【勝手気ままに映画日記】2022年5月

久しぶり、ほんとに久しぶりの富士山は大菩薩嶺への途上稜線から。この日も見えたと思うと霧に隠れ…。数年ぶりの大菩薩峠を経てン10年ぶりに小金沢連嶺を縦走しました!

5月14日大菩薩峠~小金沢連嶺方面。パノラマで撮ってみましたがあるべきはずの富士山はここでは見えず⤵😢

5月の山歩きは
7日:三頭山(1531m)~槙寄山縦走 10.6Km
14日:大菩薩嶺(2057m)~大菩薩峠~小金沢連嶺縦走10.2Km
28日:大山三峰山(934m)ただし急登・鎖場・岩場の難所あり 10.0Km
でした。加齢と華麗に競走中ですので、登ったことのない山、昔行ってしばらく行っていない山を中心に、少し難所にも歩けるうちに挑戦中です。


①ふたつの部屋、ふたりの暮らし ②山歌 ③少林寺4Kリマスター版 ④不都合な理想の夫婦 ⑤ツユクサ ➅アリス・ギイ短編集 ⑦人生の高度計 ➇彼女の名誉 ⑨マイスモールランド ⑩偽善者 ⑪毒流 ⑫汚点 ⑬恐れずに ⑭チェルノブイリ1986 ⑮パリ13区⑯流浪の月 ⑰教育と愛国 ⑱春原さんのうた ⑲グロリアスー世界を動かした女たち ⑳大河への道 ㉑ワンセカンド 永遠の24フレーム ㉒パイナップル・ツアー(デジタルリマスター版)㉓ドンバス ㉔ヨナグニ 旅立ちの島 ㉕ばちらぬん ㉖シン・ウルトラマン

➅⑦⑧⑩⑪⑫⑬は「「特集:アメリカ映画史上の女性先駆者たち」(渋谷シネマヴェーラ)後は概ね話題作中心ですが、②⑤⑨⑯⑰⑱⑳㉒㉕㉖と日本映画が10本、③㉑は中国語圏映画、そして、後半を中心に⑰㉔㉕(⑲㉓もちょとそれっぽい)ドキュメンタリー作品も。
★★2つはなるほど! ★★★3つはおススメ(あくまでも個人的な感想です)ということで。各映画最後の()内の数字は今年になって劇場で見た映画の通し番号です)


①ふたつの部屋、ふたりの暮らし
監督:フィリッポ・メネゲッティ 出演:バルバラ・スコヴァ マルティーヌ・シュヴァリエ レア・ドリュッケール ミュリエル・ベナゼルフ ジェローム・ヴァレンフラン 2019フランス・ルクセンブルク・ベルギー(フランス語)95分 ★★

監督はイタリア人。これが初長編監督作だそうだが、すばらしい成熟度で完成された作品だと思った。ヒロイン二人はドイツ人でハンナ・アーレントなどを演じて私の中では「硬派」のイメージだったバルバラ・スコヴァだが、本作では感情露出の激しい自由人でおしゃれ、活動的なニナ、もう一人はコメディ・フランセーズの有名女優だというマルティーヌ・シュヴァリエでこちらは後半まったく台詞のない体も不自由という厳しい条件下で感情を表すという挑戦をしている。
マンション最上階エレベータドアを挟んで向かい合った部屋に住むマド(マドレーヌ)とニナは20年来の恋愛関係。マドは夫と死別し、シングルマザーの娘と、パートナーに優しい息子とを持つ母親。彼女たちはこのマンションを売って、かつて出会ったローマに移住して二人で暮らすことにしているが、マドは子どもたちにそのことをなかなか出だせず、家の売却も滞り、ニナはいらいらする。
というところでマドが突然脳梗塞で倒れる。最初は意識があるのかどうかもわからないような状態だが、だんだん回復し退院して介護士(これが移民系?の人として描かれているようでしかも悪役。物語展開上必要な人とは言え、ちょっとどうかな…と気になるところ)に世話をされながら家に戻ることになる。しかし、手足の機能は少しずつ戻るもののマドはことばがでなくなってしまう。マドが倒れた時見つけて救急車を呼んだのはニナだし、もちろん彼女は気にし続けるのだが、二人の関係を知らない周りは無関係なお節介もしくは過剰な介入としてニナを排除しようとし、ニナは苦しむ。マドももちろん苦しむわけだがこちらは口がきけず、患者として子どもや周りの人々に理解されない苦しみでもあり…というわけで、二人が犠牲も払いつつ、関係も回復していく―いや、できたのかどうか??という終わり方ではあるのだが、マドが病身で一歩を踏み出し、ニナは介護士の息子の逆恨み?で空き巣に入られ全財産を失うという犠牲を払いつつマドと抱き合う…。
暗い画面が多いのだがそれだけに自然の美しい明るい場面が出てくるとそれが目に沁み心に響くというような映画で、それは画面描写だけでなく物語全体にいきわたっている感覚かなと思われた。出だしは白いドレスと黒いドレスの少女二人のかくれんぼで黒いドレスが友を見失うというような象徴的な描写なのだが、印象的な雰囲気とはいえ、こういう場面がところどころに挟まれる―主にニナの幻想としてーのがちょっとうるさいような必要なのかなという気もしないでもなかったが。   (5月2日 シネスイッチ銀座 113)

②山歌
監督:笹谷稜平 出演:杉田雷鱗 小向なる 渋川清彦 内田春菊 飯田基佑 蘭妖子 2022日本 77分

何処とも知れぬ山の村(ちょっと那智という言葉が出てきた気もするが、エンドロールで目を凝らしてもどこで撮影しているのか、あちこちの地名が出てきて分からない)要は日本の原風景的な山の景色、その中で生きる最後の山窩の一家(祖母・父・娘)と、村の旧家ー今や当主は山林をゴルフ場に「開発」しようと計画中ーの、都会から来たいじめられっ子の中学生の息子(受験生)との交流と、そのいわば結末ー村の道を少年と少女が中学校に通うーまでを描く。
孤独な少年が山に住む父娘に惹かれ、父の怒りも制止もものともせず山にのめり込んでいく様子が、少年の母は山を愛し山で死んだというフラッシュバックを含むものの、全体的にはわりと押さえた感じで描かれるのだが…。それはとりもなおさず1965年を時代設定としながらー自動車なんかはしっかり昭和クラシックー渋川清彦演じる山人の父をはじめとして妙に現代的なところか。娘のほうもオリンピックや円谷について語ったり、元同じ山人仲間で街に下りて中学に行っている友だちがいるから、ということもあってか、昔風の山着姿とうらはらに現代風俗になじんでいる感じがする。もっともだからこそ最後の山窩が、町育ちの少年ーこれがまた案外たくましいーと縁をつなぎ山を下りるということになるのだろうが。町育ちが山にあこがれ山人が山を捨てるといういわば過渡期の交流が描かれるというところ。そうしてみると一家が祈るために行く山道も、少年が迷い込む山も深山というより、あたかも裏山という感じでおどろおどろしさもなく、そこに戸籍も家もなく済むという人を描くわりには野性味のない整えられた現代的美しさという感じだ。これは登場人物のセリフ回しも同様で整えられた標準語を山人も村人もしゃべるという、わざとらしいセリフ回しもあって、そういう意味ではリアリティ追及というより、一編の抒情詩でも描こうとした気配も感じる。(5月3日 テアトル新宿114)

