【勝手気ままに映画日記】2021年5月


久しぶりの晴天 奥高尾もみじ平から 手前大室山もくっきり(5/3)
      ン10年ぶりに登った生まれ故郷の滝子山(山梨県)からの富士山            晴天だけど黄砂飛ぶ日でこんなにぼんやり…(5/8)

滝子山上から眼下の町(これが生まれ故郷)
 

下から見上げる滝子山(1610m)子どものときはもっと高山に思えたのだが…

①デカローグ9ある孤独に関する物語②デカローグ10ある希望に関する物語③憂鬱な楽園(南國再見、南國)④珈琲時光⑤異邦人 デジタル復元版➅デカローグ8 ある過去に関する物語⑦HHH:侯孝賢[デジタルリマスター版]➇冬冬の夏休み(冬冬的暇期)⑨High Flash〜引火点(引爆點)⑩台湾新電影(ニューシネマ)時代⑪風櫃の少年⑫よい子の殺人犯⑬ブータン山の教室⑭戦場のメリー・クリスマス 4K修復版⑮愛のコリーダ 修復版⑯海辺の家族たち⑰ファーザー⑱ジェントルマン⑲グンダーマン 優しい裏切り者の歌⑳なんのちゃんの第二次世界大戦㉑泣く子はいねぇが㉒生きちゃった㉓海辺の彼女たち㉔ペトル―ニャに祝福を㉕童年往事㉖明日の食卓㉗HOKUSAI㉘クルエラ

③④⑦⑧⑨⑩⑪⑫㉕ 台湾巨匠傑作選2021 ホウ・シャオシェン大特集(但し初めて見たのは⑨⑫だけ) ①②➅は先月に続き『デカローグ』10本のうちの残り
⑭⑮⑳㉑㉒㉓㉖㉗ 日本映画 ⑤⑭⑮は旧作リマスター コロナ禍の影響?もあって旧作・再見作品がおおくなりました。★はなるほど! ★★いいね! ★★★おススメ 各映画最後の、映画館名の後ろは今年になって劇場で見た映画の通し番号です。


①デカローグ9 ある孤独に関する物語
監督:クシシュトフ・キェシロフスキ 出演:ピョトロフ・マハリツァ エヴァ・ブワシュチク 1988ポーランド 61分 

回復しない性的不能と診断された外科医とその妻の物語。自分は相手に性的欲望は感じず、医師には別れることを勧められるが、妻の気持ちを求め、浮気をしているらしい妻に嫉妬を感じる夫と、浮気をしつつ、夫への診断を知ると、むしろ浮気相手と別れようとする妻のそれぞれの心情とそのすれ違いが、身の回りのものを介して描かれ(あまり直接の話し合いとかはないのが映画としては観念的にならずいい)、最後は思い切った結末の(ちょっと思いもよらない方法?)の解決というかハッピーエンド?がつく。先月に引き続く『デカローグ』いよいよ残り少なくなってきた。(5月2日 渋谷イメージフォーラム 107)


②デカローグ10 ある希望に関する物語
監督:クシシュトフ・キェシロフスキ 出演:ズビグニェフ・ザマホスキ イエジ―・シュトゥル      1988ポーランド 60分

『デカローグ』10本目最後は「希望」に関するというのだが、この希望、最初は父の葬儀から。父の家に遺品の整理に行った兄弟(兄は所帯持ちのサラリーマン、弟はロックミュージシャン)が厳重に鍵のかかった家で膨大な切手のコレクションを見つける。そこに父に借金をされたという男が現れ、これもけっこう莫大な請求をする。とはいえ父のコレクションはそのような額を大きく超える価値があるらしいということがわかり…。軽い気持ちで飛行機好きの息子に与えたツェッペリンの3枚つづりから怪しげな切手商にたどり着き、そこで新たなシリーズ切手の父が求めて得られなかった1枚があることを知らされ、多額だけれど実態のお金にはまだならないな遺産に舞い上がった兄弟がずるずると危うい道にはまっていくのをハラハラ見ているうちに、兄はその希少な切手のために腎臓を失い、弟は守っていたつもりの切手を盗まれるーそこからは兄弟同士の疑心暗鬼も始まりという感じでどこが希望?という感じに話が進んでいくが、最後になーるほど(でも肩透かし感もある)のどんでん返し。切手コレクションは結局失うのかもしれないが、兄弟の仲が修復されたことをもって「希望」としているのかな。今郵便局で売っている記念切手を並べ「シリーズ」と笑い合う最後の場面が兄弟の希望ということになる?? ちなみに私の鑑賞はこれで9本。最後に8が残っている。 (5月2日 渋谷イメージフォーラム 108)


③憂鬱な楽園(南國再見、南國)
監督:侯孝賢 出演:高捷 林強 伊能静 1996台湾・日本 112分

初めて見た時にもなんかピンとこない映画だなあと思った記憶があるが、当時に比べると我が鑑賞力も向上しているかも、と思いつつ。ウーン、やっぱり私にとってはなじみにくい世界だなあ。。李屏賓のカメラはこんなに赤っぽい色合いだったかなと思うほどに室内場面など赤黄色の光で満たされているのは同じ侯孝賢の『フラワーズ・オブ・シャンハイ』(1998)とおんなじ感じ?最後の夜明けの空の悲し気なまでに情緒的な紫の空の色は、あ、やはり…とようやく落ち着くのだが。で、当時は台北はともかく嘉義には行ったことがなかったので、そういう意味でのご当地映画を改めてみるというような面白みはあるが…。
とにかく賭事をしたり、酒席で複数の男たちが女を侍らす感じでわいわいがやがやとやり取りをしたり杯の応酬をしたりの特に前半は連続な感じで疲れる。豚飼いの老人(これが李天禄。セリフは一言。しかしその存在感に今回初めて気づいた)をだましに行く場面も複数の男がわらわら寄り集まるし、絶壁頭(扁頭。しかし林強の後頭部が本当に絶壁なのも笑ってしまう)が従兄に土地分配交渉に行くときも女連れ、そして従兄の方は警官の従弟?を連れてきてそれに立ち向かいあっという間に取っ組み合いとうようなところも、なんかこの男たちが他者依存というか集団感覚の中で生きている感じがするのは、侯孝賢の特徴か、あるいはこの時代の台湾人の文化か。特に前半はヤクザの騙し合いネゴシエーション?みたいなセリフ劇でなかなか世界に入っていけず。でも平渓線のトンネルや線路風景とか、3人の主役たちのオートバイツアー?シーンとか、これもやはり侯孝賢の世界の色合いが濃厚で懐かしみを覚えるのは20年ぶりの鑑賞だからか? (5月4日 新宿K'Sシネマ 台湾巨匠傑作選2021侯孝賢大特集109)

