【勝手気ままに映画日記】2020年6月


すっきりしない6月の、久しぶりの高尾山(わが庭?)ここは富士山がよく見える場所なのだけれど、6月は2回登って2回ともこんな感じでした!

同じロケーションの3月です。

①ルース・エドガー🌸②ハリエット③デッド・ドント・ダイ④アンティークの祝祭⑤ライト・オブ・マイ・ライフ⑥ANNA⑦ようこそ革命シネマへ⑧在りし日の歌(地久天長)🌸⑨再会の夏⑩シュヴァルの理想宮⑪エジソンズ・ゲーム ディレクターズ・カット版(The Current War)⑫ライフ・イット・セルフ⑬ア・ゴースト・ストーリー⑭ペイン・アンド・グローリー⑮今宵、212号室で⑯はちどり🌸
 
中国語圏映画は1本だけでしたが、これは大力作。韓国の『はちどり』もいい映画でした。どちらも長いことは長い…けど。🌸はおススメの個人的感想です。( )内の数字は今年見た映画の通し番号です。



①ルース・エドガー
監督:ジュリアス・オナー 出演:ナオミ・ワッツ オクタヴィア・スペンサー ケルヴィン・ハリソンJr.ティム・ロス

2019米 110分 🌸 

緊急事態宣言前日の4月7日の劇場鑑賞からほぼ2か月近く、ようやく久しぶりの映画館へ。おりしもアメリカでは黒人市民が白人警官に圧殺された事件から起こったデモにトランプが反社会活動として弾圧の意向を示すなど、人種問題が決して過去のものでないのみならず、この映画を見た後では、現実の方がひと昔もふた昔も前のまま、と思わざるを得ないような、ある意味この問題のとらえ方の深さ、だろうか。
アフリカの戦乱の中孤児となりアメリカに住むリベラルな白人夫婦に引き取られ、夫婦の努力本人の順応で文武両道オバマの再来といわれるような好青年に育った黒人高校生と、彼を高く評価しつつそのうちに潜む想像力を暴力志向と心配して、自らが女性黒人としていわば立ち向かって乗り越えてきた社会的制約とその中で追い詰められている偏狭な非寛容とを振りかざす教師。好意の人々ではあり、理解者たろうとはするのだが、そうすればするほど息子との懸崖を感じざるを得ず、結局息子の力にはなれない両親。
社会の中で何らかの形でつまずいたことによりダメな黒人、ダメなアジア系女性とレッテルを張られてもがく息子の同級生たちとどの関係でも息詰まるような無理解や自己中心主義の、その中で優等生であることを求められた青年はどのように自分を確立していくのかというー一言では言えないような問題意識の充満した映画。
青年は表面はあくまで優等生のまま、実は女性教師を追い詰め、退職にまで追い込む。一見優等生のさわやかさは崩さないし、映画も表立っては彼の裏の暗い顔の部分は避けるので、私たちは少年の両親と同じく、なんかどうなんだと思いつつ、少年をかばう気持ちに動いてしまうのだが、その実彼がチラチラと学校指導や体制を逸脱しつつ、それを逸脱とは感じさせない、正面切って批判はしないが相手は、自分がたたかれたことをあきらかに意識できるけれど、でもしっぽはつかませないというか、たたかれた側が抗議できないようなやり方をする彼の「優秀さ」がこれでもか、と描かれる感じ。チラシの惹句では少年は優等生なのか、恐るべき怪物なのかという問いかけ方をしているが、少年を怪物っぽくなくあくまでも人好きもするような優等生と知って描きながら、実はその怪物性をも描くこの映画自体が「怪物」?という気がする。それとこの文章で「黒人」「白人」という言い方をすると、またどこからか差別的と言われそうだし、自分でもこんな書き方どうなの…とは思うが、しかし「黒人」でありながら「白人」社会で育ち、理解者であるはずの「黒人」教師から「黒人」ゆえに差別?されるというまさに白黒問題として描かれているのがこの映画なのだと思う。(6月5日 キノシネマ立川 93)

②ハリエット
監督:ケイシー・レモンズ 出演:シンシア・エリヴォ レスリー・オドムJr.ジャネール・モネイ 2019米 125分 

くしくも?同じ日にもう1本の「黒人」映画。1800年代のアメリカでメリーランドで州で奴隷として生まれ、逃亡してフィラデルフェアに。そこで自ら解放運動家としてたくさんの奴隷の逃亡を助け、南北戦争では自ら先頭に立って戦ったという女性のハリエット・タブマンの一代記。彼女はアフリカ系アメリカ人として初めてドル紙幣の肖像になり、アメリカ人ならだれでも知っているというすごい人であるという。
ミンティという名の若い奴隷だった彼女の最初の逃亡シーンはハラハラするのだが、この女性、13歳で奴隷監督に殴られて頭がい骨骨折、その後遺症?で脳に一種の障害があり未来や神の姿などを予見する力を持っていてそれを利用して犬を連れた雇い主などの追跡をかいくぐりのがれるという、ちょっと神がかり的な設定になっていて、それってどうなんだろう。そして物語の多くの場面が様々な恰好(小柄だが時には男装も)して出没しモーゼと名乗って奴隷の逃亡を助けるという、ちょっとアクション映画的なつくりになっていて、それゆえに飽きさせない?のかもしれなが、うーんご都合主義?という感じもなくはなく、描き方としてはとにかく彼女はスーパーウーマン過ぎるし、最後は演説もやたらとうまいし、ちょっと鼻につくかも。
劇中の織り交ぜられ主演のシンシア・エリヴォの歌う奴隷の歌、解放の歌声は絶品といっていいが。  (6月5日 キノシネマ立川 94)

