【勝手気ままに映画日記】2018年7月

①空飛ぶタイヤ②パンク侍 斬られて候③返還交渉人 いつか沖縄を取り戻す④マンダレー・スター⑤フロリダ・プロジェクト⑥さよなら僕のマンハッタン⑦バトル・オブ・セクシーズ⑧ファントム・スレッド⑨SUKITA⑩志乃ちゃんは自分の名前が言えない⑪QUEER×APAC APOFFA傑作選20018⑫北朝鮮をロックした日 ライバッハ・デイ⑬菊とギロチン⑭マルクス・エンゲルス⑮私はあなたのニグロではない⑯三十二⑰ハンソロ⑱男と女、モントーク岬で⑲ルイ14世の死⑳サバ―ビコン 仮面を被った街    


日本映画①②③⑨⑩⑬ 中国語圏映画⑪の一部⑯ 


①空飛ぶタイヤ

監督:本木克英 出演:長瀬智也 ディーン・フジオカ 髙橋一生 深田恭子 小池栄子 笹野高史 寺脇康文 阿部顕嵐 ムロツヨシ 中村蒼 浅利陽介 岸辺一徳  2018日本 135分

池井戸潤の小説を原作に大企業のリコール隠しに立ち向かい告発する人々とその事件経過を描く。トレーラー脱輪人身事故で窮地に追い込まれた運送会社の二代目社長、赤松徳郎(長瀬智也)は事故の原因は製造元のホープ自動車の側の問題ではないかとホープ自動車のカスタマー戦略課課長・沢田悠太(ディーン・フジオカ)に資料を出すように請求、これを最初は相手にしなかった沢田だが、車内の品質管理部にT会議という秘密の集まりがあることを知り、その解明を志す。一方ホープ自動車から巨大な融資を求められたホープ銀行の本店営業本部・井崎一亮(高橋一生)も3年前にもリコール隠しがあった銀行の資産管理に疑問をもち、その業績を調べていく。それぞれの動きや敵対するホープ自動車幹部の側(岸辺一徳が凄みのある態度とウェーブヘアのメークで品もない悪にして大物感をだしている)をが事故を追っていくさまを正攻法で描いていく。それぞれの立場での点としての動きが最後につながり、ホープ自動車の二度目のリコール隠しが明らかになる。赤松運送の従業員たちや、赤松が自分の足で回っていく地方の、やはりホープ自動車で事故を起こした運送業のメンバー、とかホープ自動車社内の沢田に協力する盟友たち、井崎を支持する上司や彼らに協力するジャーナリスト、また事故を調べる警察官などが過不足なく描かれて点がつながっていくための力が示されているところが納得(ただし少し理想的過ぎるかも)。それに対する巨悪の方はといえば岸辺の大物感に集結してしまっているようで、人としてよりは制度しくみとして主人公たちを圧迫しているように見えるのは、社会悪の追求に少し腰が引けてしまったとみるべきか、それともこれこそ現実(圧迫する側も個人ではなく歯車にすぎない)と見るべきか。(7月2日 府中TOHOシネマズ)

②パンク侍 斬られて候

監督:石井岳龍 出演:綾野剛 豊川悦司 染谷将太 北川景子 浅野忠信 東出昌大 村上淳 若葉竜也 國村隼 渋川清彦 近藤公園 永瀬正敏 2018日本 131分

町田康の原作、宮藤官九郎の脚本、監督は石井岳龍といえば、これはもう見るっきゃないでしょうという気たい作品で、うーん、私は原作にはついていきかねるところがあるのだが、そのついていきかねる感がちゃんと出ている映画ではあった・・・。豊川、浅野(妙ちくりんぶりも含め)、村上、國村、渋川、北川あたりはまあ、予想にたがわぬ普通の?演じ方であり好演。若手では染谷将太のはっちゃけぶりというか、恥じらいもない外しぶりがなかなかすばらしい。東出もま、わりとイメージ通りの方向ではあるが融通の利かない正論好きの殿様というのははまっていてがんばっている?で、まあ主役は綾野剛だが、ウーンこれもまあ彼らしいんだろう。へんてこりんでいい加減な、滅法腕の立つ浪人というわけで他の役者も含め概して役者の集中ぶりがすごくて成り立っている映画という感じはある。だけど小説にわりと忠実な?脚色ぶりのせいか、荒唐無稽な話のセリフが意外に理屈っぽいところもあったりして、それと物語のテンポが思いの外スローペースで、中盤辺りで少々眠くなった・・・これは体調のせいではなく、時間のせいでもない。なんでかな・・・目を引き込むような現代と歴史が混じったような舞台設定でありヴィジュアルでありそれこそパンクだし、下ネタも満載なんだが、わりとスローテンポでそれが延々と続いたせいかもしれない。(7月3日 府中TOHOシネマズ)