④珈琲時光
監督:侯孝賢 出演:一青窈 浅野忠信 余貴美子 小林稔侍 萩原聖人 2003台湾・日本 103分 

「小津安二郎誕辰100年紀年」松竹作品として作られたこの映画、うーん。フリーライター、ヨウコのほとんど起伏なく淡々とした日常を描くのはまあいいとして、その妊娠も、江文也に関する調査研究も、ちょこっとエピソードとして語られるだけで(江文也に関しては高齢の妻=実在の方が出てくるが、それも一瞬のインタヴューでなんとも物足りない切り方)彼女の実生活の中にほとんど意味を持たない描き方しかされず、そんなのありかな…仲良しの古書店主も彼女に気があるのかないのかわからず、ただただ列車の音を録音する趣味?にふける…というわけで、この映画ももちろん公開時に見てついていけない感じがしたが、20年近くたった今見ると、今は昔の風景になった東京の様々な景色を切り取って保存しているという意味では、九份の昔の姿を残した『恋恋風塵』と同じく(現段階では、ほどではない、という気もするが)アーカイブ映像としての資料的価値はあるかも…。
ほとんどは隠し撮りというかドキュメンタリー的手法で撮ったというJRの電車、線路、都電荒川線のようす、高崎あたりの風景などなど、さらに50年くらいたったら違う意味を持つかもしれない。その時平成のこの男女のドラマのない暮らしぶりがどう評価されるのか、あるいはこれがフツウという誤解を生まないかという心配もなくはないが。
朱天文の脚本(夕張編のカットされた部分に彼女自身がショックをうけたとか)、李屏賓の撮影もピンとこないのは私の眼のせいかなあ(でも20年前には目はまだよかったはず)。(5月4日 新宿K'Sシネマ 台湾巨匠傑作選2021侯孝賢大特集110)


⑤異邦人 デジタル復元版
監督:ルキノ・ヴィスコンティ 出演:マルチェロ・マストロヤンニ アンナ・カリーナ ベルナール・ブリエ 1967イタリア・フランス 104分

1968年日本初公開は英語版だったそうで、その後は日本ではTVの吹き替え短縮版以外は放映されたことがないというこの作品の、今回はもともとのイタリア語版での上映というのが惹句で、それはそれですごいこと?とは思うが、舞台はアルジェ、その法廷はフランス法廷というわけで、うん?本当ならばフランス語世界?でもどう見ても出演者も作者もイタリア語世界の人々だしなあ。
というわけだが、内容的にはカミュの原作の流れにかなり忠実と言っていい。「異邦人」というのはアルジェのフランス人とかいうわけではなくてキリスト教世界の異邦人なんだな、という描き方。その「異邦人」のマストロヤンニは異邦人というよりは正統派という雰囲気で見かけが立派すぎる気がするー太陽がまぶしいから思わず銃をぶっ放したという感じではないーし、取り囲む判事とか検察官とかの、いわば神を信じ、無神論者のムルソーを糾弾する側の俗っぽさはいかにもカソリック社会の俗っぽさ…という感じではあるし、全般にいかにもヴィスコンティ作品といった色合い空気ではある。特にこれから斬首(フランスだからギロチンだ…)という闇のしかしあくまで神を拒否するムルソーの苦しみの映像の光と影、迫力があった。(5月5日 下高井戸シネマ 111)


➅デカローグ8 ある過去に関する物語
監督:クシシュトフ・キェシロフスキ 出演:マリア・コシュチャウコフスカ テレサ・マルチェフスカ  1988ポーランド 57分

大学で倫理学を教えるゾフィア。一人暮らしでダイエットに励む。ある日学術交流でアメリカから来たエルジュピタが授業への参加を求める。その席で彼女が話した40年前のある少女の話は、実はゾフィア自身がかかわった過去の悔恨の記憶であった。ナチスから逃れて匿ってもらうための洗礼証明がほしいと訪れた少女とその後見人の希望に答えなかったのは、実は少女の匿い先として目されていた仕立て屋をゲシュタボの手先と疑い、少女を匿わせることによりそこから情報が漏れることを恐れたからだったが、その後仕立て屋がへの疑いが無根だったとわかり、少女を寒い外に追い出すがごとく去らせたことが、心に残っていたゾフィアは現れたエルジュピタをもてなし、昔少女が訪ねてきた住居に連れて行ったり、自宅に止めたり、そして消息は知りつつ交流を断っていた仕立て屋の元にも案内する。その中でエルジュピタの許しというよりは、ゾフィア自身が過去の傷を再確認しつつ恐れや不安を味わいなおす?そして仕立て屋も最後までエルジュピタに打ち解けはせず、ゾフィアに会おうともしないが、二人の邂逅を少し気にするような様子を見せるというような、コンパクトながら時代も人物も出会い方も重構造な印象の強い一編。
見たのは『デカローグ』10本の最後だったので、倫理学の教室で、2「選択」のエピソードが語られたり、最後の10に(死んで)出てくるツェッペリンの3枚つづりを手に入れて狂喜する切手コレクターの「父」とか、ああ、ああ、なるほどという感じ。他の編で死んでいる人にも元気な生があったのだと感じることがちょっとうれしいような…。「天使」はこの編では教室の学生として登場している。(5月6日 渋谷イメージフォーラム 112)

⑦HHH:侯孝賢[デジタルリマスター版]
監督:オリヴィエ・アサイヤス 出演:侯孝賢 朱天文 呉念真 陳國富 杜篤之 李天禄 高捷 林強 1997 仏・台湾 92分

復習編(のはず)『童年往事』の場面から始まり台湾で職についた父に呼び寄せられ大陸から移住した幼少時〜鳳山での少年期を語る侯、鳳山の廟で昔馴染みと出会い旧交を温める侯、そして『風櫃の少年』は自分、『冬冬の夏休み』は朱天文ということで、侯と朱天文の対談で当時の脚本作りについて語られたり…というように『悲情城市』までの映画作りや当時の台湾の映画状況などにおける位置などが、登場人物こもごもに、その映画のシーンや、舞台となった高雄、九份、平渓、台北などをそれらの映画が作られた80年代から10年後くらいの景色で撮っていて、九份などの変化には目を見張らされるが、そこからさらに20年たった今の違いというのも…。それにしても「男」でありたいみたいな武侠?っぽい侯のしゃべりとか、カラオケでの台湾演歌?や「乾杯」の熱唱とか、思い出した思い出したと、素顔(かどうかわからないが)見える作品だったなあと…それにしても連休も終わり平日の真昼、満席!とは…恐るべき侯孝賢の吸引力!(5月7日 新宿K'Sシネマ 台湾巨匠傑作選2021侯孝賢大特集 113)

➇冬冬の夏休み(冬冬的暇期)
監督:侯孝賢 原作・脚本:朱天文 出演:王啓光 李淑楨 古軍 梅芳 陳博正 李秀玲 楊麗音 顔正國 楊徳昌 丁乃竺 1984台湾 98分