③少林寺4Kリマスター版
監督:張鑫炎 出演:李連杰 于海 于承恵 丁嵐 王光權 閻滌華 張建文 1982中国・香港(北京語)100分

時は隋朝末期、圧政を敷き人民を搾取する支配者王将軍に立ち向かい父を殺された青年が。自らも負傷して少林寺に匿われ、復讐を決意、修行をして王に立ち向かう李将軍を助け少林寺の13人の僧とともに王将軍を打ち負かす、というわけで、ここに僧の厳しい戒律を守るか守らないかというような問題を絡めて、主人公シャを助けるタン師父、その娘のパイとのほのかな?恋ごころというわけで全編8割くらいは格闘シーン。そういう場面があまりに続くと格闘なのにちょっと眠くなったりもしたし、女性差別的な言辞に辟易(映画の最初に時代を考慮して元のまま残すという言い訳的お知らせが入る)もしたが、軽妙な合唱付き音楽も含めて活気があって、まあ当時としてはヒットしたのもわかるという作品。なによりまだ青年というより少年的な面持ちもありつつやたらと強いジェット・リーの可愛らしさ?はウーン。なるほどね、という感じ。このころの香港映画、ましてカンフー片は劇場では見ていなかったという自覚があったので見に行ったが、これは多分DVD等でも見ていないかったかも…。40年前にタイムスリップしたような気分の100分だった。少林寺の僧が頭頂に据えられる6点のお灸、あれなんなんだ?マンガ的。(5月3日 新宿武蔵野館 115)

④不都合な理想の夫婦
監督:ショーン・ダーキン 出演:ジュード・ロウ キャリー・クーン 2019英 107分

ジュード・ロウというのはあまり人の好い、いい人の役には合わない。『ファンタスティック・ビースト』のダンブルドアみたいな役も顔を髭もじゃメイクにしているからはまるのかもね…。今回は有能ではあるようだがむしろ見栄っ張り、発想はあっても地道な細部を詰められず家庭生活も職業生活も破滅していく男で、とはいえあわれというよりいかにも憎々し気?妻の気持ちがよくわかるというような、そう考えると名演技ということかも。
イギリスを飛び出しアメリカで成功(これも、なんか、もしかすると半分は主人公の虚飾化もしれないのだが、一応イギリスに戻り郊外の豪邸を借り、息子を名門校に入れ、妻には広い敷地と5000ドルの馬を買い与えということで、あながち虚飾だけではない?)した主人公だが、家でも職場でも自分の状況を見つめるより飾り立て恰好をつけて失敗していく男と、振り回されて不信でいっぱいで夫を批判する妻の行きつく先という話。ウーン、ありそうな感じもあって楽しむというよりはなんか重苦しい気分にさせられる。最後は妻の連れ子の姉娘によって一家が癒される(ネタバレですみません)わけだが、この娘を自分の子としてしっかり育てる主人公自身が少し救い?ただ、途中その存在を妻にも言わず長年絶縁していた母を訪ねて行った主人公が家族の写真を見せる場面では、その前に豪邸に引っ越した時にはずみで娘だけが入らない写真が1枚撮れてしまった、それを見せるというあたりは、やはり母親にまで率直にはなれない彼の孤独と虚飾を感じさせられて痛々しい感じも…。
(5月5日 キノシネマ立川 116)

⑤ツユクサ
監督:平山秀幸 出演:小林聡美 平岩紙 江口のりこ 斎藤汰鷹 渋川清彦 松重豊 泉谷しげる ベンガル 2022日本 95分

一人暮らしの女性が生活の細部を楽しみつつ質素な暮らしをしながらの中で人々―特に女友達ーとのつながりを人生の糧として生きていく姿(スローライフ?)を描くという点では小林聡美主演の『カモメ食堂』(2005荻上直子)『メガネ』(2007荻上)『プール』(2009大森美香)『マザー・ウォーター』(2020松本佳奈)などの系列を受け継ぐような作品だが、今回は男性監督・平山秀幸作品で、隕石の落下とか、ツユクサを介して(つまりモノを介して)の他者、特に同年代以上の中年男性や死んだ息子の代替物みたいな少年とのとのつながりを描く。他の登場人物はともかく小林演じるヒロインについては、生活そのものを描いた今迄の作品と違い、彼女自身が秘密の過去を抱えた人間として種明かしがされるあたりが今までとちょっと異質というか、普通(フツー)という感じもした。
女友達も過去のもたいまさこ・市川実日子あたりからちょっと色合いが変わり平岩、江口は違った意味で軽妙だし、しかもそれぞれドラマティックな物語を抱えるあたりもウーン。フツーの映画として、進化した?あるいはつまらなくなった?どちらの見方もできそうな気がする。小林聡美主演に引きずられた感想だが…。(5月5日 キノシネマ立川 117)

➅アリス・ギイ短編集
監督:アリス・ギイ 1912米・モノクロ・サイレント70分

恐ろしい教訓(出演:リ―・ベックス 14分)かけ事に夢中な男が勝負に勝って胴元に騙され閉じ込められた仕掛け部屋から脱出、警官が胴元を捕まえるまで。
刑事の犬(出演:ダーゥイン・カー ブランチ・コーンウォール マクダ・フォイ リ―・ベックス 10分)娘のために犬(警察犬?とも見えない)を引き取った刑事が悪者の家に踏み込んで逆に罠にかかって捕まえられ拘束されるが、犬が猛然と助けに行く話。
ストライキ(出演:マクダ・フォイ 9分)争議の中で代表に選ばれた男と、その留守家族。留守宅で火事がおこり男とその仲間が妻と子を救う、のだが火の燃えている部屋は赤系、隣の部屋はブルー・グリーン系、火事シーンとその他シーンで色を変えて、ビジュアル的な工夫が面白い。
変装(出演:ブランチ・コーンウェル リ―・ベックス ダーウィン・カー 11分)結婚に反対され父が「伯爵」を結婚相手として連れてくる。娘は恋人に伯爵そっくりの変装をさせて父の目をくらませようとする…。
アメリカ市民の作り方(出演:リ―・ベックス ブランチ・コーンウォール 12分)ロシアからアメリカに移住してきた夫婦。夫は妻とロバを並べて車を引かせ、荷物を持たせ杖で小突き、妻に畑を耕させて自分は楽々休むというような男だが、そのたびにアメリカでは誰かが現れて夫を妻と同じような目に合わせるという繰り返しのヴバリエーションで、夫が妻と平等な「アメリカ市民」になるまで。マンガ的だがなかなか面白く主張が見える作品。
アームチェアの少女(出演:ブランチ・コーンウォール メイス・グリーンリーフ14分)莫大な遺産を相続した娘は、寄宿した家の息子に恋するが、息子の方は気にも留めず、ばくちで大きな借金を作り、父の金を盗んで返済しようとする。それを父に知られぬように補って姿を消す娘…。恋を貫く聡明な娘というわけらしいが、うーん。

