第20回 東京フィルメックス 2019 /11〜12月


⑯シャドウプレイ(風中有朶雨做的雲)⑰春江水暖(Dwelling in the Fuchun Mountains)⑱二人の人魚(蘇州河)⑲評決⑳大輪廻㉑ニーナ・ウー(灼人秘密)㉒気球㉓熱帯雨㉔昨夜、あなたが微笑んでいた㉕ヴィタリナ(仮題)㉖完全な候補者㉗カミング・ホーム・アゲイン ①牛 ②HHH:侯孝賢 ③フラワーズ・オブ・シャンハイ

新旧とりまぜ15本見ました! 中国映画5本、台湾映画5本 ⑯~㉗は11月に見た映画の通し番号になっています。 ①~③は12月に入って…。


⑯シャドウプレイ(風中有朶雨做的雲)
監督:婁燁  出演:井柏然 宋佳 秦昊 馬思純 張頌文 陳妍希(ミシェル・チェン)2018中国 125分

まずは2006年広州の川辺の林の中でデート中の男女が焼死体を発見、次に手持ちカメラとドローン映像で追いかけた目くるめくような映像で広州の立ち退きを迫られた町を青年たちが走り、そのまま住民と官憲、開発側の対立抗争場面へ、その場で開発側でこの町出身だとして住民を説得する唐が5階から墜死という事件の発端となり、その場に居合わせた若い刑事楊(この刑事も事故にあって認知能力を失って施設にいる父との何かを抱えている)が捜査を始める中で、不穏な事態が起こり、彼ははめられて職を追われ香港に逃げて事件の真相を探り続ける。
一方で開発事業のトップ姜と妻・娘小諾、昔からの盟友だった唐との関係、台湾で事業に成功して帰ってきた姜と、台湾時代からの共同事業者の女性阿雲(唐事件の背後にチラチラ影が見える一方すでに行方不明になっているという設定)の1980年代終わりから現代にいたるいきさつ関係が描かれていく。そして後半に至るとそれらの関係が縷々説明されて行き、そこに30年近くにわたる中国の近代化、富裕化の裏というかのし上がった人々の栄光も退廃も顕わになっていくという、すごくロマンティクな、それでいながらミステリーというより一種のドキュメンタリー的社会派映画をみたような不思議な後味を残す、そう言う意味ではまさに婁燁!?という作品。
2時間を超えて息も切らさず見せるのだが、トップにはクレジットされていない秦昊、ミシェル・チェンら(トップクレジットの宋佳ももちろん)、大人パートの迫力がありすぎて、若者パートでヒ―ロー、ヒロインであるはずの楊と小諾がちょっと影が薄いというか、物語的にもその必然性が今イチかなという感じ否めず。とにかく二人の関係から、楊と父のいきさつ、唐のDVと娘の出生の秘密とか、盛りだくさんにいろいろなことを盛り込んで物語的には力まかせにねじり込んだという感じもする。
(11月23日 有楽町・朝日ホール 東京フィルメックス開幕作品)


⑰春江水暖(Dwelling in the Fuchun Mountains)
監督:顧暁剛 出演:銭有法 王風娟 孫章建 章仁良 2019中国 154分
🌸フィルメックス審査員特別賞受賞作

