主役というわけではないし、イマイチ、分からないなあ。ドイツ映画には『ブリキの太鼓』なんかもそうだがこういう異形を前に出そうとする傾向は強いような気がする。(12月15日下高井戸シネマ360)
⑯父は覚えている
監督:アクタン・アリム・クパト 出演:ミルラン・アブディカリコフ タアライカン・アヴァゾウバ アクタン・アリム・クパト 2022キルギス・日本・オランダ・フランス(キルギス語・アラビア語・英語) 105分 ★★★
監督自身が演じる一言もセリフはない「父」は23年間行方不明だったが探されてロシアから帰還するも事故の怪我がもとで記憶を失い家族のこともわからない。映画はこの父を迎える息子や、その妻子、父の旧友たち、父の「死」のあと村の権力者だが暴力的な男と再婚した母などの姿と変貌を描き、また23年前と変わらぬ景色?ながらゴミまみれになっている村ー経済商業主義的な村の変化の結果として描かれているーで黙々とゴミを拾う父を通して、まずは孫娘、そして息子が心を開き、元妻は??という23年前はおろか時間も記憶もなくした父のしかし、自ら住む村をきれいに保ちたいという行動に周りが変わっていく様子が描かれる。
遠景でほんのちょっとしか出てこないのだが、途中村にはイスラムの布教団が訪れ村の導師と会見し、村人にイスラムの教えを説いて回るシーンがある。しかし現夫の無理解のみならず暴力にさらされ、元夫の帰還に心が揺らぐ妻には、導師の「妻からは離婚できない(から耐えろ)」という教えは全く響かず、彼女を救うのは村のモスクの世話をする老人の『自分が望むがままに生きていい。妻から離婚もできる。神もあなたの幸せを望んででいるはず」という励ましで、このあたりに宗教の権威の抱える問題への批判的なまなざしも込められていて、最後の場面それまでの黒い重苦しく全身を覆う衣装を脱ぎ捨て花柄のドレスに身を包む元妻のうたう歌と、森の中で木に虫よけ?の塗料を塗りながらふとその歌声を耳にするかのような夫の極めて詩的な美しい再会がなんともいい感じ。(12月16日 新宿武蔵野館 361)
⑰家にはいたけれど
監督:アンゲレ・シャーネレク 出演:マーレン・エッガード ヤーコブ・ラサール クララ・メラー フランツ・ロゴフスキ 2019セルビア・ドイツ 105分
まずは岩のある草原を走るウサギ、追いかける犬のショット。バルタザールを思わせるロバの小屋と、捕まえたウサギを食いちぎろうとして食いちぎれない犬、次はアパートの前の階段で座っている赤い洋服の少女、母が出てきて兄息子13歳を迎え、彼らはことばもなく家に上がり少年は靴を脱ぐ、という感じでただ静かに、手足の大写しとか(顔が出てこない)ちょっと変わったカメラアングルで、なかなかに映画に集中するのが難しい。少年がどこに行っていたのかはわからないし、帰ってきて母となじむようでなく、母の後ろには若い恋人らしき姿も(父は2年前に亡くなったとされる)母は自転車を買いに行ったり、子どもの学校に出向いて先生にあったりし、先生の方の職員会議も出てくるが、大きな流れとして少年が帰った後の周囲の日常というようなことはあるのだろうが、息子が敗血症で入院手術をしたとされる(直接的な姿が描かれるわけではない)ぐらいでドラマティックな事件が起こるわけではない。ただ母となじめぬ兄と、母の間にあって両者の心を開こうとする妹とか、娘と息子とともにあってその距離の取り方に不安定な母とか、を象徴的に表すような病院内での親子3人のダンスとか、最後の場面川辺に寝そべる?母を尻目に川の中を歩いていく兄妹とかが印象に残るものの、実はウーン、今イチ難しいアーティスティックな映画でもある。小津(『生まれてはみたけれど』)とか、ブレッソンの影響が大きい人なんだそうだが言われてみればそんな気も…。ウサギと犬、ロバのシーンはクロアチアで撮影されたとか。(12月16日 下高井戸シネマ アンゲラ・シャーネレク特集362)
⑱どこでもない、ここしかない
監督:リム・カーワイ 出演:フェルディ・ルビッジ ヌルダン・ルビッジ 2018スロベニア・マケドニア・マレーシア・日本(スロベニア語・マケドニア語 90分
2019年大阪アジアン映画祭で見た作品だが、2024年1月のバルカン三部作完成作品の『すべて至るところにある』公開のためとして東京外語大TUESの上映会あり、この映画が1本目だが、2本目の『いつか、どこかで』(2019)との2本立てだったが、1本目は時間的に間に合わず、見損なう。どちらか1本は見たという記憶で、結局同じものを2本見てしまった。