これももちろん復習編。何回か見ているが、今回は大人・強者の気軽な身勝手さゆえの物言えぬ人間が虐げられる構造と、子どもが親の思うようにはいかないのは医師の祖父も例外ではないのだなあという確認??それと台北駅から始まる?ように思っていたが、延々と卒業式ー少女の卒業のことばに「蛍の光」や「仰げば尊し」が重なっていく出だしにびっくり(忘れていた自分にも)この映画、冬冬の父は外省人、母の家は客家系の本省人という設定(原作の朱天文と同じく)でことばも国語(北京語)、台湾語、客家語という感じ飛び交っている感じだが、祖父などは日本語教育を受けていてもいい?と思えるが日本語は出てこない、と思っていたが中国語で歌われているこの日本の唱歌「仰げば尊し」に日本統治の影響が表れているのかなと再び驚く。
とにかく短い夏休みの間、地元の子どもたちと遊び惚ける冬冬の周辺では、友人の行方不明、妹の思わぬ事故と紙一重からの生還、二組の思わぬ妊娠、強盗事件、叔父の結婚、叔父の警察に捕らえられる―痔の手術、寒子の事故と流産、そしてもちろん台北の母の病気と手術と、よくもまあこれだけ詰め込んだと思われるような事件が起きるのだなあ、と。
ここではいわば冬冬はすべてにかかわりつつ結局のところ傍観者で、特に成長譚になっているわけでもなく、むしろそれらの事件にかかわって共に悩み、慌て、相手との関係を断とうとしたり、逆に内緒で支えたりというような村人たちが集団として描かれていて、そこでは医師として周辺からは尊敬されているいわば村の名士的な対場であるはずの祖父もその輪の中では例外ではない。
ことばを持たぬ寒子と幼い婷婷がいわばもっとも豊かな感情を持っているわけだがそれを人に伝えるすべがなく、周辺の好意のの中で思う通りには生きられない悲しみが胸をつく。寒子の妊娠について大勢の大人の村人がどうするかと、彼女の父の「生ませたい」ということばそっちのけで協議するシーン(村社会のひどさという気がする)夏休みの終わり台北に送っていくはずの叔父は痔の手術の痛みで動けず、父が台北から車で迎えに来て二人は帰るが、その帰り際、婷婷は「寒子」と呼びかけるも彼女は振り返らず周りもなぜ婷婷がそう呼ぶのか理解しようとはしない。一方兄の冬冬は川で遊ぶ子供たちにはるかかなたの道路上から声をかけ、子どもたちもそれに答えるというこの差が、兄と妹の夏休みをまさに分断して、婷婷の孤独を強調しているように思われ哀切感がある。
(5月7日 新宿K'Sシネマ台湾巨匠傑作選2021侯孝賢大特集 114)


⑨High Flash〜引火点(引爆點)
監督:荘景燊 出演:呉慷仁 姚一緹 陳以文 徐詣帆 尹馨 周群達(ダンカン・チョウ)2018台湾114分

15年にわたり企業の環境汚染に苦しむ漁村の市長が先頭に立った住民の抗議行動の最中燃え盛る小舟が突入、そこには焼身自殺したとみられる死体が…汚染による病気や生活苦での自殺により企業は操業停止に追い込まれ、しかし自殺を否定する妻には地元民?が圧力をかけというわけで監察医と、彼の元妻であり問題の企業について内偵を続けてきた検察官が、二人ながらの葛藤やゴタゴタを抱えつつも真相究明に乗り出すが…という話。
監察医は事実(証拠)のみに依拠する、人の気持ちのわからない人物として描かれ、元妻の方は仕事と家庭(愛)を天秤に妊娠した子を流産と偽り中絶するとかいう(これは医師の目で見た元妻で、実はウラがありそうな描写もあるのではあるが)二人ともトンでもという感じに共感のできないような人物として描かれるのだが、それが事件の経過を通して特に医師のほうが変化していくーまあ、払った犠牲はとんでもなく大きく、映像としてもえぐいし、媽祖の廟前での宗教的行事に絡めての殺人というのは台湾人も果たして受け入れられたのかどうかというようなスゴイ映像だが…というような映画。
ダンカン・チョウ扮する企業社長は最後に告発はされるのだが、見てすっきり勧善懲悪ともハッピーエンドともいかず、主人公の医師を演ずる呉慷仁の泣き顔が哀切といえば哀切な、今風台湾の、社会意識は満載という社会派ミステリー映画である。
(5月11日 新宿K'Sシネマ 台湾巨匠傑作選2021侯孝賢大特集江口洋子スペシャルセレクト 115)
 

⑩台湾新電影(ニューシネマ)時代
監督:謝慶玲 製作総指揮:小野 2014台湾 109分

2016年3月大阪アジアン映画祭で『光と影の物語~台湾新電影』の名で上映されたものを見たが、久しぶりの台湾ニューシネマ復習。当時は王童作品や『超級大市民』などは見ていなかったので、挿入される映画場面を前回よりも感慨深く見た。
映画初頭はまず林懐民(雲門舞団)の70年代〜80年代を中心とする社会変遷に関する軽妙な語り、次がタイのアビチャッポン・ウィラ―セタクンの侯孝賢経験、そこから欧米に飛びトニー・レインズ、ピエール・リシアン、オリヴィエ・アサイヤスといった人々の台湾ニューシネマ評価(環境や社会について理解しにくいが、感情に共感できるといった論調)そして日本ー香港ー中国(大陸は賈樟柯、王兵と楊超、それにアイ・ウェイウェイ、程小東といったアーティスト、それに田壮壮。 王兵が代表格だが世代が共通なせいか第5世代と比較して台湾ニューウェイブを評価する論調が目立つ気がする)そしてもはやニュー・ウェイブなど関係ないというような感じの蔡明亮、なんだか若い時の映像を見慣れたせいか背中も丸く痩せて老いた感じ侯孝賢で閉めとなり、最後は『憂鬱な楽園』のオートバイシーンで終わりだが、ン?今侯孝賢は何を作っているのかなとふと思わされる。以下は2016年初見の感想。

語る人々の住む町、そしてその景色の中で佇んだりカフェで話す各世界の映画人たちの80年代からの台湾ニユーウェイブ映画についての語りを綴り、間にそれらの映画の映像を挟んだドキュメンタリー映画。欧米から 語り起こされアジアに進み、日本では佐藤忠男氏の王童映画について、浅野忠信の語る侯孝賢像、ミレニアム マンボの大久保の旅館、黒沢清、是枝裕和(父が台南育ちで嘉義農林の出身だそう!)らがこもごもに主に 侯孝賢、楊徳昌らについて語る。中国では王兵の台湾ニューウェイブは中国第5世代の持っている限界を超えていると少々脱線気味の力説が笑いを誘っていた。最後に台湾で蔡明亮は自分はニューウェイブの一人だとは思っていない、ただ自分の作りたいものを作ってきただけだと言っていたのと、侯孝賢もなんかあまりニューウェイブを評価しないようなことを言っていた(まあ自分がほめられている映画で自画自賛というわけにもいかないだろうが)のが印象に残る。
(5月12日 新宿K'Sシネマ 台湾巨匠傑作選2021侯孝賢大特集116)

⑪風櫃の少年
監督:侯孝賢 出演:鈕承澤 張世 1984台湾 101分 

こちらは2016年5月のK'S シネマ「台湾巨匠傑作選」が劇場で見た最後かなと思われる。このときも見覚えのある設定にいつ見たのだろうかと思いつつ、いつ見たのかわからないという状態で、今回も見覚えのある設定・物語ではあるが、ウーン。
今回の確認は『恋恋風塵』とも同じく、こちらは高雄近く?の島?風櫃の阿清という少年というか青年入り口(幼少時は『少年』と同じく顔正國が演じる)が、わんぱくというかケンカ三昧の日を送る場面から警察沙汰、野球で頭にケガをし介護が必要になった父への食事のさせ方を母に叱られたのを機に家を飛び出し高雄にーただし一人でではなく仲間の連中と3人ほどでそのうちの一人の姉の家に転がり込むーここで姉の「未入籍の夫」を侯孝賢自身が演じているーそして紹介されたアパートで一人の女性(少女)に恋とも言えないような淡い恋心を抱くが…という展開なのだが、常に群像劇的に仲間の青年たちや、故郷に戻れば大家族の中で彼の姿が描かれ、しかも彼自身にドラマがあるというより、父の死や友人の転職など周りの人々のドラマの中で自身の行く道が見いだせず悶々とする青年として描かれている。
後半になると阿清(鈕承澤)の悩めるクロ-ズアップなどもなくはないのだが、どちらかというと全体に遠めのカメラワークは登場人物の個性を際立たせることはぜず、若い役者たちがこの段階では無名?なこともあってやはり、群像劇というか社会の中でどこにでもいるような名もなき青年の物語として描かれているのは『恋恋風塵』と同じかな(よりもっと個性は際立たない)。
この映画は侯孝賢自身の青春がモデルだというが(出身地は別)、この悶々のあと、主人公は兵役に行き、帰って映画学校に行き、映画の世界を歩き出すことになるわけだ。(5月12日 新宿K'Sシネマ 台湾巨匠傑作選2021侯孝賢大特集117)