監督の故郷富陽(孫権、郁達夫の出生地でもある)の景色・陽光古来から残る自然と、今や近代化の進む街をあたかも絵巻物のごとく、長回し、ロングショットで―もう、なんというか絵にも言われぬ美しさというか…、監督によれば「冨春山居図」や「清明上河図」のイメージで撮影されたらしい―を背景に中年の4人兄弟、顧家の家族を描く。この顧家の面々は監督自身の親族や知り合い、つまり素人が演じているとのことで、アップシーンの演技などはあまりないのだが、やはりロングショットを生かしてドキュメンタリーのような雰囲気でリアリティがある。
兄弟の母の90歳?の誕生祝いの席上、その母が「軽い卒中」で倒れる。そこからレストランを営む長男夫婦の介護問題に関する葛藤や愛、母の反対を押し切って小学教師の恋人と結婚したい娘、30年暮らした家を立ち退くことになり持ち船で仮住まい中の、漁師の次男夫婦とその息子の結婚、離婚してダウン症の息子を育てながらあちこちに借金、賭場を開いて稼ぐ(ちょっと一家にとっては持て余し者、でもまわりを思いやり理解しようとする優しい男でもある)三男、そして何をしているのかわからないが、母の意を受け?見合いをし結婚しようとする末息子など、葛藤やいさかいはありつつも最後のほうで三男の借金を返せとやくざ?が長男の店に殴り込みをかけるとか、賭博がバレて三男が警察につかまる以外は一家人々の身上にかかわる問題に終始するのだが、これがけっこうリアリティもあり(お金の額がいろいろ出てくるのがおもしろい。教師の月給は4000元とか。兄弟間の万単位の貸し借りとか)派手ではないのだが風景の美しさに包まれている感じもあって、最後まで引っ張る。
三男問題について、さる友人が「他人事とは思えなかった」と感想を述べていたが、そう、どこにでもいそうなどこにでもありそうな話なのだが、街が近代化する前の中国の地方都市の、まあ旧家の暮らしぶりとは明らかに変わっている部分もはっきり見えて興味深い映画だった。終わりに「巻1終わり」と出て、この映画、2巻、3巻も監督として10年、20年、50年単位で計画したいというような話だった。なるほどね!ユニークな面白い、そしてそれこそ50年後に振り返ったら近代史ものになるのだろうな。若い監督の長編第1作の志(古典も踏まえているところもユニークだし、若者だけの映画にしていない)に敬服。(11月24日 有楽町・朝日ホール 東京フィルメックス・コンペティション)

⑱二人の人魚(蘇州河)
監督:婁燁 出演:周迅 賈宏声 耐安 2000中国 83分

ウー、懐かしい! 前半牡丹は少女のような(というよりジャージ姿の中学生そのもの)、後半は今に通じる少し成熟した女っぽさを漂わせるメイメイの周迅も、今は亡き(実際に早死にしそうな危うさを感じさせないでもない)賈宏声も…、なんか汚らしい一昔前の中国都市らしさを漂わせる蘇州河周辺の景色も…。物語、初見(というかDVDも中国語版も合わせて何回かは見ているはずなのだが、いずれにせよ製作から数年以内のことだから)よりもシンプルな印象で、最後の二人の死も含め、こんなにわかりやすい展開だったかなあと思ったのは、こっちがスレたせいか…。
(11月25日 有楽町・朝日ホール 東京フィルメックス歴代受賞作人気投票上映)


⑲評決
監督:レイムンド・リバイ・グティエレス 出演:マックス・アイゲンマン クリストファー・キング 2019フィリピン 126分

プリランテ・メンドゥサの助監督だったという、少年のような風貌の若い監督の第1作、メンドゥサ風味ではあるが、目を離せない力作の警察ドラマ?かつ法廷劇。物語はシンプルと言えばシンプルで、DV夫ダンテの暴力から6歳の娘とともに逃げ出した妻ジョイが夫を訴え、法廷での争いとなりそして…意外なというか、もっともありそうな「解決」?までの物語だが、顔や体に大怪我を負ったヒロインと同じく額血まみれの娘が、加害者の夫と同席で長々と事情聴取されながら、いろいろな書類の作成・提出やサインを求められる(おいおい、そんなことしていたら二人とも、それに腕に傷を負った夫も、倒れてしまうぞという不安)前半、夫の母が息子をバカとののしりながらも区長である伯父?の伝手をたどって高額有能とされる-いかにも調子だけよさげで、金はしっかりとる-弁護士を雇って留置された息子の釈放から法廷弁護までを任せしかも値切ったり値切られたり、金の切れ目が縁の切れ目という攻防。一方の妻は検察側の代理人となった女性-これがウーン、またやる気があるのかないのかという感じで、なかなか面白いキャラクター-に証人を探せと言われるも、事件を見ていた隣人には冷たく断られ、病院の記録員や、夫を逮捕した警官などが出廷するも夫側の弁護士にどんどん論破され、自分とともに夫に怪我をさせられた娘までもが証人喚問でパパを慕う?ような発言を、というわけでどんどん追い詰められ、夫は共謀、反省の色なくという状況がこれでもかこれでもかというふうに続く。裁判官は残業しながら判決文を書くが、結局それは「無罪」…しかしあっと驚く展開(夫の突然の死)でこの判決は法廷に出ることなく、倉庫にしまい込まれるというのがラスト(ネタバレごめんなさい!)。解決したのかしないのか…気が抜けたように夜の街を歩くジョイの姿で幕を閉じる。
これが解決なのかそうでないのかとは、会場QAでも疑義が出たが、作者が提示して、解決なのか正義なのかを観客にゆだねるというのはよくわかる。フィリピン警察や法廷の在り方について実態?(これも会場から、ホントに実態?という質問が出たほど)をハンディカメラ中心でドキュメンタリー風に描いて観客に考えさせるというのが、この若い監督の志であったことはとてもよく伝わってきて、私たちもハラハラ怒りながらその場にいるような気持ちにさせられたのである。
(11月25日 有楽町・朝日ホール 東京フィルメックス・コンペティション)

