第31回 東京国際映画祭 2018/10月

東京国際映画祭会場TOHOシネマズ六本木ヒルズ10.25~11.3
アジア映画、中国映画を中心に頑張って通いましたが、ウーンなかなか…


①輝ける日に サニー(ベトナム版)②海だけが知っている③音楽とともに生きて(In the Life of Music)④母との距離(Distance)⑤それぞれの道のり(Journey)⑥武術の孤児(武林孤児)⑦十年⑧トレイシー(翠絲)⑨詩人⑩はじめての別れ⑪プロジェクト・グーテンベルク⑫ブラ物語⑬冷たい汗⑭家族のレシピ⑮ワーキング・ウーマン⑯まったく同じ3人の他人


①輝ける日に サニー(ベトナム版)

監督:グエン・クアン・ズン 出演:ホン・アイン ティン・ハン ミ・ウエン トゥエン・マップ ミー・ズエン 2018ベトナム 117分

2011年の韓国版『サニー・永遠の仲間たち』(カン・ヒョンチョル)をリメイクして、この秋、大根仁監督で日本でも公開された『SUNNY 強い気持ち・強い愛』と期せずして?同時期にリメイクされたベトナム版(この3国競演は昨年は『怪しい彼女』。いずれも韓国発祥というのがチカラを感じさせるところだ)。ただし、韓国版・日本版はそれぞれ製作された時点を現代として25年前の高校時代と重ね合わせるとなっているが、このベトナム版は2000年を現代として75年ごろの高校時代を重ね合わせている、一種の「時代劇」になっている。75年は南北統一の年で政治は動乱期、街では反政府デモなどが行われ、そこに巻き込まれて乱闘する少女たち「荒馬団」というのは日本版には考えもよらぬ場面で、これはこれでベトナムらしさを出したところなのだろう。韓国版では7人だった「サニー」の仲間は、日本版とベトナム版では整理されて6人に。韓国版・日本版ではブラック企業で苦労していた「おでぶ」のラン・チーが小規模ながら質屋を経営し、心臓病の娘の手術台に苦労しているという設定で、かつての仲間探しにも下町の隣人たちを総動員してあたるという、少し人情ものっぽい話の濃度が強くなっている??韓国版では主人公ナミ(専業主婦)の未来がどうなっていくのかという不安定さを感じたが、絵が上手で本を書きたいというフォンの未来は「本を書け」と死んでいくミ・ズンに示唆されるし、日本版ではドラッグをやり、傷害事件を起こす同級生が校内であまり問題にもならずにいるという学校事情とか、死んでいくセリカが皆に残していく遺産とかがなんかリアルでなく感じられた(多分それらの社会を知っているつもり?、だからだろうけど)のだが、さすが2000年と1975年のベトナムとか言われると(ちょっときれいすぎでおとぎ話的風景のたたずまいとは思いつつ)リアルでなくても、知らない社会だしなあと思えてしまうのは外国人の悲しさ?あ、もう一つ、韓国版、ベトナム版は「姉御」の余命2ヶ月だが、日本版は1ヶ月。スピード社会日本ゆえか?でもやっぱり1ヶ月ではこれだけの盛りだくさんな話は無理じゃないかなあ…。
ついでに、2012年5月に書いた韓国版の映画日記を以下に…感想はほぼ同じかな?日本版は先月(2018・9月)のblogにアップしました。
(10月25日 TOHOシネマズ六本木ヒルズS9 クロスカット・アジア)

【サニー永遠の仲間たち】

監督;カン・ヒョンチョル 出演:ユ・ホジュン シム・ウンギョン ジン・ヒギョン カン・ソラ 2011韓国

専業主婦ナミは夫にも娘にも小さな不満や不安はあるものの、まあ不自由のない暮らしをしている。母の見舞いに行った病院で、偶然に高校時代の友人チュナと再会。チュナは癌で余命宣告を受けていた。高校時代全羅道の田舎から転向したナミは言葉は方言、新しい学校にもなれず、級友に嫌がらせされるが、それを救い、6人グループの仲間に入れてくれたのがチュナだった。チュナの望みで、ナミはサニーと名付けられた当時のグループ仲間を探し出すことになる。80年代の高校時代の映像と現代とが交互に入り乱れる映画の運びはわかりにくくはないのだが少しうっとうしい感じ。高校時代がけっこうインパクト強くテンポもよく運ばれるのに対し、ナミが友人を探す過程は省略も多く、したがって案外簡単に話がすすみちょっと物足りない。あの少女たちが、今、当時の志と違ってこんな生活をしている、というのがメインになるわけだが、そのあたりがどうも類型的で高校時代に比べると力が入っていない感じなのである。まあ、チュナが死ぬという大事件(これも案外あっさりとおこる)ひとり見つからない仲間(ナミにとっては特に因縁深く描かれる)の存在が後半の「ちから」ということか。チュナの葬儀で最後までグループのリーダーらしい遺言が明かされ、中年になった仲間たちが往年の名曲?サニーを踊る。そこへ・・・・というもう定番的に涙と笑いの終わり方。そのあたりのじんわりさせ方はさすがだが、ナミはこれからどう生きていくのかと思うと、なんかあまり何も語っていない映画という気もしてしまうのであった。(2012  5月24日 渋谷文化村ル・シネマ)


