【勝手気ままに映画日記】2022年12月

 

年末・やっとくっきり富士山に再会!(12月25日十二ヶ岳から)

今年も元気に過ごすことができました!

12月の山歩き(写真はそれぞれに日にちのあたりに)

12月10日  中央線・酒折→月見山→八人山(572m)→深草山(906m)→大蔵経寺山(715m)→中央線・石和     10.6Km 6h35m 17300歩

石和駅前にそびえる大蔵経寺山は、前に登ったことがあるが、今回は酒折からの地図にロードが出ていなようなコースも含め縦走10キロ以上。里に近い山だけれどけっこう歩きがいもあり(落葉と石ゴロゴロ)楽しく登りました。天気も良くて石和の眺望抜群、富士山もまあまあ(位置的にいつも逆光ですが…)

12月17日  中央線・相模湖→(バス)→千良木→小仏城山(670m)→高尾山(599m)→(6号〜稲荷路)→高尾山口(極楽温泉)  8.3Km 4h21m 15000歩

11月末に歩いたコースと逆に、相模湖側から登る単独行。朝8時半から歩き始めたが、土曜日なのにすれ違いはもちろん、同方向に登る人も1人だけ。城山には数人、その後はどんどん人が増え、高尾山頂上は例のごとくの賑わいだった。薄曇りで富士山には残念ながら会えず。

12月25日  西湖・桑留尾登山口→十二ヶ岳(1683m)→(往路下山)→桑留尾登山口
4.8㎞ 5h13m 13500歩

歩く距離は短いが、十二が岳は三角に尖ったピラピッド型で頂上近くは岩場の急斜面。今回はヘルメット着用、ロープを張ってカラビナかけ替え練習もあるツアー登山でした。アイゼンも持って行きましたが幸いにも使うほどには雪は残っていず、晴天で富士山もくっきり、満足の、今年最後29回目の山歩きでした。 

12月の映画


①ドライビング・バニー ②奈落のマイホーム ③あの旗を撃てコレドヒールの最後 ④アルジェの戦い ⑤ブリキの太鼓 ➅半島の春⑦ミセス・ハリス パリへ行く➇ラーゲリより愛を込めて⑨ワンダ⑩セイント・フランシス⑪あのこと⑫狼と羊⑬ケイコ、目を澄ませて⑭不屈⑮Dr.コト-診療所⑯目の見えない白鳥さん、アートを見にいく⑰標的⑱ジンバブエのソムリエたち⑲「望郷」――未認定中国残留孤児 郜鳳琴の物語⑳待ちのぞむ㉑そしてイスラの土となる〜日系キューバ移民の記録㉒小さなアコーディオン弾き㉓こちらあみ子㉔右肩の天使㉕子猫をお願い 4Kリマスター版㉖藍色愛情㉗ディーバ デジタル・リマスター版㉘風景(第1部始まりの終わり・第2部終わりの始まり)㉙香港の流れ者たち(濁水漂流)㉚コロナ変奏曲(動態ローリング)㉛注目新人女性監督特集㉜叔叔㉝少年たちの時代革命前夜㉞南の海からの歌㉟月の満ち欠け

今月も見た!35本(実は短編オムニバスが含まれているので、短いものまで入れると40本以上…)以下4つの「映画祭」もあって、ひたすらに渋谷に通ったという感じです。
●現役日藝生による映画祭2022「領土と戦争」③④⑤⑥
●中央アジア今昔映画祭2022 ⑫⑭㉒㉔㉞
●東京ドキュメンタリー映画祭2022 ⑯⑰⑲⑳㉑
●香港映画祭2022 ㉘㉙㉚㉛㉜㉝

日本映画③➇⑬⑮⑯⑰⑲㉑㉓
中国語映画⑲㉖ 韓国映画②➅㉕
例によって★なるほど! ★★いいね! ★★★おすすめ! あくまでもマイ好みで。末尾は今年映画館で見た通し番号です。300本を越えましたが、ちょっと映画の見方がヘたになったかな?雑になったかな?という反省も。来年は気を取り直し、丁寧に見たいと思っています。 


①ドライビング・バニー
監督:ゲイソン・サヴァット 出演:エシー・デイヴィス トーマシン・マッケンジー 2021ニュージーランド ★

40歳のバニーは、子どもをDV夫から守るために殺した罪で服役し出所したが、今や子どもたち(ティーンエイジャーの兄と幼い妹)は里親に引き取られ、児童福祉局は、決められた面会日の短時間しか彼女と子どもを会わせない。家もなく妹の家に居候し、仕事もなく違法の洗車・窓ふきでチップをもらって貯めながら、住処を見つけて子どもたちを引き取ろうと頑張っているバニーだが、ある日(実は娘の誕生日が間近でバニーはそのためにプレゼントを用意し、娘の望むプールに連れて行き、妹宅のガレージを借りて子どもと一緒に住もうと頑張っているとき)妹の娘トーニャが継父(妹の夫)に車の中に連れ込まれいたずらされる現場を見てしまい、ブチ切れて、妹の夫に家を追い出されてしまう。そして「違法に」里親の家を訪れたことにより、子どもたちもバニーには知らされず他の家に移されてしまう。
バニーは継父に虐待されるトーニャを助け出し、継父の車を奪って、誕生プレゼントやケーキ(助けてくれた一家からちょっとの工夫と偶然で持ち出す)を抱えて子ども探しの旅に…。トーニャも、継父のみならず、彼に気を使い自分の言い分を聞いてくれない母に怒り、バーニャとともに…。
子どもたちが移った町の児童福祉局に乗り込んだバニーがとった行動がこの映画のメイン場面になる。経歴や見かけの貧しさとかから子の親にはふさわしくないと判定する役所の冷たさを前半たっぷり見せて、バニーの違法行為が観客には納得できるように見せるとともに、そこにいかめしい顔つきの役所の担当者がほだされていくような、そしてバニーののぞんだような結末にはならないが、それなりにバニー(やトーニャ)にも見る側にとってもまあ、納得という結末に持って行くまでが、ハラハラさせつつも後味の良い、ちょっと元気ももらえるような作りの映画。南半球の映画なので、「北向きの日当たりのいい部屋」になるのだなというのがちょっと新発見(あたりまえだけど)(12月1日 川崎市アートセンターアルテリオ映像館 288)

②奈落のマイホーム
監督:キム・ジフン 出演:チャ・スンウォン キム・ソンギュン イ・グァンス キム・ヘジュン 2021韓国114分


いやぁ!さすがに韓国映画の職人芸的なうまさを感じさせる…。11年節約生活ののち、3LDKのマンションを購入して引っ越してきたドンゥオン夫婦と幼い一人息子。引っ越しの日は大雨で、しかもマンション前に駐車した隣人の車がなかなか移動せず、その持ち主と口論になるというようなことで新居を得た幸せに影が差すというような描き方もなかなか。そしてこの胡散臭げな隣人が、ジムのトレーナーであったり写真館の店主であったり、代行タクシーの運転手として彼を翻弄していくさまも。この隣人、しかし、水が出ないマンションの状況を調べて各部屋を回ったり、意外に気が回る人物としても描かれ、それが後の展開に大きくかかわってくる。そして部屋で息子が転がしたビー玉が部屋の隅に転がっていく?職場でもなんか訳ありな部下たち…。
彼らにいわば煽てられるような感じで計画した新居祝いの翌朝、突然に起きたシンクホールで、マンションは崩落して500mの地下に沈む。ドンゥオンと昨夜酔いつぶれて泊まった二人の部下、そして隣人、その息子、ドンゥオンの息子、同じマンションの住人である老女と孫ソンウォンそんなメンバーがそれぞれに地下に落ちるがまあ、ほとんどの人が怪我もなく、生き延びるというのは徐々にぐずぐずと落ちるからということなのかもしれないが嘘っぽいが、ま、これは仕方がない。あとは500mの地下、崩落や浸水がそのたびに怒るというような場所で、いかにサバイバルするかというハラハラ展開のディザスター・パニックの一語に尽きるが、あまり一人一人が英雄的な働きをするというふうには描かれないが普通の人が頑張って運の良さもあってなんとか助かるーもっとも最後の500mの穴を埋め尽くす浸水とそこをなぜか見つけた大タンクに乗って助かる面々、その蓋を締めるために外に残るも500mタンクとともに浮かび上がって助かる隣人というのは、これはまあ英雄的に描かれなければ描かれないほど嘘っぽいということになるんだろうが…。
シンクホールは実際に起こっていることでもあるし、そういう意味では私の隣にも起こりそうな設定というのはやはりちょっと怖く、ハラハラしつつ楽しみはするがウーンという感じかな…。あまり見るつもりもなかったが、用事で行った立川で、これがまあ、時間的に合ってみてもいいかなと思った1本だったので。(12月2日 立川キノシネマ 289)

③あの旗を撃て―コレドヒールの最後
監督:阿部豊 出演:大川平八郎 河津清三郎 大河内伝次郎 藤田進 フェルナンド・ポー ジョニー・アプリル 1944日本 モノクロ35m108分

