【勝手気ままに映画日記】2022年7月

7月23~24日長年あこがれだった白山へ。1日目は雨だったけれど2日目は最高の天気。山頂直下の「御池」周辺、青い水と雪の白…

手前はコバイケイソウとクルマユリのお花畑、向こうに泊まった室堂センター。花満喫の特集,後ろに載せますね!見てください!

高原の風情です
ご来光は山小屋近く(20分くらい歩いて)から。乗鞍・穂高・槍までバックに

7月の山歩き

10日 浅間山 車坂峠↔トーミの頭↔前掛山(2524m) 10.4KM 
   雨模様まずは急坂下り登り、帰りも同じコースで登り返し、ペースがイマイチで
   いやぁけっこう苦労しました…

18日 金峰山 大弛峠↔朝日岳(2579m)↔鉄山(くろがねやま)(2531m)↔金峰山
   (2599m)8.2Km
   先月縦走した甲武信岳・国師岳の続きということで大弛峠からの往復。天気もよく、
   快調!!

23~24日 白山(2702m) 室堂山荘泊 2日で13.8Km 初日は雨、でも暑さも抑えら
   れ?まあまあ快調。二日目はピーカン、花畑・緑の高原・ちょっと岩山・そして雪
   渓、池ともう、夏山満喫でシアワセな山行でした。 

富士山に会えたのは1回だけ。18日金峰山から


①セリーヌとジュリーは舟で行く②ポーランドへ行った子どもたち③わたし達はおとな④母へ捧げる僕たちのアリア⑤イントロダクション➅オフィサー・アンド・スパイ⑦斧は忘れても木はおぼえている(THE TREE REMEMBER 還有一些樹)➇こちらあみ子⑨シネマスコーレを解剖する コロナなんかぶっ飛ばせ⑩憂鬱之島 BLUE ISLAND⑪百年と希望⑫キャメラを止めるな⑬アウシュビッツのチャンピオン⑭哭悲 THE SADNESS ⑮映画はアリスから始まった BE NATURAL ⑯夜明けの夫婦 ⑰恋するボクとゾンビの呪い ⑱戦争と女の顔

今月も18本だけ。中国語圏映画は⑦(といってもマレーシア)⑩⑭、日本映画は③➇⑨⑪⑯、ドキュメンタリー映画もけっこう見て②⑦⑨⑪⑮、あとは何とか時間が合えば話題作をおさえたというところでしょうか。そういえば英語副題のついた映画も多いようです。 ★はなるほど!★★はうんうん(共感?)、★★★はさすが!おススメ! ですがあくまでも個人的趣味・感想です。最後の数字は今年に入って(映画館で)見た映画の通し番号です。

この映画日記を読んで、見るかどうかを決める、または「もう見なくてもいいと思った」というような感想を下さる方がいて、ウーン。至らない映画紹介をしているのだなと反省しきりです。読んだからもう見ないと言われるのは本意ではありません。私が面白いと思った映画もちょっと評価が低い?映画も、違った目でご覧になると、多分全然違った感想になると思います。そしてチャンスがあったらそれぞれの感想を語りあえたらうれしいです。


①セリーヌとジュリーは舟で行く
監督:ジャック・リベット 出演:ジュリエット・ベルト ドミニク・ラブリエ マリー・フランス=ビジェ 1974フランス 193分

ベンチで魔術の本を読むジュリー、そこに大荷物を抱えてやってくるセリーヌがサングラスを落として行ってしまう。あわてて声をかけ追いかけるジュリー、しかしセリーヌはさっさと行ってしまいさらにスカーフや何やら得体のしれない魔法の道具?さえも置いて行ってしまう。彼女を追っかけ追っかけ、泊まったホテルの前でうろうろするジュリー。窓からそれを覗くセリーヌは、ジュリーの存在を決して知らなかったのではないらしいと、そんなところから始まり、二人が仲良くなり同居し、ジュリーの夢見る不思議な屋敷(実はもともとは彼女の乳母?が住むー実際に会いに行って会う場面も)。そしてその今や無人らしい邸を舞台に繰り広げられるもう一つの家族の物語。このミステリアスな物語を不思議な飴玉やドリンクをきっかけに二人は覗き見るようになり、最後にはその世界にふたりして飛び込む。
なかなかに面白い設定だし、女性たちもいかにも70年代風の「新しさ」で魅力的な世界なのだが、なんにしろ長い、長すぎる。同じ場面が繰り返され少しも進まない風の劇中、劇外の世界に、いささか疲れイライラしたのは年のせい?70年代公開の同時点でみていたら印象が違った気がする。(7月1日川崎sアートセンターアルテリオ映像館 157)