③返還交渉人 いつか沖縄を取り戻す

監督:柳川強 出演:井浦新 戸田菜穂 中島歩 佐野史郎 大杉漣 尾美としのり チャールズ・クラバー 2018日本 100分 

NHKドラマ(前に見たと思う)の映画化。1972年の沖縄返還に関して、核兵器の撤去とベトナムへのB52の出撃拠点にさせないという外交交渉を担った北米一課課長千葉一夫を描く。頑固に理想を説き交渉に邁進したという伝説的な外交官だが、やはり官僚の立場としては映画に描かれただけでもハッピー・エンドとはいかず、B52配備がなくなったかわりにファントムが飛来し、関東圏の米軍基地は減ったものの、沖縄の基地はなくならず(2017年全国基地の70%が沖縄に)、彼自身も4年の交渉ののち、モスクワの大使館総務といういわば一線からの撤退的立場に追いやられという(実際だから仕方がないが)映画的カタルシスはないんだけれど、中央官僚でありながら沖縄に何度も足を運び地元の人の声を聞き、その立場に立とうとした部分が強調される。まあ、そういう描き方をするしかないかも…。石橋蓮司の屋良朝苗がいい感じ。ところで夫の留学時にはともにアメリカに行き、英語も達者で、家庭内にあって「私に何でも話して」と頼もしいことを言い、ときに夫を強くいさめるといういわば良妻賢母の象徴みたいな描き方をされる千葉の妻、これも当時としては「現実」だったのだろうが、今の眼で今の役者である戸田菜穂が演じているのを見ると、なんか違和感だなあ…(演技が下手とかいうことではない。うまくて格好良ければそれだけ、なんかそういう家庭像を称揚する立場が強調されるようで)。(7月5日 ポレポレ東中野)

④マンダレー・スター

監督:川端潤 撮影・取材:万琳はるえ 2018日本 92分 

まったくみる予定がなかったレイトショー(夜9時開始、トークショー付き)だが、前の映画を見終わって出てきたらロビーに結構待っている人がいて、そんなに人気映画なのということと、夕飯も済ませていたので、特別売り出しのミャンマー・ビールにひかれ急遽鑑賞。おまけにチケットには映画で演奏される曲を収録したDVDがついてくるというサービスぶりに驚く。話はミャンマーの伝統音楽を演奏するサインワイン楽団の歌姫ピューちゃん(16歳~19歳くらいまでの2~3年を描く)を中心に、撮影・取材の万琳と、ミャンマー人のコーディネータ兼通訳のミンちゃんが、楽器や、楽団やを追ってマンダレーを探訪する数年間を描いたドキュメンタリー。2人は2人だけで「偶然」をも利用しながら取材をしていき、ピューや、途中でなくなってしまうその父親などとも接触してインタヴューなどもしていて、この映画での監督の位置づけって何?とちと悩む。編集しているということか?サインワインは21個の銅鑼を連ねた楽器で、その周りを他の楽器も合わせ木彫り金箔張りの枠で囲んでキラキラの舞台を作る。そこに家族や周辺人物で作る楽団が演奏し専属の「コメディアン」が司会や漫才をしてピューやその弟は演奏もし歌い、他に専属ん歌手や楽器の弾き手もいるという家族構成の楽団で、祭りなどに行って演奏すること年間200回というプロ楽団だ。楽団の長であった父が病に倒れなくなって、16歳の子どもっぽかったピューが、いわば楽団を背負うことになり見る見るうちに成長しオーラを発揮してスターになっていくのも見もの。映画としては楽器探しとか製作の家庭とか、何回かのミャンマー訪問が地元の人々の様子も含めて断片をつなげるように描かれるので、少し冗長な感じもしないではなかったが、この地域に流れる時間や、その中でのエピソードを重ねていくという意味ではまあ、なるほどというリズムなのだと思えた。(7月5日 ポレポレ東中野)
 