(番外)海山 たけのおと
監督:デヴィッド・ネプチューン 出演:ジョン・海山・ネプチューン 2019日 89分

昨年ユーロスペースで1週間限定上映をしたが、見逃していたドキュメンタリーの一作。1972年来日して日本で尺八奏者として、また尺八の製作者として活動しているジョン・海山・ネプチューン(「海山」は尺八家元から与えられた大師範としての名)を日本生まれ?の息子のデイビッド・ネプチューンが描く。
外国人よそ者として尺八の世界をきちんと極めながらそこに収まらに世界的な活動をしてきたこの人物の魅力が画面に満ち溢れる。若い時ハワイ大学で知り合った妻とともに日本に住み、30年の結婚生活後、二人の子供が独立した後に彼女が自分の道を求めてアメリカに帰りホスピスで働いているという姿と、その結婚生活をかたり海山に理解を示しつつ、一緒には添い遂げられなかったというのもすごく納得がいく老後のペアの生き方かなあ。CS日本映画専門チャンネルの『このドキュメンタリーがすごい』というシリーズの私としては3本目(『人生フルーツ』『沈没家族』に続く)。
(6月6日 CS日本映画専門チャンネル)

③デッド・ドント・ダイ
監督:ジム・ジャームッシュ 出演:ビル・マーレ― アダム・ドライヴァー ティルダ・スウィントン クロエ・セヴィー二
スティーブ・ブシェミ 2019スウェーデン・米 104分 

すごく単純にして荒唐無稽(とはいえ現代社会への風刺とか警鐘の意思は強く感じさせる)かつ、従来的なゾンビ映画やスター・ウォーズとかハリウッドの宇宙人来襲?映画へのオマージュも感じさせて盛りだくさんな、そして個々の登場人物がゾンビに対して小さな戦いはして小さくはゾンビを倒すのだけれど、最後は集団化したゾンビに圧殺されていくことを繰り返す「悲劇的結末」への「滑稽」ななだれ込み。ゾンビは口々にそれぞれ「コーヒー」「シャルドネ」「Wi-Fi」「ニンテンドー」という感じに彼らが生前執着したものをつぶやき探しながら徘徊するのだが、これはまさに現代人のとらわれそのものだし、発端が北極での工事?による地軸のずれ?によるとかいうのも荒唐無稽に環境・現代問題を風刺としている。うーん。「ゼルダ・ウィルソン」とかいう役名でティルダ・スゥイントンが街に現れた「ゾンビの扱いには慣れている」葬儀屋。黒帯の道着に金髪、日本刀を振り回しゾンビの首を薙ぎ払い…(これは「キル・ビル」?)そして…最後は…というトンでも展開は、この社会を救う道はない?という絶望なのか?それともオトギバナシ的表象による希望なのか? ジム・ジャームッシュ作品だからというと、ついつい「意味」を考えてしまうけれど、そんなことはあまり考える必要もない「わかりやすい」(作者が楽しんでいる)作品とみるべきか…楽しみつつも悩んでしまうような作品だった。再開後の我が家そばのTOHOシネマズ。平日夕方とはいえ、観客は10人未満。
(6月10日 府中TOHOシネマズ 95)

④アンティークの祝祭
監督:ジュリー・ベルトゥチェリ 出演:カトリーヌ・ドヌーブ キアラ・マストロヤンニ サミール・ゲスミ ロール・カラミ― 2019仏 94分 

カトリーヌ・ドヌーブの貫禄に頼った映画だなあ。自分は今夜死ぬと宣言し、家じゅうにあふれるアンティークを庭先に並べて売りに出す老女クレール(老女という雰囲気でもないが)。子供のころそのアンティークにひかれた娘の友人マルティーヌは心配して、家を出た娘のマリー(ドヌーブの実娘、マルチェロ・マストロヤンニそっくりの目をしたキアラ)に連絡する。やってくるマリーは母とはうまくいっていず、母に干渉もしないが自分ながら過去をたどり母の行為の意味を探る…。
クレールは認知症になっているらしく、ガレージ・セールを手伝う若者を息子と間違えたりなどするし、アンティークを介して幼いころの娘や死んだ息子マルタンの面影が行ったり来たり、これが映画という手法では極めて効果的で、娘の方も娘視点で幼いころ、若いころの母との確執を振り返ったりするから観客としてはおおいに幻惑されてしまう。要は家にある古いものを断捨離しながら昔の人間関係や確執が掘り出されていくわけだが、後半にいたり、なんか劇的な終わりが見えてしまう映画で、しかも予想通りの終わり方をしたので、うーん。老女クレールは予言通りに…だけどこの終わり方ってなんか肉食っぽいなあ。大阪アジアン映画祭グランプリの『ハッピー・オールド・イヤー』(2019 ナワポン・タムロンラタナリット)はタイの断捨離映画で、ヒロインが若くて過去の確執もそれほどでない、というか母の過去を客観的な視点からみることにしてしまったからでもあるだろうけれど、やはりアジア的というか草食系というか、こんなに過激ではないよなと思えてしまうラストでした。   (6月11日  キノシネマ立川 96)