1941年日本軍のフィリピン侵攻の時代を描く。最初は米軍に入隊するフィリピン人家族の若者たちの親や恋人との別れの模様から。そして米軍戦車の行軍を見に行き、戦車にひかれて足にけがをし歩けなくなる一家の弟トニーの登場。彼とひょんなことから親しくなり面倒を見て、フィリピンではできない足の手術を軍医に頼んでしてもらうという日本兵の現地人に対する優しさや親近感の強調。一方米軍に参加した兄たちはひどい差別的な扱いを受け、命を落とすものもあるというような場面が繋げられ、最後はコレド―ヒールで日本軍が米軍に完膚なきまでに勝利するという展開。
この映画フィリピン映画局の協力も得、フィリピンでも公開されたとのことで、フィリピン人(多分アメリカ兵もフィリピンの人々が演じている?)がたくさん出演、米軍が残した戦車なども使って現地ロケで戦闘場面まで撮ったらしい。まだ戦争を意気揚々遂行していた当時の日本のプロバガンダ映画なのだが…。言語もタガログ語・英語・日本語とリアリティがある―日本側が米軍と話すシーンもアメリカ側はもちろん英語、日本側は通訳付きというのもなんかなあ??日本は強い、勝っているというコンセプトから見るとちょっとナサケないリアリティ。今の目で見るとナニコレ?ということももちろんあるが、人情ドラマも絡めて日本軍の「人間性」と「勇気」を描いて、当時の人々の目で見るとやはり、感激してしまったのだろうと思われる。この映画「現役日藝生による映画祭」の12年目の上映。若い学生たちの意欲的な選択眼に感謝というところ。(12月7日渋谷ユーロスペース 現役日藝生による映画祭2022「領土と戦争」290)





④アルジェの戦い
監督:ジョロ・ポンテコルヴァ 出演:ジョン・マルタン  ヤセフ・サーディ ブラギム・ハギアグ 1966イタリア・アルジェリア モノクロ35m121分


ベネチア金獅子賞受賞作品。さすがのイタリア・ネオリアリスモの系統?モノクロだが迫力のあるクローズアップやカメラアングルの妙、そこにかぶさる音楽の変化も含めた効果など目が離せない吸引力。内容は130年のフランス支配からの独立を図った1956年〜62年のアルジェリア戦争を題材にしているが、要は特に前半はムスリムのFNL(アルジェリア民族解放戦線)が警官や要人?などを撃ち殺し、中盤からは女性たちが買い物かごに入れて運ぶ爆弾テロ(と慌てふためくフランス側の警察)そしてカスバを舞台にフランスから派遣されてきたマチュー中佐と、FNLの攻防という感じで、要はテロリスト跋扈する映画なのである。
最後に残ったFNLの中核アリ(もとは非行少年?だったという前歴が映画の最初の方で描かれる)らはマチューの指揮による爆破で(多分)命を落とし、それから2年後に全国的な示威行動のもとでアルジェリアは解放されたと言描き方なのだが、ウーン、これってどうなんだ?今の「テロ」に対する見方とこの時代の「テロ」に対する見方は大きく変化しているように感じた。(12月7日 渋谷ユーロスペース 現役日藝生による映画祭2022「領土と戦争」291)

⑤ブリキの太鼓
監督:フォルカー・シュレンドルフ 出演:ダーフィット・ペンネント マリオ・アドルフ アンゲラ・ウィングラー ダニエル・オルブリフスキー シャルル・アズナブール オットー・サンダー 1979西ドイツ・フランス 142分 ★★

観た記憶はあるのだが、多分DVD(いや当時はビデオテープ?)だったのだと思う。劇場大画面で見るのは初めてだったが、やはりビデオではわからない画面の妙というものが印象的。言わずと知れたノーベル賞作家ギュンター・グラスの代表作だが、のちにヒトラー・ユーゲントに属したこともあると告白して話題になったグラスの、ある意味ではモデルのような、なぜそういう行為をしたのかがわかるような人々の群像劇という感じだった。
グラス自身が生まれ育ったダンツィヒ(現ポーランド・グダニスク)はポーランドとドイツの狭間に会って民族的にもポーランド人、ドイツ人、そして映画の主人公オスカルの祖母のようなカシュバイ(カシューブ)人も住み、またもちろんユダヤ人もいて、従来はその人々が婚姻して家族を作るというような民族混淆も行われていた土地柄だそう。そこでポーランド系祖父・カシュバイ人の祖母に生まれたいわばポーランド系の母が、ドイツ人と結婚して(いっぽうポーランド人の恋人も持ちつつ)生まれたのが主人公オスカルで、彼がおとなの様子に失望して3歳で成長を止め太鼓をたたき奇声を発してガラスを打ち砕くという特技を身につけて生きる21歳までの街の人々のできごとがオスカル視線で描かれていくわけだが、メタファーとも幻想ともつかぬ奇妙な事件(祖母と祖父の出会い・母の情事と父の受け入れ、海から吊り上げられた馬の首から出てきたウナギをきっかけとする母の鬱・魚食いから自殺までとか、祖母が家に連れてきた少女とオスカル、父の三角関係?、父のナチスへの傾倒、オスカルの太鼓を供給してくれるユダヤ人のおもちゃ屋=シャルル・アズナブールが演じている、またオットー・サンダー演じるラッパ吹きの度重なる変節的演奏)などなど。
オスカル自身もサーカスで出会った小人芸人の集団と一緒にのちにナチス・ドイツ軍の慰問に参加したりしている。ということで普通の人々が政治の変化や世の動乱の中でそれを乗り越えつつ変節もしていく姿が印象的。物語的な興味もだが画面のうまさ、役者の多様性(オスカル少年も、小人たちも含め)とキャスティングのぜいたくさに飽きることのない142分だが、さらに20分長いディレクターズ・カット版もあり、そちらでは成長を始めたオスカルのその後やユダヤ人に対する迫害の返礼的な事件なども描かれているらしく、ちょっと見てみたいなあとも思える。日大ドイツ文学の渋谷哲也氏のトーク有。以上に書いた情報の一部も含め面白く聞いた。

(12月7日 渋谷ユーロスペース 現役日藝生による映画祭2022「領土と戦争」292)


➅半島の春
監督:李炳逸 出演:キム・イルへ(金一海) キム・ソヨン(金素英)ソ・ウォルヨン(徐月影)ペク・ラン(白蘭)キム・ハン(金漢) 1941日本(植民地化朝鮮)モノクロ35m→デジタル  84分

日本の植民地時代の朝鮮でこんな映画がつくられていたのだという驚き。「日本」映画なので、タイトルその他は日本語、ハングルは1字も出てくることなく人名もすべて漢字表記、映画の中で撮影されている作品は『春香伝』でセリフは朝鮮語だが、監督の李炳逸と同じく多分日本帰りの監督の映画製作での指示言語は日本語。映画内では朝鮮語と日本語のセリフが入り乱れる?が、朝鮮語部分にのみ日本語の字幕が焼入れてある、ということはこの映画日本国内向け?いやいや、教育成果によって朝鮮人は日本語はわかるべきだという政治的意図による字幕つけだったのか…。日本統治下での朝鮮での映画作りの話で、資金不足、主演女優の反抗と新人との差し替え、二人の女優の主人公の脚本家ヨンイルに対する愛情(男の方は全然どちらを愛するだけでもなく、ただし受身に愛を受け容れという…)主人公は資金不足の映画を助けるために音楽家に払うべきだった公金を横領し罪に問われる。それを助けるのが反抗してクビになった元主演女優アンナで(怒った監督がアンナをひっぱたくという恐るべきシーンもある)、彼女が金を返したことにより釈放され前科もつかなかったヨンイルはしかし病に倒れアンナの献身的な漢語を受ける。一方の映画の方は新設されたパンド(半島)映画社の傘下に入り資金も得て新人女優貞喜の主演で完成し公開の日を迎える。その場に行方不明になっていたヨンイルとアンナが連れ立って現れ、ヨンイルを愛していた貞喜はショックを受け、公開前座の歌を歌った後倒れる。病床の貞喜を見舞ったアンナは「自らはヨンイルにふさわしくない」と身をひき、貞喜と結ばれたヨンイルは日本の映画視察のために二人で旅立つという男のバカさ加減狡さ全開というなんとも脳天気な幕切れ…しかしカメラは残って見送る監督のクローズアップで終わり、この後朝鮮半島がたどった道筋を考えると決してシアワセとも脳天気とも言えないのかも…。映画では概ねフォーマルな場や教養のある男性どうしの会話は日本語、日常的な雑談のような場面は朝鮮語だが、面白いのは純情な(ヨンイルに対して何ら働きかけはしない)若く、美しいヒロインの貞喜は概ね朝鮮語、一方日本帰りでダンサーをしていたという触れ込みのモダンガール風風俗の敵役アンナ(でもヨンイルに対しては無私の献身をするんだけれどねえ)は日本語セリフが多いということ。ジェンダー観は相当にひどいわけだが、その場合悪く描かれる方は日本語、無垢なヒロインは朝鮮語というのは表には出せないひそかなる日本に対する反抗・反発というようなものを込めているのかもしれない。この映画、2005年中国電影資料館で発見され現在は韓国映像資料院に所蔵されている。DVDも出ているらしいが、調べてみるとYouTubeで無料配信もされているよう。 
http://www.youtube.com/watch?v=T0MiZnCvb7s&feature=player_detailpag
(12月8日 渋谷ユーロスペース 現役日藝生による映画祭2022「領土と戦争」293)

⑦ミセス・ハリス パリへ行く
監督:アンソニー・ファビアン 出演:レスリー・マンヴィル イザベル・ユベール ランベール・ウィルソン アルバ・バチスタ リュカ・ブラボー エレン・トーマス ジェイソン・アイザックス 2022イギリス(英語・フランス語)114分 ★★