②海だけが知っている

監督:崔永微 出演:ホアン・シャンポー ジョシュア・ジュン フォン・イン 2018台湾 97分 インターナショナルプレミア

台湾東南部、人口約5000人の、蘭が咲く島、蘭嶼を舞台に原住民タオ族の学校に赴任した高雄出身の青年教師が、島の人々に支えられながら原住民の踊りのコンクールに子どもたちを指導しながら出るという話を、両親が離婚、父は高雄にタクシー運転手の出稼ぎに行き、祖母や漁師兼木工業(船造り?)の叔父と暮らす少年馬那恵衛(演じたジョシュア・ジュンは舞台挨拶にも来た、監督が島の子のワークショップで見出した天才少年で、簡潔でわかりやすい中国語の受け答えも印象的だった)の暮らしぶりを絡めながら描く。この少年と祖母の暮らしぶりは祖母を演じたやはり島民女性の実体験に基づくそうで、青年教師役以外は全部実際の島民だというキャストもだから自然?その意味では『太陽の子』(2016レパルス・スミ)と似たところもあるが、外部からの青年教師の成長記という意味ではより平凡?な設定ながら、素朴で地味だが繊細に少年の心情に寄り添っている感じで、場面場面が心に沁みる良さがある。それにしても島民たちは葛藤なしにこの能天気?っぽい(何しろ赴任早々酔っぱらってバイク事故を起こす)青年教師を受け入れ、彼が高雄に行きたいから参加を決める原住民舞踊コンクールにも抵抗を示さず指導に協力するっていうのはこのタオ族のおおらかな抱擁力を示しているのか、とも思いつつ現代ではもうちょっと葛藤があってもしかるべき?とも思わせられないでもないのだが。そこがこの映画の少し眠くなったイジワル視点だ。
          (10月26日 TOHOシネマズ六本木ヒルズS3 アジアの未来)


③音楽とともに生きて(In the Life of Music)

監督:ヴィサル・シック ケリー・ソー 出演:ヴァンダリス・ベム スレイナン・チア ソウナ・カニカ エレン・ウォン 2018カンボジア  91分

2007年のカンボジアにアメリカから親戚を訪ねてくる女性・ホープから映画ははじまる。迎えるのは小日向文世を少し縦に伸ばしたような、とても穏やかな品の良い顔つきをした叔父とその孫。3人はもの売りや物乞いをかわしつつ?赤い自家用車に乗り込み田舎に向かって出発するが途中で車は再三の故障、泊まった宿はことばも通じず設備も悪く、おまけに彼女がずっと回し続けていたビデオカメラのバッテリーを紛失とアメリカ育ちの彼女にとっては苦境の旅を描く。そこにクロスするのは1968年、恋人どうしが知り合うのどかなカンボジア、そして70年代、クメール・ルージュに支配されキリング・フィールドになったカンボジア(ここだけは狭いフレームサイズで息苦しい場面を作り出している)。恋人どうしは別々に強制労働に従事しながら、たまに逢瀬を持つ。娘は妊娠して6カ月。男は、あるとき逃げ出す相談を持ちかけられた密議の最中に兵士たちがやってきて逃げきれず…画面には出てこないが流れから言えば当然処刑されたはず…というわけで3つの時代が描かれそれぞれの場面を、人々の心に沁み込み励ましたり、懐かしまれるものとして60年代の国民的な歌手だったというシン・シーサモットの「バッタンバンに咲くブルメリア』という甘くて切ない恋の歌がつないでいくという構成になっている。母の従妹である叔母とはことばは「少し」しか伝わらないのだが、母が彼女に書いた手紙を渡し、カンボジアでの来し方や母のロマンスを聞き、ホープが持ってきたギターを爪弾きバッテリー探しに奔走してくれた叔父の優しさにも触れ、最初荷物一つ叔父たちに持たせなかったホープは、最後には叔父夫婦の孫にビデオカメラを自由に使わせ、父母の出会った野原で「バッタンバン」を弾き語りする。幼い時にカンボジアを出てフランスに亡命したヴィサル・シックと、タイの難民キャンプで生まれアメリカで育ったケリーの二人の監督にとっては、この映画は単なる1本ではなく、作らずには人生を通り過ぎることができない1本だったのだろうという気がする。
(10月26日 TOHOシネマズ六本木ヒルズS9 クロスカットアジア)


④母との距離(Distance)

監督:ペルシ・インタラン 出演:イザ・カルザド ノーニ・ブエンカミノ テレース・マルバール アドリアナ・ソウ 2018フィリピン  91分 インターナショナル・プレミア

出だし孤独に暮らしている女ひとり、そこに夫が迎えに来る。どういうこと?最初は心がはなれた妻を囲い込もうとする夫の話かとも思ったがそうでもなく、おとなしく5年ぶりの帰宅をする妻。ぎこちなく他人を迎えるかのような二人の娘。それでも下の小学生の娘は少しずつ打ち解けるが、上の高校生?は断固として母と打ち解けようとはしない。いったい何が起こったのだ。それほどまでにギクシャクするにもかかわらず、自分を捨てた妻を必要とするとして家に迎える夫とはいったいどういう人物?と思ううちにだんだんと事情が見えてくる。実は妻は5年前子どもたちから「叔母さん」と呼ばれていた女性(つまり父の妹ということ?)と愛し合い家を出たのだが、相手が病気にかかり喪ったのだということが見えてくる。当時まだ幼かった上の娘はその母の情事を見てしまっていたので、母を受け入れようとはしないが、実は彼女自身も親しい女友達に心を惹かれているのでもある。母リサもその娘の姿を偶然見てしまう。という中でこの映画唯一?の爆発シーン。ワンカットのロングシーンで撮られたこの場面で娘は怒鳴り、母は黙する。考えてみれば感情面ではけっこうドラマティックな設定なのだけれど、全体的には抑制された演技で繊細に静かに感情表現がされていく感じ。最後もあ、なるほどありそう…という終わり方で、カタルシスはないけれどリアリティはあるかな。この女性どうしの恋愛を家族(娘)との視点から描くというユニークなホームドラマを撮ったのは『ダイ・ビューティフル』(2016)のプロデューサだとか。なるほど。
         (10月27日 TOHOシネマズ六本木ヒルズS2 アジアの未来)