⑤フロリダ・プロジェクト

監督:ショーン・ベイカー 出演:ウィレム・デフォー ブルックリン・キンバリー・プリンス  ブリア・ヴィネット  2017米 112分  

ディズニー・ランドの隣?に位置する安モーテルに住む若い母と小学生(中学年くらい)娘、そのモーテルの管理人をする男のひと夏。中盤すぎまでさしてドラマがあるわけではなく、母は求職して仕事を得られず、社会保険でも救われず、香水を仕入れて行商というか売り歩くと、その敷地の管理人から追い出されとうとう売春に手を出す・・その間に隣人や管理人とのごたごたもあり、娘は娘で近所の子どもたちとつるんで、遊び歩き、買い食いの小銭を他人にねだったり、空き家に入り込んで遊んだり夏休み(なのか夏が終わっても学校には行かないのか)たくましく楽しそうに生きているという感じで、これも管理人にひそかに心配されていたりはするが、むしろものともせずという感じ。中盤に至り、娘とその男友達が入り込んだ空き家でトラブル。その結果仲がよかった男友達の母(ウエィトレス)と母は絶交、息子とも遊べなくなり娘は別の女の子といつも一緒にいるようなる。男友達の母の密告?から母親の売春稼業がばれ、ある時警察や児童保護局の人々が摘発に来る。さてそこで親子は…というわけで暑いフロリダの風光の中で母子の窮乏生活が、しかし少しも深刻そうではなく描かれる(これはやっぱり演じる二人の力だろう。じめじめしていないのがこの映画のいいところだ)。でも、明るく彼女たちがものともせずに笑ったり、おしゃれをしたり、漂々としているので、いささか映画世界が単調に見え時間が長く感じる。あ、長く感じさせるというのはこの明るい深刻な夏の特徴を観客に感じさせる仕掛けなのかも…。ウィレム・デフォーは見事な普通のオジサンぶりで二人やモーテルを見守り、ときに翻弄され、それでも住人たちを心配する、寡黙で見かけはけっこう強面(デフォーだからね)の、ちょっと今までに見たことがまいような役柄だけど、印象深く、さすがに映画を引き締めている。  (7月6日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館) 

⑥さよなら僕のマンハッタン(THe only Living Boy in New York)

監督:マーク・ウェブ 出演:カラム・ターナー ケイト・ベッキンセール ビアース・ブロスナン シンシア・ニクソン ジェフ・ブリッジス 2017米 88分

ニューヨークを知らないと、主人公イーサンの苛立ちやもどかしさはわからないんじゃないかなあ、とニューヨークを全然知らない私は最初の方の彼の目に映るマンハッタンや、家族のディナーシーンでの会話がイマイチ入ってこない。ということで、出版社重役で息子の生き方を理解してくれないと感じている父からは離れたいが神経症的な母(シンシア・ニクソン)を心配し、家から離れつつ、近くに住むという中途半端な青年(作家志望らしいが、スペイン語の個人教授などはしているものの自分で食べているのかしらん??)が父の浮気シーンを発見、ストーカーまがいに相手の女性を追いかけるが、逆襲されて自分のほうが彼女のとりこになってしまうというようなところから。このなんだかオタクっぽいしかっりしろよ系の青年、一度ベッドをともにした恋人?(でも彼女には別に相手がいるらしい)との関係にも悩み・・・という中で同じアパートに越してきたこれも何をしているのか正体不明の中年男に迫られ?(でもそういう感じ)彼に悩みを打ち明けるようになる。で、後半父の出版社のパーティで、全員が一堂に会し、イーサンは二人の彼女に去られ、父の会社に乗り込んで父ともいさかい、そこで父の彼女から1枚の写真を見せられ、「事実」がバラバラとほどけて、ちと一皮むけるというわけだが、この事実がなんかご都合主義的に嘘くさく、えー、こんな終わり方!というようなものだった。原題はサイモン&ガーファンクルの曲名で、隣家に住む謎の男WHが書く小説の題名でもある。その小説には多分、彼が隣に住んだ理由も書かれているというわけで、こういう凝り方ってなんかあまり好きにはなれない。ドラマティックと言えばドラマティックなんだろうけど… (7月6日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館)