⑳大輪廻
監督:キン・フー(胡金銓)李行 白景瑞 出演:石雋 彭雪芬 張業興      1983台湾 104分

同じ3人の役者(石雋・彭雪芬・張業興)を主人公に3人の監督が、3つの時代に1振りの刀をめぐって転生していく男女を描いた3本のオムニバス映画。キン・フーの描く第一世は明代の古装辺。錦衣衛の長官と旧家の姫、彼女を慕う武士との三角関係-全員が死ぬー、李行の第2世は民国初期の劇団の座長と花形女優、そして彼らのパトロンで女優と恋仲にになる若旦那、ここでは舞台の上で座長の剣に女優と恋人が倒れることに-、そして第3世は現代(といっても80年ごろの台湾の先住民族の暮らす漁村、神主の兄と、シャーマンで漁師をしたり彫刻もする弟、そこに台北からやってくる歌舞団の女優。弟と恋仲になった女優は彼を台北に誘う。悩む弟、許せない兄、ここでは弟の代わりに祭りの危険な梯子登りに挑戦した兄が転落して剣に串刺しになって死ぬ。話はまあ…だが先住民族らしい踊りや体中に串を指す祭りの憑依した男たち、そして一方なんかシュールなダンスをする歌舞団の面々、最後は女優の「ボレロ」まがいの独演と見どころ?は満載。後の話になればなるほど男は優柔不断に、女は威勢良くなっていくのも面白い。前夜眠れず体調最悪、見る前から眠かった鑑賞だったが寝ないで済んだのは、やっぱり力のある映画なんだろうなあ。(11月26日 有楽町・朝日ホール 東京フィルメックス・クラシック)


㉑ニーナ・ウー(灼人秘密)
監督:ミディ・ジー(趙徳胤)出演:ウー・カーシー(呉可煕) ヴィヴィアン・ソン(宋芸樺) 2019台湾・マレーシア・ミャンマー 103分


うーん。これは私にはよくわからない…。metoo問題を扱った女優自らの発案による映画会内幕?もの?8年間端役やライブ映像を手掛けてきたニーナ・ウーがオーデションで抜擢されて60年代を舞台とするスパイ映画に抜擢される。監督が暴君なのか、演技指導なのかなかなかハードな要求を彼女にし、彼女もひたすら頑張るというのが前段。そこへ実家の父の倒産・うつ状態と母の心筋梗塞が重なって彼女は台中の実家に呼び戻される。そこで昔の恋人(女性)のキキとの関係、またなぜかはわからないが、看護師姿の女性(NO3)が母の病室に現れて母を殺そうとする幻影、また父の会社の給料未払の社員と、彼のいやがらせ?(これも幻影?)そして飼い犬との関係などごちゃごちゃと彼女にはストレスが重なるが、台北から映画祭に出品されることになったからと呼び戻され、戻るとエステに通うことになるがそこのエステシャン怒りを買い、また彼女の中にさかんに現れ、屈辱的な要求をされるオーディションシーンの追想など、ま、とにかくこの泣き顔のヒロインがますます追い詰められていく様子がこれでもかこれでもかという感じ。監督やプロデューサーが「体」を要求するというようなシーンが一つの主張としてあるわけだが、若いミディ・ジー―監督はそういう監督的立場を描くことにどのような意義を見出しているのか、3pシーンや犬の真似などを画面で演じ、この映画の原案を出したという女優がそのような映像の中にいることをどう思っているのか(多分抗議?ではあるのだろうが。ビジュアル的にはあまりそういう感じはしない)見ていてもさっぱりわからず。カンヌの「ある視点」に出品されたらしいが、確かにそういうことのために作られた?映画祭むきで、劇場公開なんかしても、オジサンばっかりが入るような映画じゃない?と、私にはすごーく長く感じられた103分(しかない)ではあった。(11月26日 有楽町・朝日ホール 東京フィルメックス・コンペティション)


