【勝手気ままに映画日記】2021年4月


久しぶりの山上からの富士山、手前はアセビ満開(4月10日表丹沢塔ノ岳)

奥から二の塔・三の塔・烏尾山・行者が岳と縦走してきて塔ノ岳から

塔ノ岳頂上からの大山

相模湾方面もよく見えて快晴!


①ノマドランド②マンク③アウステリッツ④騙し絵の牙⑤ヒトラーに盗られたうさぎ⑥国葬⑦旅立つ息子へ➇きまじめ楽隊のぼんやり戦争⑨アンモナイトの目覚め⑩緑の牢獄⑪街の上で  
デカローグ⑫2ある選択に関する物語⑬3あるクリスマスイヴに関する物語⑭4ある父と娘に関する物語⑮5ある殺人に関する物語 ⑯6ある愛に関する物語 ⑰7ある告白に関する物語 
⑱きみが死んだあとで⑲狼をさがして⑳デカローグ1ある運命に関する物語㉑椿の庭㉒グランパ・ウォーズ㉓狂徒㉔One Day いつか(有一天)㉕日常対話㉖ヒルビリー・エレジー 郷愁の哀歌㉗ハイゼ家百年(Heimat ist ein Raum aus Zeit)㉘恋恋風塵

ご覧のとおりで3月末から4月にかけて、遠出はならず、かといってステイホームだけでは体がなまって老化が進む!😠というわけで、週末ごとに丹沢・箱根・南アルプスとあちこちちょこちょこ歩いていました。

4月25日 緊急事態宣言3波が発令されました。1000平米以上の映画館、商業ビル内に入っている映画館などは閉鎖休業中ですが、今月よく見たイメージフォーラム、ユーロスペース、K'Sシネマ、ポレポレ東中野などはがんばって営業中。これ幸い?に私も粛々映画館通い。満員だと少し心配な時もありますが、概ねこれらのホールは換気十分、食事は禁止、一人で来る人が圧倒的に多くておしゃべりもありませんのであまり心配していません。

4月は26本(1本60分の『デカローグ』シリーズ7本も含めてですが)日本映画➇⑪⑱㉑の5本、中国語圏映画⑩㉔㉕㉘4本でした。③➅⑩⑱⑲㉕㉗はドキュメンタリー(よく見た方?)『デカローグ』の残り3本は5月に見る予定。

★はあくまで個人的感想ですが、★なるほど! ★★いいね! ★★★おすすめ!というところでしょうか。各項最後、映画館名の後は今年になって劇場で見た映画の通し番号です。


①ノマドランド
監督:クロエ・ジャオ 出演:フランシス・マクドーマンド デヴィッド・ストラザーン リンダ・メイ スワンキー ボブ・ウェルズ 2020米 108分 ★★

2020年ベネチア金獅子賞受賞のディズニー作品。監督は中国出身の若手女性、主演のフランシス・マクドーマンドがプロデュースもしているというわけで、まあ話題満載なのだが内容はいたって地味。若い男女はひとりも出てこず、主役の二人以外はほぼ実在のノマド(アメリカ国内をキャンプカーで移動しつつ、短期労働をしている高齢者たち)ばかりで、ドキュメンタリーっぽく撮られているところもある。主人公ファーンは夫とともに暮らした家も町も失い、家財道具を貸し倉庫に預けて車の旅に出る。他のノマドとは最初少し距離を置いているところもあるがアマゾンなどでの短期労働・季節労働をしたり、ノマドの支援集会に参加したりしながら何人かのノマドと親しい関係を結び、別れ、また出会うことを楽しみに、夫やともに暮らした町の思い出から巣立っていく様子が描かれる。
とにかくフランシス・マクドーマンドの存在感は半端ではないが、それにもましてちょこちょこ出てくる実在のノマドの明るさ元気さ,但し誰もが何らかの事情や、悲しみと共存しつつ都いうようすが過不足なく描かれている。ほんとうに「ノマドの国(ランド)」という感じで、日本ではここまでではないし、こんなに短期労働に雇われる高齢者がいるのかな(むしろ若年者かも)とも思うが、そして車社会のアメリカだからこそ成立つのかもとも思いつつ、他人事ではない高齢者の生き方モデルかも、とも思わせられた。ちなみに月末、我が家の郵便受けにアマゾンの求人広告が初めて(?多分)入った。ー私もノマドやってみるかな?なんてちょっと思ったりして…  (4月4日 府中TOHOシネマズ)

②マンク
監督:デヴィッド・フィンチャー 出演:ゲイリー・オールドマン アマンダ・セイフライド リリー・コリンズ チャールズ・ダンス 2020米 132分

『市民ケーン』の脚本家、アルコール依存症に苦しむハーマン・J・マンキウィッツの、オーソン・ウェルズとの抗争?をしながら脚本を完成し、アカデミー賞脚本賞を獲得するがオーソン・ウェルズとは訣別するまで舞台裏を描く。1930年代後半〜40年代前半のアメリカ映画界の有名人たちもたくさん出てくるみたいなのだが、そのあたりを知らないと楽しめない??
モノクロ画面は時代の雰囲気を映し出しているのかもだが、私の目には暗さとぼんやり感が見づらく、主役級以外の顔は見分けさえつかないし、おまけに画面展開よりもセリフ劇で、結構観念的なせりふが次々繰り出されて話が進んでいく?(のかどうかよくわからん)のでウーン。しかも長い! なんかオールドマンの存在感と雰囲気では分かるのだが、論理的には全然理解できずに終わってしまった気がする。アカデミー賞9部門ノミネートのネットフリークス作品だが、やはりちょっと「内輪受け」なのかも。鑑賞力のなさを露呈した気もする…⤵(4月4日 下高井戸シネマ 80)