⑫よい子の殺人犯(最乖巧的殺人犯)
監督:荘景燊 出演:黄河  王真琳 2019台湾 80分

⑨の『引火点』の監督の劇映画第2作(というかクランクインは『引火点』の前で、同時並行的に作られたらしい。ピカチュウの版権が取れず製作したという『ポピッター』という「日本のアニメ」を愛するオタク青年阿南とその家族ーこれがまたなかなかで、父は12歳だった兄を道連れに1年前に飛び降り自殺。残された母と息子阿南は認知症になった祖父(父の父)の面倒を見ながら暮らしている。するとそこに借金を作り食い詰めた叔父(父の弟)が態度の大きな情人連れで、この家の権利を主張し乗り込んできて住み着き、母子をあたかもこの家のや祖父を毒するものとして糾弾するーという、まあなんというか、ストレスのたまりそうなーである。
ポピッター愛つながりで、阿南にはガールフレンドができるが、これがまた一癖二癖ありそうな子で、彼を誘っていたずらとも言えないような悪質ないたずらをして歩いたり、彼に気があるようなふりを見せたりで阿南を翻弄する。そんな中で阿南は大けが、家庭内のごたごたの中、騙されて交わされたポピッターの着ぐるみを来た祖父は転落死ということで、とうとう切れた阿南は…。なんか予想のつくような終結でいつことが起きるのと最初から思いながら見る感じ。そしてことが起こった時にはもう物語は終わりー最後に一人電車に乗ってしあわせそうというか、落ち着いた笑顔の阿南がわけアリっぽく、現実なのか幻想なのかわからないのだが印象的ではある。このようなオタク青年とキャラクター、家庭問題、なんか社会的に痛めつけられていそうな少女と、この映画、前の『引火点』もそうだったが、社会派としての意識満載?しかし、あまり観客を楽しませようとか、娯楽的な映画としての視点はない感じで、前作⑨もこれも、社会派として熱い意識は感じるものの、イマイチ地味というか、面白みがないというか、後味があまりよくないのは何故かなあ…。主演黄河は『悪の絵』(2020東京国際映画祭で見た)の殺人犯受刑者で絵画の天才という役柄を演じた人。(5月13日 新宿K'Sシネマ 台湾巨匠傑作選2021侯孝賢大特集118)


⑬ブータン山の教室
監督:パオ・チョニン・ドルジ 出演:シェラッブ・ドルジ ウゲン・ノルブ・ヘンドゥップ ぺム・ザㇺ  ケルドン・ハモ・グルン 2019ブータン(ゾンカ語・英語)110分

こちらは後味よすぎというか、後味はいいのだが、え?こんなふうに進んでいいのと、細部でウーン、作者が見せないでいることが多すぎるのではないか?と思わせられないでもなかった。しかしブータンの山奥の村の景色、人々のまじめで真摯な日常の営みかたなどはくっきりと心に沁み込むような描き方で、エリック・ツァン似の主人公の出だしのぼんやりしたいい加減さが、まあ村人とのかかわり(というか村の文化とのかかわりという描き方かな)の中で、とりあえずは数か月をそこで過ごし、そして去っていくというのにはちょうど合った描かれ方というべきかも。
教師も来ず学校が冬季は閉鎖され、授業では英語、算数、国語はやるもののみな初歩レベルなのだが、それなのに大人の村人も皆字が読めるし、村長のことば「教育は未来を見せる」や、その生き方の知的レベルの高さは一体どこから来たのか…と、この電気自家発電(来たり来なかったり)、TVもないし、ギターを珍しがり、子どもたちは自動車を知らないというような村の状況とがなんかアンバランスな感じがする。主人公が最後に予定通りにシドニーでカフェで歌手になり、洋楽を中断して村に伝わる歌(但し自分で歌詞をつけた?)を歌うという中途半端さとちょうど合っているというべきかも。ブータン映画だが、台湾影業のロゴも入っていたので、台湾合作?(5月14日岩波ホール 119)


⑭戦場のメリー・クリスマス 4K修復版
監督・脚本:大島渚 出演:デヴィッド・ボウイ トム・コンティ 坂本龍一 ビートたけし 1983日本・イギリス・ニュージーランド 123分 ★★★

映画が製作され公開された1983~4年ごろは、乳幼児養育の真っ最中、映画館に足を運ぶ暇もないという状況だった時で、このころの映画は(この映画も)何回かDVDやTV放映などを見ているが、大スクリーンでは多分初回。たけしの顔で始まり顔で終わる映画なのだとは再確認。しかし何回見ても目を離せない感じの吸引力だな~。それはもうオーラ全開のデヴィッド・ボウイであり、彼に何ともしようなく惹かれていくのが隠せないヨノイ(それにしても欧米クサい日本名だけど)の坂本龍一の目張りを入れたように見開いた目であり、そして意外に(TV画面サイズではあまりわからなかった)知的なたけしの陰というか二重性みたいな複雑な陰影かな…。ジャワの緑の風景が目に沁み、そこに坂本の例の有名な音楽がかぶってくると戦場とは思えぬようなみずみずしい静けさが画面を覆い、それゆえに戦場の過酷さも「心理的に」胸に迫ってくるようなしくみになっている。何回もみたけれど「最後の大規模ロードショー」と銘打って集客も上手な武蔵野館で。(5月14日新宿武蔵野館 120)

ロビーの展示


⑮愛のコリーダ 修復版

監督・脚本:大島渚 出演:松田英子 藤竜也 中島葵 松井康子 殿山泰司 1976日本・フランス 108分

続けて大島特集。こちらは完全に初見ー一人でDVDで見たいと思うような映画ではなかったのでー今日来ている人はほぼ全員一人、しんとした雰囲気で映画館の一番前の席に新宿タイガーさん(タイガーマスクに満艦飾の新聞配達員)マスクはわからないけれど背中の花飾りとかなにやかや外して座って映画鑑賞だったーというわけで、この映画いやーとにかく赤の色鮮やかさ、昭和初期の家や街の暗い和風の落ち着きとの対比とか夕焼け空の紫色とか、そして男女の肌の色の生々しい美しさとかビジュアル感満載。そこに性器や性交の部分にぼかしがかかるのが何とも淫靡で、一場面で部屋を駆け回る男女の幼児の腰のあたりもぼかしが入っているのがちょっとおかしい…なんて変な感想だが、藤竜也のイケメン度!(鼻筋通ってまつ毛の濃く、しかも涼し気な風貌で40年余の時の流れが人に与える老いの無残さを感じさせられてしまうような…。体もだが、ただしパンツ(下着)の後がくっきりと白いのはいただけないなあ、なぜだろう?)一方の松田英子は実年齢は彼より10歳くらい下だが、60歳になる前に鬼籍に入ってしまているというのを知り、これもなんかショック。美人薄明というよりか、なんかエネルギーをこの映画ですべて放出してしまったゆえの短命ではないのなどとは失礼な感想か…。映画の中ではそれこそ最初は女をリードしていた男がいつの間にか逆転されて、女の思うように導かれ死んでいってしまうのである。(5月14日新宿武蔵野館 121)