⑤ライト・オブ・マイ・ライフ
監督・脚本:ケイシー・アフレック 出演:ケイシー・アフレック アンナ・ピニョフスキー エリザベス・モス 2019米 119分 

監督も製作も脚本も、ほとんど娘役と二人きりの出ずっぱりもというケイシー・アフレック映画。時節として感染症パンデミックがらみだからか、なぜか特別料金一律1000円というわけでキノシネマ立川、最終日、最終回に見に行く。
10年前に世界を襲った感染症でほとんどの女性が死に絶えた後に残った、父と抗体を持っていた娘(13歳)。男たちはなんか野蛮な原始的?前近代的?生活を送っており、女性とみれば略奪する?ということで父は娘を男の子と偽り、人里を離れて森の中で暮らしている。テントの中でお話を聞かせ、廃屋になっている図書館に忍び込んで本を探し、娘にも読ませというわけで、大切に大切に守り育てる父の姿が延々と描かれる。娘は知的に育ち、年ごろからも「男の子」として人目を忍ぶ生活に、頭では理解しつつも耐えられなくなっている。
そんなふうに人目を忍んで逃げ歩き、人を信じず、良い人と見れば逆に身を守るためにだますこともいとわない生活が延々と続いて後半、昔住んだことのある祖父の家を探してたどり着くとそこには3人の老人が住んでいた。キリスト教徒で娘を女のこと知って受け入れてくれた彼らとつかの間人間らしい暮らしを取りもどすが、またまた略奪にきた男たち。父はかろうじて娘を逃がすが老人たちは殺され、父も略奪者の一人と格闘になり殺されそうになる、その時娘が戻ってきて老人に教わっていた(父からはもちろん厳しく止められていた)銃で賊を撃つが…ここから娘のいわば自立と、父との逆転が始まっていく?うーん。しかしこれっていつの時代に設定されているのか。女性だけが死ぬ感染症というのはいいとしても、それで全世界の男があれだけ殺伐とした野蛮な生活に戻ってしまい、女狩りのみならず、人を襲って殺すこともいとわぬような無秩序な世界になってしまうというのは、物語のためのご都合主義的な設定に感じられ、父が頑張れば頑張るほど、どうなのよーと物語の背景そのものがなんかウソっぽく感じられてしまう。森や、寒々とした街、雪景色などロケーションとその中にいる父娘の姿は絵的には見せるのだけれど…(6月11日 キノシネマ立川 97)

⑥ANNA
監督:リュック・ベッソン 出演:サッシャ・ルス ヘレン・ミレン ルーク・エヴァンス キリアン・マーフィ 2019米・仏

アナを演じるスーパーモデル・サッシャ・ルスのすらりと細身の長身ーこんなスタイルの人っているんだなあと思わずため息。そのスタイルで拳銃を構えバンバンと5分間に40人ともいわれる殺戮、これで警察も来ないし騒ぎにもならんとはと、野暮なことを言ってはならない。なにしろバックにはKGBがしっかりと監視し、命令し、まあその範囲で動ければさせてくれる、その冷酷な上司オルガがヘレン・ミレン。珍しく黒髪で黒縁の大きなメガネの奥の目が怖い、貫禄!(007のジュディ・デンチも格好良かったがその比ではない)鋭い観察眼と支配力・影響力で手下をこき使う。もちろんアナも。で、そこにKGBの直接の補佐役とも恋人ともつかぬルーク・エヴァンスと、CIAの側から二重スパイとしてアナを取り込みつつ彼女を多分愛する?キリアン・マーフィーがからみ、うーん。絶体絶命の境地と見えて最後、二人の男に加えて、思いもかけないオルガのバックアップでアナはスパイである間長らく希求していた自由を手に入れるという、まあ、これはハッピーエンド?
最後の方、アナが警備の雑魚的兵士に打ち放つ弾丸が、どうも皆足元あたりを狙っているのが、ちと甘く、それと不思議とここぞという場面で「身代わり」が仕立てられたりするのだけれど、ああいう身代わり(体を張って捕まえられ足り、結構大変そう)はスパイ組織内部ではどういう位置づけになっているのかしらんと、いかにもスターのアナはじめ主要人物を見ていると思えてしまうのであった。ま、そういうことを考える必要はない、娯楽映画としてはさすがの出来栄えだと思うけれど。(6月17日 キノシネマ立川 98)

⑦ようこそ革命シネマへ
監督:スハイブ・カスメル 出演:イブラヒム・シャダット スレイマン・イブラヒム エルタイプ・マフディ マナル・アルヒロ ハナ・アブテルラーマン・スレイマン 2019フランス・ドイツ・スーダン・チャド・カタール アラビア語 97分