③アウステリッツ
監督:セルゲイ・ロズニッツア 2016 ドイツ94分 ★

『群衆』3部作のうちの『粛清裁判』は昨2020年11月にイメージ・フォーラムで鑑賞。非常に興味深いのだが疲れる映画であったのも確かで、ちょっと腰が引けるところもなくはないが、これはそのもう1本で、現代の「群衆」を描く。
ザクセン?の元ユダヤ人強制収容所の1日。観光ツアーとしてここを訪れる人の姿をただ延々と撮っている。実際に収容所に残された「遺物」はほとんど移さず、入口の門から、各展示場(昔の収容所跡)の扉を出たり入ったりする人、窓の外から展示物を眺める人々、刑場だった場所の側からそこを通り過ぎながら見る人などの姿を固定カメラを据えた長回しでただ写す。ナレーションはなく、誰かの携帯の着信音がそのまま鳴ったり、話声や喧騒は適宜入れられたり切られたり?という感じでそこに時折ガイドの説明があたかもナレーションのごとく映画観客に状況を説明する。そしてかつての収容所を語るその声が観光客の喧騒にかき消されたり、またその説明の前で大きなペットボトルを頭にのせてふざける若い女性の姿とか、多くの観光客はかなり大型の丸いヘッドのついたアナウンスガイドを耳に当て、短パン、Tシャツ、サングラスというようなカジュアルなスタイルであるのもなんか象徴的。
かつて政治状況下で人々が虐殺されたその現場を観光ツアーとして消費している人々=「群衆」のもう一つの姿というものがこれほど如実に描かれるというのがすごい…。ただざわつく烏合の衆的な入場客が、出てくるときに一種の解放感=やはり厳しい事実に打たれたのであろう、そこからの浄化と日常に帰る一種の解放であろうか。ちらりと見て立ち去る人も多い(というかほとんど)の中で、いくつかの画面で一人遺物に見入り表情をこわばらせる少女、中年女性などの姿も印象に残る。(4月4日 下高井戸シネマ セルゲイ・ロズニツァ〈群衆〉ドキュメンタリー3選 81)

④騙し絵の牙
監督:吉田大八 原作:塩田武士 出演:大泉洋 松岡茉優 宮沢氷魚 池田エライザ 佐野史郎 佐藤浩市 木村佳乃 國村隼 小林聡美 リリー・フランキー 2021日本113分 

塩田武士が大泉洋をあて書きした原作を吉田大八が解体し再構成して作品化したのだそうだが…ふーん、それって業界内部のことじゃないか?そしてまさにこの映画も業界(出版業界)内部を描いて、複雑なからくりの騙し合い?というか本音と裏がわからない人々の集まりの中で若手編集者高野愛(松岡茉優)が翻弄されつつけなげにというよりは結構したたかに頑張るところが面白く、塚本晋也扮するその父の書店主がまた、業界ものとせずの書物愛を示すところが、まあ共感? 
本を出す側も作る側も努力はもちろん必要なのだろうが、努力以前の才能(というかある種の吸引力)がモノをいう社会なんだなと思うと、ウーン(本というのは)自分にとってはとても身近な世界であったはずだが実はそうでもない遠い遠い世界なんだと、ちょっと肩を落として劇場を出たのであった。―つまりフツウの人々の世界ではないということ?ね。
(4月5日府中TOHOシネマズ 82)

⑤ヒトラーに盗られたうさぎ
監督:カロリーヌ・リンク 出演:リーヴァ・クリマロフスキ オリヴァー・マスッチ カーラ・シュリ 2019ドイツ 119分

2019年95歳で亡くなった絵本作家ジュディス・カーの自伝小説が原作。ベルリンで作家の父と音楽家の母の間に生まれ、兄と二人何不自由ない暮らしをしていた少女が、1933年ヒトラーの台頭に伴い政府批判によって居場所を失った父(と母)とともに、スイス、フランスと亡命生活をすることになり最後にイギリス行の船に乗り込むところまで。
おもちゃは1つだけと厳命されて持ち出すことができなかったウサギのぬいぐるみへの心残り、かわいがってくれた乳母(メイド?)との別れ、スイスの学校での男女差別への驚き、しかし友達もできようやくなじめたところで、スイスでは父の仕事がない(中立国家としてヒトラー側に強くは対立できないという国家事情あり)ということでパリへ。きらびやかなパリの街風景に眼を見張るものの生活はますます困窮し、大家との確執もある中で、子どもとしては初めてのフランス語に苦労し買い物をしたり、私学から初めて転校した公立学校での教育事情に困惑しつつ、作文コンクールで賞をとるまでになるが、フランスではドイツ時代にいつも力になってくれた叔父?の訃報を聞くことにもなり、一方でベルリン時代に父に厳しく批判された演出家がやはり家族で亡命してきているがそちらは羽振りがよく母と子どもたちで訪れてつかの間の饗宴を楽しみ、貧困者に寄付するという衣類をもらい受けたりして父の逆鱗に触れたりというような子供の目から見た暮らしの細々した苦しみが繊細に描かれる。しかしドイツから始まり、スイスの地方の方言、フランス語、そして英語と乗り切り力をつけて兄妹ともに戦後成長して活躍するというのは、やっぱり優秀な、特別な人たちだったのかなとも思わされないでもなく、その陰には亡命もできず殺された多々の人がいるという知識の前提の上に成立するドラマかもしれない。主人公アンナを演じる少女はなかなかに印象的だった。(4月7日 下高井戸シネマ 83)

⑥国葬
監督:セルゲイ・ロズニッツア 2019 オランダ・リトアニア 135分

『群衆』の3本目、性懲りもなく見てしまったという感じ。1953年3月5日のスターリンの葬儀の日、葬儀会場の円柱ホールから当時葬られたレーニン廟、その日のモスクワから、ソ連邦の各国での追悼の様子のアーカイブ映像を組み合わせた135分。
モノクロのすすけたような群衆の同一場面がカラーに切り替わるとあでやかな赤・赤の色彩―喪服はさすがに黒だが、スターリンの棺を始め、たくさんの大きな花輪の花も、彩るリボンも、人々が腕につけた喪章さえも赤色のオンパレードでさすが共産主義の葬儀はこういう色かと、驚く。
がそれはともかくとしてロズニッツアの他の作品と同じく列席する人々、当時のソビエト首脳から参列した各国の賓客(周恩来の顔も)そして毛皮に身を包んだ裕福そうな都市の列席者から、スカーフ姿や鳥打帽の庶民、作業服のままの地方の工業地域の黙とう場面まで、延々とスターリンを悼み「天才」「民衆を救った」と感情的にもてはやし、涙を流す人も結構いるという群衆映像の繰り返しは、この映画も他の2作と共通するテイスト。
それにしてもさすがスターリンの葬儀?と思えたのは1か所だけ不思議な頭巾をかぶった一団が棺に向かってお辞儀をしたほかは、宗教的な行動が一切ないことで、泣く人はいても棺に向かっては皆帽子を取るくらいでちらりと横目で見て過ぎて行く感じ?中には小さな双眼鏡を向ける人、また一団の画家がスターリンの姿をスケッチし、中には粘土を抱えて塑像を作っている?人もいて、このあたりは大変に興味深い。音楽も当時の映像にかぶっているのか、それとも現代新しく入れたのかはわからないが感情を盛り上げるようにつけられてはいるが、なんか群衆がそれに乗ってはいないという感じが面白い。で、この3年後?ぐらいにはスターリンは批判の対象になり61年にはレーニン廟から放逐?されたわけだから、この群衆の感情の盛り上がりは結局皮肉でもあり、ある種の警鐘にもなっていると思われるが、それが画面から垣間見らる部分、大真面目で盛り上がっている部分が見えてとても不思議な映像に思えた。 (4月8日 下高井戸シネマ 84)