②ポーランドへ行った子どもたち
監督:チュ・サンミ 出演:チュ・サンミ イ・ソン 2018韓国 78分

朝鮮戦争中の北朝鮮側は南側も含め朝鮮半島で集めた戦災孤児を東欧諸国に送り出し共産戦士への育成を依頼した?とか。その一国ポーランドに移住した子どもたちが現地の教師に大事にされパパ・ママと慕いながら2年後、北朝鮮での労働力としてまたも強制的に帰国させられた―しばらくの間ポーランドの教師との手紙のやりとりはあり苦しさを訴えポーランドに戻りたいという願いを持った者もいたようだが、その後の彼らの消息はわからず、映画の中でもそれは一切出てこない。
受け容れ送り出したポーランド側の人々を取材に訪れるのが監督のチュ・サンミと、彼女がオーディションで見出した脱北者の若い女性イ・ソン。イも含めオーディションに参加した多くの脱北者は両親や家族と離れ離れになっている者が多く、ポーランドへの旅の途上、幼い子を持つ監督がイと話し、彼女の人生があきらかになっていく様子も描いて、この映画がむしろ現代の北朝鮮が生み出した「孤児」の問題を描いていることがわかる。その意味では歴史を掘り起こしたドキュメンタリーというよりはセルフドキュメンタリーという感じだ。20年大阪アジアン映画祭出品作。韓国国内でたくさん受賞をしているのは、北側とのスタンスの描き方ゆえ?    (7月5日 ポレポレ東中野 158)


③わたし達はおとな
監督・脚本:加藤拓也 出演: 木竜麻生 藤原季節 菅野莉央 清水くるみ 森田想 桜田通 山崎紘菜 片岡礼子 佐土井けん太 石田ひかり 2022日本 109分 

同居している女子の妊娠から(ほんとに女性というより女子と男子の暮らしという感じ)。男は戸惑いつつ受け容れるーが父になる覚悟があるわけではもちろんなく、まあムードだ。すると女は男と別れていた間に別の男との間にできた子かもしれないーわからない、とあっけらかん。男のほうも実は元カノと今の彼女の家の間を行ったり来たりというような住み方。このあたりの設定の今どきの人間関係を受け容れられれば、後は延々と続く議論というのではないがやり取りの妙のリアルな作り込みに感嘆していればいいという感じ。間合いというより、互いに自分の言いたいことだけを言うセリフの重なりあいの喧噪などもすべて演出されたものということで、それはさすがにすごい。長回しに耐えてリアル感を出した若手役者たちもすごい。それにしても男も女も多々の友人たちも、友達と何となくつるみながら自分にだけしか関心がないようなのがウーン。そして、それゆえか、生活感というものがなくて、ま、大学生だから仕送り?で暮らしているのかもしれないが、男はただ演劇に邁進し、父になるからやめて働くとは言いつつ、できるの?とい感じだし、何千円もする演劇のチケットを女には払わせないとか、合コンも男2人が女3人をもてなすとか、女の方は家賃は父の仕送りらしいが、小ぶりとはいえ妙におしゃれな部屋のロフトにダブルベッドというような暮らしぶりで、男もいわばとっかえひっかえできる感じもあって、そのあたりが現代大学生のリアル(とは思えないが)とすれば隔世の感を感じざるを得ない。(7月5日新宿武蔵野館 159)


④母へ捧げる僕たちのアリア
監督:ヨアン・マンカ 出演:まえる・ルーアン・ベランドゥ ジュディット・シュムラ ダリ・ベンサーラ モンセフ⊡フォルファー 2021フランス108分 ★★ 

南仏の海辺の町の公営住宅、意識不明の昏睡状態の母(実はこの設定にひかれて見に行った。我が母とほぼ同じような状態なので)を自宅で介護する4兄弟。長兄アベルは生活を背負う責任から、弟たちに厳しく当たる。次兄モーは兄弟の仲を取り持ち、兄の厳しさを補ういいやつなのだがなんせ定職を持たずホテルのプールで観光客の男女をひっかけて体を売るというような暮らしぶり。三兄エディは母の薬代をくすねたり犯罪に手を染めというふうでしょっちゅう警察に追われるチンピラぶり(のイケメン)で、いずれも学校は早々にやめてその日暮らし。末息子ヌールは、兄たちを手伝いつつ、長兄からはピザ屋にアルバイトに行けと迫られ、兄たちが楽しむサッカーも楽しめず、母にPCから録音したオペラのアリアを聞かせると兄たちにうるさがられということで、鬱屈。中学校をやめて家をでようと思っている。そんなヌールが夏休みの矯正教育プログラム(ってなんだ?まあ、成績不良とか素行不良生徒の義務付けられるボランティア活動?)で、自分の学校のペンキ塗りをすることになったとき、音楽室から聞こえてきたババロッティ。そこで指導に来ていたオペラ歌手のサラに出会い、目くるめくように濃密な、しかし兄たちの不理解や、叔父による母の拉致まがいの入院と、それを取り返す、そして母の死まで楽しいことよりはつらいことが多い中でオペラ歌曲に触れていく少年のひと夏の物語。
3人の兄の性格造型が面白く、愛しつつうざいという少年の思いがよくわかる。少年の成長譚になっているのはまあそうなんだが、兄たち、とくに長兄アベルの一種の成長譚にもなっている巧みなつくりの作品で、見ていてひきつけられる。夏の最後サラからの誘いを理解した兄の後押しもありヌールはサラの公演を見に行く。そして映画の終わり夏休みの最終日を迎えた彼は「明日は出発する」というのだが…彼が音楽の道に進むのか、あるいは最初のつもり通り学校をやめるのかははっきりとはっわからない描き方なのだが、ウーン彼の未来を信じたいと思わせられるのである。 (7月6日 新宿武蔵野館 160)