ポール・ギャリコの原作の映画化、その大筋は原作を踏襲していながら登場人物やその人間関係などはきわめて現代的な描かれ方で、そうでなければ1950年代のギャリコ作品が今に生き返ることはなかったのかもとも思われる。
1957年、ロンドンで家政婦というより掃除婦としていくつかの家庭を回って生計を立てているハリス夫人(きちんと?コックニー訛りの英語をしゃべっているが、元の翻訳小説のハリス夫人のように「~かね」「~だよ・ね」というような「オバサンことば」をしゃべるオバサン風でなく、もう少しおしゃれでかわいい雰囲気)。夫は戦争に行ったまま長く行方不明だったが、映画のはじめの方で戦死が知らされる。
彼女が雇い主の家で見たディオールのドレスの美しさ。あこがれたハリス夫人は500ポンドのドレスを手に入れたいと、なんとか資金を作りパリに行く。ディオールの店はファッションショーが始まるところで、支配人のコルベール(イザベル・ユペールがなかなかはまり役・原作とは最も違った描かれ方で、原作では夫の出世のために侯爵の力を得て喜ぶが、映画では病身の夫を支えるというふうに設定。それゆえに自分の得たディオールでの地位は大事で、伝統を守ってハリスのようなよそ者を排除しようとするのも原作とは大違いだが、これがむしろ後半の彼女の行動に厚みを与え説得力を持つ)はハリス夫人を追い出そうとするが、なぜか、会計士(原作では顔に戦争の傷跡がある男、映画ではイブ・サンローランそっくりに作っていて、ディオールの店にオート・クチュールから新しい既製服への道を提案する新星として描かれる)とか、モデル(このモデルも原作では性格は地味で専業主婦を夢見る人物だが、映画では哲学を学びたいと自分の道を選ぼうとする人物)とか、縫製担当のトップ?とかはハリスに優しく―これがこの映画の描き方だと思われる。
親切なシャサーニュ侯爵がパートナーにしてくれてファッションショーに入ったハリス夫人はお気に入りのドレスを見つける、が1点もののそのドレス、セレブを気取った別の客(相場師の妻で後で破産してドレスを買うことができない)に奪われ、それでも二番目に気に入ったグリーンのドレスを持参の現金で注文することに成功する。ハリスは単に場違いな夢を見る女性というより、ディオールの店にもたくさんいる労働者というか働き手に共感し、またその共感を得るような生き方をする女性として描かれているのである。すばらしいドレスを手にする(当時のディオールでは特権階級の顧客だけに特注のドレスを提供していて、そういう行き方には限界も見えているという描かれている)喜びを描くだけでなく、むしろその過程で貧しい働き手たちや、商品をもっと一般の人に手にわたるものとしたいと思っているような人々つながり、最後にはストの先導(扇動でもある)さえもして、たくさんの仲間とつながるような人物として描いているところが社会派映画なのだが、とてもソフトで軽やかそれでいて芯が通っていて、なかなか素敵な映画。
原作では単にハリスの人柄がコルベールはじめディオール人々に気に入られ他という描き方で新しいドレスは手に入らず、ハリス夫人が手に入れるのは花!という結末だが、こちらは、最後にロンドンに戻って仕事に戻った彼女が軍人クラブでのダンスパーティで赤いドレスを着て踊る姿がとってもかわいくステキな幕切れでシアワセにもなる(ネタバレ失礼!)(12月9日 立川キノシネマ 294)
12・10大蔵経寺山縦走コース



眺望も抜群で楽しめました。

➇ラーゲリより愛を込めて
監督:瀬々敬久 出演:二宮和也 松坂桃李 中島健人 桐谷健太 安田顕 北川景子 2022日本 133分 

実話に基づく辺見じゅんの原作『収容所から来た遺書』の映画化だそうで、終戦後のシベリアのラーゲリに収容された前半は兵士、後半にいたって帰国(ダモイ)から取り残され政治犯として長期の収容所暮らし(日ソ国交回復の戦後11年に及ぶ)を迫られた人々の中で、冤罪的にスパイ容疑を着せられて収容されたが、どんな状況でも希望を失わず周りの人々を励まし支えた山本旗男という人物のラーゲリでの生き方と死までを、むしろその周辺人物(4人の同監者、この設定が映画としてはなかなかうまい)の心情や意識(とその変化)を中心に描き、山本の病死後その遺書を4つに分け(全体統括・母への遺書・子供への遺書・妻への遺書をそれぞれ母を喪った男が母への、若い足の悪い漁師がなぜか収容され山本に支えられ文字を教えてもらって生き抜く、その男が子どもたちへ、妻を空襲で失った男が妻へ、というような配分のしかたがいかにも映画ドラマ的なのだが、さすが)文字化したものを携えて留守宅にやってくるというのが、なるほどの題名でもあり、感動的に描かれているのだが…。
この映画収容所の暮らしの厳しさはまあ描けているように思うが、そこではソ連はあくまでも「悪」としてしか描かれず、今なぜこういう映画ができるのかと考えるとそういう形で、ウクライナ侵略をして世界の悪的存在になっているプーチン・ロシアを間接的に批判している?のかなとも思われ、そういう形での批判のしかた―日本人の中にロシア=悪という感情を定着させるような―は、むしろ危険なのではないかという気もするし、その中でなにより、満州にいた彼らがソ連にとらえられシベリア送りになるその前の満州侵略(山本一家のハルビン―新京の暮らしがとても豊かなおしゃれな雰囲気で描かれる)が不問になってしまうのではないかという怖さも感じさせられたのだった。今を時めく役者たちが顔を並べれば並べるほど…(12月12日 府中TOHOシネマズ 295) 

⑨ワンダ
監督:バーバラ・ローダン 出演:バーバラ・ローダン マイケル・ヒギンズ   1970米 103分 35m修復版

当時としてはそれまでに描かれなかったようなヒロイン像だったのかなとは思う。ま、夫にも子どもにも縛られず自分の思うがまま?とも思えないー要は金もなく仕事もなく済む場所もなく流されて、案外ふてぶてしくも男にまつわり食い込みつつ犯罪の片棒を担ぐことになるも、相棒は銀行強盗に失敗して死に、車のトラブルで足止めを食ってヒロインは生き残るというわけで、なんかなあ。でも多分ほんとにそれ以前そんな生き方は女性の生き方としても経済的な社会状況から言ってもあり得ない世界を描いたということなのかな、50年たち監督は長編これ1作、というような状況であるにもかかわらず有名な映画人たちから非常に支持されているということで見たが、なんか疲れた。ベネチア映画祭外国語映画賞も受賞しているのだが…。(12月13日 下高井戸シネマ296)

⑩セイント・フランシス
監督:アレックス・トンプソン 脚本:ケリー・オサリヴァン 出演:ケリー・オサリヴァン ラモナ・エディス・ウィリアムズ チャーリン・アルヴァレス マックス・リブシッツ リリー・モジェク 2019米 101分

ヒロインは大学中退、レストランの給仕をしているが、夏の間のナニーの仕事を探すも断られるというのが出だし。主演のケリー・オサリヴァン自らが脚本を書き、公私のパートナーが監督をしたというこの映画のヒロインは作者そのものではないだろうが、作者・演者の感情や感覚をかなり忠実に反映しているのだろうと思われる。で、ま、わりとふわふわと生きつつ、6歳の少女のナニーになり、その二人の母であるレズビアン夫婦の一人は外で働き一人は家で産後鬱に見舞われながら孤独に育児(少女の弟)を育てるというような状況に直面しつつ、自らは34歳で親に皮肉られながら。26歳のボーイフレンドとの間で妊娠し、中絶し、その後の不調で不正出血?というようなかなりなまなましい生理的な状況が描かれる、ということ性や生理が作者のやはり最大の関心事ということなのかと思われる。ただヒロインが自らの中絶や出血―体調に案外無頓着に見えるのが??。クライマックスは乳児の母マヤが屋外で授乳をしようとして、他の母親に非難され、ヒロイン・ブリジッドがそれに立ち向かい、マヤも毅然とした姿を見せつつ非難した母親との連帯調和も試みるというところだろうか。予告編などではブリジッドの成長譚みたいな語られ方もするが、ウーンどうなんだろう。そういう感じはあまりなく、むしろあるがままを貫き通すブリジッドの姿を描いている??それはそれでいいのかなと思う。(12月14日下高井戸シネマ297)

⑪あのこと
監督:オードレイ・ディヴァン 原作:アニー・エルノー「事件」 出演:アナマリア・ヴァルトロメイ サンドリーヌ・ボネール 2021フランス ビスタ100分                                                            


原作者はノーベル賞作家(とはいえこの「事件」はわりと冷たく?評価されたとも聞くが…まあ、そうだろうなあ)、ベネチア映画祭では満場一致の金獅子賞受賞だそうだが、ある種の宗教団体の、またはカトリックの人々から見ればトンでもない―ま、だからヒロインは苦悩するのでもあろうが…映画かもしれない。
貧しい労働者階級’というかいやでも店は閉められないという小さなカフェを営む両親の子として前途を期待された大学生アンヌの予期せぬ妊娠とその後12週。1960年代のフランスでは中絶は違法で、したがって医師は法律違反はできないと冷たく、相手の男は他人事で、妊娠中だから妊娠の怖れはないと言い寄る男も。寮住まいの彼女の学友たちも妊娠と知ると自分は関係ないとばかりの態度をとりということで、12週間一人で追い詰められていく彼女の不安と恐怖は予想外ではないが臨場感を持って迫ってくる。その解決も友人の中に、他人事ではないと理解を示し援助してくれるものもあらわれるが、アンヌ、あくまでも独立した自分を維持するための踏ん張りをするところが、さすが。しかし、小さめのビスタ画面に閉じ込められての大写しの表情変化、自身で体内に編針を差し込むシーンや、違法中絶やその結果の流産シーンとか、その他も含め下半身裸の血まみれシーンの連続(というほどでもないか)演じる女優のすさまじい苦労がしのばれる力作であったのは確か。彼女はこの作品でセザール賞を受賞したという。さもありなん。(12月15日 渋谷文化村ル。シネマ 298)