⑤それぞれの道のり(Journey)

監督:ラヴ・ディアス ブリランテ・メンドーサ キドラッド・タヒミック 出演:ジョエム・バスコン ナンディング・ジョセフ ドン・メルヴィン・ブーンガリン パート・ギンゴナ カプニャン・デ・ギーニャ 2018フィリピン 118分 

フィリピン映画100年を記念して世界的にも活躍する3人の有名監督がそれぞれ「旅」をモチーフに撮った3本のオムニバス映画。

『Dirt』(ディアス)3ケ月の出稼ぎ労働の給料をもらった男三人、「村人にたかられないように」主街道を避け、森の中で数日の塾をしながら故郷を目指す。3人のうちのひとりアンドレスは仲間のホセに目の敵にされ、もう一人のパウロが仲を取り持つ。森の中で呪いがかけられているという黒い馬を見たと言い、ホセとケンカになるアンドレイ。寝ているアンドレイを殺そうとして辛くも思いとどまるホセ。そんな場面のあと、家に戻って放心するアンドレイ。さて何があったのか…全体的にロングショット、モノクロの画面はなんかおどろおどろしい雰囲気が漂っている。

『Defocused』(メンドーサ)失業中のカメラマン(若い時のレスリー・チャン似の童顔美形)が遭遇したのは土地を収奪されたミンダナオ島農民が首都マニラまで続ける抗議の旅。彼は自らのネタとしてこの行列に付き添い写真を撮り続ける。途中では撮影したデータの売り込みもしながら。その過程で、抗議行動のリーダーにインタヴューをしたり、参加している人々と話したりする場面がドキュメンタリー風につづられていくが、その中で彼の心情に少しずつ変化も生まれていく。最後は旅を終え家にいる彼が、抗議行動のリーダーが暗殺されたという映像をテレビで見てショックを受けるという場面。

『Kabunyan's Journey』(タヒミック)監督の息子カプニャンがオレンジ色のワゴン車を駆ってイロイロまで旅をする。民族的な祭りというか舞踊をみたり、そこで巫女とかにあったり、さまざまユニークなアーティストたちと交流したり。ウーン、これはほぼ完全なドキュドラで、元気のいい時に見たらすごく面白かっただろうなと思った。ただし、今日1日中動き1本と2/3本映画を見た後でいささかくたびれていた。美しい色合いの景色もあって時々眠気を誘われる。それにしてもフィリピン文化って着ている赤系の衣裳も、「ふんどし」(映画後のQAではタヒミック監督と息子のアクター&ドライヴァーと自称するカプニャンさんもその民族衣装であらわれた)も踊りや祭りもなんか台湾原住民文化とそっくりだなあとちょっとびっくり。同じ海の民?だからなのかなあ。
     (10月27日 TOHOシネマズ六本木ヒルズS3 ワールドフォーカス)


⑥武術の孤児(武林孤児)

監督:黄[王黄]出演:金競彰 劉ジーハン 是之 2018中国 121分 ワールドプレミア 

(ネタばれあり)
1990年代、少林寺近くの武術学校に、教頭をする叔父の縁で勤めることになる青年国語教師陸有鴻(ちょっと妻夫木聡系の愛嬌ある目つきをもう少しごつくしたような…と思っていたらQ&Aに出てきた本人、全然違った「たくまし系」でびっくり)、武術第一で学科は軽視されているこの学校で、国語ばかりでなく、教師が逃げ出した英語も数学も持たされ、生徒は唯一張萃山というたれ目の気弱そうな少年(ただし勉強はよくできる、それゆえにこの学校ではほかの子にバカにされいじめのターゲット。海で暮らす一家は泳げない彼をこの学校に入れた。泳げるようになり家族のもとに帰るのが彼の夢)を除いてはまったく聞く耳を持たない生徒や、武術教師に押さえつけられ、なぜか校内をうろうろする足の悪い校長の息子江秦(実はもともとは武術に優れた生徒だったが怪我のために進路を失った…)や、この学校では唯一の女性であるという立場を楽しむ校医(というか養護教諭?)とかに囲まれ、つらいのだけれど漂々と、ときには怒り暮らしていく四季。秋分から寒露、降霜などと各季節の名前がチャプターとして出てきて、一人の老武術家が各地に修行の相手を求めて遍歴する姿が一コマずつさしはさまれる。最初はこの場面の意味は全然分からないのだが、最後に至って実はこれ、陸有鴻が描いた小説の中のシーンだとわかる。なかなかに凝ったつくりだ。作品自体は、そろって武術の世界では落ちこぼれてしまった人々の物語で、最後に彼は教室で生徒に詞の暗唱を命じ、ただ一人できた張萃山をあざ笑い紙礫を投げつける生徒たちに知性を軽んじることでこれからの人生は生きられない、お前たちはブルースリーにはなれないと怒りをたぎらせ、大演説をぶち学校を辞める。その後、この学校を訪れた老武術家は校長と対決し、校長は簡単に倒され救急車で運ばれる。教頭は江秦に次を担うのは君だと耳打ちをする。再三学校を脱走して失敗していた張萃山は学校をまたもや脱走、ひとり池(川?)の中に歩み入り身を沈めてしまう。これって彼の脱走は成功せず彼の夢もかなわず、結局落ちこぼれは落ちこぼれのまま?とちょっと暗澹たる気分になるが、実はこれも陸有鴻の小説の記述なのだとは、Q&Aでの監督の弁。確かに最後寝台車の中でこぎれいな格好で執筆する彼に「先生に感謝」というラジオリクエストが届く(つまり萃山は生きて頑張っている?)のだが、これってちと作りすぎ、凝りすぎではないのかなあ、作品の言いたいことが武侠なのか、その否定?なのかなんかごちゃごちゃとわかりにくくなってしまったようで、作り込みすぎが惜しい感じがした。いっそ萃山の最後の脱走シーンはカットするか、道の果てにどうなるかわからないとい感じで後ろ姿にするとかでも余韻も残り、最後の列車シーンが生きた気がする。
      (10月28日 TOHOシネマズ六本木ヒルズS2 アジアの未来) 