映画はスロベニアの首都リュブヤナに住むフェルディが妻に愛想をつかされて妻の故郷マケドニアに旅をし、妻の「努力を見せよ」という言葉に従ってハートつきの石の壁を築くが、こたえてはもらえず1年後…、というような話だが筋がかっちりあるというよりは作者が出会った現地の人と脚本を作りながら演じてもらうというような構成のせいか、ちょっと雑然とした感じで、かつて見た時よりも集中力が必要であるのは否めない(こちらの加齢もあるのだろうが)。しかし偶然出会って、結婚していることも知ったというフェルデイの妻ヌルダンの美しさ!、TUFSの上映会なので説明やQ&Aがあり、映画の製作経過について監督自身からかなり詳しい話があった。(12月17日 東京外語大学TUFS Cinema 363)
⑲儚き道
監督:アンゲレ・シャーネレク 出演:イレーネ・フォン・アルベルティ フリーダ―・シュライヒ 2016ドイツ 86分
出だしの男女、ギターを抱えて歌い投げ銭を受ける。女は赤に細い白のボーダー柄のポロシャツに白と黒のボーダーのスカート(靴はグレー?系)。電話をかけた男は突然崩れ落ち、母親が事故に遭った…という周りの声が入る。次のシーンは帰省前に女の家を訪ねる男、一夜を共にしたらしいー膝枕から暗転して次の朝、という思わせぶりみたい省略的な描き方は全編に共通するー男は帰省、病院に母を見舞う。盲目(光と影はわかる)の父と、兄?(スキンヘッドの寡黙な男、謎の人物っぽく、二人とともにいて、誰かは語られず)。父は帰った息子にモルヒネの入手を求める。一方の女はすでに数年(10年近い?)後、で「教師」の母とともに息子を保育所?に迎えに行き息子にベルリンに引っ越すことを言う。「おばあちゃんは?」「ママと二人だけよ」というわけでこの息子、あの夜の男との間にできた???森に行き苔の上に顔を伏せる母に息子は「眠いの?」といたわる。
このあと映画にはもう一組の不仲な夫婦―最初女のその後?かと思ったが子供は娘だし(もしか保育所で母子を見送る数名の子どもたちのひとりか?)こちらの妻は、最後の場面から女優であるらしいーが描かれる。また実家に戻った男が友人からモルヒネを手に入れ父の面前で母に注射するーここは珍しく直接的な描写だがそのあと、ベッドを見つめる息子「死んだ?She dead?」「ああ」というやりとりで暗転?この後は延々不仲な夫婦と娘。別れる、出て行ってという妻に夫が不動産屋の女性(ブレザーに短パン姿で、トイレに行き手をパンツで拭くとか不思議な…)と物件を見に行き、電動のブラインドを下ろして暗転(とこれも意味シン?な)という場面あり、その後は夫婦の家でブラインドを下ろすと脚立を持ち出した娘が落ちて?(例によって隣の部屋の声としてのみ)腕を骨折するシーンなど。医師にサッカー好きだと答えた娘のあとのほうのサッカーシーンもある。こんな感じでさしてドラマとは言えない場面が続き、終わり近く赤いボーダーシャツ、白黒スカートの中年女性(同じ衣服でそれとわかる)が街に出る。一方犬を連れ、大きな荷物を肩にかけ、かつて着ていたグレーのセーターに上着の男が家を出て列車?に乗る。ベルリン中央駅あたり?歩いてきた女が、路上に横になる男と目が合う。30年ぶりの男女の邂逅という本作品最もドラマティックな場面ということになろうが、ホームレスになった男と、昔のままの姿の女(ただ、靴はこちらでは茶系ヒールのサンダルシューズだった)は目を合わせ、互いにそれと意識はするが、会話をすることもなく女は去っていく。女は一軒のアパートに入る。その部屋には金髪長身の息子と、若い女性(息子の恋人?役者は違うのだが雰囲気は、もう一組の夫婦の娘が成長した感じでもある)がいて、女は若い女性に持ってきた青いザックをを渡す。かつて実家に去った男が背負っていた?(かつて女も背負っていたみたいで彼女のザック?)とよく似たザックで30年前と現代を繋いでいる。最後はロングショットで雨中の女優のインタヴュー(撮影)を窓から遠く見つめる夫、女優のアップ(役者の家庭に生まれていない、地方から出てきたなど、監督自身と重ね合わされている?)とその近く主は姿なく(靴だけが転がっているシーンもあり、悲劇を想像させる)つながれた犬と荷物だけが濡れそぼっている…、かかわりを何らかでもちながら心情的には遠く離れ、それでも邂逅・ふれあいもある人間関係の微妙さと悲しみが感じられる。例によって顔よりも手や足のアップ映像(あるいは靴の)で語るという映画。目をしっかり開けてみていないと話がどこに行ってしまうのかわからず、緊張を強いられる86分ではある。(12月17日下高井戸シネマ アンゲラ・シャーネレク特集 364)