⑫狼と羊
監督:シャフルバヌ・サダト 出演:セディカ クドラッド アミナ サハル 2016デンマーク・フランス・スェーデン・アフガニスタン(ダリ語)86分 ★★


アフガニスタンの山の村。少年・少女は牧童として村のヒツジの世話をするが、遊びも会話も男女別々。男の子たちは石投げに興じ、女の子たちはオバサンそのものの噂話。そんな中で父を失い(映画はその埋葬場面から)母は2人の妻を持つ男と再婚してしまい、行き場のなくなった少年クドラッドと、もともと親のいない?出自のわからない少女セディカは孤独なもの同士何となく仲良くなるー石投げにつかう紐の編み方をクドラッドが教え、石投げも教え、また二人で畑の芋を盗んで焼き芋を作るなどのシーンが厳しい自然環境や人間関係のなかでのつかの間の安らぎという感じ。村では狼が羊を襲い、子どもたちは怒られ、羊を失った飼い主は報酬は払わないと怒鳴る。一方狼に殺された羊の肉をみんなで分け合うシーンも…。また男の子たちの遊びの中で石が当たって片目が失明する少年がいたり、その賠償は羊では足りぬ雄牛をとかいう父親と仲裁役の話し合いなどもあって厳しい状況の中での経済的なせめぎあいもこの村にはあることがわかる。一人の男の複数の妻たちも互いにののしり合いながら共同で食事作りや、牛の糞で燃料作りをしたりするというような、映画全体では群像劇的な様相でドキュメンタリーっぽく作っている。裸の女が無人の(夜―明け方?)の村の中を歩くシーンが唐突なのだが、クドラッドの遠くに住む継姉が村に戻り、彼と幼い弟は引き取られて村を去る。そして最後は「武装集団」が村を襲うという報に、村人たちが荷物をまとめて逃げ出すシーンで、厳しい現実が描かれつつ救いもないのだが、見ごたえはあった。エンドロールでの出演者名はすべて役名なので、やはりある種のドキュメンタリー的な撮り方をしたのかとも思われる。
昨年の中央アジア今昔映画祭で見損なった『カブールの孤児院』の前日譚だそうで、今更ながら1年前を見ておきたかったと悔やむ。(12月15日 渋谷ユーロスペース 中央アジア今昔映画祭2022 299)




⑬ケイコ、目を澄ませて
監督:三宅唱 出演:岸井ゆきの 三浦友和 中島ひろ子 仙道敦子 2022日本99分

この映画を見てそのまま隣のスクリーンに駆け込めば次が始まるという感じにぽっかり空いた時間が合ったので急遽、珍しく窓口でチケットを買って観た1本。この映画の公開を記念して日本映画専門チャンネルでは「三宅唱特集」をやっているほどの話題作なのだが…岸井ゆきのは予想通りというか期待にたがわぬ大熱演ですごいとは思うが意外性がない。耳の聞こえないボクサーの彼女の(あまり実りのない)奮闘ぶりに少々疲れるほど。彼女を指導するが病に倒れジムを閉めることになる会長役の三浦友和の存在感を(失礼だが)見直す。三浦友和と言えば若い時は公私にわたる山口百恵の相手役というイメージで、中年になってそこから脱皮するもなんか役柄の固定的なイメージが災いしたのか割合きちんとした医者とか弁護士とかみたいな知的職業人っぽい役柄か、そこからドロップアウトした浮浪者みたいなちょっとエキセントリックなタイプの、しかも主役でもわき役でもない二番手(相手役)みたいなのが多かった気がするが、この映画でも相手役と言っていいかもしれないが、個人としてドラマのある男、老いた男を演じて、ちょっと今迄の役柄とは違った吸引力を醸し出しているように思える。(12月16日 渋谷ユーロスペース 300)

⑭不屈
監督:ラシド・マリコフ  出演:カリム・ミルハディエム セイドウラ・モルダハノフ 2018ウズベキスタン 78分 ★★★


1980年代のウズベキスタン。70年代末のソ連アフガニスタン侵攻に兵士として参加したウズベキスタン人(当時はウズベク共和国でソ連の一部だった。それに何しろウズベクとアフガンは隣り合っている)が主人公。今は体育教師として学校に勤め、妻(母)の死をめぐって確執のある息子とは離れて一人暮らしで、孫にもなかなか会わせてもらえず、愛犬ランボーとともに住む。なんかすごいいかめしい顔つきの人好きのしない風貌の男なのだが、時どき彼の隣に軍服姿の幽霊が現れ(映画ならではの表現を生かしている)彼と会話を交わし消えるのが、過去の戦場での事件につながるわけである。体調のすぐれない彼は、校長に言われて検診を受けたところ肺がん末期で余命はわからないという宣告をされてしまう。そこからの例の秘密も含め彼の死に向かう人生の後始末ぶりがこの映画の中心の物語になるわけだ。水不足に悩む学校の水道担当者?に校長には内緒で賄賂を贈り(通常は潔白な校長も本人も賄賂などを贈ることは考えられない)、病を心配する校長の同居!の申し出を断り、息子の元に出かけ孫息子を連れ出して、もう一人実は息子が外に作った子ども(彼がずっと援助をしてきたようす)に引き合わせ、戦死した戦友(幽霊だ)の妻を訪ね、家がなくなるという彼女のために自分の家を残す手続きをし、最後にある「元大佐」を訪ねていく。元大佐は彼らと同じ部隊で、戦場でイラン系の武装集団に取り囲まれ生死を迫られた仲だった。そして幽霊になった戦友だけがなくなったといういきさつがあったが、その原因を作り戦友を殺した元大佐を主人公は決して許さない、というわけで最後の復讐劇にハラハラドキドキさせつつ…。乾いた砂漠の中に乾いた孤独な悲しみもや表に出さない優しさというか人柄の良さを感じさせる主人公で、そしてその中にアフガン侵攻への批判も込めたとっても印象に残る忘れがたい1本。(12月16日 渋谷ユーロスペース 中央アジア今昔映画祭2022 301)
相模湖から小仏城山へ
              


紅葉もまだちょっとは…
            


⑮Dr.コト-診療所
監督:中江功 出演:吉岡秀隆 柴咲コウ 髙橋海人 生田絵梨花 小林薫 藤田弓子 時任三郎 大塚寧々 富岡涼  2022日本 134分

テレビドラマ放映から16年、舞台の島も高齢化・過疎化が進み、コト-先生も年を取り、ということでこの先の島の状況決して明るくハッピーとはいかない。映画の中でそれを冷静に指摘するのは東京から来た若い研修医判斗(なんかすごい名前)だが、その正論をねじ伏せ、自らも病を抱えつつコト-は「すべての患者を助ける」と超人的な精神力を発揮するが…そういうアンチリアルを観客に納得させるためにこの映画には「小細工」と言ってもいいような様々な「ハッピー」シーンが用意される。まずは16年前のドラマの登場人物たち(同じ役者)のワン場面出演。島で一時看護師として働いたミナ(蒼井優)がコト-の助手(事務担当?)和田の妻となって5人の子を持ち和田との電話映像に1場面出演とか、堺雅人がコト-の診断をするかつてのライバル医師で一場面電話シーンとか、神木隆之介も東京にいて母との電話1場面とか、あえてなくても話は進められそうなシーンを盛り込んでなんと134分の長尺に。極めつけは、台風による土砂災害の被災者診療の修羅場の中で妻・彩佳が切迫流産に倒れ、呼吸停止の老人の蘇生と避難所から勝手に家に戻り心臓発作を起こした助産師の緊急オペを終わったコト-が妻のベッドに倒れ込むシーンの後に続くラストシーン。そこではコトーと彩佳の子どもはよちよちと歩きだしその先には倒れた老人の笑顔、見守る面々は皆幸せそうな面持ち、一度学業が続かず退学し刑事事件にも巻き込まれた剛洋(これも16年ぶりに役者復帰をしたと話題になった富岡涼)が白衣を着て大学の研究室らしいところで実験をしている学業復帰?を思わせるような映像が入ったり、この島の医療体制の不備を指摘し自分は長くはいられないと言っていた判斗が医師として勤務していたり、そしてコトーが子どもを抱き上げる、というような夢とも現実の未来ともつかないようなーどう見るかは観客次第ということだろうかーで閉めていく。テレビドラマのファンだった人々の知識や感情を上手く取り込みうまい作り方だとは思うのだが、ちょっとごまかされた気もした134分だった。(12月17日 府中TOHOシネマズ)

⑯目の見えない白鳥さん、アートを見にいく
監督:三好大輔 川内有緒 出演:白鳥建二 2022日本 107分


全編通して、「目の見えない」ということが特別のことではなく、時間をかければたいていのことはできると穏やかに笑う酒好きで「いい人」ではないと友人?に言われる白鳥さんの柔和な姿と立ち振る舞いに貫かれている。見えないのにアートを見るとは?二人の介助者(ではないのかな、対話者というべきか)がこもごもに語る絵の印象や描写を聞きながら対話をするというのが鑑賞スタイルで、そうすることによりその絵のイメージが頭に浮かぶらしい。また彼は写真家でもあり何万枚もの写真を撮っているというがそれを自分が見ることはないと映画は強調する。なるほどねとは思うのだが、画面自体があまりにもインパクトのない「普通の場面」(でもやっていることは「彼の部屋」をつくり自身がそこにつめて客と対話しながら展示物になるとか、やはり「特別」ではあるような)の連続で、ことばも時に音声ではなくなぜか文字で示され、ウーン、少し眠りに落ちそうになるのをこらえつつ、この題名もやはり「特別」に目を引くし自己矛盾っではないの?と思えてしまった。日曜昼の回満席の東京ドキュメンタリー映画祭の1本。残り僅かの表示に焦って買ってしまったが、関係者で埋まっていたのかも…(12月18日 新宿K’Sシネマ 東京ドキュメンタリー映画祭2022 303)