㉒気球
監督:ペマツェテン 出演:ソナム・ワンモ ジンパ ヤンシクツォ クンチョク ダンドゥル 2019中国 102分  🌸フィルメックス最優秀作品賞受賞作

中国の一人っ子政策ーとは言っても少数民族は複数の子が許されているー下のチベット草原で牧畜をし、3人の息子を育てる夫婦を描く。「気球」は子どもたちが夫婦の寝室で見つけて持ち出したコンドーム。診療所が無料で配ったもので、少子化政策の中で、避妊に興味があまりない夫を持った女性と診療所の関係が興味深い。妻の妹はかつてのボーイフレンドとの付き合いの中で中絶をし(はっきり描かれないが、多分そういうこと)、それを機に「悩みのない」尼僧となっているが、姉の息子の学校の教師になっているボーイフレンドと偶然再会し、彼が二人のことを描き出版したという小説を渡される―このあたりの男女の温度差!―そのうち高齢の夫の父が亡くなり、僧が、まもない一家への転生を予言する。くしくも妊娠がわかり、悩む妻。亡くなった人が転生、それも一家のうちに転生するのがこの上ない幸福とされる宗教文化と、実際の政策や経済的な状況ー子育て、教育などの苦労-がマッチしない状況を描く。伝統や文化を負って暮らす男は子の誕生と父の転生を喜ぶが、女は実際の問題に直面して悩むのである。中絶の手術台にいる妻のもとに夫と長男が駆け付け、長男が中絶を止めるーやめたかどうかはこれも直接的には描かれないが、その後、診療所の医師はたくさんのコンドームを届けて寄こし、妻は妹の尼僧とともにお寺参りにでかけ、街に出かけた夫は幼い下の子たちとの約束通り大きな赤い風船を2つ買って帰る。その風船は息子たちに渡されたとたん1つは割れ、1つは青空のかなたへ。その行方を見守る映画のそれぞれの登場人物たち…という非常に暗示的な描き方で、解決されないこの問題に関しての、この夫婦や家族の行方が示されている。広々とした自然の中で淡々と暮らしながら、実は将来にもかかわるような問題を抱えているこの夫婦や、問題の抑制された描き方は品がある。家族がいかにも自然な家族みたいなのも印象に残る。(11月26日 有楽町・朝日ホール 東京フィルメックス・コンペティション)