⑳私がやりました
監督:フランソワ・オゾン 出演:ナディア・ヴェルディエ レベッカ・マルデール イザベル・ユペール 2023フランス 103分
久しぶりにセリフたくさん、スピーディ、衣装もなかなか豪華・オシャレでカラフルな1930年代?駆け出しの女優マドレーヌは大物プロデューサーの邸に呼ばれ役と引き換えに愛人になるよう迫られ断る。彼女と友人で駆け出しの弁護士ポーリーヌは5か月の家賃滞納で大家に出て行けと迫られている状況。マドレーヌが邸を出て歩き始めたところでぶつかるのが一瞬だけ映るオデットというわけで結構思わせぶりな開幕。オデットが帰った後やってきたのは警察で、プロデューサーが銃殺されたことを告げる。1日12フランの手当あてに取り調べを受けるマドレーヌは、殺人を認め、ポーリーヌが弁護士として彼女を支え、彼女の正当防衛と女性の置かれた地位をに関する大演説の末、陪審員たちの無罪評決を勝ち取る。その経過をマスコミが報道することになり、マドレーヌは一躍時の人に、女優としてもいい役を得て、売れっ子となり、ポーリーヌも弁護士として評価される。
が、そこに現れたのが、無声時代映画のスター女優だったオデット。プロデューサーを殺したのは実は自分だったと主張する。彼女の狙いは?マドレーヌとポーリーヌはどうするか???男性陣が判事裁判官、居並ぶ陪審員をはじめ、マドレーヌに持参金付きの妻を貰うから愛人になれという恋人まで、男がそろいもそろってどうしようもないおバカぶりで、そこに切り込み相手をだまくらかすかのように殺人はしたけれど無罪(ありもしない罪)を勝ち取る若い二人も、後から現われておいしい話を自分に引き寄せて罪をかぶってカムバックを目指す元女優のオデット(イザベル・ユペールのコメディエンヌぶり満開で、さすがに若い二人を凌駕する)とMeToo運動もしっかり意識されて面白かったが、セリフはけっこう理屈っぽく爆弾的に発されアッと気づくと微妙な駆け引きの具合が飛んでしまうので、さすがにそれもフランス映画!だ。(12月20日川崎市アートセンターアルテリオ映像館 365)
㉑美食家と料理人 ポトフ
監督:トラン・アン・ユン 出演:ブノワ・マジメル ジュリエット・ビノシュ エマニュエル・サランジ ガラテア・ベルージ ポニー・シャニョー・ラボワール 2023フランス 136分
これも東京国際映画祭での公開作。ウーン。美しい、静かな美しさ、目に染みるようなフランスの農園のと長いスカートエプロン姿で野菜を収穫する料理人ウージニーのたたずまいも…。そして最初のほう、ウージニーと美食家ドダン、そして二人の少女バイオレットとポーリーヌ(この子は味の天才?という設定)が友人たちに出すコースの料理を作っていくなんて言うか時の流れそのままの料理シーンの緊迫感、迫力、リアリティ(なんだろうなあ)も。皇帝の食事に招かれたドダンはその料理に満足せず、返礼として家庭料理ポトフを作ることにするというのが題名の由来のようだが、彼がポトフ作りに苦心するとかそういう映画ではなく、20年来の料理人ウージニーと同居し、結婚を求めているがなかなか結婚にこぎつけず、しかし「人生の秋に」ととうとう結婚して彼女を妻としたときに、彼女はあっけなくというかはかなく死んでしまうという物語で、最後の場面も含め彼女はやはり妻としてではなく料理人として生きたかったのだろうなあ、それを美食家はいわば阻んだのではないかとも思える。美食家ドダンは一時は妻の死に食べることにも作ることにも意欲をなくすのだが、やがて友人の支えもあって立ち直り、ポーリーヌを手元に置いて新たな料理人の面接試験をしたりするのである。
最後にはどうも新しい料理人も見つかりそうで…というのがこの映画の流れだが、8割くらい料理シーンか食べるシーンで、まあそれはそれは、しかし見ていてどちらかと言えば満腹になるような感じの料理。わりとフランス料理に私たちがイメージするような美的な繊細さはない感じ。ハハハ!