というわけでなかなかに中身充実の6本連作。ほぼ固定カメラでけっこう長回ししながら演劇的な撮り方だが、当時のカメラ機材などの限界をうまく利用して作っている。ただし台詞なしで画面の中でほんのちょっとし動き(ものを渡すとか)でストーリーが展開するので気を抜くと話がなんだか分からなくなる。それと出演者も6本結構かぶっているので、それも老いた目には見分けが難しかったりして。でもすごいな~フランスからアメリカに渡った初の女性監督作品という。(5月6日 渋谷シネマヴェーラ 特集:アメリカ映画史上の女性先駆者たち 118) 

⑦人生の高度計
監督:ドロシー・アーズナー 出演:キャサリン・ヘップバーン コリン・クライヴ ヘレン・チャンドラー ビリー・バーク 1933米 モノクロ75分

キャサリン・ヘップバーンの初主演で、彼女は自立して冒険心旺盛な飛行士役。あるパーティで20歳以上魅力的だが恋愛経験のない女性を探すという宝さがしに引っ掛かり、同じく結婚5年以上で妻以外の浮気相手を持たない男に選ばれた愛妻家の国会議員と恋におち、つまりは不倫に走るという物語。国会議員の娘も実は不倫中というわけで、そちら母親の反対で一度は別れるもの相手が離婚したことにより恋愛を成就、子どもにも恵まれる。一方の飛行士と国会議員のほうはそうはいかず(2人ともそもそもの立場が逆転するような状況になっているわけだ)不倫であるにもかかわらず、男は空を飛ぶ危険を言い立てて彼女は空と男との間で引き裂かれ、やがて妊娠するも、望まぬ妊娠でもあり、最後に悲劇的な決意・結末を迎えると、対比的に描かれる物語。
ヘップバーンがあまりにすっきりと格好いいいでたちで現れるので、その結末のジェンダー悲劇ぶり(これもけっこう格好良く?描かれるのだが)がそぐわないというか、より強調されている。不倫は悪という、きわめて倫理的な作品でもある。まあ、時代を考えれば当然かも。 (5月8日渋谷シネマヴェーラ 特集:アメリカ映画史上の女性先駆者たち 119) 

➇彼女の名誉
監督:ドロシー・アーズナー 出演:クローデット・コルベール フレドリック・マーチ モンロー・オーズリ― チャーリー・ラグルス 1931米 モノクロ76分

⑦の3年前、同じ女性監督作品。こちらはクローデット・コルベールが、有能な社長秘書として現れ、会議を仕切る場面から、やはりさっそうと。
社長ジェリーは女友達もいて、仕事は有能そうだが、遊びも激しく秘書の彼女(ジュリア)にもちょっかいを出すという感じで、ジュリアは軽くあしらい、実は別に株式仲買人の恋人がいる。前半は男たちの鞘当てまがいのあれこれの中で彼女が結婚。ジェリーは彼女を解雇し、なぜか彼女の夫を自身の仲買人に指名する。ところが1年後(だったかな)彼女の夫は危険とされたシルクの相場に手を出してジェリーを含む顧客から預かった金も含め大損害、やけになり…というわけで彼女も支えようとはするのだがどうにもならず、とうとう彼女は夫に愛想をつかし出ていくが、ジェリーを疑った夫はピストルを持って妻を探して乗り込んで…という展開で終わりはアクションミステリーまがいに。
この映画も前半かなりさっそうと機知にとんだやり取りもして恰好いい自立した女性だったジュリアが、なぜか後半結婚に呑み込まれ夫をすてて、しかし最後はジェリーのもとへ??みたいな展開で途中から彼女の性格も、また物語のテイストもちょっと変わってしまったようなのが、惜しいというか、ウーン。この時代の女性の生き方の限界?も感じさせられるようですっきりしない。(5月8日渋谷シネマヴェーラ 特集:アメリカ映画史上の女性先駆者たち 120)

⑨マイスモールランド
監督:川和田恵真 出演:嵐莉菜 奥平大兼 アラシ・カーフィザデー リリ・カーフィザデー リオン・カーフィザデー 藤井隆 池脇千鶴 韓英恵 サヘル・ローズ 平泉成 2022 日本114分 ★★★



1991年生まれ英・日にルーツを持つ若い女性監督(分福制作で、是枝裕和も製作に名を連ねている)が、5か国にルーツを持つという現役高校生のモデルを主人公に撮った商業映画初監督作品。埼玉在住の難民申請中のクルド人一家を長女の視点で描いたドラマで、『東京クルド』『牛久』の世界がいよいよ劇映画として描かれる。
どこ、というふうに限定はしないものの、反政府の声をあげたことから迫害を受け国にいられず幼い子を連れて日本に来て10年以上、妻を亡くした父は、日本語もかなり達者で解体業に従事しているが、家では毎回クルド料理を作り食膳のクルドの祈りも欠かさないーつまり民族の誇りを持ち続けている。長女サーリャはクルド語・日本語の両方ができるのでクルド人と周りの日本社会の橋渡し的な役割を頼まれることも多い。成績優秀で小学校教師になりたいと大学の推薦を狙っているが、学費を稼ぐため隣接する東京都内のコンビニでバイトを始めた。そこで出会ったのが、やはり高校生の聡太。クルドについては何も知らないが偏見も持たない聡太との間にの間に淡い恋のようなっ感情も芽生える前半。サーリャの中学生の妹、小学生の弟はすでに日本語しかしゃべれない。
さて、難民申請が却下され、一家は突然不法滞在ということに。父は働くことも禁じられるが、しかし働かなくては一家は食べてはいけない。ということで就労が見つかり入管収容ということになり一家には子どもたち3人が残される。その後の苦境、進路も脅かされ、不法就労させられないとバイト先もクビになり、大家からは家賃の滞納を理由に退去を迫られと、どんどん追い詰められていく姉弟が、描かれて胸が苦しくなってくる。
かわいそうというより、聡太や、彼らを支えようとする弁護士、気にかけてはくれる同じクルド人の仲間たちも含め、周りの人が善意であり助けたいと願っても、(程度の差こそあれ)結局彼らを支えそこから助け出すことは観客も含めてできないという現実のつらさ、重さの方がむしろ突き付けられるのである。しかも若いみずみずしい青春映像はきわめて美しく、ヒロインはけなげで魅力的で、実直な一家の互いへの思いやりや、状況に耐える姿も心に沁みる描き方。最後に全く希望への展開はないのだが、それでもなんとかここで生きていくと希望を見出そうとするかのような終わり方(これは是枝映画っぽいか…)まで、今この社会にあるべき映画、考えさせられる、しかも詩的でもある必見の一作となったと思う。(5月9日 新宿ピカデリー121)