⑯海辺の家族たち
監督:ロベール・ゲディギャン 出演:アリアンヌ・アスカリッド ジャン=ピエール・ダルッサン ジェラール・メイラン ジャック・ブーデ 2016フランス 107分 ★★

パリから3時間、マルセイユ近郊の港(といっても漁港?)町で小さなレストランを営んでいた父が倒れる。意識はある(とチラシには書いてある)らしいがことばも感情もなくし、体も動かせなくなった父のもとにパリで女優として活躍する娘が20年ぶりに戻ってくる(なんと財産分与がらみの話でーフランスだなあー)。迎えるのは父と一緒にレストランを経営する長兄、工場労働をしながら作家活動をしてきたが工場からはリストラ、作家としての仕事もスランプという次男とその「若すぎる」婚約者。この3兄妹を実年齢、撮影当時63,62,61かだった3俳優が演じて、その恋人役は30代ぐらいというのがさすがフランス、そして父の病気介護のほかにたびたび出てくる次男がらみの「ブルジョアジー」言及、この街もかつては賑やかな町だったが経済的な状況で人口が減り廃村・無人の別荘地化しているという状況の中にあるという状況、高架鉄道が走り多分通過していくのであろう列車が何度も移されること。住んでいる家の家主が代替わりし別荘化する中で家賃3倍、経営的に成功している医師の息子の援助を拒み自死する隣人夫婦(ここは前半最もショッキングな山場)など、前半は社会派ロベール・ゲディギャン(フランスのケン・ローチだそうだ)らしい社会問題がこの村にも押し寄せている様子を盛沢山には描きつつ、キリのない兄弟の思惑合戦、過去への悔恨やわだかまりが延々と描かれる。合間には回想シーンも挟みつつ、帰ってきた娘アンジェラに対する母子ほど年の違う漁師の恋情とか、次男の婚約者と隣家の医師の息子との接近とかいかにもフランスという恋愛模様も挟みつつ、この物語どう展開していくのと少々疲れる。
ところが後半海岸に流れ着いたアラブ系の難民の姉弟(美少女の姉と決してつないだ手を離さない双子?の弟)を助けるところから家族(とその恋人たち)は協力し合い、子どもたちをどうするのかというほうに話が移っていく。終わりは?物語としてはどうなるんでしょう、というところだが初老の兄妹、そしてその父も含め生気・活気を取り戻して元気が出るという結末であるのは確か…。アンジェラの20年前の事件(娘を海で失いそれに伴い夫も失い、父とは確執がに請っていた)の提起と回収のしかたが実に映画的でうまいなと思った。(5月17日 立川キノシネマ 122)


⑰ファーザー
監督:フロリアン・ゼレール 出演;アンソニー・ホプキンス オリヴィア・コールマン マーク・ゲイティス イモ―ジェン・ブーツ ルーファス・シーゥエル オリビア・ウイリアムズ2020英・仏 97分 ★★★

もとは日本でも上演されたフローリアン・ゼレール自身の舞台劇だが、自らメガホンをを取り映画初監督をしたということ。茂木健一郎氏がチラシで「驚くべき脚本と映像マジック」と評しているが、まさにその通りで舞台での時間の行き来や場面の移動などにさらに映像的な工夫を加え、認知症の老人の視点に立った時間や空間の混乱とその不安を見事に表現している。本当のところは娘がパリに移り住み介護施設にすでにある程度の期間住んでいる老人がそれを受け容れられない心情から施設の前に一時住んでいた娘の家、また娘の境遇に関する思い込みとなった娘の生活やそれが幻想かもしれないという不安から娘自身を別の人間に重ねてしまうとか、時に目覚めてここはどこ?今はいつ?と混乱することがたまにあるーこんなことは若い時には絶対なかったという気がするー自分の「脳」とも重ね合わせて、スリラーっぽく身につまされる映画でもあった。外から見ていると「謎解き」みたいな気配もあって面白い。  (5月17日 立川キノシネマ 123)

⑱ジェントルマン
監督・脚本:ガイ・リッチー 出演:マシュー・マコノヒー チャーリー・ハナㇺ ヒュー・グラント エディ・マーサン ジェレミー・ストロング ヘンリー・ゴールディング ミシェル・ドッカリ― コリン・ファレル 2020英・米 ★★

こちらも気をつけてみていないと今はいつ?何がホントと混乱させるようにわざと作ってある「犯罪がらみのドタバタアクション劇」?下ネタっぽかったりスキャンダラスなネタもいっぱいだし、スタイリッシュ血みどろ?の暴力劇でもありえぐくなりそうな設定もいっぱいあるのだが、全体に映像の妙か、凝っているという印象はあるが品が案外悪くないのはさすがのガイ・リーッチースタイル?鼻につくような中年オジサンぶりのヒューグラントが悪徳探偵フレッチャーでゴシップ紙編集長(これがエディ・マーサンで「豚」に模される悪徳編集長)に頼まれたネタをそのネタの主役ミッキーの右腕であるレイ(チャーリー・ハナㇺ、これは主人を守る頼もしい紳士然とした有能な人物)に語りつつ虚実(もちろんどちらも物語の中の虚と実だが)を行き来し時間もシーンも行ったり来たり(同じ日見た『ファーザー』もそうだが、こちらのはフレッチャーの話の中で行ったり来たり。違った視点で語られると違った場面になったり…)、ミッキーが貧乏奨学生時代から500億円の大麻産業を引退しようと売却をユダヤ人富豪マシューに呼びかける。そこには中国マフィアの若手ドライ・アイ(涙もないという形容?)が参入横取りをはかり、また大麻の生産農園としてミッキーが開発してきたイギリスの大邸宅の維持や相続税に悩む貴族たちにっからんでロシアンマフィアがかかわってきたり、大麻農園情報が洩れて下町のチーマーが入ってきて大麻生産をYouTubeに流したりというようなことがゴタゴタ混乱して起こる。そこに自動車修理工場?を経営するミッキーの妻(まともに出てくる紅一点。しかし格好は超抜群)もからみ…
難?は語り手と聞き手としてのフレッチャーとレイは別として、ドライアイやそのボスの中国マフィア、ロシアマフィアといった面々が案外尻くだけというか、最後簡単に倒されるところ?すると倒してミッキーを守る?レイとコリン・ファレル扮する(妙な格子柄のジャージ?っぽい上下がヘンテコで決まっている)ボクシング・コーチが結局おいしいところは全部持って行っているという感じかな?フレッチャー自身も実はすべてを探っていたようでいながらレイに一部始終監視されていたというのもオチで、とにかく最後まで話がどこに行くのかわかりにくいのはさすがというところ。(5月17日 立川キノシネマ 124)