⑦旅立つ息子へ
監督:ニル・ベルグマン 出演:シャイ・アビヒ ノアㇺ・インベル 2020イスラエル・イタリア 94分

青年期に達した自閉症スペクトラムの息子―特に数字に強いわけでもなく、一目見たものを忘れないという特殊な記憶力を持つわけでもなく、チャプリン映画が大好きでいつもハンディタイプのDVD再生機で『キッド』を見ているという設定が、なかなかこの映画のテーマにも合って面白いーの面倒を見るために年収9万ドルの仕事を捨てて田舎暮らしをする父アハロンの親子道中を描く。
別れた妻(息子ウリの母)は元夫の将来(って老後だね)を案じ、息子を施設にいれようとし、裁判所もその決定を出す(つまり父親には経済力がないから?)。嫌がる息子と彼を手放したくない父は家を出、知り合いを頼んで旅に出るが、なかなか問題が多いーというわけでそれが延々描かれる。なんかな、旅の途上元妻が夫の口座を凍結してカードを使えなくすることにより二人は一文無しに。父が寝ている間にアイスを勝手に頼んで食べた息子、金を請求するアイス屋に金はないといい、怒ったアイス屋が息子が食べるアイスをひったくり投げる。それに起こった父がアイス屋に殴りかかかり御用!というのはあまりにお粗末な旅の終わりで、やはりこの父に「育児」能力はない?証明みたいで、母親がいかにもワルモノみたいな描かれ方(顔つき、言葉つきもとげとげしく)というのはなんか腑に落ちないよなと思いつつ見ていると…なるほどねの結末。しかし面白くも意外性のなさもなくウーン。イスラエル(ってことはユダヤ人社会か)映画の親子愛をまたも見た?かな…。実はこういうタイプの映画はあまり好きでない。『アンモナイトの目覚め』を見るつもりだったが、こちらは地元府中の大画面で見られるとわかり、急遽変更のプログラムだった。(4月9日 立川キノシネマ 85)

➇きまじめ楽隊のぼんやり戦争
監督・脚本・編集・絵:池田曉 出演:前原滉 今野浩喜 中島広稀 清水尚弥 橋本マナミ 谷部太郎 片桐はいり 嶋田久作 きたろう 竹中直人 石橋蓮司 2020日本 105分 ★★

昨年の東京フィルメックス観客賞受賞の超話題作・・というだけあるとてもユニークで不思議で、コワくカナシくオカシイ映画。川の向こうの街と長年戦争を続けているこちらの岸の津平町、そこに住み兵士から軍楽隊に転勤する一人の男とそれを取り巻く人々を描くのだが、だれもが棒読み無表情でロボットみたいに恐ろしいことを口走りつつオソロシイ状況を淡々と受け入れて生きているという異様なステュエ―ションで、そこにオカシ味を醸し出しつつも戦争をする町の非人間性を説いていく。
何もかも「忘れましたー」で済ませる町長、不妊をもって離縁される女は食堂で働き、腕を失って兵士の職を失う兵士の妻になって妊娠する=これって希望?。食堂の女主人は川上で戦う優秀な兵隊である息子自慢をしつつ主人公の飯を大盛にするが、その息子が戦死して、いかにも片桐はいりらしいと言えばらしい特異な悲しみ表現。官僚的な兵舎の受付女、権威を振りかざし無銭飲食し、警官になる町長の息子、迫力のセクハラ的モラハラをする軍楽隊隊長(軍楽隊は常時4人だけ)ま、そんなありふれていそうで特異な人物が横溢する中で、街には新しい「兵器」が導入され川向うを攻撃、主人公露木は川向う敵国のトランぺッターと心を交わし川岸で「美しき青きドナウ」を演奏する―この映画唯一の情感あふれる画面ーしかし新兵器は向こう岸の彼女の命も奪い…というわけでとても悲しい終わり方をしつつ、現代の寓話の意味を私たちにしっかり知らしめてくれるような作品である。(4月9日 立川キノシネマ 86)

⑨アンモナイトの目覚め
監督:フランシス・リー 出演:ケイト・ウィンスレッド シアーシャ・ローナン 2020英 118分

トレイラーの雰囲気は12月に見た『燃ゆる女の肖像』(セリーヌ・シアマ2019仏)と同じくで、19世紀、自立した仕事を持つ女と結婚に生きる(ようとする)女の偶然の出会いと愛情への目覚めというのもまあ似たテイスト、とはいうものの、ずいぶんに違ったコンセプトで、物語としては『燃ゆる…』が圧倒的に面白く、役者の演技力に関してはこちらが圧倒的迫力、というべきかも。
特にケイト・ウインスレッドの禁欲的な貧しい厳しい考古学者ーしかも女性が考古学界で認められ生きていけるわけでもなく老いた母を養いつつ海辺の町で土産物屋を細々行いアンモナイトなどの化石を売っているなんて、という暮らしぶりと、その中での断固たる矜持ー恋人の彼女に目覚めつつも決して彼女のいうがままにロンドンでの安楽な暮らしを手に入れることをせず、大英博物館のみずからが採取した標本の前にたたずむ凛々しさにぐいぐい引っ張られる。
一方のシアーシャに関しては前半夫にいわば蹂躙されて心を病み、気持ちを閉ざす部分と、愛に目覚めて恋人をロンドンの邸宅に招き召使はしょせん召使だから気にする必要はないと言い捨てて彼女に同居を迫る部分とがどうもぴったり同一人格とは思えない感じが付きまとう。とはいえ、だからこそ邦題「目覚め」で愛に目覚めて人は変貌すると言いたいのかもしれないが…シアーシャのお尻まで丸々クローズアップしてしまう二人の激しいベッドシーンなど、セックス描写のかなりな露骨さもどうなんだろう。『燃ゆる…』のロマン性に比べるといささか直接・過激だが薄っぺらい?というか平凡な印象を否めない気もした。とにかく二女優を裏まで見せますよ、という感じだろうか…。
(4月12日 府中TOHOシネマズ 87)