㉓熱帯雨
監督:アンソニー・チェン(陳哲藝) 出演:楊雁雁 許家楽 クリストファー・リー(李銘順)楊世彬 2019シンガポール・台湾 103分

2013年の名作「イロイロ」の監督のシンガポール社会を題材とした新作ということで期待し、まあ期待に応えてくれる見ごたえの作品ではある。男子中学の中国語教師リンは①不妊治療中(夫は非協力的)②舅の介護(半身不随で口もきけず車椅子生活)③授業に集中しない悪ガキども④マレーシアからどうでもいいことで電話してくる母、金をせびりに来るドリアン運搬を業とする弟⑤中国語教師を軽く見ている同僚・校長など➅夫の家族との付き合い-夫があまりかかわらないところで、舅につき合って夫の家の姪の誕生祝いに行くが、子どもがいないことをバカにされたり➆そこへもってきて夫の浮気。シンガポールの雨季の雨模様の中でこれらがヒロインを追い詰める。
ただ一人、比較的真面目に補習を受ける生徒偉倫の存在が閉塞状況の中で教師リンの慰めというか励ましになっていく構図は理解できる。ところが武術マニア、両親不在がちのこの少年の図々しさ、悪気はないのだろうが子供ゆえ?の我がまま、野放図?足を怪我したことをきっかけの当たり前のようにリンの車に乗り込んで家まで送らせたり、リンの家にもやってきて(成り行きでそうなるのだが)武術映画ファンの舅との交流がちょっとできたり、舅も連れて偉倫の武術大会を見に行った帰り優勝した彼を迎える両親も来ていないことから、3人でドリアンを食べに行き、店の人に弟のほうにつけておくと言われるとか、図々しいながら、ちょっとは可愛げもある偉倫に、リンの教師根性?がほだされたという感じもあって、心和むシーンもないではないのだが…、
大雨のの日、不妊治療の失敗に苦しみ悩み寝込むリン、そして舅の死。そんな中で補習再開の帰り道、車の中で鼻血を出した彼を送ったリンは両親不在冷蔵庫は空っぽという彼の高級マンションの部屋で、レイプまがいに彼に迫られ関係を持ってしまう。その後ますますただただ彼女を慕って(といってもどう考えたってふてぶてしく図々しいイメージー演じるコー・ジャールーは「イロイロ」の可愛くないわがまま息子ジャールーの役者。彼が成長して17歳?くらいになっているわけだ。ちなみに教師リンは「イロイロ」でジャールーの母を演じたヤン・ヤンヤンーで、監督としてはできるだけ避けたいキャスティングだったので撮影開始が1年半も伸びてしまった。にもかかわらず、結局彼ら以上の適役は探せなかったのだそうだー)相手の立場も気持ちも考えずわがままに迫る迫る。教師故に冷たくつきはなすこともできないリン。彼のために車で事故を起こし、夫との間も険悪になりーこれは舅の葬儀シーンですでに明らかではあるがー離婚に。偉倫が撮ったリンの写真が、友人に見られて学校の中でも噂は広まり、校長からは「中国語は誰でも終えられるから代講を頼む。あなたは休職に…という話になってしまう。めちゃめちゃにされて帰るその車にさらに偉倫は乗り込んできて……大雨の中二人が別れのハグをするシーンはさすがになかなか印象的なビジュアル。
離婚も成立し、財産分離もあるのかないのか家財は夫の兄弟姉妹が分け、仕事も失ったリンが最後に大笑い?する展開が(要するに妊娠した。だれの子?仕事もなく育てられるの?)そしてマレーシアに戻り母の家でくつろぎ、空を見上げるリンで映画は終わるのだが…前半の展開はけっこうリアルだし、善意の教師であるだけなのに生徒の恋情に追い詰められていくリンの姿も身につまされる-自分も教師のはしくれだしーのだが、この終わり方、なに?これ希望?普通に考えたら彼女がこれから生きる道って?せっかく出てきたマレーシアで母に依存して子育てをするの?なんかなあ…ビジュアル的には結構明るさが醸し出されているマレーシアの空(もう雨はあがった)が全然明るく感じられないのは、どうなんでしょう…。感覚的な明るさだけでは片付かない問題を描きながら片付かないことにわりと平気というか、そんな感じだからかなあ。きちんと整った物語性もリアリティも感じさせる映画なのに、なんか割り切れないものが残ってちょっと苦痛。ーもっともそうやって何とか問題をやり過ごし受け入れて生きていくその過程に明るいものを見出そうよ、というのが人生?っていうことか??
ちなみにシンガポール人の中国語能力は低いが、中国語価値観も低く、シンガポールの中国語教師は7割以上がマレーシアから来たり、最近は中国大陸から」教えに来たりした人だという実態があるそうだ。
(11月27日 有楽町・朝日ホール 東京フィルメックス・コンペティション)

㉔昨夜、あなたが微笑んでいた
監督:二アン・カヴィッチ 出演:ボク・チュナット キムリエン・ソー ノップ・ティダ 2019カンボジア・フランス 77分                       🌸フィルメックス スペシャル・メンション、学生審査員賞受賞作