⑦バトル・オブ・セクシーズ

監督:ジョナサン・デイトン ヴァレリー・ファレス 出演:エマ・ストーン スティーブ・カレル アンドレア・ライズボロー ビル・プルマン  2017米 112分 

1972年全米1位の女子テニス選手ビリー・ジーン・キング(昔「キング夫人」としてなじみがあった…)は、全米テニス協会に女子選手の賞金が男子の8分の1であることに抗議し協会を脱退、あらたに女子の協会を立ち上げる。そこに「男権主義者のブタ」と自称し、55歳の男性シニアのボビー・リックスが「女は男に勝てるはずがない」と試合を挑むという話。これだけだと、バカみたいなあらすじだが、協会のトップ、ジャック・クレイマーの「男の賞金が女より多いのは男が家庭を養っているからだ」というようないかにも70年当時の暴言からはじまり彼女たちがさらされたひどい差別的な言辞とか(とはいえ、強い女たちがモデルなので、弱者差別という印象ではないが)夫がいるが、女性美容師に心惹かれ引き裂かれ悩むキングとか、賭け事への依存から抜け出せず妻に愛想をつ課されて、崖っぷち状態の中で、自らを「男権主義者」の道化としてことさらに、いやらしさを振りまき試合もバカにしているような態度でいながら、やがて戦う中で、キングにある種の敬意をもつという複雑なボリー・リックスをそっくりに扮したスティーブ・カレルが演じて妙ということとか、テニスの試合シーンがロングショットで、本物の試合のようにしっかりと撮られていることとか、なかなかの見ごたえで、「時代」を学ぶ・・・でも今も差別の本質はそんなに変わらず、強い女ならば浮かび上がれるという構造は変わっていないのかもしれないが・・・という意味でも見ごたえのある映画。(7月7日 立川シネマシティ1)



⑧ファントム・スレッド

監督:ポール・トーマス・アンダーソン 出演:ダニエル・デイ=ルイス レスリー・マンヴィル ヴィッキー・クリーブス 2017米 130分 

うるさくわがままな著名デザイナー・レイノルズと彼をマネージメントする姉、その工房に彼に見初められてお針子兼モデルとして入りつつ、彼の愛人になる女性アルマの三つ巴の関係。アルマは彼を独占すべく、彼女の姉に対抗しつつ(歯も立たないが)ある種異常な決断をし、レイノルズは結局そこに引きずり込まれていく。これは才能(仕事)か愛かという問題でもアルノだろうな。ダニエル・デイ=ルイス(引退作とか銘打つのはいやらしいけど)の酷薄な暴君にして繊細な芸術家の演技もさることながら、姉のレスリー・マンヴィルの静かな凄み、そしてヴィッキー・クリーブスの美しいのだが、あごのあたりのずぶとさを感じさせる量感(ちょっと品がない感じなのだが、これが役柄にはぴったり)なんか衣裳はもちろん、すべて細部にまで行き届いたビジュアルがこの薄気味悪い心理ミステリーの世界を美しく支えているのがすごい。(7月13日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館)


⑨SUKITA

監督:相原裕美 出演:鋤田正義 布袋寅泰 ジム・ジャームッシュ 山本寛斎 永瀬正敏 糸井重里 リリー・フランキー 細野晴臣 坂本龍一 髙橋幸宏 クリス・トーマス ポール・スミス 2018日本 115分

デヴィッド・ボウイはじめ内外のアーティストを撮影し、彼らから絶大な信頼を誇る写真家鋤田を、本人を含め内外の被写体や、関係者がこもごも語るインタヴュー。要は彼が被写体に対して愛を持っているのだということがそれぞれに言葉を変えて語られるという感じで、間に挟まれる彼の撮った写真軍はさすがの見ごたえがあうのだが、映画そのものはいささか食傷というか115分でも少し長いなアという感じも…。(7月13日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館)



⑩志乃ちゃんは自分の名前が言えない

監督:湯浅弘章 出演:南沙良 蒔田彩珠 萩原利久 奥貫薫 原作:押見修造 2017日本 110分

家の中では大丈夫なのに外にでると吃音で特に母音から始まる自分の名などはいうのが大の苦手の「大島志乃」のつらい高校入学。同じクラスになるミュージシャン志望にもかかわらず音痴の少女加代(歌の音程は取れないにもかかわらず、ギターを弾き作曲もする、しかもミュージシャン志望の少女というものがはたしてリアルに存在するかは疑問。とはいえ、その性格造形と演じた蒔田彩珠(あじゅ)のちょっとすねたような意志の強さとにもかかわらず柔軟な心性を演じるリアルさに支えられてこのドラマ成り立っている気がする)がバンド「しのかよ」を組み文化祭出場をめざして歌うが、空気が読めないお調子者実はいじめられっ子でこれも孤独な少年の介入によってバンドが崩壊。それにもかかわらず踏み込まないけれど語り掛け、音痴なんだけどひとり文化祭で歌う加代-最後になっても3人の関係は具体的には修復されずバラバラなのだが、それにもかかわらず希望を感じさせるという秀逸な終わり方。沼津当たりの海と、街と、ちょっと霞むかのような距離感をもって彼らを切り取るアングル、とてもとても印象的な映画。主役二人が美人過ぎなくていかぬもそのあたりにいそうなビジュアルというのもいい。まだ高校生が携帯を持たない1990年代ぐらいが部隊のよう。呼んでいないけれど原作はコミックらしい。7(月14日 新宿武蔵野館)


