【勝手気ままに映画日記】2022年4月

4月7〜8日、突然のお誘いをいただいて奥只見丸山スキー場へ、2年ぶりのスキー。春雪は重く、あまりうまく滑れなかったけど、でも晴天で気持ちよく楽しめました。
パノラマで撮った!正面は丸山岳・梵天岳、右奥には燧ケ岳、至仏山があるはずだけれどよくわからない…
 
浦佐駅から望む八海山

帰宅翌日4月9日、戸倉三山縦走16.6Km、さすがにこれは疲れました!

①森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民②親密な他人③ドント・ルック・アップ④ウェスト・サイド・ストーリー⑤ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえりかあさん~➅香川一区⑦私はヴァレンティナ➇やがて海へと届く⑨チタン⑩アネット⑪選ばなかったみち⑫見えるもののその先に ヒルマ・アフ・クリントの世界⑬ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密⑭ある職場⑮ニワトリ・フェニックス⑯バーニング・ダウン 爆発都市⑰誰かの花⑱英雄の証明⑳ちょっと思い出しただけ㉑月老 また会う日まで㉒アンラッキー・セックスまたはいかれたポルノ(監督自己検閲版)㉓インフル病みのペトロフ家

4月からオール・フリータイムに!いっぱい遊び、映画もよく見ました。日本映画が①②⑤⑥➇⑭⑮⑰⑳と多く、中国語圏映画は⑯㉑の2本。あとはそれこそさまざまでした。
なかなか個性的で工夫や、クセもある映画が多かった気がします。
★はなるほど! ★★はうんうん! ★★★はおススメ、というところでしょうか。あくまで個人的な感想ですが…。

山歩きは 
4月9日奥多摩・戸倉三山(刈寄山~市道山~臼杵山)縦走
4月16~17日 丹沢・蛭が岳(蛭が岳山荘泊)~丹沢山~塔ノ岳~鍋割山 縦走
4月29日 奥秩父・両神山
でした。どれも眺望のよい(はずの)山なのですが、天気にはあまり恵まれず、今月も富士山の写真はウーン(丹沢からちょっとだけ)。
     


①森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民
監督:金子遊 出演:伊藤雄馬 ムラブリの人々 2019日本(ムラブリ語、タイ語 北タイ語 ラオ語 日本語)85分

タイ北部フワイヤク村に400人、他にタイ・ラオス2か所に10数名ずつ、かつて一つの民族だったものが分かれて100年余り、言葉も変わり、他グループを「悪い人」「人食い」としておそれるような状況下、現地のことばを駆使する若い日本人の言語学者がタイ側とラオス側を繋ぐ・・・電気なくガスなく家は自ら作った葉っぱの屋根の掘立小屋で定住はせず移動。村に出て物々交換的にものを売り食料を得るというような暮らしぶりそのものの「珍しさ」を描くというよりーそこも現代の都市的暮らしから見れば振り返るべき点があろうが、ムラブリ集落でも皆色とりどりのTシャツ姿、若者はジーンズをはき、耳にはウォークマン?のイヤホンを入れているという感じだし、若い人はムラブリ語を話せないという状況もあり、現代化はもちろん押し寄せているのであるーここでは同じ民族が行政区域(国)によって分断され敵対視さえしている状況を、取り返した言語によって繋ごうとする日本人青年言語学者・伊藤雄馬(6か国語を駆使し、ムラブリ語の辞書を作ろうとしているスゴイ人)のとても控えめだが、映画に現れないいろいろなことがあるのだろうなあと思わせる描き方。そして彼の言を受け容れ見知らぬ同族と新たなつながりを作ろうとするムラブリの人々。こういう人の存在に感動してしまう。(4月1日 渋谷イメージフォーラム 090)


②親密な他人
監督:中村真夕 出演:黒沢あすか 神尾楓珠 上村侑 尚玄 佐野史郎 丘みつ子 2021日本 96分

気にしつつ、いつの間にか最終日。その最終回を慌てて見に行く。
ネットカフェに暮らしオレオレ詐欺の手先として「かけ子」と「受け子」の両方をやらされている若者、彼と同じくらいの年の息子が行方不明になったとしてネットで情報を求める一人暮らしの母。彼女は子供服・洋品専門店に勤めるが、乳児製品や来店する乳児に異常に?関心を示し、周りからは変わり者扱いされ、映画の途中でロッカーに隠しておいた売り物が発見されてクビになるー子供が行方不明で必死に求める母というのはわかるが、この乳児への関心は最初は少々不可解、でも、なるほどの伏線になっているのだった。
この二人が息子の捜索をめぐって接点を持ち、警察に追われる青年は女と同居するようになり…というわけで、微妙な関係を保ちつつ決して男女関係にはならないーつまり女が求めるのはあくまでも母子関係。青年の方はどうなんだろう、女の狂気にからめとられた獲物のようにも見える。というわけで黒沢あすかの不気味にして美しさをにじませる演技はなかなかで、目を離せないのだが、これが「母」というものとすれば、私などは「母」ではありえないなあ、と思わせられるような、ほんとに母ってこうなのか?監督(若い女性だけれど)は「母」なのかなあと思わせられるような、なにしろ20年間?失った子供のみを見ながら生きていて、生活すべてをそこにかけているような世界って…まあ、ありえないような世界だからこそ映画にするということなんだろうけれど。
見ていて悩ましく、すっきりしない映画だったが、そこが狙いとすれば大成功?(4月1日 渋谷ユーロスペース091)


③ドント・ルック・アップ
監督・脚本:アダム・マッケイ 出演:レオナルド・ディカプリオ ジェニファー・ローレンス メリル・ストリーブ ケイト・ブランシェット ロブ・モーガン ジョナ・ヒル ティモシー・シャラメ 2021米 138分 ★★