⑰標的
監督:西嶋真司 出演:植村隆 2021日本 99分 ★★★

1991年韓国の元慰安婦金学順の証言をスクープした朝日新聞記者植村隆は、2014年になってその記事は捏造だとするバッシングにさらされる。当時勤務していた北星学園大学への脅迫や、植村自身の高校生の娘が長崎平和大使に選ばれたことに対して殺害予告をされるなど恐怖・脅威にさらされ、これらを引き起こすもととなった言説を発表したとして櫻井よしこらを提訴、法廷闘争を展開する、その過程を植村や周辺の人々、また対立した櫻井へらのインタヴューも含めて追い、このような状況の裏に、反対する言説を封じることにより「国家」を強化していこうとする当時の安倍晋三政府のとったメディア政策・教育政策があることまでを明らかにし警鐘を鳴らす。
封切最初から気になっていたのだが、なかなか見る機会が得られず、ようやくの今回公開を見る。監督と植村氏自身の挨拶もあって納得・満足の満席鑑賞。植村氏自身も言っていたが、映画に出てくる彼のお嬢さんの、脅迫の恐怖にさらされつつ父に理解を示し、また自身の在り方についても決意をもつ姿勢の凛々しさが印象に残る。本当にますます「戦争をしたい」国に動いていきつつある日本の現実を思い知らされる。西嶋監督はこの映画を作るために福岡放送をやめたそうで、そういう人々の存在の頼もしさも感じる。(12月19日新宿K’Sシネマ東京ドキュメンタリー映画祭2022 304)

上:植村隆氏、下:西嶋監督


⑱ジンバブエのソムリエたち
監督:ワーウィック・ロス  出演:ジョゼフ ティナシィエ バードン マールヴィン ジャン・ヴァンサン ドゥニ・ガレ(JV) 2021オーストラリア(英語・ショナ語・仏語)96分 ★

ジンバブエの4人がワインのテイスティング大会に出場する話(雪のないエジプトチームがスキー大会に出場するようなものということばが出てくる)とだけ聞いて、悲喜こもごものドラマテイストかと思って観に行った(ちょうどこれだけ時間がぴったり合った)ら、意外と堅実?なドキュメンタリーだった。ジンバブエから南アフリカに移住した4人のそれぞれの事情というか、いわば半生が前半では語られ、彼らの南アへの定着の過程とそこからソムリエとしての立場や才能を開花させていったことにまずは敬意を感じる。後半はその4人が、南ア在住の白人コーチ(JV)の支えによってジンバブエチームを結成、フランスの大会参加に旅立つが、旅費がなくてクラウドファンディングで集め、JV自身はこのチームにはつかず南アチームのコーチとして参加、ジンバブエチームにはフランス在住の有名なワイン研究家のドゥニがつくことになり(前金400フラン、終わって400フランとか)大会までの数日両チームはともにワインの産地をめぐったりしながらテイスティングの練習をするわけだが、チーム内よりも二人のコーチの確執が明らかになったり、大会当日もチームの足を引っ張るようなドゥニの困ったぶり(でも自信を持っているからチームにとっては具合が悪い)を通してワイン業界での白人優位や伝統重視(新参者の軽視)が見える仕組みにもなっており、笑わせながら案外難しい問題が陰にあったことも感じさせる真面目な出来栄えというところ。描かれた大会ではチームは下から2番目(最下位がワインの産地でもあるイタリアというのも意味があるのかも??) だが次の大会は14位?かに進出、また登場人物のその後もワンシーンずつ描かれて、これをみると決してずっこけチームではない、才能もある努力家たちの成功物語という感じがする。柔らかな色合いのブルゴーニュのブドウ畑風景が目を楽しませてくれた。(12月19日 新宿シネマカリテ 305)

⑲「望郷」――未認定中国残留孤児 郜鳳琴の物語 
監督:劉聡 2022日本 29分


日本に留学した若い監督の作品。日本人の母によって中国人に預けられた郜鳳琴は80年代母との再会を果たすが、母は父については明かさず、父親不明として郜鳳琴は残留孤児と認定されなかった。中国人の夫と死別した後、70代で同じ残留孤児として日本に帰国していた現在の夫(80代)と再婚して日本への帰国を果たした彼女の生き方・生活や長野の母の故郷への旅を描く。映像としてはインパクトある郜鳳琴の姿に負っている感じで物語はナレーションで語られるが、淡々と、しかしとても真面目に作られているという印象の作品。
(12月20日 新宿K’Sシネマ東京ドキュメンタリー映画祭2022『戦禍の爪あと』306)

⑳待ちのぞむ 
監督:セ・アル・マムン 2021韓国・バングラデシュ 60分 ★


バングラデシュで生まれ、現在は韓国に住むという監督が、韓国の元日本軍慰安婦の女性たちと、1971年バングラデシュの独立戦争当時、パキスタン軍に拉致され強姦されたという「ビランガナ」と呼ばれる性被害者のインタヴューを重ねて、戦争における性被害の責任を問う(問われるのは日本であり、パキスタンであり、また独立後5年で政変続きで人々を顧みなくなったバングラデシュ政府でもあるのだろう)作品。バングラデシュ独立戦争時にこんなことがあったのは、言われて見ればそうだろうとも思うが、よく知らなかった。時を越えても起こる同じようなことが今後ないとは言えないので、二つの時・二つの事件を並べるのは意義あることなのだと思われる力作だった。今回映画祭の短編部門準グランプリを受賞作品。(12月20日 新宿K’Sシネマ東京ドキュメンタリー映画祭2022『戦禍の爪あと』307)

㉑そしてイスラの土となる〜日系キューバ移民の記録
監督:鈴木伊織 2021日本 80分 ★★


1900年代当時のキューバ好景気(砂糖の世界的需要拡大)の中、日本から移民としてわたった1世、5年ほどの景気好調の後の苦しい生活の中での起業や定住、しかし第二次大戦中の敵国民として男だけの3年間の強制収容、さらにキューバ革命の中でそれまでに得た土地などを国家に収容され再び小作民に落ちるというような歴史的変遷の中で、懸命に生き抜いてきた人々を3組の家族(単身の1世も)を中心に描いていく。
日系人会の会長を務めた親子の2世は大使館職員として日本への渡航(帰国?)を果たし両親も彼に伴われて日本への一時帰国を果たしたが、これは稀有な例で、多くの1世は一度も帰国することなく老いていく。その子どもたちが教育を受けて社会的に活躍しながら、両親の移住や日本への思いを理解して追う姿や1世の100歳になるという老人が生涯単身だが老人ホームで穏やかに人気者として暮らしつつ、故郷の中学の校歌を歌う姿など、意外に穏やかな映像でほっとさせられるが、その向こうにある壮絶な人生や、いわば棄民扱いされて来た人生などは察してあまりあり、世界の政変と私たちの生活がつながっていることもつくづく感じさせられ、勉強になった。(12月20日 新宿K’Sシネマ東京ドキュメンタリー映画祭2022 308)

㉒小さなアコーディオン弾き
監督:サティバルディ・ナリィムペトフ 出演:ライハン・アイトコジャノワ パクイトジャン・アルペイソフ ダウレト・タニエフ エドアルド・パク 1994カザフスタン(カザフ語・ロシア語)カラー・モノクロ 87分

第2次大戦直後50年代くらいのカザフスタンの炭鉱町、日本人の捕虜が炭鉱では働いている。少年エスケンの父は日本人捕虜サトウと親しく彼をもてなすーそれがもとで彼は密告され自身が収監されて戻らないことが描かれる。エスケンは10歳くらい?だろうか、後ろに編み込みのしっぽを付けた不思議なヘアスタイルで、大きなアコーディオンを弾きこなし村のダンスパーティの伴奏を務めたりするが、一方母親っ子でなんと昼休み家に駆け戻り母乳を飲む―えーっ、こんなのあり?文化の差?。一方レニングラードから追われてこの村に住み着いたユダヤ人の少年と友だちになり―また、ガキ大将とつるんで歩いて、チャップリン風の歩き方をしたり、『街の灯』を上映する映画館をのぞき見したり、ときに悪ガキと喧嘩、殴られて気絶したりとそんなふうな彼の日常が描かれる。
全編基本はモノクロなのだが特に赤系の色がうっすらと交じるような不思議な色調のカラー場面も挿入される。特に少女と絡むように泳ぐ水中場面の色合いが微妙に美しい。娼婦と交わる大人や、それを見る子供とか、父母の寝室の邪魔をするエスケンとか、なかなかに意味ありげなセックス場面もあったりして、わりとあれこれ盛り込んでいる感じで、これ子どもが主人公だが子供向け?(と解説にあった)当時の社会や世相が少年の生活に反映して入りという意味で社会性を持つ映画ではあり、スターリニズムの密告主義への批判(サトーは日本に帰っていくが父はなかなか帰っては来ない)も声高にではないがきちんと描き込まれているのである。(12月21日 渋谷ユーロスペース 中央アジア今昔映画祭2022 309)