想像はできるけれど映画に関してこういう世界があるのだなあと、いまさらながらに思い知らされたような…。世の中が平和でないと映画も元気にはなれない、けれど平和のために映画ができること(製作だけでなく上映や批評も含めて)があるのだろうなと思わせられるような作品だ。
1960~70年モスクワやドイツに留学して映画を学び、作品は海外でも評価されてきたが、89年の軍事独裁政権樹立後、活動の場を奪われ四散していた彼らが60代になって再会し、古い映画フィルムや資材を掘り起こし、小規模な上映会から、かつてあった「革命シネマ」というホール?(というか野外劇場みたいになっている)で『ジャンゴ』の上映会をしようとするが、政府の許可が得られず挫折し、それでも元気に更なるチャンスを作ろうとしている姿。ナレーションも説明もほとんどなく、映画を知っている男たちの会話と行動でつづられていくので、異文化の中ではちょっと戸惑ったり―例えほとんど終わりの方までこの国には女はいないのかと思われるほど延々と男ばかりがうろうろぞろぞろという感じで疲れたーすることもないとは言えないが、まあ、題材そのものと間に挟まれるシャダットやスレイマンのフィルムの断片だけで見せるという感じ。
(6月18日 渋谷ユーロスペース 99)

⑧在りし日の歌(地久天長)
監督:王小帥 出演:王景春 詠梅 艾麗姫 齊渓 徐程 杜江 王源 2019 中国 185分 🌸

1980年代 同じ国営工場に勤め、同じ公寓に住む2組の夫婦 耀軍(ヤオジュン)・麗雲(リーユン)、海燕(ハイイェン)・英明(インミン)に同年・同月・同日に男の子が生まれ、それぞれ星(シン)浩(ハオ)と名付けられ、義兄弟として互いの父母を義母・義父ともするような、親しい付き合いをするようになる。
英明の妹モーリー(茉莉)は職場で耀軍の部下として指導を受け、耀軍を慕っている。
同僚で同じ公寓に住むメイユーはダンス好きなシンジェンにひかれるが、ダンスを悪文化とする当局によってシンジェンは摘発されてしまう。
しかし、やがて鄧小平の改革開放の中、ダンスや男女の付き合いも解禁、人々はともに楽しむようになる。
1986年、麗雲は2人目の子どもを妊娠、しかし職場の主任である海燕は許さず、麗雲は無理やりに堕胎させられて、二度と子供を産めない体になる。
海燕の推薦により、麗雲・耀軍夫妻は計画出産に寄与した優良家族として職場の表彰を受ける。
小学生になったシンシンはまじめで慎重派だが、わんぱくなハオハオに誘われ、貯水池に遊びに行きおぼれて死ぬ。
海燕は一緒にいた息子ハオハオが原因を作ったのではないかと激しく息子を責める。
90年代半ば、国営企業の経営悪化により、大リストラが行われ麗雲は優良社員として表彰されたゆえに、国のため、職場のために退職を強要される。
耀軍・麗雲夫妻は故郷を離れ海南島からさらに誰も知った人のない土地に移り住む。二人は養護施設から孤児を引き取り、シンシンと名付け育てるが、思春期に達した養子シンシンは反抗的になり、非行をして退学転校をしたりのあげくに、家を出て行ってしまう。
2000年代に入り、キャリアウーマンとなった茉莉が海外移住の前にと、耀軍を探し出して訪ねてくる。茉莉は意図的に耀軍は成り行きから、二人は一夜をともにし、茉莉は妊娠する。茉莉は義姉海燕が強制して麗雲が二人目の子を失ったことに罪の意識をもち、子どもを耀軍に与えるというのだが、耀軍にはとても受け入れられず、茉莉は北京に去る。
無職青年たちとつるんで帰ってきた養子シンシンに、耀軍は新しく作った本名?の身分証とお金を渡し独立するように言う。シンシンは親に頭を下げて出ていく。
北京の海燕はずっと麗雲に対する罪の意識を感じて生きてきたが脳腫瘍?にかかり余命わずかとなったことを悟り、最後に一度だけ麗雲・耀軍に会いたいと夫に懇願する。ハオハオは成長して医者になっており結婚もして妻は間もなく出産する。一家は北京の新しいマンションで豊かな暮らしをしている。
海燕危篤の連絡を受けて耀軍と麗雲は久しぶりに北京の昔住んでいた公寓に戻ってくる。海燕の病床を訪ね、彼女の謝罪を受ける麗雲たち。
葬式には昔の知人たちも集まる。その帰り、二人を公寓まで送っていったハオハオは、水に入ろうとしないシンシンを笑った他の子に恥ずかしく思い、自分が突き飛ばしてシンシンをおぼれさせたことを告白する。
亡きシンシンの墓参りに行く2人。
ここで過去にさかのぼって実は…事故のあと、息子が原因を作ったことを詫び、息子を自分の手で殺すといってきた英明を、耀軍がなだめ、ハオハオが原因を作ったことを二度と口にしてはならない、そうすれば幼いハオハオは忘れるだろう、シンシンの死でハオハオまでが傷つくことを避けたいと言った場面が出てきて、今までの謎?が解ける構造。
最後は一家・友人がハオハオの子どもの誕生を祝い集まるシーン。アメリカ?にいる茉莉を、ハオハオはスカイプでこの場面に参加させる。茉莉にサニーという子どもがいることを知り、喜ぶ麗雲、ぎくりとする耀軍(ここが絶妙にうまい)しかしサニーは明らかに欧米系のハーフで、ほっとする耀軍(・・・茉莉が妊娠した子は?どううなったんだろう)
そこへ耀軍の携帯に見知らぬ番号からの電話。実は恋人を連れて耀軍の「繁星モーターズ」?(ここで店の看板が初めて出てきて、北京に戻って英明の世話で家を買う話も出ていたこの夫婦もしっかり自分なりの店を持ち生活を築いていたことが観客にもあきらかになる)に戻ってきた養子シンシンからの電話だった。喜びに満ちて電話を受ける夫婦の姿で映画は幕を閉じる。
と延々30年時系列的に並べるとこうなるんだが、回想やなどによる順番入れ替えで結構複雑な謎的構造として提示しているので、面倒くさいけれど飽きさせない、夫婦の気持ちになって共に生きてきたような気持ちにさせるところがすごい。茉莉と耀軍のくだりはなんかとってつけたように物語から浮いている感じもあって、茉莉の考え方とか行動とか、イマイチ回収されない謎めいたところとして残ってしまったような気もするが、まあ、物語としては息子の死とならんで映画らしさ、物語らしさを醸し出しているところなんだろうなあ…。とにかく大作です!一人っ子政策に翻弄される夫婦と6人の子ども(シンシン、ハオハオ、養子シンシン、麗雲が中絶させられる胎児、茉莉が妊娠する子、そしてサニー)。生き延びた子たちは新しい時代の経済的な恩恵も受けてなんとか幸せになっていくが、失われた命二つは痛い!幸せを描く中にも政策や社会の非人間性はきちんと描いているように思う。(6月18日 文化村るシネマ 100)