⑤イントロダクション
監督:ホン・サンス 出演:ジン・ソクホ パク・ミソ キム・ヨンホ イェ・ジウォン ソ・ヨンファ 2020韓国66分

ウーン。同時期上映の『あなたの顔の前に』が意外に面白かったので、その一つ前の作品というこれにも大いに期待したのだが、どうも最後まで作品の世界に入って行けず、主人公にもなんか共感ができないままに終わってしまった。
ナイーブ?な青年ヨンホ(登場人物がみなイケメンイケメンとほめるが、そう?)が漢方医の父をたずねるが、待ちぼうけという冷たくあしらわれる顛末、恋人がベルリンに留学、母の旧知の友をたずねる、そしてそこにヨンホが追いかけてきて二人が再会する場面、ベルリンから帰ったヨンホが海辺のホテルに滞在する母と、「監督」に会い罵倒されるー恋人への愛から役の上でのキスができずに役者を断念したという話からーちょっと留学から戻った恋人に再会し彼女の眼の病気について聞かされる場面、そして監督との飲み会に同席した男友達との海辺での抱擁まで、ウーン出来事を追うべき映画ではないのだろうけれど、ついつい…、そして悩むという感じの、(いつもの)ホンサンス映画だったが、やっぱり成長できない男が主人公というのがダメなのかな…(7月6日新宿武蔵野館161)
我が家の窓から多摩川の花火(7・6)

              


➅オフィサー・アンド・スパイ
監督:ロマン・ポランスキー 出演:ジャン・デュダルジャン ルイ・ガレル エマニュエル・セリエ グレゴリー・ガドゥボア 2019仏・伊 131分 

さすが88歳、ロマン・ポランスキーのベネチア銀獅子賞受賞作品ということで、この年齢のすごいエネルギーを感じさせる力作。ルノワールの絵を彷彿とさせる男女のピクニックシーンとかダンスシーンとか19世紀風の再現もなかなかで、当時のパリの街並みなども含め19世紀末のパリを彷彿とさせる。
物語は史実に基づいたとのことで、ドレフュスの逮捕に関わりつつ後に彼の無実を発見し、再審のきっかけを作った諜報部長ジョルジュ・ピカールを描くのだが、史実的にもこの人、たくさんの人妻と関係したなどとウキィペディアには描いてあるけれど、映画でもモニエ将軍?の妻と姦通中で、ウーン、フランス的と言えばフランス的なのかもしれないが19世紀末だしね…ポランスキー的と言えばポランスキー的なのかもしれない。なにしろ演じているのは彼の妻エマニュエル・セリエだし、彼女以外に女性の登場人物は後姿の大使館の掃除婦(情報提供者)だけという、女性不在映画ではある。で、史実ならしかたないといっても、この男の魅力を一段下げているのは否めない?とはいえ、最後に愛人の元モニエ夫人ポーリーヌに結婚を申し込み「わたし達は結婚に向いていない」と断られるのはいい気味だ、という感じも。
ドレフュスを陥れた反ユダヤ主義は雰囲気としてではあるけれどしっかり描かれていて、ドレフュスの軍籍はく奪の儀式なども絵で見る当時の光景そのまま。エミール・ゾラやドレフュスの弁護に発つ敏腕弁護士ラポリが公判当日に暗殺(射殺)されるというのはショッキングなシーンだったが、これも史実なのだろうか??そこはよくわからなかった。ドレフュス(よく化けているルイ・ガレル)とピカールの対面場面のニヒル?も印象に残り131分の長さを感じさせなかった。(7月8日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館 162)

◆7月8日 安倍元首相死去・・・暴力を憎み、元総理を悼む思いはありますが…
 国葬はやめてほしい…と思いつつ月末です。

⑦斧は忘れても木はおぼえている(THE TREE REMEMBER 還有一些樹)
監督:ラウ・ケフクアット(廖克発) 2019台湾(撮影地マレーシア) 英語・マレー語・オラン・アスリ諸語 89分