⑩偽善者・⑪毒流

⑩偽善者 監督:ロイス・ウェーバー 出演:コートネイ・フィート ハーバート・スタンディ 1915米 白黒サイレント50分
初期映画という新しい作品技法を存分に生かし、例えば聖職者が椅子から立ち上がると衣装が変わって聖ガブリエルになり、彼が訪ねる運命の門からは二重写しになった全裸の女性のぼんやり映像で運命の女神という具合で、当時初めてこの映画を見た人々はその奇異に驚き感嘆しただろうなあという映像ビジュアル。現代?の教会に集う人々と、ガブリエルの遍歴的エピソードの寓意が重ね合わせられて、いかにも映画初期時代の野心作という芸術的作品になっていて面白かった。 
⑪毒流 監督:ロイス・ウェーバー 出演:メアリー・マクラレン ハリー・グリフィス 1916米 白黒サイレント50分
こちらはデパートで売り子をする貧しい女性の物語。父は働かず読書三昧(賭け事や女ではなく読書というのが面白い。知的階層なのかな一応、その脆弱な一面かも)母は娘の週5ドルの給料をあてにして家賃を払い生活費をねん出しという暮らし。下には幼い妹たちが3人。娘は靴が破れて毎日底に段ボールを敷いてもたせるているような状態だが、どうしても靴の費用が捻出できず、とうとう誘われたダンスホールで身を売る…。妻や娘におぶさって当然という父の有様、一度でも身を売ることがすべての人生の終焉であるかのように新しい靴を得ても嘆き悲しみに暮れる娘。父にそのことがばれたら怒りを買うとして隠そうとする母ーそのあたりに、この時代の女性が社会や家庭で置かれた立場が反映して、もちろん解決の道筋が提示されるわけではないが、ジェンダー的な問題意識がはっきりと表れていることに驚く。 (5月11日渋谷シネマヴェーラ 特集:アメリカ映画史上の女性先駆者たち 122・123))

⑫汚点 
監督:ロイス・ウェーバー 出演:フィリップ・ハバード マーガレット・マックウェイド クレア・ウィンザー 1921米 白黒サイレント94分  124

こちらも同じロイス・ウェーバー作品で、知的職業従事者(大学教授)の貧困が隣家の靴職人一家(ウェーバーにとって靴は階級と富を表す象徴的なアイテムになっているとか。靴も履けない貧困層と対比してということであろうか)との対比で描かれる。そこに教え子の裕福な一家の息子や、教授と親しい貧しい聖職者の青年などが絡み…貧困が女性の生活に大きく影響して彼女たちの生き方を変えてしまうような、それに対して男たちは脳天気に他人事のように無責任な態度を取り、貧困を救うには若い男の女性への愛や、金持ちの慈善的意識というコンセプトは『毒流』とも共通するが、やや知識階層で一種の誇りや奢りも持って貧しさに耐えにくい階層を描いているという意味では、『毒流』の直球勝負ぶりに比べても、いささかの皮肉や、また映画内の調度ビジュアルが眼をひくという意味でも進化が感じられるといえようか。(5月11日渋谷シネマヴェーラ 特集:アメリカ映画史上の女性先駆者たち 124)

⑬恐れずに
監督:アイダ・ルピノ 出演:サリー・フォレスト キーフ・ブラッセル ヒュー・オブライエン ローレンス・ドプキン 1950米 モノクロ 81分

3本の音楽のみのサイレント映画に少し疲れ、音声台詞のある少し新しい作品を、というわけで出だしから「近代的」な登場人物の装いがなんかまぶしく…もっとも男性のズボンの幅とか、ダンサーとはいえ女性の「ショートパンツ」のカットとかはウーン、いかにも大戦後のアメリカなんだが。物語はショービジネスの世界で将来を嘱望される成果をあげた男女ダンサーペアの女性が突然ポリオに倒れ、両足がマヒしてしまう…、絶望と、ひたすらのリハビリで復帰を目指しつつ、愛してくれる相手の男性ダンサー兼プロデューサーとの葛藤、リハビリ施設で知り合う車椅子の男性の励ましなど、なんというか定番的な描き方。ヒロインはダンスの世界への復帰はかなわないが、順調に回復し、杖1本で退院の日、将来を考えて断ち切り別れたダンサーの恋人が迎えに来て、という感動ドラマにしてあるが、当時の時代を考えれば新しい世界を描いたんだろうけれど、今の目で見ると展開は予想通りに進んでいって、新規のリハビリテーション宣伝映画のような感じもしなくもない。(5月11日渋谷シネマヴェーラ 特集:アメリカ映画史上の女性先駆者たち 125)

⑭チェルノブイリ1986
監督:ダニーラ・コズロフスキー  製作:アレクサンドル・ロドニャンスキー 出演:ダニーラ・コズロフスキー オクサナ・アキンシナ フィリップ・アヴデーエフ 2022ロシア 135分



ロシア映画だが、主演も兼ねる若いロシア人監督と、ウクライナ出身のプロデューサーが作った、いわば渾身の1本。公式HPにはウクライナ侵攻に反対して、平和への普遍的な希望としてこの映画が作られ今のこの時期に世界に向けて公開するという決意のメッセージ付き。内容は…1986年チェルノブイリ爆発前夜、10年ぶりに再会した男女、それぞれの思いと、そこから消防士である男が原発の更なる状況の悪化を阻止するために2度にわたって原発の奥底に潜っていくという、いわば英雄譚として描かれている。モテモテ系で10年前(多分互いの若いワガママから?)別れた男が再会してみると女はシングルマザーとして10歳の息子を育てている。その息子が夕方友人と出かけて原発事故に遭遇し、被ばくする。彼の治療をスイスで受けさせるために、男はこれを交換条件として引き受け手のいない決死隊に志願するというわけで、メロドラマ的要素も盛り込みつつ、原発爆破とその中で消火に当たりながら次々倒れていく消防士たちの姿や問題を解決するためのソヴィエト政府の選択、そして決死の原発内での作業やそこに関わる人々の苦しみなどの間に、男が女を思う(がそれを上手に伝えることはできない)情や、そこから思い浮かべる美しい海辺のが幻想など、くっきりと対比させ、最後までぐいぐいと引っ張っていく。「事実の重さ」ということはもちろんあるし、それが映画を引っ張諦るのは確かではあるが、そこに絡める単純だがうなづける人間ドラマ?の部分も頑張っていて見ごたえがあった。(5月12日 新宿ピカデリー126)

⑮パリ13区
監督:ジャック・オーディアール 出演:ルーシー・チャン マキタ・サンバ ノエミ・メルラン ジェニー・べス 2021仏(フランス語・中国語) 105分  