⑨再会の夏
監督:ジャン・ベッケル 出演:フランソワ・クリュゼ 二コラ・デュヴォシェル ソフィー・ヴェルベーグ 2018仏・ベルギー 83分

第1次大戦後のフランス片田舎、収監されている元兵士と、拘置所の門前から動かない黒犬。そこへ彼を軍法会議にかけるか否かを決めるためにパリから派遣されてくる軍判事の少佐。フランソワ・クリュゼ演じるこの少佐が、元農民にして兵士のこの男モルラックを取り調べる過程でのモルラックの回想などが映像化されてさかのぼっていくという構成。男は銃殺刑になってもかまわぬといい言い訳もしないし、謝罪もしない。その秘密とは…それに犬はどう絡むのかーこの犬の絡み方はちょっとショック。戦争においては敵のブルガリア軍?も味方のフランス・ロシア軍も上層部と一般の兵士たちの間に乖離があり、兵士たちはロシアでの革命をきっかけに敵も味方も示し合わせ戦争放棄をしようとするが、犬にはその道理はわかるはずもなく、面と向かった敵を襲うようにしつけられて,戦闘の火ぶたを切ってしまう。そこで負傷したモルラックは望みもしないレジオン・ド・ヌールを授けられ、帰還するが和平を打ち破った犬を憎みつつ、しかし自分たちも自国の軍隊から勲章でつられて犬のように使われていると考えてある行動を起こす。一方このような考えをもたらした犬の元飼い主でもあるモルラックの恋人との初心(うぶ)と言ってもいい誤解や嫉妬が絡んで(この辺はいかにもフランス映画?)かたくななモルラックの態度になるわけであるが、それを調べることによって解きほぐすのが少佐ということになる。うーん。戦争における下級兵士と犬の問題は社会派で興味深いが、恋人との行き違いはうーん、ちょっとバカか、という感じでそのあたりがミスマッチな感じ?解きほぐすクリュゼの少佐がい「いい人」に見えてくる仕組みで、それゆえのこの映画彼が主演なんだろう…。なるほどね、というところ。 (6月19日 下高井戸シネマ 101)

⑩シュヴァルの理想宮
監督:ニルス・タヴェルニ 出演:ジャック・ガブラン レティシア・カスタ ベルナール・ル・コク フロランス・トマサン 2018フランス 105分

寡黙な郵便配達員シュヴァルが33年かけて作った理想宮は実在だが、これはドキュメンタリーではなく、劇映画として構成したシュヴァルの人生。妻に死なれ、親戚の手で子どもシリルを妹のもとへと引き離され孤独に1日30キロ歩いての郵便配達をするシュヴァルの前に現れたのは、こちらも夫を喪った女性―でもなんか互いに配偶者がいなかったらすぐに女性がいわば誘いをかけるというフランス映画っぽいこのロマン観はシュヴァルには似合わないような気もするが「ことばより行動の男だ」と郵便局長が評するがごとくで、二人は結婚して新たに女の子アリスに恵まれる。しかしぎこちなく抱くこともできないようなシュヴァルは実はアリスを溺愛、アリスも父を慕い、シュヴァルはアリスのための10時間の郵便配達後に拾ってきた石を使って毎日10時間も宮殿つくりに取り組む。戸惑いつつ夫を支える妻、父の仕事の理解者だが若くして病に倒れ死んでしまう娘、成人して洋服屋になり戻ってきた息子とその子供たちの姿、そしてその息子にも死なれ絶望しつつ、やがて妻にも死に別れ、宮殿のあとには墓つくりをする姿をちりばめつつとにかく延々と城つくりに取り組んで、晩年は立てた宮殿が評価され宮殿の前で子孫や友人が踊る姿を幸せな老年の姿として描く、というわけでうーん。役者、特にシュヴァルと妻は若い時から老年までを演じてうまいし、実際にシュヴァルの理想宮で撮影されたという理想宮の姿も興味深いものがあったが、うーん。成功を求めるのでなく自分の満足のための延々と「役にも立たない」かもしれない仕事を続ける姿の感動すべきかとも思ったが、案外成功作品として理想宮えがかれているのでね…スポコンドラマ的な粘り強さの勝利というふうに見える。(6月19日下高井戸シネマ 102)