それにしても「美食家」というのはなんだろうか?職業にしているわけではないのだろうが、お金はありそうなので貴族の末裔(19世紀フランスにもいるのか?)なのか、皇帝の晩餐会にも招かれるような名士みたいだし、どうやって食べていく人びとなんだろうと肉類や大きな魚どっさりの食材にもちょっとウーン。この時代薪か石炭を燃やしている?大きなコンロにはちょっと感心した。あと若きハンサムのイメージだったブノワ・マジメルがシッカリひげの中年になって、間もなく60歳のジュリエットビノシュの若さにもびっくりだが、その彼女と(10歳違い)しっかり男と女を演じているのにも…(12月20日 新宿武蔵野館 366)
㉒マルセイユ
監督:アンゲレ・シャーネレク 出演:マレン・エッゲルト マリー=ルー・ゼレム ルイス・シャネレク デビッド・シュトリーゾフ 2004フランス・ドイツ 95分
ウーン。ますますわからん!ベルリンの自分のアパートを、マルセイユの女子学生と交換して10日間の休暇をそこで過ごすことにした写真家ソフィー。車を借りたピエールと親しくなって、と思いきやいつの間にか場面はベルリンでソフィーの友人ハンナ?の一家の話に。脈略無い感じのエピソードの連続でウーン。場面を楽しめないと、何が何だかという感じは前の2作品より強いように思う。朝から家を出て他の用事の合間に午前1本、午後1本の映画を見た後ではいささか疲れてついていけず…。他2本に比べると手の大写し、足の大写しは少ないようだが、最後またマルセイユ?に戻ったソフィーのアップ・独白・涙を流すシーンは圧巻ではあった。(12月20日下高井戸シネマ 367)
㉓PERFECT DAYS
監督:ヴィム・ベンダーズ 出演:役所広司 柄本時生 中野有紗 アオイヤマダ 麻生祐未 石川さゆり 田中泯 三浦友和 甲本雅裕(居酒屋) 柴田元幸(写真屋)犬山イヌコ(古本屋)モロ師岡 あがた森魚(居酒屋常連客) 研ナオコ 安藤玉恵 2023日本スタンダード124分 ★★
ヴィム・ベンダーズの傑作にして、役所広司の最高作(私、この人なんか演技過剰というかうますぎるのかもしれないがあまり好きではなかったのだが、この作品のたたずまい、最後の運転しながら音楽を聴き陽射しに少しまぶしそうでもあり、ちょっと心になにかせりあがってくるものもあるのだろう、涙ぐみそうになりながら涙までは行かず微笑もという繊細なうまさはさすがで「いい感じ」を始め覚える。映画の印象もまあそんな感じで何げない普通の暮らしぶりを繰り返しつつ丁寧に描き、しかしそこにモノクロの木漏れ日だったり、幾何学的な模様とか渦巻風とか心象を表している?ような映像を挟み込んでーこれは、いろいろかかる7〜80年代の楽曲(ザ・アニマルズ「THE HOUSE OF THE RISING SUN」、ルー・リード「PERFECT DAY」、ニーナ・シモン「FEELING GOOD」などなど)とも合わさって、それがフィルムカメラやカセットテープによるものであることも併せて、こう描きたい気持ちもわかるしそれなりの抜群効果とは思いつつ、一抹のあざとさを感じさせないでもない。それが行って見ればヴィム・ベンダーズ映画であり、役所広司的演技かもしれず、そういう意味ではものすごく統一が取れた整合性のある作品に仕上がっている気がする。
役所以外の役者たちは比較的出番は少ないが、それも贅沢な使い方で石川さゆり「THE HOUSE OF THE RISING SUN」の日本語版(朝日楼)を歌うがそのすごい情感うまさとともに2節ぐらいで終わってしまうぜいたくさとか、私には全然顔も気が付かなかった研ナオコ(野良猫と遊ぶ女性??)とか1場面1台詞だけの安藤玉恵(同僚佐藤)、それに遠景だけでちゃんと踊るの田中泯(ホームレス)、なんと柴田元幸が、主人公の行く写真屋(現像)の主人とか、もう何とも言えず、主人公平山の孤独な生活を描いたと言いながら、彼らと深くはないかもしれないが印象的な付き合いをしている平山は決して孤独ではないのでは?とそのパーフェクトさにも感動。もっともこの洋楽好きで草木をめで、それらをフィルムカメラの撮ってコレクションしているというこの男の過去には父との確執があったことも実はちゃんとわかるように描かれるし、彼が通う居酒屋のおかみ(石川さゆり)と元夫(三浦友和)との間にあった複雑な関係というのも読み取れるような描かれ方で、そこに絡んでいくからこそ平山の優しさという過剰感が際立つような描かれ方なのである。そうそう『11の物語』(パトリシア・ハイスミス)『木』(幸田文)など平山の読む本の選定もそんな贅沢な雰囲気で、この映画の情報量を支えている。それにしても渋谷の公衆トイレはロケみたいだし、役所広司は本当にあんな風にトイレ清掃をしたのかなあーすごく丁寧だしー公開初日夕方からの我が家傍の映画館は概ね7割くらいの入り(12月22日府中TOHOシネマズ 368)