地球に接近し6か月後には衝突・地球滅亡ということになりそうな彗星を発見してしまった、落ち目の天文学教授ミンディ(ディカプリオ)と教え子の大学院生ケイト)ジェニファー・ローレンス)。すぐにNASAに報告、その担当とともにホワイトハウスに召喚されるが…。
自らの性的スキャンダルに大わらわの大統領(メリル・ストリーブ)は、初日彼らに会おうとせず、その後スキャンダルもみ消しを計ってこの彗星問題を自らの支持率回復のために利用して、退職した宇宙飛行士を彗星に飛ばして破壊を試みる。しかし、この彗星にレアメタルなど貴重な資源が含まれているという情報にIT富豪の携帯会社社主と組んで破壊を途中で撤回、御用学者の「細かく砕いて回収する」という案に乗る。
一方ニュースショーに出演した発見者二人。女性司会者はミンディを篭絡?、一方ケイトは弱気のミンディにもイライラしつつ、ニュースショーで地球滅亡の警告を発したことから干されて、家に戻るものの親にも相手にされずという苦境に陥る。そんな彼女と街で知り合うのがユールという??な青年(ティモシー・シャラメ)で…。
ともあれこれは彗星衝突による地球滅亡のパニックを克服するというようなよくありがちなSFアクションではなく、ひたすらに政治や報道の愚と、その中であたふたしつつ結局押しつぶされ、モノ申すこともできず宗教がらみ家族愛?でなんとか滅亡を受け容れざるを得ない庶民を描く悲喜劇というか苦喜劇ー社会派風刺劇(トランプ政権を揶揄したのだとか)で、その点では大統領のメリルストリーブ、その息子で大統領補佐官役のジョナ・ヒルなどが、さすがによく演じ苦く笑わせてくれる。
大統領一行は2000人定員の冷凍睡眠型の宇宙船で地球を脱出し2億何千万年?後のどこかの惑星に到着するのだが、まあそこで喜劇的でもあり悲劇的でもある結末が描かれ、一方の補佐官は「地球最後の人類」になってがれきの下から這い出すというエンドロール後の嘘っぽいオマケ付き。ディカプリオはそれにしても落ち目?の中年太りの学者、ちゃんとはまって老けて笑わせてくれる。ちっとも年を取らないある種のスター男性に比べるとしっかり中年になっている(扮している?)のに驚き、感心。(4月2日 下高井戸シネマ092)


④ウェスト・サイド・ストーリー
監督:スティーブン・スピルバーグ 出演:アンセル・エルゴート レイチェル・ゼグラー アリアナ・デボーズ デヴィッド・アルヴァレス マイク・ファイスト リタ・モレノ 2021米 156分

誰かが、61年版の『ウエスト・サイド・物語』(ロバート・ワイズ/ジェームズ・ロビンス)を越えるものではないとか言っていたからというのでもないが、家から1分の映画館ではスルーしてしまい、ウーンでもやっぱりということで、雨降りしきる寒い夕方調布まで。大画面でのスピルバーグ映画はやはりなかなかの迫力ではあるが、物語展開はほぼブロードウェイ版や映画前作の踏襲で、ちょっとざらついた画面の作りや色合い、そして登場人物のスタイルなどもあえて旧版を踏襲しているのであろうか、なんか古めかしい感じで、どうしてスピルバーグがこの映画をリメイクとやはりちょっと思わざるを得ない。
米アカデミー賞は、アニータ役のアリアナ・デボーズが助演女優賞をとり、やはりこの映画の中では一番の存在感を示しているが、実は61年版でアニータを演じたリタ・モレノが製作総指揮および、旧作のドクのかわりにその未亡人ヴァレンティナという役どころで出演もしていて、これがなんといっても存在感が大きく、またアニータが訪ねて男たちに襲われるドラッグストア場面で、男性のドクのかわりにヴァレンティナが止める(同時にシャークガールズ2人も止めようとして男たちに店外に閉め出される)ことによって、なんか現代のジェンダー意識が表れているような感じがする。となれば兄を殺されたマリアがトニーについていこうとする場面がちょっと浮いた不自然さ(対比的にだが)に見えるし、老婦人のヴァレンティナがドラッグストアの地下にトニーを住まわせ雇い、トニーが彼女を慕うというのもなんだかなあ、マザコンぽく見えてしまうような気がしないでもない。ともあれこの映画、スピルヴァーグ作品といいつつ実は良くも悪くもリタ・モレノの支配する世界?になっているのかもと思えてしまった。音楽はさすがでしっかりどっぷり浸れるヴァーンスタインの世界。  (4月4日 シアタス調布 093)


⑤ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえりかあさん~
監督・撮影・語り:信友直子  2022日本 101分 ★★★

『ぼけますから、よろしくお願いします』(2019)の続編。前作と重なるような映像も多いが、認知症の母が脳梗塞を発して倒れ入院(前作公開の数週間前だという)、父が家事に奮闘しながら、毎日病院通いをし母に付き添い呼びかける姿、療養型病院に転院する機会に数時間だけ家に帰れ喜ぶ母、そして二度目の脳梗塞でほぼ全身不随、胃ろう、意識も混濁状況が続いて、やがて好きだったアジサイの季節に母が亡くなるまでと、その後100歳になった父の姿も含めて一人娘の視線で描き出す。
身内の厳しい状況をある程度ロングショットで撮って、そこに生き生きしたかつての父母の姿や、老いてなお強く、ユーモアを持ち続ける父の逞しさを映し出してさすが…。しかしなんかほんとにステキなお父さん。こんなふうに老いることができるだろうか?いや、むしろお母さんの人生の方がわたしには近いか…。10年前なら娘視点だったろうが、今や完全に親側の視点で見ている。
平日昼からのポレポレは珍しくガラガラだけど、一つ置いて前の席に70代?くらいの5人組女性がずらりと席を取る。そのうち二人が映画の間中ボソボソおしゃべり。「父」が100歳の祝い金を受け取る場面で「いくら?」「あ、5万円だ…」という調子。見ていりゃ、分かるでしょうが。うるさいな、とも思いつつ、感想を口に出したいのだろうなあとガマン、ガマン。今年になって気にした劇場のおしゃべり問題だが、映画にもよるのかも…ね。それにしても終わってトイレも5人ぞろぞろ連れだって大きな声でしゃべりながら。いかにも「ばあさん団体」だよな、それが楽しいのはいいことかも。ま、空いているから許せるのだが。(4月5日 ポレポレ東中野 094)


➅香川一区
監督・撮影:大島新 プロデューサー・撮影:前田亜季 2021日本156分

こちらも「なぜ君は総理大臣になれないのか」(2020)の続編。50歳の誕生日を迎えた小川淳也氏が、かつてした50才での引退表明を撤回?(というか今はまだやめられれない)という記者会見をするところから、10月の総選挙に向けて激戦の香川一区で対立候補・初代デジタル庁大臣であり、3世議員、四国放送・西日本新聞オーナー一族という平井卓也氏、突如出馬宣言した維新の会の候補との選挙戦と、当選までを追う。
前作彼の実直、不器用、誠実という政治家としては珍しい?資質と主義に言及し、今回もそれを受けついで、例えば維新の会の候補に野党の一本化のために立候補辞退を頼んで批判されたり、理想主義的?に反論して気色ばんだりというような姿も示されるが、今回はむしろ対立する平井氏が駅前トイレの水洗化の実績とかそういう地元に利する具体的な実績や施策で勝負しようとするのに対し、小川氏の民主主義を守るという、わりと観念的な理想と頑張りますという意識が前面に押し出されている感じで、ウーン。もちろんそれは大事なことだし、そういうことを臆面もなく言える政治家自体がいないということなのだろうが政治社会を描く映画としてはちょっと物足りない?ような気も。
それよりも自民陣営を撮影する前田亜季プロデューサーが支持者に絡まれる映像とか、『なぜ君は…』や『香川一区』が小川氏のPR映画だとして相手側からフェアではないと攻撃されるとか、実際に監督大島新が出演者として、メディアが小川氏という1人の政治家を追うことの意味というか意義を考え述べつつ映画作りをしている姿を見せているところがとても興味深く思われた。(4月5日 ポレポレ東中野 095)