⑩緑の牢獄
監督:黄インイク 出演:橋間良子 ルイス・レスリー  2021台湾・日本・フランス 101分 ★

日本統治下の台湾から西表の炭鉱に来ていた人々の末裔である橋間良子さんが現在も西表で生きる様子を描く。幼い時に(その家の息子との結婚を前提に)楊家の養女になり、養父の移住に伴い西表に5歳で移住したという彼女は今も台湾語に日本語単語まじりというのが母語らしく(日本語だけをそこそこ流暢にしゃべっている場面も出てくるが)、息子たち(3人?)はいるものの彼らとの縁も薄く、近所の人々との交流はないではないものの親しい付き合いという感じでもなく、前半アメリカ人(14歳で日本に移住したという)ルイスに部屋を貸していて、彼自身はおばあの役に立っているはずと語るシーンがあるが、彼女の方は部屋を散らかす、犬がうるさいとあまりルイス青年に心を許す様子もなく、やがて彼は関西へと去ってしまう…というわけで緑深いこの島での孤独な生活ぶりはやはり移住や厳しい牢獄と言われた家族の炭鉱労働の記憶や、日本敗戦後も結局台湾に帰れず再移住、ついには祖先の墓もこの地に移したというような翻弄された生活ぶりによるのであろうことが淡々切々と描かれていく。
合間に再現映像として演じられる(幽霊のように透明に映される)下帯一つで茫然とたたずんだり座り込む(モルヒネ中毒者が多かったらしい)炭鉱労働者の映像が重ねられたり、1973年当時の、橋間さんの養父楊添福氏の映像やインタヴュー(歌声も!)も重ねられてなかなか凝った作りだが、それにしても前作『海の彼方』にでは八重山に定住した女性の家族や台湾への里帰りも描かれたことを考えると、この閉ざされた「緑の牢獄」の孤独な生き方は単調だが重くリズムを刻む音楽とともに身に沁みてしまうのである。
(4月13日 ポレポレ東中野 88)

⑪街の上で
監督:今泉力哉 出演:若葉竜也 穂志もえか 古川琴音 萩原みのり 中田青渚 成田凌 2019日本 130分 ★

下北沢を舞台に(といっても2年前の作品でコロナ禍によって上映が延期になり今年の劇場公開に。昨年東京国際での上映作品でもあったと思うがそのときは見られず)古着屋に勤める読書青年荒川青と彼にかかわってくる4人の女性を描く。青の初めての恋人雪は浮気して(その相手が成田凌演じる役者の間宮)彼はフラレ、そこに美大生の女性から卒業制作の映画への出演を頼まれるーしかし、結局彼の出演シーンは使われず別の人に差し替えられてしまうーそこにかかわって彼の練習を手伝う古本屋店員(実はこの場面が飛んでいる。昼食後の鑑賞で寝たか?ーしかし終わり場面で彼女が監督に文句をつけ逆襲される場面は印象的に見た)、映画の衣装係で打ち上げにつきあい一夜語ることになるイハという女性、そして間宮との関係は疲れる、青が居心地がいいと戻ってくる雪、その過程で絡むイハの元カレ、血縁のない姪っ子への恋に悩む?警察官などが入れ替わり立ち代わりで長回しワンカット的なシーンで起承転結もあるコント?様の場面を演じていくという形式。なかなか凝っていて、場面ごとに笑いも誘われるようにできている。
普段は割と無口で演技も下手で27歳まで女性経験もなかったというような地味目な主人公を演じる若葉竜也の確実な演技力に支えられている感じがする映画。ちょっと長すぎて疲れないでもないが後半大きな事件があるわけでもないが小さい事件でも結構ハラハラするところもある描き方で飽きず、見ごたえありという感じで面白かった。なんかこれが若い人々の一種の人間関係であるとすればその品の良さというか血の薄さというかが、かえって心地よい感じも…。(4月13日 新宿シネマカリテ 89)

デカローグ(1) 
監督:クシシュトフ・キェシロフスキ 1988ポーランド
⑫2ある選択に関する物語   出演:クリスタナ・ヤンダ アレクサンデル・バルディーニュ 59分
⑬3あるクリスマスイヴに関する物語    出演:ダニエル・オブリフスキ マリア・パクルニス 58分
⑭4ある父と娘に関する物語  出演:アンドリア・ピエドジエィンスカ ヤヌーシュ・ガイヨス 58分
キェシロフスキ生誕80周年(って意外に若いのだな…96年に54歳で亡くなったそう。だからすごく昔の人のような気がしていたのだが…)特集『デカローグ』全上映ということでおよそ1か月近く1日4本ずつ回していくというプログラム。仕事帰りで1は後回し。1本およそ1時間以内で3本をまず見る。キシェロフスキといえば、私の場合はまずは『偶然』(1981)で、その後の日本で公開された作品は多分ほとんど見ていると思うけれど―そのくらいに好きな作家だったーが、今回の3本、やはりうまいー物語展開も、画面のビジュアルも、女優の美しさもーとは思いつつ、この3本に関しては自分勝手な女性の一種罠ともいえるような言動に翻弄され困惑しつつ「正しい」選択をする男の話という感じで、見ていて登場人物(男にも女にも)に全然共感を抱けないのは「十戒」というテーマのせいかな…。女は戒律を阻むものとして描かれ男は十戒を守る存在として描かれている??とりあえず一応続きも見ないと何とも言えないが…。
⑫瀕死の夫が死ぬならば妊娠中の恋人の子を産む、助かるならば子は中絶すると老医師に余命宣告を迫る女とそれに答える老医師の女をだます「正しい」選択。⑬昔の恋人に、現在の恋人が行方不明になったので一緒に探してほしいと言われ、クリスマスイヴの夜、家族そっちのけで付き合わされるタクシー運転手(実は「現在の恋人」と女とはもともと別れてしまっている)。しかしクリスマスの朝、彼は妻と家族いる家に戻り話は終わる。⑭亡き妻が残した手紙を「死後開封」として娘に残している父(実は養父?)と、その手紙を見つけ(開封はせずに)筆跡をまねて自分は父の実子ではないと父に告げる手紙を偽造する娘。父娘から男女へと変わりそうで変わらない(父の意思?)二人の微妙な関係の中で、亡き妻が残した手紙は開封されず焼き捨てられる…ってなんだこれ?よくわからん…。ただ娘の男としての父に対する思慕と韜晦だけが印象に残る。
(4月15日 渋谷イメージフォーラム 90・91・92)