若い監督自身が育ったという、プノンペンのホワイトビルディング。1963年に立ったというこの近代ビルは、クメール・ルージュ時代に入居者が退去し空き家化するが、その後カンボジアのアート関係者らの住むアート村になり2017年、日本企業の買収取り壊しが決まり、住民は立ち退きを迫られる。その前後、監督の家族を含む人々の日常から立ち退きの様子を描きながら住民の記憶をインタヴューによって掘り起こしていくドキュメンタリー。単なる貧民街ではなさそうと思ったら、出てくる人はみんな?芸術家?、壁面には絵が描かれていたり、その前で歌ったり踊ったりする人もあり、そこが一味ちがうかな?狭い廊下の向うは侯孝賢ばりの白く区切られた窓、人々がそこにいたり、声だけだったり、無人になった後も繰り返し現れて廃虚となっていくこのビルの様子の移り変わりを象徴するよう。良くも悪くもちょっとセルフドキュメンタr-っぽいが、それはそれで面白く見た。
(11月28日 有楽町・朝日ホール 東京フィルメックス・コンペティション)

㉕ヴィタリナ(仮題)
監督:ペドロ・コスタ 出演:ヴィタリナ・ヴァレラ ヴェントーラ 2019ポルトガル 124分

前評判高く、座席満員(に近い)なのだけれど、ウーン、くたびれる。スタンダードサイズの画面はほぼ真っ暗、そこに赤っぽい光にそこだけ照らされた(それはそれで美しいが)真っ黒な人々。しかも動かずたたずみ、座ってうなだれというような長回しのシーンが多々。そこにセリフが入ると神の恩寵?を望む人と諭す神父みたいな、なんか暗闇にその二人が浮いているとカルト映画をみているような雰囲気にもなり…。物語は北アフリカのカーボヴェルデ島から出稼ぎにきた夫の死の知らせに、リスボンにやって来るヴィタリナ。彼女の悔恨や悲しみ、迎える夫の元同僚や知り合い、夫を葬った神父とヴィタリアの長い長い会話-神父がだんだん俗物に見えてくるところがおもしろい。ヴィタリナ演じるヴィタリナの強い表情・瞳の光芒ゆえか…。なんか救いない感じで延々とヴィタリナの喪が続き最後のほうでカーボヴェルデでヴィタリナが建てた、今も手入れ中の家が咲き乱れる庭の花と、青空と、彼女自身の実の子だという男女の姿-明るいのだけれど底抜けに明るいというのではなく、じんわり冷たさも感じさせるような不思議な明るさで、まあホッとはするのだが。この映画、ヴィタリナはじめ登場人物はみな素人で、しかも監督は台本によって彼らを動かすのでなく、彼らの自由な動き(演技)を調整する役だったとは、監督自身の弁。となると、このカルトっぽさとか棒立ち暗い表情は彼ら演技者自身の選択?プロでないからこそこうなったという感じ。でもそうなると、そういう映画を延々と見せられるこっち(観客)の身にもなってよという気もしてくる。ペドロ・コスタだから通用する技であって駆け出しの監督が作ったら一顧だにされないのでは?というのは言い過ぎか…。(11月28日 有楽町・朝日ホール 東京フィルメックス特別招待作品)

㉖完全な候補者
監督:ハイファ・アル=マンスール 出演:マイラ・アルザフラニ ディー ㇵリード・アヴドゥラヒム シャフィ・アル=ハーティ 2019サウジアラビア・ドイツ 101分 