㉓こちらあみ子
監督・脚本:森井勇佑 出演:大沢一菜 井浦新 尾野真千子 2022日本104分


7月公開最初のころに見たが、多分新作としては最後の上映かなと思い、あの切なさを最後にもう一度?と思って見に行く。やはり大沢一菜の演技かリアルかわからない演技のすごさに圧倒されたというところ。しかし「不良」の兄ちゃんも、坊主頭の同級生もノリ君も小学生からちょっと年上まで同じ子が演じているのは、特に兄ちゃんに関してはなかなかすごいぞ。あみ子は小学生の時は年齢相応のリアルだが、中学生になるとぶかぶか制服にハダシ、親に見捨てられ風呂にも入らず制服のまま一日過ごすちっちゃい子(ヘアスタイルもちょっと変わる)という雰囲気が強くなり、年相応に成長できない子という切なさも加わってくるのかな…。原作では中学を出て祖母の家に行くのだが、映画ではさすがそのサイズでは演じられないだろうし、中1の終わり近くで祖母宅への単身引っ越しということになり、となるとこれから祖母宅から田舎の中学に通うのか(学籍はどこかになくてはならないはずだし)そうなると原作とは違ったドラマも生まれそうだな、頑張れあみ子という気にさせられる。ラストの大写し「大丈夫だよ!」が心に残る。(12月22日 下高井戸シネマ 310)

㉔右肩の天使
監督:ジャムシュド・ウスモフ 出演:ウクタモイ・ミヤサロワ マルフ・ブロダリア コワ・チラウブル 2002タジキスタン・スイス・フランス・イタリア(タジク語)89分

最初は家で一人で顔を洗い犬やにわとりに餌を与えるハリマの姿から。そのあと息子のハムロが母危篤の報に家に戻るタクシー相乗り場面。家に戻ると母の枕元に付き添う医師が彼女は後3日の命だという。母は家の塀の扉が両開きではなく、半分の片開きで棺が通らないことを心配しており、ハムロは塀の改造のみならず、建てかけの家の完成を注文3日以内で仕上げることを職人に要求し、一方家の中の家財道具絨毯などを村人に売り払う。要は母が死んで相続したら家を売り払い、自分の借金も払おうというわけなのである。債権者の村長とのあれこれ、訪ねてきた人々に殴られかつ「息子」を置いていかれるハムロ。一方母についていた看護師に言い寄り逃げられるが、村長の思惑?でその看護師はハムロと付き合う?(この過程がイマイチわからないが、要は傍若無人で鼻つまみ者的でありながら、何となく男性的フェロモンを発揮している男でもあるということ?)彼はいつのまにか村の映画館の映写技師になるが、息子に映写機の番をさせアリバイを作らせながら盗みを働いたり、まあそんな状況が描かれるうちに、母は今日自分は死ぬと言い出し、菓子を買って村人たちに配って歩く。そして、孫息子に「右肩・左肩の天使」の逸話を残して言葉通りに死んでいく。最後は村長が家を高く売ってその金を分配し、ハムロは息子とともに街に去る、というわけでウーン。彼の右肩には天使が何を描き込んだのか、左肩には?少なくとも息子への責任は果たしたのか?いや、息子によってハムロが少し変わったとみるべきなのか、ちょっとよくわからないが、ともかくタジキスタンの人々の風習とか、値段交渉とか、インド映画がかかる映画館とか、男女関係とか異文化を感じることができるなかなかに興味深い映画ではあった。ハムロとハリマは監督の実兄・実母が演じているのだとか。監督自身はフランスに住みレア・セドゥ主演の映画『愛のロマンス』(2011)を撮った人だとか。
(12月22日 渋谷ユーロスペース 中央アジア今昔映画祭2022 311)

㉕子猫をお願い 4Kリマスター版
監督:チョン・ジェウン 出演:ぺ・ドゥナ イ・ヨウォン オク・チョン イ・ウンジュン イ・ウンシル  2001韓国 112分


これも確か見ているはずだが、なつかしさと当時の韓国20歳って?という感じでもう一度…。最初の場面、同じ制服を着てキャアキャア騒ぎ皆で写真を撮る仁川の商業高校の女子5人、彼女たちの卒業後1年を描く。コネで入った企業でOL(補助職)をしながら出世?を夢見、そのために着るものや近眼のレザー手術などをするも、大学卒の新人と自分との職場での位置づけを思い知らされていくヘジョ、高校時代彼女と仲の良かったジョンはテキスタイルデザイナーを目指し独学中だが、仕事の方は職場の倒産で失業、祖父母と貧しい暮らしをしながら職探し中で、ヘジョの生き方と相いれず仲たがいする。二人の間にも立ち5人全員の連絡役になってしまうテヒは、家業の手伝い(無報酬)をしながら、ボランティアとして身体障碍のある詩人の口述のタイプ打ちをしている。しかし俗っぽく、家父長の権限を振り回す父や兄弟とも相いれず、詩人にも好意をもつものの応えてもらえずということで鬱屈している。そして二人で明るく完結しているかのような双子のピリュとオンジョ。ジョンが拾った子猫が、彼女たちに起こる事件や感情のやり取りに応じて、ヘジョ〜テヒそして双子へと渡されていく。これが題名の由来。ヘジョはソウルに移るが、5人はヘジョの誕生日をはじめとして、時にソウルで(明洞とか梨泰院とかでなく東大門市場?とかで洋服を見たりして遊んでいるところが、彼女たちの多分田舎者?ぶりとそれにやはり2000年代初頭を感じさせられる)あるいはメンバーの家で集まって飲んだりするわけだが、その中で5人の変化や関係があぶり出されていく映画のうまさ。そして悲哀を感じさせるジョンの境遇(ジョンが帰ると家が崩壊して祖父母が亡くなっていたという場面は20年前に見た時にも印象的だったと思いだす。しかしその後のジョンの哀切的展開は現実的ではないようにも思うが…)とそれを受けとめつつ自らの道を歩みだそうとするテヒとの終幕(双子に預けられる子猫の安心と、それらの話から外れ、ソウルで一人の道を歩むのであろうヘジョの孤独も)に少しホッとするようないい幕切れだと思われる。(12月23日 渋谷ユーロスペース 312)

㉖藍色愛情
監督:建霍起 撮影:趙镭 出演:潘粤明 袁泉 董勇 滕汝駿 王剛 郭暁冬 李佳 2000中国 97分   


『山の郵便配達』に続く霍建起作品で趙镭のカメラアングルの妙は他の霍作品と比べても遜色ないオシャレさなのだが、現代の都市を舞台に刑事と「行為芸術」を志す女優の恋のみならず、さかのぼって20年前の殺人事件も絡む因縁話に話を持って行き、事件は解決されぬまま、ま、ハッピーエンドに強引に着地させるというのはどうなんだろう。しかも解決されないままに血まみれの死体シーンが2回、それを見る刑事の嘔吐シーンも、というのは刺激を狙ったのだろうか、なんともいただけない感じ。若い袁泉の吸引力でもっている感じの映画ではあった。(12月24日 文京区民センター 現代中国映画上映会313)
 

㉗ディーバ デジタル・リマスター版
監督:ジャン=ジャック・ベネックス 出演:フレデリック・アンドレイ ロラン・ベルタン リシャール・ポーランジュ ジェラール・ダルモン ウィルヘルメニア・フェルナンデス 1981フランス 117分

22年1月に亡くなったベネックス監督の追悼上映と銘打っている。ベネックス作品はあまり見ていないが『ベティ・ブルー』の記憶は鮮烈、ということで見に行くが、ウーン。最初は女性が殺されるシーンから。オペラ好きの郵便配達の青年ジュール(は古臭い名前、らしい)と彼が慕うオペラ歌手シンシアの関わり、彼がひそかに録音したシンシアの歌唱テープ(シンシアは決して自分の歌を録音・レコード化しないという設定になっている)と殺された娼婦がジュールの原付の郵便バッグに入れた組織の秘密を暴露するカセットをめぐっての組織に追われるジュールと、助ける謎めいた男とベトナム人娘もからみ、ウーン。なんか話もよくわかないし、意外にセリフで話が進む(フランス映画の常)し、前半は眠気もさして、話がすっ飛んだところもあるようで…。いかにも80年頃の映画で、若い時にみたら違ったかも。なかでオペラ歌手シンシア(ウィルヘルメニア・フェルナンデス)の孤高に飛びぬけた感じの貫禄と美しさが印象に残る。(12月24日 下高井戸シネマ 314)
12・25雪が残る十二ヶ岳

こんな急坂よじ登りも…

左端近くの三角に尖っているのが十二ヶ岳です。勝山SAより





ここから香港映画祭2022、2日間缶詰状態の長丁場



㉘風景(第1部始まりの終わり・第2部終わりの始まり)
監督:リタ・ホイ(許雅舒)出演:パン・ツァンリョン ロー・ジャンイップ(盧鎮業) フィッシュ・リュウ 2016香港 1部99分2部77分 ★★★

2012年第1期のオキュパイ(占拠)運動で逮捕・収監された阿宜(日本語字幕ではミンイー)の収監中の苛立ちや社会から起き去られた絶望、無力感を1本の芯として、恋人の太初(タイチュー)が阿宜の母を訪ねて関係ができていく様子、また映画『洋食醤油」が世に出ることにより自らの価値観が問われて混乱していく醤油会社のオーナー・格言(マキシム)。彼の別れた恋人は香港の失われた香港の歴史を記録すべく高齢者にインタヴューを続けるジャーナリスト(吸引力があるからキャスターに戻れと放送局で言われて辞職する)で、そのインタヴュー映像が映画に適宜差し込まれ効果をもたらしている。大陸から香港に移住した(らしい。広東語に訛りがあると言われると「滑舌が悪いのだ」とごまかしている)李禰(リーレイ)は彼氏の狭い部屋に同居中で、雑貨小物の店の売り子だが、謎の少女と出会う。と、主にこれらの物語が並行して語られながら、そこに2011年から2014年雨傘運動に至る香港の「運動」のドキュメンタリー映像(監督自身が参加して撮影していたものなど)が挿入され、また主に前期の占拠運動などでは占拠する若者たちの討論(これはテーマは与えつつ、出演者に実際に討論してもらい編集したものだそうで、ドキュメンタリー的な臨場感がある)を織り込みながら3時間近い長編群像劇に仕上げていて、人々の暮らしが社会の中にある、と同時に社会の動きとは無関係に営まれてもいる、そのことが社会から置き去りにされているような感じを抱かせると同時に、そこから社会に戻ってっもその社会そのものがもう一つの監獄であるというような入り組んだ状況の無力と絶望が伝わってくるような作品だった。最後に太初がテントの並ぶ占拠の通りから一人人気のない通りに歩いていく長回しシーンはこの映画の意識を象徴しているようだが占拠運動の初期に撮影したものだそうで、監督は出産育児を挟み長年にわたる企画・撮影によりこの映画を関せさせたとのこと。また主演のロー・ジャンイップも実際に占拠運動に参加していたことなどが、監督自身の登壇により語られた。(12月27日 渋谷ユーロライフ 香港映画祭2022 315)
監督リタ・ホイと、映画祭を主催するリム・カーワイのトーク