デカローグ(2)監督:クシシュトフ・キェシロフスキ 1988ポーランド
⑮5ある殺人に関する物語 出演:ミロスワフ・パカ クシシュトフ・グロビッシュ 60分
⑯6ある愛に関する物語 出演:グラジナ・シャボォフスカ オラフ・ルパシェンコ 61分 
⑰7ある告白に関する物語 出演:アンナ・ボロヌィ マヤ・パレウコフスカ 57分
次の3本。この3本に共通して感じるのは若さの不自由とその選択の哀切さだろうか…。⑬は前半は何となく社会から排他的に扱われているような主人公の青年ヤツェックが街をさまよう、一方被害者のタクシー運転手の我というかこずるさみたいなものが延々、やがて凄惨な殺人事件、そして裁判。これを見守る新進の弁護士の立場から描かれて死刑判決。執行前の弁護士に対する青年の告白へと盛りだくさんな1時間。幼い妹を失いその妹と父が眠る墓に入ることを望みつつ死刑執行場面まで延々っていうのはどうなんだろう…弁護士もいなくては話は進まないが、なんか存在感が薄い感じ。⑭は19歳の郵便局員の向かいのアパートの女性への思慕。これはもう完全にストーカー行為で、にもかかわらず?嘆く女性につけこんで?青年は女性の部屋に入り誘われることに成功するが、性行為はうまくいかず、家に戻って手首を切る。退院後女性が訪ねてきても冷たくあしらうって、これどういうことだ?若者のプライドか焦燥とか、分かる気もするが女としてはいい迷惑?⑮これはまた…母が校長する学校の教師と関係ができて出産した当時16歳の少女。生まれた娘が6歳になるまで、母はその子を自分の子として育て実の母である娘をいわば排除する。6歳になった娘をママと呼ぶ祖母と一緒の劇場から拉致するがごとく連れ出し、カナダへの移住を試みる娘。しかし実母と認定されないため娘のパスポートは取れず、やむなく子どもの父であるかつての恋人の元へ逃げ込む。しかし不実な中年男、そして「娘のため」と言いつつ今や自分の娘を切り捨てている母のために娘は居場所を失い…最後は電車で立ち去る母を追いかける幼い娘の哀切…ウーン。これは大人の犠牲になる若者のつらさという感じ…。余計なものを配しつつ丁寧に物語を書き込む1時間内外はたいしたものだと思うが…。引き込まれつつ、描かれるのは愚かさというよりワガママと軽はずみの悲劇でやはりそんなに後味がよくはない。(4月16日 渋谷イメージフォーラム 93・94・95)

1日中雨の箱根・明神ヶ岳〜明星ヶ岳縦走(4月17日)

何も見えない頂上

ミツバツツジ満開

⑱きみが死んだあとで

監督:代島治彦 出演:山本建夫 佐々木幹朗 岩脇正人 三田誠広 岡龍二 北本修二 向千衣子 黒瀬準 島元恵子 赤松英一 山本義隆 田谷幸雄 島元健作 水戸喜世子 2021日本 200分(上96分、下104分)★★★

前半96分は、1967年佐藤訪ベト阻止10.8行動の最中に弁天橋で亡くなった京大1回生(1年生)山崎博昭氏の兄や、大手前高校時代の同級生(社研・中核派の活動を共にした)佐々木幹朗(詩人)や三田誠広(作家)らや先輩の、そのころの高校生の行動やその中での山崎の回想がこもごもに語られる。1965年高校年くらいから3年の学校祭、大学入試を経て合格したものは大学での活動を始め、10.8行動にも参加する。しかし山崎の死後、多くは中核派を離れ、しかし浪人中で10.8に参加しなかったものがその次の年をひたすらに闘ったというのが面白い。
大手前高校は1学年500人中、東大10人、京大80人、阪大5~60人で、総計でその3倍くらいのものがこれらの大学をめざし、残り5~60人は進学よりも自身のやりたいことをやる(政治活動も含め)というような進学校だったとか。登場する同級生や先輩も多くは京大、同志社、立命、それに早稲田というようなそうそうたるご出身校で、生き方も詩人や作家ばかりでなく、なかなかユニークにして独自の道で成功されている感じで見ていて鼻につかないでもないが印象的かつ個性的である。
後半は東大全共闘議長で彼らの高校の7年先輩だったという山本義隆の大学を変え社会を変えるという理想から東大闘争を組織しつつ、やがては内ゲバによって殺し合いまで起こった運動の弱点を含め語られる。また10.8を含め闘争の初期から支援者であった物理学者故水戸巌の妻喜世子の運動に対する社会の支持とやがて内ゲバ加害者までを支援する必要があるのかという疑問から支援運動も下火になっていった過程、その後、物理学者として反原発運動を組織した水戸巌と双子の息子たちの剣岳遭難死(そうだそうだった…)などの現在までバシッと貫いている感じの素敵な語りが中心となって、息もつかせぬというか目を離せない感じの200分は、私が少し「遅れてきた青年」であったがゆえか…。自分が中核に誘わなければ山崎は死ななかったと言いつつ、そしてその後すぐに運動そのものは離れたにもかかわらず、この運動時代を未だ生き生きと語れるー生き方の中で一つの核となっているかのような、当時の同級生の悔恨に同化できてしまうのがオソロシイ。会場はそんな感じのじいさんばあさん(特にじいさんどっさり)で、いつもの映画観客と違う雰囲気だった。(4月21日 渋谷ユーロスペース 96)