⑦十年

監督:アーティット・アッサラット ウィシット・サーサナティナン チュラヤーンノン・シリボン アビチャッッポン・ウィーラセタクン  2018タイ 93分

香港版『十年』に続く世界的プロジェクト「十年」の1本。こちらは4人の監督のオムニバス作品。全体として「自由が抑圧された世界」を描くことでは香港版とも共通しているが、「十年」というにはいささかファンタジックすぎるというか、ウーン。アビチャッポンはじめ名だたる監督が参加しているみたいで、それぞれが「十年」の域を越えて描きたい近未来の暗黒社会を描いたという感じがする。香港版から離れたいという意図はもちろんあったのだろうが、香港版『十年』は今とつながってすぐ傍にある未来の恐怖だと思うので、そこから離れてしまうと『十年』とは言えない?とそんな気もした。

『Sunset』(アッサラット)ある女性写真家の個展に乗り込み、撮影された笑顔や、泣き顔を人々の心を惑わすものとして検閲する警察官たち。映画はその最も下っ端運転手役の青年警官が会場係の若い娘に気持ちをひかれ、メール交換を申し出るという「禁じられた?」心の動きを並行して描く。モノクロで、4本の中ではわりと地味な作品だが、最も香港版のテイストに近い作品として(そこについての評価は様々だろうけれど)私としては共感というか、作品世界に納得ができた。

『Catopia』(サーサナティヤン)猫が支配する世界(もちろんメタファーだが10年後の近未来というにはちとおとぎ話っぽいかなあ)。身分を隠して2年間潜入してきた人間の若者がつい親切心を出したことから陰謀に巻き込まれ摘発拘束(多分殺害?)される。一方、彼を陥れる働きをした猫の女性も…という、猫の被り物の人間たちで描く「童話的」世界だけに、コワーいコワーい話だった。

『Planetarium』(シリポン)レベッカ・パンをちと丸くしたような顔つきで、ピンクの軍服に身を固めた女独裁者が支配する世界。彼女のスマホ操作で、市民の行動の一々が支配制御され、反したものはピンクのタイをつけた少年兵たちに摘発され殺され?衣類をはがされて宇宙に放逐されるという世界。しかしその世界でも独裁者の女性はじめ支配者の側も決して自由ではないという世界が、ちゃちな、一昔前のSF映画みたいなシンボリックな、メタフィジックな映像で描かれる。しかしピンクで身を固めた女独裁者っていうのはなあ、ジェンダー的視点からはすごく受け入れにくい映画でもある。

『Song of the City』(アピチャッポン)ウーン。これは本当に今とほとんど変わらない未来風景?すでにある元大統領の銅像が見下ろす公園。鼓笛隊のならす行進曲の音、工事で掘り返していたり、そこに集う人の会話、無農薬野菜を作っていると久しぶりにあったらしい知人に喧伝する男とか、楽隊の宣伝をする男、怪しげな機器?を通りがかりの女性にセールスする男とかが淡々と描かれる。10年たっても変わらない?抑圧の世界?なのかしらん。あまりよくわからない。なんとなくアピチャッポン的不思議な静的世界という感じはあるが。
(10月28日 TOHOシネマズ六本木ヒルズS2 ワールド・フォーカス) 


⑧トレイシー(翠絲)

監督:ジュン・リ―(李駿碩)出演:フィリップ・キョン カラ・ワイ(惠英紅)リバー・ホアン ベン・ユエン エリック・コッ(葛民輝)