㉙香港の流れ者たち(濁水漂流)
監督:ジュン・リー(李駿碩) 出演;フランシス・ン(呉鎮宇) ツェー・クワンホウ(謝君豪) ロレッタ・リー(李麗珍)セシリア・チョイ(蔡思韵) 2021香港112分 

刑務所を出たファイ(輝)は深水埗の街角に戻り、そこに住むホームレスと再会合流する。そこに行政機関のホームレス一掃(清掃)の一隊が来てあっという間にホームレスの持ち物(身分証や写真、寝床なども含む)を「ゴミ」として撤去してしまう。これに抵抗反発し、ソーシャルワーカーやボランティアのバックアップも受け、ホームレスたちは当局を訴えることに。という実際に起きた事件をベースに、皿洗いのチャン、彼女と暮らす車椅子の蘭、ベトナムから来、家族は今やノルゥェーにいるというラム爺、そして言葉の不自由な、ハモニカを吹く青年木仔(とファイが名づける)などが描かれ、間でファイの病気なども入り、新人ケースワーカー・ホーの奮闘により、息子とオンラインで面会することができたラム爺(の死まで)そして訴訟が和解示談に持ち込まれ、蘭は公営住宅に入り、木仔は高層マンションの自宅から8年前に失踪した少年であることがわかり自宅に引き取られるというような経緯があってホームレスたちは2000ドルの和解金(但し当局の謝罪はなし)得てホームレスタウン?は解体されるが、それを受け容れられないファイは一人高架下に作った小屋に閉じこもる…そして…(悲劇的?な結末)という、暗い話なのだが、フランシス・ン、ロレッタ・リーのいわば汚れ役をはじめ、早々たる人々が意欲を込めて演じ作った作品ではある。最後に小屋に木仔がファイを訪ねてくるシーンは多分ファイの幻想として描かれているのだと思うが、ことばを自由にしゃべれるようになった木仔に社会の中で「自由」を得ることにより失われた「自由」の存在と、置き去られたファイの孤独を感じる。
         プロデューサー・マニーさんのオンライントーク          (12月27日 渋谷ユーロライフ 香港映画祭2022 316)

㉚コロナ変奏曲(動態ローリング)2022香港108分

(1)共に過ごした日々(同渡)  監督:ロー・ヤンチー(羅恩賜)34分
 厦門生まれのお祖母さん(96歳)は香港に住む娘一家に会いに来て、コロナで足止め、外出もできない日々を過ごし、孫娘のダンサー阿燕が面倒を見ている。二人の日々のやり取りに、ダンス公演で9日間留守にする阿燕の様子やそれを見送る祖母(認知症というより年相応の物忘れ?)の様子など。コロナ禍の不安というより老いた祖母の介護という視点の方が前に出ている感じだが、なかな面白く見た。それにしても孫娘のうるさくしつこくくどいこと。祖母を思う気持ちはわかるが、これでは祖母は鬱陶しいだろうし、しかも自分は思うように体も動かないわけだからつらいよな…。祖母がよたよたとしながらも孫娘にお茶を淹れようとする気持ちなど、すごくよくわかる。
(2)ゴミ箱を探せ(阿才) 監督:チョウ・キンカン(周敬勤)25分 ★★
不器用な青年ティンチョイは短大から大学に進学できずアルバイト暮らし。ある夜バス停で恋人にも突然去られる。その彼が雇い主から託された「縁起が悪いから中を見ず、遠くに捨てよ」と託された箱の捨て場を探して街中をうろうろする話。コロナ禍の下、ゴミ箱が撤去されてしまった街には捨てる場所もなく、その過程でバス停で再会した彼女にはかつての去られた時の状況が明かされるとともに再び振られ、最後に彼がたどり着いた廃棄物置き場?でとうとう箱を開けてしまうと…行ってみれば本映画祭屈指の心和む終わり方の一本で、よくできた童話の味わいあり。
(3)四月の変奏 監督:エリカ・クォック(郭頌儀)30分
コロナ禍で休業することになったエステシャン・コンサンの日常。彼女とかつて付き合いがあり、今は別の女性と結婚しているという男性との再会から、付き合いが深まりそうになるが、彼女が別れを決意するまで。それはこの期間に香港に起きた変化に対する二人のとらえ方感じ方の違いがあらわになることでもある。これは短編だが、この映画祭全体がコロナと政治変化の大きい香港の中での生き方や考え方の違いをとらえるというものが多かったように思われる。
(4)一通目の手紙 監督:ジェイソン・イウ(姚敏堃)20分
映画監督の主人公が子どもたちに絵を教える友人に映画出演を頼む、その撮影シーンと、今刑務所に収監されている友人との手紙のやりとりを描いて20分にしては盛沢山な感じで一つ一つのシーンのイメージは鮮烈のあるのだが、物語としては??今ひとつ。刑務所の中にいても外に出てもまた大きな監獄に閉じ込められるようだという主張はこの映画の場合にも強くあるようだ。(12月27日 渋谷ユーロライフ 香港映画祭2022 317)
オンラインで話す4人の監督

㉛注目新人女性監督特集

チャン・ハウザン(陳巧真)
(1)32+4 2015 32分
若い監督の卒業制作としてのセルフ・ドキュメンタリーで、「32」とは老いた父が一人住む部屋番号。4は同じマンションで母(父より25歳下)と新しい継父(おじさん)が子どもたちも含めて住む部屋。父は大陸で結婚後家族と子どもを残し一人何回かの失敗後に香港への不法移住に成功、苦労して働きやがて一家を呼び寄せた(作者自身が10歳の時だそう)が、その4年後には母は新しい男とともに暮らすことを選んだという経過、このある意味非常にドラマティックな人生の中でもがく作者自身を描いているわけで、境遇の妙が作らせたという意味での恵まれた卒業制作という感じ。よく語るが怒りにまみれる父、行儀悪く居直る風の母、継父は後姿や下半身を部屋の外から取るだけで決して正面から向き合わないカメラの後ろの作者など興味深いシーンもあり、細かく章立てした撮り方もなるほどではあるが、それ以上のものではない。彼女の師として応亮がクレジットされている。
(2)失われた一部(失去的部分)2022 30分
体の政治性を描きたかった、とは監督の弁だが、脳が委縮するMRI写真とか、体が動かないと訴える青年とか、歯科医の治療風景とかを並べて体の不調を追求していくモノクロ映像(間には??あまりわけのわからない写真も)で、こういう世界―自己への関心のみが視線の先にある感じがする―のは、ウーン、ついていけない自己満足の世界という気も。今香港で最も才能がある監督の一人とされているそうだが、映画とは映像とは誰の何のために作られるのかということを改めて考えさせられた。

●チョイ・カーイ(蔡嘉儀)
(1)7月の怪談 出演:アデラ・ソウ ロー・ジャンイップ(盧鎮業) 2015 18分 
盂蘭盆会(7月)、20歳で失踪し15年後に戻ってきて抜け殻のようになって暮らす叔父と、叔父の行った世界にいわばあこがれ、盂蘭盆会の夜、叔父のかつて行った道をたどろうとする甥っ子の青年。なんか背景の香港の路地は『花様年華』か『臙脂紅』かという世界かな??盧鎮業はここでは若い時の叔父役。
(2)雨の夜 2015 12分 
今は封鎖された啓徳空港につながる地下道が舞台。大雨の夜別々にそこに駆け込み雨宿りする女性と男性。そして後からスキップしつつ踊りつつ駆け込んでくる一組の男女。そこには日本語で長崎・広島・福島と連呼しながら反核を叫ぶ裸体の男がいる。演じるのはリム・カーワイで、映画ではただ「ヘンな人」という指示で、叫ぶ内容は彼自身が決めたものらしい。ウーン、やったぜリム・カーワイというべきか、あるいはこういう変な人として反核を叫ぶのは誤解のもと、いかがなものというべきか。とにかく彼のインパクトがやたらに強い映画ではあった。
(3)午後3時 2022 23分
これの不思議な怪談というかミステリー風の不思議なテイストの短編。あるマンションの1室を借りた女性はそこで品物?を配達してもらい商売?を始める(化粧品か小物の販売みたい)が、毎日午後3時になると隣室からピアノの響きが。ある日その弾き手らしい若い男性にも会う。また、ある日宅配便の配達人から隣の留守宅荷物を預かれと押し付けられるが、その夜、隣室から死ぬか生きるかのようなドタバタケンカの声、翌朝訪ねるも隣室は空き室で…、そして彼女は隣室の住人がすでに6年前に収監され、先日亡くなったということを知らされる…この映画は6年前に実際に香港で頻発した収監後の死?の事件をベースに作られたとか(監督の弁)。ま、なんかすごくきれいにまとまっているのは確か。(12月27日 渋谷ユーロライフ 香港映画祭2022 318)
蔡嘉儀・右陳巧真 両監督のオンライントーク