⑦私はヴァレンティナ
監督:カッシオ・ペレイラ・サントス 出演:ティエッサ・ウィンバック グダ・ストレッサー ロムロ・ブラガ ロナルド・ボナフロ 2020ブラジル 95分★★

ヒロイン・ヴァレンティナが引っ越してきた街で、元の名のラウルではなくヴァレンティナの名で、彼女がその街の学校に編入を遂げるまでのひと夏?の物語。ブラジルでは、LGBTGの権利はかなり認められていて同性婚もOKだという。ただしトランスジェンダーの中途退学率は82%、平均寿命は35歳だそうだ。つまり建前上・法的な権利と、実は差別とが同居しているような場所ということになる。法的にはこだわりつつ、彼女の入学を認めようと動く校長や学校教師、一見自由に自らの性志向に従って動いているようでいて深い傷も抱えているらしいゲイの友人ジュリオ、未婚の母になろうとしている天才ハッカーのアマンダなどの友に受け入れらて、ともに生活を謳歌しているように見えつつ、同じ教室には女性に暴力的な迫り方をする肉屋の息子や、弟のためにさらに激しく彼女を糾弾し転入学も阻止しようとするその兄とか、そういう人々が複合的に描かれる。その中で時に傷つき泣きながらも自らが自らであることをあくまでも貫こうとするヴァレンティナとその母の姿が好もしく、さらにそんな彼女たちをしっかり支えて指示しようとする家族・友人や、教師・同級生のまっすぐさが、またすばらしく、しかもリアル感があっていい。ヴァレンティナを演じている少女は本人自身がトランスジェンダーで著名なユーチューバー、インスタグラマーとして発信している女性だそうで、そのリアル感もあるのだと思う。(4月6日 新宿武蔵野館 096)
 

➇やがて海へと届く
監督:中川龍太郎 原作:彩瀬まる 出演:岸井ゆきの 浜辺美波 杉野遥亮 中崎敏 鶴田真由 中島朋子 新谷ゆづみ 光石研 2020日本 126分 ★

紛れもない力作といっていいし、志のある映画だなと思う。画面も極めて美しく、海に沈む夕日のシーンなど息をのむ景色の美しさにもあふれているし、ハイアングルとか小津ばりの床目線の部屋の場面とか、窓の内と外からの位置取りとか、前半「真奈」目線と後半「すみれ」目線が同じ場面の位置取りで微妙なずれが的確に伝わってくるところなど、工夫が凝らされていて、力がこもっている。すみれのいつも持つビデオカメラが重要なキー・アイテムで、後半東日本大震災の被災者がカメラに向かって話し、さらに映画の最期には彼らを含む登場人物たちがカメラに向かって無言の表情を向けるシーンなどに語られたり語られなかったりする人の思いが存在することを訴えているようだ。中島朋子がその一人を演じカメラを回す役回りだが、話しているのは実際の被災者だとか…思いを語る場面にリアル感がある。さらに前半・後半の二人のヒロインの同一場面の繰り返しによる思いのズレとか、アニメシーンを含めて震災の直前に東北に下り立ったすみれの体験を暗示的に描いたり、と。こう書くと非常にさまざまな要素というかアイテムがちりばめられている映画だ。
物語は東北に出かけた親友が津波に飲まれて行方不明のまま5年が過ぎてもその死もを受け容れられず、死者として彼女を扱う彼女の母や恋人に不満を持つ(このあたりも母とすみれの関係とか、すみれの恋人塔野と真奈の意識のずれが延々描かれる感じだが、必要かな…)。自分を理解してくれると感じ、共感もしていた職場の上司の突然の自死をきっかけに、職場の同僚(これも必要かしらん?)と東北を訪れ、現地の人々の使者に対する思いを聞いて、今までよりもすみれを身近に感じられると思う真奈を描くが、実はその真奈と実際のすみれの間にも真奈の気づかぬ心の隙間というかすれ違いがあった…?というわけで、さらにすみれのビデオカメラや彼女が落としたポーチ、すみれが初対面時に真奈の髪を結んでやったシュシュとか、さまざまなアイテムがこれでもかこれでもか(ことばで示されたり繰り返し移されたり、登場人物の行為にからんで思わせぶりだったり)と出てきて、しかもそれらの意味がしっかりと回収されるわけでもない(終わって出てくると若い男性二人組、「上司が死んだ意味がわからない」「あの熊のポーチは結局どうなったんだろう」などと話し合っていた。そうだよな??ちなみに平日夕方夜の上映回 若い男性二人組2組、一人男性、それに私の6人のみ)。それぞれについて映画の必然とも思われないし、提示されたまま回収しきらず放り出している感じもあって、ごちゃごちゃしてしまっているのが、逆に話の焦点をぼかしてしまている?という感じもした。岸井ゆきの(真奈)の内面を示すような演技は相変わらずのさすが!、わりと表情を感じさせないような演じ方ながら魅力的な浜辺美波とか、そのあたりの見ごたえは好もしい。(4月11日 府中TOHOシネマズ 097)