⑪エジソンズ・ゲーム  ディレクターズ・カット版(The Current War)
監督:アルフォンソ・ゴメス・レホン製作総指揮:マーチン・スコセッシ 出演:ベネディクト・カンバ―バッチ マイケル・シャノン トム・ホランド ニコラス・ホルト 2019米 108分

これも「事実にインスパイアされた物語(「基づいて」でないところがミソ?)だそうで、エジソンとウェスティングハウスの直流・交流電流バトルを芯に、発明や電力供給に対する二人の態度の違いーこれがなんか、全体エジソンに分が悪いのみならず電気椅子論争で交流方式の危険性=処刑向きを強調してウェスティングハウスを貶めようとして足をすくわれ、自社を買収されようとしてエジソン社の名前にこだわるとかいうエジソンの卑劣さ?名誉欲のようなものをカンバ―バッチ、さすが演じきってエジソンを共感性のないキャストに仕立てているのがおもしろい。マイケル・シャノンもなかなか好演技。私の最近のイチオシ、ニコラス・ホルトが演じるのは二コラ・テスラで、セルビア移民?にはあまり見えない英国紳士風。。なかなかおしゃれなスタイルで、そのおしゃれな洋服は?と非難がましく言われると「個人的なことだ」と相手を一蹴、実はハスラー?ビリヤードの名手で稼いでいるらしい?実在の二コラ・ステラも長身・イケメンだったらしいが、ほんとのところはどうやっていたのかしらん?
最後にエジソンが自分が作ったキネマスコープをスクリーンで見ている映像も出てくるが、あれ、スクリーン映像はリュミエールだったよねとその辺が「基づく」ではなく、「着想を得た」というところかな。1980年代終わりごろのこの時代、ホテルにはエレベータが常設され、シカゴ万博では大観覧車が電力モーターで回っていた(実際に映像が出てくる)が、それと13時間持つ電球が話題になり、街や万博で電灯がつくことが話題や、競争になるというアンバランスが、私の無知ではちょっと理解しにくいところも…。
原題「THE CURRENT WAR」電流と時代の変遷もかけているようでなかなか秀逸だけれど、「エジソンズ・ゲーム」の名を出さないと売れないとすれば、名前にこだわったエジソンの戦略は成功ということね。
なお、ディレクターズ・カットとなっているのは、この前に例のハーヴェイ・ワインスタインが製作者として強引に介入して作ったがエジソンが善人過ぎて評判芳しからぬハーヴェイ版(17年)があったためとか。
(6月21日 府中TOHOシネマズ 103)

⑫ライフ・イット・セルフ
監督:ダン・フォーゲルマン 出演:オスカー・アイザック オリヴィア・ワイルド マンディ・パティンキン アネット・ベニング アントニオ・バンでラス 2018米(英語・スペイン語) 117分

始まりはニューヨーク。相愛のウィルとアビー、アビーは間もなく出産というときに交通事故死!立ち直れないウィルが、カウンセラーに延々と自己語りをし、彼の幻想の中でアビーのみならずこのカウンセラー(アネット・ベニング)がアビーと同じように事故にあうシーンまで再現されるのだが、どうもここが映画全体のテーマを語っているようでもあるが、なにも知らずに見始めると冗長でうーん。眠気をこらえているうちにウィルは、カウンセリング最中に短銃を取り出し自殺!と、まあなんというか意表はつくのだがどうも意味不明な始まり。
しかしそこからあとは大変わかりやすく、母アビーが事故死したときに命が救われ生まれ「死に付きまとわれる」人生を歩み20歳前後にしていく先も極まらず母が事故死した道路のわきのベンチに座り込む娘と、アビーが衝突したバスの最前部に奇しくも乗り合わせ事故現場を見てしまったスペイン少年ロドリゴの、スペインのオリーブ農場での父とその雇い主、父と母の出会いから農場の管理人として暮らす父母のもと、その雇い主にもかわいがられ育つロドリゴのその後ーこちらもそれなり紆余曲折はあるが、ニューヨークに渡って大学で学ぶ彼が道端のベンチに座って茫然自失状態の娘に出会いそして結婚、娘が生まれる…と、こう書いてしまうともう単なるびっくり偶然の出会いってあるものねという話に過ぎないのだが、そこに前半の深刻な若いカップルとか、ロドリゴのほうの父母の誤解?とちょっと理不尽な別れとか、雇い主のロドリゴとその母への献身とか母の病と死とか、いろいろ絡む。ただ、案外平凡な展開でもあり、うーんそれぞれが若い主人公二人の出会いのための道具?にも見えてしまい…。何を言いたいのかはわかるのだが、それを言うのにこんな道具立てが必要なのかなと最後まで思いつつ見た一作ではあった。
(6月22日 下高井戸シネマ 104)