コロナ以前に何回か見に行ったことがある外大のアジア映画上映会。久しぶりに前日情報で、とりあえず見に行ったというところ。映画は前半はマレーシアの先住民族オラン・アスリの生活や生き方?に関して昔撮られたらしい「やらせ映像」をまじえ、それが「やらせ」であることも含め、オラン・アスリの研究者とか関連のある人が語る。後半はマレーシアではタブーとされているという5.13事件(マレー人と華人の民族間暴動で196人の死者、439人の負傷者を出した)についての証言で綴る。オラン・アスリが直面する森林伐採と民族同化の問題も含め…予備知識なく見るとなんか、全然入って行けず、みずからの無知を恥じなくてはならないような映画だった。終わってこの映画の日本語版字幕も作られたとかいう、紹介者盛田茂氏の丁寧なマレーシアの歴史や現代についての解説があってようやく、一端のみ理解できた?かどうか。真面目に問題提起をしている映画だし、特に前半のオラン・アスリの「やらせ的」映画などには驚いたが、ウーン、やはり難しい。私の知っているマレーシア人はほぼ華人の学生というような、比較的恵まれた?環境にいて日本に留学してきたというような人ばかりだったが、それだけがマレーシアではないということを今更ながら考えさせられた。7月9日 TUFS Cinemaマレーシアドキュメンタリー映画上映会東京外国大学 163)

前掛山を歩く人々(7・10浅間山)
        
白山シャクナゲ
シャジクソウ‥花はきれいでした
浅間山前掛山のシェルター


➇こちらあみ子
監督・脚本:森井勇佑 出演:大沢一菜 井浦新 尾野真千子 2022日本104分 ★★★

久しぶりに、心打たれドキドキするような映画を見た。なによりあみ子のまっすぐな善意とそれを周りに受け容れられない孤独、しかしそれでもまっすぐ自分を貫いてめげない淋しい明るさに…。今村夏子の原作も印象に残っているが、それでもこんなにも、という感じではなかったなあと、帰ってちょっと見返す。それで思い出したのは原作は、すでに祖母の家に暮らしで2~3年たった15歳のあみ子の視点でその現在や過去を振り返る形で書かれ、例えば周りの景色の描写なども含め結構饒舌で客観的、つまりあみ子がおとなになってちょっと過去に距離をおいてしゃべっている感じがするのだ。それに対して映画の方は、これって演出力もなのだけれど、やはり主演した大沢一菜のことばは少なく、しかし必死で歌う調子っぱずれな「おばけなんてないさ」に込められた自ら耐えようとする力とか、また必死に応答を求める壊れたトランシーバーの、彼女の孤独とか、見る者に寄り添いたい気持ちを起こさせるリアルさの「天才」なんだろうなあと思う。実年齢11歳になったばかりだそうだが、ぶかぶかの制服にハダシで演じる中学生の背伸びして、しかしどうしてもその場にいれられない悲しみ(本人がそう感じていない風に「演じる」のがすごい)にウーン。彼女の周りにいるおとな、父は善意だが、妻と娘と息子、それぞれに問題を抱える家族を支えるには力足りず、頑張るのでなくなんとか受け流しつつ耐えようとするふう(井浦新は「抑えめに演じた」とどこかで言っていたが、なるほど、の感じ)母は意欲も子育てへの熱意もあったのだが、流産後、励ますつもりのあみ子にいわば壊されてしまって病気になってしまうという役どころだが、その落差というか強さと弱さの兼ね合いをこれはメリハリを利かせてさすがに説得力のある演技。こんな家庭の苦しみを頭の禿げや「不良」になることで乗り越えようとする優しい兄と、それを見るだけでどうにもできない家族というのも、ウーン。オーデションで選ばれたという子どもたちの中では坊主頭の少年のやさしさがよかった。原作にはない霊たちが様々な衣装でボートに乗ってあみ子と遊ぶシーンー最後に彼らが迎えに来ても行かずに「大丈夫だよ!」と叫ぶ彼女の健気さというかたくましさも励まされる。あみ子が母と心通わせる場面で彼女はことばではなく行動で母を和ませる(弁当を一緒に作る、四葉のクローバーを探すなど)。そして友だちノリ君にきれいに書かせた「弟の墓」という言葉(墓標)で母を打ちのめしてしまう。このあたりに「ことば」の無力というものも表象されている気がする。(7月12日立川キノシネマ 164)

これは武蔵野館の宣伝パネル

⑨シネマスコーレを解剖する コロナなんかぶっ飛ばせ                監督:菅原竜太 製作総指揮:村瀬史憲 出演:木全純治 坪井篤史 足立正生 入江悠 奥田暎二 井浦新 若松孝二 語り:韓英恵 2022年日本93分

1983年若松孝二が創設し、元文芸坐にいた木全純治氏を支配人にすえ、自分たちの映画を上映できる反権力?志向の映画館シネマスコーレ(51座席)はできた。というわけで37年、映画人たちに発表の場を提供し独自の催しなどで映画館として地歩を築いたシネマスコーレのコロナ禍での苦境とそれを乗り越え、あらたな映画館を模索する姿を2年のにわたって追う。映画の中でだれかが言った「映画は作るのも、上映するのも大変、見るのがいちばん楽…」しかし観客も映画になくてはならない要素ではある。うん、だからせめてしっかり映画を見て、映画界を支えたいと今更ながら思わされる。ちなみにミニシアターエイドへの寄付はちゃんとしたし、できる支援はしたいと思いっつ、最近映画鑑賞力が鈍ってきている?ようなのがつらいのだが。K’sシネマ朝の回は3人の観客。ウーン、大丈夫か???ちなみにシネマスコーレの1ヶ月の費用は175万円(人件費55万円という安さに驚く。70代の木全・家族持ちの坪井、これでは暮らしていけない)月間収益は2200万円ないと維持できないのだそう。(7月15日 新宿K'sシネマ 165)