2018香港 119分 ワールドプレミア

27歳の監督が、51歳、30年間にわたり性の違和感を抱えてきた男を描くというのはすごい力!眼鏡店を営み広東オペラを趣味にする妻と、結婚妊娠した娘、大学生の息子を持つ佟大雄は、ある日高校時代からの友、イギリスに住んでいた戦場ジャーナリストだった陳の死の知らせを受ける。やがて陳の同性の配偶者ボンドが彼の遺灰を葬るために香港にやってくる。もう一人親しかった友達ジョン(エリック・コッが友情出演)とともにボンドを迎えるが、入国審査で同性の夫婦は認められないと遺灰が取り上げられ、佟大雄は娘婿の弁護士に相談する。このときの店に広東オペラを歌う妻が出演するが、同時に佟の若い日のバイト先の同僚だった広東オペラの元花形女形だったダーリンが出演、二人は再会を果たす。彼は女形として男ではなく女を生きてきた人生を語る。実は佟自身も若い日陳に心惹かれ、ゲイであった陳も佟に心惹かれていた。しかし佟自身はゲイではなく実はトランスジェンダーで、自身が男であることに違和感を持ち、ひそかに女性の下着をつけたりして心を慰める一方親の選んだ相手と結婚して一応円満な家庭を築いてきた。彼はその生き方を変えようとは思っていなかったがボンドに自分を偽っていると言われ、より自由になりたいとカミングアウトする。ジョンやダーリンは理解し、喜んでくれた。ある日ダーリンと佟は女装をし、ボンドとジョンと一緒に街に繰り出す。そこでダーリンが倒れ救急車、このとき佟は偶然女装姿を息子ビンセントに見られてしまい、帰宅後妻にもそのことを知られることになる。さてそして・・・・物語は2年後性転換をし、妻子とは離れて暮らす彼(彼女)の姿まで描いている。いや、すごい見ごたえ。ちょっと保守的で娘にも、夫にも断固離婚などはダメと言い張る妻がカラ・ワイで、強くて歌える女性ということでキャスティングされたのだとか。彼女が「世の中をよくするために」断固同性婚に反対するというキリスト教系の活動家に署名を求められて、少し考えつつも署名はしないと意思表明をするシーンはなんかすごく格好良かった。気になるのは、女装してカミングアウト後のダーリンがやっぱり「ダーリン哥(兄貴)」と呼ばれること、そして彼らの女装がやっぱりドラーグ・クイーンっぽいけばけばしいドレスやピンクの長髪のカツラだったりする異性装の描きかたかな。女性に変わった佟が足が痛いと言いながらハイヒールを履いているのも…。字幕のことばがカミングアウトすると「女性ことば」になるのも…。とはいえ、Q&Aで同じように感じたような人の質問があったのに対して、アメリカで「性別研究哲学」を専攻したという監督は、トランスジェンダーや、その性の示し方にもいろいろな人がいて一様ではないのだということを強調していた。つまりその意味では分かっている?映画なのか…。ハイヒールは彼女の個性ということなのかなあ。なお、トレイシー(翠絲の広東語読みに近い英名)は彼女が性転換手術後に名乗る母の名前ということになっている。  (10月28日 TOHOシネマズ六本木ヒルズS2 アジアの未来)


⑨詩人

監督:劉浩 出演:宋佳 朱亜文 2018中国 123分 ワールドプレミア 

最初の露天掘りの炭鉱の青い風景の何とも言えない美しさ、その中にたたずむ妻の赤いマフラーが鮮烈な1点に。その後も家の中などの黒と橙色の陰影、外のブルー系の目に染みるような美しさ、画面の切り取り方など、とってもとっても魅力的な光と色合いの映画だった。物語は炭鉱で働きながら夜間の職業大学に通い、詩を書いては雑誌に投稿する李五と、自らも染色工場で働き有能さゆえの夜間大学への推薦(幹部コースへの道が開ける)を勧められながら、夫の食事を作るためとして自らの道を断る献身的な妻の80年代から、炭鉱を訪れた高名な詩人の影響によって夫婦の関係に亀裂が入る改革開放前夜、そして2人がそれぞれに詩人として地位を得たり、経済的な成功を収める中で、精神的には満ち足りず壊れていく夫と、遠くからそれをいたむ妻とのすれ違いという構図で、中国の社会の動きの中で翻弄される夫婦の姿が描かれる。ここでは詩は仕事の余暇の営みだが、コンクールなどに入賞すれば出世の道も開けるというわけで、80年代90年代の労働者としてのありようとしては特殊かもしれないが、中国古来の科挙・官僚文化からすれば、世に出ていくための王道でもある、とはいえ、それを目指すということはゆるぎない妻から夫への愛と比べ、揺らぐ夫の「弱さ」が気になるのでもある。前半、詩をもって世に出ていきたいと願う夫とさせる妻、しかしその支えたいという心情が高名な詩人やその周辺の人物によっていわば利用され翻弄されていく部分の緊張感に比べ、一応地位を得ながらむなしい思い出日を送る夫の側に焦点を当てた後半は少し、ゆるーい感じで、映画自体が少し長すぎるとも感じられた。
    (10月28日 TOHOシネマズ六本木ヒルズS2 コンペティション) 

⑩はじめての別れ(第一次的離別)

監督:王麗那(リナ・ワン) 出演:アイサ・セヤン カルビヌール・ラハマティ アリナス・ラハマティ 2018新彊ウイグル 86分

30代前半の女性監督が故郷新彊ウイグル自治区の沙雅(シャヤ―)を舞台に描いたドキュメンタリータッチのドラマ。登場人物はみな地元の素人だそうで、出演者の名前から見ると実際の親子や兄弟がそれぞれの家族を演じているようだ。話の中身はどのくらい実際と同じなのか違うのかはわからないが、主人公の少年の聾唖で病弱な母が施設に入るとか、中国語の成績が振るわない少女の一家が中国語学校への入学を決めクチャに引っ越すとかいうあたり、素人が演じるにはなかなか難しそうな設定という気もするし、自然を再現ドラマ風に撮るとするならば、「プライバシー」的な面でかなり危ない?設定という気もするし、ほんとのところどうやってこういう作品が撮れたのかすごいよな!という、「別れ」はあるのだが、それがきわめて情感豊かに描かれる詩情のある作品に仕上がっている。主人公の子どもたちは3人とも(親に似ず)垢ぬけてかわいらしいく、しかも芸達者(「地」とはとても思えない。特に少女の感情を表す表情の豊かさには驚かされる。Q&Aで監督は、彼女をママと呼ぶ少女から電話が来て、成績がビリだった!という話を披露したが、成績ビリ(映画の中でもまあ、そうで、保護者会で親子ともども先生につるし上げられるというシーンあり)とても成績ビリの「愚鈍」な少女とは思えない、一種の天才だろうか…)そういう出演者たちに囲まれ、物語としては少年の、大学に行く兄との別れ、施設に入る母との別れ、そして引っ越していく親友姉弟との別れを淡々と、美しい景色の中で抑制されたタッチで描いて、感情を染み出させるというような、一篇の詩集か絵本を見ているような作品で心に残る。ウイグル族は自治性、独立性が高い民族のように思っていたのだが、その中でも「中国語」ができることが教育上の優先項目になっていること、また、学校の保護者会で勉強(特に中国語)ができないことを、親の意識の欠如、家庭教育の問題として教師が親を非難しつるし上げるというような教育状況の描き方には、これがドキュメンタリー的に描かれたドラマというだけにいささかのショックも感じさせられた。(10月28日 TOHOシネマズ六本木ヒルズS2 アジアの未来) 
                 