⑬ア・ゴースト・ストーリー
監督:デヴィッド・ローリー 出演:ケイシー・アフレック ルーニー・マーラ 2017米(英語・スペイン語)92分

一軒の家、住む若い夫婦。この家何となくもののけ―気配あり、もともと置いてあった古いピアノが夜中に音をたてたり。だからということでもないが、二人は引っ越しを計画しているらしい。というところで突然に夫が事故死。霊安室でシーツを被った遺体をに会った妻がその場を去ったあと、シーツを被ったゴーストが立ち上がり病院の中から街へ、やがて二人が住んでいたいた家の帰りつく。なんかなーー、幽霊映画としてもあまりにお粗末?お手軽すぎやしない?と前半はなんかそんな感じで見ていた。このゴースト地縛霊?でやがて妻が家財を片づけて引っ越してしまい、スペイン語を話す母子一家が住み、あるいは何者かわからないがとうとうと語る男中心のパーティシーン、隣家の窓からのぞく花柄のシーツを被ったゴーストとの手ぶりでの交流のほか、いろいろなシーンで少しポルタ―・ガイスト状況で住人を驚かせたりはするもののおおむね人に大きな影響を与えるでもなく、孤独に生きて?いく彼の姿が描かれる。
やがて家が取り壊され(このとき隣家の幽霊は「待っても来ない」と「あきらめて」シーツを残して姿を消す)建設現場になりオフィスビルになり、それも破壊され、時は突然に西部開拓時代?開拓者の親子とその襲われた死、骸骨になるまで見届け、時がたち、ここにかつて二人が住んだ家がまた建つという、まあ、輪廻というのか時の反転、案外とスケールが大きいがその間たった一人シーツ姿(丸い目の穴が二つ空いているのがなんというか不気味でもあり愛嬌でもありか)でうろつくという映画。最後にちょっこっとゴーストが二人になったり、元居た家でのピアノの謎が解き明かされ、なるほどね…。かつて夫を喪った妻は引っ越しの前壁を塗りなおし小さな紙きれの手紙?を壁に埋め込む。ゴーストは盛んにそれをこすって掘り出そうとするが、1回目は掘り出したとたんに家が重機で壊され、2回目は…。
あのシーツの幽霊はケイシー・アフレック自らが演じていたのかな…意外に悲しみをにじませ、だんだん薄汚れていく?シーツ姿もちょっと悲しく印象は深い。まあ、作者が「作ってみたかった映画」という感じはする。一番感心、ちょっと驚いたのはルーニー・マーラ演じる妻が夫を亡くし悲しみの中家に戻り大皿の食べ物(スプーンで食べるが、結構堅そうだった)を一皿もくもくと長回しで食べるところ。それを寂しい幽霊がじっと見ているという、何かそれだけで悲しみと妻の決意が見られるような不思議な味わいだった。
(6月22日 下高井戸シネマ 105)

⑭ペイン・アンド・グローリー
監督:ペドロ・アルモドバドル 出演:アントニオ・バンデラス アシェル・エチュアンディア レオナルド・スパラージャ
ペネロペ・クルス 2019スペイン 113分

アルモドバドル版『ニューシネマパラダイス』という惹句にひかれれ見るが、うーん、そうかしらん。老いを迎えつつある作者の現実の、老いゆえの苦しみ―体の痛みや生きがいの喪失、作品が書けないというーの中で、過去の作品やその登場人物に向き合ったり、少年期の追憶やその残照との出会いなどを通して、なんか本人が落ち着いて追憶をベースとした新しい仕事に取り組んでいくというか、そういう映画かなあ?アルモバドルも年を取ったんなあ、という感想は意地悪すぎるかしらん…。
主人公が(多分)作者の分身的な「世界的な映画監督」っていうのも気になるところで、だからこそこういう追憶と現実が交差していく中で新しい作品という道が開くような映画が成立するのだろうが、「世界的」ではない普通の人が老いへの道の中で追憶とどう折り合いをつけるのかというー難解になりそうだが―映画を見てみたいという気がする。
母と横たわる少年は追憶だと思ってみていると、照明担当の女性が立ちカメラが回り始めるという最終場面は、アルモドバドルらしいうまさだなあと思う反面、なんだかはぐらかされるような気もした。うーん。あと、そうそう前半の苦しみ場面の観念性と後半のドラマティクな出会いや展開もなんかなあ、うまいんだけどご都合主義的なのかなあ。
(6月25日 キノシネマ立川 106)

⑮今宵、212号室で
監督:クリストフ・オノレ 出演:キアラ・マストロヤンニ ヴァンサン・ラコスト パンジャマン・ビオレ カミーユ・コッタン 2019仏・ルクセンブルク・ベルギー(英題On A Magical Night)87分