⑪QUEER×APAC APOFFA傑作選20018

『新入生』(First Day)監督:ジュリー・カルセフ 2018オーストラリア 18分

『言葉にできない』(Sisak)監督:ファラーズ・アリフ・アンサリ 2017インド 1

『繭』(Cocoon) 監督:梅リーイン 2017中国 26分

『LOOKING FOR?』(你找什么?)監督:周東彦 2017台湾 61分

『新入生』トランスジェンダーの「少年」が初めて少女ハンナとして登校する中学校。多目的トイレの使用を言い渡されてなやむが、友達もできて学校になじみ始めたとき、小学校時代自分を男の子と知っていていじめていた子に構内で遭遇する。夏でも長袖のその少女も何か悩みを抱えての登校らしい。さあどうするか・・・ハンナの決断はちょっと理想的過ぎるかもしれないけれど勇気を感じさせられ励まされる。『言葉にできない』同性愛が犯罪とされるインド・ムンバイの電車内が舞台。民族衣装風の若者と、ビジネスマン風の男の出会いと、無言のままに毎日の電車の中でその関係が少しずつ深まってく様子が繊細に描かれる。金属ポールだらけの明るく無機質な感じの電車内での二人の男の息遣いが印象深く伝わってくる。『繭』1997年香港返還のころの武漢。深圳や香港に出張がちの父の留守、母とダンス教師の女友達の仲を知る少女。彼女もクラスメートの少女と友情とも恋ともつかぬ関係を深めつつ、母への抵抗感とそれにもかかわらずその恋を父からは隠そうとする微妙繊細な感情が描かれる。『LOOKING FOR?』自らもゲイである監督(ちょっと横顔レスリー・チャン似)が60人?ほど台北、北京、ソウル、ニューヨークのゲイの男性たちにアプリによるカジュアルセックスとか、恋愛観などなどをインタヴュー、あいまに演劇風につくられた彼らの生活や性を表すような部隊場面がちりばめられる。うーん。まあ、彼らの饒舌とエネルギーには驚かされるが、まあちょっと長く感じないでもない。意欲的なドキュメンタリーではある。(7月15日 渋谷スパイラル・ホール 27thレインボー・リール東京-東京国際レズビアン&ゲイ映画祭)


⑫北朝鮮をロックした日 ライバッハ・デイ

監督:ウギス・オルテ モルテン・トロ―ヴィク 出演:ライバッハ 2016ノルウェイ・ラトビア 100分

北朝鮮が初めて外国から招いたロック・バンドコンサートの記録。このバンド「ライバッハ」を選んだ北朝鮮の選定基準??受けたライバッハのネオナチ風コスチュームや戦闘的な低音ロックの真意(素顔の彼らは別にファシストっぽくないし、あのスタイルは皮肉なのか、本気なのか、北朝鮮はどう受け取っているのかとか)、あとはコンサートまでのごたごたいらいら、たくさんの検閲によって削られる曲やバック動画、そして当日動員された?観客たちがなんかいかにもお行儀よく来てやっている、自分たちと芸術感は違うけれどあれはあれでいいんじゃないという態度とか、どれも面白く、しかし最大の謎はこのバンドが北朝鮮の体制というか政府に受け入れられた理由かな…北朝鮮の女声合唱やピアノとのコラボ、サウンドオブミュージックのリメイク演奏とか、音楽もなかなかに面白かった。(7月15日 渋谷イメージ・フォーラム)