「「燃ゆる女の肖像」で一躍世界から注目される監督となったセリーヌ・シアマと、新進の監督・脚本家レア・ミシウスとともに脚本を手がけ、デジタル化された現代社会を生きるミレニアル世代の男女の孤独や不安、セックス、愛について描いたドラマ」ということだが、『映画で見つめる世界の今』(BS1毎月月末の火曜日)の藤原帰一氏の4月推奨のモノクロ作品の1本ということで見る。
中国系フランス人女性エミリーとアフリカ系の男性カミーユがルームシェアから始まりセックス関係になるが女が執着するのに男はかえりみず、部屋を出てやがて新しい職場の不動産屋でノラ(『燃ゆる女の肖像』に出ていたノエミ・メルラン)と知り合う。ノラは30を過ぎてソルボンヌ大学に復学するが、金髪のヘアウィッグをつけて参加したパーティで、オンラインでセックスをするポルノスター、アンバー・スィートと間違えられ、SNSで炎上して大学に居づらくなり不動産屋に就職したのである。こちらはカミーユがノラにひかれていくのだが性関係を結びながらもノラはイマイチ気乗りがしない雰囲気。一方彼女は自分が間違えられたアンバー・スィートのサイトの最初は客として、やがては親しくなり個人的にスカイプでいろいろと話し意気投合するようになる。そしていよいよ二人は実際に会うが…、というところまでで、要は相思相愛にはならない男女の気持ちのすれ違い堂々巡りはそんなに新しい現代的なパターンとも思えないし、とにかく性愛から関係がはじまりなにより性愛にこだわる男女というところではいかにもフランス映画という感じだが、ここでは移民系の中国人やフランス人が主人公であり、成就する愛は異性愛ではない、というあたりがやはりいかにも現代?を映し出しているのかな。
画面はアンバー・スィートの「営業」の1場面をのぞいては白黒で抑えてギラギラしない感じに撮っているあたり、なるほどこれがパリの当たり前の日常世界なのかなとも思わせられる。(5月13日 新宿ピカデリー127) 

⑯流浪の月
監督:李相日 出演:広瀬すず 松坂桃李 横浜流星 多部未華子 2022日本 150分

原作(凪良ゆう)を読んでから見るか、見てから読むかという1本だろうか。私は原作から読んで映画を見たのだけれど、最初はとにかく進み方の遅さー少女が「誘拐」されたときの状況の繰り返しのフラッシュ・バック、登場人物の境遇から見ると現実性がない感じの住居や店のリッチさ、それに原作からは省略されているいくつかの場面ー例えば「文」の店の階下でアンティークショップを営む柄本明扮する店主と映画の物語の関わりとか、「更紗」が「文」の隣に引っ越すまでの逡巡と決断あたりはばっさりカットされていてそぐわない感じなどにどうにも違和感があってなかなか物語世界に入って行けなかったのだが、まとめ方やハッピーエンド部分をこれもあっさりと描いて原作よりは説明がない部分二人の行く末に不安も含む余韻などを残しそれを中空に浮かぶ月と重ね合わせているところなどは、なるほど、映画になるとこうなるのだなあといううまさを感じさせられた。それにしても150分はやはり少し長すぎるようにも思う。出演者(特に若い4人)は大健闘といっていい感じ印象的な演技をしている(広瀬に関してはまあ期待通りだが)。(5月15日 府中TOHOシネマズ 128)

⑰教育と愛国
監督:斉加尚代 出演:井浦新(語り)2022日本 107分 ★★★



大阪・毎日放送の記者斉加が2教育現場への取材をもとにまとめた本作、1990年代から20年余りの教科書検定と出版社の攻防ー慰安婦や沖縄戦の記述で都内23区中21区の採択がなくなり倒産した日本書籍、かたや扶桑社版から枝分かれした自由社・育鵬社の神話からの国起こしを語る教科書、そして教える立場で新しい考えさせる教科書を作った学び舎択した学校に寄せられた政治家サイドからの抗議はがき(大量ー森友学園蒲池氏や防府市長が実名で)そして日本書籍版の元編集者・著者の一橋大名誉教授の吉田氏、育鵬社版の著者である東大の伊藤氏(90歳)の対照的立場へのインタヴュー(この伊藤の「日本国民を左翼にしてはならん」とか「政治の政治介入は問題ない」と言い切る姿に満員に近い劇場(ただし63人の小劇場だが)からはたびたびの失笑。しかし笑っていても背筋は寒くなる…)教育基本法改定に向けて熱弁を振るった安倍晋三や授業がやり玉にあげられた中学の女性教師や、科研費で慰安婦問題の研究をしたとして杉田水脈から攻撃された牟田和江氏ら研究者、さらに日本学術会議任命拒否問題まで、この20年余りの教育問題を映像とさまざまな立場の人のインタヴューで綴る。郷土愛とか伝統を大事にするという名目で政権与党が教科書や教育に介入していくことがすでに実際に行われ、従軍慰安婦は慰安婦に、強制連行は動員にと閣議での提起が教科書会社側の自主的な検定合格教科書の訂正申請として推奨され行われているという現実、それに対して吉田豊氏の「教科書が学説によって書かれなくなる」(つまり科学性よりは時の政権の政治性により国民が操作されるということ)という言の重さに動きがとれず。それは今一つは若い日本語学習者のいわば中間言語の日本語としての問題をほじくるような研究をしている自分が、科学性というより日本語の伝統主義・正統主義に乗っかっているのではないかという不安もあるからだと、今後の自分のありようまでも考えさせられた。
(5月16日 ヒューマントラストシネマ有楽町 129)

⑱春原さんのうた
監督・脚本:杉田協士 出演:荒木千佳 新部聖子 金子岳憲 伊東沙保 2021日本スタンダードサイズ 120分

ポレポレ東中野でロングランにつぐロングランー最後は夜8時半?くらいのレイトになってしまったが監督挨拶などもしょっちゅうあったみたいで、マルセイユ映画祭での受賞ということもあって気になっていたのが、ようやく下高井戸で1週間限定夕方上映、というわけで期待しつつ見に行ったのだが…ウーン。
最初にヒロイン沙知が日高さんという男性が住んでいたアパートに居抜きで引っ越してくるところから、彼女のその後の暮らしが延々と撮りとめもなく描かれていく。食べる場面がーそれもどら焼きとかケーキとか?ーやたらと多く、関係のよくわからない男女が訪ねてきてとりとめもない感じでしゃべり、窓の外の桜をめで、やがてそれが葉桜にそして半袖の夏という感じで半年くらいの季節の変わり目が映し出されー鮮やかなという感じではない、落ち着いているがなんかくすんだ色調。主役の女の子もちょっとぼてっとした感じのファッションで顎がない感じで穏やかそうだが、まあ普通の人(美女を求めているわけではないし、美を基準にするわけではない、なんてわざわざ言い訳するほど、そのあたりにいそうな雰囲気=実物は知らないが)。カメラは一場面に関してはほとんど固定され、しかも延々長回しで、話は展開しているのかいないのかもよくわからず、日高さんなのかそれとも春原さんなのか沙知は行方の分からなくなった人を求めているようなのだが、それもイマイチわからずウーン。
この雰囲気に浸れる人にとっては魅力的なのかもしれないが、残り時間の少ない?私にとってはなんか、とってもくたびれて、実はどう考えていいのかわからない映画。途中で沙知が男女の要請に応じて大きな布に風林火山という文字を書くシーンがあるのだが、その唐突さもなんかなあ、私には全然受け入れられなかった。残念ながら…。「春原さん」は東直子の短歌からインスパイアされたらしいしリコーダーも一応出ては来る。(5月17日 下高井戸シネマ 130)

一休みして… 国立新美術館で「メトロポリタン美術館展」と「ダミアン・ハーストの桜展」をハシゴ。すごく豊かな気分になれた1日でした(5・18)。



 

桜展は撮影OKでした!
 