面白いのは、まずは夫ではなく妻の浮気から、そしてそれが夫にバレるのだが、そこで妻がこれは普通のことだみたいに居直り、夫の方は25年間浮気をしたことはないと言い切ること。そして居直った妻がなぜか一晩?家を出て、向かいの(本当に向かいの)ホテルに投宿すると、そこには20年前結婚した当時の若い夫がいる。と、まあ、これは一種のオトギバナシでもあり、舞台劇ーしかもセリフ劇ーにしてもいいような物語で、その後、妻マリアの泊るホテル212号室にはなんだかわからん狂言回しみたいなシャルル・アズナブール?や、夫リシャールの初恋の年上のピアノ講師イレーヌ(これが結婚すればよかったとリシャールに迫る)、彼女と夫の間にできていたかもしれない赤ん坊、そして妻がかつて関係を持った大勢の恋人たちがぞろぞろと現れるというコメディ的展開の中で愛について、長年共に暮らす中で失われたのかもしれない恋について延々とセリフが続くという、なんか不思議な観念的映画。場面はおおむねホテルと自宅だけに限られるのだが、マリアとイレーヌが飛び出して(時空も一夜のことでなく移動するのはちょっと破綻?)海辺に住む現代のイレーヌに会いに行く場面があってそこでイレーヌはレズビアンであることを自覚してリシャールと結婚しなかったことを後悔していないという設定で、うーん、変化はつくがこれって必要な物語かな…。そして最後は…。まあ、一応多情・浮気なマリアは今後もそうだろうけれど、夫に対して居直りはしなくなるんだろうなあというくらいの軽い結末。フランス映画っぽい。
キアヌ・マストロヤンニ、裸きれい。パンジャマン・ビオレとは元夫婦だそうで、息はあってるけど演じて複雑?なんじゃないかなあ。ちなみに212号室は夫婦の尊重貞節を謳ったフランスの民法の条項数だそう。(6月29日 渋谷文化村ル・シネマ 107)

⑯はちどり
監督:キム・ボラ 出演:パク・ジフ キム・セビョク イ・スンヨン チョン・インギ パク・スヨン 2018韓国・米 138分

「82年生まれ キム・スヨン」とか、85年生まれのチェ・ウニョンとかの小説を最近読んでいて、その中で兄を支えることを要求され、兄に支配される(もちろん父にもだが)少女、「学校にも行かないあの子の将来は家政婦よ」というような言い方を読んでいたが、なるほど、それが映画になるとこうなるのだ…。
1994年のソウルで中学2年生になった少女ウニの1年くらいの期間を描く。最初に高層アパートの部屋に戻って来てドアをたたき「オンマ」と呼び続けるが出てこない母、次に階をかえて?再び部屋のドアをノックすると母が現れるという何とも不穏な雰囲気の出だしでこれは何だと思う。自分の部屋に入ったウニがクローゼットを開けるとそこには父から隠れる姉、とか、怒り怒鳴り支配的な父、暴力をふるう兄、かわいらしい雰囲気なのに無表情顔もよく見せない母とか、なんだかな…と思ってみていると、この家族、そうではあるんだが、必ずしも崩壊しているわけでなく(もちろん特に少女や母などの忍耐によって保たれている面はあるのだが)ウニの首にしこりができ手術となったときに病院に連れていき心配するのは父だし、兄は優等生で父母は彼をいい高校にいれソウル大ににと、学校見学に送ったりと、見当違いだったり重荷になったりはしそうだが親も必死で子を思ってはいる人たちなのだなと思わせられるし、それは勝手だったり暴力的だったり、ときに行き違ってけんかになったりする友人や親せきもみなそうで、そのあたりが激しく崩壊するような人間関係ではないし大きな事件ではないんだけれど少女がじわじわと生きにくさを感じるような情景描写となっていて、こちらも一緒に生きているような(大人としては少女だけではなく父母や他の人々も含め)感じがしてくる。
映画の中で少女はBFと付き合ったり別れたりまた付き合い別れるとまさに揺らぐわけだが、この少年もちょっと鈍重さも感じさせるような美少年というよりはやさしい(でも酷薄さもありそう)という微妙な子で、なるほどのキャスティング。そして彼女が行く漢文塾(これがまた微妙で、学習塾でも英語塾でもない浮世離れした微妙さで、こういう塾って90年代の韓国では盛んだったのか、そうではない映画的設定なのか…効果的であるのは確か)の教師ヨンジ(キム・セビョク)のミステリアスな浮世離れの雰囲気ーちょっと不思議でもある出会いと別れそして最後のソンス大橋崩落へのなだれ込みと、うーんうまいよね、映画としての描き方ココだけがドンと衝撃的で、今までのじわじわした閉塞感がここで一気に喜びから絶望への落差でウニに迫りつつ、うーん、彼女これをどう乗り越えていくのかと期待を抱かせるようなところも、なかなかすごい。
138分はちょっと長いが、この長さが観客を共感に引っ張り込んでいくという意味では、先に見た⑧『在りし日の歌』と同じく、長さも生きているのだと思わされる。
3月の大阪アジアン映画祭の上映作だったが、1回上映だったこともあり、時間が合わずに見損なっていたものをようやく見た。夕方のユーロスペースは1席置きの着座とはいえ、ほぼ満席に近い盛況。  (6月29日 渋谷ユーロスペース 108)

以上

多摩中電影倶楽部はあいかわらず休会中。母体の多摩中国語講習会も9月までの今期はオンライン授業を続けるとのことで、電影倶楽部の再開も早くても秋以後になりそうです。
みなさんとお目にかかる日が来るのを楽しみにしています。

先日、なんと10月ということで申し込んでいた台湾・玉山の入山許可が下りました!
台湾はほぼコロナを克服したということなのかな…。とはいえ、第2波、第3波も心配される中、日本からの出国、台湾への入境ができるかどうかは???
でも、体は鍛えつつ、もし行けるのであれば、なんとか行きたいなと期待中です。

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