サウジアラビアの小さな町で車を運転して(実はこれも2018年に解禁されたばかり。それまで女性の運転は禁止だった)病院に勤務する若い女性マリアム。白衣の上に目だけを出すヒヤムをつけて患者を診療するが、生死の境にあって担ぎ込まれた患者の男から「女は俺にさわるな!」と診療を拒否される。ドバイでの学会に出るついでに首都リャドの病院に求職しようと思うが、父の書いた海外渡航許可を持って空港に行くと電子化されていない許可証だとして、あらたに男性保護者の渡航許可証が必要と返される。このあたり見ていると本当にもうイライラカッカとしてくるが、こういう社会状況にあって医師になったり、彼女の妹はカメラマンとして活動していて、有能な女性の頑張りとその報われなさに腹も立ちつつ頑張れという気もしてくる。
父は歌手でツアー中、親戚の有力者の男に頼って渡航許可証を得ようと思うが、受け入れてもらえず、彼がしている地方選挙の候補者申請に成り行きで登録してしまうことになる。彼女にはジェンダー的立場だけでなく、医師としてなかなか舗装されず救急搬送などでも大変に不便している病院前の道路を舗装させたいという意識もあって、本気で選挙に取り組むことにする。この時の周りの反応なども妹たちも含めけっこう賛否両論?で末の妹などは最後まで批判的(本当の差別にまださらされていないということ?)が、カメラマンの妹(この妹も結局結婚式の写真撮影で食べている矛盾)の協力を得てSMSやユーチューブなどを駆使して選挙活動をしていく様子が描かれる。あまり凝った流れではなく、彼女自身がまわりの男たちや(夫の言うことを聞かないと投票はできない、などという女もいる)の排撃を撃退しつつ、やがて眼しか出さないヒヤムではなく顔は出してテレビに出たり、話題の候補者になっていく様子が描かれて、皮肉っぽくはあるが納得のいく展開。結果は?も、まあそうだろうなあ。でもこういう活動の積み重ねが社会や男たち、そして女性たち自身を変えていくのだろうという希望を感じさせる、女性監督ならでは?の今回もっともすっきり共感できたジェンダー視点映画ではあった。男性は真っ白な衣服に赤い模様の頭巾、女性は上から下まで真っ黒ですっぽり覆い、集会なども別々か、同席しても男女の席は全く離れているという社会のビジュアル的な気持ちの悪さも十分に伝わってくる。(11月29日 有楽町・朝日ホール 東京フィルメックスコンペティション)


㉗カミング・ホーム・アゲイン
監督:ウェイン・ワン 出演:ジャスティン・チュン クリスティーナ・ジュライ キム。ジョン・リー 2019米・韓国 86分

サンフランシスコに住む韓国系アメリカ人一家。ニューヨークで働く息子は母のガンに帰省して、母のレシピでの料理に精を出す。同居の父はなんか影が薄く、韓国で働く姉は帰国して母に新しい治療をすることを主張する。しかし両親はこれ以上の治療は望まず、迎えた大晦日、息子は韓国料理を並べて今年最後(母最後?)の晩餐の宴をはるが…。ガンの母は結構若いし、元気そうなときは結構普通だし、かといえば息も絶え絶え寝込んでいるという感じで、なんか見ていてこっちのほうが行き詰ってくる。最近多い親の看病映画もなあ、食傷気味(なにしろ実生活でも同じようなものだから)そして映画の中の親は、あきらかに私たちの世代に近いわけだしなあ。というわけで、今一つ話に入れず、長く長く感じる。母の死自体は描かれないが、息子が母の遺品を片づけている場面、そして終わりかと思うと時間が翻り息子が寄宿舎にいるとき母がたくさんの料理を作ってくる場面、帰りの車の両親、そしてそれらを運転しながら回想する息子で終わり(ここだけ音楽入り?)。ここで気分を変えようというわけかしらん。(11月30日 有楽町・朝日ホール 東京フィルメックス特別招待作品 クロージング作品)