⑲グンダーマン 優しい裏切り者の歌
監督:アンドレアス・ドレ―ゼン 脚本・ライラ・シュティーラー 出演:アレクサンダー・シェーア アンナ・ウンターベルガー 2018ドイツ 128分 ★★

東ドイツのボブディランといわれたシンガーソングライター、ゲアハルト・グンターマン(1955-1998)の1992年(最終シーンのコンサートでシュタージにいたことをカミングアウトする)から70年代を振り返り、炭鉱で働きながらバンドを組み売り出しのころ、党員になろうとしてなれなかったり、やがて党員になるが、炭鉱の現場での厳しい党批判で除名になったり、その間に西へのツアーを餌にシュタージに勧誘されたり、バンド仲間の妻であるコニー(彼女自身も歌っていた)との交流や、やがて彼女を仲間から奪うような結婚とか、子煩悩な子育てシーンなども挟んで、壁崩壊から始まる苦悩ー分厚い加害報告は見つかったが自身も監視されていた方の被害報告は(あるはずなのに)見つからないとか、そういう場面が行ったり来たり、そしてグンターマンにそっくりな風貌に作ったというアレクサンダー・シェーアが歌うライブシーンなどのグンターマンのカバー曲が15曲(この映画の公式HPで聞ける。エンドロールは少し声質が違いグンターマン自身の歌ではないかと思ったが、こちらは公式HPに名前はのっているものの、開けるようになっていない。検索エンジンで『グンターマン』を探してもウィキペディアにもないようだし、すべてこの映画に関するサイト、映像は主役のシェーアのもので、グンターマンその人の「過去の人」ぶりに驚く。
時代の流れの中で元東ドイツ人(シュタージ関係者も、告発されたものも当然いるはず)が客観的に?東ドイツを見られるようになったゆえに生まれた映画?という気もする。シュタージを告発しているのでもなく、グンターマンの苦悩は描くが全体として深刻さはなく、むしろ軽みとか魅力部分の方が心に残る仕組みになっている。とはいえ作者にとっては10年がかりで作られた映画だそうで、力作ではある。
シンガー・ソングライターとして東西を往復もしながら活躍しつつ、生涯炭鉱(露天掘り)のパワーショベルを操縦する炭鉱夫であったという生き方で、共産主義を指示しながら激しい批判もし、党からは必ずしも受け入れられないのにシュタージでもあったという複雑性がしかしけっこうわかるような軽みとして「魅力的に」描かれるのは、脚本か?主演のうまさか?あるいはグンターマン自身の魅力なのか―という意味で不思議な映画でもあった。(5月19日 渋谷ユーロスペース 125)


⑳なんのちゃんの第二次世界大戦
監督・脚本:河合健 出演:吹越満 大方斐紗子 北香那 西めぐみ 西山真来 高橋睦子 2020日本 120分

こちらも、戦後75年(平成最後の年が描かれている)を経てようやく描けるようになった世界?かも。架空の関谷市の市長(吹越)が、105歳の父を反戦主義者として称揚しつつ「平和祈念館」を設立しようという話で、そこにその父の教え子で、戦犯として処刑された石屋の老婆南野一家が、市長を欺瞞とし怪文書や石の少女の頭などを送りつけて妨害をしようとする展開。さらにこの街で繁殖する外来種の亀がからみ、市長は老婆に殴られて、彼を殺したと思った老婆の方が頓死、亀の駆除に駆り出されるボランティアの少年・少女に、老婆の葬儀に戻った南野家の次女とその娘がからみ、いじめまがいがおこり…となんか話がけっこうもうごちゃごちゃ。
一つ一つのエピソードは力を入れて描かれているし、シーンはなかなか凝っていて印象にも残るし、登場人物はほとんど見たことのない人々が演じているが代わりにそれぞれにトンでもないような個性が付与されていて、しかしその意味はイマイチ不明だし演技力がついていっているのかどうかも疑問??で、全体的にはバタバタ感の中で市長がじたばたしながら(そこに市長の娘もからみ)という感じで散漫な印象から逃れられない。あと、映画全体の色調が暗くおどろおどろしい感じで、寓話的な内容に今一つマッチしていないなあと思ってみる。基本的にやっぱりインディーズの域をを出ていないということか…。
(5月19日 渋谷ユーロスペース 126)


㉑泣く子はいねぇが
監督・脚本:佐藤快磨 出演:仲野太賀 吉岡里帆 寛一郎 余貴美子 山中崇 柳葉敏郎 2020日本108分

今売れに売れている?仲野太賀の特集と銘打った下高井戸シネマの2本のうちの1本目。分福制作で是枝裕和が企画している若手監督の作品。監督自身の出身地男鹿の「なまはげ」をからめて、大人になれない男の何をやってもうまくいかない人生模様がタラタラ延々と描かれて、サイトのレヴューなどによれば若い特に男性世代には共感度が高いみたいなのだが、ウーン。
主人公たすくは妻が出産しても父の自覚もなく、なまはげ行事に参加して酔っ払い全裸で街を走り回っているのをTVで放映され妻に愛想をつかされ街にもいられず(不祥事としてなまはげ行事そのものの存亡が迫られるということらしい。ウーン神聖な行事なのね)妻子を捨てて東京に出奔する。しかし2年後東京でも何ら新しい生き方も見つけられず、親友を頼って帰郷、そこからの苦しいダラダラ暮らしが描かれるわけだ。元妻はすでに他の男と再婚を決め、職はなく、親友の密漁につきあって小銭を稼ぎ母のアイス売りを手伝い、娘の幼稚園の劇を知り覗きに行くも娘の顔ももはやわからない、そんなエピソード(これらは一つ一つとってもリアル)それが最後に、別れて再婚するという元妻の家の大みそかの祝宴に亡くなった父が彫っていたというなまはげの面をつけて乗り込んで…という展開。画面が暗い(でもなんかの撮影賞を獲ったらしいのだが)バチバチと暗転する画面進行がつかれる。ことばが聞き取りにくいーぼそぼそと秋田弁なのはやむを得ないがーと、色々疲れるが、「ごめん」とにやにや笑いの仲野太賀もだが、疲れてキャバクラ勤めもしつつ、パチンコ屋で元姑に遭遇する、再婚一家に乗り込む元夫のなまはげを見つめて受け入れる若妻の生活感と哀愁+意志の漂う吉岡里帆の演技はなかなか見ものだった。(5月20日 下高井戸シネマ 特集仲野太賀 127)


㉒生きちゃった
監督・脚本:石井裕也 出演:仲野太賀 大島優子 若葉竜也 毎熊克哉 伊佐山ひろ子 嶋田久作 北村有起哉 2020日本(香港映画祭企画作品)91分 ★