金峰山頂上から五丈岩をのぞむ・登山者もけっこういました(7・18)

⑩憂鬱之島 BLUE ISLAND
監督:陳梓桓 2022香港・日本 97分 ★★

チャン・ジーウンは『乱世備忘 僕らの雨傘運動』を作った人。香港と日本が合作した本作は、現代の香港の海で泳ぐ老人の姿から。そこに1970年大陸から泳いで香港にわたった青年男女の姿が重なる。これは現代の青年が70年の青年(現老人)を演じているわけで、文化大革命・67暴動・89年の天安門事件それぞれに遭遇し香港にわたった当時の青年が中高年になって登場、同時に彼らの若い日の姿を現代の青年が演じたり、中には本人と演じている現代の若者が対話する場面もあったりして、ドキュメンタリーとも劇映画(とまでは言えないように思うが、ドキュメンタリーの部分を現代の青年が補強的に演じている??)ともつかず、複数の目が50年ほどの香港の歴史を体現しつつ追っていくという感じの、面白いというか不思議な構成を持った、なんと言っても意欲作と言っていいのだろう。『雨傘革命』以来のデモ映像、そして最後はモノクロ・音なしで、さまざまな人の闘いを一言で示した字幕だけが入ったポートレートの5分間(と聞いた)。香港にこれからも腰を据えて生きていく人間の決意を感じさせる作品でもある。(7月20日 渋谷ユーロスペース166)


⑪百年と希望
監督・撮影・編集:西原孝至 出演:池内さおり 池川友一 木村勞 黒田朝陽 しんぶん赤旗 2022日本100分

建党100年を迎えた日本共産党を描くドキュメンタリー。内容は想像がつく気もして、あまり見る気がなかったのだが、ちょうど時間ぴったりだったので…。
37歳の立候補者池内さおりのジェンダー観にいまさらながら共産党の変化を感じさせられるーまあこれも一応知っていたことではあるが。最初の方にすでに80歳ぐらいになった古い党員ー今は農業をやっているとかーのモノローグ映像が入り、「昔は夜12時前に帰ったことはなかった。毎日毎日赤旗の勧誘に家々を回った」というような自慢話とも苦労話ともつかないような話をする。そうそうこれが2,30代に苦しめられた典型的な党活動だったよなあと思われる。
学生時代民青の友人がいたり歌声サークルに入ったりして何となく共産党の近くにいた時から、子どもを共産党系と言っていい無認可共同保育に預けていたとき、周りの党員やシンパの熱意や誠実さは疑わなかったけれど、別姓選択制や、自身の意志による自分の生き方を求める私は、いつだって「政治的に遅れた、もののイマイチわからないヤツ」として扱われ「教えられたり」「批判されたり」して共産党不信になったのだった。
つまり、日本の共働きは貧しいから女が働かざるを得ない(自己実現のために仕事を持ちたいなどはプチブル根性だとも言われた)それを支えるのが共産党の責務、保育園の(夜や休日の)活動にお父さんが参加するのが望ましい、だからお父さんが活動するならお母さんはその間自分の子どもを面倒見て家事で支えるべき、みたいな説教をどのくらい受けたかわからず、根っ子は家父長社会じゃないかと(東大紛争のときに女が後ろで食料係をしなくてはならなかったのと一緒)夜中の12時まで活動する男性党員の家事や子育ては誰がやっていたんだ・・・と…。
現代の共産党映像ではそういうタイプは後ろに下がり、4人の育児をする若い父・池川都議や、池内さんのような人が、昔から共産党はそうだったというような顔をして活躍しているのを見るとほっとするが、それっていったいいつからどう変わったのだろうと思ってしまう。多分私と同世代の真面目・誠実でアタマの固い党員にはそういう変革ができたとは思えないので、その後の世の風潮にバックアップされて若い世代がのびのび思うように頑張った結果が、40年前に私が求めて決して答えてはもらえなかったような方向に変化させてきたのだろうけれど、なるほどね…(ちなみに私は基本野党に投票(自民や公明に投票したことはない。なかでも80%くらいはどこかに共産党の候補名を書くというくらいにはシンパなのだが…)
今にして思えば、私の周辺で学生運動やサークル活動に地道をあげていた民青諸氏の質の低さというかエリート学生的若さ・傲慢さが偏狭につながり、異質(の私)を排除(というか指導すべき遅れた者とみる)していたのかもしれない。なんか、すごーく個人的な恨み節みたいな感想になってしまった。 (7月20日 渋谷ユーロスペース167)