 

                           

⑲グロリアスー世界を動かした女たち
監督:ジュリー・ティモア 出演:ジュリアン・ムーア アリシア・ヴィキャンベル ティモシー・ハットン ジャネール・モネイ ベッド・ミドラー ルル・ウィルソン ライアン・キエラ・アームストロング 2020米147分 ★★


アメリカの女性解放活動家グロリア・スタイネムの半生を描くーということで面白いのは幼児期ライアン・キエラ・アームストロング、少女期ルル・ウィルソン、そして2・30代のアリシア・ヴィキャンベルと40~60代のジュリアン・ムーア、そして最後の格好いい演説場面では深紅のストールをまとったグロリア・スタイネム自身(88歳で存命)の実物まで出てきて、しかも演じる4人は1人ずつだったり2人だったり4人全員だったりはするが、バスに同席して過去の彼女と現在の彼女が語り合うというような同時進行的な形によって彼女の人生が語られるという構造。
バニーガールになってクラブに潜入し、その労働環境の問題をレポートしたという有名なエピソードはわりとあっさり、『Ms』の発刊会議などは他の有名な活動家に扮した役者たちも含めてグロリア自身のヒロイン物語というよりは一種の群像的な女性どうしの連帯のドキュメンタリーみたいな描き方で、実際にキング牧師の行進なども含めドキュメンタリー映像が使われている場面もある。このあたりは情感を排し事実を淡々と、しかしインパクトある雰囲気で仕上げ、グロリアが、そのような立場に至った両親との関係や幼時の体験などはもちろんドラマ映像もあるのだが、その時の気持ちなどはバス車中のそれぞれの時代を演じる4人の対話として掘り下げていくという感じで、とっても面白い工夫された構成だと思えた。その結果グロリアの人間ドラマというより、同時代のアメリカの女性運動やその活動家たち(ほぼカラードもしくはネイティブアメリカンでいわゆる「白人」は少ない)のエネルギーが画面に満ち溢れるという結果になっているのも好感を感じる。(5月19日 キノシネマ立川 131)
  

⑳大河への道
監督:中西健二 原作:立川志の輔 出演:中井貴一 松山ケンイチ 北川景子 岸井ゆきの 平田満 橋爪功 草刈正雄 立川志の輔 西村正彦 和田正人 田中美央 溝口琢矢 2022日本 112分

原作は立川志の輔の新作落語で、中井貴一自身が企画し脚本森下佳子、4年がかりで60稿?とかの改稿が行われたとのこと。伊能忠敬の大河ドラマで町おこしを図りたい現代の香取市役所。「忠敬(ちゅうけい)さん」を知らず、冷めたというかとぼけた反応でで主人公池本を困らせる若手職員の松山ケンイチ、こちらは地元愛・忠敬愛たっぷりながら周りが見えない突飛なふるまいの岸井ゆきのがコメディの画面を支え、20年仕事をしていない大御所脚本家加藤を演じる橋爪功の活躍というか中井との掛け合いが記憶に残る。。
一方同じ現代の役者が伊能忠敬の周辺にいた人物を演じる1800年代江戸の時代劇は、コメディ要素も含みつつもむしろ主人伊能亡きあとその死を隠し、死が知れたなら費用も出ず製作が中断してしまうだろう日本地図作りに邁進する「伊能隊」と、伊能の師の息子、天文方の高橋景保、伊能の元4番目のの妻?おエイに焦点を当てた人情サスペンス?コメディという感じの仕上がりで、現代と江戸時代どちらが欠けても映画としては多分気の抜けた感じになっただろうと思われ、その意味では大変うまくできているなと思わせられる。
高齢の出演者の活躍が目立つが、そこに食い込む若手もなかなかの味をだして作品を支えている。しっかしな、史実としてはそうなんだ…、知らなかったとの驚き、伊能は55歳で20歳下の師高橋景義に師事したそうで、景保はその息子で、中井貴一が演じているが、ウーン年齢設定は?ちょっと年が合わないのでは??と思わざるを得ないが、まあ昔の人は今より老けるのが早かったということ?名もなき人々の努力で地図が完成した(江戸城の大広間に広げられた地図は映画でもなかなかの圧巻)というのはいかにも現代的なテーマだ。(5月23日 府中TOHOシネマズ 132)
 

㉑ワンセカンド 永遠の24フレーム (一秒钟)
監督:張芸謀 原作:巌歌苓 出演:張译  劉浩存 范偉 2020中国 103分 



白砂の砂漠とその向こうの青い空、白く冠雪したかすかな山並みが何とも美しい、そしてそこにたむろす人々は1969年文革時代ということで、いかにもの人民服姿だが、映写技師の「范電影」と呼ばれる男だけがワイシャツ・ベストに折り目のついたズボン革靴といういで立ち―映画上映での世界での彼の権力者性の表象?。対極にあるのがフィルムを盗み出す少女。孤児で弟を養いつつ暮しているというのだが、いくら何でもこれはないだろうというぼさぼさのザンバラ髪に男物の古着らしい上着とズボンといういでたちは、浮浪児じみている。ただし親を亡くした彼女と弟の暮らしぶりや、弟の意外なこぎれいさから見ても、最後はチャン・ツーイ―風の見三つ編みの可愛らしさに変身するための小道具なんだろう。同時に弟のために借りたスタンドライトの映画フィルムの断片でできた傘!(こんな恐ろし気な美しいものが当時の中国にはあったんだ!)を燃やしてしまい、大人の男を殴ってまで映画フィルムを盗もうとする少女の強引さと、スタンドを返せず貸した少年たちにすごまれてものも言えない弱弱しさのありようのバランスがなんか不調和ではあるんだが…そこに主人公の、別れたままの娘がニュース映画に1分間だけ出ているという情報で、命を賭して労改から逃げ出しそのニュース映画22号を探して歩く男がからんでいくわけだが、さまざまな映画評やトレーラーで言われているような、「映画愛」に満ちているのはこの二人の主人公というよりも、彼らが求めた先にいる「ファン電影」で、この人も単に映画を愛するというより、それが政治的なものも含めこの地域社会での地位を維持し、幼時にフィルムの洗浄液を飲んで脳障害を負った息子にフィルム運びという仕事をも保証したいと願う父心からとも思えるが、この裏表ありー親切に逃亡者や劉の娘を理解しようとし、男の娘の映像1分間を繰り返し見せてやるような面もあれば同時に保身のために彼を保安局に密告もする、そして引き立てられる彼に娘の写ったフィルムのコマをひそかに与えるなど、こういう社会の中で「よき人」でありつつこすからく泳ぎ渡っていこうともする多面性を演じてさすがの范偉である。息子のミスによってリールからほどかれ砂まみれになったフィルムの復元に村人を総動員して指揮して蒸留水を作り洗浄するというあたりが映画愛満載で、文革時代に下放され文革後に電影学院に入った張芸謀自身の体験や記憶・知識が反映しているところであるらしい。最後は2年後で、文革が終わり労改から村に戻って劉の娘と再会する男、彼が連行されるときに砂漠に捨てられ消えた娘のフィルムコマー包んであった紙のみ劉の娘が保管していたーと並んで顔を見つめ合う男と劉の娘に、なんか男が別れた(捨てられた)自分の娘から旅立ち新たな父子関係?を結べるのではないかという予感もする。ー再会の時、劉の娘が大学合格者の一覧を見ているのもなんか暗示的??原作がしっかりしているのではあろうが、さすがこの時代を描く張芸謀の腕の冴えも感じさせられる。藤原帰一氏によれば、政治的とは言えない監督が、ぎりぎりここまで言ったという1本。カンヌ出品は技術的と称される実は政治的問題?によって取りやめになったらしい。歴史的描写として国内上映は可能なのかな?
と、見た時は久しぶりの張芸謀作品に感動したのだが、後で思うとあの少女はどうやって弟との暮らしを立てているのか、あの薄汚いなりと弟の身ぎれいさ、2年後の変身とか、なんか嘘っぽいなと思えるところも少々気になるのではある。(5月24日 立川シネマ・ワン133)