⑬菊とギロチン

監督:瀬々敬久 出演:木竜麻生 東出昌大 寛一郎 韓英恵 渋川清彦 井浦新 大西信満 山中崇 永瀬正敏(語り)2018日本 139分

関東大震災直後の船橋?(東京近郊が舞台。「船橋」はセリフにあった気がする・・実際のロケは京都、舞鶴、滋賀県あたりで行われたらしく、風景は確かに関東というよりそっちの感じ。そのへんがこの映画ん唯一の違和感と言えば違和感?)あたりを舞台に、農村をめぐって興行をする女相撲「玉岩興行」一座と、実在したアナキストの結社ギロチン社・労働運動社(ちょっとだけ)の面々とのかかわり、特に虐殺から逃れた朝鮮人十勝川と、ギロチン社の中心的存在だった中濱鐵、夫の暴力から逃れて一座に駆け込んだ若い農婦花菊と中濱に心酔しつつ悩む若い古田大次郎の2組を芯に話しが展開する。ギロチン社の面々若い意気盛んな、今風に言えば軟弱なテロリスト集団という感じで、要人から略奪して貧乏人に配ると言いつつ、自分たちも遊びに使ったり、爆弾作りをしたりと現代社会に置いたらどちらかと言えば批判にさらされそうな連中だが、それぞれの生活苦を背負ったり愛(の不在)に悩んだりする女相撲の面々(あまり」有名なスター女優はいないのだけれど、それぞれに存在感を持ち、相撲甚句などもうまく歌い、何より回しを締めて相撲をする姿には「努力」も感じさせる)との関係の中で描くことにより、青年たちのいわば空回りするような思想が裏打ちされたという感じで説得力を持った。相撲興業の親方渋川清彦が女たちを抱えて一見搾取するような立場でありながら侠気があって自由を貫く気概も持つという役で格好いい。自らも戦争に苦しめられた果てに天皇賛美戦争のお先棒担ぎに転じた在郷軍人の大西信満のいつもながらの狂気の演技も印象的。主要メンバー東出、木竜、韓も。相撲役では初代小櫻のひょひょうとして山田真歩も印象に残った。そして寛一郎は佐藤浩市の息子、三国廉太郎の孫というサラブレッドらしいのだが、静止写真ではちとごつめのイケメン?だが動くとナイーブな感じが出てきて、さすがの逸材かも。彼らや井浦新が演じた労働運動社のメンバーなどはエンドロールで,役者と実在の人物の写真が並べられて出てくるが、雰囲気その他けっこう似せたキャスティング・役作りであるのに感心した。ちなみに中濱は29歳、古田は25歳で死刑になり、その他のメンバーも獄死したり長期囚役ののち釈放されて運動から離れたりで、この結社は壊滅した。(7月19日 テアトル新宿)
 

⑭マルクス・エンゲルス

監督:ラウル・ベック 出演:アウグスト・ディール シュテファン・コナルスケ ヴィッキー・クリープス オリヴィエ・グルメ 2017仏・独・ベルギー 仏語・独語・英語 118分 

マルクス生誕200年だそう。映画は20代半ばすぎ、政治運動によって故国ドイツを追われたマルクスと、イギリスのブルジョア工場主の息子でありながら独自の経済論を持つエンゲルスの出会い(再会?)から『共産党宣言』(1848)が完成するまでの歩みを丁寧に描いている。当時の労働状況や搾取の過酷さはワンシーンごとの映像的描き方なので、風俗やその場の行動としてはなかなか迫力はあるのだが、その状況の説明が社会活動家の口からわりと観念的に語られるセリフでの説明という感じで、ドラマとしては今いちかなあ・・マルクスの家庭や、エンゲルスの恋は丁寧に描かれはするものの、これも妻や、恋人の背景と、にもかかわらず彼女たちがそれぞれのパートナーと意気投合し彼らを支えるのが姿だけで、現代の眼から見るとなぜそういうふうになるのかという説得力今イチ?うーん。そしてセリフのつながりの中で『共産党宣言』は完成するのだが…。どちらかと言えば教養層、ブルジョア階層の彼らが当時の社会情勢の中で、なぜ思想家、運動家としての道に踏み込んだのかというあたりが映画ではやはり説得力を持ちにくいのかもしれない。(7月20日川崎市アートセンター・アルテリオ映像館)


⑮私はあなたのニグロではない

監督:ラウル・ベック 出演:サミュエル・L・ジャクソン(語り) 出演:ジェームス・ボールドゥイン マルチン・ルーサー・キング メドガー・エヴァース マルコムX 2016米・仏・ベルギー・スイス 93分

⑭と同じ監督作品(とは思えないほど)の映像による迫真力はやはり実映像そのものの迫真力なのだろうか。ジェームス・ボールドウィンの作品を「原作」とし、様々な映画作品に描かれた黒人や、黒人の自己像に投影された白人・「インディアン」などの映像を挟みつつ、キング牧師、マルコムX,メドガー・エヴァース(いずれも30代で暗殺された)の映像とことばで、アメリカにおける人種差別や暗殺の歴史や史観に迫っていくドキュメンタリー。語り手はジェームス・ボールドウィンの生前の映像(インタビューや講演)とサミュエル・L・ジャクソンのよる語りで、これが品があってわかりやすいすごく魅力的な音声。映画の中で1960年代にロバート・ケネディ司法長官は「差別はなくなりつつある、まもなく黒人の大統領も選出されるかもしれない」と言い、ボールドヴィンはこれを聞いたハーレムの黒人のことばを引用しつつ「それが差別の実態が無くなるのでなく骨抜きにされるだけなのだ」みたいなことを言っているが、そこに映し出されるオバマ元大統領。そこまでに50年かかったとみるべきか、あるいはそれは形だけで未だ差別が無くなったわけではないという(骨抜きになっただけ)批判映像と見るべきか…。自分の知識や見識の薄さを振り返りいささか恥じる。(7月20日川崎市アートセンター・アルテリオ映像館)