⑫キャメラを止めるな
監督:ミッシェル・アザナヴィシウス 出演:ロマン・デュリス ペレニス・ぺジョ 竹澤芳子 2022仏 112分 ★

話題の?2017年『カメラを止めるな』のフランスリメイク。日本版より「大物」(といってはいけないか)の監督・役者(ペレニス・ぺジョが楽しそうに演じているのにびっくり)役者をそろえ、内容的には前半30分のギクシャク、ゾンビ映画(下手さ加減もしっかり踏襲)そのあとの一か月以前にさかのぼって始まるいわばメイキング片(ここには、日本版ではチラリだった竹澤芳子が、リメイク映画を作るべく日本からやってきたプロデューサーとしてぐっと露出度の多い、セリフも多い出演)も。ワンシーン・ワンカットで撮影するためのドタバタという点ではこれも日本原版をちゃんと踏襲しているのだが、舞台となっている建物の規模の大きさは日本版よりさすが大きい感じで、それだけに役者が走り回る距離も長く、階段を使った死角とか日本版ではあまり記憶に残らなかったような工夫も印象的に作っている。役者の個性も日本版よりは際立っているかな、さすがに…。日本版96分に対してこちらは15分以上長くなっているが、走る距離の長さと、役者たちが弁が立ってけっこう小難しいことをベラベラいうのでその分が長くなっている?のかも。作られている映画の中では役名は皆日本名(ケン、なつみ、ちなつ、とか監督はヒグラシなんとかいう長い名)で笑わせられるが、考えてみれば、日本映画原版を踏襲してそれを意識した設定やセリフを作るとともに、リメイクをしているよということも映画の中で訴えなくてはならないわけ(つまり原版を越えたリメイクの魅力が必要)で、なかなかハードルは高いと思うが、原版より明るくスケール大きく面白く見せてもらえた。TOHOシネマズは1週間のみの上映で、最終日最終回のレイトショウをようやく見る。(7月21日 府中TOHOシネマズ168)


⑬アウシュビッツのチャンピオン
監督:マチェイ・バルチェフスキ 出演:ピョートル・グヴォヴァツキ  ヤン・シドウォスキ2020 ポーランド 91分

アウシュビッツでホロコーストを生き抜いた実在のボクサー、タデウシュ・ピトロシュコスキを描く。で、強制収容所の様子といい、ナチスの衛兵や看守の(私生活を含む)描き方といい、また囚人たちの様子といい、特に目新しいということはないのだが、眼を離せぬ迫力で、これはやはり作者渾身の書かれなければならなかった作品なのだなとは、思わせられる。囚人として小間使いのように使われている10代後半の少女の「反撃」(と死)、その少女に秘かな思いを持ち天使の彫像を送る少年と、腸チフスで幼い息子を亡くした将校の会話とか、父を思うその少年と主人公の会話とか、どちらかといえば傍系の物語が印象に残る描き方で、「ここでのボクシングはスポーツではない」と言いつつ殴り合い相手を倒していく主人公の物語を支えている。(7月26日 新宿武蔵野館 169)


⑭哭悲 THE SADNESS
監督:ロブ・ジャバス(賈宥廷) 出演:レジーナ・レイ(雷嘉汭) ぺラント・チュウ(朱軒洋)王自強 ジョニー・ワン ラン・ウェイホア アップル・チェン 2021台湾 100分 ★

最初確か2週間限定とかで7月初めから始まった本作、最初のころは数日先まで満席?というような状況で、21日まで、28日までとのび、ならばやはり押さえておくべきかと、見に行った26日現在、上映はさらに1週間伸びて8月4日までになっている。「二度と見たくない傑作」というのはまあ、他に類を見ないという惹句ではあろうが、ホラーだしな、パンデミック映画でもあり、台湾人はどんな思いでこの作品を受けれたんだろうと思いつつ。監督はカナダ出身の台湾在住の若い人。
で、ここまでは見る前に書いた。そして見たら、たしかに血みどろで感染者に食いつかれた人は原型とどめずという感じのスプラッタではある…しかし意外に情感こもった音楽、ストーリー、離れ離れになった恋人たちの再会の悲劇、感染に一人立ち向かい抗体を作り出そうとする博士の善意と悪意?の二面性とか、暑い台北の空気感とともによく描けているじゃない?
王自強演じる電車の中のちょっとセクハラオジサン(このセクハラも感染ゆえなのか、それとももともとなのか、人が感染によって変貌していくさまを描きつつ、それがもしかして「本質」の露呈なのではないかと思わせる怖さもある)から凶暴な殺人鬼になり、ヒロインに叩き殺される(これも彼女は実は抗体を持っているという設定で感染ゆえではないことになる)が、感染して狂暴になるにつれ、それまでの国語(北京語)から台湾語にことばが変わっていくのも何とも興味深い。コロナウィルスのほぼ撲滅?に世界に先駆けて成功している台湾だからこそできた映画?衝撃的なのはTVでの記者会見場で突如発症した統幕長?が総統に襲い掛かるシーン。ありそうな感じだものね。。(7月26日 新宿武蔵野館 170)