㉒パイナップル・ツアー (デジタルリマスター版)
監督:真喜屋力 中江裕司 當間早志 音楽:照屋林賢 りんけんバンド 出演:兼島麗子 新良めぐみ 李重剛 宮城祐子 照屋林助 津波信一 平良とみ 洞口依子 藤木直人 2022日本 118分

琉球大学映画研究会仲間の3人、沖縄出身の真喜屋と當間、それに琉大映研から沖縄にはまりここを舞台に映画を作り続けている中江が最初の劇場公開作として作ったオムニバス映画。『麗子おばさん』(真喜屋)、『春子とヒデヨシ』(中江)、『爆弾小僧』(當間)の題名はそれぞれ登場人物の呼び名で、物語はそれぞれ独立して別の話で数年の時をおいて描かれた時代も移っていく。だが、それを貫いてリゾート開発のために作られた大きな張りぼてのパイナップル(最後は爆弾小僧の手によって爆弾に変身させられる。ちなみに「爆弾小僧」は二人組のパンクバンド名)と、開発の条件となる不発弾発見と掘り出しを営々と続ける男(藤木直人)がいわば狂言回しのように全編を貫き、各話の登場人物が他の話の点景的人物として出てきたり、また平良とみ、照屋林助らは全編を通じてその島(架空の具良間島の住民として登場するなど3本の統一というか流れも…。ことばは内地人(ネイチャー)をのぞいては琉球方言字幕付き、沖縄のユタや自然、元気で明るい慣習などが満ち溢れたエネルギッシュな映画だが、「麗子おばさん」の父が米兵であるとか、外国人経営のタコス屋が舞台の一つであったり、そしてもちろん不発弾が物語の重要な芯になっていたりと、声高ではないが沖縄の置かれた歴史や日常というものにも目を届かせているし、また一話でも二話でも人が死ぬしで、案外暗さも内包しているー死は必ずしも暗い喪失としては描かれていないがーそして結婚の風習や誕生もあって、描き方のハチャメチャぶりにしては意外にマジメなドラマティクさを持った映画でもある。(5月25日 渋谷イメージフォーラム134)

㉓ドンバス
監督:セルゲイ・ロズニッツア 2018ドイツ・ウクライナ・フランス・オランダ・ルーマニア(ウクライナ語・ロシア語) 121分 ★★

ソ連時代のベラルーシに生まれキーフで育ったロズニッツアの母語はロシア語。セルゲイ・ロズニッツアという名もロシア語読みだが、これをウクライナ語読みに変更する気はないとのこと。2月23日ロシアのウクライナ侵攻の翌24日、EEA(ヨーロッパ映画アカデミー)が出した侵攻に対する声明があまりに軟調であるとしてEEAを批判、脱退した。EEAはロズニッツアの声明を重く受けとめ、あらためて3月1日付でロシアを厳しく批判するとともに、ウクライナ映画アカデミーがCharge.orgで立ち上げた「ロシア映画のボイコットの呼びかけ」を支持しEEAが授与するヨーロッパ映画賞2022からロシア映画を除外することにしたという。これに対してロズニッツアは公然と戦争に反対しロシア批判をしているロシア人監督も多く彼らをロシア人であるというだけで排除することに異を唱え、自らのコスモポリタン=世界市民としての立場を表明したとのこと。そしてこの立場に対して、ウクライナ映画アカデミーは3月に入り彼を同アカデミーから除名するという声明文を出したという。なんかごちゃごちゃするが、侵略に抵抗して闘っている国であっても、戦争という状況の中では強権的な全体主義にならざるをえないーウクライナでは戒厳令が延長され成人の男性は国外に出ることが禁止になったーという恐ろしさとともに、表現者としてはそれらの状況から自由に表現をしていきたいというロズニッツアの難しい、しかし強い意志を感じさせる(ちなみに始まったカンヌ映画祭にはロシアの国としての参加は許されず個人参加はできるということらしいが、これに対してもウクライナの映画人たちが強い反対を唱えているとは5月26日朝日新聞の記事)。
さてロズニッツアの『ドンバス』は2014年ロシアの一方的なクリミア併合の頃のドンバス地方。ロシア寄りの「新政府」、既存のウクライナの一部としての「市政府」、ロシア軍のバックアップを受ける分離派の兵士たち、一方にウクライナの義勇軍の兵士たちもいて、力のせめぎあいがあり、今の東ウクライナそのままのバスでの避難民や地下に逃れ隠れる人々もいる一方、どうもうまい汁を吸っているというか案外いい思いをして豊かになっている人もいるらしく、鉄砲を担いだ兵士たちも友人として招いて盛り上がる結婚式、その帰りの兵士たちへの砲撃と死のような戦争と日常が隣り合い、しかもその惨状のフェイク映像まで作られるというような、実際にあった話を元に、登場人物の一部を連鎖的につなげていくような形で13のエピソードをを繋いでいく。ここではちょっとだけウクライナ側に寄っている感もあるとはいえ、分離派を一方的に悪者にしているわけでもなくおおむね淡々と事実(物語)を客観的に描き出そうとしているようで、多くの登場人物も名前を持たない軍人や民衆中心だし、ドキュメンタリー風の作りになっているが、それだけに戦争の不条理がむしろコメディカルというか皮肉に迫ってくる感じで心が震撼とさせられてしまう。ウクライナ侵攻ゆえの公開でもあり、それゆえに客もけっこう多いのだが、何年か前だったらよくわからなかったかも…と思うとここでも感じる戦争の怖さ。とにかく行動も作品もロズニッツアからは目が離せない。22年秋~冬に新作2本公開予定らしい。(5月26日 渋谷イメージフォーラム 135)