㉔土曜の午後に
監督:モストファー・サルフル・ファルキ 出演:ジャヒド・ハサン ボロムフロト・チャテルジー ヌストラ・イムラス・テイシャ イヤド・フラ二 2019バングラデシュ・ドイツ(ベンガル語・英語)86分 ★★
2016年7月にダッカでおきたホーリー・アーティサン・ベーカリー人質テロ事件(民間人20人JICA派遣の日本人7人も含まれる、犯人6人、警察官2人が死亡)をモデルに、ワンカットで撮った人質テロ事件。人質になった人々と犯人たちの攻防(一人の女性を含む何人かはあっという間に殺され、親と電話をかけさせられ外との連絡に使われたもう一人の26歳の女性は、結婚していないことなどをさんざんにつつかれ抵抗するが、最後はやはり撃たれー問う感じでジェンダー的な差別感もけっこう描かれている)、犯人集団の中でもそれぞれの意識や行動に差があってそれが人質への当たり方への差になっているところなどが微妙に描かれ、この世界へのもちろん忌避感もあるので最初は入っていきにくい感じがしたが、いずれにせよ自分もその場の一人になっているかのような緊迫感がある。
犯人たちは最初から自分たちはあるところまで行ったら死ぬと打ち合わせていたように描かれるが、一人の男が、人質の中にいるインド人は絶対に助けないと言い張り、その結果人質が自分たちでインド人をあぶりだすように言いわたされる。その結果…、子連れで人質になり、子どもの救けるために卑屈に犯人に言い寄っていた男の宗教的なプライドというか命を賭して周りを守ろうとする(インド人青年を救う)行為が最後の希望のような感じで描かれ物語をなしている。
バングラデシュ研究者の日下部尚徳氏の事件やバングラデシュに関するわかりやすい説明があり、なるほど。人口の9割がムスリムというバングラデシュはインド軍の助力によりインドから独立したが、インド国内のムスリムへの差別(山形の女性監督の映画にも描かれた)への抵抗意識があり一部にインドへの反感が強いこと。当該事件の犯人たちはそのような意識を持つ高学歴・保守伝統的な階層の出身者であったことなどを説明されて、なるほど。犯人たちは確かにテロリストではあり、個人差はあるものの、なかなかに物の分かった公平な言動をするものもあり、そんなに印象が悪くない描き方であるー演じるのはむずかしそうーなども含め腑に落ちる。ワンカットでの撮影と言い、冒頭に出るダッカの景色を含む画面の美しさなど、映画的にもなかなか特筆されるべき部分も多く、評価された作品だそうだが、長らくバングラ国内では上映禁止だったとか。そうだろうね…(12月23日 東京外語大学TUFS Cimema 369)
㉕VORTEXヴォルテックス
監督:キャスパー・ノエ 出演:ダリオ・アルジェント フランソワーズ・ルブラン アレックス・ルッツ 2021仏(フランス語・イタリア語)スコープサイズ 118分 ★
スコープサイズを二つに分けて、片側には心臓疾患を抱える作家の「夫(80歳)、片側には認知症を患う元医師の妻(76歳)。同じ家の中にいて並んで寝ているがカメラはそれぞれの視点から同じ場にいても二つの場面であるかのように映し出す。枠の左右は行ったり来たりで固定されているわけではない。最初の方で夫が「映画と夢」とかいう作品に打ち込んでいる間に妻が街に出て行き、夫が慌てて探すというような場面があるほかは特に妻は夫が倒れて病院に入るまで家の中から出ることなく、その家の中は、なんというかごみ屋敷というほどではないのだが雑多なものが雑多にあふれている。
それぞれの画面の小ささもあり、二人は体の面で特に不自由で動けないというようなこともないようなので(もちろん老人なりの緩慢な動作だが)その画面の大きさの中で静かにそれぞれ勝手に死に向かっているという感じが、特に妻の側には濃厚。一人息子も生活的精神的に問題を抱え両親を気にはするものの「自分には支えられない」と施設入りを勧めたりするわけで、それに対して母は「ごめんなさい」と言うばかりであきらめている感じなのだが、父親の方は頑固に拒む。今住んでいる家には思い出がたくさんありそれを処分することはできないと主張するのだが、最近それこそ死への準備?として物の整理にかかっている身としてはウーン、これって生命力?それともイタリア人的死生観(舞台はフランスだが父はイタリア人であるとのこと)かしらん、この生命力がある中で妻の精神的な死をみとり、自身の身体的な弱化・老化に付き合うのはそれこそ地獄だろうとも思われる。