⑮映画はアリスから始まった BE NATURAL
監督:パメラ・B・グリーン ナレーション・製作総指揮:ジョディ・フォスター 製作:ロバート・レッドフォード 出演:アリス・ギイ=ブラシェ シモーヌ・ブラシェ ベン・キングスレー アニエス・ヴァルダ マーティン・スコセッシ  2018米103分 ★★

5月、シネマ・ヴェーラの特集で初めて見た「短編集」6本の作者、アリス・ギイの1000本もの映画を作ったという人生と、それにもかかわらず作った作品は他人のものとされ、散逸してしまった、その謎を追うドキュメンタリー。
1895年初めて上映されたリュミエール兄弟の映画上映に立ち会ったのが22歳,ドーモン社の秘書だったアリス・ギイでその翌年には最初の劇映画『キャベツ畑の妖精』を作ったというからすごい。そして1957年と64年?90歳くらいの本人インタヴューも挟み込まれた、丹念な追跡のドキュメンタリーの情報量も圧巻。そんな力が全く評価されず、「秘書」が女性の唯一といっていいようなステータス(アリスの娘シモーヌも、ヨーロッパ・アメリカの国連機関を股にかけてはいたものの「秘書」として母に最期まで寄り添い付き添った人だったらしい)だった時代の暗黒というか暗澹なのだが…映画のはじめ多くの人が「アリス・ギイ?そんな人は知らない」というのだが、終わってみるとそうそうたるメンバーが彼女に敬意を寄せていることばも…しっかし、すごい人生だよな、苦しかったのか、格好良かったのか、悩ましかったのか、満ち足りていたのか、まさに盛りだくさんな生き方だ。(7月27日 アップリンク吉祥寺 171)

⑯夜明けの夫婦
監督:山内ケンジ 出演:鄭亜美 泉拓磨 石川彰子 岩谷健司 2021日本 135分 

元バリバリの「左翼」系の教師だったあきこ(姑)は遠慮がちなふうで実はけっこう圧迫的に嫁・サラに子作りをせまる。嫁は「お母様・お父様+丁寧体」でしおらしいのだが、こちらもなかなか一筋縄ではいかず、息子の神戸転勤を前に再就職してしまう。その嫁の理解者風でありながら、ふらりとよろめくのが舅。そして息子康介(サラの夫)には88日ぶりとかで会う愛人がいて、すごいプレゼントを渡される。彼とサラは二階に住むが、コロナの間はセックスレス。子作りを迫られ、あまり乗り気ではないものの若夫婦、状況打開は必要で試してみるもののどうもうまくいかない…サラの心に夫とはもうだめなのではないかという思いも…と何やら深刻な風情なのだが…サラが酔っぱらって眠る寝室に現われる夫の彼女、アキコの前に、それぞれ幼い子を抱きながら突然現れてアキコにも子どもを作れ、まだ大丈夫と迫る元教え子たちとアキコの妹、そして最後の場面でアキコの前に並ぶ家族のとんでもない姿とか、夢とも白昼夢ともつかない幻影が挟み込まれ、現実との境界も定かではないような、白髪のアキコと黒髪のアキコ、皆が集う1階の今と、セックスだけが行われる2階の寝室そういう裏表のズレというかすれ違い、それらはまあ、滑稽な話なのだろうが意外に深刻でこの先どうなる?と思っているとウーン、なるほどという帰結。
「純粋社会派深刻喜劇」だそうで、なるほどね。135分は長くて心配したし、そんなにドラマティックな場面展開もないのだが眠くはならず、たいしたものだ!(7月27日 新宿ピカデリー 172)


⑰恋するボクとゾンビの呪い
監督:ジェイド・カストロ 出演:マーティン・エクステ―ロ ローレン・ヤン カービー・サモーラ マリアン・リヴェラ  ユージン・ドミンゴ オデット・カーン ロデリック・パウラ―テ 2011フィリピン 96分

冒頭に2011年当時のフィリピンの社会状況を反映しているー現在とは違うーという断り書きが出る。10年ばかり前の状況ということになるわけだが、そんなに現在は違っている?どう変わったのか?と気になりつつの鑑賞。
舞台はフィリピンの地方都市ルクバン。母親と墓参りに行く少年が街でゲイ(というか、一種独特のスタイルをしたドラーグクイーンたち)を見ては嘲り母親にたしなめられ、墓であった一人の「彼女」に将来お前もゲイになると呪いをかけられるところから。11年後21歳の誕生日を目前にしたその少年ーレミントンが、見かけた女の子ハンナに心惹かれつつ、夢とも現実ともつかぬ中でことばも心も体も?ゲイ化していく。同時進行で街でゲイを狙って起こる連続殺人、捜査に向かうのはレミントンの母親である警部補(部下の女性警官がなんともとぼけておかしい、この街は市長も女性でしっかり者の女性が、のんたらしている男たちを引っ張っていく感じがある)殺人の解明(とはいってもわりと早い段階で、この殺人の謎は観客には明かされるのだが)とレミントンの困惑ぶり、彼のゲイ化によって周辺が違った姿を見せるあたり、そしてレミントンとハンナ、友人の3人が呪いを解くべく、11年前の謎のゲイを探して訪ねて行き、呪いの解き方がわかる―そこから街を跋扈するゾンビ(殺されたゲイたちがよみがえり?ゾンビ化したらしい)との闘い?呪いの思いがけない形での解決。そしてそこからは今までそれほどでもなかったレミントンの父親(家で食堂を経営している)が「活躍」ということで、ウーン。まあ、フィリピンでの差別されてきたゲイとその解消という主題に娯楽的に迫ったんだけど、ん?これでいいのかな?という若いとはいえ主人公のウーン?態度行動にちょっと疑問も感じなくはないという一作。
平日昼の回とはいえ、とうとう劇場内たった一人での鑑賞。日本では初めてかもしれない…(香港とかでは経験あるが)大丈夫か?K’Sシネマ! (7月29日 新宿K'Sシネマ 173)