⑨チタン
監督:ジュリア・デュクルノー 出演:ヴァンサン・ランドン アガド・ルセル 2021フランス・ベルギー 108分

2021年第74回カンヌ映画祭のパルムドールだということで気になっていて、立川まで見に行く。ウーン。もちろんある種荒唐無稽な「おとぎ話」であることは承知しつつ、何だろう自分で自分を制御できない人間の悲しさだろうか?それともたとえ相手が異形かつ殺人鬼?であろうともすべてを受け容れ愛する人間の不可思議な深さ?描きたいのは何だったのだろうか。
子どものころ交通事故でケガをし頭にチタンの金属片を埋め込まれてから車に対して執着を抱きむしろ愛するようになった少女アレクシア。彼女は車を愛撫するかのようなショーで人気を得ながら寄ってくる男がしつこければ髪を巻き上げる簪(1本のいわば針)で突き刺し、自分の車とセックスー妊娠?、親しくしてくる男女を殺し、自分の家では両親を閉じ込めて火を放ちという具合で、行き場を失い出奔する。彼女は尋ね人のポスターにあった青年アドリアンのふりをして彼の父ヴァンサンに引き取られる。
この父は消防士のチーフなのだが、息子を失ったばかりでなくやはり孤独にむしばまれているというか老いを恐れ自らに苦しむ男として描かれる。後半はひたすらに彼と息子(実は赤の他人の女性でおまけに車の子?をはらんでいる)を描いて「受容」を描き、最後はチタンの脊椎を持って生まれた乳児を抱くヴァンサンの姿で終わるのだが、とにかくエグイ! 格闘・殺人場面あり、車とのセックスシーンあり、妊娠した傷だらけの裸あり、で、若いこの役者(監督も若い女性で無名の役者を使って訓練して演じさせたのだそう)アガド・ルセル、よく演じたものと驚くような体当たり。この後、どんな役を演じてもこれよりは楽勝、だろうな。社会派というよりはどちらかといえばタランティーノとかクロ―ネンバーグとか、日本で言えば三池崇史とか園子温的世界かなあ。ま、衝撃的ではある。(4月12日 立川シネマシティ・ワン 098)


⑩アネット
監督:レオス・カラックス 原案・音楽:スパークス 出演:アダム・ドライヴァー マリオン・コテヤール サイモン・ヘルバーク 2021仏・独・ベルギー・日本 150分 ★

まず最初に劇場内ではおしゃべりも笑いもおならも心の中で、息も止めて見よとのテロップで、なんともまあ意表をつく押しつけがましさ。オープニングははスタジオにいるレオス・カラクス自身の顔のアップ、後ろから娘ナスチャ(本作最後に「ナスチャに捧ぐ」とある)。歌うスパークス。そこから彼らがスタジオを出、主演俳優らも合流して街に出ていくという、いかにもこれから物語を演じますというお祭り気分?(但し時間は夜)。バイクにまたがったアダム・ドライヴァーと、車に乗り込み林檎をかじるマリオン・コティヤールの出会いから物語の世界に入っていく。
話としては人気スタンダップ・コメディアン、ヘンリー・マクヘンリーと有名なオペラの歌姫アンが愛し合い、娘アネットが生まれるが、自身のスタンダップコメディの生みの苦しみ?に毎日死ぬ役で名声を博す妻への嫉妬、猜疑などから理性を失い、嵐の夜の海で妻を殺し、残された娘に芽生えた特殊な才能を利用して彼女を見世物にして稼ぐも、相棒でもともとは恋敵?、娘売り出しの片棒を担がせたピアニスト/コンダクターをも殺しという破滅の道を歩むマクヘンリーの人生を綴るロックミュージカルで、全編のセリフがたくさんの合唱も含めほぼ歌になっている。
娘は生まれた時から最後の印象的な父子掛け合いの歌の一場面をのぞいてすべて人形。殺された妻がゴーストになって付きまとう扮装も含めある種幻影的というか作り物めいた気配が満ちているが、前半二人が愛し合う場面では、驚くほどに生々しく激しいベッドシーンとか出産場面(生まれてくる子がなんとつぎはぎのある人形)で、このミスマッチ感が何とも独特な世界を作っている。長さも長いがミュージカルの軽妙さというよりはずっしり思い幻想的ミステリーという感じだろうか。21年カンヌのこれは監督賞受賞作品。(4月13日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館 099)

⑪選ばなかったみち
監督:サリー・ポッター 出演:ハビエル・バルデム エル・ファニング ローラ・リニ― サルマ・ハエック 2020英・米 86分

認知症で自身の生活もままならなくなった男、メキシコからの移民でニューヨークに住む作家のレオと、その娘の一日。鍵が開かないとヘルパーからの連絡を受け仕事を休んで駆けつけるところから歯医者に連れていく、失禁した父の世話とズボンを買いにスーパーへ、そこで迷子になり転んだ父をERに運び込む。父と離婚し娘を育てたその母を呼ぶ…最後に予約してあった眼科にも行き、しかし父は医師の言うことが判らず心療もできずそして帰宅後にももう一騒動、その合間には娘は仕事がうまくいかなかった、希望していたポストが得られなかったというような電話を受けて傷心になりつつ、何とか気を取り直し父に寄り添うというわけで何とも切ない老いと親子の姿だが、その間にはさみこまれていくのがレオの若い頃のメキシコで最初の結婚・失った息子・その喪失と、喪に対する夫婦の食い違い、そして…という場面と、作家として行き詰まり一人訪れたギリシャの海辺での娘と同年代の若い女性との邂逅-娘への愛の見直し?の二つの回想である。どちらも非常に苦さや後悔を含みつつ、自身としては不本意な部分もありつつ一種の落ち着きというか相手への寄り添いというかが見られるのだが、これってつまり彼が選ばなかった道なのか?最初の結婚は破れて彼はメキシコからやってきて新たに結婚して娘も設けるが、それが破綻していることは映画の流れから明らか、それゆえに彼は電車の轟音がとどろく線路際の貧しい部屋で一人暮らしをしているわけだし。しかし、それでも献身的に愛してくれる娘の存在は彼にとっては救いなわけだろうし、ウーン。これが選ばなかった道?とにかく、本日は『アネット』に続いて自分勝手な観念を貫いたゆえに孤独に破滅的な道を歩む、顔の濃~い男の映画二本で、二本目のエル・ファニングの疲れつつ父を愛する涙目が胸に沁み込み切なくなるような、疲れた映画鑑賞でもあった気がする。(4月13日川崎市アートセンター・アルテリオ映像館 100)


⑫見えるもののその先に ヒルマ・アフ・クリントの世界
監督:ハリナ・ディルシュカ 出演:イーリス・ミュラー=ヴェスターマン ユリア・フォス ジョシュア・マケルヘーニ ヨハン・アフ・クリント 2019ドイツ(英・独・スェーデン語) 94分

20世紀初頭科ディンスキーやモンドリアンより先に抽象絵画を描いていたという女性の画家。美術教育を受け伝統的な絵画を描く職業画家として立っていたものの、神智学や心霊現象に興味を持ち神秘主義に傾倒し抽象画を描くようになってからは、絵が世に出ることが少なくなり、しかも本人が死後20年間は作品を封印したとのことで比較的近年になって再発見され、世界に知られるようになったとのこと。その残した絵を画面に映し出し、美術史家やキュレーター、また彼女の子孫などがこもごもにその生涯やものの考え方や絵画について語り、合間には彼女の暮したスェーデンの美しい自然の景色が挟まれるという、なんか心地よい穏やかな空間にちょっと眠気を誘われたりもしたが、時代を考えその神秘主義から近代へのはざまにあった女性の生き方としては結構壮絶なものもあったのだろうとも想像しつつ。しかし、その直前に見たミロ展も含め、ウーン私はどうも抽象画のよさというか意味というのはあまり理解できず、単に美しい図案のようにしか見えないなあと、我ながら我が感受性も反省させられてしまう。(4月15日 渋谷ユーロスペース101)