㉜叔叔
監督:レイ・ヨン(楊曜愷)出演:タイポー、ベン・ユエン ロー・ジャンイップ(盧鎮業) 2019香港92分

60代?のタクシー運転手パク(柏 妻・息子、娘、孫娘あり。映画中で娘は結婚。失業中の娘婿にパクはタクシーと運転手職を譲り引退する)と退職ライフを送るシングルファーザー・ホイ(許 こちらもクリスチャンの息子夫婦と孫娘あり。息子を演じるのが、今回この映画祭で大活躍の盧鎮業)の恋情と性愛を描くが、その部分の描写もしっかりあるものの、概ね二人のそれ以外の生活での葛藤や悩み部分にまつわる物語がほとんど。つまり家族のためによき父・当たり前の夫として暮らしているパクの男性への思いは秘めた生活ぶり、また、ゲイ支援のグループに参加しながら、自分の息子家族にはそのことを一切秘めてパクより、より深く葛藤するホイの、それでもなんとか関係を保っていく「大人どう」としての姿が描かれる。彼らはカミングアウトもしないし、したがって二人の関係が他から糾弾されるとか壊れるということはないし、映画自体があまりドラマティックとも言えないのだが、それだけに問題(意識)は彼ら自身の中にあるのだという描き方で、ゲイ・ムービーのある種の成熟?それとも?と見るべきか。なかなか興味深い作り方だと思われる。(12月28日渋谷ユーロライフ 香港映画祭2022 319)

㉝少年たちの時代革命前夜

●レックス・レン(任侠)
(1)虫けら 出演:チャン・チャームマン 2017 21分
 近未来、馬二(「二」は反抗しないという意味だそう)という名の青年の孤独かつ監視下にあるような、あるいは性的な処理(自慰)までもが機械化され通販化され管理されているような暮らしぶりと、その中で突然冤罪で連行されて水を飲まさないという拷問を受けながらの事情聴取、収監、その中での幻想的な苦しみ、そして釈放(ヘロヘロになって)を、彼が殺したアリになぞらえて描くモノクロ20分。戯画化されてはいるのだがモノクロ画面はけっこうグロくて怖い。官憲は公用語(マンダリン)を使えと広東語話者の青年を責めるのも…。
(2)夢遊 出演:スン・クワントー 2021 14分
真夜中のクラブでのDJの二人の出会いーなんだが、あまりに幻想的で見ているうちにこちらの気持ちもあらぬ方にふわふわと、というわけでなんだかよくわからないままで終わってしまった長い14分だった。
(3)9032024 出演:チャン・チャームマン 2020 8分
『虫けら』のいわば続編、後日談。前作では丸刈りだったが、今回は髪も伸ばしメガネも新しくした、しかし前回の後遺症として片腕をなくした馬二が就職面接を受けに行く。ここでももちろん公用語を要求され、彼は前回最後に首に焼き印を入れられた番号「9032024」で呼ばれるわけだが、彼自身も簡単には肯わず広東語をしゃべり、名前を忘れずということで就職はできず…ということに。
(4)クイーンのワンペア(1pair女)共同監督:デヴィッド・チャン 出演:マック・ウィンサム 2021 14分 ★
アパートの1室をシェアする二人の女性の会話(と行為)を追っていく。一人がもう一人に貸したカメラを返してほしいというところから、今カメラがある恋人と別れるべきか別れない方がいいかというような話しに進み…トランプクイーンのワンペア(トランプ占いで別れるかどうか態度を決めるか決めないかというような話し)も絡み、最後は二人で洗濯物を取り込むところまで、淡々となかなかの自然体で描かれて、けっこう引き込まれる。これも時代革命前夜の普通の若者の暮らしの一面なのだろうと思わされる。  

●ラム・サム(林森)
(1)オアシス(緑洲)2012 30分 ★
2012年作品なので描かれるのは第1期オキュパイ運動の前夜ということになるのだろう。操業をやめた工場の中に作られたシェアハウスに一人の若い女性(アーティスト志望の裸体モデル)が引っ越してくるところから、このシェアハウスに住む若者群像―大きな事件はないが、それぞれのエピソードに彼らの暮らしにくい社会との位置があらわれているようなものがあり、また彼らが集って飲んだり遊んだりしながら話すことばの端々にもそういうものが感じられる。その彼らが、香港の街でライブ・パフォーマンスをやろうと計画し、準備し実際にそれを行う映像までが、ちょっとドキュメンタリー的なタッチで描かれる。集団の若者たちの中にはラム・サム監督自身もその一人として参加している(低予算でモニターもなかったので、自身が映像の一部になるのが便利だったとの監督自身の弁)
(2)夏のブルース(志強的夏)2019 17分 ★★
 兄のケバブの店の出前担当の少年黄志強は生まれも育ちも香港のパキスタン人。彼は配達中に自転車(兄のもの)を盗まれる。猛暑の香港の街、自転車を失ってどうするか…。『北京の自転車』を思わせる映画だったが、あちらほどには厳しくつらくはなく?、いったんは本屋が営む貸自転車を1台拝借して何とかその日の配達に間に合わせるが、彼の失敗に怒りはするものの、フォローもしてくれる兄や、貸自転車屋の女性などの温情もあり、頑張る移民の末裔たる少年や兄の姿に、心が和むような、この人々がまさに『少年たちの時代革命』の一つの勢力になったのだなと思わせるような作品だった。 
(12月28日渋谷ユーロライフ 香港映画祭2022 320)
左レックス・レン、右ラム・サム両監督のオンライントーク



㉞南の海からの歌
監督・脚本:マラト・サルル 出演:ウラジミール・ヤポルスキー ジャイダルベク・クングジノフ イリーナ・アングイキナ アイジャン・アイテノワ 2008ロシア・フランス・ドイツ・カザフスタン(ロシア語・キルギス語)84分

ナント映画祭での観客賞受賞、『あの娘と自転車に乗って』の脚本家の監督作品で、評価が高いらしいが、ウーン、私の知識・理解力不足なのだろう、この映画の言いたいところがよくわからない。最初にロシア人(金髪)の主人公に黒髪の息子が生まれ、隣のカザフ人(黒髪)との間がギクシャクというシーンとか、そこから突然に15年後に飛んでの主人公の自分探し過程での印象的な全裸でサイドカー付きバイクに乗るシーンとか、夫どうしが決裂している両家の妻が一緒に飲んで踊るシーンとか、印象的に面白い場面は沢山あるのだが、それが物語の流れに結びつかず、ウーン。舞台とされているカザフスタンの農村地域の他民族混淆(歴史の過程で流れ込んだ人々)の場であるということはビジュアル的にはよくわかった。本年の「中央アジア今昔映画祭」の(私にとっては)打ち止め作品。(12月29日 渋谷ユーロスペース 中央アジア今昔映画祭2022 321)


㉟月の満ち欠け
監督:廣木隆一 出演:大泉洋 有村架純 目黒蓮 伊藤沙莉 田中圭 柴咲コウ 菊池日菜子 2022日本 128分

原作は佐藤正午の直木賞受賞小説。生まれ変わりの話で、あまり見る気もしなかったが、今日の1本があまりに私には難解?でちょっと口直し、と思いちょうど我が家傍のTOHOシネマズで時間も合ったので見た。で、なるほど原作をこういうふうに料理するのが廣木流?
正木というヒロインの夫(映画では田中圭)の比重が重いのは原作と同じだが、原作で大きかった彼のその後(浮気をしたり転職後何年もたって生まれ変わり?の少女を誘拐したり)は省かれ、有村演じるヒロイン瑠璃を愛してはいるが、不妊(原作ではそこまでしないが、映画では少しヒロインの年を高めに設定して不妊の診断を受けることにしている)を責め、家を出ようとする妻を追いかけることによって妻を死なせるとか、小山内の娘にも付きまとい妻と娘の交通事故死の原因も作るなど(2時間の映画におさめるためもあるのだろうが)わりと直情的にエキセントリックな人柄として描いている。小山内の娘瑠璃の旧友緑坂ゆいは原作では女優だが、そこを省いて普通の友だち、そして小山内の妻の愛を小山内に伝える役にしているのはリアル感があるが、一方そんな彼女が瑠璃が生まれ変わったるりの母というのはちょっとご都合主義的にお話が出来過ぎなんでは?という気も。最初のヒロイン瑠璃と三角の恋はぐっと純愛だし、娘の誕生日の時にゆいが撮った動画で、妻の心情を知った小山内が涙する新幹線内のシーン、最後に妻の転生?が示唆される(これは原作もだが、原作では付き合っている清美の娘みずきが妻で、そのため小山内は最後に清美と今後付き合っていけるのか悩むことになるが、映画では清美は単なる母の介護ヘルパーで、そうなると娘連れの勤務というのはちょっとどう?という余計な心配も…)と、どちらかというと、小山内の妻との愛が印象深く描かれて愛情片になっていて、原作とはちょっと違う味わいの映画になっている。7歳と設定された3人の子役(小山内の娘瑠璃、緑坂ゆいの娘るり、みずき)の演技に支えられた映画でもある。原作で幼い小山内瑠璃が歌うのは「黒猫のタンゴ」や黛ジュンだが、この映画ではオノヨーコの「リメンバー・ラブ」そのあたりもテイストの違いで、なるほどね、という感じだった。(12月29日 府中TOHOシネマズ 322)

大晦日ぎりぎりになんとかBlogup! 今年もお世話になりました。来たる2023年もどうぞよろしくお願いいたします。 では、明年見‼









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