⑯三十二

監督:郭柯  中国2014 43分

1980年生まれという若い郭監督が、日中戦争時日本軍に連行され性暴力被害にあい、妊娠出産することになった女性(90代)と生まれてきた息子(すでに70近い)の母子にインタヴューし、その生活ぶりを記録している。乳児を抱えた母として拉致され、命からがら逃げだして家に戻ったこと。義母は理解してくれたが夫にはそのことゆえに疎まれたこと、一緒に戻った乳児はまもなく亡くなり、日本の兵隊の血を受けた息子が誕生してしまい、さらに家族や村人からは疎まれつつ生きてきた人生が淡々と語られる。オーソドックスな切り取り方だがきわめて端正な画面(桂林の景色も美しい)の中で、老婦人が歌う。歌声が前後にあって、苦しくつらい人生だったのだとはいえ、「対立的にとらえるのでなく融和をめざしたい」という監督の意図もあらわれているのか、案外明るいすっきりしたイメージの映画に仕上がっている。映画後に質疑応答と戦後補償法に関する内藤光博氏(専修大)の講演がある。質疑では主役の母子を最初に見出し、日本での集会に招いたこともあるという人や、その集会に出たり、戦時被害者の支援をしている方などがさかんに発表。それによれば、彼らの住む広西省チワン族自治区も今や開発の波にさらされ、母子は日本に来たとき、息子のほうが「日本人を殺すために軍に入りたい」と激昂し母がなだめる一幕があったとか。また文革のときの迫害はこの地域はそれほどでもなかったが、家族、特に後から生まれた異父兄弟にはひどくいじめられたとか、まあ、淡々と牛を飼い畑を耕し「こうしてこれからも過ごしていくが、動けなくなった後が心配だ」と静かに語る息子や母の表面だけではない、裏側のさまざまもあったのではないかと思われるような(映画を見ただけではわからない)ちょっと奇妙な映画鑑賞ではあった。「三十二」はこの映画作製当時生き残っていた被害女性の数。その後作られた映画は『二十二』になっている。(7月21日 中国インディペンダントドキュメンタリー7月 専修大学神田校舎)

⑰ハンソロ

監督:ロン・ハワード 出演:オールデン・エアエンランク ウッディ・ハレルソン エミリア・クラーク ドナルド・クラーク タンディ・ニュートン2018米 135分 

『スター・ウォーズ」若き日のハンソロを描くスピンオフ。チューバッカとの出会いも。というわけで、期待はほどほど、ほぼ期待通り、という予想外はないが楽しめるという作品。ハンソロはなぜハン・ソロなのか(ソロはどうも名字ではなかったらしい。ひとりぼっちのハンという意味ね)、オールデン・エアエンランクはハリソンフォードほど目つきが悪くないから宇宙のアウトサイダーになるには少し明るすぎる感じもなくはないが、逆に宇宙船オタクっぽい感じもあってなかなかいいのでは?CG撮影の迫力は言うに及ばず。それにしてもこの映画でも「スターウォーズ」シリーズと同じく、帝国軍に対する「味方」は「反乱軍」で、この訳ってどうなの?といつも思ってしまう。「反乱軍」というといかにも悪そうじゃん? (7月25日 府中TOHOシネマズ)



⑱男と女、モントーク岬で(Return to Montauk)