石井作品としてはそんなに評価は高くないようなのだが、⑳の初々しい小難しさや暗さに比べると作者の職人芸が光るという感じ?話としては、こちらはマジメだが表現力に欠ける青年が妻の浮気と居直りー私は5年間幸せを感じず我慢してきたーを受け容れて、別れた妻が浮気相手と同棲〜不実な男(毎熊克哉が娘を白目でにらんだかと思えば優しさに満ちた態度を示したりワルと善人ぶりの間を行ったり来たりしてうまい。その彼を殺す主人公厚久の引きこもり大麻常習者の兄(パク・ジョンボム)の狂気もさすがのドラマ)その男が死ぬと彼が残した借金を背負わされ、娘を実家に預けてデリヘル稼業、そして客に殺される…妻の母は娘の不幸を元夫のせいとして娘にも会わせず葬儀にも立ち会わせず(まあ、娘の咎を認めたくないのかもしれないが、この実家の母の行動こそ娘の不幸の元凶だと言っているレビューを見たが、そうね…)全体的に母と娘(妻)の物語にあたふたして悲しいのだがそれを表現できない夫と、彼ら夫婦の高校時代からの親友で夫厚久を支える武田(若葉竜也。妻とも夫とも知り合いで、夫とは特に仲良しでだが同性愛というわけでもなく「俺はそんなに暇じゃない」といいながら付き合う、これはとっても難しい役だと思えるが、説得力のある演技はさすが)の日々を描き、こちらもパシッと暗転、次は半年後という画面の進め方とか、⑳との共通点もあるのだが厚久の家族(妻からは壊れていると言われ、この言ももっともとも、また妻のワガママな性格の発露ともとれる)のぶっとんだ描き方とか、二つの殺人事件とか、ドラマティックな要素も入れて画面も比較的明るく、観客を意識した吸引力のある作品になっている。最後は⑳と同じく?こちらはなまはげの力は借りず素面の彼が娘のもとに走る爆発映像で(でも、⑳㉑どちらもだが、このあとどうにもならんじゃん?ということあるけど…)  (5月20日 下高井戸シネマ 特集仲野太賀 127)
雨の武甲山~小持山・大持山(5/22)
  
妻坂峠の地蔵



石灰岩採取場の上だけど…何も見えず

㉓海辺の彼女たち
2020日本・ベトナム 88分 ★
監督・脚本:藤元明緒 出演:ホアン・フォン フィン・トゥエ・アン クィン・ニュー 

2017年東京国際映画祭「アジアの未来」作品賞を取った『僕の帰る場所』(ミャンマーに「帰る」在日の一家の少年の物語。私が見たのは翌18年3月の大阪アジアン映画祭だった)の監督の次作は、東北の海辺の町をっ舞台にベトナムからの技能実習生として来日した3人の女性が実習先での15時間労働と低賃金搾取に耐えかねて逃げ出しブローカーを頼って漁業の仕事に就く前半と、体調を崩し実は来日前にすでに妊娠していたことが判明する3人のうちの一人フォンの彷徨を描く後半の物語。前半見かけのインパクトは結構強いのに、リーダー格の女性に付き従う感じで逃げる行為にあまり積極性を示さないのが最初から気になるが、不調〜妊娠判明の過程で前半の彼女の立ち位置も判明する。ともあれ前半群像劇、後半はそのうちの一人にフォーカスをあてて一人芝居になるというのは『僕の帰る場所』とまったく同じ構造で、うーん。物語的には前作よりずっとシンプルだし、まとめ方というか終わり方もなかなかうまいし、東北の冬の暗い色調の中でインパクトありつつすっきりまとまった映画になっているとは言えるかなあ。
ベトナムでオーデションを経て来日したという3人の女性にリアル感がある。一つ気になったのは「ブローカー」のベトナム人男で、彼女たちをフェリー港まで車で迎え、手数料を取って仕事を世話し、ボロな倉庫のようなものであれ住処を与え(これは雇い主の持ち物なのだろうが)、フォンの妊娠を聞きつけると「しかるべき」対処(非合法的処理だと思われる…それが彼女の本当の幸せかどうかは別にして)をする、という存在だが、こういう人ってどういう在留資格で日本にいるのだろうか?これって「映画的存在」とも思えないが、どのくらい日本国内にいて不法滞在の労働者たちを世話をしつつ搾取しているのだろうか。彼ら自身が不法滞在であるなら車の運転(送り迎え)などもできないと思うし、永住者なのかしらん…むしろこういう存在を主人公にした映画を見てみたいような気もする。
(5月26日 ポレポレ東中野 128) 

㉔ペトル―ニャに祝福を
監督:テオナ・ストゥルガル・ミテフスカ 出演:ゾリツァ・ヌシェヴァ ラビナ・ミテフスカ  2019北マケドニア・フランス・ベルギー・クロアチア・スロヴェニア(マケドニア語)100分 ★★

大学で歴史を学んだものの就職先はなくウェイトレスのアルバイトをしていたペトル―ニャ(32歳)ー布団にくるまってちょっと自堕落っぽい雰囲気から始まるのだが縫製工場の秘書の職を求めて面接に行く朝、うるさく付きまとう母に年齢を偽るように言われる。面接先では完全なセクハラで口はなく、雪の積もる広い平原?を帰っていく。そこを歩く黒いガウンに十字架を背負った男たちの行列、そして川の場面、十字架が投げ込まれ裸の男たちが我先にと飛び込む。着衣のまま川に飛び込み十字架を取るペトル―ニャと進むが、その前出だしの真っ青な空プールの真ん中に立つ彼女、その後家に戻り母に抵抗し警察に連れていかれ取り調べを受ける彼女の顔のアップ。子どもを預けて働き夫と迎えのことで電話で争い、部下のカメラマンのやる気のなさに苛立つニュースキャスターの女性(演じているのは監督の妹で、監督自身の位置が投影されているとか)のクローズアップのとにかく力強さが印象に残る。非常に評価が高くて宗教における女性差別、伝統や因習に依拠して娘の将来を定めていこうとする母親などに、ペトル―ニャ自身は声高は抵抗しない(この部分を担うのはキャスターの女性)が断固として自分の意志は譲らず、だますように十字架を取り上げて金庫にしまい込む警察署長などずるい男も出てくるものも、部下の警官のささやかな思いやりとか、宗教を盾にとって弾圧するというよりはそれなりに彼女に気を遣う司祭とか、むしろ周りのあたふたぶりも意外に出てきて、社会の中で彼女のような意志が地味にではあるが行かされていくという描き方。そして彼女は十字架などは乗り越えて(最後に十字架を返す)自身の思う生き方を貫いているんだなというのが、すばらしい。
(5月27日 岩波ホール 129) 

1ヶ月ぶりの高尾山系 景信山から(5/28)

この日はセッコクを見に。写真はムズカシイ…

快晴!もみじ平富士もくっきりでした!