渋谷で「文化」三昧

  
4月16日丹沢蛭が岳から。ちょっとだけ富士山も顔を出し
       
蛭が岳山荘からの夜景(寒くてカメラはイマイチ…)


⑬ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密
監督:デヴィッド・イェーツ 原作・脚本:J・K・ローリング ジュード・ロウ マッツ・ミケルセン アリソン・スドル ダン・フォグラー エズラ・ミラー ジェシカ・ウィリアムズ カラム・ターナー ビクトリア・イェーツ 2022米 143分

マッツ・ミケルセンが黒い魔法使いグリンデンバルドというので見に行った。ダンブルドアと若い日の愛憎がらみの因縁の結果「直接は戦えない」状態だったのを打ち破っての直接の攻防、それに魔法動物学者ニュートと彼を囲む面々の未来を予見できるグリンバルドに対抗する先が見えない作戦の中でそれぞれがそれぞれの位置づけで動きながら結果としての共同作業ー行動はバラバラながら心がわかりあっている感じがいいーこれってやはりニュートの魅力?それに数々の魔法動物たちの奇想天外だったり予想内だったりする愛らしさ。今回のメインキャストは「キリン」でアジア。ブータンもからむという、飽きさせない仕組みたくさん。ニュートと兄の洞窟内での珍妙な踊り?ー出てくるサソリ風の虫の群れに合わせてーも笑わせられる。ダンブルドアと妹・弟、それに隠されたその息子なんて言う家庭がらみの秘密もあるのだが、それぞれに見せ場もあって役者も熱心に娯楽作品を作っている感じで飽きさせない。(4月18日府中TOHOシネマズ 102)


⑭ある職場
監督:舩橋淳 出演:平井早紀 伊藤恵 山中隆史 田口善央 浅野雄太 辻井拓 藤村修アルムール 木村成志 野村一瑛 万徳寺あんり 中沢梓佐 吉川みこと 羽田真 2020日本135分 ★★

2020年東京国際映画祭でのプレミア上映だそうだが当時は見落とし。今回ようやく朝10時からの映画館へ。職場でのセクハラ問題を描いた映画という知識しかなかったが、実際の事件を背景に、役者が被害者を含むその職場の同僚たちを演じて、事件後いわば被害者を励ます形で、会社(ホテル)の所有する保養所に2泊3日の旅を行い、その場でのやり取りを演劇的ワークショップのような感じで演じていくという構成。
1回目は事件後の2018年の旅でモノクロ映像。ここでは被害者(さき)に対する批判や盗撮映像などが次から次へとSNSでアップされ、それに対する同僚たちの反応や「犯人捜し」の提案などに対する意見がやり取りされ、同僚を信じられるか、信じるかというようなところで意見が割れていく。グループの中にはゲイのカップルとか、被害者の先輩格で離婚経験があり、あくまで彼女を支えようとする頼りになる先輩(木下)とか秘かに被害者に心を寄せる清掃担当の青年とかがいるが、10人ほどのこの同行グループのメンバー配置がなかなか絶妙。そしてプログラマーの同僚が見つけ出したSNSのIDがこの近くに存在するということから始まる犯人捜しで最後は決裂状態で別れるまで少しミステリー的要素もまじえて描く。ーただし、どんなホテルか知らないが従業員が10人余りも社員旅行とかではなく泊りがけで江ノ島に遊びに?行くというような設定そのものの不自然さというか難しさを受け容れられればという前提付きではあるが…。
間にカラーで実際のセクハラが起こるまでの情景を描き、後半又モノクロに戻り、最初の旅から半年後、今度は少しメンバーが入れ替わり上司的立場の女性とか、最初の男性メンバーの一人が部署が変わったと親しい部下の女性を連れて現れて、セクハラをした上司の擁護的な立場での意見を述べたり、また女性上司は被害者に部署変更によって男たちをかわして出世を進めるなどから、あくまで会社の非を非として頑張ろうとする木下と対立したりなど、職場での女性の立場や働き方論が展開していくというわけで、これも前の決裂から半年後に嫌な思いもした被害者も含めてこの場に集まるというあり得ないような設定の上に立ってではあるが(これがいわば演劇的現実ということだ)この映画のもう一つのテーマが、前段のミステリーの解決片も含め、善意のありようが人によって食い違っていくことへの恐れや不安とともに語られ、終わりに行くほど面白くなった。
役者の演技はぎこちない感じだがが、野心のこもった意欲作であるのは確かでぎこちなさや不自然さも含めて効果をあげているとは思える。出入り口に主演女優の平井早紀さんが立って挨拶してくれた。(4月19日ポレポレ東中野 103)


⑮ニワトリ・フェニックス
監督:かなた狼 出演:井浦新 成田凌 紗羅マリー LILICO 津田寛治 阿部良平 火野正平 奥田瑛二 2022日本104分

前作『ニワトリ・スター』は夜の時間指定の阿佐ヶ谷まで必死に?見に言った記憶があるが、今回はテアトル新宿での平日昼間楽々鑑賞。時間のせいもあり?前作ほどの尖ったというか、言ってみれば品のない?部分は姿を消して(映画内に網掛けになっているところあり、あえてそういう描き方をしたんだね今回は、という感じ)マイルドな仕上がりになっている。ということは逆に主人公二人のロードムービーに登場する、農業ラッパーとか、「ボッキ虫」を食べさせる妖怪スナックとか、花魁道中、SM城とかは、二人が探し出会う火の鳥も含めいかにも子供っぽい妖怪映画まがいだし、一方旅の途上で出会う僧侶とかスイカをくれる自転車旅行中の青年とか映画館主とかの方は現れ方はともかく言うことは極めてマジメというかむしろヒューマニスティックという感じ。
旅をハチャメチャに楽しみつつ、かかる電話に決して出ようとしない楽人と、薬を飲み、なぜか自撮りスマホに語りながら旅を撮影する草太の秘密もアンバランスな感じがあって、そのアンバランスを楽しめるのか違和感を持つのかによってこの映画の評価も変わってくるような気がする。
一方なぜか忘れ物に式場から自宅に戻ろうとする花嫁が並行して描かれ、二人の旅が終わった後にさらに延々種明かし的後日談。楽人の秘密もそこで別の形で明らかになり彼は秘密から解放され、草太の自撮りビデオも披露されるがこちらの方はあんまりホンワカで、え?・・・という感じも。ハチャメチャ尖った中に底流としてはえらく「真面目さ」があふれる映画だなあ。そこがいいのか面白くないのかも評価が分かれそうだけれど。
(4月19日 テアトル新宿104)