㉔ヨナグニ 旅立ちの島
監督:アヌシュ・ハムゼビアン ヴィット―リオ・モルタロッティ 2021フランス 74分

与那国固有のことばドゥナンが消滅の危機に瀕していることを文化そのものの危機だという問題意識を持った二人のイタリア人が、コミュニティの痕跡を未来に託したいと3年にわたって記録したドキュメンタリー。
確かに映画の最初に出てくるすでに老人といってよい伝統音楽の伝承者の話す日本語の端正さー幼時方言矯正教育があったことを言うがそれにしてもーや中学生たちも含め皆琉球方言まじりでさえない共通語を話し、2年にわたり中学卒業後一人残らず島をでて沖縄本島や、本土(東京も)の高校に進学する子たちも同じ。その彼らに焦点を当てた描き方は、実際にはドゥナンがたくさんしゃべられるわけではない(最初に単語が並べられてドゥナンに言い替えられるシーンが続くが、これを聞くとやはり台湾間近とはいえ台湾語や中国語系ではなく日本語源流のことばなのだとは思わされるが)が、その状態で島の文化の記憶を背負って島外に生きていくだろう若者というのは実際にこれからの島の文化が直面する世界だろうし、面白い視点で描かれていると感心した。
秋冬の与那国は南国の明るさとは無縁の雨風の多いくすんだ景色で、自分の目が悪くなった?と思えるほどだが…。期待とうらはらの不安や後ろ髪をひかれる思いで島を旅立っていく15歳にはふさわしいかも。雨風の中たどり着いた劇場、終わって振り返って見ると後半分は満席近い盛況の中高年にちょっと驚く。(5月27日 新宿K'sシネマ 沖縄本土復帰50周年記念 国境の島に生きる 136)

㉕ばちらぬん
監督・脚本・出演:東盛あいか 出演:石田健太 笹木奈美 三井康大 山本桜 2021日本 61分 

「ばちらぬん」は「忘れない」の意。与那国島出身の監督が京都芸術大の映画学科卒業制作として同級生たちと作り、2021年ぴあフィルムフェスティバルのグランプリを受賞した作品。若い人たちの観念的な?感性で運ばれるのでちょっとわかりにくいというか、意味があるのだろうが今一つ意味がくみ取れないメタファーなどもあるのだが、それなりに伝えたいという思いが伝わる作品で映像や音楽などの完成度も高い。最終日ということでか、出演者の一人が登壇挨拶。彼女によればコロナのために東盛監督以外の出演者(同級生)は与那国島へ渡ることができず、東盛と島民が関わるドキュメンタリー的映像部分以外の友人どうしの関わり、会話などは京都で撮影をしたとのことで、そう言われてみると確かに上映中、本当にこれ与那国島?と思えるような賀茂川周辺?とも思われるような映像に違和感を感じたことを納得。若者たちのすでに身につけた映像つくりの魔法だな。たまにインディーズフィルムで見るような素人っぽさはほとんどなくて与那国の海の美しさ深さも目に沁みる。
終わって東盛監督と㉔のイタリア人監督のオンライン対談の映像が流れる。彼女が与那国の文化やことばその他に愛着を持ち残したいということからこの映画を作ったということはとてもよく分かった(日本語教師の端くれとしてはことばによる気持ちの伝えあいと固有言語の関係というところは、まことに悩ましいところではあるのだが)。
(5月27日 新宿K'sシネマ 沖縄本土復帰50周年記念 国境の島に生きる 137)

三峰山途上からの大山方面厚木の町?も
こちらは下から見る昨年登った鐘ヶ嶽ー真ん中でちょっぴり頭をのぞかせています。ここはあまり眺望抜群の山とはいかず、蛭(丹沢名物、まさにシーズン)もけっこういましたが、緑はみずみずしく美しく、すっかり森林浴!(5・28)

           

㉖シン・ウルトラマン                               監督:樋口真嗣 総監修・企画・脚本:庵野秀明 出演:斎藤工 長澤まさみ 有岡大貴 早見あかり 田中哲司 西島秀俊 2022日本 112分

なんか妙に評判?で、何十年ぶりかに劇場で見て感動したとか何回見たとかいう話もあるみたいなので、ウーン、というわけで朝イチの劇場へ。いかにもかつてのTVドラマ時代を思わせる「空想特撮映画」のロゴの後、始まりはやはり記憶にある、とはいっても当時ウルトラマンに夢中になる子ども時代は過ぎていたし、かといって自分の子どもが夢中になるというような年齢にも達していなかったので、考えてみれば「ウルトラマン」からは最も遠い世代かも??ーな街中や山野での怪獣(禍威獣と書くらしい)の暴虐と、そこに現われるウルトラマンとの闘いのあたりは、なんか今さら?とか、あれだけ町が破壊されすごいことになって司令部の電気系統やその他があれだけ無傷ということはありえないでしょう?瞬時に自家発電に切り替えているの?とか変なことばかり気になって、なんかなあ、と思っていた。その禍威獣対策本部も班長以下男性2人女性1人のなんか小さな「事務所」という感じね…と思っていると長澤まさみの敏腕アナリストが加わって、話はどう展開するの?と思うと、街に残った子どもを救うと言って一人で怪獣が猛威を振う外に飛び出す。子どもを救って森の中へ、の神永隊員。この森の中へが、けっこうミソで、後半獰猛な怪獣が駆逐された代わりに外星人が現れ、しかもザラブ(怪獣に近い風貌)、メラフィス(人間形)そしてウルトラマンと同じ「光の星」人と進化していって、そのたびに神永は拉致されたり、倒れて気を失ったりだし、ヒロイン浅見弘子は最初の方は強面な感じだが、ミニスカートのリクルートスーツ姿で危機に立ち向かい、外星人に巨大化されたり、キングコングみたいにウルトラマンの手のひらに掬われたり、もうなんか「オンナの見せ場」に使われている感じでなんかなあ、もう。といううちにホンモノの神永とウルトラマンに変身する外星人の神永の関係がわかり、ウルトラマンの犠牲的な精神?含みの地球人愛にほろりとさせられて、幕が閉じるという展開。その意味ではナルほどね。半分は有名役者に頼っているという感じもあるが、若手学者として対策本部を支える有岡大貴、早見あかりは作中人物の描き方としてもなかなかしっかりだし、役者としても頑張っている感じでよかった。自衛隊大協力、特撮や戦闘場面、怪獣が街を破壊していくような場面はさすがにすさまじいが、まあ、これは期待通りということだろう。あんなに破壊焼き尽くして後はケロリ、復興の場面などはみじんもないし、どうなんだろうなとも思えるが、ま、これは言ってもしかたがない感想だろう。
(5月31日 府中TOHOシネマズ 138)


5/21~23車で若狭へ 駒ケ根SAから再び空木岳方面。どこも燕が子育ての真っ最中↓







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