⑲狼をさがして
監督:キム・ミレ 出演:太田昌国 大道寺ちはる 荒井まり子 荒井智子 浴田由紀子 2020韓国

こちらは韓国の監督が作った⑯以後。1970年代半ばの東アジア反日武装戦線と名乗って、大企業を連続爆弾テロした「狼」「大地の牙」「さそり」の元メンバー(は限られるが)やその周辺人物をインタビューした作品。このメンバーの何人かはいまだ海外指名手配の逃亡中だし、死刑囚として拘置中に獄死したもの、自死したものありで自ら口のきけないメンバーもいる中で、インタヴューは主に支援を続けるような周辺の人々だったり、刑期を終えて出所した人だったりであること。また韓国の視点から当時の爆破事件の目標がアジアへの武力侵略を清算しないまま経済的侵略を続ける日本の政府や大企業を批判するという立場が強調されていることもあり、方法は悪かったが彼らの心情には大いに共感できるという視点で作られている。とはいえ、今やそんなことも忘れ、侵略者(過去現在、武力経済)としての自覚もなくのほほんと暮らしている日本人にとってはこういう視点の存在も無駄でなはいだろうとは思わせられる。この映画も大勢の人々のインタヴューだが、一人一人について言えば爆弾犯だった人も含めなんか⑯よりは個性に乏しく普通の人っぽいのは弁が立たないせいかもしれないが、普通の人が置かれうる環境という意味では説得力があるのだろう。
(4月21日 渋谷イメージフォーラム 97) 

⑳デカローグ1 ある運命に関する物語
監督:クシシュトフ・キェシロフスキ 出演:ヴォイチェフ・クラタ ヘンリク・パラノフスキ 1988ポーランド 56分

ワルシャワ郊外の巨大団地に住む父子。父は大学教授で無神論者、論理的思考と計算でものごとを進められると信じる。息子は小学生で父に倣ってコンピュータで算数をクイズとして解きつつ、神の存在を父や伯母に問う(母は別居して不在)。88年当時家庭に親子それぞれが専用のコンピュータ(さすがに大きい)を持ちプログラミングをするという過程環境を持つこと自体が希少だったんじゃないかなあとも思わせられるような光景。で、氷の厚さを計算し河口から15メートル以内に近づかなければ氷は割れないという父の計算と保証の下、息子は親に無断でスケートに行き溺れる…ひどく達者でかわいい子供の演技でクレジットも息子役がトップだが、要は信心なく計算と科学に基づいた生き方を運命に裏切られる父の物語…子供がクリスマスプレゼントにもらったスケート靴を喜ぶあたりまで見るとほぼ結末が予測されてしまうのがウーン、ではあるが。この子どもの喪失が、2「選択」の医師の決断につながるということかな…。(4月22日 渋谷イメージフォーラム 98)

㉑椿の庭
監督・脚本:上田義彦 出演:富司純子 沈恩敬 張震 田辺誠一 清水紘治 鈴木京香 2020日本 128分

これは物語や役者を撮るというよりは「家」の終焉を撮った1本というべきか。葉山の海を見下ろす古い家の庭の花々、池の金魚、そこにさす陽光や雨のような自然美はしっとり落ち着いたたたずまいで美しい。そこに住む老女と孫娘(娘は駆け落ちして韓国に行ったが早くに夫を喪い、2年前?くらいに本人も事故で亡くなり、孤児となったその娘が来日して一緒に住んでいるという設定)、時どき様子見に来る東京に嫁した次女。数か月前にこの家の主であった夫が亡くなり妻の老女に相続税の重荷がかかってきている。税理士のファンさん(なぜか中国人という設定らしく、張震が日本語で演じている)が家を売ることを勧め買主を連れてきて、その間に老女が倒れたりというようなこともあるが、結局家は売られ、老女は亡くなり、そして…孫娘がこの家から巣立っていくまでだが、もう終わりかな終わりかなと思っていてもなかなか次の話が続いていって終わらないのは、作者のこの家への未練かな。
日本語だけで演じる二人の外国人の存在はこの映画の純日本風に少しグローバリズムを加味したのかもしれないが、どちらもなぜか日本文化に順応する方向(特に韓国生まれの孫娘に対する扱いは、これでいいの?という違和感が残る)でのみ描かれ、達者な役者陣だが、老女も含め人物とは距離を撮った描き方をされていて、やはりこの映画写真家らしく?「家」と「風景」を主人公としているのだろうと、見終わってさらに思う。(4月23日 立川キノシネマ 99)

㉒グランパ・ウォーズ
監督:ティム・ヒル 出演:ロバート・デニーロ オークス・フェクリー ユマ・サーマン クリストファー・オーケン 2020米 94分

いつもならわざわざ見に行く映画でもないのだが時間がまあ合ったのと、ユマ・サーマンが家庭の主婦役というのもあまり見ないなと思ってみる。いずこも同じ?老親同居問題で、自室を奪われた中学1年生(とはいっても代わりに与えられた屋根裏部屋、中学生の男の子になら十分魅力的な部屋ではないかなと、このあたりは日米住宅事情差?)と引っ越してきた元気な祖父がbattleをしつつ、理解しあっていくというような予定調和的なドタバタコメディ。まあ戦い方が祖父側も孫側もそれぞれ友人たちを巻き込んでトランポリン上でのドッジボールをするとかいうあたりがまあ、日本にはなさそうな設定かな。コメディアン化した近年のロバート・デニーロはいつもながらという感じだし、ユマ・サーマンもまあ普通。孫息子のちょっと昔風な典型的?アメリカン腕白小僧風な風貌も達者ではあるが、かわいらしいとも言えず。(4月23日 立川キノシネマ 100)

甲斐駒ヶ岳(晴天の南アルプスの端っこ日向山 4月24日)
日向山頂上は花崗岩の白砂広場、正面に八ヶ岳

これが下りてきて撮った日向山全貌(1660m)