映画祭グランプリは『アマンダ』(フランス映画)で残念ながらみていません。
アジアの未来では『はじめての別れ』が作品賞を受賞しました。

⑪プロジェクト・グーテンベルク

監督:フェリックス・チョン(荘文強) 出演:周潤發 アーロン・コック(郭富城)張静初 廖啓智 2018 香港 130分

さすがの香港アクション・ミステリー、配役も周潤發にアーロン・コック、張静初を配するという豪華さで、まあ見ごたえがある? 物語は、ある売れない画家レイが贋作に手を染めたことから黒幕「画家」(この名も実は伏線だったと後で気づく)に引き込まれ偽札づくりの一味にいやいやなる。捕まって刑務所に収監されていると一人の女性が現れ、「画家」の情報を明らかにすれば外に出られるといういわば司法取引が申し出られるところから話が展開。彼が語る「画家」との日々ということで過去の生活や犯罪が語られていくという形式。そして彼は出獄するわけだが、報復にあらわれると思われ実際にやってきた警察官に扮した「画家」が実は単なる下っ端警察官の人違いだった、というところから話はどんでん返し、実は実は、ということでレイや現れた女性やの素性が明らかになり,レイが語った物語が再度フラッシュバック的に繰り返されて行き、最後は?というところで、気弱でいやいや悪事に巻き込まれていくレイと、ヘアスタイルも変わり悪の権化みたいな酷薄な「画家」との一人二役がアーロンの面目躍如の入れ替わりもの。映画でなければできないような(ビジュアル依存だから小説にはしにくいだろう)作品なのだが、それだけに入れ替わり?のからくりが見えていくあたりからはちょっとフェアじゃないな、というか内容よりもこのビジュアル入れ替わりによってのみ興味を引き付けているという感も付きまとうのではあった。もっとも、最初のあたり刑務所内で大胆にまわりを引き込み外との連絡を計るレイというのが前半のレイの気弱さとちと違うと思わせるような描き方や、酷薄非情な設定ながらあまりそうは見えない周潤發の雰囲気などもなどもあとから思えばちゃんと伏線になっていて、そのあたりでは大変よくできている気がする。
(10月31日 六本木EXシアター ワールド・フォーカス))

⑫ブラ物語 

監督:ファイト・ヘルマー 出演:ミキ・マイノロヴィッチ パス・ヴェガ チュルバン・ハマトーヴァ ドニ・ラヴァン

2018ドイツ・アゼルバイジャン 90分

セルビアの名優(『アンダーグラウンド』とか)ミキ・マイノロヴィッチがアゼルバイジャン・バクーに住む電車の退職間近な運転手。後任はドニ・ラヴァン。電車は両側を家に囲まれた狭い路地のような線路を走る。街のホテルの犬小屋?に住みお茶の給仕などをしている10歳ぐらいの少年(孤児?)が電車の前ぶりでホイッスルをふきながら線路を走ると、人々は線路上に干した洗濯物を取り込んだり、出していたテーブルや、仕事などを片づけたりというのは、世界の下町?で時々見るような風景だが。取りいれそこなったりした洗濯物が電車に引っかかると、運転士は持ち主に届けたりする。ある日引っかかったのは1枚のブラジャー。一度は捨てたが、思い直し、退職した彼は記念に釣り道具などをもらうが釣りにもなじめず、街のホテルに部屋を取って、電車の運転台から除いたブラジャー姿の後ろ姿を思いながら持ち主探しを始めるという話。あとは様々な女性たちのさまざまな反応と、それに対する元運転士の姿が大真面目なのだが、ちょっとコミカルな雰囲気ももって描かれる。協力するのは例の孤児の少年。そしてそうこうしているうちに女性たちの夫たち(これがみんな丸坊主風で不穏な雰囲気の持ち主ばかり)が乗り出し、とうとう彼は捕まえられて袋叩きに会い線路に鎖で縛りつけられる。さあ、どうするか…。少年の活躍?で最後はめでたし、めでたし、ブラの持ち主も見つかり少年と手をつないだ運転士が、羊のいるバクーの村を目指して帰っていく。話の展開がどうこうというより、一種のおとぎ話だが、人を求めるさりげない愛みたいなものが画面に満ちている感じで、しかもブラの女性たちの妖艶さとか、おとなの雰囲気も漂って複雑な情感もあって、シンプルだけれど素敵な逸品。Q&Aではバクーでは撮影禁止の憂き目にあい、隣国ジョージアに逃げて撮影が続けられたという話もあり、でもこの村の何とも穏やかで美しいたたずまいは心に残る。笑い声とかはあるが、セリフは一言もなし。それゆえにことばの異なる様々な国の役者も違和感なく共演できるというわけだ。
Q&Aにはミカはアメリカで演劇出演中とかで来なかったがドニ・ラヴァン(饒舌!)や女優陣たちがずらりと並び壮観だった。この映画撮影禁止やなにやかやのメーキング・ドキュメンタリーもあって他国の映画祭などに出品されたらしいが、来年山形にでも来てくれたらいいなあ…と思う。
 (10月31日 TOHOシネマズ六本木ヒルズS2 コンペティション)