⑯バーニング・ダウン 爆発都市(弾専家2)
監督:ハーマン・ヤウ 出演:アンディ・ラウ(劉徳華) 劉青雲 倪妮 フィリップ・キョン 謝君豪 2020中国・香港 121分 ★

出だしは香港国際空港のすさまじい核爆発シーンからなのだが「これはある男の行動によって未然に防がれた」という設定で、まあ非現実として描かれる。そのあとは爆発物専門家の潘(プン/アンディ・ラウ)の活躍ぶりと、爆発を解除した後電子レンジに仕込まれた爆弾によって被災、片足を失うまで。恋人も爆発班のチーフ(香港警察紅一点であるのは確かだが、昔と違って部下の一人ではなく、男たちに命令を下すチーフであるところが昔の映画とは大きく様変わり)、演じる二―二―は大陸出身の女優で、これが現代中・港合作の典型的パターン?逆はなぜかあまり見ない気がする。
片足を失ったプンは必死のリハビリ、筋トレ・訓練で爆破物処理の要求水準まで体力を起伏させるのだが、警察幹部は障がい者の彼を爆破物処理から外し、配置転換しようとする。不満と怒りで警察をやめてしまうプン。そのあとはなぜか彼があるホテルに忍び込み爆発物を仕掛ける?ーそれが爆破し彼自身も再び大けがをして入院、記憶を失いながらホテル爆破の犯人として追われることになる。それを助けるのが海外から香港に逆輸入的に戻ってきたテロ組織で、そのボスはプンの中学時代の級友。一方プンの恋人はテロ組織の撲滅のための秘密任務を上司から命じられる。そして…後は記憶を失ったプンが両組織から「仲間」扱いされながら自らを探り行動を模索していく様子が過去と現在の映像を行ったり来たりしながら描かれる。爆発処理班に戻れずイライラし、恋人とも決裂する(過去の)プンが、本当にテロ組織の一員になったのか、恋人がプンに言うように秘密捜査官として組織に潜入したのかは本人にも(観客にもイマイチ)わからないような描き方をしているのが宙づり感満載でなかなかうまい。
爆破シーンいっぱい、警察ともテロ組織側とも戦いつつ、意をかわしつつの中で、彼が最後の決意をし香港を救うまでーとはいえ空港の爆破は回避するが手に汗握り息をのむような青馬大橋爆破と地下鉄に積んだ核爆弾の爆発までとして描かれる。まあとにかく半端ではない火薬の使用量?これってみんなコンピュータグラフィックなのか?そして何よりアンディ・ラウの驚異的な若さ(恋人との出会いの制服警官だった7年前はインファナルアフェアを想起させるくらい、さらに若い)に脱帽。テロ組織によって爆破・破壊され壊滅的な状況に陥れられる香港の街は、ひそかに中国支配で自由を失いつつある香港のメタファー?などとここでも感じさせられる。香港映画人頑張っている!  (4月20日 シネマート新宿 105)




⑰誰かの花
監督:奥田裕介 出演:カトウシンスケ 高橋長英 吉行和子 和田光沙 村上穂乃佳 篠原篤 太田琉星 2021日本115分

ジャック&ベティ30周年記念で作られたとか。神奈川の団地を舞台に、認知症の父と介護する母を見舞うというか見舞わざるを得ない次男孝秋、ー長男ケントは何らかの事故で「殺された」らしいーと同じ棟に越してきた夫婦と小学生の息子の一家、そしてある風の強い日、その一家の父が階上から落ちた植木鉢で頭を直撃されるという事件が起きる。植木鉢の持ち主は隣家の単身者(あとで、妻と娘が出て行ったことがわかる)ということになるが、当日父のいたベランダに落ちていた土、父の土に汚れた手袋などに疑惑を膨らませる息子、父の介護ヘルパーの女性、そして母も…、というような状況が被害者一家とのかかわりの中で描かれていくのだが…なんともテンポが遅くて辛気臭さが増してくる感じ。ウーン。
父には聞いてもらちが明かず、この一家、長男の死については被害者であり、しかし加害者でもあるかもしれぬという何とももやもや落ち着きの悪い、居心地の悪さは息子孝秋の共感しにくいビジュアルとともに最後まで。まあそれが狙いの「意欲作」というべきなんだろうが…。孝秋と隣家の親子が行く「事件被害者の会」というのも、どうもなんかすごく居心地の悪そうな胡散臭げな話し合いで…その会長と隣家の小学生の息子の回収されないサスペンス的場面の意味もよくわからず。(4月20日 新宿K’sシネマ 106)


⑱英雄の証明
監督:アスガー・ファルハディ 出演:アミル・ジャディディ モーセン・カナバンティ サハル・ゴルデュースト サリナ・ファルハディ 2021イラン・フランス ペルシャ語 127分 ★★

借金を返せないので債権者の告発で収監されてしまったー日本でもそんなことあるのかな?担保も保証人もなしの債務取り立ての厳しさはよくあるが、返せないから刑務所行?ってーで、しかもこの習慣には休暇があって、時どき外に出ることもできるらしい。そんな休暇になったラヒムが戻ってくると、恋人が金貨を拾って、それを売れば一部なりとも返済ができ、仕事を見つければーそれを債権者が認めればだがー刑務所を出ることができるということになる。
いったんは金貨を売りに行くラヒムだが、これが思うほどの額には売れないということもあり、落とし主に返そうと決意、金貨を見つけた銀行のあたりに張り紙をして落とし主を探す(このあたり後半のSNSに翻弄される主人公とうらはらな原始的な探し方だが、それも意味があるということか)。休暇が終わり刑務所に戻っている彼のところに落とし主と称する女性から電話が入り、金貨は無事に落とし主に戻り、刑務所への電話から事実を知った刑務所長らは彼の好意を美談として宣伝に…。
彼はテレビの取材を受け、チャリティ協会に招かれて表彰されることに、また仕事を世話してもらえることになり、寄付金や仕事を得ることで借金返済のめども立つのではと思われた。しかし仕事を得ようと言った先で事実の証明を求められる。落とし主に電話をするがなぜか出たのは彼女をのせたタクシーの運転手。ということで落とし主の存在がわからないことから(ま、騙されたんだろう)、彼が金貨を拾い落し主に返したということまで疑われることになる。彼の債権者は元妻の父?(みたいなのだが、元妻と彼のもとにいる吃音症の息子との関係がよくわからない。女性監督ならこのあたりが一つのテーマになるのだろうが…)なのだが、娘との離婚も絡んでか関係がすごく悪くて、ついケンカになったり、人々が(主人公も含め)善意・好意と反感・攻撃が裏返っていくさまが描かれて怖い―その中で家族や恋人だけが動かず寝返らずというふうに描かれるのはちょっと甘い気もする。しかしともかく現代的なテーマと普遍的な価値の混交の中で物語が作られぐいぐい引っ張るアスガー・ファハルディ真骨頂という映画ではある。(4月21日 新宿シネマカリテ 107)