㉓狂徒
監督:洪子烜 出演:呉慷仁 林欣熹 謝欣穎 李千娜 高捷 2018台湾 105分 

試合中の不祥事により有名なプロバスケットプレイヤーを引退せざるを得なくなり、悪名高い有名人として暮らしを立てるために車泥棒をするレイ、ひょんなことからかかわりを持つことになったのが、雨の日の銀行強盗(拳銃をぶっ放すも足から下しか狙わない)レインマン。彼に引きずり込まれ、ともに警察に追われヤクザ組織にも狙われるレイとレインマンのアクション満載の(でも細かい筋はようわからん!後半からレインマンが少し性格変貌?してアクションがコミカルになるのも??)ウーン、いささかくたびれるムーヴィー。レイに翻弄もされつつ気遣う理学療法士の女性と、レインマンに拉致される女性(こちらはわけアリのどんでん返しもあり)が結構このアクションアクション映画を引き締めているのは現代的。コーディネートされた江口さんによれば監督は台湾独自のアクション映画を目指したそうだが、冒頭と後半2回にわたって現れる車の屋根への背中からの墜落シーンとか、「善人でありたい」という願いは『インファナル・アフェア』(2002香港)を思わせるものがある。(4月27日 新宿K’S シネマ 台湾巨匠傑作選2021 侯孝賢大特集 江口洋子スペシャルセレクト 101)

㉔One Day いつか(有一天)
監督:侯季然 製作総指揮:侯孝賢 出演:謝欣穎 張書豪 姚坤君 2010台湾  93分 ★

最初は金門島行きフェリーの乗務員欣穎が夜甲板に出ていて、電気が消えた瞬間船は無人、わけのわからんインド人に遭遇、逃げ込んだ船室で兵士姿の阿聡に助けられるという、ちょっとミステリアスなサスペンス風から始まり、次は別の時?の欣穎と阿聡の出会いから、途中まではなんかタラタラした純愛青春ドラマ(とにかく若い二人の付き合いが始まりデートシーンは完全にそうなので)だなあと思って少し退屈さえもしながら見ていると、フーン物語は船中シーンとデートシーンを行ったり来たりで、インド人の扱い?などのSF風もまじりあい翻弄されるが、それが終わり近くに至って、あ、なるほど!と時系列も二人の態度やセリフに仕込まれた伏線も、冒頭で欣穎が母とかわす、母の早くに亡くなった夫(欣穎の父)に関するセリフの意味もテーマにかっちりつながってうまいわぁ〜!とただ感心してしまう映画だった。 (4月27日 新宿K’S シネマ 台湾巨匠傑作選2021 侯孝賢大特集 102)

㉕日常対話
監督:黄惠偵 エグゼクティブ・プロデューサー:侯孝賢 2016台湾 88分

監督自身がともに暮らしながら他人のようだという母との関係を、母の様子や母と付き合いのあった周りの人々の話を聞きながら描き、なんとか母の話をききたいということで後半は自らが父に性的虐待を受けた記憶も母に語りながら母のことばを引き出すという映画。
母はレズビアンの道士で、父との家を作者が10歳のときに出て、作者姉妹を一緒に仕事に使いながら娘たちを学校にも行かせなかったという特異といえば特異な家族・経歴で、それで見せてしまうところがあるが、母子の関係とか娘が母をいささか恨むがごとくに愛を求めるとか、娘の娘(孫)と母(祖母)の関係などをみているとそれほど特異でもなく、思い当たる節もかんじられるような…かな、とは思う。
映画は撮影も監督自身でクレジットされているが、どう見ても第3者のカメラである場面も多く、この映画がそういう意味でどう撮られたのか、それをまだ「語る」前の母がどう承知したのかが気になった。そこが気になると特に母の話などは半分??という感じもしてきて、そこにセルフドキュメンタリーのむずかしさ?を感じるのであるが。(4月27日 新宿K’S シネマ 台湾巨匠傑作選2021 侯孝賢大特集 103)

㉖ヒルビリー・エレジー 郷愁の哀歌
監督:ロン・ハワード 出演:エミリー・アダムス グレン・クローズ ガブリエル・パッソ ヘイリー・ハワード 2020米 115分

26歳?にして回顧録を出したJ.D・ヴァンスの「ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち」という原作をもとにーエンドロールに実物の作者や登場人物の写真が出てくる、最近はやりのハリウッド映画コンセプトだが、何しろ役者陣が実在の人々に実によく似せているのに驚く。
まあ主人公JDは大人になってはガブリエル・パッソほどのイケメンとはいかないが子役に関してはなかなかよく似た子を探し出したという感じ。女優陣はむしろしっかり化けたんだな…。エミリー・アダムスの薬物中毒にして男性遍歴さかんなダメ母の熱演ぶり、グレン・クローズの子育てには失敗したものの孫育てで挽回するばあちゃんといい。話としては最初に出てくるケンタッキーの貧しい大家族(集合写真が代々出てくる)から始まり、夏休みその田舎で過ごした少年時代ー「ヒルビリー」というのは「田舎者(白人の)」のことーというのが回顧録では多分重要なのだろうが、映画ではむしろ浮いていて、ダメ母で苦労しながら祖母に助けられ、一念発起して環境から抜け出すためにガンバル少年の成長譚というイメージ。これも一種のアメリカンドリーム成就の話だろうか。ところでこの原作者、最後はインターン面接に臨むところで終わるのだが、そのあとのエンドロールでは、ロースクール卒、回顧録出版としか出なかったが実際に法曹界で活躍しているのかしらん…(調べたら裁判所の書記官から投資会社社長に転身した大成功者らしい。そのあたりの成功譚であることをあえて映画は避けたのかも…)(4月28日 下高井戸シネマ 104)