㉕童年往事

監督:侯孝賢 出演:游安順 梅芳 田豊 唐如韞 1985台湾 138分

88年日本公開時に見て私の台湾映画への目を開かせてくれた作品。ということでその後DVDでも、日本公開時にもほぼ見てきたと思えるが、今回再び見てー一つは鳳山という舞台を、多分前に見た時には私はまだ行っていなかった。その後鳳山の例の(『HHH』では現代に近い懐かしい光景も見た)廟とかが少年たちの遊びの舞台として登場しているのに一種感慨。それと、新たな視点としてはこの映画、大陸からやってきた外省人一家1世の滅びの過程、そして2世はまだ独立して地歩を固めているとはいえないーを描いた映画なのかもということ。前回までは少年のこの社会での混とんと模索的なあがきと対比して大陸に帰ろうと迷子になってしまう祖母の望郷ばかりが眼に残ったが、今回は家族の芯として老母や幼い子供を引き連れて台湾に幸せを求めたのに自らの人生半ばー帰るつもりで竹製家具ばかりをそろえ、その竹の椅子に座って亡くなる父の無念や、父亡き後老母(姑)がまだ生きている中で、子どもたちもまだ独立しないのに病を得てなくなる母の無念、そして映画が祖母の死の世話をする葬儀屋の視線とぼうぜんと見つめる4人の孫息子たちで終わっているところにそれを強く感じた。こういう感じで重層的に見ることができるというのもこの映画の素晴らしさなのかもしれない。
しかし、最初に見た時の台湾の熱帯的な明るい陽光の中での少年と祖母の姿から、全体に暗い色合いでそこで両親的立場からみた台湾を感じたのは私の目のせい?とばかりは言えないように思う。『恋恋風塵』『悲情城市』のヒロインだった辛樹芬はこの映画でも主要な位置にクレジットされているが、実際の出番は2か所くらいの通学シーンだけ。あと最初の語からこの映画、かなり監督の自伝に忠実に作られているようなのも確認。(5月29日 新宿・K’sシネマ 台湾巨匠傑作選2021侯孝賢大特集 130)

㉖明日の食卓
監督:瀬々敬久 出演:菅野美穂 高畑充希 尾野真千子 大島優子 2021日本 124分

「ヘブンズ・ストーリー」(2010)で監督・瀬々敬久の罠にはまったんだなあ…とあの唯一わかりにくい映画のあと、分かりやすさに特化したような、つまりなかなかにうまい人間ドラマを、今回も見せてもらったという感じ。3人の石橋ユウという小学生の母それぞれの生活と子育てを並行的に描いていく。一人はようやく軌道に乗り始めたフリーライターの仕事に打ち込みつつ逆に仕事がうまくいかないカメラマンの夫の無理解非協力ついには暴力に苦しむ43歳(菅野)、一人は豊かな専業主婦生活のなかでサイコパス?的性向を示す息子や監視的な姑(実は認知症)、そして遠距離通勤の夫のこれも無理解に悩む36歳(尾野)、そしていくつもの低賃金長時間アルバイトを掛け持ちして小学生の息子との生活を支えるシングルマザー(30歳)で、まあ子どもを持つ普通の女性はこの三人の生き方のどこかに自分を重ね合わせられるというような設定になっているわけだ。子どもや仕事、家族の問題で悩む彼女たちの、どの母が子どもを殺すのかと思いつつハラハラしながら見ていくと3人ともあわやという場面があり(ま、3人とも力演なんだけれど映画的短絡の気もあり、)あれで殺人?と思っていると見事にひっくり返されて、実は4人目の石橋ユウの母親が登場するというのは、うーん、ちょっとどうなんだろう、見事に肩透かしではあるがなにも4人目まで石橋ユウでなくてもいいのではという気も…大島優子演じるこの母、1場面だけの出演で接点は菅野扮するフリーライター(かつブロガー)だけなのだが、なかなかに迫真力あって、ある意味高畑演じる若いシングルマザーのシアワセ感とか、尾野扮する母とその息子の「和解」シーンなんかに水をぶっかける感じもあって映画を引き締めている。まあ、典型を描いてうまくまとめた娯楽作品という感じだが、4人の女優の髪振り乱しぶり(特に菅野はなかなか、今まで見たことない面持ち、雰囲気だし)は一見の価値ありだろう。
(5月29日 新宿シネマカリテ 131)

㉗HOKUSAI
監督:橋本一 脚本・製作:川原れん 出演:柳楽優弥 田中泯 阿部寛 玉木宏 永山瑛太 瀧本美織 津田寛治 河原れん 2020日本 129分

ウーン、なんというか期待外れの…だわ。前半画家として独り立ちするまでの傲慢にして悩む北斎というわけで、歌麿や写楽に嫉妬しつつ旅に出て海辺で夢中で波を写し…というのだが悩みが様式的で柳楽の演技も様式的?まあ蔦重(これがまた、まんま阿部寛)がバックにいる歌麿はともかく、この時代の北斎の立場で吉原の花魁トップを立たせたままでモデルにするなんて金力がどこから出てくるのとも思えるし、その花魁がまたなんともチープな印象だし…。でこの長い2章のあと後半は田中泯に役者が変わり、またまたウーン。北斎と言えば生涯100回も引っ越しをして娘のお栄とともに生活よりも絵、しかも洒脱という印象があるが、山里の一軒家のようなところに住むこの映画の北斎は弟子ぐるみの禁欲隠遁生活という感じで、あのような絵が生まれてくる必然性も感じられないし、見せ場の絵を描くシーンも普通にかがみこむ深刻顔の田中泯(それなりに見ごたえのある、決して演技が悪いわけではないし、北斎晩年の肖像画にけっこう似ているのもいいが)もちょっと一歩違うのという感じだし、永山瑛太扮する侍高山彦四郎(柳亭種彦)の死も史実などは何のそので、この映画唯一の血生臭さにして北斎の生首絵につながるわけだが、それが見せ場というのもいささか寂しいし、何より死んだとき種彦は60歳(北斎は83歳ぐらい)に達しているので永山瑛太ではいくら何でも(2章からの続き具合から見ても)若すぎるんじゃない?とも思えるし。田中泯がやるならもっと身体表現を出せるような大きな絵を描かせるとかやりようがありそうなのに。最後に若い北斎と老いた北斎が並んで小布施の波のメオト図を描くに至り、ああこれだけをやりたかったのかと、北斎の人生の様式的というか図版的な人生の完成図を描きたかったのかな、でもね??という思いが高潮して、なんかがっくり…日曜のキノシネマ満席!(5月30日キノシネマ立川 132)

㉘クルエラ
監督:グレイグ・キレスビー 出演:エマ・ワトソン エマ・トンプソン ジョエル・フライ ポール・ウォルター・ハウザー マーク・ストロング 2021米(ディズニー)134分

こちらも満席のディズニー映画。面影なく?化けている両エマの迫力(どちらも「典型的」だがこれはこれで楽しめる)で見せる。出だしは今風?に学校になじめない少女エスティ。これはいじめにあっているのだが、母以外誰も理解せず、学校をやめ母子でロンドンに出てくる途上、母は金策にいった屋敷で崖からつき落されて殺される。孤児になり一人ロンドンにやってきて、泥棒小僧2人とつるんで盗んだりしながら(オリバー・ツィスト的世界)大人になり、大デパートの清掃係になって潜り込みながらデザイナーになりたいと願う少女が、ひょんなことから夜中に試みたウィンド・ディスプレーを大物デザイナーのバロネスに認められ、そのデザイン工房の一員となり頭角を現していくが、その過程で自分の母を死に導いたのがバロネスであること知る。復讐の気持ち燃えクルエラと名乗ってバロネスを凌駕するような行動に、それとともにバロネスの怒りを買い、捕まえられて焼き殺されそうになる、その時助けるのが奇しくもバロネスの執事―実はエスティの実の母がバロネスであり娘をいらないと疎んだ彼女から引き取って育ててくれたのが殺された母だったことがわかる、さあ、そしてあとは…という展開で、なるほどの血縁憎悪・復讐劇、3匹の獰猛なダルメシアンもからみ、まあ最後までサービス満点というところ。クルエラに共感できる描き方はさすがだがバロネスの悪役ぶりもまあ母性欠如という側面からは批判しているのだろうが、なかなかに悪く、滑稽で格好いいゾ!     (5月30日 キノシネマ立川 133)

 







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