妻が夫の書斎を片づけ書きかけの原稿を引き裂いてゴミとして捨ててしまうというシーンがあるが、これって無言の夫への抵抗?という気もする。そしてその引き裂いた紙ごみも(後の方ではたくさんある薬も)トイレに流してしまうのだけれど、フランスのマンションのトイレってそんなにすごい洗浄力?よく詰まらないなあと妙なところに感心したり…。話としては意外性のある事件は何も起こらず、夫は作家たちの集まりに出た夜心臓発作で倒れ、なんとか妻が息子に連絡するが、結局病院に運ばれて死亡(なくなるとその側の画面は白くフェイドアウト)後は黒くなって片側で妻はおろおろとなる。そして朦朧状態の妻の反対枠にやがて福祉関係者らしき男があらわれ施設に誘う(息子はなぜかというか、やっぱり、父の死後は母と同じ枠の中で描かれていた)が、施設に行く前に夜普通に床尾に入り祈りを唱えてから掛物を顔の上までかぶせそしてフェイドアウトの死、というのはなんか案外シアワセな死ではないか?そして葬儀で映される若い時からの写真、納骨、やがて片づけられ夫が固執した大量の本などもなくなって床も壁も裸になった住居(ここはすでに2分割場面ではない)で映画は終わるが…、あのたくさんの本や荷物は多分ひとまとめのゴミになり、品物はどこにだれが片づけたのかというあたりばかりが気になるのであった。(12月23日 立川キノシネマ 370)
㉖ティル
監督:シノ二エ・チュクワ 出演:ダニエル・デッドワイラー ウーピー・ゴールドパーク(製作)ジェイリン・ホール ヘイリー・ベネット 2022米130分
1955年アメリカで14歳の黒人の少年が、白人女性に口笛を吹いたということで白人に誘拐されリンチで凄惨に殺されたエメット・ティル事件の映画化。母親メイミー役のダニエル・デッドワイラーの美しい、悲しみを潜ませつつきりりと意を決して、棺のふたを開け凄惨な息子の遺体を公表しての葬儀を決行すること、その後の裁判で白人の裁判官・検事らの心無い発言に息子を二度殺されたと落ち込みながらも「愛情で育てた息子は恨みということを知らなかったゆえに殺された」と語るところ、そして公民権運動での発言などどれを見てもひきつけられるが、それ以外の事件の展開とか少年と母親の交流交歓とか、母と恋人とか、母の家族や親戚とかの描き方や物語展開は実話ベースなのだからか案外大味というか、予想通りに展開してしまうので、すこし見ていて気分がだれないでもない。ウーピー・ゴールドパークが製作にも名を連ね、いつもの個性をおさえてメイミーの母アルマを静かに好演している。(12月24日 立川キノシネマ 371)
㉗市子
監督:戸田彬弘 出演:杉咲花 若葉竜也 森永悠希 倉悠貴 宇野祥平 中田清渚 渡辺大知 中村ゆり 2023日本 126分
ウーン、!若い母親が前夫との離婚から300日以内に生まれた女児を前夫の子として届けることはできず、子ども市子は無戸籍になってしまう。やがて母親は別の男との間に妹月子を生み、この子は戸籍を持つが、2歳で筋ジストロフィーと診断され寝たきりになってしまう。そこで市子は妹の名を名乗って小学校から高校までを就学する(妹の方は無教育になるということか?しかし医療を受けなくてはならないはずだし、ひとつの戸籍を二人で分け合って?使うということ?そんなこと可能なのかしらん)
ま、映画の方はそれが現実的か可能かどうかを問うわけではなく、そうやって大人になり公的には月子でありながら自身は市子であると思っている市子の不安定で真の自分をさらけ出すことはできない人生の哀しみつらさを、彼女の恋人長谷川が追い求めるというわけだが、彼女の人生には整合性を保つため?2つの人に言えない秘密があり(これも「現実性」という意味では実現可能なのかかなり疑問を感じるが、そこを追及していくのが刑事の後藤(宇野祥平)で、ミステリー的要素を盛り込みつつ、市子(月子)が幼い時からかかわりを持った友人たちの小学生時代、中学生時代のエピソード、それを大人になって恋人(結婚を申し込んだ翌日市子が失踪したのを追う)が彼らの一人一人と話しながら追っていき市子の実像が見えてくるというわけだが、ウーン。長谷川は市子の荷物の中にあった家族写真の裏に書かれた住所をたどり母親のところにたどり着くのだが、それでも市子の行方がわかるわけではなくーもちろんこの映画自体がそれを追及しているわけではないだろうがーウーン。情感だけが残る仕組みと言ったらよいかなあ。東京国際映画祭の話題作ゆえに見たのだが、イマイチの鑑賞感。(12月24日 立川キノシネマ 372)
㉘ショートストーリー
監督:ビー・ガン 出演:タン・ジョウ チェン・ヨンソン チェン・グーファ 2022仏・中国 15分