㉗ハイゼ家百年(Heimat ist ein Raum aus Zeit)
監督:トーマス・ハイゼ 2019ドイツ・オーストラリア 218分 ★★

原題は『故郷は時間からなる空間』というのかな…。予告編の作りは『ハイゼ家の百年』という感じなのでそう期待してみるとちょっと裏切られたという感じあり。確かに一家に残る日記、手紙(こちらから出したものの写しー昔の人はというかドイツ人は?出した手紙の写しまで取って100年後までというのはちょっと驚く)や公文書類を監督自身が読み上げる3時間38分は1912年から2014年にわたる100年間の家族や、周辺の人々にまつわるエピソードではあるのだが。バックには手紙そのものや家族の写真なども挿入されるが多くは現代のドイツの風景?のモノクロ動画や、2章では延々と強制収容所の名簿のロール映像、音楽や解説は一切なしで現代のベルリンを走る路面電車のアナウンスなどが入ってきたり。現代の映像と言いつつ施設の廃墟シーンなども多くて現代っぽくないのだが、風力発電の風車とか、たまに出てくる人々の風俗などから現代だとわかるような映像が連なる5章。ただし予告編ではおどろおどろしい感じの祖父母の「混血婚」に関しては一瞬写る「J」(ユダヤ人マーク)と祖父の免職の書状ぐらいで、その後祖母の両親や親戚が収容所に送られるまでの彼らからハイゼ家に送られた書状の割合がすごく多いーここがこの一家を含む社会の一つの大きな問題であったということだろう。さらに2章では両親の結婚までが描かれるが、これはほとんどが母のドレスデンでの空襲後の体験の日記、そして母の結婚前の恋人ウドから母への書状で綴られるという具合で、それを通して西側に住みいささか父権というか男権意識が強かったようなウドとは申し込まれても結婚しなかった母ロージー(ローゼマリー)の意識や思想が間接的に語られるが、ここの比重もとても大きい。まあ、監督にすれば母の歴史というのは大問題だったろうと思うし、これがセルフドキュメンタリーであればそういうこともありとは思うが、しかしあのなんか情けないような手紙をたくさん書いたウドから見たらこの映画ってどうなんだろう。50年以上も前の手紙だが著作権とかどうなっているのかなと余計なことを考えてしまう。ここまでで2時間半、10分休憩。そして後半は3章を1時間半に詰め込み、その中でかなりの部分を父ウォルフガングと、劇作家ハイナー・ミュラーのブレヒトに関する議論インタヴュー(監督自身が70年代に録音した)が占め、兵隊時代の監督と兄の姿などはまあ、一瞬。東独性解放の象徴?として唐突に父への愛人からの手紙が挿入されたりもするのだが、母の側について言えば、結婚までをあんな風に書かれた母がそれをどう見、どう考え父とともにシュタージの追われるような後半生をどう見ていたのかというようなところは、「わかっている」人にしかわからないような走り方だなーその他についても、このあたりになると資料というより監督自身の独白的雰囲気が強くて、駆け足されたという感じも。とはいえ、後半も前半の調子でやられたらとても持たない。時代が後になればなるほど(まだ評価の定まらない中での)手紙や文書の公開というのも難しいのかなとは思いつつ。印象深い3時間半余りであったのは確か…。(4月30日 渋谷イメージフォーラム 105)

㉘恋恋風塵
監督:侯孝賢 出演:王晶文 辛樹芬 李天禄 梅芳 陳淑芳 1987台湾 109分 ★★★

もちろんもう何回も見てはいるのだが、今回が日本最終上映とのこと、前回見たのは多分2004年、主催する映画会で上映したとき(とその準備にみたとき)で、そのころ私はまだ台湾の九份、十分あたり、この映画の舞台となった街(村)に行ったこともなかったなあと、いうことで、それも確認というわけで金曜最終回満員!の上映に。
物語的には特に新情報というのはないわけだが、今回つくづく思ったのは主人公阿遠(アワン)と阿雲(アフン)の恋が二人だけの恋物語でなく、人々の集団の中にあることか…。九份の街(今の「千と千尋」あふれる九份から見ると別の場所みたいだが、石段の連なりやその向こうの石の手すりのついた家とか、あ、やっぱり九份だ)の人々もそうで二人の家族は隣接して住み、父を含む炭鉱夫たちはともに働き、仕事後はともにたむろしてしゃべる。その周りでは大勢(4人くらい?)の阿遠の弟妹や彼らを含む村の子どもたちが集団で駆け回っている。台北の街に仕事を求めて出た阿遠は不器用ながら真面目に夜学に通う印刷工だが、けっして周りから孤立することはなく、ともに住む友人、職探しをしてくれる友人、田舎からやってきたガールフレンド阿雲に職を探してくれ、一緒に歓迎の飲み会をしてくれる仲間たちがいる。阿遠が兵役に就く金門島でもしかりで、彼らはこの時点では無名の俳優たちによって演じられ一人一人の事情がつまびらかにされるわけではないし、ロングショットで顔が大写しになることもない。これは主人公の二人も同様で、要は特別な二人というよりどこにでもあるような背景を背負ったどこにでもいるような青年として、いわばこの時代の台湾の社会を映しているのだなあと感じさせられる。そう考えると兵役に行った阿遠の帰りを待たず郵便配達員と結婚してしまう阿雲も、貧しい父に贈り物としてもらったライターを漂流して金門島に流れ着いた一家に記念品として与えてしまう阿遠も、個人の個別のつながりよりも、もっと大きな集団的なつながりの中で親しい人をも見ているのかもしれない。郵便配達員と結婚して帰京した阿雲を見守るのが、彼女自身の母と並んで阿遠の母であるというショットもそれを裏付けているように感じられ、まさに名もなき人々の群像によってこの時代の社会や若者を描いたのだろう。それを情感もたっぷりに描き出せているのは、それとは対極に、言ってみれば孤高に特異な存在感で映画に君臨しているかのような老いた祖父なのかもしれない。ただしこの、饒舌な祖父も語るのは孫に「しっかり食べないと強くなれないぞ」というような説教、また「サツマイモを作るのは薬用ニンジンより難しい」と孫息子に何回も繰りかえすいわば愚痴で、けっして特別な言葉や行動を持つわけではない。
恋人を失った兵舎での号泣の後、カメラは故郷に恋人がかつて彼に作ったシャツを着て帰り、畑仕事のきつさを嘆く祖父と向かい合って立つーこの時青年は顔の定かでない集団の一人から個として祖父のように屹立する。背景のちょっとモヤッとしたしかし美しい透明感をもつ緑の木立はまさに李屏賓の色合いで、この映画(と『童年往事』もだ)の色合い、光が他の侯作品と比べても一段と印象深い世界を作っていることを想う。時々情感を込めて短く流れるギター?の音楽も…
 (4月30日 新宿K’S シネマ 台湾巨匠傑作選2021 侯孝賢大特集 106)


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