⑲親愛なる同志たちへ
監督:アンドレイ・コンチャロフスキー 出演:ユリア・ビソツカヤ ウラジスラフ・コマロフ アンドレイ・グセフ 2020ロシア モノクロ・スタンダードサイズ 121分 ★★

1962年ソ連ノボチェルカッスクで起きた労働者蜂起に軍?(映画内ではKCBとも)が銃を向けた事件、ソビエト崩壊までの30年間秘密裏に葬られていたというこの事件の3日間を、市政府委員で、共産主義を疑わず、その特権も行使し、スターリン時代はよかったと思う女性リューダの視点で描く。
彼女の18歳の娘は工場勤めでこの蜂起に参加し、行方不明になる。娘を探し(委員特権を行使する)駆け回る中で党上層部の指示とかKCBとかに疑いを持ち、それまで君臨的にいわば支配的だった家族ー特に老いた父の語るスターリン時代ドン地方での惨劇な度にも耳を傾けるリューダの心の揺れ、そして決断、その描き方はたとえば、昨年秋(10月)に見た『アイダよ、何処へ』(ヤスミラ・ジョパニッチ2020ボスニア・ヘルツェゴヴィナほか)みたいな特権行使もものかは、なりふり構わず家族だけを救いだそうとする母に比べると控えめな感じなのだが、これはやはり強権的な、しかも密告で動くような国家権力の末端にいてそのしくみも知り尽くしている人間の動きなのかなと、逆に恐怖を禁じ得ない。
最後に「明日がある」という彼女が見ていた明日って??ーウクライナ侵攻前に作られた映画で、ここで恐怖の的となっているのは共産主義国家としてのソ連だが、思うに見事に今日のウクライナにおけるロシアのやり方にも通じる秘密主義、市民虐殺(人命軽視)を予告しているかのようだ。モノクロスタンダードサイズで外側が見えないような画面の描き方もそれを示して見事。(4月22日 新宿武蔵野館 108)


⑳ちょっと思い出しただけ
監督:松居大悟  出演:池松壮亮 伊藤沙莉 河合優実 尾崎世界観 成田凌 国村隼 永瀬正敏 2021日本 115分 ★

2月11日公開からほぼ2か月近くのロングラン。そろそろ終わりだろうし、こんなことなら家近1分の映画館で見ておくべきだった…と思いつつ土曜の午後の劇場へ。案外の混み方…。二人の恋愛ドラマ?といいつつ、始まりからかなりの間二人は全く別々の暮らしをしていてどこでどう出会うの?と思っていると、タクシー運転手の葉が客のトイレ要請で寄るのが「座・高円寺」。その舞台でその日照明を担当していた照生が、終演後一人、無人の舞台で踊る姿を葉が見るというシーン・・・ここが映画の最後に続いて、葉は戻った客を乗せてまた夜の街に、というその間が、さかのぼる形で二人の別れ、同居の蜜月、さらに出会いまで、照生の誕生日7月26日(27日?)と彼の住む部屋をおもな定点として描かれていく。
内容的に言えばプロダンサーとして更なる高みをめざしつつ怪我によって挫折し、照明の道を新たに模索する男と、ずっとタクシー運転手を続けながら・・・ここにこの映画の楽曲でもあり、ジム・ジャームッシュ『ナイト・オン・ザ・プラネット』のウィノナ・ライダーを重ね合わせつつ、高校時代には演劇を目指したものの、今はそういう夢を持つわけではなく地道に生活を楽しむ運転手の暮らしをしている女(女の職業運転手というのは『ドライブ・マイ・カー』もだし、いて当たり前といいつつ、現代日本映画の一つのイコン?になったのかな)の意識や感情の触れ合いやすれ違いを繊細な一つ一つの場面として描いていて「ドラマ性」のようなものはあまりないーというか、二人に接する人々、たとえば永瀬正敏扮する公園の男とか、国村隼扮する二人が通うスナックのゲイの店主などのほうがドラマがありそうだがここに深入りすることはなく、繊細・微妙に描かれる場面場面のつくりを味わうべき映画のようだ。しかし長回しで案外普通の日常生活を描くその場面が吸引力をもって飽きさせないのはさすが!(4月23日 テアトル新宿 109)


㉑月老 また会う日まで
監督:ギデンズ・コー(九把刀) 出演:柯震東 王淨 宋芸樺(ビビアン・ソン) 馬志翔 2021台湾128分

お台場アクアシティのユナイテッドシネマで3日間(1日3回?)の限定上映。3130円(2800円+手数料)のチケットを買い込み見に行く。ネットなどで見るとラブ・ファンタジーとかいいう位置づけで、確かにまあそうなんだが舞台はあの世とこの世のはざまの閻魔庁周辺、主人公阿綸はそこをさまよう死者で、台湾(中国?)の古いい伝統や因習などの概念もからみ(キョンシー的世界かしら)さらには場面には日本のホラー映画的要素も盛り込み、そこに主人公生前の恋人が500年前(前世)の因縁で鬼頭成なる怪物に絡まれ襲われ??というわけで、台湾の旧作映画や、作者九把刀の愛する?もろもろの世界が盛り込まれ取り込まれ、映画中のイケメンは佐藤勝(字幕の役者名ではなく「剣心」と役名で言ってたような気もする)や綾野剛など日本の現代役者名が引用されなどなど、そのあたりを知っている人には大いに楽しめるのだろうが、そうでないと1回見ただけでは何を言っているのやら、話がどう展開しているのかをきちんと詳しく理解するのは無理だ…と、けっこうテンポはよく目くるめく場面展開を見ながらついていけず、ちょっと眠気が射したところも…。『あの頃君を追いかけた』の柯震東(北京で大麻でつかまったんだっけ?)、『私の少女時代』のビビアン・ソンは、まあかわいい普通の恋人どうしの役?(映画では女の子の方がなぜか勉強ができる…というのを自ら笑い倒している場面もあった)、『返校』『瀑布』の王淨は今回はちょっときつめではっちゃけた、冥界でのパートナー・ピンキーで、前2作(とはいっても私が見た、という意味だが)とは全く違う顔を見せてくれていて楽しめた。
冥界の使者は、それぞれのミッションに従って善行を積むことにより、よりよき転生ができるというコンセプトで、二人は「月下老人(これが題名由来)」チームで人間界の縁結びをする訓練を受けるパートナーになる。あの世とこの世を行き来しながら縁結び。しかし阿綸は生前の恋人小咪(これが「ミーちゃん」という字幕!字幕は台湾側で作成されたものらしく、ところどころ?というところがあるが、概ねはまあまあだったが…)と出会い…。生きている人間には姿が見えない二人だが、実は見えないと思っていた小咪には見えていたというのもミソでこのあたりはそれぞれの視点からの映像の繰り返しになる。最後に転生した二人が見えない赤い糸で結ばれた子どもとして、二人の縁結びによりあらたに恋人を得た小咪の前に現われるというまあhappyendのここはラブファンタジーか…。もう一度見ないと何とも評価・感想は述べにくいという感じ。(4月24日 お台場アクアシティ ユナイテッドシネマ 110)