⑱戦争と女の顔
監督:カンテミール・バラ―コフ 出演:ヴィクトリア・ミロシニチェンコ ヴァシリサ・ベレリギナ アンドレイ・ヴァイコフ イーゴリ・シローコフ 2019ロシア 137分★★★

1945年戦後のレニングラードで、戦争から戻って軍病院で働く二人の女性のPTSDのありよう…。先に戻ったイーヤ(これ、最初の設定からそうなのか、演じる人がそうだった偶然?なのかわからないが、人ごみの中にいても頭一つ分飛び出して見える「のっぽ」なのにいつもうつむき加減に背を丸めがちなのが痛々しい)は戦地での脳震盪の後遺症?でときどき意識が飛んで周りとの関係が断たれる発作を起こす。彼女は幼い息子パーシュカを育てながら働いている(この子がまた名演技)が、あるとき発作がもとで悲劇が起こり息子を失う。そこに後から戻ってきたのがマーシャで、実はパーシュカは戦地から先に戻るイーヤにマーシャが預けた息子だった。二人の再会のシーン、それは息子の死がマーシャに明らかになる場でもあり、一種の緊迫感に包まれて、この後二人の間はどうなるのだろうと思わせられるのだが…マーシャはイーヤを「踊りに行こう」と誘い、そこで男性二人組を拾って関係を持つ。小柄だが意志力強引という感じでイーヤの中にあるのは失った子の代わりを取り戻したいということで、彼女はこのあと映画全編を通じ、その思いを貫こうとする。
実は彼女自身過去に負った傷で子宮を失っている。軍病院の院長にそれを明らかにされたマーシャは、ならばと、イーヤに出産をさせようとして、院長をも巻き込み策略・脅迫まがいの子作り作戦を展開させることになる。マーシャはエネルギッシュで強そうだが、実は彼女の欠落感―戦争で受けた傷は大きいもので、その痛々しさが迫ってくる。
入院中の、ケガによって回復の見込みのない全身不随に陥った「英雄」、視察に来る政府関係者の高官女性(お城のような豪邸に住んでいるのが、ウーン。やはりこの時代もそうなのだね。彼女とマーシャの偽善・偽悪に満ちた対決もすごい)、その息子は偶然の出会いでマーシャと関係を持った青年で、彼女に好意を持ちさまざまな食料をもって彼女にアタックする。彼らを絡めつつ、女たちが欠落を埋められず、抵抗しつつもさらに痛めつけられていく様子がつらいが目を離せない。最後は…二人の関係結局明るい方向には行きそうもない?いや、二人の関係だけはしっかり続いていくであろうという意味では希望もある??いや…。と、ある意味思いもかけない展開でもあった。
画面の落ち着いたというかむしろくすんだ色調も、いかにも45年当時のロシア(ソ連)を思わせ、印象的。登場人物の意識によって外の音が変わるような音響の演出も。ノーベル賞をとったスヴェトラ―ナ・アレクシエーヴィッチ『戦争は女の顔をしていない』が原案となっているというが、あくまで原案という感じで、しっかりした独立作品だ。(7月29日 新宿武蔵野館174)

書きました! よかったら読んでください。

「よりぬき【中国語圏】映画日記 「香港に残って生きる」ということー『少年たちの時代革命』『アニタ』  TH91号(2022・7) アトリエサード・書苑新社 


白山の花特集
名前は一生懸命調べてるのですが今イチよくわからないものも
詳しい方がいたら是非教えてください!

ニッコウキスゲ
オンタデ
カラマツソウ
クルマユリ?
イワカガミ
白山名物?クロユリ
クロユリもう1枚アップ
コバイケイソウ
キヌガサソウ
サンカヨウ(実)
黄色い花はいっぱいあるがイマイチ名前がわからない⤵
イワオウギ?
ハクサンコザクラ
ハクサンフウロ

ベニバナイチゴ
               
               以上! お疲れさまでした。

コロナが再び猛威を振るい、山にもいつまで行けるのか…、暑さも猛威を振るっておりますが、どうぞみなさんお元気で。
 


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