11・30受賞作品表彰式

①(ここから12月に)牛
監督:ダリウシュ・メールジュイ 出演:エザトラー・エンデサミ アリ・ナシリアン マひん・シャハヒ 1969イラン 105分

イラン・ニューウェーブの先駆けになったとか言われる約50年前の作品。しかし1939年生まれの監督だし、登壇紹介したアミール・ナデリも制作に参加していたとかで、当時としてはすごい若い世代が作った映画なんだろうなあ…。モノクロで小さな村を舞台に牛を偏愛し、留守中に牛が死ぬと自らが牛のようにふるまう男と、周囲の困惑する男たちの動転(牛の死をかくすために古井戸に牛を隠して「牛は逃げた」という、ごまかすためにあれこれいいつくろう、牛に振る舞いをする男を取り囲みどうするか…そして暴れる彼を縛り上げ病院に連れていくことに)。黙ってみている女たち。ここに村の中で子どもたちにからかわれている知恵遅れ?っぽい半端者、1組の恋愛?、それに隣の「盗賊村」から羊や牛を盗みに来る3人組との攻防もからみ、ウーン。なかなかに美しくもあり吸引力のある画面ながら、ちょっと私には寓意も主題も明確ではなく、見ていていささか悩ましい。(12月1日 有楽町・朝日ホール フィルメックスクラシックス)

㉙HHH:侯孝賢
監督:オリヴィエ・アサイヤス 出演:侯孝賢 朱天文 呉念真 陳国冨 高捷 林強 1997フランス・台湾91分

21年ぶりの古典的?ドキュメンタリー?『憂鬱な楽園』あたりまでの初期台湾ニュー・ウエーブ傑作選?も盛り込みつつ、侯孝賢とオリビエ・アサイヤスの対話―どちらも若い若い。そしてさらに若い高捷や林強とのカラオケシーンまで。まだ中国資本の台湾席巻以前の映像。そして侯がけっこう「やくざ」体質みたいで男の中性化を嫌う言辞などもあり、これからは女が強くなっていくというのをいささか苦々し気に言う場面も。これ、前に見たときにも気になったかもしれない。しかし、その後のスー・チーらを主役に据えた『黒衣の刺客』とかをみれば侯孝賢、「やくざ」?体質を保ちつつも女性の進化には抗えないということか…へへへ。(12月1日 有楽町・朝日ホール フィルメックスクラシックス)

㉚フラワーズ・オブ・シャンハイ(海上花)
監督:侯孝賢 出演:梁朝偉 羽田美智子 劉嘉玲 李嘉欣 高捷 潘迪華 1998台湾 114分

台湾にセットを組んでこの映画を作るにあたって、侯孝賢は19世紀の上海・清朝時代の家具、衣装、光、それに言葉にも徹底的に拘り再現をしようとしたという、全編これ遊郭の中の密室劇で、大したドラマティックな展開があるわけでもなく-トニー・レオンが他の客といるらしい小紅に嫉妬して暴れるシーンぐらいしか動きはない、しかも彼はそのまま広州に転勤していなくなってしまうという、ウーンな展開。出てくるのは美しく着飾ってはいるがなんか無機質な雰囲気ー特に羽田美智子はそう。アップもなくいつも遠くからのカメラで硬い表情、おまけに吹替だし瀬戸物の人形みたい。女性ではカリーナ・ラウ、ミシェル・リーのほうがまだ生き生きしているが、上海の清朝時代の娼妓とは見えない。男はヘンなおじさんばっかだし、もうなんていうか話としたら何を言いたいかわからない、オトコの子侯孝賢は遊女文化を称揚するのか…という気もしてあまり楽しくないのだが、まあ、当時の贅を凝らした清朝の金持ちの遊び文化をビジュアル的に再現した博物館劇としてみればいいのかな…、そう言う意味では歴史的な見世物として意味もあるし、古くもならない映画なのだという気がする。とにかく李屏賓のカメラだし、暗闇の中に浮き上がり揺らめく光と影は絶品と言ってもよい。ちなみに言葉にかんしては、上海出身や親が上海出身の役者をキャスティングし呉語(上海話)の練習をさせたそうだが、香港人で上海語には音を上げたトニー・レオンに関しては、広州から上海に派遣されてきた役人という設定にして、皆で飲むような場面では(もう、全然セリフはないが)上海語、遊女との1対1では広東語をしゃべっている。羽田美智子は上海話と広東話と両方できるという設定で、そういう人が吹き替えているらしいが、こちらもセリフは硬く、口数も少ないという設定。音楽は半野喜弘でこれは聞かせる。これも20年ぶりくらいに見たが、前の時も印象だけで話しとかは全然残っていなかったなあとは、今回の感想。
(12月1日 有楽町・朝日ホール フィルメックスクラシックス)

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