お台場アクアシティ(初めてかも…)


㉒アンラッキー・セックスまたはいかれたポルノ(監督自己検閲版)
監督:ラドゥ・ジューテ 出演:カティア・パスカリウ クラウディア・イェミレア オリンピア・マライ 2021ルーマニア ルクセンブルク チェコ クロアチア(ルーマニア語)106分 字幕翻訳:大城哲郎 ★★

出だしはカラフルなポップ画面に隠された声だけのセックスシーン。この映像がSNSでアップされてしまった歴史教師のエミはまずは校長宅に釈明に。夜に学校で行う保護者集会に出席するように言われ、そこから一部はずっと、街の中を、ときに夫と連絡を取り合いながら歩く。ダークスーツの身を包んだ彼女以外の街の人々はだれ一人、そういう仕事着スタイルはいないが、なんか町は極彩色の看板などがあふれる割には光度を落として暗く、人々はカジュアルスタイルだが全然楽しそうではなく、マスクはしていたリしていなかったりだがパンデミック下のようすが延々と描かれているという感じでエミの行く先もよくわからない。第2部はAからZまでの単語が並べられ、それに短い映像がつく断片・箴言集。字幕がつくが映像には音声も原語字幕もないものが多く、原版がどうなっているのかちょっと気になるところ。数も多いし聞き覚え見覚えのあるような映像やことばもあるし、そうでないものもルーマニアという社会の歴史や考え方を皮肉っぽく表しているのだと思うと飽きることはないが、ウーン。まあこの映画の『刺激』ではあった。
三部はいよいよ保護者集会で中庭のようなところでソーシャルディスタンスを取って座った30人くらいの保護者と対置するエミ。そこで削除されたはずの動画をダウンロードしておいたとぬけぬけという保護者の手によってあらためて「公開」され、ポルノ教師として批判されるエミ。保護者は図式的にさまざまな考え方や立場を取る人が並べられ、それこそモンスターペアレントとして彼女の性生活を批判する人から、軍人とか、あるいは擁護者もいるのだが皆なんかピントがずれて勝手なことを言っている感じで、エミはそこで毅然として反論をするのが格好いいが、なかなかに通じない様子が演劇的に描かれてなかなかうまくできている。そして最後は校長によって彼女を学校に残すかどうかという採決が行われ、三つのバージョン(僅差で彼女が学校に残れるようになる穏やか解決片、負けて彼女が席を立ち退職する編、そしてもっとも過激にジョークも込めたマンガ的最終編!)で映画の幕がとじる。話としてはそんなに過激的とも思わないがとにかく描き方は挑発的で、なるほどこんな描き方もあるのだなと感心。(4月27日 渋谷イメージフォーラム 111)


㉓インフル病みのペトロフ家
監督:キリル・セレブレン二コフ 出演:セミョーン・セルジン チュルバン・ハマートワ ユリヤ・ペレシリド 2021ロシア・フランス・スイス・ドイツ 146分 ★

1日に見るにはちょっとしんどいような癖の強い作品2本目。出だしは2004年、込み合ったバスに乗り咳き込むインフルエンザのペトロフ。その周囲の人々の会話・喧嘩?まるで怪物みたいな怪異な表情を見せる雪娘の扮装をした車掌。突然バスを下ろされたペトロフは銃を持たされ、並ばされた男女の銃殺処刑をさせられる、と思いきや、これはどうもペトロフの妄想であるらしく、この後、イーゴリという男に誘われてバスを降り霊柩車の中で酒を飲むとか、彼とともに友人ビーチャの家に行きさらに飲み続け、そこから1970年代?雪娘の世界に導かれと、現実とも妄想・幻想ともつかないような、両者を行ったり来たりするペドロフが暗いロシアの街エカテリンブルクで描かれ、さらには彼の別れた妻で司書のペドロワの恐るべき行為(これもペドロフの幻想?あるいは元妻の幻想?)、さらにペドロフの幼時?もしかすると彼が生まれる前の両親の姿?ーそしてペドロフ家の息子のインフルエンザとそれでも彼が行きたがるヨールカ祭(クリスマス?or新年を祝う?)そこに重ねてペドロフ自身の幼時のヨールカ祭の雪娘のイメージが重なり、雪娘のマリーナと恋人の幻想、幼いペドロフの側からの視点も重なり、また90年代売れない作家の自殺に付き合うペドロフ(ここは18分の長回しだそう)の姿も重なり、ウーン、物語の筋を追おうとすると何が何だかわからないのだが、妄想や幻想の不条理さ、それと現実との距離感があるようでないようでというある種の怖さが現れ、一つ一つの場面のなかなかの刺激的な描き方からも目が離せない吸引力がある。ポスト・ソヴィエトのロシア像が描かれているのであるらしい。
妻も雪娘マリーナも含め女性の描き方にも何か特異なジェンダー観というかむしろ作者の敵意?みたいなものも感じないでもなく、読み解くのが難しいけれど興味は引かれる作品である。インフルエンザの主人公ペドロフはマンガを書く自動車整備工?らしく、妻とはすれ違うが、息子の介護は二人でという子煩悩さもあり、ちょっと面白いキャラクターだった。(4月27日 渋谷イメージフォーラム 112)

ミヤマバイケイソウ・猛毒!

山頂のアカヤシオ

4月最後は秩父・両神山1日中雨に降られ⤵…


書きました! よろしかったら読んでください。

『よりぬき(中国語圏)映画日記 「香港映画発展史探求」に現われた女性たちーー『英雄本色』『董夫人』『北京オペラブルース』』 
        THトーキングヘッズ90号22・5(アトリエサード)

なお、同書掲載の
『中国語圏映画ファンが選ぶ2021年”金蟹賞”は『一秒先の彼女に』!』(小谷公伯)
も是非。昨年1年間の中国語圏映画について概括する力作です!



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