監督:フォルカー・シュレンドルフ 出演:ステラン・スカルスガルド ニーナ・ホス スザンネ・ウォルフ   2017独・仏・アイルランド 106分 

『ブリキの太鼓』のフォルカー・シュレンドルフ作品というのでそれなりに期待して見たんだけど・・・うーん、だめだわ・・こりゃ、主人公の小説家マックスの何というか身勝手な、思い込みと自由を標榜する無責任さと、それを「小説」で味付けするというか言い訳する?「アーティスト風」。ベルリンに住み、アメリカには「事実婚の妻」がいて(でも、妻がどんな家に住んでいるかも知らない男)、久しぶりに新作プロモーションでやってきたニューヨークで17年前に別れた女性レベッカに再会し、彼女の気持ちがわからないまま、刹那的によりを戻そうとする。しかもその交渉はプロモーションのエイジェントの若いリンジーという女性にやらせ・・・女たちがこの人の気持ちのわからない困った男に振り回されつつ自分を守り、毅然と立ち向かう(しかもダメ男にひかれる心理は彼女たちにもちゃんとあることが表現される)この女たちの格好よさで、何とか最後まで見たのだけれど・・・全然共感する部分がない映画だった。繊細には描けているとは思う、さすがに。(7月27日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館)


⑲ルイ14世の死

監督:アルベルト・セラ 出演:ジャン=ピエール・レオ   2016フランス・ポルトガル・スペイン 115分

2時間近く、ルイ14世に扮したジャン=ピエール・レオが最初はまだ何とか歩くこともでき車いすで外に出たりもするところから、徐々に弱り食べられなくなり、壊疽を起こした左足もどんどん黒くなっていきとうとう息を引き取り、そして(衝撃の)解剖シーンまで!真っ黒になった腸管とか炎症を起こした脾臓とかが取り出される。途中でルイ14世は「心臓を父の傍に葬るように」とかいうが、あ、これって「ことばのあや」でなくチャンと心臓も取り出すのね・・・とドキリ。亡くなる間際には体の上を蠅?が飛び回り、そのシーンはないけれど当然血膿、排せつとすごかったはずだけれどそういう汚さやにおいは映画ではほとんど描かれないので、さすがにルイ14世我慢強かったのねえ(王は大変!)と思えてしまう。苦しそうな表情はするが「痛い」というのも2時間に1回ぐらいしか出てこない。ただ淡々と死に向かいつつあるという感じ。惹句?では「陳腐な死」とあるが確かに王であると言えども死は平等に訪れ、取り巻く人々も手の施しようがないという意味合いにおいて陳腐な死といえばそうなんだが…暗い中にろうそくの明かりがきらめく王の病室の画像の美しさ、王や居並ぶ人々の造形のそれらしさは特筆に値する豪奢と美しさ(だからなお、匂いとかは感じられない映画の死というおとになるのだろう)すごく面白いわけではないが興味深い映画だった。(7月27日 川崎市アートセンター・アルテリオ映像館)



⑳サバ―ビコン 仮面を被った街

監督:ジョージ・クルーニー 出演:マット・デイモン ジュリアン・ムーア  オスカー・アイザック ノア・ジュブ 2017米 105分 

1950年代アメリカンドリームを体現したような新興住宅地が舞台。引っ越してきた黒人一家の排撃の動きと、その一家の隣人の白人一家の中で行われる保険金殺人をその一家の子どもの眼を通して描く。二つのテーマをつないでいるのは一家の殺される母の黒人をも受け入れるリベラル性と、白人の自分の家族さえ信じられない状況に陥っても隣家の少年と小さな縁をむすぶというところ。リベラルな母は、夫と、彼と恋仲になっている実の双子の姉の結託によって最初は交通事故による障害、次は殺害と保険金目当てに殺される。残された息子は母にそっくりな伯母(ジュリアン・ムーアが母と二役で、すごみがあって怖いが、母と伯母の正確さなどを考えると同じ顔の役者である必要があるかは疑問。夫が妻とそっくりの姉と恋仲になるというのも、まあ恋は顔ではないとも思いつつちょっとなあ・・・とはいえその気味悪さがこの映画の眼目?。)家の中でひどい目にあい、父や伯母に疑いを持ち始める少年ニッキー(ノア・ジュブ)すごい!うまい!。家の中に父に雇った殺し屋がやってきて伯母と少年を襲う場面は『ブラッド・シンプル』ばりで、実はこの映画の脚本はコーエン兄弟。だから見に行ったわけだが。黒人排斥部分(これは実話でもあるらしい)はクルニー監督の案らしく、50年代のアメリカを通して現代ののアメリカを見通そうとする主張も感じられるが、うーん、二つの事件は一つでは映画にならないから無理に二つを合体させた、という感じがしなくもない。マット・デイモン中年太り体形(ズボンのカットのせいもあるが腰回りの太さ!)で我欲のために子どもさえも含めまわりを犠牲にし、子供用自転車を使って逃亡?さえはかるものすごい格好悪いオヤジを演じ、これもなんか珍しい役回りだが、見ごたえのある気持ち悪さ。(7月31日 下高井戸シネマ)









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