⑬冷たい汗

監督:ソヘイル・ベルラギ 出演:バラン・コーサリ アミル・ジャジャディ サハルド・ラトシャヒ 2018イラン 88分 インターナショナル・プレミア

イランのフットサル代表の女子選手が、クアラルンプールでの国際戦決勝に勝ち進むが、夫の出国禁止により主将が国外に出られなくなる。試合までは4日、その間の主将本人や、まわりの動きを描く、7年前の実話ベースの物語。夫の許可がないと海外旅行もできないという法律そのものに驚くが、そのことが明らかになると、TVのキャスターをやっている夫(いかにもソフトな現代風、しかしかなり酷薄そうな雰囲気もあり、物語展開上ではあるがスマートないやなヤツ)は連絡を絶ち、チーム(連盟側)の担当者は夫に謝って自分で状況を打開せよという、夫婦はすでに1年前からうまくいかずに別居中、しかし妻が住む家は夫の持ち物で、そこに同じチームの同僚と同居していることがスキャンダラスに問題化され、つまり妻の暮らしぶりの非ばかりが夫だけでなく周囲からも問題視され、弁護士も本人から見れば売名行為としか見えないようなやり方で情報を拡散するだけで実質的な役に立たず、ようやく夫と話し合いの場がもて、彼女は大嫌いな水タバコを夫の強いるままに合わせて喫し(この後の歯磨きシーンが秀逸)言うことを聞いて調停に持ち込み、離婚するときは慰謝料を放棄するという約束と交換に出国禁止の取り消しの同意を得るが、役所を出たとたん夫は「同意は実行とは別だ」と同意書を破る。まあ何と言うか!あげくに彼女の留守中家に乗り込み自分の借りた家だからというわけで家財道具を持ち出し、彼女を身一つ(というか車1台)で放り出す。一方、一応は夫を説得しようとするフットサル連盟側も夫には歯がたたず、最初は同情的だった監督(生活指導?チャドルに身をつつみ、選手の服装や態度を常に監督している)も彼女を非難する側に。そしてとうとう、彼女はチームを解任されクビになってしまう。まったくもって身も蓋もないかわいそうな話なんだけれど、この映画、検閲の嵐の中で監督は抵抗、1つ2つのセリフのカットはあったものの、ほぼ意図通りに公開でき、宣伝は禁止されたが口コミやSNSでヒットにつながり、女性議員連盟などが法改正の力としてくれているという、その状況そのものがうれしいと感じられる。ちなみに、弁護士もだが、本人もSNSで自分の状況を世界に訴え、夫はやや古いメディアのTVの「古き良きイラン」とかいう伝統価値を重んじる番組のメインキャスターで、多分イラン男性としてもおしゃれで現代的風(実は古い価値観にある)、彼女は映画の終わりでその夫の番組放映中の視聴者参加の電話で彼の欺瞞性を告発するというきわめて現代的なメディア社会の出来事として描かれるアンバランスが設定として生きていると思われた。サッカー試合に女性は入れないという映画(『オフサイド』があったが、その状況は今でもあるのだそうだ。フットサルの選手も髪をつつみ、長そで長タイツできわめて暑苦しそうな格好で試合をしている。
(11月1日 TOHOシネマズ六本木 アジアの未来 インターナショナル・プレミア)


⑭家族のレシピ

監督:エリック・クー 出演:斎藤工 マーク・リー 松田聖子 ジャネット・アウ 伊原剛志 別所哲也 2017日本・シンガポール・フランス 89分

2016年の日本・シンガポール国交50年を記念して作られた、食(パクテー+ラーメン=ラーメンテー)が両国をつなぐという家族の物語。家族の秘密?もからめて涙も笑いもあり、最後はめでたしめでたしでまとまりのいい仕上げになっている。主人公真人の両親の結婚を受け入れない母が日本占領中の昭南島の悪夢に縛られ日本人の娘婿など許せないというのも、祖母自身に語らせず、孫の真人がシンガポールの歴史を探索しながら知っていくという形になっているのがよい。ただし…斎藤工扮する真人、日本人の父とシンガポール人(中華系)の母の間に生まれ10歳までシンガポールに住んでいたという設定、つまり当地で小学校にも行っているはず、華人の友達もいたはずにしては中国語を「マンダリン」とか言って、全然しゃべれないのみならず、華語を使う日本人に驚いたりするのはちと不自然では?、そして母が死んで失意の父がシンガポールの店を畳み息子を連れて日本に帰る、という場面?があるのだけれど、母と息子が高崎で撮った写真もあり、で、妻の母に結婚を受け入れられなかった両親夫婦がどこでどんなふうに結婚生活を送り、息子はその間どう暮らしていたのか?なんかイマイチすっきりわからないのは両親の苦労を描く意図的なものなのか、それとも私の理解力に問題があるのかイマイチわからん…。、2度見たいというほどの映画でもないのだけれど、3月劇場公開されるそうだからこれは見て確認しなくてはと思わせる商業的戦略かしらん。左右色違いのソックスを履いてQ&Aにあらわれた斎藤工氏もなかなかに饒舌でした。役者っていうのはよくしゃべる人、なんだな…。(11月1日 TOHOシネマズ六本木S7 ワールド・フォーカス特別上映) 