15分(料金500円)にビー・ガンらしさが凝縮されたロードムービー。黒猫が、自由を求め自らに火をかけてほしいと頼む案山子にこの世で一番大切なものは何かと助言を求め、燃える案山子の影を背景に案山子に言われた3人の奇人を訪ねて回る。ほろ苦さと甘さを含む飴を配るロボット、愛する人を忘れるために記憶が短くなった女、魔法を使えるようになりたい悪魔…と書くとちょっとおとぎ話風でもあり(実際はそうでもなくて、画面も『ロングナイトジャーニー』ばりの暗さと色合いであったが)、後ろの席には5歳くらいの少女が黙って画面に見入っているようであったのが、珍しい冬の寒い夜7時ごろの体験でもあり。不思議な時間を過ごした15分。(12月25日 下高井戸シネマ 373)
㉙ストロベリー・マンション
監督・出演:アルバート・バーニー ケンタッカー・オードリー 出演:グレース・グロヴィッキ 2021米 91分
時は2035年。一面ストロベリーピンクの家の中で、冷蔵庫(ピンク)の中のものを食べようとしても食べられず、そこにやってくるのは「友人」でフライドチキンとコーラを持ってきてふるまうという、いわば商業化の夢を象徴するようなシーン。このあとピンクの部屋の男は、夢の監視官として夢税が未納になっている老女ベラの家を訪ねる。そこで老女の自家製ヘッドギアを渡され彼女のVHSに記憶された若い頃のベラに出会い恋をする。老女ベラの家に拘束されるがごとくに料理をふるまわれ泊まることになり、若いベラとの夢の中での逢瀬を楽しみという翌朝の、老女ベラの死、現れた息子ピーターと家族、そこからがなんか混沌の世界で話を追うのはむずかしいのだがヘッドギアやピンクの家のキッチュと、若いベラと過ごし助けられる自然の中の情景、それの現実的かつややホラー的な様相も示して事件が次々起こる老女ベラの家など目まぐるしくも翻弄される主人公の心情にこちらも同化してしまうような、なんか「ヘン」な映像体験であった。悪くはないが2度見ようという気にはなれない。(12月25日 下高井戸シネマ 374)
㉚破壊の自然史
監督:セルゲイ・ロズニッツア 2022ドイツ・オランダ・リトアニア 105分 モノクロ(一部カラー)
冒頭モノクロなのだが何とも美しい農村風景。そこには飛行船が浮かび、やがて人々が飛行機を試作するようなようすから、実用化された飛行機が大量生産され、機銃やに爆弾が装着される様子が描かれ、やがて都市への爆撃、空襲ーここで描かれているのはイギリス空爆を行ったドイツへの報復として行われたケルンなどドイツの都市に対す空爆で瓦礫の山と化し骨組みの石壁だけが残ったような街(そこには亡くなった人々も映し出される)、最後はその街の光景が延々と続き一部色もつくのだが、なんともおぞましい風景が続き、冒頭の牧歌的な美しい村との対比になっている。合間にチャーチルなどの飛行機による絨毯爆撃が戦況を変え明日を創るのだというような演説が入ったり、抵抗するらしいヒトラー?の演説も入ったりする。後は一切ナレーションなどはなしだが映像自体で破壊が行われるすさまじさとそこに対する抵抗意識が満ち溢れる雄弁な映画である。(12月26日 下高井戸シネマ ロズニッア特集「戦争正義」375)
㉛キエフ裁判
監督:セルゲイ・ロズニッツア 2022オランダ・ウクライナ 106分 モノクロ
事実の重さにまあ声もなくという感じだが、裁判も被告はドイツ語人でロシア語の通訳を介しているわけだが、通訳がかっかとしているような様子が見えたり、本当にすべて約しているの?というような長さのラグがあったりで、裁かれる側もなんか辛そうだなアと思えてしまう。迫力があるのはやはり目撃者とか虐殺を生き延びた人とかで、これも有無を言わさぬという感じは現代のイスラエル対ガザの攻防の中でのイスラエルの強さを思わせるところもあり、最後に台付きの軍用車に載せられて絞首台の下に止まりずらりと並んでぶら下げられてしまう被告たちとそれを見ようと押し寄せる大群衆まで、なんか複雑な感じもする映像で、そういうことを考える自分がヘン?とも思えてしまったり。(12月26日 下高井戸シネマ ロズニッア特集「戦争正義」 376)
㉜ファースト・カウ
監督:ケリー・ライカート 出演:ジョン・マカロ オリオン・リー トビー・ジョーンズ 2019米 スタンダード122分 ★