⑮ワーキング・ウーマン

監督:ミハル・アヴィアド 出演:リロン・ペン・シュルシュ メナシエ・ノイ オシュリ・コーエン 2018イスラエル 93分

文字通りのセクシャル・ハラスメントに立ち向かう女性を描いたイスラエル映画。夫が新しい店を開くが軌道に乗らず、家計を助けるためにあるディベロッパーの秘書として雇われることになったオルラ。彼女は有能ぶりを発揮して業績を上げていくが、雇い主のベニーはそんな彼女を「かわいがり」顧客との話し合いでの服装や髪型を指示するところからはじまり、仕事がうまくいくとキスを迫る。この時は拒んで逃げ、ベニーは謝ってそういうことは2度としないというのだが…。さらに仕事が発展して2人はイスラエルの海岸のマンションをユダヤ系フランス人に売るためのプレゼンに出張。この時も彼女の活躍もあり、25件のうち8件が売れたというような業績が上がった夜、事件が起こる。レイプされかかっても固まってしまい拒めず、母には「忘れて何もなかったことにしろ」、夫に打ち明けても「自分が誘う気持ちもあったのだろう」と疑われ、雇い主は居直りさらに迫ってくる。彼女はこの仕事をやめ職探しを始めるがベニーのところで実績を上げてきたことはベニーに気をつかう業界の中では障害になりこそすれ得にはならない。八方ふさがりの中で「自分はバカだ」と自分を責めつつも彼女がとった起死回生への闘い方は…。映画終了後のQ&A、登壇したのは弁護士でもあるという脚本のシャローン・エヤール。「オルラが上司にレイプされた時に着ていた服を処分してしまうのは、証拠を消してしまうことになる。警察に届けるべきではなかったか」「弁護士や女性団体、労働組合に相談して対処するという選択をさせなかったのはなぜか」「社長の妻に彼のセクハラを暴露して報復することもできた」というような質疑に一々丁寧に答えてくれる。こういう発想を持つフロアの若い女性たちには意識の高まりも感じ心強くもあるが、それができない、やる人間は彼女に仕事を与え、チャンスを与え、主婦だった彼女の力を開いてくれた人物でもある、面と向かって抵抗することが職を失い生活を失うことにもなるというのがセクハラの本質であろう。社長の妻もいる場所で、彼女が次の面接に出す、自分で文面を作った推薦状へのサインを迫るというやり方は、社長の告発や、問題の根本的解決にはつながらないが、彼女の自立への一歩とはなるという描き方だと思う。また会場からは若い男性の「出てくる男がみんなだらしない、だめなヤツばかり」という批判があったが、どうなんだろう。社長の性的なだらしなさはともかく、彼も仕事面でも有能、内心はともあれ女性が働くことへの理解も示すし、夫も妻を理解できないという面はあるが、自分なりの仕事に励みつつ、妻の仕事を理解協力しようとはするし、子育てや家事もいとわずやっているし、普通の男として描かれている。そういう男でも理解できない、というところがセクハラ問題のポイントでもあると思うのだが。その意味では司会の石坂健治氏の「自分の中にもベニーがいないか、振り返ってしまった」という発言はさすが、と思った。
(11月1日 TOHOシネマズ六本木 ワールド・フォーカス イスラエル映画の現在2018)

⑯まったく同じ3人の他人

監督:ティム・ウォードル 米2018 97分 

1980年、大学に入学した19歳のボビーが新学期、学校にいくと、皆に親し気に声をかけられる。不審に思うと前学期までこの大学に在学したエディという青年と瓜二つなのだとのこと。しかも誕生日も同じでともに同じ会社を介して養子になったことがわかる。同級生の友人の仲介でボビーはエディと再会し、双子だと確認、それが新聞に報じられることになる。するともう一人その新聞を読んだそっくりさん、デヴィッドが名乗り出て、3つ子は再会、メディアにももてはやされることになる。と、このあたりまでは能天気気味な不思議な再会話で関係者の談話や当時の写真や動画(TVに出演したり映画に出たりもしているので映像はたくさんあるらしい)で綴られていくがそのうちに話しがだんだん苦味を帯びてくる。1つは、3人は一緒に事業(店)をはじめ最初は順調だが、そのうちだんだん考え方や感覚の差があらわになって、ボビーはこの事業を抜け、もっとも陽気で外交的でつまり3人の関係をもっとも楽しんでいた?エディは心を病み、自殺してしまう。さらにそのような精神的な傾向が実は彼らの海の母にも起因するものであった?疑いとか、そこから彼らがある実験的なプロジェクトの被験者だったのではないかという疑いが現れてくる。1960年代、あるフロイト派の心理学者が、実親が育てられない一卵性の双子や3つ子を、全く環境の違う家庭に別々に養子に出しその後の生育状況を経過観察することにより遺伝と環境が人間に与える影響を調べようとした、3人もその被検者だったということがわかってくる。後半はそれとは知らされずに実験に協力させられた彼らの親たちや、このプロジェクトを告発したジャーナリスト、そして実勢に実験に立ち会ったりその周辺にいた研究協力者たちの発言中心に(そしてずっと続けてボビーとエディの発言も)同じ被験者だった女性の双生児も登場して、深刻な問題としてこのプロジェクトとその結果がイェール大学で封印され2066年までは公開できないことになっているというようなことまで含め告発されていくわけである。すごくまじめで深刻なテーマを含んだ告発映画であった。遺伝と環境ということで言えば、エディの死が遺伝的性質によるものならば、他の2人も常に同じ危険性にあるわけだし(実際にチラリとそういう恐れのセリフもある)、環境の問題だとすればそのような環境を与えた養親の責任が問われてしまう(これも実際にそれをも疑い慚愧を語るエディの老いた養父が出てくる)わけで、どちらに転んでも傷つくものがいる、映画は遺伝と環境双方によって決まっていくという論調になっていくのは当然だと言えよう。(11月2日 TOHOシネマズ六本木S2 ワールド・フォーカス)

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