ケリー・ライカートの劇場ロードショーとしては日本初公開ということらしいが、私は2020年12月『ウェンディ&ルーシー』(2008)『リバー・オブ・グラス』(1994)『ミークス・カット・オフ』(2010)を下高井戸シネマの特集で(126人の劇場に補助席を出して142名まで入れた満席。あとから来て見られなかった人もいたとかの大盛況に驚いた)見落とした『オールド・ジョイ』は21年8月にイメージフォーラムで見たが、今回の映画は時代は『ミークス・カット・オフ』、男二人の友情という意味では『オールド・ジョイ』を思わせる?西部開拓時代のオレゴン州、知り合った元料理人のクッキーと、中国移民のキング・ルーという二人が、この地にただ1頭最初にやって来た乳牛の乳をひそかに絞ってケーキ(字幕ではドーナツとなっているが、ウーンドーナツというよりは揚げパンとでもいう感じ?)を作って売ると大好評大繁盛。牛の持ち主である仲買人からもロンドン風味のケーキと好評を得、有力者たちの集まりにお菓子を作ってほしいという依頼も受ける。しかし、ある夜乳しぼりを仲買人の使用人にみつかり…、逃げてキング・ルーは川に飛び込み、クッキーは先住民に助けられるが…。
この映画うまく行きつつも先が見えない状況を描くという意味ではケリーライカートらしさだが、冒頭にいわばネタ晴らしというか見えてしまうのが、どうなんだろう。行く先の悲劇をみせるという意味では着地点が決まっているというのは「らしくないんじゃない?」 とても静かに進む映画にマッチしないような気もしないでもない。(12月27日 立川シネマシティ1 377)
㉝理想郷
監督:ロドリゴ・ソロゴイェン 出演:ドゥニ・メノーシュ マリナ・フォイス ルイス・サエラ ディエゴ・アニード マリー・コロン 2022スペイン・フランス 138分
これも予告編と本編の内容大違い?という感じ。前半は予告編通りでスペイン・バスク地方に移住したフランス人夫婦の暮らしぶりとなにかと難癖をつけてくる隣人兄弟の軋轢。最初にガリシア伝統の馬追?祭りが出てくる。これは野生?の馬を素手で捕まえしるしをつけて野に放つらしいが、要は馬と人の取っ組み合い。
映画前半最後は二人の兄弟に主人公があたかも馬のように組まれつぶされていく場面。後半は突如時間が飛び2年後くらいに夫の消えた森の地図にしるしをつけながら一人捜索をする妻、そしてかつては夫にリードされるかのように従っていた(寄り添ってた?)農業や、羊を飼う牧羊にも一人で取り組んでいく姿が寂しいが力強い。
隣の兄弟にはもちろん疑いは持っているのだが、相手もこっちも触れず触らずという感じで、妻には手伝ってくれたり、作った有機野菜を買ってくれる地元民もいて、最初の夫と村民の軋轢ー村に風車を導入し補償金を手に入れるのに夫は反対していたーはどこに行ったやら、隣人たちも特に補償金を手に入れた様子もなく同じような暮らしをしている。
訪ねてきた娘は母を夫の意見に従っているだけで精神的にも問題があるとしてひどく糾弾し、一緒に街に行って住もうと誘うが妻は頑として頷くことはなく、村が理想郷であるかどうかよりも妻自身の生き方というかジェンダー映画の様相を示してくるようで、ものすごく吸引力はあるのだが、テーマ的には前半と後半が分離した感じで???やがて夫がいつも隣人を盗撮していたビデオカメラが見つかり、夫の遺体が…というところで妻が隣人兄弟の母に向かって「あなたもこれからは私と同じく孤独に生きるのだ」とわざわざ言いに行くのもやはりジェンダー映画のすごさと思えてならない。
宣伝にあるようなミステリーという感じは全然しなかった…東京国際映画祭では『ザ・ビースト』という題名で上映。グランプリのほか主演男優賞、監督署などを受賞している。(12月28日 川崎市アートセンターアルテリオ映像館378)
書きました!
『〈おばあさん語〉とその話者ー〈役割語〉世界にみる女性のことばの変遷ー』
研究誌『ことば』44号3p-20p 現代日本語研究会 (J-Stage登載)
12月31日にJ-Stageに登載されましたので、どなたでもご覧になれると思います。どうぞよろしくお願いいたします。
『よりぬき【中国語圏】映画日記』(TH97号アトリエサード 2024・2発行予定)
実はホラー苦手の私ですが③は「取材」のつもりで見に行きました。この映画を含めて、連載の『よりぬき【中国語圏】映画日記には、「香港を「終の棲家」として生きていく」という題名で、『香港の流れ者たち』(2021ジュン・リー)『星くずの片隅で』(2022ラム・サム)『七月に帰る』(2023ネイト・キー)『白日青春』(2022劉國瑞)『離れていても』(2023サーシャ・チョク)などについて書きました。2月発売になると思いますのでまた、ご紹介したいと思います。
『「男ことば」とジェンダー意識―その歴史と変容ー』(『日本語学』明治書院 2024・3発行予定)
冬休みに校正をしているところ。どうぞお楽しみに(笑)!
それでは、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
新しい年の皆様のご健康・ご多幸、それと世界の戦争がおさまって平和になることを強く願っています。
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